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Tetchyさん
平均点: 6.74点 書評数: 1572件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1332 7点 パズル崩壊- 法月綸太郎 2017/07/11 22:20
パズルそしてロジックに傾倒する法月綸太郎氏の短編集だが題名はパズル崩壊。しかしこの短編集を指すにこれほど相応しい題名もないだろう。

各短編を読むとどこかいびつな印象を受ける。
例えば「重ねて二つ」はその動機と密室の必然性、そして犯人が警察の捜査中の現場に死体と共にいるなど、遺体の血液や死臭の問題など普通思いつくような不自然さを全く無視して、男女の遺体が上半身と下半身とで繋がれた死体が密室で見つかるという謎ありきで物語を創作したことが明確だ。次の「懐中電灯」は完全犯罪が切れた電池を手掛かりに瓦解するミステリでこれは実に端正なミステリであるのだが、その次の「黒いマリア」になると、亡くなった女性が葛城の許を訪れて解決した事件の再検証を求める、オカルトめいた設定になっているのだが、事件の内容とオカルト的設定がどうにも嚙み合っていない。これもカーの某作をモチーフにして強引に書いたような印象が否めない。

「トランスミッション」はどこか地に足が付かない浮遊感を覚えてしまう。そして「シャドウ・プレイ」はドッペルゲンガーをテーマにした自分の新作について友人に語っていくのだが、次第に虚実の境が曖昧になっていく。この辺からミステリとしての境界もぼやけてくる。

そして「ロス・マクドナルドは黄色い部屋の夢を見るか」ではパズラーの極北とも云える密室殺人が扱われているが、アーチャーシリーズやその他周辺の諸々を放り込んだそのパロディはその真相においてはもはやパロディどころかパズラーの域を超え、いや崩壊してしまっている。
かと思えば本書で最も長い「カット・アウト」には本来のロジックを重ねて法月氏独特の人の特異な心の真意を探るミステリが見事に表されている。

しかし問題なのは最後の短編「・・・・・・GALLONS OF RUBBING ALCOHOL FLOW THROUGH THE STRIP」だ。これはミステリではなく、法月綸太郎のある夜の出来事を綴った物語である。しかし本作こそ本書の題名を象徴しているようにも思える。

はてさてこれは悩める作者の世迷言か?それともミステリの可能性を拡げる前衛的ミステリ集なのか?もしくはパズラーへの惜別賦なのか?ともあれ奇書であることは間違いない。

現在の活躍ぶりと創作意欲の旺盛さから顧みると、本書は一旦法月綸太郎を崩壊させ、ロス・マクドナルドやチャンドラーなどの諸作をも換骨奪胎することで彼の本格ミステリを再構築させたのだ。つまり本書は現在の法月氏への通過儀礼だったのだ。今ではその独特のミステリ姿勢から出せば高評価のミステリを連発する法月氏だが、この世紀末の頃は悶々と悩んでいた彼の姿が、彼の心の道行が作品を通じて如実に浮かび上がってくる。これほど作者人生を自身の作品に映し出す作者も珍しい。一旦崩壊したパズルを見事再生した法月氏。つまり本書はその題名通り、本格ミステリの枠を突き抜けて迷走する法月氏が見られる、そんな若き日の法月氏の苦悩が読み取れる貴重な短編集だ。

こんな時代もあったんだね。

No.1331 8点 妄想銀行- 星新一 2017/07/02 10:58
オイラの星新一ショートショートランキング第1位の「鍵」が入ってるだけで、この本は読む価値がある。
他の作品も面白いが、なんといっても「鍵」!これに尽きる。

No.1330 10点 ラスト・コヨーテ- マイクル・コナリー 2017/07/02 00:50
様々な暗喩に満ちた作品だ。
例えばボッシュが休職中に相棒のジェリー・エドガーが解決した事件は銃による殺人事件かと思って捜査すれば、単にエアバッグ修理中に起きた死亡事故に過ぎなかったことが判るのだが、事故当時にもう1人の人間がいた痕跡があったことから調べてみると7年前に起きた2人の女性が殺害された事件の犯人の指紋と一致し、犯人逮捕に至るエピソードが出てくる。実はこの何気ないエピソードが物語の最終へ暗喩になっているのだ。

さらに本書のタイトルにもなっている1匹のコヨーテの存在。ボッシュは事件関係者で母親と親友だった当時メリディス・ローマンと名乗り、今はキャサリン・リージスタとなっている女性と逢った帰り道に1匹のコヨーテと遭遇する。その痩せ細り、毛がばさばさになった風貌に今の自分を重ねる。地震前、ボッシュの自宅の下の崖には1匹のコヨーテがいたが、震災後それはいなくなった。そしてボッシュもまた今は刑事休職中の身でシルヴィアにも去られ、酒を手放せず、目の下の隈がなかなか取れないほど疲れ果てた表情をしている。そんなくたびれた自分は昔気質の古い刑事であり、出くわしたコヨーテももしかしたらLAの住宅地を徘徊している最後のコヨーテではないか、つまりいついなくなってもおかしくない存在だと思うのである。
孤独で育った少年は大人になりコヨーテになった。しかも最後のコヨーテに。本書の原題にはそんな寓意が込められている。

また今回もボッシュはアウトローな強引な捜査を行う。特に今回は強制休暇中であるため、自由に走り回る。しかしその強引さがあるサプライズに繋がるとは全く予想外だった。いやはやコナリーの構成の上手さには唸るしかない。

ボッシュは今まで直視しなかった母親について事件を調べることで思い出を手繰り寄せ、母の大いなる愛を知らされ、また悟る。
「どんな人間でも価値がある。さもなければ、だれも価値がない」
これがボッシュの信条だ。しかし彼は母親に対してはその信条に従わなかった。しかし彼は母親殺害事件の捜査資料を当たるうちに当時の警察が彼女の価値をおざなりにしていたことを知る。それはまた自分もまた同類であったと悟り、信条に従い、母親の死の真相に向き合うことを決意したのだった。

誰もが過去に隠した罪に苛まれて生き、いつそれが暴かれるかを恐れながら生きてきた。そしてその時がハリーが現れることで来たと悟り、ある者は観念して、またある者は必死にそれに抗おうとして、またある者は更なる秘密を暴かれるのを防ぐために死出の旅に発つ。
過去に縛られ、過去を葬り去り、忘れさせようとした人たち。しかし同じく過去に縛られながらもその過去に向き合い、克服しようとした1匹のコヨーテに彼らは敗れたのだ。

ハリーの母親の事件を解決したことでハリー・ボッシュの物語はここで第一部完といったところか。デビュー作の時点で盛り込まれていたハリーに纏わる数々の謎は本書で一旦全て解決を見た。さらに彼はかつてスター刑事としてテレビ出演していた時に得た収入で購入した家も地震によって失った。

母親の愛の深さを知り、また過去に葬り去られた母親殺害の事件を解決したことで母親の無念を晴らしたボッシュ。しかし自身の強引な捜査によって新たな十字架を背負うことになった。しかしジャスミン・コリアンという新たなパートナーを得たボッシュの再登場を期待して待ちたい。今までとは違ったボッシュと逢える気がしてならないからだ。それはきっといい再会になるだろうとなぜか私は確信している。ボッシュがジャスミンに命がけでしがみつこうと決心したように、しばらく私はボッシュに、いやコナリー作品にしがみついていくことにしよう。

