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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1384件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.584 6点 死後の恋- 夢野久作 2019/10/08 21:48
夢Q地獄系短編集。この本は社会思想社「異端作家三人傑作選」の1冊で、田村文雄の白目狂女のカバーイラストがグロい。収録は「人の顔」「死後の恋」「鉄槌」「斜坑」「幽霊と推進機」「キチガイ地獄」「押絵の奇蹟」「瓶詰の地獄」。必読有名作も多いけど、前にやったちくま版全集第8巻とやや作品がカブる。仕方ないな。今回マイナー作の「鉄槌」を面白く読んだ。
実父が「悪魔」と罵った株屋の叔父に、父の死後引き取られた主人公は、電話の声から相場をアテる奇妙な才能を発揮して、「悪魔」な叔父にも一目置かれるようになる....父の仇を討つ気もなくて怠惰に雇人を続けていたのだが、叔父は小悪魔的な情婦に篭絡されてその言いなりになってしまった。しかもその情婦は主人公にも粉をかけてくる始末。情婦はどうやら叔父の毒殺を狙っているらしい。主人公はどうするか?
というような話なんだけど、この主人公がきわめて怠惰でヤル気ないのが、いい。このキャラが実に夢Qらしい。「アンチ復讐小説」と言いたくなるような意外な儲け作。
「死後の恋」は浦塩(ウラジオストク)が舞台のグロテスクロマンで有名作。「アナスタシア内親王殿下」とか、そういや湊谷夢吉の漫画作品もここらをネタしてたなあ...(夢Qも70~80年代にガロ系に影響があったよ)
であと中編「押絵の奇蹟」かなあ。これ「ドグラ・マグラ」の中盤あたりの舞台装置に近いし、ウェットな情感でも共通する。「先夫遺伝」ってオカルトがベースにあるけど、小栗虫太郎の「白蟻」もこのネタ。きっとこの時期に流行ったんだろう。

No.583 7点 死の接吻- アイラ・レヴィン 2019/10/05 16:24
「アメリカの悲劇」をやったこともあって、本作を取り上げることにする。クライド・グリフィス君の名誉のために言うけど、本作の犯人、クライド君よりワルい奴だよ。最初っから狙いに狙って計画を立ててるわけで、伊達邦彦の方がずっと近いや。非情で良心ゼロで几帳面なほどに計画的....まあそれでも伊達邦彦みたいな超人じゃないから、特に第一部で計画が思い通りにいかなくてヒヤヒヤするのが読みどころではあるんだけどね。
で第一部で「彼」でやる叙述の手口はさんざん模倣されて目新しさはもうないんだけど、本作の良さ、というのは「ミステリ」というものをデザイナー視点で眺めて、編集しなおした「編集感覚」みたいなものなんだと思う。そういう意味で「新しくない」けど「新しい」、一風変わったポジションにあるのが強みだ、第一部の倒叙風、第二部のエレン視点の素人探偵ぶり、第三部の「追い詰める」サスペンス....「編集感覚」の冴え、というものだろう。
それにしても文章、上手だな。23歳でこれだけ書けるのはオカシイようなレベルだよ。本作のあと期待され続けたのがわかるけど、期待ほどには...と思うのは厳しい見方かな。

No.582 6点 大盗ジョナサン・ワイルド伝- ヘンリー・フィールディング 2019/10/03 08:37
戯曲と小説をきっちり区別するのも意味がないのかもしれないが、本作は現代の「小説」に直接つながるイギリス近代小説の発祥期(1743年出版)のもので、タイトルの通り実在した「暗黒街の帝王」を主人公にした「小説」なので、「ミステリ小説」の守備範囲に、一応、入る。きっと最古の「ミステリ小説」だろうね。
作者はヘンリー・フィールディング。この人は「イギリス小説の父」と呼ばれる一方、政治家としても活躍し、それまで無給で非専門家による運営だったロンドンの警察機構を改革して、「ボウストリート・ランナーズ」と呼ばれる専門の警察官による常勤の組織を作り上げた。つまりスコットランド・ヤードの原型を作った政治家でもあるわけだ。それこそ本作は、アンタッチャブルによるアル・カポネ伝みたいなもの...
のはずだが、実のところ、作者のフィールディングは辛辣な政治評論家でもあって、表向きはタダの故買屋だが、陰ではカモの情報収集・実行犯の編成・盗品を持ち主に買い取らせる交渉・売却・逮捕された場合のアリバイ提供・判事や陪審の買収など、一貫した「企業」として「犯罪組織」を作り上げて運営したジョナサン・ワイルドを主人公としながらも、さらにワイルドをフィールディングの政敵ロバート・ウォルポールに見立てて「物陰から攻撃する」怪文書的な役割まであったりする。トンデモない小説である。

実際、偉大性が、権力、高慢、傲岸、人類への加害を旨とする限り、また、―歯に衣きせずに申し上げるが―大人物と大悪人とが同義語である限りは、ワイルドこそ並ぶものなき偉大性の絶頂を独占すべき男でござる。

と、価値観をひっくり返すのは、そのウラに首相ウォルポールを標的とした「ホメ殺し」とかそういうイヤミな手口が潜んでいる。しかし、善と悪がひっくり返った、価値の転倒を本作は徹底的に行っているので、社会の裏側にある「裏返しの世界」が妙にリアルなものとして浮かびあがることになる。ワイルドは犯罪者の世界ではカエサルやアレクサンダー大王に匹敵する偉大な英雄であり、大政治家であり、大経営者なのである...とこれにヒントを得たのがブレヒトで、本作と「ベガーズ・オペラ」に取材して「三文オペラ」を書いたわけだが、「三文オペラ」の辛辣な陽気さは本作から立ち上るものだろう。
一方、ドイルはこのワイルドの犯罪組織にヒントを得て、モリアーティ教授とその組織を作り上げている。というか、その旨を「恐怖の谷」でワイルドの名前を出して刑事に講義するシーンがあるくらいだ。だから、「最初期の犯罪小説」で「影響力絶大」で「きわめてアイロニカルな語り口が面白い」怪文書みたいな快小説である。「トリストラム・シャンディ」風の脱線とかギリシャローマ古典的な観念操作とか読みづらい部分はあるのだが、こういう小説は、他にはなかなかない。

