皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
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クリスティ再読さん |
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| 平均点: 6.39点 | 書評数: 1490件 |
| No.1470 | 7点 | 奇妙な花嫁- E・S・ガードナー | 2025/09/20 20:46 |
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| ぺリイ・メイスン5作目。裁判開始から結末まで100ページほどあるけども、離婚訴訟もあれば裁判の外で事件の決着がつくものなので、メイスンの悪辣な弁護手腕の発揮があるけども、裁判メインのミステリでもないな。いやホント、メイスンって同姓のランドルフくんと同様に、明白にアウトな裁判戦術を使う「悪い弁護士」だよね(苦笑)
いやだけど本作の事件は依頼人の「奇妙な花嫁」が前夫に襲われた正当防衛だと主張すれば(要するに警察で自白しなければ)コジれなかった話だったりする。それをメイスンは強引に救い出してみせるわけで、かなりアザトい論理で検事をやっつけることになる(苦笑)悪漢小説を読んでいる気持ちにもなりそうだ(笑) だから、ぺリイ・メイスンってスタティックなパズラーではなくて、いわゆる逆トリック(探偵が犯人に仕掛ける罠)が重要なポイントになってくる、ホームズの後裔だとも思うんだ。事件の真相と同時に、メイスンの仕掛けの狙いが何かをいろいろと推測しながら読んでいくという二重のミステリの面白さのかもしれないな。 だんだんぺリイ・メイスンの「読み方」が分かってきたような気がする。あと今回は事件の黒幕(犯人ではない)の大富豪のオヤジに大物感があるのと、「わたしが家内と食い違った証言をすると思ったら、大間違いです!」という迷セリフに大笑い。 それと「ぺリイ・メイスン大いに泣く」(笑) |
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| No.1469 | 6点 | 眠れるスフィンクス- ジョン・ディクスン・カー | 2025/09/19 17:03 |
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| 死んだと思われていた元情報部員ホールデンが帰還した。恋人シーリアは自分を待っていただろうか?シーリアと再会するが、シーリアは姉マーゴットが夫ソーリイに虐待の末自殺したとホールデンに訴える。しかし周囲の人々は皆事件性を否定し、シーリアの頭がおかしいと主張する。長年の友人ソーリイを信用するか、シーリアを信用するか、ホールデンの心は揺れる...
って言うとね、カーじゃないよ。ボア&ナルなら納得かな。だからツカミはオッケー、出だしは快調。まあカーだからね、フェル博士が介入し、墓暴き(ここで不可能興味がちょっと)から毒殺疑惑が持ち上がる、といった構図。不可能興味は肩透かし(まあそれはいい)、人間関係に謎が仕込んであるクリスティみたいなミステリ。いや実際、前半は「何が謎なのか?」が次第に剥がれていくようなプロットで、これは興味深い。パズラーのスタティックな構造から脱却しようという意欲かな。 怪奇趣味は死の前夜に行われた、著名殺人者のマスクをかぶって行われた「殺人ゲーム」。なかなかもって悪趣味だ。タイトルのスフィンクスは女性の二面性と神秘性、といったあたりが仕込んであって、まあわかるけどもしっかりとドラマで押し切れているか、というと惜しいあたりじゃないかな。 とはいえラストシーン、「彼がしたことの善悪より、男はそうあってほしいと、あたしは思うわ」ってセリフ、なかなかもって「女性は神秘のスフィンクス」(苦笑) |
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| No.1468 | 6点 | 手斧が首を切りにきた- フレドリック・ブラウン | 2025/09/17 21:01 |
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| まあこれ賛否両論作じゃないのかな。
解説でも触れられているが、時代背景は朝鮮戦争直前のあたり。米ソ核戦争の不安に怯えつつ、アカ狩りの予感で街が萎縮しているような時期。貧民階級出身の主人公は、街のボス・ミッチの下で富くじ販売の半端仕事をしていた。元バーテンダーの父は強盗事件に関わって命を落とし、不幸な少年時代を過ごした主人公には、トラウマとして固着した2つの恐怖対象があった。ろうそくと手斧。 街のボスは主人公が「使える」ことに気づき、ギャング仕事の適性のテストをいろいろして、仲間に誘う。そんな中で出会った二人の女、エリーとフランシーヌ。同じ下宿で出会った堅実なエリー、そしてミッチの愛人であり妖艶なフランシーヌ。この二人の女の両方に魅かれながらも、主人公はミッチの手引きでそれとなくギャング教育を受けていくことになり、どんどんと深みにはまっていく。一度は一味に加わることを望んだのだが、堅実なエリーはそれを歓迎するわけがない。しかし、誘いをかけてくるフランシーヌに手を出すと、ミッチの嫉妬が恐ろしい... ミステリとかサスペンスというよりも、ノワール風味の青春小説。ストーリーの展開を追っかけるというタイプの小説じゃない。それよりもギャングとしての適性を試すちょっとした「試練」が興味深い。ギャンブル、酒、車、忠実さ、口の固さなど、さまざまな側面からなかなかシビアにテストされている。 引き金は引くんじゃない。ぎゅっと握りしめる要領を忘れるな。 