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ミステリの祭典

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クリスティ再読さんの登録情報
平均点:6.39点 書評数:1432件

プロフィール| 書評

No.1372 6点 怒りっぽい女
E・S・ガードナー
(2025/03/24 17:37登録)
そういえば「E. S. ガードナーの「ペリー・メイスン」 絶滅の謎」という論文をネットで見つけたよ。ある意味「読めば、分かる(面白い)」を体現したシリーズであるにもかかわらず、現在日米ともに電子書籍以外では現役本がほぼ絶滅している状況にあることについて考察したものなんだ。
いやミステリマニアの立場では、「当世流ペリー・メイスンの読み方」というようなことを、しっかり考え直すことの方が、大事なのではないのかとか思うのだ。

というわけで第二作。初の法廷場面あり。ハヤカワでは「怒りっぽい女」だが、「すねた娘」の創元が訳題では圧勝。ヒロインで依頼人のフランセスの甘え切った「すねた娘」っぷりが、まさに「まんま」。それをかばって嘘自白をしたがるロミオとか、今じゃ阿呆呼ばわりされても仕方ないが、昭和エンタメ感を盛り上げる(苦笑)
でなんだが、一応「ミステリらしい」仕掛けもある。しかし、ぺリイ・メイスンの「読み方」は、揃ったデータから静的に推理するのを楽しむものではなくて、ダイナミックな法廷駆け引きの中で推理内容をどう「武器化」するのか、というあたりを想像しながら読むということだろう。メイスンが「何を狙っているか」がホントに大事で、これを割ってしまうとつまらない。だからこそ、ポイントを際立てるためにメイスンの意図を探る「質問役」が要るわけだ。今回これが見習い弁護士フランク・エヴァリーくん。しかし、ちょっとばかり役者が不足。実際、デラくんとかドレイクくんとかで十分な気もするから、フランクくんはフェードアウトしたのだろう。

勿論ペリーメイスンで描かれる「ボクシングみたいな」アメリカの刑事裁判という日本の常識からやや外れた「珍しい」話の興味と、メイスンが活用して見せる特殊なルールに対する「あこがれ」みたいなものが、日本の読者にはあったんだろう。メイスンが勝つに決まってるんだもん、無責任に楽しめるちょっとした「背のび感」を持った読書体験だったともおもうのだ。
まあだけど本作はミステリっぽいと言えば大変ミステリっぽい話。仕掛けがメイスンの法廷闘争に噛み合っているのがナイス。


No.1371 6点 犯罪カレンダー (7月~12月)
エラリイ・クイーン
(2025/03/22 14:49登録)
皆さんと同様に、1~6月と比較すると、やや落ちるかなという感想。

いやそれでもラジオドラマ由来のミステリとしてのネタを、月ごとの風物詩に合わせて短編小説に仕立て上げる腕前の良さを楽しむという視点だと、そう悪くはないか、とも思える。評者何といっても、華麗なリーの文章が好きなんだ。

まあ、批判も多いだろう「三つのR」だけど、これって小説の通りに事件が起きる、というメタを扱ったプロットのわけで、クイーンに親しんでいるとアノ作品コノ作品と連想が働くという面白味がある。オチがつまらないから、それが問題なんだけども、楽しく読めることは確かなんだ。

そういう「楽しさ」という面では、クリスマス・ストーリーについて前説を長々と繰り広げる「クリスマスと人形」とかね、単純に楽しいお話。このシリーズではエラリーとニッキーがレギュラーで、準レギュラーで警視とヴェリー部長がでたり出なかったり。このシリーズだとヴェリーがコメディ・リリーフになることが多く、「クリスマスと人形」ではサンタに扮して、とても楽し気。
で、この「クリスマスと人形」に関しては、国名の頃に警視の下で捜査に当たった刑事たち、ヘイグストローム・ヘス・ピゴットといった連中が登場するのが、なんかとっても懐かしい。


No.1370 6点 貸しボート十三号
横溝正史
(2025/03/21 14:16登録)
それぞれ猟奇的な味をスパイスにしつつ、パズラー的興味を両立させる中編三作。「湖泥」は磯川、表題作は等々力、「堕ちたる天女」では両者ご対面!

中では「湖泥」が一番パズラー的な味わいがある。「農村のほうが犯罪の危険性を内蔵している」という最初のテーゼが、犯罪として激発するためには外部からの刺激が必須、という結論で上書きされるのは、確かに横溝ミステリの基本構図に他ならないよね。義眼が示す「モダン」がキーとなるのが作品のキモだと思う。

「貸しボート十三号」は中途半端な2つの死体というヘンさが猟奇の味わいになっている。実際、本作って「犬神家」の複雑バージョンみたいなものだというべきだから、モダン・ディティクティブになっているといえば、なっている。「犬神家」が示唆する「猟奇ミステリの合理的解釈」のバージョンアップというわけだが、やや不自然でもあるか。まあとはいえ、提出された謎のヘンさがオリジナルな味わいだから、成功していないわけでもないか。

