皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
tider-tigerさん |
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平均点: 6.71点 | 書評数: 369件 |
No.109 | 7点 | 蒼ざめた馬を見よ- 五木寛之 | 2016/10/03 17:54 |
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自作を国外で極秘に出版することを望むソ連の老有名作家A・ミハイロフスキーの原稿を巡ってモスクワにて奔走する新聞記者鷹野。だが、この件には大いなる政治的な陰謀が隠されていた。
作者の住まいが実家からわりあい近く(同じ駅を利用)、母が何度か姿を見かけたことがあるそうです。青春の門の連載を再開するらしいですね。記念に書評をば。青春の門は読んだことないのですが。 直木賞は納得のいかない作品が受賞することも多いのですが、本短編集は納得の一冊。 蒼ざめた馬を見よ 赤い広場の女 バルカンの星の下に 弔いのバラード 天使の墓場 の五篇を収録しています。 とりあえず表題作の蒼ざめた馬を見よ(90頁ほどの中編)だけでも読む価値あり。 ミステリファンにも大いに訴求力ある作品だと思います。スケールの大きさと細部の繊細さを兼ね備えた逸品であり、ジャンルはサスペンス、国際謀略小説あたりに収まるのでしょうが、文章もなかなかで文学的な香りが感じられます。 その他の短編、ソ連、ブルガリアを舞台にした小篇二つとこれらより少し長めの期せずしてイラストレイターとなってしまった混血少女の悲劇を描いた一篇もミステリ要素は薄いもののクオリティは高い。 最後の一篇は社会派サスペンスとでもいうべき作品でネタ的にはいささか風化してしまった感はありますが、これもなかなか面白い。 ミステリとして読めるのは二篇だけですが、充実の一冊。 それにしても、ソ連か、懐かしい響きです。 軍事にかまけて 経済が終わった ソ連が弾けて 冷戦は終わった~ (ソ連を知らない子供たち 作詞 怠惰なトラ) |
No.108 | 6点 | メグレ激怒する- ジョルジュ・シムノン | 2016/10/01 11:48 |
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メグレシリーズ第三期の開始作とのことですが、本作ではメグレは退職して田舎に引っ込んでいます。新たなシリーズの開始作が退職後のメグレ? 当時の読者はどう思ったのでしょうか。
まあそんな状況ですから、メグレは夫人と野菜につく虫のことで口論などしながら呑気に日々を過ごしています。そんなところに一週間前に溺死した孫娘の死を納得できないでいる老婦人がやって来ます。 メグレが「お昼は済ませましたか」と問えば、「食べることばかり考えている人は嫌いです」と返し、メグレの腹をジロッと見る。こういう老婦人です。 メグレ夫人はこの老婦人を「頭のおかしいおばあさん」などと形容しますが、私の言葉に直せば「高慢ちきなクソばばあ」です。ただ、なにかありそうなクソばばあではあります。メグレもなにかを感じたのでしょうか、クソばばあの求めに応じて、というよりは従って、彼女の家に調査に出向きます。すると、なんとしたことか、クソばばあ一族の家長はメグレがあまり好いてはいなかったかつての同級生だったのです。 とある上流家庭のどろどろとした秘密をメグレが探っていくというか、知ってしまう話です。 家族の秘密はかなり暗鬱としたものではありますが、真相を知ったところでメグレにはどうすることもできない性質のものです。法律的に言えば、違法性はあっても(常識的見地から悪いことのように思えても)、構成要件に該当しない(そうした行為を取り締まるための法律がない)。 普通のミステリであれば、孫の死の真相を軸に話が展開しそうなものですが、メグレはそのための捜査をする気はあまりないように見えます。孫娘の死は(シムノンが)メグレをお家騒動の渦中に引っ張りこむための切っ掛けとして使ったように思えます。ただ、捜査はろくにして貰えなかったものの、この孫娘は妙な存在感があります。シムノンは自分の本当の娘をモデルにしているんじゃなかろうかと感じました。 ※解説によれば、この作品が書かれた当時はまだシムノンに娘は生まれていなかったそうです。 なにかが起こる予感がする、ものすごくする、それを見届けるのが今回のメグレの役目です(けっこう嘴を突っ込んでみたりもします)。 サスペンスに分類されておりますが、確かにこれはサスペンスですね。 メグレが呑気に構えているので、サラッと読んでいると緊迫しているようには思えないのですが、再読してその緊迫感に気付いた珍しい作品です。 タイトルの「メグレ激怒する」が、自分にはあまりピンときませんでした。 個人的なハイライトシーン 老婦人がラストでメグレに妙な告白をします。登場人物の一人について自分の本音を告げるのですが、話の脈絡からいってその言葉は唐突であり、プロット上はなんら意味を感じられません。 ただ、この一言で老婦人の人間観というか価値観がくっきりと浮かび上がります。 プロット的には少々不可解なセリフなのですが、この老婦人ならそうであろうと私は非常に納得がいきました。 老婦人に乾杯! くそばばあとか言ってしまってゴメンなさい。 ※私にとってメグレ警視シリーズは「人さまにお薦めできる大好きな作品」と「人さまにはあまりお薦めしないけど大好きな作品」の二種類しかありません。今更ですが、あまり採点する資格のない人間といえましょう。 ただ、いちおうルールとして人さまにお薦めできるものは7点以上、人さまには敢えてお薦めしないものは6点以下にしています。7点以上と6点以下の区分けに関しては可能な限り客観的に、自分の好みは考慮しないようにしております。 なぜこんなことを書いたのかというと、この作品が大好きだからです。すみません。 |
No.107 | 8点 | 夜よ鼠たちのために- 連城三紀彦 | 2016/09/24 17:47 |
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非常にレベルの高い短編集だと思います。さまざまなパターンの操りと反転が楽しめる一冊です。マンネリのようでいて、少しずつ軸をずらしていく工夫が素晴らしい。ただ、こちらの方がストレートにミステリを堪能できると思うのですが、自分は戻り川心中の耽美性、物語性に軍配を上げます。
以下寸評 ネタバレありません 「二つの顔」 導入で不可能犯罪であると思わせておいて、きちんと最後まで描き切っている。良い作品だが、本作品集内にいると普通のレベルになってしまう。 「過去からの声」 意表を突かれる若い刑事の過去と、そこから推理を組み立てていく過程が斬新で面白かった。ただ、自分はいい話だとは思えなかった。 「化石の鍵」 底冷えのする話。本作品集の中で二番目に好きな作品です。 「奇妙な依頼」 目立った瑕疵がなく完成度が最も高い。しかもこじんまりとはしていない。私がベストだと思うのはこれです。 「夜よ鼠たちのために」 首をかしげたくなるような部分が二ヶ所あったけれど、物語としてはけっこう好き。ラストが素晴らしい。犯人の深い情念には胸を衝かれるものがあった。長編で読みたい作品だった。 「二重生活」 ミステリとしては評価したいが、あまりにも醜い。誰がどうなろうとどうでもよくなってしまう。 |