No.1329 8点 海底二万里- ジュール・ヴェルヌ 2017/06/26 14:59
ヴェルヌの代名詞とも云える本書。
主人公はパリ博物館の教授を務めるアロナックス教授。そしてその従順かつ知性と勇気を兼ね備えた若き召使いコンセイユ。それに粗暴な銛打ちの名人ネッド・ランド。このあくまで主人に忠実且つ従順な下僕と類稀なる体力と力を兼ね備えた人物という構成はもはや藤子不二雄作品のようにヴェルヌ作品お決まりの人物構成と云えるだろう。
最も特異なのは今回登場するネモ船長という謎めいた人物が中心に据えられていることだ。地上での生活を捨て、最新鋭の技術の粋を結集して建造した潜水艦ノーチラス号で海底生活を続ける世捨て人ネモ船長は博物学、とりわけ海洋生物に精通しているアロナックス教授に敬意を持ち、ノーチラス号での旅への同行を許すわけだが、自由を与えつつも今後将来ノーチラス号から出ることを許さないという極端な側面を持っている。ただ前述したようにかなり秘密が多い人物である。
まずなぜ地上の生活を捨てて海中で最新鋭の潜水艦で世界中を旅して回っているのか?さらにアロナックス教授達に睡眠薬入りの食事をさせてまで隠す、船員を1人喪うほどの戦いをどこと繰り広げたのか?また地中海では知り合いの潜水夫に逢うと、莫大な金塊を入れた箱を渡して寄付しているようにも見える。これらの不審な行動についてはなかなか明らかにされないまま、読者はアロナックス教授と共にネモ船長に付き合うことになる。

そんなミステリアスな人物の所有するノーチラス号内での生活は非常にファンタジックな魅力に富んでいる。
まず全ての物が海で手に入る物から作られているのが面白い。
また船員の服もベッドもペンもインクもタバコも全て海産物から作られている。
そして肝心の動力は電気であり、これも海水中のナトリウムを抽出してナトリウム電池として電源を受給しており、しかも海底の石炭の熱を使って抽出されている。さらにこの電気は外部からの侵入者に対する防護にもなる。敵がハッチから侵入しようとすると手摺に電気が流れて入れなくなるのだ(床も全て鋼鉄で出来ている船内に電流が流れてなぜ乗組員は感電しないのかという不明な点はある)。
空気は海上から取り込み、タンクに蓄積して数日間深海に潜っていても問題はない。
さらに船中で亡くなった乗組員はインド洋の何処かにあるサンゴの森の墓場に埋葬され、海へと還される。
さらに資金は過去の歴史において沈没した船に積まれたまま海に沈んでいる金銀財宝を独占的に採取して賄っている。
また唯一の基地は大西洋の何処かにある死火山の中であり、誰も住んでいない島にある。
動力、空気、食糧、秘密の整備基地、そして潤沢な財源、それら全てを海で賄っている、ほとんど完璧無比を誇るノーチラス号。

そして海、とりわけ海中を舞台にした小説であるから海棲生物の記述はふんだんに盛り込まれており、さらに世界の冒険家たちによる新大陸発見の歴史である航海史やそれらに伴う数々の遭難事故のエピソード、更に海底ケーブル大西洋敷設という難事業に関するエピソードなど知的好奇心をそそる蘊蓄も満載だ。

ヴェルヌ作品でも『グラント船長の子供たち』に次いで530ページ強のページ数を誇る本書。両書に共通するのは世界の海を舞台にしているところだ。海上と海中の差はあれど、世界中の海の神秘性と特異性を語るにはやはりこれほどのページが必要で、いやこれだけでも足らないほどのロマンと冒険に満ち溢れているとヴェルヌは云いたいのだろう。事実、両書に共通するのはこれでもか、これでもかとばかりに注ぎ込まれるヴェルヌのアイデアの数々である。
海底の森での狩猟、サンゴに囲まれた墓地、深海に眠る大きなシャコ貝の中で静かに育つ人頭大の巨大真珠、誰も知らない紅海と地中海を結ぶ海底トンネル、地中海にある海底火山の噴火、世界中に眠っている金銀財宝、アトランティス大陸にマッコウクジラの群れとの対決に巨大タコとの格闘、更に氷に閉ざされた中での決死の脱出劇、等々。
こんな目くるめく冒険と不思議の数々を空想巡らしながら読む子供たちにとって未来は実に魅力溢れる世界になることだろう。本当にこれは全ての子供に読んでもらいたい作品だ。
本書は数多くの出版社から文庫が出ているが、私が読んだ創元推理文庫版ではヴェルヌ自身が作成したノーチラス号の航行ルートが描かれた世界地図が付されており、これが大いに参考になった。この地図を見ると恐らくヴェルヌはまだ見ぬ世界に想像を膨らませながらどれどれ主人公たちにどんな世界の神秘を見せてやろうかとほくそ笑んでいたことだろう。この大著はそんなヴェルヌの想像力と好奇心によって紡がれた作品なのだ。これほどの筆を費やしてもヴェルヌはまだ書きたいことが山ほどあったに違いない。
日本の南から始まった航行期間10ヶ月弱、航行距離2万里の長きに亘った物語の終焉はそんなヴェルヌの渇望感を表したかのような名残惜しさに満ちている。

No.1328 3点 最後の抵抗- スティーヴン・キング 2017/06/18 23:55
どうにも煮え切らない小説である。いわゆるダメ男小説、人生の落伍者のお話である。
主人公ドーズは高速道路の延伸工事のため、自分の自宅と自身の勤めるクリーニング工場の立ち退きを迫られるが、頑なにそれを拒む。移転のための費用も出るし、また工場もいい条件を提示する不動産会社もあるのに、ドーズはそれに一切関与しようとしない。彼は高速道路の延伸自体を認めたくないのだ。そして移転することは政府の勝手な申し出に屈することになる、そうドーズは考えている。
しかし彼の行動は正直褒められたものではない。妻には移転先の物件を探しているふりをして、いつも嘘を云って誤魔化し、会社の上司にも不動産会社が紹介する物件に多数の不備があり、購入後は多額の修繕費が掛かると、調べてもいないのに嘘八百を並べ、終いには期限が過ぎればもっと価格を下げて提示してくるとまで云いのける。

しかし長らく勤めていたクリーニング工場の責任者という地位と職業も失い、更には妻にも逃げられながらも、一体何がこのバート・ドーズをそうさせるのか?
土地に固執する人々の大きな特徴として帰属意識の強さが挙げられる。先祖代々の土地を人様に渡すことを極端に嫌う、昔からその土地で生きている人たちにその特徴は顕著だ。ドーズは先祖代々住み着いた土地ではないが、彼にとってウェストフィールドは思い出の地なのだ。時折挟まれる妻メアリーとの思い出が非常に眩しいのもそのためだ。
まだ食うのもやっとな若い2人が内職してテレビを購入するエピソード、一人目の子の死産を乗り越えて、ようやくできた2人目の息子チャーリーとの思い出とその死。そんな困難もありながら、ささやかだけど幸せな時間を妻と共に過ごしてきた思い出の家を法律を盾に奪おうとする行為が許せなかったのだろう。ドーズは思い出に生きる男なのだ。
そして恐らくドーズは一方で安定を壊したかったのではないか。自宅のみならず自分の勤める工場の移転も強いられ、意のそぐわぬことをしてまでの安定に何の意味があるのかと常に自問自答していたのではないか。常人であれば普通に選択すべきことを敢えてしなかったのはそんな鬱屈した日常を破壊したかったのではないだろうか。つまり伸びてくる高速道路は彼の鬱屈した心の象徴でそれを壊すこと、もしくは誰もが従った土地買収に抗うことが彼にとって一皮剝けた新たな自分を生み出すことだと信じていたのではないだろうか?