「堕ちたる天女」って、これ乱歩「蜘蛛男」とか「地獄の道化師」とか、乱歩お気に入りの猟奇の幕開け。乱歩への挑戦みたいなカラーを感じる。昭和のホモ・レズ風俗を取り上げている側面もあって貴重と言えば貴重。軍隊で覚えた、というのも職業軍人だった「やなぎ」のママの話などから、当時珍しいことではないよなあ。

ややバレ。
つっかさあ、同性愛とか言っても、ホントにそうか、バイの気がないかとか、わかるわけないじゃん?というのもポイントなんだよね(苦笑)いやそういう話。それにリアリティがある。


No.1369 7点 霧の旗
松本清張
(2025/03/17 22:04登録)
評者世代は百恵だなあ。

いや清張だと結構異色作だと思う。「社会派」だったら裁判制度批判とかいうことになるのかもしれないけど、これそういう作品じゃないと思うよ。一種の不条理劇だと思う。この作品では九州での金貸し老婆殺人事件の前半と、桐子の復讐の後半とがかなりパッキリと分かれている。桐子の復讐話の後半を独立した「奇妙な味」的な話として読むのがいいと思うんだ。

考えてみれば、真っ当なミステリだったら、弁護士と桐子が協力して兄の無実を晴らして...なんて話になるはずなんだ。それでもそうしない清張の小説的な狙いの部分が垣間見れて、評者なんぞとっても面白い。冒頭の清純な小娘が、「汚れ」を意に介さないしたたかな女に変貌していく。これが女優にとってとっても「おいしい」からこそ、繰り返し映画・TVで取り上げられる。

しかし、なぜ桐子が弁護士への復讐にこだわるのかは、読んでいて少しもわからない。アナーキーともいえる問答無用、無理を押し通す底の抜けた「怖さ」を描けているのが、全盛期の清張の「こわさ」なんだとも思う。

だから、この桐子を演じきれた女優って、きっと誰もいないんだろうなあ。


No.1368 6点 ロリ・マドンナ戦争
スー・グラフトン
(2025/03/13 23:45登録)
グラフトンはキンジーのシリーズを書く前に、二作の長編小説があり、とくに二作目の本作が映画化されたのをきっかけにハリウッドでのライターのキャリアを開始している。なんだけどね、この作品、ある意味「有名な」映画だったりもするのだ。
評者実はアメリカン・ニューシネマって嫌いなんだよね。ロックオペラを除いたら「グライド・イン・ブルー」と「バニシング・ポイント」くらいしか好きな映画がない。で本作は大好き「バニシング・ポイント」の監督リチャード・C・サラフィアンの作品で、曲者俳優多数のヘンな作品、しかも長らくソフト化がされずに「まぼろし」化していたことでも有名な映画だったりする。というわけで、「グラフトンしようか?」と思った時に「え〜ロリマドンナ原作がグラフトン!」と知って読書予定に入れたわけである。

テネシー州の山岳地帯に住んで、いがみ合う2つの家族、フェザー家とガッシャル家。ネイティヴアメリカンの血を引いて密造ウィスキーを作るフェザー一家と、フェザー家の税金滞納から競売になった土地を取得した牧畜を営む退役軍人のガッシャル家。この2家の確執はなかば儀式的な嫌がらせとして燻り続けてきたのだ。ガッシャル家の側で次男ルディの嫁としてロリ・マドンナという女を迎えるという虚報を流した。フェザー家がこの女を拉致しようと仕掛けてくるのを見越して、その隙に密造ウィスキーをダメにしてやろうという計画だ。しかし、偶然通りかかった女性ルーニーがこの架空の女ロリ・マドンナと誤解されてフェザー家に拉致される。意外な結果で無関係の女を巻き込んだことにガッシャル家は困惑するが、折りも折りガッシャル家の末娘シスター・イーが、フェザー家の長男トラッシュと次男ホークにレイプされる事件が起きた。この落とし前をつけさせようとガッシャル家はフェザー家に迫るが、交渉は決裂し犠牲者も出てしまい全面戦争に突入する...

こんな話。アメリカのカントリーの狂気が全面に出た作品。女性作家が書いたことが意外なほどのバイオレンス。フェザー家五人、ガッシャル家4人の兄弟たちと父母で、多めの登場人物もしっかり書き分けられており、かつさくっとした結末など、なかなかの構成力。とくに若い兄弟たちは冷静で、両家の対立を陰で何とかしようとするのだが裏目に出てしまう、誤解された女ルーニーとフェザー家の末弟コックとが徐々に接近していくさまなど、読みどころは多い。

とはいえ、テネシー州の山奥で孤立して生活する2つの家、というのがどんなものなのか、書籍だと日本人は具体的に理解し難いものがある。映画は必須。
(でも最後に明かされる設定年代が1961年というのに呆然とするよ...映画は71年設定のようだけども)


