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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.16 7点 翻訳万華鏡- 評論・エッセイ 2024/04/03 18:49
(ネタバレなし)
 昨年の秋に逝去された巨匠翻訳家・池央耿氏が、自分の翻訳業務全般、およびその関連事項や担当した作家の作品の思い出などを書き連ねたエッセイ集。
 最近、文庫化されたが、評者は今回、元版の単行本版の方で読了。

 約50編ほどのエッセイが収録されており、こういう本だから著者がどこかの雑誌に連載した定期エッセイを一冊にまとめたものかと思ったが、エッセイひとつひとつの中には2ページで終わるものもあれば10ページ以上のものもあり、どうやら書きおろしで一冊分の中小の長さのエッセイを書いたらしい。

 広義のミステリ作家やSF作家関連の話題では、著書が担当したハモンド・イネスやネヴィル・シュート、ウェテリンク、メルキオー、アシモフ、ホーガンなどの話題が続出。それら全部の作家に接点がある評者としては、非常に楽しかった(とはいえもちろん、ピーター・メイルとかハロルド・アダムズとかまったく手付かずの作家も少なくないが)。
 変わったところではマフィアブームの70年代前半「マフィアへの挑戦」の翻訳メイキング的な話題にも、(そんなに深い細かい話ではないが)ちょっとふれられている。

 あわせて翻訳家としての心構えや、翻訳の実務の礎となる言語文化そのほかのアカデミックな話題など、中味は相応に広い裾野を見せるが、語り口は平易で、かつ書き手の素養も豊潤なので、それはそれで興味深く読ませていただく。
(読んだ内容が、のちのち、最終的にどのくらい身に染みこむかは、微妙だが・汗。)

 単行本巻末の翻訳業務のリストを拝見するに、その長大なお仕事の実績にため息が出るばかり。ああ、『ウィンブルドン』とか『コンドルの六日間』とか『雲の死角』とかもこの方の訳書だったんだっけ、カーの後期作ななんかにもご縁があったんだっけ、としみじみした思いに浸る(当然ながら、文庫版のリストは、さらに数が増えてるだろう)。

 長い間、ありがとうございました。改めましてご冥福をお祈り申し上げます。

No.15 6点 はじめて話すけど… 小森収インタビュー集- 評論・エッセイ 2024/02/14 15:51
(ネタバレなし)
 新刊の文庫版で読了。
「~傑作である。」小森収のことは、書評家&ミステリ研究家としてはそれなりに評価している(実作者としては、残念ながらダメダメだったが・汗)。
 なのでどーにも、このヒトのインタビュー集ならと、事前の期待値が爆上がり。その結果、全体的に良くて当たり前。物足りないところや興味の接点がないところを減点する部分が強調されるという、あまりよくない読み方をしてしまった。

 各務三郎(太田博)に関しては、なんで世界ミステリ全集の話題を聞いてくれなかったんだろう。
 ほぼ満足したのは石上石上三登志くらいであった。あと三谷幸喜は『スパイ大作戦』談義の箇所がケッサク。これは同番組ファンなら必読のインタビューだと思う。

 松岡和子あたりに関しては、インタビュアーが会いたかったのはわかるが、ちょっとこのまとまりのインタビュー本、インタビュー企画路線のなかで取材するのは人選ミスではないか? と、狭量で無教養な自分などは思ってしまった。とはいえいきなりトクマノベルズ版の87分署の話題などが出てくると、ミステリファンとしてコーフンする。
 で、小森、なんでそこで、当時いきなりなぜ2冊だけ、87分署の翻訳権を徳間が横取りしたのか、ファンなら誰もが当時驚いて気になった裏事情を訊かない? 聞いてインタビュイーが答えられない(事情を秘匿したい)場合はその旨の会話を書いてあることも多いんだから、そーゆー記述ができるハズだ(まあ、個々の取材対象側の方のチェックで削除した可能性もあるが)。

 得点的にはもちろん幅広い世代のミステリファンが読んでおいてソンはない一冊ではあるが、一方でその随所の中途半端さゆえ、アレコレとフラストレーションがたまる面も無きにしも非ず。

No.14 8点 ペイパーバックの本棚から- 評論・エッセイ 2023/12/14 10:21
(ネタバレなし)
 全部で50章ほどのアメリカ(一部イギリスほか)のペイパーバック作家、またペイパーバック関連の事項について語った研究エッセイ集。

 蔵書の山の中から見つかったので、ひと月ほどかけて就寝前に少しずつ読んでいたが、非常に楽しかった。
 とはいえ以前に一回読んだはずだと記憶があるが、本の中には特に初出連載などの記載はない。

 それでネットを探すと詳しい方のブログで、
「『ミステリマガジン』の1983年1月号から1986年12月号まで連載されたエッセイ「ペイパーバックの旅」を加筆の上、まとめた本」
 だと教えていただく(ありがとうございました。)。
 そりゃ絶対にそっちで、一度は読んでいる。

 それで本書の刊行はもう30年以上前なので、当時未訳だ、未紹介だと著者がぼやいていた作品や作家もその後、少しずつながらも発掘・翻訳が進んだりしているので、2020年代のいま、その観点から見ると興味深い。
 もちろん本書で紹介、語られたペイパーバックのハードボイルドミステリについて、面白そうな、あるいは興味を惹かれる未訳の作品はまだまだ山ほどあるが。
 
 主題は、ペイパーバックという出版文化(そのなかでも主に私立探偵小説やノワール・クライムものなどのミステリジャンル)についての著者の造詣の深さと思い入れを語ることだが、受け手のこちらにはいろいろと懐かしめの記憶を甦らせてもらったり、あるいは、へえ、近年発掘翻訳されたあの旧作は、30年以上前に小鷹氏はこう見ていたのか、という興味で楽しめる。
 そういえば本書のなかで一章使って最後の著作が語られている作家ホレス・マッコイも、近々ようやく3冊目の長編の発掘新訳が出るそうで(嬉)。

