皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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Tetchyさん |
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平均点: 6.73点 | 書評数: 1602件 |
No.1162 | 7点 | 詩的私的ジャック- 森博嗣 | 2014/12/21 21:57 |
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S&Mシリーズ第4作目の本書もまた密室殺人を扱ったものだ。もしかしたらこのシリーズは密室殺人事件のみを扱ったシリーズなのだろうか。
しかし本書では密室の謎がメインではない。冒頭2つの密室は早々に解かれる。本書のメインの謎とはこれら密室を作るための至極面倒な手順を何故犯人は行い、密室を形成したのか?だ。 このWhyの解は個人的には予想を超えて非常に興味深い物だった。どこか泡坂妻夫の歪んだ論理を思わせる。ただそれに比して犯人の動機の弱さにはまいってしまった。どなたかが書かれていたが、矛盾していると思うからだ。 本書の意義は建築の知識を前3作にも増してふんだんに使っているところにある。ジェットセメント、エポキシ樹脂などは常日頃建築の仕事に携わっている物にしてみれば珍しくもなんともない代物だ。 痛快なのは数多あるミステリに登場する建物や館の珍妙さを専門家の視点から嘆いているのが実に面白い。特に推理小説は建築基準法や消防法のない世界なのだと萌絵が吐露する件は思わず何度も頷いてしまった。 そういう意味で考えれば本書における密室殺人は全て建築の知識を用いて成された物。それが故に犯人も建築学科の大学院生であったわけだが、つまりはきちんとした建築の知識があれば密室などはいとも簡単に作れるということを暗に示しているように感じた。見た目は閉じられているが、板一枚簡単に外れるし、そこには隠れた抜け穴があるのだという、建築業界にとっては至極当たり前のことを本書では素人相手に示したことに意義がある。 ただまだ私には西之園萌絵の無神経で厚顔無恥ぶりには抵抗を感じる。本書では自分の甘えを痛感するといった場面もあったが、もう少しどうにかならない物だろうか? シリーズ物はいかにキャラクターに親近感を覚えるかがカギなので、この先のシリーズで萌絵が成長してほしい。私に免疫が出来るのとどちらが先だろうか。 |
No.1161 | 7点 | 007 白紙委任状- ジェフリー・ディーヴァー | 2014/12/16 23:45 |
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あのディーヴァーが世界的有名なスパイアクションシリーズである007シリーズを手掛けるニュースを聞いた時は正直期待半分不安半分だった。私自身007は映画は観ていたものの、小説は未読だったのもあったし、ライムシリーズやキャサリン・ダンスシリーズと云う2つの看板シリーズを持っているディーヴァーにそれらと差別化できる特色が出る作品が果たして可能なのかと疑問視していた。
しかしそれは杞憂だった。ここには007シリーズを想起させながらも新たなジェームズ・ボンドがいる。若々しく、スマートフォンとアプリを使いこなす現代のスパイとしてのボンド像をディーヴァーは創り出した。そうでありながらも彼のボスはMであり、スパイグッズの発明家Qも出てくるし、ボンドカーと彼を取り巻く美女がきちんと配され、ファンが期待するボンドの定番も忘れられていない。 さてディーヴァー版ジェームズ・ボンドの相手となる敵は巨大ゴミ収集企業グリーンウェイ・インターナショナルの代表取締役セヴェラン・ハイトとその相棒で冷酷な殺し屋ナイアル・ダン。 今なお創られる007シリーズ映画の敵はもはやソ連の秘密組織や戦争を企む武器商人などではなく、世界を牛耳る巨大企業による、その得意分野に特化した世界征服の野望を持つ狂える企業人であるが、本書もその流れを汲む物だ。 しかしただのゴミ回収業を営む一企業人がスーパー・エージェント、ジェームズ・ボンドの敵になり得るのかと疑問を持つだろうが、そこはやはりディーヴァー、この業界が実に世界を脅かす恐るべき存在になり得ることを見事に示した。 まず今回は死体愛好家であるセヴェラン・ハイトが相棒のナイアル・ダンと企む「ゲヘナ計画」が何であるかを突き止めるのが今回のボンドの使命。それは近いうちに行われるある大量虐殺計画を示唆しているが、場所も日時も不明。ボンドはアフリカ各地で行われている民族大量虐殺の跡地を“クリーン”にする事業を請け負っているダーバンの起業家ジーン・セロンに成りすましてハイトに近づき、計画の正体を探ろうとするのが物語のメインだ。 そして明らかになるのは我々の想像を超える恐るべき計画だった。これは実際に本書を当たって確認してほしい。 私はこの発想の妙には唸らされたし、実現可能性の高さから戦慄さえ覚えた。 そしてディーヴァーの持ち味であるどんでん返しもまた健在。ただ本書はそっちの真相の方がいささか迫力不足と感じた。それほど上の敵のインパクトが強すぎた。 ディーヴァー版007。その出来栄えはまずは及第点と云ったところか。アクション満載のスーパーエージェントの活躍が愉しめるものの、ディーヴァー特有のどんでん返しが今回はあまりストーリーの面白さに寄与しなかったように思えたのが痛かった。 |