No.1367 6点 クレアが死んでいる
エド・マクベイン
(2025/03/13 09:54登録)
評者は最近87を大体順に読み出していたから、何となく87を「クリングくん物語」っぽく読んでいるところもある。「警官嫌い」でパトロール警官で、「通り魔」でクレアと知り合い、刑事になって「ハートの刺青」でクレアとの仲が進展し....でこの悲劇。書店での乱射で四人が死亡。その一人がクリングの恋人クレアだった!というこの回。
クリングくんは悲嘆にくれ、それでも捜査に志願するのが痛々しいし、周りの刑事・警官たちもこの事件を「クリング事件」と通称してスペシャルな事件として扱う描写が心に染みる。

今もアメリカでは中絶問題が社会対立になっているわけで、アメリカという国家のややこしさが本作にも反映しているわけだ。この件がクレアという女性の描写にもなっているあたりが、87らしいうまさ。しかし、捜査は行き詰まり....で意外なところから真犯人が浮かび上がる。

なるほど空さんが「エラリーなら」。読んだ人は分かると思います。


No.1366 6点 犯罪カレンダー (1月~6月)
エラリイ・クイーン
(2025/03/12 16:32登録)
さてクイーンでも短編集をやり落としていたのを再開しよう。
パズラー作家の短編集の存在意義というのもいろいろ考えたりもするのだが、クイーンだとどうみてもベストは新冒険のスポーツ4連作だろう。ストーリーと謎解きがしっかり噛み合って、短編ミステリの面白さをしっかりと伝えていてくれた。
後期のクイーンだとなぞなそ的な短編が目立ったりして、白けるのもある。「犯罪カレンダー」はどうかといえば、「謎」に到達するまでの場面設定が凝っていてなかなか、読ませる。とはいえ、謎が最後10ページくらいで提示される規模で小粒だったりアメリカ史の造詣が要ったり、なかなか素直に楽しめない部分もある。
ストーリー的には皮肉な五月「ゲティスバーグのラッパ」に一番雰囲気が出ているようにも思う。蘊蓄だって、初期の軽薄さがなくなって、面白い小ネタとして小説の膨らみにはなっていると思う。

法月氏の解説はなかなか読ませるなあ。確かにニッキー登場に関して、ラジオドラマ〜カレンダー〜緋文字、という流れは正鵠を得ていると思う。
(「推理の芸術」によると、この連作はダネイのラジオドラマの梗概に基づいているが、連作短編自体はリー主導のように読める。とすればニッキー重用はリーのアイデアとも想像する)


No.1365 5点 帰ってきたイモジェーヌ
シャルル・エクスブライヤ
(2025/03/11 21:23登録)
海軍情報部を定年退職した赤毛の猛女イモジェーヌ・マッカーサリーは、スコットランドの故郷キャランダーに帰還した。万一の際には上司のウーリッシュ卿が力になることを確約して...キャランダーではイモジェーヌを崇拝する男たち、排斥する女たちが大騒ぎの中、イモジェーヌを迎えた。そして荒っぽい町対抗のラグビー試合の日、イモジェーヌの貢献によりキャランダーのチームは逆転勝ち。しかし、イモジェーヌに相談を持ちかけた学校教師が大騒ぎの最中刺殺された!イモジェーヌは学校教師から、学内で話されていた殺人計画を聞かされていたのだ!イモジェーヌはウーリッシュ卿の手配でその学校に新任教師として訪れたのだ...

いやはや、赤毛の猛女イモジェーヌのドタバタの活躍話。エクスブライヤというなかなか珍味な作家には、民話の味わいがある。イモジェーヌの無敵っぷりと言ったら、007もかくや、というくらい。ボンドもスコットランド系(コネリーもね)設定だから、共通点かもよ。

とはいえ泥臭いのは相変わらず。この泥臭さにはドーヴァー警部も連想する。だから笑えるユーモア、というとちょっと違う気もしないでもない。

法律外なんだよ、神父! あの女は人殺しも、暗殺もしていいんだ! 学校をひっくり返してもいい、わしのような人間の一生を台無しにしてもいいんだ!

まさに「殺人許可証を持つ女」イモジェーヌ!


No.1364 5点 バレンタインの遺産
スタンリイ・エリン
(2025/03/10 13:28登録)
怪我で引退した元テニスプレーヤーの主人公は、レッスン生徒から遺産相続のために形式的な結婚をすることを持ちかけられる...しかし競争相手がいるためにこの契約は秘密とされた。主人公に向けられた尾行・嫌がらせや結婚相手への脅迫が続き、ついには主人公も拉致される...この遺産の謎とは何か?

