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Tetchyさん
平均点: 6.74点 書評数: 1572件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1312 8点 ブラック・アイス- マイクル・コナリー 2017/04/23 00:40
本書のテーマはずばり麻薬。メキシコで安価に生産される新種のドラッグ、ブラック・アイスを巡って殺害された麻薬課刑事の絡んだ事件にボッシュは挑む。

メキシコが麻薬に汚染され、警察や司法までもが麻薬マネーによって牛耳られていることは先に読んだウィンズロウの『犬の力』、『ザ・カルテル』で既に知識として織り込み済みなため、ボッシュが彼の地の捜査で苦心惨憺するのは想像がついた。

ボッシュという男は自分の人生にどんな形であれ関わった人間の死に対してどこかしら重い責任を負い、犠牲者を弔うかの如く、加害者の捜査に没頭する傾向がある。前作『ナイトホークス』ではかつての戦友のウィリアム・メドーズを殺害した犯人を執拗に追い立て、今回はたまたま自分の担当する事件の情報を得るために接触した麻薬取締班の警部が自殺に見せかけて殺害されたことで彼は仇を討たんとばかりに捜査にのめり込む。
それは多分彼がヴェトナム戦争を経験しているからだろう。昨日まで一緒に飯を食い、冗談を云い合っていた連中がその日には一瞬のうちに死体となって葬られる。一時たりとも肩を並べた相手が翌日も同じように肩を並べるとは限らない、そんな生と死が紙一重の世界を経験したからこそ、袖振り合うも多生の縁とばかりに彼は自分の身内が死んだかのように捜査にのめり込む。それが彼の流儀とばかりに。

驚くべきはこの2作目にして後の別のシリーズの主人公『リンカーン弁護士』ことミッキー・ハラーに纏わる過去が描かれていることだ。
またムーアの葬儀を行う会社はマカヴォイ・ブラザーズという。これも後に出てくるジャック・マカヴォイと何か関係があるのだろうか?シリーズをリアルタイムで読んでいたら多分このようなことには気付かなかっただろうから、シリーズが出た後で読んだ私は後のシリーズのミッシング・リンクに気付くという幸運に見舞われているとも云える。まだまだこのようなサプライズがあるだろうことは実に愉しみだ。

本書の題名となっているブラック・アイスは今回の事件のキーとなるメキシコから流入している新種の麻薬の名でもあるが、もう1つ意味がある。
ある人物から語られる“黒い氷”というエピソードなのだが、この“黒い氷”の警句が今回の事件の本質を見事に表している。

しかし今回の物語の中心となる人物2人はウィンズロウの『犬の力』、『ザ・カルテル』に登場するアート・ケラーとアダム・バレーラその物ではないか!もしかしたらウィンズロウは本書からあの2作の材を取ったのでは?とも思わされる。

ボッシュは今回もどうにか失業の危機を免れるが、さらに今後はもっと困難を極めそうな予感だ。個人の正義と組織の正義の戦いの中で彼が今後も自分の正義をどこまで貫いていけるのか。ボッシュが背負った業が重いゆえにこのシリーズが極上の物語になっているのがなんとも皮肉なのだが、それを期待してしまう私を初め、読者諸氏はなんともサディスティックな人たちの集まりだろうと今回改めて深く思った次第である。

No.1311 4点 人形は眠れない- 我孫子武丸 2017/03/30 23:50
1991年に刊行された本書。開巻直後の舞台は銀座での立食パーティに2次会が六本木でのディスコ、そして三高の男子―ところで今“三高”なんて言葉が解る人がいるのだろうか。背が“高く”、“高”学歴、“高”収入の意味なのだが―、スポーツカーに乗って海辺の道をドライブし、プレゼントは赤いバラの花束にティファニーのネックレス―やはりオープンハートか?―と非常にバブルの香りが漂う内容である。当時の世相を表しているという意味では非常に貴重な資料にもなりうるだろう。

また時代が変われば価値観も変わるのか、睦月の恋愛感情について今の女性では一種理解しがたい部分が出てくる。
絵に描いたように三高の男性関口になぜか気に入られるようになった睦月。朝永のことを思っていることもあり、関口の誘いを断り続けるが、それでもしつこく関口はモーション―この言葉ももはや死語だなぁ―を掛けてくる。どうやって調べたか解らないアパートの電話番号に毎日の如く電話をし、なかなか逢えないと見るや近所と思えるスーパーの前の喫茶店に有休を採ってまで張り込みをして3日目にとうとう睦月を待ちかまえて捕まえる。自分なんかのためにそんな苦労を掛けたと睦月は関口に対して心が揺れるのだが、これは現代ではもはやれっきとしたストーカーだろう。現代の女性ならば気味悪がって身の危険を感じるはずであるのに、逆に睦月は心を動かれるのだ。これはもはや喜劇である。

このシリーズはあと1冊の短編集が最終巻となっている。作者もそれを意図してか人形を介して推理を披露する腹話術師という奇抜さが先行した朝永嘉夫のルーツも描いており、戯画的なキャラクターから友人の犯罪を機に二重人格を持つようになった哀しい過去を持つ一人の男として人間味を与えている。加えてそれまでただ何となく一緒に行動を共にするような感じでしかなかった妹尾睦月との関係もより踏み込んでいっている。
しかしこれらは云わば物語の縦の軸でありバックストーリーである。主軸となるミステリの部分、色々散りばめられた謎の部分が全く別々に進んで実に纏まりに欠けている。放火犯の疑いを抱かせたストーカー関口の設定と連続放火事件、朝永の重い過去などがそれぞれ独立したエピソードになっているだけで、交わらずそれぞれが別のベクトルを向いて物語が結末を迎えるだけだ。何とも散漫な印象しか残らなかった。

しかしさすがにバブル臭漂うこの物語は今読むとかなり辛いものがある。軽めのミステリであるが、バブル時代の浮ついた感じと朝永嘉夫と妹尾睦月という大の大人2人が腹話術人形の鞠小路鞠夫にいじられているだけであり、何か物語として心に残る芯がないのである。実『人形は眠れない』もそれまでのシリーズのタイトルと比べるとシリアスで意味深だが、読み終わった今、結局何を意味しているのかがよく解らない。

全てにおいてちぐはぐな印象で何か一つ突き抜けないミステリだった。

No.1310 7点 雪煙チェイス- 東野圭吾 2017/03/28 23:41
感想一番乗り!の気分は本書に擬えると新雪のパウダースノーを滑降する気分のよう。

このシリーズも早や3作目。新たなシリーズとして定着しつつある。

このシリーズでは今まで『白銀ジャック』、『疾風ロンド』で見られたように読者にページを早く捲らせる疾走感を重視したストーリー展開が特徴的だが、本書も同様に冤罪の身である大学生の脇坂竜実と彼の協力者で友人の波川省吾の2人が警察の追手から逃れて無実の罪を証明する「女神」を一刻も早く捕まえなければならないというタイムリミットサスペンスで、くいくいと物語は進む。
ウェブでの感想を読むと謎また謎で読者を推理の迷宮に誘い込むのではなく、非常に解りやすい設定を敢えて前面に押し出してその騒動に巻き込まれる人々の有様を描いているこのシリーズに対する評価は賛否両論で、特にストーリーに深みがないと述べている意見も多々見られるが、それは敢えて東野氏がこのシリーズをスキーまたはスノーボードの疾走感をミステリという形で体感できるようにページターナーに徹しているからに他ならない。それを念頭に置いて読むと実に考えられたミステリであることが判る。単純な設定をいかに退屈せずに読ませるか、これが最も難しく、しかもこのシリーズでは最後の1行まで演出が施されていて飽きさせない。もっと読者は作者がどれだけ面白く読み進めるように周到に配慮しているか、その構成の妙に気付くべきである。東野氏は数日経ったら忘れてしまうけれど、読み終わった途端に爽快感が残るような作風を心掛けていることだと理解すべきである。

