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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2036件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.456 8点 白昼の曲がり角- 島内透 2019/01/03 15:36
(ネタバレなし)
 東京オリンピックを目前に控えた1960年代。江戸橋に事務所を持つ私立探偵・北村樟一(しょういち)は、ある日、岩田という中年男に出合う。何となく胸襟を開き合う二人だったが、その岩田は何らかの罪科で3年間の服役を終えたばかりだった。その二日後、北村は岩田から仕事の依頼を持ちかけられるが、当初はその内容はまだ未詳であった。一方、北村の元には、東京の中央郵便局の私書箱を介した別の匿名の依頼人から、一人の少女の動向を半日だけ探ってほしいという、速達の文書での奇妙な依頼がある。後者の依頼には消極的な北村だったが、彼は結局は文面に指示されていた少女を尾行。北村はいくつかの予期せぬ事態を経て、思わぬ殺人事件に遭遇することになる……。

 1964年にカッパノベルスから刊行された書下ろし長編。中島河太郎の「推理小説事典」などによると、作者・島内透は、1960年に処女長編『悪との契約』でデビュー。1961年の長編第二作『白いめまい』が秀作として反響を呼び、出世作となった。ややマイナーながら国産ハードボイルドミステリ黎明期の歴史を少しでも探究すれば、すぐに名前が出てくる重要な作家の一人のはずである。
 それゆえ島内作品はそのうちいつか読んでおかなければと思いながら、例によって大昔から本を集めたまま、実際に著作を手にするのは今回が初めてだった(汗・この本も大昔に買ってあって、自宅内の存在すら忘れてた)。
 でもって、かの『白いめまい』も家のどっかにあるはずなれど、先に目についたこちらから読み始めたが……しまった! 本作の主人公の私立探偵・北村樟一は先にその『白いめまい』でデビューしており、こっちはその北村の事件簿の第二作だった(その後のシリーズの流れはまだよく知らない)。登場作品数がそんなに多くなさそうなら、順番に読みたかった。

 結局、まあいいや、と思って、そのまま読んでしまったが……うん、これは予想以上に秀作~傑作。『長いお別れ』風に開幕し、事件はロスマクっぽく人間関係の綾で錯綜、主人公の北村の冷えた行動とその裏にあるやさしさはマーロウみたい……と、頭の悪い物言い(汗)だが、わかりやすく言うとそんな話(笑)。
 しかし後半3分の1,読者に事件の奥をあえてわざと先読みさせながら、それでも二転三転させる展開、意外性の提示のし方など非常にスリリングである。作品の形質としてもミステリとしてこの事件と物語を語るなら必然的にハードボイルド私立探偵小説に行き着かねばならなかったというような説得力もあり、その辺の腰の据わった感じも素晴らしい。題名の「曲がり角」はそのまま人生の選択肢、岐路の含意だが、逆説的に、自らの意志で行動を選んでいるようで過去の呪縛から逃れられない切なさや苦さ、そしてその一方でそんなハードルを意識もせずに飛び越えてしまうある種の人間のしたたかさ、その双方に抜かりなく作者の視線は向けられている。
 本作の主題のひとつはそんな「曲がり角」そして北村と岩田の間の奇妙な? 友情だが、さらにもう一つ……できればこれは、カッパノベルス版裏表紙の解説(作者の思い)を実際に読んでほしい。確かに作者は「そのポイント」に力点を置いたんだろうなあ、という出来である。
 語られざる? 優秀作~傑作として自分だけが読んでいればいいや、という我が儘な思い(笑)と、文庫で復刊されて昭和ハードボイルドの名作として21世紀の新旧のミステリファンに広く知られてほしい、そんな願いが相半ばする作品。
 さて『白いめまい』はこれを上回るか? はたして、向こうが『本陣』、こっちが『獄門島』かもしれんけどな。

No.455 5点 死者の入江- カトリーヌ・アルレー 2019/01/02 02:28
(ネタバレなし)
 取り立てて美人ではないが悪い器量でもない処女のパリジャンヌ、アンドレは、社会的に成功した年の離れた男性で同じ名前のアンドレの熱烈な求婚を受けて結婚した。それから10年、今は夫から「アダ」の名で呼ばれる人妻アンドレ=アダは、いつしか精神に疲れを感じていた。アダは病院での治療を受けた後、夫の勧めで彼が購入したブルターニュの閑寂な別荘に赴き、夏の間、夫婦で静養することになる。だが仕事の関係で二日間だけパリに戻るという夫を見送ったアダだが、そんな彼女の周囲で怪事件が頻発する。

 1959年のフランス作品。『わらの女(藁の女)』に続くアルレーの長編第三作で、リアルタイムでは実質2~3日の物語。短いし、幕数の少ない舞台劇のように登場人物も多くない。どういう物語の構造かも当初から読めるし、中盤のサプライズでかえって読者の確信はさらに固まっていく。この辺を分かりきったオチと切って捨てるか、見え見えの話なのになかなか読ませるととるかで評価は変わるが、個人的には今回は後者。ラストのツイストも小粋で良い。いかにもフランスミステリっぽい小品で、水準作~佳作。

No.454 7点 スタイルズ荘の怪事件- アガサ・クリスティー 2019/01/01 20:15
(ネタバレなし)
 1920年作品。言うまでも無くポアロのデビュー作。
 大晦日~元旦の年越しなので、何か自分の読書歴的にもミステリ史的にもマイルストーンといえる一冊を……と思い、何十年も前に古本で購入したままだった1957年刊行のポケミス版を手に取った(その後、ブックオフでHM文庫版も買ってあるハズだが)。今のファンにはとても信じられないだろうが、これがソコソコ入手しにくい時期もあったんです(創元文庫版が70年代半ばに再版される前ね)。
 ちなみに初読である。これまで読まなかったのは、本作の最大の大ネタである犯人の○○○○○~というのをどっかで事前に教えられていて、興が薄かったため。

 おかげでやっぱり犯人は途中でバレてしまったが、毒薬に詳しいクリスティーらしい熱気ある叙述、意外に(でもないか……)しっかり書き込まれた法廷ミステリ的な興味、そしてのちの作者自身の代表作のひとつの原型的なトリック……と盛りだくさんである。 
 あと手紙の現物を掲載してそこに意味をもたせるギミックは、見方によってはホイートリー&リンクスの「捜査ファイル・ミステリー」シリーズの先駆だよね。
 ちなみにポケミスの解説では、都筑道夫がこの作品のトリック(前述の○○○○○~のことだろう)は今(昭和32年当時)ではメジャーになってしまったが、本作こそが先駆である、と声高に弁護している。厳密に本作以前の前例がないのかは未詳だが(『アクロイド』だってアレやアレがあるし)、もし事実なら確かに見事な創意だろう。演出がやや甘いところも感じるが、個人的には当時の時勢に戻って得点的に評価したい。
 クリスティ再読さんの、クリスティー作品をある程度読んでからの方が楽しめるというのには頗る共感。nukkamさんの高評も理解できる。