という話。マイアミからボストン、ロンドンと舞台が移るさまがスパイ小説風だけど、実際ちょっとだけそんな背景も覗く。そのうちに形式的な結婚、とされていた相手とも愛情が芽生えるとか、これはお約束。ポイントは挫折した元プロプレーヤーでフィジカルではエリートなあたり。ギャングなどと渡り合うがそれなりに強い。ここらへんディック・フランシス風。

問題は全体の真相が不明のまま怪しい人物が理由もよく分からないまま主人公たちを迫害する格好になって、フラストレーションが大きいこと。また主人公をなぜか贔屓にするギャング、結婚相手の相棒のような奔放な女、真面目な主人公の弟といった序盤で印象的なキャラが中盤から完全に置き去りになって、それを埋め合わせるほどの真相の面白さがないこと。

スリラーとしてはそれなりで、真相も予感はするが意外系。まあだけど作者にいいように引きずられたような読後感。真相もとある人物が全部教えてくれるとか、カタルシスがない。描写の細かさとか「エリンらしさ」はあるんだけどもねえ。


No.1363 7点 虹をつかむ男(早川書房)
ジェイムズ・サーバー
(2025/02/26 09:33登録)
評者前から感じていることだけど、「ハードボイルド」って小説とくに御三家を読んでいるだけじゃ、わからないことが多すぎると思うんだ。

こんな風にサーバーを読むと実感もしてしまう。え?って思う人も多かろうがね。「ザ・ニューヨーカー」で活躍したユーモア作家&漫画家というイメージだと、ハードボイルドとの接点が何か、見当がつかないかもしれない。しかし「ホテル・メトロポール午前二時」「一種の天才」などが、リアルに犯罪事件とその裁判を巡る成り行きを客観的な筆致で描いているさまを見ると、そういう風にも感じてしまうのだ。映画での「スクリューボール」の世界(キャプラとかワイルダーとか)、あるいはウイージーの写真、小説ならデイモン・ラニヨン、マンガならディック・トレーシー。そんな20年代30年代のアメリカ・サブカルの宇宙からやはり「ハードボイルド」は生まれ育ったということが実感させられるのだ。

だから広義のミステリに属する作品も結構多い。「世界最大の英雄」は世界無着陸一周を達成した飛行家(リンドバーグとか皮肉ってる)が、紳士どころかならず者だったらどうか?というアイデアから、ジャーナリスト・政治家がよってたかって飛行家を殺害する...これ「トンデモ動機」として秀逸だと思う。偶然凶悪犯と人相が共通する小市民の悩みを描いた「プルーフ氏異聞」。シェイクスピアのマクベスをミステリとして読んで真犯人を推理してしまう「マクベス殺人事件」なら、パズラーの流行を皮肉ったものとしても読めるだろうね。

そして代名詞的作品の「虹をつかむ男」。いわゆる「ユーモア」として分類される作品だけど、冒険小説というものの読者論としても秀逸だったりするわけだ。いやそういう「冒険」というものを、「日常生活の冒険」として解釈しなおすサーバーの視点というものが、都市生活者の「解放」めいたものを示唆するように感じられる。

ハードボイルドをこういう風に評価しなおしたら、実に魅力的だと思うんだ。


No.1362 7点 モンド氏の失踪
ジョルジュ・シムノン
(2025/02/16 12:45登録)
シムノンらしさは全開だけど、ミステリ色はかなり薄い。でも話は結構シムノンの定番話。パリに住む富裕な中年の商人、モンド氏が突然失踪し、身なりを変えて南仏に逃亡する話。蒸発話といえばそう。乱歩も「二重生活」とか変身願望が強く現れた話が好きだけど、本作気に入るんじゃないかな(苦笑)だったらミステリ周辺という見方もできるかも。

シムノンのミステリと本格小説の違いって何か、と考えたら、「理由を説明する」か「しない」かの違いのようにも感じる。メグレという最高の説明役がいて事件を解明し説明するからこそ、「メグレ警視もの」というミステリが存在する。「シムノン本格小説」と銘打ってもも実は「メグレのいないメグレもの」なのかもしれない。だから、本作ではモンド氏がとくにきっかけもなく失踪した理由も丁寧に説明するわけではない。まあこれ多くのメグレ物を含むシムノンの登場人物の行動そのものだから、シムノン読者には目新しいわけではない。

しかし本作だと、南仏に逃れてホテル隣室で棄てら自殺しかけた女ジュリーと同棲。自ら望んだ委細承知の没落。一緒にダンスホールと賭博が売り物の店に就職し、とある意外な事件に出くわして、再度の「モンド氏の変貌」起きる。これがなかなかの見もの。しかもこの理由をちゃんと説明しない、でもそれが腑に落ちる。意外な再変貌が興味深いのは別にして、この理屈もへったくれもなく「腑に落ちる」あたりが、高評価の理由。
この「説明のしなさ」がハードボイルドのようにも感じられてしまう。
それは「説明しない」潔さのようなものが窺われるからだろうか。「理由が説明できるか」は、実は「人間の自由」ともかかわっている。モンド氏の変貌はこのような「自由」に向き合い、それをモンド氏が主体的に「自由」を解釈し、受け入れることから起きているのだろう。
たしかに「シムノン本格小説」は、しっかりした現代文学なのだと思う。


