皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
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平均点: 6.34点 | 書評数: 2191件 |
No.91 | 7点 | 黒面の狐- 三津田信三 | 2016/11/03 03:07 |
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(ネタバレなし)
昭和二十年代初頭。先に満州の建国大学に学び、亜細亜と世界の諸国がいずれ平和で文明的な将来を迎えるようにと願っていた青年・物理波矢多(もとろいはやた)。そんな彼は大戦の現実に心身をすり減らして帰国し、九州の炭鉱地帯に流れ着いた。そこで波矢多は、3歳年上の親切な美青年・合里光範(あいざとみのる)と知り合い、その紹介で合里の勤務先である抜井炭鉱の炭鉱夫として働くことになる。だがある日炭鉱に落盤事故が生じ、さらにそれと前後して宿舎の周辺で不可解な怪死事件が連続して発生する。そしてその周囲には、黒い狐面をつけた何者かの姿があった…。 大戦直後の九州の炭鉱地という特異な場を舞台にした、ホラーティストの不可能犯罪パズラー。当時の時代まで日本の国力を支えた石炭採掘現場の実状が仔細に語られ、同時に暗く深い地の底で奮闘する炭鉱夫の実態、そしてそんな彼らの側に常にいる神がかり的な、あるいは魔性めいた存在が物語の重要な要素となる。 ミステリ的には複数の密室で生じた連続変死(自殺? 殺人?)事件がキモとなるが、ほぼ同時に発生した落盤事故現場からの生存可能者救出の可能性、さらに時を隔てて別の炭鉱で起きた不思議なできごととの関係性を探る興味などがほど良い歩幅で絡み合い、なかなかの求心力となっている。 犯人の正体とその犯行までの経緯の大きな部分のひとつは何となく見当はつくかもしれないが、盛り込まれた仕掛けを細部まで見抜くのはちょっと難しいかとも思う。真相らしきものを順々に並べていっては、ひとつひとつやっぱりダメ、とひっくり返していく解決編の趣向も楽しい。いずれにしろ筆者には、カーのオカルト趣味系不可能犯罪ものを読むのと近い興味でかなり面白かった。 ちなみにこの主人公・物理波矢多、シリーズ化されそうなので今後の展開を見守ることにしよう。 |
No.90 | 7点 | ヴァルプルギスの火祭- 三門鉄狼 | 2016/10/28 07:13 |
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(ネタバレなし)
成り行きから個性的な作風でデビューしたものの処女作がまったく売れず、さらに次作が書けないでいる高校生ラノベ作家の関口辰哉。彼は中野の古本屋の孫で「京極堂」の綽名をもつ読書家の美少女・中善寺秋穂や、大企業・榎木津グループの愛らしい令嬢ながらぶっとんだ言動の探偵「エノ」こと榎木津玲菓と、それぞれ<祖父が友人同士という縁>で知り合った同年代の幼馴染みだった。そんな高校生三人組は、榎木津グループと縁がある実業家で華族の末裔でもある由良渡月に招かれ、その年の四月三十日、ある孤島の館に向かう。孤島に一軒だけ建つその古く広い館はかつての当主が魔女を主題に建造したものであり、そこで一同やほかの客を迎えた館の若く美麗な当主・由良薫は「魔女はいますよ」と告げた。やがてその館の周辺では…。 京極作品「百鬼夜行」(京極堂/妖怪)シリーズをベースにした世界観で語られる、新鋭作家によるシェアワールド路線「薔薇十字叢書」の一冊。どんなんかなと思って、一冊読んでみた。 ほかの「薔薇十字叢書」は原典の主人公たちの<語られざる事件もの>が主体のようだが、本書はこの企画枠の中でも特に異色の一冊で、血筋キャラによる<ニュージェネレーションもの>。男子ひとり女子二人の微妙に三角関係ラブコメも匂わせた(笑)すばらしいキャラシフトの主人公トリオで事件に臨み、三人のキャラクターもそれぞれ祖父のものに倣う形で描かれる(ただしエノ=榎木津の特殊能力は、一瞬でも一度見たものなら絶対に忘れない超人的な記憶力として発露)。さらに木場の系譜をつぐキャラも、また別の形で出てくる。 事件の方は固有名詞と物語舞台の設定で自明なとおり『陰摩羅鬼』ベースだが、魔女を主題に、やがて磔刑風の焼死をふくむ<不思議な殺人事件>に至る展開は、変格の公認パスティーシュとしても、「百鬼夜行」シリーズの世界観に沿った超論理の新本格ミステリとしても、なかなかよく出来ている。 中盤で登場する<不思議な事態>(151ページ以降)はそれ自体が本書のサプライズでありキモとなるのでここでは詳述はしないが、これもかなりミステリとして魅力的な骨太の謎であり(微妙に、大昔にどっかで読んだような気もする趣向のものではあるものの)、そこで提示された事件の主題が「百鬼夜行」シリーズらしい独特のロジックで解体されていく後半も期待以上にゾクゾクさせられた。 もうひとつの『陰摩羅鬼』とまで言うとほめ過ぎかもしれないが(筆者は『陰摩羅鬼』をそれなり以上に称賛派)、あえて原典シリーズの諸作の中から同作をベースに選んだ書き手の狙いも、この内容ならしっかり果たされているだろう。 評点は、クセ玉かと思いきや、意外に剛球だった作品そのものの意外性も踏まえて、本当にちょっとだけおまけして7点。 なお「ラノベの叢書(講談社ラノベ文庫)からの発刊で、パスティーシュにしてはなかなか…」という、読者の予め割り引いた目線からの反応までも、もともと織り込み済みという気がしないでもない。でももし実際にそうだとするのなら、そんな送り手側のある種のしたたかさも、その意味で頼もしくもある。 あと全然別の話題だけど、「薔薇十字叢書」をこの作品から読んでしまった自分のセレクトは適切だったのかな。それは他の書き手の他の作品もふくめていつか「薔薇十字叢書」の二冊目以降を読んでみなければわからんね(笑)。 |
No.89 | 5点 | 黄昏の悪魔- 角田喜久雄 | 2016/10/26 07:23 |
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(ネタバレなし)
