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クリスティ再読さん
平均点: 6.43点 書評数: 1252件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.452 7点 乱歩と東京- 評論・エッセイ 2019/01/01 22:56
さて新春は乱歩三連発としよう。二番手は1985年度協会賞評論部門も獲った、乱歩をモダン都市論の中で論じた名著である。バブルのトバ口にかかった1985年というこの時代でなければ書かれなかった評論、という印象を評者は強く持っている。出版も西武カルチャーを担ったPARCO出版、「超芸術トマソン」「建築探偵」といった流れの中で、自分たちが暮らす都市を一つのテキストとして捉え、もう一度別な視点で眺めよう、という知的流行のさなかで本書が出たわけである。ミステリというジャンルが「都市小説」という色彩をホームズの昔から湛えているわけなのだが、乱歩の小説の中に反映した都市の像を社会的に検証しているのが本書である。
評者だと本当に、ここらが青春だったね。80年代にはかろうじて窺うことのできた、本書が扱う建築の名残も今やすべて取り壊され、乱歩都市の記憶は本書の写真たちの中に色あせて「ある」だけのことだ。本書の評論の秀逸としては、「陰獣」を同潤会アパートと絡めて論じた箇所、「怪人二十面相」を少年たちの生活空間として論じた箇所、「二銭銅貨」と貨幣価値の話など、独立して楽しめる話題が多い。「屋根裏の散歩者」を論じてこんな感じである。

部屋を戸締りできるということは、探偵小説の主要なモチーフである密室が誕生したということである。翻ってみれば、登場人物のプライバシーを推理する小説が探偵小説であり、プライバシーが具体性を帯びたことこそ、探偵小説を生み出す基盤となったといえる。

ミステリもただ読んで愉しむだけでなく、さまざまな「楽しみ方」があることを示した「ミステリをどう論じるか」の方法論として画期的な評論だと思う。

No.451 10点 日本探偵小説全集(2)江戸川乱歩集- 江戸川乱歩 2019/01/01 17:10
新年ということで、初心に帰って乱歩を取り上げよう。評者の世代だったら当たり前なのだが、小学生時代にポプラ社子供向けを読んでファンになり...なんだが、評者マセてたから、小学生高学年で平気で大人向けを読み出して、中学時分にゃ「盲獣」「闇に蠢く」あたりまでコンプしちゃってたよ。自分で言うのも何だが嫌な中坊だな。
でその後何回も思い出したように再読はしている。今回読んでみて、大正期~昭和初期の名作たちって、実に読みやすい!というのが改めての感想。戦前の小説とは思えないくらいの滑らかで普遍性のある語り口だと思う。だから70年台の中学生でもこれほどハマれたというものだ。全盛期の乱歩はやはり稀代のストーリーテラー(語り手)だったように思うよ。評者もともと「押絵」「人間椅子」「鏡地獄」「芋虫」「目羅博士」が五大名作だと思ってた(ごめん評者明智クン要らないんだ)が、今回の再読では「鏡地獄」がやや出来上がり過ぎに感じる。「鏡地獄」を落として、「パノラマ島」の千代子との道行きの佳さ(「青ひげ公の城」だよ...)に入れ替えたい。ここらの短編定番大名作たちは名状しがたい哀しみがあるのが本当に、いい。意外に上に挙げた6作が1冊に効率よくまとまってる短編集が少ないんだな。
でこの創元「日本探偵小説全集」のセレクションだと一番異論があるだろうのはもちろん「化人幻戯」だ。たとえば「孤島の鬼」か「怪人二十面相」+「赤い部屋」くらいに差し替えても悪くはなかったんだろうが...今回「陰獣」と「化人幻戯」を連続して読むことになったわけで、そのための面白さみたいものを感じたので、このセレクションもアリか、と思うようにもなった。比較すると非常に面白いし、ある意味「化人幻戯」が「陰獣」のリライトである面がよく見えるんだよね。
まあ「化人幻戯」は、戦後の気の抜けた乱歩の文章なのでどうにも飽きてくるのがあるのと、大河原侯爵も庄司クンも探偵小説ファンで、乱歩の名前も出てくるファンアート風の部分が妙に気恥ずかしい部分もあって、評者昔からかなり苦手作品だった。まあそういう部分は今更仕方がない。「陰獣」も実は、乱歩の本格ミステリ作家の「理知」を抽出した部分を主人公の作家として、幻想作家としての部分を仮想犯人である大江春泥に託してあるという、内輪ネタな要素があるわけだ。「陰獣」の作中で真相は「一人三役」だ、となるんだが、これは実は乱歩のわざと仕組んだ韜晦で、「主人公=春泥」の「一人四役」なのだ、という真意に今回気づいたのだ。「陰獣」のラストでは、主人公こそが鞭打たれて悦楽の叫びを上げるべきなのだろうね。だがそれを「良心が許さない」と決着をつけたわけである。
トランスジェンダー、というわけではなくても、同性愛の場合に「自身が男なのか女なのか?」と惑い、あるいは積極的に「異性の気分になって」愉しむこともある。そういう「性別の揺れ」を「陰獣」や「化人幻戯」に積極的に読み込むべきなんだ。
「化人幻戯」は更に構図を複雑化して、ウケの男(庄司)と理知の人(明智)の分裂がさらに加わる。このような乱歩の内面の劇として「化人幻戯」を読むと、実に面白いのだ。本当にあからさまに、内面を暴露しているんだよね。ここに還暦を迎えた乱歩の諦念みたいなものを評者は感じて、ラストシーンにしんみりとしたものだ。