No.1361 6点 ファミリー シャロン・テート殺人事件
エド・サンダース
(2025/02/12 17:45登録)
別な必要があって読み始めた本。このサイトでもとりあえず許容範囲だろう。念のために説明しておくと、1969年に起きた映画女優でポランスキー監督の妻シャロン・テートとその友人たちが自宅で惨殺された事件に、犯人グループとして逮捕されたチャールズ・マンソンが率いるヒッピーコミューン「ファミリー」の軌跡を描いたドキュメンタリである。

評者くらいの世代だと、ヒッピー然としたマンソンの振り返った全身像が採用された背表紙、斜めに影文字で「十字架にかけられたキリストと砂漠のコヨーテは同じものなんだぜ」とニューエイジ臭たっぷりのマンソンの言葉が入り、カヴァーを取ればマゼンタとイエローでマンソンの顔が浮かび上がる....この装丁のインパクトの凄さってなかったな。ブックデザインの神・杉浦康平の作品である。

内容はマンソン・ファミリーの集結とシャロン・テート事件などを経て逮捕に至るまでを客観的なデータ中心にドキュメントしたもの。ファミリーだけで21人、被害者など11人の名前が登場人物紹介として載っているが、登場人物はこんなものじゃ済まない。さらにファミリーは名で呼ばれたり名字で呼ばれたりあだ名で呼ばれたり、一貫性が薄く「誰が何した」的に文庫700ページほど延々と続く。結構読むのが大変である。作者はビートニク世代からアングラに関わる詩人。なのに感情描写を避けて淡々と事実だけを記述していく。会話さえほとんど、採用されていない。

恐ろしい話。しかしこの平板さの中に、ファミリーが根城とした砂漠の風と地獄がある。唯一著者がファミリーを「ゾンビ」と形容するあたりに、マンソン・ファミリーが耽溺した世界と、「邪悪な」リーダーによる洗脳の実態が顕れている。乱交とドラッグとスピリチュアルな教説、儀式と集団生活と終末論。「愛と平和」の花影にぱっくりと口を開ける地獄「ヘルタースケルター」。

デューンバギーは、ヨハネ黙示録の第九章に現われる"炎の胸当て"をつけたヘルター・スケルターの騎馬であった。そして彼らのまだ未知なるビートルズは、人類の三分の一に死をもって報いる"四人の使徒"だった。

さまざまな意味で「しんどい」本。だがこの「しんどさ」にはwoke思想にも現れたハリウッドとアメリカ中産階級の罪と罰、そしてオウム真理教もどこかしらに顔を出すアクチュアリティが潜んでいる。


No.1360 7点 小麦で殺人
エマ・レイサン
(2025/01/26 15:35登録)
評者CWAとの相性がいいというのは何度も言っているけど、本作もゴールドダガー(1967)。この時期のゴールドダガー受賞作って、評者は大好きな作品が多い。「ドルの向こう側(65)」「シロへの長い道(66)」「ガラス箱の蟻(68)」「英雄の誇り(69)」「若者よ、きみは死ぬ(70)」。こんな流れの中だから、本作も評者は気に入ったのは当然かも。

米ソデタントの背景から、ソ連によるアメリカ小麦買い付けの決済を主人公サッチャーが副頭取を勤める銀行が行うことになった。入港したソ連船に小麦が積み込まれ、その証拠として船荷証券が銀行に提示され、添付された小麦ブローカーの書類もソ連領事館の証明書も揃っていたため、代金の小切手が渡された....しかし、書類はすべて偽造。銀行は100万ドルの詐欺に逢ったのである。その小切手を運んだ運転手がソ連領事館の前で射殺され、手がかりは失われる。米ソデタントに水を差しかねない問題に直面したサッチャーは、NYの捜査当局・ソ連要人と協力して、小切手を取り返すべく真相究明に乗り出す。

こんな話。あらすじでも分かるように、船荷の貿易のデテールがしっかりと描かれて社会派的な、というか経済小説的な面白味がある。けどね、何度も評者は吹き出したくらいにユーモアたっぷり。その分キャラも背景もしっかりと描かれて、これぞ「イギリス好み!」と言いたくなるような小説。ミステリ的にも「知識と機会がある人物」の絞り込みが論理的で、狭義のミステリ的な面白さも充実。人間観察のシビアさもあり、とぼけたような文章に歯ごたえもあり、小説的にしっかり楽しめる。事態収拾に派遣されたソ連要人が、アメリカのヒッピーと議論し、「長い間マルクス主義的論争で訓練された」ソ連要人が、ヒッピーをやりこめるあたり、評者大爆笑。

(サッチャーの勤務するウォール街の銀行は商業銀行ではなく、投資信託銀行のようだ。なるほど)


No.1359 5点 アリバイのA
スー・グラフトン
(2025/01/23 17:52登録)
ヴィクやるならキンジーも...もあるんだけど、ちょっと別な狙いでグラフトンをしたい、という考えもあって、取り上げることにした。シリーズ自体初読。