No.1160 | 7点 | 北極基地/潜航作戦- アリステア・マクリーン | 2014/12/07 23:04 |
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極寒の地での冒険小説はもはやマクリーンお得意のシチュエーションであり、最も彼の筆致が生きる題材と云えよう。本書は突然消息を絶った北極の気象観測基地の作業員たちを救うべく、アメリカ最新鋭の原子力潜水艦で極寒の地に赴くという、これぞマクリーン!とも云うべき作品だ。
しかし本書はそれに加え、ゼブラを、ドルフィン号を襲う謎の魔の手がいる。つまり本書には犯人捜しと云う謎解き興味も盛り込まれているのだ。 まずは過酷な状況下で不可能とされる任務を遂行しようとする主人公カーペンターと彼の協力者である潜水艦の乗組員の苦闘はいつもながら心胆寒からしめる迫真性に満ちており、10作目になってもマクリーンのアイデアは尽きることがない。 ただ本書の最後の最後で明かされるバックストーリーは、どうもとってつけたような感は否めない。確かにマクリーンは物語のそこここにカーペンターが真相を見抜いたかのように行動する様を描いているが、最終章にて長々とそれまで語られなかった全く別の話が唐突に繰り広げられるのでバランスの悪さをどうしても感じてしまう。これが現代のミステリならば、プロローグでそのことに関するエピソードを語るなどして、読者に記憶させる手法を取るだろう。この辺がマクリーンがプロットをストーリーに結び付ける力が不足しているように思わせる弱点だろう。 しかしそれは瑕疵と云えよう。本書は何よりも実に読みやすいのが面白味を増しているように思う。 極限状態の中にあって、一歩間違えば死の状況に幾度も遭い、満身創痍の状態になりながら軽口を叩いて、眼前の危難を乗り越えていく。さらには本書には連続殺人を犯す犯人探しの興趣さえも盛り込まれている。繰り返しになるが、本書は私が期待していた「これぞ、マクリーン!」と快哉を挙げたくなる作品だ。 |
No.1159 | 7点 | 読み出したら止まらない!国内ミステリーマストリード100- 事典・ガイド | 2014/12/07 00:06 |
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本書に挙げる書物を挙げるにあたり、選者の千街氏はいくつかの縛りを設けている。
それまでのアンケート方式で綴られたオールタイムベストのガイドブック50位以内に選ばれた作品は殿堂入り作品として取り扱わない、毎年行われるランキング本で選ばれる作品の内、上位5位までの作品は対象外とする、しかも現在でも入手可能な作品とする、というこの3つの縛りに基づいて選ばれている。 確かにこれまでこの手のガイドブックは数多出版されているので、それらと一線を画すためにこのようなルールを設けるのは面白い趣向だと思う。 しかしそれが故にどこか選ばれた作品に閉塞感を覚えてしまうのも事実で、なぜこの作家のこの作品?と云うのがところどころあったのは否めない。 例えば綾辻作品で『迷路館の殺人』が選ばれているが、これは『時計館の殺人』だろう、とか髙村薫の作品がなぜ『李歐』?とか、真保作品は『震源』よりも他にあるだろう、とか東野圭吾で『天空の蜂』もいいが、世評では『悪意』だろう、などと個人的に思うことは多々あった。 また一方で千街氏ならではの選書もあり、例えば野阿梓氏の『兇天使』や高野史緒氏の『ムジカ・マキーナ』などは彼でないと選ばない作品だろう。 そういう意味ではかなり選者の好みが出たガイドブックである。ただ冠に「マストリード」とあるにしては、ちょっとその言葉の強さに比べて選ばれた作品の価値が等価であるかどうかは首を傾げてしまう所があると正直に云っておこう。また杉江氏同様、挙げられなかった作品を補完して紹介する第Ⅱ部の方がその筆致が熱いのには思わず苦笑してしまったが。 |
No.1158 | 9点 | 墓場への切符- ローレンス・ブロック | 2014/12/06 00:08 |
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マット・スカダーシリーズが今日のような人気と高評価を持って迎えられるようになったのはシリーズの転機となった『八百万の死にざま』と本書から始まるいわゆる“倒錯三部作”と呼ばれる、陰惨な事件に立ち向かう“動”のマットが描かれる諸作があったからだというのは的外れな意見ではないだろう。
本書が今までのシリーズと違うのはそれはマットの前に明確な“敵”が現れたことだ。彼の昔からの友人である高級娼婦エレイン・マーデルをかつて苦しめたジェイムズ・レオ・モットリー。錬鉄のような鋼の肉体を持ち、人のツボを強力な指の力で抑えることで動けなくする、相手の心をすくませる蛇のような目を持ち、何よりも女性を貶め、降伏させ、そして死に至らしめることを至上の歓びとするシリアル・キラー。刑務所で鋼の肉体にさらに磨きをかけ、スカダー達の前に現れる。 これほどまでにキャラ立ちした敵の存在は今までのシリーズにはなかった。確かにシリアル・キラーをテーマにした作品はあった。『暗闇にひと突き』に登場するルイス・ピネルがそうだ。しかしこの作品ではそれは過去の事件を調べるモチーフでしかなかった。 しかし本書ではリアルタイムにマットを、エレインをモットリーがじわりじわりと追い詰めていく。つまりそれは自身の過去に溺れ、ペシミスティックに人の過去をあてどもなく便宜を図るために探る後ろ向きのマットではなく、今の困難に対峙する前向きなマットの姿なのだ。 