人間大多数の性格や習慣が正しくて、それとちがったごく少数のものの性格は病気だと決めてしまうことが、わたしにはまだよくわからないのです。正しいって、いったい、どういうことなのでしょうか。多数決なのでしょうか。

これを「カミングアウト」と正当に捉えよう。そうすれば乱歩を今読む意味もあるというものだ。良心が許さない「陰獣」からここまでたどり着いたのである。

No.450 7点 カッコウはコンピュータに卵を産む- クリフォード・ストール 2018/12/27 08:33
本書のサブタイトルは「コンピュータ諜報の迷宮の中でスパイを追って(Tracking a Spy Through the Maze of Computer Espionage)」なので、スパイ小説であることは、まず間違いないよね?90年代始めによく売れた本なんだけども、作者が体験した実話を小説仕立てにしたものである。
作者は天文学者でカリフォルニアはバークレーのローレンス・バークレー研究所のコンピュータ管理者兼任の研究職にありついたばかりだった。1986年に着任したストールは小手調べに、コンピュータの使用時間とその請求金額との不一致の原因を調査することになった。誰かがコンピュータをタダで使っているらしい....というと「?」な方も多かろう。このコンピュータはPCではなくて、いわゆる「ワークステーション」で、多くの利用者が端末から同時に1台にログインして使う「タイムシェアリング」の時代である。でバークレー、80年代、と来たらコンピュータに詳しい人なら「BSD?」となるよね。ストールの管理するワークステーションは、BSD UNIX と VAX/VMS で動いているマシンたち、という時代だ。しかもインターネットは商用利用が認められない草創期で、大学や研究機関の「ネットワークとネットワークを結んだ」時代、牧歌的でセキュリティは無警戒なほど甘い。ハッキングなんて?と警戒もしていないわけだ。ちなみにね、メールやftpはあっても、まだ http がないから、ブラウザも www もホームページもなにもない、そんな時代である。
ストールが気がついた不一致は、謎の侵入者によるもので、バグを突いてスーパーユーザになって侵入の痕跡を消していたようだ。そして侵入者は研究所のマシンを踏み台に、米軍のコンピュータに侵入しようとしていたのだった。容易ならざる事態にストールは気づくが、通報しようにもまだ「ハッキング」の重大さを分かってないFBIは「損害微小」として取り上げてくれない...ストールはガッチリと証拠を揃えて、この侵入者を「研究」しようと考えた。ストールは侵入者を監視しつつ、他のネットワーク管理者の協力を受けて侵入者の逆探知、監視、でっち上げ情報の提供を続ける。しかし、CIA,NSA,空軍省特別調査課、エネルギー省など諸官庁も興味は示すが、縄張り外のハッキング案件には及び腰だった。そんな官僚組織の迷宮の中でストールは奮闘する(考えてみればこれほど大量の職業スパイたちが登場する小説も珍しいね)。
まあそんな話。最終的にはハッカーはドイツの「カオス・コンピュータ・クラブ」という悪名高いグループの周辺にいた人物で、KGBに情報を売っていることまで解明されることになるのだから、本作って異色のスパイ小説であると同時に、「実話のサイバーパンク」でもあるわけだ。
サイバーパンクっていえばね「ジャックイン」でサイバースペースに飛び込むイメージなんだがね...もちろん技術的には今でも実現できているような代物じゃない。本作は80年代のUNIXのリアルな技術によって「サイバーパンクしちゃった」小説だと読むと面白いだろう。結構テキスト画面のスクリーンショットも入っているので、UNIX(もちろんLinuxでも)の知識があると臨場感が味わえる。評者とか本書が出たときに「これが真のサイバーパンクじゃないの?」なんてイヤミを言った記憶があるよ(苦笑)。
まあいま読むと、技術的にもやたらと懐かしい。「技術の記憶遺産」みたいな本、となるかもしれないね。実際、ネットワーク屋さんだと新入社員研修で本書を読ませるところがあるらしいよ。技術面を丁寧に解説して、エンタメとしても面白いから、いいねえ。

No.449 5点 技師は数字を愛しすぎた- ボアロー&ナルスジャック 2018/12/24 23:54
ボア&ナルにしては、登場人物のツッコミが今ひとつなパズラー風の作品。ここは人間消失の「不可能性」に翻弄されたマルイユ警部が、どんどんと妄想の深みにハマって、正気を失いつつもたまたま真相に頭をブツけてしまって、茫然自失する...というのをボア&ナルだから期待するんだけど、そういう風でもない。ここらが惜しいあたりかな。どうも上層部に信用してもらえなくて..というあたりが淡白になってしまうあたりを、もう少し「らしく」扱えたらいいのにね、と評者は思う。
不可能興味の人間消失とは言っても、第一感で「こんな真相だったらヤだな」と思うようなのが真相。解明されてもあまり大して嬉しくないのが正直な気分である....要するにね、「不可能」を連打しても、その「改め」が甘いから「どうせ抜け道あるだろ」と期待値が上がらないんだよね。まだからいいのはタイトルだけ。「技師は数字を愛しすぎた」ってカッコいいけど、深読みする必要は全然ない。残念。