イマどきハードボイルドにこだわるのも何なのかもしれないが、ヴィクがチャンドラー流をうまく女性視点で消化していることで、評者的には大変印象がいい。私立探偵小説かハードボイルドか、という設問で考えたら、やはり御三家へのまねびみたいなものがあって、初めて「ハードボイルド」と呼ぶべきだとも感じるのだ。だからヴィクはハードボイルドだが、キンジーは違うと思う。女流私立探偵小説であり、「女には向かない職業」のコーデリアに近い。

まあとはいえ、夫殺しで服役し、出獄してきた女性が訴える冤罪の再調査をキンジーが請け負った。夫の死の直後、夫とも縁がある女性が「夾竹桃の樹皮」を混入した薬という同じ手口で殺されており、そちらは迷宮入り...周辺の人に手堅く聞き込みを行うキンジーは、ラスベガスに飛ぶ。電話越しで殺人を知ったキンジーは...

こんな話。ラスベガスの殺人で本の半分を消化。展開が遅め。女関係が派手な被害者ということもあって、聞き込み先は女性が多い。その聞き込みでキンジーが「シスターフッド」といった感覚で共感していくのが、女性らしいよね...となるあたり。キンジーはバツ2子なしの独身で、とある男性のフェロモンにキンジーがやられる話とかもあるよ。

まあ普通に私立探偵小説。手堅くて意外とかそういうことはない。「ピーター卿が白馬の王子様」のヴィクがキャッチーすぎる。


No.1358 6点 嘘をつく器 死の曜変天目
一色さゆり
(2025/01/22 11:45登録)
曜変天目自体は、本作中でちょっとだけ触れられる龍光院以外の2つは評者も実見しているよ。不思議で美しいものではあるのだが、このところの日本人の「曜変天目大好き!」には評者も違和感みたいなものを強く感じていたのが正直なところ。

だからね、評者は本作には好意的。まじめに落ち着いた陶芸小説になっている。

艶やかで青黒い佇まい魔物のような迫力を持つと同時に、有毒植物にも似た過度な美しさを備えた、まさに曜変天目の壺だった。

と作者も曜変天目自体には反発心があるのが窺われる。けど「血を混ぜないと曜変しない」とか、「中国では不吉として割られた」とか、「日本の国宝3椀のみ」とか、「伝説」がその神秘的で宇宙を思わせる不思議と相まって、ヘンにマスコミに取り上げられることも多いわけだ。世の中には曜変天目再現をめざす陶芸家もいろいろいて、そんなあたりを本作はモチーフにしているが、作者の扱いがいろいろと「怪しい」あたりにも踏み込んでいるのが個人的に共感する。
日本人がいい加減なパチモン模作(それも中華製で逆に笑えるが)に騙されるとか、そういう話はよく出ているからね。

天目茶碗というもの自体、茶道では「書院の茶」の象徴みたいなもので、お稽古では天目を使ったお点前も学ぶけども、侘茶の精神とは別物でもあって、献茶式ならともかく、茶事として遭遇することもないものでもあったりする。ましてや「有毒植物のような」華美さのある曜変天目ならば、侘茶の美意識とは相反するものでもある。

そういうわけで、陶芸小説としては作者の視点に大変共感するのだが、ミステリとしてはもう一つかなあ。いや探偵役の馬酔木泉のキャラは評者は好き。

この情報社会で一般常識を知っていることなどなんの役に立つ?そんなもの検索をかければ分かるじゃないか。多くの人が知らないことを飛び抜けて知っている方が、よっぽど価値があるとは思わないか。

まさに御説のとおり。名探偵はホームズの昔からこうでなくちゃ。


No.1357 6点 メグレの幼な友達
ジョルジュ・シムノン
(2025/01/21 23:08登録)
「幼な友達」とはなっていても、実は日本の高校に相当するリセでの同級生。
そんな旧友フロランタンが、メグレの面会を求めた...フロランタンは同居する愛人のジョゼが殺されるのを間接的に目撃していた。ジョゼの死を確認して、自分に容疑がかかることを恐れたフロランタンは、同級生のメグレに救いを求めたのだ....

なんだけども、このジョゼは、妾奉公ならぬ一種の「愛人商売」をして、小金を溜め込んでいる女。フロランタン以外にもオトコは四人いて、それぞれ逢う曜日を変えて鉢合わせしないようにしている。そういう愛人商売が「癒し系」みたいに描写されているのに妙なリアルさを感じたりする。よくある「情痴」の事件でもなさそうなんだ。
フロランタンはかつては老舗菓子屋の息子として、同級生の間でも羽振りがよかったのだが、今では「落伍者」と呼ばれるほどに落魄して、ジョゼのヒモのような立場にあった。

要するにメグレにとってはキャラを知っているだけに、フロランタンは「厄介者の遠縁」みたいな面倒臭い立場にあるわけだ。フロランタンはリセの当時から「嘘つき」であり、悪戯好きの道化者として、面倒を引き起こしがちな男だった。そんなフロランタンは同級生の立場から、ヘンにメグレにも馴れ馴れしく振る舞い、メグレが困惑しながら捜査をする...この関係のヘンテコさが面白い。

ミステリとしては、ジョゼの住むアパルトマンの女管理人が強情にも何も語らないことが鍵となっている。この女管理人のキャラがなかなか「ヒドい」。強情な大女で、この女も狙いがあって喰えない。けども、この女の存在とフロランタンの策動のせいで、話がもつれているのを、メグレは解きほどいていく。

ジョゼ・フロランタン・女管理人とキャラにウェイトが高くて、それで勝負しているあたり、後期メグレっぽいなあと思わせる作品。そう親しいわけではない同級生、という設定が効いている。

(あと、このフロランタンって名前だが、そういう焼き菓子があるんだけども、関係があるんだろうか?)


