人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.35点 | 書評数:2257件 |
No.77 | 6点 | ジグザグ ポール・アンドレオータ |
(2016/09/27 15:28登録) (ネタバレなし) 「ぼく」ことルッソー化学会社の営業部長の座に就く34歳のピエ-ル・レネ。ピエールは19歳の美少女モデルのルー(ルイーズ・シコー)を彼女にしていたが、仕事の上で出会った広告代理店アルガリック社の美人スタッフ、クリス・カリエと恋仲になる。そのクリスはまだ24歳の若さながら3年前に離婚歴があり、離婚の原因となったのは、クリスがモード写真家の伊達男ジェス・ヴァヤ(現在39歳)に当時よろめいたからだった。やがてルーとは別れ、クリスを伴侶に迎えたピエールだが、そのクリスが今もまだヴァヤと密会しているという情報が彼のもとにもたらされる。しかもヴァヤの現在のモデルとなっているのは、あのルーだった。ピエールはヴァヤのもとを訪ねるが、案の定、口論となり、互いに暴力をふるってその場を去った。しかしその直後、そのヴァヤが自宅で刺殺される。事件は思わぬ方向へ向かっていく。 1970年のフランスミステリで、同年度のフランス推理小説大賞受賞作品。日本では1972年3月にポケミスで翻訳刊行された(1172番)。原書は当時、セイヤーズ、テイ、アシモフ、C・アームストロング、S・パーマー、シモンズ、ハーバート・ブリーンなど欧米の錚々たる作家を揃えた仏国・ジェイオール社のミステリ叢書「コレクションP・J」の一冊として刊行。当時の同叢書での初の自国作品だったという。 物語は二部構成で、前半がピエールを主人公にした「クリス夫人」の章、後半がピエールの友人の青年弁護士アベル・ジャカールを主体(一人称「わたし」)とする法廷ミステリ「ルー嬢」の章、という仕様。少しだけ入り組んだ四角関係の緊張感を語るとともに、ヴァヤを殺害した真犯人は誰かというフーダニットの興味、さらに次第に浮かび上がってくるある種の違和感で、読者を終盤まで引っ張る。その意味ではサスペンス、法廷ものとの分類に迷う作品であった。 ミステリとしてはフランス作品らしい独特の技巧とサスペンス感にあふれた佳作~秀作。登場人物が決して多くないので犯人の名をなんとなく挙げることは可能かもしれないが、事件の真相そのものはなかなかひねってあり面白い。現代の日本の新本格あたりにこういうのが時たま、一冊くらいまぎれこんでいそうな感じもある。 |
No.76 | 6点 | 青いジャングル ロス・マクドナルド |
(2016/09/25 05:41登録) (ネタバレなし) 時は終戦直後の1946年。10年前の12歳の時、父親の女癖の悪さが原因で両親が離婚した少年ジョン・ウェザーは母親に引き取られていたが、その母とも五年前に死別。現在22歳になったジョンは兵役を終えたのち、生まれ故郷の地方都市に戻る。そこで彼は初めて、市の行政の陰の大物だった実父J・D・ウェザーが2年前に射殺されて、しかもまだ真犯人が検挙されていない事実を知った。ジョンは、色事以外は比較的まともだと思っていた父の清濁こもごもの意外な素顔を知ると同時に、その父が死の数か月前に若い美人フロレインを後妻に迎えていた事実も認める。ジョンはフロレインや父の旧友サンフォード、さらに事件の担当刑事ハンスンを訪ね、自ら父殺しの事件の調査を始めるが…。 ロス・マクがケネス・ミラー名義で書いた長編の第三冊目。地方都市の腐敗と浄化を主題にフーダニットの興味も盛り込んだノンシリーズの青春ハードボイルドで、まるで2時間もののドラマか映画を観ているように物語が転がっていき、かなりの数の人も死んでいく。もちろん成熟期のリュウ・アーチャーものとは比較にならない通俗スリラーだが、それでもさすがにこの作者らしい陰影ある人物造形にエッジが効いていて読み応えがある。(主人公の殺害された父にしても、地方都市に公営ギャンブルという悪徳を持ち込んで地元の腐敗を促進させた張本人である一方、偽善や打算ではないらしい篤志家として貧者のために積極的な慈善活動を行い、市民から敬愛されていた。) 絶頂期の田中小実昌の翻訳の心地よさもあって3~4時間で読了可能のリーダビリティの高さだが、じっくりと一晩の時間をかけて読み通す価値もある。 終盤の決着はのちのペシミズムと優しさが一体となったアーチャーものの視線とはまったく異なる、青く若い前向きなものだが、むしろ初期のロスマクがちゃんとこういう<アメリカの正義>を描いていたことに本心からほっとする。この辺の作家の成熟してゆく軌跡がなんとなく覗けるようなあたりは、ハメットやチャンドラーともまた一味違うこの作家ならではの個性だ(まあもう、この3人をあえて並べなくてもいいという気も半ばしてるんだけど)。 ちなみに犯人当てのミステリとしては、それなりの意外性も呈示。真相発覚後のそこはかとない文芸性は、のちのロスマク作品に続く萌芽といえないこともない。 |
No.75 | 8点 | パコを憶えているか シャルル・エクスブライヤ |
(2016/09/17 16:46登録) (ネタバレなし) スペインのバルセロナ。当年40歳の中堅刑事ミゲル・リューヒは、巡査だった父エンリーコを十数年前に殺された。その仇はなかなか尻尾を出さない裏社会の大物イグナシオ・ピラールで、リューヒは検挙の機会を今も執拗に狙っていた。リューヒは、不良だが根は純真な面もある弟分の美青年パコ・ポリスに、ピラールが実質的に経営するキャバレー「天使と悪魔」に勤務し、有益な情報を得てくるよう請願した。この依頼を受けて内偵を続けていたパコだが、彼はある日惨殺され、その生首がリューヒの自宅に送られてくる。リューヒを後見するマルチン警部の心配も他所に、父親と弟分を殺されたリューヒはピラールに対して復讐の鬼となるが、そんななか、何者かがそのピラールの側近の悪党たちを次々と刺殺していく……。 先にレビューした方、あるいは登録した方は「サスペンス」に分類しているが「本格(フーダニットのパズラー)」でもいいのでは、と思う。いずれにしろ強烈なサスペンスを感じさせるフーダニットの優秀作で、犯人は確かに意外であり、動機もうーん、なるほど、と思わせるものだった。終盤、残りのページが少なくなっていくなか、まだ連続殺人が継続し、ドラマチックな展開もよどみない、そして最後の最後に明かされる事件の構造の本当の真相…いや、2016年現在、入手しにくいポケミスの筆頭格というので頑張って取り寄せて読んでみたが、これはたしかに面白かったわ。 エクスブライヤ は翻訳されたものは何冊か買ってあると思うけど、実はこれが初読。パズラーの未訳の作品もまだまだあるみたいなので、今からでもどんどん発掘してほしい。 |
