home

ミステリの祭典

login
レイ・ブラッドベリへさんの登録情報
平均点:7.30点 書評数:33件

プロフィール| 書評

No.13 5点 殺戮にいたる病
我孫子武丸
(2008/03/08 12:23登録)
 ショッキングなところを取り払い、そのトリックだけを見ると、ごくシンプルな〇〇〇〇。(大丈夫だよな。ネタバラシしてないよな。)
 で、作者は、伏線としてニーチェなんかを持ち出してくる。確かにこういうものは、(「こういうもの」でいいのかな)歌謡曲と同じように、流行った「時代」があるものな。

 それから僕は、筒井康隆の「火星のツァラトゥストラ」を読んだことがある。
この中で、大衆のヒーローとなった主人公は、怪獣映画の「ツァラトゥストラ対キング・コング」とか「ツァラトゥストラの復讐」に主演している。
しかし、ニーチェの「かく語りき」に出てくるツァラトゥストラって、そういう人じゃなかったような気がする。じゃどういう人なんだと言われると困るが…。
 でも確かに僕らは、本の中に出てくる人物の名前から、単にその性別だけではなく、もっといろいろなことを(勝手に)イメージしているようだ。


No.12 7点 覆面作家の愛の歌
北村薫
(2008/02/17 02:15登録)
 北村薫さんの「覆面作家シリーズ」については、LANDERさんやVIVIさんが、適切な書評を述べられています。それに対して僕は、これらの作品を読むと、つい、主人公の「謎めいた女性」としての魅力に、惹きつけられてしまいます。つまりミステリとしてのトリックなどよりも、僕の遥か昔の少年時代に感じた、女性に対する憧れのような気持ちを思い出してしまうのです。ですから女性の読者の方が、僕のような邪念にとらわれることなく、純粋にミステリとしての客観的な評価を下しているのでしょうね。
 
 この「ミステリの祭典」は素晴らしいサイトだと思います。そして初期の頃の投稿を読むと、そこでは女性達の豊かな書評から始まっています。本当にこのサイトは、女性が支えて発展させてきたのではないかと思えるほどです。
 ですから、これからも、「こもと」さんや「こをな」さんも含め、女性の方々のご意見をぜひ、読ませて頂きたいと思っています。


No.11 10点 亜愛一郎の転倒
泡坂妻夫
(2008/02/04 00:25登録)
〔掘出された童話〕 
 暗号をテーマとした「掘出された童話」は、前作「亜愛一郎の狼狽」所載の短編。
僕は暗号モノが特別好きなわけではないのだが、大層面白く思ったので、ここで感想を。
 
 まず例によって構成がすごい。
 物語の冒頭に、暗号の全文4ページが、「さあ解いて見ろ」といわんばかりにドーンと掲げられる。(「もりのさる おまつり の」)。
 そして「一荷聡司(いちに さとし)は、面白い玩具に出会った」と、物語が開始する。
 一荷は事あるごとに、この「消えるドクロ」の玩具を見せびらかすのだが、雑誌社の編集部でこれを見た探偵が、突然、目を白くして倒れかかる。
彼はこのとき、玩具の仕掛けを見破ると同時に、冒頭の暗号解読の手掛かりを得たのだ。

 それから物語の進行と共に、(作者一流の手段による伏線として)次々に解読の手掛りが示されていく。
 暗号文の綴りミス。暗号作者の経歴(!)。ひいては彼の吝嗇(りんしょく)という性格までもが、解読の手がかりとなる。(でもさすがにこの部分は、いささか強引という気もするのだが…)。
 とにかく「読者への挑戦状」こそ無いが、まさしくこの物語は堂々たる「本格もの」として構成された一編であることがわかる。

〔本作の暗号について〕
 これまでミステリで創案された暗号は、例えばポーのものは数字や記号を組合せたものであり、ドイルのものは、様々なポーズをとった「人形の絵」であった。だから暗号文自体に意味はなく、それを読んでも「ん? 何だ、これ?」としか思えないものが多かった。
 ところが本作のものは「かな文字」で書かれた、きちんと意味の通る「童話」の体をなしている。それゆえ読者は、書かれている内容から意味を読み解こうとして、まんまと作者の仕掛けたワナに陥ることになる(のだと思う)。

 次に、この暗号文が二重の構造となっていること。
 「もりのさる」の暗号の構成に気づくと、そこにもうひとつの言語体系が浮かび上がる。
 そしてこれは、「コードブック」を参照しないと解けないものなのだ。
 このため解読の手がかりをつかんだ探偵は、しっかり図書館へ行って、このコードブックを調べている。

 それから解決編で、この二重に構成された暗号文を読者に説明するため、作者は「もりのさる」にルビをふる。

 なんという驚異!