それはやはり酒との訣別が大きな要素となっているのだろう。過去の過ちを悔い、それを酒を飲むことで癒し、いや逃げ場としていたマットから、酒と訣別してAAの集会に出て新たな人脈を築いていく姿へ変わったマットがここにはいる。 特に過去に関わった女性に対して思いを馳せるに至り、マットは自分には常に自分の事を想う女性がいたと思っていたが、実はそんな存在は一人もいなかったのではないか、ずっと自分は孤独だったのではないかと自身の孤独を再認識させられる件には唸らされた。実に上手い。 本書にはある一つの言葉が呪文のように繰り返される。それはAAの集会で知り合ったマットの助言者であるジム・フェイバーによって勧められたマルクス・アウレリウスの『自省録』という書物の一節、「どんなことも起こるべくして起こるのだ」という一文だ。 これが本書のテーマと云っていいだろう。どんなに用心していようがいまいが起こるべきことは起こるのだ。モットリーの襲撃も結局スカダーは防げず、エレインはその凶刃に掛かってしまった。 しかしその後にはこう続くことだろう。起こってしまったことは仕方がない。問題はそのことに対してどう振舞い、対処していくことかだ、と。 マットが住む世界ほどではないが、我々を取り巻く世界とはいかに危険が満ちていることか。地震や津波であっという間にそれまでの生活が一変する事を我々は知ってしまった。しかしそこで頭を垂れては何も進まない。そこから何をするかがその後の明暗を分けるのだ。本書で描かれた事件はそんな天変地異や大災害のようなものではないが、書かれていることはいつになっても不変のことだ。 |
No.1157 | 7点 | ダイイング・アイ- 東野圭吾 | 2014/11/29 23:27 |
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本書は長年お蔵入りしていた作品として発表時に宣伝文句として謳われていた作品だ。
記憶喪失の主人公が過去を探る話と云うのはそれこそ世にゴマンとあるが、それが過去に起こした交通事故、しかも相手は亡くなっている事件であることが東野氏の着想の妙と云えよう。通常ならば周囲の人間が勧めるように早く忘れた方がいい記憶であり、それが襲われたとはいえ、忘れる事が出来るのは非常に幸運なことだろう。実際、私の立場ならば忘れたままに放置するだろう。だから私はドラマの主人公に不向きであると云える。 それはさておき、過去を探っていくことで、寝た子を起こすことになるのは物語の常であるが、雨村の捜査をきっかけに彼の周囲にも変化が訪れる。 同棲相手の失踪、ファム・ファタールの出現、そして被害者岸中美菜絵の幽霊の出現と物語は一種オカルトめいた様相を呈していく。 銀座に高級バーを持つ男、事件をきっかけに大金をせしめて夢を叶えようとする男、社長令嬢の婚約者という玉の輿に乗ったゼネコン社員と社会の勝ち組(になろうとする人)たちへ慎ましくも幸せな暮らしを送っていた一介の主婦の怨念の乗り移った目こそが下した正義の鉄槌の物語は思いの外、心寒からしめる物語であった。 |
No.1156 | 7点 | 笑わない数学者- 森博嗣 | 2014/11/28 23:28 |
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このシリーズはミステリの定型を見事に擬えている。奇妙な館に特異な人物、もしくは特殊な実験室があり、そこで起きる密室殺人。事件に関係する人物たちの尋問と隠された過去の因縁や事件が明かされる。さらには謎の真相に貪欲な西之園萌絵は好奇心を抑えられず、犀川の目の届かない所で冒険に挑み、危難に遭う。
本書を読んでいるとアーロン・エルキンズのギデオン・オリヴァーシリーズを呼んでいるような錯覚を覚える。それほどこの両者の物語構成は似ている。それはまさに数学の証明問題を解くが如く、ミステリのセオリーをなぞっているかのように見える。 肝心のオリオン像消失はまさかと思ったが、そのまさかの真相だった。やはり大胆な消失トリックはもう出尽くしたのだろうか? しかし最大の謎は天才数学者天王寺翔蔵そのものかもしれない。 特に最後現れる子供と戯れる謎の老人は事件後の真賀田四季の生存を髣髴させるエピローグではないか。 本書の中で特に印象的だった言葉がある。 人類史上最大のトリック……? (それは、人々に神がいると信じさせたことだ) このあまりに鮮烈な2行は見えない物を見ようとし、謎に翻弄される本書の登場人物に対して見えない物を信じ、縋る人々の存在とは非常に対照的だ。 内と外、見える物と見えざる物。本書はその対立する2つの項を行き来する人間の愚かさを描いた作品か。そして心理を見抜く者は目で見た物を信じない。それは本書の真犯人がオリオン像消失のトリックをいち早く見抜いていたことがその証左と云えよう。我々が見ているのは現か幻か。なんだ、本書は実は江戸川乱歩に捧げた書だったのか! |
No.1155 | 7点 | スペース・マシン- クリストファー・プリースト | 2014/11/27 13:03 |
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クリストファー・プリーストと云えば『逆転世界』、『魔法』や『奇術師』など我々の価値観を超える世界観を提供し、物語世界を理解するのが困難な物が多いが本書はなんとH・G・ウェルズの代表的な2作、『タイム・マシン』と『宇宙戦争』を本歌取りし、1作のSF作品として纏めた労作なのだ。非常に知られた題材であるせいか、非常に読みやすいのにびっくりした。
