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ミステリの祭典

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shimizu31さんの登録情報
平均点:7.86点 書評数:7件

プロフィール| 書評

No.7 7点 月長石
ウィルキー・コリンズ
(2022/09/09 22:13登録)
再読であるが40年近く前のことで内容はほぼ全て忘れていた。ただ前回は老執事ベタレッジの手記に愛着を覚えたような気がするが今回は前半300頁は冗長で興味の持続に苦労した。後半からは徐々に緊迫感が増してきて驚愕の展開が次々と起こり最後はどうなることかとハラハラしながら読み続けることができた。

前半は、月長石の消失、感化院出身の女中ロザンナを巡る騒動、令嬢レイチェルの結婚問題等が並行して進んでいくが書き手のとぼけぶりも影響してか今一つピンボケの感があった。ただ世慣れた老執事ベタレッジが我を忘れる場面(p261)にはそのストレートな表現に思わず感涙してしまった。狂信的なカトリック教徒のクラック嬢の寄稿も読者の嘲笑を誘うように描かれているが、周りから白眼視される中でも挫けずに信念を貫こうとする姿は健気ながら哀れであり考えさせられた。特に銀行家エーブルホワイト氏が登場する場面(p423-440)は劇的なクライマックスの一つになっており盲目的な信仰者との断絶が見事に表現されている。

後半のブラッフ弁護士の寄稿(p441)からは再度月長石の問題に戻り謎解きも本格化し前半の伏線も次々と回収されていく。ただ純愛ロマンスが根柢にあり人間心理が理想化され過ぎていてわざとらしいという感もある。トリックはやはり拍子抜けと言わざるを得ずその証明のための実験も綿密に展開されてはいるがそもそもの根拠が薄弱であり結果も出来すぎといえよう。物語としては十分面白いが謎解きミステリとしては古典とはいえやはり1930年代以降の傑作群には及ばないか。

探偵側としても前半の捜査は手ぬるいと言わざるを得ない。レイチェルの証言拒否があったとしてももっと徹底的に取り調べれば解決は容易だったようにも思われる。ただ本作はパズルを解くというよりも人間心理をベースにした濃密な物語を味わうというものであろうからそういう意味では十分に成功している。真相への道筋も行ったり来たりの多重解決のような感があり謎解きとしては十分な充実感があった。ただ純愛ロマンスも結局はゲームの仕掛けに過ぎなかったという安直な感じは否めなく、人間心理の深みや奥行きという点では同じ作者の「白衣の女」や「ノー・ネーム」の方に軍配を上げたい。

以下、登場人物一覧に無い人物を補足しておく。

アデレイド(故人):ジュリアの長姉、フランクリンの母、ブレーク氏の妻
カロライン:ジュリアの次姉、ゴドフリーの母、エーブルホワイト氏の妻
ジョン・ヴェリンダー卿(故人):ジュリアの夫、レイチェルの父
セリナ・ゴビイ(故人):老執事ベタレッジの妻
ブレーク氏:高名で莫大な財産家、フランクリンの父、アデレイドの夫
ナンシー:ヴェリンダー家の女中
アーサー・ハーンカスル(名前のみ):ジョン・ハーンカスル大佐の兄
サミュエル:側付きの召使、給仕
エーブルホワイト氏:フリジングホールの銀行家、ゴドフリーの父、カロラインの夫
ゴドフリーの二人の妹
フリジングホールの牧師
スレッドゴール夫人:ヴェリンダー家の客人
料理番の女:ヴェリンダー家の使用人
奥さま付きの女中:ヴェリンダー家の使用人
一番女中:ヴェリンダー家の使用人
ヨーランド夫妻:コブズホールの漁師夫妻、ルーシーの両親
ベグビー:園丁頭
モートビー:フリジングホールの呉服商
ジョイス:フリジングホールの警官、シーグレイヴ警察署長の部下
ジェイムズ:ヴェリンダー家の御者
ダッフィ:ヴェリンダー家の庭の草刈りを手伝う少年
ジェフコ氏:ブレーク氏(父)の従者
スモーレー:スキップ・アンド・スモーレー法律事務所の弁護士(?)
マカン夫人:インド人が住んでいた宿屋のおかみ
タミイ・ブライト:コブズホールで網をつくろっていた少年
園丁のおかみさん:ヴェリンダー家の使用人
グーズベリー(オクタヴィアス・ガイ):ブラッフ弁護士の事務所の走り使いの少年
ブラッフ弁護士の事務所の主席書記