 ほかの小鷹氏の著作の大系で見ていけばまた別の見方、受け止め方もできそうな本だが、単品の一冊でいま読んで感想はそんなところで。 

No.13 8点 「新青年」の頃- 評論・エッセイ 2023/04/08 16:06
(ネタバレなし)
「あの」夭逝した渡辺温の、その補欠要員的な立場で、博文館に入社。「新青年」の編集者として活躍したのち、後年は(本サイトの参加者なら周知のとおり)クリスティーやクロフツ、ガードナー、マクリーン、ポーターそのほかの海外ミステリの翻訳家としても多大な業績を遺した文人・乾信一郎の、青年時代を主軸にした自伝・半生記風のエッセイ集。

 ミステリマガジンに89~90年にわたって掲載された連載版は当時、楽しんで読んでいた記憶がうっすらあるが、定本としてまとまった書籍の形で読むのはこれが初めて。
(数日前に、気が付いたらもう始まっていた駅前の古書市で、帯付きのハードカバーを300円で買ってきて、すぐ読み出す。)

 新卒の著者が運命的ななりゆきで博文館に入ったら、同期の新入編集者で荒木なる中年の御仁がいて、これが実は橋本五郎(『疑問の三』)だと判明したり(お~~!)、前述の渡辺温の事故死が自分のもとに来る途中だったという縁から谷崎潤一郎がすごく罪悪感を覚えているという逸話が語られたり、とにかく昭和前半の博文館周辺の文壇の話題がすこぶる面白い(松野一夫だの、小栗虫太郎だの、延原謙だのに関しても、愉快なエピソードがいっぱい)。

 著者が、部数が落ちた博文館のエロ読物誌「講談雑誌」の立て直し? を任されて苦闘の末に挽回。その中で、捕物帖というジャンルを育てようと思い、横溝に『不知火甚左(不知火)捕物双紙』の執筆を打診。これがのちの『人形佐七』に繋がっていくことなども初めて知った(昔、ミステリマガジンで読んでいたら、確実にこの辺は忘れているな・汗)。
 乾信一郎がいなければ、日本の捕物帖という文藝ジャンルは、確実に別の進化の経路を辿っていたであろう。

 ご町内の好々爺から、問わず語りを聞くような趣の内容はしばし脱線もするが、ユーモラスな語り口での回顧譚は、その辺のブレ具合もまた味という印象に転じる。
 読んで本当に楽しかった一冊。

 論創から刊行が予定されている乾信一郎のミステリ実作集も、早く読みたい。

No.12 5点 ぼくのミステリ・マップ—推理評論・エッセイ集成- 評論・エッセイ 2023/04/07 02:21
(ネタバレなし)
 世界傑作探偵小説シリーズ~ポケミス創刊時の話題を期待して手に取った。
 で、まあ、う~ん、たしかに語ってくれてはいるのだが、叢書の組成については結構、大づかみな述懐だったのが残念。
 こっちは、どういうセレクトでポケミス初期のラインナップが形成されていったか、例えばフィアリングの『孤獨な娘』を選んだのは誰か? ディビスの『葬られた男』は誰がセレクトしたか? とかなどの、細かい話を聞きたかったのが。やっぱ無いものねだりか(苦笑)。

 早川の編集者時代の話題を離れた部分では、ミステリ全般に関して思った以上に通り一遍のことしか言ってないようなのが残念。
 あと、評価の軸足もなんだかなあ、で、ブレイクの『野獣死すべし』もマーシュの『死の序曲』も同列に「傑作」って、観測が雑すぎるだろ。
(アリンガムの『幽霊の死』も同格に並べられており、そっちはまだ未読だが、なんか不安。) 
 
 早川の初期ミステリ編集者としての実績の話題と、詩人の感性による独自のミステリ観、その双方を聞かせてもらいたかったが、どっちもイマイチであった。
 高望みの過剰期待しすぎたこっちがワルイのかもしれん。

 著者が亡くなってすでに20余年。2020年代の視点で、巻末の註釈を設けた編集者氏の手際はホメたいが、実はここももうちょっと、並べる情報の取捨選択のロジックを明確にしてほしい面もある。
 うん、確かに、これはたぶん、こっちの方がゼータクだ(汗)。

No.11 6点 ミステリー中毒- 評論・エッセイ 2022/10/01 21:41
(ネタバレなし)
 1995年から2000年、4年半かけて「小説推理」に連載された、解剖学の権威という医学者で、広範囲な趣味の文化人として知られる著者・養老孟司先生による、日々の動向といっしょにミステリ読書日記を綴ったエッセイ集。

 前述のとおり文化人としてかなり有名な方らしいが、モノを知らない評者は縁があって本書(元版のハードカバー)を手にしたのち、Wikipediaなどで初めてその業績のほどを認めた。
(そういえば、宮崎駿との共著の相棒は、この方だったのだな。)

 個人的にはこの時期(95~00年あたり)がもっともリアルタイムの東西ミステリから離れていた(SRの会からも一時退会していたし。毎年の「このミス」くらいは購入していたが、ベスト表とか眺めても、フーン、てなもんだった・汗)頃合いの一角だった。
 だから、著者が良い意味で本当に気軽に敷居を低く、この当時の新刊や話題作(原書をふくむ)を語るのがとても楽しく、また興味深い。
 リンカーン・ライムなんかがまだ登場する前、リアルタイムで初期ディーヴァー作品なんかに接する著者の反応なんかも実に新鮮に思える(と、聞いた風なことを言いながらぢつは評者はまだ、ディーヴァー作品は一冊も読んだことがないのだが……・汗&笑)。

