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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.526 8点 傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを- 矢作俊彦 2019/04/20 18:34
(ネタバレなし)
 1975年3月末、長年にわたって司法の手を逃れていた「東京アンダーワールドの女帝」にして、乱歩の『黒蜥蜴』のモデルとも囁かれた裏社会の大物・綾部貴子はさる疑獄事件に絡んで窮地に陥り、国外に逃亡した。貴子の外注の部下だった新宿の調査員(事件屋)の青年・木暮修は貴子からともに日本から脱出するように誘われるが、彼は病身の弟分の若者・乾亨(あきら)を見捨てられなかった。だが結局、亨は死亡。貴子の検挙に失敗した警視庁は意趣返しの念も込めて修に亨殺害の容疑をかけ、その後30余年、修は国内外で不遇の逃亡生活を送る。やがて2008年。都内の一角でホームレスとなっていた57歳の修は、仲間の浮浪者たちや、市役所の厚生福祉課の気の良い青年・愛称「シャークショ(市役所の意味)」などを相手に、のんきな毎日を過ごす。だが修はある日、「コグレオサム」を探す怪しい外国人の一団により、自分と間違えられたホームレスが拉致され、重傷を負ったことを知る……。

 1974年から半年間にわたって放映された日本テレビドラマ史に名を残し、世代を超えてファンから愛される名作・探偵ドラマ(というよりアングラっぽい青春ドラマ)の正統的な続編ノベル。評者は2008年3月「小説現代」特別号での本作初出の時点で同誌を入手。その後、加筆改訂された単行本も購入した(今回はこれで読了)が、散らかっている家の中で本がどこかにいってしまい、刊行から10年後の昨年2018年の夏にようやく発見。それではそろそろ読もうかと思っていたら、修役の萩原健一が先日亡くなってしまった。追悼の念はやぶさかではないが、それ以上にいい加減読んでおこう、の思いが強かった。
 くだんの「小説現代」(これはいまだ捜索中)の方に書いてあるのか未入手の文庫版の方に記述があるのか知らないが、Webでの噂を拾うと、本作はもともと21世紀の新作映画用のストーリーとして書かれながら、2006年に綾部貴子役の岸田今日子が他界したため頓挫した企画に沿った一編だったようである。
 主演の萩原や旧作テレビのメイン文芸だった脚本家・市川森一からも公認・支援を受けた完全に正統的な後日譚であり、メディア枠を違えながらも33年という長い歳月を経て復活したフィクションの主人公というのも豪快だが、旧作テレビを楽しんで観ていた(自分の場合ははじめてしっかり観たのは深夜の再放送枠だが)ファンにとっては、バディものの片割れを奪われ、その後社会の片隅で逃亡を続けてきたかつての青年主人公のジジイとなった活躍図がすごく気になる(と言いつつ、10年読まなかったけれど~汗・笑~)。

 それでまあ中身の方は、ある意味でとても王道、言ってみればスピレインの『ガールハンター』の傷天版なわけだが、作者の原作ドラマへのオマージュの込め方はハンパでなく、テレビエピソード各編の細かいネタを縦横に拾いまくるわ、その一方で青春も若さも喪失した初老主人公の疲弊と年季をみせるため、実に巧妙な刀捌きで原典世界にも斬り込むわ……で、正に原作ドラマファンの書き手による原作ドラマファンへの一編なのは間違いない。これが受け入れられないというのは、別の意味でのファンオマージュで21世紀の木暮修像に自分なりの強いイメージを抱きすぎて、それと違うものに抵抗がある人だろう。それはそれで仕方がないが、万人を納得できる作品なんか作れないという意味で、個人的にはこれは、当人なりのアプローチを貫き通した作者・矢作のひとつの大きな成果だと思う。

 なお評者は70~80年代はともかく近年の普通の矢作作品群は、数年前の『フィルムノワール/黒色影片』一作しか読んでない(その一冊が面白かったけど、大作ゆえに実に疲れた~汗~)ので、そういった作品群との比較はできないんだけれど、本書(新作・傷天)は21世紀の東京・新宿を舞台にしたストーリー上の必然性やメッセージ性も明確で、そういう意味でも良質な作品であった(いろいろな面で時代に置いていかれかけながら、それでもしぶとさを失わない修のキャラクターもカッコイイ)。
 さらに終盤のある大仕掛けはこちらの予想の隙を突かれた感じで、その辺は(中略)という意味で諸手を挙げて褒めまくるわけにはいかない面もあるが、それでも結局は導入しておいて良かった文芸だったとは実感する。

 ちなみに余談だけど、本作が登場した2008年には吉村達也の『マタンゴ 最後の逆襲』とかも発売されていた。当時は出版界にこういう、人気の名作映像作品をベースにした完全新規の後日譚ノベルブームとかが来るんじゃないかと期待したものだった。結局、そんなものは訪れなかったわけだけど(悔し涙)。

No.525 7点 キャナンザの熱い風- アントニイ・トルー 2019/04/19 17:27
(ネタバレなし)
南アフリカのザンベジ渓谷の周辺。そこに野生動物や無数の草木が荒れ地を縫うように密生する特別保留地キャナンザがあった。30歳の赤毛の白人「ルーファス(赤毛)」ことジョン・リチャーズは、行政公認の管理官代理として野生の動物たちや太古からの自然を守るが、最近この周辺では革命ゲリラ闘士、政府から見ればテロリストの武装グループの活動が著しかった。そんななか、40年以上の人生を鉱脈探しに費やしてきた老人ルーダ・マクガンは有望な金鉱の兆候を見つけるが、一方で同地にはヨハネスブルクの鉱山会社の重役ロディ・フィスクが来訪し、マクガンはせっかくの獲物を横取りされまいかと緊張する。いずれにしろ、万が一この周辺でどのような経緯にせよ大規模な発掘作業が開始される事態は、自然保護の観点からリチャーズにとってかなり好ましくないことであった。やがてある日、キャナンザの大地の上で人命を奪う銃声が轟き……。

 1970年の英国作品。著作の主流は海洋冒険小説である作者アントニイ・トルー(日本でも何作か紹介されている)には珍しい、内陸を舞台にした作品。中身は、半ば自然派の冒険小説、半ば殺人事件がからむ正統派? ミステリ風。そんな一冊。
 なおザンベジ渓谷(ザンベジ川)は実在するが、キャナンザは架空の地名らしい? webで何回か検索しても、本書の邦訳名以外出てこないので。

 最終的にどういうジャンルに着地するかも興味とも思えるのでここでは詳述はしないが、ミステリを楽しむストライクゾーンが広い(つもりの~笑~)評者には面白かったが、人によっては何らかのミステリジャンルの物差しから中途半端に思えるかもしれない。
 いずれにしろ登場人物が全体的にくっきりとキャラ立ちして(設定的に奇人や変人が登場するのではなく、作者の筆力で存在感を抱かされる手応え)、さらに人間に対して時にきびしく時に懐の深いアフリカの自然描写も一種ドラマチックに語られている。それらすべてをふくめて、ミステリを内包した一編の小説として快い作品だった。最後の幕切れも、いかにも文芸ミステリっぽい余韻が残る感じでステキ。

 ちなみに評者は関東在住の人間で、この10年ほど全般的に四季の感覚が変化し、1年のうちの春秋の季節感が希薄化。おおざっぱに言って、冬が終ったら早くも初夏のような肌感覚である。そういう意味でこの四月でももう結構暖かいのだが、そういうシーズンに読むにはピッタリの一作だった。本当の真夏に読んでいたら(冷房のある場で読むにせよそうでないにせよ)なんかいろいろ余計なことを考えちゃいそうな、そんな熱い(暑い)世界を舞台にした物語だから。

No.524 7点 魔眼の匣の殺人- 今村昌弘 2019/04/15 21:57
(ネタバレなし)
 途中で止められず、眠い目を擦りながら夜中の3時過ぎまでかけて読了した。