 勢い? というかノリで(中略)しちゃうヘイスティングスも、その彼から時々狂ったようになるんですと言われているポアロも愛おしい(笑)。あと本作でポアロが話題にしている、彼が動員したという十人の素人探偵。どういうキャラクターだったのだろうか。のちの事件簿に何人か登場していたような協力者たちが該当するのか。

No.453 7点 日曜日は埋葬しない- フレッド・カサック 2018/12/31 17:13
(ネタバレなし)
 今日初めて読み始めてそのまま読了。

 大昔に読んだ同じ作者の『殺人交叉点』は自分のミステリ遍歴での原体験のひとつで、同じような思いの人も多かろう。
 だからある意味で殿堂入りしてしまっているそっちと、今になってようやっと初めて読んだ本作との単純な比較はしにくいのだが、あえて言えば、実のところ、本作の方が面白かった気がする(笑)。
 Amazonなんかのレビューでは、21世紀の今では(中略)という人もいるのだが、自分の場合はここまできっちりした「フランスミステリ」になってるとは思ってなかったので(後略)。

 あとね、『殺人交叉点』に無くって本作にあるものは、物語の大設定を受けた人間への諦観。108頁以降、ストーリーの流れの上ではあそこの場面から物語が急転するツイストとして機能しているけど、そういう文芸というか人間観こそが本作の核をなす主題でもある。そしてさらにその上で、本作は結晶感の高い秀作ミステリだった。
 人間って本当に(ふたたび後略)。

■注:ポケミスの訳者あとがきは強烈なまでのネタバレ。絶対に! 読まないように。自分は助かりました(安堵)。

No.452 5点 ノアの箱舟殺人事件- 池田得太郎 2018/12/31 12:19
(ネタバレなし)
 1970年代の半ば。工業高校の英語教師で古代伝説のアマチュア研究家でもある磯村久雄(36歳)は休みを利用し、トルコに向かう。目的はノアの箱舟伝説で有名なアララト山への探訪だったが、現地で彼は自分によく似た顔の日系アメリカ人、ライアン・ハントと出合う。故あって磯村はライアンの素性に自分との運命的な奇縁を感じるが、そのライアンは何者かによってアララト山の麓の小屋で殺害された。だが被害者は、米国でなく当人の写真が貼られた別名のパキスタン政府発行のパスポートを所持していた。現地のイラン人運転手ナザル・シャーを協力者として契約し、ライアンの遺骨を届ける目的でアンカラのパキスタン大使館に向かう磯村。やがて彼の前には予想外の事件の構図が広がっていく。

 角川書店の「野性時代」1976年4月号に一挙掲載されたのち、加筆されて光文社のカッパ・ノベルスから刊行された長編。現時点でAmazonにも登録はないが、昭和51年10月20日初版。本文は約260頁。
 作者・池田得太郎は1958年に純文学畑でデビュー。処女作『家畜小屋』が三島由紀夫に絶賛されたが、本業はサラリーマン生活だったため作品数は多くない。しばらく沈黙したのち書かれた本作は「作家としての存在を賭けた野心作」(元版の裏表紙より)だったが、少なくともその後の著作はこの名義では刊行されていないようである。これがミステリとしても唯一の作品となる。なんか先日、ヤフオクの競りで妙に地味に盛り上がっていたようなので、気になって借りて読んでみた。

 文庫化もされていないマイナーな作品で、ネタ的にも当時のオカルトブームを背景にノアの箱舟伝説を主題にしたキワモノっぽいが、内容の方は前述のように筆力を秘めた作家の作品らしく、なかなか骨っぽさは感じる。冷戦終末期の時代を背景に、舞台となる中東諸国のエキゾチックな描写、ノアの箱舟伝説についての(たぶん当時としてはそれなりに書き込まれた)知見、そして武器あまりの東西の大国が旧式の武器を処分するため中東諸国に争いの火種を撒き、武器を売りつけようとする反吐の出そうな陰謀(なんかアンブラー風だ)などなど、物語の設定から広がっていく要素を縦横に取り込んでおり、その辺のまとまりの良さは達者。あとネタバレになるので書けないが、主人公の過去にもからむ現代文明レベルの大きな主題もある。
 この手の作品としては存外に登場人物が少なく、名前が出るキャラクターだけで15人弱。その分、話の流れは読者をあまり振り落とすこともなく読みやすいが、一方で作中のリアルとして少し偶然すぎる部分が目に付いたり、実はあの人が……のパターンがちょっと鼻についたりもする。
 ミステリ的にはこの作品タイトルの割にフーダニットの要素は薄いし、謎解き犯人捜しとしての興味で読むものでもない。ただいくつかのサプライズはちゃんと作者の計算的に設けられており、全体としては基本マジメな作風に退屈しなければそれなりに楽しめるかもしれない。作者の目線に基づく方向でのまとまりは感じる作品だが、ミステリとしての華がもうひとつ無いのは弱点。

No.451 5点 ローマの北へ急行せよ- ヘレン・マッキネス 2018/12/22 17:13
(ネタバレなし)
 1950年代。7月下旬のローマ。処女作の戯曲を大ヒットさせたものの、次作の構想に悩む29歳のアメリカ人新進作家ウイリアム・ラミター。彼の恋人エレノア・ハーレイはイタリアのアメリカ大使館の秘書官だったが、現在はイタリアの青年貴族ルイジ・ピロッタ伯爵に心変わりし、ついにはラミターを捨てて伯爵と婚約していた。くさる思いのラミターはその日の早朝、若いイタリア美人が路上で暴漢に襲われている現場にたまたま遭遇。彼女の危機を救った。ラミターに助けられた24歳の美人ロザーナ・ディ・フェオは後刻改めてラミターに感謝を述べ、そして思いがけない相談事を持ちかける。それはあのピロッタ伯爵に関わる重大な秘密と、その秘密の向こうに潜む国際的な謀略への対応だった。

 1958年のアメリカ作品。作者ヘレン・マッキネスは1930年代末から80年代まで活躍した当時の大物の女流エスピオナージュ作家。日本でも数作品が紹介されているが、この作品『ローマの北へ急行せよ』だけ、翻訳家があの梶龍雄のせいか古書価がべらぼうに高い。梶ファンにとって一種のコレクターズアイテムになっているのだろう。
 評者は大昔に、マッキネスの長編はどれだったか1~2冊くらい読んだ記憶があるが(もうその内容も、そもそもどの作品だったかも忘れているけど)、それなりに楽しめたような感触だけは覚えている。それで本作はまだ確実に未読のハズの一冊だったので、このたび気が向いて、借りて読んでみた。

