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ミステリの祭典

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月長石

作家 ウィルキー・コリンズ
出版日1950年01月
平均点7.18点
書評数11人

No.11 7点 shimizu31
(2022/09/09 22:13登録)
再読であるが40年近く前のことで内容はほぼ全て忘れていた。ただ前回は老執事ベタレッジの手記に愛着を覚えたような気がするが今回は前半300頁は冗長で興味の持続に苦労した。後半からは徐々に緊迫感が増してきて驚愕の展開が次々と起こり最後はどうなることかとハラハラしながら読み続けることができた。

前半は、月長石の消失、感化院出身の女中ロザンナを巡る騒動、令嬢レイチェルの結婚問題等が並行して進んでいくが書き手のとぼけぶりも影響してか今一つピンボケの感があった。ただ世慣れた老執事ベタレッジが我を忘れる場面(p261)にはそのストレートな表現に思わず感涙してしまった。狂信的なカトリック教徒のクラック嬢の寄稿も読者の嘲笑を誘うように描かれているが、周りから白眼視される中でも挫けずに信念を貫こうとする姿は健気ながら哀れであり考えさせられた。特に銀行家エーブルホワイト氏が登場する場面(p423-440)は劇的なクライマックスの一つになっており盲目的な信仰者との断絶が見事に表現されている。

後半のブラッフ弁護士の寄稿(p441)からは再度月長石の問題に戻り謎解きも本格化し前半の伏線も次々と回収されていく。ただ純愛ロマンスが根柢にあり人間心理が理想化され過ぎていてわざとらしいという感もある。トリックはやはり拍子抜けと言わざるを得ずその証明のための実験も綿密に展開されてはいるがそもそもの根拠が薄弱であり結果も出来すぎといえよう。物語としては十分面白いが謎解きミステリとしては古典とはいえやはり1930年代以降の傑作群には及ばないか。

探偵側としても前半の捜査は手ぬるいと言わざるを得ない。レイチェルの証言拒否があったとしてももっと徹底的に取り調べれば解決は容易だったようにも思われる。ただ本作はパズルを解くというよりも人間心理をベースにした濃密な物語を味わうというものであろうからそういう意味では十分に成功している。真相への道筋も行ったり来たりの多重解決のような感があり謎解きとしては十分な充実感があった。ただ純愛ロマンスも結局はゲームの仕掛けに過ぎなかったという安直な感じは否めなく、人間心理の深みや奥行きという点では同じ作者の「白衣の女」や「ノー・ネーム」の方に軍配を上げたい。

以下、登場人物一覧に無い人物を補足しておく。

アデレイド(故人):ジュリアの長姉、フランクリンの母、ブレーク氏の妻
カロライン:ジュリアの次姉、ゴドフリーの母、エーブルホワイト氏の妻
ジョン・ヴェリンダー卿(故人):ジュリアの夫、レイチェルの父
セリナ・ゴビイ(故人):老執事ベタレッジの妻
ブレーク氏:高名で莫大な財産家、フランクリンの父、アデレイドの夫
ナンシー:ヴェリンダー家の女中
アーサー・ハーンカスル(名前のみ):ジョン・ハーンカスル大佐の兄
サミュエル:側付きの召使、給仕
エーブルホワイト氏:フリジングホールの銀行家、ゴドフリーの父、カロラインの夫
ゴドフリーの二人の妹
フリジングホールの牧師
スレッドゴール夫人:ヴェリンダー家の客人
料理番の女:ヴェリンダー家の使用人
奥さま付きの女中:ヴェリンダー家の使用人
一番女中:ヴェリンダー家の使用人
ヨーランド夫妻:コブズホールの漁師夫妻、ルーシーの両親
ベグビー:園丁頭
モートビー:フリジングホールの呉服商
ジョイス:フリジングホールの警官、シーグレイヴ警察署長の部下
ジェイムズ:ヴェリンダー家の御者
ダッフィ:ヴェリンダー家の庭の草刈りを手伝う少年
ジェフコ氏:ブレーク氏(父)の従者
スモーレー:スキップ・アンド・スモーレー法律事務所の弁護士(?)
マカン夫人:インド人が住んでいた宿屋のおかみ
タミイ・ブライト:コブズホールで網をつくろっていた少年
園丁のおかみさん:ヴェリンダー家の使用人
グーズベリー(オクタヴィアス・ガイ):ブラッフ弁護士の事務所の走り使いの少年
ブラッフ弁護士の事務所の主席書記