 殺人に至った動機の形成についてはフツーの感覚ではイカれているといえるものなのだろうだが、ここまで煮詰めたこの設定の中なら、確かに犯人の思考のロジックとして整合している。
 読み終わったあとホワイダニットの部分を何回も反芻し、どっかにツッコむ隙がないかと考えたが、こちらが思いつくレベルのことには悉く先回りした解答が用意されている。
 時計の文字盤のくだりや、最後のどんでん返しも含めて、作者のミステリ愛は前作以上に感じた。
 しかし第三作のハードルがかなり上がってしまったなあ。焦らないでゆっくり続刊は書いてください。

No.523 6点 ルータ王国の危機- エドガー・ライス・バローズ 2019/04/14 03:36
(ネタバレなし)
 1910年代。欧州が世界大戦の危機に揺れる中、アメリカはネブラスカ州生まれの青年バーニー・カスターは、母ヴィクトリアの故郷であるヨーロッパの小国ルータ王国を訪れる。そこはバーニーの若き日の父と母が恋に落ち、そのまま二人で父の母国アメリカへと駆け落ちした、彼らの思い出の地でもあった。だが現在の王国では10年もの間神経を病んでいた若き国王レオポルトが療養所から姿を消し、その隙に野心を秘めた摂政フレンツ公ペーテルが政治の実権を掌握、あわよくば自らが国王になろうと謀略を進めていた。そんな中、バーニーは件の国王レオポルトが自分と瓜二つであると知って驚愕。さらに王宮の関係者や貴族の一部もまた、行方不明の国王と自分を取り違えていることに気がつくが……。

「火星シリーズ」「金星シリーズ」「ペルシダー」「ターザン」ほかのSF、秘境冒険小説の連作で有名なバローズが1926年に刊行した、完全に非SF・非スーパーナチュラルな20世紀の欧州を舞台にした正統派・巻き込まれ型の冒険小説。
(本書の背表紙には赤々と「SF」マークがついてるが、多分これはあくまで、「バローズ作品ならSF」という紋切型の分類に従っただけだろう。)

 ヨーロッパの小国を舞台に国王と同じ顔の主人公……といえばホープの『ゼンダ城の虜』オマージュなのは同作を未読(汗)の評者でも読む前から見当がつき、実際にみずから本作を翻訳担当した厚木淳(言うまでもないが昭和期の創元の編集主幹)も解説でその旨を書いているが、さらにその厚木の言によれば『ゼンダ』については趣向として設定のコンセプトを借款しただけで、ストーリー展開はおおむねバローズのオリジナルらしい。

 作品は第一部「摂政公の反逆」と第二部「二人の国王」の2パートで構成され、前者が1914年、後者が翌15年に雑誌に連載されたのちおよそ10年後に一冊にまとめて書籍化された。雑誌の初出から本になるまで時間がかかったのは『ゼンダ城』オマージュなことにあとあとで作者の気が引けたか、あるいは現実の第一次世界大戦との何らかの関係か(欧州の戦禍は、本作の中でも描かれる)、はたまた別の理由か。

 王宮内や貴族間で分裂した善人側と悪人側の対立の構図とか、国王と勘違いしながら主人公に惹かれるヒロイン(貴族の娘のプリンセス系)とのロマンスとか、献身的に主人公を助けるサブキャラクターの感涙ドラマとか、この手の作品に求められる物語要素は網羅されている一方、通例なら主人公と国王の関係が(中略)となるところ、そこはちょっと(著作当時としては)巧妙にひねってある? そこから、いったん落着した第一部の物語がまた新たなうねりで第二部に続いていく流れは、なかなか面白い。
 その意味もあって第二部の方が、物語の類型を外れた感じで楽しめた(ただしその第二部の序盤で、いかにも重要キャラっぽく出てきた某・登場人物が、実にあっけなくフェードアウトしちゃったのは「?」だったが……もしかするとアレは別の作品やシリーズからのファンサービス的な客演だったのか?)。
 
 そういえばさっき、本作は完全な非SF・非スーパーナチュラル作品と書いてそれ自体はまったくそのとおりなのだが、第二部の冒頭に本当にちらりとだけ登場する主人公バーニーの妹・アメリカ娘ヴィクトリアは、バローズの別のSF作品『石器時代から来た男』のメインヒロイン役を担当しているらしい。マトモな欧州ロマン冒険小説が明確なSF世界との接点を見せるわけで、こーゆー妙なリンク具合がなんか楽しい。さすがターザンをペルシダーに送り込んだエンターテイナーな作者だ。
 まあ考えてみれば、我が国のミステリキャラクターだって、金田一耕助が獄門島に行ったのちの事件簿でサイボーグ獣人(?)の怪獣男爵と戦ったり、神津恭介も『刺青殺人事件』ほかの謎解きを経て『悪魔の口笛』や『覆面紳士』みたいなトンデモ事件と関わったりしているわけなんだけど(笑)。

No.522 7点 学長の死- マイケル・イネス 2019/04/12 20:39
(ネタバレなし)
 オクスフォードとケンブリッジのおよそ中間にあるプレチェリーの町。その周辺にあるセントアンソニー大学(カレジ)である朝、学長のジョシア・アンプレビーの射殺死体が見つかる。死体の周辺には事件現場の混乱を導くかのような古い人骨がちらばり、さらに大学関係者の自室の床からは血痕を消した痕跡が見つかる。スコットランドヤードから捜査に来たジョン・アプルビイ(本書内の表記はアプルビー警視)は、大学を運営する十数人の評議員を中心に証言と情報を求め、やがて多くの者から嫌われていた被害者の素顔を認めるが、互いのアリバイを整理すればするほど事件は混沌とした様相を見せてくる。

 評者は短編集を別にすれば、初めてのアプルビイもの(イネスの長編としては2冊目)。どうせならシリーズの最初から読もうと思って少し手間をかけて稀覯本の本書を手に取ったのだが、おや翻訳が木々高太郎だったのだな。ミステリの翻訳は、木々の多数の著述の中でも珍しい方の仕事のはずだが、さすがに文章のうまい実作者だけあって、今でも充分に読みやすかった。
 冒頭でいきなり殺人が起きて死体が転がり、あとはアプルビイが関係者の間を聞き回るだけか? これはnukkamさんがレビューでおっしゃるとおり、さぞ退屈……かと思いきや、中盤で事件に首を突っ込んでくる三馬鹿風の学生トリオの大騒ぎはあるわ、意外に登場人物はそこそこ描き分けられているわ(全部じゃないけれど)で、個人的にはそんなに倦怠感は感じなかった。
 アプルビイがこともあろうに容疑者のひとりである大学評議委員当人を相手に推理合戦を始めたり、もう一回くらい殺人が起きてくれれば新たな手がかりが出てくるのに……と無責任なことをぼやいたりとか、ミステリのお約束をからかった感じの、いかにも英国っぽいドライユーモアも利いている。
 作中に「探偵小説のバイブル」として『トレント最後の事件』が登場し、アプルビイが「アプルビーの最大の事件」とか「アプルビーの最も奇妙な事件」とか内心で呟くあたりも愉快だよねえ。改めて言うけど、これシリーズ第一作です。(バカンの『三十九階段』も「三十九段」という日本語表記の書名で、その内容に触れながら話題にあげられる。)

 残り頁が少なくなる中、なかなか入り組んだ事件が最後まで本当の顔を見せないテンションも魅惑的で、殺人とその後の真相はいささかややこしいが、説明を聞いて腑に落ちる、よく練られたもの。具体的にどの作品と特定するのではないが、マクロイのよくできた長編とか、カーのAクラスとBクラスの中間あたりのパズラー、ああいう感じだ。
 自分はミステリファンとしての原体験が、イネスといえば本書と『ハムレット~』しか(国書でなくポケミスで)翻訳されていなかった頃の世代のジジイなので、この作家ってなんか文学的で難解っていうイメージがいまだどっかにあったんだけど……なんだフツーにイギリス流の謎解きパズラーミステリとして面白いでないの(嬉)。今後も少しずつ読んでいきましょう。