 劇中で進行する国際謀略は、当時の冷戦時代を背景にした東側のとある大規模な計画。西側社会にもかなり影響のありそうな策謀なのだが、最初にこの情報を握った西側のスパイが一種のルーザー(落ちぶれて現在は二線級の人員)だったため、NATOの上層部は彼が持ってきた報告を不当に軽視。大局的に動いてくれず、仕方なく現場の有志情報員だけで対応することになり、その流れのなかで主人公ラミターも故あって協力を要請されるハメとなった。巻き込まれ型スパイ小説として、この設定はなかなか上手い。
 一方で女流作家マッキネスらしくロマンススリラーの味付けも万全で、元カノと新たに現れた美女スパイ、ふたりのヒロインに挟まれた主人公ラミター(まあ比重は××××の方に順当に傾いていくが)と、恋敵ピロッタ伯爵との対峙の構図にもちゃんと作劇上のポイントは置かれている。ラブロマンスエスピオナージュとしての仕上がりは、まあ納得といったところ(物語の序盤で元カレのラミターと婚約者のピロッタ伯爵が偶然に顔を合わせた際、この二人が自分の前では仲良くしてほしいと、さっそく都合のよいことを考えるエレノアの内面描写など、あー、達者な女流作家だな、という感じ)。

 邦訳書は全書判で本文230頁ちょっととやや薄めだが、二段組みで級数は小さめなため文字量はそれなりに多い。相応の枚数で挿し絵イラストが用意されているのは読みやすかった。本文とイラストの内容が必ずしも合致してないのはご愛敬。
 イタリアの名所探訪の興味を交えながらドラマの舞台をスピーディに切り替えていく筋運びは悪くないが、基本的に主人公側の追撃劇がやや一本調子で、ラミターと仲間たちを支援してくれる人々の立ち位置も潤滑すぎる辺りはいささか単調。つまらなくはないが、もうちょっといくつか仕掛けがあっても良かったかという思いも湧く。クライマックスを経てもう一幕あるのは結構だったが。

No.450 6点 切られた首- クリスチアナ・ブランド 2018/12/16 14:55
(ネタバレなし)
 何十年ぶりかの再読のはずだが、首切断の方法以外はほとんど忘れていたので、初読に近い気分で楽しめた。
 全部で200頁ちょっととブランドのなかでも薄めの方だし、初っぱなから事件が起きるのでサクサク読めるが、例によって中味は濃い。容疑者の枠を一度狭めておいてからまた……という筋の組み立てとか、後半になって堰を切ったように続々と思わぬところからも飛び出してくる推理の上書きとか、これこそ正にブランド。堪能しました。しかし唖然としたというか、いくら大昔に読んだとはいえ「俺はこのネタを忘れていたのか!?」と驚いたのは、本作の根幹を占める真相についての着想。これはほとんど、イカれた新本格ではないか(webの一部の評でバカミスっぽいといってるのも、まあ、わからなくもない。個人的には大歓迎だったが)。
 一方で冒頭から提出された大きな二つの謎の興味に対する笑っちゃうほどのファールぶりや、前述の首切断の「絶対にそんなにうまくいかないよ」といいたくなるようなハウダニットとか、素晴らしさの反面の妙なツッコミどころも満載。あとコックリルって、こんな名探偵キャラクターだったっけ? とちょっと違和感を覚えた。まあデビュー編だからね。
 評点は作者がブランドでなければ7点でいいけれど、今回はこのくらいにしておこう。まだ未読&再読予定でとってある数作に、もっと高い評点をあげられそうだから。

No.449 7点 ガールハンター- ミッキー・スピレイン 2018/12/14 12:40
(ネタバレなし)
 「おれ」こと、かつては凄腕の私立探偵だったマイク・ハマー。だがハマーはこの7年間、浮浪者同然の男に成り下がっていた。その原因は、7年前の事件で秘書で恋人の美女ヴェルダを失ったことにある。当時、富豪シヴァック夫婦の警護を依頼されたハマーは、主な護衛対象が夫人のローラの方であることから、私立探偵許可証も持っている「黒髪のワルキューレ」ヴェルダを護衛役に派遣した。だがローラは殺され、ヴェルダとローラの夫のルードルフは行方不明になり、二人もまた状況からおそらく殺されたと思われた。ヴェルダを失って心を荒ませたハマーは探偵稼業を破綻。今では拳銃許可証も取り上げられ、街頭で酒浸りの日々を送っていた。だがそんなある日、重傷を負った男リチー・コールがハマーを病床に呼び出し、ヴェルダは今も生きていると伝えた。

 アメリカの1962年作品。マイク・ハマーシリーズ第7弾。初期ハマーシリーズは1947年の『裁くのは俺だ』から1952年の『燃える接吻を』まで6本の長編が書かれたのち、10年間の休止期間に入る。この間はスピレイン自身も作家生活を休業していた(1961年作品『縄張りをわたすな』は昔の原稿の発掘らしい)。つまり本当に大雑把に言って、ここからがハマーシリーズの後期というか第二期になる。
 ちなみにAmazonでのレビューなどをちょっと覗くと、こんなクタクタのハマーなんからしくないという声が二つも並んでいるけれど、いや、長期シリーズもの、しかも行動派のキャラクターが途中でボロボロクタクタになるのなんて、シリーズの起伏としてのセオリーでしょ。平井和正のアダルトウルフガイだって、その趣向の『人狼戦線』なんか(個人的に)シリーズの最高傑作だし。しかも当時のハマーの10年ぶりの復活がこの設定。これはインパクトあるよ。だから本作はこれでいいのだ。

