皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1325件 |
No.97 | 4点 | 殺人をもう一度- アガサ・クリスティー | 2020/01/03 17:39 |
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「EQ」掲載の翻訳が実家にあったので「しなくてもいいか」と放置していたのだが、やることにしよう。言うまでもなく「五匹の子豚」のクリスティ自身の戯曲化である。数藤康雄氏のカラムで少し解説しているのだが、クリスティは「アクロイド」を戯曲化した「アリバイ」が気に入らなくて、その理由は原作に忠実に演劇にしたことで「必要なのは単純化だ」と反省した(「自伝」)。だからクリスティ自身による自作戯曲化は、すべて原作を「単純化」して芝居にしているわけだ。原作がパズラーでも、戯曲はパズラーであるとはまったく言えなくなり、芝居としての分かりやすさ・面白さの方を優先することになる。ポアロ登場作でもポアロを出さないケースも結構あるし、自作戯曲化であっても、原作とは別物と思った方がいいだろう。
本作も原作はポアロ登場なのだが、戯曲では若い弁護士にしてヒロインと結ばれるようにアレンジしてある。当初母の有罪を確信していた弁護士も、ヒロインの婚約者の無神経さに義憤を感じて、ヒロインに協力するようになる...というアレンジがナイス。本人ペースで調査が進む前半は原作よりも自然といっていい。 ただし、後半のオールダーベリーでの過去最現は、どうかなあ。舞台で演じられることはある意味「客観そのもの」だから、それをある個人の主観イメージ、とされたとしても、見る側は客観描写と区別がつかないや。「起きたかもしれないこと」「起きたと信じられていること」「本当に起きたこと」は小説の中では語り手を工夫するなど、叙述に気を付ければ区別ができるけども、舞台で実演しちゃったらどう区別すればいいのだろう? 本作だとある人が述べたことをそのまま舞台で演じて、あとでそれをひっくり返している。これは舞台のミステリとしては評者はアンフェアだと思うんだ。本作は「単純化」したのだけども、単純化が悪い結果を生んでいるように思う。ミステリとしても演劇としても、評者はあまり評価できないなあ。 あと、原作は幾何学的な構成の美があるのだが、この戯曲では構成美は切り捨てられている。これも残念なところ。クリスティの自作戯曲化では駄作の方だと思う。余計な心配だが、本作演じるとなると、俳優さん結構大変だ...早変わりとか回想と今との演じ分けとか、演じ甲斐はあるんだろうけど、負担は大きいよ。 |
No.96 | 4点 | 十人の小さなインディアン- アガサ・クリスティー | 2018/12/22 21:45 |
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さて今年の新訳クリスティとして論創社から出たもの。小説に原作がある戯曲3つにおまけとしてパーカー・パインものとして既訳がある「レガッタ・デーの事件」の初出がポアロものだったのを収録している。戯曲はそれぞれ「そして誰もいなくなった」「死との約束」「ゼロ時間へ」が原作。もちろん「そして誰もいなくなった」の戯曲版は新訳ではなくて評者もすでに論評済なのでそちらに譲る。そっちのが訳が良いように思うのだが...でオマケの「ポアロとレガッタの謎」はパーカー・パインの方とあまり変わらない。なので特にありがたみはない。
「死との約束」「ゼロ時間へ」は2つとも原作をシンプルに仕立て直したような雰囲気の戯曲化である。このため小説では強調されていない作品的な狙いが直接露わになっているが良いところ。ただし、芝居なんでパズラーにコダワる意味がないのはクリスティ承知の上なので、小説みたいなフェアな推理にはならない。仕方ないでしょ。「死との約束」はボイントン夫人を「異教の偶像のよう」と形容して、子供を貪り食うモロク神に見立てているあたり、小説よりも狙いがはっきりするが、真相に改変がある。まあこれは読んでのお楽しみ。ちなみにポアロは出ない、というか芝居だとクリスティが「イメージ違う!」となっちゃってクリスティ本人が出したくないようだ。 「ゼロ時間へ」はセットがトレシリアン邸1つの室内劇として再構成。