No.521 4点 卒業 セーラー服と機関銃・その後- 赤川次郎 2019/04/09 02:27
(ネタバレなし)
 目高組の解散から一年。かつての女子高校生組長・星泉は普通の学生生活に戻り、高校三年生の11月を迎えようとしていた。そんななか、行きつけの商店街では地上げ騒動が巻き起こり、かたや泉と因縁ある裏社会の大物・浜口がその件に関連して彼女の助力を願い出た。さらに町では、「目高組四代目組長・星泉」を自称する娘が恐喝行為を繰り返し働き、その罪を本物の泉に被せるが……。

 『セーラー服と機関銃』の9年後に書かれた続編。作中の時間では1年しか経っておらず、なんとなく評者の記憶の彼方にも残っている懐かしい名前が、作中で健在な人物も亡くなってる者も、続々と出てくる。
 気楽に軽いキャラクターミステリとして読めば楽しめるかと思ったが<実は登場人物AとBは××だった……>のパターンが3つも4つも出てきて、さすがにこの狭い世界の臆面の無さぶりには鼻白む。まあテンポよくストーリーを進めるため、アクチュアリティーなんか端っから放棄している作りなんだけど。
 意外な犯人も全然意外じゃないのはまあいいのだが(よくない)、特に何の伏線も手がかりもなく、ただ最後に実は……と明かすだけ、というのもなあ(第一の殺人の方の謎解きもこの上なく適当だし)。刊行当時には黙ってても設定だけでソコソコ売れそうだったから、ミステリとしてはギリギリまで手を抜いた、ということだったのか? 
 佐久間の後継者ポジションのキャラクターは、まあまあだったかな。それと目高組残党の<彼>ひとりだけが泉のために馳せ参じる場面だけは、『マフィアへの挑戦』の「抹殺部隊ふたたび」編みたいな感覚でちょっと良かった。
 とはいえカドカワノベルズ版の謳い文句「書下ろし長編ラブ・サスペンス」の「ラブ」の部分は全くもって、この程度で? という感じだが。

 新世代編のパート3も書かれてるんだよな。何のかんの言っても気になるから、そのうち読むかもしれない(笑・汗)。

No.520 7点 地獄の家- リチャード・マシスン 2019/04/08 22:50
(ネタバレなし)
 1970年12月の中旬。50代半ばの物理学者ライオネル・パレット博士は87歳の大富豪ルドルフ・ドイッチェに呼び出され、成功報酬10万ドルの約束である依頼を受ける。それは「死後の世界」が実在するかを実証するため、メイン州の幽霊屋敷「ベラスコ・ハウス」の真実を一週間以内に見極めることだった。「地獄の家(ヘル・ハウス)」として知られる同屋敷は1879年生まれの奇人エメリック・ベラスコの所有物だったが、奇行が繰り返された邸内では過去二度にわたって大流血の惨劇が生じ、そしてベラスコ自身も屋内から謎の失踪を遂げていた。パレットは20歳年下の妻エディス、さらにドイッチェの指示するまま、元女優で美貌の霊媒フローレンス・ターナー、30年前の流血事件からの唯一の生還者ベンジャミン・フランクリン・フィッシャーとともに、全4人の調査チームで地獄の家に乗り込むが……。

 1971年のアメリカ作品。20世紀後半のモダンホラー史を大雑把に概観すれば、『ローズマリー』以降でキング登場の前夜、本作や『エクソシスト』(の映画版、あと映画『オーメン』とか)で日本にも70年代前半期の代表的な一冊ということになるんだろうか。
 読んでる途中までは忘れていたが、当時のポルノブーム? を背景にし、さらには『エクソシスト』(すみません。実は映画も小説も未着手です)同様に不可思議なものに迫る疑似科学性を導入、旧来からの幽霊屋敷譚にそういう2つの趣向で新味を出そうとしていた作品であった。特に魔性のものが表向きばかり、科学検査の前に素顔をさらしたように見せかけておいて(あるいは本当に実態を晒して)、そののちに反撃にくるというのは70年代からのムーブメントだったのだろうか。厳密な検証なんかとてもしてないけれど、モダンホラーの歩みを探るひとつの手がかりにはなるかもしれない。
 古い皮袋に新しい酒を盛ってやるという作者の気概は今読んでも響いてくるようで、そういう意味では期待通りに面白かった。「地獄の家」側が来訪者であるパレットたちに(中略)という終盤のツイストも、当時としてはよく練られていた文芸だと思う。
 ちょっと驚いたのは本当にほぼ全編がワンロケーションで、限られた頭数の登場人物の間でドラマが進行することだが、まあ幽霊屋敷ものと考えれば当然か。キングの『シャイニング』みたいに随時遠方に描写のカメラが切り替わる方が特殊だろうし。

 ところで本作の映画版『ヘルハウス』はまだまともに一度も観てないんだけれど、大昔に木曜映画劇場あたりで終盤だけ断片的に目に入ってしまい、どういうビジュアルがラストの方に来るのかだけは覚えていた。それでちょっと最後の方のショックが薄れてしまったのは残念。まあそれでも十分に面白かったけれど。
 評点は直球のプロットをどう取るか迷うところもあるが、本当にちょっとおまけしてこの点数で。

No.519 4点 殿方パーティ- ウィリアム・クラスナー 2019/04/07 03:40
(ネタバレなし)
 アメリカのどこかの州。当地・エヴァグリーン街の一角にある「ローマン・ホテル」の周辺で、下着姿の若い娘が重傷で意識を失っているのが発見された。娘=ダーリーン・ラバーンは、ベーカリーでケーキを包装する21歳の店員だったが、その夜ホテルで開かれた男性たちの遊興のための集会「殿方パーティ」に招かれていたことが判明した。事件性を検分後、単に事故で上の階から転落したのだろうと警察が判断。それと前後して、当の娘は病院で昏睡したまま息を引き取る。だがこの件に不審を感じた地元のベテラン警部サム・バージはパーティの主催者や参加者に接触し、隠された真実を探ろうとするが……。

 1957年のアメリカ作品。創元の旧クライム・クラブで翻訳刊行され、その後創元文庫そのほかにも入っていない一作。巻末の植草甚一の解説によると作者の四本目の長編で、第一作に登場したバージ警部とその部下のチャールズ・ハーゲン警部補の事件簿第二弾とのこと。
 退屈、という下馬評はどっかで見ていたような記憶もあるので当初からそのつもりで読み出したが、残念ながらその覚悟を上回る(下回る)さらに面白みのない話だった……。
 物語はバージ警部を第一の主役、殿方パーティ(要は商売女やらハントした素人女やらを連れ込んで同じ屋根の下で楽しむ合同セックス集会)を主催した保険会社の中堅外交員で36歳のマザコンっぽい男ジョン・ランドール・バロウズを第二の主役としてほぼカットバックで進行、さらにハーゲン警部補やバロウズの同僚、性的関係のある女たちなどの断片的な描写が随所に組み込まれるが、一体どこをポイントにミステリとして読者の興味を惹きたいんだよ、という感じで実に盛り上がらない。いや事故なのか殺人なのか最後まで判然としないという趣向にしたって、もう少し絞り込んでテンションを高めていく作劇というのはきっとあると思うんだけど。
 おかげでラストにちょっとだけ開陳される、用意されていた意外性は実際にはかなり小ぶりなものなんだけれど、ソレでも、ああ、一応はマトモなミステリっぽいことしてくれるんだな、と期待値が大きく下回ってしまった段階から評価が上がった。本当に少しだけど(涙)。
 この掴み所のない感じが当時のアメリカの冷戦や朝鮮戦争を展望した時代性の反映とか、すんごい評もあるみたいだけど(どっかでそういうことを言っている御仁もいるそうである)、それはいささか牽強付会に過ぎるというものでは……と個人的には思う。少なくともこういうミステリでそこまでややこしいメッセージ性を忍び込ませることは誰も考えてないんじゃないかと思うんだけど。