 そして本作の主題だが、これはもう、スピレインにとっても作中のハマーにとっても、そしてハマーシリーズをリアルタイムで読んだ多数の読者にとっても(おそらく)共通の観念『ああっ女神(ヴェルダ)さまっ』である。ベルダンディーじゃないよ、ヴェルダだよ。
 その喪失でハマーのアイデンティティを完膚なきまでに粉砕してしまう絶大なほどに重要なヒロイン、ヴェルダだが、ほぼ10年ぶりにハマーシリーズを再起動させるためには正に彼女の存在感そのものが必要だった。本作とこの続編『蛇』の二部作をもってヴェルダを追う目的と行動原理そのものこそが、ハマー復活のカンフル剤になる。いや実はもうすでに、シリーズ第5作『寂しい夜の出来事』でヴェルダが共産主義者の過激派に捕まって拷問され、激怒したハマーが二十人もの相手を瞬殺するあたりから、スピレインとハマーのヴェルダ崇拝ぶりはイカれ始めているので、ソレを思えばシリーズのターニングポイント編の本作でのキーパーソンになるのは、ヴェルダ以外にないんだよね。
 ちなみに『蛇』を経て1970年の第11長編『皆殺しの時』でもヴェルダってまだ処女だよ。スピレインの処女・聖女崇拝の念を仮託されているから。さすがに同作のなかでは「私たち、いつになったらひとつになれるの? マイク」とかなんとか言ってるが。まったくとんでもないキャラクター&ヒロインだ。
 さらに本作ではそのハマーが再起するための馬のニンジンとして向こうにぶら下げられた形のヴェルダだが、時代は正に行動派ヒーローミステリ界全体の趨勢が私立探偵小説から硬軟のスパイ小説に向かう流れ。従って国際謀略ミステリの興味も加味された本作では、作中のキーパーソンとなるヴェルダも、実は第二次世界大戦の時点からいろいろありました、実は世界規模の陰謀(中略)……と、いきなりとんでもない文芸設定をしょいこまされることになる。
 これって要するに、いかにヴェルダがハマーにとって大事かのみならず、この作品世界のなかでの大物なのか、女神様なのかの、強烈なプッシュなんだよね。この値のつり上げ方も、正直言ってクレイジー(笑)。

 今回初めてポケミス版で読んだけど(なぜか姉妹編の後編『蛇』の方は先に何十年も前に読んでいる~たぶん当時の気分を回顧すれば、俺もその頃、ヴェルダがしっかり……おっとこれ以上はネタバレになるので言えない)、もともとスピレインファンだったアトラス鏡明は本作『ガールハンター』をミステリ文庫版の方の解説でメチャクチャにけなしていると聞くし、さらに北上次郎も本作を「ヘンな作品」と言ってるらしい。どっちもうなずける評価だ。きわめてまっとう。とても健全な反応。
 ただね、スピレインがやりたいこと、ハマーとヴェルダの関係性のなかに求めたものを考えるなら、これはすんばらしく振り切ったケッサクなんだよ。自分としては、そう思った方が腑に落ちる。
 ヴェルダほど「大事にされた」ミステリシリーズのレギュラーヒロインもたぶんそうはいないでしょう。それこそかなりねじれた形だけど、ある種の清々しさを感じる。
 いや、ある意味でハマーシリーズの白眉といえる一作だろう(笑)。

【2021年4月28日追記】
 上記の文で、ヴェルダは『皆殺しの時』の時点でまだ処女、と書いたけれど、再読したら暗喩的な描写ながら、ハマーとのセックスシーンらしい叙述があって、あらら……と思った。やっぱ『蛇』の直後にひとつになった、のかしらん。

No.448 6点 ノックの音が- 星新一 2018/12/12 11:55
(ネタバレなし)
 どれもこれも最初の一行「ノックの音がした。」で始まるショートショート&短めの短編を15編集成した、変格的な連作短編集。
 もちろん各話の主人公や設定はバラバラだが、前述の同一の一行で物語が開幕することを作者が自らの創作上の縛りにした、そんな趣向の連作である。

 講談社文庫の石川喬司の解説によると、15編のうち14編は60年代の「サンデー毎日」に週一回のペースで連載され、最後に収録された『人形』のみ別の場に発表された同一の趣向の作品があわせて書籍化されたそうである。
 元版は1965年に毎日新聞社から刊行。

 明らかな一定のルールを己(または作中のスタイル)に課して連作短編を書き連ねていく趣向は、ミステリに限らず古来より文学・小説の分野に多くありそうな気もするが、では本作のように最初の一行が全部同じという極端な類似の具体例はというと、意外にないのではとも思う(当方の不見識だったら済みません。どなたかご存じでしたら、こんな作品もある、と掲示板などでご教示願えれば幸いです)。
 まあヨコジュンの大傑作『山田太郎十番勝負』などは、自宅にいる主人公側が毎回、受け身のなかで苦闘するという意味で、本書の後継者的作品といえるかもしれないが。

 それで前述の石川喬司も指摘していることだが、本作の個性はそのノックの音で訪問者が訪れるところからスタートする趣向の他に、星新一作品には珍しいほどに劇中人物の固有名詞がそれぞれ頻繁に設定されていること。石川の解説では、これは作者の本来のスタイルではなくやりにくかったろうとの見識を述べており、それにはまったく同感。
 とはいえその一方で、基本フォーマットがここまで共通の物語(まあそれを貫徹すること自体が本作の存在意義なれど)の場合、どうしても諸作が似通ってしまう部分もなきにしもあらずなので、固有名詞の導入という手法は各話の差別化の意味で、今回に限っては、良かった面もあるかもしれない。
 あと本作は「基本的に」非スーパーナチュラルのミステリ。人間関係の意外性や心理の綾で物語を紡いでおり、なかにはひとつふたつ、以前の星作品の変奏じゃないの? という感じのものもあるが、この辺も作品の個性といえばいえる。

 実験小説の面白さという見方で読んでもいいだろうし、少なくとも一生のうちに一度も読み終えずに通りすぎるには、ちょっともったいない感じの一冊ではある。

No.447 6点 プリンセス刑事- 喜多喜久 2018/12/12 00:09
(ネタバレなし)
 2000年以上の長きにわたって歴代の女王陛下に統治されている、もう一つの日本。都内の三鷹大学の周辺に、被害者の死体から血液を抜く謎の連続殺人鬼「ヴァンパイア」が出没していた。捜査に当たる三鷹警察署の青年刑事・芦原直斗は、ある日上司から同事件の捜査と並行して特別任務を命じられる。それは王位継承権第五位の高位にありながら、なぜか警視庁の警部補として捜査の前線に立つ若く可憐な王女・白桜院日奈子のパートナーとなることだった。
 
 文芸設定も表紙ジャケットのビジュアルもまったくふた昔前のラノベ風だが、webでの世評のとおり、どっちかというとライトノベルというよりはキャラクターものの警察小説っぽい。
 作者は漫画チックな設定と題材を必要以上におふざけに料理せず、基本的にマジメに向かい合って語っている(現実の一般人の皇室ミーハー的な視線をよく心得ながら、普段の描写に取り込んでいる)。
 ある動機から刑事に憧れて無辜の国民を守ろうとする主人公ヒロインのイノセントな真っ直ぐさも、そんな彼女とラブコメチックなナイト役を演じる男子主人公の献身ぶりもフツーに微笑ましい。これはこういうものとして、よく出来ている。
 ミステリ的には登場人物の整理が行き届きすぎてもうひとつ容疑者の幅が広がらず、どんでん返しの先に明かされる真犯人の正体に意外性が薄いのはナンだが、なぜ犯人が毎回の犯行で血を抜いたかのホワイダニットはちょっと面白い。ここが気に入る人は、ミステリとしてもそれなりに悪くない点をつけるだろう。
 魅力的なキャストと外さない演出スタッフを揃えれば、23時深夜枠の連続6回一時間TVドラマとかの原作にぴったりな作品。
 作者は続編を書く用意もあるようで、出たらまた読みます。