なのでトリーヴズ弁護士は死なずに最後まで事件に立ち会う。話の中心が分かりづらい小説よりも、この戯曲の方が整理されている印象がある。 けどねえ、本書戯曲だから字面はスカスカだけど600ページあって、定価は4500円。とてもじゃないが、お値段だけの価値がある本とは呼べない。マニア相手のコレクターズアイテムくらいに思っておけばよろしい。評点にはこの定価が結構響いてるよ。せいぜい3000円で出ないのかね。 しかしね、数藤康雄氏が巻末に「解説」として「劇作家としてのクリスティ」という研究を載せていて、これがちゃんとした上演がされていないものまで網羅した力作である。ほぼこの値打ち、と思うしかないな。評者と同じく数藤氏も「蜘蛛の巣」がお気に入りとわかって嬉しい。 |
No.95 | 5点 | アリバイ- アガサ・クリスティー | 2018/11/06 22:28 |
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本当は「十人の小さなインディアン」をやらなきゃいけないんだが....あれボッタクリに近い値段だし、クリスマスまで取っておこうか。
というわけで「クリスティ完全攻略」で無視されている「アクロイド殺し」の戯曲化「アリバイ」である。無視の理由は、要するにクリスティは原作提供、戯曲化はマイケル・モートンという人で、自身の戯曲化ではないからだろう。それでも初期のポケミスのラインナップにはあった作品で、長沼弘毅訳というのが時代を伺わせる。図書館で借りたんだが、ボロボロの本だったよ。 他人の戯曲化とはいえ、本作は1928年に上演されていて、原作小説の2年後、クリスティとしても初の舞台化である。チャールズ・ロートンがポアロを演ったようだ(史上初のポアロ役者だよ)。貫禄があり過ぎて困る...と思うが、当時はまだ痩せていたのかしら。内容は原作にかなり忠実。というか、原作に付き過ぎていて、逆に面白みがない。オリジナル要素はシェパード医師の姉が妹になって、もう少ししおらしく、ポアロとイイ感じになったりするロマンス色。 「アクロイドといえば」なあの要素は、芝居にしたら全然無意味なのは言うまでもない。本作は「犯行時間がどんどん前にズレてくるサスペンス」を軸を芝居を組み立てている印象。これ評者昔から指摘していることなんだけど、みんな派手なトリックに眼を奪われて言わないんだよね。そういう意味では手堅いが、逆に「アクロイド」の評でも書いた「お手盛り問題」もしっかり表に出ちゃってる。ミステリ劇として..いいんだろうか、この舞台化?という印象。 クリスティ自身による戯曲化に親しんでいると、クリスティが芝居というものをよく理解し、楽しんで書いていたことがよく分かる。そういう意味では本作は物足りない。 クリスティ自身のオリジナル劇はすべて翻訳済だが、自作戯曲化は「ナイルに死す」「ホロー荘」がまだ。他人による戯曲化は「ナイチンゲール荘」「牧師館の殺人」がまだ。ということになる..が他人戯曲化の方が権利処理がややこしそうだ。本人戯曲化よりもレアになるだろうね。「十人の小さなインディアン」に向けて気分を盛り上げなきゃねぇ。 |
No.94 | 5点 | ベツレヘムの星- アガサ・クリスティー | 2017/12/26 00:12 |
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本作はクリスティのクリスマス・ストーリーである。まだから、小説としてはミステリとは言い難いが、Mystery には「宗教的な秘儀」という意味もあるわけで、そういう意味じゃミステリ、かもよ。
6つの掌編小説の間に4つの詩が挟まる構成で、あっという間に読めるが、クリスマスストーリーなのでキリスト教に関する常識は必須。やはり「水上バス」は「春にして君を離れ」のヒロインさえも救う話。本作のヒロインは自身で、他人の心がわからない「人間嫌い」と自認するような女性だから(少し身につまされるな)「春にして」の最終段階にいるようなものだ。だからこそ、ちょっとしたきっかけで、救われることもあるのかもしれないね。なかなか、いい。 「夕べの涼しいころ」は知恵遅れの少年が神と友達になる話だが、ミュータントみたいなSF風のテイストが不気味で、なかなか深い。あとは聖者たちがはっちゃける話の「いと高き昇進」が笑える。 というわけでクリスマス・ストーリーとは言っても堅苦しくはない。小話くらいにでサクっと楽しめる。 (クリスマスにこれを読もうととっておいたのだよ。「アクナーテン」「さああなたの暮らしぶりを話して」「殺人をもう一度」はまあ、いいや。とりあえずクリスティは本作で打ち止めにします。) |
