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麝香福郎さん
平均点: 6.78点 書評数: 68件

プロフィール高評価と近い人 | 書評 | おすすめ

No.68 6点 アキレウスの背中- 長浦京 2024/11/05 21:22
警視庁捜査三課の下水流悠宇は、参事官の乾に命じられ、所属を越えて極秘編成される班の一つを指揮することに。最初の任務は日本トップクラスのマラソンランナーに脅迫状を送りつけてきた犯人の特定と逮捕。それは一ヶ月後に東京で開催される、初の公営ギャンブル対象のマラソンレースと関係があった。
競馬や競輪のようにランナーの着順を予想して金を賭けることが出来る前代未聞の大会を狙うテロリストたちを相手に、テロ対策経験のない下水流班が立ち向かうスリリングなノンストップサスペンス。
F1レースを想起させるスポーツメーカーによる最先端のランニングギア開発競争、前人未到の記録に挑む日本人最速ランナー、政治と利権が絡みまくった競技大会、そして透けて見える大国の思惑。さらに警察内部の問題や部下の不審な動き、アスリートの恋人に迫る危機など、本作は複雑な背景から次々と噴出する難題とテロ計画に対する若き女性指揮官の物語といえる。と同時に、ひとつの道を究めんとする者と究めようとするも叶わなかった者を映した物語でもある。刑事、ランナー、ランナーを支える人が皆、目標に向かってゴールに向かう。それと同時に犯人との攻防戦が緊張感たっぷりに味わえる警察小説。

No.67 5点 死神を祀る- 大石大 2024/10/18 22:28
舞台は東北の寂れた地方都市。雑木林の奥にひっそりと佇む神社は死神を祀っているという伝承があった。毎日欠かさず30日間続けて参拝すると、30日目の日付が変わる時に、この世のものとは思えないほどの恍惚を感じながら命を絶つことが出来る。
語り手が一話ごとに変わる6話とエピローグは、無事に死を迎える者もいれば、他人の参拝を止めさせるために奔走する者もおり、死神神社の正体を探り始める者もいる。それぞれの試みの意外な顛末が、ミステリの構造に乗せて語られていく。
特筆すべきは第三話「ゆがんだ顔」で描かれる謎。参拝を続けていた男が、ホテルのドアノブで首をくくり苦悶の表情で自殺した。しかも発見されたのは、男にとって参拝30日目の朝だった。あと少し待てば幸福な死が得られるはずだったのに、なぜ自ら命を絶ったのか。語り手となる刑事は、若い頃に別れずっと忘れられずにいた恋人の存在に辿り着く。そして真相が明かされた瞬間、淡く美しかった男の恋物語がどす黒く染まっていく。
死神神社を否定すべきかどうかには簡単には答えが出せない。安楽死や死の産業化、誰かに恋する気持ちを一刀両断で否定できないのと同じように。読み終えると、なんとも言えない感情が無数に渦巻く。

No.66 6点 サハラの薔薇- 下村敦史 2024/09/27 20:39
主人公は、発掘の魅力に取り憑かれたエジプトに留学した考古学者・峰隆介。今は日本の大学の准教授として、エジプトでの発掘調査を指揮している。その現場から、ついに石棺が見つかった。数千年前のものと推定される石棺は、エジプト考古省の遺物保管庫に運ばれ、係官立会いのもと、いよいよふたが開かれる。だが、そこに横たわっていたのは、死後数カ月のミイラ化した遺体だった。その後、武装グループが遺物保管庫に侵入し、峰たちが発掘した石棺やミイラを強奪したという。失意のまま帰国準備を進める峰のもとに、フランスの有名博物館から抗議の依頼とチケットが届く。だが、カイロを発った航空機は何故か広大な砂漠に墜落。からくも助かった峰は、他の数少ない生存者と共に砂漠をさすらうことになる。
基本は極限状況下の脱出行を描くサスペンスだが、冒頭のミイラを巡る謎が物語を牽引し、旅の過程で驚くべき真実が次々に明かされる。峰が抱える秘密とは何か、シャリファや永井の思惑とは。物語にどう決着がつくか予想がつかず、全体の2/3あたりで驚天動地の大ネタが炸裂した後も、さらにサプライズが続く。読み始めたら止まらない疾走感ある物語。

