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ミステリの祭典

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平均点:6.73点 書評数:1631件

プロフィール| 書評

No.1051 5点 長恨歌 不夜城完結編
馳星周
(2013/03/19 19:10登録)
鮮烈なデビュー作となった『不夜城』も『鎮魂歌』を経て3部作と云う形で本書を以て完結を迎える。足掛け8年に亘っての完結だ。

作中でも書かれているように、新宿を生きる中国系マフィアの状況も劉健一がしがない故買屋だった頃からは様変わりしている。北京、上海、台湾といった大きな勢力が組織だって抗争を繰り広げていた頃とは違い、東北や福建から流れてきた連中が4,5人集まっては犯罪を犯し、また方々へ散っていく。
そして劉健一も2作目からさらにその得体の知れなさに拍車がかかる。全てを見通すかのように部屋に籠っては情報を集め、彼に関わる人たちの過去を、秘密を暴いていく。物語の前面に出るわけではなく、あくまで影の存在として情報を操作し、人を、いや物語を操る。

概ね馳氏の主人公にはかつて愛した女を喪った過去を持つ。それは汚れてしまった現在の自分が生まれることになった愛と云う純粋なものを信じていた時代から訣別を意味するのだろう。ある者は人生から転落し、ちんけなチンピラになってしまい、ある者は愛を捨てることで成り上がった者もいる。しかし共通するのは汚れてしまった人間になってしまったということだ。馳作品の主人公は過去の女性への喪失感がトラウマになっていることが多い。

相変わらず裏切りと血と暴力の物語で救いがないのだが、今までの諸作とは明らかに変わっているところがある。
まず必ずと云っていいほど織り込まれていた過剰なセックス描写が本作では全くないことだ。ヒロインは必ず複数のやくざに凌辱され、薬漬けにされ廃人と化す。物語の初めに美しく、そしてしたたかな女として描写され、物語の中で血肉を得られた頃に、いきなり公衆便所のように男たちの性欲処理の対象まで貶められるのが今までの馳作品における女性の扱い方だった。しかし本書ではヒロイン役である藍文慈の扱いは全く違うものになっている。

『不夜城』シリーズは劉健一の物語。だからこそ完結編である本書で劉の始末をつける必要があったのだ。しかしそこにはいわゆるシリーズの結末が着いたことで得られるカタルシスや爽快感はない。劉健一という人物が最後の最後まで報われない存在だったことを思い知らされるだけだ。これほど救いのないシリーズも珍しい。

通常何もかも喪った人が再生もしくは復活するというのが小説の題材であり、また主題となるが、馳氏は何もかも喪った人がさらに堕ちていく様を容赦なく描いていく。それは異国で生活する下層社会の人間の厳しい現実を知るからかもしれない。しかしそれでも小説と云う作り物の中では希望のある話を読みたいものだ。こう考える私は馳作品を読むべき人間ではないかもしれない。


No.1050 7点 緑のハートをもつ女
ローレンス・ブロック
(2013/03/14 23:42登録)
主要登場人物わずかに4人。詐欺師コンビのダグとジョン、カモにされる男ガンダーマンと2人の協力者でガンダーマンの秘書のエヴィ。こんな少人数で繰り広げられる詐欺と云う名のコン・ゲームが実に面白い。さながらクウェンティン・タランティーノの映画を観ているかのようだ。

題名にあるようにこの物語の中心は女性、つまりエヴィになるのだが、250ページまでエヴィの悪女ぶりは全く解らない。むしろエヴィは初めて大がかりな詐欺を手伝う危うげな女性として描かれている。しかし改めて題名を見るとやはりこれは悪女の物語なのだと気付かされる。

しかし私は一方でエヴィが陰の主役でありながらも、これは一度人生を諦め、ささやかな夢に賭けたジョン・ヘイドンという元詐欺師の再生の物語だと思わざるを得ない。本書は彼の中に眠っていた詐欺師の血が再燃する物語なのだ。

ただ1965年の作品だからか、架空の会社を設立してまで行う一大詐欺作戦の割には想定する報酬が7万ドルと実に低いのが終始気になった。当時の貨幣価値に換算すると、7,700万円相当の価値があるようだ。う~ん、それでも微妙な数字ではあるが。