No.93 | 5点 | 海浜の午後- アガサ・クリスティー | 2017/09/24 21:56 |
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本作は3つのオリジナル一幕物を集めた短編集という感じのもの。それぞれカラーが違い、「海浜の午後」は海水浴場での、盗まれたエメラルドのネックレスを巡るドタバタ風の軽い作品。強い母に抑圧される青年が悲惨。こういうキャラ、中期の長編によく出てる。「患者」は麻痺で動けない患者の、わずかに動く指先でのスイッチによる回答で、その患者に対する殺人未遂を尋問していく話。舞台効果としてはこれはなかなか良さそう。だけど、一幕もので短いから、ひねりとか特になし。「鼠たち」は不倫の恋を隠した男女が、友人のマンションに誘い出させて閉じ込められるが、これは「死」の罠だった...というサスペンスもの。ネタが「バグダット大櫃」を少し転用している。
というわけで、どれも短くて膨らみが薄いのが難。一幕物のミステリ劇って難しいね。 でなんだけど、これで一応戯曲は入手難(まあデジタルはあるが)の「殺人をもう一度」と、どう見てもミステリじゃない「アクナーテン」以外読んだことになる。本作の最後には戯曲リストとして戯曲だけの一覧が載っているが、これによるとオリジナル戯曲は全部ハヤカワで出てることになる。逆にクリスティ自身による戯曲化でもベースの小説があるものは、ハヤカワは出してないことになる。例外は初期のポケミスで出た「アリバイ」だけど、これは他人による戯曲化だ。というわけで、実はクリスティ自身の筆による戯曲は、小説ベースのものは結構まだ未翻訳だ、ということになる。クリスティ自身の戯曲化でも「死との約束」「ナイルに死す」「ホロー荘の殺人」+共作になる「ゼロ時間へ」と4作もあり、翻訳されたのは「そして誰もいなくなった」と「五匹の子豚(殺人をもう一度)」の2作。クリスティが関わらない戯曲化だと「アリバイ」外に3作ある。 まあ「完全」攻略って海外作家は難しいな。あとクリスティだと詩集があるはずだが、これも未訳(というか、詩の翻訳はそもそも難しいし)。 |
No.92 | 6点 | 招かれざる客- アガサ・クリスティー | 2017/09/03 22:08 |
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「完全攻略」で褒めてるから、本サイトも書評が多いのかな。けど「完全攻略」、本作については何がいい、って言ってるのか読んでもよくわからない。評者は本作、それほどでもない。クリスティって実は舞台効果とかよくわかって使ってる面があるけど、本作読んでいてそれほど「あ、これ演出したい!」って思わせるほどの場面の良さを感じないな。一種の多重解決モノだから、どっちか言えばレーゼドラマ風に読んだ方がいいのかもしれないね。セリフだけで成立しているから、どのキャラの告白も、それぞれ単に等価で、幕が下りても誰が犯人なのかすべて霧の中に消えていく...というあたりが狙いなのだろう(要するに「羅生門」)。そこらへん、評者は芝居としてはスタティックで面白味に欠けると思う。
なので、たぶん評者の好みとしては、クリスティ戯曲のベストは断トツで「蜘蛛の巣」、次点は「検察側の証人」になると思う。(一幕物×3の「海浜の午後」と「殺人をもう一度」はまだだが) けど、本作のリチャードは、クリスティの実兄がモデルだそうだ。おい? |
No.91 | 7点 | 蜘蛛の巣- アガサ・クリスティー | 2017/08/16 22:42 |
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クリスティもホント残りわずかになって、消化試合気分だったんだけど...いや、さすがはクリスティ、やってくれます。本作面白い。大好き!