またただ軽いというわけではない。東野氏がスキー場を舞台にしたミステリを文庫書下ろしという形で安価に提供する目的として自らもスノーボードを嗜む氏が経営困難に瀕している全国のスキー場に少しでも客足が向くように読者に興味と関心を与えていることだ。

しかし何とも甘い結末である。ウェディングの代役を務めた根津と千晶がとうとう結婚を決意するのはシリーズの読者としては大団円としていいものの、まさか刑事の小杉が旅館の女将とのお付き合いを決意しているとは思わなかった。やはりゲレンデは恋の生まれる場所ということか。リゾートの恋は長続きしないから気を付けないと、などとついつい余計なことを思ってしまった。
根津と千晶の結婚でこのシリーズが終焉を迎えるかは解らないが、シリーズの舞台はあくまでスキー場。東野氏がウィンタースポーツを愛する限り続いていくような気がする。さて次はどんな事件がゲレンデで起こるのか。不謹慎ながらも次作を期待して待とうとしよう。

No.1309 10点 新・冒険スパイ小説ハンドブック- 事典・ガイド 2017/03/27 23:53
これぞガイドブックと褒め称えたい。納得のヴォリュームと内容充実度である。そして何より編集に携わった人々の冒険・スパイ小説に対する愛に満ちている。

まず他のハンドブックと一線を画すのはガイドブックに載せるお勧めの作品を選出するのに、架空の冒険・スパイ小説全集全二十巻をつくる企画としているところにある。この内容が座談会形式で実に40ページに亘って掲載されているのだが、これが実に面白い。それぞれの選者の好みと拘りがぶつかり合い、時に敵に、時に味方につけて選考が白熱していく模様が描かれている。まさに冒険・スパイ小説好き、いや本好きには堪らない座談会であり、選者のそれぞれが至福の時を過ごしているのが行間から滲み出ている、ではなく、ドクドクと脈打つように流れ出ている。
選者は北上次郎氏を筆頭に霜月蒼氏、関口苑生氏、古山裕樹氏、吉野仁氏といずれも豊富な読書量を誇る冒険・スパイ小説好きで、その知識に裏打ちされた論理展開、時に北上氏の声の大きい好みの押し付けもありながら、どんどん全集が出来上がっていく様は実に面白い。他のハンドブックに見られなかった選考作を愉しみながら選ぶ様が描かれ、読んでいて実に心地よい。翻って他のハンドブックでは早川書房が自社の作品を選考したウェイトが大きかったため、実に恣意的な選び方だとWEB読者の声も多かったし、私も正直その感じは否めなかったが、本書においてはそれは皆無。今後ガイドブックを作る時は本書の形式を踏襲して、透明性のある選考を行ってほしいものだ。

そんな目利きの選者たちの選んだ逸品たちは恐らく前回のガイドブックにも挙げられたであろう定番中の定番もあれば、他のガイドブックでは見られない作品もふんだんに盛り込まれていてまさに百花繚乱。
更に後半は冒険小説好きの作家によるエッセイと作家論が220ページも占める充実ぶり。内容は各作品の解説の転用がほとんどであったが、それでもその作家自身の作品を俯瞰するのに実にいい資料となっている。

いやあ、やはりガイドブックはこうあるべきである。片手間で作るガイドブックには編者の愛が感じられず、そのようなガイドブックで読者層を広げようと思っている出版社こそが読者を呼び込む努力を怠ったがための現在の出版危機の諸悪の根源だと思われても仕方がなかったが、本書のように編者の愛情と血が通ったガイドブックが編まれていたことでその懸念はやや解消された。
前にも書いたがこれからのガイドブックは本書をお手本にして編んでほしいものだ。それが読み手の食指をそそり、色んな作品に手を伸ばしていこうとする意欲に繋がるのだから。

No.1308 8点 死のロングウォーク- スティーヴン・キング 2017/03/26 23:11
ロングウォーク。それは全米から選抜された14~16歳の少年100人が参加する競技。ひたすら南へ歩き続ける実にシンプルなこの競技はしかし、競技者がたった1人になるまで続けられる。歩行速度が時速4マイルを下回ると警告が発せられ、それが1時間に4回まで達すると並走する兵士たちに銃殺される。
最後の1人となった少年は賞賛され、何でも望むものが得られる。
この何ともシンプルかつ戦慄を覚えるワンアイデア物を実に400ページ弱に亘って物語として展開するキングの筆力にただただ圧倒される。

また印象的なのはこの生死を賭けたレースを通り沿いにギャラリーがいることだ。時に彼らは参加者を応援し、思春期の少年たちの有り余る性欲を挑発するかのようにセクシーなポーズを取る女性もいれば、違反行為と知りながら食べ物を振る舞おうとする者、家族で朝食を食べながら参加者に手を振る者もいる。さらに彼らが口にした携帯食の入れ物をホームランボールであるかのように記念品として奪い合う者、参加者が排便するところをわざわざ凝視して写真を撮る者もいる。死に直面した若い少年たちを前に実に牧歌的で自分本位に振る舞う人々とのこのギャップが実は現代社会の問題を皮肉に表しているかのようだ。
今目の前に死に行く人がいるのにもかかわらず、それを傍観し、または見世物として楽しむ人々こそが今の群衆だ。テレビを通して観る戦争、その現実味の無さにテレビゲームを観ているような離隔感、リアルをリアルと感じない無神経さの怖さがここに現れている。彼らはこの残酷なレースを行う政府を批判せずに年一度のイベントとみなしている時点でもはや人の生き死にに無関心であるのだ。

シンプルゆえに考えさせられる作品。解説によればこれを学生時代にキングは書いた実質的な処女作であるとのこと。だからこそ少年たちの心情や描写が実に瑞々しいのか。この作品が現在絶版状態であるのが非常に惜しい。復刊を強く求めたい。

No.1307 8点 ナイトホークス- マイクル・コナリー 2017/03/24 23:08
人が正しいことをしようとすることはこれほどまでに痛みを伴うことなのか。

マイクル・コナリーデビュー作にしてMWA賞の新人賞に輝いた今なお続くハリー・ボッシュシリーズ第1作の本書は読後そんな感慨が迫りくる物語だ。
一匹狼の刑事、ヴェトナム戦争のトラウマ、男と女のロマンス。このように本書を構成する要素を並べると実に典型的なハードボイルド警察小説である。しかしどことなく他の凡百の小説と一線を画するように思えるのはこのボッシュという人物に奥行きを感じるからかもしれない。

仕事の終わりに片持ち梁構造の、金持ち連中が住まう一軒家でハリウッドの景色を眺めながらジャズを流してビールを飲むことを至上の愉しみとしている。読書にも造詣が深く、自分の名前の由来が高名な画家であることがきっかけかもしれないが、絵画にもある程度の知識を持つ。ボッシュがエレノアと魅かれるのも彼女の自宅にある蔵書と彼女の家に掛かっている一幅の絵のレプリカが自分との精神的つながりを見出すからだ。こんな描写に単純なタフガイ以上の存在感を印象付けられる。