No.106 | 6点 | 猫柳十一弦の後悔- 北山猛邦 | 2016/09/24 17:43 |
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失敗作だと思う。そうはいっても、部分部分は悪くない。
1探偵学、孤島研修、不可能犯罪定数といった設定は面白いと思った。 2トリックや見立てはかなり面白い。 3「探偵は犯罪を未然に防ぐことを第一の目標とすべし」という猫柳の信念も面白いと思う。 ただ、これらを全部ぶちこんでしまったために全体のバランスが崩れてしまったように思う。 1と2を組み合わせてライトに仕上げる分にはまったく問題ない。 2と3を組み合わせるのも同じく問題なし(個人的には3のテーマを扱うならもう少し重い文章、重い雰囲気を希望)。 だがしかし、1と3は食い合わせが悪いように思った。1を残してこの設定にリアリティを持たせ、深める方向か、3の大きな命題に挑戦するかどちらかに絞った方が良かったのでは。猫柳が探偵学に新たな道を拓くという流れを目指したのかもしれないが。 また、3のせいで猫柳の推理が超人じみてしまったこと(そうしないと未然に防げない)、故にせっかく出来の良いトリック、見立てがいまいち活かし切れずもったいなかったのでは。 さらに動機が無茶苦茶という不幸がトドメとなってしまった。 けして、つまらなくはなかった。むしろ楽しく読んだ。完成度は低いが可能性を感じさせてくれる面白い作品だった。 |
No.105 | 7点 | 豚は太るか死ぬしかない - ウォーレン・マーフィー | 2016/09/23 13:03 |
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失踪した不動産屋には多額の生命保険がかけられていた。その妻は警察に頼ることを極度に怖れていた。警察沙汰にして夫が無事であったりしたら「俺に恥をかかせた」と酷い目に遭わされるのだ。そんなわけで保険調査員のトレースが内密に調査を命じられた。何日かに亘って催される日系人の集会に出席するから(後述チコの付き合いで)と仕事から逃れようとするトレース、ところが、いざ出席してみれば日系人の集会とやらはトレースには苦行以外のなにものでもなかった。あれに出るくらいなら仕事の方がまだマシ。ようやく調査を始めるトレース。すぐにわかったのは行方不明になっている男を好いている人間は誰一人としていないという事実。そんなわけであらゆる人から嫌われているこの男はついに死体となって発見されるのであった。
アル中保険調査員トレースシリーズの四作目でシリーズ最高作に上げる人も多い作品です。キャラとユーモラスな会話で読者を引っ張っていくタイプの作品なんですが、ドーバー警部シリーズのユーモアが賛否両論だったようにこのアメリカンジョークも笑えねえという方がいらっしゃると思われます。 トレースの同棲相手であり知恵袋でもあるチコ(ミチコ・マンジーニの愛称。日伊ハーフ)が非常に魅力的に書かれております。トレースは日本の小説ではあまりお目にかからないタイプですが、アメリカのエンタメ小説ではしばしば目にする粗野で単細胞なタイプ。 本作ではトレースが情報収集(分析能力はない)、チコが謎解きという役割分担となっています。頭のおかしいトレースとまともなチコでうまくバランスが取れているのかと思いきや、チコもちょっとエキセントリックなところがあったりします。 ドーバー警部は上司に持ったら最悪なタイプですが、本シリーズのトレースは絶対に部下にはしたくないタイプ。反抗的、怠け者、アル中、へらず口過多、ちょっと頭がおかしい、そのうえ社長にコネあり(社長の親友)という悪夢のような部下です。 ※いわゆるキャラが立っている作品です。人物造型が深いわけではありません。キャラが立っているというのと人物造型がしっかりしているというのとではまったく意味が違うと考えております。キャラ立ちはしていても人物造型は薄っぺらい作品はよくあります。 ハードボイルド風味だという方もいるようですが、個人的にはまったくハードボイルドではないと思っております。ややこしいトリックはありませんが、トレースが怠けつつも動き回る中で伏線がいろいろと張り巡らされ、関係者が一堂に会するラストではわりとロジカルな謎解きがなされます。ここで本作のタイトルが秀逸であったことがわかります。原題は『Pigs get fat』「豚は太る」ですが、「か死ぬしかない」と後に続けたのは大正解だと思います。 ただの場繋ぎギャグだと思っていた会話に重要な意味があったり、前半のトレースの怠けぶりにも作者の狙い(トレースは別になにも考えていない)があったりと、ミステリとしても面白く読めました。 ただ、けっこう筆が割かれている日系人の集会が本筋とまったく関わりなく、この点はミステリとしても全体の構成としてもマイナスポイントでしょう(面白く読みましたが)。また、日本人の描かれ方が……わかったうえで、ふざけているのか、本当に勘違いしているのか、自分は前者だと思っておりますが。 B級色濃厚で、すでに忘れられつつあるシリーズなんですが、意外と美味しい。 |
No.104 | 8点 | 奇想ミステリ集- 山田風太郎 | 2016/09/21 18:39 |
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ひねりが効いている、盲点を衝かれる、いや、というよりも食わせ者にしてやられた感が強い。
「安心してください。穿いてます」みたいな感じか。いや、あれは何度も見せられるとむかついてくるが、本作品集はそんなことはない。 良い意味で五十過ぎの食えないおっさんが書いたような円熟味を感じさせる作品集だが、なんと風太郎の初期作品ばかりだという。それでいて、ちょっとした仕草や思考の描写の中に鋭い人間観察が仄見えたりと本当に油断できない。本人はこれらの作品を習作だと考えていた節すらあるらしいのだが、とんでもないセンス。 最初の「新かぐや姫」からして傑作。これがベストトラックかなあと思いきや。次から次へと凄い作品ばかり。 怖かった「目撃者」 あの運転手のその後の人生はどうなってしまうのか。心配だ。 笑った「露出狂奇譚」モノのみならずオチまで丸見えの露出狂の話だが、たとえオチが見えたとしても自分はこういう小学生が喜びそうな話が大好きなのだと再認識。 最後は「司祭館の殺人」で狐につままれて終了です。 駄作は……あったのかもしれないが、自分は気付かなかった。 強いて言えばミステリとしては弱い作品がかなり含まれているとは思う。 |
No.103 | 7点 | 暗い落日- 結城昌治 | 2016/09/21 18:37 |