本作は名探偵は出ないし、サスペンス中心でもないけども、上出来のクライム・コメディ戯曲、それも既存小説作品を下敷きにしない戯曲オリジナルの作品である。「書斎の死体」のテーマで、「予告殺人」のノンキでコージィなノリを前面に出したようなゴキゲンな雰囲気。本作の皮肉な陽気さが評者、本当にツボ。 (発見者は変死体を動かしてはいけないと)推理小説にはみんなそう書いてありますもの。でも、これは現実のことですから...だって、小説と現実はまるで違いますわ。 突如書斎に転がった死体を、メタに洒落のめすヒロインのカッコよさよ!マンガ的な猛女ピークさんが即物的な笑いを取る一方で、アリバイ工作、消える死体、あぶり出しの暗号と秘密の隠し場所...そして真犯人の指摘と意外な背景。ジェットコースター的な面白さにあふれた芝居である。本作はクリスティ戯曲の中でも「ねずみとり」に次ぐロングランを記録したという。たぶん見ていても「ねずみとり」より面白いんじゃないかな。 人間って嘘をつく時は割と真剣になるものでしょ。それでかえってほんとうらしく聞こえるものなのよ。 ....創作ってほんと、そういうことだよね。納得。 |
No.90 | 3点 | 未完の肖像- アガサ・クリスティー | 2017/08/07 20:31 |
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さて、評者のクリスティ評も大詰めに近づいている。残りは戯曲などだから、小説としてはこれがほぼラストである。本作はウェストマコット6冊の中でも、一番ミステリ的興味がないというか、クリスティ自身の自伝小説である。自分の生い立ちと、結婚とその破局までを描いた作品だ。なので「アガサ/愛の失踪事件」へのクリスティ自身の公式見解みたいなものという印象だ。
丁寧に自分の生い立ち・父母と祖母の思い出を綴っているので、他人の人生を覗く興味はあって、クリスティ最長編級(「愛の旋律」と「ナイルに死す」が並ぶくらい)であってもするすると読める。思い出話のせいか、キャラの区別は読んでいてつきにくいが、つかなくてもそう支障はない。別れた夫(要するにクリスティ大尉)であるダーモットは、クリスティがわりと犯人に起用したがるタイプの色男キャラ。性格がクールでドライのために、ヒロイン・シーリアの気持ちが分からなくて破局するのだが、小説の描写としては、別に筆誅覿面でも未練たっぷりでもなくて、あっさりとしたもの。拍子抜けしそうなほどだ。 どっちかいうと、ヒロインと求婚者たちを巡る「ご縁」みたいなものが、一番興味深いように思う。まあ評者なんぞは「何歳までに〇〇して」というような人生設計みたいなものを、御意見無用で仏恥義理しちゃった人間だから、どうこういう資格もないんだがね。 なので、ウェストマコット6冊と言っても、普通にクリスティのミステリが好きならば全部読む必要はない。「春にして君を離れ」「暗い抱擁」は必読だけども、「娘は娘」「愛の重荷」はできたら、レベルだし、本作と「愛の旋律」ははっきり読まなくてもいいようなものである。クリスティ自伝を読むような読者なら、自伝の別バージョンみたいに読めばいい。 |
No.89 | 5点 | 黄色いアイリス- アガサ・クリスティー | 2017/06/28 22:48 |
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一言でいうと「既視感の強い作品集」ということになる。読む順ミスったかな。
「バグダッドの大櫃の謎」は「マン島の黄金」にもあるし、「クリスマス・プディングの冒険」にも中編化されたものがある...「マン島」のは同じ訳者(中村妙子)だけど、訳文が全然違う。「マン島」の方が後のようでこなれてるが、「黄色い」の方が雰囲気がクールだ。「あなたの庭はどんな庭?」は出だしが「もの言えぬ証人」(実際の事件内容は違う)だし、「黄色いアイリス」は長編化して「忘れられぬ死」だ。原型が一種の「歌ものミステリ」なのがツボ。「船上の怪事件」は「ナイルに死す」の原型だろうし、「二度目のゴング」は「死人の鏡」の表題作の原型...と、没バージョンばっかり集めたボーナストラックみたいな作品集である。 他の作品読んでたら、本短編集を積極的に読む意義は薄いけど、中期クリスティの舞台裏、ってあたりを感じるにはそう悪くない。 けどこれで短編集はほぼコンプ。特殊ネタの「ベツレヘムの星」が残ってるくらい。長編はまだ「未完の肖像」が残っているが、戯曲はあと3作(+α)。「さあ、あなたの暮らしぶりを話して」とかどうしよう? |
No.88 | 7点 | ヘラクレスの冒険- アガサ・クリスティー | 2017/05/28 23:11 |