No.518 7点 笛吹- 木々高太郎 2019/04/05 22:57
(ネタバレなし)
 20世紀の初頭。山梨県の甲府に住む中所(なかぞ)家の一家は、鉱山業で一旗揚げようと家長とその妻、そして幼い姉妹がアメリカに渡る。が、10代前半の長男・由利雄だけは思春期に学業を離れない方がいいということで地元の伯父の家に置いていかれた。しかし中所家の4人は異国の地で災禍に遭い、由利雄はいっぺんに家族を失う。由利雄は、同様の被災で天涯孤独になった者同士という縁で3歳年上の愛らしい娘・樋口朝子と知り合い、心の傷みを慰め合うが、やがて数年の年を隔てて二人は再会する。だがその頃、将来の進路に迷いながらも秀才として校内で評判となる由利雄の周辺に、思いもよらぬ出来事が……。

 昭和13年に地方新聞に連載され、戦後の昭和23年に初めて世界社で書籍化された木々高太郎の長編作品。
 木々高太郎全集(1970年の朝日新聞社版)3巻の巻末解説で中島河太郎が最初の書籍版から引用する作者の言葉によると「僕が書いたものだというのですぐ殺人事件だと思っては困る。この小説は、主人公及びその身近の二、三人をのぞいて、あとは人物も時代も実在したもの、人間の魂の成長が心ひくもの、謎にみちたものという見方からすれば、一つの推理小説とも言えるであろう(句読点は引用元のママ)」だそうだが……いや、これはどう読んでも普通の自伝的青春小説であって、ミステリとはいえないと思うのだが……。劇中で犯罪は生じるが、それって試験の不正入手疑惑だし、作者も言うとおり、殺人なんか起きないし。手法的にミステリ的な技巧は使ってるといえばいえるが、それって「どんな商業映画にも必ず特撮技術は使われてる、だからこの世の映画はすべて特撮映画である」と主張するぐらいの豪快なロジックだしな。
 
 ただまあ、以前にTwitterで本作の噂を見かけたことがあり、その時の評価が「木々高太郎の作品で、ミステリでないこの作品が一番面白いのは皮肉」とかなんとか言うようなものだった気がするが、確かに一編の長編小説、青春ドラマとしてはとても味わい深い。会話の分量、内面描写、さらに登場人物の心象を託した情景描写……とそれぞれのバランスが鮮やかで、一世紀にも迫る昔の小説とは信じられないくらいにサクサク読める。ドラマのある部分は王道を追い、またある部分はあえて読み手を裏切る小説の作劇も絶妙だし。横溝の『雪割草』みたいな、ノンミステリだからこそ改めて実感する作者のストーリーテラーの才を認める。

 ちなみに河太郎は全集の解説で、春陽堂文庫に本作が収められた際に「あるアナーキストの死」と本筋からひとつもふたつも離れた副題がつけられたことにクレームを呈してるが、実作を読むと河太郎の憤りの方の妥当性がよくわかる。春陽堂文庫版では未読のファンに、政治劇からみの青春殺人ミステリとでも勘違いさせてセールスしたかったのだろうか。

No.517 6点 暗黒街のふたり- ジョゼ・ジョバンニ 2019/04/04 01:06
(ネタバレなし)
 1970年代前半のパリ。およそ10年前に、成人したばかりで少人数の青年ギャング団の頭目となり、銀行強盗に失敗して20代の人生のほぼ全てを塀の中で送ったジーノ・ストラブリッジ。現在まで27年間も犯罪者の更生を支援する保護司を務めてきた初老の元警官ジェルマン・カズヌーヴは、ジーノの改悛の念を認めて保釈を願い出る。10年前後も夫を待ち続けた愛妻ソフィアのもとに戻る機会を得たジーノはカズヌーヴに深く感謝し、カズヌーヴもまた家族ぐるみでジーノとソフィアに身内のように接し、彼らを応援した。だが不測の悲劇がジーノを襲い、彼が押しつぶされそうになるのと前後して昔の仲間が悪事に誘いかけ、しかも悪の誘惑に巻き込まれまいと抵抗するジーノの周囲に蛇のようにへばりつくのは、犯罪者は必ず再犯にはしると愚直な信念を抱く主任警部ゴワトロだった。違法すれすれのゴワトロの捜査の手がジーノの神経をすり減らすなか、カズヌーヴたちジーノを信じる者たちは彼を守ろうとするが……。

 1973年に公開されたジョセ・ジョバンニ脚本、監督の、同題のノワール映画が1974年に日本公開される際、本書の訳者名義の山崎龍がシナリオから小説化した半和製ノベライズ。つまり同じ版元の、おなじみ『刑事コロンボ』ノベライズシリーズ(その大半)と同様の経緯で刊行された一冊である。
 むろんジョバンニのオリジナル小説ではないし、本書本文の文体や小説的技巧を素直にジョバンニ作品のひとつとして受け止めることは確実に不適なのだが、湿って切なく薄暗い(しかしそれでもどこかほのかに明るい)感じの物語の歯応えは、なかなかソレっぽい。
(といいつつ評者も、そんなに大系的にジョバンニ作品を読んでいる訳ではないけれど~汗~。)
 直接の書き手の異なる作品ではあるが、根っこにあるのは当然、本来のジョバンニ作品と同根のものという観測で、ここに感想をしたためさせていただく。
 
 この青春ノワール物語の軸には、本当なら人生をやり直したいと真剣に思っている犯罪者の更生を容易に許さない社会への憤りがあるが、一方でジーノを支援する人々もカズヌーヴの家族に限らず何人か出てくる(ジーノの過去をすべて知った上で雇用し、彼の不器用な奮闘ぶりを認める印刷工場の社長さんとか)。さらにはゴワトロの歪んだ情熱を「そういう行き過ぎた捜査は過剰に前科者を色眼鏡で見て、彼らの社会復帰を妨げるものだ」と咎める、まともな上司の警察署長なども登場してくるのだが、ジーノの苦境の前にそれぞれ力及ばず、というかジーノ当人自身にもまったくスキがないわけでもないところがウマい。もちろん、更正をはかろうと本気で願いながら、日々疑惑の目にさらされて嫌がらせされる作中の主人公の心の傷みは本当の意味で、大半の読み手なんかにはわかるべくもないのだろうが。
 後半の展開のネタバレになるので書けないけれど、ジーノを守ろうとしてカズヌーヴがあまりにも真っ当に真っ正面から関係者にものを言い過ぎたため、かえってドツボに嵌ってしまう描写なんか感心させられた。小説としての書き込みも累乗している効果だとしたら和製ノベライズといっても侮れん。本書の原作の形になる映画本編の方はまだ未見だけど、その辺がどういう描写になっているかいつか確かめるのは楽しみだ。

 本当ならもっと何冊かマトモにジョバンニの小説作品を読んで、その上で本作の原典の映画版も先に観て、それから読んだ方がさらに良かったんだろうけれど、素で一編の社会派ドラマ風ノワールとして接しても、結構よい感じの一冊ではあった。

No.516 5点 命売ります- 三島由紀夫 2019/04/02 22:06
(ネタバレなし)
 会社勤めのコピー・ライターとして安定した実績を重ねていた27歳の青年・山田羽仁男(はにお)は、ある朝、ゴキブリが手元の新聞紙のなかに潜り込み、そのまま活字のすべてが虫と化すおぞましい幻覚を見た。強烈な衝撃から死生観に著しい変化をきたした彼は平穏に生きる人生に意味を見失い、「ライフ・フォア・セイル」の告知を掲げて、相手の言い値で自分の命を自由にさせることにした。奇矯な人間が依頼人として続々と現われるが、新しい依頼がさらに発生するということは、死を志向する羽仁男が今もまだ生きながらえているという矛盾でもあった。やがて死と生の迷宮の果てに羽仁男が行き当たったものは?