戦後5年目の冬、満州から帰国した天涯孤独の愛らしい娘・江原ユリ(24歳)は職探しに奔走していた。というのも彼女は就職が決まりかけると、正体不明の何者かが勤務先(勤務の予定先)に、<かつて彼女の父・春策が満州で売国奴だった>という虚偽の風評を流し、就職の邪魔をしていたのだ。そんなことが何度か重なったのち、エリはようやく西太平洋新聞社の内定を得る。しかし何者かがエリのアパートに届いたその採用通知を不採用を伝えるハガキにすり替え、さらに姿なき悪意の主はエリの周辺から生活費をふくむ金品まで奪っていった。かつて満州で売国奴の嫌疑を受けた父親が憲兵に責められた記憶のあるエリは内地の警察に対しても不信が拭えず、助けを求める気にならない。悲嘆を極めて縊死を図るエリだが、そんな彼女に一人の黒オーバーの男が接近。言葉巧みにエリを彼女の以前のアパートまで連れて行くが、その男はエリが眼を離した隙に別の何者かに刺殺された! だがそれはまだ、このあともエリの身に続発する異様な体験の端緒に過ぎなかった。 作者が1949年に雑誌「ホープ」誌に連載した通俗スリラー長編。単行本は1955年に桃源社から出た「角田喜久雄探偵小説選集」の第1巻「黄昏の悪魔」が元版だと思うが、同版のISBNが見つからないので、今回は適当な後年版の書誌データを入力しておく。 内容は薄幸な若い美女が不条理な悪意に翻弄され、やがて彼女の身上に潜んでいた意外な事実が浮かび上がってくる、ほぼ正統派の巻き込まれサスペンススリラー。もちろんなぜそのような嫌がらせが彼女の身に相次ぎ、なにゆえ彼女に続々と怪しい人物が寄ってくるのかというホワイダニットの興味もある。 くわえてあらすじに書いた事情ゆえ、窮地が続いても警察に賭け込むことに二の足を踏むヒロインの心情にも一応の説得力はあり、その分、都会の片隅での騒乱~やがて舞台を伊豆に移しての本筋の物語が、独特の緊張感のなかで紡がれていく。 主要登場人物が揃ってからの展開はいささかラフだが、それでも後半の舞台となる伊豆の一角で矢継ぎ早に事件が起きる物語には相応の求心力があり、最後まで読み手を飽きさせない。終盤のひねった展開はそっちの方向!? という感じだ。 まあ細部まで考えていけばご都合主義も散見したりするのは、この時代のこういう作品の場合、ときにご愛敬。それと終盤、ヒロインの影が薄くなってしまう構成の弱さを指摘する声については、確かにまったく同感だけれども。 ちなみにこの作品、翌年に書かれた角田の別長編『霧に棲む鬼』とよく似た前半らしいが、そっちはまだ未読。いつか比較しながら読んでみよう。 なおこの『黄昏の悪魔』は、東宝のスリラー映画『悪魔が呼んでいる』(1970年・主演は酒井和歌子)の原作作品という興味が個人的には強く、以前から同映画が(その内容の破綻ぶりも含めて)スキだった自分はいつか読もうと思っていた。今回が初読だが、自分の場合は先に映画を都内の浅草東宝(今はもうない…)の週末オールナイトで初めて観て以来、十何年目の原作への踏み込みだった(その間に、映画の方はCSで放映されたノーカット版も観ている)。本そのものはずっと前から入手していたけどね。 結果として、映画と原作との中盤からの内容はまったく別もので、導入部の<ヒロイン周辺での不条理劇>、中盤の<悪人にあちこち引き回されるヒロイン>という趣向のみが原作から採取された形になったようだ。 なお先に<破綻した映画>という主旨のことを語ったが、映画『悪魔が呼んでいる』の最後で明かされる意外な犯人像はかなり強烈。犯行の現実性を考えると絶対に無理筋だろうと思うが、それだけに印象深い。未見の人は機会があったら、一度観てくださいな。 ※追記、今回この長編は春陽文庫版で読んだけど、同書には短編『緑眼虫』も収録(もともと桃源社の元版にも併録されていたらしい)。 それでそっちの主人公の男子~のちに成人して男性の名前が『黄昏の悪魔』と同じ「江原」というから何か関係あるのかと思ったが、実際には特に何も無かった。 こちらは短いながら密度感の高い、一般市民の生活や人生を侵食する「悪」との対決もので、その不条理感と不安定な足場の感覚は『黄昏』に通じるものがある。 (あと共通項はいわゆる「NTR」で、作者はそういう趣味があったのかな、という気にもなったんだけど~笑~。) |
No.88 | 5点 | モスコー殺人事件- アンドリュウ・ガーヴ | 2016/10/25 16:26 |
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(ネタバレなし)
1951年の英国。東西間の国際政情の緊張を背景に英国でもソ連への関心が深まるなか、二流新聞紙「レコード」の記者で6年前までウクライナに駐在していた特派員の「私」ことジョージ・ヴェルニーは、編集長の指示で再びソ連に向かう。折しもソ連には英国から親ソ派の平和使節団が向かっており、その団長であるアンドリュー・マレット牧師は傲慢な人柄ゆえ使節団員の大半から陰で嫌われていた。往路の時点から使節団と一緒だったヴェルニーはそのまま彼らと共にモスコウ(※本文中ではこの表記)のアストリア・ホテルに泊まることになる。ホテルはヴェルニーの馴染みの宿で、彼はそこで米国の陽気な特派員仲間クレイトンや温厚なロシア人の老給仕ニコライたちとの旧交を温めた。社会主義国家の制約のなかで、本来は可能な限り自分流の自由な取材活動をしたかったヴェルニーだが、ソ連新聞報道部の役人ガニロフ部長は、平和使節団の文化的な交流活動に密着して今回の取材をするように推奨してきた。つまらない記事になりそうだと不満を覚えつつ、やむなくその指示に従うヴェルニー。だがそんななか、アストリア・ホテルで謎の殺人事件が…。 1951年の作品で、作者のガーヴ名義での第四長編。内容はあらすじ通りに1950年代当初のソ連(現ロシア)のモスコウ(モスコー、モスクワ)を舞台にした、フーダニット主体のパズラー。 英国での書名は邦題通り「Murder in Moscow」だが 米国では「Murder Through the Looking Glass」(あべこべの国の殺人)の改題で刊行され、ソ連の行政側や官警が素人探偵となったヴェルニーの捜査の脇で、向こうなりの事情論で事件を再構成しようとするのがミソ(事件を捜査すべき側がそんなことを、という意味で「あべこべ」)。 もともと1950年6月に勃発した朝鮮戦争を前提に書かれた作品のようで、欧州のソ連を警戒する空気が反ソ的な叙述となって盛り込まれた。ただし日本語版の翻訳(1956年5月1日・時事通信社刊行)では、訳者・向井啓雄の判断で、その反ソ、嫌ソ的な部分が相応に抄訳されたらしい(基本的にはそういう余計な改竄は止めてほしいけどね。こちらは例えば、シッド・ハレーが『大穴』の中で大戦中の日本兵士の残酷行為について毒づいても、それはそれ、と思うし)。 とはいえ完全にソ連側を悪役にする気もまたなかったようで、殺人の冤罪を掛けられる老給仕ニコライや、物語後半の重要人物アレクサンダーなんかは頗る気のいい好人物として描かれる。それに悪役ポジション(?)のガニロフも、ニコライを庇おうとする主人公の言葉に素直に耳を貸すなど、決していやな人物ではない。まあここら辺には、当時の作者にも出版側にもいろんな考えがあったんだろうけど。 