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Tetchyさん
平均点: 6.74点 書評数: 1617件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1177 7点 緊急速報- フランク・シェッツィング 2015/04/03 00:06
総ページ数1,870ページの上中下巻の大作で語られる物語の舞台は今最も危険だと恐れられているイスラム諸国。これは今なお抗争が絶えないイスラエルという歪んだ構造を持つ国が建国され、それに翻弄されたユダヤ人たちの苦難に満ちた物語である。

物語は大きく2つに分けられる。1つは危険に満ちた彼の地で活動するドイツ人ジャーナリスト、トム・ハーゲンがイスラエル政府の闇の歴史に触れたがために政府と反政府組織に追われる身になった逃亡劇だ。
もう1つは20世紀初頭にユダヤ人でパレスティナに移住してきたカーン家とシャイナーマン家という2つの家族の通じて描いたイスラエルの建国から現在に至るまでの苦闘の日々だ。

610ページ以上もある上巻の内容はほんのイントロダクションに過ぎない。上に書いた話の幕明けが入れ代わり立ち代わり語られるだけで正直物語の全体像がはっきりと見えない。物語の核心に迫るのは中巻になってからだ。イスラエルの情報機関<シン・ベット>の極秘データをコピーしたCDをトム・ハーゲンがハッカーから手に入れるところからようやく物語は動き出す。

世界中に点在するユダヤ人たちに安住の地を提供する名目でいきなり作られた国でありながら、それがために周囲のアラブ人たちの反感を買い、常にテロと戦争の脅威にユダヤ人たちを晒し、穏やかな日々が訪れない。ユダヤ人によるユダヤ人の国でありながら、その実ユダヤ人たちを苦しめている、それがイスラエルと云う歪んだ国の正体だ。そしてそれはやがてユダヤ人自身がイスラエルと云う国を崩壊させようという思想まで生み出す。

物語の最後にシン・ベットの作戦本部次長のリカルド・ペールマンが述懐する。自国を、国民を守るために周囲の国々と戦い、パレスティナ過激派集団と戦い、テロと戦ってきたのに平和が一向に訪れず、報復による報復が繰り返されるのみ。暴力の螺旋に取り込まれ、崩壊の道を辿っているのではないかと。

しかし私はこのイスラエルが抱える矛盾が生み出した悲劇を描くのに果たしてこれほどの分量が必要だったのか、はなはだ疑問に感じられる。実在の政治家をふんだんに盛り込みながら仔細に語る内容はそれが故に盛り込みすぎて冗長で冗漫に思えてならない。
相変わらず引き算をしない作家だという思いを新たにした。“調べたこと全部盛り”と勘繰らざるを得ないほど、情報過多であり、正直上巻の中身を読むと、これほどの紙幅を割く必要があったのかと首を傾げざるを得ないエピソードが満載である。しかも文体はどこか酔ったところがあり、その独特のリズムに馴れるのも難しいし、またなかなか頭に入ってこないきらいもある。

複雑怪奇な中東問題をこれだけの筆を割いてもきちんと書けたかが解らないと作者自身もあとがきで述べているように、読者である私も十分理解したとは云えないだろう。ある程度前知識が必要な作品である。しかし世界にはまだこれほど危難に満ち、安寧とは程遠い国があるのだ。
そしてテロリスト集団イスラム国の標的に日本人もなっている昨今、既にこの物語は対岸の火事ではなくなっているかもしれない。そうもしかしたら今そこにある危機の1つなのかもしれない。

No.1176 7点 夜明けの光の中に- ローレンス・ブロック 2015/03/09 23:02
ローレンス・ブロック短編集第3集の本書はシリーズキャラクターであるマット・スカダー物3編、泥棒探偵バーニイ・ローデンバー物が1編、エイレングラフ物が2編、そして以後シリーズキャラクターになる殺し屋ケラー物が1編含まれた全20編で構成された実に贅沢な短編集である。
今回の作品では前の2集とは異なり、何とも云えない後味を残す作品が多い。

収録作が80年代末から90年代に掛けての物が多いせいか、当時の流行を反映してサイコパス物や人間の不思議な習慣や行動に根差した作品が多く感じた。これが発表当時、世紀末だったことに起因する特異性なのか解らないが、奇妙な味わいを残すオチが多い。割り切れなさとでも云おうか。
従ってウィットの効いたオチや切れ味鋭いオチを期待するといささか肩透かしを食らった感じがするかもしれない。実際そういった類の作品は「夢のクリーヴランド」、「死にたがった男」、「どんな気分?」ぐらいしかなく、大半が敢えて結末をはっきりと書かないことで余韻を残すような書き方をしている。
これはブロックに限った話ではなく、国内作家でも見られる形で、いわゆる大団円的なフィナーレやスパッとした切れ味といったカタルシスを残す遣り方は少なくなってきており、登場人物たちの人生という1本の線のある時期を切り取った描き方をして、今後も彼らの時間が続いていくような区切のつかない終わり方が多くなってきている。これは物語の在り様の変化なのだろう。

さてそんな短編集の個人的ベストは「胡桃の木」、「慈悲深い死の天使」、「フロント・ガラスの虫のように」、「どんな気分?」の5つを挙げる。
これら4作品に共通しているのは先にも述べた世紀末特有の厭世観がもたらす法律による善悪よりも道徳としての善悪、つまり死に値すべき者、そして死を望む者に敢えてそれを施す行為がなされていることだ。
特に「胡桃の木」はDVに悩まされる暗鬱な夫婦関係と遺伝と云う家系の業をひたすら重く語り、最後にサプライズを仄めかす、まるでレンデルが好んで描く抗えない血の呪いといった運命の悪戯が描かれており、ブロックの新たな境地を垣間見たような気がした。

こんな短編集が絶版で手に入らないのは誠に勿体ない話である。

No.1175 7点 冒険小説論- 評論・エッセイ 2015/03/05 22:51
第47回日本推理作家協会賞の評論その他の部門賞を受賞した北上次郎氏渾身の評論集。内容は大きく分けて海外編と国内編に分かれている。