No.74 | 5点 | ホームズ四世 新堂冬樹 |
(2016/09/14 18:00登録) (ネタバレなし) 新宿の大手ホストクラブ「ポアゾン」の№.1ホストである26歳の美青年・木塚響。 彼はかのベイカー街の名探偵の息子ランドールが日本に移住後、女性柔術家と結ばれて生んだ日本人・邦彦のさらなる息子、つまりホームズ四世だった。優れた頭脳と観察力を持ちながら、幼少の頃から曾祖父の伝説的な勇名を重荷に感じていた響だったが、ある日、彼の太客(お得意さま)である資産家の中年夫人・本宮加奈の姿が見えなくなる。成り行きから加奈捜索に動き出す響の前に現れたのは、ワトスンの曽孫を名乗る23歳の美女探偵・桐島檸檬。そんな二人の周辺に出没するのは、響の曽祖父の宿敵だった<かの大犯罪者>の血族だった!? 背伸びした中学生の着想みたいな設定で始まり、小説の中身ではテンプレの腐れラブコメを見せられ(ネズミが出てきてキャッと抱きつき、赤面しながらあわてて離れて言い訳のパターン~20年前の作品か? 少しはラノベ『俺がヒロインを助けすぎて世界がリトル黙示録』とかの、その手の描写のさらに先を行ったメタギャグなどを見倣ってほしい)、あーこれは地雷を踏んだわと呆れながら読んだが、しかして最後の4分の1からの展開でそこそこ面白くなる。やはり21世紀、この出版不況の中で刊行される商業作品、まったくダメ、とことんダメというものは、そうそうないですの。 つーわけで最後まで読むと、本の仕様としても実は意外な部分にギミックがあるのに気づきちょっと感心させられた。これは帯付きの新刊で読んだ方がいいよ。 シリーズ化はしてもしなくてもいいです。 |
No.73 | 7点 | 蜃気楼の犬 呉勝浩 |
(2016/09/09 15:54登録) (ネタバレなし) 県警本部捜査一課の初老刑事・番場は「現場の番場」との異名をとる、ベテラン刑事。下戸ながら法の正義を信じる真っ直ぐな気性の青年刑事・船越を半ば後継者としながら捜査にあたる。そんな番場の妻は、二回りも年の離れたコヨリ。多少わがままだが愛らしく、現在はマタニティブルーの彼女を愛し、新生児の出産を楽しみにする番場だが、彼ら夫婦にはどこか世間の目を気にする雰囲気があった。そんな番場と船越の前に、続々と不可思議な謎に満ちた事件が…。 昨年の乱歩賞作品『道徳の時間』でデビューした新鋭作家の三冊目の著作で、初の連作短編集。『道徳』は個人的には「ああ、狙いはわかります、うんうん」という感じの愛すべき大ファール作品という読後感だった(二冊目の著作『ロスト』は未読)。短期間に精力的に活動するその創作ぶりは頼もしいが、本書には全五編の中編連作を所収。主人公・番場とその相棒・船越を軸にした警察小説として歯応えのある大枠を描きながら、毎回の事件では、不可能犯罪のハウダニットや、状況の謎にからむホワイダニットなど、パズラーファンにも十分に楽しめる趣向の怪事件が語られる(高層住宅や山などのない市街地の真ん中で、高所から墜落死した死体の謎、など、どこかで見たような設定の謎もあるが)。 もう一方で読者への求心力となるのが、一風変わった番場とその若妻コヨミの関係で、連作としての興味を加速度的に高めるのがこの部分になっている。 内容はなかなか読み応えのある警察小説(組織ものにして、番場と船越たちの人間ドラマ)であり、連作謎解きパズラーとして十分に楽しめた。ただしネタバレを警戒しながら少しだけ書くと、この物語世界はまだまだ続刊を必要とする結構なので、その意味も込めてシリーズ化を希望したい。今後が楽しみなシリーズものになると思う。 |
No.72 | 7点 | この街のどこかに モーリス・プロクター |
(2016/09/07 15:28登録) (ネタバレなし) 1950年代の英国グランチェスター地方。懲役14年の禁固刑を食らったギャングのドン・スターリングが脱獄した。スターリングと幼馴染みだったグランチェスター市警のハリイ・マーティーノー警部は、若手刑事ディヴェリィとともに脱獄囚を追うが、その途上で現金強盗の被害に遭った若い女性シスリイの殺害現場に出くわす。新たな強盗殺傷事件もまたスターリングに関係する可能性を見やったマーティーノーは、管轄の権限を越えて捜査を敢行。だが逃亡中のスターリングの方もまた、宿敵といえるマーティーノーへの報復の機会を狙っていた…。 1954年の英国の警察小説。作者プロクターは実際に19年間の勤務経験がある元警官で、それだけに捜査現場や監獄の描写など、臨場感のリアリティは頗るうまい。 資料(森氏の世界ミステリ作家事典)によるとプロクターは全26本の長編を著し、そのうちの約3分の2ほどの16冊にシリーズキャラクターのハリイ・マーティーノー警部が登場するが、1954年に書かれた本書(プロクターの長編としては第7冊目)がそのマーティーノーのデビュー編となる。 別個に事件が進行するモジュラー型の警察小説かと思いきや、物語は早めにマーティーノーVSスターリングという主軸を打ち出し、くだんのメインプロットを支えるようにスターリングの2年前に遡る脱獄計画と逃走劇、そのスターリングに関係する当時のイギリス暗黒街の叙述、美人の妻ジュ―リアとの不仲に悩み、色っぽいウェイトレスのラッキイに入れ込むマーティーノーのプライベート描写、被害にあった女性シスリイの職場で競馬の胴元ガス・ホーキンズ周辺の人間模様…と、潤沢な物語要素をハイテンポで投入。