No.448 10点 神州纐纈城- 国枝史郎 2018/12/24 23:39
雨村不木正史といった面々は、乱歩の先輩/後輩といった見方はできても、「ライバル」とはちょっと呼び難い人々だ..と言ってもそう不当ではないと思うのだが、「乱歩のライバル」っているのか、というとある意味国枝史郎がそうなんだね。この人も独自に「探偵小説」を実現したけども、不木を巡って乱歩と確執してたりして、不仲だったために乱歩中心の「日本探偵小説史」からは抹殺されたという経緯がある。
しかも、最良の乱歩がエロ・グロの絶頂でそれが漆黒の美に反転するさまを実現できたのと同様に、国枝史郎の本作も、グロテスクの極みでそれが宗教的で荘厳な美に転じる瞬間を実現できている。戦前の暗黒文学の頂点の一つと呼ぶべき、唯一無二の傑作である。乱歩のライバル、と呼ぶ資格は十分だと思うよ。
本作の登場人物は、すべて極端に情念を突き詰めた異形の者ばかりである。一方に聖の極みでそのために常に自己を恥じざるを得ない光明優婆塞がいて、不浄の極みとして人の生き血を絞って纐纈布を製造する纐纈城主は、「人恋しさ」のために甲府を訪れて、自身が罹患する奔馬性癩を城下に猖獗させる...がそれは

神聖とは「二つ無い」謂いであった。それは「無類」ということであった。神が「唯一」でなかったなら、決してそれは「神聖」ではない。(略)仮面の城主の癩患は、世界唯一のものでった。

とされる「神聖病」でもあり、癩者たちによる「列外のアナーキズム」と呼べるような「逆説的なユートピア」さえ示唆するような光景すら描かれているのである。極端に突き詰められた情念が、ここではすべてが裏返しになる、戦慄すべき価値転倒の小説なのだ。
それゆえ、登場人物たちはそれぞれの情念に因われつつ、実に熱く自らの生き様を探っていく。

懺悔しろとは餓鬼扱いな!これ売僧、よく聞くがいい。懺悔は汝の専売特許ではない。ありとあらゆる悪人は皆傷しい懺悔者なのだ。懺悔しながら悪事をする。悪事をしながら懺悔する。懺悔と悪事の不即不離、これが彼らの心持ちだ。同時に俺の心持ちだ。懺悔の重さに耐えかねてのたうち廻っている心持ちが、汝のような偽善者に易々解って堪るものか。

この魂の熱さ、燃焼力が本作の最大の動力である。本作を読むと「ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」と歌った宮沢賢治の同時代を感じるのは評者だけだろうか?
本作は実のところ未完である。しかし、当初主人公のように見える土屋庄三郎が無意識のまま地底の河に流されるあたりから、物語は不思議と静止にむかって「徐々に止まって」いくかのようだ。だから、本作が纐纈城主の遅れ馳せな死で中絶するのは、何かここで時が凝結するかのような印象を与える。すべてが投げ出され、あらゆる問いは一時に氷結し、世界と人間の謎はそのまま残される。それが「悟り」?
三大奇書とは言うけれど、アンチミステリならば(お望みなら「匣」を加えて)四大名作でいいいんじゃない?と評者なんぞは思うわけで、暗黒文学の奇書、と呼ぶのならば評者ぜひとも「家畜人ヤプー」と本作、そして「死霊」を加えて六大奇書、と呼びたいと思っているよ。本作の熱量値は、それほど高い。
(そのうち作品社の「国枝史郎探偵小説全集」を何とかしたいと思ってます...)

No.447 6点 メグレと深夜の十字路- ジョルジュ・シムノン 2018/12/23 22:07
初期のポケミス「深夜の十字路」で読了。No.119で本作がポケミスのシムノンでは最初のものである。著者名が「シメノン」のくせに乱歩の解説は「シムノン小論」である(苦笑)。途中でシメノンよりシムノンの方がより正確な発音だとなって、変えたんだよね。この「シムノン小論」が日本のシムノン受容をフォローしていて一読の価値がある。戦前の映画「モンパルナスの夜」が特に日本ではがっちり人気を掴んで、春秋社「シメノン選集」まで出たことが思い出話になっている。「シムノンを理解し、これに心酔したことでは、日本の方が英米よりも早かったと思う」
tider-tiger さんがうまくポイントを纏めているので繰り返さないが、シムノンらしいキャラ造形の上手さが味わえる作品だ。登場人物は3家各2人の男女計6人がメインでそれぞれが個性的。落魄した上流階級出身のデンマーク人、自動車修理工場を経営するボクサー上がりの男、保険代理店を営む吝嗇なプチブル、とそれぞれ出自が異なる人々の只中に、車に乗った死体が登場して彼らの隠された関係が?となる。とくにデンマーク人の兄妹の関係が不思議で、これが一番初期シムノンぽくて印象に残るだろう。
事件自体はかなり荒っぽいものなので、メグレ本人が銃撃されるなど、なかなか派手な展開を見せる。そこらへんあまり初期っぽくない。名作とかそういう感じはまったくないのだが、それでもたまに本作のキャラのことが頭に浮かんだりしそうな作品である。こういうあたり、日本人好みなのかな。

No.446 4点 鏡よ、鏡- スタンリイ・エリン 2018/12/22 22:05
いいか?これ。どうも評者はノレないなあ。
幻想的な内的独白、はまあいい。けどね、幻想だとそこに辻褄があるのかないのかが、ホント作者のさじ加減だけで決まっちゃうので、そこに謎を隠しても出来レースみたいにしか評者は感じないんだな。一時サイコスリラーの映画が流行った時に、登場人物の幻想をしっかり絵にしちゃって、評者は「だったら何でもアリじゃん?」とシラけたのと同じようなものだよ。反則だらけの大味なプロレスを見たような気分とでも言えばいいのか。
「信頼できない語り手」ってね、「だったらお前の言うことなんて信じる必要ないじゃん?」とならないようにする芸が必要なんだと思うよ。今回妙チクリンな精神分析まがいなのが嫌い。けどエロいなあ...成人指定である。要するにスエーデン、ていうとポルノだった時代だね。