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私立探偵の真木は居丈高な実業家から行方不明になった孫の捜索を依頼された。調査の過程で殺人事件が二件発生、本件の人探しと直接の関係はなさそうなこれらの事件だが、実は過去のとある悲劇から始まったものだったのだ。
序盤から中盤にかけてはハードボイルドの定型ともいえるような筋運び。贅肉を削ぎ落とした文章はリズム感も良く、言葉の選び方も華はないが自然で堅実。人物描写は平凡だが、彼らの関係を淡々と映していく書き方は好感が持てた。 視点人物であり語り手である探偵真木が無色透明に感じられた。だが、犬小屋の奥から出てこない犬のようでいて、呼べばきちんと顔くらいは出す。必要なことは述べるが、自己主張はしない語りなのだ。一人称小説で語り手の特色が出ないのは致命傷だと思っているが、例外はもちろんある。著者は一人称一視点を採用した理由として、フェアプレイに適った書き方だからだと述べていたらしい。解説を書いていた原寮(私が持っているのは1991年発行の講談社文庫版)は一概にそうとは言い切れないと述べていたが、それはともかくとして、真木の無色透明は作者のフェアプレイ精神?に関連しているのかもしれない。読者が真木と同じ条件で推理が可能なように、余計な修飾も極力排除したのではなかろうか。そして、フェアプレイうんぬんに言及したということは作者がハードボイルドではなく本格ミステリを書こうとしていたと考えることもできる。 確かに本作は本格ミステリとして読むことも可能な内容で、家族の秘密に関しては安易な気もしたが、真木が捜索を依頼されていた女性に起こった出来事は個人的には盲点というか、当然想定されうることなのに、この展開ならこうはならないと決めつけていたところあって虚を衝かれた格好となった。確かにフェアだった。 どちらかといえばハードボイルドに寄った作品だとは思うが、本格として読んでも――見事に引っかかっただけに――なかなかの出来ではなかろうか。 どうでもいいことだが、心理テストが作れそうな作品だ。 「この作品の登場人物で誰が一番嫌いですか」いろいろな答えがありそうで興味深い。 本作だけではなく、真木シリーズ三作はどれも読んでみて損はないと思います。 |
No.102 | 7点 | プレイバック- レイモンド・チャンドラー | 2016/09/19 12:51 |
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マーロウは同じところを行ったり来たりで話がちっとも進展しない。前半はグダグダ。チャンドラーの筆力があるから楽しく読めるけど、内容がストーリーしかないタイプの作家の作品だったら投げてます。ようやく面白くなってきたなあと思ったら(P140あたりから)駆け足でラストへ。なんか不完全燃焼です。
はっきり言わせて貰えば失敗作だと思います。 前半のグダグダは一人称マーロウ視点に固執したせいです(本サイト内にある『過去ある女 プレイバック』の拙書評も参照してみて下さい)。マーロウのいないところで起こることを書くために回りくどくなったり聴診器を使ったりする羽目に陥ったんです(聴診器を持ち出して隣室の会話を盗み聞きとか、個人的にはマーロウにそんなことをして欲しくない)。三人称多視点であればもっとコンパクトにわかりやすく書くことが可能だったはずです。 ただ、小説としては失敗作だとしても、それが好き嫌いと直結しないのがチャンドラーの不思議なところです。私はこの作品もけっこう好きなんです。 特に以下の二点が好きなところ。 一点目はラストでマーロウが寂しい人ではなくなるかもしれないと期待できた点。よかったな、マーロウと素直に嬉しかったわけです。そんなわけでプードルは怖くて未読です。 ※Tetchyさんの書評を拝読して、今はちょっと読んでみようかなという気持ちになっております。 もう一点は大好きな場面(会話)があるからです。 れいのセリフも好きですが、私の一押しは本作の主たる舞台となったホテルの副支配人ジャヴォーネンとの会話です。 マーロウを胡散臭く思い、調査に協力的ではなかったジャヴォーネンでしたが、最後に「私のことを嫌な奴だと思っているだろう?」とマーロウにこぼします。意外と可愛い奴です。マーロウはこう答えます。 「思わない。あんたには職務がある。ぼくには仕事がある。あんたはぼくの仕事が気に食わない。ぼくを信用しなかった。それだからといって、あんたはいやな人間と思うのはまちがってる」 このあと二言三言言葉を交わしますが、マーロウの以下のセリフが最高でした。 「あんたは諜報機関の少佐だった。収賄の機会がいくらでもあったろう。なのに、まだ働いている」 調査に協力してくれなかったことを恨むどころか、「立場の違いのせいで反目することにはなったが、私は高潔で実直なあなたの人柄に敬意を表している」と、とてもスマートな言い回しで相手に伝えたわけです。かっこよすぎ。 このやり取りを読めただけで私は満足でした。 ※どうでもいいけど、本作のラストは……マーロウは『長いお別れ』のラストでウソを吐いてませんか? 以下 ネタバレというか、元ネタの映画シナリオ(過去ある女 プレイバック)と比較して内容について少し突っ込んだことを書きつつ、プレイバックというタイトルが「意味不明」となってしまった原因を明らかにしたいと思います。 ※タイトルの意味、巷で流布している説の方がロマンチックだったり面白かったりするかもしれません。夢を毀してしまったら申し訳ありません。 シナリオ『過去ある女 プレイバック』(以下、シナリオとします)では主人公のベティは夫殺しの嫌疑をかけられ、僥倖としかいいようのない幸運で無罪を勝ち取ります(真相はシナリオ内で明記されていないが、おそらくベティは白)。ところが、新たな人生を送ろうとやって来たカナダで再び殺人の嫌疑をかけられることになります。殺人の嫌疑がかかる、このとんでもない体験が繰り返される、すなわちプレイバックです。 次に小説『プレイバック』(以下小説とします)です。 ※私もシナリオを読む前は最終章がタイトルの謎を解くカギだと考えていました。そのような解釈をする人は多いと思います。 シナリオではベティの過去の秘密は早めに明かされます。 ベティの部屋で射殺体が発見され、ベティは容疑者筆頭です。 「またですか……」苦悩するベティの心情がプロットの中心に居座り、プレイバックの意味は歴然です。 これが小説では以下のように改変されます。 『マーロウの尾行相手(ベティ)の秘密はなにか、消えた死体は本当にあったのか(本当に殺人事件はあったのか)』 小説はこの二点を主たる謎として読者を引っ張る構造になっています。そう。この二点を謎として読者に隠してしまったことがプレイバックというタイトルの意味をぼやかしてしまったのです。 過去の秘密は不明、殺人もあったのかなかったのかわからない。読者にとってはなにも繰り返されていないわけです。 かなり後半になってから謎は明らかになるのですが、肝腎な部分が駆け足で流されてしまい、繰り返し(プレイバック)に注意がいかないんです。ベティの苦悩についても読者はよくわからない(三人称多視点にしておけばなあ……)。 