独りよがりな理屈と自分勝手な行動と自分のことを棚に上げて人を怒鳴り、または訳の分からない説教をしようとする男バート・ジョージ・ドーズ。この、どうやっても共感を得られる人物像ではない狂える、そして女々しい男だ。キングは本書を「もっとも愛着のある作品」と称しているらしいが、私にはやはり単なる狂人が迷い彷徨い、そして崩壊するだけの話としか読めなかった。本書の舞台はベトナム戦争が終わった後の1973年だ。アメリカという国中にどこか鬱屈した空気が流れていた時代だろう。だからこそ戦争に負けた政府に従わない男をキングは書こうとしたのかもしれない。本書を著すことがベトナム戦争に負けたアメリカに対するキングのささやかな「最後の抵抗」だったのではないだろうか。

No.1327 8点 午後の恐竜- 星新一 2017/06/12 15:59
「午後の紅茶」を思わせるのどかな題名と表紙絵だが、表題作の最後に明かされるオチは戦慄の一言。傑作。

No.1326 7点 恋恋蓮歩の演習- 森博嗣 2017/06/12 00:55
豪華客船の上で起こる密室での人間消失と絵画盗難。ただ人間消失事件は正直必要か?と思った次第。

以下大いにネタバレ。


まず絵の所有者を部屋から出すためならば話があると持ち掛けさせてカフェテリアで拘束してもらうなどすればいいだけである。スキャンダルについても目的の男を呼び出したら自室で襲われたと見せかけるなどの他の方法もあったはずだ。
何しろ殺人事件となれば警察が介入して事が大事になるのにもかかわらず絵画の略奪を計画しているところにわざわざ警察を介入させる意味が解らない。絵が盗まれただけであれば警察もわざわざヘリコプターまで投入せずに次の停泊地である宮崎で警察が乗り込んでくるだけだろう。事を荒立てずにスマートに盗みを済ませてほしいと依頼した割には逆に大騒ぎになるような略奪計画である。実際船内は人が落ちたことで大騒ぎしているし。

また海に注意を向けるためにわざわざ海に落とすというのも詭弁である。船の中で人が見つからない、もしくは物が見つからないとなるとすぐに海に落ちた、落としたのではと思いつくのは当然である。海に何かが落ちなかったら船の中だけで考えると云うのはかなり無理な論理ではないだろうか。

さて今回は今まで道化役でしかなかった香具山紫子にスポットが当てられる。しかしてっきり香具山紫子のシンデレラ・ストーリーになるかと思いきや、さにあらず、やはり小鳥遊練無と瀬在丸紅子のマイペースに翻弄されて結局いつも役割に。「マイ・フェア・レディ」になり損ねた紫子が報われる日はいつ来るのか。それともずっとこのままなのだろうか。「わたしの人生っていったいなんやろ」と一人気落ちせずに頑張れ、紫子!

ミステリとしては標準並みの謎の難易度で全てではなくとも謎の一部は私にも途中で解ってしまうほどの物だったが、今回は事件の謎よりも物語の謎、いや保呂草という男の行動こそがメインの謎だったように思う。
この考えの読めない探偵兼泥棒の、常に客観的に物事を冷静に見つめ、目的のためには人を利用することも全く厭わない(その最たる犠牲者が香具山紫子なのだが)、あまり好感の持てない人物だが、彼の信念というか、信条が本書では意外な形で明らかになる。
常に計画的打算的に行動する保呂草自身の本当の心情は不明だが、恐らく本書でそれまで保呂草嫌いだった読者の彼に対する評価はそれまでよりも大なり小なり好感を増したのではないだろうか。実際私はそうなのだが。

ところで題名『恋恋蓮歩の演習』とはどういった意味だろうか?まず目につくのは「演習」の文字。これは前作で保呂草が盗み出すように依頼された幻の美術品「エンジェル・マヌーヴァ(天使の演習)」から想起されるのは当然だし、登場人物も各務亜樹良と関根朔太と共通していることからも繋がりを連想させる。
一方「恋恋蓮歩」という四文字。これは森氏独特のフレーズで造語かと思ったら実は「恋恋」は「思いを断ち切れず執着すること」、「恋い慕って思い切れない様」、「執着して未練がましい様」という意味で、一方の「蓮歩」は「美人の艶やかな歩み」という意味らしい。
この2つの単語を繋げたのは森氏の言葉に対する独特のセンスなのだが、つまり「恋恋蓮歩の演習」は「恋い慕って思いが募る女性が行う艶やかな歩く練習」ということになる。う~ん、そうなるとこれはやはり大笛梨絵、瀬在丸紅子ではなく、今回保呂草の計画に一役買った香具山紫子を表した題名になるのだろうか。
しかし一方で英題“A Sea Of Deceit”は“偽りの海”という意味。邦題と英題を兼ね合わせる人物はとなると大笛梨絵になるだろうか。いずれにしても色んな解釈ができる題名ではある。

最後に読み終わった後に保呂草自身のプロローグに戻ると、文字に書かれた時点で現実から乖離し、全ては虚構となる、そして全てが書かれているわけではなく、敢えて書かないで隠された事実もあるし、今回はその時点における意識をそのままの形で記述することを避けるとも謳われている。森作品、特にこのシリーズにおいてこの「書かれていること全てが本当とは限らない」というメッセージが通底しているように思われる。それはやはり保呂草潤平という謎多き人物がメインを務めているからかもしれない。
それはつまり、自分の直感を信じて読めばおのずと真実が見えてくるとも告げているように思える。ただ読むだけでなく、頭を使いなさい、と。だからこそ森ミステリには敢えて答えを云わない謎が散りばめられているのかもしれない。それこそが現実なのだからだ、と。

No.1325 7点 さらわれたい女- 歌野晶午 2017/06/07 23:20
誘拐ミステリも数あるが、今回歌野氏が仕掛けたのは狂言誘拐。それも夫の愛情を確かめたいがための誘拐という、ちょっと浮世離れしたお嬢様育ちの容姿端麗の人妻の変わった依頼で幕を開ける。

1992年というバブル真っ盛りの時期に書かれた本書。そこここに時代を感じさせる記述が散見されて懐かしさを覚えた。偽装して現れた誘拐の捜査をする警察官が来ていたのがアルマーニ調のスーツ(となぜかアタッシェ・ケースにクマのぬいぐるみを携えての登場と、逆に目立つような恰好なのがよく解らないのだが。とにかくパーティーや女性へのプレゼントが横行していた当時こんなアンバランスな恰好が普通だったのか?)だったり、まだ携帯電話は普及しておらず、自動車電話やショルダーフォンがセレブの持ち物となっていた時代だ。そんなまだアナログ社会で狂言誘拐を頼まれた便利屋が立てた方法がなかなか機知に富んでいて面白い。
警察からの逆探知を逃れるために今では災害時に使われるようになったNTTが提供する伝言ダイヤルサービスや今は無き悪名高いダイヤルQ2を利用して、録音やパーティラインによるやり取りで直接電話を繋げないようにしたり、自宅ではなく会社の方に電話したりするなど、工夫が凝らされていて読み手の予想の斜めを行く展開でどんどん読まされてしまった。

しかしそんなコミカルなムードも物語半ばで一転する。狂言誘拐の依頼人の女性が潜伏先で何者かによって殺害されてしまうのだ。そして依頼を請け負った便利屋が依頼人に渡した誘拐計画のメモをネタに殺人犯に犯罪隠蔽の片棒を担がされることになる。