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ヘラクレスの12の難行になぞらえたポアロ短編集なんだけど、実際にはパズラーありの、ロマンチックな恋愛ありの、ファンタジーな政治ものありの、冒険スリラー風のものありの、人情ものありの、バラエティ豊かな作品集という感じ。なので、本格、という感じでもない気もする。
けど、パズラーとしては「レルネーのヒドラ」がいい。ちょっとした会話から真相をポアロが気づくわけだが、初期の短編のようにネタだけな感じではなくて、いろいろと芸が細かいのを気づかさせる。短いのにうまく凝縮していてお手本級の短編。 あとは...そうだね、人情ものとして「ヘスペリスたちのりんご」がきれいにまとまっていて、小説として結構。ポアロもご宗旨はカソリックだった(「満潮に乗って」でカソリックの礼拝に行く描写があったね)。 最後の「ケルベロスの捕獲」も風俗描写を含め小説として実に楽しい。短編「二重の手掛かり」や「ビッグ4」に登場したヴェラ・ロスコフ伯爵夫人が再登場して、ヌケヌケとしたキャラの良さを発揮する。冒頭の地下鉄エスカレーターでの邂逅とかうまく内容にマッチしていていいな。ナイトクラブ「地獄」って遊びに行ってみたいよ。 というわけで、あまり本格本格してないキャラ小説として十分読んで楽しめる内容である。多少は出来不出来があるのはご愛敬(麻薬が便利グッズ過ぎるよ...)。 |
No.87 | 6点 | そして誰もいなくなった(戯曲版)- アガサ・クリスティー | 2017/04/09 23:36 |
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ハヤカワのクリスティ文庫だと2冊ばかり未収録戯曲があるわけだけど、本作は新水社という演劇系出版社から出ている、言わずと知れた名作の本人による戯曲版である。というか「そして誰もいなくなった」は映画化が何回もされているにもかかわらず、参照されるのはルネ・クレールの1945年のものばっかりで、これが原作準拠じゃなくて戯曲準拠だというのは有名な話だ。なので映画と一緒に取り上げる。
本作は芝居なので、セットは1杯だけの室内劇である。なので、いくつかの殺人は、本当に観客の目の前で行われる趣向だ。犯人役に「こう動け」というような、目で見る手がかりの指示はないので、たぶん上演しても被害者役の俳優が、犯人が触らなくてもそれっぽく仕込みで演技しちゃうんだろうな...けど「いつの間にか殺されている」というのが2件ともう少しビックリなものが1件あるので、スペクタクルとしてはスリル満点ではないかと思う。ダイアローグは完全に書き直していて、原作よりもいい感じに仕上がってるセリフも多い。妻を殺されてショックを受けた執事ロジャーズが、それでも仕事を機械的に続けているのを「哀れで見てられない」と同情するヴェラとか、将軍が殺される場面で聖書を音読するエミリーとか、見たら効果的だろうな、と思う場面は結構ある。名作の作者自身による戯曲化、という面ではお手本みたいなものだろう。まあ結末改変は舞台だったらそうだろうね、ということ。あまりそれを大きく取り上げて論評すべきではない(けど、ヴァーグナーの思い出話で、若い頃書いた習作がバッタバッタと登場人物が死ぬ芝居で、結末で誰も生きてるキャラがいないから、幽霊たちによる大団円になったって話があるよ。「そして誰もいなくなった」を地で行ったわけだ)。 で、1945年の映画だが、冒頭5分間セリフがない...サイレント期からのキャリアがあるクレールらしく、所作だけでキャラを見せていくうまさが光る。その結果、ダークな不謹慎系コメディって感じの仕上がりになっている。疑われてイジける執事とか、互いに疑いあってギクシャクしあうとか、思わず噴き出すようなシーンが多い。キャラの性格とかエピソードとか、自由に解釈して作っているので、別物としてみた方が楽しめるだろう。結末も大体戯曲版と同じと言えば同じなんだが、ちょっと変えてあるところがあって、これは比較するといいだろう。評者は映画版の改変の方が自然のように感じる。 |
No.86 | 6点 | ねずみとり- アガサ・クリスティー | 2017/03/05 22:40 |
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「愛の探偵たち」に所収の本作の原型の小説「三匹の盲目のねずみ」も一緒に論じる。