 1968年の「週刊プレイボーイ」誌上に初出の、三島由紀夫による綺譚風ミステリ。殺人劇やエスピオナージュの要素も盛り込まれ(作品の背景のひとつには当時の007ブームもある)、広義のミステリの枠内に入れるにはやぶさかでないが、どちらかというと観念劇で大人の寓話またはおとぎ話っぽい。
 ただし死と生の二極の振幅という主題と作劇は、いかにも60年代なら相応に斬新だったが今となっては……という感じも強く、前衛的なようで全体的に古めかしい。さらに作者が迷いながら(あるいは手探りを楽しみながら?)書いているような部分もあるようで、第二のエピソードなど完全に紙幅の配分を間違えているのではないか(一回目に読んだときは、一体どういう展開になっているのか狐につつまれたような感じであった)。
 後半、主人公の羽仁男の立ち位置を思いきり相対化する、メインヒロインのひとり・倉本玲子が登場してからはストーリーとしては面白くなったが、その分、物語が最終的にどういう着地点を踏むのか見えてしまう。まあ半世紀前の作品だしな。
 時代を超えたメッセージみたいなものを見せてくれるのかと期待して読み始めた一冊だったが、思いっきり当時の空気を感じさせる作品であった。そういうものと思って読めば、それなりに。

No.515 6点 殺人と半処女- ブレット・ハリデイ 2019/03/31 04:16
(ネタバレなし)
 太平洋戦争のさなか、愛妻フィリスを新生児ともどもその出産時に失った赤毛の私立探偵マイクル・シェーン。彼は辛い思い出の宿る古巣マイアミを離れ、ニュー・オーリンズに新たな事務所を開いていた。亡き妻に似た娘ルーシィ・ハミルトンを少し前に秘書に迎えたシェーンは早速、新天地で事件を解決。地元の警察署長マックラッケンとも懇意になっていた。そんなシェーンのもとに旧知の保険会社社員デイトンから、引退した実業家ローマックスの奥方の盗まれたネックレスを取り戻すのに協力してほしいと依頼があった。これに応じるシェーンだが、続いて青年軍人テッド・ドリンクリィ中尉が事務所を訪れ、ある件の調査を依頼する。ドリンクリィは半年前に知り合ったノルウェイ人の娘キャトリン・モオと婚約したが、その彼女が昨夜、結婚式前夜に自室でガス中毒死した。現場は施錠された密室で、事故も生じにくい環境ゆえ警察は自殺と見ているが、ドリンクリィには得心のいかないものだった。他殺の可能性を疑うドリンクリィの願いを受けて調査を始めるシェーンだが、キャトリンが住み込みのメイドとして働いていた邸宅が他ならぬローマックス家だった。二つの事件の交差は偶然か? そしてキャトリンの死は自殺を装った密室殺人なのか? シェーンは独自に調査を進めるが……。

 1944年のアメリカ作品で、マイケル・シェーンシリーズの長編第10弾(この作品の邦訳ではマイクル・シェーン表記)。
 シリーズの中で重要な位置を占める(愛妻フィリスとの死別の模様が描かれるらしい)第8弾が未訳のため仔細は不明だが、シェーンが一時期マイアミを離れた期間の事件となる。
(初のニュー・オーリンズ編であろう第9作『シェーン勝負に出る』の「マーゴ・メイコン(メーコン)事件」の話題も、本作『殺人と半処女』の中にチラリと二回ばかり出てくる。)

 本作の邦訳は1957年9月に刊行の「別冊宝石70号・世界探偵小説全集カーター・ディクスン&ブレット・ハリデー編」(宝石社)に所収(というか掲載)。ポケミス(HM文庫)以外では唯一、別の版元・別の叢書から翻訳されたシェーンものの長編であった。なお「別冊宝石」同号の作家紹介記事で解説担当の乱歩は<本作『殺人と半処女』が初めて本邦に紹介されたハリディ(記事内の表記はハリデー)の作品(長編)>と書いていたが、惜しいかな、現実には同年の7月末にポケミスから『夜に目覚めて』が1~2ヶ月早く刊行されてしまっていた。おそらく乱歩が記事を書いて入稿した直後の時間差での発売だったのだろう。当時、こういう暗合というか偶然もあったようである。

 実は本作は<40~50年代のハードボイルド私立探偵小説のなかに不可解な密室殺人の謎が登場>という趣向から、結構古くから、日本の一部のミステリマニアの間でも話題にされていた長編でもある(少なくとも自分の周囲では、同じ趣向のカーター・ブラウンの『ゴースト・レディ』などと並んでそれなりに有名な一編だった)。
 その辺の興味で読んでもそれなりに面白いが、ミステリ&物語的な求心ポイントはローマックス家の周辺で起きた2つの事件の絡み具合と、さらには本作の題名であるキャトリン=「半処女」の謎(本作の原題は「Murder and the Married Virgin」)。つまり享年20歳のキャトリンはまだ男性経験のない処女だったと検死で判明するのだが、なぜかその遺品の中には、彼女の指にぴったりの使い古された結婚指輪があり、じゃあ処女なのに以前に結婚していた? ……その不可思議? な素性を指して「半処女」と邦題で呼ばれている。

 それらもろもろの事件の興味に、ローマックス家の面々をはじめとした登場人物連中のうさんくさい挙動、さらに何よりフィリスと死別した傷心の疼きを忘れきれない一方、ルーシィとの距離感を手さぐりで縮めていくシェーンのプライベート模様が読み所となっている(シェーンシリーズのファンには、ルーシィとシェーンがまだ相手の個性や人柄を見極めきれていないこの段階にあって、互いの思いをぶつけ合うシーンなど、とても味わい深い)。
 とりわけシェーンシリーズに思い入れのないミステリ読者でも、40年代ハードボイルド私立探偵小説の中で語られた密室事件という興味で読んでみるのも一興だろう。たぶんミステリマニアの間での話のネタにはなるか?
(ただし可能なら、シリーズ前作で先述の『シェーン勝負に出る』は先に読んでおいた方がいいかも。同作の事件「マーゴ・メイコン(メーコン)事件」の犯人について、本作の中でチラリと情報が出てしまっているので。)
 話には当時のハードボイルド私立探偵小説らしい動的な要素も十分にあるし、ミステリ的なギミックも相応に盛り込まれた佳作~秀作。 
 翻訳はブッシュやビガーズ、フィルポッツの長編なども手がけている小山内徹が担当だが、年代を考えれば結構読みやすい訳文だと思う。

 ちなみに本作の「別冊宝石」でのカップリング作品(長編)は、カーター・ディクスンの『九人と死人で十人だ(九人と死で十人だ)』であった。
 この別冊宝石版『九人~』の翻訳者・旗守真太郎というのは、当時のSRの会のメンバーが分担で翻訳をこなした際の合同ペンネームだったそうなので(情報の出典はSRの会の正会誌「SRマンスリー」70年代のバックナンバーでカーの追悼特集号)、もしかしたらハリディの『殺人と半処女』の方も、当時「別冊宝石」の編集部と接点のあったSRのメンバーの誰かが、原書の時点でハリディのこの作品は密室ものと認めて、同誌の編集部だか乱歩当人だかに<カーと組み合わせるのならこの長編で>……と推挙したのかもしれない? これはきわめて勝手な想像(笑)。少なくとも前述の作家紹介記事を読むと、お世話役の乱歩は当時それほどハリディには詳しくなかったようである。
 まあそれ以前に編集部周辺のブレーンたち(田中潤司とか)の方でセレクトしたことも十分に考えられるのだが。

