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ミステリの祭典

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モスコー殺人事件

作家 アンドリュウ・ガーヴ
出版日1956年01月
平均点5.00点
書評数3人

No.3 5点 クリスティ再読
(2024/09/12 13:00登録)
かなり稀覯に近い本だろうけど、読めた。時事通信社の時事新書からの刊行である。巻末では「ソ連紀行」「素顔のソ連」「亡霊とフルチショフ」「共産主義の見方」「新しい核の時代」といった本が宣伝されている。この小説もそういう流れで日ソ国交回復の時期の「ソ連」への関心を示すものといえよう。

で、皆さんもご指摘だが、訳者の判断で反ソ的・嫌ソ的な部分は省いて訳した、とあとがきで言っている。まあ「反共小説」とツッコまれるが嫌だったんだろうな....とは理解できる。第二次大戦が終わってようやく英ソの民間交流が再開して...という時期のモスクワを舞台として、イギリスからの民間使節団の団長がホテルで殺された事件に、英米のモスクワ在住特派員たちが巻き込まれる話。まだスターリンが権力握っている時期だよ。

こんな時期だから、殺された団長は牧師上がりでキリスト教と共産主義を融合したような思想の持主、一行には労働党の代議士、マルクス経済学者、平和活動家などなど、さらに社会主義リアリズムにカブれてスターリンの胸像を作りたがる女性アーチストとか、ウェールズ民族主義の闘士とか、イギリスの「親ソ派」のいろいろパターンが描かれている。要するにグレアム・グリーンとか初期のアンブラーとかキム・フィルビーとかドイチャーとかE.H.カーとか、イギリスの特定世代の「ソ連びいき」がこの小説の背景。まあだから「ソ連」について批判的な描写をしっかり完訳した方がずっと小説理解につながったようにも感じるよ。

でもちゃんとパズラー的な「ミステリ」の結構を備えていている。ある人物の「秘密共産党員」疑惑が出たりもするにせよ、この事件をソ連当局が問題を大きくしたがらず無実の庶民を身代わりにする一件はあるが、スパイ小説的な色合いは薄い。訳者がオミットしたのも、ソ連批判とはいえ、庶民的な生活視点のものだったんじゃないのかなあ。

まあ、ガーヴのジャーナリスティックなあたりが出た小説であることは間違いない。謎解きは大したことない。
(登場人物がかなり多いから、登場人物一覧がないとツラいよ...)

No.2 5点 nukkam
(2023/08/05 19:48登録)
(ネタバレなしです) 英国のアンドリュウ・ガーヴ(1908-2001)といえば私は冒険スリラーと巻き込まれ型サスペンスの名手のイメージがあって、1951年発表の本書の時事通信社版の巻末解説で「ハードボイルド派というよりも本格派に入れられるべきスタイルの持ち主」と紹介されているのには違和感を覚えます。とはいえソ連を舞台にした本書は確かに本格派推理小説で、主人公である特派員の新聞記者が民間平和使節団の1人が殺される事件の謎解きに挑みます。ガーヴ自身が新聞記者出身で第二次世界大戦中はモスクワ特派員だったのでその経験を活かした作品なのでしょうね。ソ連の警察による露骨な干渉場面はないものの、警察当局が犯人をかばっている可能性が否定できない状況というのが作品個性です。一応は推理で解決しますが犯人特定の根拠がちょっと弱く感じますね。でも当時の社会背景ならではの動機は印象的です(もしかしたら現代ロシアでもあり得る?)。翻訳者が「小説そのものの筋と直接関係ない政治的反ソ的な部分を省略」したことを余計な忖度と評価している人並由真さんに私も賛同します。