No.581 6点 女には向かない職業- P・D・ジェイムズ 2019/10/01 14:07
本作を「ハードボイルド」と呼ばれると、評者は忸怩たるものを感じるのだが....まあ今時ハードボイルド文なことを要求もしないし、カッコつけなくてもいいし、ましてやオトコじゃないと...とか言う気はさらさらにない。それでも、御三家に向けられた「意識」とか「まねび」みたいなものがないと、評者はハードボイルド、とは呼びたくないな。本作は強いて言えば、エリンの「第八の地獄」をベース(たとえば前所長に対する想い)にしているんだろう。なので、これは「ハードボイルドとは別な流れから来たリアリズム私立探偵小説」だと思うんだ。そのくらい、「第八の地獄」がミステリ史上の重要作だと思うんだけど、過小評価されているのが残念だ。
で、言うまでもなく、女性私立探偵コーデリア・グレイ初登場。つまり、女性が書いて、女性に共感される、女性私立探偵という意味では画期的、と言っていいだろう。事件は有名科学者の息子の自殺の真相を解明して...という依頼。ケンブリッジの学生たちの間をコーデリアが回って調査するわけだから、そりゃ年も近くて当りの柔らかな女性の方が向いてるに決まってる。たとえば今「私立探偵」をググってごらん、結構リアルの女性探偵ひっかかるから。相談しやすくて頭ごなしな態度をとったりしないから、実はリアルじゃ「女に向いた職業」なのかもしれないよ(苦笑)。だから関係者の女性たちと、いろいろ共感しあうあたりが、一番の読みどころになる。そうしてみると、小説としては実に王道になるわけで、大鉱脈を掘り当てたようなものだ。ミステリとしては小粒だけど、しっとりした読み心地がある。
で...実はね、評者のジャンル投票は「クライム/倒叙」にした。このオモムキは読んだ人にはわかると思う。どうだろう?

No.580 6点 見えないグリーン- ジョン・スラデック 2019/09/26 09:17
70年代にもなると海外では珍しい純パズラーで、日本でいう「新本格」テイストの作品。というか、本作は本当にパズルに徹していて、逆に「それ以外の要素」が皆無、というのが珍しいようにも思うが、いかがだろうか(たとえば「ホッグ」ならスリラー要素も強い)。それでも軽くユーモラスな雰囲気はあるから、読みやすさは十分。パズルだから動機は軽いものだし、フィージビリティとかいうのは野暮。それでも「黄金期パズラー」に対する過剰な思い入れみたいなものはなくて、軽妙でカラフル、だからポップ。アメリカの「新本格」の手品趣味に寄ったマニアックさもないし、イギリスの「新本格」の教養主義でもない。「新本格」ってのがもともとタダの宣伝文句なのを割り引いても、日本の「新本格」に近いタイプなんだろうな。
趣向として面白いのは、容疑者たちのアリバイの理由が逆密室になっている、というあたりだろう。そんなに長い作品でもないのに、連続して3つの殺人が起きるくらいで、動きがあって興味を引っ張るが、探偵役はその中で目立たない手がかりを拾い出して...というタイプの謎解きだから、漫然と読んでるとすぐ終わっちゃう印象。軽い口当たり。
というかねえ、この手の作品だったら何を基準に作品の良し悪しを判定するのか、って「論」的な部分で難しいようにも思う。ロジックがアクロバティックなわけでもない、トリックが派手というものでもないし、真相からドラマが立ち上がるわけでもないし、だったら、かなり読者で差がありそうなパズルで言う「解き味」? 「フェア」はまあ前提だろうしねえ。ミスディレクション中心のものだったら「経済性」はダメだろうしね...本作ある人物がパズルとしては浮いたピースになると思うよ。「難度」高きゃいいってものでもないだろうし、難しい。

