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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.866 5点 黒い死- アントニー・ギルバート 2020/06/10 03:10
(ネタバレなし)
 第二次大戦を経た1950年代はじめの英国。第一次大戦での英雄だったエドワード(テディ)・レイン元大尉は、今は安宿「エリスン・マンション」12号室で暮らす56歳の孤独な麻薬中毒者になっていた。テディの収入源は二つ。ひとつは裏の世界に通じた薬剤師モォレルの麻薬売買を手伝うこと。もうひとつは知己や新聞などで見つけた相手の過去の秘密をネタに恐喝することであった。金に困ったテディはある日、現在恐喝中の四人の男女を同時に自室に呼び出し、その四人に一斉に金の無心を行う。だがこの状況は、テディにとって思わぬ事態を招き入れた。

 1953年の英国作品。恐喝者が被恐喝者の連携(?)によって反撃をくらい、やがてフーダニットになだれ込む(さらにまた後半にもミステリとしての趣向が用意されている)という筋立ては、確かにどこかクリスティーっぽい感じで面白かった。
 
 それで評者はまだギルバート作品は『灯火管制』しか読んでないんだけれど、そこではちょっとテクニカルな技巧を使っていたので、今回ももしかしたらこの辺はミスディレクションじゃないかしらとか、この辺の曖昧さは何らかの仕掛けじゃないだろうか、とかあれこれ考えながら読む。そういう作業はちょっと楽しかった。

 とはいえ(中略)が少ないくせに、これで最後に読者を驚かそうと不遜なコトを作者が考えているんなら、もう真犯人はあいつしかないよね、と思って、まんまと当たった。
 残念ながら今回も結局は『灯火管制』みたいな悪い意味での一回ヒネリみたいな感じ。
 ただまあ、その後のエピローグはちょっと気が利いてはいる。
 どうも全体的に不器用な感じなんだけれど、読者へのサービス精神みたいなのと、それを支える作者のミステリ愛のような感触は悪くはないです。

No.865 8点 悪魔とベン・フランクリン- シオドー・マシスン 2020/06/10 02:34
(ネタバレなし)
 1734年のアメリカ。植民地ペンシルヴァニア州の首都フィラデルフィアで、28歳のベンジャミン(ベン)・フランクリンは新時代の文化人となるべく地元紙「ガゼット」の編集と発行に励んでいた。彼は市民有志からなる文化サークル「同志会」に所属し、町の若き名士でもあった。そんなベンは、富豪で土地の実力者コリン・マグナス老人によるマグナス家の家族への封建的で横暴な振る舞いが目にあまり、自分の新聞に批判記事を掲載する。だがこれに怒ったマグナスは自分は神と悪魔の力に通じていると豪語し、ベンに必ずや悪魔の断罪が下るだろうと宣告した。やがてベンの周囲で殺人事件が発生。しかもその周囲には、悪魔の出現を思わせる割れたひづめの跡が残されていた。

 1961年のアメリカ作品。
 同じ作者シオドア(シオドー)・マシスンの『名探偵群像』は、ぜひとももう一度しっかり読み直したい短編集のひとつだが、本が家の中のどこにいったか見つからない。
 どうせなら現在の創元社で『名探偵ジョン・バリモア』とかの未収録分までを追加収録した新装・新訳版を出してくれないだろうか。

 それで本書はズバリその『名探偵群像』の長編バージョンみたいな内容で、気分的には小学生時代に図書館で借りて読んだ歴史上の偉人の伝記ジュブナイル、あの雰囲気を思い起こして実に楽しかった。
 サタニズムや魔女狩り騒ぎなど欧州からの迷信を引きずったまま新天地に来てしまった18世紀当時の移民たちの文化レベルもストーリーに絶妙に融合。カーの時代もののB級クラス、それにクイーンの『ガラスの村』みたいなスモールヴィルものの枠のなかでの連続殺人事件(フーダニット)劇が存分に楽しめる。
 登場人物ではフランクリンを囲む「同志会」の面々や、キーパーソンとなるコリン・マグナス老人の家族たちが丁寧に描きこまれ、終盤、フランクリンが暴徒に立ち向かう山場ではそこに至るまでのキャラクター描写の積み重ねが十二分に活きてくる。加速していくテンションの高まりは問答無用に面白い。
 中盤の展開は冗長という声もあるが、良い呼吸で次の事件がおこったり、ドラマ的な見せ場が用意されていたりで、個人的にはまったく退屈しなかった。 

 ミステリとしてはいくつもそれなりに丁寧に伏線を張ってある一方、良くも悪くも話を盛り上げるために、作中のリアルとして「?」となってしまうところが数ポイント。その辺はフツーだったら文句を言って減点の対象になるところなんだけれど、まあいいじゃないの、読み手の方でなんか屁理屈をつけて弁護してあげましょう、という気分になる。つまりそれくらいパワフルで楽しめた(笑)。
 マシスンがこの路線の長編をこれ一本しか書かなかったのは惜しまれるな。まあ生涯に長編作品はこれだけ? だったからこそ、これだけ剛球の一本を書けたのかもしれんけど。
 いつだったかのミステリマガジンで歴代ポケミス特集をしていたとき、誰かがコレを「ポケミスでしか読めない翻訳ミステリ」のマイベスト3に選んでいたよね。強くうなずける。

No.864 6点 ハードボイルドの雑学- 事典・ガイド 2020/06/07 03:46
(ネタバレなし)
 1986年5月にグラフ社から全書判サイズで刊行。同社の叢書「グラフ社雑学シリーズ」の一冊で、小鷹信光が本文の95%くらいを著述。一部の記事を木村二郎、宮脇孝雄、池上冬樹といういかにもな三氏が協力執筆している。

 帯には「ついに登場! ハードボイルド小百科/ビギナーには花も実もある入門書! したたかな読者には一味違う情報ファイル!」とあり、本文の内容は
・第一章 ハードボイルド小説ファン必携
・第二章 私立探偵紳士録
・第三章 ハードボイルド旅行案内
・第四章 ハードボイルド商品カタログ
・第五章 ハードボイルド犯人追跡
・第六章 ハードボイルド雑学の「雑学」
 の6パートで(大別して)構成。

 第一章は、ハードボイルドミステリの定義、文学史、現実とフィクションの相関、主要作家と関連雑誌などの記述で、ここをしっかり読むだけでもかなりの学習・復習にはなる
(国産ハードボイルドミステリの名作リストに一部間違いがあるのは惜しいが)。
 第三章は著者自身の訪米記をからめた、各作品の物語の場の探訪(いわゆる名所巡り)、第四章は銃器や衣装(トレンチコートとかソフト帽とか)やクルマなど。第五章が作中での探偵たちの捜査やそのあとの司法処理などにちなんだ実例(ミステリ内の)の網羅。
 最後の章がハードボイルドミステリ映画そのほかのア・ラ・カルト記事になっている。
 
 細部での情報のわずかな誤記を別にすれば、広くそれなりに浅くなくよくまとめた、トリヴィア読み物記事本という感じで十分に楽しめる。ただし本書の刊行以降に日本で発掘邦訳された作品(たとえばポール・ケインの『裏切りの街』などは何度か話題になるが、この時点ではまだ未訳扱い)や、その後、改めて注目度の高まった作家(トンプスンとか)などもあるので、21世紀の現代に読むなら受け手側のその辺の若干のアップトゥーデートは必要か。

 ちなみにライオネル・ホワイトの既訳作品という主旨で『メリウェザー事件簿』という聞いたことのない題名がいきなり出てきたので「え?」となったが、これは結局、角川で刊行されている『ある死刑囚のファイル』のこと(主要キャラの名前がメリウェザー夫妻)。こーゆーのはカンベンしてくれ。まだこちらの知らない既訳作品がどっかのマイナーな版元から出てたのか?! と思わず期待してしまったではないか(笑・涙)。