 Amazonのレビューに、自分を飾らない記述といった主旨の、本書を読んだ方の感想があったが、正にその通り。ソんな一方で、ところどころ、見識の広い視座からミステリの現代性やお国柄を覗き込むあたりなども、イヤミにならない感じでとても楽しい。

 この本を契機に、何冊か読みたくなった本がまた出てきた(さらに、この本のなかで取り上げられた作品が、本サイト「ミステリの祭典」の場でどのように評価されているのか、何回もパチパチ、キーを叩いたりしている。)。
 もう一回ざっと読み返して、面白そうな&興味の生じた書名のメモでも取っておこうか。

No.10 6点 新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集- 評論・エッセイ 2022/05/10 07:31
(ネタバレなし)
 『虚無への供物』の文庫化を為すために編集者に転職し、その後は講談社文芸図書第三出版部の部長として活躍。長い編集者時代に、綾辻、法月、我孫子、摩耶そして京極などの才能を発掘、さらに「ショート・ショートランド」の創刊、メフィスト賞の設立や、叢書ミステリーランドの発刊など、多くの実績を残しながら、2006年に急逝した「新本格の生みの親」「新本格の仕掛け人」「新本格の父」の異名をとる伝説的編集者・宇山日出臣氏。そんな同氏に捧げられた、業界関係者諸氏による、没後16年目の追悼文集(企画そのものは没後15年目の昨年夏に始動)。

 本文記事の追悼文集では70人弱もの作家、出版界関係者の長短の追悼文(それぞれの思い出エッセイ)が並び、さらに逝去直後の弔文の再録、関係者の対談(座談会)などの企画記事が続く。
 
 あまりに情報量が多くて、一読しただけでは消化不良を起こすこと請け負いの一冊だが、ミステリというジャンルを愛し、そして書籍や雑誌の編集作成と、新人作家の育成に精魂を傾け、そしてそんな作業を楽しんだ(苦労された)故人のお人柄と実績は、門外漢の当方にもじわじわと伝わってくる。そんな内容。
(もうひとつ大事なこととして、そんな故人に向ける関係者の方々の思い入れと哀悼の念の集積の場でもある。)
 
 編集者は黒子ですらない、作家性の前で唖(おし)であれと言ったという故人。もちろん職務を放棄し、原稿の推敲や是正をするなという意味ではなく、不要で無意味な編集者の自己主張をするな、という主旨だが、評者などが読んでいて特に心に残ったのは、故人のこの姿勢であった。

 なお宇山氏の並外れた酒豪のほどは、今回はじめてしっかり伺った。
 評者がいちばん強烈だったのは、椹野道流氏が明かされた逸話(本書の239ページ)。唖然としつつ爆笑、そしてそのあと、実際の現場にもし居合わせたら……と余計なことまで考えて困惑の念を深めた。関心があったら、いつか本書の現物を手にとってください。
 
 人生の上で、新本格ムーブメントにはまったく中途半端にしか付き合っていないアレな評者だが、それでも非常に有意な一冊であった。改めて故人のご冥福を、ミステリファンの末席からお祈りいたします。

 とても良い本だったが、ただひとつ不満は巻末の複数の座談会記事の活字の級数があまりにも小さいこと。キャプションみたいな小さい文字が合計40ページ近くも並んでいて、読んでいて目が痛くなった。
 追悼文の本文の級数の大きさをある程度確保しつつ、ページ数総体をそんなに増やせない制約のなか、紙面の割り付けに苦労したのかもしれないが、いずれにしろ、この読みづらさでは元も子もない。
 現状では紙媒体でしか刊行されてないようだけど、いずれ活字を大きく出来る電子書籍の形で出すつもりかね? (それでも紙の本として、これでは困るが。)
 誠に恐縮ながら、この点で減点させていただきます。
(もちろん、故人への不敬の意などは毛頭ないし、本書の企画刊行そのものには、深く厚く感謝いたしますが。)

No.9 8点 二人がかりで死体をどうぞ 瀬戸川・松坂ミステリ時評集- 評論・エッセイ 2022/01/30 07:30
(ネタバレなし)
 上質紙にハードカバー、美麗なジャケットカバーつきの製本で、実に立派な装丁・仕様だが、昨年の11月に都内のマニア向け古書店「盛林堂」が自店オリジナル企画の叢書「盛林堂ミステリアス文庫」の一冊として刊行した同人書籍。

 内容は、かの故・瀬戸川猛資と、その盟友であった文筆家・松坂健が1970年代前半にミステリマガジンに書いていた国産、翻訳、未訳(当時の時点で)の原書などを対象にしたミステリ時評&紹介文を、それぞれの連載記事コーナーごとにまとめたもの。
 この時期のミステリマガジンがミステリファンとしての原体験ど真ん中だった評者にとっては待望の一冊であり、盛林堂の公式サイトでは発売の2~3ケ月前から購入予約を募っていたが、掲示を見て神速で予約の手続きをとった。
 現行のミステリ研究家諸氏や作家・山口雅也氏の寄稿、丁寧な編集(巻末の膨大な索引)、さらには松坂自身の書き下ろしエッセイなどもふくめて本文500ページ以上。頒価は一冊4000円弱だが、この中身からすれば全然高くはない。

 なお、予約期間を数か月もとっていたのだから、本サイトでも購入された方はきっと少なくないとは思うが、一方で買い逃した人、刊行事実を知らなかったミステリファンも意外に結構いるらしく、Amazonなどでも積極的に商品検索されている形跡があったり、ヤフオクで膨大なプレミア(すぐ5ケタ行く)がついていたりで「うーん……」である。