No.10 7点 弾十六
(2022/01/23 17:08登録)
1868年7月出版(1500部)、初出 英All the Year Round 及び米Harper's Weekly 1868-1-4〜8-8。創元文庫(1978-12合冊五版)で読了。ノウゾーさんの翻訳は安定感がありました。
印象深いのは作者コリンズの、運命に弄ばれた人々に対する優しい眼差し。近年の用語「上級国民」ではない者たちへの共感が全編から伝わってきます。ミステリとしてはわかりやすい話だと思いますが、展開は結構起伏に富んでいて面白い。カメラアイの工夫も素晴らしく良くて、第一部の語り口など、なるほどね!と感心しました。主要登場人物が裏口から語られる、という方式はかなり目新しかったです。最近見たTVシリーズ『ダウントン・アビー』をちょっと連想してしまいました。
作品の背景コンスタンス・ケント事件(発生1860年及び自白1865年)の知識があると非常に面白いと思います。Wiki程度の知識でも結構。詳細を知りたい場合は『最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』(2008)にまとめられています。
呪われたダイヤモンドについては当時有名だったオルロフ(Orlov)ダイヤとコ・イ・ヌール(Koh-i-noor)ダイヤの話を参考にしたようです。特にオルロフ・ダイヤは神像の眼だったという伝承があり、こーゆー伝説の嚆矢だったのかも。
以下トリビア。価値換算は英国消費者物価指数基準1848/2022(126.83倍)で£1=19789円。
p24 羽布団と五十シリング◆婚約解消の対価。50シリングは約五万円。ただし老僕の若い頃の話なので、もっと価値は高かったはず。
p30 糸玉と四枚刃のナイフと、それからお金を7シリング6ペンス◆7シリング6ペンスといえば探偵小説の黄金時代の小説単行本の定価だが… この時代の単行本はもっと高かったのではないか、と思うので違うだろう。
p30 年額700ポンド
p132 非常警報(alarm)◆ここは「叫び声」で良いだろう。
p132 朝のコーヒー… 外国の流儀
p135 玄関のドア… 鍵がかかって、おまけにカンヌキまでしてあった(the front door locked and bolted)◆ここのboltは、外から鍵では開けられない式のものだろう。
p134 治安判事(magistrate)◆下のと原語が違う。
p141 治安判事(Justice)◆ここは定冠詞なしの大文字なので一般的な「正義、警察権力」というような意味(=警察署長)だろう。この場面で治安判事は登場していない。
p173 モグラの塚(molehill)◆make a mountain out of a molehillで「小さなことで大騒ぎ」の意味。
p173 夏の名残りのバラの花(The Last Rose of Summer)◆Thomas Mooreの1805年作の詩。アイルランド民謡"Aisling an Óigfhear", or "The Young Man's Dream"の音楽により歌われる。
p183 鏡の中をぼんやりと(in a glass darkly)◆聖書の有名句。1 Corinthians 13:12より。
p189 一番女中(The first housemaid)
p199 蓼喰う虫も好き好き(Tastes differ)
p200 探偵熱(a detective-fever)◆ミステリへの興味を病気に例えている。確かに病気のように取り憑かれる。
p204 オランダ・ジン(Dutch gin)
p208 四、五枚のシリング貨と六ペンスばかりの金(a few shillings and sixpences)
p210 一シリング九ペンス◆1732円。
p211 三シリング六ペンス◆3562円。
p247 浅黒い肌の色(dark complexion)◆原文complexionなので、こう訳すのが正解なのだろうが、反浅黒党としてはなんか納得いかない。この人、白い肌だったのでは?
p251 一シリング◆小僧への褒美。989円。
p261 これから世の中に出ようとする若い人たち(Your tears come easy, when you’re young, and beginning the world. Your tears come easy, when you’re old, and leaving it)◆生まれてくる者かな?と思いましたが… そういうふうに解釈して良い?
