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Tetchyさん
平均点: 6.73点 書評数: 1601件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.13 8点 黒猫の三角- 森博嗣 2016/02/20 00:33
S&MシリーズよりもこのVシリーズの方が私の好みに逢うのはメインの登場人物たちが個性的であるのもそうだが、何よりも西之園萌絵の不在が大きい。あの世間知らずの身勝手なお嬢様がいないだけでこれほど楽しく読めるとは思わなかった。確かに瀬在丸紅子もお嬢様だが、30歳という年齢もあってか、どこか大人の落ち着きが見られ、不快感を覚えなかった。

そしてまさかまさかの真犯人。しかしこれこそ読者に前知識がない、シリーズ第1作目だから出来る意外な犯人像。タブーすれすれの型破りな真相を素直に褒めたい。

しかしそんな驚愕の真相の割には殺人事件のトリックは意外と呆気ない。1999年の作品だがこんなチープなトリックを本格ミステリ全盛の当時で用いるとは思わなかった。

ともあれ保呂草潤平、小鳥遊練無、香具山紫子、瀬在丸紅子らの織り成す居心地の良い新シリーズはまさに波乱に満ちたシリーズの幕明けとなった。正直S&Mシリーズは世評高い1作目を読んでもそれほど食指が動かなかったが―多分に西之園萌絵のキャラクターがその原因であったのだが―今度のVシリーズは今後の展開が非常に愉しみだ。

ところで何故Vシリーズって呼ぶの?

No.12 9点 地球儀のスライス- 森博嗣 2015/12/25 23:30
とにかく冒頭の3編が素晴らしい。「小鳥の恩返し」の湛える大事な物を喪った切なさ、「片方のピアス」の禁断の恋に溺れるカップルが迎える悲劇、全編手記で展開する「素敵な日記」の読めない展開が最後に一気に想像を遙かに超えた、そして全てが腑に落ちる驚愕の真相と立て続けに打ちのめされる。

その後には完結したS&Mシリーズが短編で2編収録されているのはファンとしては嬉しいサーヴィスであろう。特にその2編では今まで前作に登場しながらも萌絵の影となり支えてきた執事の諏訪野にスポットを当てているのが興味深い。しかもそれらは日常の謎系のミステリでほのぼのとした雰囲気が心地よい。萌絵の非常識ぶりも抑えられていて、これなら普通に読むことができる。

そして次は幻想小説が続く。
作者の幻想趣味が短編では存分に発揮されている。「僕に似た人」、「有限要素魔法」、「河童」の3編。幻想強度としては「河童」<「僕に似た人」<「有限要素魔法」の順になろうか。特に「有限要素魔法」は有限要素法とは関係がないように思えるのだが。

そして最後はオーソドックスでありながらもやはり心に強く残る、想い出の物語。「気さくな人形、19歳」は老人が自分の亡くなった娘にそっくりな女子大生に共に過ごすだけのバイトを頼む。それは自分の財産を娘に残すために老人が周囲に打った芝居というのが動機なのだが、ここはやはりそんな理由ではなく、偶々テレビで見かけた自分の娘そっくりな女性を発見したことで適わぬ想い出づくりをしたかったのだろう。そしてその役目を務めた小鳥遊練無の魅力的な事。イントロダクションに相応しい快作だ。
そして最後の「僕は秋子に借りがある」は実に美しい物語だ。物語が閉じると同時に木元が感じた思い、つまりそれは題名「僕は秋子に借りがある」と思わされる。この物語は作者の想い出に似た宝石のようなものがこぼれ落ちて生まれたようなものなのだろう。当然ながらこれが個人的ベストだ。

しかし小鳥遊練無といい、秋子といい、森氏の描く女性は難と魅力的なことか。西之園萌絵には最初から最後まで辟易し、この短編でも好感度が増すことがなかったので、正直森氏の女性像には失望していたのだが、本書ではその考えを180度変えざるを得なくなった。いやあ次のVシリーズが愉しみになってきたぞ!