No.514 8点 強盗心理学- ロス・トーマス 2019/03/30 05:29
(ネタバレなし)
「わたし」ことニューヨーク在住のフィリップ・セント・アイヴズは、元・弱小新聞の記者兼コラムニスト。妻子と別れた30歳代末の独身男で、新聞社の倒産を機にしばらく前から、トラブルに介入する交渉業「仲介人(フィクサー)」として収入を得ていた。今回の仕事は、なじみの弁護士マイロン・グリーンの指示。グリーンのとある依頼人の何らかの所有物が盗まれ、泥棒は相応の金と交換に品物を返すと言っているらしい。当の依頼人は言われた額の金を払っても、該当の品物を穏便に取り返したいようだ。大金を預かって窃盗犯が指示した場に来たアイヴズだが、そこには身体を拘束された泥棒の他殺死体が転がり、肝心の品物はどこにも無かった。警察の取り調べを経て釈放されたアイヴズはグリーンに事情を詰問。実は今回の依頼人が、NYの暗黒街でも知る者ぞ知る盗みの名人アブナー・プロケインだと知るが……。

 1971年のアメリカ作品。本書を原作にしたチャールズ・ブロンソンの主演映画『セント・アイブス』が日本でも公開された機会に邦訳された。いうまでもないが、作者オリバー・ブリークはロス・トーマスの別名。
 翻訳書は立風書房から1976年8月25日に初版刊行。しかしコレがややこしい仕様で、作者名に関しては
【背表紙】……「ロス・トーマス」
【表紙】……「ロス・トーマス=オリバー・ブリーク」
【奥付】……「オリバー・ブリーク」
と実にバラバラに表記されている。こういう本も珍しい(大笑)。訳者、出版社の編集者と営業との間で、作者名をどう表記するか各自の意見の食い違いでもあったのだろうか。
 ちなみに2019年3月現在(というかだいぶ前から)、Amazonには書誌データの登録が無い。これらの現実を踏まえて、日本ではどの作者名が一番公式性が高く、的確な表記なのか迷うところもあるが、今回は「ロス・トーマス」の項目に追加しておく。

 ところで評者は本作を大昔の少年時代に初めて読み、主人公アイヴズと中盤から登場するすれっからしの美人ヒロイン、ジャネット・ホイッスラーとの濃厚なセックス描写にいたく感銘(笑)。なぜかしばらく前からその頃のときめきがふと心に湧いてきて、そのうちまた読もうと考えていたが、このたび思い立って何十年ぶりかに再読した(笑)。
 白状すると評者はトーマス作品(翻訳書)は何冊か買ってあるものの、実は読んでいるのは今回再読したこの作品のみ(笑)。それで巷の噂で、トーマスの小説には独特の持ち味があるとか何とか見聞きしたような記憶もあったので、この作品『強盗心理学』も改めて読むともしかしたら強いクセとかがあって疲れるかなあ? とも予見していた。
 ……と思っていたら実際には、内面描写もあけすけな一人称小説で、さらにはテンポの良いダイアローグも多用。なにより筋運びも快調な上に、情景や雰囲気の描写も必要十分以上。随所のユーモアも欠かさない……と、読みやすさに関しては、少なくとも本書の場合この上ない。
 しかも主人公アイヴズを抱き込む泥棒紳士プロケインやその部下の若者2人(この片方が前述のヒロイン、ジャネット)、さらには事件に介入してくる刑事たちまで総じてキャラクターが活き活きと描かれ(それぞれの登場人物をちょっとした場面や叙述の効果で、ポイント的に印象づけるのがとてもうまい)、記憶していた以上に小股の切れ上がった、とても快い作品だった。
 肝心のミステリとしても、広義の密室状況といえるホテルの殺人(?)現場からの人間消失の謎(古典ミステリファンならニヤリとするあのトリック……というかギミックが導入されている)、さらに、これは意識的に打球をすごい飛距離のファールにしたんだろうなあ……という感じの、終盤で明かされるぶっとんだ犯人の意外性……などなど、予想外にトリッキィな感じに大喜びさせられた。

 今回読んだのはあくまでオリバー・ブリーク名義の作品であって、ロス・トーマスの主流作品も同じ感触かどうかはまだ何とも言えないが、いずれにしろ本作は記憶・予期以上にしゃれた筋運びの、意外性にも満ちた軽快な都会派ミステリという感じでステキだった(というわけで遅ればせながら、ほかのトーマス作品もおいおい読んでいこう)。
 なお仲介人セント・アイヴズはシリーズキャラクターとして活躍して、まだ何冊か未訳の作品も残っているらしいので、今からでもほかの登場作品を翻訳紹介してほしい。まあこれだけ間が空いちゃうと、単に紹介というより、もう未訳の旧作の発掘という感じではあるが。

No.513 6点 殺人の代償- ハリイ・ホイッティントン 2019/03/27 04:10
(ネタバレなし)
 「私」こと、弁護士生活10年目を迎えた30男のチャールズ(チャーリー)・R・ブラウアー。チャーリーの妻コーラは吝嗇家の金持ちだった父親から50万ドルの遺産を相続した身の上で、チャーリー自身も義父の生前の後見を受けて弁護士になった経歴の主だった。そんなチャーリーは、最近雇い入れた赤みがかったブロンドの秘書ローラ・ミーティルと肉体関係を持つ。彼は、太って女としての魅力の薄れてきた妻コーラを殺害し、現状で自分の自由にならない妻の財産50万ドルを得ようと決意。表稼業の人脈まで利用しながら殺人計画を練るが……。

 1958年のアメリカ作品。作者ハリイ・ホイッティントンは日本では本書以外では、ポケミスでナポレオン・ソロのノベライズが一冊翻訳されているのみ(『ナポレオン・ソロ②/最終作戦』=作者名:ハリー・ホイッティングトン表記)だが、本国ではミステリやウェスタンなどジャンルを問わず150~200冊の著作を為した職人派のペーパーバックライター。
 ことに本作は、本書巻末の池上冬樹の丁寧な解説によると、1981年に双葉社の「小説アクション」誌上で当時のミステリ界の識者が<ハードボイルドオールタイムベスト10>を選出する際、片岡義男が、ケインの『郵便配達』や『倍額保険』さらにライオネル・ホワイトの『逃走と死と』、ダグラス・フェアベンの『銃撃』J・D・マクドナルドの『シンデレラの銃弾』と並んで、マイベストの一本に選んだ秀作だったという。

 評者は最近になって初めて、本書が00年台になってから発掘された50年台クラシックという事実を認知。それで今回、興味が湧いて読んでみたが、結論から言うとなかなか楽しかった。
 作品の中身はあらすじの通り、ハードボルドというより倒叙風のクライムストーリー。当初はそれほど本気でなかったローラとの不倫関係に主人公チャーリーがいつの間にかのめりこみ、それと同時に、かねてより感じていた妻コーラとの結婚生活の拘束感がさらに強くなっていくかのごとき流れにも説得力がある。
 一方で犯罪実行後の隠蔽手段は、情報化時代の21世紀の現在ならまず不可能だろうな(というか試そうともしないだろうな)と、一瞬で無理を感じるようなおおらか(?)なものだが、50年代後半当時の米国国内の司法組織の捜査状況を覗くような感じで興味深くはあった。まあアメリカは広い国だし、当時はコンピューターも普及してなければ今のようなインターネットも無かった訳だしねえ。この辺はあんまり詳しく書けないが。

 それでも極めてハイテンポにストーリーが進み、後半では、あれ? 本当ならもう起承転結の「結」でないの!? と読むこちらに思わせながら、まだまだページが50ページ前後残っている!!? と軽く驚き。この瞬間にはなかなかときめかされた。
 やがて迎える終盤の意外な結末は、男性作家というよりは女流作家の<彼女>や<さらにまた彼女>たちっぽい、悪意と奇妙な情感を感じさせる。<こういう>幕切れも悪くないね。1950年代半ばの、あの有名作品の影響なんかもありそうだけど。