捜査が進むにつれて時に反目し合い、時に長年の相棒のように振る舞いながらボッシュとエレノアは長く2人でいる時間の中でお互いの人間性を確認し合い、そして個人的なことを徐々に話し出していく。2人での語らいのシーンは数多くあるが、その中で私は2人で強盗グループが襲撃すると目される富裕層相手の貸金庫会社に張り込んでいる時に車中で訥々と語り合うシーンが好きだ。その時の2人は長く流れる時の隙間を埋めるための会話を考えるような関係ではなくなり、沈黙が心地よくなっている関係となっている。張り込みの最中でお互いの人生の分岐点になった過去の出来事を語り、そしてその出来事で自らが思いもしなかった心情について述べられる。そして初めてその時にボッシュはエレノアを仕事上のパートナーから人生のパートナーとして意識し、その責任感に身震いする。一匹狼の敏腕刑事の男が連れ合いを意識したときに初めてそれを守っていく勇気と怖さを目の当たりにするのである。何とも味わい深いシーンだ。

元ヴェトナム兵士による銀行強盗が貸金庫に押し入ってからの攻防が実に写実的だ。それはまさにスローモーションで自ら誤った推理でボッシュを監視していたルイスが無数の弾幕に死の舞踏を踊らされ、ガラスを打ち破って落下する様、事態の急変に呆然と佇むクラークが凶弾にて同行していた会社の支配人を道連れに倒れ行く様、その銃火の中をボッシュが必死に応戦し、強盗の1人に手傷を負わせる様が描かれる。本書のクライマックスと云っていいシーンだ。

本書に登場する人々に全て共通するのはヴェトナム戦争だ。かの戦争で普通の生活が出来なくなり、犯罪に関わる生活を繰り返す者、混乱に乗じて一攫千金を得る者、またそれに一役買って社会的地位を得た者、その渦中に取り込まれて無残な死を遂げた者、愛する者を喪った者、もしくはそんな過去を振り払い、己の正義を貫く者。十人十色のそれぞれの人生が交錯し、今回の事件に収束していったことが判る。

本書の原題は“Black Echo”。これはボッシュがヴェトナム戦争時代にトンネル兵士だった頃に経験した地下に張り巡るトンネルの暗闇の中で反響する自分たちの息遣いを示している。何とも緊迫した題名だ。

翻って邦題の“ナイトホークス”とは画家エドワード・ホッパーが書いた一幅の絵のタイトル“夜ふかしする人たち”を指す。街角のとある店で女性と一緒にいる自分を一人の自分が見ているという絵だ。この絵のレプリカが捜査のパートナーとなるFBI捜査官エレノア・ウィッシュの自宅に飾られており、しかもボッシュ自身も好きな絵であった。そしてその訪問がきっかけとなって2人が急接近する。

つまり原題ではボッシュがヴェトナム戦争の暗い過去との対峙と、かつて戦友だったウィリアム・メドーズとの、忌まわしい戦争と一緒に潜り抜けた男への鎮魂が謳われているのに対し、邦題では事件を通じてパートナーとなるボッシュとエレノア・ウィッシュとの新たな絆を謳っているところに大きな違いがある。
そしてこのパートナーの名前がウィッシュ、つまり“望み”であることが象徴的だ。邦訳ではしきりに「ボッシュとウィッシュは」と評され、決して「ハリーとエレノアは」ではない。それはまだお互いがファーストネームで呼び合うほど仲が接近していないことを示しているのだろうが、一方でボッシュの捜査には、行動には常に“望み”が伴っているという風にも読み取れる。原文を当たっていないので正解ではないのかもしれないが恐らくは“Bosch and Wish ~”とか“Bosch ~ with Wish”という風に表記されているのではないだろうか。そう考えると本書は下水と呼ばれる最下層のハリウッド署に埋もれる“堕ちた英雄”の再生の物語であり、その望みとなるのがエレノアというように読める。つまりエレノア・ウィッシュこそはハリー・ボッシュの救いの女神であったのだ。だからこそ邦題はエレノアとボッシュの関係を象徴する一幅の絵のタイトルを冠した、そういう風に考えるとなかなかに深い題名だと云える。

その後に刊行される作品が『ブラック・アイス』に『ブラック・ハート』であることを考えると統一性を持たせるために『ブラック・エコー』とすべきだろうが、私は邦題の方が本書のテーマに合っていると思う。最後のエピローグがそれを裏付けている。

しかしだからこそ真相の辛さが響くのだが。

いわゆるハリウッド映画やドラマ受けしそうな典型的な展開を見せながらも、実はそのベタな展開こそが物語の仕掛けである強かさこそが数多ある刑事小説と、ハードボイルド小説と一線を画す要素なのかもしれない。とにかく作者コナリーが本書を著すに当たって徹底的に同種の小説のみならずエンタテインメントを研究しているのがこのデビュー作からも推し量れる。

さて今なお続くハリー・ボッシュサーガの幕開けだ。じっくり味わっていこう。

No.1306 6点 殺人鬼- 綾辻行人 2017/03/12 23:26
まさに王道のスプラッター・ホラー。綾辻氏のスプラッター・ホラー好きはつとに有名だが、その趣味を前面に満遍なく筆に注ぎ込んだのが本書だ。

まずこの手の連続殺人鬼による殺戮劇にありがちなセックス中の殺人で幕を開けるところが笑える。しかしその笑いも束の間でその死にざまの惨たらしさに思わず目を背けたくなる。
都合15ページ亘って描写される殺人鬼による殺戮ショーの凄まじさはまさに戦慄ものだ。木杭で下半身同士を打ち付けられ、身動き取れないまま、男は首を斧で刈られ、女はまず左足を太腿から切断された後、左腕を肘から切られ、そして首を刈られるという凄惨さ。その描写が実にリアルで凄まじい。

その後も綾辻氏による殺戮ショーは続く。この徹底した残酷さはなかなか書けるものではない。生半可な想像力ではこれほど凄まじい殺人方法が浮かばないからだ。それを着想し、生々しい描写で執拗に描き続ける綾辻氏。本書を書くとき、彼の中に一己の殺戮マシーンが心に宿っていたのではないだろうか。つまり作者自身が殺人鬼になり切っていた。そう思わせるほどの怖さと迫真さに満ちている。

ただ最後のサプライズは果たして必要だったのか、甚だ疑問だ。典型的なスプラッター・ホラーを綾辻行人が書くわけがない、何かあるはずだと期待して読んだのだが、その期待が最後で萎んでしまった。むしろ逆にシンプルに徹底したB級ホラーぶりを愉しむが如く、存分に筆を奮ってほしかったくらいだ。最後の真相を読むとなおさらそう思う。

No.1305 8点 ミステリーの書き方- 評論・エッセイ 2017/03/12 00:02
100の作家があれば100通りの創作作法あり。その言葉を裏付けるかのように本書ではミステリ・エンタテインメント作家43名によるそれぞれの創作の秘訣が開陳される。

自身の創作作法を書いた作家の中にはなるほどと思えるものもあれば、逆に全く参考にならないような単なるエッセイもどきの物もあり、玉石混淆といったところ。

例えば東野圭吾氏の場合は1つのあるテーマから派生して色んな物語を紡ぎ出す様が書かれている。犯罪者を身内に持った者の物語が『手紙』であり、犯罪者によって身内を殺された者の物語が『さまよう刃』、そして犯罪者が自分の身の内から生まれる経過を語った物語が『殺人の門』といった具合に犯罪者というキーワードからそれぞれの立場を当てはめることでそこから想像の翼を広げ、作品へと繋げる様が書かれている。

あと最も有効な手段として乙一氏が挙げたシナリオ理論は実に合理的かつ明快で実に読み応えがあった。この方法に倣えば確かに小説が書けそうだなと私でも思わず錯覚した。

また文体については北方謙三氏の話が実に深かった。文体を削ぎ落すことこそが文学であり、どこまで極限的に辿り着けるかを目指している。しかしこれはプロが更なる高みに行くための書き方だろうが実に興味深く読めた。