この一味の殺し屋ディクシーが指導する銃講座が面白い。銃の専門家でガンマニアでもある。常に実弾を装填しておけば、「抜いたつもり」「空砲のつもり」の事故を防ぐことができるという、なるほどの教えもある。 まあそんな話なんだけども、この小説というと、ラジオ番組形式で主人公の夢や空想が挿入される変わった構成になっている。だから実験小説とかそういう紹介をよくされる作品なんだけども、人並さんのご書評の「作者ブラウンのはにかみ」が正鵠を得ていると思う。まあだから、作者の客気といえばそうで、あまりツッコんでも意味はないと思う。ラジオが「ゴーホーム」の火星人のようなお節介さを発揮したり、フロイトまがいの心理劇をやってみたりとか、どっちかいえば悪趣味だと思う。 それより人並さんご指摘のように第三次世界大戦の予感に怯えるアメリカ社会の暗さの方が印象的かな。主人公の年長の友人レイは左翼だから、とくにアカ狩りの予感はシビアでもある。要するにクイーンの「九尾の猫」と同じ時代背景だ。 というわけで、小説としての読みどころもあるけども、ミステリ、じゃないなあ。 |
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| No.1467 | 7点 | かげろう絵図- 松本清張 | 2025/09/10 09:35 |
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| 松本清張は結構の数の歴史小説を書いているんだよね。「西海道談綺」なら足掛け連載六年で全5巻の大長編になるくらいのものだし、松本清張の全仕事の中でウェイトが軽いわけではない。しかし、本作の場合、連載から出版が1958-59年というのが注目である。「点と線」「眼の壁」がベストセラーになり「ゼロの焦点」を並行連載していた作品なんだ。清張の名声を決定づけた、バリバリの初期作なのである。作家論として無視できるものでは決してない。
さらに言えば、大御所家斉の最晩年の大奥を中心に扱った本作、映画化1作、TVドラマ3作と映像化にも恵まれており、清張の本格時代小説としては「天保図録」「西海道談綺」とならぶ重要作である。筆致は江戸城大奥の有職のデテールを丁寧に描写した本格歴史小説の要素と、旗本部屋住み次男が冒険的な活躍をする時代伝奇要素とをうまくミックスしたものである。清張の気合の入りようが窺われる。 家斉の愛妾お美代の方といえば、実父の日蓮宗僧侶日啓、養父の中野石翁、家斉近臣の水野美濃守などと組んで、大御所時代の腐敗政治の元凶になった人物として有名である。この小説では家斉最後の一年間、お美代の方のライバルとして登場したお多喜の方の事故死から、家斉の卒中による闘病、現将軍家である家慶との対立関係、日蓮宗僧侶たちが関わる大奥の風紀の乱れ、寺社奉行脇坂淡路守の不審死などなどの事件を絡めつつ、家斉の死と将軍職後継についてお美代一派が勢力維持のために企んだ陰謀を軸に話が進んでいく。 比較的話の展開は静かである。文春文庫では厚い2冊だが、上巻で殺された人物は一人だけと「暗闘」が主軸。中ではやはりお美代一派の柱石となった中野石翁が「悪い奴」ではあってもなかなかの大物っぷりが印象的。 ばかめ。人間、死んでしまえば、おしまいじゃ。大御所様ご威光は、大御所様が生きている間だけ。死んでしまえば、誰が懼れようぞ。生きて残っている人間の方が勝ちじゃ。大御所様お墨付きのご遺言も、生きている人間次第で、どうにでもなる。 と冷静でリアルな見通しを述べて、浮かれる仲間たちを辛辣に諫める。「けものみち」のフィクサー鬼頭の原型みたいな大物感。権力の極みにいてもどうにもならないことを「どうにもならない」と達観する諦念みたいなものにスケール感があるのかな。対して「正義派」の側だって、形式的な主人公ともいえる島田新之助でも、身内が絡んだ事件に介入する熱血漢ではあるのだが、どこかクールな印象がある。双方スパイを放って探り合うわけだから、単純な正邪の争いにしない清張の抑制的な筆が、時代伝奇よりも歴史小説風でもある。 シーン的には冒頭の桜の宴でお多喜の方を巡る事件や、家斉の病床で祈祷の最中に大奥に主人公側が送り込んだスパイが暗殺されるあたり、映像化したらいかにも映えそうな場面になっている。清張そういうあたりは外さない。 確かに大本格時代小説であり、清張の幅広さを証明するよい実例である。やや長めで、アクション場面が多いわけではないが、華やかな部分は華やかに、時代描写は重厚に、よく描けたエンタメになっている。 (脇坂淡路守暗殺は、皆指摘するように下山事件を諷しているよね。実は家斉遺言の一件は、憶測から出た風説に近いもので、鳶魚老人が取り上げたために広まっただけのものだそうだ。幕末動乱は家慶後継の家定の病弱さが引き金を引いたといえるのかもよ) |
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| No.1466 | 7点 | フォーチュン氏の事件簿- H・C・ベイリー | 2025/09/07 10:56 |
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| 知名度が日本ではどうも低いけど、確かにホームズライヴァル世代の重要な作家ではあるよね。いや要するにどうもキャッチフレーズに欠ける、という問題なのかもしれないや。医師もありきたり、美食家もネロ・ウルフほどのインパクトではないし、人格円満な紳士。とくにロジック派でもないし、驚きのトリックを暴くというわけでもない。堅実な人間観察に基づいた、「直観型」探偵像ではある(まああまり直観型なんて言葉を乱用されたくはないのだが)。