p263 上流階級(People in high life)◆二つの世界が厳存していることの苦み。
p265 報酬(fee)◆そういう報酬が得られるものなんだ…
p271 家庭の内輪問題の秘密調査係◆そういう役回りがあったのか。ここら辺の原文は“in cases of family scandal, acting in the capacity of confidential man”
p296 道標に向かってジッグ曲を口笛で吹く(whistled jigs to a milestone)◆アイルランドの言い方と書かれている。「全く無駄なこと」という意味のようだ。
p299 どん底(When things are at the worst, they’re sure to mend)◆諺。
p302 食事宿泊手当(board wages)◆主人が不在時の手当。主人が滞在していれば食事や暖房は主人も使うので心配いらないが、不在なら自分で調達しなければならないことから。
p302 椅子の中で眠った(fell asleep in our chairs)◆教会で居眠りする、という事を面白く表現したものか。
p303 浅黒く(dark)◆ここは「黒っぽい瞳」だろうか。鳶色の髪(brown head of hair)のことは続いて出てくる。
p306 貧乏人が金持ちにそむいて立ち上がる(the poor will rise against the rich)◆上級国民への敵意。
p310 一ギニー◆ロンドンの有名医の一回の料金。
p320 異教徒(heathen)◆第一部で本人はクリスチャンだと何度も言っている。ここは「無教養な、野蛮な」という意味か。それとも発言者から見れば、こいつらはキリスト教徒とは思えない、ということか。
p325 一週間分の家賃◆週ぎめでの部屋の貸し借りは普通だった様子。
p356 乗合馬車… 辻馬車… 賃金どおり◆この人はチップを否定しているようだ。お金が無いだけ?
p370 偉大なミス・へロウズ(precious Miss Bellows)◆パンフレットは架空か。この名前も架空だろう。
p386 わずらわしい(nuisance)
p402 チベットのダライ・ラマ(Grand Lama of Thibet)◆当時英国でも結構有名だったのね。シャーロック『空き家の冒険』(1903)でもthe head Llamaが言及されていた。
p417 年に二着の被服費(my two coats a year)
p421 ひと月とたたないうちに金融市場に起こった変動(In less than a month from the time of which I am now writing, events in the money-market)◆何の事件を指してるんでしょうね。
p422『ミス・ジェイン・アン・スタンバーの生涯・書簡・功績』(the Life, Letters, and Labours of Miss Jane Ann Stamper, forty-fourth edition)◆架空の人物のようだ。
p445 民法博士会館で手数料1シリング払って(at Doctors’ Commons by anybody who applies, on the payment of a shilling fee)◆誰でも遺言を閲覧出来る制度。随分昔からあるんだね。
p690 『ガーディアン』、『タトラー』、リチャードソン『パメラ』、マッケンジー『感情家』、ロスコ『メジチのロレンツォ』、ロバートソン『チャールズ五世』(The Guardian; The Tatler; Richardson’s Pamela; Mackenzie’s Man of Feeling; Roscoe’s Lorenzo de’ Medici; and Robertson’s Charles the Fifth)◆面白い古典作品だが頭脳を過度に刺激しない作品群。
p728 一シリング… 豪華な食事… ブラック・プディング、イール・パイ、ジンジャー・ビール(a black-pudding, an eel-pie, and a bottle of ginger-beer)
p728 黒ビールと豚肉パイで有名(famous for its porter and pork-pies)