まあ皆さん「何でこれが?」というご意見が多いようだ。そう言いたいのはわかるけど、小説「三匹の~」を読んでいてさえ、「これ芝居だよね?」という雰囲気が濃厚なのである。人の出し入れとか実に演劇的なのだ。まあ本当はさらに原型のラジオドラマ版があるようで、順番的には、 ラジオドラマ -> 小説 -> 戯曲 となるわけだ。なのでたぶん小説の構成もラジオドラマから大きく変わっているものではなかろう。 で戯曲は小説にさらにキャラを一人追加しており、小説ではできても舞台ではやりづらいモリーの心理描写を助ける役割がある。本作のポイントは「人物をよくわかっている、と思っている身近なひとでも本当にその人を分かっているの?」という不安なんだよね。クリスティっていうと旅先みたいな「出会う人すべて身元が?」な環境をよくテーマにして、人間関係の逆転劇を仕込むわけだし、このテーマを突き詰めた「春にして君を離れ」みたいな傑作もあるわけで、「見知らぬ身近な人」というのはクリスティの固有テーマの一つである。それをうまくサスペンス劇に仕込んだのがこの「ねずみとり」のわけだ。クライマックスに犯行再現をもってくるとか、サスペンス劇としては実にソツなくできている。舞台効果をクリスティ、よく分かって書いてるから上演したのを見たら面白いだろうね。っていうか、パズラーを芝居でやろうなんて、そういうムリなことをクリスティ考えもしていないだろうよ.... 評者に言わせると、クリスティだからって何でもかんでもパズラーで読んでやろう、というのが無理筋だと思うよ。馬は馬なり、人は人なり、っていうじゃない? (あ、あと口笛を吹く犯人って元ネタはフリッツ・ラングの「M」だな) |
No.85 | 4点 | 愛の探偵たち- アガサ・クリスティー | 2017/03/05 22:16 |
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本作品集は戯曲「ねずみとり」のベースになった「三匹の盲目のねずみ」を別にすると、マープル4作、ポアロ2作、クィン氏1作になるけども、まあどれもこれも大した作品じゃない。どっちか言えば「没トラック集」という雰囲気である。本質が短編作家じゃないクリスティの場合、短編集の作家的位置づけが難しいな...
この中で一番読ませる「三匹の盲目のねずみ」でさえ、ミステリとしては説得力があまりなくて、ミステリ短編としては今一つである(まあ、詳細は「ねずみとり」でツッコむが)。要するに短編だとクリスティの論理性の弱さが目立ってしまって、真相が恣意的に見えるんだよね。これが長編だとキャラの性格に真相をうまく埋め込んで説得力を出すのが、クリスティの得意技なんだけども、短編だとなかなか難しい。 まあ筆者としてもここらは消化試合という感じ。まだもう少しだけクリスティは残っているが... |
No.84 | 6点 | 検察側の証人- アガサ・クリスティー | 2017/01/04 21:49 |
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さて本サイトでは人気作だな。戯曲なのですぐ読めてお手軽なのかしらん。これは戯曲版が対象だが、「死の猟犬」所収の小説版、それに映画「情婦」まで含めて論評しよう。それぞれの関係は大体次の通り。小説版は割と若書きと言っていい時期の短編。それを円熟期になって戯曲化したのが本作、ですぐに舞台化されてロングラン。数年後ユナイトでビリー・ワイルダーが少々脚本をいじって映画化、という流れになる。
話の大筋は変わらないが、事務弁護士が狂言回しな小説版から、戯曲版は法廷弁護士をメインに据えてラストを少し追加し、映画はいろいろと細部を膨らませている。比較して見た感じとしては、やはり映画版が一番完成度が高い。戯曲でもちょっと観客の緊張をほぐすようなコミカルな場面を追加しているけど、それを映画版は全く採用せずに、オリジナルな造形になっている。これがワイルダーなので実にセンスがいい。 一貫している作品的ポイントは「愛妻のアリバイ証言は、たとえそれが事実であったとしても、法廷ではまったく説得力がない」というシニカルな視点である。どっちか言えば小説版はそのアイデアが生のまま出ている感じが強い。また、これは小説版からあって、評者はちょっと気になるところだが、「ドイツ女は冷たくて打算的だ」というような人種偏見的なニュアンスがある。まあだからこそ映画は彫像的な美しさを誇るディートリッヒ、という配役なんだよね(ちなみにワイルダーもドイツ生まれのユダヤ系なんだがな)。 あと、たぶんこれは戯曲が一番際立つと思うが、法廷での儀式めいた開会の言葉とか、証人の宣誓の言葉とかに、スペクタクルな感覚を持たせれるように感じる。映画で秀逸なのは、裁判のあとディートリッヒが群集のリンチに逢いかかるあたり。ワイルダーなので、この劇を密室劇というより、群集スペクタクルとして捉える視点を持っているようだ(逆にこれはクリスティには欠けているセンスだと思う)。 まあ、なので、本作のベストは映画「情婦」を見ること。ロートンの弁論のせりふ回しはそれだけで見る価値あり。 |
No.83 | 6点 | 死の猟犬- アガサ・クリスティー | 2017/01/04 17:57 |