またリアリティを強調するのが共通の主張であることも興味深かった。福井晴敏氏はやはりまず人間を描くことが大事だと説き、山田正紀氏は複数のジャンルを跨ぐときはリアリティのレベルを統一することが大事と述べる。船戸与一氏の場合はさらに特殊でまず自分の身を小説の舞台においてその空気を、匂いを感じ、そしてそこにいる人間たちと交流することで自らに人を住まわせる。更に一切メモも写真もとらず、自らの肌に、脳裏に焼き付かせてそれを筆に落とし込むのだという。

また官能小説家の神崎京介氏まで載せられているのには驚いた。しかも女性のことを官能的に書くことが出来るだけのかなりの経験を積んでいると胸を張って云えるとまで書いてある。いやはやこれは皆が参考に出来るアドバイスではないなぁ。

本書のエッセイの中にはインタビュー形式のものもあり、それが実に内容、特に作品に対する内容の掘り下げが深く、興味深かった。特に宮部みゆき氏の『魔術はささやく』のプロットを23のシーンに分解して語る北上次郎氏のインタビューは実に明快で面白く読めた。しかしそんな北上氏の深読みに対して宮部氏自身がそんな風に考えるのかと他人事のように眺めているのが非常に面白いところではあったが。
更に北上氏は大沢在昌氏へのインタビューで『新宿鮫』シリーズ各作品を詳細に分析し、シリーズの変化と主人公鮫島の変化を事細かに述べているが、これもまた大沢氏自身が他人事のように聞き手に回っているのが実に面白く、終いには北上氏が自分の理想とする新宿鮫の展開を大沢氏に強いるまでになる。これはなんとも苦笑せざるを得ないが、逆にこれは書評家の重鎮である北上氏だからこそできる業だろう。

さて本書を読んで、これで私も一丁ミステリでも書くか、などと錯覚するのならば書かない方が無難だろう。それは結局技術に頼ったどこかで読んだ物語になるに過ぎないからだ。
寧ろ本書の最後に掲げられている各作家の作家志望者に向けるアドバイスに多く書かれているように、書きたいものがないのなら書くべきではないというのが正解だろう。
己自身の身の内から湧き出てくる創作意欲に身を任せ、その熱情をペンに、いや現代ならばキーボードに叩きつけるかの如く、指を走らせる、それくらいの意気込みがないと作家にはなれないだろう。
本書はそんな人たちに対するプロの作家たちからのささやかなアドバイスであると受け取るべきだ。「とりあえず」ここに書かれていることに倣って書いてみました、では到底無理だし、よしんば作品をこの世に出すことになったとしてもその後が続かないだろう。

そういう意味で本書の題名は実にいやらしい。これを読めば誰もが簡単にミステリーが書けると勘違いする人間を容易に生み出す甘く危険な罠だからだ。ここに書いているのは確かに「ミステリーの書き方」だが、作家になる方法ではない。そして作家になるには方法はなく、一生続けていくという覚悟がいることをこの本の中から読み取ることが在野の作家志望者にとって肝要だ。

そう、逆に本書は自分が作家になった時にこれから生み出す物語をどのようなヴァリエーションで著すか、その方法を模索するのには最適な書物だろう。ここには43人の作家による創作作法が書かれている。つまり少なくとも43種類の方法で物語を作ることが出来る。しかしそれにはまず己の中にある創作意欲という宝の珠を外へと向かうほどに大きく育てていかねばなるまい。それを無くして物語を、小説を書くことは仏作って魂入れずに過ぎない。

綾辻氏も本書で最後に述べている。作家志望者へのアドバイスとして
「『ミステリーの書き方』のようなHow To本は当てにしてはならない」
と。

No.1304 7点 シャドウ・ストーカー- ジェフリー・ディーヴァー 2017/03/10 23:28
キャサリン・ダンスシリーズ3作目の本書は休暇中に旅先で遭遇する友人のミュージシャンのストーカー事件に巻き込まれるという異色の展開だ。従って彼女の所属するカリフォルニア州捜査局(CBI)モンテレー支局の面々は登場せず、電話で後方支援に回るのみ。彼女の仲間は旅先フレズノを管轄とするフレズノ・マデラ合同保安官事務所の捜査官たちだ。しかしリンカーン・ライムシリーズも3作『エンプティ―・チェア』ではライムが脊髄手術で訪れたノースカロライナ州を舞台にした、勝手違う地での事件を扱っていたので、どうもシリーズ3作目というのはディーヴァーではシリーズの転換期に当たるようだ。

さてストーカー行為は現在日本でも問題になっており、それが原因で女優の卵や若い女性が殺害される事件が最近になっても起こっている。一番怖いのはストーカーが自己中心的で相手を喜ばそうと思ってその行為を行っており、しかも彼ら彼女らが決して他人の意見や制止を認めようとしないことだ。自分の信条と好意に狂信的であり、しかもそれを悪い事だと思ってない。実に質の悪い犯罪者と云えよう。
そして作中にも書かれているようにストーカーのようにあることに対して妄信的に信じて疑わない人々、また嘘を真実のように信じて話す人々には人間噓発見器のダンスが得意とするキネシクスが通用しない。

余談になるが、このキャサリン・ダンスシリーズは彼女の得意とするキネシクスがほとんど機能せずに物語が進む。つまりダンスは自身のシリーズになるとただの優秀な捜査官に過ぎなくなり、“人間噓発見器”としての特色が全く生きないのだ。一方のリンカーン・ライムシリーズがライムの精密機械のような鑑定技術と証拠物件から真相を見破る恐るべき洞察力・推理力を売り物にしているのとは実に対照的である。

また本書ではディーヴァーお得意の音楽業界を扱っているところもポイントだ。ディーヴァー自身が元フォーク歌手を目指していたことはつとに有名で、本書で挿入されるカントリー歌手ケイリーの歌詞ではその片鱗を覗かせている。
またこのケイリー・タウンだが、私の中では彼女をテイラー・スウィフトに変換して読んでいた。特にケイリーがカントリー・ミュージック協会の最優秀賞を受賞したときのある事件のエピソードに関してはテイラーの2009年のグラミー賞に纏わるカニエ・ウェストとの騒動を彷彿させる。そうするとまさにぴったりで、後で調べたところ、作者自身彼女をモデルにしているとの記述があり、大きく頷いてしまった。

ただやはり題材が古いなぁという印象は拭えない。今更ストーカーをディーヴァーが扱うのかという気持ちがある。たまたま今まで扱ってきた犯罪者にストーカーがなかったから扱ったのかもしれないが、今までの例えばウォッチ・メイカーやイリュージョニストを経た今では犯罪者のスケールダウンした感は否めない。遅すぎた作品と云えよう。

読了後、ディーヴァーのHPを訪れ、本書に収録されているケイリー・タウンの楽曲を訊いてみた。いやはや片手間で作ったものではなく、しっかり商業的に作られており、驚いた。書中に挿入されている歌詞から抱く自分でイメージした楽曲と実際の曲がどれほど近しいか確認するのも一興だろう。個人的には「ユア・シャドウ」は本書をけん引する重要な曲なだけあって、イメージ通りの良曲だったが、かつて幼い頃に住んでいた家のことを歌った感傷的な「銀の採れる山の近くで」がアップテンポな曲だったのは意外だった。物語と共に音楽も愉しめる、まさに一粒で二度おいしい作品だ。稀代のベストセラー作家のエンタテインメントは文筆のみに留まらないのだなぁと大いに感心した。