No.446 7点 支倉事件- 甲賀三郎 2018/12/10 20:42
(ネタバレなし)
 大正6年の初頭。当時36歳の宣教師・支倉喜平が、盗んだ聖書を売りさばいた容疑で捕まる。彼は日曜学校の教師である美人妻、静子や6歳の息子・太市と暮らしていたが、やがて放火や強姦などの余罪が判明し、さらに後者の被害者である女中の少女・小林貞子が3年前から行方不明であることまで明らかになる。支倉の周囲の証言から、神楽坂警察署の刑事たちは、先に見つかった身元不明の死体が支倉に殺された貞子のものだったのではないかと見当をつけるが……。

 現実の大正時代に起きた著名な事件「島倉儀平事件」に材を取った、警察小説+法廷ミステリ風の犯罪ドキュメントノベル。昭和2年の読売新聞に半年にわたって連載された。捜査側の主要人物の一人・庄司利喜太郎のモデルが、読売新聞&ロッキード事件で有名な実在の人物、正力松太郎ということでも一部の読者には有名なようである。

 評者は甲賀三郎の作品にそんなに詳しくないので、本書に関しては
①一応は代表作の長編のひとつであること
②犯罪&裁判実話風のドキュメントノベルであること
③甲賀三郎の作品の中ではどちらかといえば? 異端の系列に属すること
……くらいしか知らないのだが、①の点に関しては実際に本作は創元推理文庫の「日本探偵小説全集」を初めとしていくつかのミステリ叢書に作者の代表作として選抜されているようであり、そこからの興味でこのたび読んでみた(今回手にしたのは、くだんの創元推理文庫版~抜粋でもいいから当時の新聞の挿絵を再録してほしかったのに全くないのは残念)。
 
 それで実作の長編ミステリとしては平易な文体の上に会話もなかなか多く、さらに場面転換も頻繁なのでリーダビリティは好調。物語の主体は神楽坂署の捜査陣だが、随所に実質的な主人公である支倉や他の登場人物勢の動向の描写も適宜に配置され、古い作品ながらまったく退屈はしない。
 途中で登場人物側の思わぬしくじりがあったり、意外な形で劇中人物が退場したりするのもこれが作り物のフィクションなら演出過剰という感もあるが、もしかするとこれらの局面の流れはそれぞれ実話に沿ったものかなと勝手に思うなかで妙なリアリティを感じたりする。この辺の感覚は、こういう作品特有の味わいという思いで面白い。

 強烈なのは捕縛されてなお、最後まで自分の立場を訴えてあがき続ける支倉の執念で、物語後半の読みどころはここに尽きる。支倉の現実のモデルとなった島倉という人物に関しては、webで本当にざっとこの原典の事件の概要をうかがった限り、冤罪の可能性もとりざたされているようで、その意味では現在も無責任なことはいえないが、その上であえて一編の犯罪長編小説として読むのなら、支倉は国産ミステリ史上でも希に見る存在感の犯人キャラクターとして叙述されている。不遜な面に陥る愚に考慮しつつものを述べることをお許し願うなら、これはその辺りが価値の古典長編ミステリであろう。
 シーソーゲーム風……というのとは、ちょっと違うが、支倉の妄執を受けて延々と長引いた裁判の歳月の克明な記録の叙事も、後年の国産ミステリ界に直接・間接的に、少なからず影響を与えているのではないか、とも思う。

No.445 6点 反撃- ブライアン・ガーフィールド 2018/12/09 15:48
(ネタバレなし)
 弁護士エド・マールはある日偶然、マフィアの大物フランク・パスターの贈賄現場を目撃した。彼とほかの3人の公判での証言で、パスターは懲役8年の実刑を受ける。それからの8年間、アメリカ政府の証人保護政策によって新たな名前「フレッド・マシサン」と映画業界での職場を得て妻子とともに平穏な生活を送っていたマール(マシサン)だったが、パスターの釈放と同時にマフィアの報復が開始された。マシサンは家族や周囲の者を守るため、練熟の初老の私立探偵ジェイゴー・パースケースに協力を依頼。パースケースの腹心の教官ホーマー・サイデルに自らの鍛錬を願いつつ、不殺の誓いを念じながら窮地からの脱却を図るが。

 1977年のアメリ作品。先行の『ホップスコッチ』でMWA最優秀長編賞を受賞した作者ガーフィールドの長編。
 膨大な人員の敵集団を向こうにまわした逃走劇と反撃編といえばクーンツの『邪教集団トワイライトの追撃』ほかいくつかの例があるが、本作もそんなジャンルの一編。この手のものは主人公側と敵側との対峙にどう落としどころを見出すかが評価の大きなポイントとなる。
(個人的にこのジャンルの既読作品で、際限のないストレスを強いられる主人公の戦いの幕引きとして最もうまかったのは、クリストファー・フィッツサイモンズの『フィッシャーを殺せ』だった。)
 今回もその辺が読みどころだったが、決着のしかたはまあまあ、といったところ。途中の筋運びでも、それはいささか甘いんでないの、と思われる展開に流れそうになると作者の方も巧妙なタイミングで切り返してきたりして、その辺はなかなかよくできている。それとまだ初動段階だったのであろう時代の証人保護政策の雰囲気や現実的な問題点なども伝わってきて、そこら辺も結構、興味深い。

 あと、物語の大きなポイントとなるのが、主人公マシサンと彼を支援する探偵パースケースとの精神的なぶつかり合い。アマとプロ、故あってマジメに善悪の区分に執着する思いと、清濁を併せ呑み込んだ現実的な着地点を探る願い。特に後者の葛藤は、マシサンとパースケースそれぞれのなかでも立場を交錯させながら揺れ動く。この辺はなかなか読ませた。それと終盤の展開には(中略)。

 全体としては佳作~秀作。しかし21世紀のアメリカマフィアのお礼参りの実状はよく知らないが、完全撤廃されたわけでもないんだろうな。まあ暴力団規制法令の強化された21世紀の日本では、なかなかそのままは採用できない本作の設定だとは思うが。