 あと、終盤に掲載の「『マルタの鷹』クイズ」を読んで、サム・スペードの作品世界とコンチネンタル・オプの世界が公式(?)にリンクしていると教えられて、愕然とした。この本で一番驚いたのはコレ! こーゆーことをいいトシになっても知らなかったとは、評者もまだまだ修行が足りない(汗)。

 まあ、総体的には、いろいろ楽しい本ではある。とにもかくにも全体的にお喋り本で、軽めなのは良かれ、悪しかれ(?)ではあるのだけど。

No.863 6点 修羅の向う側 志田司郎探偵事務所- 生島治郎 2020/06/07 02:47
(ネタバレなし)
 1999年12月に刊行のトクマ・ノベルズ。
 もう何冊目かわからない、私立探偵・志田司郎の事件簿(連作短編集)で、今回は8本の短編を収録。各編30~40頁の読みやすい紙幅で、ほとんどの内容が例によって暴力団からみ。悪質な組織から善良な市民を守ったり、ヤクザ内部の揉め事を鎮静化したり、裏の世界から足抜けしたい極道を支援したり、それなりに事件のバラエティには事欠かない。

 今回もミステリの謎解き以外の、人間関係の機微で勝負するお仕事連作みたいな味わいがあって、これはこれで楽しめる。20世紀終盤の都内を舞台にした捕物帖(そんなに読んでいる訳ではないが)みたいな感触だ。もしかしたらメグレシリーズにも通じる、人生の修理人的な趣も……といったらホメすぎか? 

 なお警察を退職して15年という志田司郎のキャラ設定はほぼ固定だと思うが、最後の話「チンピラのピラ」などは『追いつめる』以降の志田司郎主役の長編の後日譚のようである。志田ものの長編はその『追いつめる』しか読んでないから、具体的にどの長編かはわからないけれど。まだまだこのシリーズには未読の長短篇があるから、少しずつ読んでいけば、いずれ、ここで話題にされた過去の事件の情報も見えてくるんだろうな。楽しみである。

No.862 6点 検屍官- パトリシア・コーンウェル 2020/06/07 02:19
(ネタバレなし)
 私的に90年代と00年代の東西ミステリの素養が薄いので、タマにはその辺の話題作も読もうと思い、部屋の本の山の中から出てきた未読のこれを手に取った。
 奥付を見ると初版からほぼ一年目に刊行された第13刷。250円との古本屋の値段鉛筆書きがあるので、たぶん100円均一にならない20世紀のうちにいずこかの古書店で買っていたのだろう。もう、どこで入手したかの記憶は、全くないが。

 でもって感想としてはフツーにまあまあ面白かったけれど、人物一覧の某キャラの「容疑者性格分析官」って今でいうプロファイラーのこと? プロファイリングが一般用語化する直前の時代の作品だったのだな。さらにそれ以上に1990年前後のコンピューター環境の描写が当時はこんなもんだったのか、と、今となっては、ちょっと新鮮であった。

 リーダビリティーはおそろしく高いが、中盤であるキャラに傾けられた疑惑の着地点についてはやや微妙。まあある意味では、かなりリアルかもしれない。
 連続レイプ殺人において「なぜ彼女たちが選別されて狙われたのか」の謎を、一種のミッシングリンク的な興味に掲げてくるのは悪くなかった。その真相に向かう布石の張り方もなかなかウマイかとも思う。
 しかしこれ、シリーズが全部で24冊もあるのか(汗)。シリーズ途中の作品のつまみ食いは、やりにくそうな感じだなあ。どうしましょう(大汗)。

No.861 8点 傷痕の街- 生島治郎 2020/06/05 03:26
(ネタバレなし)
 元日本海軍・潜水艇の艇長で、戦後は横浜で貨物船相手のシップ・チャンドラー(航海中に必要となる食料や雑貨を船舶に調達する業者)会社を営む「私」こと久須見健三。彼は朝鮮戦争特需で横浜が賑わう中、悪質な同業者の恨みを買い、左足を膝下から失う重傷を負った。それから約10年後の1962年。戦争特需も去った横浜界隈には閑古鳥が鳴き、現在は39歳になった久須見は自分の会社「アッカー・トレイディング・カンパニィ」の金策に追われる。そんな中、戦時中の昵懇の部下で今は会社の専務を務める稲垣が、金融の当てができたと告げた。金融先は、久須見なじみのバー「どりあん」の美人マダム・井関斐那子の父で、高利貸しの井関卓也。井関は久須見が必要とする100万単位の金を用立てるが、期限までに返せなければ「アッカー~」を事実上、自分の傘下に置く約束をさせた。とにもかくにも当面の金策がついた久須見だが、その時、会社に、稲垣の妻・千代を誘拐したと称する者から、久須見が井関から借りたばかりの現金を要求する電話があった。

 言うまでもないが、早川書房の編集者を経て作家生活をスタートさせた生島治郎の処女長編。
 その昔、雑誌「幻影城」で、当時の各大学のミステリサークルが持ち回りで近況を語ったり、各組織ごとの国産ベストミステリを披露したりする連載コーナーがあった。その連載の何回目かで本作を「(当時までの)オールタイム国産ベスト10」のひとつに選んだサークルがあり、そのセレクトに添えられたコメント「生島治郎といえば代表作は一般には『追いつめる』だが、むしろこの作品や『男たちのブルース』の方が彼のセンチメンタル・ハードボイルドとしての持ち味がしっかり出ているのではないか(大意)」がとても印象に残った。
 それで評者は『男たちのブルース』の方は20年くらい前にすでに読んでいる(大好きな一冊になった)が、本書は読むのが惜しいまま、例によってずっと寝かし続けていた。いや、もしかしたら、その「幻影城」の記事に、原体験的に洗脳されたのかもしれんけど(苦笑)。
 それで評者がもともと購入していたのは1974年の講談社の文庫版だが、これが家の中でまたどっかに行ってしまい(汗)、今から数年前、行きつけのブックオフで1990年に新刊行された集英社文庫版を見つけて改めて購入。
 今回ようやく初めて読んだのは、この集英社文庫版である(なお現状で、この集英社版は本サイトに登録されてない)。

 その集英社文庫の巻末には北上次郎によるオマージュたっぷりの解説を掲載。それを読むと、もともと本作は早川書房の編集者時代に生島が担当した叢書「日本ミステリ・シリーズ」(『ゴメスの名はゴメス』『翳ある墓標』『風は故郷に向う』とか)に新世代の作家による国産ハードボイルドをいれたかったのだが、当時は適当な作家が存在しなくてその願いが叶わなかった、そんな無念の思いも踏まえながら、生島自身が2年後に講談社からこの作品を刊行したそうである。地味にドラマチックな話で、正にミステリ編集者の立場から書き手に新生した当時の生島の飛躍の具現ともいえる一作だった。
(……と言いつつ、前述の「日本ミステリ・シリーズ」でも河野典生の『群青』辺りは、和製新世代ハードボイルドといってもいいような気もするが……。北上次郎的には『群青』は「青春ミステリ」または「非行少年もの」カテゴリーになるのか?)