この海外編は実に素晴らしい。19世紀の小説から幕を開けるが、その流れは欧米の経済発展、特に産業革命後の新しい世界の幕明けと冒険活劇小説が連動して発展していく様子を実作を並べて述べており、小説が時代を映す鏡であり、またその時代に生きた人々の勢いや息吹さえも感じさせることを教えてくれる。
例えば大航海時代を経たヨーロッパの国でハガードのような秘境冒険小説が発展したこと、アメリカでは西部小説が発展し、フロンティア精神が冒険小説を発展させていったこと、産業革命が人々に科学への関心を向けさせ、ヴェルヌの小説がそれまで未開の領域だった海底や大空を当時の最新科学の知識で行けることを知らしめ、新たな世界への進出を夢見させたことなど、冒険小説が時代時代の分岐点を契機に発展し、また変化していたことを詳らかに述べる。
特に作者は“70年代の壁”をどう乗り切ったかについてそれぞれの作家の実作を以て繰り返し語る。米ソの対立が緩和されたこの時代の大転換である者は自然の厳しさに敵を見出し、ある者は時代を遡り、明確な敵のいる第二次大戦に題材を掘り起こす。またある者は“現代の秘境”を題材に作風を敢えて変えないことで乗り越えた者もいれば、己の恐怖心こそ最大の敵と見出し、長きスランプを脱した作家もいる。この辺りの流れは毎日読んでいて非常に楽しかった。それを裏打ちする北上氏の膨大な読書量にも驚かされた。

この海外編を読んで意気昂揚して臨んだ国内編の落差には正直非常に失望した。
なんと全30章で構成される同編の内、27編が時代小説、時代伝奇小説の掘り下げに終始するのだ。私が非常に愉しみしていた70年代から始まる日本の冒険小説の流れは最後のたった3章で駆け足程度でしか語られない。これはあまりにひどすぎる。非常にバランスの欠いた内容となってしまっているのだ。これは欧米に比べ、たかだか数年でしかない日本の冒険小説の歴史の浅さゆえにまだ発展途上で未成熟の分野だということを北上氏は語っているのだろうか?
いやあとがきを読むにそれは予想以上に時代伝奇小説に氏が没頭してしまったことによるところが大きい。3章の内、大きく語られるのは大藪晴彦氏と夢枕獏氏のみ。かつて一世を風靡した志水辰夫氏や船戸与一氏、北方謙三氏などは末節で語られるのみである。

舌鋒鋭い感想になってしまったが、大変惜しい評論集である。稀代の読書家であり書評家である北上氏の仕事としては竜頭蛇尾の如き作品になってしまった。ただ氏はその後も『極私的ミステリー年代記』などの大著もあるので、そちらを期待したいと思う。
本書は論者が趣味に走ったがために傑作になり損ねた評論集である。実に勿体ない。

No.1174 7点 このミステリーがすごい!2015年版- 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 2015/03/04 23:15
国内ランキングを見ると今年は短編集が強かったという印象だ。1位の『満願』、2位の『さよなら神様』、4位の『小さな異邦人』と上位5作品の内、4作品が短編集という特異なランキングとなっている。さらには惜しまれながらも逝去した連城三紀彦氏の作品が2作もランクインし、その他月村了衛氏、黒川博之氏が同じく2作ランクインしている。また唯一長編で上位5位に食い込んだのは何と今年の乱歩賞受賞作『闇に香る嘘』というのも大きなトピックだろう。この新人の2作目が最近刊行されたが、この評価も気になるところだ。後は純文学の垣根を超えて最近はランキングの常連となった吉田修一氏が『怒り』が入り、『ロスト・ケア』でデビュー作がランクインした葉真中顕氏も2作目が11位にランクインし、実力がフロックでないことを証明した。久々にミステリど真ん中の作品『獏の檻』を出した道尾秀介氏も11位とまずまずといったところか。
逆にかつてはランキングの常連だった真保裕一氏がランキング外でも掠りもしなかったことが残念。また三津田信三氏も刀城言耶シリーズが今年も刊行されなかったのも懸念される。

さて海外のランキングは『忘れられた花園』でランクインしたケイト・モートンが『秘密』で2位にランクインし、破格の新人と評されたロジャー・ホッブズの『ゴーストマン 時限紙幣』が3位、続く4,5位も新人テリー・ヘイズの『ピルグリム』、ダニエル・フリードマンの『もう年はとれない』と新人尽くしのランキングとなった。新人に注目すると6位以下も『ハリー・クバート事件』のジョエル・ディケールを筆頭に4作がランクインと紹介される作家の質が高まっている感が強い。常連に注目すると、最近は未訳作品が紹介されるとランクインが定着しているヘレン・マクロイにアンソニー・バークリー、現役作家ではミネット・ウォルターズ、マーク・グリーニー、ヘニング・マンケル、マイクル・コナリーらが順当に入った。
残念なのは今年こそは20位圏内かと思われたジョー・ヒルが圏外だったことと、殺し屋ケリーシリーズが復活したブロックが圏外にも入らなかったこと。そして年々ランキングを下げていたディーヴァーがとうとうランク外になったことも残念だった。

そして昨年の『幻の名作ベスト10』に引き続いて国内短編のオールタイム・ベスト選出は嬉しい企画だった。しかも前回では不満だった選者の選評も掲載されており、ランキング以外の選出作も垣間見れて大変満足。そしてこのオールタイムベストでは連城三紀彦氏の「戻り川心中」がトップに選出されており、他にも20位内に3作がランクインしているという強さを見せた。今年のランキングでも没後ながらも2作もランクインしている連城氏のクオリティの高さを思い知らされた。

以前からウェブ上の感想でも不満として挙げられていた『このミス』大賞受賞者による描き下ろし短編も最近評価の高まっている柚月裕子氏の短編のみ(読んでませんが)になり、さらには昨年好評だった『幻の名作ベスト10』に続いての国内短編オールタイムベスト選出とようやく往年の『このミス』が還ってきた感がある。紙質は相変わらず悪いが、単にその年のミステリ傾向を記録するためだけに存在していたかのような中身がスカスカの頃に比べるとミステリ好きの興趣をそそる内容になりつつあるのは喜ばしい。