No.9 7点 ボナンザ
(2020/11/15 11:44登録)
あまりに冗長な部分もあるが、どの語り口も飽きさせず、中々意外な真相をあぶりだしていく様はやはり古典的名作といえるのでは。

No.8 6点 makomako
(2020/02/28 19:55登録)
 推理小説の古典として昔から知っていたのですが、あまりの長さと古さのため今まで読むのをためらっていた作品です。ようやく読む勇気?が出たので今回頑張って読みました。
 色々な人が違った角度から一つの物語を述べていくという形をっとっています。立場によってこんなに受け取り方が違うんだということがよく分かりますし、とんでもないキリスト教狂信者(本人は敬虔なキリスト教徒と思っている。彼女から見れば私など野蛮な異教徒)のお話が長く続くところは正直うんざりしました。でも100年ぐらい前のイギリスではこんな人もいっぱいいたのでしょうね。当時のイギリスを知るといことではとても有用でした。
 はっきり言って無駄に長いところもあり、抄訳が発行されたこともあるというのもうなずけます。だからといってつまらないのではありません。古典的名作としてよいお話と思います。もっと短くすっきり書いてあれば私の評価も上がったのですが。

No.7 7点 蟷螂の斧
(2019/10/10 17:50登録)
(再読)東西ミステリーベスト100(1985年版51位、 2012年版67位)
「月長石」盗難事件の関係者が、それぞれの視点(手記)で語ってゆきます。一人の視点では何でもないようなこと(実は伏線)が、別の視点が重なることによって明らかになってゆくという構成です。各視点のキャラクター、特に老執事と医師が魅力的ですね。謎が複雑になってしまう要因が、女性陣の恋愛感情にあるなど、単なる恋愛物語ではない点も好みです。なお、マイケル・イネス氏の「 ある詩人への挽歌」(1938年)が本作品のような多数の手記形式の構成を引き継いでいますね。昔、本作以上に長~い「白衣の女」をあきらめたので、この機会に挑戦しようかな?。

No.6 7点 クリスティ再読
(2019/05/04 17:48登録)
こういうときに取っておいた本作、である。大昔世界大ロマン全集で読んだことがあったけど、あれ抄訳だしね、初読と変わりなし。けどカッフ部長刑事、「庭の千草」じゃなくて「夏の名残りのバラの花」を口笛で吹いてしまう。バラ好き設定からこうだけど、「庭の千草」の方がいいなあ(苦笑)。
改めて読んで「ミステリ」という小説形式が成立するにあたって、いろいろと乗り越えなきゃいけない「社会的課題」みたいなものがよく見えて、そこらへんが謎以上に面白く感じていた。本作だと殺人がなくて、上流階級の家庭内の事件のために、警察権力による介入も最低限くらいなものだ。ヒロインで被害者のレイチェルが真相解明に極めて消極的なために、相談を受けて警視総監が派遣した名探偵カッフ部長刑事だって、真相を何としても解明するというよりも、強引な捜査を控えて「第一期」では解明を諦めて身を引いてしまう。私立探偵よりも弱腰な刑事である(苦笑)。階級社会だから、名探偵なんて使用人の部類なんだよ。だから真相はまあ、顕われるべくして顕われるようなものだ。
本作確かに長いけど、「ロビンソン・クルーソー」を座右の書にする老執事ベタレッジの脱線気味の「第一期 ダイヤモンドの紛失」事件記述が終わると、第二期は複数視点で切り替えながら話が進んでいく。まあこれ本当は一種の叙述トリックみたいに感じるのが今風なのかもしれない。お宗旨狂いのオールドミス・クラック嬢(crack って確か変人、って意味があるよ)もヘンだが、主人公格のフランクリンだってドイツ観念論哲学のパロディを振り回して、結構なギャグキャラなんだろう。しかしエズラ・ジュニングス(名前からしてユダヤ人だろうね...)やロザンナ、といった差別を受けて理解されない悲劇的な人々を見ると、やはりディケンズ風に読ませる「社会小説」でもある。「第二期 真相の発見」になってからが、話のドライブ感が出てきて、最初で挫折するのは、本当にもったいない小説だ。
でまあ、狭い意味での「謎解き」としてはそれほど期待するようなものではないけども、それでも「真相の発見」を動力源にしている小説、という意味ではちゃんと「ミステリ」である。大河ドラマみたいなスパンのある話ではないのに、「運命」みたいなものがきっちり描かれているせいか、読み終わったあとにちょっとした感慨があるのは、やはりこれが「長さに意味がある」話なんだろう。

(深読みかもしれないが、大まかなモチーフでヴァーグナーの「ニーベルングの指輪」に似たところがいくつかあるように思う。ジークフリートの無意識の裏切りとか、レイチェル=ブリュンヒルデとかねえ。そういう視点の批評がないかなあ)

No.5 8点 斎藤警部
(2019/01/31 15:00登録)
“道徳的均衡は回復し、ふたたび精神的雰囲気は、すみわたったような感じになりました。では、みなさま、また話をつづけましょう”

物語は調味も濃い根菜スープのようで導入から夢心地。吸引力の望遠スパイラルでどんな終結が襲おうと受け止めてやる。。。。って未来へのノスタルジア極まる感慨に心のリンパ液も過剰生成。これぞ圧巻の古典。流石に百五十年サヴァイヴァーは違う!そしてこんだけ長いとラストシーンへの予見と思慕もまた格別。悠然と流れ行く大河とその両岸の森林のようでありながら、初めから謎という魅力あふれる刺激物の爆発を匂わせ、嗚呼。。。。今度の帰郷は夜行で行こう。

“人生は一種の標的のようなもので、、、不幸がいつもそれを狙っていて、いつも命中する”