No.579 6点 緋色のヴェネツィアー聖マルコ殺人事件- 塩野七生 2019/09/22 22:07
現在は副題に「殺人事件」が入っているが、当初「聖マルコ殺人事件」で出版されている。ヴェネチアの聖マルコ寺院の下で見つかった刑事の死体で始まって、小説の最後で犯人が判明するけど...まあ犯人当て興味はない。16世紀初めのヴェネチアを中心に主人公アルヴィーゼ・グリッティの愛と野望を描いた歴史小説、になるんだが、時代が古いだけのことで、内容はほほ国際スパイ・国際陰謀物だから、本サイトの守備範囲だと思う。この主人公の知名度は日本じゃないに等しいし、この時期のヴェネチアとオスマントルコを巡る政治情勢は、まず馴染みがないだろう。だけどハプスブルク家カール5世の野望に抗して、自らの恋と野望のために散るこの主人公の立ち位置が極めてユニーク。大変ナイスな主人公で、よくぞ見つけたねえ、と褒めたくなる。
アルヴィーゼはヴェネチアの元首の私生児で、庶出ゆえにヴェネチアの貴族社会には受け入れられないのだが、ビジネス上の付き合いの深いイスラム教のコンスタンティノープルではハンデではなく、ヴェネチアとオスマン・トルコの同盟関係を保証する「元首の息子」の要人として、スレイマン大帝にも信任される...というんだもの。国家も宗教も軽々と乗り越えて活躍する主人公に、ハメられる枠なんぞない。ヴェネチアでは名門の令嬢と恋しながらも、貴族外の私生児と結婚したら貴族から除外される規定があるので、自ら一旦身を引くんだが、オスマン・トルコの後援でオーストリア牽制を目的として、ハンガリーの征服とその王位を狙う...愛する人をハンガリー王妃として迎えようというアルヴィーゼの野望は実現するか?とまあロマンの極みみたいな主人公である。
なので話は、大変面白い。けどこの低評価は...妙に説明調が強く出ていて、小説らしい面白さとはちょっと違うんだよね。素材はもちろん極上なんだけど、語り口が生硬でやや興を削いでいる。何か惜しいなあ、という印象。塩野七生って小説家とも歴史家ともつかない微妙な人なんだな。それでも、当時の男性ファッションのきらびやかなあたりもちゃんとチェック入っている。こういうあたりは、いい。
でこのロマンの極みな主人公を、宝塚歌劇が放っておくわけない。で「ヴェネチアの紋章」(1991)になったわけだ。脚本・演出は今年7月に亡くなられた柴田侑宏で、主演も若くして亡くなった大浦みずき、その退団作品。というわけで柴田センセの追悼で本作を取り上げることにした。柴田センセというと、ファンの間ではベルばらの植田紳爾よりも尊敬されてた大ベテランなんだが、評者も好きな作品が数多い。本作もかなり原作に忠実なんだけども、作中でアルヴェ―ゼが恋人と踊るモレッカのシーンなんぞ、ヅカのダンスの教祖大浦みずきである。極めつけのカッコよさだ。これを受けて、アルヴィーゼが戦死を覚悟して遠く離れた恋人を想ってハンガリーの城で独り踊るモレッカをオリジナル・シーンとして追加しているし、幕切れもヴェネチアの「海との結婚」の祭りに、アルヴィーゼと恋人が転生(ヅカのラストシーンはよくある)して、語り手のマルコがそれを眺める、泣かせるラストになっている。
どうも大浦みずきの主演作で唯一のDVDが本作らしい。ちなみに後にトップスターになっただけでも安寿ミラ、真矢みき、森奈みはる、愛華みれ、真琴つばさ、紫吹淳、匠ひびき、姿月あさと、月影瞳...だけでなくて、研一で安蘭けい、花總まり、春野寿美礼まで出てたりする。古き良きヅカを楽しめる作品だ。

No.578 6点 ペトロフカ、38- ユリアン・セミョーノフ 2019/09/18 23:15
旧ソビエト警察小説である。ハヤカワの世界ミステリ全集にも収録されていたな。で....大変トッツキの悪い話である。会話と行動中心の文章だが、ハードボイルド、というものでもない。結構スカスカな文体で、児童向けを読んでいるような....それでも刑事や関係者の心理描写も結構入ってるが、昔風の神視点で、あたかも19世紀の小説を読んでいるかのよう。と「こりゃ、参ったなあ」と我慢して読んでいると、慣れてくるのか何となくの愛着も湧いてくる。キャラが立ってる、という感覚でもないんだが、生暖かい目で見守っていると、ふいにモスクワの街に犇めく無名の市民たちの肖像が浮かび上がってくるようにも感じられて、やはり警察小説とは「都市」がテーマである。だから今の小説とはポイントがズレているだけで、決して成功していないわけでない。6点は甘目だがついつい...
警官のピストルを奪って強盗する二人組とその黒幕を追う刑事たちの活動と私生活を、手堅くリアルに追った作品である。政治的背景はなくて、不良青年物に近いかなあ。登場人物は多くて、しかも長ったらしいロシア名前である(当たり前だ)。パズラー的な興味はほぼないが、事件に巻き込まれる詩人志望の少年を刑事たちが気遣ったり、強盗たちのターゲットが判明して救助が間に合うか?のスリルがあったり、これはこれでお国は違えど「大衆小説」の面白味が徐々に立ち上がってくるものである。
モスクワは涙を信じない、と小説の中でも繰り返し口にのぼる言い回しがあるんだが、それが言い得て妙な都市小説である(このタイトルの映画があったなあ。ちなみにアチラでは国民的名画で、主題歌も名曲)。

No.577 8点 火神を盗め- 山田正紀 2019/09/16 21:48
70年代の山田正紀の冒険小説じゃ「謀殺のチェスゲーム」と並ぶ名作だと思う。

大企業に温情主義は通用しないと言いながら、社員には忠誠を期待している...冗談じゃないですよ。会社が利益のために平然と社員を切り捨てるのなら、社員だって生命のために会社を切り捨てて当然じゃないですか

よくぞ言った!社畜根性をひっくり返す過激さが素晴らしい。今こそ見習わなくっちゃね。上出来のアンチ企業小説(なんてあるのか?)である。
インドのアグニ原発の中心部に爆弾が仕掛けられているらしい...総合商社の傍流社員の工藤がこれに気づいたとき、アグニ原発に派遣されていた同僚たちは事故にみせかけて殺されていた。帰国した工藤は専務を脅すまでして、この原発に侵入してトラブルの根源である爆弾を解除するプロジェクトを強引にスタートさせる。しかし集まったメンバーは社内でも指折りの無能社員たちばかり。対するアグニ原発は中印国境沿いにあることから、軍事施設級の重警戒が施されていた。プロも匙を投げる「不可能」なミッションにひるむことなく、無能社員たちを率いる工藤は奇想天外な手段でアグニ原発を攻略する...
とまあこんな話。こりゃサラリーマンのロマンが詰まった小説、じゃないかね。で、無能とされていた社員たちも、このプロジェクトの中で、それぞれがそれぞれのコンプレックスを克服していくのがお約束とはいいながら感動的。評者は桂の独演会が、泣けたなあ。劇画調でSFチックだが、シンプルでストレートな良さがある。まあ、大人の童話と思って読みたまえ。