 内容に関しては「夜明けの睡魔」などに代表される瀬戸川節が大好きな方なら絶対に楽しめるはずの書評ガイド集で、松坂も盟友・瀬戸川との書き手の個性の微差などは確かにあるのだが、それでもほぼ同等のカロリーで熱くかつ軽やかに楽しそうに、それこそ「二人がかりで」ミステリ全般を語っている。
 もちろん時評という原稿の性格ゆえ、当時1970年代前半の時代と密着したもので、まだ健在だったクリスティーやロス・マクドナルドの新作がどのように当時のファンにリアルタイムで受容されていたかの、貴重な証言集にもなっている(ロス・マクの後期の諸作の、さらなる細かい変遷を観測するあたりなど、なかなか興味深い)。

 世代人ならノスタルジィも加味して楽しめるのは間違いないが、当時まだ生まれていなかった新世代のファンでも、ここで語られている作家や作品、またはミステリ全般に、いくばくかの関心があるのなら、たぶんいや確実に楽しめるのでないか。

 もちろん個々の作品のレビューや関連作品の記述については、瀬戸川&松坂の嗜好の偏向や、それぞれの作品への踏み込みの深い浅いもある。中にはごく一部、客観的にみてもケアレスミスでしかない記述などもあるのだが(たとえば具体的には、ニコラス・ブレイクの『くもの巣』は「時代ミステリ」ではないぞ! なんで勘違いしたのかはよくわかるほど、あれはソレっぽい作品ではあるが、あくまで時代設定は原書刊行当時の1950年代)、そういった部分までも含めて、本当にミステリに耽溺していた同好の士の若き日の見識に触れられる、独特の充実感と快感がある。

 あとは斎藤栄の『紙の孔雀』などの、これはもはやミステリとはいえない、と憤怒する当時の瀬戸川の激昂ぶりを、本サイトでのkanamoriさんの比較的好意的と思えるレビューと比較してみても面白い。
 この二つのレビューの間には「新本格」「(中略)トリック」という二つの重要なキーワードの浮上が隔壁となっていることが、おのずと察せられる。同作を未読の評者などは興味を惹かれて、ネットで同作の元版の古書をあわてて注文してしまった。自分の感想が瀬戸川評に寄るか、kanamoriさんのものに傾くか、これから楽しみである。

 もちろん評者などはすでに一度、大昔に読んだ文章が主体だが、自分の記憶のなかに潜む、ある種の定型化した言い回しやフレーズなども、ああ、実はこの二人の時評の中のレトリックが源流だったのだ、と気づくことも少なくなかった。
 これから初めて、本書(に収録された文章)に触れる新世代のファンの方々も、きっとそれぞれ心のどこかにひっかかる記述を、多かれ少なかれ(たぶんそれなり以上に)見出せるだろうと予見する。これはそういう本。

 いっぺんに読んでしまうのがもったいないのでチビチビ読み進め、ひと月ほどかけて読了したが、最後の数十ページはもう、残った美酒を一気飲みしたい欲望に負けてひと晩で読み終えた。
 読み終わってみると、もっともっとこの二人の連載が「極楽の鬼(地獄の仏)」や「地獄の読書録」(の前半)なみの長期連載になってくれていたらなあ……とその短さを惜しんだりする。いやまあ、これからまたこの本は何回も読み返すだろうけど。

 末筆ながら、周知の通り、松坂健氏は本書の刊行直前、昨年10月にご逝去された。現在発売中のミステリマガジンでは、追悼特集が組まれている。
 同じSRの会員ではあったが、たぶん一度もお目にかかる機会はなかったなあ。あらためまして、心からご冥福をお祈りします。(文中・敬称略)

No.8 7点 シンポ教授の生活とミステリー- 評論・エッセイ 2021/12/23 15:20
(ネタバレなし)
 ひと月ほどかけて寝床の中でチビチビ読み進めた一冊。
 おなじみ「シンポ教授」こと、ミステリ評論家&研究家の新保博久氏が、これまでに各社の雑誌や、日本推理作家協会、マルタの鷹協会そのほかのミステリ界の会報などに書いた文章(主にエッセイ)をまとめたもの。

 引っ越しを決めた近況を語る2018年の短文をマクラに、かつてカルチャースクールで講義をした体験談とそのレクチャー内容を述懐したエッセイ(1990年代の「野性時代」に連載)から開幕。ここでさすがの知識量と、独特の私見を提示してまず読み手を圧倒させる。
 そのあとのパートで少年時代からのミステリファンとしての軌跡を回顧。ジュブナイルにリライトされた名作などとの邂逅を語るあたりも面白い。あかね書房版の『黒いカーテン』の少年少女向きのアレンジなんか、初めて意識した。 

 ただしネタバレに関して「ミステリは犯人やトリックがわかっても面白いものが良い作品だという人がいる。それはもっともだが、しかしそれは他人に押し付けることを前提にネタバレを首肯する材料にはならない(主旨)」と実にもっともな事をおっしゃりながら、前述の講義の項目でリチャード・マシスンのショートショート&サプライズストーリー『箱の中にあったのは?』のオチを自分からバラしているのは、いかがなものか? ここは今回、本にする際にぼかすか、または真相の紹介を注意書き付きで別ページにするなどの改訂を、行ってほしかった。

 以降も全般的に楽しい内容で、評者の場合、ミステリそのものの知見が特に大きく変わることはなかったが、ガードナーやスタウトなどの諸作を「軽パズラー」という呼称でまとめようとする意欲など微笑ましい(それでもまだ字義的に、その呼称でどうなんだろう? と思う面も、個人的にはあるが)。
 さらにミステリ界での関係者諸氏(亡くなられた方々への思い出話だけでワンコーナー設けられている)の話題や、自分が手掛けてきたアンソロジーや、研究&評論仕事のメイキング開陳など、それぞれ興味深い。
(ただ、この方の場合、語られた情報はこれでも氷山の一角であろう。)

