クリスティ再読さんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.40点 | 書評数:1334件 |
No.1274 | 7点 | ヨットクラブ デイヴィッド・イーリイ |
(2024/08/01 18:58登録) 異色作家短編集に第四期があれば、絶対に収録されていた作家といえば、イーリイにとどめを止すのは大方異論のないところだろう。そのくらいに「王道の異色作家」なのだけども、いやそもそも「異色作家」が定義不能なんだから、「王道」とはなんぞや?ということにもなる(苦笑) 実際、作風はかなり多彩。でもそれが既成ジャンルに回収しづらいのが「異色」の「異色」たるあたりかもしれないが、しいていえばSFなのかなあ、と思ったりもするのだよ。確かに「カウントダウン」はロケット打ち上げのまさにカウントダウンを描いてSFチックなんだけども、実のところ身勝手な「完璧な男」をめぐる心理劇のわけだし、「オルガン弾き」なら全自動演奏の新しいオルガンに振り回されるオルガニストの話だから、よくある「魔法使いの弟子」話かと思うと、そういう寓話が狙う教訓とは別なあたりに着地する。「寄宿舎」が「最後の一行」系のよくあるディストピア物なのがどっちか言えば不思議なくらい。 この短編集での白眉は、といえば「ヨットクラブ」と「タイムアウト」だろうな。まあとくに「ヨットクラブ」は、「異色作家」がやってのける「批判を許さない完璧な作品」というべきもの。ダールなら「おとなしい凶器」、エリンなら「特別料理」、マシスンなら「レミング」、ジャクスンなら「くじ」あたりと同等の作品。でも評者はどっちかいえば「タイムアウト」がお気に入り。 「タイムアウト」は偶発核事故でイギリスが消滅し、その責任を感じた米露がもともとのあるがままのイギリスを再建する話。その作業に携わる歴史学者の話だが、「歴史における真実」って何か、を巡ってSF的考察がなされる。これがパラドキシカルだけど、なかなか腑に落ちる深い話。いやさたとえば「徳川家康が実在したことを客観的な証拠を挙げて証明せよ!」と課題が出たとして、これを「どうやるか?」とかテツガク的に考えたら夜眠れなくなるよ(苦笑)。こんなことを連想するような考え落ち系の話なんだが、イーリイの一番得意なのはこの手の「考え落ち」っぽいあたりではないかな。「カウントダウン」「夜の客」「日曜の礼拝が済んでから」あたり、結末をわざと示さないやり方を多用されているしね。 そしてこの「考え落ち」で既成のジャンル感をしっかりと食い破るのが、イーリイの持ち味なんだと思う。 |
No.1273 | 7点 | 血みどろ砂絵 都筑道夫 |
(2024/07/27 12:25登録) なめくじ長屋第一作。 半七ならば本当に江戸人の精神性を感じさせる「ミステリ」として空前絶後の捕物帖なのだけども、現代人に対して「捕物帖」の存在意義をどう示すのか、というのはなかなか困難な課題なのだ。これを作者が強く意識しているのが一番面白いところだと思う。 だからこそ、というか、砂絵描きのセンセ―を筆頭とするなめくじ長屋の面々は、江戸の身分制度の「列外の人々」になる。これには江戸人らしさを度外視してモダンなキャラとして造型してもいい、という作者の開き直りみたいなものを感じる。そうしてみれば意外なくらいにこのシリーズの味わいはモダンなものなのだ。しかしこの「狙ったレトロ」は、現代の科学捜査から見ればいろいろ無理もある、ケレンに満ちた不可能興味を実現するための仕掛でもある。この作者の狙いをまず楽しんでみよう。 センセ―が展開するパズラー的な論理も見どころだが、さらに言えばなめくじ長屋の面々が出動するのは自分たちの利益のためでもあり、この面々の各々の「芸」を生かした活躍っぷりにグルーバーを連想するような軽ハードボイルドの面白味も感じられる。 評者は意外なくらいに多面的な作品集だとも思うのだ。作者の江戸弁や江戸の地誌に対する強いこだわりも感じられて、異形ながら「捕物帖」入門編にいいシリーズなのかもしれないね。 個人的にはハードボイルドな味わいが出ている「いのしし屋敷」が好き。センセ―なかなかカッコイイ。 (今回は角川文庫版。挿絵が山藤章二で戯作っぽい面白味が出てる。) |
No.1272 | 6点 | ニコラス街の鍵 スタンリイ・エリン |
(2024/07/17 15:02登録) たとえばクリスティの「無実はさいなむ」とか「ねじれた家」と共通する、ミステリの形式で家族の崩壊を描く作品である。評者ここらへんが大好きだから、かなり面白く読んだ。この家族(+メイド)のそれぞれの視点から、隣人が殺された事件が叙述されていくという「狙った」叙述形式だったりする。そこらへんがエリンの「技巧派」の本領発揮と言えるだろう。「死の接吻」とかと同じ時代なんだよね。レヴィンと同様の編集的なセンスの良さが発揮されている。 ニューヨークから少し離れた平穏な地方都市。夫婦とすでに成人した娘(新米教師)、息子(学生?クラオタ)の家族と、ハリウッドに憧れるメイド。隣家にはニューヨークから奔放な女流画家が住み着き両家は平和な交際を続けていた。