しかしただの本歌取りに収まらず、そこここにプリーストならではの味付けが成されている。 また火星の描写はプリーストならではの奇想に満ち溢れている。赤い植物壁に金属のまばゆいばかりの塔などはまだしも、人間に似ながらもどこか違う火星人の風貌、半球状の透明なドームに囲まれた都市―スティーヴン・キングの作品『アンダー・ドーム』はこれに由来するのか?―に三本足で“歩く”走行物に直径7mもある雪を降らせる大砲は実は地球に向けて宇宙船を発射する巨大な発射砲であることが後に解ってくる。 さらにこの2人に途中で関わってくるウェルズ氏。哲学者と云う設定だが、彼こそ後に『タイム・マシン』と『宇宙戦争』を著すH・G・ウェルズ氏である。そう、本書はこの2つの名作が氏の体験によって創作された物としているのだ。 ところで本書は邦訳されている他のプリースト作品に比べても格段に読みやすく、またモデルとなった小説があることから非常に解りやすいのが特徴だが、その後のプリースト作品の萌芽となるアイデアが垣間見られる。 それはスペース・マシンという時空を旅することが可能なマシンが持つ特徴だ。時間を旅することは勿論だが、空間、すなわち異なる次元に移動することで存在を希薄化し、周囲から見えなくすることが出来るのだ。これは数年後に発表される『魔法』で見せたグラマーという能力の原点ではないか。さらに「瞬間移動」を得意とする2人の奇術師の戦いを描いた『奇術師』もまたここから発展した着想であるように思える。即ちこのスペース・マシンこそがプリーストがその後の作品のテーマとしている存在や実存という確かであるがゆえに不確かな物を作品ごとに色んな趣向を凝らして突き詰めていく源だったのではないだろうか? そういう意味では私を含めたSF初心者の諸氏には名作と名高い『魔法』や『奇術師』にあたるよりもまず本書こそがプリースト入門に相応しいと思える。せっかく復刊されたこの機会を利用しない手は、ない。 |
No.1154 | 6点 | 溺死人- イーデン・フィルポッツ | 2014/11/03 19:19 |
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フィルポッツと云えば21世紀現在でも古典ミステリの名作として『赤毛のレドメイン家』を著した作家としてその名を遺しているが、実は彼にはそれ以外にもミステリの諸作があって、本書は私が前出の作品を初めて読んだ大学生の時には既に絶版で長らく手に入らなかった1冊である。実に初版から30年経ってようやく復刊フェアにてその姿を手にすることが出来た。
報われない人生を歩んできた一介の旅芸人が自殺のために訪れた断崖の洞窟で別の溺死体を発見したことがきっかけで、死者に成りすまし、別の人生を送る。よくある、特にウールリッチの諸作に見られる設定の本書で、特に目新しさは感じないが、これがまず1931年に書かれたことを考えると、いわゆる身代わり殺人というモチーフの原型ではないかと思われる。 しかしそんな入れ替わりも早々に破綻してしまう。なんと4章目にして失踪者ジョン・フレミングは追跡者メレディスによって発見されてしまうのだ。全12章のたった1/3を過ぎたあたりだから、これはかなり早い段階だ。 そしてそこから新たな謎が生まれる。ではジョン・フレミングが成り替わった死体とは一体誰の死体なのか?そしてなぜ彼がダレハムの断崖で亡くなっていたかとさらに謎が重なってくる。たった300ページ弱の厚みに謎の連鎖が詰まっている。 しかし最後まで読むと本書はミステリなのかと疑問を抱えてしまう。上に書いたように確かに謎は連鎖的に連なっていくが、肝心要の溺死人を殺害した犯人は探偵の推理ではなく、犯人からの自白で判明する。 そして最終章の章題は「われわれも、おもしろがってはいないが」と掲げられている。これはつまり人の死をミステリと云う謎解きゲームの器に盛ったミステリ作家たちは罪を犯すことの意味という最も根源的な事を忘れて、知的ゲームに興じているのではないかという作者からの警句なのだろうか。 これは誰も裁かれない物語だ。いや唯一裁かれたのが溺死人であった。つまり被害者自身のみが裁かれるべき者であったという実に特異な物語だった。 本書の原題は“Found Drowned”。つまり『溺死人発見』が正確な意味だが、溺れた者とはミステリというゲームに溺れた作家たちを指すのかもしれない。 本書で唯一裁かれたのが被害者であり、人に害なす恐喝者を始末した殺人者は善悪の観点から裁かれずに終わる。これはフィルポッツが犯罪とは一体何なのかという原理原則を問うた作品ではないか。犯人を解き明かすことだけが犯罪を取り扱うミステリの使命ではないと謳っているように感じられてならない。そう考えると本書の題名はミステリ作家に対して何とも痛烈に響くことか。 本格ミステリの雄であるエラリイ・クイーンがロジックとパズルに淫した後に行き着いた先を既にフィルポッツは1931年の時点で警告していたと考えるとやはりこの作家は『赤毛のレドメイン家』のみで語られるべき作家ではない。文豪はやはり文豪と云われるだけの深みがあることを再認識させられた。 |
No.1153 | 7点 | 慈悲深い死- ローレンス・ブロック | 2014/10/29 21:46 |
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今回マットが関わるのは2つの事件。1つはインディアナ州で車のディーラーを経営しているウォーレン・ホールトキから失踪した女優志願の娘ポーラの捜索。もう1つは上にも書いたAAの集会で知り合った友人エディ・ダンフィの死の真相だ。