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さて短編集も残り少なくなってきたけど、満を持して本作。超常現象が絡むネタ(「検察側の証人」は別だが、これは戯曲と合わせて見るので、ここでは対象外とする)だけど、カーナッキ主義というか、ミステリのオチが付くケースも多く、どっちか言えば「反則(オカルト)ありのミステリ」という感じの短編集である。ミステリ/オカルト比は作品によってそれぞれで、内容もうまくいってるのもあれば、それほどでもないのも...という感じで、割と玉石混淆(ミステリでうまくオチてるのもあるし、オカルトでうまくまとまってるのもあるし、逆もある)。でも初期のキャラ系短編集の時代の短編集に入るわけだから、時代を見れば上出来、になる。
個人的には表題作の「死の猟犬」が純オカルト的だが好き。ちょっとクトゥルフっぽいテイスト..というか、クトゥルフ物のアンソロに入っててもそう違和感がない気がする。最後の「S.O.S」は何かよくわからない小説なんけど、妙に引っ掛かる。ちょっと「クィン氏のティーカップ」に似た話かも。 ホラー/ファンタジー色のあるミステリって、クリスティ実はかなり適性があるわけで、どっちか言うと評者そういうの非常に好きだったりする(「クィン氏」とか「終わりなき夜に生れつく」とかね)。まあだけど、本作だと一つ一つが短いこともあって、ちょっとうまくまとめようとし過ぎかな。だから余白多めの「死の猟犬」とか「S.O.S」の方が印象がイイように感じる。 |
No.82 | 6点 | 死人の鏡- アガサ・クリスティー | 2016/12/18 23:50 |
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本質が短編作家ではないクリスティの場合、その短編の存在意義は..ということになると、難しいものがある。短編の作品というのは、じゃあ「長編になれなかったネタ」なのか、というと、長編でトリックもロジックもロクにないとりとめのない真相の作品だってあるわけで、そういうわけでもない...けど、本短編集で「死人の鏡」と「砂にかかれた三角形」を続けて読むと、なんとなくクリスティのモチベーションみたいなものが感じると思う。
「死人の鏡」は、本当に「本格推理小説」を書いてやろうとして書いている作品である。ポアロへの依頼があって、到着を待たずに殺人があり、順に関係者を尋問して、最後に関係者全員を集めて謎解きをする...という「推理小説らしさ」全開の作品である。本作は150ページくらいの長編1/2くらいの作品だから、長編から「本格推理小説の骨格」だけを抽出したようなことになっている..でこれ、よく出来てはいるとは思うけど、小説としては面白くないというか小説としての面白さを狙ってないし、そのうえにクリスティらしさみたいなもの(クリスティ一流のミスディレクションを含め)を感じないんだよね... クリスティの短編の一覧を見てもパズラーは実は少ないし、長編でも形式的なクラシックな探偵小説らしい探偵小説って実は「ゴルフ場」「オリエント急行」「ABC」あたりが典型で、他の作品はずっと崩れた形式になっているというあたりが、クリスティのそもそもの志向のように感じる。 そう見てみると「砂にかかれた三角形」なんて実にクリスティそのものの作品だ。「ナイルに死す」や「白昼の悪魔」を思わせるリゾートでの、人間関係の錯綜から飛び出た死と、その反転による真相..とクリスティらしさをぎゅっと凝縮したようなミステリ短編である。 初出を見ると「死人の鏡」は 1931年で、「シタフォード」とか「邪悪の家」を書いていた頃、「砂にかかれた」は1936年で「ナイルに死す」の前年、となるとやはり「死人の鏡」は「本格推理小説を書かなきゃ!」と妙に肩に力が入った修行期で、「砂にかかれた」は「いいやもう自分流で」と自分の資質をちゃんと理解した開花期の作品と見ることができると思う。 意外なことにクリスティはヴァン・ダインを形式基準とする古典パズラーの苦手な作家だった、というのが真相であり、だからこそ他の黄金期作家とは一線を画すポピュラリティを備えたように評者は思うのだよ... |
No.81 | 6点 | 娘は娘- アガサ・クリスティー | 2016/11/08 20:44 |
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クリスティを子供でも文句なしに楽しめる、穏健で安全で上品な読み物だ...と、あなたがもし思っているのならそれは大間違いだ。本作は女性のSEXの心理的側面を扱ったウェストマコット作品である。クリスティっていうと後期は名探偵の出ない作品を中心に、へヴィな心理探究を目的とした作品があって(評者は皆さんの大好きな名探偵小説以上にそっちが好きだ)、ウェストマコット作品はそっちの延長線にあるだが、とくに本作は「クリスティの暗黒面」が噴出した作品である。