 一方でやや不満としては、Amazonでも同様のレビューが寄せられているが、あくまで基本はこれまでに書きまくったエッセイをまとめた内容のため、別の場で再使用した話題、具体的には自分のミステリファンとしての経緯についての述懐などが重複していること。
 もともとは編集側の依頼で、以前のものと似たような内容の文章を自覚的に書いたのかもしれないし、著者にしても雑文をまとめるそうない機会なので、迷った末に今回の本にあえて入れた可能性もあるので、単純に責めるのはよろしくないという考えもある。
 ただまあ、持ちネタはきっと膨大な方なのだろうから、似たような話題を読ませるなら、もっとほかのハナシを……という読者のストレートな欲求もよくわかるネ。

 巻末に、文中に登場する作家や関係者、ミステリなどの書名の子細な一覧がついているのはさすが、である。
 
 最後に、先ほどこの本の中で、名作ミステリのジュブナイルリライトについての体験的な話題も豊富という意味合いのことを書いたが、実際に本書を離れてもシンポ教授はスゴイ人で、先日、SRの会関連のweb上の場で、フレドリック・ブラウンのエド・ハンターものの最後の邦訳作品『アンブローズ蒐集家』は、実は梶龍雄が雑誌付録の児童向きミステリの形ですでに1960年代に翻訳(もちろん完訳ではなくダイジェスト訳だろうが)していた、と指摘されて仰天した。実はこの情報関連のデータベースそのものは以前からネットにあったようだが、その付録本の実物を見ている&読んでいるか、この書誌的な事実を知らなければ、こんなことサラッと言えないだろう。さすが「重箱の隅の老人」である。改めて舌を巻いた。

 ちなみに(まだ続くんかい)、亡くなった小鷹信光は、他人のマチガイを見つけるのも自分のミスを指摘され、是正されるのが大好きだったそうで、その「重箱の隅の老人」を自任するシンポ教授は、とてもシンパシーを感じていた(いる)。
 評者も基本的に同じ考えなので、非常に得心がいく(今でいう「ネット警察」的なこウルさも生じるので、その辺は自戒したい面もあるが)。
 実際、小鷹信光の著作などは、あれだけ膨大な仕事をされたゆえのほんのわずかな綻びで、後になって見ると時たまアレ? という記述が目につくこともあるが、ご本人がそういう「自分の過ちを指摘してもらうのが好きな方だった」というのを今回読んで、ちょっとホッとした。それではこれからも遠慮なく、勘違いや書誌的なミスは指摘させていただこう(え!?)。

(まずその前に、自分が書く内容に勘違いや誤認が無いようにしろよと、陰の声~汗~)。 

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」

【2022年1月6日追記】
 書き洩らしていたが、あと本書の述懐エッセイで面白かった(興味深い)のは、「一見、ノンシリーズ作品に見えて、最後の最後で、実はレギュラー探偵もののシリーズの一本だと判明する作品」の扱いについて、ね。
 名探偵ものの短編完全収録アンソロジーなんかを編むときに、そういう趣向の作品を入れることは読者のある種のサプライズを奪う、と悩むそうで。
 ま、そりゃそうでしょうな。何十年考えても、扱いの正解なんか見出せないと嘆いているのも納得。
 評者だって、(別にアンソロジストの仕事なんかしたことないけど)別の似たような? 状況で迷うことはある。むろん最適解なんか、わからない。

No.7 8点 私のハードボイルド 固茹で玉子の戦後史- 評論・エッセイ 2021/11/25 21:23
(ネタバレなし)
 巻末の詳細な書誌などの資料を含めて、ハードカバーで500ページを超える大冊。
 2015年12月8日に他界した著者が生涯をかけて関わってきた「ハードボイルド」「ハードボイルドミステリ」「私立探偵小説」(言うまでもないが、この3つの字義は重なり合うところも多かれど、正確には相応に違う)について語った、晩年の総決算的な著書のひとつと言っていいだろう。

 数年前に購入しながらまだ手付かずだったことに気づいて、就寝前に少しずつ読み進め、二週間ほどかけて読破した。
 本の内容は多様なエッセイの累積ではあるが、その上で、大まかにいうと
1:ハードボイルドというジャンルと概念についての文学的な歴史
2:日本の中での「ハードボイルド(ハードボイルドミステリ)」
  についての受容史と、その浸透に関りあった人たちについて
3:著者・小鷹信光自身の軌跡(いろんな意味で)
 の三つの編年的な流れが軸になっており、それらが別個に、そして有機的に絡み合いながら語られる。

 少年時代から「ミステリマガジン」そして「EQ」そのほかで著者に多大な薫陶を得てきた(大して身についていないが)ミステリファンの末席にいる評者としては、小鷹信光の少年時代から早稲田大学時代を経てのミステリファン、研究家、そして物書きとしての覚醒、その後の膨大な仕事の裏側を明かしてもらうことに強烈な感銘を覚えた。
(しかしこの本を入手してから数年間、放っておいたのは、それなりに読む側の覚悟を予見していたからか? と言い訳してみる。いや、本当に何となく、ではあったのだが。)

 読みだす前の想定の枠を超えて新鮮だったのは、少年~青年時代の小鷹が戦後すぐのミステリ叢書(雄鶏やぶらっくそのほか)に触れ、さらにはポケミスや別冊宝石、創元文庫などの登場に接した時の原初的なときめきで、一方で早稲田時代に大藪春彦の出現に動揺、刺激された際の心情吐露なども興味深い。
 とんでもないボリュームでその後、本書が刊行された21世紀初頭までの半世紀が語られ、その中には評者がリアルタイムで付き合ったミステリマガジン「パパイラスの船」や、世界ミステリ全集のメイキング事情なども相応に触れられる(古本屋で買い集めた日本語版「マンハント」時代の仕事にも)。もちろん、この本を通じて初めて認識した情報も非常に多い。