ちなみに邦訳の出た1956年の日本といえば、10月には日ソ共同宣言でソ連との国交が回復。たぶん本書自体がそんな時代の動きをにらんだ翻訳だったのだろうから、ソ連を舞台にしたミステリを出版するのはタイムリーで良いにせよ、同国の関係者を不愉快にさせかねない部分などはことさら不要だったのかもしれない。 それで謎解きミステリとしては、被害者の部屋の封印された窓の謎、外の雪上の足跡、証拠となりそうな手紙…などなどから主人公と周囲の者の談議で推理と事件の検証を進め、次第に真犯人に接近していくかなりマトモなパズラー。なんで殺人が起きたのかのホワイダニットの謎ももうひとつの興味となり、物語後半にはある重要なアイテムもストーリー上の意外な大道具として浮上してくる。 それでこれはなかなかのものか…と思いきや、最後の解決部分がいささか大味でずっこけた。真犯人の錯誤を示す伏線と言うか手掛かりも一応は与えられているのだが、これはちょっと当時のモスクワに実際にいた人でないとわからないのではないの…という種類のもの。 とはいえ話の転がし方のなめらかさと、緊張感と異国情緒を伴った筋立ての密度感(もしかするとこれは相応に抄訳したことも影響しているのかもしれないが)はさすがガーヴという感じ。ある種のツイストを設けた最後の場面まで、読み物としてはそれなり以上に楽しめる。佳作。 なお本書での作者名は、表紙周りも奥付もすべて「A・ガーヴ」表記。あとがき(訳者あとがき)では「アンドリュー・ガーヴ」と記述されている。 |
No.87 | 7点 | カードの館- スタンリイ・エリン | 2016/10/21 05:27 |
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(ネタバレなし)
先にイタリアで2年間過ごし、パリでは6年目の生活を送る「わたし」ことアメリカ人のレノ・ディヴィス。彼は少し前までプロの拳闘家だったが、マネージャーかつ兄貴分の親友「本屋のルイ」の助言~体を壊す前に引退すべき~に従ってリングを去った。以前から創作に関心のあったレノは作家として身を立てようと志しながら当座の暮らしのためディスコで用心棒まがいの仕事に励むが、ある夜、面倒な目に遭いかける美貌の女性アン・ド・ヴィルモンの窮地を救う。そんなレノに、アンの義兄の実業家クロード・ド・ゴンドが接触。クロードは、アンが自分を凛々しく冷静な態度で救ったレノを気に入った、そこでアンの9歳の息子で自宅にひきこもるポールの家庭教師になってもらいたいと願う。クロードは高額の報酬を提示し、さらにレノがもの書き志望と知ると、パリの出版界の才腕編集者シャルル・レシュノーへの紹介まで匂わせた。こうして住み込みでポールの教育役となり、少年との心の絆を築いていくレノだが、彼はそこで初めてこの邸宅が、フランスの大戦時の英雄セバスチアン・ド・ヴィルモン将軍の実家と認める。だがパリでの高名を鳴らすこの一家には、ある大きな秘密があった…。 1967年に書かれたエリンの第6長編。筆者はエリンの短編の諸作はもちろん長編も総じて大好きだが、本書もたっぷり楽しませてもらった。 総ページ400以上という、当時のポケミスとしては上位の大冊。その紙幅の中を主人公レノ、アンとポールの母子、館に同居するアンの亡き夫の姉妹それぞれの夫婦、邸宅で働く使用人たち、そして別居するアンの義母マダム・セシーラ、さらにはレノ自身の周囲の友人や知人たち、雑多な登場人物が動き回るが、エリンの達者な筆遣い、さらに深町真理子の流麗な翻訳で、物語に淀みなどは生じようもない。きわめて高いリーダビリティで物語が進んでいく。 ミステリとしては一体何が起きているのか、あるいはこの場にどんな秘密が潜むのかの<ホワットダニットの謎>でまず読者をぐいぐい引っ張り、その実態が中盤~後半に露呈してからはサスペンスフルな冒険小説風の展開に移行する。 同時に舞台もパリを離れ、ヴェニス、ローマへと変遷。そんな後半の筋立ての中でさらにある大きな意外性を語るプロットも、サービス精神豊かでよい。 (ちなみに「カードの館」とは、作中で老婦人マダム・セシーラやほかの人物が愛好する占い用のタローカードになぞらえてレノが呼称した、物語の舞台となる、虚飾にまみれた大邸宅のこと。) なお深町真理子の訳者あとがき(単に「あとがき」と標記してあるから、最初これは原書にあったエリンの述懐の翻訳かと思った。その意味でこの記事の標記はあまりよろしくない)によると、当時のアンソニー・バウチャーは母国での書評で、この作品はプロットに比べて冗長だという主旨であまり良い評価を与えなかったようだ。深町も半ばその意見に同意している。 しかしその辺は筆者の感慨とまったく異なり、この作品、この長さに十分に見合う面白さと読み応え! だと思う。その理由は 1:主人公レノの視点が冷徹で、なかなか周囲の人物に全幅の信頼を置かない、そのため長めの物語であっても、常に一定の緊張感があること 2:小説の章が、話の流れによって短いものは短めに、長いときは長めにフレキシブルであり、その配慮または工夫が読み手に長さの負担を感じさせないこと 3:始終、筋立てに何らかの動きや驚きがあり、長い物語にあっても読み手をまったく退屈させないこと …などなどで、特に3は(この作品の初出がどのような形態で世に出たかはしらないが)人気の高い、よく出来た日本の新聞連載小説みたいな感じさえある。 いや最後がやや駆け足なのはいかにもエリンの長編っぽくて、そこはご愛嬌だし(笑)。 ちなみに、バウチャーの言うようにもし実際の半分の枚数でこの物語が書かれていたら、331~338ページあたりのイヤラしい描写も無かったろうな。それは絶対に許せない(笑)。その意味では、ドキドキ心の溌剌な中学生の頃に初読してきたかった気もする一冊だった。エリンは細部でエッチな描写が出てくるからスキだ(笑)。 未紹介の長編も、片っ端からどんどん邦訳してほしい。 あと、くだんの深町真理子さんの「あとがき」は物語のサプライズを削ぐ大きなネタバレまでしているので、本編より先に読まないように注意。この人、名翻訳家なのは間違いないが、こんなポカをするのかと今回はいささか意外でもあった(その手の不適切な箇所をチェックしていない、当時の早川の編集部も悪いのだが)。 |
No.86 | 7点 | 戦艦金剛- 蒼社廉三 | 2016/10/19 19:01 |
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(ネタバレなし)