No.444 5点 疑惑の渦- 左右田謙 2018/12/08 18:32
(ネタバレなし)
 その年の十月下旬。千葉県立D高校の三年生が修学旅行を楽しむさなか、学校が在する千葉の地元で、家庭科教師の鳥山安子が絞殺された。現場に残されていた万年筆の頭文字「M・K」から嫌疑は被害者の周辺で唯一そのイニシャルを持つ同僚の国語教師・釘本充に向けられるが、当人は三百人の生徒とともに修学旅行に同道していたという鉄壁のアリバイがあった。やがて被害者の周辺の状況が次第に明らかになり、所轄の木俣刑事、そしてD高校の三年生・宍倉次朗はそれぞれの捜査と調査を進めるが……。

 春陽文庫の1986年9月20日初版の版で読了。エピローグまでで本文は全286頁。次の頁が奥付。
 現状でAmazonにも登録されてない一冊だが、先に読んだ同じ作者の二冊がなかなか手応えがあったので、これもwebで存在を知って興味をもって、取り寄せて読んでみた(春陽文庫以前に、この作品の旧版・旧題版があるのかどうかは知らない)。

 作者おなじみの教育現場の周辺で事件が起きる謎解きパズラーだが、評者が先に読んだ二冊『狂人館の惨劇』(これは学校ものではないが)や『殺人ごっこ(県立S高校事件)』に比べて今回はちょっと不調。それぞれに独自のひねった工夫(少なくともそれらしきもの)があった両作に比べて、悪い意味で本当にフツーの昭和B級パズラーである。
 あえていえば本作の売りは、ある種の専門知識に拠った(中略)トリックのオリジナリティだろうが、今回は良くも悪くもそのネタが見つかったから、長編を一本書いちゃった、という感じが強い。
 犯行の動機とその背後の事情も終盤でいきなり明らかにされるが、そこでの犯人の心情吐露も、大声をあげることで事件そのものの立脚の弱さを糊塗しようという印象。あまりよろしくないね。
 まあ珍しい本だろうから、古本屋で安く出会えたら、購入することはお勧めする。

【2019年2月27日追記】
本日、1978年4月に幻影城ノベルズから出た書下ろし長編『疑惑の渦』が元版で、春陽堂文庫の『一本の万年筆ー県立D高校殺人事件ー』はその改題版だと判明しました。元版は結構、古書店などに出回ってるので、大して珍しい作品じゃなかったですね(汗・涙)。

No.443 5点 血染めの鍵- エドガー・ウォーレス 2018/12/08 13:39
(ネタバレなし)
 きわどい噂も囁かれる60歳代の実業家ジェシー・トラスミア。彼は以前の仕事仲間らしい男ウェリントン・ブラウンの来訪を警戒していた。そんなトラスミアが自分の屋敷内の特別仕様の密室内で殺される。トラスミアの甥で「ベイブ」ことレックス・パーシヴァル・ランダーと友人である、新聞紙「メガフォン」の青年記者「タブ」ことサマーズ・ホランド。彼は事件を独自に追うが、やがて事態はタブの思い人である美人女優ウルスラ・アードファージにも関わってきた。

 1923年のイギリス作品。もちろん2018年の論創社の新訳で読了。
 密室殺人から連続殺人事件へと波及するフーダニットの要素もあるが、純粋な謎解きというよりは劇中人物の動的なドラマで読者の興味を繋ぐ長編スリラーの趣も強い。どうせダミーだろうとわかってる関係者の追っかけに延々と付き合わされる中盤はややたるいが、後半、ある主要キャラの意外な過去がわかってからはちょっと面白くなる。
 肝心の密室トリックは21世紀の今となっては手垢のついたものだが、横井司氏の詳細な解説(今回はとても読み応えがある)によると本作が嚆矢かもしれないらしい? ちなみに横井氏は密室を作る理由の必然性がちゃんと語られていることを相応に評価されているようだが、個人的にはそれほど騒ぐほどのこともない。
 あえて謎解きミステリとして読むならば、某主要キャラが事件の深部に関わるかなり重要な事実をなぜか秘匿しておいたことが終盤に判明し、この辺はちょっとアレである。犯人の意外性も(中略)。ただし娯楽読みもののストーリーとしてはラストの方でなかなか際だった趣向があり、そういえばウォーレスって<あの作品>の作者でもあるんだよな、とハタと膝を打つ。その辺はまあ本作の魅力といえる。大正時代の海外ミステリとしては佳作クラスか。
 ちなみにトラスミアの隣家の主人で、ノリの良いサブキャラのストット氏はなかなか魅力的な人物造形だった。こういうキャラクターを自然にビビッドに描けたのが、たぶんウォーレスの当時の人気の秘訣のひとつであろう。

■余談:クラシック発掘という意味では本当に感謝甚大の論創海外ミステリだが、かねてより編集レベルは必ずしもそれに見合ったものではない。
 今回も助詞レベルで何カ所か脱字があるほか、259ページ目の12行目でAという人物がBという相手に電話をかけようとしている場面なのに、いつのまにかBの方が受話器を握っている地の文になっている。もっとマジメに校閲してほしい。

No.442 6点 マラソン・マン- ウィリアム・ゴールドマン 2018/12/07 01:44
(ネタバレなし)
 オクスフォード大学を卒業し、現在はコロンビア大学の大学院で社会歴史学を探求する25歳の青年「ベーブ」こと、トーマス・バピントン・リーヴィ。彼は学者として大成すると同時に、好きなマラソンでも優れた成果を上げることを目標とする。そんなベーブには、赤狩りの時代に同じ分野の学者だった父が汚名を着せられ、自殺に追い込まれた悲劇の過去があった。異性関係はとぼしいベーブだが、ある日、図書館で美人看護師のエルザ・オペルと対面。二人は関係を深めていく。その頃、アメリカの某所では、秘密機関の謎の工作員「シラ」が血臭漂う闘争を続けていた。

 1974年のアメリカ作品。ダスティン・ホフマン主演の映画版で一般には有名な作品だが、評者はそちらはまだ未見。原作の方は今回、思い立って数十年ぶりの再読となる。
 実は(中略)というキャラクターの配置や、中盤から明らかになる(中略)などの大ネタ、それにクロージングの感触などはさすがにしっかり覚えていたが、読み直してみると、あれ、こんな話だっけ? という部分も相応に多かった。
 物語の前半、主人公ベーブの叙述と並行して、もう一人の主人公格といえる暗殺者だか工作員だかの荒事師シラの描写が断続。さらに別の場面に転換してまた違うキャラクターの動きも挿入される。全体の構造が見えないながら、やがてこれらの物語のパーツがまとまっていくんだろうなという牽引力は確実にあり、そこらへんはまあ良く出来ている。実際、面白い。