サラリーマンを馬鹿にするんじゃない。スパイはカスだ、カスが真っ当に生きている人間に勝てるわけがない

No.576 7点 アメリカの悲劇- セオドア・ドライサー 2019/09/16 21:20
二十世紀の有名な人殺しの小説、というと後半の「異邦人」はもうやったが、二十世紀前半代表はコレでしょう。本サイトで取り上げても問題ないと思うんだよ。考えてみりゃ、ヴァン・ダインというかW.H.ライトの文学グループのトップ作家だし、アメリカン・リアリズムという点じゃハードボイルドを用意したようなものだ。しかも「郵便配達は二度ベルを鳴らす」だって本作のリライトみたいな気もしてくるし...と「死の接吻」を引き合いに出さなくてもアメリカのミステリにいろいろと縁の深い作品なことは間違いない。
ま、実際主人公クライド・グリフィスの生い立ちと最初のホテルのベルボーイ稼業を扱った第一部はともかく、伯父のワイシャツカラー工場に勤めて女工ロバータとイイ仲になるけど、土地の令嬢ソンドラに気に入られてオモチャにされて...でロバータを殺すことになる第二部、その裁判から死刑に至る第三部はなかなかミステリ的な興味は大きい。しかもね、クライドは悪人というよりも優柔不断というか、野心と性欲が強いくせに、問題先送りタイプで、にっちもさっちも行かなくなって、グダグダな計画でロバータを殺そうとする。で、実際いろいろと足跡を晦ます工作をしながらも、いざロバータを殺そうとすると、何か気の毒になってついついためらってるうちに、事故みたいな恰好でロバータは溺れ死ぬ。しかし、クライドが策を弄したたために、今さら「殺してない」とはとってもじゃないけど主張できない....というはなはだ喜劇的な状況に陥る。裁判で無罪を主張しても、貧乏な女工から令嬢に乗り換えようと、女を殺す冷酷無残なプレイボーイ、というパブリック・イメージにハマってしまって、市民の憎悪の的になるだけ。社長と血縁があるだけで、タダの貧乏説教師の子だから貧乏から這い上がりたい、と思っているだけなんだけど、美男のせいもあって、色悪扱いされてしまう。
というわけで、「アメリカの悲劇」というタイトル自体が、狙って付けたようなアイロニカルなタイトルになっている。主要人物すべての心理をこれでもか、というくらいに細かく追って、重厚というかクドいというか、喜劇的なタッチはまったくないのだが、それでも鳥瞰すると喜劇でしかない、というのが実のところ一番「悲劇」的なポイントなのかもしれない。まあ、作者も結構主人公に批判的に突き放して描写しているしね。だから、死刑になるまでクライドは、自分がロバータを殺したかどうか半信半疑だし、母の愛に触れて獄中で悔い改めたことになってても、今一つ他人事みたいである。要するに未練がましく、したいことが徹底しない情けない男なのである。映画化の「陽のあたる場所」じゃ二枚目モンゴメリー・クリフトだったけど、カッコ悪さが本質だし、卑小なあがきがナサケなければナサケないほど、喜劇であり同時に悲劇になる。とすると「青春の蹉跌」のショーケンが一番「クライドの息子」らしさがあったのかもなあ。「えんやっとっと」だもんね。
あと文章なんだが、心理描写が丁寧というか、会話をしている二人の会話と同時にその内心を描写するするような、「作者は何でも知っている」スタイル。とにかもかくにも、何でもかんでも作者が説明したくて仕方がないような、とてつもなくクダクダしい文章である。ある意味、凄いのだが、ヘミングウェイやハメットの簡潔なハードボイルドスタイルが、ドライサーへの批判じゃないか、と勘ぐりたくなるような代物。

No.575 7点 黄色い犬- ジョルジュ・シムノン 2019/09/15 17:50
さて「黄色い犬」で評者の手持ちシムノンが尽きる。何となく手持ちがあるうちは図書館本とか借りづらくてね....初電子書籍で「港の酒場で」とかもチャレンジしたいな。
ジャンルが何となく「本格」になってるようだ。最後で関係者全部集めてメグレが謎解きするから、かもしれないが、論理的な...とは言えない解決というか、一般的な「推理」じゃないから「本格」はムチャだと思う。
というか、評者に言わせると「シムノンらしい」のは、短い小説なのに、登場人物の「行動原理が変わる」ところにあるように思うんだ。本作だとある人物「復讐」がベースにあるんだけども、結局復讐する意味がなくて復讐を止めてしまうし、いろいろな事件が必ずしも犯人の狙い通りの結果、というわけでもない。だから実質「推理不能」な部類の事件だし、シムノンの狙いもそんなところにはない。
じゃあ本作で何が印象的か?というと、それはやはりホテルの酒場の女給エンマ、

エンマは、もどって来ると、その場のようすにはいっこうに無頓着に、勘定台のうえへ顔を出した。目にくまのある面長な顔だ。くちびるはうすく、ろくに櫛もいれていない髪のうえから、ブルターニュふうの頭巾をかぶっているが、それが絶えず左のほうに落ちかかり、そのたびごとにかぶりなおしている

と描写される「幸薄さ」満開のもう若いとは言えない女性の肖像だったりする...田舎町の有力者たちのお手軽な愛人として無残な年を重ねていく、希望のない女。そしてホテルに腰を据えてエンマを召使みたいに扱う、自堕落で心気症な非開業の医者であるドクトル。うらぶれた行き場のない中年男女の運命が、「黄色い犬」を象徴とする事件によって変わっていくさまが見どころなわけだ。実際初登場で