戦記や戦争文学への素養は希薄なので、そういう意味でとても新鮮だった(作中の主要人物は創造の産物らしいが)。 太平洋戦争の進展、戦艦金剛内での妨害活動の謎で大筋に起伏を持たせながら、物語前半で発生した異色の密室殺人事件についての推理も展開していく。探偵役の変遷という趣向も、特殊な物語設定に合致していて面白い。 終盤ギリギリに明かされる真相と真犯人の意外性はなかなかのもので、トリックは某海外作家のある短編を想起させたが、作品としてはこちらの方が早いはずだ。戦記ミステリという形質のなかで、作者がやりたいことを描き切ったとするのなら、これはまさに本懐となる一冊だろう。そのうち、原型の方の中編も読んでみたいものである。 ちなみに昭和の文芸作品としては、途中で作者の私見が地の文で入り、1967年の時点からベトナム戦争へのリアルタイムの感慨が語られるのが印象的だった。 |
No.85 | 5点 | 火制地帯- 大藪春彦 | 2016/10/16 17:52 |
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(ネタバレなし)
アラスカで、日本にパルプ材を送る森林開発業務の監督技師を務める佐伯次郎(28歳)。彼は三か月の休暇を貰って3年ぶりに帰国し、故郷の倉岡市に帰省した。だがそこで佐伯を待っていたのは、現職市長だった父と少壮検事だった年子の兄・正一が何者かによって昨年、ほぼ同時に射殺されたという悲報だった。しかも父は死の少し前に自分の秘書だった美女・久子(25歳)と再婚。佐伯に対面した久子は、さりげなく夫の遺産の占有権を主張した。父と兄殺しの犯人がまだ検挙されてないと知った佐伯は、凶器のウィンチェスターの情報を手掛かりに自ら事件を洗い直すが。 新鋭時代の作者が、ロスマクの『青いジャングル(憂愁の街)』を原書で読んで盗作した問題の一冊。たしか木々高太郎が激昂して大藪の推理作家協会からの除籍を提言。当人はみんなやっていることじゃないかとうそぶいたという記事を、当時の日本版EQMMで読んだ記憶がある。この辺は山村正夫の「日本推理文壇戦後史」あたりを改めて読めば詳しいかもしれない。 そんな事情ゆえにこの作品は元版(浪速書房)のみで封印。その後は一切、再刊・復刊されていない。そのため昔から気になっていた一冊だったが、このたび借りて読んでみた。 大筋は原典とほぼ同様だが、細部やキャラクターシフトには作者流の潤色が微妙になされ『青い~』では存在しなかった主人公の兄が新規に登場したり、メインヒロインとサブヒロインの2人分が1人にまとめられたり、市政や裏社会側の大物が同じように1人のキャラクターに統合されたり、いくらかシンプルになっている印象もある。主人公の父親も原典とはポジションが相応に異なり、厚みのある描写は皆無の記号的な人物にされている。 とまれ最後には王道ハードボイルド(王道国産ハードボイルド)的な独自の脚色も登場し、主人公が信じていた清らかな(?)者の裏の顔が…というパターンが覗きかけるが、そもそもその該当の人物にほとんど書き込みが無いので、あまり効果が上がっていない。この辺はいかにも若書きの感じだ。 しかし大藪ファンとしては、原典からどのような歩幅でアレンジがなされたかという意味で、ひとつの興味深い研究素材ではあろう。最後の展開も微妙に違えた独自の決着が用意されている。 市長殺しのライフルや、主人公が用いる拳銃や銃弾への詳しい書き込みは、さすがこの作者だし。 なお172~176頁の叙述。冤罪で警察に追われかけた佐伯が、まったく無関係の家庭に飛び込み、幼女に拳銃をつきつけながら母親を脅迫し、巡回に来た警官に虚偽の証言をさせるあたりのなりふりかまわぬアウトローぶりはさりげない凄みがある(もちろん母子は無事に解放されるが)。 採点は、盗作ということをあえて勘案せずに5点。その事実を考えたら3点くらいかね。 なおAmazonのデータでは1960年1月の刊行ということになっているが、正確には昭和35年(1960年)6月30日の刊行。(奥付の記載より)。定価は270円。総ページ数は約230頁ほど。 |
No.84 | 6点 | アリス・ザ・ワンダーキラー- 早坂吝 | 2016/10/15 15:21 |
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(ネタバレなし)
アリスは高名な名探偵を父に持つ10歳の少女。彼女は将来、父のような名探偵になるのが目標だったが、母は探偵の収入が不安定、身が危険などを理由に掲げて反対。アリスは母が自分の愛読書、キャロルの『アリス』シリーズを軽視することにも不満を抱く。そんなアリスの前に現れたのは、父の友人と称する発明家の美青年コーモラント・イーグレット。彼は自分が創造した特殊な装置「ホワイトラビット」でアリスを『アリス』の世界と似通うヴァーチャルリアリティの異世界に誘う。そこでアリスは、出会ったゲームマスターの「白ウサギ」によって名探偵の資質を試される五つのクエストを出されるが…。 仮想空間の異世界でアリスに出される五つの謎を連作短編集風にひとつずつ語りながら、最後にはそれらを擁して入れ子式に長編ミステリとしての結構が顕現する仕様。ここまではその主旨のことが帯にも書いてあるので、語っていいだろう。 一本一本のクエストは、密室からの脱出、奇妙な誘拐事件、ダイイングメッセージ、不審な転落死…などなどにからむ謎を自称「名探偵」のアリスが解いていくもの。中学生向けパズルのような形質のものもあるが、各々の謎や解法はそれなりになかなか創意や工夫がある。ただしそれらのどこかで常に感じさせるおとぎ話のようなふんわかしたムードが、やがて終盤どのように破砕されるのだろ、こうなるのかな、いやああかも、という緊張感。そのゾクゾク感が何よりもたまらない。 結果、明かされる真相の大枠は、こちらの想定のほぼ範囲内でちょっとパンチ不足だが、作者もそれはわかっているのか、細部にひと工夫ふた工夫設け、ロジック立てにも力を入れている。 活字が大きめで紙幅も全270頁強とほどほどの長さで一気に読めるし、なんとなく軽めの一冊という印象も生じるが、総体として見るなら中身はそれなりにある。佳作~秀作。 ところで、たぶんシリーズ化は無いだろうね。やろうと思えばできるとは思うけれど。 |
No.83 | 7点 | 静かな炎天- 若竹七海 | 2016/10/13 08:52 |
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(ネタバレなし)