このアンソロは12冊もあるオリジナル短篇集からの傑作選となる。最初の短編集である「フォーチュン氏を呼べ」からの収録はなく、2~10までの短編集からほぼ均等に傑作をセレクト。海外のオムニバス本を参考にしたようだ。このシリーズの特徴として、シリーズ後半の出来がいい、というホームズにもブラウン神父にもない美点があるようだ。たしかにホームズライヴァルのくせに創元の「世界名作短編集」では最後の第5巻に「黄色いなめくじ」が収録されていて、何か不思議だが「シリーズ後半の出来がいい」ことの証明みたいなものなんだな。 確かにフォーチュン氏、この短編集でもキャラのブレも少なく、警察の顧問の立場にある医師として、ヴァラエティに富んだ事件に遭遇している。「ハードボイルドに相通じる」と解説の戸川安宣氏が述べているが、これはホームズ探偵譚がトータルな社会小説を目指していたのにもかかわらず、ホームズライヴァルの活躍範囲が狭いブルジョア階層に限られてしまったことへの反省みたいなものかもしれないよ。要するに、フォーチュン氏探偵譚の舞台が、上流から下層階級の家庭問題に至るまで、かなり広い社会階層に及んでいるということなんだ。さらに言えば、この短編集には収録されなかったが「黄色いなめくじ」のような陰鬱さは、下層階級の現実の生活に根差した事件として、フォーチュン氏のテリトリに入って生きているということでもある。 まあ実際、悲惨な事件が多いんだよね。それに同情的であり、気の毒な人たちのために活躍するわけで、「社会の医者」らしいところを、大言壮語せずに勤めているあたりに、好感を持てるのだ。同時に子どもが絡んだ事件に名作が多い印象もあるな。そして犯人像が示す「邪悪さ」が、ミステリのお約束からはみ出ていることも多い。ただの物欲や復讐欲ではない「邪悪さ」というものは、たとえば「知られざる殺人者」にも強く現れている。 一作選べば「小さな家」かな。消えた少女を巡る些細な出来事から、隠れた犯罪を暴き出す興味の引っ張り具合と、ブレないフォーチュン氏の態度がナイスである。けど「聖なる泉」をロスマク風と評するのは、「ハードボイルドに相通じる」という解説の意見に引っ張られているかもしれないよ。荒涼としたコーンウォールの風景と、出稼ぎに行かざるをえない庶民の生活感の中で起きた陰謀事件という印象だなあ。 というわけで、紹介されるべくして紹介されたホームズ・ライヴァルである。キャッチーな特徴はまったくなく、ミステリマニアの気をひく「分かりやすい名作」はないけども、実力派であるあたりを贔屓したくなるなあ。 |
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| No.1465 | 6点 | 真景累ヶ淵- 三遊亭円朝 | 2025/09/05 13:43 |
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| 夏は怪談。まだ暑くてたまんないからイケるかな。
日本三大古典怪談って何か、といえば「東海道四谷怪談」は当確だが、円朝で本作か「牡丹灯籠」は動かし難ろう。あとはハーンの「怪談」くらいか。「牡丹灯籠」は中国ネタだから今回は避けて本作。 いや本作大長編だからね。金貸し按摩の宗悦殺しから始まる因縁が、謀殺だけでも新吉お賤による惣右衛門殺し、聖天山での甚蔵殺し、富五郎一角による惣次郎殺し、虐待死でも新吉による豊志賀・お累の2件、さらにカッとなって殺したとか事故死ならば枚挙に暇なくて、総死者数20名超。最初に殺された宗悦の祟りもあるが、それから始まる因縁で、作中で10人もの人間の死に直接間接に関わった事実上の主人公新吉の殺人鬼っぷりが凄まじいな。 でもさ、この新吉って悪党には違いないのだが、女にだらしなくて行き当たりばったりに生きた結果でもあるのだ。さらに言えば、宗悦の娘の豊志賀が、自分を虐待して捨てた新吉にかけた呪いである「新吉の女房を七人呪い殺す」の結果にもなっている(七人は死んでないが)。 まあだから怪談、とは言っても、具体的な生きている人間の人間関係の中で殺人が起きているという印象。超自然的な怪談というよりも、現象的な殺人にウェイトが大きくて大規模な殺人絵巻であるから、「血の収穫」も真っ青な大江戸ノワールだな。もちろんこれには、マクラで円朝が自ら述べるように、 人を殺して物を取るというような悪事をする者には必ず幽霊が有りまする。これが即ち神経病といって、自分の幽霊を背負っているような事をいたします。 と、幽霊は神経(自責感情)のせいだ、とするなかなかに「開化した」話だったりするのだ。真景=神経なんだからね(苦笑) しかしだ、多くの死者が鎌に因縁付けられて、鎌で怪我をし鎌で死ぬ。これがどうにも不条理で怖い。考えてみれば、円朝の噺の元ネタになった「累ヶ淵説話」で鎌がキーアイテムになっていることから、円朝の噺の中で鎌による死がコピペのように多用されることになり、結果元ネタ以上の不条理な怖さが醸し出されたのかもしれない。幽霊は神経の理に落ちているから怖くないが、理に落ちない鎌の方が怖いんだ。 (昔、露の五郎兵衛師匠の高座で「宗悦殺し」を実演で見たことがあったな。芝居仕立てな演出があって、見得を切るような落語だったことが印象的) |
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| No.1464 | 5点 | くたばれ健康法!- アラン・グリーン | 2025/09/02 14:59 |
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| 本作って井上一夫の訳しかないのに、三つも邦題がある変な本だ。ユーモア本格として昔から有名ではある。健康法の教祖が自らの「王国」として作ったリゾートで射殺された。現場はひょっとして密室?屋外から飛び込んできた弾丸で死んでいるのだが、なぜ被害者は後でパジャマを着せられていたんだろうか?