 前述の池上氏の解説の結びでは、同時代のペーパーバックライターの雄であるジム・トンプソンと比較して、そちら並に日本でも再評価されてもいいのではと結構、推している。実際、本作くらいのレベルの未訳作品がまだあるのなら、もうちょっと紹介されたとしても歓迎したい。

No.512 6点 爆殺予告- 草野唯雄 2019/03/25 02:00
(ネタバレなし)
 元版は1973年にサンケイ新聞社出版局から出たソフトカバーだが、2019年3月現在、Amazonにはデータがないようである。
 
 その元版刊行当時のミステリマガジンの新刊レビューで本書が取り上げられ、それなりに面白そうに書いてあったので、いつか読みたいと思っていた。ただしいざ実際に読んでみると、予期していたより読者に謎を解かせるパズル小説の要素は薄かった。

 それで本作のキーポイントとなる地名の謎については、やはりHMMの書評でも当然のごとく言及され、しかしながら、かの『砂の器』ほどの求心力がないという主旨のことが書かれていた。
 とはいえ現物に接すると、こちらの方が読者に提示する謎としては『砂の器』よりも明快に思える。まあ本作にしろ『砂の器』にしろ、そんなの知識(一般常識)としては知るわけないんだけど……という点では一緒なのだが(笑)。

 さらに一番の大仕掛けについては、最後にサプライズを設ける以外これしかないという予見から、早々にほぼ読めてしまった。が、それを補強する細かい描写は、なかなか丁寧に組み上げられている。
 ジャンル分けするんなら、謎解き要素を盛り込んだサスペンスという分類になるんだろうけど、小説としての肉付けはほとんど警察小説的な部分が担っている。
 数十年前から何となく気になっていた一冊で、3時間で読みおえられた佳作だった。

No.511 7点 三十九階段- ジョン・バカン 2019/03/24 04:00
(ネタバレなし)
 「僕」こと37歳のリチャード・ハネーは、6歳の時に父に連れられて英国から南アフリカに渡った。その後、当地で鉱山技師として一門の財を築いたのち、故国のロンドンに帰参した。だが特に親しい友人もいないロンドンはえらく退屈で、また南アフリカに戻ろうかと思案する。しかしその年の5月、ハネーと同じアパートの5階に住む、会えば挨拶する程度の間柄の男フランクリン・P・スカッダーがいきなり訪ねてきて、協力を求めた。スカッダーの話の内容は、ふとしたことから、さる秘密結社が、近日中に訪英するギリシャ首相コンスタンチン・カロリデスの暗殺を企てていると知ったという。だが考えあって警察には行けない。生命の危険まで感じたスカッダーは、身代わりの死体で己の死を偽装して時間を稼ぎ、対抗策を練るので、ハネーの部屋を隠れ家に使わせて欲しいというものだった。ぶっとんだ内容に相手の正気を疑うハネーだが、確かにスカッダーの部屋には闇ルートで調達したという行き倒れの浮浪者の死体があった。これで退屈な生活ともおさらばになるかと思ったハネーはスカッダーの協力要請に応じるが、間もなくそのスカッダーは何者かに刺殺されてしまう。殺人容疑者となったハネーは官憲と謎の秘密結社の追跡をかわしながら、事態の打開を図るが……。

 1915年の英国作品。ヒッチコックの映画『三十九夜』の原作にもなったエスピオナージュの古典名作。内容と現実の史実を照応すれば歴然だが、第一次世界大戦が勃発した1914年の世界情勢を背景にした作品でもある。

 それで本作は、たしか丸谷才一だったと思うが1960年代半ばのハヤカワ・ミステリ・マガジン誌上で「この作品をまだ読んでない人が羨ましい。人生の大きな楽しみがまだ手つかずで残っているのだから」とかなんとか、そんな感じで激賞していたのをずっと覚えていた(例によって、評者が古書店で後年に入手したバックナンバーの記事で読んだ記事だが~笑~)。
 まあ今となっては、それももう半世紀以上も前の発言だが、それでもソコまで褒められた古典スパイ冒険小説の名作、これはいつか読まなきゃな、くらいには以前から思っていた。
(本作に続くハネーシリーズで邦訳のある二冊『緑のマント』『三人の人質』もいずれ楽しんでみたいし。)
 
 それで本書の創元文庫版、あるいは角川文庫版を実際に手にした人はすぐ分かると思うが、本作はかなり薄い。今回、評者は創元の「世界名作推理小説大系」版の6巻で読んだが、これにしても二段組みで紙幅約130ページほどの厚さである。それだけにプロットはまあシンプルなのだが、英国の田舎を逃げ回りながら態勢の立て直しを図るハネーの挙動は、ロードムービー風に出会う人々とのエピソードを重ねる形で語られ、そのひとつひとつがいかにも英国流のドライユーモアに満ちていて面白い。ハネーが邂逅した市井の人たちの大半がいい人ばかりなのは都合よすぎるとともリアリティが薄いともいえるが、その独特のゆるめの感覚こそがこの冒険スパイ小説の固有の魅力になっている。
 選挙に立候補するためスピーチの原稿を急いで仕立てねばならないが、それが苦手でハネーにネタの案出とか応援演説とかの助力を願う田舎の青年貴族ハリー卿や、ハネーが変装・身代わりを買って出る工事人夫の老人アレクサンダ・タンブルなど、各人のキャラがいい味を出している。それに応じたエピソードもそれぞれ印象深い。そんな描写にクスクス笑いながら、ああ、なるほどこの作品は、こういうところで勝負していた「名作」だったのか、と認識を新たにした。もちろん、スカッダーがハネーに託す形になったキーワード「三十九階段」の謎とか、秘密結社の暗躍、後半の(中略)作戦とか、ハネーの窮地からの脱出とか、マトモな冒険スパイ小説としての要素(当時なりの、ではあるけど)も相応に盛り込まれているが、何よりこの作品の強みは、物語の随所に浮き出るくだんのユーモア感覚であろう。その意味で、短さをものともしない、なかなか腹ごたえのある作品だ。
 他方、ラストのあっけなさはちょっとどうかと思うところもあるが、ハネーが最後にとった行動は、ロマンあふれる物語世界の中から、書き手も読者も巻き込んでいく当時の現実に帰らざるを得なかった、そんな時代の空気の投影なのだとも見える。そう考えると、鮮烈に作品を引き締めて終えるクロージングといえるか。

 あと、この作品ではまだアマチュアだったハネーは今後シリーズキャラクターになり、英国に献身するプロのスパイ軍人になっていくわけだが、そういう展開を意識しながら読むとその辺の情感もじわりと心にしみてくる。評者が大好きなフレドリック・ブラウンのエド・ハンターものの、その第一作『シカゴ・ブルース』に通じる興趣を感じないでもない。

No.510 5点 アレン警部登場- ナイオ・マーシュ 2019/03/23 05:07
(ネタバレなし)
 大昔に「別冊宝石」で『病院殺人事件』を読んで(これは面白かった記憶がある。意外な? 伏線と犯人の鮮烈なキャラクターはまだ覚えている)以来、評者にとっては本当に久々のマーシュの長編であった。