文庫オリジナルで刊行された、作者おなじみの女流私立探偵・葉村晶を主人公とする連作短編集。本書は300頁強の紙幅で、各話がまあ50頁前後の長さだから一本一本は中編と言った方がいいかも。 全6話の事件簿が、七月から十二月の半年間に月に一件ずつ生じたという流れ・設定で収録されている(もとは順不同で「別冊文芸春秋」に発表された5本の中編を、ものによっては多かれ少なかれ改稿。その5編に新作の正編一本と、おなじみ恒例の読書ガイド部を書き下ろしてまとめている)。 葉村晶の私立探偵歴としては一昨年の新作長編『さよならの手口』の後の時系列で、ちょっとだけその事件の話題も出てくるが、もちろんそちらを未読でも楽しめる。 内容的には、例によって一本一本が芳醇なユーモアと適度なサスペンス、そして起伏に富んだ筋運びと魅惑的に攻めてくる謎の提示、忘れちゃならない私立探偵としての矜持、くわえて新旧世代のミステリマニア読者をくすぐるお遊び心に満ちている。これ以上なにを望むことがあろうか。ああ、幸せ。 収録編は全6本、いずれも粒ぞろいの秀作・傑作だが、個人的なベストは少しだけグルーミィでしかし切ない幕切れを迎える表題作「静かな炎天」(8月・なんか仁木悦子の一部の短編風だ)。それと都会のなかの無常をしみじみ語る「血の凶作」(11月)もいい。「副島さんは言っている」(10月)は、着想と話の転がし方、まとめ方にそれぞれニヤリ。 まさに眠る前一本ずつ読んで、その週が確実に幸福感で満たされる一冊。 葉村晶には、またそう遠くない頃にお目にかかりたい。 |
No.82 | 6点 | J・G・リーダー氏の心- エドガー・ウォーレス | 2016/10/12 10:32 |
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(ネタバレなし)
一編一編が長くも短くもない紙幅で、その意味でも読みやすかった。ホームズからキャンピオンなどに続く、推理ものと事件屋稼業としての市中の冒険ものを折衷させた系譜。これを読むと瀬戸川猛資氏が書いていた、英国ミステリの精神的な背骨に冒険小説が伏在するという主旨の論説が改めて納得できる。 本書収録の全8本の連作短編は、いずれもそういう傾向の<ホームズのライバルもの>としては60~80点くらいの出来だが、中では切れのいい第3話(今となっては見たようなパターンでもあるけど)が上位。 ちなみに主人公のリーダー氏、2010年代の現在なら50代前半なんてそうトシでもないけれど、90年前の英国ではそれ相当の年輩だったなんだろうな。 天性の資質と犯罪者に対峙してきた経験から自己流のスタイルで捜査にあたるリーダー氏の叙述はなかなか地味にかっこよく、そんな彼と20代のメインヒロイン、マーガレットとの年の差ロマンスも、白黒の文芸メロドラマ映画を観るようでいい。 ああ、解説は最後に余計なことをドヤ顔で書いてるみたいなので、もちろん読まなかった(笑)。 |
No.81 | 5点 | 怪盗ニック全仕事(3)- エドワード・D・ホック | 2016/10/08 15:33 |
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(ネタバレなし)
人気シリーズということで読者や編集部の要請もあったんだろうけれど、あれだけの総数の作品を書いていながらこの「ニックもの」だけで全87本! たぶん作者が亡くならなければもっと書き続けられたろうし、いやはや、まずは作者ホックのその超人的な創作ぶりに改めて深い敬意を表したい。 それで本書は就眠前に少しずつ読み進めたけど、正直、一冊の収録数が16編は少し多い。よくも悪くもシリーズの練度が高まった時期の作品群ということもあり、後半の話を読む頃には本書前半の物語の印象が希薄化していった。 巻数の増加は出版社的には良かれ悪しかれだろうが、本当ならこの<ニック全集>そのものを全9~10巻ほどの構成にして、一冊ごとにせいぜい9~10編の収録数に抑えていたのなら、ずっと付き合いやすい叢書になったのでは…? とも思う。 それで「ニックもの」もこの辺になると、シリーズ上のある部分で進展を見せたり、ゲストキャラを再登場させたり、(これは前からやってるか)、警察にひんぱんに眼をつけられたり…と作者がマンネリを回避しようとしているのはわかる。それゆえあまり文句は言えないし、実際の話の転がり方もバラエティ感は感じさせる。 しかしもうどのような手段で盗むかのハウダニットにはあまり労力は掛けられなくなり、かたや、随時生じる殺人事件のフーダニットに力点が置かれてくる。 その一方で「なんでそれを盗ませようとする」のホワイダニットの部分だけは一貫して健在…。ああやっぱり連作短編の長期シリーズってファンには嬉しいけれど難しい面もあるのだなと実感させる、そんな一冊であった。 なおそのホワイダニットの点では、一番最後に収録の「使用済みのティーバッグを盗め」が最低作。あ~あ、ついにこの手の安易な「なんで」オチをやっちまったよ、とガッカリした(とはいえ作者もその弱点は意識していたらしく、同編のほかの部分にいくつかの仕掛けを設けてあるのは流石だけど)。 トータルの完成度としての個人的なベスト編はホワイダニットの部分にシンプルな回答で答えた上、プラスアルファを感じさせる「つたない子供の絵を盗め」「田舎町の絵はがきを盗め」あたり。話の転がし方では「銀行家の灰皿を盗め」「感謝祭の七面鳥を盗め」も悪くない。しかし一番印象に残ったのは「消防士のヘルメットを盗め」。これはなんともいえない余韻がとても素晴らしい。 ところで創元のホックは「ニックもの」が終わるまで他は出ないだろうけど、レオポルド警部とジェフリー・ランドもいつかシリーズものとしてそれぞれ何冊かまとめて訳して頂きたい(できれば全話)。特に後者は諜報世界の人間ドラマ+種々の謎解きものの妙味で、独特の魅力があると思う。 長編もコンピューター検察局の3冊目が読みたいなあ。すごく面白そうだし。 |
No.80 | 4点 | 裁く眼- 我孫子武丸 | 2016/10/07 03:37 |
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(ネタバレなし)
法廷画家という主人公の設定など目のつけどころの面白い、法廷もの&××××××のパズラーかと思ったら、……なんだろう、この結末(汗)。 いや、違う部分でミステリとしての興味を満足させようとしているのは分かるが、これではあんまり。まさか、某・欧米の大家の<あの作品>ごとき大ファール技をあえて狙ったわけでもないか、とは思うが。 もちろん、単に、送り手の狙いとこちらの予期したものに齟齬があったから評価が低い、というのは受け手の態度として全くよろしくないんだけどね。 しかし、中盤の展開は、個人的にどうしても納得できないわ。あんまり書けないけど<そういう部分>で読み手の感情に摩擦感まで引き起こすのが作者の計算の内だったとするなら、これはどうも好きになれないタイプの作品である。 |
No.79 | 7点 | 消えた犠牲(いけにえ)- ベルトン・コッブ | 2016/10/02 11:41 |