そこに画家を追いかけてNYから移住した無遠慮な青年が登場し、この青年は隣家の娘と恋をする...この青年がなかなかのクセ者で、だけど女性から見たらワイルドさがカッコいいタイプ。だから母親は猛反対...こんな状況でこの隣人の女流画家が事故死する。しかし、その死に警察署長は疑惑を抱く。どうやらこの状況に至った経緯から、両家の「鍵」が微妙な役割を? パズラー風の話だが、それ以上に「家族の物語」の色合いが強い。パズラー的な真相は大したものではないが、人間の出入りに関して綿密に書かれていたりして、落ち着いた、リアルなミステリという面では納得はいく。それでも小粒な話で、技巧派エリンが自分の腕を示すために、あえて地味な話を選んだのかの印象。もちろんキャラの描写のリアルさや心理のツッコミ具合など、十分堪能できる内容だ。 |
No.1271 | 5点 | 13のショック リチャード・マシスン |
(2024/07/15 18:33登録) マシスンというと、評者は吸血鬼モノの短編「血の末裔」が大好きだったりする。芸風の広い作家ではあるのだが、この短編集を読んだ印象だと、短編だと「達者さ」が目立つタイプだなあ。器用でよくできている、とは思う。しかし、それ以上のこだわりみたいなものは伝わってこなかった。異色短編って器用なだけでは意外にダメなジャンルなのかもしれない。アタマを使って書く以上の、何かプロットから滲み出る作家の体臭みたいなもの、逆説かもしれないがそんなものに惹かれているかなあ、などとも感じながら読んでいた。 いや出来は否定できないものがあるな。「レミング」とか古典的な出来栄えだと思う。一発ネタだけど、過不足なく語り切っている。強いて言えばマシスンらしさって、不条理な悪意みたいなものかもしれないが、児童虐待を描いて陰惨な「顔」とか、隣人間での不和の種を撒く男を描いた「種まく男」とかに、ダーク不条理劇みたいな味わいがあるか。 とはいえ、ケーハクなタッチでロサンジェルスがアメリカを「侵略」する「忍びよる恐怖」とか、馬鹿馬鹿しいといえばそうだけども、意外に今ポリコレとかでこんなネタ書いたらウケるのかしら? いやいや、ある意味「表面的」であるところに、マシスンの持ち味があるのかもしれない。なんか意外である。 |
No.1270 | 6点 | 重罪裁判所のメグレ ジョルジュ・シムノン |
(2024/07/13 17:26登録) まあ確かに意外性とかないんだけどもねえ。 しかし、この小説は「ミステリ」として見たときには、かなりの破格があるようにも感じるんだ。 メグレは自分が捜査した二重殺人の被告の証言のために、重罪裁判所に赴いた。重要な物証はある。動機もある。でも...メグレは疑問を隠すことができずに、被告の額縁職人ムーランに有利な証言をする。はたして裁判は証拠不十分で無罪。メグレは関係者の動向に注目し続ける... こんな話。いや無罪をメグレが証明する話ではなくて、裁判後の額縁職人のムーランにスポットを当てて描くという、「ミステリの書法」を意図的に無視したような書き方の小説になるんだ。まあもちろん、捜査としてどうよ、というような批判はあるのかもしれないけど、そういう辺りを含めて「メグレ」なんだよね、とも感じる。 いやかなり「ヘンなミステリ」をそう感じさせずに読ませるシムノンの筆の達者さというものが、批判を許さないレベルに達しているということなのかもしれないや。 |
No.1269 | 5点 | おとり ドロシー・ユーナック |
(2024/07/02 12:15登録) 評者間違って「クリスティ・オハラ(O'Hara)」と憶えてた...ニューヨークの婦人警官って言うんなら、アイルランド系だろ、って決めつけてたんだな。ホントは「オパラ(Opara)」で、本人はギリシャとスウェーデンのハーフ、殉職した警官の夫の姓でこれはチェコ系、義母ノラと同居でこのノラがアイリッシュ。エスニック面でかなりややこしい。 さらに言うと婦警さんとはいえ、87みたいな所轄署ではなく、地方検事局特別捜査班という地方検事直属の手駒みたいな立場だ。だからボスのDA、ケイシー・リアダンとの人的関係が密接....今回の事件では大学でのLSD取引を摘発のための潜入捜査を、地下鉄で見かけた変質者逮捕で棒に振ったオパラがこのリアダン検事にドヤされる、のが幕開け。間奏曲的な事件を挟むわけだが、それに駆り出されるオパラとしては、タダの組織の歯車的な仕事が続いてモヤモヤしたりもする....でもね、オパラの家に毎夜かかってくる不審な男からの電話をきっかけに、オパラは重大な事件の関連に気づく。 オパラはリアダン検事に報告して、自ら「おとり」の役目を買って出る... こんな話。手堅い警察小説で、重厚というか、心理描写が細かくて比較的「ブンガク」系の読み心地の小説。まだから謎解き的な興味はない。筆致もマクベインみたいな洒落たところはなくて生真面目、訳文もやや生硬。「地味系警察小説」と言えばまさにそうで、この頂点がこの人「法と秩序」なんだなあ。 (ややバレ) 犯人逮捕からポケミスで30ページほどあって、これが「おとり」を演じたオパラのPTSDのエピソード。それをきっかけにぐっと近づくボスとの関係..オパラ三部作って言われるけど、リアダン検事との成り行きが気になる、といえば気になる。 |