No.1173 7点 北海の墓場- アリステア・マクリーン 2015/03/01 00:07
厳寒の北極海を舞台にベア島なる孤島に向かうハリウッドのロケ隊の一行。主人公はその映画会社オリンパス・プロダクションに雇われた医師マーロウ。今までのマクリーン作品の読者ならば、厳寒の海が舞台であればまたも過酷な環境と苦難の連続の航海が一行に待ち受けているだろうと想像するが、本書はそんな読者が抱く先入観を裏切り続けて物語は進行する。

もはや老朽化という言葉を超えた船の乗客や乗組員が直面する災難は荒々しい波濤や物の数秒で凍てつくブリザードでも、触れるだけで大破するほどの絶望的な大きさを誇る流氷などが現れる極寒の環境ではなく、なんと激しい船酔いなのである。

さらにはベア島に着くと一行は島にある観測隊が以前使用していた小屋に落ち着くが、いきなり第一の殺人が起こる。それを皮切りに次々と関係者が一人また一人と不審死を遂げる。犯人は島にいる関係者の中にいるというシチュエーション。つまり厳寒の島で繰り広げられるのは何と本格ミステリでいうところの“嵐の山荘物”なのだ。しかしなんと島に留まっているのは主人公のマーロウを含めて22人にも上る。なんとも容疑者の多すぎる孤島物ミステリだ。

ただやはりマクリーンはサプライズを好む作風であるのだが、どうもそれがうまく機能していないように感じる。今回は主人公のマーロウがそれほど思わせぶりではなく、また物語の中盤で自身の正体を明かすため、ほどなく物語に入り込めたものの、最終章で一気呵成にマーロウの口から新事実が次々に明かされる構成はやはりバランスが悪く、作者の独りよがりだという感は否めない。専門知識や機器の詳細などの微細な描写や説明、そして不屈の精神を持った人物の描写などは抜群に上手いのだが、物語を書くのがそれほど上手くないのだ。本書のようにミステリ趣向の作品を読むと如実にそれが表れてくる。手掛かりや伏線の出し方の匙加減が下手だと云ってもいいだろう。

しかしマクリーンもかなりの変化を見せた作家であることが本書で証明された。次の主人公はいかなる人物か、興味がまたでてきたではないか!

No.1172 7点 まどろみ消去- 森博嗣 2015/02/24 23:15
S&Mシリーズの連作短編集かと思いきや、なんとシリーズとは離れたノンシリーズの短編集だった。全く人を食った作風の森氏らしい計らいだ。
しかしこれほどまでに短編を書き溜めていたとは思わなかった。その作風は実にヴァラエティに富んでいる。
景色を丹念に書き綴った田舎風景が印象的な作品もあれば、一転してファンタジックな詩を思わせる作品もある。そして奇妙な味のような作品もあれば、S&Mシリーズを髣髴させる大学を舞台にしたサスペンス物もあり、半自伝的な恋愛物もあったり、作中作に幻想小説と物語のエッセンスがふんだんに盛り込まれている。

しかし一番面白いのは森博嗣という作家そのものだろう。なんせ現役の建築学科の教授、つまり理系の教授がこれほどまでに色んな物語を書いていることだ。特に1作目の「虚空の黙禱者」の匂い立つような田舎の風景描写には驚かされてしまった。
正直に話せばS&Mシリーズは大きな謎1つで400~500ページの長編を引っ張る構成に冗長さを覚えていたが、短編では森氏独特の奇抜なワンアイデアを中だるみなく楽しめることが出来、この作家は短編向きではないかと思った。

さて本書のタイトルは『まどろみ消去』。私は本書を読むことで眠気も覚めるという作者の自信を森氏ならではの文体で表現した物だと理解していたが、英題は“Missing Under The Mistletoe”、直訳になるが『寄生木の下での消失』といささか幻想めいたタイトルである。この英題から想起させられるのは明るい日差しの中、寄生木の下で読んでいるといつの間にか異世界に連れて行かれた、そんなイメージだ。どちらにせよ、実に森氏らしいタイトルである。さて貴方の眠気は覚めるだろうか?

No.1171 7点 追憶のカシュガル- 島田荘司 2015/02/21 00:31
日本の古都京都はその永き歴史ゆえに様々な言い伝えや伝承が今なお息づいており、点在する名所や史跡にはそれらが成り立った理由や逸話が残っている。
そんな古都にまさか御手洗潔が住んでいたとはミタライアンでも驚愕の事実であっただろう。しかも京大の医学部出身だったとは。横浜の馬車道を住処にしていた御手洗が関西ならば神戸辺りが適所だと思うが、京都とは意外だった。そんな京大時代に御手洗は休学し、海外放浪をしていた。そして京大を目指す予備校生サトルを相手にその時に出遭った人々の話を始めるというのがこの連作短編集だ。

特徴的なのは御手洗潔の短編集でありながら本書では御手洗潔は推理をしない。つまりミステリとしての謎はなく、御手洗はあくまで彼が海外放浪中に出逢った人々から聞かされた話をサトルに語るだけなのだ。謎を解かない御手洗の姿がここにある。
しかしこれら彼が経験した出逢いは御手洗にとって人間を知る、歪んだ社会の構図を知る、そして島国日本に留まっているだけでは理解しえないそれぞれの世界のルールを知り、その後快刀乱麻の活躍ぶりを発揮する名探偵としての素地を形成するための通過儀式のように思える。社会的弱者に対する優しき眼差しはこの放浪で培ったものなのだ。

今や社会は弱者に対して優しくなったと思う。バリアフリーは進み、知的障害者に対する理解も増え、学校では支援学級が必ず存在するようになった。また外国人への規制も緩くなりつつあるし、さらにはトランスジェンダーへの理解も広がり、性同一障害者がテレビをにぎわすほどにもなった。
しかしそんな社会もかつて虐げられた人々の犠牲の上にごく最近になって築かれてきた理解の賜物であることを忘れてはならない。この御手洗潔が語る弱者への容赦ない仕打ちこそがほんの10年位前にはまだ蔓延っていたのだ。
本書は御手洗の海外放浪記であるとともに世界の歴史の暗部を書き留めておく物語でもある。人間の卑しさを知った御手洗がその後弱者の為に奔走する騎士となる、そんなルーツが知れるだけでもファンは読み逃してはならない。