No.6 8点 白衣の女
ウィルキー・コリンズ
(2022/08/29 23:17登録)
純愛ロマンスをベースにイギリス上流階級の家庭内の陰謀を巡るサスペンスがじっくりと進行していく。各人物の日記や手記で構成され一人称の語り手により感情や推理等が濃密に描かれていく。岩波文庫の上中下の三巻で読んだが上巻の前半まではやや冗長であったがそれ以降は誰が敵で誰が味方なのか次第に疑惑が深まり徐々に迫って来る危機に手に汗を握る展開となる。会話も濃厚でくどいところもあるが各人の個性が浮かび上がり自然でわかりやすい。

謎解きミステリとしては知恵比べが始まる中巻からが本領を発揮し語り手には気が付かない隠された意味や謎が伏線となって散りばめられる。下巻からは完璧に張り巡らされた網をいかにくつがえすかという探偵編となるが不可能を可能にしようという主人公の熱意と行動力により中巻までの伏線が次々と回収されていく。ただ下巻後半からは活劇のような展開となりやや拍子抜けであったが読後感としては全体の壮大さと緻密さに圧倒された。

上巻の「序」の冒頭に「これは、一人の女の忍耐力がいかなることに耐えることができ、一人の男の不屈の精神力がいかなることを成し遂げることができるか、についての物語である」(上巻p7)とあるが、読む前は「何と大げさな」と思ったのであるが読後は「なるほど確かに」と納得した次第である。

登場人物としてはやはり男性陣の迫力がすごい。特にパーシヴァル卿とフォスコ伯爵の強烈な個性は他のミステリではなかなか味わえないのではなかろうか。この二人の人格自体が謎解きの対象となっているのがミステリの作りとして奥行きが深く格調が高い。特に中巻の終盤におけるパーシヴァル卿とローラの別れの場面は読み返してみるとパーシヴァル卿の心理が鮮やかに浮かび上がっており印象深かった。

一方、女性陣、特に主役の二人は理想化あるいは類型化されすぎており人間ドラマとしての現実感が乏しく興ざめであった。本作ではやはりロマンスが重要な要素であるため男性側から見た理想像として描いたということなのであろうか。

全体としては本作を謎解きミステリとして見るとやはりロマンスの部分がくどく冗長感は否めない。また下巻後半の活劇部分も物語としては十分面白いがギルモア弁護士に助力を頼む等の別のアプローチも可能だったという気もする。本作は恋愛+謎解きの融合作品として見るべきかもしれないが謎解きの部分が緻密で非常に完成度が高いだけに全体としてはやや中途半端という感が否めない。

以下、登場人物一覧に無い人物について補足しておく。

<上巻>
デムスター:フェアリー夫人の設立した小学校の校長
ジェイコブ・ポスルスウェイト:同学校の生徒
トッド:フェアリー家の農場の夫人
ハナ:トッド夫人の二番目の娘
メリマン:パーシヴァル卿の顧問弁護士
ルイ:フェアリー氏の従僕
アーノルド家:ヨークシャーに住むマリアン、ローラ姉妹の友人一家
ケンプ夫人:キャセリック夫人の姉

<中巻>
バクスター:ブラックウォーター・パークの猟場番
ベンジャミン:ブラックウォーター・パークの馬丁
カール:ギルモアの弁護士事務所の共同経営者
マークランド夫妻:パーシヴァル卿の友人
ファニー:リマリッジ館以来のローラの女中
マーガレット・ポーチャー:ブラックウォーター・パークの太った女中
ドーソン:医者
ルベル夫人:看護婦
ヘスター・ピンポーン:フォスコ伯爵邸の料理女
グッドリック:医者