物語はほとんどすべて、インドから強奪された月長石(大きな黄色ダイヤモンドの通称)の英国での更なる盗難事件、に纏わる当人たちが当時を振り返る手記のリレーで構築されます。いっけん嫌味な奴かと思いきや、そのじつ皮肉屋なれど澄んだ心で素晴らしいユーモアを噴霧し続ける老執事ゲイブリエル・ペタレッジとその聖典『ロビンソン・クルーソー』(読みたくなった)。もののはずみとさじ加減によってはイヤミス傾斜にも流れそうな紙一重の芳醇ユーモアを持続させるクラック嬢とその清らなる教え。頼りの弁護士。患った医者。そして。。。。 単に視点が移るのみならず、先行手記への共感やら批評やらあったりして、果たして、事件にまつわる伏線や日常(?)の伏線がそこには巧妙に張り巡らされているのでありましょうか。パロディとユーモアの軸足や分量が語り手に依り推移するからこその長時間興味持続は妙手の選択です。手記群に描かれるは二人の青年と一人の娘、尊属たち、下僕たち、バラモンらしきインド人たち、そして 。。。。。。。。

“夜の出来事がすべてを決定するだろう”

物語の途上で探偵役(本当にそう?)が警察を退職してから再登場。さんざんの不在を託った後で満を持したそのタイミング。好きな薔薇の名前と、論争仲間の園丁も一緒。 

「ぼくのような立場にいたら、それこそ一生涯ですよ。いますぐにも、自分の潔白を証明するために、なにかをしなかったら、ぼくという存在は自分にとって耐えがたいものになるだけです」

もし、あらすじだけ聞いて満足(何たるナンセンス!)したなら、大山鳴動鼠一匹の感を受けるかも知れませんな。はっはっはっ。。 しかしまあ、大英帝国らしく七つの海を股にかけた大河冒険小説というわけでは全然ないのですなあ、舞台もほとんど英国のごく一部だし、じっくり情緒を煮詰めた大時代な恋愛小説ですよね、そこに幾何かの冒険なる通奏低音(微かに聞こえ続ける)と、決して小さくはない謎とその解決が織り込まれている。解決(事実確認)法の大胆さには開拓地が草刈らない、いや開いた口が塞がらないですが!

“人をさばいてはなりません! 信仰の友々よ、人をさばいてはなりません!”

きっと同時代に膨大な量の、今読めば長いだけで詰まらない小説が浮かんでは消えて行ったんだろうなあ、コリンズ自身のも含めて(?)。。なんて当たり前の奇蹟にしみじみ思いを馳せました。 ところで重要な脇役のEJ氏、滝藤賢一を彷彿とさせて仕方ありません。舞台で演じてたりして? 

「こんどの災難のもとは、みんな月長石なんですか ーー それとも、そうじゃないんですか?」

ミステリファンには二種類しかない。月長石を読んだやつと、そうでないやつだ。ってマイルスも確か言ってましたっけ? 私もようやく、前者の仲間入りしました。えへん。

No.4 7点 人並由真
(2017/09/12 16:13登録)
(ネタバレなし)
 ああ、読んだ。読んだ。ミステリ史における本作の重要度をはじめて意識してからウン十年目についに読んだ(笑)。創元文庫版で本文およそ760ページ(しかも同じ創元文庫のほかのいくつかの作品に比して活字の級数は小さめで、そのぶん一ページの字組はぎっしり)。思い立って手に取ってから、読了までにほぼ一週間かかった。

 感想としては、古式で冗長な小説作法と、時代を超えた古典ロマンミステリの面白さが拮抗。21世紀のいま読んでも十分に楽しめるけれど、あまりに丁寧な叙述は人を選ぶかもしれないな、という感じである。