No.1170 7点 魂をなくした男- ブライアン・フリーマントル 2015/02/15 01:49
『片腕をなくした男』から始まる三部作の完結編である本書は相変わらずそれぞれの部門長の椅子の安泰と自らの進退を賭けたディベート合戦で幕が開く。

複雑な様相を呈する一連の事件の真相が解る3部作の完結編という重要な位置にある作品にしては実に動きのない話である。何しろ展開されるのはまず亡命したマキシム・ラドツィッチへのMI6による尋問と同じく亡命したイレーナ・ノヴィコワに対するCIAによる尋問、そしてナターリヤ・フェドーワに対するMI5からの尋問、そしてロシアに拘束されたチャーリーのロシア連邦保安局による尋問、そして英国官房長官アーチボルト・ブランドを議長にする危機管理委員会におけるMI5部長オーブリー・スミスとMI6部長ジェラルド・モンズフォードを中心としたそれぞれの立場と自尊心を賭けたディベート合戦なのだ。

しかしやはり三部作の最後を飾る本書はそんな退屈なシーンを我慢するに値するサプライズが待ち受けている。下巻の230ページで明かされる衝撃の一行。それはロシアの元KGBの大物マクシム・ラドツィッチが実は別人であったという事実。それまでの全ての記述がそのまさかのサプライズを裏付けていく。

ただし、それでも小説全体の評価は傑作とまではいかなかった。それはやはり前述したように物語自体が全体的に動きに乏しかったこともそうだが、今回の訳は日本語として体を成していない文章がところどころ目立ったことも大きな一因である。訳者は昨今のフリーマントル作品の訳を担当している戸田裕之氏なのだが、中学生や高校生が教科書に書かれた構文をそのまま訳しているような、実に解りにくい文章が散見させられた。原文がどう書かれているかは知らないが、せめて日本語として文章を書くのであれば作者の意図する内容を噛み砕いてほしいものだ。

しかし最後の最後まですっきりとしない物語だ。私はこの三部作こそが長きに亘って書かれたチャーリー・マフィンシリーズの終幕として著された作品と思われたが、どうやらそうではないらしい。窓際の凄腕スパイ、チャーリー・マフィンを世界は必要としている。

“Show Must Go On.”

No.1169 10点 獣たちの墓- ローレンス・ブロック 2015/02/05 23:27
『倒錯三部作』の掉尾を飾る本書では2人組のレイプ・キラーをマットが見つけ出す物語。

そんな陰惨な事件に今回は前回登場したスラムに住む少年TJが大活躍する。電話会社から公衆電話の番号を訊き出す方法だったり、ジミー・ホングとデイヴィッド・キングという凄腕ハッカーを紹介して犯人の行動範囲を限定したりとする。
特に次の誘拐事件が起きた時には犯人の顔と車のナンバーを抑えるなど八面六臂の活躍を遂げる。正直前作に登場した時はただの小生意気なスラムの少年だとしか思えなかったが、この活躍で一気に彼が好きになった―特に400ページのTJの台詞はこの暗鬱な物語の中で思わず笑い声を挙げたほど爽快な一言だ―。
今回ミック・バルーは警察からの嫌疑を免れるため、アイルランドに逃亡中で不在であったため、物語の面白味が薄れるかと思いきや、TJがその代役を果たしてくれた。マット・スカダーを取り巻く世界はますます濃厚になっていく。

これら三部作で語られる事件は魂が震え上がる残酷な事件ばかりだ。従って事件も展開もアクティブになっていく。私は『墓場への切符』の感想で“静”のスカダーから“動”のスカダーに切り替わったと述べたが、それはただ人に便宜を図る程度の捜査ではこれら社会に蔓延る強烈な悪意の塊のような輩には到底立ち向かえないからだ。だからこそマットも動き、人と人との間を歩くのではなく、駆けずり回らなくてはならない。特に本書ではハッカーを使ってまで犯人の行動を摑んでいく。これは以前のスカダーシリーズでは全く考えられなかったことだ。
そしてもはやこれほどまでに強大な悪には1人の力では立ち向かえない。前作ではミック・バルーと云う犯罪者の力を借りて敵を討った。そして今回は麻薬ディーラーの持つ闇の繋がりを以て敵と相見える。悪を以て悪を征する構図は本書でもまた引き継がれたのだ。

“狂気の90年代”とはクーンツが当時盛んに取り上げたテーマだったが、1992年に書かれた本書もまた同じだ。『倒錯三部作』とは時代が書かせた作品群だったのだろう。

私はこれら3作が『倒錯三部作』と日本の書評家たちが勝手に名付けたことがどこか心に引っかかっていたが、それはこれらの3作品が性倒錯者による陰惨な犯罪にマットが立ち向かう作品群であり、個の戦いから仲間と巨悪との戦いへの変遷であると書いてきた。しかし本書を読んでからはエレインとの再会で始まり、エレインへのプロポーズで終わる三部作でもあるのだと気付かされた。
全ては地続きで繋がっている。このマット・スカダーシリーズを読むとその感慨が一層強くなる。1作目から読んできたからこそ味わえるマットに訪れた安寧を我が事のように思いながらしばし余韻に浸りたい、そんな気分だ。

No.1168 7点 巡礼のキャラバン隊- アリステア・マクリーン 2015/02/03 00:00
北上次郎氏の『冒険小説論』によればマクリーンは冒険小説に謎解きの要素を加えた作家であるとのこと。確かにそうだが、以前から感想で述べていたようにマクリーンは読者をいきなり物語の渦中に投じ、人物背景や設定などを一切語らずにストーリーを進め、それら自体が謎となっているため、開巻してしばらくは非常にすわりの悪い読書を強いられるが、本書もまたその手法に則って書かれているおり、ジプシーのキャラバン隊の指揮者チェルダが一員のアレクサンドルを追跡の末、殺害する顛末が描かれるプロローグはこのチェルダという男がただの巡礼者でなく、ある秘密の目的を持っていることが分かるものの、いきなり彼らジプシーたちに命を狙われることになるネイル・ボーマンの逃走劇に何の前知識もないまま付き合わされることになる。
その逃走劇自体は非常に映像的でわかりやすく、なおかつスリリングであるのだが、やはり物語の前置きがなく、状況がよく解らないままに進むため、なんとも居心地の悪い思いをしながらの読書となった。