 ただまあ再読して思ったのは、良くも悪くも半ば以降の物語というか事件の構造が存外なまでにシンプルなことで、ここまで曲のないストーリーだったのか、と虚を突かれた。
 もちろん小説の細部としては、そこだけが特化して有名になってしまった(中略)による拷問シーンや、実在の名ランナーたちのイメージに導かれながらベーブが市街を疾走する場面、さらに序盤から登場の脇役の気の利いた活躍など、いくつかの印象に残るポイントはある。が、軸の部分の簡素さは……まあ、こういう作品だったんだよなあ、という感じであった。結局、物語の後半は大きなツイストで勝負に出る作品ではなかった、ということだから、それ自体に文句を言うのは不適かもしれないが。

 あと、改めて読むと、主人公ベーブの後半の戦いの動機がいまひとつ染みてこない。家族との絆、自身の怒り、あまりに多くの人命を軽んじた巨敵への義憤、それらもろもろの情念がないまぜになった反撃なのはわかるのだが、ラスボスに向けての物言いなど、きいたふうなセリフがかえって興を削ぐ。個人的にはウィリアム・ディールの『27』のクライマックスのような、主人公のどうにもやり場のない憎悪、強烈な復讐の念の向こうに、裾野の広い義憤が見えてくる、あんな種類の感覚をここでも味わいたかった。

 まあ素で読めば悪くない一冊なんだけどね。昔読んだ際の好感触が、記憶の思い入れのなかで膨れ上がりすぎたところはある。

No.441 4点 無事に返してほしければ- 白河三兎 2018/11/29 12:33
(ネタバレなし)
 レストランのオーナーシェフである日野拓真は、二年前に巻き込まれた水難事故で当時6歳の息子・啓太を失った。啓太の死体は見つからず、拓真の妻、令子は平常心を失いながら今も息子の生存を信じていた。そんな中、何者かから、現在の啓太を預かっていると、身代金要求の電話がかかってくる。
 
 いくつかの仕掛けを設けた誘拐もの。評者は白河作品は2014年の『総理大臣暗殺クラブ』以降はリアルタイムで読んでいて、その中には同作『総理大臣~』や『小人の巣』『ふたえ』『他に好きな人がいるから』などの傑作・秀作も多かった。いま名前を挙げた作品はどれも大好き&好印象である。
 そんなこれまで読んできた諸作は、切なさときわどさの向こうに独特の情感が潜む青春ミステリ(&ヒューマンドラマ)が基調で、今回はそれとはちょっと違う感じだった(本作でもそれらの先行作群に通じる部分はあるのだが)。
 だけれど、う~ん……。

 作品全体のある種の構造を含めて、複数の工夫を盛り込んであるのはよくわかるのだが、全般的にこなれの悪さが気になる出来である。第二章の(中略)を誘導するメイントリックは警察の鑑識レベルなら不審をもたれるのでは? という印象だし、第四章のギミックも最初から違和感バリバリでネタが見え見えでしょう。森田拳次の『丸出だめ夫』みたいな地口ギャグの世界か。
 特に「これはちょっと……」と思ったのは、読者をひっかけるために作者が悪い意味で神の視点に立っちゃった叙述で、結局、第四章の……(後略)。
 最終部分のクロージングも、こうしたかったんだろうなあ、という狙いは理解できるつもりだけれど……すまん、今回はいろいろと気になる部分がありすぎて、もうひとつ心に響いてこない。
 また次回作に期待します。

No.440 6点 怪盗ニック全仕事(5)- エドワード・D・ホック 2018/11/28 03:44
(ネタバレなし)
 本シリーズは1、2巻は既読も多いので後回しにして、第3巻から読んでる。
 以下は本書第5巻に収録の全14話、その各編について簡単に寸評&メモ書き。

「クリスマス・ストッキングを盗め」
……伏線の張り方と意外な真相の向こうのキャラクタードラマとあわせて、まとまりの良い一編。本シリーズのスタンダード編的な面白さを感じる。
「マネキン人形のウィッグを盗め」
……話の広がり方は印象的だが、依頼人がニックに盗みを願い出た理由は少し強引な気が。
「ビンゴ・カードを盗め」
……図版入りの一編。依頼人の盗みの動機は(ホックの創意的に)安易だが、ビンゴゲームについての知識(トリヴィア)の面では、お勉強になる話。
「レオポルド警部のバッジを盗め」
……クロスオーバーのイベント(ファンサービス)編。巻末で訳者が語るとおり全46ページと本書の中でも長めの一本だが、趣向の楽しさもあって、あっという間に読了する。
「幸運の葉巻を盗め」
……これも盗みの動機はちょっと……だが、謎解き作品としてのごくさりげない手がかりは、良い意味でホックらしい。ゲストヒロインのエンバーがなかなか魅力的。最終巻に収録されるエピソードで再登場しないかと期待。
「吠える牧羊犬を盗め」
……盗みの動機は、とても納得できるもの。しかしそれだけに、先が読めてしまうのが難。ただしソレだけでは終らないよう、もうひとつサプライズを用意しているのはさすが。
「サンタの付けひげを盗め」
……ゲストキャラの関わり合いが印象的な一編。本書のなかでも良く出来ている一本だろう。
「禿げた男の櫛を盗め」
……ローカル色満開の一編。濃いめの人間関係のなかでのミステリ&キャラクタードラマが読む側に腹応えを感じさせる。
「消印を押した切手を盗め」
……序盤からニック以上に主役っぽいゲストキャラが、出てくる話。シリーズのなかでちょっと変化球っぽいことをしてみたかったホックの気分がうかがえる。ダイイングメッセージの真相は、う~む。なんというか。
「二十九分の時間を盗め」
……以前のゲストキャラ再登場編。派手な活劇要素と謎解きの興味の組み合わせはなかなかだが、(中略)の細工は、初めて手にする種類のものもあるんだし、いくらなんでも、その数をその時間内ではムリでしょ。
「蛇使いの籠を盗め」
……序盤がサンドラの視点で始まり、彼女のピンチにニックが助っ人に来る回。いろいろとぶっとんだ話で、良くも悪くも記憶に残る。
「細工された選挙ポスターを盗め」
……盗みを依頼する事情の向こうに事件の謎解きが潜む正統派の一編。ただこれも、高いお金を払ってニックに盗ませなくても……と、疑問が浮かぶ種類の一編でもある。
「錆びた金属栞を盗め」
……全体的にシンプルな話。これこそ、ニックの盗みがそもそも必要だったのか? と思える点では、本書の中でも随一かもしれない。
「偽の怪盗ニックを盗め」
……真犯人は登場人物の少なさもあって見え見えだが、最後に明かされる意外な動機にはちょっとオドロキ。伏線の張り方は、ああ、ホックらしいな、という感慨でいっぱい。
 
 今回は平均すれば安定した一冊で、その中にいくつかチェンジアップの変化球が混じった感じ。本シリーズは次回で完結だそうだが、まだまだ創元でのホックのシリーズ短編集企画はきっと続くであろう。(というか、是非やってほしい。)
 本命はレオポルドもの。対抗でランドだよね。