No.1268 | 5点 | 茜雲の渦 黒岩重吾 |
(2024/06/29 12:55登録) 昭和の怪物作家の一角であることは言うまでもない。この本だと1976年刊行で、この頃は月刊黒岩重吾か!ってなるくらいの出版点数が出ているよ。膨大な原稿を超特急で書き飛ばしたわけで、悪筆四天王の一人として編集者を泣かせたことでも有名だね。 でなんで評者今回この本やる気になったのか、というと、子供の頃にこのカッパブックスを見て、すごく「怖い・不吉...」という強い印象があったんだ。神経質な子供でごめん、と今更ながら親に謝りたくなる(苦笑) タイトルの通り、茜色の落日模様に、カクテルグラスに車のキー、椅子がシルエットで抜かれているカバーだ。これがなんか怖くてね....まあそんな記憶があることから、実際どんな内容なんだろう?という興味で取り上げた。 香鶴はスズ商事の社長秘書を務めながら、社長の鈴川に囲われていた。ある日社を訪れた暗い精悍さを備えた男、東野の執拗な視線に気づく。自分を知るらしいこの男の来訪目的を鈴川社長に尋ねるが、香鶴ははぐらかされる....鈴川は何か弱みを握られているらしい。香鶴が持つ独特のセックスアピールから、数多い男が香鶴を通り過ぎ、中には不穏な事件もいくつも。そんな日々に疲れた香鶴は鈴川社長に囲われる身に甘んじていた。鈴川の過去と社内での内部抗争が絡み、苛立つ鈴川は香鶴に暴力を振るうようになる。香鶴は鈴川にも遺恨がある東野に恋し、鈴川に反撃する.... まあこんな設定。で、中盤以降には殺人事件もあり、幕切では真犯人の自白・逮捕もあるから、かたちの上ではミステリ。だけどねえ、読んだ印象はそういうものではないなあ。風俗小説、というかハーレクイン(苦笑)。いやヒロインの男遍歴が詳細で、ヒーローの東野にそういう魅力がしっかりとあって、描けているから、ダークだけどもハーレクインの役目は果たせるよ。濡れ場描写もけしてアザトくはないから、女性読者を意識しているのかな。 で、このタイトル「茜雲の渦」はそんなヒロインの性的欲求のドロドロを自身で喩えたもの。このヒロイン、男に脇腹をナイフで刺されるとか、硫酸をかけられるとか、無理心中で車で海に飛び込まれるとか、事件前の経歴でも凄まじい。付き合う男が皆不幸な目にあう、というのを自覚して、「安定した二号生活」を選んだつもりだった....ってさあ、男に置き換えたら「かつては裏社会で悪名を馳せた主人公は、今は過去を隠して平穏な日々を送っていた」とかの女性版のわけだよ。昭和ってさあ、男も女もアツく生きてたなぁ... そんな話だけど、一応ハッピーエンド。これもハーレクインの必須項目。剛腕だけど意外なくらいソツはなく、乗って読めるエンタメであることは間違いない。 |
No.1267 | 6点 | お・それ・みを 怪奇探偵小説名作選(3)水谷準集 水谷準 |
(2024/06/28 10:17登録) 昔から水谷準の作品というと、アンソロで楽しませてもらっていたのだが、まとまった個人集としてあらためて読んでみた。このちくま文庫版なら、アンソロ定番作品ももれなく収録していて、懐かしい...となることもしばしば。どうやら著者は戦後の一時期が過ぎたら推理作家引退を決め込んで、作品集を出すことを拒んでいたと解説にある。まあそれでも、アンソロには収録され続けていたから、評者にも親しみがあったわけだ。驚くことに亡くなったのは、21世紀に入ってから(2001年)、晩年はゴルフに関する著作ばっかりだが、1990年代までゴルフの著述があるようだ。 でまあ、やはりアンソロによく収録される作品には、収録されるだけの理由があることもよくわかる。城昌幸と似たタイプの幻想・ユーモア・ロマンの短編作家だが、城ほどには高踏的な散文詩っぽさはなくて、モーリス・ルヴェル風の奇譚作家という立ち位置。初期なんてかなりルヴェルの影響が強いと思うよ。さらに城と同様に強いポオの影響が見えるが、怪奇色よりもロマン味が優るという持ち味。この路線での大成功作はいうまでもなく気球による成層圏の奥津城を描いた「お・それ・みお」。有名カンツォーネを取り合わせたことで味わいが深まっている。 そして「恋人を喰べる話」も死体処理ネタ(無花実で苦笑)でインパクトが強いし、ルヴェルの「或る精神異常者」を本歌取りした「空で唄う男の話」など、戦前の代表作というとこのロマンの味わいでインパクトのあるショートショート規模の作品が多い。アイデアストーリーが主戦場だ。 とはいえ、やや長い作品「胡桃園の青白き番人」はロマン路線の集大成。幼少期の記憶を重ね合わせたもので、意外なオチも備えているから、「ミステリ」と銘打ったらこの作品になるのかな。「司馬家崩壊」は形の上では王道ミステリになるけど、パロディ色が強くて、しかも雄大な暗号もの、という奇抜な話。かなり変なインパクトがある。 戦後となると一転して、微妙な心理主義の話になってくる。「ミステリ」に対するこだわりみたいなものは薄くて、心理主義ホラーといった方がいい作品も多い。愚連隊の決闘事件の意外な罠を描いてクラブ賞を得た「ある決闘」は、かなりミステリ色が強い方。事件としては弱いが、車椅子の観察者という魅力的な名探偵を作り出した「カナカナ姫」がミステリとしては一番いいのかなあ。「東方のビーナス」とか「魔女マレーザ」とかホラー幻想譚だしね。 一番長い「悪魔の誕生」も異常心理のリアリティは薄いけど、ストーリー・テラーとしての腕は楽しめる。そういえば詩人の「関昌平」って風貌からして城昌幸でしょう。 というわけで、長らくの宿題をし終わったような心持ち。断片的にしか触れてなかった作家について、全貌みたいに把握できて満足。 |