<下巻>
ドンソーン少佐:ヴァーネック・ホールの住人
フェリックス・グライド:パーシヴァル卿の父
セシリア・ジェーン・エルスター:パーシヴァル卿の母
ウォンズバラ:教区書記


No.5 9点 ノー・ネーム
ウィルキー・コリンズ
(2022/08/14 00:26登録)
イギリスの裕福な上流階級ヴァンストン家の美しい令嬢姉妹ノラとマグダレンは愛情あふれる両親とともに幸せな家庭生活を送っていたがある日突然全ての財産と姓を失い(ノー・ネーム)自力で生活しなければならない境遇に転落してしまう。内向的で穏やかな姉のノラはそれを受け入れるが外交的で気性の激しい妹のマクダレンは我慢できず、詐欺師を自称する遠い親戚のラッグ大尉と手を組み失われた財産を取り戻すべく大胆不敵な陰謀を企てる。相手すべき敵は、プライドが高く狭量で世間知らずのノエルとその母親的な役割で長年仕えてきた狡猾なレカウント夫人。ラッグ大尉とレカウント夫人との騙し合いやバートラム海軍少将が隠し持つ秘密文書を巡る攻防の果てに最後の試練がマグダレンを待ち受ける…

臨川書店のウィルキー・コリンズ傑作選3(上巻)、4(中巻)、5(下巻)を読んだが、1頁上下2段組で3巻全部で667頁の大作である。上巻前半まではやや冗長であるがその後は次の展開が気になって下巻の最後まで一気に読めた。全体的にはゆったりとした進行で時間を贅沢に使っている感じであるが伏線もわかりやすく生き生きとした会話や手紙などにより各人物の心理や感情がきめ細かく描かれていく。陰謀を巡る推理も色々な可能性を一つずつ吟味していくといった本格的な謎解きの醍醐味がある。中巻まではゲーム感覚のようなやや深みに欠けるイメージがあったが下巻に入ってから特にバートラム海軍少将の屋敷での出来事のあたりからはユーモラスの中にも切迫感や重厚感があり見事な出来栄えとなっている。最後の謎も事前に伏線が描かれておりそれが最後の試練につながるという展開も格調高い。ロマンスに関してはやや安直な感じもするが読者へのサービスという面もあったのであろうか。

下巻の末尾にある「著者の序文」に「…この本は、善と悪という二つの相反する力の葛藤に苦しむ一人物の物語である」とあるように、名誉回復のための卑劣な行為への決意とそれに対する良心の呵責の間でもがき苦しむ主人公マクダレンの姿が濃密に描かれていく。また悪の面が強いラッグ大尉、ノエル、レカウント夫人についても善の部分が描かれる。善の代表ともいうべき老嬢の家庭教師ガース先生についても、ノラから「マグダレンはいつも先生のお気に入りだったのですから」と言われ自分の今までに疑念を抱き「まあ!わたし、この年齢になりながら、自分の弱さと卑怯さに今日まで気づかなかったのだわ!」(上巻p127-129)と言わせている。上記テーマの前触れとも考えられるこの場面は人間の苦悩の深さという点で感銘を受けた。

脇役陣も個性的な面々がそろっている。下宿の家賃も払えぬほど落ちぶれた状態で登場するラッグ大尉は「詐欺師とは…人間の同情という土地を耕す人」(上巻p189)と堂々と宣言する。善も悪も結局は似たようなものとするこの考え方は上記テーマの対極にあるといえよう。金儲けにドライに徹するプロではあるがホロリとさせるところもある。このラッグ大尉が「手ごわい邪魔もの」(中巻p17)と予言したのがレカウント夫人である。その登場シーンはなかなか印象的である。「…会ってみると、穏やかな人当たりのよい態度の婦人だとわかった。服装は最高に趣味がよく、きちんとした、質素な主婦に相応しい。顔つきは年齢に打ち勝って若さを保っているように思わせる。もし実際の年齢よりも十五か十六サバを読み、三十八歳だと言ったとしても、それを疑う者は男なら千人に一人、女なら百人に一人しかいなかったろう…」(中巻p35-36)という表現はユーモアを交えながらも凄みを感じさせるものがありこれからの展開を期待させる。このレカウント夫人とラッグ大尉との知恵比べが中巻のメインとなるが推理やサスペンスの点でミステリとして最も読み応えがある部分といえよう。