これはチャンドラーの書き方に問題ありだと思います。 シナリオではベティの夫殺しに関する法廷シーンがあって、臨場感、緊迫感ありました。しかし、小説では法廷シーンは書けません(三人称多視点にしておけばなあ……)。出来のいい法廷シーンの代わりにベティの義父がマーロウにやっつけ仕事的な説明をします。ところが、セリフがいかにも説明的で真に迫るものがない。しかも、マーロウらがこの義父を適当にあしらってしまうので(これはこれで場面としては面白いのですが)、読者には夫殺し疑いの件は大したことではないように思えてしまうのです。チャンドラーがシナリオをマーロウの一人称小説に変更するにあたって、探偵小説らしい謎を設定したことが裏目に出たわけです。小説として面白くしようと努力した結果、内容がタイトルから遠のいていってしまったわけです。 チャンドラーに言いたいことは二つ。 死体を消したりせずに普通にフーダニットを謎とすればよかったのではないでしょうか。 ベティの過去をもう少し早く明らかにしてもよかったのではないでしょうか。 こうすれば、小説版もプレイバックの意味がもっと明瞭になったと思われます。 ただ、タイトルのために作品があるわけではありませんからねえ。チャンドラーが内容を優先して、タイトルと内容との関連についてはあまり注意を払わなかったとしても仕方のないことかもしれません。 最後に一つ。本作執筆時、チャンドラーは己の死を意識していたと思います。 では、小説とシナリオの読み比べ、他にもいろいろ発見がありますのでチャンドラーファンの方は是非! |
No.101 | 7点 | 過去ある女 プレイバック - レイモンド・チャンドラー | 2016/09/16 15:11 |
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アメリカからカナダに逃げ出して来て早々に変な男につきまとわれるベティ・メイフィールド。しかも、その男がホテルの自分の部屋で射殺された。ヤケッパチになりかけたベティだったが、彼女に同情的な警視や彼女を救おうとしてくれる紳士もいる。しかし、ついに彼女には逮捕状が出されてしまったのだった。
暗い過去を振り払おうとアメリカからカナダへやって来たベティ・メイフィールドだったが、ここでも過去起きたことが繰り返されるのであった。 小説ではなく映画のシナリオです。 諸事情あって映画化されず、お蔵入りになっていたチャンドラーのシナリオが発掘され、翻訳出版の運びになったようです。こんなものまで日本語で読めるなんて、日本人が英語が苦手なのはこういう恵まれた環境も理由の一つなんでしょうね。 まあそれはさておき、このシナリオ、けっこう面白いです。 シナリオですからチャンドラーの文章に浸るというわけにはいきませんし、人物造型も深みや説得力に欠ける部分あり、そうした物足りなさはありますが、チャンドラーにしてはプロットは上出来、会話の切れは相変わらず。映画で完成形を見たかった。 ただ、余計な修飾がない分、チャンドラーの文章力を別の角度から再確認できるというマニアックなお楽しみもあります。 基本的には簡潔明快な文章で綴られておりますが、なかには『水夫の踊りっぷりの優雅さは犀にひけをとらない』こんなサービスもありました。こんなん言われても役者はどんな演技をすればいいのか悩みますわ。 これ、実は副題のとおりチャンドラーの七作目の長編『プレイバック』の原型だそうです。ところが、小説版プレイバックにおいて、シナリオはその原型を留めていません。 チャンドラー大金貰ってシナリオ書く→自信作だったのに映画化されず→怒った(かどうかは不明)チャンドラー得意の自作再生利用癖を大いに発揮して小説化。と、このような流れだったそうです。でも、これ、かなり大きな問題があります。 その1 主人公は女性であり、マーロウは不在。 その2 どう考えても三人称多視点で小説化すべき作品。 これをチャンドラーは意地でもマーロウ視点の一人称小説に仕上げるべく努力しましたが、45回転のレコードを33回転で回すようなもんです。「プレイバックは奇妙な作品」というような評を目にしましたが、こうした歪みにもその原因がありそうです。 チャンドラーファンならこの強引な小説化の過程に想いを馳せるというマニアックな愉しみ方も可能でしょう。 それにしても、自信のあったプロットなわけです。なぜそれを活かすような書き方をしなかったのでしょうか。なぜ、そこまでマーロウに拘ったのでしょうか。頑固頑迷こうしたチャンドラーのメンタリティがそのままフィリップ・マーロウのメンタリティと直結しているように思えてなりません。 チャンドラーは一人称へらず口文体が得意でしたが、実は生み出すプロットは三人称多視点向きで、こういうところが超一流の文体……文体に一流も二流もないですね……超一流の文章と二流のプロットという落差に繋がったのではないかと、そんなことまで考えてしまいました。 察しの良い方はお気づきかもしれませんが、『プレイバック』の謎の一つとされていたタイトルの意味、本作を読めば疑問は氷解します。 私が持っているサンケイ文庫版にはロバート・B・パーカーの解説が収録されておりましたが、残念ながら数年前に出た小学館版には収録されていないようです。 入手借り受け可能ならサンケイ文庫版をお薦めします。 |
No.100 | 7点 | ドーヴァー3- ジョイス・ポーター | 2016/09/13 12:10 |
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ロンドンからほど近い田舎村で村中の女に繰り返し繰り返し猥褻きわまりない手紙が届けられるという事件が起こっていた。お偉いさんの大人の事情によりヤードからも人員が派遣されることとなり、(こんなろくでもない仕事ならばということで)ドーバー警部に白羽の矢が立った。だがしかし、ドーバーは自分の不運を嘆きつつ寝食に励むばかり、部下のマクレガーに「いつかあのクソ爺(ドーバー)をぶん殴ってやる」と穏やかならぬ決意までさせてしまう。そんな最中にも女性教師の自殺未遂、さらには村人のガス中毒死事件までも発生、さらにドーバーの元にも卑猥な手紙が……。
笑えないという方も多いシリーズだが、笑いの閾値が低い私は文庫の裏表紙にある内容紹介を読んだだけで笑ってしまった。裏表紙だけでこれだけ笑えた作品というと『大相撲殺人事件』があるが、あれは「一番笑えたのは裏表紙を読んだときだった」という問題があった。本作は中身でそれ以上に笑えたので笑いという点ではこちらに軍配を上げたい。 ドーバー警部シリーズの最高傑作はやはり『切断』だとは思うが、本作の方がまとまりがよく読み易い。ドーバーは相変わらず一点読みで犯人を決めつけるが、果たしてこの人物が本当に犯人なのか。この謎?をうまく引っ張っています。 ドーバーは名探偵というほど頭脳明晰ではないが、そうかといってまるでバカというわけでもない。彼の意見にはとんでもなくバカげたものもあれば、意外と真っ当なものもあり、その混在ぶりが絶妙。このバランス?のよさが大好きです。 『切断』は真相が仄めかされるのみ。素晴らしい締め方だった。ところが、本作はいわゆる「お喋りな犯人」。通常ミステリでは瑕疵と見做される。犯人のこのお喋りぶりが笑えるポイントなのだが、こんなん笑えない、ただの瑕疵だ、と考える方もいるでせう。この結末をどう考えるかで本作の評価も大きく変わると思う。 あと、卑猥な手紙の内容が具体的に書かれていない点がどうなのか。 星新一は書かなくとも、筒井康隆ならねちっこく描写したことでしょう。 優れた物書きは時として読者に言葉の再定義を強いることがあるが、ドーバー警部シリーズを読んで、自分は「婦人(夫人)」などという本来は面白くもなんともない言葉に過剰反応してしまい、これらの言葉を聞くと心中ほくそ笑むようになってしまった。 ゆえにジョイス・ポーターは優れた物書きだ! |