本作は人死にもないしミステリ的興味もかなり薄い。それまでは仲良くやっていた母娘が、母の再婚問題から互いに傷つけあうようになってしまう、どうしようもない世界を本作は描いている。母も娘も結構性格的な欠点の多いキャラだし、きっかけとなった母が再婚しようとした相手も、あまり読んでいて好感の持てる男でもない...娘の結婚相手に至っては最悪の部類だし。なので、本作は「春にして君を離れ」とは別タイプの鬱小説である。この最悪の婿のセリフではあるけど、クリスティこんなことを言ってるんだ。 君は本当いって、人生について何を知っているんだい、セアラ?何もわかっちゃいないじゃないか!ぼくはきみをいろいろな場所に連れて行くことができる。嫌らしい、汚らわしい場所、生そのものがはげしく暗く流れている場所。きみはそこで感じる―感覚でとらえるんだ―生きているということが暗い恍惚感となるまでね! はたしてクリスティ自身このメフィストのセリフに心を動かさなかったと言えるのかな? |
No.80 | 4点 | 教会で死んだ男- アガサ・クリスティー | 2016/10/10 21:14 |
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本短編集はハヤカワの独自編集のようだ。要するにクリスティ、何回も重複ありでアメリカでイギリスで短編集を出しているから、コンパイルの基準になるようなやり方がないみたいだ。だから本短編集は他の短編集から漏れたものをまとめたような感じのものだが...まあ所収の短編のほとんどは、創元だと「ポアロの事件簿2」に入ってるものなので、読んだ感じ「ポアロの事件簿1=ポアロ登場」の続編みたいな感じである。
実際収録のポアロ物は20年代のものばかりなので、「ポアロ登場」の続編で問題ない。出来も似たり寄ったり。ただ、後半「二重の罪」から少し面白くなる。「スズメ蜂の巣」はポアロにしては珍しく人情ものっぽい味がある。でファンジーか怪談か微妙な「洋裁店の人形」とかわりと面白い。まあ最後のマープルもの「教会で死んだ男」は腰砕けの失敗作だろうな。だからトータルの出来は「ポアロ登場」より少し面白いけど...というくらい。 |
No.79 | 6点 | 愛の重さ- アガサ・クリスティー | 2016/09/19 20:00 |
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ウェストマコット6作の中で最後の作品。本作は話の枠組みとしては、ヒロインがヒーローにプロポーズされるところで終わるから、カタチとしては恋愛小説、ってことになるんだろうけど、読んだ印象はそういう感じじゃあ全然ない。どっちかいうと年の離れた姉妹の軋轢(でもないんだが..共依存?)みたいなあたりが印象に強く残る。
評者も実はそうなんだけど、人に何かされる、ってイヤなんだよね。他人にしてあげるほうがずっと気が楽である...そういう心理の話。実は評者の母親もそっくりな性格なので、親子でそうだといろいろややこしかったよ。愛する方より愛される方がずっと負担だ、と分かった末、ヒロインは「愛される」のをやっと受け入れるという屈折したあたり、ホント評者は身につまされるぜ。 本作実は殺人も一つ隠れているんだけど、全然これは主題じゃない。ミステリ色は非常に薄いけど、それでも「無実はさいなむ」の別バージョンみたいな話だと思う。クリスティの中ではホントにシブい作品だけど「無実はさいなむ」が気に入ったなら本作もおすすめ。 |
No.78 | 3点 | おしどり探偵- アガサ・クリスティー | 2016/09/05 21:27 |
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本作、初期のクリスティのファンアート的な部分が強く出ていて、要するに探偵ごっこ+夫婦漫才の短編集である。評者こういうの苦手だ...「ビッグ4」ほど破綻してはいないけど、ノリは一緒。
トミー&タペンスだったら評者は中期以降の「NかMか」か「親指のうずき」とか熟年になってからの方がいいや。評者としては苦手感が最初から漂ってた作品集なので、いままでずっと敬遠してきてやっと読んだわけだ。ふう、これでお役御免でほっとしている。 内容的には「死のひそむ家」のトリックって、後の中期ポアロ物のトリックの原型だよね。最初の最初からこの人「毒物の女王」だったわけでね... あというと、本作は訳題もう少し何とかならんか、と思う1冊。創元版の「二人で探偵を」の方がずっと、いい。 |