地味で渋い? しかし確実に面白い群像劇型の警察小説としての形を小気味よく整えていく。 なお物語の大きなサイドストーリーのひとつで、若手刑事ディヴェリィと口の不自由なしかし気立ての良い美人シルヴィア(シルヴァー)・スティールとの恋模様が描かれるが、これはまんま同時代の「87分署」キャレラとテディの関係を想起させる。マクベインの『警官嫌い』が1956年の刊行だから、本書『この街のどこかに』が影響を受けた可能性はないが、その逆の方はもしかしたら? ありえたかもしれない。ちょっと興味深い。 クライマックスもスターリングとの決着寸前、この脱獄囚逮捕の手柄を得て昇進がかなうか、それともこの場で自分が殉職して周囲の反響があれこれなどと余計なことを考えすぎるマーティーノーの人間臭さもとても気持ちよく、さらには「え、そっちの方向に行くの!?」というサプライズに満ちたクロージングのしみじみじた余韻も絶品。今回は気になって読んだ未読のポケミスの中で、なかなかの拾い物に出会った気分である。 なおマーティーノー警部ものは前述のように原書では十数編の長編が執筆されていながら、翻訳はあと1959年の作品『殺人者はまだ捕まらない』だけみたいだね。今からでも面白そうなものを何冊か、発掘・紹介してくれないものか。 |
No.71 | 5点 | 日曜は憧れの国 円居挽 |
(2016/09/02 23:42登録) (ネタバレなし) お嬢様学校に通う地味な中学二年生・暮志田千鶴は、日々の生活に退屈していた。そんな彼女は母・姫子の「女の子が何か特技ぐらいないと恥かしい」という方針で、多くのジャンルの講座を設けるカルチャースクール「四谷文化センター」に参加する。その最初の授業の料理教室で同じ班になったのは、学校は違うが同じ学年の三人の少女だった。小柄で元気な先崎桃、金銭感覚に長けた合理主義者の神原真紀、そして長身で秀才、孤高の美少女・三方公子。性格も秘めた能力もそれぞれバラバラな4人はなぜか微妙な歩幅のなかでお互いに惹かれ合っていくが、そんな彼女たちの前に不思議な出来事や思わぬ事件が…。 中短編の連作5本をまとめた「日常の謎」もの。やや短めの最終編に至るまでの中編4本はそれぞれメインとなる少女が交代、おのおのの素性や個性にあった事件や謎に結局は4人全員で向かい合い、何らかの形で決着が描かれる流れである。 主体となる中編4作は、少ないエピソードの絶対数に対してバラエティに富んだリドルを提示し(料理実習中の盗難事件、将棋の解法の謎、日本史の講義にからむホワイダニット、あるベテラン作家の心の謎…などなど)、そういったふり幅の広さが読み手を飽きさせない作りになっている。そんなケレン味もふくめて普通に面白い。 ただ最後の話はミステリとしてはもしかすると一番真っ当かもしれないが、とりあえずの締めくくり編としてはちょっと変化球を放られた感じ。完結感もあまり無い。 キャラクターがバラバラな少女たちの距離感が徐々に狭まっていく感触は心地よいし、まだまだ友情や人間関係の伸びしろはあると思うので、もし二冊目分がやがて書かれるなら、今度は互いの家に遊びに行く図とか見せてくれ。作者はカルチャースクール周辺での事件や謎という縛りを、たぶん自らに課してはいるんだろうけど。 |
No.70 | 6点 | 白銀の逃亡者 知念実希人 |
(2016/09/02 08:33登録) (ネタバレなし) 2016年9月。世界を席捲した人類未知の新型伝染病「ドナルド・ミュラー症候群(DoMS)」は、致死率95%の猛威で多くの人々の命を奪った。だがその奇病の災禍から幸いに生還しえた者は、銀色の瞳と超人的な体力を持つ夜行性の人間「バリアント」として新生する。地上の人々が「ドラキュラ病」患者の別称を授けてバリアントに警戒の目を向けるなか、そのバリアントにからむ「ある事件」が報道され、社会は強硬なバリアント隔離策に向かいだす。それから4年、自分がバリアントである素性を巧妙に隠しながら社会の片隅で生きてきた青年医師・岬純也は、ある夜、同じバリアントの美少女・悠に出会う。そしてそれこそが、純也の、そして人間とバリアントすべての未来に関係する新たな事件の幕開けだった・・・。 幅広い作風で読者をもてなす作者の本書は、SF設定を導入したサスペンススリラー。純也を軸とする巻き込まれ型サスペンス、さる事情から執拗にバリアントを憎悪する公安刑事の敵役ぶり、純也と悠のどこかに常に緊張を孕んだラブコメ、バリアント強硬派の進める謎の計画、バリアントを同じ人類として認めようとする良識派と排除を図る保守派の政治家同士の相克…などなどエンターテインメントとしての具材は潤沢に備えており、これはこれで良くまとまっている。まぁ人によっては活字で書いたコミックとか、随所で出てくるヒューマニズム描写が安っぽいとか、ひと時代前風の悪口を言いそうではあるが。 それで一カ所だけ重箱の隅。318ページの9行目にいきなり「青木」なる人名が出てくるが、これたぶん、序盤から登場している若手公安刑事「青山」が正しいよね? 再版の際に直しておいてください。 |
No.69 | 5点 | 横浜1963 伊東潤 |