No.99 | 7点 | 大いなる眠り- レイモンド・チャンドラー | 2016/09/10 13:10 |
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初読時は途中で読むのを断念しました。
「モチ」でイヤ~な気持になり、「うふう」でズッコケ、「承知之助」で投げたような気がします。他の作品をすべて読んでから再読したのですが、やはり当時はどうにも乗れませんでした。 高校時代の私は今よりもユーモアに理解なく、他者に厳しかったのかもしれません。若さゆえの潔癖とでも申しましょうか。 それはともかく、他の作品とは読み味がかなり違うなあと思いました。訳者の違いが大きいとは思いますが、行く先々に死体が転がっているプロット、やけに元気なマーロウ(拳銃を手にする機会がやけに多く、使う気マンマンという風に見えたし、実際に使った)という具合に実際に他の作品とは異なる肌触りがあります。これは訳文のせいだけではないと思います。あとがきにはハメットの影響ウンヌンということが書いてありましたが、当時の私は平行して読んでいたミッキー・スピレインに近いような気がしました。 ※小学生の頃に読んだ名探偵に挑戦だかなんだかという本に探偵紹介のコーナー(銭形平次が名探偵という扱いでした!)があったのですが、「マイク・ハマーの登場で『こんな殺し屋みたいな奴が探偵なんて、推理小説もおしまいだ』などと嘆く人もあった(うろ覚え)」との記載ありました。子供心にマイク・ハマーってどんな人なんだろうと好奇心を持ちました。高校生になってから実際に読んでみて、この人のどこが殺し屋みたいなのかと首をひねりましたが。 私はやはり清水訳に思い入れがありますね。ただ、今回再読してみてこの訳もけして悪くはないくらいの意識改革はできました。ただ、こういうプロットはあまり好みではないかも。それから思い入れのある登場人物があまりいないなあ。6点と思ったのですが、彼女の正体が……昨今では手垢にまみれた人物設定ではありますが、物語の閉め方としては本作が一番好きです。大いなる眠り、そういうことだったのね。そんなわけで、7点にします。 なんだかんだチャンドラーは好きですし。 ちなみに私は妹の方が好きです。『マール、じゃなかった、カーメンは愚かでいささか病的だが、可愛いところがある。だがしかし……』 運転手を殺した真犯人がどうしてもわからず、自分が物語をきちんと理解できていないのだと思って再読、再再読してみましたが、結局わからず。自分の読解力の無さに絶望したのはいい思い出です。 |
No.98 | 8点 | ゴッドファーザー- マリオ・プーヅォ | 2016/08/28 11:54 |
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全米で最も強大なマフィアの組織を築き上げた伝説の男、ヴィトー・コルレオーネ。絶大な力を持つこのマフィアのドンを、人々は畏敬の念をこめてゴッドファーザーと呼ぶ。そんな彼の三男マイケルは、家業に背を向け家を出ていた。が、麻薬密売をめぐる抗争でドンが瀕死の重傷を負った時、彼は、父、家族、そして組織のために銃を手に起ち上がった……。~amazonより~
犯罪組織(マフィア)を美化しているきらいはありますが、エンターテイメントとしては最上の部類。陰謀はよく考えられているし、ファミリー内部での人間関係や人物造型もかなり緻密です。取材をしっかりとして彼らのものの考え方などかなり事実に基づいた書き方をしているようです――本当の汚物は消毒してしまっているでしょうけど――。 超有名作品でわざわざレビューするほどのものかとも思いますが、実は本作は映画で親しんだ方がほとんどではないでしょうか。これ映画も原作も傑作という稀有な作品ですから、映画が好きなら原作も読むことを強くお薦めします。 映画だけでは登場人物の思惑が掴み切れなかったり、意味不明なセリフなどもあります。映画と小説とで足りない部分を補完し合うことにより真の傑作が受け手の中に生まれると思われます。 例えば、コルレオーネ一家の過去の清算とマイケルの甥っ子の堅信礼を重ね合わせるという小説では不可能な映画ならではの美しいシーンがありました。ソロッツオ殺害を決意したマイケルを嘲笑するサンティノやクレメンツア、その中で一人哀しげな様子を見せるトム・ハーゲンの思いは原作を読めば非常によく理解できます。家業を嫌っていたマイケルが実は最も家業を継ぐに相応しい資質を持っていたことが小説でははっきりとわかるように書かれています。 ボブ・ディランが「法の外に生きるからには誠実でなくてはならない」なんてことを歌っていましたが、この小説に書かれた組織とはそういう風でした。でも、実際はね……。こんなとんでもない連中が20世紀半ばくらいまで表向きは「存在しない」ことになっていたらしいのですが、日本でいうと山口組なんて存在しないと言い張るのと同じなわけで、ありえん。アメリカやイタリアは怖ろしいところですな。 |
No.97 | 8点 | さらば愛しき女よ- レイモンド・チャンドラー | 2016/08/24 12:38 |
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最初の頁にこんな一文があります。
『彼(大鹿マロイ)は自由の女神をはじめて見る移民のように、汚い窓を熱心に見つめていた』 いささか大袈裟に思える比喩です。 日本人にはピンと来ませんが、移民がはじめて自由の女神を見るのは祖国からの長い船旅の末、ようやっとアメリカに到着した時でしょう。 ケインとアベルやゴッドファーザーなどなど、映画で何度か見たことがあります。 長旅の疲れのせいか気怠さの蔓延している移民船、だが、霧の向こうに自由の女神が見えた瞬間、移民たちは食い入るようにその像を見つめるのです――そして、大騒ぎです――。これはアメリカ人にとっては原風景とでも言うべきものではないでしょうか。 このような切実な移民の姿がマロイの喩えに使われている。ところが、マロイが熱心に見ているものは『汚い窓』このギャップには滑稽味すらあります。が、マロイにとっては笑いごとでもなんでもない。 そう、読後に改めてこの一文を読むと、この比喩は大仰でも滑稽でもなくなります。読者の胸に哀しみが沁み入ってくるような一文なのです。 私の認識では恐るべき失敗作です。愛すべき失敗作でもあります。 