誘拐する側とされる側の側面で描きながら、いつしか殺人の罪を着せられ、やがて殺人事件の捜査へと転じるツイストの効いた作品。そう、本書は誘拐あり、殺人あり、人捜しありの実に贅沢なミステリなのだ。

しかしこの頃歌野氏は本書の前に『ガラス張りの誘拐』という同じく誘拐を扱った作品を書いている。誘拐ミステリはなかなか数多く書かれるものではないのでこれは非常に珍しいと思える。そしてそちらも本書同様意表を突く展開でなかなか事件の様相が掴めなかった。しかしその反面アイデアに走り過ぎて作品としてのバランスに欠けるような印象も拭えなかった。
しかし好評を以って迎えられた乱歩の文体を模した『死体を買う男』を経た本作は『ガラス張りの誘拐』で覚えた消化不良感を払拭する出来栄えでとにかく謎から謎の展開でクイクイ読まされてしまった。ただやはり結末の付け方は慌ただしく、読書の余韻としては物足りなさを感じた。アイデアはいいものの、物語としては不十分。つまりこの頃の作品には『葉桜~』に至る以後の歌野晶午作品の萌芽が見られる貴重な作品群といえるだろう。

No.1324 7点 乙女の悲劇- ルース・レンデル 2017/06/04 12:27
ウェクスフォード警部シリーズ10作目は謎めいた一人の年輩の独身女性を巡る物語だ。

本書でも語られているように変死体で見つかった彼女はもはやただの無名の存在ではなくなる。彼女を殺害した人物を探るために過去を一つ一つほじくり返され、人間関係がその為人が暴かれ、好むと好まざるとに関わらず、1人の人間の伝記が出来上がっていく。しかしこの被害者の女性ローダ・コンフリーは調べども調べども住所さえも明らかになっていかない。彼の父親や叔母にでさえ自分の住所を教えなかった女性。
やがて捜査線上に一人の男性が浮かび上がる。作家のグレンヴィル・ウェスト。最初は年増女が勘違いして熱を挙げただけの存在かと思われたが、たまたま手に取った彼の著作の献辞にローダの名前を発見して、その関係性に太い繋がりが見えてくる。ウェクスフォードの捜査の手は彼の方に伸びていくが、フランス旅行中というのは大きな嘘でイギリス国内に留まり、行方を転々としているのだ。ウェクスフォードは今度はグレンヴィル・ウェストという謎めいた男に囚われてしまう。

しかしそれはある一つの言葉でこれら1人の女性と1人の男性の謎めいた人生が氷解する。
このように一人の女性の死が人生という名の迷宮に誘う。私や貴方が普通に言葉を交わすご近所相手、もしくは会社で一緒に働く相手は彼ら彼女らの多数ある生活の側面の一面に過ぎない。いつも見せる顔の裏側には数奇な人生の道程が隠されているのだ。

また本書ではこの50代の独身女性の謎めいた死を巡る謎と並行してもう1つの物語が語られる。それはウェクスフォードの長女シルヴィアの夫婦不仲の問題だ。本書が発表された70年代後半は折しもイギリスではウーマン・リブ旋風が吹き荒れていたらしく、シルヴィアもその風に当てられて、家庭に籠って一生を終える人生に異を唱え、女性の自由を高らかに叫び、家庭に閉じ込めようとする夫に反発する。
そしてこのサブテーマが本書の核を成す事件と密接に結びつくのがこのシリーズの、いやレンデルの構成の妙だ。

今や自立する女性が当たり前になり、結婚適齢期が20代の前半から後半、そして30歳でも独身で社会の一線で活躍する女性が普通である昨今を鑑みると、現代の風潮が生まれる黎明期の時代に本書が書かれたことが判る。男が働き、女が家を守る。当たり前とされていた価値観が変革しようとしつつある時代においてレンデルは昔ながらの夫婦であるウェクスフォード夫妻と現代的な考えに拘泥する彼の長女夫婦の軋轢を通じて時代を活写する。未だに解決しないこの男女雇用、機会均等の問題を上手くミステリに絡めるレンデルの手腕に感嘆せざるを得ない。

しかし『乙女の悲劇』とはよく名付けたものだ。この一見何の衒いもないシンプルな題名こそ本書の本質を突いているといっていいだろう。報われない若い時代を過ごした女性の悲劇。愛した相手によって人生を狂わされた女性の悲劇。図らずも産んだ子が不具だったために毎晩酒を飲むことで紛らせている女性の悲劇。さらに自立した女性を目指すも結局家庭に収まることを選んだシルヴィアもまた一種の悲劇となるのだろうか。私はそれもまた幸せの一つの形だといいたいのだが。

50歳の無器量な女性の変死体から濃厚な人生の皮肉を描いてみせ、更には女性の社会進出という普遍的なテーマを見事に1人の女性の悲劇へと結び付けたレンデルの筆の冴えを今回も堪能した。

No.1323 7点 謎解きが終ったら 法月綸太郎ミステリー論集- 評論・エッセイ 2017/06/03 23:55
新本格第1期デビュー組の作家でありながら、創作よりもむしろミステリ評論を数多く著し、他の新本格ミステリ作家とは一線を画した存在感を放っているのがこの法月綸太郎氏だが、本書は彼が各所で書いた評論、そして解説を集めたミステリー論集である。

構成は3部に分かれ、「安全ネットを突き破って」と題された第1部はまさにミステリ評論、2部以降はそれぞれ国内作家、海外作家の作品に付された解説が掲載されている。

まず彼の本領が存分に発揮されているのがミステリ評論の第1部だろう。俎上に挙げられた作家は中上健次氏、野崎六助氏、坂口安吾氏といずれも癖のある作家たちだ。
いずれも氏が若かりし頃に書かれた論文であり、その博識ぶりと蘊蓄を存分に振るった文章はこの歳になるとなかなか理解するのに困難で難儀したと正直に告白しよう。そしてその内容もやはり評論家としてのある種の傲慢さや独断が遠慮なく開陳され、鋭利な刃物のような筆致である。例えばミステリは知識人の読み物であると述べる輩をはっきり言ってバカだと断じ、他者の論文を引用しては自らの感じる思いとの差異に対してはっきりと断じているのはやはり若さだなぁと感じざるを得なかった。

法月氏のミステリ論には他のミステリ評論家たちが指摘したこと、もしくは指摘しなかったことに対して、反論または指摘する向きが散見され、実に好戦的な内容だと感じた。溢れんばかりの知識と読書量に裏付けされたそれらの反論はいささか知に偏り過ぎのきらいがあるが、それもまた彼がその時に感じた真実であり、彼の履歴書として後世に残しておくに値する若気の至りとも云える迸りを感じさせる。

一方で第2、3部のミステリ作品の解説として書かれた文章は逆に解説の本分を忠実に守り、実に肯定的な文章が、しかも平易で書かれており、逆にこちらの方がかなり面白く読めた。日本人作家に関してはその作家の創作のルーツを海外作家の作風に見出したり、同時期に刊行された作品との比較を精緻に行い、論証を挙げることでその作家の創作意図を読み解く内容が実に面白く読めた。連城三紀彦氏の解説では彼の作品を1作目から論じることで連城氏の創作作法を読み解く。これがなんともスリリングな内容でちょっと長いが引用しよう。

中井英夫が「アンチミステリー」と命名することで「探偵小説の終焉」を宣言したとするならば、連城三紀彦は「最後の探偵小説」が終った時点から、その終りを始まりへと反転させることによって、自らのミステリー作家の経歴をスタートさせた