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(ネタバレなし)舞台は英国。大人気ミステリ作家リチャード・リチャーズ、売れない高尚な著述家ランス・ベリンガムと、素顔を秘匿した2つのペンネームを使いわける32歳のジョージ・マイクルジョン。彼は出版社の欲深な代表ヘンリイ・スカ―ブルックに会い、閑寂な田舎で執筆に専念したいと申し出た。まもなくスカ―ブルックが所有するウェスコースト地方の別荘に赴くジョージだが、彼はその別荘内で、殺害されたスカ―ブルックの共同経営者ブライアン・ウィルキンズの死体を目にする。事件を担当するチェヴィオット・バーマン警部は、殺人現場の別荘を訪れながらもその後行方を断った作家の情報を求めつつ、一方でウィルキンズの未亡人のあまりの美貌にどきまぎする。それでも懸命に捜査を続けるチェヴィオットだが、事件はなかなかその真相を見せなかった……。
1958年の英国作品。旧クライム・クラブでは、筆頭格の人気と入手困難さでききめとなっている一冊。かねてより何やらトリックと結末の意外性が愛好家の間で話題になっているようなので、ようやく入手できた本書を読んでみた。 内容は二部構成で、前半が事件の渦中に立ち、ある考えから身を隠そうとするまでのジョージの叙述、後半が視点を転じたチェヴィオット・バーマン警部の捜査録となっている。 二段組、約200頁の終盤まで推理が二転三転するあたりはちょっとゆるめのデクスターばりだが、同時にエクスブライヤの『パコを憶えているか』や下村明の『風花島殺人事件』みたいな、残りページが少なくなってもまだ真犯人が見えてこない筋立てが強烈なケレン味とサスペンスを感じさせ、これがこの作品の大きなキモとなる。 終盤で判明する大きなトリックは、類似の先行例の件もさながら、非常によく似たものが近年日本でも話題になった21世紀の某作品で使われており(この程度の書き方なら絶対にネタバレにはならないだろう)、もしかしたら分かる人には真相が語られる前にピンとくるかもしれないが、筆者は気持ちよく騙された。 ただし登場人物が少ないので、その意味で犯人の意外性はあまりない。まあここではあまり書けない部分で、ツッコミどころもあるトリックで作品なのだけれど。 なお小林信彦が当時の書評(「地獄の読書録」に収集)で、先行して刊行された国内ミステリとのトリックの類似を(その該当作の具体名は明記せずに)指摘しているが、たぶんアレだろうな。 ちなみに妻子ある四十男(遅めの結婚だったらしい)ながら、美人の若き未亡人を異性として意識する探偵役チェヴィオット・バーマン警部のキャラクターは、本書を読んだ日本の読者にも毀誉褒貶あるようだが、筆者は人間臭さに好感を持った。植草甚一の解説によるとまだまだ同警部の未訳のシリーズには面白そうなものもあるみたいなので、これも論創さんあたりで発掘紹介してくれませんかね。 |
No.78 | 5点 | 火の虚像- 笹沢左保 | 2016/09/29 03:36 |
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(ネタバレなし)
邦画界の大女優・野末千登勢がTV初主演という鳴り物入りで製作される、大洋テレビの大型単発ドラマ『女二代』。だがその撮影当日、担当予定のプロデューサー兼ディレクター、加古川洋介が欠席した。ドラマは代打の若手女流演出家・瀬戸秋路によって何とか撮影されるが、この不祥事で斯界の寵児といわれていたクリエイター・加古川の名声はいっきに失墜してしまった。『女二代』のスポンサーである大企業、山川電機の宣伝課長で、加古川との旧友である北見慎一郎は相手から事情を聴く。加古川は当日、交通事故に遭い、何やかんやあって一日前後意識を失っていたと釈明した。北見は加古川の陳情の裏をとるため、事故の加害者という若手女優・魚津麗子と同じく若手俳優の和泉タカ男にも会いに行くが、彼らは殊勝な態度で加古川への謝罪を訴えた。一応は不可抗力と納得した北見だが、やがてその麗子、タカ男が相次いで自宅で変死を遂げる。北見はパーティで出会った瀬戸秋路の従姉妹で美人の阿久津綾子とともに、事件に首を突っ込むが…。 ある日たまたま、石川喬司の「極楽の鬼」(ミステリマガジンに連載された60年代の書評をまとめたもの。今回手にしたのは81年の講談社版)を読み返していたら、老舗ミステリファンサークル「SRの会」の1964年度ベスト、という当時のニュースの話題が目に付く。同年の国産1位は当然『虚無への供物』だが、2位の『盗作の風景』(やはり笹沢作品)と4位の『傷痕の街』(生島治郎)に挟まれて堂々の3位を獲得していたのがこの作品。なんかすごそうだ、どうなんだろ、と久々に笹沢作品の旧作を読んでみたというわけである。 本書は、当時の作者の2年ぶりの書下ろしだったそうだが、元版であるカッパノベルスは大きめの活字で一段組。長さも280頁以下で途中には数葉のイラストも挟まれ、とても目にやさしい作りである。それゆえ実質的には、ごく短い時間で読み終えてしまった。 正直な感想は、え~これが『虚無』の2つ下の年間ベスト作品!? という感じの軽本格だが、当時の精力的な作者の仕事ぶりを考えるなら、こういう形でまとめた書下ろし作品があっても確かにおかしくはない。人間関係の錯綜もTV局を舞台にした業界ドラマもそれぞれ当時としては面白そうな狙い所を見せてはいるが、おのおのにあんまり踏み込まないのも作品全体の軽量感を高めている。 (裏表紙の解説文を読むと、作者は当時はじめてテレビの脚本に挑戦したそうで、その時のもろもろの経験が本書の著作の原動となったらしい。) 登場人物が少ないためフーダニットとしてはまるで成立してないが、主人公の北見の視点である人物に疑惑を固め、それならどうやって犯罪を行えたかのハウダニットがミステリ的な興味になる。そこで使われる2つの大きなトリックはともにかなりトンデモ系ではあるが(特に後から解明される方)、作品全体の器のなかではそれなりのマッチング感もあり、ちょっと印象に残るものになっている。 最後のある方向でのサプライズもふくめて、良くも悪くも当時の時代の空気が漂う佳作。 |
No.77 | 6点 | ジグザグ- ポール・アンドレオータ | 2016/09/27 15:28 |
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(ネタバレなし)