読んでいてなんの話なのかよくわからなくなってきます。モグラの掘った穴につまづいたら目の前にお金が落ちていたというくらいの僥倖、マーロウの恐るべき勘、これらに頼って構成されたプロットに多くの読者が振り落とされていくことでしょう。「なぜ貴様がここにいる?」「何を根拠におまえはそう思うのだ?」そんな疑問の連続です。存在理由のよくわからない人物や場面も多い。 プロットだけで採点するなら5点以下。ミステリとしても5点以下。 チャンドラーの文章が好きな人、あるいはフィリップ・マーロウのファンにしかお薦めはできません。 ただ、文章のノリや雰囲気は本作が最もいいと感じます。チャンドラーって読むのに時間がかかる印象ですが、文章そのものはキビキビしていてテンポがいいんですよね。個人的には好きな作品です。 「どんな話でもこいつが書くとなんか読まされちゃうんだよなあ」 これは私の思うところでは作家の理想形であります。 (もちろん話も面白いに越したことはないのですが) ヴェルマを探すため、マーロウは彼女の働いていた酒場のオーナーを探そうとします。こういう聞き込みは会話を書くのが下手な作家はさらっと流してしまいがちです。読者は読み進めるための情報を得るのみ。こういう場面であってもチャンドラーは妙な情感を読者に与えます。情感の方に気を取られて情報はどうでもよくなってしまう。 ジェイムズ・エルロイはチャンドラーを読んで小説の書き方を学んだと言っておりました。チャンドラーからなにを学んだらあんな小説が出来上がるのだ? おそらくウイットのある会話、地味な場面を楽しく読ませる技術などを学んだのでしょう。 本作にはヘミングウェイを使ってマーロウが警官をからかう場面がありますが、エルロイはシャーロック・ホームズを使って同じようなことをしております(ブラックダリアにて)。 マーロウとは何者なのか。 小学生の時に買って貰った架空人名事典には、アメリカを代表する人物はワシントンでもリンカーンでもケネディでもなく、フィリップ・マーロウだという説もあるくらいだ、との記載がありました。 高校時代に自分が感じたのは、マーロウはとても寂しい人だということ。かっこいいとは思ったが、ヒーローとは思えなかった。どこかしょぼくれた感じがする。 当時の私がそうした寂しさを感じた理由をこのように考えています。マーロウには生き方の指針としての信念はあっても、肝腎な人生の目的がない。さらに悪いことにマーロウは頭が良くて有能です。こういう人物が人生を無為に過ごしている姿は痛ましい。 幾人かの方が言及されているマーロウは生意気な口を利くあんちゃんという説。私は清水訳にどっぷりと浸っていた口ですが、議論の余地は大いにあると思います。 疑問としてまず思い浮かんだのは、こういうあんちゃんがシェイクスピアを引用したり、軽口にヘミングウェイなど登場させたりするだろうかという点。マーロウが不良っぽいあんちゃんであるにしても、チャンドラーの自意識がかなり流れ込んでいると思われます。 |
No.96 | 7点 | 湖中の女- レイモンド・チャンドラー | 2016/08/18 01:00 |
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会社社長より一ヶ月前から行方がわからなくなっている妻を探し出して欲しいと頼まれたマーロウはいくばくかの調査の後、湖の近くにある彼女の別荘を訪れた。そこでマーロウは別荘の管理人と共に湖に沈んでいた女の死体を発見する。その遺体は管理人の妻ミュリエルのものであった。
中学の終わり頃でしょうか。ミステリというのはかなり不自然だなと強く感じはじめました。いわゆるリアリティの欠如というやつです。そこで、当時の語彙でいえば自然なミステリが必ずあるはずだと探しはじめて、チャンドラーに行き当たりました(別の意味でチャンドラーにも不自然さが多々あるのですが)。当時の私には意味の良くわからない会話や文章がけっこうありましたが、それでも懸命に読んでいました。ガキは暇があって金はない。ゆえに、なけなしの金をはたいて買ってしまったからには理解できるまで諦めないのであります。 そんな風にチャンドラーの作品を読破していったのですが、高校生の頃は本作が一番読みやすくて面白いのではないかと感じていました。ミステリファンだがハードボイルド(この言葉の定義が未だによくわからない)には馴染みがないという人にはまず本作を薦めます(ミステリに拘りのない人には「高い窓」を薦めます)。 無駄な場面はないし、存在意義のよくわからない登場人物もいない。話の展開が早く、すっきりとわかりやすい。そして、素晴らしい出来映えとまではいかないものの、ミステリとしてもまあまあよくできている。 大鹿マロイほどのインパクトはありませんが、徐々に変化していく犯人の人物像は非常に印象的であり、マーロウやパットンが細やかな同情を寄せたことも理解できます。 ラストの対決シーンなどなど、読者サービス旺盛なある意味チャンドラーらしくない作品ですが、エンタメとしてはこれが一番お薦めです。読みやすく、プロットを破綻させることなく書かれた『さらば愛しき女よ』ではないでしょうか。この路線を突き詰めていけばミステリと文学の融合として最高峰のものが出来上がったのではないかと思います。ところが、残念なことにチャンドラーには本格ミステリを書く才能はなかった、と私は考えています。シムノンも同じく。 ※チャンドラーもシムノンも大好きですが、両者ともにあくまでミステリの変種であって、ミステリかくあるべきとは微塵にも思っておりません。むしろ本道になってはいけないとさえ思います。ちなみに現在はいわゆる不自然なミステリに対する反感はまったくありません。 以下 ネタバレ気味 前半で依頼人の妻が奔放でだらしのない女であることが強調されております。この妻とマーロウが初めて相対する場面。 『女は足首を交差させ、頭を椅子の背にもたれさせて、長い睫毛の下から私を見た。眉毛は細く、アーチをえがいていて、髪の色とおなじ褐色だった。静かな、秘密をふくんだ顔だった。むだな動きをする女の顔には見えなかった』 最後の『むだな動きをする女の顔には見えなかった』初対面の女性の描写にしては非常に違和感あります。なぜわざわざこんなことを書いたのか? まさに無駄な描写では。 と、思いきや、数ページ後に彼女はこんなことを言います。「たいていの人間はこういう場合は理性をなくす。でも、わたしは無くさない。その方が安全だから(抜粋ではなく私の要約です)」 読者はもうここではっきりと二人の女の違いに気づくでしょう。安全のためには理性を無くさない。こういう人は無駄な行動を厭うものです。そして、それは奔放とは対極にあるメンタリティでしょう。 こういう細かい部分をネチネチと読み解いていく楽しみのある作家は大好きなのです。 ※この女性はシムノンの「メグレと火曜の朝の訪問者」に登場した女性とそっくりなメンタリティだと思います。 ※安全といえば、東野圭吾の「白夜行」の主人公雪穂ですが、彼女は上昇志向が強いのではなく、極度に安全を求める女性なのだと私は考えております。自国の安全を守るためには太平洋全域を掌中に収めておかないと不安で不安で仕方のないアメリカみたいな感じでしょうか。 |