No.1303 5点 灰色の部屋- イーデン・フィルポッツ 2017/02/27 23:18
「人を殺す部屋」という怪奇じみた設定は古典ミステリではよく用いられたテーマで、代表的なのはカーター・ディクスンの『赤後家の殺人』だろう。しかしミステリアスな設定ゆえに逆に真相が判明すると、なんとも肩透かしを覚えるのも事実である。
そんな謎を英国文壇の大御所フィルポッツが扱ったのが本書だ。

過去に2人の死人を出した灰色の部屋。一見ごく普通の部屋だが、宿泊した人物はどこにも外傷がないまま、事切れた状態で発見される。そしてその話を聞いた娘の花婿が周囲の制止を振り切って泊まって絶命し、更に捜査に訪れた名刑事は白昼堂々、部屋の調査中にたった1時間ほどで絶命する。更に花婿の父親は神への強い信仰心を武器に立ち向かうがこれも敢え無く同じ末路に至る。立て続けに3人も亡くなる驚きの展開である。

この怪異現象に対して文学畑出身のフィルポッツらしく、単なるミステリに収まらない記述が散見される。
特に息子トーマス・メイを灰色の部屋で喪った牧師セプティマス・メイが人智を超えた神の御手による仕業であるから、信仰心の厚い自分が部屋で一晩祈りを捧げて邪悪な物を一掃しようと提案してからの館主ウォルター卿と係り付けの医師マナリングとの押し問答が延々17ページに亘って繰り広げられる。
その後も信仰心の権化の如きメイ牧師と合理的解決を試みる刑事もしくは館主の甥のヘンリーとの問答が繰り広げられる。

オカルトかミステリか?その両軸で揺れながら物語は進み、結論から云えばミステリとして一人のイタリア人の老人によって合理的に解決がされる。

正直この真相には驚いた。上に書いたように往々にして怪奇めいた謎は大上段に構える割には真相が陳腐な印象を受けるが、本書は歴史の因果が現代に及ぶもので、しかもそれらの経緯もそれまでの物語で館主の人となりと一家の歴史でさりげなく説明が施されている。まさにこれは犯人不在の「人を殺す部屋」だ。さすが文豪フィルポッツの手になるものだと感心した。

しかしそれでも訳がひどすぎた。およそ会話としてしゃべるような言葉でない文章でほとんど占められており、しばしば何を云っているのか解らず何度も読み返さなければならなかったし、また眠気も大いに誘った。さらに誤字も散見された。そんな記述者の些末なミスや技量不足で本書の評価が貶められていることを考えるとなんとも哀しい。この悪訳ゆえに今まで長らく絶版だったのではないか。奥付を見ると1985年に3版が出て以来の復刊である。実に30年以上も絶版状態にあったわけだ。
できれば新訳で読みたかった。

No.1302 8点 祈りの幕が下りる時- 東野圭吾 2017/02/26 23:10
加賀恭一郎の父親との確執は彼が初登場した『卒業 雪月花殺人ゲーム』の時点で明らかになっており、その原因が仕事に没頭し、家庭を顧みない父の母親の仕打ちに対する嫌悪であったことは書かれていた。しかし父隆正との確執については書かれるものの、離婚した母親のことはほとんど何も書かれなかった。そして今回初めて離婚して消息知れずとなった加賀の母親、田島百合子に焦点が当てられた。

謎めいた母親の過去と滋賀の1人の女性の東京での不審死。この何の関係のない事件が16年の歳月を経て交錯する。決して交わることのないと思われた2つの縦糸が1人の謎めいた男性を横糸にして交わっていく。実質的な捜査担当者である捜査一課の刑事で加賀の従兄の松宮と図らずも母の過去の男と対峙することになった加賀。彼らが事件の細い繋がりを1本1本解きほぐしていくごとに現れる意外な人間関係。次々と現れる新事実にページを捲る手が止まらない。この牽引力はいささかも衰えず、まさに東野圭吾の独壇場だ。

また『天空の蜂』で当時ほとんどの人が注目していなかった原発の恐ろしさを声高に説き、その18年後、改めて東野圭吾は原発の恐ろしさを別の側面で説く。身元不詳の誰もが簡単に原発で働けていたという怖さと彼ら原発従事者が一生抱える後遺症の恐ろしさを。
実は私にはここに書かれなかったもう1つの真実があると思うのだ。なぜ加賀の母親田島百合子は亡くなったのか?その死因については語られない。彼女の後見人であった宮本康代の話で綿部俊一と付き合うようになってから体調を崩すようになり、店も休みがちになった、そしてとうとう彼女は衰弱死してしまうとだけ書かれている。

そして加賀シリーズには他の東野作品にない、一種独特の空気感がある。自身の肉親が事件にも関わっているからか、従弟の松宮も含め、家族という血と縁の濃さ、そして和らぎが物語に備わっているように感じるのだ。だからこそ物語が胸に染み入るように心に残っていく。
この和らぎは加賀が抱えていた父隆正への蟠りが『赤い指』にて解消されたからではないだろうか。彼は家族の中の問題に踏み込むことこそが事件を真に解決するのだと『赤い指』で述べる。そして父に逢わずに看護師の金森登紀子を介して将棋を打つ。それが彼が父と最後にした「対話」だった。
そう、加賀恭一郎シリーズが持っている独特の空気感にはどこか昭和の匂いが漂うのだ。人形町、水天宮、日本橋、そして明治座。日本橋署に“新参者”として赴任してきた加賀が相対してきたのは過ぎ去りし昭和の風景、忘れ去られようとしている情緒や風情だ。そして今回の事件の発端となった角倉博美の人生を変えるようになった事件が起きたのは30年前。まだぎりぎり昭和だった時代だ。このシリーズはまだ地続きで残っている昭和の残滓を加賀が自分の家族のルーツと共に探る物語となっている。

本庁の捜査一課に戻って加賀はまたどんな事件と遭遇し、どんな人生とまみえるのか。いやそれに加え、父の死を看取った金森登紀子を1人の女性として、伴侶として迎えるのか。そしてその時の加賀は?次作への興味は尽きることがない。暗い事件が多いから、哀しい人々が多いから、父と母の死を乗り越えた加賀の明るい未来に希望を託そう。

No.1301 9点 ザ・スタンド- スティーヴン・キング 2017/02/25 22:24
全5巻。総ページ2,400ページ弱を誇る超大作である本書は1978年に発表されたが、当時約400ページもの分量を削られた形で刊行された。そしてキングは再び1990年に拡大版として当時削られた分を復刻させ、発表したのが本書である。その際にカットされた全てを加えたものではなく、内容を吟味して加味したとのこと。しかし内容にはほとんど手を加えていないというのがキングの弁。但し内容を見ると1990年を舞台にしている辺り、時代に関しては修正が加えられているようだ。

神は細部に宿るという言葉がある。本来はドイツの建築家ミース・ファンデル・ローエが云った言葉で、何事も細部まで心を込めて作れという意味であるが、それを実践するかの如く、物語の創造主であるキングもまたディテールを積み重ねていく。キングは作家もまた神であることを自覚し、本書の登場人物たちを丹念に描く。
これだけの分量を誇るだけあって込められた物語は5作分以上の内容が込められている。両親を亡くし愛する妻をも結婚18か月で亡くした孤独な男。しがないギタリストがひょんなことから自分の作った曲が全米でヒットしていき、人生を狂わせつつある男。町でも男たちが振り返るほどの美人の娘が妊娠してしまい、母親との軋轢に悩む。聾唖の青年がアメリカの放浪の旅の途中で助けられた保安官によって保安官代理を務める。マフィアのヤクを奪い、逃走中のチンピラが立ち寄ったガソリンスタンドで反撃に遭い、ブタ箱に押し込められる。色んな犯罪に名を変えて関わってきた“闇の男”。
1冊の本が書けるほどの個性的な登場人物たちが軍が開発したウィルスによって崩壊したアメリカを舞台に会する。