「ぼく」ことルッソー化学会社の営業部長の座に就く34歳のピエ-ル・レネ。ピエールは19歳の美少女モデルのルー(ルイーズ・シコー)を彼女にしていたが、仕事の上で出会った広告代理店アルガリック社の美人スタッフ、クリス・カリエと恋仲になる。そのクリスはまだ24歳の若さながら3年前に離婚歴があり、離婚の原因となったのは、クリスがモード写真家の伊達男ジェス・ヴァヤ(現在39歳)に当時よろめいたからだった。やがてルーとは別れ、クリスを伴侶に迎えたピエールだが、そのクリスが今もまだヴァヤと密会しているという情報が彼のもとにもたらされる。しかもヴァヤの現在のモデルとなっているのは、あのルーだった。ピエールはヴァヤのもとを訪ねるが、案の定、口論となり、互いに暴力をふるってその場を去った。しかしその直後、そのヴァヤが自宅で刺殺される。事件は思わぬ方向へ向かっていく。 1970年のフランスミステリで、同年度のフランス推理小説大賞受賞作品。日本では1972年3月にポケミスで翻訳刊行された(1172番)。原書は当時、セイヤーズ、テイ、アシモフ、C・アームストロング、S・パーマー、シモンズ、ハーバート・ブリーンなど欧米の錚々たる作家を揃えた仏国・ジェイオール社のミステリ叢書「コレクションP・J」の一冊として刊行。当時の同叢書での初の自国作品だったという。 物語は二部構成で、前半がピエールを主人公にした「クリス夫人」の章、後半がピエールの友人の青年弁護士アベル・ジャカールを主体(一人称「わたし」)とする法廷ミステリ「ルー嬢」の章、という仕様。少しだけ入り組んだ四角関係の緊張感を語るとともに、ヴァヤを殺害した真犯人は誰かというフーダニットの興味、さらに次第に浮かび上がってくるある種の違和感で、読者を終盤まで引っ張る。その意味ではサスペンス、法廷ものとの分類に迷う作品であった。 ミステリとしてはフランス作品らしい独特の技巧とサスペンス感にあふれた佳作~秀作。登場人物が決して多くないので犯人の名をなんとなく挙げることは可能かもしれないが、事件の真相そのものはなかなかひねってあり面白い。現代の日本の新本格あたりにこういうのが時たま、一冊くらいまぎれこんでいそうな感じもある。 |
No.76 | 6点 | 青いジャングル- ロス・マクドナルド | 2016/09/25 05:41 |
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(ネタバレなし)
時は終戦直後の1946年。10年前の12歳の時、父親の女癖の悪さが原因で両親が離婚した少年ジョン・ウェザーは母親に引き取られていたが、その母とも五年前に死別。現在22歳になったジョンは兵役を終えたのち、生まれ故郷の地方都市に戻る。そこで彼は初めて、市の行政の陰の大物だった実父J・D・ウェザーが2年前に射殺されて、しかもまだ真犯人が検挙されていない事実を知った。ジョンは、色事以外は比較的まともだと思っていた父の清濁こもごもの意外な素顔を知ると同時に、その父が死の数か月前に若い美人フロレインを後妻に迎えていた事実も認める。ジョンはフロレインや父の旧友サンフォード、さらに事件の担当刑事ハンスンを訪ね、自ら父殺しの事件の調査を始めるが…。 ロス・マクがケネス・ミラー名義で書いた長編の第三冊目。地方都市の腐敗と浄化を主題にフーダニットの興味も盛り込んだノンシリーズの青春ハードボイルドで、まるで2時間もののドラマか映画を観ているように物語が転がっていき、かなりの数の人も死んでいく。もちろん成熟期のリュウ・アーチャーものとは比較にならない通俗スリラーだが、それでもさすがにこの作者らしい陰影ある人物造形にエッジが効いていて読み応えがある。(主人公の殺害された父にしても、地方都市に公営ギャンブルという悪徳を持ち込んで地元の腐敗を促進させた張本人である一方、偽善や打算ではないらしい篤志家として貧者のために積極的な慈善活動を行い、市民から敬愛されていた。) 絶頂期の田中小実昌の翻訳の心地よさもあって3~4時間で読了可能のリーダビリティの高さだが、じっくりと一晩の時間をかけて読み通す価値もある。 終盤の決着はのちのペシミズムと優しさが一体となったアーチャーものの視線とはまったく異なる、青く若い前向きなものだが、むしろ初期のロスマクがちゃんとこういう<アメリカの正義>を描いていたことに本心からほっとする。この辺の作家の成熟してゆく軌跡がなんとなく覗けるようなあたりは、ハメットやチャンドラーともまた一味違うこの作家ならではの個性だ(まあもう、この3人をあえて並べなくてもいいという気も半ばしてるんだけど)。 ちなみに犯人当てのミステリとしては、それなりの意外性も呈示。真相発覚後のそこはかとない文芸性は、のちのロスマク作品に続く萌芽といえないこともない。 |
No.75 | 8点 | パコを憶えているか- シャルル・エクスブライヤ | 2016/09/17 16:46 |
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(ネタバレなし)
スペインのバルセロナ。当年40歳の中堅刑事ミゲル・リューヒは、巡査だった父エンリーコを十数年前に殺された。その仇はなかなか尻尾を出さない裏社会の大物イグナシオ・ピラールで、リューヒは検挙の機会を今も執拗に狙っていた。リューヒは、不良だが根は純真な面もある弟分の美青年パコ・ポリスに、ピラールが実質的に経営するキャバレー「天使と悪魔」に勤務し、有益な情報を得てくるよう請願した。この依頼を受けて内偵を続けていたパコだが、彼はある日惨殺され、その生首がリューヒの自宅に送られてくる。リューヒを後見するマルチン警部の心配も他所に、父親と弟分を殺されたリューヒはピラールに対して復讐の鬼となるが、そんななか、何者かがそのピラールの側近の悪党たちを次々と刺殺していく……。 先にレビューした方、あるいは登録した方は「サスペンス」に分類しているが「本格(フーダニットのパズラー)」でもいいのでは、と思う。いずれにしろ強烈なサスペンスを感じさせるフーダニットの優秀作で、犯人は確かに意外であり、動機もうーん、なるほど、と思わせるものだった。終盤、残りのページが少なくなっていくなか、まだ連続殺人が継続し、ドラマチックな展開もよどみない、そして最後の最後に明かされる事件の構造の本当の真相…いや、2016年現在、入手しにくいポケミスの筆頭格というので頑張って取り寄せて読んでみたが、これはたしかに面白かったわ。 エクスブライヤ は翻訳されたものは何冊か買ってあると思うけど、実はこれが初読。パズラーの未訳の作品もまだまだあるみたいなので、今からでもどんどん発掘してほしい。 |
No.74 | 5点 | ホームズ四世- 新堂冬樹 | 2016/09/14 18:00 |
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(ネタバレなし)