ラッグ大尉の妻のラッグ夫人は若干の知的障害を持つ身長190センチ近い巨人で、いつも周囲に迷惑をかけてしまって謝ってばかりいるという可哀そうな役どころであるが、マグダレンから「許して、ですって!あなたみたいな罪のない人はこの世に…」(中巻p65)と言われるほど善側の性格である。しかし本人は自分が悪いと思い込んでいるわけでここにも上記テーマのバリエーションがある。また駄々っ子のように買物に行きたがりラッグ大尉から怒鳴られて泣き出した後にマグダレンから慰められて涙をふく場面のセリフ「ありがと。あたしのハンカチを見ないでね。とっても、ちっこいんだから!…」(上巻p211)は哀れを誘いラッグ夫人の性格が鮮やかに浮かび上がる見事な表現である。

傲慢なノエルは自分は賢いとうぬぼれているが実際には簡単に騙されてしまうという愚かな役どころであるが、虚栄心の裏側にある劣等感や繊細なこわれやすい性格はレカウント夫人との会話劇の中で見事に表現されていく。時々レカウント夫人を思いやる態度も見せ、ここにも悪と善の混然一体といった上記テーマのバリエーションが感じられる。

飲んだくれのメイジー爺さんはバートラム海軍少将の忠実な部下で屋敷の裏庭で舩の模型を作ったり手入れをしたりしている。その神出鬼没ぶりや「残念じゃのう」(下巻p149,155)を繰り返すあたりはもしかしたら作者は神の視点を象徴させているのではなかろうか。もしそうであればここにも上記テーマのバリエーションがあるといえよう。

1862年出版の本作は長大のため1930年代の本格推理小説と比べると冗長という感もあるが、事件の謎の解決が中心テーマではなく上記のような善と悪という主題を軸にして織りなす様々な人間模様を描きそれを味わうことが主眼となっていると思われる。各登場人物の細かい心理や言動のそれぞれが謎解きの対象でありそういう意味ではミステリとしても最高峰の完成度を誇るといえるのではなかろうか。

本書には登場人物一覧がなかったので以下に補足しておくことにする。

<上巻>
アンドルー・ヴァンストン:イギリスの裕福な上流階級でクーム・レイブン邸の主人。
ノラ・ヴァンストン(ヴァンストン夫人):アンドルーの妻
ノラ:アンドルーの長女(26歳)
マグダレン:アンドルーの次女(18歳)
ハリエット・ガース(ガース先生):住み込みの家庭教師
トマス:従僕
クレア:隣に住むアンドルーの友人
フランシス・クレア(フランク):クレアの長男
マラブル夫妻:ブリストル市の商人でアンドルーの知人。エヴァグリーン・ロッジ邸の主人。
ハクスタブル:演劇公演のマネージャで俳優
ホレイショ・ラッグ(ラッグ大尉):ヴァンストン夫人の遠い親戚
マチルダ・ラッグ(ラッグ夫人):ラッグ大尉の妻。ダーチ食堂の元ウェトレス。
ウィリアム・ペンドリル:アンドルーの弁護士
マイケル・ヴァンストン:アンドルーの兄
セリーナ・ヴァンストン:アンドルーの姉(故人)
ノエル・ヴァンストン:マイケルの息子
ジョージ・バートラム:ノエルの従兄。セリーナの息子。