キングは本書でもたらしたのは複雑化してしまい、もはや何が悪で善なのか解らない世界を一旦壊してしまうことで人々が善と悪に分かれて戦う、この単純な二項対立の図式だ。そう、これは世紀末を目前にした人類による創世記なのだ。善対悪、天使対悪魔の全面戦争の現代版なのだ。

こんな長い物語を読み終えた今、胸に去来するのはようやく読み終わったという思いではなく、とうとう終わってしまったという別れ難い思いだ。
2,400ページ弱の物語が長くなかったかと云えば噓になるが、それでもいつしか彼らは私の胸の中に住み、人生という旅を、戦いを行っていた。

実はまだまだ語りたいことが沢山ある。なにせ色々な物が包含され、またそのままの状態で終わった物語であるからだ。ナディーン・クロスに寄り添っていたジョー、即ちリオ・ロックウェイのこと、本書で登場する玉蜀黍畑は短編「トウモロコシ畑の子供たち」でも意志ある存在として不気味なモチーフで使われていたが、アメリカ人、いやキングにとって玉蜀黍畑とは何か特別な意味を持っているのだろうか、等々。
しかしそれはおいおい解ってくるのかもしれない。今後の壮大なキングの物語世界に浸ることでそれらの答えを見つけていこう。

No.1300 2点 CANDY- 鯨統一郎 2017/01/22 23:19
本書は祥伝社の企画で全て書下ろしの400円文庫のうちの1冊として刊行されたもの。
いわゆるバトル系の物語なのだが、本書はそんなストーリーよりも鯨氏の言葉遊びを楽しむのが正しい読み方だろう。

とにかく言葉遊びが全編に亘って横溢しており、正直に云って3つの世界のうち1つを救うための戦いというメイン・ストーリーはもはやどうでもいいくらいで、鯨氏が次から次へと繰り出すナンセンスギャグを楽しむのが吉だろう。しかし読者自身を現在住んでいる地球とは異なるパラレルワールドに引き込むために二人称叙述を選択したようだが、あまり成功しているとは云えない。なぜなら主人公の主観がかなり物語に入っているからだ。つまり「あなた」という名前の主人公の三人称叙述のようにしか読めなかった。

しかし前回読んだ『千年紀末古事記伝ONOGORO』でもそうだったが、下ネタ、特にセックスネタが鯨氏の作品にはよく登場する。本書でも必ず出てくる女性はグラマラスかつ美人で、物語の分岐点では意味もなくセックスが介在する。安っぽい三文小説を読んでいるかのようだ。
駆け出し作家が出版社からの執筆依頼に全て応えていた頃に書かれた走り書き小説の類というのは酷評過ぎるかもしれないが、正直何を書きたかったのか作者のテーマがはっきりと見えない作品だった。

No.1299 7点 ビブリア古書堂の事件手帖- 三上延 2017/01/20 00:06
私は熱心なライトノヴェル読者ではないのでそれほど同ジャンルの作品を数多く読んでいる訳ではないのだが、色んなメディアから見聞きした昨今の業界事情から考えるとキャラクター設定としては決して突飛なものではなく、ミステリを中心に読んできた私にしてもすんなり物語に入っていけた。
人見知りが激しいが、いざ書物のことになると饒舌になり、明敏な洞察力を発揮する若き美しい古書店主というのは萌え要素満載だが、いわゆる“作られた”感が薄いのが抵抗なく入っていけた点だろう。また古書店主というのが本読みたちの興味をそそる設定であることもその一助であることは間違いでないだろう。

しかし扱っているテーマは古書というディープな本好きには堪らないが普段本を読まない中高生にはなんとも馴染みのない世界であるのになぜこれほどまでに本書が受け入れられたのだろうか。
こういった古書ミステリに登場する古書収集狂は最後のエピソードにしか出てこないことが大きな特徴か。
本に纏わる所有者の知られざる過去が判明する第1話。その文庫しかないある特徴を上手く利用した、本自体を物語のトリックとして使用した第2話。夫が大事にしていた本を突然売ることになったことでそれまで隠されていた過去が判明する第3話と、1~3話まではいわゆる本を中心に生きてきた狂人たちは一切出てこらず、我々市井の人々が物語の中心となっていることが特徴的だ。従って古書を扱っていながらも所有者の歴史を本から紐解くという趣向がハートウォーミングであり、決してディープに陥っていない。

しかしそれでも1話目から作者自身が恐らく古書、もしくは書物に目がないことは行間から容易に察することができる。従って作者は話を重ねるにつれて読者を徐々にディープな古書の世界へと誘っていることが判ってくる。例えば1,2話では現存する出版社の本であるのに対し、3話目からは青木文庫、砂子屋書房と今ではお目に掛かれない出版社の書物を扱ってきており、そこからいわば古書ミステリのメインとも云える収集狂に纏わる事件となっていく。
しかしそれでも作者自身もこれほどまでに世間に受け入れられるとは思っていなかっただろう。なぜならば本書にはシリーズを意図する巻数1が付せられてなく、また話も五浦の出生に纏わる過去が最後で一応の解決が成され、更に五浦がビブリア古書堂を去るとまでなっていることからも本書で一応の幕が閉じられるようになっていたことが判る。
しかしその作者の予想はいい方向に裏切られ、順調に巻を重ねる人気シリーズとなっている。これはビブリオミステリ好きな私にとっても嬉しいことだ。

ラノベという先入観で手に取らなかった自分を恥じ入る次第だ。このシリーズがたくさんの人々に古書の世界への門戸を開くためにバランスよく味付けされた良質なミステリであることが今回よく解った。次作も手に取ろうと思う。栞子さん目当てでなく、あくまで良質なビブリオミステリとして、だが。

No.1298 8点 月世界旅行- ジュール・ヴェルヌ 2017/01/18 23:58
未知なる大陸であったアフリカ大陸への気球での冒険、地の底への冒険を経て次のヴェルヌの冒険の舞台はなんと月。19世紀当時、まだまだ世界には見知らぬ世界があったにも関わらず、ヴェルヌは早い時期に興味は地球から飛び出し、月へと向いていた。これはまさに慧眼すべきことだろう。
そして月へと行く方法としてヴェルヌが夢想したのはなんと大型の大砲によって人を巨大な砲弾に乗せて月に向けて発射するという物。恐らく誰しもが見たことあるのではないだろうか。白黒映像で大砲を発射した途端に微笑んだ擬人化した月の顔面に砲弾が突き刺さっている映像を。あの原型が本書である。
もうこの件だけで本書が実に荒唐無稽な空想読物であると一蹴される方々もいるだろうが、それは早計というものだ。実は本書には後に米ソが本格的に月へ人間を送り込む月着陸競争を繰り広げた宇宙開発プロジェクトに盛り込まれたアイデアがふんだんに盛り込まれているのだ。いや当時の宇宙開発プロジェクトにこのヴェルヌの小説が実に参考になっていることが解説によって書かれている。

現在ヴェルヌの月世界旅行物として現在流布しているのは創元SF文庫から出ている『月世界へ行く』だが、実はそれは続編でその前日譚が本書である。現在では1999年に出版されたちくま文庫版が最新だが、既に絶版であるため、ヴェルヌの月世界物は創元SF文庫の作品が唯一と思われており、実は私もそうだった。