No.439 5点 キー・クラブ- カーター・ブラウン 2018/11/26 13:41
(ネタバレなし)
「おれ」ことハリウッドの私立探偵リック・ホルマンは、実業家カーター・スタントンの依頼を受ける。スタントンは「プレイボーイ」の亜流雑誌「サルタン・マガジン」の発行と、その関連企画の男性専用クラブ「ハーレム・クラブ」の経営で一山当てた男だ。だがそのスタントンの自宅の中に「お前はひと月内に死ぬ」という死の予告状が、何者かの手によって二回も置かれていた。調査を始めたホルマンは、スタントンの周囲の人間たちを洗うが、やがてクラブの女性コンパニオン「天女」の一人だった娘シャーリー・セバスチアンが、馘首されたのちに自殺していたという事実が浮かび上がってくる。
 
 原書(英語版?)は1962年の作品。アル・ウィーラー、ダニー・ボイドに続く三人目のカーター・ブラウンのレギュラー男性ヒーロー、リック・ホルマンものの第二弾。当初ポケミスでは本作が、原書でのシリーズ第一作として紹介されたが、実際にはホルマンものの別長編『ゼルダ』の方が先らしい(最近のwebなどのデータベースが正しければ)。
 ちなみに『ゼルダ』は膨大な数のポケミスの中でも<ある理由>ゆえに稀少なトンデモナイ一冊である。その理由はここでは書く訳にはいかないので、興味あったら自分で読んで呆れてください。しばらく前に読んだ時は、最後まで目を通してもう一度冒頭からページをめくって、ポカーンとなった。
 評者は大昔にアル・ウィーラーもの、ダニー・ボイドものはほとんど読んじゃって(といっても大方の作品の内容は忘れているが)、ほとんど手つかずの翻訳がある長めのシリーズはこのホルマンものくらい(メイヴィス・セドリッツものは半分くらい消化?)だが、なんか本シリーズは先の二系列(ウィーラー&ボイド)と雰囲気が違う。いやウン十年前の記憶と比較してもアテにならないが、もうちょっとお遊びやお笑い要素が薄めの、フツーの軽ハードボイルドというか。たぶんウィーラーのアナベル・ジャクスンとか、ボイドのフラン嬢とかのレギュラーヒロインがいないせいもあるだろう。(といいつつ本作も、ホルマンが事件の最中に急にパンティを落とした女性に遭遇し、エロコメディ風になるくだりもあるが。)

 本書はミステリ的にはそんなに奥行きのある謎解きじゃないけれど(それでも真相の反転劇などは用意されている)、成り上がり者のスタントンに対して微妙な歩幅を保つホルマンの描写とか、同じくホルマンと暗黒街の大物との駆け引き(災禍に遭いそうな女性を守るため)とか、きちんとハードボイルド私立探偵ミステリとしての描写も守られていて、その辺はいい。お笑いコメディハードボイルドというよりは、まっとうな、B級の私立探偵小説っぽい。

 ただし矢野徹の訳文は丁寧すぎて、ホルマンのワイズクラックをイマイチこなれの良いギャグにできてなかったね。二回読み返して、ああ、そういう意味ね、というジョークがいくつかあった。カーター・ブラウンの訳者なら田中小実昌か山下諭一が基本、というのは、大方の世代人ファンの一致するところだと思うけれど、こないだ読んだ『雷神』とか、他の人の翻訳でそんなに悪くないのもあるし。その辺は柔軟に読んでいきたい。読み返していきたい。

No.438 7点 鵺の鳴く夜が明けるまで- door 2018/11/24 10:23
(ネタバレなし)
 本サイトでのお二方のレビューを読んで手に取ったが、いや、とても面白かった。ラノベ仕様の読みやすさが作品の風格を損ねている面もあるが、中味そのものは直球の技巧派・謎解き・フーダニットパズラーである。
 真相を知ってからいくつかの気になる箇所を見返したが、なるほど……巧妙にそのへんは(中略)。これ以上は書きません。

 感じ入ったのは、あの林泰広の『見えない精霊』をも思わせる、作品全体を築き上げた工芸・結晶的なミステリ愛。これって都筑道夫が『黄色い部屋はいかに改装されたか』で述べた、「(中略)は先例があるものでも、手のかけ方をみてくれ」というモダーンディテクティブ論の実践だろう。

 まあ、某十戒とかを作中で話題にする、というかこだわるあたりの感覚の古さ(これは解決には関係ない)はナンだけど、もしかすると本当はもっと作者はあれこれミステリマニア的な蘊蓄を盛り込みたかったところ、あえて読者目線の意識でセーブして、その辺がすべってしまった感じもしないでもない。
 主人公のヒロインが<推理小説の初版本>という記号的な言葉に喜ぶのもオタクの描写としてヘンだよねえ。(たとえばこれが『獄門島』の初版とか『刺青殺人事件』の初版とか、英米の『緋色の研究』の揃いとか、具体的な作品の元版・初版をあげるのならまだわかるのだが。)

 いずれにしろ、こんな力作を書いて世の中の反応が薄い(本サイトで先にレビューされたお二人はさすがである)んじゃ、作者ももう二冊目はなかなか書かないだろうなあ。こっちの勝手な予想が裏切られてくれればいいけど。

※2019年4月21日追記:自分が最初にレビューを書いた時点ではメルカトルさんの他に確かだれかもうひとりレビューを投稿されてた人がいたんだけど、その後、何らかの事由で削除されてしまったようです。今後本作のレビューを続けて読まれた人がいたとして、このレビューの文章の記述に違和感が生じるかも? と思われるのでその旨、補足しておきます。

No.437 7点 骨と髪- レオ・ブルース 2018/11/23 19:41
(ネタバレなし)
 マクロイの『月明かりの男』を思わせる<目撃者の証言ごとに食い違う、該当人物の姿>という謎。そのケレン味で読ませる一冊。一方で大きな事件がなかなか起きない分、やや緩慢な感触もあるが、愛すべき変人や妙にいい人とかが続々と登場してきて、読み手を飽きさせない小説作りのうまさは感じる。
 事件の解明のために自宅に押しかけてきたキャロラス・ディーンに戦死した息子の面影を見て、捜査に協力してくれるハムベル老夫妻。名探偵を脇から支える市井のゲストキャラとして、とても味わい深い描写である。

 人をくった事件の真相というか大ネタは、19世紀末の某名作短編作品にインスパイアされて、それを膨らませたという感じもするけれど、別のアイデアとの組み合わせでなかなか面白く見せている。
 キャロラス・ディーンものって、まだまだ未訳がいっぱいあるんだよね。どんどん紹介してほしい。

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