<中巻>
ヴルジニー・ルコント(レカウント夫人):マイケル、ノエル親子に長年仕える召使頭。
ルコント教授:レカウント夫人の夫(故人)。有名なスイスの自然科学者。
アーサー・エヴァラード・バートラム(バートラム海軍少将):ジョージ・バートラムの伯父。マイケルの友人。セント・クラックス邸の主人
ウィリアム・ストリックランド:教区牧師
リジー・ストリックランド(ストリックランド夫人):その妻
ロバート・カーク:商船船長。リジーの兄。
トーマス・バイグレーブ:ラッグ大尉の変名
ジュリア・バイグレーブ:その妻。ラッグ夫人の変名
スーザン・バイグレーブ:その姪。マグダレンの変名
ルイザ:小間使

<下巻>
ティレル家:ノラの家庭教師としての勤め先
ジョン・ロスコム:ノエルの弁護士
アルフレ・ド・ブレリオ:私立探偵所長
ガードルストーン夫人:ジョージ・バートラムの姉。セリーナ・ヴァンストンの娘。
アッドウッド夫人:ロスコム弁護士事務所の召使頭
ソフィア・ドレイク(ドレイク夫人):バートラム海軍少将の召使頭
メイジー爺さん:バートラム海軍少将の忠実な部下。セント・クラックス邸に住む。
ブルータス:バートラム海軍少将のラブラドル犬(鼻が黒)
カシアス :バートラム海軍少将のラブラドル犬(鼻が白)
サー・フランクリン・ブロック:バートラム海軍少将の旧友
トマス・ネイグル:靴屋
ドークス:バートラム海軍少将の農場管理人の部下
キャサリン・ラドック(ラドック夫人):ロンドンのセント・ジョンズ・ウッドの下宿の女主人
メリック:医師


No.4 6点 処刑6日前
ジョナサン・ラティマー
(2020/03/15 23:53登録)
ハードボイルド風の本格推理だが今一つ中途半端か

若い頃読んだ時はあまり印象に残らなかったが「モルグの女」や「シカゴの事件記者」の作者がタイムリミット物をどのように描いていたのか等に注意しながら再読したが結果はやはり今一つというものだった。

処刑まであと6日に迫った死刑囚ロバート・ウェストランドを救うために私立探偵ウィリアム・クレーンとドック・ウィリアムズがシカゴを舞台に密室殺人の謎を解きギャングを相手にしながらハードボイルド風に真相を突き止めていく。文章はわかりやすく会話も洒落ていてテンポよく読めたが全体的にドタバタ喜劇調でタイムリミットの緊迫感に欠け安っぽい感じが否めない。クレーンは名探偵として本格推理を展開するが酔いどれで暴力も厭わず決して正義の使者ではない。ヴァン・ダインやシャーロック・ホームズを皮肉るような記述もありあえて偽悪的に描いているようにも思われる。従来の本格物とは一線を画するといった意図があったのかもしれないが結果としては本格推理でもなくハードボイルドでもないといった中途半端な感じがある。

人物描写は現実感はあるがハードボイルド風にするためかわざとらしさも感じられる。事件としてはそれほど複雑ではないので頁数の割には料理や服装、インテリアのような枝葉末節の記述が多くミステリとしては内容的に薄い感じが否めない。ほとんど意味のない拷問シーンや事件に全く無関係な人物の登場等全体的に作りの浅薄さを感じる。見た目の面白さをや映像化されることを意識しているのかもしれない。ウェストランドを含め3人の死刑囚の描写は生々しく迫力があるが事件との関連性が薄いのが惜しまれる。密室トリックも密室物を読み慣れている読者には容易に推測可能なものである。

拳銃に関しては「ちょっとした純帰納的推理」(p301)が展開されるが、これはいかがであろうか。ユニークではあるが推理としてはまぐれあたりという感もある。犯行計画の面でもリスクが高く犯人側としては別の拳銃の方が安全だったわけでこれも解決ありきの仕掛けといった不自然さが否めない。偽装電話のトリックも犯行計画の面ではリスクが高く強引ではなかろうか。ウェストランドを誘い出すためならより安全な別の方法もあったと思われる。結果的にはこの両者が決め手になるわけでやや興ざめであった。