 とまれ物語の中身はキーアイテムであるタイトルロールの月長石の盗難事件と同時に、主要登場人物の群像劇(その主体は錯綜するラブロマンス)にも重点が置かれている。さらに物語の語り手が交代する趣向が(登場人物によって担当パートの長短の差はある)ストーリーの起伏感をうまく加速させている。
 最初の記述を担当するのは、好人物ながら『ロビンソン・クルーソー』への偏愛ぶりがちょっと奇人っぽい老執事ベタレッジ。このキャラクターも良いが、一番笑ったのは二番目の語り手となる貧乏なオールドミスで、キリスト教の狂信者でもあるクラック嬢。誰もがいらないという入信のパンフレットを十数冊持ち込み、屋敷の部屋部屋のなかに、念のため念のためと一冊ずつ置いていくくだりは、ほとんど高橋留美子のギャグコメディキャラである(中島河太郎の解説によると、語り手のなかではこのクラック嬢がいちばん当時の人気があったそうで、さもありなん)。
 逆にいちばん胸打たれたのは、後半で事件の深層に迫っていく医学者のエズラ・ジェニングス(劇中、五人目の語り手を担当する)。容姿の悪さと不遇な半生ゆえに世間からつまはじきにされた彼が、ある人物へのほとんど片思いの友情のため、自分が培ってきた医療技術を全力で傾けるあたりは、その後の去就ともあいまって、夜中に読んでいて大泣きさせられた。
 たぶん作者コリンズが一番感情移入していたのはこのジェニングスか、あるいは前半の重要なサブヒロインのロザンナだろうな。まあいかにもディッケンズの薫陶を受けた著者らしい、古典ロマン的な叙述であった(どちらも外見こそ醜いが、その分、とても人間らしいという共通項がある)。

 んでもって肝心のミステリとしては、なんか時代があまりにも早すぎるアンチ・ミステリを書いちゃったという感じ。しかしその一方で最後の<意外な犯人>(第5~6話)にも余念がなく、作者は当時にあっても、とてもお行儀のいい推理小説の作法も忘れなかった。そんなソツのない作り。
 少なくともこういう作品が150年前にすでに書かれていた興味もふくめて、海外ミステリファンなら一度は読んでおいた方がいいです。俺はウン十年かかったが。
 先のジェニングスのくだりなど、もっと若いうちに読んでいたら、彼のことは、さらにさらに思い入れできるミステリ分野でのマイ・フェイバリット・キャラになったかと思う。 

No.3 6点 nukkam
(2016/05/10 19:08登録)
(ネタバレなしです) 英国のウィリアム・ウィルキー・コリンズ(1824-1889)が1868年に発表された本書は友人であったチャールズ・ディケンズに献呈され、ディケンズが「エドウィン・ドルードの謎」(1870年)を書くきっかけになったとされる、英国最初の長編ミステリーと言われています。名探偵の風格を持ったカッフ部長刑事による捜査と推理があり、ちゃんと謎解きがなされます。但しカッフが一人で真相の全てを見抜くのではなく、幾人かの登場人物がそれぞれ真相の一部を解き明かして最後に全体が見えてくる展開になっているのが特長で、そこはシャーロック・ホームズ型の名探偵による謎解きとは異質です。第一部はやたらと話が脇道にそれて退屈ですが、第二部になると俄然面白くなり一気に読み通せました。階級社会的な言動があったり、事件の再構成に人体実験を行うなど古臭い個所も散見されますが、今読んでも十分に面白い作品です。

No.2 10点 おっさん
(2011/11/15 12:09登録)
月長石(ムーン・ストーン)――それは、持ち主に災厄をもたらすという、インド由来の大粒ダイヤモンド。その紛失をめぐって、イギリスの貴族ヴェリンダー家で引き起こされた騒動が一段落してから、二年が経った。

「このダイヤモンドの事件では(・・・)罪もない人たちが、すでにあらぬ疑いをうけてきている。後々の人たちが頼りにできるように、はっきりしたことを書きのこしておかないと、この先どんな濡れ衣をきせられる人が出るかもわからない。ぼくたち一族にかかわるこの奇妙な事件のことは、是が非でも書いておかなくちゃならないよ」

ヴェリンダー家の長姉の息子、フランクリン・ブレークの呼びかけで、当時、事件に関係した面々が、リレー式に手記を書き継いでいく。執筆にあたって課せられた「個人的な経験の範囲で、しかも、それ以上にはわたらないように」(執筆時に判明している“その後のこと”を書くのは禁止)というルールを守りながら・・・