No.1266 | 8点 | 恐怖の冥路 コーネル・ウールリッチ |
(2024/06/25 11:02登録) ウールリッチの場合、パルピィなスピード感と詠嘆の間でのバランスがホントに大事なことなんだと感じてる。黒シリーズ最後(ちょっと時間を置いて書かれてもいる)の「喪服のランデブー」だと詠嘆が勝り過ぎて、それが鬱陶しいという逆効果に思えたのだけど、その前の黒シリーズを連打していた時期の最終作にあたる本作、このバランス感が一番いい作品だとも思う。 スピード感だけだと安っぽいし、詠嘆だけだと話が止まってしまって鬱屈の中で立ち往生してしまう....だからこのさじ加減が本当に大事なのだけど、なかなかウールリッチ自身でもこのバランスをうまく実現できた例は少ないようにも感じるんだ。人妻との逃避行とその愛する女を殺された容疑が自分にかかった男。ハバナの貧民街での逃走劇。男は冤罪を晴らすべく証拠を探す...そして甘美なる復讐。 いやいや、ウールリッチのフルコースじゃないのかな。そして主人公をサポートするこの貧民街の「葉巻娘」メディア・ノーチェ。警察を恨む豪快な女傑っぷりがナイス。でも事実上警察に殺された男のために「墓場の花」という譬えを使って、主人公の喪失感にも寄り添うし、また別れっぷりも見事。ちょっとシビれるような情感があるなあ。 そして、やはり主人公が愛する女が殺されるシーンが素晴らしい。ぐっと作中世界に引き込まれる素晴らしいツカミ。 スコッティ、あたしに代わって、あたしの飲物を飲んでちょうだい。まだ、その上に残っているはずだから。そして、グラスを床に投げつけて割ってちょうだい。あたしの門出を祝って。 確かにこれはリアルとは対極の描写には違いない。しかしこの作為にウールリッチのロマンが燃焼する。 |
No.1265 | 6点 | 兵士の館 アンドリュウ・ガーヴ |
(2024/06/20 20:38登録) ガーヴといえばローカル色の強いネタに強みを発揮する、という美質があるわけだから、「ご当地ミステリの巨匠」とか言ってみたら面白いかも(苦笑) 今回の舞台はアイルランド。でケルト文明の遺跡を使った一大ページェントの陰に隠れてトンデモない陰謀が進行するこの話、巻き込まれ政治スリラーと言うカラーからは「地下洞」とか「レアンダの英雄」に近い話かもしれない。でも実際読んだ印象だと異常な脅迫者に操られる話に近いと見れば「道の果て」とか「黄金の褒章」に近いのかなあ...いや、ガーヴって話のバラエティはかなりある作家だけど、タッチにガーヴらしい共通点な「関心」が見えて、そういうあたりでも「安定のガーヴ」って感じがする。 けどさ、この作品の悪役は、アイルランドの愛国的独立運動になるから、IRAの過激派といえばそうかもしれない(まあ、IRAを当時名指しするのは政治的にマズいという判断もあるんだろうが)。それ以上に、評者が連想したのはアラブ過激派に脅されていいなりになるアンブラーの「グリーン・サークル事件」かもしれないな。でも、ガーヴらしさはそんな中にもファンタジックな味わいがあることで、これは「ガーヴらしい甘さ」とやや欠点のように語られがちな部分なんだけど、ヴィランらしいヴィランを立てるという面では、007とも近いかもしれないし、また本作の場合にはとくにケルト民族主義文化の背景で描かれることからも、ブラックバーンの「小人たちがこわいので」との共通性も感じたりする。 いや言いたいのは、イギリスの「スリラー」って、日本人は「中間的なジャンル」みたいに捉えがちで、曖昧なジャンル観でしか認識されないものだけども、こうやってガーヴ・アンブラー・ブラックバーン・007って横断して見た場合には、ちゃんとした「ジャンルとしての実態」があるものだとも感じるのだ。 |
No.1264 | 6点 | わが兄弟、ユダ ボアロー&ナルスジャック |