 しかしそれだけの紙幅と文字数を費やしても、実のところ、この著者の実働の何分の一しかまだ聞かされてないのではないか、と不安と戸惑いを今でも感じるのがおそろしい。

 一方で東西の文壇における「ハードボイルド」の文学的な歴史とその影響を探り、その定義を捉え直そうと試みながら、結論にはとても至らず、その迷宮の中での右往左往そのものを、数十年の歴史の果ての現実として読者に晒している感覚もあった。結局、この人は、たとえば「ネオハードボイルド」は「ハードボイルド」ではないと切って捨てることもできず、一方で「ネオハードボイルド」が「ハードボイルド」らしくなくなっていく現実も認めていたのだとは思う。そういう幅広い裾野を肯定しながら、同時にどこか迷う感覚には強烈な共感を覚えた。すごく良くわかる。

 多角的に素養を広げられ、自分の知見をブラッシュアップしてくれる一冊ではあったが、惜しいのは70年代のミステリマガジンの自分の仕事と同時期の連載について、ヘンな記述があること。
 第6章「新生の船出―1970年代」の冒頭(本書の203ページ)に、HMM70年10月号から「小説『オヨヨ大統領の冒険』」が始まった旨の物言いがあるが、もちろん小林信彦のオヨヨシリーズにそんな作品はありません。長編第三作にして、大人もの第一弾の『大統領の密使』のことだろうが、どうしてこんな誤認したのか。あと、この本を出している早川の編集部は、自分とこの雑誌の過去の連載作品のタイトルぐらい把握して、校閲していないのか?(まあ、していないのだろうけど。)
 実は本書のこの前の第5章(60年代編)で小鷹信光は、別件で誤認を小林信彦から注意された事実を開陳しているが、小林も再度の勘違いには苦笑したろうとは思う。
 
 とはいえそーゆー、細部の重箱の隅を突くようなケチな読者の読み方はそのくらいまでで、じきにその程度の些末なミスは、さほどどーでもよくなった。
 何しろ毎晩、今夜は数ページだけ読んで一区切りで眠ろうと思いながら、気が付くとその予定の数倍のページを読み進め、快い披露の中で眠くなるということの繰り返しであった。
 たぶんまたいつか読み返すだろう、拾い読みするだろう。

 改めて、著者の偉大な業績に敬意をはらい、ご冥福をお祈りいたします。

No.6 7点 論理仕掛けの奇談 有栖川有栖解説集- 評論・エッセイ 2020/02/24 03:16
(ネタバレなし)
 またここのところ忙しくなって、読みたい本(特に新旧の長編ミステリ)が読みたくても読めないミステリ中毒者(現状の評者のこと)の渇を癒やしてくれた一冊。眠る前に少しずつ読んで(時には興が乗ってそれ以外の時も手に取り続けて)何日かかけて読了した。
 本書は、他者の著作の文庫などの巻末に有栖川有栖が書いた解説を集成したもので、『Xの悲劇』や『点と線』などの旧作・名作から21世紀の国内外の新作群まで60本以上の文章がまとめられている。

 実作者かつミステリファンとしての胸襟を開きながら、各作品や作家の魅力・個性に触れていく語り口はひとつひとつの文章が実に心地よく、大昔に『深夜の散歩』や『夜明けの睡魔』さらには石上三登志の『男たちのための寓話』などを読みふけった際の快感に近いものを受け取った。
 とにかく未読の作品の大半を読ませたくなる口上の見事さは絶品である。

 とはいえこれだけの数の同系の文章をまとめて読まされるとどうしても綻びが出てくる感もあり、たとえば『致死量未満の謎』と『闇に香る嘘』なんか続けて載っているけれど、両作品の新人賞(乱歩賞は厳密には新人賞ではないが)受賞までの選考経過についての肯定の仕方なんか、ものの見事にダブルスタンダードの物言いじゃないの? とも思う。
 そういう意味では、頭のいい人が口先で作品を褒めあげる解説というきらいも無くもなく、商業原稿とミステリファンによる原稿との兼ね合いの落しどころに限界を感じてしまった部分もあった。
 まあ、ミステリ作家としてもミステリファンとしても異才の有栖川有栖でなければ、これだけの解説をまとめて読まされた際には、もっともっとあちこちに評価のスタンダードにおける破綻が出ていたこととは思うが。

 なんにせよ、前から気になっていた作品でさっさと読みなさいよと背中を押されたタイトルも、初めて書名を教えられて面白そうだと意識してタイトルもいっぱいあった。追々、読んでいきたいと思います。

No.5 8点 ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた- 評論・エッセイ 2019/08/31 16:26
 SF(とヒロイックファンタジー)作家で翻訳家、そしてロックの権威? にして50年代ハードボイルド私立探偵ミステリの大ファンでもある鏡明。
 その我らがアトラス鏡明が、雑誌「フリースタイル」に連載した述懐エッセイ記事「マンハントとその時代」を一冊にまとめた本。

 もちろん「マンハント」とは1950年代末~60年代初頭に久保書店から刊行され、当時「日本版EQMM(現在のミステリマガジン)」および「ヒッチコック・マガジン」とともに日本三大翻訳ミステリ専門誌時代の一角を築いた、海外ハードボイルドミステリ専門誌(あるいは主力雑誌)のこと。
 大昔に同誌のバックナンバーを全部揃えて(ただし掲載作品の全部はいまだに読んでない~汗~。コラムの方は基本的に積極的に精読した)家の中に積んである評者にすれば、その魅力をあの鏡明に語ってもらえる! ということで刊行前から多いに期待していた一冊である(すみません。「フリースタイル」連載時にはほとんど読んでいなかった。)