 なお以下のパラグラフは、あくまでハードボイルドミステリ全般についての評者の勝手でおせっかいなお喋りと思って笑覧願いたいが、評者は<正統派ハードボイルドミステリ(特にシリーズ探偵もの)とフーダニットの要素は実にくいあわせが悪い>と思っている。
 というのは、ハードボイルドミステリの定石のひとつは、事件を介して心にダメージを負い、そこからまた克己していつもの日常に戻る、あるいは次の事件に備える主人公探偵の軌跡の物語である。しかしそこで主人公にもっとも強烈な精神ダメージを与えるには、その主人公にとって特に大事な人間<恋人・親友・恩人そのほか>が実は……というパターンこそがなにより効果的だからだ。実際にハードボイルドミステリの名作といわれる<あの作品>も<かの作品>も……(以下略)。これではサプライズ感あるフーダニットなど、やりにくいことこの上ない。
 だからこそ(逆説になるが)、半ばカメラ・アイ的な視座で隣人の家庭の悲劇を覗き込むリュウ・アーチャーや、軽ハードボイルド作品として毎回の事件でメンタル的に傷を負う責任の軽いマイケル・シェーン(愛妻と死別した彼は別の部分で人生に大きな傷を負っているが)などの諸作群が総じてフーダニットの要素も強いミステリとして楽しめるのは、実はこのためである。その辺りの私立探偵たちは人物配置の上で、主人公と犯人とのそういった種類の関係性が必ずしも必要とされないから(?)。これはもう、正統派ハードボイルドミステリの構造的な弱点みたいなものなんだけどね。

 それで本作『傷痕の街』がそういう見地から実際にどうだかは、ここではもちろん書かないし、決して言うつもりもない。が、この処女作に当時、相当の精力をつぎ込んだであろう生島の「正統派ハードボイルドミステリ」へのアプローチは結構~かなり深い。早川書房の翻訳ミステリ編集部という苗床のなかで数年間にわたって感性を磨いてきた創作者だからこそ、当時ここまで高められたとは思う。
(具体的には第六章の前半辺りの叙述。ほとんど、数年後のフランシスの某作品だよね。)
 作中のリアリティとして、21世紀の今では絶対に通用しないミステリ的な部分もあるが、それはここで文句を言っても仕方ない。
(そういう意味では、旧作は得だな。)

『追いつめる』のあまりにフォーミュラー的な端正さがいまだもって馴染めない評者(まあ再読したらまた見方は変わるかもしれないが。実際にのちの連作短編シリーズを読んでいて今ではかなり志田司郎が好きになってるし)にとっても、確かにこっちの方がいい。もっとも『男たちのブルース』はこれに負けず劣らず大好きだが(笑)。
 評点は0.5点オマケ。

【余談その1】
本作では久須見の部下の社員で阿南(あなみ)敬介という男が登場。結構、印象的な脇役だけど、初登場シーンでは「敬介」の名前が集英社文庫版の116~117ページでは「亮介」になっている。誤植か?
(しかし「敬介」だの「亮(介)」だの……仮面ライダーX?)

【余談その2】
集英社文庫版の107ページで、久須見健三は『七人の刑事』の芦田伸介に似ていると言われる。これを読んでニヤリとした。というのも芦田は本作ではなく、前述の生島の代表作のひとつ『男たちのブルース』のテレビドラマ版で、主人公・泉一を演じていたので。Wikipediaにも現状で書かれていない情報だけどね。たぶん1960年代半ばのテレビドラマ。テレビ埼玉で1980年前後に再放送があり、終盤の回をちらりと見かけた記憶がある。その時はまだ原作も読んでなかったし、途中から観るのもナンだったのでそのうちまた再放送するだろと呑気に構えてスルーしたら、その後ウン十年、CSですらオンエアの機会がない(大泣)。当時、一応は家にビデオがあったので(生テープは高価だったが)、一本くらい録画しておけば良かったとつくづく後悔している。
 数年前にCSで『ゴメスの名はゴメス』の旧作ドラマ版が発掘されたみたいに、コレもどっかで見つけて放映してくれんかしら。『非常のライセンス』とかと合わせて「生島アワー」とか謳って企画プログラムを組めばいいのだ。

No.860 6点 告訴せず- 松本清張 2020/06/04 15:27
(ネタバレなし)
 大衆食堂の主人で46歳の木谷省吾は、義弟で選挙運動中の保守系議員・大井芳太が政党の中央から託された選挙資金用の裏金3000万円を盗んで蒸発した。口うるさい妻・春子と子供を残しての失踪だが後悔はなく、裏金だから大井や政党が警察に訴えられないのも承知だった。ただ警戒すべきは、大井の腹心の選挙屋で暴力団とも縁がある光岡寅太郎だった。光岡の追跡を逃れながら「山田一夫」の名で温泉旅館に泊まった木谷は、無為に過ごしていればこの3000万円を数年間で使い切ってしまうと目算。この金を元手に何か儲けたいと思うが、その一方で、旅館の二十代末の肉感的な女中のお篠と男女の仲になる。その篠からこの近所に、的中率の高い「太占(ふとまに)」を行う神社があると聞かされて。

 1973年1月12日号から同年11月30日号にかけて「週刊朝日」に連載された作品。
 最初の書籍元版は、1974年2月の光文社カッパ・ノベルス。

 中盤の内容は完全に、小豆相場を主題にした相場師小説で、後半はその株で得た利益を元手に木谷が当時流行のモーテル経営に乗り出す。
 かなりの部分が普通の中間小説みたいな筋立てで、21世紀の今となっては昭和時代劇に触れるような隔世の感もあるが、その一方で物語には勢いがあり、文春文庫版でおよそ400ページを一晩で読んでしまった。この辺はさすが清張、手慣れた一作である。
 そういう内容というか方向の作品なので、終盤に向かって次第に転調してゆくあたりのさじ加減がミステリとしてはミソだったが、良くも悪くも円熟の創作技術(当人にとってはすでに手癖に近い感覚だったかも?)でまとめてこなしたような感触も強い。
 フツーに楽しめるけれど、たぶん清張としては(A~D段階の出来の分類があるとして)B~Cクラスであろう。
 この時代の都市銀行の預金者への対応がまだまだ甘かったことなどは、昭和の風俗として再確認できる。
 その年に新刊で読んでいれば7点はあげられたろうけれど、清張の著作の一冊としてはこの評点でいいかな。いや、それなりに面白いけどね。

No.859 7点 棺のない死体- クレイトン・ロースン 2020/06/03 16:57
(ネタバレなし)
「ぼく」こと「ニューヨーク・イブニング・プレス」の若手新聞記者ロス・ハートは、アメリカの軍需工業界の大物ダドリ・T・ウルフを取材し、その一人娘ケースリン(ケイ)と恋仲になった。娘と若造記者の恋愛を認めないウルフは自宅に来たロスを追い返すが、その夜、ウルフの邸宅に謎の怪紳士「スミス」が来訪し、何らかのネタでウルフを脅迫する。激昂したウルフはスミスを過失で死なせてしまい、邸宅に来ていた医学博士シドニイ・ハガートや秘書のアルバート・ダニングに協力させてその死体を森の中に埋めた。だが間もなく、ウルフ邸のなかにそのスミスのものと思われる幽霊? が出没。やがて起きた殺人は、その幽霊の実態「死なない男」の仕業なのか?

 1942年のアメリカ作品。
 ロースンの短編は邦訳されたものはショートショートを含めて全部読んでるハズだが、長編を読むのは実はこれが初めて。だってロースンの長編って「ややこしい」「筋が込み入ってわかりにくい」とか、思わず二の足を踏んでしまうような悪評ばっかなんだもの。
 というわけで本来ならマーリニー(本書ではこの名前で日本語表記)の長編第一弾『帽子から飛び出した死』から入るべきなんだろうけれど、一番外連味が強そうに思えたコレを最初に。不死の男の殺人!? 聞くからに王道で面白そうでないの(笑)。
 
 でまあ前半はメチャクチャ快調です。大昔に短編で会ったこともある? ハズのロス・ハートってこんなキャラだっけ!? と思うくらいに、まるでアーチー・グッドウィンのドタバタラブコメミステリ風だし。
 その一方でウルフ邸で起きる小中規模の事件の積み重ねが、次第に非日常的なオカルトミステリ&不可能犯罪の世界に転じていく流れもハイテンションでもうたまらん。
 あとどうでもいいけれど、マーリニーの会話での一人称が「おれ(一部で「わし」)」なのには軽くびっくりした。
(ただし田中西二郎の訳文はあまりよくない。昔、小林信彦が「すごく読みやすい」とホメていた記憶があるが、今の目で見るとかなり雑である。あと、これは翻訳のせいではなく編集の手抜きと思うが、フリント警部補の名前がフリトンになったり、いくつか誤植も目立つ。)