(2024/06/17 10:18登録) 後期ボア&ナルって、前期の心理主義が薄れて、奇抜なシチュエーションでのアイロニカルな右往左往を描いて、中にピリっとした仕掛けが仕込まれている...そんなナイスな作風に変わって評者は大歓迎なんだ。 本作の舞台はミトラ教(古代オリエント発祥の神秘主義宗教で、初期キリスト教のライバル宗教)を名乗る新興宗教団体。指導者のピキュジアン教授はまるっきりの浮世離れした神秘主義者であり、教団実務は主人公の銀行員アンデューズが仕切っていた。このアンデューズを含む7人が遭遇する交通事故が事件のきっかけとなる。この事故で生じたある錯誤を教団の利害の為に押し通すために、アンデューズは4人の信徒を殺す計画を立てた.... 彼(ユダ)はペテロに、ヨハネにくってかかりました。"それじゃ、金庫をあずかってみてくださいよ。わたしはもうたくさんです。わたしが一方でせっせと集めてきたものを、あなたたちが他方で浪費しているのですからね" しまいに彼は疲れはてて、放り出してしまいました。 と後半に元司祭で異端視される信徒から、アンデューズはこんな寓話を聞かされて、まさに自分の立場がユダのものであることを示唆される... うん、こんな話。このアンデューズ、昔のボア&ナルなら「冷静なor激情に駆られた殺人者」だったんだろう。このアンデューズはターゲットを誘い出して殺害を試みるんだけども、なんか優柔不断なんだよね。これが本作の味わい。ちゃんと殺せたかも実はよくわからない。こんな終始グダグダな殺人者を巡るブラックなコメディのように読んでいたなあ。 オウムで言えば「子ども集団の中で唯一の大人」と評された早川紀代秀氏に近い立場ということになる。まあユダというキャラ自体、グノーシス福音書の一つで「ユダの福音書」が書かれたりとか、昔からいろいろな空想を誘う人物でもある。小栗虫太郎の「源内焼六術和尚」でも本作と似たような解釈を披露していたりもする。まあだから、こういう発想を軸に「子供たちを守りたい、暴走した母性」といった雰囲気でユダ=アンデューズを描くというのは、よくわかる。 けどね、空さんのご講評でも「動機がすぐ見当がつく」とご指摘のように、ホワイダニットは形式的なもので、それをひっくりかえすほどの仕掛けがないのが残念。一種の寓話だと納得するしかないかな。 でもとっぴな舞台・キャラや展開は興味深いので、楽しく読める。 (そういやこのユダ観って、三田誠広の「ユダの謎 キリストの謎」と近いと思う。史実というより小説家的空想力の産物だけどもね) |
No.1263 | 8点 | イマベルへの愛 チェスター・ハイムズ |
(2024/06/14 12:55登録) いや~本作評者はドストライクだわ。墓掘りジョーンズと棺桶エドの黒人刑事コンビ初登場の本作、狂言回しの葬儀社店員ジャクソンの登場が多すぎる、というご不満の向きもあるようだが、ブラック・ユーモアが溢れてイジ悪く笑えるハードボイルド小説として、大変面白い。一番連想するのがマンシェットの「愚者が出てくる、城塞が見える」だったりするような、ジャクソンのアホでファンキーな逃亡劇が素晴らしい。霊柩車で市場に突っ込んで、卵や牛肉を蹴散らしながら、死体を振り落として逃げるさまが、抜群にイカす。 しかも、タイトなハードボイルド文章感覚が心地いい。ファンキーさが客観描写オンリーのハードボイル文によって引き立っている。 南部から来た三人組の詐欺師 vs ジャクソンと兄のゴールディ。このゴールディ、修道女の扮装でナンバーズ賭博の情報屋が生業で、この造型がナイスなんだな。しかもジャクソンは信心深くて、兄とは腐れ縁みたいな妙な凸凹コンビ。ゴールディは聖書の引用でケムに巻きながら、賭博の当り情報を提供してご寄付を頂く商売スタイル(苦笑)。中年の黒人って男女の性差が薄いのかしら。ゴールディは同じく女装の仲間と一緒に住んでいるようで、黒人ゲイ・コミュニティをそれとなく描いているのかな。 ハードボイルドなら付きものの悪女イマベルがタイトルロール。イマベルは「色が薄めの黒人」でもちろんジャクソンを騙して翻弄する。特殊な紙に挟んで電子レンジにかければ、1ドル札が10ドル札にあら不思議、なんてアホな手口にひっかかるのが幕開けで、これからジャクソンはどんどん追い詰められていくのがお話の展開。 そして、ハーレムの黒人刑事コンビ、墓掘りジョーンズと棺桶エド。本作だとあまりしっかりした描写はないが、特製のニッケル・メッキをした銃身の長い38口径のリヴォルバーをすぐ抜いて怒鳴りつける捜査スタイルが、何かパロディックな面白味さえある。で、エドが硫酸をぶっかけられて失明しかかかるのがこの話。でも二人とも悪徳警官じゃなくてヒーロー性もあるのが、なんかいいなあ。 でトンデモない意外な結末を迎える本作は上出来。いやこれほど面白かったっけ?となるくらいの面白さ。本サイトの一連の作品の評を見ても、結構皆さん高評価されている。ちょっと追いかけようか。 |
No.1262 | 7点 | 黒い山 レックス・スタウト |
(2024/06/10 09:37登録) ウルフ・サーガとしての重要性があるだけでなく、内容的もウルフ物に親しんでいればいるほど面白味を感じるタイプの作品である。 だってさあ、腰の重いウルフがアーチ―をお供に引き連れて、ユーゴスラビアに潜入する!足が痛いとなぞと不平を言いながらも山道を踏破して、反体制組織が潜むアジトの洞窟を訪れ、かつアルバニア国境を越えて監視所のある古城に忍び入る.... この話を聞いたら「ホントにウルフ?」となるのが普通だろうね。キャラぶれてるじゃない....そうなってないのが、著者の凄いあたりだ。 実はこの潜入先はウルフの故郷で、洞窟のアジトやアルバニアの古城も幼少時のウルフが遊びまわった地帯だ。土地勘どころじゃない身に付いた知識がある。そしていつもは「行動=アーチ―、思考=ウルフ」の役割分担になるのが、外国でアーチ―は現地語がまったく理解できない。