というわけで、密室というよりも準密室というか、逆密室というか、あまりパターンになっていないタイプのもの。謎の魅力と解法の鮮やかさはそれなり。状況設定とか人間関係がごちゃごちゃとして、あまり整理されていない印象。キャラは謎の青年ラブチャイルド以外はあまり印象的ではないから、二人くらい削れないかな。 でユーモアのポイントは、皮肉な感じで書かれた文体と、スクリューボールコメディ風のキャラ設定(ロマンス要素過多)のあたり。結構持って回った文章なので、ユーモアがピンとこない恨みがある。テンポがいいと言えばいいのだが、忙しい。どっちかいえば、作者の方が自分のギャグにウケているような雰囲気。 評者は完全に想定内の真相だったこともあり、若干シラけていた。すまぬ。 |
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| No.1463 | 7点 | 怪奇探偵小説名作選〈2〉渡辺啓助集-地獄横丁- 渡辺啓助 | 2025/09/01 14:10 |
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| 名にし負う「悪魔派」である。
とはいえね、いうほど怖くないしオゾましいというほどでもないんだ。不潔感の強い橘外男の方がずっとヒドい(苦笑) この本は昭和12年に専業作家になるまでの初期作品のコレクションになる。「偽眼のマドンナ」「地獄横丁」「聖悪魔」といった著名作はこの頃の時期のものだったりするから、まあこれがお目当て。でもタイトル凄いなあ。「タンタラスの呪い皿」「血笑婦」とか、タイトルが実にアオってくる。健康に悪そうな駄菓子感が爆発しているぜ。 でもこの人、本質的には城昌幸とか水谷準と同類の、モダンな都会派の奇譚作家なんだよね。城みたいな象徴詩っぽさは薄いが、洒脱な語り口できっちりと話をまとめてくれる。予定調和感が城とか水谷よりも強いかもしれない。それでも義眼にこだわる「偽眼のマドンナ」とか、隠し撮りに興奮する「写真魔」とか、刺青趣味の「美しき皮膚病」やら、フェティシズムの香りが逸脱の味わい。基本的に男女の愛憎を軸に、洒落たドラマを構築しており、職人的なうまさはどの作品にも伺われる。 そこで、私は、こう云う鬱血した悪思想を散らすために「悪魔日記」をつけることにした。空想だけのことを文字に置き換えて、実際にやって退けたような堪能した気分になる−この放血療法はなかなか馬鹿にできない と謹厳な牧師がその想像の赴くままに「犯した」悪徳を書いた「悪魔日記」をめぐる奇譚「聖悪魔」。 この人のためにあたしは妊娠し、この人のために、あたしは手や足をぶつぶつと切り離され、この人のために、あたしの斬りさいなまれた肉ぎれでつくった降誕祭菓子を、あたしの教会の男友達がみんな知らずに食べさせられるんだ と悪虐のかぎりを「悪魔日記」には描き散らかすのだが....とんだ空想に牧師は振り回されることになるのだ(苦笑) 悪魔と地獄を主材とする文学ー即ち探偵小説は、善人の書くものであり、また善人の読むべき文学であるとの結論に到達せざるを得ない。(エッセイ「ニセモノもまた愉し」) とね。「悪魔主義」とは都市生活者のための非情のライセンスだということだ。 (それでも陶芸家の芸道小説風の体裁をとった「タンタラスの呪い皿」だと、赤江瀑風の執念が覗いたりする。こういう方向性もあるんだろうなあ) |
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| No.1462 | 7点 | 脱獄九時間目- ベン・ベンスン | 2025/08/29 08:36 |
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| 昔読んだときにすごく面白かった記憶があって、再読してみようと思う。
脱獄失敗して元の監獄に看守2名を人質を盾に閉じこもる凶悪犯。マサチューセッツ州警察刑事部長ウェイド・パリスは対峙の指揮を執ることになった... とこんな枠組み。章は午前三時三十分から始まり、分刻みで31章、最後は午後〇時三十分までの9時間の出来事。セミ・ドキュメンタリ映画を見るかのように、映画的にそれぞれの陣営のキャラにフォーカスを移動させながらタイトに描いていく。このタイトさが気に入るかどうか、で評価が違うんだろうね。 隔離監房「墓場」に収容された犯人側3人と、脱獄に参加しなかった一人。人質になったのは、骨折して身動きが取れない老看守と、主人公パリスの被保護者というべき学生アルバイトの若者。犯人の外部サポーターの動向にも触れつつ、脱出に失敗した犯人側が、交渉の手札に使おうとする人々。それぞれが独自の思惑で絡み合う姿に作品のポイントがある。 たとえばマッギヴァーンの「ファイル7」みたいに、やはり犯人側のキャラとその中での確執がサスペンスのポイントになってくる。詐欺師タイプで人当たりのいいオークレーは、失敗した脱獄を交渉カードとして「刑務所の待遇改善」のリーダーのフリをして見せるし、腐敗した上院議員はそれに分かって乗っかろうとする。こんな騙し合いに手もなく篭絡される「善意の」刑務所勤務医師。しかしそんな思惑をためらいもなくひっくり返す問題児タイプのランステッド。こういう泥臭い人間関係にリアルを感じられるかというあたりじゃないかな。犯罪者って合理的に動いたりしないのが、一番「怖い」。 実際、若い学生アルバイト看守というのも、刑務所が更生の役になっていない状況を憂いて、青臭い教育刑主義に基づいた論文を書こうとしていたりする。犯人に篭絡された刑務所勤務医の卵みたいなものでもあるわけだ。それに対比される現実的な責任を持ち、それが政治的な責任にも波及することを十分に念頭においたパリスの覚悟。こういうあたりの「思想」的な面白さもあったりする。 一番評者の琴線に触れるのは、パリスがこの事件の結末について、全責任を負う覚悟を決めていながらも、自分の処置が「正しい」ことを強弁しようとはしない実務者らしい態度かな。さらに言えば学生看守の恋人は冷徹なパリスの対応を「恨んで」いるあたりも、作品の膨らみになっているし、なかなか皮肉なラストシーンも効果的。 ドキュメンタリ映画を見るかのような面白さではある。いい意味でハードボイルドなタイトさが魅力。キャラに自己投影したり感情移入したがる読者には向いていないタイプの作品だとは思う。 |
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| No.1461 | 7点 | NERVOUS BREAKDOWN- たがみよしひさ | 2025/08/26 15:14 |