前者の結末は田舎から出てきた女優志願の若き女性の末路としては言葉にならないほど哀しくも無残な結果。都会の片隅ではこんな死がゴマンとあるのだろうか。 後者は意外な犯人とそれを知ったスカダーの心情を思うと実に心が痛む。ここにもまた心を病んだ者がいる。 しかしこれは非常に危うい物語だ。断酒をして3年以上のマットだが、いつまたアルコールに手を出すのか終始冷や冷やさせられる。原題“Out On The Cutting Edge”は作中の台詞でもあるように「刃の切っ先に立っている」状態、即ち断酒をしながらもいつまた酒を飲むか解らない不安定な心理状況を謳ったものだ。そして“Out”とはつまりそこから堕ちることを意味している。 そんな彼の前には飲酒で誘う因子が捜査の過程に付き纏う。例えばミッキー・バルー。アイルランド系の用心棒から成り上がった通称“ブッチャー・ボーイ”と呼ばれたこの男はニューヨークの闇社会でドンと呼ばれる男の1人だが、かつての溜り場での常連だった縁ゆえか、長い間盃を酌み交わす―マットはコーラだが―ことで親密な関係を築き上げていく。それは酒飲みだけが分かち合える時間と空間。そんな雰囲気がマットに酒への憧憬を甦らせる。 常に果たしてまたマットは酒を口にするのか?『八百万の死にざま』で前後不覚になり病院に運ばれたマットに待ち受けるのは死であることを知っている読者は心中穏やかでない。 私には『過去からの弔鐘』でマット・スカダーという元警官の無免許探偵を見つけたブロックはその後3作の物語でこの男がどんな男なのかを探り、『八百万の死にざま』で彼がアル中でありながらそれを認めようとしなかった弱い男だったことを解き明かす、それがこのシリーズの流れのように思える。そして『聖なる酒場の挽歌』でアルコールを介して知り合った仲間のエピソードを語ることでアルコールへの未練を断ち切り、過去を振り返っていた男が未来に向けたマットの物語をブロックが進行形で描き出したのが本作。 過去の過ちから酒に逃げていた男の物語として始まったマット・スカダーの探偵物語。云わばマットと云う人物の根幹を成す設定を敢えて放棄することで物語を紡ぐことは作家にとってかなり大きな冒険であろう。その後シリーズは巻を重ねていること自体が今さらながら驚かされ、しかもそれらの作品群がシリーズの評価を高めているのだから畏れ入る。逆に枷を着けることで作者のチャレンジ精神が昂揚したということか。何はともあれ、シリーズの新たな幕明けとなったいわばマット・スカダーシリーズ第2部が楽しみでならない。 |
No.1152 | 7点 | 天の方舟- 服部真澄 | 2014/10/17 22:55 |
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世界の黒い構造にメスを入れる服部真澄が今回その刃先を向けたのはODA、政府開発援助を巡る汚職の世界。その利権に群がる日本の開発コンサルタントとゼネコンのピカレスク小説だ。
まず本書は主人公が逮捕されるという実にショッキングなシーンから始まる。40歳前後という若さで日本大手の開発コンサルタント会社の重役に登りつめ、ビジネス誌でも現代のジャンヌ・ダルク扱いの取材を受けた黒谷七波に一体何があったのか。このたった9ページの導入部でいきなり物語に引き込まれる。 しかしこの手の物語を読んで思うのは、最後に罰が下るとはいえ、彼らの蜜月は実に長く、その対価にしては釣り合いが取れないのではないか、と。確かに彼らの今後の行く末にはきつい道のりが待ち受けているだろうが、それでも彼らは誰もが羨む生活を送れたのだ。実は得するのは悪の側なのではないか。真面目にやっている人間ほど馬鹿を見るのがこの世の中の構図ではないかと実に虚しさを感じてしまう。 ところで服部作品と云えば実在する社名が頻出することが特徴だが、題材が生々しいだけに本書では架空の社名で物語は進む。何しろゼネコンによる政治献金、裏金工作、架空請求など企業詐欺のオンパレードだからさすがに配慮は必要だろう。 しかし本書の一連のODAに纏わるゼネコンの贈賄と政治家との癒着の歴史を開発コンサルタントの女傑黒谷七波とゼネコンの裏資金調達人宮里一樹2人を軸に当時の世情を絡めて追って行けたのは同じ業界の一端に触れているわが身にとっても非常に勉強になった。海外のみならず日本でさえ、新幹線、東名高速や名神高速、黒部第四ダムなど日本のインフラの根幹をなす事業が海外諸国の国際援助によって建設されたことなど、恥ずかしながら本書で知った次第だ。 私自身一時期海外赴任をしていたが、この裏歴史を上っ面のみでしか知っていなかったあの頃は何とも初な人間だったことかと恥ずかしく思う。発展途上国のインフラを整備し、豊かな生活を提供する一方で、巨額のブラックマネーを動かすゼネコン。この清濁併せ持つ業界に対してぶれない軸を持って接するために、本書は良き参考書となった。 しかしこのような歪んだ社会の構図はいくら暴かれ、断ざれようとも新たな汚職の構図が描かれ、同様の巨額のリベートが動くシステムが気付かれていくのだろう。それは発展途上国を一見日本が食い物にしているように見えながら、その実欧米諸国に日本が食い物にされているのかもしれない。アジアの雄である日本、しかし欧米諸国はその悠久の歴史を持つゆえか、百年に跨って自国に有利に働く国際社会の絵を描くという。上には上がおり、そして民族や風習の違いから生まれる我々が想像だにしなかったカラクリが今後も、いや今そこに潜んでいるのかもしれない。またも服部真澄は社会の暗闇にメスを入れてくれた。そしてまたもやその読後感は苦かった。 |