No.445 4点 十人の小さなインディアン- アガサ・クリスティー 2018/12/22 21:45
さて今年の新訳クリスティとして論創社から出たもの。小説に原作がある戯曲3つにおまけとしてパーカー・パインものとして既訳がある「レガッタ・デーの事件」の初出がポアロものだったのを収録している。戯曲はそれぞれ「そして誰もいなくなった」「死との約束」「ゼロ時間へ」が原作。もちろん「そして誰もいなくなった」の戯曲版は新訳ではなくて評者もすでに論評済なのでそちらに譲る。そっちのが訳が良いように思うのだが...でオマケの「ポアロとレガッタの謎」はパーカー・パインの方とあまり変わらない。なので特にありがたみはない。
「死との約束」「ゼロ時間へ」は2つとも原作をシンプルに仕立て直したような雰囲気の戯曲化である。このため小説では強調されていない作品的な狙いが直接露わになっているが良いところ。ただし、芝居なんでパズラーにコダワる意味がないのはクリスティ承知の上なので、小説みたいなフェアな推理にはならない。仕方ないでしょ。「死との約束」はボイントン夫人を「異教の偶像のよう」と形容して、子供を貪り食うモロク神に見立てているあたり、小説よりも狙いがはっきりするが、真相に改変がある。まあこれは読んでのお楽しみ。ちなみにポアロは出ない、というか芝居だとクリスティが「イメージ違う!」となっちゃってクリスティ本人が出したくないようだ。
「ゼロ時間へ」はセットがトレシリアン邸1つの室内劇として再構成。なのでトリーヴズ弁護士は死なずに最後まで事件に立ち会う。話の中心が分かりづらい小説よりも、この戯曲の方が整理されている印象がある。
けどねえ、本書戯曲だから字面はスカスカだけど600ページあって、定価は4500円。とてもじゃないが、お値段だけの価値がある本とは呼べない。マニア相手のコレクターズアイテムくらいに思っておけばよろしい。評点にはこの定価が結構響いてるよ。せいぜい3000円で出ないのかね。
しかしね、数藤康雄氏が巻末に「解説」として「劇作家としてのクリスティ」という研究を載せていて、これがちゃんとした上演がされていないものまで網羅した力作である。ほぼこの値打ち、と思うしかないな。評者と同じく数藤氏も「蜘蛛の巣」がお気に入りとわかって嬉しい。

No.444 4点 オペラ座の怪人- ガストン・ルルー 2018/12/22 21:13
大時代的ロマン、で思いついたのが本作。もちろん本作はミュージカルでもロイド=ウェーバー版が有名なのだが、宝塚を中心にかかっているイェストン/コピック版「ファントム」もあれば、映画でもロン・チャイニーの昔から当り狂言で翻案でいいならロックオペラの大名作「ファントム・オブ・パラダイス」があり....とこれほど多産な作品はないのでは?と思えるほどの重要作である。
もちろんその理由は、オペラ、という派手な舞台装置に、迷宮のようなオペラ座の幽霊譚、歌姫に執心の仮面の怪人が音楽の天才で...と、「これを音楽劇にしないプロデューサがいるか!」という絶好のポジショニングにあるわけだね。
まあだからミュージカルだってほぼ同時期に作られたのだが、とくに便乗商法というわけでもなく、それぞれ狙いが違っている。ヅカのファントムもロイド=ウェーバーの亜流でなくて、優る部分のいろいろある良作だからね。
でなんだがね、本作の多産さは上記の「設定の良さ」にほぼ、尽きている。今読むと怪人エリックが「悪の天才」すぎて都合よすぎるのがシラケる(まあこれはオペラ座怪異譚を擬似合理的に説明するためかもね)とか、ヒーローのラウル子爵がバカすぎるとか、ビザールなオリエンタリズムから生まれた謎のペルシャ人とか、エンタメとしてはさすがに賞味期限切れとしかいいようがない要素が多すぎる。まあそれでもオペラ座地下巡りではいろいろルルーが薀蓄してくれていて、これがなかなか面白い。
ちなみにロイド=ウェーバー版とコピック版の大きな違いは、怪人造形だね。ロイド=ウェーバーはルルーの原作通りに怪人が誇大妄想的な悪の天才だが、コピック版は改変してあって純粋ゆえにオカシクなった気の毒な人、というニュアンスがあることだ。まあ悪の天才じゃ「清く正しく美しく」ならないからねえ。ロイド=ウェーバーは音楽的なハッタリがよく効いていて、いろいろな音楽スタイルを駆使して「器用だね...」とは思うのだが、オペラ歌唱のあとにフォークソングみたいな歌を歌って、そっちのが「上手い」という話になるのは、評者は違和感が強いよ。「ファントム」は間抜けなラウルの出番は少なくて、三角関係みたいなニュアンスは薄いから、クリスチーヌと怪人に絞ったコンパクトにできている。怪人キャラの改変から今の観客が受け入れやすい話だし、ロイド=ウェーバーにはない音楽的なまとまり感もあって、よくできたミュージカルだ、と評者は思うんだよ。
ミステリの話題にならなくて申し訳ない。