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| 山田玲司×きたがわ翔のYouTubeで「たがみよしひさ革命」という対談動画が上がっているように、1980年代初頭たがみよしひさの「新しさ」というのは本当に鮮烈だった。このくらい技術的革新があった漫画はない、と言われるくらいのもの。ラブコメは得意じゃない筆者でさえ熱狂したよ。「軽井沢シンドローム」が代表作にはなるわけだが、たがみの最長連載となるのがガチのミステリ漫画シリーズである本作。
「円と面」「心配、女探偵!」「「まじん亭」夫人は死んだ」「ほねおしみの埋葬」「木杖行最終バス」とかね、サブタイトルがすべてミステリ名作(それもかなり、渋い)のパロディタイトルになっていたりする。たとえば「入学」という作品だと、密室殺人の形状記憶合金のトリックが出てきてさらにそれを「見せトリック」として否定するとかね、元ネタをひねった、かなり凝った仕掛けが随所で見られる。 頭の切れが抜群の安堂一意(ただし肉体的に虚弱で、すぐにゲロを吐く)と筋肉バカで頑丈極まりない三輪青午を中心とする探偵事務所が舞台。何と言っても安堂がかっちりとしたロジック派で、ロジック中心の推理をキメてみせる。さらには三輪が主体となる話では、肉体的なアクションをベースして、傭兵と渡り合うなどの冒険小説的な展開も十分。作者のミステリへのなかなかの造詣が窺われる。 さらにたがみよしひさといえば、80年代のカルさを体現したマンガ家でもあり、ラブコメの恋愛観を「コミュニケーションとしてのSEX」としてひっくり返して見せた作家でもある。殺人の動機も愛情の縺れが定番としてある中で、上出来なドラマをリアルな恋愛劇の中で構築して見せるのは、「軽シン」でも保証済みの手腕である。 たがみよしひさの代名詞は、三頭身ギャグキャラと八頭身シリアスがコマごとに切り替わる手法。本シリーズは三頭身主体。慣れないとキャラの区別が難しいかな。それでもシリアスキャラではたがみ本来の画力が楽しめるし、三頭身デフォルメでもセンスの良さはさすがなものでもある。 本作13巻もあるから、今まで懸案だったんだ。夏風邪ひいたので電子書籍を購入して、やっとできてうれしい。本サイトの趣旨ならば、「化石の記憶」もやりたいな。 |
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| No.1460 | 6点 | ジェゼベルの死- クリスチアナ・ブランド | 2025/08/25 18:57 |
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| よくイギリス新本格という言い方をするんだけど、本作の「素人芝居の最中に起きる殺人」というシチュエーションってイネスの「ハムレット、復讐せよ」とカブっている部分が大きいわけだ。なんだけど、作品の雰囲気が全然違うんだよね。日本じゃ「ハムレット」がウケなくて、本作がウケる、という現象がなかなか面白いとも感じる。批判的な意図はないが、皆さん、グランギニョルがお好きなんだなあ、とは思う。
評者は言うまでもないけど、イネスの方が好きなんだ。少数派というのはよく分かっているよ。要するに本作のように、ソリッドなパズラーで、遊びの余地が少ないというのを、パズラーマニアは好むんだろうね。イネスだと「英国教養派」と言われるくらいに遊びの要素が大きく、作品構造が展開の中で変転していき、最後まで見通しが効かない小説なんだけども、ブランドって本当に小説的枠組みがカチっと静的なんだよな。いわゆる「本格っぽさ」って、どうもそういう静的な構造のことなのかな。 皆さんほどには評価が高くないのは、「これこういう真相?」というのが結構早くに察しがついて、「本当か?」と首をかしげながら読んでいたあたりでもある。なんとなく「こんな真相だと嫌だな」と感じてた。それを補うほどの小説的な魅力はないし....でも、コックリルが「緑は危険」で犯行再現時に失敗瀬戸際になったことを気に病んでいるのが、なんとなくかわいい。 |
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| No.1459 | 8点 | 青の寝室 激情に憑かれた愛人たち- ジョルジュ・シムノン | 2025/08/24 10:06 |
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| 河出のシムノン本格小説選もこれでコンプかな。「本格小説」とはいえ、内容はミステリ寄りから自伝っぽいものまで、かなりのバラエティがあるわけで、シムノンという作家の幅を示すんだが、本作は「準ミステリ」と言っていい内容。さらにいえば本作は1964年作品で、時系列では自伝系2大名作の「ビセートルの環(63)」と「ちびの聖者(65)」に挟まれて書かれている。「準ミステリ」としては、シムノンの集大成みたいな作品じゃないのかな。
「あんた、痛かった?」と「青い部屋」での情事のさい、主人公トニーは愛人のアンドレとのキスで唇を噛まれる。そして、このシーンはまさに最終盤でも回想される、象徴的なシーンになっているのだが、この行為は、ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の同様な場面を連想させるのだ。そしてケインのカップル同様に、配偶者殺しの容疑で裁判にかけられる...そこで裁かれるのが男女の愛欲のアナーキーというべきものだったりする。大きな枠組みとして意識的に「郵便配達」を借りているものだと思うんだ。まあ不倫から殺人という流れは、シムノンのお得意設定でもあり、さまざまな類作のシチュエーションも連想しつつ読み進めることになった。 そして、この裁判話を予告させながら、延々と「どんな事件」なのかが明らかにならない。この展開は「判事への手紙」でも採用された手法だったりする。これがさらに「ミステリ」的な興味と見ることもできるのだろうな。そして主人公はイタリア系移民であり、異邦人の小市民としての孤立感も「妻のための嘘」で描かれてもいる。シムノンの準ミステリの集大成という印象なんだよね。 しかし、とりあえず裁判での決着はつくのだが、本当にトニーが毒殺者なのかは明言されるわけではない。そこに読者がいろいろと想像をめぐらす余地もある。真相を保留することでミステリとしての奥行きをだすというのも「ベルの死」や「証人たち」を連想させる。 本当にシムノンが「自分らしい、オリジナルな形式のミステリ」を構築しようとして書いた作品である。ある意味代表作としてもいいのかな。(いや真犯人は実は...とも思う、外れてるかな?) |
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| No.1458 | 6点 | 鳴かずのカッコウ- 手嶋龍一 | 2025/08/22 20:56 |
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| 公安調査庁というと「日本のCIA」とかね、そういう立場にある官庁のわけだけども..