本書が他の文庫と一線を画すのは[詳注版]、つまり詳細な注釈が加えられている点だ。これはウォルター・ジェームス・ミラーによって編纂されたヴェルヌの完訳本を元本としているためだが、この注釈がその名の通り、詳しい、いや詳しすぎる。
何せ注釈を書き加えるために上下二段組みで本文が構成されており、上段が本文、下段が注釈となっているが、この注釈が時に本文の上段を侵食するほど長すぎるのだ。これには思わず笑ってしまった。
しかしその緻密な解説はしかしこの21世紀において実に有益な資料となっている。特にヴェルヌの先見性については瞠目に値することばかりである。

実現可能性と荒唐無稽性を兼ね備えたハイブリッド小説。これは全てのSF小説に当て嵌まるコピーだろうが、その先駆者たるヴェルヌが当時考えうる月へ、いや宇宙への旅の方策を盛り込んだ彼の類稀なる想像力が結集した小説である。
しかし本書はバービケイン一行が月に到達したかどうかが不明のまま物語は閉じられる。その結果は続編『月世界へ行く』に持ち越されているのだ。なんとも気になる幕引きではないか。続編への期待が否応でも高まる結末。ヴェルヌはやはりただの科学好きの作家ではない。読者を喜ばせ、興奮させる術を熟知したエンタテインメント作家であることが本書からも判る。実際この続編は当時3年の歳月を経て日の目を見ることにな
ったようだ。その間の読者のフラストレーションとはいかがだったことだろう。しかし今ではすぐに読めることができる。そういう意味では幸せなのだが、逆に続編が手に入りやすく、その前編に当たる本書が絶版でもはやその存在すら忘れられている状況は何とも悲しい限りだ。知る人ぞ知る作品ではなく、ぜひとも復刊してほしい。本書には19世紀の知識人が月への旅を実現させるために当時の知識と科学を総動員した男たちとロマンが詰まっているのだから。

No.1297 7点 報復- ブライアン・フリーマントル 2017/01/04 01:09
本書の裏表紙の概要にはシリーズ第9作というのは実は間違いで本書は10作目に当たる。9作目の“Comrade Charlie”は未訳なのだ。そしてどうもそれがいわゆるそれまでのシリーズの総決算的な内容で、正直本書からはシリーズ第2部とばかりにキャラクターも刷新されている。

まずチャーリーのよき理解者であったイギリス情報部々長のアリスター・ウィルソン卿は2度の心臓発作により部長職を退き、ピーター・ミラーが上司となり、さらに直接の上司として女性のパトリシア・エルダーがチャーリーの指導に当たる。
また相手側も実際に解体されたソ連からロシア連邦となっており、まだ政治的な混沌の中での国際的対応が強いられている様子。そしてシリーズ1作目から登場していたチャーリーの宿敵ベレンコフが既に失脚しているという状況。第8作ではベレンコフがチャーリーと縁のあるナターリヤを使って罠を仕掛けようと不穏な空気を纏った中で物語が閉じられるので、いきなりのこの展開には面食らった。なぜ第9作が訳されなかったのだろうか。これは大罪だなぁ。

そんなソ連が解体された時代1993年に発表された本書の舞台は中国。まだ西欧諸国にとって未知で理解不能、しかも明らかに容貌が違うためにどこに行くのにも目立ってしまう西洋人にとって自分たちの原理原則論が全く通じないワンダーランドである中国に潜伏しているフリーランスのエージェントに中国の公安の者と思われる人物より嫌疑がかけられているとの情報を得て、チャーリーが育てた新任のジョン・ガウアーが単身中国に乗り込む。

情報を扱う任務に携わっている人々は自らの保身、また昇進という野心のために上司の身辺を調査することが英露両国とも共通しているのが面白い。日本でも上位職の人たちの人事に目を配り、どこのポストに空きが出来、そしてそこに収まった時に誰が上司になっているのかと想像を巡らすサラリーマンはいるものだが、本書に出てくる登場人物がどこまでのリアリティを持っているかは解らないけれど、常に虚実の入り混じった情報を相手にし、国際政治を左右する状況に置かれている任務に携わっている人々はこのように自分の職場での立場を少しでも優位にするために上司のプライヴェートまで踏み込んでいくのかもしれない。いやはや人間不信にたやすく陥る職業である。

ただ今まで東ドイツ、旧ソ連と東側の大敵を相手にしてきたフリーマントル作品が、東西ドイツ統合、旧ソ連の解体と歴史的転換期を迎えたことで確固たる敵を見失っているような感じが行間から感じられた。
今回フリーマントルが選んだ新たな敵は中国であるのだが、この全く風貌の異なるアジアの国で西洋人がスパイ活動をすることの難しさが述べられるだけで小説としてはなんとも実の無さをストーリー展開に感じざるを得ない。つまりこの中身の薄さは作者自身が中国の情勢と文化に造詣があまり深くないからではないだろうか。
それを裏付けるように本書の前後に書かれたのは米国のFBI捜査官とモスクワ民警の警察官が手を組む新シリーズカウリー&ダニーロフがあり、本書の次のチャーリー・マフィンシリーズ『流出』はロシアを再び舞台を移して西側への核流出を阻止するために米露の情報部と手を組むという、自らの得意領域に再び戻っているからだ。
この後も中国を舞台にした作品が見受けられないことを考えるとやはり冷戦後の安定期に移りつつある世界情勢でスパイ小説の書き手たちが題材に迷っていたが、フリーマントルも例外ではなかったということのようだ。

何はともあれ、ようやく未訳作品を除いて本書にて全てのチャーリー・マフィンシリーズを読むことが出来た。2006年1月25日に第1作の『消されかけた男』を手に取って足掛け約11年。実に長い旅であった。『魂をなくした男』以降のシリーズ作品が出るかは作者の年齢との相談にもなるだろうが、とことん最後まで付き合っていくぞ!

No.1296 7点 トウモロコシ畑の子供たち- スティーヴン・キング 2017/01/01 23:52
キング初の短編集『ナイト・シフト』の後半に当たる本書は前半にも増してヴァラエティに富んだ短編が揃っている。

未来に賭けて超高層ビルの手摺を一周回ることに同意した男。
奇妙な雰囲気を漂わせた芝刈り業者の男。
98%の確率で禁煙が成功する禁煙を専門に扱う会社。
常に自分の望むものを叶えてくれる不思議な学生。
バネ足ジャックと呼ばれた連続殺人鬼。
生い茂ったトウモロコシ畑を持つゴーストタウン。
幼い頃、共に干し草の上にダイブして遊んだ美しい妹の末路。
恋人に会いに行く幸せそうな男。
豪雪で忌まわしき村に迷い込んだニュージャージーから来た家族。
死の間際にいる母親を看る息子の胸に去来するある思い。

前巻も含めて共通するのは奇妙な味わいだ。特段恐怖を煽るわけではないが、どこか不穏な気持ちにさせてくれる作品が揃っている。
またクーンツ作品とは決定的に違うのは災厄に見舞われた主人公が必ずしもハッピーエンドに見舞われないことだ。生じた問題が解決されることはなく、また主人公が命を喪うこともざらで、救いのない話ばかりだ。
それは―どちらかと云えば―ハッピーエンドに収まった作品でも同様だ。何かを喪失して主人公は今後の人生を生きることになる。人生に何らかの
陰を落として彼ら彼女らは今後も生きていくことを余儀なくされるのだ。

個人的ベストは「禁煙挫折者救済有限会社」か。煙草は案外アメリカでは根深い社会問題になっているみたいで『インサイダー』なんて映画が作られたほどだ。作中にも書かれているが、刑務所で煙草の配給を廃止しようとしたら暴動が起きただの、昔ドイツで煙草が手に入りにくくなったときは貴族階級でさえ、吸い殻拾いをしていただのと中毒性の高さが謳われている。
そんな代物を辞めさせるには家族を巻き込まないことには無理!というのが本書に含まれたブラック・ジョークだ。しかし本書の面白いところはその手段が喫煙者に単なる脅しではなく、行使されるものであるところだ。まさか夫の喫煙のために妻がさらわれないだろうと思いきやさらわれるし、また禁煙による体重増加を禁止するために妻の小指を切断するというのも単なる脅しかと思いきや最後の一行に唖然とさせられる。つまり本書は煙草を辞めることはこれぐらいしないとダメだと痛烈に仄めかしているところに妙味がある。しかし本当にこんな会社があったら怖いだろうなぁ。