こういった独特の主張は海外作家に関しても同様だ。デクスターの作品を「問題編の存在しない、解決篇だけで構成されたロジカルなパズル・ストーリー」と論じる辺りはまさに慧眼だし、セイヤーズやブレイクなど黄金時代の作家たちについては当時の時代性や他のミステリ作家たちからの影響を例を挙げて論じ、単に読み物としてその作品を論じるのではなく、時間軸の縦の繋がりだけでなく、共に同じ時代にいた作家たちの横の繋がりをも盛り込むことで解説の内容に膨らみをもたらしている。

本書の題名は作者によればザ・ドアーズの『音楽が終ったら』を文字って題されたと書かれている。ザ・ドアーズの歌詞では“音楽が終ったら、明かりを消そう”と書かれている。さて『謎解きが終ったら』では次に何をするのか?単に面白かった、で満足して明かりを消すだけではつまらない。ミステリを読み終わったら読む前の自分にはなかった知の明かりに火を灯る、そして知的好奇心の充足がそこから始まるのだよと、法月氏はこの題名に込めているように思えた。

貴方も本書を読んで、ちょっと知的にミステリを愉しみませんか?

No.1322 7点 未来いそっぷ- 星新一 2017/05/28 22:00
「ある夜の物語」は名作。
あと「余暇の芸術」はすごい!まさにネット社会、今こういうSNSに参加しているみんなを皮肉っているようだ。

No.1321 7点 ファイアスターター- スティーヴン・キング 2017/05/26 23:30
その題名が示すように念力放火の能力を備えた少女チャーリー・マッギーが主人公である。彼女は生まれながらの能力者であるのだが、今まで登場してきた『シャイニング』のダニー、『デッド・ゾーン』のジョンと異なるのは両親が共に超能力者であり、しかもその両親も秘密組織≪店≫によって特赦な薬物を投与されて能力が開花した人たちであることだ。

生まれながらの超能力者だったチャーリーはお乳を欲しがって泣くと発火し、お気に入りのぬいぐるみが燃え始める、おしめが濡れて泣くと衣類が燃え上がる、また不機嫌になって泣くと赤ん坊自身の髪が燃える。家の各所にはいつ何時何かが燃えてもいいように消火器と煙感知器が備えられている。通常の子育てでもストレスで大変なのに、それ以上に命の危険と隣り合わせの子育てが彼らは強いられていた。このような生活に密着したエピソードが単なる超能力者の物語という絵空事を読者にリアルに感じさせる。

組織によって作り出された超能力者が組織の魔の手から逃げ出し、逃亡の日々を続ける。そして追いつめられた時に超能力者はその能力を発動して抵抗する。しかし組織は新たな刺客をまたもや送り込む。ふと考えるとこれは日本のヒーロー物やアメコミヒーローに通ずる題材だ。つまりキングは既に昔から世に流布している子供の読み物であった題材をもとにそこに逃亡者の苦難と生活感を投入することで大人の小説として昇華しているのだ。これは従来のキング作品が吸血鬼や幽霊屋敷と云った実にありふれた題材を現代のサブカルチャーや読者のすぐそばにいそうな人物を配して事象を事細かに書くことによって新たなホラー小説を紡ぎ出した手法と全く同じである。つまりこれがキングの小説作法ということになるだろう。

そんなアンディとチャーリーのマッギー親子の前に立ち塞がるのは≪店≫が差し向けたインディアンの大男ジョン・レインバード。生きた妖怪、魔神、人食い鬼と評され、上司のキャップさえも恐れるこの大男はベトナム戦争で地雷によって抉られた一つ目の顔を持つ異形の殺し屋だ。彼はどこか超然とした雰囲気を備えており、チャーリーに異様な関心を示す。そして凄腕の評判通り、彼は見事にマッギー親子を手中に収めることに成功する。

しかし一方でこのレインバードのような殺し屋が実は≪店≫にとっても一縷の望みであるのだ。それは実験するごとに増してくるチャーリーの念力放火の能力である。どのような耐火施設を建て、また零下15℃まで冷やすことの出来る工業用の大型空調施設を備えてもチャーリーの能力が発動すればたちまちそこは灼熱の地となり、全てを燃やし、もしくは蒸発させ、気化させ、雲散霧消させてしまうのだから。チェーリーの発する温度は既に3万度にも達しており、ほとんど一つの太陽と変わらなくなってきており、このまま能力が発達すれば地球をも溶かしてしまう危険な存在だからだ。日増しに能力が肥大していく彼女を抹殺することは実は世界にとって正しい選択肢であるとさえ云えるだろう。
しかしこのマッギー親子が望まずに超能力者になった者であるがために、チャーリーやアンディが危険な存在だと解っていてもどうしても肩を持ってしまう。常に監視され、実験道具にされたこの不幸な親子に普通の生活を与えてやりたいと思うのだ。

しかし終始どこかしら哀しい物語であった。上にも書いたように通常ならば人の心を操るアンディと無限の火力を発し、核爆発までをも容易に起こすことの出来る少女チャーリーはまさに人類にとって脅威である。しかしそんな脅威の存在を敢えて社会に遇されないマイノリティとして描くことで同情を禁じ得ない報われないキャラクターとして描いているのだ。特に今回は望まずにマッド・サイエンティストが開発した脳内分泌エキスを人工的に複製した怪しい薬品にて開花した超能力ゆえに安楽の日々を送ることを許されなかった家族の物語として描いていることに本書の特徴があると云えるだろう。

思えばデビュー作の『キャリー』以来、『呪われた町』とリチャード・バックマン名義の作品を除いてキングは終始超能力者を物語に登場させていた。キャリーは凄まじい念動力を持ちながらもスクールカーストの最下層に位置するいじめられっ子だった。『シャイニング』のダニーは自らの“かがやき”を悟られないように生きてきた。ジョン・スミスは読心術ゆえに気味悪がれ、厭われた。キングは超能力者の“特別”を負の方向で“特別”にし、語っているのだ。一方でそれらの特殊能力を“かがやき”と称し、礼賛をもしている。
このどこか歪んだ構造がキングの描く物語に膨らみをもたらしているのかもしれない。しかしチャーリーに関しては念力放火よりも彼女が最後に大人たちを魅了するとびきりの笑顔こそが“かがやき”だとしたい。これからのチャーリーの将来に幸あらんことを願って、本書の感想の結びとしよう。

No.1320 7点 エヌ氏の遊園地- 星新一 2017/05/21 00:59
この辺まで来ると、過去のショートショート集とタブった作品も出てくる。「尾行」と「協力的な男」は実に星新一らしい作品。

No.1319 9点 ブラック・ハート- マイクル・コナリー 2017/05/16 23:37
ハリー・ボッシュシリーズ3作目はボッシュのキャラクターを形成するエピソードとして描かれていた、彼がロス市警のエースから下水と呼ばれるハリウッド署に転落することになったドールメイカー事件。本書ではなんとこのボッシュの過去の瑕とも云うべき事件がテーマである。彼が解決したと思われた事件の犯人は別にいた?それを裏付けるかの如く、かつての手口と同じ形で新たな死体が見つかる。更にボッシュは彼が射殺した犯人の家族から冤罪であったと起訴されている身である。
最初からどこをどう考えてもボッシュにとっては不利な状況で幕が開く。
ボッシュの誤認逮捕への嫌疑は最高潮に達するのだが、その疑問を実に鮮やかに本書はクリアする。