新宿の大手ホストクラブ「ポアゾン」の№.1ホストである26歳の美青年・木塚響。 彼はかのベイカー街の名探偵の息子ランドールが日本に移住後、女性柔術家と結ばれて生んだ日本人・邦彦のさらなる息子、つまりホームズ四世だった。優れた頭脳と観察力を持ちながら、幼少の頃から曾祖父の伝説的な勇名を重荷に感じていた響だったが、ある日、彼の太客(お得意さま)である資産家の中年夫人・本宮加奈の姿が見えなくなる。成り行きから加奈捜索に動き出す響の前に現れたのは、ワトスンの曽孫を名乗る23歳の美女探偵・桐島檸檬。そんな二人の周辺に出没するのは、響の曽祖父の宿敵だった<かの大犯罪者>の血族だった!? 背伸びした中学生の着想みたいな設定で始まり、小説の中身ではテンプレの腐れラブコメを見せられ(ネズミが出てきてキャッと抱きつき、赤面しながらあわてて離れて言い訳のパターン~20年前の作品か? 少しはラノベ『俺がヒロインを助けすぎて世界がリトル黙示録』とかの、その手の描写のさらに先を行ったメタギャグなどを見倣ってほしい)、あーこれは地雷を踏んだわと呆れながら読んだが、しかして最後の4分の1からの展開でそこそこ面白くなる。やはり21世紀、この出版不況の中で刊行される商業作品、まったくダメ、とことんダメというものは、そうそうないですの。 つーわけで最後まで読むと、本の仕様としても実は意外な部分にギミックがあるのに気づきちょっと感心させられた。これは帯付きの新刊で読んだ方がいいよ。 シリーズ化はしてもしなくてもいいです。 |
No.73 | 7点 | 蜃気楼の犬 - 呉勝浩 | 2016/09/09 15:54 |
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(ネタバレなし)
県警本部捜査一課の初老刑事・番場は「現場の番場」との異名をとる、ベテラン刑事。下戸ながら法の正義を信じる真っ直ぐな気性の青年刑事・船越を半ば後継者としながら捜査にあたる。そんな番場の妻は、二回りも年の離れたコヨリ。多少わがままだが愛らしく、現在はマタニティブルーの彼女を愛し、新生児の出産を楽しみにする番場だが、彼ら夫婦にはどこか世間の目を気にする雰囲気があった。そんな番場と船越の前に、続々と不可思議な謎に満ちた事件が…。 昨年の乱歩賞作品『道徳の時間』でデビューした新鋭作家の三冊目の著作で、初の連作短編集。『道徳』は個人的には「ああ、狙いはわかります、うんうん」という感じの愛すべき大ファール作品という読後感だった(二冊目の著作『ロスト』は未読)。短期間に精力的に活動するその創作ぶりは頼もしいが、本書には全五編の中編連作を所収。主人公・番場とその相棒・船越を軸にした警察小説として歯応えのある大枠を描きながら、毎回の事件では、不可能犯罪のハウダニットや、状況の謎にからむホワイダニットなど、パズラーファンにも十分に楽しめる趣向の怪事件が語られる(高層住宅や山などのない市街地の真ん中で、高所から墜落死した死体の謎、など、どこかで見たような設定の謎もあるが)。 もう一方で読者への求心力となるのが、一風変わった番場とその若妻コヨミの関係で、連作としての興味を加速度的に高めるのがこの部分になっている。 内容はなかなか読み応えのある警察小説(組織ものにして、番場と船越たちの人間ドラマ)であり、連作謎解きパズラーとして十分に楽しめた。ただしネタバレを警戒しながら少しだけ書くと、この物語世界はまだまだ続刊を必要とする結構なので、その意味も込めてシリーズ化を希望したい。今後が楽しみなシリーズものになると思う。 |
No.72 | 7点 | この街のどこかに- モーリス・プロクター | 2016/09/07 15:28 |
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(ネタバレなし)
1950年代の英国グランチェスター地方。懲役14年の禁固刑を食らったギャングのドン・スターリングが脱獄した。スターリングと幼馴染みだったグランチェスター市警のハリイ・マーティーノー警部は、若手刑事ディヴェリィとともに脱獄囚を追うが、その途上で現金強盗の被害に遭った若い女性シスリイの殺害現場に出くわす。新たな強盗殺傷事件もまたスターリングに関係する可能性を見やったマーティーノーは、管轄の権限を越えて捜査を敢行。だが逃亡中のスターリングの方もまた、宿敵といえるマーティーノーへの報復の機会を狙っていた…。 1954年の英国の警察小説。作者プロクターは実際に19年間の勤務経験がある元警官で、それだけに捜査現場や監獄の描写など、臨場感のリアリティは頗るうまい。 資料(森氏の世界ミステリ作家事典)によるとプロクターは全26本の長編を著し、そのうちの約3分の2ほどの16冊にシリーズキャラクターのハリイ・マーティーノー警部が登場するが、1954年に書かれた本書(プロクターの長編としては第7冊目)がそのマーティーノーのデビュー編となる。 別個に事件が進行するモジュラー型の警察小説かと思いきや、物語は早めにマーティーノーVSスターリングという主軸を打ち出し、くだんのメインプロットを支えるようにスターリングの2年前に遡る脱獄計画と逃走劇、そのスターリングに関係する当時のイギリス暗黒街の叙述、美人の妻ジュ―リアとの不仲に悩み、色っぽいウェイトレスのラッキイに入れ込むマーティーノーのプライベート描写、被害にあった女性シスリイの職場で競馬の胴元ガス・ホーキンズ周辺の人間模様…と、潤沢な物語要素をハイテンポで投入。地味で渋い? しかし確実に面白い群像劇型の警察小説としての形を小気味よく整えていく。 なお物語の大きなサイドストーリーのひとつで、若手刑事ディヴェリィと口の不自由なしかし気立ての良い美人シルヴィア(シルヴァー)・スティールとの恋模様が描かれるが、これはまんま同時代の「87分署」キャレラとテディの関係を想起させる。マクベインの『警官嫌い』が1956年の刊行だから、本書『この街のどこかに』が影響を受けた可能性はないが、その逆の方はもしかしたら? ありえたかもしれない。ちょっと興味深い。 クライマックスもスターリングとの決着寸前、この脱獄囚逮捕の手柄を得て昇進がかなうか、それともこの場で自分が殉職して周囲の反響があれこれなどと余計なことを考えすぎるマーティーノーの人間臭さもとても気持ちよく、さらには「え、そっちの方向に行くの!?」というサプライズに満ちたクロージングのしみじみじた余韻も絶品。今回は気になって読んだ未読のポケミスの中で、なかなかの拾い物に出会った気分である。 なおマーティーノー警部ものは前述のように原書では十数編の長編が執筆されていながら、翻訳はあと1959年の作品『殺人者はまだ捕まらない』だけみたいだね。今からでも面白そうなものを何冊か、発掘・紹介してくれないものか。 |