No.65 6点 メキシカン・ゴシック- シルヴィア・モレノ=ガルシア 2024/09/05 21:50
舞台は一九五〇年のメキシコ。資産家の娘ノエミのもとに、イギリス人のヴァージル・ドイルと結婚した従姉のカタリーナから手紙が届く。その文面によると、カタリーナは夫の毒を盛られているのみならず、屋敷内を彷徨う亡霊に脅かされているというのだ。従姉の身に何が起きているのかを確認するため、ノエミはドイル家の人々が住む人里離れた「山頂御殿」へと赴く。そこなヴィクトリア朝様式の古風な建物であり、住人達も異常なほど窮屈な規則を守りながら暮らしていた。やがてノエミは、この屋敷で過去に起きた忌まわしい出来事を知る。
陰鬱な大建築、そこに住む因習の一族といった道具立ては、歴代のゴシック・ロマンスの名作と共通する要素だ。しかし、英米のゴシック・ロマンス的な道具立てを、そっくりそのままメキシコという地に持ち込むことで、そこには別のニュアンスが生じる。メキシコは長きに亘って植民地だったが、ドイル一族は旧時代の記憶に固執する白人至上主義であり、先住民の血を引くノエミに差別的な態度を示す。また、ヴァージルの父ハワードを頂点とする彼らは家父長制の権化でもあり、この二つの思想が縒り合わさったような邪悪な企みを秘めている。彼らの慇懃無礼な圧迫を受けつつ、ノエミがその企みをいかにして暴くかが本書の読みどころであり、シャーロット・パーキンス・ギルマンの「黄色い壁紙」を踏まえたゴシック・ロマンスのフェミニズム的再解釈の試みとなっている。

No.64 8点 薔薇の名前- ウンベルト・エーコ 2024/08/16 21:38
一三二七年の冬、バスカヴィルのウィリアム修道士は弟子である見習い修道士のアドンソとともに、北イタリアの山上の僧院を訪れる。到着早々、ウィリアムはその鋭い観察眼と洞察力を見込まれ、僧院長から若い修道僧の不審な死を調べて欲しいと依頼される。
作者によって緻密に練り上げられたこの作品には、読み解くべき物語が重層的に嵌め込まれており、その解読のために幾多の研究者が刊行されているほどだ。しかし難しいことは考えずに読んでも、ホームズを思わせるウィリアムの活躍ぶりや、奇怪な殺人、暗号の解読、文書館の大迷宮といった舞台設定など、ミステリとしての面白さにも満ち溢れている。

No.63 7点 ループ・オブ・ザ・コード- 荻堂顕 2024/08/16 21:32
WEO(世界生存機関)の職員・アルフォンソは、多数の児童が原因不明の発作を伴う病気を発症した国に調査のために派遣される。そこは、20年前に起きた虐殺事件の結果、WEOプログラムによって歴史の一切が抹消され、人々の名前までもが変更され、かつての民族のアイデンティティが消去された国だった。
歴史を抹消された社会の調査を通じて、無個性だが秩序のある社会が抱えた歪みが浮かび上がる。
未来の国を舞台にしているが、ここに描かれているのは絵空事とはいえない。起こりうる未来、あるいは今の現実の変奏といってもいい。謀略小説という枠組みを駆使して、大きなテーマを扱って見せた作品である。

No.62 8点 煉獄の時- 笠井潔 2024/07/25 20:56
ポーのデュパンものの有名な短編を彷彿させる手紙消失の謎を含む時空を超えた三つの謎にカケルが挑む本書は、全十六章のうち、中盤に置かれた六章分の過去編をカケルたちの活躍する現在編が挟むという重層的な構成を備えている。
消失という現象の本質を「対象に転移した自己消失の可能性」と直観し、手紙と首にまつわる三つの消失事件の謎を解き明かしていくカケルの推理は圧巻の一言。とりわけカケルが謎解きの佳境で提起する「二十世紀の消失現象に生じている固有の偏差」としての「奪われる消失」と「消える消失」という対概念はシリーズの読者ならば注目せざるを得ないだろう。

No.61 6点 朱色の化身- 塩田武士 2024/07/04 21:27
温泉街で育った珠緒は、男女雇用機会均等法施工直後の銀行に総合職で入り勤めたものの、京都の老舗和菓子店に嫁ぐため退行。後にはゲームクリエイターとしてヒットを放っていた。男女差別が残る業界で頑張っていた彼女の寿退職や、銀行とゲームという業種の硬軟からすると、進歩的なのか保守的なのか価値感がよくわからない。得た事実が増えても、なかなか像を結ばない。だが、大路は生活史を掘り起こし、彼女の隠された真実に迫っていく。
作者の丹念な取材に裏打ちされたディテールが、作中世界に迫真性を与えている。大学時代に冷戦と資本主義に関する優れたレポートを書いたという珠緒は、大局的な視野を持つ一方、身近な人間関係にがんじがらめになっていた。前半で人物像がはっきりしなかったのも、社会の矛盾、家族の歪みを彼女が引き受けながら生きたためだろう。本作では取材における個の尊重が一つのテーマになっているが、個がどのように存在するのか、よく表現した物語だ。