 泡坂氏は、ひらがなで書かれた「もりのさる」にカタカナの「読み仮名」(!)をふるのだ。

〔亜愛一郎の転倒〕
 全8作中、亜愛一郎は、すべての物語で「ちゃんと」転んでいます。(笑)。
 それから「砂我家の消失」では、旅先の宿で目を覚ますと、隣にあった家屋が消えているという謎を扱っています。
 E・クイーンの作品と比べると(マジシャンでもある泡坂さんとは思えないような)「ちからワザ」の印象を受けましたが、これもまた一興なのでしょう。


No.10 10点 亜愛一郎の狼狽
泡坂妻夫
(2008/01/21 02:44登録)
 本格ミステリの分野では、これまでにいくつもの重要な法則(?)が発見されている。
中でも有名なのは「賢人は木の葉を森に隠す」というチェスタートンの法則であろう。
しかもチェスタートンが優れているのは、「では森が無ければ、どうすればよいか」と自問してこの論理を推し進め、ついには最上のミステリにまで発展させたことだ。

 しかし、この種の奇抜な「法則」の発見にかけては、泡坂さんも負けてはいない。
「DL2号機事件」では「偶然に起ることを予測するとき、人間はだいたい三通りの思考方法をとるようです。」というスルどい洞察をもとに、登場人物のちょっとした不自然な動作から、彼がオノを振り回す殺人鬼に変貌する有様を予測する。

 「G線上の鼬」もスゴい。
探偵は「ところが、人間というものは、面白いことに、全くでたらめに・・・できにくい性格を持っているものです」という信念のもと、たまたま遭遇した奇妙な殺人事件を解明してみせるのだが、この「人間というものは…」という論理は、いわゆる「逆説」と呼ばれるものなので、いきなりそんな事を言われても、大抵の人は「ん?本当にそうかな?」と納得しないに違いない。

 そこで作者は、物語の冒頭から、この逆説を証明する例証を「これでもか」といわんばかりに挙げていく。登場人物にてんぷら定食を食べさせ、地図上のドライブでオペラ座の前を左折させ、最後には「命知らずの恋」なる歌謡曲まで作りあげて歌手に歌わせている。
 この物語を読み返してみると、何と、殺人事件が起きるまでのエピソードの全てが、この「法則」を証明する事例となっているのだ。

 ミステリを読む楽しみのひとつに「常識の盲点をついた視点の奇抜さ」とか「不可思議な謎への解明の鮮やかさ」との邂逅がある。そういう意味で、この亜愛一郎が活躍する連作短編集は、優れたミステリとして正統的な、(また良い意味での)昔ながらの面白さを伝えてくれる。


No.9 5点 葉桜の季節に君を想うということ
歌野晶午
(2007/11/23 13:45登録)
 僕も「確かに騙されたけど、ちょっとなあ」という感想です。
 作者は、登場人物の属性のひとつを隠すことにより、仕掛けを図ります。そして物語の最後で、「実は」と明かすのですが、僕がそれを読んでビックリしていると、登場人物たちが一斉に僕の方を振り向いて尋ねてきました。「ねえ、どうしたの?」「何を驚いているの?」
 「・・・そうだったね。この事ってキミたちにとっては『まんま』であり、驚きでも何でもないんだよね。これって作者が、ただ読者にだけ隠していたコトだったんだ。」

 それからこのトリックは、登場人物について仕掛けられたものであり、この作品で描かれる「事件」に対してのものではないのです。ですからそれが炸裂しても、読者は、登場人物とその行動については「今までと違った景色」を見ることになるのですが、この物語で語られる、肝心の「事件そのもの」には何の変化も与えないのです。
 さらに言えば、この新しく見えてくる風景を「美しい」と思うか、あるいは何らかの違和感を感じるかは、きっと読んだ人それぞれなのでしょう。そしてこの作品で作者が送っている(と思われる)エールについても、そこに積極的な明るさを見出すのか、はたまた「少し方向のずれた余計なおせっかい」と受け取るのか、という事もまた…。
きっと人には、人それぞれの葉桜の頃の過ごし方があるのでしょうから。