 とはいえ後半、あーあ、やっぱりこうなるかという感じで、真相の解明の複雑さはかなりシンドイ。正直、ついていくのがやっと。これは空さんのレビューの気分がよくわかる。カーの長編の影響? もさることながら、凶器の隠し方についてはあの(中略)のかの作品もインスパイアの元に?
 あと、こういう作品だから仕方ないとはいえ、マーリニーのオカルトや奇術の歴史についてのペダントリーも楽しいような煩わしいような、いささか微妙。ホントーはもっと作家の作風・個性としてこの辺りを楽しむべきかもしれんけど。

 というわけでロースンの長編はやっぱウワサ通りのロースンの長編だった、という感じであった(笑)。ただまあこの猥雑さが味といえる一面もあるような気もするので、一概に否定はできない。最後の二転三転する真相への肉迫も、作者の十分なミステリ愛を感じるしかないし。
 それゆえ評点は0.5点くらいオマケ。

 しかし、とりあえずロースンの長編をコレから読んだこと自体はチョイスとしては悪くなかったとは思うけれど、次はどれを読めばいいのであろう。そのセレクトそのものもしばらく楽しもう(笑)。

No.858 7点 殺人の色彩- ジュリアン・シモンズ 2020/06/03 15:56
(ネタバレなし)
 1950年代のイギリス。「ベイリングス・デパート」のクレーム処理係で20代後半のジョン・ウィルキンズは、2歳年上の妻メイ、近所に住む母親メリー、メリーと同居するジョンの叔父ダン・ハントンたちと平凡な日々を送っていた。だがそんなジョンを悩ますのは彼自身に瞬間的に生じる癇癪と、さらにより重症な短期の健忘症であった。ジョンはその年の四月、図書館で働く娘シェイラ・モートンと出会い、妻帯者であることを隠して彼女をデートに誘う。しかしこれが、のちにジョンが殺人容疑をかけられて法廷に立つ事件の開幕であった。

 1957年の英国作品。石川喬司の「極楽の鬼」の書評の中のある記述に気を惹かれ、昔からメチャクチャ読みたかった作品。とはいえ古書価が高めだったのでガマンしていたが、Amazonでこないだ少し値下がりしたのですぐに注文。届いたらその日から読み出し、実質一日で読了してしまった。
 物語は三つのパートで構成。第一部「事件以前」と第二部「事件以後」で本文のほぼ大半を為し、最後のエピローグ「結末」で(以下略)。

 内容についてはあんまり書かない方がいい種類のサスペンス作品だし、法廷ミステリだが、個人的にはシモンズのこれまでの最高傑作と思っていた『二月三十一日』に匹敵するかいいところまで勝負を挑めるくらいに面白かった。今回もマーガレット・ミラー的な食感を感じさせる幕切れである。
 ただしあまりに強烈な『二月三十一日』のラストと違い、今回は最後の真相が(丁寧な伏線のおかげで)ある程度は読めてしまう面もあるので、その辺りは減点。その一方で小説としては『二月三十一日』よりもずっと読み応えがあった。

 しかし『犯罪の進行』とあわせて、この数年に読んだシモンズ作品で面白くなかったものはひとつも無いんだけれど、前述の「極楽の鬼」での石川喬司の物言いは(本作をかなり褒めながらも)「シモンズはしょせんは眼高手低の二流作家」なのね。
 評者の場合、本書を読んで、いやそんなことはないだろ、当たり外れは多少あるにせよ、シモンズはまぎれもない20世紀後半の英国ミステリ界のA級実作者だよと改めて実感したが、そうしたらTwitterで、あの川出正樹氏が2012年に
「『二月三十一日』『殺人の色彩』『犯罪の進行』『月曜日には絞首刑』『自分を殺した男』『クリミナル・コメディ』、どれも今読んで面白く眼高手低などとんでもない言いがかりだ。ちゃんと通読すれば解るけれど『ブラディ・マーダー』も単純な探偵小説排斥論の書ではない」
と喝破してるのを見つけて、大いに意を強くした(笑)。
 少なくとも石川喬司のシモンズへの物言いには、確実に問題があるよ。

 ちなみに本書ポケミスの裏表紙のあらすじだけど、記述の後半部分は実際の内容と似たようなことを書きながらかなりデタラメです。
 事件の起きる直前の経緯も違うし、殺人方法も裏表紙に書かれているような刺殺ではない。R・S・プラザーの『消された女』の裏表紙同様のいいかげんさ。
 本書巻末の解説でも『二月三十一日』を『二月十三日』と記述してあるし、責任者は署名「N」……つまり長島良三あたりか?

No.857 6点 伯爵夫人の宝石- ヘンリー・スレッサー 2020/06/03 14:59
(ネタバレなし)
『うまい犯罪、しゃれた殺人』『ママに捧げる犯罪』『夫と妻に捧げる犯罪』の短編集3冊でその軽妙洒脱なストーリーテリングと語り口に酔い痴れ、さらに『ヒッチコッック劇場』の再放送で、スレッサーは本当にオモシロイ! と実感した昔日。O・H・レスリーやジェイ・ストリート名義のものまで含めて上記の短編集3冊に入っていない邦訳短編を追い求め、日本版「ヒッチコックマガジン」や「宝石」「別冊宝石」でスレッサーの短編に出会える(「手長姫」とか)と、心の中で快哉を上げたものだった。
(のちに藤子・F先生をはじめとしてトキワ荘の面々もスレッサーを愛読していたのを聞いて、そうでしょう、そうでしょうと得心がいった。藤子・F短編、特に『エスパー魔美』とかのストーリーの組み立て方には、スレッサーに通じるものがある。)

 本書は日本でオリジナルに編纂されたスレッサーの短編集で、非シリーズものの短編集としては上記の3冊に続けて4冊目(1999年に光文社文庫から刊行)。
 全17本の短編が収録されているが、執筆時期は1970年代末~1990年代のものがほとんど(一本だけ1964年の旧作を収録)2002年に物故したスレッサーの作家生活のなかでは後期に書かれた作品群といっていいだろう。
 本書で初訳というものは一本もなく、ほとんどのものは雑誌「EQ」で一度読んでいる。そのために読んでいてオチを思い出すもの、当初から覚えているもの、最後になってああ……と思うものなど、印象はバラバラ。

 正直、この時期のスレッサーは作品の全般に小説的な贅肉がつきすぎた感じもあって、切れ味は最初に書いた短編集3冊のものに比べておおむねイマイチではある。
 あと、お話の流れとしては、順当にオチ・サゲを用意するあまりに真っ当で正当的なショート・ストーリーの作りが、なぜか古く見えてしまう感覚もある。たぶんこの辺は、勝手に書かれた時代を頭にいれながら読み過ぎる評者のワガママであろう。
 実のところ、そういった「スレッサー自身は基本的には昔ながらの彼らしい作りをしているはず(多少筆がゆるくなった感じはあるにせよ)」なのに「どっか時代と乖離している」違和感は1980年代に「EQ」を読んでいる頃からなんとなくあり、そのためこの第四短編集『伯爵夫人の宝石』もなんとなく買わずにいたのだが、数年前に近所のブックオフの100円棚で発見。一応は買っておくかぐらいの気分で購入して、少し前からチビチビ読みはじめ、つい一昨日読み終えた。
 でまあ、総体的な印象はこれまで書いてきたようなちょっと面倒でややこしい所感とあまり変わらないのだけれど、一方で期待値があんまり高くないところから入ったためか、それなりに(思ったよりも)楽しめた面もある。
 もしかしたらオレみたいなおっさんファンがあーだこーだ言わず、ビギナーの翻訳ミステリファンが手にしたらかなり楽しめる一冊なのかもしれない。
 