No.11 10点 有限と微小のパン- 森博嗣 2015/11/23 00:54
シリーズ中最も厚い文庫本にして約850ページの大作。そしてそのボリュームに呼応するかのように次々と事件が発生し、様々な仕掛けが物語全体に仕掛けられている。
森氏はギアを1速からいきなり4速へと加速するかの如く次から次へと事件を謎を畳み掛ける。

方々に散りばめられた小ネタとも云える謎が早々と解き明かされるが、これが一つ一つレベルが高く、たびたび「あっ!」と声を挙げてしまうほど驚かされた。

(以下ネタバレ)

一連の殺人事件は案外あっさりと解決される。特に動機なんてものは実になおざりに処理される。
ただ私が思ったのはこの真相はいわゆる世に流布するミステリ全般に対する森氏の皮肉ではないか?ということだった。
一般的に市民が殺人事件に出くわす確率はそう高くはない。私自身、直接的間接的にせよ、殺人事件どころか刑事事件に関わったことはない。本書でわざわざ長崎まで出向いた西之園萌絵がそこで事件に出くわすことがもはや作り物めいているといえないだろうか。ミステリを読み慣れた我々にとってそれらが至極当たり前のことになっているが、実際は旅行先で事件が起こるなんてことは確率的にはかなり低いことであり、森氏はそれを逆手にとってわざと事件を起こさせるという真相を持って来たのではないだろうか。

これほど派手に事件が起こるのだが、本書の主眼はそこにはないところに森氏の潔さを感じる。
そして本書の最大の謎とは「真賀田四季は一体どこにいたのか」だ。
これを特定する犀川の推理は実にロジカルで、実に感服した。久々にこれが理系ミステリであると再認識させられた。

いやはやこの最終作でシリーズに散りばめられた仕掛けが解り、森氏の構想力に脱帽した。回文や四季を髣髴させる謎かけなど、森氏の言葉に対する貪欲なまでの遊び心が溢れ、更にはシリーズを思わず読み直させる種明かしもまた心地よい。まさにシリーズの締め括りに相応しい大作だった。

ところで当時の『本格ミステリベスト10』の座談会で笠井氏が「私や綾辻君が10作でシリーズ完結と謳いながらいまだに成し遂げてないのに、彼がたった3年できちんと完結したことがすごい」と語っていたのが一番ウケた。
この頃綾辻氏は『暗黒館の殺人』を出すと云っていた頃だったので、その後のことを考えるのもまた一興である。

No.10 7点 数奇にして模型- 森博嗣 2015/11/03 00:24
S&Mシリーズ9作目の本書ではこのシリーズの原点回帰とも云える密室殺人事件を扱っている。しかも同時に2つの密室殺人が離れた場所で起こるが、どちらも容疑者は同一人物だったという、魅力的な謎をいきなり提示してくれる。

本書で特徴的なのは『幻惑の死と使途』以降付されていなかった登場人物表が復活していることだ。『幻惑の死と使途』、『夏のレプリカ』、『今はもうない』は登場人物表を付けられない、凝った構成の作品だったからだが、本書でそれが復活しているということはつまり原点回帰的な密室殺人ミステリであることを意味している。

さて本書では森氏の趣味がある意味横溢していると云っていいだろう。まず事件の舞台となるのが模型作品展示・交換会、つまりモデラー達の集いである。作者自身がかなり本格的な鉄道模型マニアであることから、これは満を持してのテーマだったと思われる。そのためか登場人物が模型やフィギュアに対する哲学を語るシーンがそこここに挟まれており、それらは作者自身の考え・意見であると窺える。

そしてもう1つ特徴的なのはコスプレイヤーも登場するところだ。モデラー達よりもその色合いは薄いものの、本書では西之園萌絵がコスプレしているところに注目されたい。まずは上記の展示会でのオリジナルキャラクターのコスプレに、事件の容疑者寺林に話を聞くために彼が入院している病院の看護婦に成りすまして潜入する。コスプレマニアにとってはある意味萌え要素が盛り込まれており、やはり西之園萌絵の名の由来はオタクやマニアにとって馴染みの“萌え”から来ているのかと思わず勘ぐってしまった。
もう少し云えば、本書の章題に注目したい。「土曜日はファンタジィ」、「日曜日はクレイジィ」、「月曜日はメランコリィ」とラノベ的な軽さを持っており、これもオタク要素を盛り立てている。本書の題名に隠されたもう1つの意味、「数奇にして模型」≒「好きにしてもOK」の如く、森氏は奔放に本書で遊んでいるようだ。