今ではマクリーンは『ナヴァロンの嵐』を最後に、作品の質は下り坂を辿り、後期の作品には読むべき物はないとされている。北上次郎氏は前掲の評論で自身の作風に固執して時代の流れに乗りきれなかった作家として切り捨てている。
特に冷戦の緊張緩和、CIAのスキャンダル発覚でもはやスパイやエージェントがヒーローで無くなった時代になってもなおエージェントを描いて空回りしているのがまさにこの頃のマクリーンで、確かに本書も親の莫大な遺産を引き継いだ有閑人として登場したボーマンとキャラクターの濃いクロワトール公爵が、それまでマクリーン作品を読んできた読者の大方の予想通りにエージェントであったこと、そして歯の浮くようなハッピーエンドで幕を閉じるなど、当時の時代背景を考えると一種お伽噺のような感がしないでもない。
しかしそれでもなお絶壁での逃走劇に荒ぶる巨牛との闘牛シーン、さらにはボートによる海上での戦いなど随所に盛り込まれるアクションシーンの迫真性はやはりこの作家ならではのりアリティに溢れている。

No.1167 7点 封印再度- 森博嗣 2015/01/24 23:53
このサイトで大半を占めるように、私も萌絵の非常識さに辟易・憤慨しました。
叔父が愛知県警の刑事本部長と云う地位を利用して他人の殺人事件に土足でずかずかと入り込んでくる無神経さがどうも気に入らない。いや押しなべてミステリに登場する探偵とはそのような物だが、西之園萌絵の場合は本部長の叔父が快く思っていないのにこそこそと事件に関わってくること、自分の容姿が他人の目を惹くことを知っているため、それを利用して事件に介入すること。
最たるは不治の病に侵されていると嘘をついて犀川の気を惹こうとしたことの何たる幼さ!それが契機になって萌絵との結婚を決意し、婚姻届さえ書いた犀川の徒労は計り知れない。世の中にはついていい嘘と悪い嘘があるが、そんな分別がつかない我儘娘はどうにも合わない。

壺と箱のトリックの真相は50/50といったところ。壺から箱への部分は思わずすごい!と声を挙げたが、箱から壺への部分は、(物の再現性と被害者の気力も含め)こんなに上手く行くんかいな?と納得できない感が残った。
事件の真相もなんだか煙に巻いたようではっきりしないし。

ストーリー、トリックの点数は3点。本書の神髄はタイトルにある。これはまさに秀逸。同じ発音をしながら意味は違えどどちらも物語の本質をついているまさに見事な題名。これで+4点とした。

No.1166 10点 倒錯の舞踏- ローレンス・ブロック 2015/01/16 23:07
『倒錯三部作』の第2作。前作ではマットとエレインがかつて刑務所に送り込んでいた殺人鬼との決闘を描いたが、本書ではスナッフ・フィルム、即ち殺人の一部始終を映したポルノフィルムが扱われている。その内容も過激で思わず怖気を震ってしまった。

とにかくこのスナッフ・フィルムの犯人バーゲン・ステットナーとその妻オルガの造形が凄まじい。世の中にこれほどまで人格が捻曲がった夫婦がいるのかと思えるほど、理解し難い人物だ。
こんな世界をブロックはマット・スカダーの叙情的で淡々とした筆致で描いてなお、読者の心の奥底に冷たい恐怖を植え付けていくのだから畏れ入る。

ここで今までのシリーズを振り返ってみると、『聖なる酒場の挽歌』までのマットは依頼者の災いの種を頼まれるがままに探り、問題を解決してきた。時には己の正義に従って鉄槌を下すこともあったが、それはあくまで彼が関わってきた他者のためだ。またそれらは依頼者の過去に向き合い、忘れ去られようとしている事実を掘り起こして白日の下に曝す行為であった。それはまた物語に謎解きの妙味を与え、意外な犯人、意外な真相と云ったミステリ趣向も加味されていた。
そして前作『墓場への切符』では一転して彼の過去の亡霊が現代に甦って自身とエレインに立ち塞がり、それを打破するために立ち向かう物語だった。つまり彼自身の事件であり、彼を取り巻く世界に現れた脅威との戦いの物語だった。従ってそれまでとは違い、敵は明確であり、物語はどのようにマットが決着を着けるのかが焦点となった。
そして本書はそれまでのシリーズの持ち味を合わせた内容となっている。過去に見たスナッフ・フィルムが今マットが依頼された事件と交錯し、意外な像を描く。そして彼の眼の前に明確な敵が現れ、マットはそれと対峙していく。
しかしこの敵はマット個人とはなんら関係がない。むしろ関わりを持たずに暮らすことも全く可能だった。しかしマットはたまたまAAの集会のメンバーから渡されたビデオテープで見てはならない社会の醜悪な病理を知ってしまい、その根源と出遭ってしまったことで、無視できなくなってしまった。そう、本書でマットが向き合った相手は複雑化する社会が生み出したサイコパスだった。

自分の正義に従ってきたマットが本書で行き着いたのは社会で裁かれない悪を悪で以て征することだった。そしてマットは決して傍観者に留まらず、自らもその渦中に飛び込み、そして自身も手を血に染める。

このようにマット・スカダーシリーズは作を追うごとに新たなる試みと進化と深化を遂げていく。『八百万の死にざま』でアル中探偵マットが酒を止めるという大きな変化に到達し、その後マットの古き良き時代の物語『聖なる酒場の挽歌』を経て、シリアル・キラーとの対決と云う新たなる進化を遂げた『墓場への切符』をさらに本書で越えてみせたブロック。1作ごとに新たなる高みに向かうこのシリーズが次にどこに向かうのか、その答えが本書の最後の1行にある。これこそ作者自身にも解らないほどの物語を紡いでしまった感慨の表れだろう。しかし幸いなことに我々はこの後もなおシリーズが進化していくのを知っている。