1868年に週刊文芸誌 All the Year Round (ディケンズ主催)に連載され、同年、三巻本として出版された大作。
読むのは、今回が三回目になります。
初読は中学生のとき。文庫にして800ページ近い分量をもてあまし、全然先に進まないよ、長いわ~、と嘆き、明かされる○○○ネタに脱力。
再読したのは、社会人になってから。友人数名との読書会で、たまたま課題作の一冊になったため手に取り――評価を改めました。たしかに長いし、素材の古風さ(東洋の怪しい宝石の因果噺)に鼻白むけど、良くできたプロットだわ、これ。
真相を承知して読み返すと、人物の言動を含めてエピソードのひとつひとつが、正確に計算されて配置されていることがわかります。科学的に微妙な○○○ネタそのものは、もはやギャグみたいなものですが、それを×××即犯人という趣向と結びつけ、さらにその趣向をフェアに成立させるため、小説本体に巧妙な前提条件を用意している点に、ミステリとしての創意工夫を見――我、誤まてりと思い返したわけです。
それからまた年月が流れ・・・
三読目の今回が、一番、素直に楽しめた気がします。
ポオ直系と言っていい、機械的なプロット構成にもかかわらず、駒として配置されたキャラクターが生き生きと立ち上がることで(コリンズには、そのためのユーモアという大きな武器があります)、その人工性を払拭していくのですね。
ヴェリンダー家の老執事ベタレッジとロンドン警視庁のカッフ部長刑事の造型は、見事と言うしかありませんし、陰のヒロインと言うべき、メイドのロザンナ・スピアマンの悲しい肖像は胸を打ちます。ロザンナの友人が、後半、ある作中キャラクターを前にして「ああ、ロザンナ、あんた、こんな男のどこがよかったのよ?」と呟く場面が忘れ難い。

ポオ以降、ドイル以前の長編であり、現代的な“本格”の基準ではかることは出来ませんが、凝らされたミスリードの技巧といい、フェアな構成といい、厚みのある人物像といい、ガボリオの『ルルージュ事件』と並ぶ、堂々たる古典の雄篇です。
本作を手にして、ダルい、つまんねー、勘弁して~、という感想をもたれる向きもあることは、想像に難くありません。
でも。
できればそんなかたも、本を手元に置いて、筆者のように10年、20年経ったのち、あらためて読み返してみると、また違った感想をもてると思います。そうしたカタチの再読を、心からお勧めします。
その年の話題をさらうような、尖鋭的な新作のあらかたが姿を消していっても・・・本書は依然、静かに読み継がれていくでしょう。
不易の作です。
そう、作中の、黄色(イエロー)ダイヤモンドの輝きが永遠なように。

(追記)その後、コリンズの『白衣の女』を初めて読み、そちらも大いに楽しんだわけですが(くわしくは同書のレヴューをご参照ください)、両作の面白さの要素は異なり、その違いを考えたとき、『月長石』はやはり「本格」というジャンルに置くことがふさわしいと判断し、ジャンル投票しました(2012・11・14)。

No.1 7点 mini
(2011/04/19 09:59登録)
そんな時間帯にTV観ないから気が付かなかったが、先週からフジテレビ系列の”昼ドラ”で『霧の中の悪魔』というドラマがスタートしていた
驚いたのは原作がW・コリンズの「白衣の女」だという
こんなゴシック小説のようなのを昼ドラでやるのかとも思ったが、考えてみたらもっと新しい時代の作ならば昼ドラなんかじゃなくて普通にゴールデンタイムの2時間ワイドドラマとかでやるよな
ゴシック小悦風だからこそ昼ドラ向きだったのかも知れん

未読の「白衣の女」は一応岩波文庫版全3巻を持ってるが、なにしろ文庫3巻通して1000頁越えの大作なので簡単には読めない
そこで今回は「月長石」の書評とさせてもらう
W・コリンズは探偵小説の歴史ではポー以降ではあるがホームズ以前の作家で、その両者の間を埋める作家の1人である
「月長石」より8年も前に書かれた「白衣の女」はやや旧式のゴシック風小説らしいのだが、「月長石」は一歩踏み出してモダンな探偵小説に近づいた作と探偵小説的には言われている
たしかに探偵役の捜査方法などにそれは伺えるが、だからより面白くなっているかってぇ~とそれもまた微妙
例えば旧態依然の探偵作家と見なされているエミール・ガボリオだが、「ルルージュ事件」なんか読むと話の展開は古臭いとは言えそれなりに面白かったのだ
「月長石」は古臭さと近代的探偵小説的の部分とが必ずしも上手く融合して無い感じもするのだよな
でもホームズ以前の時代にあって、探偵小説の発展への寄与とう観点では、同作者の「白衣の女」や前出のガボリオ「ルルージュ事件」よりも近代に一歩近づいたという功績は認めるべきだろうな

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