ただこの真相には気付く読者は多いだろう。ただそこからが本書の面白いところで、当時記者にも隠していたドールメイカーの犯行の特徴を模倣犯がほぼ忠実に擬えていたことから捜査に関わっていた人物、すなわち警察関係者に容疑者が絞られることになる。警察仲間の中に快楽殺人鬼がいる。この油断ならぬ状況はさらに事件に緊迫度をもたらす。

またボッシュはこの裁判を通して過去に母親を亡くした忌まわしい過去を白日の下に曝され、直面せざるを得なくなる。
さらに衝撃だったのはボッシュの母親の遺体を発見したのがある人物だったこと。
よくこのような展開を偶然すぎるとか、関係が狭すぎるなどと批判する読者もいるようだが、私は大歓迎である。濃密な人間関係が物語が進むにつれて形成されていたことが判り、更に物語世界が深化する。この世界に没頭できる感覚とサプライズは何ものにも代え難い至福だ。勿論やり過ぎると鼻白む気はあるが。

また前作『ブラック・アイス』で知り合ったシルヴィア・ムーアとの関係がまだ続いていることが本書では書かれている。
本書では2人の性格を的確に捉えている印象的な文章がある。そこにはシルヴィアは物事の中に美を見出すが、ボッシュは闇を見出す。天使と悪魔の関係だ。教師という職業に就き、人の清濁を理解した上で美点を見出し、そこを延ばそうとする女性に対し、常に人を疑って隠された悪を見出して数々の犯人を検挙してきた男。どちらもそれぞれの職業に、生き方に必要な才能を持ちながら水と油のように溶け込まないでいる。唯一共通するのはお互いが求めあっていることだ。

しかしこの法廷劇の濃密さはどうだろう!百戦錬磨の強者弁護士ハニー・チャンドラーの強かさは男性社会の中で勝ち抜くことを自分に課した逞しい女性像を具現化したような存在だ。裁判に勝つために自らの容姿、敵の中に情報源を隠し持つ、更には被告側の隠したい過去をも躊躇なく暴く、容赦ない女性だ。
後にコナリーは弁護士ミッキー・ハラーを主人公にしたシリーズを書くが、早くも3作目でこのような法廷ミステリを書いているとは思わなかった。1冊目が典型的な一匹狼の刑事のハードボイルド小説ならば2作目はアメリカとメキシコに跨った麻薬組織との攻防と思わぬサプライズを仕掛けた冒険小説、そして3作目が法廷ミステリとコナリーの作風のヴァラエティの豊かさとそしてどれもがストーリーに深みがあるのを考えると並外れた才能を持った新人だと思わざるを得ない。

さて本書の原題は“The Concrete Blonde”、即ちボッシュの誤認逮捕を想起させるコンクリート詰めにされて発見されたブロンド女性の死体を指している。
一方で邦題の『ブラック・ハート』はヒットした2作目の『ブラック・アイス』にあやかって付けたという安直な物ではない。いや多少はその気は出版社にもあったかもしれないが、本書に登場する司法心理学者が書いた本のタイトル『ブラック・ハート―殺人のエロティックな鋳型を砕く』に由来する。即ちブラック・ハートこと“黒い心”とは誰もが抱いている性的倒錯であり、それが砕けるか砕けないかという非常に薄い壁によって犯罪者と健常者は分かたれているだけで、誰もが一歩間違えば“黒い心”に取り込まれて性犯罪を起こしうると述べられている。

恐らく原題も最初はこの『ブラック・ハート』としていたのではないだろうか?というのも第1作『ナイトホークス』の原題が“Black Echo”で2作目が邦題と同じ“Black Ice”。それらはいずれも作中で実に印象的に扱われている言葉でもある。その流れから考えるとコナリー自身もボッシュシリーズの題名は“Black ~”で統一しようと思っていたのだが、それまでの題名に比べて“Black Heart”はいかにもありきたりでインパクトがなさすぎるため、エージェントもしくは出版社が本書でセンセーショナルに描かれるコンクリート詰めのブロンド女性の死体を表す「コンクリート・ブロンド」にするよう勧めたのではないだろうか。

しかし本書の題名はそのどちらでも相応しいと思う。邦題の『ブラック・ハート』は本書の焦点となるドールメイカーの追随者を正体を探る作品であることを考えると、その犯人の異常な、しかし誰もが持つ危うい心の鋳型を指すこの単語が実に象徴的だろう。

一方で『コンクリート・ブロンド』ならば、新たに現れたドールメイカーの追随者による犠牲者たちを衝撃的に表した単語であることから、それもまた事件そのものの陰惨さを指す言葉として十分だろう。しかもコナリーはこの言葉にもう1つの意味を込めている。
今回のボッシュの宿敵となって立ち塞がる原告側の弁護士ハニー・チャンドラー。コナリーが敬愛する作家のラストネームを冠したこの女性こそが「コンクリート・ブロンド」だったのではないか。卑しき犯罪者を糾弾する自分だけは自分の正義を守ろうとしたのが彼女だとしたら、だからこそコナリーは彼女にその名を与えたのではないだろうか。
一方でボッシュはこのチャンドラーに公判中、怪物を宿した刑事だと糾弾される。そして自身もまた自分の中にその怪物がいるのかと自問し出す。自分もまた“黒い心”の持ち主であり、チャーチを撃ち殺した自分は彼らとなんら変わらないのではないかと。つまり原題がボッシュの宿敵を指すのであれば邦題はボッシュ自身をも指示しているとも云えるだろう。

ハリー・ボッシュがロス市警の花形刑事から下水と呼ばれるハリウッド署へ転落させられたドールメイカー事件。彼の刑事人生で汚点ともなる疑惑の事件が今回見事に晴らされた。これで1作目からのボッシュの業は1つの輪となって一旦閉じられることになるとみていいだろう。

次作からは再び己自身の過去に向かい合う作品となるだろう。そしてシルヴィアとの関係も決して十分だと云えない。お互い愛し合っているからこそ、続けるのが困難な愛もある。危険に身を投じるボッシュは彼のせいでシルヴィアもまた危険に巻き込むかもしれないと恐れ、一方でその姿勢を高貴なものと尊敬しながらも、以前警察官だった夫を喪ったシルヴィアは再び同じような失意に見舞われるのを恐れている。
最後にボッシュが呟いたように、少しでも関係が続くよう、もはや願うしか手がないのだろう。最後の台詞に“Wish”という言葉が入っていることに私はボッシュのもう1人の女性のことを思い出さずにはいられなかった。

No.1318 7点 かくして殺人へ- カーター・ディクスン 2017/05/08 23:34
カーター・ディクスンは事件関係者の勘違い、もしくは想定外の出来事で殺人計画が捻じ曲げられ、それがために不可解な状況が起こるという、ジャズ演奏で云うところの即興、インプロビゼーションの妙をミステリに非常に巧みに溶け込ませるのを得意としているが、本書においてもそれが実に巧く効いている。

ただ本書で唯一不可能状況下での犯罪は封も開けていない、モニカが駅で買った煙草にどうやって毒入り煙草を忍ばせたかという物だが、案外無理があるトリックだとは感じる。

そしてだいたい作者が映画業界を舞台にした作品を書くときは作者自身がその業界に関わったことがあるからだからだが、やはりディクスン自身もその例に洩れず、解説の霞氏によれば本書が発表される2年前の1938年にイギリス映画界で脚本家として携わったらしい。その時の経験は散々だったようで、そのことが作品にも色濃く表れている。特に最後の台詞
「映画産業にはよくあることだ」
はその時の思いがじっくりと込められているように思える。