No.443 8点 赤毛のレドメイン家- イーデン・フィルポッツ 2018/12/18 23:07
「闇からの声」がやや古臭く感じたこともあって、大昔読んだなりの本作、今回楽しめなかったらどうしよう?なんて少し構えていたんだが...いや、悠然とした大ロマン、といったあたりが好感!なポイントだったのが評者としても意外なほどである。
たとえばジュセッペ・ドリアの造形なんだけど、イタリア人らしく大仰で芝居がかったあたりが、オペラチック、と言ってもいいくらい。でロマンの化身みたいな未亡人ジェニーと、このドリアとの夫婦仲がブレンドン視点だと本当に幻惑的、といっていいような妖しい煌めきを見せている...これ本当にオトナな趣味の小説だな。
というかね「本格史観」みたいな進歩発展史で見ると「まだミステリとしては不徹底」というようなことになるのかもしれないけど、フィルポッツの狙いは浪漫的な田園小説を書くことの方にあって、そこに20世紀的な新しい「ミステリ」のアイデアを盛り込んで構成してみた、というくらいのものなんだろう。「ミステリ」は本作ではパーツの一つに過ぎなくて、全体の小説としての構成の中で、本来は「ミステリがどう生かされているか?」と問うべきなんだろうね。言い換えると本作はミステリ古典のように見えて、ミステリの視点だけで判断すべきではない小説なんだと思う。
だから最後の犯人の告白なんてねえ、ロマンの極みだよね。殺人の経緯なんてほぼ忘れてたけど、この最後の告白だけはしっかり覚えていた。本作は「読み直して良かった」と思えるよ。

No.442 1点 砂の器- 松本清張 2018/12/16 09:37
今年は山口勝弘も亡くなって、実験工房も遠くなりにけり...と感慨もあるので年内にやりたくて本作。電子音楽をいろいろ試みた作曲家は割といるけど、芸風から見て、ヌーボー・グループ=実験工房、和賀英良=湯浅譲二でいいじゃないかと思うんだ...評者この時期の人だとこの人好きでね。「若い日本の会」ってあれ60年安保の政治団体みたいなものだしね。名家の娘オノ・ヨーコと結婚した一柳慧がモデルに入ってるかな?
先に映画の話をしちゃっておくけど、夕日バックに台の上に乗った「砂の器」に、バーンとタイトルがカブるセンスのベタさに、評者はそもそも互換性がないよ。で現代音楽をクラシックに改変して、過去の悲惨な放浪生活とカットバックして...との有名なシーンが皆さんお気に入りだが、昔ってさ、あれを「交響曲『宿命』」とか呼んでた記憶があるよ。評者そこらへんも強烈な違和感があってか当時からダメだったな。そりゃ宣伝上の問題があるからワカるし、今はさすがに恥ずかしいのかピアノ協奏曲ってシレっと変えているね。というわけで、このベタさは松竹大船の伝統芸なので、今更批判しようとかは思わないが、原作とはほぼ無関係なアレンジである。これに感動したからって「ミステリの祭典」で高評価するのは筋違いだと思うよ。それこそ佐村河内騒動のモデルみたいなものだと思うと、なおさらシラケるものがある....
気を取り直して原作側も...ごめんシラケる要素が多々ある。まずは主人公の今西刑事の周辺で都合よく事件がおきて、手がかりが上げ膳据え膳で手に入りすぎる。ホント今西刑事は、推理推測が百発百中な名探偵だと思うんだ。「えなんでそんな想像ができるの?」と呆れるくらいの薄い暗合に気がついて、それが本線だったりする...
まあだから実は本作長いように見えて、内容が「ご都合」の一本道で結構ペラペラなんだよね。リアルな警察小説って、「ノイズ」でしかない偶然的な線を追って行き止まりになって..を繰り返すのが醍醐味なんだと評者は思うんだよ。ふう。それを刑事の日常生活描写(まあこれは清張お得意でうまい)で膨らましたような小説である。「算盤の掌にひえびえと秋の村」とかね、こういうのは上手いもんだな。
で問題の「音楽殺人」なんだけど、実はね評者、ジャパノイズ界隈とは少々ご縁もあって、本作あまり他人事じゃないんだな。本作だといくつか関川重雄による和賀の作品評が載ってるが、あまり鋭いことを言えているようにも思えない....ジャーナリスティックな感想レベルのもののように思うよ。清張が実験工房の活動や初期の電子音楽、ミュージック・コンクレートに深い理解を持っていたようには感じないや。ただ風俗的なネタとして採用しただけのように思うんだが、ミステリなんでね、これを安易に殺人と絡めちゃうと、結果的にサブカルに喧嘩を売ってることになるわけなんだよ。「奇怪な電子音楽によって精神を惑乱され」ってね。
まあミステリ作家も商売なので、社会的・風俗的なネタを軽い気持ちで取り上げて、「理解不能」を押して小説にしちゃって、その責任がちゃんと取れないこともあるわけである。なので評者とかには僭越ながら、そういう清張の先見の明のなさを嘲笑する権利もあろうというものだ。ちなみにね、本作でも今西刑事が出張して調査する浪速区役所の真ん前に、今はジャパノイズの拠点ライブハウスの一つの「難波ベアーズ」があったりするんだよ(苦笑)。