 元外交官の金持ちの屋敷である日、余興の殺人ゲームが開かれるが、その最中に女癖の悪い中年紳士が本当に刺殺されてしまう。
 きわめて真っ当なフーダニットパズラーで、その中にヌカミソサービス的にソ連の秘密結社の捕り物騒ぎとかが織り込まれるし、主人公とお転婆系ヒロインのラブコメっぽい恋模様は描かれるし、さらに探偵役のアレン主任警部もなんか読者をくすぐるキャラクターだし……で、パーツとしては面白くなりそうな感じなのである。
 それが存外に退屈なのは、会話ばっかりで読みやすい文体のハズが、演出を考えずに場面場面の描写だけ並べていった下手な戯曲みたいな小説だからか。
 ただまあ、肝心の(××)トリックはそれなりにうまく仕掛けられているとは思う。少なくとも、似たような趣向のクリスティーの某長編の見え見えぶりよりはマシではないかと。あと殺人実行の瞬間のビジュアルイメージは、結構楽しいかもしれない(笑)。

 例によって、マーシュも翻訳書を買うだけは買ってあるから、おいおい読んでいこう。

No.509 6点 東京2065- 生島治郎 2019/03/21 03:07
(ネタバレなし)
 『傷痕の街』『黄土の奔流』をすでに上梓し、一方でまだ『追いつめる』をものにしていないタイミングの作者がハヤカワ・SF・シリーズ(銀背)から刊行したSF主体の短編集。7編の短編と12編のショートショート。そして巻末に表題作の中編作品が収録されている。7編の短編と12編のショートショートはものの見事に玉石同架という感じの中身で、中にはいかにも昭和っぽい悪い意味でシンプルな<ロボットオチ><タイムパラドックスオチ>の作品などもある。短編の中で良かったのは、トリッキィな仕掛けを用意していた『前世』とか、我々の21世紀の現実の機械文明に雇用が奪われていく風潮を予見・風刺した『ゆたかな眠りを』あたりか。

 意外に読みごたえがあったのが表題作『東京2065』で、これは西暦2065年の未来世界での秘密捜査官・日高嶺二を主人公にした連作風の事件簿。映画『ブレードランナー』(評者はディックの原作は未読なのでこう書く)のレプリカントみたいな、人間そっくり・皮膚に傷もつけば血も流れて、判別困難なロボットが浸透した世界で、その種の高性能ロボットを悪用した犯罪を企図する天才科学者を向こうに回したシリーズ。生島流の国産ハードボイルドと敷居の低い未来SF世界観との融合がなかなか楽しめる。できれば同じ主人公での長編作品の執筆、もしくは丸々一冊分~二冊目の連作短編集の刊行までシリーズを膨らませてほしかった気もするが、特殊な設定だけにすぐにマンネリか薄味になっていた可能性もある。そう考えるなら、この現状の全80ページ(その中で章割りして6つの事件)で終わらせて良かったかもしれない(万が一、自分が知らない、更なるシリーズ展開がもしあったらアレだが~汗~)。

 残念なのは、各作品の初出誌の書誌データがまったく記載されていないこと。こういう種類の短編集の作品群こそ、それぞれどういう出版社のどういう読者を対象にした雑誌に載ったのか、ソコが気になるのだが。

No.508 5点 ジェニー・ブライス事件- M・R・ラインハート 2019/03/21 02:31
(ネタバレなし)
 1912年。ピッツバーグのアレゲーニー川の下流周辺で下宿屋を営む「私」こと、エリザベス・マリー・ピットマン夫人(仮名)は、今年も恒例の洪水の災害に悩まされていた。そんなピットマン夫人は5年前、同じような洪水のさなかに起きた、下宿人の美人女優ジェニー・ブライスが行方不明となり、その殺人嫌疑がやはり間借り人のジェニーの夫フィリップ・ラドリーにかけられた事件のことを思い出す…。

 1913年のアメリカ作品。今年翻訳されたばかりの同じラインハートの新刊『大いなる過失』はまだ未読だが、そっちは解説込みで450ページ近くある大冊のようである。それに比べてこっちは巻末の訳者あとがきまで含めて全185ページ。しかも本文の級数が大きめな分1ページごとの文字数も少なそうで、もし二段組みのポケミスで出したらあのスピレインの『明日よ、さらば』より薄くなるんじゃないか、という感じである。

 とはいえ巻頭の解説(この時期の論創の翻訳ミステリは今と違って、巻頭に少なめの分量の解説「読書の栞」が付記されていた)を読むと本作は<殺人事件らしいがなかなか死体が見つからない><死体の発見後もそれが該当の人物か確認困難>という絞り込んだネタのパズラーらしい。だったら紙幅が短い分、焦点の定まった謎解き作品が期待できるかも…との思いで読んでみた。
 ちなみにこのレビュー内のあらすじで、主人公(物語の語り役)のピットマン夫人に「(仮名)」とついているのは、作品本文中で同人が本名ではないが、この物語の中では便宜的にその名を使う、という主旨のことを言っているからである。なんかこの辺のいきなりのメタ的なギミックの導入も、面白くなりそうだな、と思ったんだけど……。

 結果からいうと物語に起伏もなく、さしたるサプライズも用意されず、かといってそんな大きな創意があるわけでもなく、正直、ソコソコの出来。
 いや一応、当時の(あるいは19世紀の末からっぽい)ミステリらしいトリックも用意されているんだけど、これって作中のリアリティを考えると絶対に(中略)。
 大雑把に言えば、洪水、失踪、当人かどうか確定困難の死体、そして……といろんなネタを盛り合わせた作劇は悪くなかったんだけれど、演出で面白く見せられなかった印象。作品内の随所では、ミステリらしいワクワクは感じないでもないのだが。
 
 まあ、評者がこれまで読んできたラインハート作品にしても『黄色の間』みたいに結構イケるのもあれば『レティシア・カーベリーの事件簿』みたいにひたすら眠くなるものもあったから、この作者の著作は玉石混交っぽい面もある。それを考えれば本作はまあまあ、ではあった。

No.507 6点 女の顔- 新章文子 2019/03/20 23:28
(ネタバレなし)
「東洋映画」の専属女優で24歳の夏川薔子(しょうこ)は絶世の美貌を誇りながらも役者としては致命的なほどに演技力に欠け、東洋映画の主力監督で婚約者でもある倉敷保樹の手を煩わせていた。女優業からの引退を何度も考えながらも稀に演技や表現がうまくいった時の達成感と周囲の賛辞の味が忘れられない薔子は、転身する勇気も湧かなかった。映画製作の日程に空白期間を見出した薔子はカメラから逃げるようになじみの地・京都への旅路につき、そこで知り合った京大医学部のインターン・葉山努と肉体関係を結ぶ。今後の関係の継続を願う努を振り切って東京に帰る薔子だが、自宅で彼女を待っていたのは元女医であった実母・兼子の頓死の知らせだった。だが母の死の状況に不審を感じた薔子は…。

 ややこしい(今風に言うならめんどくさい、か)心情の主役ヒロイン像を主軸にした普通小説っぽい作りで開幕し、途中から殺人事件? フーダニットの謎? を追いかけるミステリっぽくなる。それでそれ以降は双方のジャンルを行ったりきたりするような、そんな感触の長編作品。まあ確かに広義のミステリの一冊ではあろうが、確実に謎解き作品またはサスペンスものの定石を外している。
 ただ読み物としては、この掴みどころのない感じの筋運びに妙な緊張感が見出せて、最後まで結構面白かった。
 今回は1984年の講談社文庫版で読んだけれど、巻末の解説は同時期の乱歩賞作家ということで多岐川恭が担当。その多岐川はくだんの1980年台前半の観点で、作者・新章文子の主人公・薔子の突き放した描き方がドライだと書いている。まあそれはそうなんだろうけど、21世紀の今読むと、自分の心のままに生きていこうと迷いながらも一歩一歩行動する薔子の描写って、当人の自由な心情をしっかり大事にされているようにも思えたよ。旧来の一般常識に照らせば相応に破天荒なヒロインではあるが、そういう意味では嫌いではなかった。
 といいつつ中盤以降の展開はかなりショッキングで、一体この作品どこへ行くのかと思ったが、まあ最後は……。後半の内容は半分許せて、半分認めたくない感じ。なかなか地味に刺激的な一冊であった。

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ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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