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ミステリの祭典

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追跡
百谷泉一郎弁護士シリーズ

作家 高木彬光
出版日1962年01月
平均点3.50点
書評数2人

No.2 1点 クリスティ再読
(2025/05/13 18:27登録)
やっぱり本作も筆誅、という結論になってしまったな。

実際には事件から40年たった1990年台後半くらいから、問題の人々の間で口を開く人が出てきて、やはり白鳥事件は共産党の非公然軍事部門によるテロだった、ということが明らかになりつつある。実行犯は中国に亡命してすでに全員亡くなっているという話だ。主犯として裁かれた軍事委員会トップの村上国治が共同謀議に問われたこと自体、冤罪でもなんでもない。

日本共産党としても、当時は所感派・国際派と分裂しており、51年テーゼに基づく暴力的な極左冒険主義が国民からの支持を失った時代でもある。「分裂の一方が行なったことでもあり、今となってはよくわからない」と共産党自身でさえ煮え切らないあたりで弁解するしかない状況でもある。
まあ評者としては51年テーゼを主導した軍事委員長の志田重男を「真犯人」と言いたいあたりだけど、行方知れずと言われていた志田のその後も今は解明されているし、ソ連崩壊で野坂参三のスパイがバレたりとか、時の経過がこの混乱した時期の「黒い霧」を晴らしていったことに、感慨めいたものを感じていたりする。

とはいえ、この高木彬光の作品自体は、そのような経緯とは切り離して考えたい。「その後に判明した真相」によって、「不十分な情報の中で誤った前提に基づいて書かれたフィクション」を裁くのはどうか?とも思うからだ。
本書はいわゆる「原田情報」に依拠して書かれている。これは除名された元党員がこの件で流した「怪情報」とされるものであり、作中にも桑田という名前で登場する。要するにヒロポン中毒の信用組合理事長が、資金横流しを察知した白鳥警部にヤクザを差し向けて殺させた、という「真相」である。

まあ、外野のジャーナリストなどがいろいろと推理するのは、それ自体として咎めるべきではないだろう。しかし、本作では冒頭に百谷弁護士の同級生が百谷に相談した直後に不審な死を遂げて、その真相を探る中で背景に白鳥事件があることを百谷は察知する。そして同級生の秘密の思い人を探し出し...という「フィクション」に仕立て上げているわけだ。最後には派手な修羅場もあり。

としてみれば、本作の犯人陣営は基本的に実在の人物たちである、と言われても仕方のないことになる。モデルを勝手に「フィクション化」して、作者が操っていることにもなるわけだ。フィクションだから...で許される範囲を大きく逸脱しているとしか思えない。名誉棄損とか言われても仕方なかろう。
さらにいえば、その「嫌疑」が的外れでもあるのだから、小説家の罪は重いとしかいいようがない。

またさらに、百谷もちゃんと推理するというよりも、登場人物たちが教えてくれる「真相」を鵜呑みにするばかりで、批判精神のカケラも感じない。「成吉思汗」でも評者は神津恭介がデマに近い情報を鵜呑みにしまくるのにシラケまくっていたのだが、本作の百谷弁護士も同様。困ったものだ。

もちろん高木彬光の最大の弱点である「キャラ描写が壊滅的に下手」も、こういう展開だと全面に出てしまう。小説として味気ないとしか言いようがない。

少しだけ高木彬光を弁護すると、この人、ヘンにテンションの高い奇人変人に「波長が合う」という困った性質がある。今回はそれが怪情報を流した元党員の原田政雄ということだ。それが「ロマン」なのかもしれないが、無批判にオカルトを受け入れてしまうのが、この作家の特性でもある。

そういうあたり、嫌いではないといえばそうなのだが、なんというか、持て余す。

No.1 6点
(2016/12/30 23:59登録)
1957年に実際に札幌で市警警部が銃殺された白鳥事件をモデルにした作品で、高木作品の中でも同じ百谷泉一郎弁護士シリーズの『人蟻』と並んで社会派要素の強い作品です。
カッパ・ノベルズ版の作者あとがきに、松本清張の『日本の黒い霧』でも同事件が扱われていますが、清張とは別解釈であることが述べられています。共産党地区委員等の刑が確定したものの、冤罪事件なのかそうでないのか、今でも議論のある事件だそうですが、本作は上告審が最高裁で行われていた1962年に発表されました。清張ほどの政治性はありませんが冤罪説という点では共通していて、10年後に新たな殺人事件を起こすことによって、本作はエンタテインメント性を出しています。
百谷弁護士シリーズの中でも、謎解き要素は『人蟻』よりさらに少ないと言えるでしょうが、硬派な主張は伝わってくる作品です。

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