No.1356 5点 赤外音楽
佐野洋
(2025/01/20 20:17登録)
NHK少年ドラマシリーズといえば、1972年の第一弾「タイム・トラベラー」が伝説的な作品でもあり、また「暁はただ銀色」「夕ばえ作戦」などジュブナイルSFの名作を映像化したこともあって、SFが目立つことになってしまっている(実はSF偏重はなくて一般的な児童文学が多い。ミステリだと「蜃気楼博士」をやっている)。そんな中で「トラウマ的名作」の誉れが高いのが本作。ジュブナイルSFだけども原作は佐野洋。

「青きドナウだ」...しかし、ラジオから流れた奇妙な音楽は、聞こえる人と聞こえない人がいた。高校生の法夫は放送が求めるままに、その不思議な音楽が聞こえたと伝えるはがきを「ミュータント研究所」に送った。すると「Rボックス」と呼ばれる装置が送られてきた。その装置はやはり他人に聞こえない不思議な音声によって、法夫に「次の日曜日正午ごろに東京タワーの近くへ行け」という指示を伝える。東京タワーで集まった人々は不思議な研究所に連れていかれて...

こんな導入。人間には見えない赤外線になぞらえた、「特殊な人にしか聞こえない音」をモチーフに、東京タワーで知り合った少女の失踪を絡めてSFスリラー的に展開する。けどね、原作では尻切れとんぼみたいにあっさり終わってしまう。ドラマでは、地球滅亡とミュータントの話を絡めた終末モノになって、これが視聴者にトラウマを植え付けたことで有名なんだよね。シナリオライターが頑張ったのか、それとも佐野洋の原作が打ち切りを喰らったのか、謎である。

というわけで、原作はいいところでブッタ切りで終わるという大変情けない状態。それでもドラマに免じて甘くしたい(苦笑、しっかり見た記憶はないんだが、「青きドナウ」の話をちゃんと覚えている...懐かしくて取り上げる)


No.1355 6点 贋作展覧会
トーマ・ナルスジャック
(2025/01/20 17:33登録)
大体が「名探偵」というものは、マンガチックなものなのだが、それをそう思わせないように作者が共感可能なキャラ設定などを盛り込むことで、なんとか維持できているというあたりが相場なのだろう。もちろん作者自身は自身の理想などをキャラに盛り込むからこそ、その「思い」によって名探偵にも生彩が出るわけだ。

しかし、他人によるパステーシュの場合には、作者本人の秘めた思いの部分は捨象されるから、外面的な特徴をなぞって描かれることになる。そうなるとどうしてもマンガ的な要素が目立つことにもなる。しかし、そんなパステーシュの「他人事」の特質を通じて、そのキャラの本質めいたものが開かれることも絶無ではないのだろう。

なんてことを書きたくなるのは、やはり「ルパンの発狂」とか、稲葉明雄による保篠辰緒風翻訳の味わいが「ルパンらしさ」をしっかり引き出しているとも感じられることにある。のちにボア&ナルで盛大に贋作ルパンをシリーズ化するわけだしね。ファイロ・ヴァンスのパステーシュ「雄牛殺人事件」が、ヴァンス物の独特の大仰さとゴシック的な怪奇スリラー色が出ている。確かにヴァンス物の一番いいところというのは、実はパズラーであること以上にホラーだったりすると評者は見てたりする...この2本は出色のパステーシュだと思う。

それと比較すると「警視の捜査における指揮ぶりが、これほど支離滅裂なのははじめてだ。気管支炎が悪化しているのだろう」と書いてしまうメグレ物は「語るに落ちている」といったところがシラけるし、ウルフ物はそもそもマンガ的なネロ・ウルフというキャラを小説的にちゃんと成立させているスタウトの冷徹な剛腕といったものが、逆に目立つことにもなる。

いや、いろいろな意味で面白いことは確か。日本人がやるパステーシュだと、どうしても「名探偵って英米基準なキャラなんだよね」と白日に晒すかのような卑屈さが出てしまい情けなくも感じるのだが、フランス人によるパステーシュだと確かにノスタルジーといった色合いも出るんだろうなあ。