だからウルフがすべてのガイドを務めることになって、普段の役割分担が逆転する面白さがある。ホントにアーチ―がワトソン役に戻り、アメリカ人のアーチ―視点でのモンテネグロが語られることになる。 さらにこの事件全体の幕開けになったのが、ウルフの親友でご贔屓レストラン「ラスターマン」の名シェフでありオーナーのマルコ・ヴクチッチが待ち伏せにあって射殺されたという事件である。幼少期から共に過ごした親友(兄弟説があるよね)が殺されたという知らせが届き、ウルフが率先して外出してなすべきことを果たす姿を極めて抑制的に描いている筆が素晴らしい。アーチ―視点での外面描写に徹している分、ハードボイルド文らしい良さが際立っている。 続いて、マルコが反チトーの民族主義運動の支援者であるという秘密を、ウルフの養女で「我が屍を乗り越えよ」に登場したカーラに知らさせる。カーラも前作同様に民族運動に関わっているわけだが、本質的にはリバタリアンであるウルフはそういう政治運動には冷淡で、それにカーラは怒り飛び出していく。しかし、カーラがモンテネグロで殺された知らせをウルフは受ける。「犯人は黒い山が見えるところにいる」というマルコ殺しの犯人を示す伝言と共に..... まさにウルフ・サーガとしてこれほど重要な作品はない。結構後(2009)まで翻訳されなかったのが不思議なくらいのものだ。その後は潜入プロセスのデテールをしっかりと描くわけだが、もちろんチトー政権の秘密警察との騙し合いや、真犯人を見つけてそれをどうアメリカに護送するか?でウルフ物らしい腹の探り合いや策略が見どころになる。ウルフ物って犯人当て興味はいつも比較的薄くて、それ以上に犯人を罠にかけて捕まえるプロセスに面白味があることが多いから、これはこれでウルフ物の本道の「らしさ」にも思っているよ。 なのでいろいろな読みどころのある作品。「我が屍を乗り越えよ」が今一つ平凡な作品だったのとは大きく違う。けど「我が屍~」と比較すると、ウルフ物もやや「サザエさん時空」だよね(苦笑) (ちなみにマルコの遺言執行人にウルフが指名されていて、「ラスターマン」の経営にウルフが関与し、フリッツが面倒を見る話になったそうだ) |
No.1261 | 6点 | 箱男 安部公房 |
(2024/05/30 20:18登録) 高校生くらいの時には安部公房っていえば純文学のスターだったわけだから、評者だってそこそこ読んでたんだが...いや見事にハマらなかった(苦笑)評者「意識高い」に代表されるような「カッコよさ」って苦手なんだね。本作とかピント甘目の写真が入って(ピンホールカメラじゃない?)見るからにアーティスティックでオシャレなんだよね。そんな評者の偏好の犠牲になった作家のように感じるよ。 ここは「ミステリの祭典」という場なんだから、「箱男」のまさにアイデンティティである「箱」を一つの密室として再構成するのも一興だろう。だから本作は「密室殺人」を扱ったミステリなんだ。 「暗い箱」の中には。ピンホールカメラの原理によって、外界が写り込む。これはまさに「意識」そのものなのだ。人間は皆「自己」の中に閉じ込められた「箱男」だ。その「箱男」の殺人事件とは、「ぼく殺しの主犯はあくまでぼく」、しかしそれは自殺ではない「自分殺し」の「殺人」なのである。 自殺ではないからこそ、「そしてぼくは死んでしまう」と他者視点でヌケヌケと書けるのだ。それでもこの意識というこの「箱」に出入りした「他者」は存在しない.... しかしだ、箱男の「箱」の中にあるもの、というのは紛れもない即物的な身体なのだ。この箱の中の身体から、自我であるとか意識であるとか、アイデンティティが「殺され」て雲散霧消した結果なのでもある。いやね評者は初めてカプセルホテルに投宿した際に、ひどく感動したんだよね。自分というの「もの」があり、この「もの」の容器としての「箱」がある。アカラサマなこの事実が「自分はモノになれる!」ことを評者に突きつけたんだ。これが「死」でなくて何だろう? カプセルホテルに泊まり給え。あなたも「箱男」になれる。「箱男」とは、このような意識と身体の葛藤と、その出口の寓話なのだ。 |
No.1260 | 3点 | 悪霊島 横溝正史 |
(2024/05/27 18:48登録) 御大最後の作品。リアルタイムだったし...金田一が刑部大膳に誘われて吉太郎が漕ぐ船で海上から島を一回りするシーンだけが妙に印象に残っていた。 うんまあ、本作あたりは最晩年で気力が落ちているのを、横溝ブームからの「ご要望」にお応えするわけだから、「自己模倣でいいや」で割り切った「横溝ミステリ」になる。「本格ミステリ」を期待するのはもう本当に筋違い。そこらへんは当時だって、皆よく分かって読んでいた作品だから、この低評価はそういう「本格」視点での採点ではない。 本作って本当に「八つ墓村」のリライトみたいなものだよ(島は「獄門島」、神楽一座は「女王蜂」を連想するが)。いろいろとモチーフを登場させているけども、どのモチーフもお約束みたいなオチになる。本来、刑部一族vs越智一族の対立で話が展開するはずなんだろうけども、それがまったく展開されていないから、「島の対立」が全然モチーフになってこない。越智竜平の帰島が「イベント」でしかないんだ。事件も異常な人物に島が引っかき回されただけのことだ。 でまあ、片帆とか浅井はるが殺される理由もはっきりしないし、浅井はるが五郎を島に差し向けた理由だって不明(はるが島に異常なほど悪意があったとしか...)とか、デテールにアラがあり過ぎるのと、 いまや磯川警部は完全にズッコケていた とかさあ、文章が心配するくらいに雑になっている。集中できなくて本当に困った。 あまり悪口を書くのも何だから、映画に倣って、Let it be...とでもつぶやいて終わりにするよ。すまぬ。合掌。(そういや映画の巴は志麻姐御だったな) |