No.8 10点 乱れからくり
泡坂妻夫
(2007/11/17 00:04登録)
 僕がこの作品を読んだのは、もうずいぶん前のことです。しかもその後、持っていた本を処分したため、細部はスッカリ忘れてしまっているのですが、それでも「今までに読んだことのなかった新しい犯人パターン」に、ビックリした記憶があります。(探偵小説を読んでいて、最後の解決編で探偵役から「こいつが犯人だ」と指摘されると、「えーッ、だって、そいつは〇〇じゃないか!」と叫ぶことがあります。まさに、この作品もそうなのです。「エッ! だってそいつは…」)
 
 これは全くの想像なのですが、作者はあるとき天啓として、この「新しい犯人パターン」を得たのだと思います。(良かれ悪しかれ、とにかくこの途方もないアイディアを、まず思いついてしまったのです。)そしてその次に、着想したアイディアを、ミステリとして成立せしめるプロットを考えだし、さらにそのプロットに最もふさわしい「からくり」という意匠を与えたのではないのでしょうか。
 こうして完成した、すみずみまで計算し尽した物語に対し、作者は皮肉にも、隕石事故という現実には絶対に生じない、ありえない事件を設定して、からくり始動のスイッチを押すのです。そして、このような偶発的な事件が引き起こした結果について思いやると…。
僕はそこに、作者がこの物語に込めた「確固たる神意」を思ってしまうのです。


No.7 10点 オルファクトグラム
井上夢人
(2007/11/09 00:42登録)
 面白かった。
 タイトルは「嗅覚記」という位の意味なのでしょうか。
とにかく(本人が望んだわけではないのに)異常な嗅覚力(?)を得てしまった主人公が、幸福な結婚生活を送っている実姉を無残な方法で殺害した犯人を、追い求める物語です。
 で、この作品は犯人追跡の過程を描いていて、ミステリ的な要素での面白さを充分楽しめるのですが、それに加えて僕が面白いと思ったのは、主人公が、割烹で下働きのアルバイトをしている時に、先輩調理人と繰りひろげる料理バトルなのでした。まるであの「美味しんぼ」のような、あるいは「ミスター味っ子」のような、はたまた、あの懐かしの半村良さんの傑作伝奇SFを読んでいるかのような楽しさを、充分に味わう事ができたのです。(でもこれは、ちょっと「ミステリの祭典」での書評ではないかもしれませんね。)

 それから、突然、この作品のエンディングへの感想になるのですが、僕は、主人公の「きれいだなあ」という感慨に満ちた独白を読んで、美しい中にも「滅びゆく予感」みたいなものを感じてしまいました。ほんの少しなのですが「耽美的な不健康さ」を思ってしまったのです。ですからこの物語は、穏やかな明るさの中にも、微かな翳りを帯びながら、収束していると思うのです。


No.6 10点 邪馬台国はどこですか?
鯨統一郎
(2007/10/13 13:02登録)
 「これって歴史ミステリだよね。自分は歴史には興味がないから…」と立ち去る人が多いんだろうな。
 あるいは、「この作家ってバ〇ミスの人でしょ。ふふ。…あ、先を急ぐから、じゃあね」って、行ってしまう人も多いんだろう、きっと…。
 昔、藤子不二雄Aの「まんが道」で、主人公が返本された「漫画少年」の山を見て、「なんで人気がないんだろう。こんなに面白いのに」とつぶやくシーンがあったが、僕もそんな気持ちだ。
 でも確かにこのジャンルって、好みが分かれるんだろうな。 歴史ミステリというのはジョセフィン・テイの「時の娘」を嚆矢とし、そこにはリチャード三世の知られざる素顔について、何かいろいろ書かれてある、なんていうのを聞くと、僕だって「また今度ね」って言って二度と近づかないだろう。 
 けど物語の開始早々、「邪馬台国は九州か、畿内か」の問いに対し、「〇〇だ」「こんなに堂々と土地全体が、”邪馬台国はここだ!”って叫んでいるのにそれに気づかないなんて、そうとう呑気だぜ」なんてカマされると、ビックリして「どれどれ」という気にもなる。そしてユーモアに満ちた会話とはうらはらに、妙に説得力に富んだ論証を展開されると、いつのまにか「そうかも知れない…」とナットクしている自分に気づく。