No.1151 | 9点 | 聖なる酒場の挽歌- ローレンス・ブロック | 2014/10/11 00:43 |
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前作『八百万の死にざま』でとうとう自身が重度のアルコール中毒であることを認めたスカダー。彼のその後が非常に気になって仕方のない読者の前に発表された本書はなんと時間を遡った数年前にスカダーが遭遇した事件の話だ。
これは古き良きむくつけき酒飲みたちの物語。酒飲みたちは酒を飲んでいる間、詩人になり、語り合う。だから彼らは酒場を去り難く思い、いつまでも盃を重ねるのだ。そんな本書にこの邦題はぴったりだ。まさにこれしか、ない。 しかしそんな夜に紡がれる友情は実に陳腐な張り子の物であったことが白日の下に曝される。もう彼らが笑いあって盃を酌み交わす美しい夜は訪れないのだ。 本書の原題は“When The Sacred Ginmill Closes”、『聖なる酒場が閉まる時』。先にも書いたようにこれは遡る事1975年の頃の話である。つまりかつてはマットが通っていた酒場への鎮魂歌の物語だ。この題名は冒頭に引用されたデイヴ・ヴァン・ロンクの歌詞の一節に由来しているが、その詩が語るように酔いどれたちが名残惜しむ酒場への愛着と哀惜、そして酒を酌み交わすことで生まれる友情を謳っているかのような物語だ。 シリーズがこの後も続いていることを知っている今ではこれがいわゆるマット・スカダーシリーズ前期を締めくくる一作である位置づけは解るが、訳者あとがきにも書かれているように、当時としては恐らく本書はローレンス・ブロックがシリーズを終わらせるために書かれた、酔いどれ探偵マット・スカダーへの餞の物語だったことだろう。それくらい本書の結末は喪失感に満ちている。 しかしここからこのシリーズの真骨頂とも云うべき物語が紡がれるのだから、本当にブロックの才には畏れ入る。まずは静かにアル中探偵マット・スカダーのアルコールへの訣別となるこの物語の余韻に浸ることにしよう。 |
No.1150 | 5点 | あの頃の誰か- 東野圭吾 | 2014/10/04 00:26 |
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収録作品は雑誌に掲載されながらもある理由によって短編集として纏められなかった、作者曰く「わけあり物件」らしい。
例えば掲載されていた雑誌が出版社の倒産によって作品がお蔵入りしたり、有名になってしまった長編の原型だったり、単純に短編集に纏める機会がなかったりと、そんな落穂を拾うかのように編まれたのが本作だ。 個人的には「再生魔術の女」の発想の妙を買う。被害者の胎内に残された精液から代理母に子供を産ませ、それを容疑者の養子として送り込み、復讐する。顔立ちが似てくれば容疑者が犯人だったことが解る、遠大な復讐だ。果たしてそれは復讐者による脅迫のためのフェイクだったことが解るのだが、このトンデモ科学のトリックとでも云おうか、鬼気迫る復讐者の執念、いや情念に畏れ入った。 収録作は89年から95年にかけて書かれた作品で、バブル景気に浮かれる日本を髣髴させるキーワードが物語に織り込まれていて感慨深い。特に顕著なのが、第1編目の「シャレードはいっぱい」と2編目の「レイコと玲子」。あとがきで作者自身が「もはや時代小説だ」というように、「バブルは遥かなりにけり」の感はあるが、これはこれでそういう時代があったことを知る貴重な資料にもなるのではないか。 しかしこのような長い創作活動の中で埋もれてしまった短編が再び日の目を見るように本に纏められるのも東野が今や当代一の人気ミステリ作家になったからこそだ。こんな東野作品もあったのだと、今の作品群と読み比べてみるのもまた一興かもしれない。しかしやはりバブルは強烈だったなぁ。 |
No.1149 | 3点 | 八点鐘が鳴る時- アリステア・マクリーン | 2014/09/29 13:22 |
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スコットランド沖で暗躍する海賊たちと情報部員フィリップ・カルバートの戦いだ。但し極限状態の自然との闘いはなく、狡猾で悪賢い海賊一味たちに徒手空拳で一人の情報部員が戦いを挑むという、これまたアクション映画のような作品だ。
しかしいきなり物語の渦中に放り込まれた読者は一体何のために主人公がこのような状況に追い込まれ、そしてなぜ主人公がそんな危険な船に潜入したのかがなかなか明らかにされないまま、物語は進み、カルバートたちの任務が明らかになるのは何と全370ページ中なんと240ページの辺り。 この暗中模索の中、物語が進むのは非常に居心地が悪く、カルバートと伯父アーサーの行動原理が解らない為、感情移入も出来ず、また馴れないスコットランド沖を舞台にしていながら、略地図も付されていない為、主人公たちがどこをどう行っているのかまったく位置関係が解らなく、単に読み流すだけになってしまった。 『最後の国境線』以来、どうもこのなかなか物語の粗筋が見えぬままにいきなり話が進んでいくスタイルをマクリーンは取っているのだが、これが非常に私には相性が悪く、全く物語に没入できなくなっている。本書も含め『最後の国境線』、『恐怖の関門』、『黄金のランデブー』などガイドブックでは高評価の作品として挙げられているが、いまいち物語にのれないなぁ。 |