俺たちは、防衛省の情報部門のように最新鋭の電波傍受装置や大勢の傍受要員は持っとらん。外務省のように何千という海外要員を在外公館に張り付けることもできん。警察の警備・公安のように全国に膨大な数のアシもない というわけで本書の表現だと「最小にて最弱のインテリジェンス機関」だそうだ。公務員の安定を求めて、何が因果かこの公安調査庁にシューショクした主人公壮太は、神戸の事務所に勤務していた。ある日ジョギングの途中で見かけた工事現場の施主、エバーディール社の名前が、映像記憶の特技を持つ壮太の注意を引いた。この会社は「千三ツ屋」と呼ばれるシップブローカーだが、北朝鮮からの密輸などの疑惑がかけられていた。船舶の仲介会社が不動産に手を出しているのに不審を抱いた壮太はこれをきっかけに、神戸を舞台とする諜報の騙し合いの世界の秘密に迫っていく... まあこんな話。「諜報機関の盲腸」と揶揄される職場だが、厳しい上司の柏倉、「アラビアのロレンス」を白馬の王子と夢見る乙女であることから、Missロレンスとあだ名される同僚などとともに、成長していく...とノリはエスピオナージュというよりも、ライト感覚の企業小説。壮太は「ジミー」とあだ名されるくらいの地味男、でもスパイとしてそれは上々の資質。祖母が松江で古美術商を営み、このエバーディール社の社長夫人が表千家の茶道教室を開いていることから、内情偵察のために茶道教室に通うことになる。茶道ミステリとして名前が挙がっていることもあって、読んでみたんだ。 茶道描写は的確。稽古風景は言うに及ばず、ターゲットのパーティで先生が呈茶する手伝いをするとか、接触を求めて来たらしい外国人と一緒に茶事のお客になるとか、しっかりした知識が窺われる。まああまり派手な事件が起きるわけではなく、公安調査官という特殊な職業を選んだ青年の成長物語、という感覚の本である。諜報活動の詳細などリアルに描かれているが、地味だね、ホント。そこらへんスパイ小説というよりも企業小説。評者神戸とは縁が深いから、街の感じがなかなかうまく表現されているのも好印象。 印象はいいのだけども、淡々とした小説で、ミステリ的興味は薄い。 |
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| No.1457 | 7点 | 鳥(早川書房ポケット・ミステリ版)- ダフネ・デュ・モーリア | 2025/08/17 19:28 |
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| さてポケミス版「鳥」を選んでしまったが、実はこの収録作は創元文庫の「鳥―デュ・モーリア傑作集」のサブセットだ。ポケミスでは読まずに創元で読んだ方がよかろう。
書誌的なことを言えば、最初の短編集(英版) "Apple Tree" (Gollancz、1952)には「瞬間の破片」「動機なし」は収録されてなくて、この米版"Kiss Me Again, Stranger"(Doubleday, 1953)で追加された2作になるから、これが底本ということなる。英版ではこの2作は"The Rendezvous and Other Stories" (Gollancz, 1980)に収録されている。ややこしいな。 「鳥」"The birds" 言わずと知れたヒッチの神映画の原作。とはいえ、ある農夫の一家の視点で描かれる。一家の鳥たちとの攻防が描かれるわけで、雰囲気は戦争小説、とくに核戦争を匂わせているようにも読める。だから核戦争後に生き残った家族の孤立の話みたいな印象。映画にあったロマンス要素はないし、出エジプトを思わせる聖書的な結末もない。かなりシンプルで、ヒッチが大きく内容を膨らませていることがわかるし、映画での追加部分が効果的にもなっている。 「瞬間の破片」(「裂けた時間」)"The split Second" 家に帰ってみれば、見知らぬ人々が自分の家を占拠しており、困った主人公は警察に訴えるのだが、正気を疑われてしまう... 確かに納得の仕掛け。「世の中どんどん悪くなる」。娘が気がつかないのが、とても悲しいなあ。 「動機なし」(「動機」)"No Motive" 突然理由不明の自殺を遂げた男爵夫人。男爵は私立探偵を雇ってその動機を追及した...しだいに暴かれていく夫人の過去。「聖母マリアさまに起こった出来事は、この世でもっともすばらしいことだと言ってお説教しているくせに、なぜあたしは叱られるのだろう」の哀切。 というわけで、粒ぞろいの面白さ。でもどうしようもなく「悲しい」話ばかりだなあ。 |
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| No.1456 | 5点 | 五十万年の死角- 伴野朗 | 2025/08/17 09:06 |
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| 永瀬三吾「売国奴」をやったから、同じ背景の本作やってみよう。いや実際「売国奴」で扱われる関東軍御用達新聞の社長が2人連続で射殺される天津の事件は、本作でも言及がある。主人公は軍属の通訳だから、軍隊の階級からはちょっと外れたところで、個人的に中将からの密命を受けて、日米開戦直後に接収を逃れて消えた北京原人の化石の行方を追及する。ロックフェラー系財団が運営する医大では秘密裏に化石をアメリカに輸送する計画だったが、その途中で行方が分からなくなる。この化石を巡って、日本軍では特務の松村機関(いわゆる土肥原機関か?)の凄腕エージェント佐々木月心、また国民党のテロ組織として有名な藍衣社では「児女英雄伝」のキャラの名をコードネームとする冷酷な女スパイ「十三妹(シーサンメイ)」、中国共産党からは大人の風格もある国志宏(クオチホン)がこの争奪戦に加わる(応募原稿は実名で書かれていたのを、指摘を受けて変名にしたそうだ。モデルは康生か?)。