 それから「四万人の大軍に対して、たかだか四千の軍勢を率い、何の対抗策も持たないまま、大将自ら敵の正面にただぶつかって行った」桶狭間での織田信長の謎や、「仏陀は悟りを開いていなかった」理由を聞かされると、もうホラ話でも逆説でもなく、「きっとこれが真実なのだ」と鯨さんの教えに改心させられてしまうのだ。
 
 その後、鯨さんのファンになった僕は、どんどんと出版されていく新刊を次々に読んでいった。けれど、「これは」と思う作品には巡り合うことができず、そうこうしているうちに鯨さんはスッカリ、あっちの領域の人になってしまった。

 それにしても、何故、僕はこの作品に、こんなに惹きつけられたのだろう。何が、僕をこれほどまでに面白がらせたのだろう。(僕は決して歴史ものが好きなわけではないので、それが理由ではないと思う)。このことを考えていくと、きっと「自分」という人間を構成している一片を知る手がかりになる気がするのだ。


No.5 10点 魔神の遊戯
島田荘司
(2007/09/29 23:07登録)
 文庫版が出ていたので買い求め、再読したのだが、初読の時には気づかなかったことがある。
 まず、スコットランドの片田舎が舞台であること。
 御手洗の「海外もの」で、「ハリウッド・サーティフィケイト」は、事件の猟奇性や犯人消失の謎が、いかにも現代のアメリカを思わせるものだった。また「摩天楼の怪人」は、20世紀初頭のマンハッタンでの高層ビルをプラットフォームとした謎だった。だからどちらの作品も、彼の地を舞台としたことはごく自然に思えたのだ。
 一方本作は、ユダヤ人であるロドニー・ラーヒムとその民族の神話を基調にしており、ネス湖のほとりにある寒村を舞台に、リンダやミタライが登場してきてもおかしくはない。
だが再読して気がついたのだが、時間を巧妙に織りなしたこの物語の舞台として、きっと「日本」から隔絶した異境の空間が必要だったのだ。あたかも、空間と物体を手品のように操った「占星術殺人事件」においては、昭和11年という過去の時代設定が必要だったように。

 そういえばこの作品は、死体の一部のバラ撒きという点で「占星術-」を思わせる。共に物語の前半で、登場人物たちが、あれこれ犯人像を推測する会話を交わしている。両方の作品から台詞を抜き書きすると、こんな感じだ。「犯人がホモか女だったからかもしれない」「そうか!女だ…こいつは女だぜ」「それとも女かな」「だが女、ならいいんだけどな」「子供っていうのはどうかな」

 この物語には、バーニー・マクファーレンという作家が書いた小説(なのか草稿なのか、はたまた独白なのかは不明だが)と、ロドニーの手記とが交互に配されている。そして双方の記述内容が重なる時、それまで曖昧だった事件の骨格が忽然と立ち現れる。さらにその後、ロドニーの手記に記された「12月5日の殺人」は、バーニーの記述と「1日のズレ」を生みだし、読者の思い描く予定調和を乱して、物語の進行に一条の波紋を巻き起こす。

 しばらく前に、東野圭吾さんの「容疑者Ⅹの献身」を巡り、「本格」ミステリ論争が起きたそうだ。僕は浅学のため、どのように決着したかは知らないのだが、本作についてはもう5年も前に、フリップ村上さんがこの「ミステリの祭典」の中で、同様の指摘をされている。またトリックの構造については、文庫版の解説で岩波明氏が、「本書はトリヴィアルな細部にこだわる新本格ファンをにやりとさせる試みを数多く含んでいる」「ここに至ると本格ミステリの巨人として君臨する島田氏の余裕と遊び心を感じずにはいられない」と述べている。
 僕も岩波氏の意見に与みしたい。だからこれを受け、「この作中に現れるトラ(タイガー)はE・クイーンの『Yの悲劇』に出てくるマンドリンに相当するのか。もっとも、あちらは犯人を特定する手掛かりとなるのだが、こちらの方は、キャノン村の場所をミスリードする材料となっているんだな」などということを、いろいろ想像するのはとても楽しい。