No.1148 | 7点 | 冷たい密室と博士たち- 森博嗣 | 2014/09/23 23:20 |
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一種特殊な建物の中での殺人ということで、いわゆる館物に属するが、森氏の作品に出てくる建物は大学の特殊な実験のために建てられたという点で現実的であることだ。1作目の感想にも述べたが、森氏自身が建築学科の教授でもあるため、出てくる建物が特異であっても奇抜さは感じない。建築基準法に則した建物であり、更には犀川の視点を通じて意匠についてのコメントもあり、リアルさを感じる。
前作でも見られたが森ミステリの特徴としてコンピュータの電脳世界が事件解決の一助になっているところが挙げられるが、本作でもオンラインを活用した犯人のある行動が事件解決の手掛かりとなっている。借りたフロッピーにウィルスが組み込まれており、それが犀川のメールを外部から読むことが出来るようになるというものだ。今では全く目新しくもなく、ウィルスと表現されるプログラムも今で云えばスパイウェアだし、フロッピーディスクやMOが主流となっているデータのやり取りや電話回線でしかないオンラインへの接続も時代を感じさせるのだが、この現実世界と仮想空間の2つの世界をミステリに導入することで、通常不可能と思われたアリバイ、つまり事件が起きた時の不在証明が全く意味を成さなくなることは当時画期的だったのではないだろうか。そしてこの発想は大学生活で日常的にコンピュータのオンラインで業務をしていた森氏にしてみれば至極当たり前のことであり、これを本格ミステリに積極的に導入し、トリックに活かしたことが森氏がもたらした「明日のミステリ」なのだろう。 犀川のドライさ、西之園萌絵のお嬢様ゆえの他者のテリトリーに土足に上がり込むだけでなく、警察の本部長を務める叔父へ強引に協力を求めて捜査記録を拝借する厚顔無恥さは今の私にはなんとも常識知らずとしか思えない。しかし交換数多溢れる本格ミステリの探偵とは元々そんな存在ではないかと一方で思う私もいる。 このドライな感覚、つまり事件の渦中にいながらもどこか他人事のように冷めた視線で物事を見つめる視線は確かに名探偵の必要な要素ではあるが、大学教授である犀川はあまりにリアルすぎて探偵役としてなかなか素直に受け入れられないきらいがある。やはり本格ミステリの名探偵は浮世離れしたエキセントリックさが必要ということか。 S&Mシリーズ全10作を読み終えた時にこのシリーズの真価が解るのかもしれない。犀川と西之園萌絵にこれからどんなことが起き、そして彼らにどんな変化が訪れるのか、根気よく付き合っていこう。 |
No.1147 | 8点 | 氷菓- 米澤穂信 | 2014/09/19 22:41 |
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み、みなさん評価が低い…。
典型的なラノベミステリだが、実はミステリとしては実に高度な構成をしていると思うのだが。 本書の素晴らしい所は本格ミステリとして非常にレベルが高く、そしていわば理想の本格ミステリとなっていることだ。 物語のメインの謎は33年前に神山高校の古典部のOBだった千反田えるの伯父、関谷純に幼き頃千反田が尋ね、大泣きしてしまった古典部に纏わる話の謎だ。この謎を主軸に物語には様々な小さな謎が散りばめられている。 入部初日になぜ千反田えるは鍵を掛けられて部室に閉じ込められたのか? 毎週金曜日に昼休みに借りて放課後の返される本の目的は? 神山高校の文化祭はなぜカンヤ祭と呼ばれているのか? それら小さな謎の真相の数々がメインの謎の手掛かりとなっていくことだ。さらにはそれ以外にもそこここに散りばめられたエピソードや登場人物たちもサブの謎とメインの謎の鍵となり、さながら物語全ての事柄が螺旋状に連なって高みにある一つの真相に寄与していくような感を覚える。 たった210ページ前後の分量しかないのに、ほとんど全ての内容が謎に絡んでくる、実に濃厚な本格ミステリである。これが理想の本格ミステリだと前述した理由でもある。 氷菓に込められた思いも心に響く。なんだか尾崎豊の歌のようだ。 |
No.1146 | 9点 | 極楽行き- 服部真澄 | 2014/09/16 23:14 |
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待ってました!現代の数寄者、佛々堂先生が一風変わった風流を求めて全国を巡り、それに関わった人々のちょっといい話が並ぶ極上の短編集第2弾。いよいよとばかりにページをめくった。
2作目ながらも全くその興趣溢れる彩り豊かな和の世界は衰えず、まさに文字で読む眼福といったところ。 東大寺の春の一大法要、お水取りに始まり、夏は蓮の開花、秋は箱根の山中、そして一年の締めくくり冬は骨董商の納会に除夜の鐘。そんな四季折々の風景や祭事に織り込まれるのは正倉院で写経に使われていた円面硯、利休竹にれんげ米、如泥の盃、利休の書状、鏑木清方作の羽子板、西ノ内和紙などなど、ここには書ききれないほどの日本の技と美の結晶が隅々まで紹介され、物語を彩る。特に本書は利休に始まり、利休に終わる。それはやはり風流人である利休の功績ゆえだろうか。 我々が何気なく使っている日用品や観ている景色、草木や花1つとっても実に深い世界が古来より備わっている。薄1本でさえ、歴史に裏付けされたその時代を生きた日本人の事情と知恵が由来している。