次点では「死のスワンダイブ」を挙げたい。これはとにかく田舎で農家を営む両親の下で育った兄弟の、納屋での、70フィートの高さから干し草の上にダイブする禁じられた遊びのエピソードがなんとも胸を打つ。そしてそのダイブで起きた事故で兄の咄嗟の機転によって奇跡的に助かった美しい妹が大人になるにつれて辿る不幸な人生とのコントラストがなんとも哀しい。そして彼女が最後に頼ったのはあの時助けてくれた兄だった。もう人生に落胆した彼女はまた兄が助けてくれることを信じてもう飛ぶしかなかったのだ。でもそんなことはありはしない。そんな切なさが胸を打った。

また前巻と合わせて本書でも『呪われた町』の舞台となったジェルサレムズ・ロットを舞台にした短編が収められている。2編は外伝と異伝のような合わせ鏡のような作品だが、どうやら本書においてこの忌まわしい町に纏わる怪異譚については打ち止めのよう。その後も書かれていないことを考えるとキングが特段この町に愛着を持っているというよりも恐らくはアマチュア時代から書き溜めていたこの町についてのお話を全て放出するためだけに収録されたのではないだろうか。

本書と『深夜勤務』は『キャリー』でデビューするまでに書き溜められていた彼の物語を世に出すために編まれた短編集だと考えるのが妥当だろう。とするとこのヴァラエティの豊かさは逆にキングがプロ作家となるためにたゆまなき試行錯誤を行っていたことを示しているとも云える。単純に好きなモンスター映画やSF、オカルト物に傾倒するのではなく、あらゆる場所やあらゆる土地を舞台に人間の心が作り出す怪物や悪意、そして人は何に恐怖するのかをデビューするまでに色々と案を練ってきたことが本書で解る。つまり本書と『深夜勤務』には彼の発想の根源が詰まっているといえよう。特に『呪われた町』の舞台となるジェルサレムズ・ロットを舞台にした異なる設定の2つの短編がそのいい証拠になるだろう。あの傑作をものにするためにキングはドルイド教をモチーフにするのか、吸血鬼をモチーフにするのか、いずれかを検討し、最終的に吸血鬼譚にすることを選んだ、その発想の道筋が本書では追うことが出来る。そんなパイロット版を惜しみなく提供してくれる本書は今後のキング作品を読み解いていく上で羅針盤となりうるのではないかと考えている。

しかし本書を手に入れるのには実に時間と手間が掛かった。なぜなら絶版ではないにせよ置かれている書店が圧倒的に少ないからだ。2016年現在でも精力的に新たな作風を開拓しているこの稀有な大作家が存命中であるにも関わらず過去の作品が入手困難であるのはなんとも残念な状況だ。既に絶版されている諸作品も含めて今後どうにか状況改善されることを祈るばかりである。

No.1295 3点 千年紀末古事記伝 ONOGORO- 鯨統一郎 2016/12/25 23:51
さほど古事記、日本書紀に詳しくない私でも昔話等で語られる天照大御神が天岩戸に閉じこもる話、ヤマタノヲロチ討伐の話、因幡の白兎の話についてはある程度知識があったが、本書ではそれらが微妙に異なっている。
しかし物語はどんどん進む。どんどん神々は誕生し、どんどん時代が過ぎ去っていく。

ただ本書は歴史ミステリよりも別の目的で書かれたのではないだろうかと推察する。
稗田阿礼によって語られる神々の営みはほとんど全てが男女との交合(まぐわ)いによって構成されているからだ。
日がな一日、来る日も来る日もセックスに明け暮れ、子を産んではまたセックスと、交合ってばかりだ。次第に神も余計な物を敢えてつけて伊邪那岐が寝ている最中に伊邪那美と交合う。更に伊邪那美は自分の生んだ神々とも交合い、更に子を産む。

私は神の物語と称して一種のポルノ小説を書くことが鯨氏の本当の狙いだったのではないかというのが感想である。

問題作?いやいや鯨氏特有の壮大な冗談話でしょう。しかも物凄い量の知識と情報を収集した上で語られるジョークだ。この作品の登場人物を全て確認したとき、鯨氏がこの冗談話に費やした労力に恐れ入ることだろう。これぞバカミスの真髄とも云うべき作品か。労力の割には評価に繋がらないところが非常に残念ではあるのだが。

No.1294 2点 墜ちていく僕たち- 森博嗣 2016/12/23 23:53
連作短編集のような体裁を持った短編集だが、共通しているのは食べると性別が入れ替わるという不思議な効用のあるインスタントラーメンというアイテムだけだ。ただだからといって男女のジェンダーの在り様とかそもそも男とは?女とは?といった大上段に構えたような性差論が繰り広げられるわけではなく、全て当事者の一人称叙述で森氏独特のくだらない独り言のような話し方で物語の顛末が語られる。

正直なんだかよく解らないと云うのが率直な感想だ。
なんだかよく解らないと云うのは結末はあるもののそこにオチが特段あるわけではない。ヤマ無し、オチ無し、意味無しの三拍子揃った「やおい本」なのだ。

中で一つ気になったのは「どうしようもない私たち」の最後の一行だ。これは全国の和子さんに失礼だろう。謝罪すべきだ。

これをまた商業ベースで出した集英社もまたスゴイ。ということはそれを買った私もまたスゴイということか。
タイトル同様、墜ちきるところまで墜ちたのが本書なのか。ここまで墜ちれば、後は浮上するのみである。次作以降に期待しよう。

No.1293 8点 闇に香る嘘- 下村敦史 2016/12/20 23:23
やはり本書の最たる特徴は盲目の主人公が私立探偵張りに兄の素性調査を行うところだ。主人公和久の一人称叙述で書かれているため、目が見えないことによる情報量の不足がそのまま読者にとっても情報量の不足に繋がり、いつも読んでいるミステリと比べて非常に居心地の悪さを感じた。これが本書における最大の売りであることは解るものの、どうにもまどろっこしさを感じた。
また物語の節目節目に挿入される、匿名の人物から送られる点字で書かれた俳句の内容も暗鬱なものばかり。しかも主人公の身に覚えのないことばかりと、終始落ち着かない気分で読み進めることになった。
そんな居心地の悪さや違和感は物語の最終局面に一気に開放される。

上に書いたように盲目の主人公による調査行は非常にまどろこっしく、また中国残留孤児が現在抱える問題もまた重い物ばかりで正直読んでいる間は辟易する部分もあった。しかし最後になってみると作者が実に上手くその設定を活かして、盲目であるがゆえに成り立つトリックを巧みに織り交ぜてあることに気付かされる。

本書の核となるミステリはずばり“家族”である。戦時中の日本政府の政策で満州に移住し、新天地で生きていく希望を与えられた日本人が敗戦によって逆に祖国に帰ることが困難になり、帰りうる者と帰られない者とが引き裂かされた悲劇が生じた家族に生まれた謎だ。いわば戦争秘話とも云うべき物語だったが、現在なお日中の間に横たわる中国残留孤児問題の中に実際に本書のような話が実在するのかもしれない。

戦後日本はまだ終わりぬ。そんな感慨を抱いた作品だった。

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