ところで私はHM卿シリーズはけっこう読んでいるわけだが、なにせ時系列的に読んでいないため、各作品での繋がりに対する記憶がほとんどない。本書に登場するHM卿の部下ケン・ブレークとスコットランド・ヤードの首席警部ハンフリー・マスターズ以外の登場人物は私の中では消失してしまっている。その原因はカーター・ディクスンならびにディクスン・カー作品の訳出のされ方にもある。例えば近年新訳で刊行されたHM卿の作品は以下の通りだ。

2012年『黒死荘の殺人』;第1作目
2014年『殺人者と恐喝者』:第12作目
2015年『ユダの窓』:第7作目
2016年『貴婦人として死す』:第14作目
2017年本書:第10作目

このように順番はバラバラである。この辺が改善されると今後の読者も系統だってシリーズを読めるので助かるとは思うのだが。しかしこうやって見ると上には書いていないが、ジョン・ディクスン・カー名義の作品も合わせると毎年コンスタントに新訳が出されていて、ファンとしては非常にありがたい状況ではある。
まだまだ絶版の憂き目に遭って読めないでいるカー作品をこれからもコンスタントに刊行してくれることを東京創元社には大いに期待しよう。

No.1317 10点 ボッコちゃん- 星新一 2017/05/07 22:34
星新一珠玉のショートショート集。私が作者の作品に出会ったのは中学校の教科書だった。そこに収められていた「友好使節」が私を星作品の虜にした。
その作品は第2集の『ようこそ地球さん』に収録されているが、本書は作者が選出した物が収められているだけあって外れ無し。
現在を予見した内容と風刺に満ちている。敢えてお勧めは挙げないが読んで損なしの1冊です。

No.1316 8点 ラインの虜囚- 田中芳樹 2017/05/04 23:33
2003年から16年に掛けて講談社が企画した少年少女たちのための小説シリーズ<ミステリーランド>。本書は田中芳樹がその企画のために書き下ろした1作であるが、まさに少年少女が胸躍らせる一級の娯楽冒険小説となっている。
なおタイトルはライン川に聳える塔に幽閉された人物を指しており、決して某SNSに依存している人々を指しているわけではない(笑)。

デュマが同行し、更に一人の少女に彼を含めた3人のお供。そのうち2人は剣と銃の達人とくれば、これは『三銃士』以外何ものでもない。本書ではデュマはまだ駆け出しの作家だが、本書には明確に書かれていないものの、彼が経験したコリンヌとの冒険をもとに『三銃士』を著した、というのが裏設定ではないだろうか。
更に18世紀に流布していた『鉄仮面』伝説にコリンヌ達の時代にドイツで話題となっていた「カスパール・ハウザー事件」など後のデュマの作品のモチーフや当時の謎めいた逸話も盛り込まれ、まさに学校では教えてくれない世界史の、面白いエピソードに溢れている。

とにかくどんどん物語は進んでいく。この流れるような冒険の展開はヴェルヌの一連の冒険小説を彷彿とさせる。田中氏特有の19世紀当時のフランスを筆頭にしたヨーロッパ各国の情勢、はたまた海を渡ったアメリカとカナダの状況などがほどなく平易な文章で織り込まれており、物語を読みながらそれらの知識が得られる贅沢な作りになっている。特徴的なのは通常このような蘊蓄を盛り込む際、田中氏は自身の見解を皮肉交じりに挿入するのだが、本書では読者対象が少年少女であるためか、そのような文章は鳴りを潜め、むしろ教科書に載っていない歴史の面白さを教える教師のような語り口であるのが実に気持ちいい。

大人の視点から読むとコリンヌを取り巻くラフィット、モントラシェの2人の無双ぶり、またミスマッチと思われた作家デュマもその巨体を生かしたアクションであれよあれよと敵と互角に立ち向かうことで少しも主人公たちが窮地に陥らないところに物足りなさを感じるものの、本書が収められた叢書<ミステリーランド>のコンセプトである、「かつて子どもだったあなたと少年少女のために」に実に相応しい読み物であった。子供の頃に嬉々として冒険の世界に浸った読書の愉悦に浸ることが出来た。
氏の未完結のシリーズ作品の今後が非常に愉しみになる、実に爽快な読み物だった。

No.1315 8点 デッド・ゾーン- スティーヴン・キング 2017/05/01 23:05
哀しき超能力者の物語。
本書は『シャイニング』を皮切りに特別な能力を持つ特定の人を扱った、つまりシャイン―かがやき―と称される能力を持つ者たちの系譜に連なる作品でもある。
主人公ジョン・スミスは脳の一部を損傷するほどの交通事故に遭い、約5年に亘る昏睡状態から目覚めてから能力が発動する。
彼はその能力ゆえに人から畏怖され、時には、いや往々にして関わりを持ちたくないと嫌悪の対象になる。

触れられるだけで自分の内面を丸裸にされるような思いがさせられ、周囲はジョンがサイコメトリーを発揮した後ではよそよそしい態度を取るようになる。また新聞記者はジョンの能力に興味深々であるものの、触れないでくれとはっきりと告げる。
更に連続殺人事件の犯人逮捕の援助を頼んだ保安官はジョンが発見した真相に嫌悪感を示し、その真実を認めようとせずに罵倒する。
卒業パーティーの会場が落雷によって大火事に見舞われることを予見し、パーティーの取り止めを促すが、人々はせっかくの晴れの席を台無しにされたと怒り、彼を非難する。そして実際に火事が起こるや否や、人々はジョンの能力に感謝するどころか畏怖し、あまつさえ実はジョンが超能力で着火したのではないかとまで云う―ここで「小説の『キャリー』みたいに」と自作を宣伝するのが面白い―。

人に触れることでその人に関する未来や過去をヴィジョンとして捉える能力はしかし本書でも述べられているように、現実世界では人間はことが事実になるまでは本当に信じる気になれないのが世の常であり、人々はことが起きた後でその正しさを心に刻み込む。従って未来を正確に予見できるジョンは常に異端者であり、場合によっては忌み嫌われる存在になるということだ。『ザ・スタンド』の舞台となった人類のほとんどが死に絶え、明日が見えない世界においてはこの能力を持つ者は導き手として崇められるが、では現実世界ではどうかというと逆に恐怖の存在となる。
苦悩する理解されない救世主の姿が本書では描かれているところに大きな特徴があると云えるだろう。

ただ唯一の救いは作者は決してジョン・スミスをただの狂えるテロリストとして片付けなかったことだ。あくまで孤独な、報われない世界の救世主として描かれる。世界を救おうとして殉じた男は最後の最後までたった一人、同じ高校教師の同僚だったセーラを愛していた愚直な青年だったことも胸に打つ。結婚後にセーラが自宅を訪れ、共に愛を交わし合った一度限りの夜はジョンには何ものにも代え難い思い出であったことだろう。

さて2016年アメリカは第45代大統領にドナルド・トランプ氏を選出し、そして2017年就任した。この実業家上がりの大統領が本書で後にアメリカ大統領となり、全面核戦争の道へアメリカを導くと恐れられたグレグ・スティルマンと重なって仕方がなかった。
現実問題としてトランプ大統領は北朝鮮に対して核戦争も辞さぬ挑戦的な態度を取り続けている。本書はもしかしたら今だからこそ読まれるべき作品かもしれない。彼らが選んだ大統領はスティルマンのように一種狂宴めいた騒ぎの中で選んだ過ちではなかったのか。1979年に書かれた本書は現代のまだ見ぬ過ちを予見した書になる可能性を秘めている。実は本書のタイトル“デッド・ゾーン(死の領域)”はスティルマン選出後のアメリカをも示唆しているのであれば、まさにそれは今こそ訪れるのかもしれないと背筋に寒気を覚えるのである。