No.1165 8点 流星の絆- 東野圭吾 2015/01/12 00:27
ストーリーは単純ではあるが、プロットは実に用意周到だ。特に唸らされたのは功一たちの生業が詐欺師であることだ。これが実に効果的に物語に働きかけている。主人公の3人は容易に警察に協力を求められないのだ。この辺の必然性は実に上手い。

物語の約1/3の辺り、泰輔が幼き頃に見た犯人を視認した後の物語の疾走感は半端ではなかった。積年の恨みを晴らすために3人兄弟のブレイン功一が策を練り、カメレオン俳優の泰輔と静奈がそれを演じ、接近していくがなかなか上手く進まない展開に忸怩たる思いを抱きながらも、先の読めない展開にハラハラし通しだった。詰将棋のように容疑者を犯人に仕立てるために仕掛けを施していく3人兄弟のマジックが、521ページ辺りからはまさに怒涛の展開だ。読者はまさに東野氏の掌の上で踊らされるだけになってしまう。

それだけに事件の真相が悔やまれる。動機はありがちなメロドラマである。この単純さが実に残念だった。

しかし腑に落ちないのは防犯カメラの存在を全く作者が無視していること。両親殺害事件で刑事が訊き込みに行くコンビニで、全く防犯カメラの映像提供について触れないのはおかしい。『使命と魂のリミット』でも病院の受付用紙の中に犯人のメッセージが潜り込んでいたシーンでも当然大病院にあるであろう防犯カメラについては一切触れなかった。防犯カメラは東野ミステリ世界では存在しないかのようだ。一工夫理由を考えればクリアできると思うのだが、どうしてだろうか?

No.1164 7点 荒鷲の要塞- アリステア・マクリーン 2015/01/04 18:48
難攻不落の要塞への進入行と云えばやはり『ナヴァロンの要塞』を思い起こさずにはいられないだろう。再びマクリーンが極寒の地にある要塞を舞台にした物語は拉致されたアメリカ高官の救出劇。
作者も『ナヴァロンの要塞』との区別をつけるために色んな特色を出している。まず物語の目的は『ナヴァロンの要塞』が巨大な砲台の破壊だったのに対し、本書は上に書いたような救出劇であり、しかも『ナヴァロンの要塞』が男ばかりのチームだったのに対し、本書は女性のメンバーも加えていることが目新しい。
さらに吹雪の中でケーブルカーの屋根に捕まって要塞に潜入したり、また同様に敵と戦かったり、さらにはバスで豪快に脱出したりとまあ、何とも映画化を意識した作りになっている。

後期のマクリーン作品は評論家によればスパイ・冒険小説と謎解きの融合が特徴であるらしく、唐突に物語が始まり、主人公の意図、目的が示されないまま、進行し、中盤以降でようやく主人公の意図が見えてくるという趣向もまたミステリの様式を汲んだものとして捉えられるが、今まで書いてきたように、個人的には成功しているように思えず、手放しで評価できなかった。
しかし本書の前に読んだ『北極基地/潜航作戦』は特にその色合いが濃く、前半は極寒の地での潜入劇、後半は潜水艦内で起きる連続殺人の犯人を突き止めるという本格ミステリのテイストが盛り込まれていた。
本書はその流れに沿うような形で、極寒の山頂に聳え立つ難攻不落の要塞への潜入劇とその任務の中で起きる仲間の不審死の謎と構造は全く以て同じと云っていいだろう。
しかしマクリーンはもう1つそこに味付けを加えている。それは読んでのお楽しみと云う事で。

ただ本書では全てがスミス少佐の掌上で展開した感があり、派手で手に汗握るアクションシーンが連続しても全てスミスの思惑が的中して、読者に一体この後どうなるのかという不安を抱かせるような構成になっていないのが玉に瑕である。例えば敵国の要塞の只中にいるにも関わらず、敵国の軍服を着ており、ドイツ語を話せるスミスは敵に見つかるたびにナチス高官を装って、煙に巻くし、ところどころで事前の仕込が全て有機的に働いて危難をスマートに切り抜ける。いうなればスミス少佐はハリウッド映画が描く超人的な体力と技能を持つスーパーヒーローなのだ。

特にハリウッドアクション映画色が濃い本書でもやはり極寒の地での潜入劇の迫真性や銃器、兵器などの専門的な知識に裏付けられた詳細な描写はマクリーンならではのリアルさに溢れている。

No.1163 7点 エディ・フランクスの選択- ブライアン・フリーマントル 2014/12/29 01:00
競争心。それはお互いのプライドと克己心を育て、向上心を伸ばす。しかしそれが行き過ぎると斯くも歪んだ大人になってしまうのかをこの作品は思い知らせてくれる。
イタリア系移民の家族に育てられたユダヤ人エディ・フランクスとその家族の長男ニッキー・スカーゴウ、この2人のある原初体験が物語の軸となっている。

ナチスの、執拗なユダヤ人狩りからの逃亡生活の末、アメリカに流れ着いたアイザック・フランコヴィッチの息子エドマンド・フランコヴィッチはエディ・フランクスと名を変え、エンリコ・スカーゴウに引き取られて、彼の実息のニッキーと常に競わされ、比較されながら育てられた。そのため彼にはニッキーに対して拭いきれない劣等感を抱えており、いつか彼を見返してやるというのが彼の成功の原動力となった。
これはイタリア系民族の、父親が絶大なる権威を誇る典型的な家系ゆえの慣習なのだろうが、この原初体験が逆にエディとニッキーの生活を脅かす結果になる。

マフィアによって会社を犯罪に利用された男が報復を恐れて裁きの舞台に立つことを制止する家長らの反対を押し切って戦いを挑む物語。
通常であれば苦難を乗り越えた主人公がどうにか勝ちをもぎ取り、悪に鉄槌が下るのが定石だが、やはりフリーマントルは一筋縄ではいかなかった。