(2016/09/01 12:22登録) (ネタバレなし) 昭和38年の横浜。横浜港で若い女の死体が見つかる。その状況から犯人は横須賀や厚木などの基地に属する米兵と目され、事件は神奈川県外事課の担当となった。娼婦だった日本人の母と米国人とのハーフで、完全な日本国籍ながら外見はまったく白人の美青年にしか見えない若手刑事・ソニー沢田。ソニーは連続殺人事件に発展した凶悪犯罪を追うが、やがて在留米軍を配慮する上層部の壁にぶつかる。そんななか、ようやくある米兵を容疑者として割り出したソニーは横須賀基地に乗り込んで情報を求めるが、そこで彼は、容姿は完全な日本人の日系三世である犯罪捜査官(SP)のショーン坂口に対面した。証拠の希薄さを理由に当初は協力に消極的だったショーン。だがソニーの熱意は、そしてショーン自身の内なる良心は、ショーンを連続殺人の捜査に駆り立てていく。 時代小説分野で長年活躍する作家の初めてのミステリ。筆者は同分野の素養は薄いため著者の作品を読むのはこれが初めてだが、読み物としてはそれなり以上に楽しめた。 とはいえAmazonのレビューでも指摘されているように時代考証が存外に大雑把だったり(高度成長時代の情報は随所に点描されるが、全体の世界観はむしろ昭和20年代後半の雰囲気)、ミラーイメージの主人公コンビを対照させながら日本とアメリカの相関を語る大設定が図式的だったり、またミステリのミスディレクションがシンプル過ぎたり…などの弱点はたしかに否めない。 あとAmazonの書評に加えるなら、あの歴史的な大事件をエピローグのタイミングに持ってくる作劇もそれは王道ながらもうさすがに古いだろ。渥美清の隠れた秀作主演映画『僕はボディーガード』(1964年)のラストから延々と使われている。 とまれあんまり神経質にならないで、アメリカの属国になったニッポンという舞台装置を活かしたちょっとだけ個性派の警察小説&昭和時代劇、一級半のエンターテインメントとして一読するならそんなに悪くはない。先にその設定が図式的と書いたが、ソニーも、中盤からもう一人の主役となるショーンも、それぞれ読み物小説の主人公としては十分に好感が持てる。終盤に独特の個性を見せる真犯人のキャラクターも、そういうものを著者がしっかり描きたいことはわかるし。 物語の流れからこの設定そのままの続編は難しいかもしれないだろうけど、ソニーにはまたいつか会ってみたい。 |
No.68 | 5点 | 砂丘の蛙 柴田哲孝 |
(2016/08/30 12:58登録) (ネタバレなし) 9年間の服役を終えて千葉刑務所を出所したばかりの元殺人犯・崎津直也。その彼が神戸で何者かに刺殺される。事件当時、崎津を逮捕した石神井警察の刑事で、現在は定年間近の警部補・片倉は、崎津が収監後も手紙をやりとりして彼の更生を願っていた。そんな片倉は崎津の死の状況に、そして今まで見過ごしていた崎津からの手紙の中の文句「砂丘の蛙」に、引っかかりを覚えた。これと前後して片倉は、自宅のアパート周辺で何者かに刺されて重傷を負う。やがて片倉を刺した凶器は、崎津殺害のものと同一という疑いが強まる。片倉は相棒の後輩刑事・柳井とともに神戸に向かうが。 2014年の長編『黄昏の光と影』で初登場した、片倉&柳井コンビが主人公の警察小説第二弾。まずはシリーズ化万歳! である。 ただし前作『黄昏』が、正統派の警察捜査小説とやがて明らかにされる犯人側の人間ドラマの融合、それに加えて数十年の規模におよぶ昭和現代史の厚み(さらに言うなら最後のあっと驚く意外性も、ミステリとして実に良く出来ている)で、松本清張のA級作品を思わせる骨太さだったのに対し、今回の『砂丘』は全体に一本調子、そこそこの出来でまとめたというか。 いや決してつまらないわけじゃなく、普通に楽しんで間を置かず読み終えたんだけどね。前作が傑作だったことを思い起こせば、物語の広がりが弱い本書はあくまで佳作どまりというか(ストーリーとしては、主人公たちは前作同様にあちこち出向いたりしてはいるものの)。 あと、最後の悲惨な事件の全体像の叙述が、ほとんど犯人側関係者の供述を経た説明で済まされるというのも、ちょっと乱暴すぎる気もしたし。 ただし最後のクロージングは温かい。良かったね、××さん。 本シリーズ(片倉&柳井もの)の第三弾にも期待しているので、今度はまた『黄昏』レベルの力作をお願いします。 |
No.67 | 7点 | ゼロの激震 安生正 |
(2016/08/26 04:09登録) (ネタバレなし) 大学で地球物理学を学び、その後は大手ゼネコン・太平洋建設で地盤掘削作業の技術者として奉職してきた木龍純一。彼は40歳の時に、大企業JPSが発注した東京湾の「浦安人工島」施工計画に参加するが、工事中の不測の事故で弟分の技術者・長岡を失う悲劇に遭遇した。事故の責任を取って会社を辞めた木龍は9年後の現在、工業高校の教員として働いていたが、そこに一人の謎の紳士・奥立隆弘が現れる。木龍の物理学者としての、またゼネコン技術者としての器量に着目した奥立の用件、それは木龍の恩師である東都大学教授・氏次とともに極秘のプロジェクトチームに参加し、近々に必ず発生する関東を襲う溶岩流の脅威! に対抗してほしいというものだった。だがやがて明らかになる<人為が引き起こした自然の怒り>は、奥立の、そして木龍の予測をはるかに超える規模の災禍となって地上の人々を襲うのだった…。 一言で言ってしまえば、これは『日本沈没』や『滅びの笛』そして東宝映画『地震列島』などの系譜に連なる、剛速球で正統派のディザスター・パニック作品。そのむかし「ミステリマガジン」で国産ミステリ月評担当の松坂健が、小松左京の原作小説版『日本沈没』を評した際に、その時のレビュー記事を「これは途方もない小説である」の一行から始めたが、この作品もその修辞(途方もない小説)が実によく似合う内容だ。 足尾市に生じた怪異な突然の大量死、富岡市での謎の高熱災害など、前半3分の1の時点での非日常的なディザスター描写でも相応に苛烈だが、物語はページをめくるごとにさらに強烈に加速度を増し、ついに小説の後半には「そこまで行くか!」というレベルまで日本を見舞う国難の規模が絶望的に広がっていく(ネタバレになるので詳しくは書けないけど)。 とはいえ作中の大災禍を荒唐無稽なホラ話に思わせないため、いかにもそれらしい地質学、物理学、さらには天文学の専門知識やロジックで丁寧にこの大災厄の物語は補強されており、それらの情報量に説得された読者のテンションが下がることはない。そんな大枠のなかで主人公の木龍や氏次、さらには彼らを率いる危機管理官・牧野ほかの行政側や識者たちの日本を救おうとする群像劇が描かれる(この辺は、同じ国難を描く今夏話題の新作怪獣映画&ポリティカルフィクションドラマ『シン・ゴジラ』に通じるものがある)。 