No.1259 | 6点 | 大穴 ディック・フランシス |
(2024/05/24 11:37登録) どうも評者はフランシスに思い入れがないのが、大きな問題のようにも感じるなあ....うん、大人気シリーズだったし、ウケるのはよく分かる。今回再読したわけだが、小粒ながらよくまとまった作品だとは感じる。敵方の悪事が手口のあくどい地上げ屋程度なのが、キャラのサディストっぷりでヴィラン化している印象。いやこのシリーズって、立ち位置はリアルで市民的な007だと思うんだ。 007なら普通は近づけない上流階級の生活デテールを散りばめて、読者の下世話な興味も惹きつけるわけだが、フランシスならそれが競馬の世界になる。実際、この作品でもシッド・ハレ―の経歴に自分の過去を重ねているように、イギリスの競馬ワールドは上流階級も下層階級も交流があるようなイギリス階級社会の例外に相当する特殊な世界のようである。だからジョッキーとして成功をおさめ「なり上がった」立場のハレ―が、身分違いの結婚をしてその義父に(偽装で)虐待される演出が、リアルな描写としてササることになるのだろう。世界設定自体が、このシリーズの成功を約束しているようなものなのではなかろうか。 なので、ハレ―の自己回復の障害となるコンプレックスは三層になっていると読むべきだ。1.左手の障害、2.小男で暴力に弱い、3.下層の出自。これらが絡み合って、事件を通じた自己回復がなされる、という構図が嫌味なく描かれていることになる。たぶんシッド・ハレ―人気はフランシスの自己投影が強いあたりにあるんだろうとも感じるよ。 (そういえば昔のドラマ「ディック・フランシス・ミステリー」が懐かしいなあ。あのシリーズだと最初だけが本作の原作で、シリーズ後続5作はオリジナル脚本だった) |
No.1258 | 5点 | 深夜の密使 ジョン・ディクスン・カー |
(2024/05/23 11:39登録) カーの事実上の歴史ロマン第一作になる。大名作「ビロードの悪魔」が王政復古期を舞台にしているが、本作も王政復古期(1666年)で、1675年が舞台の「ビロードの悪魔」より少し古く、カーでも舞台が最古になるだろう。 というか、最初に出版されたタイトルが "Devil Kinsmere" で「悪魔キンズミア」。主人公を悪魔呼ばわりしているわけだが、実は「ビロードの悪魔」だって主人公の異名である(悪魔は別途登場してもね)。そうしてみると、結構この2作の縁は深いようにも感じる。 で本作も「ビロードの悪魔」同様に「伝奇冒険ロマン」のカラーが強いんだよね。ちょっとだけだがチャンバラもあり。そうしてみれば本当の元ネタである「三銃士」とも時代背景が気になるあたり。第三部の「ブランジェロンヌ子爵(鉄仮面)」が名誉革命を背景にしているから、第二作「二十年後」と第三作の中間にあたる時代になるわけだ。さらには冒険の最後の場面はフランスになるから、ダルタニャンと主人公が遭遇するのも可能ではある。いや実際、田舎から上京して有力者の元に挨拶に...という導入がまさに「三銃士」の冒頭と一緒の設定だったから、オマージュだよね。 なんだけども、どうも話の展開が遅いんだよね。しっかりと時代考証が書き込まれていて、それはホント凄い。ビールのジョッキが革製とかへ~~となるトリビアもある。しかし、冒険の内容が意外なくらい小粒なんだ。朝に有力者の元を訪れて深夜にチャールズ二世の依頼で密使に旅立ち、朝にはドーヴァーで船に乗り込んで海賊騒ぎ、翌夕にカレーで結末と2日間の出来事。カーのミステリと同じで事件がやたらと詰め込まれた、妙に急ぎ過ぎの展開。デテールに凝った文章だから、話がリアルタイムで急展開するようなもの。いろいろと語り口にはまだまだ工夫の余地があるようも思うよ。食わせ物なチャールズ二世のキャラはナイスだが、ヒロインの女優が全然活躍しないとか、いきなりヤられるライバル剣士とか、もう少し扱いようがあったのでは...「ビロードの悪魔」には遠く及ばない出来なので、あまり期待すべきではないな。 まあ「ミステリ」としての謎は簡単に気が付くようなもので、期待しちゃいけない。カーは国教会びいきでガチガチの国王派だが、保守派の「ピューリタン嫌い」があからさまに描かれていて、敵役のサルヴェイション・ゲインズのキャラの嫌らしさが印象的。そりゃ清教徒革命が破綻してチャールズ二世が復辟した後の時代背景だから、ピューリタンが悪者なのは当然というものだ。名誉革命の原因ともなったカトリックの問題も少し言及があるが、ややこしいイギリスの宗教問題が保守視点ではあるがリアルに感じられるのも面白い点である。 |