 万が一、この本がスレッサー短編集とのファースト・コンタクトでけっこう面白い、と思えた方がいたら、上記の短編集3冊を少しずつ読み進めることをオススメします。きっとかなり幸福な読書体験が待っている……と思う。 

No.856 7点 殺人をしてみますか?- ハリイ・オルズカー 2020/05/30 17:55
(ネタバレなし)
 アメリカ国内で大人気のテレビクイズ番組「ビッグ・クェスチョン」。この番組は問題の難易度は高いが高額の賞金が用意される。連続正解の回答者は、不正解の場合はこれまでの賞金が減額されるペナルティを覚悟してさらに難問に挑むか、あるいは現状の賞金を確保したまま途中で棄権するか、の二択権利が与えられていた。そして現在、16万ドルの賞金の次の難問に挑むか降りるか、カンザス州出身の回答者フィリップ(フィル)・エクリッジの選択を、無数の視聴者と番組スタッフが熱い視線で見守る。だがそのエクリッジが次の本番収録で表意をする直前、何者かに殺される。「ぼく」こと「ビッグ・クェスチョン」を製作するテレビ会社「ユナイテッド・ブロードキャステシング」の広告スタッフ、ピート・ブランドはこの騒ぎの中に否応なく巻き込まれていくが……。

 1958年のアメリカ作品。
 テレビ番組製作の裏面を題材にした業界風俗ミステリで軽パズラーだが、主人公ブランドの独白をふくめて会話がべらぼうに多く、さらに翻訳は名訳者・森郁夫。リーダビリティーは桁外れに高い。ブランドと美人秘書セアラとのラブコメ模様も好調で、読んでいるうちは本当に快感……というより「オレはなぜ、こんなオモシロイものを、本の現物(HM文庫版を新刊で購入。当時のレシートも挟んであった)を買ってからウン十年も放置していたんだろう……」といささか暗澹たる気分にさえなった(笑・涙)。
 
 というわけで作品の雰囲気は、ほかにクセのある対抗作品がなければそのままその年の乱歩賞をとれそうな<業界もの>であるが、50年代のテレビ文化には隔世の驚きもあれば、21世紀の今にも通じる普遍性もあってそのカオスぶりがとにかく楽しい。
 「ビッグ・クェスチョン」の番組形態は、まんましばらく前までみのもんた司会で放送されていた我が国の現実の番組「クイズ・ミリオネア」だが、きっとどちらも、そのモデルとなった昔からの番組があったのであろう。なお賞金の高額ぶりは、HM文庫版の解説でも少し触れられているが、いかにも70~80年代に(我が国の場合)公正取引委員会が干渉してくる前の時代の設定だな、正に。21世紀は不景気&合理化の世相だから、こんな番組はめっきり無くなったような。そもそもテレビに力がない。

 ミステリとしては後半の二転三転でそれなりに楽しめるし、さる事情からアマチュア探偵として内心で奮起する主人公ブランドの描写もいい。ただし本当のメイン探偵はフェルダー警部と当初から読者にもほぼお約束で見え見えなので(なんかシリーズが進行してからの一部のポアロの事件簿みたいな作りだ)、その辺はよろしいような、いや、これはこれで……(以下略)。

 真犯人は話の流れのポジション的には意外? ではあるんだけれど、とにかくこの作品では(中略)からだいたい読めてしまうんだよね。その意味では(前言をひっくり返すことになるが)意外性は薄いかも。ただまあ、作者のミステリ愛みたいなものは感じられて、キライにはなれない。

 途中の本当にハイテンポな時には8点あげてもいいかな、とおもったが、さすがにそこまではいかなかった。とはいえ十分に愛せる作品ではある。

※……最後にひとつだけ苦言。
  被害者エクリッジは31歳と記述されている(HM文庫版31ページ)のだが、その奥さん(最後までフルネーム不明)はのちに夫と同年代で45歳くらいと描写されている(同195ページ)。
 今後の再版や電子化の機会などには、確認の上で適宜に直しておいてください。

No.855 7点 彼の名は死- フレドリック・ブラウン 2020/05/28 08:23
(ネタバレなし)
 カリフォルニア州のサンタ・モニカ。印刷店に勤める若い美人の未亡人ジョイス・デュガンは、店の主人ダリュウス・コンの指示で、彼の留守中に来訪してきた客、クロード・アトキンスに90ドルを渡す。コンは昨夜、クロードと互いに合意の上でそれぞれが使っている中古車を交換したが、クロードの車の方がやや状態が良かったので、評価額の差額90ドルを払う約束らしい。ジョイスは小切手で支払うように指示されていたが、クロードはたまたま彼女と旧知の間柄だった。その彼ができれば現金が欲しいというので、ジョイスは店の奥にあった新券の紙幣10ドルを9枚、自分の判断で渡してしまう。だがそんなちょっとした独自の判断が……。

 1954年のアメリカ作品。
 蔵書の中から出てきた創元文庫版で読んだが、旧クライム・クラブ版も持っていたかもしれない。後者の方が植草甚一の解説も載っているのだろうから、そっちで読んだ方が良かったかも(まあその気になれば植草の解説は、『雨降りだから~』でも読めるんだろうけれど)。

 ここまで完全な倒叙……というよりはクライム・サスペンスとは思わなかった。
 犯罪の露見を警戒して早めに次の手を打っていくかなり慎重な主人公だが、各局面での判断はそれぞれ「それって考えすぎ?」あるいは「神経質すぎじゃ?」と思いたくなる段階に踏み込む一歩手前の連続という感じで、言いかえれば「ここで先手をうっておこう」という思考にそれなりの説得力がある。その辺は犯罪そのものに、当たり前に慣れていく人の心のヤバさもしっかり書き込んだブラウンの筆力の賜物でもあるが。

 かなりテンポの良い作品で、3時間であっというまに読めるが、ラストは……ああ、そういうオチね。
 大昔に、同世代のミステリファンと会話を交わして、このフレドリック・ブラウンの別作品『3・1・2とノックせよ』のラストのオチを相手が激賞。しかし当方はあのオチは(中略)だと思って、今でも大したことはない、と考えているんだけれど、この作品『彼の名は死』の方は、筋立ての流れとしては同作に通じる部分がある感じながら(こう書いてもネタバレにはなってないと思うが)割合、うまく決めた印象はある。
 まあ21世紀の今、国内の技巧派作家がこういう作品を書いてもそんなに目立たないとも思うけれど、当時としては割と切れ味のよい一品だったんじゃないかしらん。
 旧クライムクラブの柱にはまかりまちがってもならないだろうけれど、叢書全体のレベルの底上げに貢献した一作だったとは思うよ。

 最後に余談。創元文庫版の206ページに、登場人物の口を借りて、あのヒルデガード・ウィザースの名前(訳文では「ヒルダガード~」と表記だが)がいきなり出てきて、ぶっとびながらウレシクなった。もしかしたら、同世代の都会派軽量パズラーみたいな親近感で意識してたのかもしれないね。
 評点は0.5点オマケ。

No.854 5点 声優密室殺人事件- 幾瀬勝彬 2020/05/27 19:54
(ネタバレなし)
 その年の12月4日。荻窪のアパート「荻花荘(てきかそう)」の一室で、独り暮らしの25歳の女優かつ声優・松本三七子が死亡する。状況からガス中毒の事故死と公的には判断されたが、当人が幼少時から禁忌としていた北枕で死亡していたこと、さらには他の細かい事実から事故死や自殺ではなく、殺人ではとの疑いが持ち上がった。この謎に向かい合うのは、同じ推理小説新人賞に応募するミステリマニア有志で結成された「推理実験室」の男女6人だが。