真相を知ると至極面倒な手続きを踏んだ事件だったと云える。正直「夜はそんなに長いか?」と疑わずにいられない。この真相のバランスの悪さがカタルシスを感じさせないのが残念だ。

初登場の萌絵の従兄、大御坊安朋もまた実にエキゾチックなキャラクターである。妾の子という暗い生い立ちにありながら作家にして女装家でオネエ言葉を連発する、1998年と今から17年前の発表当時では実に濃くて生理的に受け付けない人物であっただろうが、オネエタレントが芸能界を闊歩する今では免疫が出来て寧ろ魅力的に映った。

またこのシリーズのもはや特徴となっているが、殺人を犯すことの動機の浅薄さ、不可解さは逆にネット社会で人とのコミュニケーションがリアルよりも電脳領域での比率がかなり高くなっている現在の方が実に解りやすくなっている。モデラーとして優れた作品を、理想とする作品を作りたい願望が尖鋭化しすぎて、もはや人の死すら自身の材料としか見えなくなったこと、そしてその趣味に没頭したいが故に邪魔となる存在を排除したという実に端的な動機は現代社会の人間関係の希薄さが問題視されている今だからこそ腑に落ちる。

そして9作目にして初めて犀川は犯人と対決する。犯人の毒牙に落ちようとする萌絵を救うため、身体を張って彼女を護り、怪我を負う。ドライでクールなミステリだったシリーズがホットでフィジカルな色を帯びて正直驚いた。

唯一変わらないのは西之園萌絵に対する嫌悪感である。本書でも彼女は我儘で傍若無人、傲岸不遜であった。萌絵と私には決して近づくことができない斥力が働いていると認識しよう。いやはや身の回りにいなくてよかった。

No.9 7点 今はもうない- 森博嗣 2015/09/22 23:23
後期になってS&Mシリーズは典型的な密室殺人から離れたかと思ったが、今回は密室物としてはど真ん中の“嵐の山荘”物だ。
台風の接近で電話線が切れ、道路は倒木で寸断されて警察が介入できないという実にベタな設定。
しかしそれらはもっと大きなトリックへのフェイクであることが後に解る。

個人的には傑作になり損ねた佳作という評価になってしまう。それはやはり本書に仕掛けられた大きなトリックに比して、物語の中心となっていた密室殺人の真相が実に凡庸だからだ。しかし本書の探偵役のことを考えるとこの凡庸さは逆に作者が意図したものかもしれないとも思える。

タイトル“今はもうない”は事件があった別荘が今はもう残っていないことを指す。しかしその時のことは彼らにとって永遠なのだ。本書はミステリとしては凡作だが、過ぎ去りし日々を懐かしむ歳になった者たちにとって何がしかのノスタルジイを感じさせる物語が強い印象を残す。
左脳系ミステリの書き手である森氏が放った右脳系ミステリという意味で本書はS&Mシリーズで異彩を放つ存在となるのだろう。シリーズナンバーワンと評する人々もいるというのもあながち間違いではない作品だ。

No.8 3点 夏のレプリカ- 森博嗣 2015/08/19 23:43
本書は前作『幻想の死と使途』の偶数章を司る作品であり、2つで1つの物語が構成されるという凝った作りなのだが、内容にはお互いの作品に密接に絡み合う要素はほとんどなく、それぞれ独立した作品として読める。
このような形式を取った理由として森氏は作中で殺人事件に限らず、あらゆる犯罪はその首謀者たちがお互いに譲り合ったり、スケジュールを調整しながら起こされるものではないからだと述べている。つまり前作の有里匠幻殺人事件と本書の簑沢家誘拐未遂事件及び簑沢素生失踪事件は同時期に起きており、これを分離した2つの作品としながら一方を奇数章、こちらを偶数章で構成することで西之園萌絵が大学院受験時に起きた事件としている。
しかしこの試みは成功しているとは思えない。確かに森氏の云うように犯罪とは1つが終われば次のが起こるように規則正しくないのだが、同時多発的に複数の事件が起こる作品はこれまでも多々あった。モジュラー型ミステリがそれに当たるが、それらのジャンルに当てはまる作品と比べてもこの2作でたくさんの犯罪が起きるようには思えない。単なる奇抜な着想で終わってしまっている。奇妙な符号としては双方に事件関係者に盲目の人物が関わっていることだ。前作では真犯人の妻が―結局前作の矛盾については何も語られなかった―、本書では杜萌の腹違いの兄で詩人の素生が盲目だ。しかしそれも両者のストーリーには何の関わりももたらさない。