 島田さんの圧倒的な筆力が「差別」や「蔑み」に向けられると、読んでいる僕の心はそれに同化し、重く沈んでしまう。

 ところで、この文庫本には出版社の「新刊のお知らせ」が挟まれていた。そこにはこの本のタイトルと著者の名前と共に、額縁に入れられた一枚の絵画があった。そして、そこに描かれている箱庭のような風景と、どこかに可愛らしさを残した怪物の姿を見ると、「魔人の遊戯」を遊んだあの時のロドニー・ラーヒムのことが思い浮かんできて、僕の胸はひと時、熱くなるのだ。


No.4 7点 十三番目の人格―ISOLA
貴志祐介
(2007/08/18 01:10登録)
 貴志さんの文章は非常に明晰であり、読みやすい。
まるで科学者の論文を読んでいるかのようだ。
最初は「このような文体でホラーを書くのか」という驚きが、まずあった。
だが実際に読んでいて確かに面白い。
 しかし考えてみれば、現代的な恐怖は19世紀的な朦朧法で描けるものではないのであろう、
現代ホラーの記述にはこのような文体がマッチしているのかもしれない、という思いに至った。

 僕がこれまで読んだ五作品の中で、一番面白かったのは「黒い家」と「硝子のハンマー」。
でもこの作品には、何かしら奇妙な愛着を感じる。
それは貴志さんも述べられているように、
(僕が子供の頃読んで、とても怖かったという記憶がある)雨月物語の「吉備津の釜」を
ベースとしているからなのであろうか。
確かに「吉備津の釜」には、怪異による恐怖のエッセンスがすべて含まれている。
貴志さんは綿密な分析を重ねて「十三番目の人格」に活かされたのであろう。

 (まことに不遜ながら)本作には処女作ゆえの多少の拙さは、もしかしてあるのかもしれない。
だが私的には貴志作品の取り掛かりとなったものだった。
だから、この作品に巡りあえて本当に良かったと思っている。


No.3 10点 占星術殺人事件
島田荘司
(2007/08/09 01:40登録)
ああ、何度読んでも面白い。読書の楽しみを満喫できる最高の一冊である。
「梅沢平吉」により残された手記をめぐって、御手洗と石岡が交わす会話のなんという面白さよ。その中で提出される、前代未聞の殺人事件の謎の大きさよ!その不可解さよ!

解決編を読んで「生きていて良かった。この本を読む事ができて良かった」としみじみ思った。
これは、日本のミステリーが到達した最高峰である。
そしてその完成度故、これを超える作品は今後、絶対に現れないであろうということを確信するものである。
<P.S>
ミステリーの探偵役が発する数ある「ユリイカ!」の中で、本作のものは最も印象的である。
この上なく唐突でユーモラスで微笑ましくて……そして何かしら感動的である。


No.2 3点 鉄鼠の檻
京極夏彦
(2007/07/25 00:44登録)
個人的な好みだが、読んでいて内容に引き込まれる魅力が何もなかった。
「木の上の座禅坊主」とか「汲み取り式便所の糞掻き棒」とか何が面白いのかよくわからない。
この作者のものは「姑獲鳥の夏」しか面白いものはなかった。
これまでずっと分厚い新書版に付き合ってきたがもう沢山だ。
この作品を読んで、全部「ツタヤ」に売り払うことした。
もう当分この作者の本は読まないだろう。


No.1 1点 黒い仏
殊能将之
(2007/07/25 00:24登録)
「ハサミ男」は面白かった。「美濃牛」もまあまあだったかな。
ところが「黒い仏」はひどかった。本を返すから金を返せ!とすら思った。
「今後この作家の作品は絶対に読むまい」と固く心に決めた。
<P.S.>
最近大手食品会社が、賞味期限の詐称や製品管理のルーズさにより、
それまで築いてきた信用を一挙に失墜させる事件が起きている。
これらの事件に接した時、私が思い起こしたのは、
昔、この本を読んだ時に受けたあのヒドイ印象のことだった。

33中の書評を表示しています 21 - 33