 作者・幾瀬勝彬は、知る人ぞ知る昭和B級パズラーの書き手。
 第四(?)長編の『死のマークはX』(1973年)だったかその次の『殺しのVマーク』(1976年)だったが当時のミステリマガジンの書評で「デタラメ」な内容よばわりされたのに反発して抗議文を送ったものの、その書評氏から翌月か翌翌月かの号で作中の辻褄の合わない点を箇条書きにされ、返り討ちにあったのを記憶している(汗)。

 結局、パズラー作家としては大成せず、半ダースほどのミステリの著作を出したのち戦記系列の作家に転向したはずだが、今となってはこういう昭和のマイナーミステリ作家に妙な愛着を覚える面もあり(評者自身はこれまで、大昔にそのくだんの『X』だか『V』だかの一冊を読んだだけのはずだが)、ふと思いついて、比較的古書価の安いこの一冊を注文で買って読んでみる。しかし先のレビューのお二人、キビシイですな(笑・汗)。

 で、実際に読んでみると、まあ良くも悪くも本当に先に書いたとおり、額面通りの昭和B級パズラーという感じ。
 サークル推理実験室のメンバーそれぞれが各自の着眼点から事件の細かいポイントにこだわり、調査を進行。やがては該当の事件を事故死で済ませてしまった担当の刑事までを引き込んでいく流れは悪くはない。中盤まではそれなりに楽しく読めた。
 
 途中で、21世紀の今なら、出版社や編集部がコンプライアンスを気にかけてまず作家にそうは書かせないだろうな、というアレな描写が出てくるのにはちょっと鼻白んだ。だが一方で、そういったある種のがさつさみたいなのも、なんかこの作者っぽい。
 でもって複合的なトリックのひとつひとつがしょぼいのは確かにホメられたことではないんだけれど、妙なポジションで用意された「犯人の意外性」など、なんか心に引っかからないでもない。
 結論としては、個人的にはまあそんなにダメダメというほどでもないです。こういう作品にたまに付き合ってもいいよね、ぐらいの軽い親しみは覚えた。
 またいつかこの作者の作品は、そんなに期待をこめないで読むでしょう。

No.853 6点 殺人シナリオ- ハリー・カーニッツ 2020/05/25 20:52
(ネタバレなし)
 百万長者の女スザンと結婚した悪党ウィラード・モーレーは、相棒ロニー・シャイアズと組んで、妻を辻強盗事件に見せかけて謀殺。直後に妻殺しの罪状をシャイアズひとりに被せて口封じし、まんまと亡き妻の巨額の財産を手に入れた。多くの者がモーレーに疑惑の目を向けたが証拠は上がらない。やがて歳月が過ぎ、アメリカの「コンティネンタル映画」会社は、英国の新進女流作家シェリ・グレーの原作小説にもとづく新作スリラー大作映画『黒い天鵞絨(ビロード)』を製作中だった。ところが完成直前にこの原作小説そして映画の内容が、実際に起きたスザン殺害事件をモデルにしたもので、しかも犯人を噂のとおりに夫モーレーに相応する人物と断定していたことが判明する。疑惑を受けながらも有罪になった訳でもないモーレーとその代理人の弁護士たちがこの映画の内容を知れば、名誉毀損で莫大な慰謝料を請求してくるのは必至。コンティネンタル映画のニューヨーク支社の支配人マイケル・ズォーンは、さる目的があって訪米していたシェリに接触を図って善後策を図る。だが事態が紛糾するなかで、思わぬ殺人事件が。

 1960年代半ばの「ミステリマガジン」では、毎月のレギュラー企画「私の選ぶベストミステリ5本」とかなんとかいう常設コーナーがあり、ミステリ作家や翻訳家、ファンや関係者たちがそれぞれそれっぽい毎回のテーマで翻訳ミステリのマイベスト5を語っていたものだった(新聞記者出身の三好徹なら、新聞記者ものの作品のベスト5とか)。
 そんな中でこの作品を、小林信彦が「私の選ぶ映画界関連のミステリベスト5」とかなんとかそんな感じのテーマ枠のひとつに挙げていたのを思い出す(他はモイーズの『流れる星』とかデビッド・ドッジの『黒い羊の毛をきれ』とか)。そこでの紹介っぷりがエラく面白そうだったので「へえ……」と思いながら、実際に本を入手するのはしばらく後になった。ついでに言うと、本(古書)を購入してから実際に昨日~今朝読み終わるまでにさらに数年かかったのは、いつものパターン(私の場合、これでも早い方かも知れない)。

 でもって実作に触れてみると、確かにnukkamさんのおっしゃるようにフクザツめな筋立てなんだけれど、まあ理解できないことはない。
 物語の幹となる『黒い天鵞絨(ビロード)』のシナリオの内容は直接描写はされないけれど、ストーリーのプロローグで起きた事件がべースということは繰り返し語られるし。
 なんかアメリカ作品というよりは英国のドライユーモアに似た味わいのミステリである。
 主人公はコンティネンタル映画のNY支配人のマイケル(35歳で独身。28歳の美人作家シェリとラブコメ関係になる)だが、そのマイケルが辣腕家の社長ルイス・ストラッドリングから、事態を沈静化するようプレッシャーをかけられ、本当にモーレーが妻を殺してるなら名誉毀損が成立しない、と考えるあたりでニヤリ。これはかなり人を食った動機でアマチュア探偵が行動に出る倒叙ミステリか? と思いきや、さらに物語はひねりを見せて堂々たる? フーダニットのパズラーになる。
(主要キャラたちの群像劇っぽいドラマが前半で進行し、途中でメインキャラのひとりが殺されて後半は謎解き……と書いていくと、我が国の清張の一部の作品みたいだ。)

 でもってミステリとしての最後の真相は意外……であったが、後出しの情報が多めで、さらにこの人物が本当に真犯人だったとするなら、それまでの物語の道筋で辻褄の合わないこともあるような気がするが……。まあ、その辺は興味を持った方が読んで判断してください。

 ちなみに小説部分の賞味としては、映画界をネタにしたくすぐりというかシビアなジョークはさすがで、特に社長ルイス・ストラッドリングの語る
「シナリオライターを使うなら、ギャランティのランクの高い大家の方が結局は安上がりなのだ。まだランクの低い新人作家は作品をよくしたいとかほざいて自己滅私の安い稿料で何度も書き直し、結局は映画の制作の足を引っ張る。その点、すでに家やら高級車やら買い込んだ大家どもは、その支払いに追われて、監督やプロデューサーとケンカしたりしようとしないから手がかからない(大意)」などという皮肉(ウィット)は爆笑させられる。小林信彦がオモシロイと思ったのは、たぶんこんなところであろう。

 ちなみにこの作品は1955年のアメリカ作品で、主人公マイケルは共産主義者を国内から排斥したいと主張。
 みんな知ってると思うけれど、カーニッツは映画『影なき男』シリーズの第四作めからシナリオを(第二作まで脚本を担当したハメットの後任として)オリジナルシナリオで執筆。あんまり当時の事情を二分化、単純化してもいけないんだろうけれど、ハメットが赤狩りマッカーシズムに抵抗して投獄されているのと前後して、主人公にこういう台詞を言わせていたカーニッツはそのハメットが創造した人気シリーズの後釜に座ったわけだった? この辺はいつか、もっと詳しく、調べてみよう。

No.852 7点 審判- ディック・フランシス 2020/05/24 04:30
(ネタバレなし)
 久々に読んだ「競馬スリラー」(息子フェリックス単独の『強襲』を新刊で楽しんで以来、4~5年ぶり!)。

 後期作品にはまだまだ未読&積ん読のものも多く、今回もあくまで気が向いた一冊をつまみ食いでので楽しんだので、雪さんみたいなシリーズの流れを俯瞰したレビューはできないんだけど、単品作品として、とても面白かった。
 北方謙三か前川裕の(一部の?)作品みたいな、精神的にグロテスクな悪役が登場。生々しい暴力の恐怖に主人公が怯える辺りは、かつて『利腕』でシッド・ハレーが味あわされたストレスの再生のように見えたが、こちらは周囲の人間まで狙ってくるという執拗さと遠慮の無さにおいてまたちょっと差別化できた感触はある。