No.441 6点 地下鉄サム- ジョンストン・マッカレー 2018/12/10 22:43
「新青年」って探偵小説誌というよりも、モボ御用達の総合娯楽雑誌でかなり「雑食」の雑誌だった、というのがどうも見逃されがちのようにも思うよ。カシコキあたりで愛読されて何か最近人気みたいなウッドハウスもそうだし、本作みたいな洒落た都会派ユーモア小説も「新青年」名物だったわけでね。まあイマドキ「地下鉄サム」なんて言っても誰も知らなくて、「新青年」も遠くになりにけり、やね。
で本作「怪傑ゾロ」の原作者として知られるマッカレーのもう一つの人気作だった。ニューヨークの名人スリ「地下鉄サム」を主人公として、サムを追いかけて腐れ縁の探偵クラドックとの、軽妙なコントのような短編集である。のんびりと落語を聞くように楽しむのが吉。「江戸っ子だってね!」なんて合いの手を入れたくなるような、サムのべらんめえな職人気質が楽しい。ここらへん戦前でウケた要素だろうね。
マッカレーというと、早い話最初期のパルプマガジンの人気作家だったわけで、いってみりゃハードボイルド以前のハードボイルドみたいなものだ。ゾロもそうだが、ブラック・スターのような「マスクト・ヒーロー」がお得意でね。それこそグリーン・ホーネットやバットマンの原型みたいなキャラのわけだよ。こういうパルプ・マガジンのヒーロー物やウェスタンの中から、ハードボイルドな探偵たちも育ってきたわけで、そういう連続性みたいなものを、タッチは違えども「地下鉄サム」の中に窺うこともできるのかもしれないよ。
軽く読んで楽しめて、往にし方に思いを巡らせるネタに事欠かない本作はいかがかな?

No.440 7点 007/わたしを愛したスパイ- イアン・フレミング 2018/12/09 22:02
「サンダーボール作戦」以降は映画のための仕事みたいになって、007の余生みたいなものだ...というと言い過ぎかしらん?でその中で書かれた本作は「007外伝」なんだけど、逆に言えば「カジノ」も「ロシア」も本当はヒロイン視点でもよかったのでは?という作品なことを考え合わせると、やはり本作はフレミングが「書きたくて書いた」作品なんだと思う。そういう作者の思いがあってか、映画化にあたって「小説に書かれた内容を使用することを禁止する」という異例の契約をしたらしい。ま、およそ映画向きじゃない作品だが、ボンドガールの名前にさえ、本作のヒロインのヴィヴ・ミシェルは採用されていないくらいだ。
でね、本作、エロい。女性視点での「セックス」が大きなテーマだ。「わたし」「彼ら」「あの人」の三部構成で「わたし」はヒロインの生い立ちと男性歴で、およそミステリとは無関係なんだけど...しかしね「女性から見た(神話的な)ボンドという男」を描くテーマからすれば、これは絶対必要なパートなんだろう。スクーター(時代を感じる)でアメリカ大陸縦断旅行に出たヒロインは、旅費稼ぎにモーテルの臨時の留守番役に雇われた。一人で留守を預かったヒロインは嵐の晩を過ごすが、2人のギャングの侵入を許すことになる。ギャングの狙いはモーテルを火事にして、保険金を詐取するために雇われたようだ...絶体絶命のピンチに、偶然モーテルに車の故障によって立ち寄った男がいた。その男はジェームズ・ボンドと名乗った!
で、見事にボンドはギャングを退治してヒロインを救う。そしてヒロインはボンドとのベッドシーン....となるわけだが、本作の最大の眼目はこのベッドシーンを描くこと以外にあるわけがない。ここでのヒロインの述懐が、フレミングの「ジェームズ・ボンドについての結論」みたいなものなのであろう。本作を読まずして、007を語ってはいけないね。
まあそういう経緯の作品なので、映画とは「タイトル以外は無関係」という関係にある。「ミステリの祭典」的には触れる必要はなかろう。

No.439 9点 三つの棺- ジョン・ディクスン・カー 2018/12/08 22:01
評者も調子に乗って「密室講義」してみようか?
「密室には2通りある。真相に密接に関わりあって、そのストーリーでしか実現できない密室と、どんなストーリーにでも付加できる密室である」なんちゃってね。もちろん本作、「このストーリーでしか実現できない密室」の典型例で大掛かりなものである。大きな真相の逆転が、副次的に不可能現象を作り出した、ということなんだ。これをね、偶然頼りとかいうのは違うと思うよ。マトモな犯人だったら、密室なんて意図して作るもんか。
なので本作、カーも「これしかないストーリーにこれしかない密室」に自信を持ってたのか、本当に余計なことをしていない。事件の記述と、奇術でいえば「改め」(密室講義も「改め」のウチ)だけだ。このストイックさを評者は好感する。おっさんさんが「長い短編」と指摘されているのはまさにその通り。だから本作、できれば一気に読むことをオススメする。
評者は「密室嫌い」を自認するんだけど、それやっぱり、全体と結びつかないような「思いつきの密室」に食傷したせいでもあってね、だからこういう「ストーリー一体型密室」は例外。リアリティがなんだっていうの。「小説自体が仕掛けモノ」の感覚で読んで傑作じゃない?