No.60 7点 サーキット・スイッチャー- 安野貴博 2024/06/14 21:31
便利でより安全な車社会の到来は同時に、タクシーやトラック運転手などの雇用を激減させ、職を奪われた者たちが連日「自動運転反対」のデモを繰り広げていた。この完全自動運転アルゴリズムの開発者であり、スタートアップ企業の代表でもある坂本は、仕事場として使っている自動運転車で走行中、何者かの襲撃を受ける。車中では拘束された坂本が意識を取り戻すと、そこにはムカッラフと名乗る男の姿が。
車をジャックしたムカッラフは首都高へ向かい、車中からの動画配信を開始。高速道路の封鎖を要求し、さらに半径二メートル以内への接近、時速九十キロを下回る走行、動画配信の停止、いずれかでプラスチック爆弾が自動的に爆発する仕掛けを施したという。そして宣言する。坂本が殺人犯であることを証明するのだと。
テクノロジーの飛躍的な発達がもたらす功罪を描いたテクノスリラーであり、刑事と敏腕技術者の異色のバディものとしても愉しめ、さらに車の自動運転化に秘められた、あまりに合理的であるがゆえに、赦し難い企みの真相は意外で衝撃的。
本作は義務と責任が重要なキーワードになっている。技術革新を繰り返し、その恩恵をすべての人が受けられるわけではない。その技術によって変わってしまった世界に、絶望と地獄を見る人もいることも決して忘れてはならない。とても考えさせられる作品。

No.59 5点 教え子殺し 倉西美波最後の事件- 谷原秋桜子・愛川晶 2024/05/22 20:26
現在を描いたメインのパート、未来であるメールのパート、LINEによるやり取りの三つのパートから構成されている。
メールは犯人による告白である。女性の首をナイフで切り裂き殺したというのだ。しかもその行為に一切の後悔はない。なぜなら彼女は自分を罠にかけ、セクハラ教師の汚名を着せて退職させた女子生徒であったからだ。彼女の名前は美夏という。ところが犯行現場には、メールの書き手が「君」と呼ぶ第三者がいたらしい。
犯人がメールを書いているのは、七月八日の夜。どうやら犯行はその日の午後に起きたらしい。メインストーリーは六月の下旬から始まり、やがて七月に入り美夏は学校に姿を見せなくなる。
作者は犯人のメールをあちこちに挿入することで、何が起きたかを徐々に提示し、その一方で時を遡り、カタストロフまでを現在進行形で描く。一方で、犯人は誰に宛ててメールを書いたのかなど、残された様々な謎が読者を迷路に誘う。そしてすべての謎が解明された時、眼前にまったく違う景色が出現するという企みに満ちた作品である。

No.58 6点 開化鐡道探偵 第一〇二列車の謎- 山本巧次 2024/05/01 21:54
高崎から生糸を運ぶ日本鉄道の貨車が、開業間もない大宮駅で何者かの手によって脱線、積み荷からなんと千両箱が発見された。井上鉄道局長は、元八丁堀同心の草壁を呼び出し、事件の調査を依頼する。
群馬の生糸が輸出できるようになり、産業として確立できたのは鉄道網あってのこと。だが同時に時代の変化は様々な場所に軋みを生み、流れに乗る者と抗う者、取り残される者を産んだ。その混沌を近代化の象徴たる鉄道と旧幕の遺産たる徳川埋蔵金、あるいは鉄道と八丁堀同心というアンバランスなモチーフを組み合わせて表現している。
聞きなれない「日本鉄道」とは何なのか、この路線にはどんな新たな試みがあるのか、どうして何もない大宮に新たな駅が作られたのか。こういった要素の一つ一つが歴史を表しているのみならず、謎解きに大きく関わってくる。特にラストシーンで、次はあの碓氷峠を鉄道で越えるんだという決意が述べられるくだりに感動した。挑戦者たちの情熱がこの国の鉄道を作ってきたのだと胸が熱くなる。