 とはいえ(ワケあり的な流れで、警察に救援を願うのが消極的になるのは仕方がないにせよ)、ブライアン・ガーフィールドの『反撃』とかケンリックの『バーニーよ銃をとれ』とか読んでいると、この危機的状況にあってなぜ主人公のメイスンはプロのボディガードや荒事師(人間的に一応はマトモなタイプの)に応援を頼まないの? という疑問も生じる。少なくとも中盤で自宅を狙われる時点では二週間の短期決戦とか想定してるんだから、カネのある弁護士先生なら少なくともそういう選択肢を一回は検討してもいいよね? 私立探偵を雇って張り込みさせて、悪事の証拠を押さえてもよい。この辺はお話作りの上で、都合の悪い要素にはあえて目を瞑った感じであった。あと自宅への奇襲が数回に及んで、その可能性もあらかじめ予期していたのに、何やら大事なものらしい書類とかをそのまま置いておいたってのもヘンだし。
 何より、スティーヴのアリバイを証言してくれる(中略)、物語の後半、事態がどんどん悪くなっていくなかで、そのまま放りっぱなしってのは、作中のリアリティとしてどーなんでしょうか(……)!?

 それでも良い意味で、競馬界のトリヴィア的なものを見せつけてくれた犯罪の真相はかなり面白かったし、何より最後の決着の付け方は他の英米作家のいろんな作品を想起しながら感慨深いものを抱かされる。完成度から言えば佳作、読み応えとしては十分に秀作であった。

 しかしこのお仕事とファミリーネーム(セカンドネーム)ゆえ、さんざ「ペリイ」とからかわれる主人公だけど、誰かひとりくらい「ランドルフ」と呼んで、主人公によくわかんないギャグだポカーン、という反応をさせて欲しかった。いやまあ、ぢつにどーでもいい話だけど(笑)。

No.851 4点 白妖鬼- 高木彬光 2020/05/23 17:35
(ネタバレなし)
 nukkamさんのレビューを拝見して「神津恭介シリーズ第4作」の長編だと改めて意識した。じゃあ『刺青』『呪縛』の流れを受けた初期作品できっと骨っぽくて読み応えあるだろうと期待してAmazonで古書(桃源社の新書・1977年の新装版)を注文したが……なんじゃこりゃ。

 文中の記述によると、神津の事件簿としてはこの直前に荊木歓喜との共演編『悪霊の群』(評者は大昔に稀覯本だった古書を購入したが、例によっていまだ積ん読……)が入るらしいが、そっちからの影響があるのかどうか、やたら無意味なスリラー臭が強く、しかも導入されたセンセーショナリズムの大半は、犯人の立場からしてもかえって無駄に事件をややこしくしてないか? といいたくなるものばかり。
 一応はフーダニットパズラーの枠内に収めようとした作者の矜持は認めるものの、それだからといって出来たものは面白くないし。

 とはいえ箇条書き風に記せばそれなりにネタの多い作品であり

・徳田球一の逃亡中の時期、半ばテロリスト予備軍のように一部の市民から扱われる日本共産党(神津の視線は冷静だが)。当時の世相がよくわかる。しかしこれだけ共産党がメインファクターになった作品ってほかにないね?
・松下研三とオールドミス劇作家の、友達以上恋人未満的なラブコメ模様が印象的
・前述の『悪霊の群』にからんでか、地の文で山田風太郎を「突発性痴呆症」と揶揄する記述あり
・しれっと作中に登場して、殺人鬼「白妖鬼」事件にコメントする作者・高木彬光
・神津恭介は31歳の現在まで童貞? まあこれは松下研三たちがそう言っているだけだが、シリーズの流れを鑑みるにさもありなん?

 昭和っぽい雰囲気は悪くないんだけどな。改めて全編を俯瞰すると褒めるところもほとんどない。という訳で、評価はこんなとこで。

No.850 7点 第二の銃声- アントニイ・バークリー 2020/05/23 16:49
(ネタバレなし)
 評者もどっかで大ネタはすでに聞いてしまっていた(涙)ものの、読み進みながら、あれ、本当にソレがこの作品? としばらく違和感がつきまとっていた(この辺の感覚は、たぶん8年前の臣さんのレビューといっしょだと思います)。そういう意味では、こういう状況ならではの妙なテンションを楽しめた。

 殺人ゲームの準備から、ラブコメチックになる中盤までは、なんと筆の立つ作家なんだろう、改めてバークリーすごい、と思わされた(まだそんなに冊数読んでないけど)のだが、殺人事件の確定以降はやや退屈。いや、周囲の登場人物ほぼ総勢が、ピンカートンに同じような視線を向けてくるあたりは笑ったけれど。

 終盤の真相はくだんの大ネタ如何よりも、いかに犯人が(中略)な心情で犯行を遂行していたのか、そのイメージに唖然となった。個人的にはこの作品のキモは、ずばりコッチの方です。
 シェリンガムの扱いはなあ……。この時点ですでにかなりシリーズが進んでいたんだけど、やはりしれっとこういうポジションに就かされるキャラクターか。シリーズの残りの未読作品をこれから消化していくのが楽しみ。

No.849 5点 アンクルから来た女- マイクル・アヴァロン 2020/05/22 16:43
(ネタバレなし)
 国際陰謀団スラッシュから世界を守る平和組織アンクル。その精鋭ナポレオン・ソロの後見を受けて現場で活躍する新鋭女性工作員エイプリル・ダンサーは、死線を超えて任務から帰還。パートナーの男性マーク・スレードのもとに向かうが、そこで彼女はスラッシュの女性幹部アーノダ・バン・アタに遭遇。敵勢との闘争の末に薬物を打たれたエイプリルは、先に捕縛されていたマークともども敵の俘囚となった。アーノルダ・バン・アタの目的は、アンクル本部に拘禁されている、驚異的な新発明を為した科学者でスラッシュの大幹部であるアレック・ヤコブ・ゾルキの解放。エイプリルとマークはその交換要員として人質にされたわけだが、スラッシュはさらに数段構えの作戦を用意していた。

 1966年のアメリカ作品。原典のTVシリーズ『エイプリル・ダンサー』は近年ではなかなか観る機会がないと思うが『ナポレオン・ソロ』正編のなかで作られたデビュー編のパイロット版は数年前に観た(ただしキャスティングは本番のTVシリーズ版で変更されたようだが)。

 邦訳があるノベライズ二冊はともにマイケル・アヴァロン(アヴァロニ)の執筆。アヴァロンは正編ソロの小説化は一冊しかやってないのだが、その一冊が好評で今回も開幕編を任されたという主旨の記述がポケミス巻末の解説にある。
 なお講談社のムック「フィルム・ファンタスティック」のどこかの巻に『エイプリル・ダンサー』の全話あらすじ紹介は載っていたと思うので確認は可能だけど、たぶんこのノベライズ一冊目の内容は小説オリジナルだろうね? たぶん映像化すると回数は使いそうだし、爆発シーンなどでお金もかなりかかりそうなので。

 ちなみに評者はアヴァロンの『ソロ』ノベライズ(『アンクルから来た男』)はまだ未読だが、作中で『チャイナオレンジ』ネタをやっていることだけは旧世紀からすでに耳タコ。だからもしかしたら職人作家(で、晩年は嫌われ者だったウールリッチの葬儀に参列した数少ない作家仲間)でもあるこの作者のこと、こっちでもそういうミステリファン向けのくすぐりとかを用意してくれているのではないか? とちょっと期待したのだが、残念ながらその辺は空振り(涙)。
 ただまあアンクル本部内での広義の密室的な殺人や、意外な(中略)パターンなども盛り込まれ、それなりにサービスはある。お気楽美人エージェントもので終わらせないビターな味付けも相応にあるし。
 それでネタバレになるのであまり詳しいことは言えないが、この幕の引き方は少し驚いた。『ソロ』と違ってこっちはノベライズ二冊目もアヴァロンがそのまま書いているので、そのシフトを活用したのであろう。
 
 おなじみウェーバリー部長はほぼ全編で活躍。肝心のソロもちょっとだけ出てくる。ところで『バイオニック・ジェミー』でオスカー・ゴールドマン局長が『600万ドルの男』と双方をまたに掛けたレギュラーというシフティングは、やっぱりこのウェーバリー部長に倣ったんだろうな? もしもこれ以前の何か前例があったら、旧作海外ドラマシリーズファンの方、教えてください。

No.848 9点 地下道- ハーバート・リーバーマン 2020/05/22 16:42
(ネタバレなし~途中からはややネタバレあり?)