No.438 6点 伯母殺人事件- リチャード・ハル 2018/12/03 22:36
これ「トムとジェリー」みたいな話だな。ニート青年はいくら頑張っても伯母の手玉に取られっぱなしで、なんか情けなくなってくる....伯母さんあんた性格悪すぎるよ。
本作は「殺意」に学んで「ああいうものを書きたい」と思って書いた、というあたりがよく見て取れる作品なんだが、その分「殺意」には全然及んでいないようにも感じる。面白く読める、といえば読めるんだけどね。「殺意」のビクリー博士と妻ジュリアとの関係を拡大して書き直したようなものだから、トータルには「殺意」の影響作、ということでいいように思う。ま、わざわざ「三大」とまでする積極的な意義は感じないな。
「三大倒叙」という言い方すると、アイルズのもう一本の傑作だが「倒叙」の定義からは完璧に外れる「レディに捧げる殺人物語(犯行以前)」が霞むから、もう少しいい批評的枠組みがないものかな。

No.437 4点 シュロック・ホームズの冒険- ロバート・L・フィッシュ 2018/12/02 21:22
昔読んだときも、評者何が面白いんだが全然わからなかった記憶があるが...うん、今回読んでも面白さが全然わからない(困惑)。
その昔、ホームズがコカイン中毒になってフロイトの診察を受けるパロディがあったけど、こういうのはいいんだがねぇ。パロディでもプラスアルファのホラみたいなものがないから、せいぜい「飄々とした味」くらいのものなのか。だいたい、
・依頼人について推理して、大外れする
・暗号でもない手紙を、無理に暗号と思って「解読」する
・推理に酔って眼の前の犯罪を見逃す
の繰り返しで、けっこうワンパターンだし。強いて言えば落ちのデカい「アダム爆弾の怪」か、おバカな「贋物の君主」くらい?(モロン大佐はひどいなぁ...「精薄大佐」だよ)「schlock」って「安物・まがい物」という意味だそうだ。なるほどね。

No.436 1点 暗いトンネル- ロス・マクドナルド 2018/12/02 21:03
そういえば本作とアンブラーの「暗い国境」って共通点が多い。1)巨匠の「らしくない」処女作、2)タイトル似てる、3)創元で出たスパイ小説、4)訳者が菊池光...なんだけど、「暗い国境」が「らしくない」マンガ調のアクションなのに、その「らしくなさ」に妙に醒めたアンブラーの知性を感じさせるところがあって、評者好きなんだけどねえ.....ロスマクの本作、「時流に乗っただけのB級スリラー」で政治センスも知性もあったもんじゃない。「三つの道」は未読だが、創元のロスマクって評者みたいなコンプ・研究をする気がないなら読まなくてホントいいと思う。
第二次大戦中ってね、たとえば「カサブランカ」だってそうなんだが、戦意高揚を狙った映画作りがなされたわけだし、とくに「防諜」を通じて戦争協力体制が形作られたのはアメリカでも同じだ。そういう背景で読み物としても「防諜スパイ小説」が結構書かれたり、映画になったりしたんだが、ここらへんホントにキワモノだから、戦後にはほとんど顧みられることがないわけだ。

この作品を読んでいろいろなことが頭にうかぶが、とくに感銘が深いのは、彼がこの作品を書いた前後、あるいはその後、数多くのミステリ作家が世に出たわけであるが、その大部分が、いわばこの作品のレベルで終始しているのに反し、ロス・マクドナルドはその後の二十七年間に非常な成長を続けてきた、という点である。

と「訳者あとがき」に書かれちゃってる。婉曲にだけどさ「あとがき」で訳者にケナされてるんだよ。そういう作品さね。
敵であるナチのスパイたちはホントに超人的(苦笑)に神出鬼没。親衛隊に身長制限があるのをお忘れでは?となるような変装もしちゃうぞ! で妙な密室殺人もしたりするし、主人公を殺すために延々アメリカの地方都市を追っかけ回す...そんな話。都合よく「騎兵隊」も救援に来る。
で、そのナチのスパイたち、同性愛で淫蕩な連中として描かれる...おいなあ史実に反してるよ。というか、アメリカ人の「道徳意識」を刺激して一山当てようという、時流におもねる低劣な意図しか感じないな。妙なレッテル張りを、「時節柄」なんて逃げゼリフで評者は許す気はないからね。

うん、いいよ、評者にとって、ロスマクの処女作は「人の死に行く道」だ。それ以前は全部無視、ということにしよう。

No.435 6点 妖術師の島- A・H・Z・カー 2018/12/02 20:34
1971年度MWA新人賞受賞作。けど作者はその時69歳で、この年に亡くなってるから、ちゃんと「受賞」したのかなぁ。「新人賞」だがぜんぜん新人じゃない、A.H.Z.カーの唯一の長編である。短編じゃEQMMコンテストの常連で、著名経済コンサルタント、トルーマン大統領の経済スタッフだったくらいの、超大物の非専業作家である。「ミステリ外業績」×「ミステリの業績」で考えたら、トップクラスなのでは、となるくらいの短編の名手として鳴らした人である。
なので本作も一筋縄ではいかない。舞台はアメリカ領だがカリブ海に浮かぶ黒人の島「セント・カロ」。モデルはアメリカ領ヴァージン諸島(プエルトリコの隣のようだ)ということになる。スペイン系のプエルトリカンもいるが、ネイティブは黒人たち、というわけで本作の主人公ブルック署長も黒人である。

