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ミステリの祭典

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黄昏の悪魔

作家 角田喜久雄
出版日1957年01月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点 人並由真
(2016/10/26 07:23登録)
(ネタバレなし)
 戦後5年目の冬、満州から帰国した天涯孤独の愛らしい娘・江原ユリ(24歳)は職探しに奔走していた。というのも彼女は就職が決まりかけると、正体不明の何者かが勤務先(勤務の予定先)に、<かつて彼女の父・春策が満州で売国奴だった>という虚偽の風評を流し、就職の邪魔をしていたのだ。そんなことが何度か重なったのち、エリはようやく西太平洋新聞社の内定を得る。しかし何者かがエリのアパートに届いたその採用通知を不採用を伝えるハガキにすり替え、さらに姿なき悪意の主はエリの周辺から生活費をふくむ金品まで奪っていった。かつて満州で売国奴の嫌疑を受けた父親が憲兵に責められた記憶のあるエリは内地の警察に対しても不信が拭えず、助けを求める気にならない。悲嘆を極めて縊死を図るエリだが、そんな彼女に一人の黒オーバーの男が接近。言葉巧みにエリを彼女の以前のアパートまで連れて行くが、その男はエリが眼を離した隙に別の何者かに刺殺された! だがそれはまだ、このあともエリの身に続発する異様な体験の端緒に過ぎなかった。

 作者が1949年に雑誌「ホープ」誌に連載した通俗スリラー長編。単行本は1955年に桃源社から出た「角田喜久雄探偵小説選集」の第1巻「黄昏の悪魔」が元版だと思うが、同版のISBNが見つからないので、今回は適当な後年版の書誌データを入力しておく。
 内容は薄幸な若い美女が不条理な悪意に翻弄され、やがて彼女の身上に潜んでいた意外な事実が浮かび上がってくる、ほぼ正統派の巻き込まれサスペンススリラー。もちろんなぜそのような嫌がらせが彼女の身に相次ぎ、なにゆえ彼女に続々と怪しい人物が寄ってくるのかというホワイダニットの興味もある。
 くわえてあらすじに書いた事情ゆえ、窮地が続いても警察に賭け込むことに二の足を踏むヒロインの心情にも一応の説得力はあり、その分、都会の片隅での騒乱~やがて舞台を伊豆に移しての本筋の物語が、独特の緊張感のなかで紡がれていく。
 主要登場人物が揃ってからの展開はいささかラフだが、それでも後半の舞台となる伊豆の一角で矢継ぎ早に事件が起きる物語には相応の求心力があり、最後まで読み手を飽きさせない。終盤のひねった展開はそっちの方向!? という感じだ。
 まあ細部まで考えていけばご都合主義も散見したりするのは、この時代のこういう作品の場合、ときにご愛敬。それと終盤、ヒロインの影が薄くなってしまう構成の弱さを指摘する声については、確かにまったく同感だけれども。
 
 ちなみにこの作品、翌年に書かれた角田の別長編『霧に棲む鬼』とよく似た前半らしいが、そっちはまだ未読。いつか比較しながら読んでみよう。

 なおこの『黄昏の悪魔』は、東宝のスリラー映画『悪魔が呼んでいる』(1970年・主演は酒井和歌子)の原作作品という興味が個人的には強く、以前から同映画が(その内容の破綻ぶりも含めて)スキだった自分はいつか読もうと思っていた。今回が初読だが、自分の場合は先に映画を都内の浅草東宝(今はもうない…)の週末オールナイトで初めて観て以来、十何年目の原作への踏み込みだった(その間に、映画の方はCSで放映されたノーカット版も観ている)。本そのものはずっと前から入手していたけどね。
 結果として、映画と原作との中盤からの内容はまったく別もので、導入部の<ヒロイン周辺での不条理劇>、中盤の<悪人にあちこち引き回されるヒロイン>という趣向のみが原作から採取された形になったようだ。
 なお先に<破綻した映画>という主旨のことを語ったが、映画『悪魔が呼んでいる』の最後で明かされる意外な犯人像はかなり強烈。犯行の現実性を考えると絶対に無理筋だろうと思うが、それだけに印象深い。未見の人は機会があったら、一度観てくださいな。
 
※追記、今回この長編は春陽文庫版で読んだけど、同書には短編『緑眼虫』も収録(もともと桃源社の元版にも併録されていたらしい)。
 それでそっちの主人公の男子~のちに成人して男性の名前が『黄昏の悪魔』と同じ「江原」というから何か関係あるのかと思ったが、実際には特に何も無かった。
 こちらは短いながら密度感の高い、一般市民の生活や人生を侵食する「悪」との対決もので、その不条理感と不安定な足場の感覚は『黄昏』に通じるものがある。
(あと共通項はいわゆる「NTR」で、作者はそういう趣味があったのかな、という気にもなったんだけど~笑~。)

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