 内容は「マンハント」のみならず、同時代のサブカルチャー誌として「漫画讀本」や「笑の泉」(評者には、初代ゴジラ公開時の吊り広告がすぐ頭に浮かぶ)「洋酒天国」などにも及び、正直、そちらはまあ……という気分もないではないのだが、長い大きな目で見れば、ここで御大・鏡明にいろいろと思うこと広い知見を語っておいてもらった方が良いとは思う。
(個人的な我が儘であることを重々承知で言えば、一冊まるまる「日本版マンハント」「本国版マンハント」、その背景となるペーパーバック文化に花咲いた50年代私立探偵小説ジャンル、の話題「だけ」で、くくってもらって欲しかったのだが。)

 実際、早々と「マンハント掲載のミステリ作品そのものにはあまり語らない」と釘をされてしまい、いささかショボーン。
 なにしろ、こういう場、こんな機会でなければ、21世紀にどこの誰がマンビル・ムーンやジョニー・リデルのことを語ってくれるんだ? と思ったが、それでも「マンハント」の誌面作りの方向性の解析や、種々の見識などは読んでいて面白いし、本の中盤、舌が回ってくれば何のかんの言っても、ハードボイルドミステリそのものについても熱く詳しく、語りまくってくれる(大嬉!)。

 50年代私立探偵小説の中では、やはりシェル・スコットが一番スキだと叫び、未訳の原書の内容にも触れている鏡明。ここまでシェル・スコットへのオマージュを込めた熱い文章は久々に(もしかしたら生まれて初めて?)読んだ思いだよ(笑)。
 また、米国の「マイケル・シェーンミステリマガジン」にカーター・ブラウンの長編が一挙掲載されたという、評者なんかはまったく知らなかった驚きの例を出し、その上でごく自然に(「ファンならその辺の気分は黙っていてもわかるよね?」と言わんばかりに)
「でもマイク・シェーンとカーター・ブラウンというのは相当相性が悪いという気がするんだけどなぁ」とさらりと言ってのけるあたり(246ページ)、脳みそが爆発しそうなまでに感動してしまう! こんな一文が2019年の新刊でリアルタイムで読めるという喜び、いや、もうサイコーでしょう(笑)。

 「エド・マクベインズ・ミステリマガジン」の日本語版についての記述など「あれ? 勘違いでしょ?」という箇所なども全く無いではないのだが、最後の「マンハント」関係者各人への貴重なインタビューもふくめて、評者のような種類のミステリファンには必読の一冊。あと無いものねだりでは、「日本版EQMM」に載った、「ハードボイルドミステリマガジン」の休刊を惜しむ小鷹信光の特別寄稿にも触れておいてほしかったこと、くらいかな。今でも「ハードボイルドミステリマガジン」のことを思うたびに、個人的にはあの記事がまっさきに念頭に浮かぶ。

 本当に素晴らしい本ですが、評点はあえてこの点で。いや一冊まるまるこちらの希望の形質でまとめてくれていたら、文句なしに10点を差し上げていたんですが(笑)。

No.4 7点 わが懐旧的探偵作家論- 評論・エッセイ 2019/05/23 04:12
(ネタバレなし)
 戦後の昭和推理小説文壇のど真ん中にいた作者による、先輩や同年代、一部後輩の同業作家たちを語った貴重な述懐・証言集。大半の記事は「幻影城」誌上や元版で読んでいるが、改めて今回は初めて(文庫版で)丸々一冊通読した。他のミステリその他を読む合間合間に読んでいたので、最初に文庫版を手に取ってから完読するまでに、1年以上かかったが。

 作家それぞれの人間的な地の顔を著者目線で語りつつ、一方でそれぞれの作家の代表作ややはり著者目線での印象的な作品にも積極的に言及している記事の作り方がとても楽しい。
 一部、巧妙に、書きにくい話題を避けているところもあるようにも思えるが、昭和の国産ミステリ全域に濃かれ薄かれ関心がある人(評者のような)なら一度は読んでおくべきだろう。
 何より昭和の探偵小説・推理小説の文壇の世界の形成がなんとなく見えてくるような感覚が実に心地よい。

No.3 5点 恐怖の構造- 評論・エッセイ 2019/02/11 06:40
(ネタバレなし)
 著者・平山夢明の実作はまったく未読なのだが、本書は複数メディアのフィクションにおける「恐怖」や「不安」を解析・考察するとかという内容に興味を惹かれて、読んでみた。恐怖はスーパーナチュラルなものに限らない、無辜の市民としてのアイデンティティを喪失していく『ゴッドファーザー』や『タクシードライバー』なども該当、などという辺りは、割と当たり前過ぎる感じだが、フランケンシュタインの怪物が吸血鬼や狼男と違う点の論考、とか映画『エクソシスト』のフリードキン監督の狂気ぶりの紹介などは面白かった。
 個人的にはもうちょっとフィクションを離れた「恐怖」の観念の分析とかしてほしかった気もする(それなりには著述してあるが)が、創作物の中でのという枠組みの話題だからこれでいいのか。そっちに関心があるなら、心理学の本でも読めばいいのかもしれんし。
 平山作品のメイキング的な部分も多少あるので、ファンの方は読んでみてもいいかとも思う。

 ひとつ気になったのはスティーブン・キングの話題で「キングは『クージョ』(1981年)でバッドエンドをやって、これ(長い小説に付き合ってくれた読者に後味の悪いクロージングを読ませる作法)はよろしくないと懲りた」という主旨の記述があるけれど、それは正しい情報&認識なんでしょうかね。だって1983年のキングのあの作品とか……。

No.2 6点 都筑道夫の小説指南―エンタテインメントを書く- 評論・エッセイ 2017/09/29 12:45
 1970年代末頃から数年(以上)にわたり、都筑道夫が西武デパート池袋店のコミュニティ・カレッジで設けた定期的な講演「エンタテインメント作法入門」の内容を活字にしたもの。本文は録音の記録から起こされ、文章化は講談社ゼミナール選書(本書を収録した叢書)の編集者・藤田克彦が都筑の監修のもとに行っている。
 