この島はカリブ海地方で私生児の出生率がもっとも高く、犯罪の発生率はもっとも低い

と紹介される、のどかな島である。主要産業はラム酒と観光。この島でアメリカ人が経営するホテルに滞在していた白人が殺された!その傍らには「島の義賊」として知られるモービーの手帳が落ちていた...ブルック署長はアメリカから派遣されてきた副知事に、モービーを捕えるよう厳命された。しかし署長とモービーは幼馴染でもともとは親友の間柄だった....義理と人情の板挟みの署長は、殺人の真相を解明できるか?
という話。黒人署長が知性と人情を発揮する本作、だからデンゼル・ワシントンが気に入って映画にしたようだ。劇場未公開だがTVで放映したことがあるらしい。「島の義賊」というとそれこそウンタマギルーだが、そういうのんきさ、のどかさとユーモア感が漂う上出来の小説。推理もかなりマトモで、黒人署長の知性がダテじゃない。もちろんタイトル通り、「オービー」と呼ばれる島独特の呪術があって、これが謎解きと密接に結びついている。
地味だけどのどかに楽しめるナイスな小説である。カリブ海のリゾート気分を満喫できるが、それでも

一時は教育が何よりも大事だと思ったことがあった。学校をふやし、税金をアメリカの援助の中からもっと多くを教育につぎこんで、すべての子供たちがハイスクールを卒業できるようにすることだ。しかし、ある日考えた。どういう教育をやるのか? 今の子供たちは無知ではあるが、ビクビクもしないし、貪欲でもない。ところが、しばらくアメリカ式の学校に入れたら、合衆国の黒人の子供たちと同じように劣等感をもつ。そして貪欲になる。

と署長は述懐する。大統領の補佐をしただけのことはある、さすがの見識。
(さてあとカリブ海モノって...どうだろう「死ぬのは奴らだ」「ドクター・ノオ」か「新・黒魔団」かなあ)

No.434 6点 闇からの声- イーデン・フィルポッツ 2018/11/29 21:38
さて古典。読んでて「ハマースミスのうじ虫」が本作のリライトみたいなことに気がついたな。オタクっぽいが独創的な犯罪者を、天性のマンハンターが「密猟」する話である。なので本作が作ったパターンというものは、なかなか応用が効いて面白みのあるものだ....とは思うんだよ。
更に考えてみると、本作ある意味ゴシック・ロマンスを解体して再構成したようなものなのかもしれない。怪しい叔父の男爵が敵だし、幽霊も出るし「呪われた彫刻」だったりするわけだ。ゴシック・ロマンスの要素を「合理」で裏側から再構築した「逆転」の作品が、本作ということになるのかな。だから「倒叙」とはちょっと違うけども、まあ「倒叙」と似たような逆転操作による作品だとは言えるだろうね。
なので本作は19世紀的なロマンに根っこを持って、それを20世紀的に解体した作品、と読めるんだろう。しかしね、19世紀的な持って回った描写が多すぎて、早い話説明過多。スピード感に大幅に欠ける。で、リングローズがブルーク卿をルガーノで晩餐に迎える場面で、本作リングローズ視点限定の三人称小説だと思ってたら、リングローズが席を外したときに、ブルーク卿の心理描写を始めたよ....視点の混乱を気にしないのは、いかにも19世紀的で古臭い。
というわけで、20世紀的な新しさと、19世紀的な古臭さが奇妙に混在した、かなり珍味な小説である。心して読むべし。

No.433 8点 ギャラウエイ事件- アンドリュウ・ガーヴ 2018/11/26 21:34
あれ、本作まだ1つしか評がないや。残念だねえ、本作なんて知る人ぞ知る鉄板の面白作品なのに。ガーヴのツートップとして「メグストン計画」と並ぶ名作である。「ヒルダ」なんて読んでる場合じゃないよ。
新聞記者レニイはジャージー島出会ったメアリという女性と恋に落ちるが、メアリの父である探偵作家ジョン・ギャラウェイに新作の剽窃疑惑がかかり、サレ側としてギャラウェイを追求したアマチュア作家が殺害された容疑で有罪の判決を受けてしまったのだ! メアリはあくまで父の無実を信じ、メアリに恋するレニイはその盗作と殺人の容疑を再調査するのだった...しかし剽窃の証拠もいろいろ揃っていて、なかなか突破口が見つからない。どうなる?
という話。ジャージー島で出会ったメアリが突然姿を消す謎がまずはレニイの調査能力の小手調べ。ここでレニイの堅実だがしつこい調査能力をデモしてみせるのが、ガーヴの上手いところだろう。改めてガッチリ証拠の揃った剽窃の謎をレニイは追求して、トリックを暴くことになる。仮説を組み立てては調査しては崩れ、といったあたりをそれこそ「サスペンス」と捉えて読むのがいいのだろうな。筆致はリアルで、仕掛けは凝っているが納得のいく真相である。
で最後はガーヴらしく廃坑での追っかけっこのスリラー&冒険小説のサービスあり。またイギリスのミステリ業界が背景になっているので、特にモデル小説とかそういうわけでないが、ややメタなところを面白がっているテイストが少しだけある。
ギャラウェイや登場する作家たちも「探偵作家」とはなってるが、剽窃されたとなった小説は「海底四十尋」ってタイトルでね。狭義の「推理小説」と冒険スリラーを区別したがらない、イギリスの業界体質も見て取れると思うよ。まさに本作、そういう「足の推理小説」と「ラストの冒険スリラー」が合体した好例みたいなもんだね。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.43点   採点数: 1252件
採点の多い作家(TOP10)
アガサ・クリスティー(97)
ジョルジュ・シムノン(89)
エラリイ・クイーン(45)
ジョン・ディクスン・カー(30)
ロス・マクドナルド(26)
ボアロー&ナルスジャック(18)
エリック・アンブラー(17)
ウィリアム・P・マッギヴァーン(17)
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ダシール・ハメット(15)