No.57 9点 火刑法廷- ジョン・ディクスン・カー 2024/04/10 21:19
編集者のエドワード・スティーヴンズは、作家のゴーダン・クロスの原稿を見て驚く。そこに添付されていた毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人の肖像は、彼の妻マリーにそっくりだったのだ。その後、急死した隣人の死因に不審な点があることを聞かされ、エドワード達は納骨堂を暴いて死体をあらためようとする。だが棺は空だった。
現実的な謎と怪奇的な謎を絡めながらストーリーは展開していき、結末の一歩手前で、全ての謎に見事な合理的な解決が与えられる。だが本作を特徴づけているのは、いかにも本格ミステリらしい種明かしではなく、事件が片付いた後に付されたエピローグの部分なのである。
ここで解決したはずの謎をもう一度ひっくり返し、物語全体を一種のリドル・ストーリーに仕上げていく。結果、この作品は本格推理小説の醍醐味と怪奇小説の味わいの二つを同時に備えることとなった。

No.56 6点 書架の探偵- ジーン・ウルフ 2024/03/20 21:23
作家の脳をスキャンし、その記憶を写した複生体たちが図書館の書架で生活し、貸し出しを待つ日々を送っていた。SFミステリ作家の複生体であるE・A・スミスもその一人だ。ある日、彼はコレット・コールドブルックに長期で借り出される。彼女は最近になって父と兄を亡くしていた。その兄が死の直前に手渡してきたスミスの著書「火星の殺人」に何らかの秘密が隠されていると考え、作者自身であるスミスに接近してきたのだという。しかしスミスには、自分がその「火星の殺人」なる本を上梓したという記憶がなかった。
私立探偵小説のプロットを応用すると同時に、本に関する小説というビブリオ・ミステリの性格を備えた意欲作である。ミステリに関する造詣が深いがために自著にまつわる謎解きに主人公が駆り出されるという話の構造に自己言及の要素が含まれており、現実とその複製である虚構との関係について、各処で思いを馳せることになる。

No.55 5点 死神の棋譜- 奥泉光 2024/02/27 21:35
二十二年前に発生した棋士の失踪事件が、現在に蘇ってきた。またしても棋士が失踪したのだ。共通項は、不詰めの詰将棋だった。プロ棋士を断念してライターに転じた北沢は、この謎に興味を持ち東京から北海道、茨城など様々な土地へと足を運んで関係者から話を聞く。
本書では将棋の駒は時に九×九の将棋盤を逸脱し、北沢の調査行は時に現実を逸脱し、しかしながら人々は十分に生臭く、物語は流れていく。著者は過去と現在、現実とその外側や裏側を自在に操りつつ、知的刺激と不安に満ちたエピソードを連ねて結末へと導いてくれる。推理の鮮やかさと不条理の不気味さが共存する結末。

No.54 7点 フーガはユーガ- 伊坂幸太郎 2024/02/04 21:52
仙台のファミリーレストランで高杉という男に向かい、常盤優我はこれまでの半生を語り始める。優我は双子の兄で風我という弟がいる。勉強が得意で運動が苦手の優我。兄とは逆の風我。彼らは小学校二年生の誕生日に、二人が持っている特殊な能力をはっきり自覚する。年に一度の誕生日にだけ、二時間おきに二人の身体が瞬間移動してそれぞれに入れ替わるのだ。
無害でおとなしい弱者に対し、いわれなき暴力や強権的な態度をとる人間が伊坂作品には多く登場する。そして彼らは悩まされる側の反撃を描くのが伊坂作品のテーマの一つだ。
それにしてもなぜ優我は、自分のことを克明に語られねばならないのか。シロクマのぬいぐるみ、東北新幹線の不通、忘れ物、ワタボコリとの関わり、誘拐事件、そして二人の特殊能力。断片的なエピソードや、散りばめられた片言隻語と優我の真意が結び付いた時、予測もつかない結末へなだれ込む。

No.53 5点 毒をもって毒を制す 薬剤師・毒島花織の名推理- 塔山郁 2024/01/14 20:20
薬局の来訪者が訴える奇妙な症状、何かが原因でこんがらがってしまった彼らの人生に対し、主人公が薬学の観点から回答を与えるという連作集。それを基本形に、感染症という災いによって人々の生活が脅かされている状況を背景で描くという趣向が加えられている。
薬学の知識を絡めた謎解きが読みどころの作品だが、アルコール依存症などの社会問題が題材として毎回描き込まれている点も見逃せない。毒島花織は、そうした人々の発する救難信号に対し、救いの網を投げ与える存在なのだ。白眉は「見えない毒を制する」で、ウイルスの感染経路がミステリ的な推理によって突き止められる。