メグレは、勘定台の下にねそべっている黄色い犬に目をとめた。さらに目をあげると黒いスカートにつやのない顔がみえた。

とエンマと黄色い犬は内密に結託しているかのようなのである。この黄色い犬が媒介するささやかな運命の時を、メグレと共に目撃することにしよう。

No.574 7点 幻の女- ウィリアム・アイリッシュ 2019/09/12 20:43
もし「名作」が後続の作家の「お手本」となるような作品のことだとしたら、本作は全然「名作」じゃない。本作は長編ミステリとしては弱点が多い作品なんだが、短編名手のウールリッチらしく、実のところ「サスペンス短編」としての珠玉の名作をいくつも「内包」した作品なんだと思う。だから本作の良さ、というのは本当に「ウールリッチだからこそ」なのであって、他の作家がやっても駄作にしかならない。ウールリッチだから、弱い部分もファンタジーみたいに許せるだけのことだ。
とくに「若い女性」の2つのパートなんて、奮いつきたくなるくらいの名作だと思う。評者なんて心臓バクバクでちょっとアテられるくらい。女性を能動的に動かしたら、ウールリッチのロマン味全開だもの。凄い。短編として独立して読んでもいいくらいだと思う。
長編として読んだときに、なかなかいいのは被害者マーセラのキャラクター。屈折した悪女、といった振舞いがいい。というわけで、やはり女性を描かせたら最強でしょう。女性は「化ける」というのをウールリッチは判っている。
あとやはりね、稲葉明雄の旧訳だけど、この人のセンチメントを隠したクールな明晰さと合った作品なのがベストマッチだと思う。というわけで、死刑ネタが「二都物語」と連続することになった。しまったな、次が「黄色い犬」の予定だったが、「男の首」にしたらよかった。
(死刑三連発は「アメリカの悲劇」になりました...)

No.573 7点 二都物語- チャールズ・ディケンズ 2019/09/08 21:22
本サイトでディケンズというと、「バーナビー・ラッジ」か「エドウィン・ドルードの謎」ということになるようなんだが、昔は殺人事件があってトリックがないと「ミステリ」じゃなかったからそういうことになったんだろう。今さらそこまで狭く考える必要もないので、本作だったらフランス革命を背景としたスリリングなロマン、ということで広い意味での「ミステリ」でいいんだと思う。本作をフォローした「紅はこべ」もやったしね、いいじゃないか。
結構長めの小説なんだが、前半は断片的にキャラが交錯しあうような展開なので、今一つ「狙い」が解りづらい面もある。が実はこれ緻密に伏線を引いているんで、これを我慢しておくと後半に一気に伏線解消していくカタルシスを味わえる。まあ、そうでなくても、さすがディケンズというか、なかなかアジのあるキャラが多くて面白い。いかにもイギリス人らしい銀行家ローリー氏がいいなあ。銀行と一体化したような独身中年男なんだが、この人にはドラマがなくて生野暮なのが、激動のドラマの中の重心みたいなものだ。

「ダーニイ君、友人になりたいんだが」とカートンが言った。「もう友人じゃないですか」「君は、この前に挨拶したときにそう言ってくれたがね、僕の言うのは、そういう挨拶じゃなく、ほんとの意味の友だちに」

とカートン&ダーニイの友情シーンも、こういう水臭いばかりの人みしり振りが、いかにものイギリス紳士ぽくて、いいな。こういう迂遠さというか、殻をかぶったペルソナ感というか、他人という「分からないものを分かろうとする」研究心みたいなものから、「小説」というジャンルが育ってきたんだなあ、と思わせる。
でまあ、後半はフランス革命下のパリで、ギロチン最盛期で追い詰められていく一家の逃げ道は?とスリルとサスペンスで一気に読ますわけである。しかも怒涛の伏線回収まであるから、後半は本当にお楽しみ。

No.572 5点 赤い拇指紋- R・オースティン・フリーマン 2019/09/04 13:38
ソーンダイク博士デビュー作である。ワトソン(ジャービス)との出会いなど、ホームズ譚を真面目になぞっている。けど読み心地は「科学啓蒙読み物」といったもの。そもそもの狙いがフランシス・ゴールトンの指紋の研究を捜査当局が取り入れたのはいいけども、それを絶対視しすぎることへの警鐘、という動機で書かれた作品だ。だから「社会派ミステリ」なんだよ(苦笑)。
キャラの数も少ないし、ミスディレクション皆無でミステリとしてはきわめて地味。小説としては...どうもねえ、ソーンダイク博士以外の人々が軒並み愚かすぎるとしか思えない。とくに女性キャラはヒロインさえ動揺しやすいし、ホーンビイ夫人に至っては....で、「女性に失礼」レベル。「昔の科学者のミソジニー傾向」と批判されても仕方ないんじゃないかなあ。
いい部分はというと、

運のいい当て推量は、あまり結果のぱっとしない、まともな推量よりも、往々にして信用を博するものだよ

....まあこれに尽きる。地味で冷静。回りくどいくらい。だったら最後の検証を二重盲検にしたらより「実験」っぽい。
ミステリというよりも、啓蒙パンフレットの部類だと思う。昔子供向けの本で読んだ記憶があるけど、挿絵がカッコよかった印象がある。「名探偵ソーンダイク赤い指紋」(ポプラ社)だなあ。児童向けにしてはチョイスが渋すぎ。
(がんばったら評者でもメイントリックを再現できる?とも思うけど、中盤の闇討ち道具を自作するのは素人はムリだよ....技術力、要るもん。あと余談。ソーンダイク博士っていうと評者はオペラント条件付けだ。完璧に同時代人。ゴールトンと併せて心理学史の授業を思い出す)

No.571 8点 鳥獣戯話- 花田清輝 2019/09/02 11:29
山田風太郎「室町お伽草子」の面白ネタを提供した作品が本作なんだが、山風以上に強烈に面白い「小説」である....とは言ってもね、花田清輝、である。「小説」と名乗ってはいるが、「〇〇は言った。」とかそういう描写はゼロな、エッセイに近い読み心地のもので、司馬遼太郎のウンチク部分だけが続くようなものだと思えばいい。それでも虚構と史実をないまぜに、というか、史実・でっち上げ文献による虚構・戦国時代の庶民が夢見た「幻想」・花田の戦後社会批判の間を自在に飛び回る「超・小説」と言っていいような「歴史小説」である。
しかもね、「意地悪ジイサン」花田だ。山風が採用したゲームマスター無人斎道有(武田信虎)といえば、ナミの歴史小説だと信玄の引き立て役くらいの悪役なんだが、本作では戦国武将なんぞ自分からドロップアウトした、「乱世を生きるもう一つの修羅」、将軍義昭のバックの辛辣な口舌の徒として、上洛した織田信長と機知の戦いを演じた、信長包囲網の影の立役者として描くのである。