あえて言うなら、心に傷を負った主人公のトラウマ克服、情報小説的な専門分野の物量描写、器用に視点の切り替わる映画的な叙述……と作品の結構に手堅さを確保した分だけ、小説としていささか古い作りになったのも事実。80年代半ばから発祥した「なんでもあり娯楽小説」の「ネオ・エンターテインメント」の作法にかなり近い。 言い方を変えるなら、この作品が21世紀の作品でなく、その頃の旧作だと言われて読まされてもそれほど違和感は無かったろう(もちろんインターネットのSNSなど当世風のギミックは、作劇の上で縦横に活用されているが)。 とまれそれでも自分はこの作品が大変面白かったし、随所の描写で胸を打たれた。それは、作者のパッショネイトな部分の反映かあるいは手慣れたテクニックか判然としないが、キャラクターが脇役に至るまでしっかり描かれているからであり、具体的にはたとえば321ページの10行目、こういうさりげない、しかし温かい描写がそこにたったひとつあるだけで、この小説の品格はずっと引き上がっているのだ。さらに終盤「思わぬもうけ役」となる某キャラの扱いなど、ここで泣いては負けだ、と思いながらも作者の狙いに乗って涙してしまう。ちょろい読み手かもしれないが、そういう心地よさに人生の一時を預けられる作品というのはそれだけの価値があるのでは、とも思うのだ(一方で人間の陽性で気高い部分のみ賛美しているわけではなく、主要人物のひとり・香月の、清濁こもごもしたキャラクター造形などもかなり上手い)。 ただし人物描写の見事さやドラマ作りの良くも悪くも王道的なこととは別の部分で、壮大な叙事を為すうちに脇が甘くなった箇所もあり(関東から各地に脱出した人々のその後の生活の軋轢にはもう少し筆を費やしておくべきではないか、など)、全体を絶賛はできないが、久々に良い意味で懐かしく、そして実にこういう種類でのボリュームのある作品を読んだという満腹感は確実にある。 ちなみに、なぜこの地殻の大変動がほぼいきなり生じたのか、という大きな謎も作中に用意され、その辺りで謎解きミステリとしての興味まで抑えた小説の構造もなかなか楽しかった(推理して解ける種類のものではないだろうが、漠然とでもその真相を考えることはできる作りになっている)。 冒険小説や、ポリティカルフィクション要素のあるディザスターものまで広義のミステリとして認定することに個人的には大賛成だが、その大枠の中で今年の国産ミステリの収穫の一つ。 |
No.66 | 5点 | 灯火管制 アントニー・ギルバート |
(2016/08/24 01:34登録) (ネタバレなし) 筆者はアントニー・ギルバートは本書が初読。ポケミスの『黒い死』も買ってあって未読だったが、さあどっちから読もうと思って調べると、本書の方が原書は先の刊行ゆえ、こっちから手をつけた。 噂のクルック弁護士のキャラクターは、英国の紳士探偵の系譜の主流から外れた? アクの強い人物。本書では別の登場人物とその場にいない者の陰口を言い合い、ドイツ軍の空襲であいつが死ななかったのはヒットラーの失敗だ、という主旨の諧謔まで口にする(唖然)。さらには眼前の耄碌した老人の要領を得ない対応にじれったさを感じ、内心で「精神異常者の安楽死を主張する進歩論者に共感を覚え」たりする(呆然)。今の時代なら、たぶん新作小説として問題ある叙述だろ、これ(笑)。 肝心のお話の方は、戦禍の進展を背景にした、クルックの知人の失踪騒ぎ、その流れで起きた殺人事件、ある人物にかかわる謎の金の動き…などの要素を好テンポで語り継ぎ、それなりのリーダビリティで楽しめる。ただし終盤の反転劇と同時に明かされる意外な犯人の逮捕図はミスディレクションが見え見えでいま一つ…なような(汗)。最後の最後のクルックの子細な謎解きは、なかなか唸らされたんだけどね。 ところで訳者あとがきによると、ギルバートはクルックのシリーズ以前に政治家スコット・エジャートンなる人物をレギュラー探偵役にした十冊ほどのミステリを書いており、やがて自作のレギュラー探偵の座をクルックに刷新したらしいが、本書のエピローグ的な部分でクルックと別の登場人物との会話の中でその「友人スコット・エジャートン」の名が出てくる(304ページ)。もちろん現時点の筆者には、何の縁も面識もないキャラクターだが、ギルバートの新旧の主役探偵の世界観が繋がっているという構造そのものが、なんとなくほほえましい。カーの『死時計』のラストで、バンコランのことを話題にするフェル博士みたいだ。 |
No.65 | 5点 | 倒叙の四季 破られたトリック 深水黎一郎 |
(2016/08/21 15:50登録) (ネタバレなし) 書名通りの倒叙もの4本を集めて、全体にもある種の仕掛けを凝らした連作中編集。私事ながらここしばらく忙しくて長編が読めないので、就眠前に少しずつ読み進めていた一冊。ちなみに深水作品はまだそんなに読んでないので、これがシリーズ探偵ものの路線の枠内の作品とは終盤まで気がつかなかった(汗)。 内容は、クロフツの『殺人者はへまをする』『クロフツ短編集』みたいなものを21世紀の国産の中編ミステリで書いたらまんまこうなるんじゃないかしら、という感じで手堅く楽しめた。正統派の倒叙ものの興味に加えて、密室をどのように作ったかのハウダニットがキモとなる第4話が一番読み応えあるかな。 ただしこの連作の設定の核となる裏ファイル「完全犯罪完全指南」についての決着は、最後で小味にまとめちゃった感じ。 深水作品ビギナーとしては、作者の振り幅を実感できた一冊でした。きっともっとこれからも、新刊既刊ふくめていろいろと楽しませてくれるんだろうけど。 |
No.64 | 5点 | ブッポウソウは忘れない 鳥飼否宇 |