舞台は北京・天津などの華北が主。実在人物としては、ホーチミンが一瞬顔を出すとか、テイヤール・ド・シャルダンにも話を聞きに行く。まあそんな感じで特に後ろ盾のない主人公が、徒手空拳で三つ巴の争奪戦に介入するわけだ。ハードボイルドっぽいという評をされている方はここらへんに反応されたかな。達者に書けているし、歴史デテールはちゃんとしている。その分、飛躍みたいなものはなくて、題材のわりに地味という印象。まあでも特務の佐々木月心と十三妹の直接対決とか、カッコイイ。名前がいいな。ひょっとしたら武田泰淳の「十三妹」で紹介された白玉堂のイメージがあるのかも。 ミステリ的な謎としてダイイングメッセージがあるけど、これネタが有名だから、知っている人多いんじゃないかな。というわけで、謎解き的な興味は比較的薄い。ロマンス要素はちょっとだけあるが、どうでもいいくらいの比重。 ...とはいえ、本作でデビューした伴野朗って、やはり戦時中の中国を舞台にした映画「落陽」で、歴史と伝統ある日活を潰したことでもヘンに有名でもある。まあ原作と名義だけとは言われているが、そのうちにやろうかな。 |
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| No.1455 | 7点 | 蘭の肉体- ハドリー・チェイス | 2025/08/16 09:34 |
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| 前編にあたる「ミス・ブランディッシの蘭」とは全然「面白さ」の傾向が違うタイプの作品だね。前作だと将棋のコマのように、無法者たちの間で流転するヒロインは気の毒ではあるけども、あまり感情移入とかしなかったな。でも本作のその娘は、キレると爪で目をひっかいて悪党をやっつけてしまう。容赦ないから何人も視力を失っているよ。精神病院から脱走した狂人とかいうのは、不当なレッテル貼りみたいなもので、しっかりと「立った」ヒロイン像になっている。
なおかつ、前半は脱走後6日間確保されなければ、祖父の遺産が全部手に入るとかあって、周囲はヒロイン・キャロルを確保して精神病院に返さないように画策もする。前作の「奪いあい」とはちょっとニュアンスが違うし、しっかり好青年との恋愛もある。スリラーとしての達者さは従前どおりだから、いろいろと変化に富んでいるし、全体的な敵役になる「鴉のような黒づくめ」の殺し屋サリヴァン兄弟の造型もいい(人並さんご指摘のように、泊まった宿の正面で絞首台を組み立てている音を聞くエピソードがいいなあ)。このサリヴァン兄弟を、人里離れた館で迎え撃つあたりなど、やはり盛り上がる。でもね、 背が高くすらっといいからだをした、見たこともないようなはでな赤毛の別嬪。服は黒づくめで、長い黒マントを肩から羽織り、その衿を金ぐさりで止めている。 と描写される後半のキャロルがいいんだな。まさに「女囚さそり」を彷彿とする。そういう期待も実はあったりする。このラストシーンに関わる「ひげ女」ロリ―もいい味だしてるしねえ。まあちょっとした二部構成になっているけども、これが話としての起伏となっているし、「さそり」みたいなカタルシスにもつながっている。 ハードボイルドな「ミス・ブランディッシの蘭」よりもクライム寄りになってきているけども、こっちのが面白いと思うよ。あ、ひょっとしてマンシェットの「愚者が出てくる、城塞が見える」は本作リスペクトか? |
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| No.1454 | 7点 | 空白との契約- スタンリイ・エリン | 2025/08/15 13:08 |
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| 本作面白い。評者はエリンって、ハードボイルドとは別な流れの私立探偵小説の元祖だと思っているけど、その「第八の地獄」を彷彿とさせる作品。
いやミステリとしても私立探偵小説としてもかなりの破格。保険調査員ならたとえばデイヴ・ブランドステッターとかあるし、笹沢左保でもあるしね。別に珍しい設定ではないのだが、成功報酬のみの完全請負の自営業者が主人公。会社の看板に頼らず、全部自前。しかも事件は事故死を主張して保険金を得ようとするのを、「恐喝が原因での自殺」という構図で拒もうとする。もちろん真相が「自殺に見せかけた殺人」というわけでもない...いやこんな設定で「ミステリしちゃう?」となるのだが、これがこれで十分にサスペンスフルな話。「第八の地獄」も警官の汚職の話であり、安易に「殺人」を持ってこないリアリズムがエリンの根底にあるわけだ。 主人公ジェイクは冷徹なプロだが、その冷徹さはハードボイルドというよりも、リアルなビジネスマンとしてのもの。だったら話に潤いが欠けることにもなりかねないが、それをもつれさせるのが、男女で動いた方が何かと便利ということで急遽タッグを組んだパートナー、エリナの存在である。初対面でジェイクと組むことになる売れない女優のエリナ。それなりに舞台度胸もあるのだが....残念、ジェイクに惚れてしまう。ハードボイルドじゃないんだ。もちろんジェイクは情報収集のためには女と寝ることもあり、これをエリナは嫉妬しだしてしまう。そりゃあさあ、こんなオトコ、かっこいいじゃん?無理ないや(苦笑)無害なデラ・ストリートとはいかないよ。 だからジェイクとエリナの関係が、事件とは別ベクトルの軸となって小説としての面白みになってくる。どんどんとビジネスの上では想定外の「重たい女」となってくるエリナ。この厄介な重荷というハンデのもとに、ジェイクは恐喝のネタと恐喝者に迫っていく...警察にバラしたら事件は解決しても、それがジェイクの手柄にはならないから報酬はない。こんなジレンマの果てにジェイクは何を見るのか? というわけで少しづつ事件の背景に迫っていくサスペンスと、悪意があるわけではないのに機嫌を損じたら売られるかも?と完全に信用しきれないエリナの存在、恐喝者の背後にいるギャングの策動など、ポケミス310ページとなかなか長い作品なんだけども、飽きさせずに引っ張っていく。 「第八の地獄」の方向をさらに深く探り直したようなことになっているよ。エリンというからには、ホント、こんなん書いて欲しかった。 |
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| No.1453 | 5点 | 無限がいっぱい- ロバート・シェクリイ | 2025/08/13 17:29 |
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| シェクリイとフレドリック・ブラウンは「双璧」だったわけだけど、今でもそれなりに読者がいると思われるブラウンに対して、シェクリイは「忘れられた」作家に近い扱いだったりする。両者とも50年代のオールドスクールなSFで、雑誌全盛期らしい「雑誌うけ」しやすい作風というのはよくわかるんだけども...