作中で登場人物の1人儀同世津子も述べているが、小粒な事件故に作者は『幻惑の死と使途』の事件と敢えて同時期に起こす設定にして、500ページもの分量で語ろうとしたのではないか。こんなミステリ妙味薄い事件にもかかわらず、事件は有里匠幻殺害事件が起きた8月の第1日曜の3日前に起きながら、事件解決はその事件解決後の9月最後の木曜日と実に2ヶ月もかけられている。

物語は実に無駄の多い内容で、一向に解決に進まない。私は常々森ミステリには事件解決までのタイムスパンが非常に長い事を特徴として挙げており、これを個人的に森ミステリ特有のモラトリアムな期間と呼んでいるのだが、本書はそれが最も長い作品であろう。西之園萌絵が有里匠幻殺害事件の解決にかかりきりになっていることと大学院受験を控えていることがその理由となっているが、上に書いたように事件に直接関係のない登場人物の頻度が増していたり、西之園萌絵のお見合いシーンや、犀川創平の妹儀同世津子の妊娠のエピソードなど、物語の枝葉にしては長すぎるエピソードの数々が逆に本書のリーダビリティを落としている。キャラクター小説として物語世界を補強するためのエピソードかもしれないが、さほどこのシリーズにのめり込んでいない当方としては退屈な手続きとしか思えなかった。

しかしこれほど拍子抜けする真相も珍しい。誘拐犯殺害の真相は意外な反転があるものの、カタルシスを感じるほどのものではないし、またもや全ての謎が解かれるわけでもない。よほどこのシリーズが、この世界観が好きでないとこの物語は楽しめないだろう。それほど森氏の趣味が盛り込まれた、それはある意味少女マンガ趣味とも云える幻想味が施されている。
また前作では初めて西之園萌絵が探偵役を務めたにもかかわらず、最後の最後で犀川によって真相が解明されるという詰めの甘さを見せたが、本書では彼女によって真相が見事に暴かれ、犀川はその真相に至っていながらも積極的に事件に介入しない、いわば保護者的役割に終始している。これは西之園萌絵の成長とみるべきか、シリーズにおける名探偵交代を示す転換期なのか。
何にせよ、ようやく密室殺人事件から離れた作品なのだが、逆にそれ故に小粒感が否めない。あらゆる意味で何とも残念な作品だ。

No.7 8点 幻惑の死と使途- 森博嗣 2015/07/18 23:59
本書ではまたもや密室殺人が扱われているが、それまでのシリーズ作品と違い、鍵の掛けられた状態での密室ではなく、衆人環視の中でマジシャンが殺される、いわば開かれた密室である。

みなさん書かれているように私も真犯人には驚きました。そしてその動機もいつものように抽象的且つ観念的ですが、今回は腑に落ちました。
ただそれだけにあるシーンが納得できません。それが今回マイナスでした(その内容は後述いたします)。

そしていつも思うのはこのシリーズの事件解決に至るまでの時間が実に長いことだ。今回のマジシャン有本匠幻が衆人環視の中で殺害される事件が起きるのが8月の第1日曜であり、事件解決は9月の第2土曜日以降である。つまり最低1か月半は経っているのだ。これは本書の探偵役である犀川創平は事件解決に積極的でないことに起因するだろう。彼の関心は自分の研究題材であり、そして西之園萌絵であり、決して事件の謎ではない。彼が事件に向き合うのは事件に積極的に関わる萌絵に危機が訪れた時だ。彼は望まざる形で事件に関わり、そして誰よりもその真実をいち早く見抜くのだ。しかし彼の関心が事件にないために事件解決まで、いや西之園萌絵が事件の真相に肉迫するまで解決されないのだ。