No.1 5点 人並由真
(2016/10/25 16:26登録)
(ネタバレなし)
 1951年の英国。東西間の国際政情の緊張を背景に英国でもソ連への関心が深まるなか、二流新聞紙「レコード」の記者で6年前までウクライナに駐在していた特派員の「私」ことジョージ・ヴェルニーは、編集長の指示で再びソ連に向かう。折しもソ連には英国から親ソ派の平和使節団が向かっており、その団長であるアンドリュー・マレット牧師は傲慢な人柄ゆえ使節団員の大半から陰で嫌われていた。往路の時点から使節団と一緒だったヴェルニーはそのまま彼らと共にモスコウ(※本文中ではこの表記)のアストリア・ホテルに泊まることになる。ホテルはヴェルニーの馴染みの宿で、彼はそこで米国の陽気な特派員仲間クレイトンや温厚なロシア人の老給仕ニコライたちとの旧交を温めた。社会主義国家の制約のなかで、本来は可能な限り自分流の自由な取材活動をしたかったヴェルニーだが、ソ連新聞報道部の役人ガニロフ部長は、平和使節団の文化的な交流活動に密着して今回の取材をするように推奨してきた。つまらない記事になりそうだと不満を覚えつつ、やむなくその指示に従うヴェルニー。だがそんななか、アストリア・ホテルで謎の殺人事件が…。

 1951年の作品で、作者のガーヴ名義での第四長編。内容はあらすじ通りに1950年代当初のソ連(現ロシア)のモスコウ(モスコー、モスクワ)を舞台にした、フーダニット主体のパズラー。
 英国での書名は邦題通り「Murder in Moscow」だが 米国では「Murder Through the Looking Glass」(あべこべの国の殺人)の改題で刊行され、ソ連の行政側や官警が素人探偵となったヴェルニーの捜査の脇で、向こうなりの事情論で事件を再構成しようとするのがミソ(事件を捜査すべき側がそんなことを、という意味で「あべこべ」)。
 もともと1950年6月に勃発した朝鮮戦争を前提に書かれた作品のようで、欧州のソ連を警戒する空気が反ソ的な叙述となって盛り込まれた。ただし日本語版の翻訳(1956年5月1日・時事通信社刊行)では、訳者・向井啓雄の判断で、その反ソ、嫌ソ的な部分が相応に抄訳されたらしい(基本的にはそういう余計な改竄は止めてほしいけどね。こちらは例えば、シッド・ハレーが『大穴』の中で大戦中の日本兵士の残酷行為について毒づいても、それはそれ、と思うし)。
 とはいえ完全にソ連側を悪役にする気もまたなかったようで、殺人の冤罪を掛けられる老給仕ニコライや、物語後半の重要人物アレクサンダーなんかは頗る気のいい好人物として描かれる。それに悪役ポジション(?)のガニロフも、ニコライを庇おうとする主人公の言葉に素直に耳を貸すなど、決していやな人物ではない。まあここら辺には、当時の作者にも出版側にもいろんな考えがあったんだろうけど。

 ちなみに邦訳の出た1956年の日本といえば、10月には日ソ共同宣言でソ連との国交が回復。たぶん本書自体がそんな時代の動きをにらんだ翻訳だったのだろうから、ソ連を舞台にしたミステリを出版するのはタイムリーで良いにせよ、同国の関係者を不愉快にさせかねない部分などはことさら不要だったのかもしれない。

 それで謎解きミステリとしては、被害者の部屋の封印された窓の謎、外の雪上の足跡、証拠となりそうな手紙…などなどから主人公と周囲の者の談議で推理と事件の検証を進め、次第に真犯人に接近していくかなりマトモなパズラー。なんで殺人が起きたのかのホワイダニットの謎ももうひとつの興味となり、物語後半にはある重要なアイテムもストーリー上の意外な大道具として浮上してくる。
 それでこれはなかなかのものか…と思いきや、最後の解決部分がいささか大味でずっこけた。真犯人の錯誤を示す伏線と言うか手掛かりも一応は与えられているのだが、これはちょっと当時のモスクワに実際にいた人でないとわからないのではないの…という種類のもの。

 とはいえ話の転がし方のなめらかさと、緊張感と異国情緒を伴った筋立ての密度感(もしかするとこれは相応に抄訳したことも影響しているのかもしれないが)はさすがガーヴという感じ。ある種のツイストを設けた最後の場面まで、読み物としてはそれなり以上に楽しめる。佳作。

 なお本書での作者名は、表紙周りも奥付もすべて「A・ガーヴ」表記。あとがき(訳者あとがき)では「アンドリュー・ガーヴ」と記述されている。

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