No.95 | 7点 | 絵画鑑定家- マルティン・ズーター | 2016/08/04 02:29 |
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資産家でスイス絵画の鑑定家としても名高い五十男のアドリアンは若い芸術家たちのパトロンをしながら楽しく呑気に日々を過ごしていた。ところが、自殺しようとしていたロレーナという女性を助けたことで、平穏だった日常に強風波浪警報が灯る。ロレーナの奔放さ、小賢しさに振り回されることになる。さらに友人であり、絵画コレクターでもある老人が所有する名画をオークションに出品したいと申し出るのだが、それはアドリアンのキャリアを台無しにしかねない危険なものであった。
スイスの作家、マルティン・ズーターの作品です。社会経験をいろいろと積み、五十近くになってデビューしたそうです。読後にこの情報を得て、なるほどねと思いました。 何年か前にタイトルだけを見て買ってしまった本なのですが、期待していた話とはまるで違っていました。裏表紙に美術界の内幕を題材にした心理スリラーとありますが、どうにもピンときませんでした。 三人称多視点で書かれておりますが、一人称のような書き方が混じります。例えば、アドリアンのお手伝いさんだけはなぜか終始「ハウザーさん」と表記されます。三人称小説ではなく、まるでアドリアンの一人称視点です。こういった不安定な書き方が散見されましたが、それが逆に良さのようにも思えました。 変な読み味の小説です。絵画に関する蘊蓄を期待して購入するもあまり蘊蓄はなく、かといってプロットがよくできているかというと、先の展開は見え見えです。物足りなく感じる方もいらっしゃるでしょう。読者に良さが伝わりにくい損な作品だと思います。ダメな小説と紙一重なところをどうにか綱渡りしているような、でも実は深い企みのある作品だと思いました。最後の頁には唖然とさせられました。 ロレーナはこんなことをアドリアンに言います。「あなたはわたしを助けたんだから、あなたはわたしの人生に責任がある」凄いセリフです。普通の男だったらこいつは頭がおかしいと思うでしょうが、アドリアンはそうはなりません。「だって好きなんだもーん」という風です。 なにが起こるのかとドキドキしながら読み進めるのではなく、なにが起こるのかはわかったうえで、アドリアン氏がなにを考え、なにをするのかを心配しながら楽しむ小説だと思います。ユーモラスな小説といってもいいかもしれません。アドリアン氏のお人好しぶりは通常なら有り得ないレベルのものですが、育ちが良すぎて他人の悪意が理解できないのだなと私は納得しました。 アドリアン氏は若い芸術家たちからは口が重く退屈な男と思われています。おそらくその通りなのでしょう。ですが、読者からはこんな可愛らしい五十男はそうはいないと思わせるなにかがあります。 私は人物造型を重視しますが、作品によって必要な人物造型の度合いは変わるとも思っています。例えば『人形はなぜ殺される』は人物造型がそれほど必要とされない作品、以前容疑者Xの献身にひどいことを書きましたが、あれは人物造型の巧みさが必須な作品だと考えています。 本作『絵画鑑定家』は人物造型がダメだったら成立しない。容疑者Xはその他の部分が優れているので7点としましたが、この作品は5点以下となっていたでしょう。 採点は8点でもいいと思いましたが、少し抑えて7点としておきます。 |
No.94 | 6点 | 夏のロケット- 川端裕人 | 2016/07/27 00:32 |
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高校時代に天文学部に所属していた仲間たちがおっさんになってから、かつての夢であったロケット製造に乗り出すというとんでもない話。
サントリーミステリー大賞で優秀賞を取った作品らしいが、私にはどこがミステリなのかさっぱりわからなかった。でも、ミステリの賞を取っているのだからミステリなんでしょう。過激派のミサイル事件とやらが絡んでくるし。主人公らのやっていることは確実に法に触れるのでクライムに分類すべき? まあライトな青春ミステリとでもしておきますか。とても楽しい作品で、ロケットのことなどなにもわからないだけに、こいつら本当にやっちまうんじゃなかろうかと期待してしまう。 後日、主人公たちは逮捕されてしまうのだが、不起訴となった理由が笑えた。 文章はいまいち。ロケットに関する教科書的な説明過多。ぬるいところ、素人臭いところ満載だったが、なんだか嫌いになれない作品。同じロケットなら私は下町よりもこっちの方が好きです。ロケットの夏、ニッポンの夏とでもいいましょうか。 ただ、レイ・ブラッドベリの火星年代記をかなりひどい形でネタバレしている。動機は愛であろうが、これはいけない。舞城王太郎が『煙か土か食い物』でチャンドラーを同じようにネタバレしていたのは許せたのだが。舞城はやり方が巧妙だったからかもしれない。 ミステリとしては4点、というかミステリ要素はほとんどなし。小説としても5、6点(面白いけど小説技術的には難あり)。で、私の採点は中間を取らずになぜか6点となるのであった。 |
No.93 | 6点 | ルピナス探偵団の憂愁- 津原泰水 | 2016/07/27 00:29 |
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収録されている四編が過去へ過去へと遡っていくように配置されている。すなわち、ルピナス学園の仲良しトリオの一人が病死、葬儀の場面から幕を開ける百合の木陰から始まり、彼女らの卒業式の日に起きた事件である慈悲の花園で終わる。この配列にはもちろん意味がある。
前作の『ルピナス探偵団の当惑』は紛うことなくミステリだったが、本作は青春小説の色合いが濃い。文章は好みだし、変に細かいことに拘るところも自分は好きなのだが、それが読みづらさにも繋がっているかもしれない。ミステリ要素は希薄であり、全体的に軽いが、ところどころに刃が隠されたぬるくはない作品群といった印象。 百合の木陰 若くして病死してしまった摩耶は亡くなる前に夫にかなりの我儘を言い、周囲から顰蹙を買っていた。その傍若無人さにはなにか理由があったのか。 ミステリとしては大したものではないし、御都合主義と無理やりも目立つ。だが、話としては嫌いではない。 犬には歓迎されざる 動機がなかなか面白い。作者らしさを感じる。 初めての密室 この終わり方を嫌う、もしくはポカーンとなる方が多そうな気がする。個人的には凄い終わり方だと思った。 慈悲の花園 特殊な環境ゆえに発生した事件であり、犯行現場がそこであった必然性などなかなか面白いと思ったが、ミステリとしてはもうひと押し足りない。私は単純素直な性格なのでラストはちょっと感動した。 |
No.92 | 7点 | 彼女のいない飛行機- ミシェル・ビュッシ | 2016/07/21 19:14 |