「モルグの女」や「シカゴの事件記者」と同様に登場人物が多い。読んでいて楽しめる面はあるが登場させる必然性があまり感じられず作品としての完成度を考えるやはり冗長でありマイナスであろう。


No.3 7点 殺意
フランシス・アイルズ
(2020/03/08 16:24登録)
名作とは思うが作り過ぎの不自然さも否めない

若い頃読んだ時はあまり印象に残らなかったが作者がアントニイ・バークリーと同一人物であるとは知らなかった。推理小説という形式自体へ疑問を持つバークリーが倒叙形式として本作をどういう意図で書いたのかという興味を持ちながら再読してみたが結果はあまり高い評価にはならなかった。

序盤は田舎町での男女のゴシップ話が中心で緊迫感が今一つであるが主人公の医者エドマンド・ビクリー博士が妻ジュリアへの殺意を抱くあたりからはサスペンスが増して第二の事件から裁判まで一気に読めた。ただしやはり主人公の女性に対するあまりに不実な性格は読んでいて不愉快であり全く感情移入ができなかった。最初はジュリアが悪役風であるが途中からは超然としながらも夫を信じ続ける姿に感銘を受けた。このあたりの仕掛けは上手いと思ったが知的で謎めいたマドレイン・クランミア、一途でいじらしいアイヴィ・リッジウェイを含め現実にこのような女性がいるであろうかという点ではやはり不自然である。主人公の揺れ動く心理を描くための脇役としては効果を挙げているが人物描写としてはわざとらしい感じは禁じえない。特にマドレインは前半と後半で違い過ぎて興ざめであった。

倒叙形式としては犯人側の動機や犯行計画は克明に描かれており主人公の恋情、憎悪、自信、不安といった感情の揺れ動きが十分に実感できて読み応えがあった。ただ全体的にとぼけた感じもあり深刻な悲劇という雰囲気はない。このへんは推理小説という形式への皮肉の表れなのかもしれない。

論理性については終盤で細菌に関する新事実が判明するまでは問題ないが、このあたりから詳細な説明が省略されており第二の事件の真相は結局どういうことだったのかよくわからなかった。額面通りに解釈すれば十分に立証されていると思うのだが「細菌学における彼の大失敗が、思いがけなく役に立った」(p352)とあり意味不明である。さらにこれが伏線となって最終頁のエピローグにつながるわけであるが、これはアリバイを考えるとあり得ない話であり蛇足としか思えなかった。

全体的には倒叙形式の名作として迫力に満ちておりその完成度も十分高いが面白くしようとしてやや作り過ぎている点がマイナスであろうか。


No.2 10点 わたしの愛した悪女
パトリック・クェンティン
(2020/02/29 15:29登録)
濃密な心理サスペンスが融合した本格推理の最高傑作の一つ

二十代から三十代にかけて3回は読んでいるがいずれも本格推理の最高峰の一つという高い評価だった。内容的にはかなり記憶していたので今回は登場人物の心理描写や行間から伝わる作者の思い等、細かい点に注意しながら読んだみた。結果はやはり推理という点では「二人の妻をもつ男」や「愚かものの失楽園」を上回る出来栄えで本格物の最高傑作の一つではなかろうか。

誠実だが内向的で優柔不断な青年社長アンドリュー・ジョーダンは「白バラのように」美しい妻モリーンの浮気疑惑に悩んでいた。原題である"THE GREEN-EYED MONSTER"とは嫉妬の感情を意味するとのことだが作中でもアンドリューが自分をオセロに例える場面(p29)がある。また、それはエメラルド色の目を持つモリーン自身も表わすという二重の意味になっている。