いややはり、ブラウンという人の一種の「意地の悪さ」「リドルストーリー風」といったあたりが、作者個人の「独自の個性」になってたんだね。 シェクリイももちろん、いろいろと技巧を凝らして読者のゴキゲンをうかがうわけだが、なんというか「安全」なところがある。そこらへんがもう一つ食い足りない部分につながっているのかなあ。ある意味「SFじゃない」というか、SFガジェットが50年代のアメリカ人のありふれた属性を誇張して描く手段にしかなってないのが見えるところもあって、そこらへんに今の評者がシラけているかも。 要するにすごく寓意的なんだよね。そういう寓意性というかメッセージ性にモヤモヤした感情しか湧き起こらないというのは、同時代人ならそれを素直に面白がれたのにな、という残念さなのかもしれない。 異色作家というには、「微妙」感のある人かもしれない。いやマンガ的な楽しさはあるんだよ。でもさ漱石にかこつけて語られる「I Love You」は「月がとっても綺麗ですね」と訳せ!とした話って、「愛の語学」にネタにしてもらいたいな(苦笑) |
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| No.1452 | 7点 | 高層の死角- 森村誠一 | 2025/08/11 12:18 |
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| 森村誠一ってハッキリ言って苦手作家だ。いや70年代あたりのパズラー作家を論じるなら、絶対外せない作家であることは重々承知。社会派転向して角川映画化で売れまくる前は、「新本格の旗手」といった評価があった。まあそういうあたりが「裏切者」風にマニア層に嫌われる原因になったようにも思うよ。
要するに鮎哲アリバイ崩しが、国鉄の夜行特急ベースだったのに対して、森村誠一は飛行機の乗り継ぎトリックであり、近代化されたホテルでの業務である、というあたりでの「革新」があったわけである。まさに新しい風が吹いたという印象だ。森村氏自身ホテルマン経験があるわけで、それを存分に生かしたトリックが本作でも披露されている。 とはいえ、ある意味本作の「斬新な」トリックは、そういう新しい要素がその後の50年のなかで陳腐化していったことによって、「斬新さ」が埋もれることにもつながった。鮎哲さんみたいにまだノスタルジアで語られる世界にはなっていないから、世慣れた読者なら当然トリックに気が付いたりもするわけで、どっちかいえば鈍重な印象を受けるのかもしれない。 今読むと密室トリックはつまらない。飛行機のアリバイトリックは当然の証拠が残るから危険性が高すぎる...と心配してしまうかな。だとすると、やはりフロントでのチェックインに関するあたりが一番精緻で面白い。まあそれが最終盤になるから、やはり盛り上がるな。 じゃあ評者が「嫌い」なのは何かというと、一つは一応主人公な平賀刑事の女性関係。森村誠一って冷たい復讐心みたいなものを不必要に強調する傾向があり、評者は昔からこれがどうにも気持ち悪い。エンタメに収まらないヌメっとした悪意を感じてしまう。それから講評で高木彬光が「難は文章のまずさ」と指摘しているように、この人の文章は私も大嫌い。分かりやすいところで言うと 彼女の心理にもそのような可能性があったと分かった今、"村川説"は最もハイファイに現場の状況に符合する。 という「ハイファイ」という比喩。確かにこの頃オーディオのハイファイブームがあり、「高忠実性」という意味で使っている意味はよくわかる。この人の漢語多用傾向と、それに横文字のルビを振るスタイルとか、要するに軽薄な「気取りすぎ」というイヤな感じを評者は強く受ける。 だから作品としては歴史的意義も認めるし、作品自体もよくできている。だけど森村誠一、嫌い。本サイトではなるべく扱いたくない... |
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| No.1451 | 6点 | 伯林-一八八八年- 海渡英祐 | 2025/08/10 11:16 |
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| 70年代を回想すると、実は本作は乱歩賞受賞作の中でもとくに「傑作」という評価が高い作品だった。そこらへんの時代状況が面白いとも思う。
実際、乱歩賞も60年代には社会派が多かったんだよね。西村京太郎の「天使の傷痕」でもそうだし、パズラー寄りではあっても斉藤栄の「殺人の棋譜」でも将棋棋士という珍しい背景と子供の誘拐事件を扱ったわけだ。とはいえそういう流行も60年代後半には峠を越してきて、そこに本作のようなロマン的雰囲気の強いパズラーが登場したことになる。それがやはりマニア層に歓迎されたという印象がある。 この翌年は受賞作はないが、このあたりの年というと草野唯雄や大谷羊太郎が頻繁に最終選考に残っていた頃。翌翌年には森村誠一でパズラー的興味の強い「高層の死角」が入選する。60年代末から70年代初頭にちょっとした「本格復興」の流れがあったと評者は捉えているよ。本作の高評価はそういう面だ。 ドイツ留学中の若き日の森鴎外を主人公にして、その悲恋に絡めて晩年のビスマルクが絡んだ密室殺人を扱ったというのは、企画の勝利というものだ。大時代的な背景があるからこそ、密室殺人という「絵空事」にリアリティが生まれてしまってもいる。「ビギナーズラック」に近いようなラッキーが、作者に訪れているというべきだろう。ミステリとしては...共犯者が多いからねえ。密室トリックとしては納得度はあるけども、その分理に落ちすぎているかな。精緻になればなるほど、「なんで密室なんて作るの?」という疑問もね。 それでもロマン味の勝った歴史推理とか海外舞台でリアリティを晦ますとか、イイ着眼点を示したことは間違いない。そうしてみればたとえば笠井潔だってこういう作風の影響を受けているとも言えるかもしれないんだ。 |
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