 ある北の地方。森に囲まれた、古い館で慎ましやかな隠居生活を送る「私」ことアルバート・グレーブス(50代末)とその妻のアリス。子供もなく村の人々ともそれなりに温和な付き合いを維持する彼らは、ある日、給油に来た近所のガソリンスタンドのバイト青年リチャード・アトリーをなりゆきからお茶と食事に誘う。人好きのよいリチャードに好感を持ち、彼が関心を抱いた自分の稀覯本を貸与するアルバート。やがて日数が経ち、リチャードと顔を合わせる機会もないまま、二人はある夜、19世紀に建てられた自宅の広めの地下道に<何か>がいる気配を認めた。そこには捕食したらしい野生動物の食べかすが残り、そしてアルバートは地下道内に、少し前にあの若者に貸したままの自分の本があるのに気づく……。


 1971年のアメリカ作品。
 一言で言えば、スティーヴン・キングとハイスミスを融合させたような感覚で、非常に面白かった、そして素晴らしかった。

 ちなみに角川文庫のジャケットカバー折り返しのあらすじ内容を読むと、まるで地下道に『事件記者コルチャック』に登場する魔性のモンスターが出没しているように思えたが、実際にはそんなことはない。
 評者はこの記述のおかげで、何十年もそういう内容かと、半ばダマされて(?)いた。



【以下 もしかしたらネタバレかも~大筋の決着は書いてませんが】




 物語は割と早い段階から、村の流れ者だった孤独な青年リチャードを同居人に迎え、疑似家族的な生活を始める初老夫婦のドラマが開幕する。当初は結構うまく行くように思えた共同生活だが、なりゆきからの、そしてほぼいきなりの、少し前まではまったく見ず知らずの他人との同居ゆえ、少しずつその関係には綻びが生じていく。このあたりは作者の筆力を感じさせて、平明な叙述ながら実にうまい。
 やがて自分の行動原理と信念に準じてふるまい、村での問題児となっていくリチャード。だがグレーブス夫婦は若者の人間性に摩擦を感じながらも彼を半ば本物の息子のように庇い、ついにはそれまで仲のよかった村人たちからもたまに顔を出す親戚からも敬遠されていく。
 作中ではっきり語られるわけではないが、主人公夫婦の心の核になっていくのはかなり強靭なメシア・コンプレックスであり、実子もおらず人生でそれが得られないと思っていたのに急に降って湧いた、父性愛と母性愛の充足への欲求だ。
 さらに夫婦自身なんどもなんどもリチャードの半ば狂気といえる独特の<自分ルール>には手こずらされるが、それでも「ここで彼を追い出したら負け」なのである。こんな心情すべてが自分のことのように伝わってきて、評者的にはこれほど主人公たち(ある部分ではリチャードの思いまでふくめて)同一化できる作品はそうなかったかもしれない。実に心に響いてくる小説だ。いや、たしかにニューロティック・スリラーだし、サイコロジカル・ホラーではありますが。

 本が厚いので割と長めの物語かと思ったが、紙の斤量が高めだったようで、実際は約440ページと程よい長さ。これが最後の仕事になった翻訳家・大門一男の流麗な訳文(本書の巻末に、盟友ということで清水俊二が追悼文を寄せている)もあって、半日でいっきに読んでしまった。

 でもってラスト、こ、これは……! 正に『おそ松くん』「イヤミはひとり風の中」ではないか!?(あくまで原作版だよ! とりあえず『おそ松さん』版とOVA版は考えないで。)
 私の人生のなかで、一番痛いところを予想外に突かれた感じ。
(いや、裏読みすれば意地悪な読解も可能なんだけど、あえてそうしないでおく。)
 もうね、切なくってしみじみして、昨夜は眠りが浅かった。
 傑作です。

No.847 6点 万年島殺人事件- 舞阪洸 2020/05/21 17:02
(ネタバレなし)
 謎の組織・警視庁十三課の要請を受け、事件関係者の「妄想」を破壊する美女・沖田島翔子(おきたじましょうこ)。彼女は助手の萱島十河(かやしまとうが)とともに、とあるパソコンに残されていた「万年島」で起きた事件についての記録を読み始める。それは「ぼく」こと、樟葉学園ミステリー研究会の新入部員・外埜崎雪比古(とのざきゆきひこ)がしたためた、万年島で起きた惨劇、そしてひとつの島が丸ごと消え失せるという怪事件についての手記であった。

 ミステリーサークル「SRの会」の正会誌「SRマンスリー」誌上での特集<新本格発祥以後30年の間に書かれた、あまり話題になっていない気になる佳作・秀作>(といった趣旨の企画)のなかで紹介されていた一冊。
 同特集を一年以上前に読んで気になって本作の古書を通販で購入し、しばらく積ん読にしていたが、ついに昨夜、思い立って読んだ。あと誤解のないように言っておきますが、完全な小説(ラノベ仕様のパズラー)です。
 
 Amazonでも「いかにも」なレビューがされているけれど、大ネタのとっかかりの方はあまりにもあからさまに伏線が張られているので、これは誰でもわかるだろう。ただしそのあと、それがどう料理されたかはこの作品のポイントとなる。

 連続殺人劇の方はいろんなことを疑った方がいい仕掛けで、もしかするとアンフェアじゃないかとも一度は思ったものの、ほかの技巧派パズラーの作家のなかにはこんなことをしそうな人はいくらでもいそうで、そういう意味ではまあグレイゾーンのなかでセーフであろう。本シリーズの主旨もその担保となるし。
(ただし、一部の死体損壊については具体的な目的がよく見えないよね? これは単に(以下略)?)

 かたや唖然としたのは島の消失の真実で、これこそ(中略)だが、せっかくのこういうシリーズ、設定、世界観なんだから、これくらいやらなきゃソンだという作者の居直りも感じ取れて、その豪快さが快い。怒る人は、こういう作品に向いてないよね(笑)。

 ちなみに大きな物体の消失という主題から、作中(手記中)の登場人物たちはミステリファンらしくクイーンの『神の灯』に言及。ネタバレされてるので注意してください。さらにもうひとつ具体的な題名は書かずに、森博嗣にもこういう謎の設定に近しい作品があると言及。そのトリックにもほぼ触れている。
 森作品は前に読んだ&読みかけたいくつかの作品があまり肌に合わない感じで、ほとんど読んでないのだが、ファンの人ならピンと来るのであろう。
 今回、こっちはずばりそっちの方はネタバレをくらったわけだが、一方で「へえ、そういう作品があるの?」とちょっと読みたくなった(笑)。こういう機会でもなければ、ふたたび森作品に目を向ける機会はなかったかもしれない。
 以上、途中から余談でした。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
好きな作家
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採点傾向
平均点: 6.33点   採点数: 2106件
採点の多い作家(TOP10)
笹沢左保(28)
カーター・ブラウン(21)
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評論・エッセイ(16)
アガサ・クリスティー(15)
高木彬光(13)
草野唯雄(13)
ジョルジュ・シムノン(12)
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