(2016/08/17 13:10登録) (ネタバレなし) 著者の作品を読むのはこれでまだ4~5冊目だが、こういう衒いのないタイプの連作ミステリも書けるのか、と軽く驚かされた感じ。 ミステリとしての妙味は、kanamoriさんのご講評ですでに的確に語られているので特に大きく付け足すことはない。 第4話のキーワードの部分の伏線は難しくなかったが、意外に広がっていった事件の流れを最後まで先読みするのはちょっとタイヘンだった。あと同じ第4話の前半で、普通ならいちいち名前まで書かないであろうある脇役までしっかり名を設定してあったのは意図的なミスディレクションだったのだろうか。 続編はもう数冊書ける感じだから、シリーズ化してほしい。××××にもなりそうな、主人公の青春模様の方もちょっと気になるし。 |
No.63 | 6点 | 夜の人 ベルンハルト・ボルゲ |
(2016/08/16 03:57登録) (ネタバレなし) 1941年のノルウェー作品。翻訳書(ポケミス=「世界ミステリシリーズ」)は半世紀以上前の旧刊ながら、なぜかこの1~2年、本サイトをふくめて時たまweb上での高評を目にする機会のあった一冊。 次第に気になってきたのでこのたび読んでみたが、確かに面白かった。限定された舞台(金持ちの別荘)の中で起きた伊達男が被害者の殺人事件、その後に続く登場人物たちのやりとりの中で生じる微妙な人間模様の機微(主人公の恋愛ドラマをふくむ)、探偵役である精神分析医カイ・ブッゲの適度にエキセントリックな言動、そのブッゲと対になる捜査官ハンマー警部の生真面目なキャラクター…と、ミステリ小説としてソツの無いパーツを十全に組み合わせ、その一方で全体のページ数も少ない(訳者のあとがき~実質上の解説、をふくめて全176ページ)ため、ハイテンポであっという間に読めてしまう。 全編に伏線や手掛かりは相応に張られているが、最後の探偵役の説明は専門的な心理学にも拠るため、普通の読み方ではフーダニットとしての正解は難しいだろう。ただし終盤、殺人者の正体が判明するあたりのスリルとサスペンスは該当シーンのビジュアルイメージも含めて実に強烈で、個人的には子供時代に学校の図書館から借りて読んだウールリッチの『自殺ホテルの怪』(1970年・偕成社~『913号室の謎』の児童書版)で真犯人がついに判明する時の衝撃と緊張感を思い出した。 事件の真相判明の騒乱劇を経てしみじみと語られるクロージングの余韻もなかなかで、いやこれは読んで良かった一冊。nukkamさんのおっしゃるようにブッゲシリーズの続編も、今からでも翻訳紹介してほしい。主人公(語り手)である作者の分身? ベルンハルト・ボルゲのその後も気になるし。 ところで、118ページ目でボルゲが読んでいたクリスティーの『誰がルイズに手紙を書いたか』というのは、実在する彼女の作品で、実際に刊行されたノルウェー語版のタイトルなんでしょうか? それなりにクリスティーは読んでいるのだが、さすがにこの題名と「ルイズ」という固有名詞だけでは、該当作品が思い当たらない。どなたかお心当たりのある方は、本サイトの掲示板などでご教示願えますと幸いです。 ※追記(2016年8月16日10時)…蟷螂の斧さんから早速、情報のご教示を戴きました。『メソポタミヤの殺人』(原題:Murder in Mesopotamia)だそうです。ありがとうございました。 |
No.62 | 6点 | アムステルダム運河殺人事件 松本清張 |
(2016/08/03 12:00登録) (ネタバレなし) 『アムステルダム運河殺人事件』(長めの中編~短めの長編)と『セント・アンドリュースの事件』(短め~普通の長さの中編)の二本を収録。海外を舞台にした邦人の殺人事件ものというくくりで、二作品を一冊にまとめている。 表題作は、現実に起きたバラバラ殺人事件に立脚したロジカルな謎解きパズラー。実話を題材にした前提の分だけ、社会派的な要素も骨太な人間ドラマも抜きにガチガチのパズラーに向き合えるという清張のワクワク感が窺えるようで微笑ましい。 死体の身元を隠すために頭部や手首を切断したなら、なぜその一方で当人に関連した遺留物をいっしょに残しておいたのか? という謎の設定はなかなか魅力的。なお小説として語られるその真相は説得力はあるものの、前述の謎の解明としてはちょっとだけ肩透かしなのは残念。なんでバラバラにしたか? という理由づけ自体は、なるほどひとつの創意だろうが。 しかしこの事件、たしかに謎解きミステリとしての解法はほかにもありそうな感じで、だからこそ有栖川作品や2016年の新作『アムステルダムの詭計』(原進一)などの後続作が登場しているわけである。そのうちそれらも読んでみよう。 『セント・アンドリュースの事件』の方は、清張には珍しく? ××トリックが用いられており、その方向でトリッキィな一編。 大ネタは途中で気づくが、細部まで全部先読みすることはちょっと難しいかもしれない。ただし探偵役が語る事件の真相のなかで、被害者が殺害される場面をイメージするといささか間抜け。その状況で注意を払わなかったのは、アンタの方も悪いだろ、と思えたぞ(笑)。 |
No.61 | 6点 | ドクトル・マブゼ ノルベルト・ジャック |
(2016/08/02 07:29登録) (ネタバレなし) 第一次大戦後のドイツでは、疲弊した国民の魂を癒し、そして堕落させる、賭博という背徳の文化が蔓延していた。そんななか、とある賭博場で遊民エドガー・フルが大敗するが、彼を負かせた相手には変幻する容貌など、数々の不審な点があった。フルの友人カルスティスから情報を得た40歳前後の検察官ヴェンクは、隠密捜査に乗り出す。それこそがヴェンクと、欧州各地で暗躍する犯罪王マブゼとの長い戦いの幕開けでもあった! 1921年にドイツで刊行され、翌年のフリッツ・ラングの映画版のヒットもあってこの分野ではすでに名作として殿堂入りした、大犯罪者もののスリラー。ちなみにポケミス巻頭に記された原書刊行年は1921~22年と2年に跨っているが、その辺の事情は解説を読んでもよくわからない。映画の公開に合わせて内容が一部改訂でもされて、それゆえのややこしい表記だろうか? マブゼのキャラクターを記すと、年齢は60歳前後。