No.52 5点 スパイコードW- 福田和代 2024/01/14 20:13
近い将来を舞台にした、中国の台湾侵攻計画をめぐる暗闘を描いている。五つの章を通じて浮かび上がるのは、中国側の台湾に対する企みと、それに対抗する秘密組織の知略だ。武力紛争の危機をトリックで解決する。これが各章を貫くテーマ。
日本軍の秘匿資産をもとに設立された特務機関が、歴史の影で動いていたという虚構に基づく設定と、近い将来に現実に起こりうる危機。架空の存在を土台に据えることで、現実を照らし出す。気軽に楽しめるエンタメ作品であると同時に、現実の危機を浮き彫りにしてみせた一冊。

No.51 6点 神器 軍艦「橿原」殺人事件- 奥泉光 2023/12/20 21:28
物語はすでに日本の敗色が決定的となった昭和二十年初頭。この絶望的な戦況を打開すべく、軽巡洋艦「橿原」が極秘の任務を帯びて出航することから動き出す。だが、士官を含めた乗務員のほとんどは、艦の行き先どころか、任務内容も目的も知らされていなかった。
この大きな謎に加えて「橿原」の艦内にはいくつもの謎、不可解な出来事が頻発していた。正体の知れぬ客人乗員、開かずの金庫に積み込まれた神器、自分とそっくりな人間を見たという証言、大量発生するねずみ、そして乗務員の失踪と変死事件。これらは「橿原」の任務と何か関係があるのかどうか。一切が明かされぬまま、物語は時空を超え、人智を越えた展開となっていくk。
しかしながら、やがて「橿原」の真の目的が見えてくるにつれ、全ての様相が一変していくのである。神器を艦内の奥深くに抱いた「橿原」と乗務員は、神国日本に再び神風を呼ぶ装置としての役目を担っていたのであった。そこから繰り広げられる戦争論や日本人論は白眉。歴史の虚構性と虚構としての小説とを見事に融合している。

No.50 5点 午前0時の身代金- 京橋史織 2023/12/20 21:13
弁護士の小柳大樹は、本條菜子から法律相談を受ける。振り込め詐欺グループに関わってしまったという。自首することで話が進んでいたが、菜子はその夜に姿を消してしまう。そして翌朝、菜子の身代金を要求する脅迫状が、IT企業サイバーアンドインフィニティ社に届いた。身代金の額は10億円。それを同社が運営するクラ、ウドファンディングのサイトで、国民から募れというのだった。
被災地復興支援などに有効な、不特定多数の人々の善意を悪用するというアイデアは、現代的な趣向といえるだろう。大樹の上司で事務所の共同経営者である美里千春が、サイバーアンドインフィニティ社の顧問弁護士であることが、さらに事件を複雑化させる。
美里に対する疑問や、大樹自身の過去も絡み、強い正義感を持つ彼の感情が揺さぶられていくところも後半の眼目である。多少納得できかねる点はあるが、これまで見てきた景色を一変させる趣向には驚かされた。

No.49 6点 鶴屋南北の殺人- 芦辺拓 2023/11/29 23:20
四代目鶴屋南北の歌舞伎台帳が、ロンドンの骨董兼古書店で発見された。「銘高忠臣現妖鏡」と題されたそれは、「東海道四谷怪談」の初演から間を置かずに書かれた、本人の真筆によるものと判定される。
この作品の鑑定に携わった研究員・秋水理矢の依頼を受けた森江春策は、上演に関わる諸問題の調停のため、稽古中の歌名十郎の元を訪れる。ところが「屋台崩し」のテスト中、舞台演出を手伝っていた学生が、一気に崩れ落ちた大道具の下敷きになり死亡する。そしてそれをきっかけに、新たな事件が続いていく。
開放的な田沼意次の時代と、抑圧的な松平定信の時代を生き抜き、老境に差し掛かってようやく名を上げたのが鶴屋南北である。一年に渡った南北の沈黙機関、奇天烈な作品に込められた趣向の真意、そして現代で起きた連続殺人の意図は。これら二つの時代の重層的な謎が、幻の作品を通して合わせ鏡のように向かい合い解かれていく。
更に新型コロナウイルス騒ぎで露呈された、この国の文化に対する冷酷極まりない扱いまでもが浮かび上がる。鶴屋南北とそん色ない奇想に満ちた本書は、この時代に時宜を得た作品となった。

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