さて前作『封印再度』に続いてまたもやタイトルで唸らされてしまった。ストーリーとタイトルがマッチするとこれほどまでにカタルシスを感じるのかと再認識した。後は本書で感じた違和感を次作で払拭されることを期待しよう。

<ここからネタバレ>

名前を葬るという感覚は抽象的であり、また観念的であるのだが、私にとって理解できる動機だった。「自分」という存在は他人にはどうやって認識される?それは名前だ。そしてその名前を知られ、その名に価値を与える事が「自分」の認知度を、自分の価値を公的に高らしめることなのだ。そして名は存在が消え去っても残る。その名が高ければ高いほど。ワン&オンリーであればあるほど。後世にその名を遺すために彼は名に殉じたのだ。
そしてそのために彼は生涯を投じたマジックを、イリュージョンを手法として使った。まさに「幻惑の死」とその「使途」が最後に明かされる。単なる言葉遊びではないのだ、森氏のタイトルは。
だがどうしても納得のできないことがある。それは第5章187ページの原沼利裕の家庭でのシーンだ。そこでの原沼は有里匠幻の死体消失事件の渦中にいたことを誇らしく思い、妻にその模様が写されているTVのニュースを妻に見せて驚くシーンがあるのだが、後で出てくる彼の妻は目が見えないのだ。しかもそれは10年も前からのことだと原沼は述懐する。この矛盾はいかなるものか?これは単なる作者の書き間違いなのか?講談社の校正ミスなのか?その真実は次作で明かされるのか?今の時点ではこの矛盾が本書の評価に強く影響してしまった。

No.6 7点 まどろみ消去- 森博嗣 2015/02/24 23:15
S&Mシリーズの連作短編集かと思いきや、なんとシリーズとは離れたノンシリーズの短編集だった。全く人を食った作風の森氏らしい計らいだ。
しかしこれほどまでに短編を書き溜めていたとは思わなかった。その作風は実にヴァラエティに富んでいる。
景色を丹念に書き綴った田舎風景が印象的な作品もあれば、一転してファンタジックな詩を思わせる作品もある。そして奇妙な味のような作品もあれば、S&Mシリーズを髣髴させる大学を舞台にしたサスペンス物もあり、半自伝的な恋愛物もあったり、作中作に幻想小説と物語のエッセンスがふんだんに盛り込まれている。

しかし一番面白いのは森博嗣という作家そのものだろう。なんせ現役の建築学科の教授、つまり理系の教授がこれほどまでに色んな物語を書いていることだ。特に1作目の「虚空の黙禱者」の匂い立つような田舎の風景描写には驚かされてしまった。
正直に話せばS&Mシリーズは大きな謎1つで400~500ページの長編を引っ張る構成に冗長さを覚えていたが、短編では森氏独特の奇抜なワンアイデアを中だるみなく楽しめることが出来、この作家は短編向きではないかと思った。

さて本書のタイトルは『まどろみ消去』。私は本書を読むことで眠気も覚めるという作者の自信を森氏ならではの文体で表現した物だと理解していたが、英題は“Missing Under The Mistletoe”、直訳になるが『寄生木の下での消失』といささか幻想めいたタイトルである。この英題から想起させられるのは明るい日差しの中、寄生木の下で読んでいるといつの間にか異世界に連れて行かれた、そんなイメージだ。どちらにせよ、実に森氏らしいタイトルである。さて貴方の眠気は覚めるだろうか?

No.5 7点 封印再度- 森博嗣 2015/01/24 23:53
このサイトで大半を占めるように、私も萌絵の非常識さに辟易・憤慨しました。
叔父が愛知県警の刑事本部長と云う地位を利用して他人の殺人事件に土足でずかずかと入り込んでくる無神経さがどうも気に入らない。いや押しなべてミステリに登場する探偵とはそのような物だが、西之園萌絵の場合は本部長の叔父が快く思っていないのにこそこそと事件に関わってくること、自分の容姿が他人の目を惹くことを知っているため、それを利用して事件に介入すること。
最たるは不治の病に侵されていると嘘をついて犀川の気を惹こうとしたことの何たる幼さ!それが契機になって萌絵との結婚を決意し、婚姻届さえ書いた犀川の徒労は計り知れない。世の中にはついていい嘘と悪い嘘があるが、そんな分別がつかない我儘娘はどうにも合わない。