母国イギリスでは“スパイ小説界のルース・レンデル”と呼ばれていないのだろうか。しかしため息が出る結末だ、本当に。

No.1162 7点 詩的私的ジャック- 森博嗣 2014/12/21 21:57
S&Mシリーズ第4作目の本書もまた密室殺人を扱ったものだ。もしかしたらこのシリーズは密室殺人事件のみを扱ったシリーズなのだろうか。

しかし本書では密室の謎がメインではない。冒頭2つの密室は早々に解かれる。本書のメインの謎とはこれら密室を作るための至極面倒な手順を何故犯人は行い、密室を形成したのか?だ。

このWhyの解は個人的には予想を超えて非常に興味深い物だった。どこか泡坂妻夫の歪んだ論理を思わせる。ただそれに比して犯人の動機の弱さにはまいってしまった。どなたかが書かれていたが、矛盾していると思うからだ。

本書の意義は建築の知識を前3作にも増してふんだんに使っているところにある。ジェットセメント、エポキシ樹脂などは常日頃建築の仕事に携わっている物にしてみれば珍しくもなんともない代物だ。
痛快なのは数多あるミステリに登場する建物や館の珍妙さを専門家の視点から嘆いているのが実に面白い。特に推理小説は建築基準法や消防法のない世界なのだと萌絵が吐露する件は思わず何度も頷いてしまった。

そういう意味で考えれば本書における密室殺人は全て建築の知識を用いて成された物。それが故に犯人も建築学科の大学院生であったわけだが、つまりはきちんとした建築の知識があれば密室などはいとも簡単に作れるということを暗に示しているように感じた。見た目は閉じられているが、板一枚簡単に外れるし、そこには隠れた抜け穴があるのだという、建築業界にとっては至極当たり前のことを本書では素人相手に示したことに意義がある。

ただまだ私には西之園萌絵の無神経で厚顔無恥ぶりには抵抗を感じる。本書では自分の甘えを痛感するといった場面もあったが、もう少しどうにかならない物だろうか?
シリーズ物はいかにキャラクターに親近感を覚えるかがカギなので、この先のシリーズで萌絵が成長してほしい。私に免疫が出来るのとどちらが先だろうか。

No.1161 7点 007 白紙委任状- ジェフリー・ディーヴァー 2014/12/16 23:45
あのディーヴァーが世界的有名なスパイアクションシリーズである007シリーズを手掛けるニュースを聞いた時は正直期待半分不安半分だった。私自身007は映画は観ていたものの、小説は未読だったのもあったし、ライムシリーズやキャサリン・ダンスシリーズと云う2つの看板シリーズを持っているディーヴァーにそれらと差別化できる特色が出る作品が果たして可能なのかと疑問視していた。
しかしそれは杞憂だった。ここには007シリーズを想起させながらも新たなジェームズ・ボンドがいる。若々しく、スマートフォンとアプリを使いこなす現代のスパイとしてのボンド像をディーヴァーは創り出した。そうでありながらも彼のボスはMであり、スパイグッズの発明家Qも出てくるし、ボンドカーと彼を取り巻く美女がきちんと配され、ファンが期待するボンドの定番も忘れられていない。

さてディーヴァー版ジェームズ・ボンドの相手となる敵は巨大ゴミ収集企業グリーンウェイ・インターナショナルの代表取締役セヴェラン・ハイトとその相棒で冷酷な殺し屋ナイアル・ダン。
今なお創られる007シリーズ映画の敵はもはやソ連の秘密組織や戦争を企む武器商人などではなく、世界を牛耳る巨大企業による、その得意分野に特化した世界征服の野望を持つ狂える企業人であるが、本書もその流れを汲む物だ。
しかしただのゴミ回収業を営む一企業人がスーパー・エージェント、ジェームズ・ボンドの敵になり得るのかと疑問を持つだろうが、そこはやはりディーヴァー、この業界が実に世界を脅かす恐るべき存在になり得ることを見事に示した。
まず今回は死体愛好家であるセヴェラン・ハイトが相棒のナイアル・ダンと企む「ゲヘナ計画」が何であるかを突き止めるのが今回のボンドの使命。それは近いうちに行われるある大量虐殺計画を示唆しているが、場所も日時も不明。ボンドはアフリカ各地で行われている民族大量虐殺の跡地を“クリーン”にする事業を請け負っているダーバンの起業家ジーン・セロンに成りすましてハイトに近づき、計画の正体を探ろうとするのが物語のメインだ。
そして明らかになるのは我々の想像を超える恐るべき計画だった。これは実際に本書を当たって確認してほしい。
私はこの発想の妙には唸らされたし、実現可能性の高さから戦慄さえ覚えた。

そしてディーヴァーの持ち味であるどんでん返しもまた健在。ただ本書はそっちの真相の方がいささか迫力不足と感じた。それほど上の敵のインパクトが強すぎた。

ディーヴァー版007。その出来栄えはまずは及第点と云ったところか。アクション満載のスーパーエージェントの活躍が愉しめるものの、ディーヴァー特有のどんでん返しが今回はあまりストーリーの面白さに寄与しなかったように思えたのが痛かった。

No.1160 7点 北極基地/潜航作戦- アリステア・マクリーン 2014/12/07 23:04
極寒の地での冒険小説はもはやマクリーンお得意のシチュエーションであり、最も彼の筆致が生きる題材と云えよう。本書は突然消息を絶った北極の気象観測基地の作業員たちを救うべく、アメリカ最新鋭の原子力潜水艦で極寒の地に赴くという、これぞマクリーン!とも云うべき作品だ。
しかし本書はそれに加え、ゼブラを、ドルフィン号を襲う謎の魔の手がいる。つまり本書には犯人捜しと云う謎解き興味も盛り込まれているのだ。

まずは過酷な状況下で不可能とされる任務を遂行しようとする主人公カーペンターと彼の協力者である潜水艦の乗組員の苦闘はいつもながら心胆寒からしめる迫真性に満ちており、10作目になってもマクリーンのアイデアは尽きることがない。