ただし変装は自由自在で、外見上の年齢はほぼ不詳。体力は若々しく頭脳も明晰で、殺人やテロなど種々の犯罪に関わるが、最大の資金源は、その家族まで入れれば構成員4000人に及ぶシンジケートを活用した密輸。賭博で緊張感を満喫しながら財産を増やすのも好き。当人は精神分析医としても優秀で、催眠術で人心を操り、自殺に追い込むことも可能。ブラジルの原始林の中に理想郷「マイトポマル王国」の建国を夢想し、資金はそのためにも貯められる。当人の性格は冷徹で酷薄なれどときに激情家。作中では美貌のヒロイン・トルド伯爵夫人に心を奪われるが、同時にそれが自分の弱点になると冷静に考え、排除を検討する描写もある。自らを「人狼」とも「魔王」とも呼ぶ自意識の高さ。 …日本の犯罪者キャラクターでいえば、①その変装の変幻ぶり②地に足がついた犯罪組織網の構築③内に秘めた残忍性を自らの殺戮行為で解消…など、小林信彦のオヨヨ大統領がもっとも近い。ラングの映画を経た影響が小林信彦にあったのか、たまたま悪役の造形がほぼ同じ着地点になったのかはよくわからないが。 それでかんじんのお話の方は90年以上前の旧作ながら、実にハイテンションな怪人対名探偵ものの秀作スリラー。 マブゼに挑むもうひとりの主人公ヴェンクの方も丁寧にキャラクターが描きこまれており、公的な捜査機関の十全な活用はもちろん、マブゼの犠牲者の遺族である資産家に応援を頼み、大枚の金を使って捕り物作戦を展開するあたり、彼のなりふりかまわぬ闘志を実感させる。ドイツ国内の刑務所に収監される全犯罪者をすべて解放してもあの宿敵ひとりを捕まえたい! と語るその内面描写も熱くていい。さらにそんなヴェンク自身が終盤で彼自身とマブゼとを相対化し、これは正義と悪の戦いではない、違う種類の人間と人間との能力の拮抗なのだという主旨の文句を語るのも、この作品の本質を端的に打ち出している。 そんな2人の主人公の起伏に富んだ戦いのシーソーゲームは最後の最後まで気が置けず、いやこれはなかなか楽しい一冊であった(クライマックスは小説独自のもので映像化はされなかったようだが、ここもまた非常に映画的)。 なお前述のとおり本書は1921年の刊行、第一次大戦後の時制の物語だが、その精神的な背景には国民みんな頑張ろう、的な教条的な意識も込められている。 その辺は、今後マブゼの組織が壊滅した際には多数の元犯罪者が生じるので、彼らの社会的更生を前向きに画策。そのために資産家の老富豪に財政的な支援を求め、相手の快諾と感嘆を得るヴェンクの言動などからもうかがえる。 そしてもちろんそれ自体は作中のヴェンクの非常に健やかな言葉であり思惟だったが、現実の次の世界大戦に至る歴史の中でドイツがどういう道を歩んだかを考えると、複雑な思いにも駆られてならない。 |
No.60 | 6点 | 疑惑の夜 飛鳥高 |
(2016/07/31 15:13登録) (ネタバレなし) 『細い赤い糸』以上に和製ウールリッチっぽい感触で、雰囲気といいリズミカルなサスペンス描写といいとても良い。クライムサスペンススリラーの中に不可能犯罪の興味を組み合わせた構成もなかなかツボを突いている。 ただし難点は、文書が生硬すぎることで、特に序盤の部分、具体的には、2つ続くセンテンスの中に同じ言葉を多用する例などが頻繁すぎる。商業作品としては、編集者の指導も含めてもっと推敲したものを上梓すべきだ。作者が専業作家ではない、短編デビューののち、ひととき創作から離れていた期間もあった、などの事情は斟酌するにしても。 とはいえ話が中盤に来て、もうひとりの主人公のヒロインが登場してからは、そんなに文章の固さは気にならなくなる。最後のどんでん返しも鮮烈で、これは読んでおいて損はないね。 なお、いかにも同時代に白黒映画とか作られそうな内容だなぁと思いながら楽しんでいたら、本当に東映で、高倉健、佐久間良子の主演で映画化されていたらしい。そのうちCS経由とかで観てみたいものである。 |
No.59 | 5点 | 完全主義者 レイン・カウフマン |
(2016/07/29 16:55登録) (ネタバレなし) ニューヨーク周辺の高級住宅地アルデン・パーク。43歳のマーチン・プライヤーは、仲間とブリッジに興じたり、知事だった祖父の評伝を綴ったりしながら、遊民的に日々を暮らす。そんな彼はおよそふた月前に、結婚6年目の倦怠期でしかも相当に固有の資産を持っていた妻グレースを交通事故死に見せかけて殺害した秘密があった。完全主義者を自認するマーチンは犯行を完璧に行い警察や周囲の眼も欺いた自信があったが、ある日、おまえの妻殺しを知っている、金を払えという匿名の脅迫状が届く。謎の脅迫者がパーク周辺に潜むと見当をつけたマーチンはその容疑者を友人知人の中から5人にまで絞るが、一方で彼はその対象者のひとり、美人の女流陶芸家サリイと惹かれ合っていく。 1955年のアメリカ作品で、翌56年度のMWA新人賞受賞作品。 この作品については、大昔(70年代)の「ミステリマガジン」の翻訳ミステリ月評ページで書評子(たしか瀬戸川氏)が<MWA賞受賞作イコール秀作とは限らない>という主旨の記述で例としてあげ、「あほらしいサスペンス」とか、けなしていたような記憶がある。ずっと長い間、その短評がなんとなく気になっていたが、家のなかでツンドクの本がたまたま見つかったのでこの機会に読んでみた。 でもって一読後の感想はそんなに悪くはなく、水準的な面白さのクライムサスペンス。主人公マーチンを初めとしてアルデン・パークに暮らす住人たちはそれぞれくっきりとキャラクターが描き分けられており、そんな個性の絡み合いのなかでマーチンの反撃が企てられていく筋立ては、物語のベクトルとして実に明快だ。 ただし問題はタイトルロールといえるマーチンの「完全主義者」ぶりが冒頭のグレースの殺害のとき以外ほとんど描かれていないことで、5人の脅迫者容疑者の中から真犯人を絞り込んでいく段取りもかなり思い込みがはげしい。