壺と箱のトリックの真相は50/50といったところ。壺から箱への部分は思わずすごい!と声を挙げたが、箱から壺への部分は、(物の再現性と被害者の気力も含め)こんなに上手く行くんかいな?と納得できない感が残った。
事件の真相もなんだか煙に巻いたようではっきりしないし。

ストーリー、トリックの点数は3点。本書の神髄はタイトルにある。これはまさに秀逸。同じ発音をしながら意味は違えどどちらも物語の本質をついているまさに見事な題名。これで+4点とした。

No.4 7点 詩的私的ジャック- 森博嗣 2014/12/21 21:57
S&Mシリーズ第4作目の本書もまた密室殺人を扱ったものだ。もしかしたらこのシリーズは密室殺人事件のみを扱ったシリーズなのだろうか。

しかし本書では密室の謎がメインではない。冒頭2つの密室は早々に解かれる。本書のメインの謎とはこれら密室を作るための至極面倒な手順を何故犯人は行い、密室を形成したのか?だ。

このWhyの解は個人的には予想を超えて非常に興味深い物だった。どこか泡坂妻夫の歪んだ論理を思わせる。ただそれに比して犯人の動機の弱さにはまいってしまった。どなたかが書かれていたが、矛盾していると思うからだ。

本書の意義は建築の知識を前3作にも増してふんだんに使っているところにある。ジェットセメント、エポキシ樹脂などは常日頃建築の仕事に携わっている物にしてみれば珍しくもなんともない代物だ。
痛快なのは数多あるミステリに登場する建物や館の珍妙さを専門家の視点から嘆いているのが実に面白い。特に推理小説は建築基準法や消防法のない世界なのだと萌絵が吐露する件は思わず何度も頷いてしまった。

そういう意味で考えれば本書における密室殺人は全て建築の知識を用いて成された物。それが故に犯人も建築学科の大学院生であったわけだが、つまりはきちんとした建築の知識があれば密室などはいとも簡単に作れるということを暗に示しているように感じた。見た目は閉じられているが、板一枚簡単に外れるし、そこには隠れた抜け穴があるのだという、建築業界にとっては至極当たり前のことを本書では素人相手に示したことに意義がある。

ただまだ私には西之園萌絵の無神経で厚顔無恥ぶりには抵抗を感じる。本書では自分の甘えを痛感するといった場面もあったが、もう少しどうにかならない物だろうか?
シリーズ物はいかにキャラクターに親近感を覚えるかがカギなので、この先のシリーズで萌絵が成長してほしい。私に免疫が出来るのとどちらが先だろうか。

No.3 7点 笑わない数学者- 森博嗣 2014/11/28 23:28
このシリーズはミステリの定型を見事に擬えている。奇妙な館に特異な人物、もしくは特殊な実験室があり、そこで起きる密室殺人。事件に関係する人物たちの尋問と隠された過去の因縁や事件が明かされる。さらには謎の真相に貪欲な西之園萌絵は好奇心を抑えられず、犀川の目の届かない所で冒険に挑み、危難に遭う。
本書を読んでいるとアーロン・エルキンズのギデオン・オリヴァーシリーズを呼んでいるような錯覚を覚える。それほどこの両者の物語構成は似ている。それはまさに数学の証明問題を解くが如く、ミステリのセオリーをなぞっているかのように見える。

肝心のオリオン像消失はまさかと思ったが、そのまさかの真相だった。やはり大胆な消失トリックはもう出尽くしたのだろうか?