ただ本書の最後の最後で明かされるバックストーリーは、どうもとってつけたような感は否めない。確かにマクリーンは物語のそこここにカーペンターが真相を見抜いたかのように行動する様を描いているが、最終章にて長々とそれまで語られなかった全く別の話が唐突に繰り広げられるのでバランスの悪さをどうしても感じてしまう。これが現代のミステリならば、プロローグでそのことに関するエピソードを語るなどして、読者に記憶させる手法を取るだろう。この辺がマクリーンがプロットをストーリーに結び付ける力が不足しているように思わせる弱点だろう。

しかしそれは瑕疵と云えよう。本書は何よりも実に読みやすいのが面白味を増しているように思う。
極限状態の中にあって、一歩間違えば死の状況に幾度も遭い、満身創痍の状態になりながら軽口を叩いて、眼前の危難を乗り越えていく。さらには本書には連続殺人を犯す犯人探しの興趣さえも盛り込まれている。繰り返しになるが、本書は私が期待していた「これぞ、マクリーン!」と快哉を挙げたくなる作品だ。

No.1159 7点 読み出したら止まらない!国内ミステリーマストリード100- 事典・ガイド 2014/12/07 00:06
本書に挙げる書物を挙げるにあたり、選者の千街氏はいくつかの縛りを設けている。
それまでのアンケート方式で綴られたオールタイムベストのガイドブック50位以内に選ばれた作品は殿堂入り作品として取り扱わない、毎年行われるランキング本で選ばれる作品の内、上位5位までの作品は対象外とする、しかも現在でも入手可能な作品とする、というこの3つの縛りに基づいて選ばれている。

確かにこれまでこの手のガイドブックは数多出版されているので、それらと一線を画すためにこのようなルールを設けるのは面白い趣向だと思う。
しかしそれが故にどこか選ばれた作品に閉塞感を覚えてしまうのも事実で、なぜこの作家のこの作品?と云うのがところどころあったのは否めない。
例えば綾辻作品で『迷路館の殺人』が選ばれているが、これは『時計館の殺人』だろう、とか髙村薫の作品がなぜ『李歐』?とか、真保作品は『震源』よりも他にあるだろう、とか東野圭吾で『天空の蜂』もいいが、世評では『悪意』だろう、などと個人的に思うことは多々あった。

また一方で千街氏ならではの選書もあり、例えば野阿梓氏の『兇天使』や高野史緒氏の『ムジカ・マキーナ』などは彼でないと選ばない作品だろう。

そういう意味ではかなり選者の好みが出たガイドブックである。ただ冠に「マストリード」とあるにしては、ちょっとその言葉の強さに比べて選ばれた作品の価値が等価であるかどうかは首を傾げてしまう所があると正直に云っておこう。また杉江氏同様、挙げられなかった作品を補完して紹介する第Ⅱ部の方がその筆致が熱いのには思わず苦笑してしまったが。

No.1158 9点 墓場への切符- ローレンス・ブロック 2014/12/06 00:08
マット・スカダーシリーズが今日のような人気と高評価を持って迎えられるようになったのはシリーズの転機となった『八百万の死にざま』と本書から始まるいわゆる“倒錯三部作”と呼ばれる、陰惨な事件に立ち向かう“動”のマットが描かれる諸作があったからだというのは的外れな意見ではないだろう。

本書が今までのシリーズと違うのはそれはマットの前に明確な“敵”が現れたことだ。彼の昔からの友人である高級娼婦エレイン・マーデルをかつて苦しめたジェイムズ・レオ・モットリー。錬鉄のような鋼の肉体を持ち、人のツボを強力な指の力で抑えることで動けなくする、相手の心をすくませる蛇のような目を持ち、何よりも女性を貶め、降伏させ、そして死に至らしめることを至上の歓びとするシリアル・キラー。刑務所で鋼の肉体にさらに磨きをかけ、スカダー達の前に現れる。

これほどまでにキャラ立ちした敵の存在は今までのシリーズにはなかった。確かにシリアル・キラーをテーマにした作品はあった。『暗闇にひと突き』に登場するルイス・ピネルがそうだ。しかしこの作品ではそれは過去の事件を調べるモチーフでしかなかった。

しかし本書ではリアルタイムにマットを、エレインをモットリーがじわりじわりと追い詰めていく。つまりそれは自身の過去に溺れ、ペシミスティックに人の過去をあてどもなく便宜を図るために探る後ろ向きのマットではなく、今の困難に対峙する前向きなマットの姿なのだ。
それはやはり酒との訣別が大きな要素となっているのだろう。過去の過ちを悔い、それを酒を飲むことで癒し、いや逃げ場としていたマットから、酒と訣別してAAの集会に出て新たな人脈を築いていく姿へ変わったマットがここにはいる。

特に過去に関わった女性に対して思いを馳せるに至り、マットは自分には常に自分の事を想う女性がいたと思っていたが、実はそんな存在は一人もいなかったのではないか、ずっと自分は孤独だったのではないかと自身の孤独を再認識させられる件には唸らされた。実に上手い。

本書にはある一つの言葉が呪文のように繰り返される。それはAAの集会で知り合ったマットの助言者であるジム・フェイバーによって勧められたマルクス・アウレリウスの『自省録』という書物の一節、「どんなことも起こるべくして起こるのだ」という一文だ。
これが本書のテーマと云っていいだろう。どんなに用心していようがいまいが起こるべきことは起こるのだ。モットリーの襲撃も結局スカダーは防げず、エレインはその凶刃に掛かってしまった。

しかしその後にはこう続くことだろう。起こってしまったことは仕方がない。問題はそのことに対してどう振舞い、対処していくことかだ、と。

マットが住む世界ほどではないが、我々を取り巻く世界とはいかに危険が満ちていることか。地震や津波であっという間にそれまでの生活が一変する事を我々は知ってしまった。しかしそこで頭を垂れては何も進まない。そこから何をするかがその後の明暗を分けるのだ。本書で描かれた事件はそんな天変地異や大災害のようなものではないが、書かれていることはいつになっても不変のことだ。

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