ところが、とくに戦国時代をあつかう段になると、わたしには、歴史家ばかりではなく、作家まで、時代をみる眼が、不意に武士的になってしまう気がするのであるが、まちがっているであろうか。

と、司馬遼太郎の戦国ものがイマドキ親父のコスプレ芝居にしか見えない評者の、マイナーなニーズに存分に応えてくれる。しかも、本作の軸になるのは「鳥獣戯話」というタイトルからしてその通りの、猿・狐・ミミズクといった動物たちなのだ。

父親(信虎)の猿中心のものの見かたを、不肖の息子(信玄)はあくまでも人間中心のそれに置き換えようとするのである。たとえば信玄が、城らしい城をつくらなかった理由を説明するさいに、しばしば、引用される「人は城人は石垣人は堀、なさけは味方あだは敵なり」というかれの和歌にしても、あるいは信虎の「猿は城猿は石垣猿は堀、なさけは仇あだは生き甲斐」というような和歌からきているのかもしれないとわたしは思う。なぜなら、あらためてくりかえすまでもなく、猿のむれの戦略・戦術にもとづいて豪族たちの反抗に終止符をうち、それ以来、甲斐の国に城らしい城をつくるのを禁じた最初の人物は、息子のほうではなくて、父親のほうだったからだ。

猿になり狐になりミミズクにと多彩な変身を遂げて、人の小賢しい知恵をあざ笑う無人斎(それはヒトデナシ、という意味だ)の肖像に評者なんぞ強烈にイカれたものだった....「歴史小説」や「歴史ドラマ」がシタリ顔でお説教して、心の「ケモノ」を調教しようとするのを強引にひっくり返す力業が最高。そうしてみると、「日本史の通説をひっくり返す」過激な歴史ミステリかもしれないか(苦笑)。
評者は高校生の頃に「復興期の精神」を読んで以来、花田清輝を自分の師匠と思っている。評者に与えた影響、というのならもちろん10点。しかし本サイトのニーズからは外れているので、8点にしておこう。
(実は花田清輝、ミステリ論もしているし、時評の中で触れていることも多い...「時の娘」評も書いてるよ。そうだね、そのうちやろうか)

No.570 5点 室町お伽草紙- 山田風太郎 2019/09/02 09:24
山風でも晩年の明朗戦国絵巻、という雰囲気の作品。副題が「青春!信長・謙信・信玄卍ともえ」になっているくらいのもので、主要なシテは誰でも知ってる信長・謙信・信玄。その若き日にお忍びで上洛していて、足利の姫と最新鋭の鉄砲300丁を巡ってオールスター卍ともえ、な戦国秘史なんだが...本作の敵役というか、この卍ともえのゲームマスターに無人斎道有を持ってくるのが本作のポイントでもあり、一番の良からず、の点でもあるように思う。
無人斎道有、ご存知かな?前名の方がたぶん有名だ。武田信虎、信玄の父で武田家隆盛の基を築いたのだが、信玄のクーデーターにひっかかって国を追われ...という数奇な運命をたどった(元)武将である。本作では描かれないが、後に将軍義昭のお伽衆として仕え、義昭を奉じて上洛した信長と角逐を繰り返すことになる....のだが、こっちの話の方が実は本作よりもずっと面白く、しかも本作がその「ネタ本」に強く負い過ぎているのが、評者の最大の減点理由である。そのネタ本は花田清輝の「鳥獣戯話」である。
本作の悪のヒロイン玉藻も、「鳥獣戯話」の道有がお伽草紙の「たまものまえ」を批判して「狐ほど、人間に対して誠実で、親切で、率直で...」と評価した話から来ているし、前半の狂言回し関白法師九条稙通の飯綱使いの話もここにあって、およそ本作のベースになるネタで面白い部分が全部「鳥獣戯話」にある。でしかも「鳥獣戯話」の面白さに及ばないと評者は思うんだ。ラスボス的な南蛮商人カルモナも、同じ名前だが別キャラとして「鳥獣戯話」に登場するしね。というわけで、別に剽窃とかいう気はまったくないが、「鳥獣戯話」の強烈な面白さにはずいぶんと霞む。まあ山風らしいパロディックでゲーム的な小説として読めばいい。戦国名シーンをいろいろ予行演習してくれるしね。けど随分味付けがライトだなあ。
というわけで、「鳥獣戯話」反則かもしれないけど、やります。

No.569 4点 牢獄の花嫁- 吉川英治 2019/09/02 08:47
昔イベントで阪東妻三郎主演の映画を見たんだが、フィルム状態劣悪のプリントで、しかも妙な編集が入ってる版だから、ホントにワケがわからなかった。リベンジに原作を購入。もちろん本作、ボアゴベ~涙香~本作 という「晩年のルコック」の伝言ゲームの末端みたいな作品である。同様な乱歩名義の「死美人」も昔読んだことがあるんだが、これ乱歩の実作じゃなくて代作物、ということで乱歩全集とか収録されない。吉川英治というのが本サイトでは珍品ということでよかろう。
というかねえ、ロジャー・L・サイモンの「誓いの渚」を読んで、親が子の容疑をはらすべく奔走する作品、って意外にないね、と思って本作を取り上げた。もちろんワインみたいに親子関係がややこしいわけではなくて、時代小説らしく情愛の理想化がなされている。まあ吉川英治だから感情表現が暑苦しくて梶原一騎みたいだ(梶原一騎が模倣したんだが)。ミステリとしては秘密がほぼ破綻していて、あまり見るところがない。冒険ものとしてもご都合が目に付く。
昭和初期の時代小説でも、「ゼンタ城の虜」を翻案した「桃太郎侍」とか、安楽椅子探偵をやってのける「若さま」とか、結構うまく海外エッセンスを消化した作品もあるんだけどね。本作は吉川英治の通俗性が前に出過ぎていると思う。ちなみに阪妻の映画は目を剥いて見得を切る町医者みたいな塙江漢(ルコック)しか憶えてない。まあそういう作品。