まぁそんな一方でサリイにほれ込んでいきながら、同時になかなか彼女を容疑者の枠組みから外さないあたりは、マーチンのクレバーさを一応は最後まで保ったが。 ちなみに作り方によっては「脅迫者捜し」という一種のフーダニットにもなりえた内容だが、作者はその辺は興味なかったのか、謎解きを進めるための事前の手掛かりや伏線などはほとんど用意されていない。容疑者が除外される直前にその事由がいきなり語られ、読者はそれに付き合う。この流れの繰り返しだ。 話術が達者だから読み物としては楽しめるが、この設定からもしかすると…と、期待できるような広義のパズラーではなかったのがちょっと残念。 ある種の文芸性を感じさせる物語のクロージングは、なかなか良かったね(ちょっと唐突感もあるけれど)。 最後に、本書は1955年の原書刊行のようだが、邦訳のポケミスでは裏表紙と解説でこの作品が1954年のものという主旨で記述。それだけなら編集者の人間臭い勘違いといえるが、巻頭の「日本版飜訳権所有」ページでも1954年のコピーライトと誤記してある。こういうことってあるんだな~。 【2021年5月8日追記】 上記の瀬戸川氏? が悪評を書いたMWA新人賞受賞作品は本作ではなく、リチャード・マーティン・スターンの『恐怖への明るい道』だったような気もしてきた。このレベルのことは、ちゃんと確認してから書かなければいけない。カウフマンさん、ごめんなさい。 【2021年11月17日追記】 先日、同人出版で、1970年代当時の瀬戸川氏の時評&レビューほかが一冊にまとめられて、そのなかの一つ「ミステリ診察室」(これは未訳の海外の新刊紹介)の、当該の文章にウン十年ぶりに再会できた(蔵書のミステリマガジンの該当号は、ついに発掘していない)。 で、元の文章になんて書いてあったかというと、瀬戸川氏は『完全主義者』も『恐怖への明るい道』も、どちらともケナしていた、というオチだった(笑)。 前者(本作『完全主義者』)は「出来そこないのサスペンス小説」、後者『恐怖への』は「アホらしいメロドラマ」だそうである。うーん、なんか『恐怖への明るい道』が読みたくなってきた(笑)。 |
No.58 | 4点 | 孤獨な娘 ケネス・フィアリング |
(2016/07/28 04:06登録) (ネタバレなし) 「音響界の鬼才」と称されるヴォーン電子工学の社主アドリアン・ヴォーン(68歳)が、家族とともに長らく住んでいた高級ホテル<エンヴォイ・ホテル>の30階から転落死した。アドリアンは、墜落しかけた自分の長男オリヴァ(40代)を救おうとしてしくじり、ともに事故死したのだった。後には二度の結婚歴があるが今は独身の長女エレン(31歳)と放蕩者の次男チャールズが遺された。だが2人には残された会社を運営する才覚はなく、しかも世間からは富豪と見做されていたヴォーン家も、実はヴォーン電子工学が提携する企業ナショナル・サウンドとの確執の中でほとんどの財産を失っていた。かろうじて自宅のホテルの居住権と今後の最低限の生活費のみ確保したかに思えたエレンだが、彼女にはまだ父から遺されたもうひとつの遺産があった。それは「ミッキー」。電子工学と音響の才に長けたアドリアンが組み立てた、自分の心と膨大なデータアーカイブを持ち、人間との会話も可能な「精神を持った機械」だった。 1951年のアメリカ作品で、気になるツンドクの古書を消化しようと手に取った一冊。地味な題名からは想像もつかないSFチックな趣向(ミッキーの設定はズバリ黎明期のAIというかスパコン)を認めて「これは意外な掘り出し物かも」と思いながら読み進めたが、う~ん。結局のところ、何をやりたかったのかイマイチ。 そもそも巻末の解説で乱歩も<これは自分が未読なうちに、編集部が「世界探偵小説全集」にセレクトしてしまった一冊。多忙で最後まで作品の現物は読めなかったが、「タイム」の評を読むと「探偵小説とは言いにくいように思われる」>という主旨の事を書いている。 いや「探偵小説」じゃなくっても、広義の面白いミステリならこちらはいいのだが、登場人物の内面も筋立ても楽しみどころがわからない(メモを取りながら読み、ストーリーの流れそのものは理解したつもりだが)。 まぁそれでも前半はなかなか面白く、エレンがホテルの自宅にホテルの善良な支配人クレーンを呼び出し、ヴォーン家の秘密だった「ミッキー」を初めて見せて驚かせる場面や、拳銃を握ってそのミッキーの生殺与奪の権利を実感するところなんか、かなりゾクゾクさせられた。しかし後半はそのミッキーの存在もキャラクターもすっかり希薄化してしまう(物語の上ではある形で活用されるのだが、とても設定を活かしきったとは言えない)。 前述の「タイム」の評では<産業革命にまで遡る機械化文明の暗部>的なことが語られているみたいだけど、いや、それはあんまし関係ないのでは? という感じ。 むしろ世間との関わりに目を向けず、閉塞・没落していった上流家庭を見据えてその主題をエレンと「ミッキー」の関わりを通して描こうとした観念小説、ならまだ何となくわかる、というか。 なお題名は、ミッキーがこっそり録音した陰口などを再生して聞いて、付き合っていた男性や父の仕事関係の人間の裏の顔を知っていくエレンの意味。それだけに後半に登場した男性ジェームズ・ケルの扱いが…これはムニャムニャ。 翻訳はさすがにすさまじく古いが、まぁ訳者はミステリ関係の仕事も多い長谷川修二なので、我慢すればなんとか読める。 むしろ雑に思えるのは当時の早川編集部の仕事の方で、人物紹介の一行目「エレン・ヴォーン/大ホテルの37階に一人で住む女」とあるが、本文を読むと実際は30階だし、父と兄の生前は家族4人で、現在も弟と住んでいる。さらに言えば表紙の女性はエレンのイメージなんだろうけど、ピンクの髪の毛が特徴で作中で何回も「ピンキー」と呼ばれてるヒロインなのに、黒髪で描かれている。勝呂画伯の絵そのものは例によって良い雰囲気だが、ちゃんと発注してほしいわ。 ところで当時、誰がこれをポケミス(世界探偵小説全集)に入れたんだろ。やっぱ田中潤司か植草甚一あたりか? その意図や事情を知りたい。 |