No.1354 7点 女王陛下の騎士ー007を創造した男
伝記・評伝
(2025/01/18 16:40登録)
「007の謎」というものは、究極のところイァン・フレミングという男の謎、ということにもなるのだ。もっともらしいことを言おうとすれば、何でも言える。大戦中に英国秘密情報部で活躍した男、ハイクラスの贅沢を知り尽くした男、ギャンブラーであり、ゴルフの名人、そしてダンディに「列を乱す」男。007は作者フレミングの隠れた自伝であることをこの評伝は明らかにするのではあるけども、しかし、フレミングの実像との乖離もまた大変興味深いものがある。

金融界の大物の子弟として生まれ、出来の良い兄に比較されて腐っていた弟。奇妙な反抗心をコアに抱え込み、容易に本音を外には漏らさない。一見活動的ではあるのだが、真に活動的であるとは言えない、奇妙に矛盾した性格をこの評伝では明らかにする。

まずいことには、イァンは訓練生としては優れていたが、秘密工作員や真の行動の人間としての気質はもっていなかったというだけのことだ

海軍情報部でのフレミングの活躍は、これは確かな事実である。その活躍は海軍情報部長の私設副官としての「微妙な」立場にあるものである。目標を定めて綿密なプランを立てて、適切な人員を配置し...といったマネジメントに辣腕を振るったのだが、現場に詳しいわけではない。何でも「できる」のだが、何もできない男。自分では何もできないが、「誰にできるか」については完璧な人物・能力の鑑別ができ、それについての人脈を備えている男。永遠のアマチュアであり、ディレッタントであることを宿命づけられた万能人。
....そしてそのことに、強いコンプレックスを抱いてもいる。

こんな肖像を本書は描いてみせる。だからこそ、007はフレミングの「夢の自伝」としての性格を帯びていることになるわけだ。

何者でもないが、何でもできる。そういう不思議な人間が作り出した「夢」として、007がインテリから大衆に至るまで、さらには60年以上の時代を越えて愛されるのは、大変不思議なことでもある。
007が「唯一無二」なのは、やはりフレミングが「唯一無二」だったことの反映なのだろう。
(評者は憧れるね...先日バーでヴェスパーを飲んだ。すっきりしていて軽口なおいしさ。マティーニより好き)


No.1353 7点 下り”はつかり” 鉄道ミステリー傑作選
アンソロジー(国内編集者)
(2025/01/14 20:10登録)
創元の鮎川傑作選のタイトルで「下り”はつかり”」を使っちゃっているのは、オールドファンとしてはちょっとばかり残念。1975年のカッパブックス「下り”はつかり”」といえば、このあと「急行出雲」などと続く鉄道ミステリ傑作選というイメージが強いんだ。
というのも、70年代までの鮎川氏というと酒もタバコもギャンブルもやらない堅物として知られていて、文壇活動には消極的な「孤高の作家」イメージがあったんだよ。探偵文壇といえば乱歩高太郎といった親分たちが取り巻きを引き連れて飲み歩くというカラーがあったわけで、そういうのから鮎哲さんは外れていた。
それが75年のこのアンソロに端を発して沢山のアンソロを編むようにもなるし、「幻の探偵作家を求めて」もやれば、「鉄路のオベリスト」を翻訳連載するとか、このアンソロをきっかけに業界リーダーとしての活動範囲がぐっと拡大した。そんな記念すべき本だと思っているんだ。
収録作は、城昌幸「ジャマイカ氏の実験」、乱歩「押絵と旅する男」、岩藤雪夫「人を喰った機関車」、大阪圭吉「とむらい機関車」、横溝正史「探偵小説」、芝山倉平「電気機関車殺人事件」、青池研吉「飛行する死人」、坪田宏「下り終電車」、土屋隆夫「夜行列車」、角田喜久雄「沼垂の女」、多岐川恭「笑う男」、鮎川哲也「下り”はつかり”」、加納一郎「最終列車」、星新一「泥棒と超特急」、森村誠一「浜名湖東方15キロの地点」、斉藤栄「二十秒の盲点」

それぞれに鮎川氏の軽い解説がついて、かなりボリュームあり。有名作家の有名作も目白押しなんだが、そういう有名作はハッキリ言ってどうでもいい。
このアンソロで「面白い」のは、芝山倉平「電気機関車殺人事件」、青池研吉「飛行する死人」、坪田宏「下り終電車」といった作品なんだ。
フツー知らないでしょ!ってなるような作家、作家紹介も「経歴その他一切不詳」とだけ書かれるような作家たち。鮎川氏が「新青年」「ロック」「宝石」といった雑誌の上だけで作品を知った作家たち(それも1作きりとか)の作品を丁寧に拾い上げているあたりなのだ。アンソロとはまさにそんな「追憶」を「愛」に変える行為だ。
評者も「飛行する死人」(「天狗」に発想してリアルなトリックで二連発。語り口佳し)、「下り終電車」(私鉄の終電の後に電車が通った?のアリバイトリック)、「電気機関車~」(絶対に作者は国鉄職員!)の3本がこのアンソロのトップ3だと言おう。
そんな鮎川氏の「愛」に打たれるアンソロである。

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