No.568 6点 誓いの渚- ロジャー・L・サイモン 2019/09/02 08:29
「渚の誓い」じゃなくて「誓いの渚」である。未訳(Director's Cut, 2003)がまだ1冊ワイン物にはあるんだが、頑張れジロリンタン!と祈るばかりだ。まあ、作者のサイモンも、小説家というよりも政治評論家みたいになってるようで、このネオハードボイルドでも異彩を放ったシリーズはフェードアウトしちゃうんだろうな....
で、本作だとヒッピーにして左翼過激派だったワインも、経営者に成り下がっている。そこそこ成功して人も雇っている探偵社を経営しているのだが、相変わらず恋人をとっかえひっかえ。シリーズ最初ではワインがオムツを変えていた子供たち、長男ジェイコブは作家修行中だが、ゲイなのをカミングアウト。で、問題の次男サイモンは、前の作品だとグラフィティに凝って警察沙汰も起こすという、この親にして...という育ち方をしているのだが、本作だと環境テロ・グループのリーダーとして、森林事故をわざと引き起こした容疑で指名手配、でワインがいきなり刑事の訪問を受けるところから始まる。ワインの元妻で弁護士として活躍中のスザンヌも合流して、サイモンの容疑をはらすべく奮闘する...という話。
「ヒッピーからヤッピー」を体現したこのワインなんだけど、子供の世代から見るとねえ、ロスマクとは大違いでややこしいんだ。

親父たちはすべてのことを先にした...セックス、ドラッグ、ロックンロール、政治。何でも知ってると思ってる。でも、いつも知っているわけじゃない。(略)「自分のやりたいことをやれ」と言ってきた親父がどうなったか見てみろよ。(略)通りにはホームレス、議会にはギングリッジ。親父たちは失敗したんだよ。それにお袋のほうはもっとひどいよ...ニュー・エイジの流行とか、導師とか、心霊術なんかで人生の半分をほとんど無駄に過ごした。

とワケ知り顔の親たちに痛烈な批判をぶちかますわけだ。この批判、当たってるからどうしようもないや。でしかも、ちょいとした哲学問題にワインは頭を悩ます。ワインの世代は「反抗の世代」なのだが、その「ワインの世代に反抗する」、子供たちの「反抗への反抗」とは一体何なのか?という話だ。それが環境保護とかさらに過激な政治性なくらいだったらまだマシで、「反抗への反抗」が警察への協力や密告だったら目も当てられない.....サイモンの家のカレンダーに貼ってあった電話番号がFBI捜査官のものなのを見つけたワインは、この疑惑で内心オタオタすることになる。
だから本作、シニカルなコメディとして楽しむのがいいわけだよ。もともとワインは「ハードボイルドの道化」みたいなもので、「ハードボイルド」に斜に構えて「男の美学」なんて嘘っぱちだ、というあたりから始まっているわけだが、リアルな政治背景を背負った主人公として20世紀後半を駆け抜けた結果、グダグダな人生を送ったことにしかならないモウゼズ・ワインの肖像というものが、極めて皮肉。まあ、ハードボイルドから遠く離れて、こんなとこまで来ちゃったわけである。
まあそれでも、この親の子は親の子だ。本作の決め台詞は...

「死ぬ真似を誰から習ったんだ?」おれは尋ねた。
「親父からだよ」サイモンが言った。

No.567 5点 悪夢の骨牌- 中井英夫 2019/08/29 21:46
創元の全集だと「とらんぷ譚」の2番目に当たる作品である。13の短編が奇妙につながりあって出来上がった連作だ。結構最初は幻想ミステリっぽい始まり方をして、4~6番目は乱歩風のファンタジックな理由なき殺人が描かれる。けども7~9は時間旅行を扱ったSFみたいなもので、最後にはそれが「虚無への供物」のテーマのような「反ー戦後史」に収斂する。目も彩なポエジーは溢れているのだが、全体からみると、テーマがずれていったようなもので、前半の稲垣足穂風のファンタジーから後半の猥雑な現実感に流れて、雰囲気も一貫していない。評者は今一つ、と思う。
ミステリとしてはやはり4~6話で、ヒロインの少女藍沢柚香が、自分を崇拝する青年たちをまったく周囲から疑われることなく、死や発狂に追いやる詩的なピカレスク・ロマンの部分だろう。

死よ/香ぐはしき星よ/汝がまたたきの深みに降り/汝が光の臥処に安らはんを/死よ/それまでは青くあれ

と柚香を崇拝する少年が書いた詩を、遺書のように見せかけて殺す話なぞ、ミステリなのか耽美なのかと悩ましい話だったりする(第4話)。同様に

どんな未開の蛮族でも、大昔からミイラの乾し首はりっぱに作ってみせるというのに、現代の科学ときたら、なんてまあ役立たずなんでしょう、美しい生首ひとつ作れないなんて!