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金持ちの家の子供と貧乏な家の子供、どっちが幸せなのかな。手垢に塗れた雛形をこねてこねてサスペンスに仕立てた小説です。なかなかの力作だと思います。
ただ、脚本はいいけど、演出がいまいちとでもいいましょうか。 プロットはいいんです。面白いんです。kanamoriさんの言われるとおり変な焦らしに苛々させられるもリーダビリティは高い。あとは場面をもう少し面白く読ませて貰えればかなり満足できたのに、いまいち盛り上がりに欠けるのです。書き方をもっと工夫すればここはいい場面になったろうなあと思うことが何度かありました。例えばサランボーの話とか。 あとは後々効いてくるであろうと予想していた設定にあまり意味がなかったというのもいくつかありました。特に広場恐怖症にはなんの意味が????? 人物造型は主要なキャラはイマイチでしたが、脇役陣(主人公の母と頭のおかしい女)はなかなか良かった。ただ、全般的に登場人物が少々愚かしく思えてしまった。その愚かしさでプロットを破綻させないでいるような……。 結末に関してはまあ妥当な線かな。メインである赤ん坊の正体はさほど驚きはなかったのですが、正体が判明する切っ掛けは面白い。ただ、その考え方を援用すればDNA検査などなくとも真相は薄っすらと判明していたのではないかとも思うのですが。 殺人事件についてはもの凄くイヤな真相を想像していたのですが、私の想像の一歩手前で踏みとどまってくれたので助かりました。 最後に一つ誤訳と思しきものを発見したので書いておきます。 はっきりいって本筋にはまったく影響しないし、ほとんどの読者にはどうでもいいことだと思うのですが、犬好きの私としては看過できません! P402に『マリノアというベルギー原産の牧羊犬で、~』という記述あります。 これ、おそらく『ベルジアン・シェパード・ドッグのマリノアで』とすべき。 ベルジアン・シェパード・ドッグという犬種があるのですが、このベルジアン・シェパードには四種類あって、マリノアはその中の一種です。 ベルジアン・シェパード・ドッグ(フランス語でどのように表記されていたのかわかりませんが)を犬種として認識せず、ベルギー原産の牧羊犬(シェパードドッグとは牧羊犬のこと)と、訳してしまったのでしょう。 ちなみにアメリカのビン・ラディン暗殺作戦に参加した軍用犬がマリノアです。 |
No.91 | 8点 | 冷血- トルーマン・カポーティ | 2016/07/21 02:06 |
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~ホルカム村は、キャンザス州西部の、小高い小麦畑のひろがる平原にあって、キャンザス州の他の地方の人たちが「あの向こうのほう」と呼んでいるような、ものさびしい地域である。~
いい書き出し。あまり意味はなさそうでいて、さりげなく事件の背景に触れている。微かな恐怖を呼び起こす。 本作はノンフィクションノベルである、らしい。 取材により膨大な資料をかき集め、それらの取捨選択を行い、創作的処理を行う。作者の見解が示されるものであり、小説であるからには感化的な要素が必須~私は優れたドキュメントは時に小説以上に感化的足り得ると思うのだが~。ただし、ノンフィクションであるからには事実に即したものでなければならない。 ノンフィクションノベル? なにを言っているのかよくわからなかった。 最初に読んだとき、私は非常に警戒していた。正直なところ、この形式について非常な反発を覚えていたのである。いかなる意味があるのか。危険ではないかと。今もその気持ちはある。 別に私はボコノン教信者ではないが、嘘だけを並べ立てた書物でも真実を映すことがあると思う。逆に事実だけを書き連ねてあったとしても、行間から真実が浮かび上がるとは限らない。 こうした反発を内包しつつ読み始めたのだが、内容は素晴らしかった。素晴らしいは語弊がありそうなので凄かったとすべきか。予想以上に被害者家族やその周囲が細密に描かれていた。事件後の掃除の場面は自分も虚を衝かれたような心境だった。ノンフィクションノベルだからこそ出てきた場面でしょうね。ノンフィクションノベルの存在意義を示してくれている。 冷血であるのは、事件の犯人であり、また「私と彼は同じ家で育ったんだ。そして彼はその家の裏口から出てゆき、私は表玄関から堂々と 出て行ったんだ」こんなことを言っている作者でもある。のみならず「あの向こうのほう」で起きた事件は私自身の冷血をも自覚させる。愕然とした。読後感はあまりよくない。 ※私が持っているのは瀧口直太郎氏の訳です。 ※表示されている画像が冷血ではなくて、カーマ・カメレオンになっています。 なんか調子が狂うのでどうにかならないものでしょうか? 7/21追記 帰宅してみたら、さっそく画像が編集されておりました。 蟷螂の斧さん ありがとうございました。 |
No.90 | 8点 | 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない- 桜庭一樹 | 2016/07/13 07:48 |
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これはぜんぜんライトノベルではないと思います。文章は軽めではありますが、ライトノベル的な要素は藻屑の存在くらいだと思います。そして、この藻屑というラノベキャラが普通小説の中で意味を持って、効果的に使用されていることがこの作品の上手さ(技術)というか凄さ(センス)では。
藻屑は非現実的な存在で周囲から浮き上がります。ラノベだったらこれが藻屑のキャラですからで終わりでしょう。ところが、本作では藻屑はラノベ的であることは許されずに孤立してしまいます。さらに、藻屑のラノベ要素は実はやむに已まれぬ哀しい逃避であったわけです。 これって、ある意味ではアンチラノベ的な作品ではないでしょうか。 的外れかもしれませんが、本作は舞城王太郎、シャーリィ・ジャクスン、サリンジャーなどを想起させました。 語り手と藻屑の実弾と砂糖菓子での射ち合いで息を呑み、ウサギはいつ殺されるのかと固唾を呑みました(なぜかウサギは殺されると私は確信していました)。 緊張を強いられ、神経が張り詰める作品でした。 居心地の悪くなる作品でした。 胸が張り裂けそうな作品でした。 実弾にこだわっていた語り手が最後の最後で砂糖菓子の弾丸を放ってしまった。その砂糖菓子の弾丸が藻屑を撃ち抜いた。ひいては語り手自身を。 砂糖菓子の弾丸では自分に対する脅威を撃ち抜くことはできない。なのに自分自身を撃ち抜いてしまうことはあったのです。なんとも皮肉で悲痛なオチなんだろうと。 7/21追記 ライトノベルばかり読んでいる十歳以上年下の男に本作を渡して、ラノベか否か判定しろと命じたところ、「これは初期のラノベですねえ。漫画やアニメしか知らない作者じゃなくて、普通の小説をきちんと読んでいた人が書いたラノベです」とのこと。数ページだけ読んでの判断ですが、これはライトノベルじゃないとした私の判断に陰りが……でも、私はライトノベルじゃないと今でも頑迷に思っております。ちなみに彼は桜庭一樹をまったく知りませんでした。 |