そんな忘れ去られそうになる知識をトリビア、つまり役に立たない知識に風化させないためにも服部氏は佛々堂を生み出したのかもしれない。 しかし衣服に書架、食に植物、骨董だけでなく、色んな事物に詳しく理と真を知る佛々堂の博識ぶりには毎度頭が下がる。いやこれは作者服部氏の博識ぶりでもあるわけだが、今回もまた知らない世界を見せてくれた。そしてこのような知識を得ることで今まで我々がいかに物を知らずに生きてきたかを痛感させられる。知識があるのと無いのとではこれほどまでに物が違って見えるのか。知らず知らず我々は無知ゆえに失礼な事や取り返しのつかないことをしているのかもしれないと思うと、恥ずかしくなる。そしてそんな理を知る人が確かにいるのである。そんな世界を知らなかったことがなんとも悔しいではないか。 さて本書では前作『清談 佛々堂先生』の1話目で登場した雑誌編集者の木島直子が登場するのだが、これは物語として輪が閉じることを暗示しているのだろうか?1ファンとしては筆の続く限り、このシリーズを書き継いでほしいものである。 そして一人でも多くの読者が本書を読んでくれることを願いたい。読んだ後、身の回りの風景が1つ変わって見える事、保証しましょう。 |
No.1145 | 7点 | カクテル・ウェイトレス- ジェームス・ケイン | 2014/09/14 00:55 |
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本書はジェームズ・M・ケインが生前に遺した幻の遺作であり、よくぞ訳出してくれたとまずは新潮社の仕事に敬意を表したい。
若き未亡人ジョーンがカクテル・ウェイトレスと云うちょっと露出度の高い制服を着て給仕をする職につくことで富豪の老人に出遭い、状況が好転していく様は『マイ・フェア・レディ』や『プリティ・ウーマン』の系譜に連なるシンデレラ・ストーリーとして読ませる。 しかしそこはケイン。「そしてジョーンはお金持ちと結婚して幸せになりました」的なお伽噺のようには物語は展開しない。 数々のファム・ファタール、悪女を描いてきたケインが最期の作品で書いたのはその容姿と状況ゆえに図らずも悪女に祭り上げられ、マスコミや周囲の好奇の的とされる不遇な女性の物語だった。不遇な女性の立身出世のシンデレラ・ストーリーはケインの手によるとこんなダークな色合いに変わる。 確かに手記ならばジョーンの告白には虚偽が挟まれている可能性もあるだろう。つまりジョーンは自らの犯行を隠ぺいするためにこの手記をしたためた、いわゆる信頼のおけない書き手であるかもしれない。しかし私はそこまで読み込む、いや疑いの眼差しで読むことはしなかった。本書をそのまま受け入れ、単なる伝聞での上っ面だけの情報だけでなく、その目で確かめて本質を見極めた上で自身の考えで判断なされよ。そんなメッセージが込められているように感じた。 |
No.1144 | 7点 | スパイよ さらば- ブライアン・フリーマントル | 2014/09/06 18:41 |
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フリーマントルがジャック・ウィンチェスター名義で発表した本書は実にフリーマントルらしい運命の皮肉に満ちたスパイ物語となった。
これは優秀な二重スパイがいかにして国にボロボロになるまで利用され、果てには国の秘密を保持するために抹殺される運命から逃れる物語である。 たった270ページしかない作品ながら、ここには物語巧者であるフリーマントルによるサプライズが複数用意されている。 まずは主人公ハートマンと息子デイヴィッドとの確執、そしてラインハルト殺害時にハートマンが思わず溢す妻ゲルダに対してのある思い、そしてもう1つは、いやこれは云わぬが華だろう。 妻を強制収容所で慰み者にされ、CIAとKGBに利用され、実の息子にも疎まれ、義理の娘にすら心を開かれず、本書の主人公フーゴ・ハートマンとは何とも報われない星の下に生まれた男だったのか。決して幸せになれない人がいる。そんな男に対するフリーマントルの筆は今回も容赦はなかった。 |
No.1143 | 10点 | バランスが肝心- ローレンス・ブロック | 2014/09/03 23:16 |
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ブロックの第2短編集である本書はまたもや実にヴァラエティに富んだ内容となった。まずファンタジーから始まるのが実に意外。そこから殺人、叙述トリック、詐欺、強請、狂気、本格ミステリのパロディ、リドルストーリー、小咄、サイコパス、探偵物、奇妙な味に更にはジャンル別不可能な物とよくもまあこれだけのアイデアが出るものだと読んでいる最中もしそうだったが、今振り返って改めて感嘆する。
そしてここにはブロックしか書けない作品が揃っている。「処女とコニャック」、「それもまた立派な強請」、「人生の折り返し点」、「安らかに眠れ、レオ・ヤングダール」、「バランスが肝心」、「バッグ・レディの死」などがそうだ。 そんな極上の作品が並ぶ中で個人的ベストを敢えて挙げるとすると「人生の折り返し点」と「バッグ・レディの死」の2作になろうか。 また一種忘れがたいのは「安らかに眠れ、レオ・ヤングダール」。10数ページの小品でその内容は単なるバカ話にしか過ぎない話なのだが、こういう話こそ折に触れ繰り返し語られる不思議な力を持っているものだ。偶然の織り成すおかしみというものがこの作品にはある。 限られた枚数でこれだけのヴァリエーションとアイデアに絶妙なオチをつける、まことに短編は「バランスが肝心」だ。 |