No.1257 | 7点 | メグレの退職旅行 ジョルジュ・シムノン |
(2024/05/19 12:31登録) 実は意外なくらいにメグレ物短編って本数が少ないようだ。雑誌に載っただけで未収録の作品やら雑誌掲載時に訳題がバラバラなこともあって混乱することが多いようだが、基本的には第二期短編集としてフランスで出た「メグレの新たな事件簿」が底本であり、これの訳本が角川文庫の「メグレ夫人の恋人」「メグレの退職旅行」に相当する。しかし、底本には収録でもなぜか訳書からは収録が漏れた「メグレと消えたミニアチュア」があり、また同時期執筆作でこの短編集に収録されなかったものが「メグレと消えたオーエン氏」「メグレとグラン・カフェの常連」の2作。 この一連の短編に続いて書かれたが戦後の「しっぽのない小豚」に収録されたメグレ物が「街を行く男」「愚かな取引」、「メグレ激怒する」と合本で収録された「メグレのパイプ」が戦前に出た第二期の短編になる。 そして戦後のメグレ物短編集で完訳されている「メグレと無愛想な刑事」収録の4作、そして単発のクリスマスストーリーとして後年に書かれた「メグレのクリスマス」があるだけだ。そうしてみるとシムノンの短編小説はかなり多いのだが、メグレ物短編は数が少ない。 なので特にこの角川の2冊は読み逃せない短編集になる。「メグレ夫人の恋人」も良い短編集だったが、初期仕様のパズラー風のものもあって、魅力十分とまではいかない。2冊目のこの短編集はパズラー的な「月曜日の男」でも、絶妙のキャラ設定があって興味深い(毒物がヘンテコだがw)。リアルなトリックがあるといえばあってコンパニオンの女性が女主人の謀殺を訴える「バイユーの老婦人」、娼婦のフリをする良家の子女とメグレが対決する「ホテル北極星」、お針子が引退後のメグレを振り回す「マドモアゼル・ベルトの恋人」、そしてメグレ夫人の魅力が全開する「メグレの退職旅行」と、女性キャラにリアルと生彩ががあるのがいいあたり。 確かに第二期のカラーである上出来なエンタメらしさをシンプルに出した短編集だと感じる。キャラに魅力を与えることにシムノンの腕力が発揮されて、それをメグレの父性と呼ぶべき個性が支えて趣きが深くなっている。粒揃い。 |
No.1256 | 4点 | 五匹の赤い鰊 ドロシー・L・セイヤーズ |
(2024/05/17 10:38登録) 皆さんも本作は苦手のようだ。 確かに本作ってセイヤーズの中で一番「実験的」な作品なんだと思うんだ。純粋探偵小説と呼ぶべきだろうか。フラットに描かれた6人の容疑者。そして被害者の死亡時刻と犯人の偽装行動を巡ってアリバイが細かく検討される。ピーター卿の初動調査のレベルで匂わされるとある証拠。警察関係者による6様の推理と、ピーター卿が主導する犯行再現....いやいや「毒入りチョコレート事件」にセイヤーズが回答してみたと捉えても、不思議じゃない作品だと思うんだ。 しかし、この不人気さの理由が面白いとも感じる。 なんやかんや言って「毒入りチョコレート事件」がうまくいったのは、推理によって様相が切り替わっていく「転換」の面白味だっとようにも感じる。話が推理によってダイナミックに動いていく面白味であり、そこでフェアプレーや緻密さはそれほど重視されていない。しかし本作は6人の容疑者を並行で同列に描く、というのを徹底したために、それぞれの推理が個性と印象を殺し合っているようにしか見えないんだ。容疑者は全員、男性の(ややディレッタントな)画家で、渓流での釣りとパブでウィスキーを飲んだくれるのが趣味。純粋に「ミステリの興味」を追求したのは天晴れでも、公平性に力点を置いて小説としては印象の薄いものになってしまうのは仕方のないことだろう。 まあだから次作の「死体をどうぞ」が本作でうまくいかなかったあたりの修正改善版だと見るのが適切だと感じる。「事件のイメージ」を読者がどれほどしっかりと現実的に捉えることができるのか、という「推理小説」の最大のポイントについて、本作はあまりに性急であり過ぎたのではなかろうか。 (鉄道事業の詳細を利用したリアルなトリックとか、大昔の海外の話になると読者的なリアリティもあったもんじゃないしなあ....ともボヤくよ) |
No.1255 | 6点 | 倫敦から来た男 ジョルジュ・シムノン |
(2024/05/12 18:36登録) 奪った金をめぐる仲間割れを目撃した主人公の転轍手。ふと手に入ったその大金。そして片割れの犯人との神経戦....でも、シムノンって「説明」しないんだ。主人公の心理は日常の出テールに霧散して「何をどう」が極めて曖昧なままに最後まで走り抜く。 言い換えるとシムノンの登場人物は「その場に生きている」。プロットの綾に(それは大金の誘惑でもあるが)翻弄されるのを、自ら拒んでもいる。あくまで頑固に「自己の運命」と信じるものに忠実に、ロバのように頑固に従う。 一瞬だけ「運命」の前に歩み出た男の姿を描いた小説と呼ぶべきだろう。 (そういえば同じくディエップを舞台とする「メグレの退職旅行」=「海峡のメグレ」なんだなあ。近々やろう) |