しかし最大の謎は天才数学者天王寺翔蔵そのものかもしれない。
特に最後現れる子供と戯れる謎の老人は事件後の真賀田四季の生存を髣髴させるエピローグではないか。

本書の中で特に印象的だった言葉がある。

人類史上最大のトリック……?
(それは、人々に神がいると信じさせたことだ)

このあまりに鮮烈な2行は見えない物を見ようとし、謎に翻弄される本書の登場人物に対して見えない物を信じ、縋る人々の存在とは非常に対照的だ。
内と外、見える物と見えざる物。本書はその対立する2つの項を行き来する人間の愚かさを描いた作品か。そして心理を見抜く者は目で見た物を信じない。それは本書の真犯人がオリオン像消失のトリックをいち早く見抜いていたことがその証左と云えよう。我々が見ているのは現か幻か。なんだ、本書は実は江戸川乱歩に捧げた書だったのか!

No.2 7点 冷たい密室と博士たち- 森博嗣 2014/09/23 23:20
一種特殊な建物の中での殺人ということで、いわゆる館物に属するが、森氏の作品に出てくる建物は大学の特殊な実験のために建てられたという点で現実的であることだ。1作目の感想にも述べたが、森氏自身が建築学科の教授でもあるため、出てくる建物が特異であっても奇抜さは感じない。建築基準法に則した建物であり、更には犀川の視点を通じて意匠についてのコメントもあり、リアルさを感じる。

前作でも見られたが森ミステリの特徴としてコンピュータの電脳世界が事件解決の一助になっているところが挙げられるが、本作でもオンラインを活用した犯人のある行動が事件解決の手掛かりとなっている。借りたフロッピーにウィルスが組み込まれており、それが犀川のメールを外部から読むことが出来るようになるというものだ。今では全く目新しくもなく、ウィルスと表現されるプログラムも今で云えばスパイウェアだし、フロッピーディスクやMOが主流となっているデータのやり取りや電話回線でしかないオンラインへの接続も時代を感じさせるのだが、この現実世界と仮想空間の2つの世界をミステリに導入することで、通常不可能と思われたアリバイ、つまり事件が起きた時の不在証明が全く意味を成さなくなることは当時画期的だったのではないだろうか。そしてこの発想は大学生活で日常的にコンピュータのオンラインで業務をしていた森氏にしてみれば至極当たり前のことであり、これを本格ミステリに積極的に導入し、トリックに活かしたことが森氏がもたらした「明日のミステリ」なのだろう。

犀川のドライさ、西之園萌絵のお嬢様ゆえの他者のテリトリーに土足に上がり込むだけでなく、警察の本部長を務める叔父へ強引に協力を求めて捜査記録を拝借する厚顔無恥さは今の私にはなんとも常識知らずとしか思えない。しかし交換数多溢れる本格ミステリの探偵とは元々そんな存在ではないかと一方で思う私もいる。
このドライな感覚、つまり事件の渦中にいながらもどこか他人事のように冷めた視線で物事を見つめる視線は確かに名探偵の必要な要素ではあるが、大学教授である犀川はあまりにリアルすぎて探偵役としてなかなか素直に受け入れられないきらいがある。やはり本格ミステリの名探偵は浮世離れしたエキセントリックさが必要ということか。

S&Mシリーズ全10作を読み終えた時にこのシリーズの真価が解るのかもしれない。犀川と西之園萌絵にこれからどんなことが起き、そして彼らにどんな変化が訪れるのか、根気よく付き合っていこう。

No.1 7点 すべてがFになる- 森博嗣 2009/10/10 00:27
※ちょっとネタバレ。

一応、前知識なしで読んだが、犯行方法は解った。
が、365日24時間記録し続ける監視カメラが見張っている上に、コンピューター制御されたセキュリティシステムで管理された室内で起きた密室殺人、しかもカメラには誰も部屋を出入りした人物が映っていないという堅牢なる密室殺人の謎解きは完璧と思いがちなコンピューターの盲点を突く真相は解らず、この手際は実に鮮やかだった。

また犯人も最初に明かされる人物ではなかった事はある意味救われた。なぜなら天才の子は必ずしも天才ではないからだ。その逆もまた然り。14歳を節目に昆虫が親の肉を喰らって成長するが如く、天才が天才を殺して成長するなど、荒唐無稽なマンガ的設定に過ぎない。それを敢えて踏みとどまったところがこの作品の良識といえよう。

あまりに有名すぎる故、他の作品を読んでからこの作品に入ると犯人は解ってしまうという欠点がある。やっぱりシリーズ物は順番に読むに限るわ。

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