皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
[ SF/ファンタジー ] ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 ハリー・ポッター |
|||
---|---|---|---|
J・K・ローリング | 出版月: 2004年09月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 2件 |
No.2 | 8点 | Tetchy | 2025/07/29 00:29 |
---|---|---|---|
今回は終始「怒り」がテーマだったように思う。とにかく今回のハリーはエゴが前面に出ていて、なんとダンブルドアまでにも歯向かうことになる。
この辺はこのシリーズの隠された仕掛けが見えてきたような感じもするのだが、逆に云えばお行儀のいい主人公を据えるよりも、こうした現代の15歳の子供が見せる傲慢さをきちんと描く作者の姿勢に感心する。 とにかく今回は先の読めない展開だった。今までのシリーズの定型を壊す物語の運び方で、こういうプロットだと作者のストーリーテリングの技量が試されるのだが、この作者は色々なロジックを仕掛けており、ところどころで目から鱗が落ちる思いをさせてくれた。 まず一番印象に残ったのは、ハーマイオニーの知略の冴え。 憎きアンブリッジを出し抜くための数々の謀略の見事さには舌を巻いた。特に魔法省に黙殺されていたヴォルデモートの復活に対して、ゴシップ紙「ザ・クィブラー」にわざとハリーのインタビューを載せて、アンブリッジに「ザ・クィブラー」禁止令を出させた時の、「記事を読んだ事を認めることが出来ないがためにヴォルデモートの復活に対するハリーの意見に反論できない」という論理などはチェスタトンの逆説を髣髴させるほどだ。 他にはセストラルという動物がなぜ特定の人物しか見えなく、さらに今までハリーの目に見えなかった理由にも驚いた。 こういう細かい仕掛けがこの作者は本当に上手いと思う。 そしてシリーズの後半に差し掛かった本書でも大きな別れがあった。今まで愉快なサブキャラとして物語に彩りを加えていた双子のフレッド&ジョージ・ウィーズリー兄弟の退学、それとシリウスの死。そして敵役であったマルフォイ親子がもはや敵として眼前に出てきた事も物語が佳境に近づいている事を気付かせてくれた。 今までこのシリーズの読者が抱いていた「ダンブルドアはハリーをひいきしていないか?」という疑問に今回はきちんと明示して答えているのが驚いた。また前作の感想でハリーを特別扱いする件について理由を示した事を書いたが、今作ではさらに突っ込んで、作者が意識的にハリーに英雄癖(物語中では「人助け癖」と語られている)があることをハーマイオニーの口から指摘しているのも斬新だ。 これで前回以上にハリーを特別な人物として描いていた事が自覚的であることを示唆し、またこれをハリーが過ちを犯すファクターとしているのも興味深い。 こういうシリーズで主人公がトラブルに陥る(首を突っ込む?)のは常套手段であるのだが、こんな風にあからさまに登場人物の口から提示するのを見た(読んだ)初めてだ。 かてて加えてハリーの父親が聖人君子、ヒーローの如く描かれておらず、むしろ自分の魔法使いとしての優れた資質を鼻にかけた嫌な人物として描いた事にも驚かされた。 それを息子であるハリーに見させて、アイデンティティーを喪失させるなどは、現実の思春期を迎えた青少年・少女が直面する苦悩を用意させ、単なる娯楽読み物として終わらせていない。 こういった細かいエピソードを筆惜しみをせずに書くこの作家が単なるファンタジー作家と一線を画していると強く感じた。 |
No.1 | 6点 | クリスティ再読 | 2025/07/17 06:58 |
---|---|---|---|
ハリポタの5巻目。この巻から作品のテイストが変わってくる。子供向けと言えないような、政治的シミュレーションとでもいうべきテーマが前に出てくる。
前巻でヴォルデモートが復活したのをハリーは目撃する。しかし、魔法省を中心とする保守勢力はヴォルデモート復活を受け入れることができずに、マスコミを通じたハリーへのネガキャンを執拗に行っていく。この状況下でハリーの言を信じるのは、かつてヴォルデモートに抵抗したレジスタンス団体で、ダンブルドア校長を中心とする「不死鳥の騎士団」くらいなものだった...ホグワーツにも魔法省の意を受けたアンブリッジが送られて、ホグワーツでさえも言論を弾圧する独裁体制を築こうとしてくる。 こんな状況設定。で今の私たちが当然連想するのは、ハリポタが大人気になったあと、作者のローリング女史がいわゆる「トランスジェンダー問題」について女性たちの立場に立ったことが、いわゆる「リベラル派」によって袋だたきにされて、殺害予告もあればハリポタの映画企画からのキャンセルなどを受けたことである。ほとんど自身が後に受ける迫害を予告するかのような小説の内容なのである。迫害にローリング女史が「折れなかった」理由というのは、きっとこの小説自体がすでに「シミュレーション」になっていたからだとも想像するんだ。 評者自身、ローリング女史と同じ立場で、この「トランスジェンダー問題」を戦っていた。日本では2019年あたりから「ノーディベート」を宣言して、反対意見を「キャンセル」する動きが、海外に追従して広まってきた。まさに2021年あたりの「キャンセル」全盛期の「暗さ」は、まさにこの問題を一切マスコミが取り上げないという、徹底した言論統制がもたらしたものだった。「かわいそうなトランスジェンダーに対する差別をするな!」と決めつける「人権意識の高い」人々...この偽善と新語の乱発によってわざと「わかりづらく」されて議論を遠ざける戦略によって、欧米でも日本でも異様な状況によって席巻されていた。まさにこの巻の状況が再現していたのだった。 ローリング女史は折れずに訴え続けた。私たちは本当にこのローリング女史の姿勢に鼓舞されてきた。日本では2023年頃から反撃が功を奏するようになり、まだアカデミアやマスコミの状況はあまり改善はしていないが、ネットの言論では異様な「トランス思想」は駆逐されており、アカデミア・マスコミはその権威を失いつつある。欧米でも法の場面での状況改善が進み、アメリカではトランプの再登板に伴って大きな方針転換を宣言している。 だからこそ、評者はローリング女史を「同志」として強い尊敬の念をもつ。 このローリング女史の「闘い」を予告しているのが、まさにこの巻の内容なのである。 (この巻では、ハリーと仲間たちの成長に伴って、性格的欠点もいろいろと前に出ても来るようになっている。人間らしいと言えばそうなのだが、イヤな面も見え隠れする。ハリーとて必ずしも「無欠のヒーロー」ではないのが、このシリーズの特徴的な面だろう。事実この巻は「ハリーの失敗談」みたいなものだ。アンブリッジの追放で素直にウサが晴らせないあたりに、この巻の「微妙さ」があるように感じるよ。個人的に一番響いたのは、気丈なウィーズリー夫人がまね妖怪を退治しようとして、家族の死を見せつけられて動揺するシーン。これは、痛い) |