 本書の一応の体裁としては、これから小説家を志す人向けのもの。
 そのうえで都筑の講演は基本的な執筆作法や売文上の決まり事(ワープロやPC以前の、原稿用紙が主流の時代のものだが)、また自分はこうしてきた、などの知識や技術を伝えているが、肝心な創作上のポイントのなかには言葉にしにくいものもあり、それは当人も自覚している。

 そんな枠組みのなかで主体に語られるのはショートショートそしてホラー執筆の都筑なりのノウハウで、先に本サイトで当方がレビューしたばかりの都筑のショートショート集『夢幻地獄四十八景』の一編「夜の声」とそれをリメイクした奇妙な味の短編『風見鶏』を比較対照するための実作として掲載している。このあたりは基本的には同じプロットでありながら、物語の興味の比重を変えていく送り手の意向が窺えて興味深かった。

 同時にショートショートやホラーの本質についても言及され、特に後者の場合、「怖さ」の幅を説明するために実例として語られる、現実のなかで出会った不条理な逸話なども面白い(夏場、一見まともそうな年輩の運転手のタクシーに乗った際のエピソードなど、実際の車中でその当人と二人きりになっていた都筑自身の語り口のうまさもあって、本当に肝が冷える)。

 しかし本書を通読して思ったのは、ほんものの趣味人作家としての都筑の知識量の凄さと、その素養に基づく言葉へのこだわり。
 その辺は言外に、昨今の<なんちゃって作家>や<スーダラ読者>を(都筑流のユーモアをところどころまぶした皮肉で)批判しているようにも読め、思わず襟を正すこともしきり。

 たとえば『九マイルは遠すぎる』へのリスペクトで書いた短編を若い読者に「ケメルマンの真似だ」と言われて驚くエピソードは読んでるこっちもいっしょになって呆れて笑えるが、『捕物帳もどき』のメイキングとして開陳される、諸編へのネタの仕込み具合の豊富さなど、もうついていけない。もちろんそれは受け手の自分にそういう素養が薄いからだが、都筑にとっての「有名な作品」が読者(自分)にとってそうでない場合の隔差というのがここまであるのだと改めて思い知らされた。
 ここまで引きだしの多い作家は、狙った意図が読者にいまひとつ伝わらず、送り手としてさぞ歯がゆい思いをすることも往々にあったんだろうなあ、とも思う。
 
 まとめとしては、作家志望というより、都筑作品の読者にこそ読んでもらいたい一冊。創作の経緯を窺いたい受け手の興味に応え、その意味では都筑ファンの末席として非常に楽しかった。

No.1 7点 ぼくのミステリ・クロニクル- 評論・エッセイ 2017/01/31 11:05
 東京創元社の重職だった戸川安宣の回顧録で、本文は三部構成。東京創元社への入社前が第一部、退職後が第三部、そしてキモの部分の在社時代の第二部という流れになる。

 知人が始めたミステリ専門店の本屋を手伝ったり、膨大な蔵書を成蹊大学に寄贈したりの第三部、当人がミステリファンとして開花していく経緯を語る第一部ももちろん面白いのだが、やはり70年代以降の出版界・日本ミステリ界の最前線を現場から見ていた第二部が圧巻だろう。個人的には、十年単位で会ってない友人や知己が著者の下で働いていたので、彼らの名前が随所に出てくる点でも嬉しかった。

 第二部と第三部を通じて、初期の創元文庫にあった分類マークが消えた経緯だとか、日本探偵小説全集の第二期が企画されながらも大岡昇平の天然な対応や松本清張の物言いでダメになったとか、読者賞における岩崎正吾の地元ファンの組織票問題だとか、知ってる人は知ってるだろうが寡聞な当方には新鮮だった話題の数々が、とにかく面白い。
 中には都筑道夫の孫が耄碌?爺さん(都筑本人)の世話をやくのが面倒になって放置した件とか、中島河太郎のところへ寄贈されるはずだった乱歩の蔵書が平井家の意向でダメになったとか、その一方で河太郎の遺族も一度は寄託(寄贈ではない)した故人の蔵書をミステリ文学資料館からトラブルののちに回収してるとか、いいんかいな、こういうの書いて……という話題も続々と出てくる(笑)。
 
 同時に本書は期せずしてか<過行く時間の残酷さ>をサブテーマとして語っている一面もあり、中井英夫が財産を失っていった晩年だとか、以前は驚異的な潔癖症だった鮎川哲也の鎌倉の家が当人の加齢のなかでゴミ屋敷になっていく流れだとかが、先の都筑の老化の話題などとあわせて生々しく語られる。
 この辺は、長い歳月をどっぷりと出版やミステリに漬かってきた著者自身の慨嘆の変奏でもあろう。

 意外だったのは(いや、考えてみれば当然なのだが)、御大・戸川が意外にミステリ以外のジャンルの仕事も多くこなしていたこと。もちろんそれぞれの分野によってはこちらのまったく興味外のものもあるのだが、それでもそういった担当域の広がりのほどは、なかなか感入るものだった。

 ちなみに本書を通読するうちに、東京創元社の関連で、今までノーマークだったけど面白そうな作家や作品もおのずと目に付いていった。読むのはいつになるかは知らないが、追い追い手に取っていきたいと思う。

 ただし惜しいのは、一部勘違いだろうと思える記述があり(たとえば何回も本文中に名前が出てくる後輩の名編集者・松浦正人の活躍時期など)、ほかにもamazonのレビューで誤謬が指摘されている。この辺はもう少し編集側の密な対応が欲しかった。まあ実際には、数十年におよぶ膨大な情報を前に、かなり編集も奮闘したのだとは思うけれど。

 最後に、願わくは、戸川氏の先代・厚木淳の方も、こうした回顧録が読みたかったな。せめて誰かこれからでも評伝を書いてくれないかな。

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