とサロメとヨナカ―ンを夢見て慨嘆する柚香は、美青年を首だけ出した牢獄に幽閉する...(第5話)とダーク・ファンタジーなあたりが、評者は好き。けどここらへんが一番この連作だと浮いてる部分だったりする。
魅力があるだけに、困ったものだ。

No.566 6点 007/カジノ・ロワイヤル- イアン・フレミング 2019/08/25 15:22
創元の新訳の流れの中で、「カジノ・ロワイヤル」も新訳されてしまった。評者も珍しく新刊新本も買って「カジノ」祭りとシャレこもうか。原作旧訳/新訳、映画1967/2006と総まくりである。
まずは新訳。結構直訳風で日本語がこなれてない。まあ井上一夫の旧訳だと、007のウリであるスノッブなグッズが翻訳時点で馴染みがないこともあって、今読むとトンチンカンな紹介になってることも多くて(苦笑)しながら読んでたこともあるが...まあそういうあたりは当然直る。しかしね、比較して読むと旧訳がいかに「読み物としてマトモに楽しめるものを」と工夫しているのがよくわかるよ。

ルーレットのひとまわり、カードのひとくばりごとに、一パーセントというささやかなお宝を積み上げていく。数字に目のない太った猫のような鼓動だ。

ルーレットがまわるたび、カードがめくられるたびにカジノにもたらされる一パーセントの金というささやかな財宝の累計を計算している音だ。心臓があるべき場所にゼロしかないのに脈を搏ちつづける肥えた猫—それがカジノだ。

フレミングは教養あるから、凝って捻った言い回しのキメ台詞を決めるわけだが、そのヒネりぐあいにヒネられて、文脈があっちの方向に行方不明な訳みたいだ。旧訳にはまったく及ばないようである。
小説自体はまだ007のキャラが確立していない部分があるんだけども、スノッブなヨーロッパの上流のお楽しみ描写、ボンドのギャンブル哲学もちゃんと「らしく」あって、また文体はホントに完成している。額を撃たれて...

つかのま三つの目すべてが部屋の反対側を見つめているようだった。つづいて顔全体が、一気に片膝のほうへ滑り落ちていくように見えた。最初からある左右の目がぐるりとまわって天井のほうをむく。重い頭部が横へ倒れていき、さらに右肩が、最後には上半身全体が椅子の肘掛けから外側に倒れこんだ。まるで椅子の横に反吐をぶちまけようとしているようだった。

スローモーション、とはこのことだね。凄いな。ここは直訳な新訳がいいあたり。フレミングはスノッブで洒落ているだけじゃなくて、この尖った映像的なセンスの良さがあるから、昔からチャンドラーも褒めれば、タダのスリラー作家じゃない「インテリ御用達」娯楽作家だったわけである。
あとね、実のところこのル・シッフルをバカラでハメる作戦はフィージビリティがある。有名な話だが、純粋なギャンブルであるバカラならではの「必勝法」があるのだ。この007の作戦はいわゆる「倍プッシュ必勝法(マーチンゲール法)」で、資金が無限に続き、勝っているところで一方的に勝負を終わらせられるなら、確実に勝てるんである。国家がバックに付いたスパイ小説だから、アリなのである。これが小説のキモのアイデアなのだ。
そうしてみると2006年の映画で、運頼みのバカラじゃなくて、競技性が強いポーカーに変更になったのは、作品の軸を崩す改悪だと思うんだ。バカラは純粋なギャンブルで競技性がないからこそ、カジノで他のゲームと違う大金が動くんだと思うんだよ。腕がモノ言うポーカーだったら、「名人」のガチ勝負に対抗しようとするカモなんているもんか。まあ2006年の映画はキマジメで、原作と昔の映画が持っていたスノッブでキッチュな遊び心が全然なくなっているんだね。イマドキはこういうの、ハヤらないのかねえ。007ってマジメじゃあなくて、遊びに魅力があるものなんだけども、この「アソび」の余裕が今はなくなってるのかしらん。
逆に1967年の映画は「アソび」がすべてである。素晴らしい!!遊びのセンスとキッチュな想像力、細部のおシャレさ加減、スター出まくりの無意味なゴージャス感など、ホントに見どころの連続の名作である。映画って話のツジツマがどうこう、なもんであるもんか。確かにパロディだが、原作のスノッブさ・キッチュさ・遊び心はちゃんと再現している。お金かかりまくりでB級どころか豪奢な大作だし、昔は地上波TVでフツーに日曜夕方にでも流れてた作品で誰でも知ってて「カルト」じゃないし...と、かつての日常には浮世離れの「ちょっとした贅沢」が溢れてたんだけど、今はこういうの許されないんだろうかね。
スノッブでゴージャスな007は、21世紀は暮らしにくいとは残念なことだ。

No.565 7点 一人だけの軍隊- デイヴィッド・マレル 2019/08/23 21:42
原作は初読だが、映画は何か懐かしい。1982/3年の年末・お正月番組で大本命「E.T.」のライバルに配給の東宝東和が祭り上げたんだった。もちろん興収は「E.T.」に敵うわけなくても善戦し、そこらも単身で軍隊に挑むランボーらしさみたいなものがあったなあ。
で原作は映画とは結構別物。ランボーはベトナム従軍で「壊れた」男で、ケンタッキーの田舎町で不当な扱いを受けたことで「スイッチ」が入ってしまい、田舎町の警察と州兵を敵に回すことになる。最初から破滅上等で、殺る気マンマン。このランボーの殺気にアテられて、朝鮮戦争に従軍した警察署長ティーズルも「スイッチ」が入ってしまって、本気の殺し合いになる...結果、田舎町がほぼ壊滅。闘争本能ムキ出しで地獄に落ちる、それこそ「Hellsing」があたりに近い話だ。
だから映画でのスタローンの本意じゃなくて、身に降りかかる火の粉を払うために闘争に巻き込まれていくみたいな、甘ったるいことはない。ベトナム後遺症で自ら望んで地獄に飛び込む話で、巻き添えを喰らう周囲は大迷惑にも程がある。まあもともと、映画だって「ディア・ハンター」とか「帰郷」とか「地獄の黙示録」みたいな70年代の「悪夢なベトナム」の一連のテーマに沿ったベトナム後遺症ネタ娯楽作品、というかたちで元々は紹介されていたわけで、映画でも「投降しない」バージョンが撮影されたそうだしね(映像特典に付いてくるらしい)。
映画シリーズはタダのウヨクなヒーロー物にどんどんなっていくが、理屈のつかない原作の理不尽さはまさに地獄絵図。ランボーもティーズルも馬鹿馬鹿しいくらいに悲惨な戦いを止めない(止めようともしない)のが、いい。原作の方がずっと優れている。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
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クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
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