序盤でモリーンは何者かによって銃殺されてしまうがアンドリューは愛する妻を殺害した真犯人を追う中で妻を含め家族の真の姿を次々と知らされることになる。二転三転する犯人像とともにモリーンの自分に対する愛が本物だったのかあるいは裏切られていたのかという最も肝心な疑惑も二転三転していく。関係者との緊迫感あふれる会話劇の中でいつのまにかアンドリューの手元に些細な手掛かりが集まってくる。それが終盤で真相へと導いていくという展開は手に汗をにぎるサスペンスに満ちておりクェンティンならではのものがある。特に最終の第19~21章は劇的なクライマックスとなっており関係者が次々と集まってくる中で追い詰められたアンドリューが焦燥と苦悩の中で自問自答を繰返し二転三転しながら鮮やかに事件を解決する。

登場人物も個性的な面々がそろっている。主人公アンドリューは父の小さな板紙会社を継いだ仕事一筋の真面目人間。活発でパーティ好きのモリーンはアンドリューの前では貞淑な妻を演じているが陰では何をしているかわからない。アンドリューの弟ネッドは有閑階級の家を転々としている渡り者でにっちもさっちもいかなくなると兄に泣き込んで来るといった困り者。アンドリューの母ノーマ・プライドは四度も結婚して大金持ちになった貴婦人で新聞のゴシップ欄に出るほどの有名人。アンドリューの義父でノーマの現在の夫レム・プライドは俳優で堂々たる体躯の軍人タイプの美男子だがアンドリューの前ではいつもうしろめたい顔つきをする。モリーンの従妹で資産家サッチャー家の令嬢ローズマリーは最近ヨーロッパ(ローザンヌ)の花嫁学校を卒業したばかりだが度の強い眼鏡をかけており気の毒なほど不器量。ローズマリーの母でモリーンの叔母マーガレット・サッチャーはおしとやかでキリスト教徒的な慈悲心を持ちブリッジを趣味とする。マーガレットの夫ジム・サッチャーは莫大な資力を持つ上品な銀行家で工業設計にたずさわる。ローズマリーはマーガレットの連れ子でサッチャー氏にとっては義理の娘になる。アル中の元女優でモリーンを自分の無二の親友と称するルナ・ラ・マルシュ。モリーンの男友達でニヒルな皮肉屋ビル・スタントン。事件を担当するムニー警部は典型的な警官で大きな顔に小さな青々とした目が用心深く光る。

人物描写はいつもながら見事である。アンドリューと男性陣との会話では不甲斐ない男たちの生き様が生々しい迫力をもって描かれていく。女性陣も十分に現実感がありアンドリューを巡ってモリーン、ノーマ、ローズマリー、マーガレット、ルナの5人が登場するがいずれも男性から見た女性の理想像のある一面を体現しているようにも見える。それは行間から感じられる作者の想いとして各人への敬愛の念といったものが暗示されているような気がする。そういう意味では本作は大人の童話といった雰囲気もある。ムニー警部もアンドリューの目線では頭の固い俗物のように描かれているが作者の目線からは人間を審判する神のような超然としたイメージが感じられる。特に尋問の最後にアンドリューに手を差し出すシーン(p67)や第19章で深夜にも関わらず電話に即座に出るシーン(p197)は人間を傍らで常に見守っている良心といったものを象徴しているといったら読み過ぎであろうか。

本作では所々にアンドリューの子供の頃からの母ノーマへの劣等感を克服できない心情が絶妙に描かれている。また他の人物と比べて如何にアンドリューが世間知らずの甘い性格であるかが強調されていく。第15章はネッド、ローズマリーとの会話の中でサッチャー夫人から電話がかかりムニー警部が明日アンドリューを逮捕する予定であることが告げられる。なすすべを失ったアンドリューは一人でわびしく自宅へ帰るわけであるがこの場面映画の一シーンを見るかのように各人各様の心情が鮮やかに浮かび上がっており感銘を受けた。特にセリフは少ないながらもアンドリューの絶望感の表現が見事である。

その不甲斐ないアンドリューが最終章で面目躍如の働きを見せるわけであるが、特に「警視庁の殺人課の者ですが・・」(p216)と言って電話をかけるシーンは拍手喝采であろう。アンドリューの最後のセリフはアンドリューの再出発を思わせるもので本作中の数少ない救いの一つになっているが同時に前述の作者の想いが感じられるところでもある。クェンティンの他の作品でも同様な想いが感じられるのであるが主人公の感情の記述の陰に隠されているものが多い。本作ではそれを隠さずに明示的に表わしたのではなかろうか。