No.1314 9点 このミステリーがすごい! 2017年版- 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 2017/04/30 00:35
今年は海外赴任中で海外で読むと容易に手に入れられない分、読書の欲求が普段よりも否応に増す思いがした。

さて今年の最大のサプライズは国内1位を大ベテラン、しかも本格ミステリ作家の竹本健治氏の『涙香迷宮』が飾ったことだろう。実にマニアックでコアなファンを持つ作家だから、この結果には本当に驚いた。内容は「いろは歌」による暗号物らしいが、48首もの数が収められているらしい。まさに究極の暗号小説で、逆にそんなマニアックな作品が1位を飾ることが『このミス』らしくもあり、またらしくなくもある。ポーの『黄金虫』の時代からミステリファンの暗号好きは変わらないということだろうか。またこの1位が呼び水となって氏の未文庫化作品がどんどん文庫化されるといいのだが。まずその皮切りとばかりに『かくも水深き不在』が文庫化されたのは素直に嬉しい。

今年は新顔の活躍が目立つ。常連陣は先に述べた作家以外では宮部みゆき氏、法月綸太郎氏、雫井脩介氏ぐらいである。この新人上位のランキングはこれまでの『このミス』の歴史でもあったことなので、単純に世代交代の時期にあるとは云えないだろう。ただ前年同様、選者たちの青田買い、新し物好きに拍車がかかっているような傾向もみられる。特にデビューして3年すれば顧みられない作家たちが多いと感じる。恐らくはフレッシュが故の新人の自由な着想が印象に残ったのであろうが、それでも作品は新人・ベテランの区別なく平等に評価してほしいものである。

さて海外作品は読後、絶対今年も1位と確信したドン・ウィンズロウの『ザ・カルテル』は惜しくも2位。この情念の傑作を見事蹴落としたのはアンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリの『熊と踊れ』だった。この作品は各誌の年間ランキングでも絶賛されており、食指が思わず伸びてしまう作品である。
さてこの1位の作品は北欧ミステリであるがランキングを見ると今年は本書以外では11位のジョー・ネスボの『その雪と血を』の2作ぐらい。
逆に国内編とは打って変わって常連陣がランキングを占める。昨今の海外ミステリ翻訳事情の厳しさから厳選された作品が訳出されていることを考えると、これら常連陣は今なおクオリティの高い作品を出しているということになる。特にキングの3位はもう唖然という外ない。

その他本書の内容を観てみると、嬉しいのが座談会の復活だ。しかも覆面座談会だ。これがないとやはり『このミス』ではない。ただ往年に比べるとやや大人しめか。次回も開催されることを期待しつつ、もっと奔放にミステリを論じ、こき下ろし、そして賞賛してほしいものだ。
さらに海外短編オールタイム・ベスト選出も嬉しい企画だった。短編は案外読んでいるので選者たちの選出には既読作品が多いのも嬉しかった。しかしこれらオールタイム・ベスト選出は選者の黄金体験に特化されるため、どうしても古典が上位にランキングしがちだ。
その中で16位と18位に選出されたシーラッハの2作と19位のローレンス・ブロックとジェフリー・ディーヴァーのそれぞれ1作のランクインはそんな凝り固まった既成概念を吹き飛ばすほどの力を持った作品として高く評価されるべきだろう。ちなみにランクインしたディーヴァーの「三角関係」はホント傑作です。

今回は今までたびたび不満不平として挙げていた中身の薄さがどんどん解消され、また全く読まない「このミス」大賞受賞者の短編が排除されたことも嬉しい限り。ただ惜しむらくはジャンル別のコラムが2編しかなかったこと。コラムを次回はもっと増やして今回のような座談会に特別企画があるともう云うことなしなのだが、次回は30周年ということでその辺の充実ぶりを大いに期待しよう。

No.1313 8点 さよならドビュッシー- 中山七里 2017/04/23 22:39
どんでん返しの王と云えば現代の海外ミステリ作家ならばジェフリー・ディーヴァーだが、日本では最近中山七里氏の名が挙がるようになった。実際「どんでん返しの帝王」という異名もついているらしい。本書はそんな彼がデビューするに至った第8回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作である。

まさに新人離れした筆致とストーリー展開であれよあれよという間に物語に引き込まれる。
本書に織り込まれたクラシックの曲調に対する描写が実に絵的で美しく、頭の中で音が奏でられるように錯覚する。私はクラシックには疎いのだが、それでも聞いたことのある題名から知らない曲名までもがなぜかその描写によって曲が自動再生させられていく。音の躍動感、またきらびやかさが粒のように空気に舞い、弾け、そして溶け合い、人々の耳に余韻として残る。それら一つ一つの音符やメロディに感じるのは中世・近代の名のある音楽家たちが譜面に込めた情熱や美、そして常に新しい技を生み出そうとする研鑽の姿だ。そしてそれらを譜面を通じて理解し、どうにか再現しようと、そしてそのメッセージと喜びを観客と共に分かち合おうとする演奏者の思いが神々しいほどに美しい描写に込められている。常に頭の中で音楽が奏でられ、思わず眼前にリサイタルが成されているかの如く錯覚に陥ってしまった。後でその題名でググって実際の曲を聴いてみると全く違っているのが常だが、中には合っているものもあったりして、この作家の表現力の豊かさを頭ではなく心で感じる思いがしたものだ。

そんな物語である本書はミステリというよりもなんとも清々しい青春小説、いやビルドゥングス・ロマンなのだろうという思いで読んだ。
しかし読み進めるうちに次のような作品だと思った。これは戦いの物語なのだ、と。
突然業火に包まれ、全身大火傷という重傷を負い、皮膚移植をされた一人の女子高生が、ピアノを通じて松葉杖を突き、5分以上の演奏ができない不具の身体でコンクールを勝ち抜く。社会の障害者に対する偏見と好奇の目に晒されながらも敢えてその逆境に挑み、岬洋介という素晴らしいピアニストを師に迎えて音楽という雄大に広がる宇宙を具現化させることに執着し、そしてその世界観を一人でも多くの聴者に届けようと苦心する一人の女子高生の戦いだ。
そしてまた彼女の師、岬洋介もまた戦う男だった。法曹界にその名を轟かせた凄腕の検事正を父に持ち、また自身も司法試験でトップ合格するほどの頭脳と適性を持ちながらピアノの夢を捨てられずに片耳が不自由とハンデを持ちながらも再び音楽家の道を歩み、新進気鋭のピアニストとなった男。ハンデを持つがゆえに世間の残酷さを知っているからこそ、障碍者の遥にも甘い言葉を掛けず、社会の厳しさを教え、その覚悟を常に問う。お坊ちゃん風の穏やかな風貌をしながらも心の中に太くて強い芯を持つ男だ。彼は音楽を究めんとしようとする者を後押しし、援助を拒まない。それが犯罪者であっても。
本書はこの2人の音楽の求道者がそれぞれ抱えた肉体的ハンデと戦い、そして世間と戦う物語なのだ。

これほどまでに犯人に対して憎しみどころか潔さや気持ちの良さを感じたミステリはない。本書に収められたどんでん返し最後の真相なのかもしれないが、本当のどんでん返しはこの気持ちよさにあると思う。

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