本作で残念な点はモリーンは最終的に何を狙っていたのかがよく考えると矛盾している点である。モリーンの気まぐれな性格を考えると作者の意図はある程度想像はできるが、事件の経緯にも密接に関わる点であり作者の言葉として暗示する程度でもよいので示してくれれば完成度はもっと高まったと思われる。


No.1 8点 孔雀の羽根
カーター・ディクスン
(2020/02/02 21:11登録)
究極の不可能性に脱帽だが解決には無理があるか

若い頃読んだ時は途中までは非常に面白かったが最後が今一つという印象だった。急いで読んだためか内容的にもよく理解できなかった。今回はじっくりと再読してみたのだが評価はやはり前回と同様であった。

冒頭に提示される密室殺人は、マスターズ首席警部を含めて3人の警察官が外から監視する部屋の中で銃殺されるというもので、凶器の拳銃も残されており如何にして犯人はその場から消失したかという謎は数々の密室事件の経験を持つマスターズ首席警部でも「今度が初めて」(p51)と驚くほどの究極の不可能性がある。HM卿も終盤で以前の作品(白い僧院の殺人)の中で総括した密室状況に関する自説に不足があったと誤りを認め、今回の事件のトリックが「もっとも手際がよく、もっとも賢明な方法だ」(p295)と述べている点でも作者の本作に対する自信のほどが伺われる。確かに仕掛けは奇想天外でその独創性には脱帽するしかないがその解決はやはりかなり無理がある。カー作品は現実性の枝葉末節は目をつぶってでもトリックの意外性を楽しむという面はあるが本作はそのあたりを割り引いても強引すぎるという感がある。

事件発生後前半3分の2までは関係者の証言とHM卿達の議論で物語が進んでいくが前夜に行われたパーティ等を含め次第に事件の全容が明らかになる展開はサスペンスに満ちている。他のカー作品では終盤まで実質的な進展がなく退屈させられる場合が多いが本作は意表を突く展開が続きグイグイと引き込まれた。関係者の証言も人によって意味合いが変わっていくという展開もカーらしいドタバタで読者を楽しませてくれる。第14章の見出し「この章には、重要な記録が読者の前に提供される」も刺激的で内容的にも簡潔でわかりやすく読み終わってから振り返って見ると納得できるものがある。終盤の第15章「暗き窓」からは新たな展開となるがここから解決までは緊迫感にあふれ関係者の一問一答に手に汗を握るものがあり見事な出来栄えとなっている。

登場人物も個性的な面々がそろっている。被害者は冒険好きの大金持ちの青年ヴァンス・キーティング、ヴァンスの婚約者であるフランシス・ゲールは女性プロ・ゴルファーで新聞から一番立派な若いスポーツ・レディの一人と評されている。ヴァンスの従兄弟で小心な株式仲買人フィリップ・キーティング、ヴァンスの法律顧問を務める老弁護士で不気味な雰囲気のあるジェレミー・ダーウェント、ダーウェントの妻ジャネット・ダーウェントはHM卿から「ケンジントンの魔女」と呼ばれる美女で小悪魔的な魅力で男性を翻弄しマスターズも餌食にされそうになる。ヴァンスの親友であるロナルド・ガードナーは旅行記等を書く作家でクリケットの名手、6か月前に亡くなった老美術商の息子で家業を引き継いだ沈着冷静なベンジャミン・ソアの7人である。男性陣はなかなか迫力があるが女性陣はやはり類型的であまり現実感がないのは仕方ないところであろうか。

全体的には喜劇調のドタバタの中で深刻さはなく軽く楽しく読める内容となっている。本格推理としてはトリックは巧妙だが犯人側の心理面、犯行動機、犯行計画という点ではやはり今一つという感じがあり途中までの完成度が高い分惜しい気がする。

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