No.1049 7点 カーテンが降りて
ルース・レンデル
(2013/03/10 19:26登録)
レンデル特有の悪意が詰まった短編集。

彼女の持ち味は人間がわずかに抱く悪意や不満といった負の感情が次第に肥大していき、あるきっかけがもとになって悲劇を招くことが非常に自然な形で読者の頭に染み込んでいくような丹念な物事の積み重ねにある。
本書でもそれは健在だが、短編と云う決められたページ数のためか扱われる内容は実に我々の生活の身の回りの出来事であることが多い。
やたらとモテる友人への嫉妬心、解雇した部下への苦手意識、潔癖症、独身生活を続けたゆえに生まれた独善的な思考、誰かに愛されていないと生きていられない女、夫婦の不仲、厭世的な人間嫌い、苦労を厭い、できれば身内に面倒を押付けたいという願望。それらは誰もが周囲に該当する人間であり、もしくは自分の理解を超えた存在ではなく、どこかに必ずいる、ちょっと変わった人たちだ。みな何かに不満を持ちながら、それでも生きているのが現状であり、何もかもに満たされ、毎日が安定して幸せな生活を送っている人たちなどほとんどいないだろう。従ってレンデルの作品に登場する人物は不思議なお隣さんの生活を覗き見するような趣があり、時にそれはリアルすぎて生活臭さえ感じられるほどだ。

本書に収録されている物語の結末は全てが数学を解くかのように割り切れるような内容ではなく、何かの余りを残してその後を想像させるものが多い。それがこの作家の、人間というものに対しての思いなのだろう。だからこそここに出てくる人物たちが作者の掌上で操られているのではなく、自らの意志で行動しているように感じてしまう。作者はそんな彼らに事件と云うきっかけを与えているだけ。そんな風に感じてしまうほど彼らの行動や出来事の成り行きが自然なのだ。

読めば読むほどレンデルの人間観察眼の奥深さを知らされることになる。だからこそ訳出が途絶えたことが残念でならない。どの出版社でもいいのでレンデル=ヴァインの作品を再び刊行してくれることを切に願っている。


No.1048 7点 レイクサイド
東野圭吾
(2013/03/06 21:36登録)
人を殺そうが子供の受験の方が大事、そのためならば死体の処分なぞ何のその、と子供の将来を思う気持ちが強いばかりに生まれる歪んだエゴが渦巻く物語となった。
そのエゴを引き立てるのは、それぞれの夫妻が何がしかの陰湿な感情を持っている点だ。他人の妻に色目を使う夫やみんなで私立中学への合格を目指そうといいながら、塾講師の言葉に過敏に反応し、人の息子より自分の息子の合格を願う本音、中学受験を疑問視する親を危険視し、詭弁を弄して説得を重ねる者など東野特有の人間の嫌らしさが物語には横溢する。

同じ年の子供を持つ親といっても年齢は30代から40代後半までと幅広く、その中には妻への愛情は薄れ、人妻に明らさまな興味の目を向ける者がいるなど、どこか淫靡な香りが漂う。
その淫靡さは実は物語の謎の中心だったことが最後には判明する。
子供のために、という旗印の下で何が正常で何が異常なのかわからなくなっていく夫婦たち。

結局、一同協力して犯罪を隠蔽しようとしたことが異常な心理ではなかったことがたった1つの事実で納得がいく。異常から正常への見事な反転。

さほどボリュームのある作品ではないが、最後は子を持つ親として考えさせられるところがあった。


No.1047 6点 心地よく秘密めいた場所
エラリイ・クイーン
(2013/03/03 19:58登録)
クイーン最後の長編。
その最後の作品は殺意の芽生えから殺人に至るまでを女性の妊娠に擬えている。最後の長編でありながら、新たな生命の誕生に章立てが成されているとは云いようのない歪みを感じる。

後期及び最後期のクイーンの作品では、あるテーマに基づいた奇妙な符合を見出して事件の異様さを引き立てる構成が多く採られているが、クイーン最後の長編の本書では、インポーチュナ産業コングロマリットの創始者である、物語の中心人物ニーノ・インポーチュナの人生そして彼の殺害事件後に届く奇妙なメッセージに全て数字の9を絡めているのだ。その絡め方はそれまでのクイーン作品の趣向以上の情報量の多さを誇る。特に171ページ以降は9に纏わる逸話やエピソードのオンパレードである。
そしてまた9は一桁の最後の数字でもある。すなわち本書がシリーズ最後の作品であることを暗に仄めかしていると考えるのは果たして穿ちすぎだろうか?

そして最後の作品のトリックとして用いられたのはなんとそれまで刊行されたクイーン自身の作品群!
まさかこのために作者=探偵という設定を用いたわけではないだろうが、このような着想を考え付くこと自体、恐ろしい。

だからこそ最後の真犯人の登場が唐突過ぎて非常にもったいない。
最後の作品もロジックで終始し、犯人逮捕の決め手となる証拠が欠けている。やはりクイーンは最後までロジックに淫した本格ミステリ作家だったのだ。

しかしタイトルの意味は果たして何を指すのか?最後に登場する真犯人が大金をせしめて優雅に暮らそうとした場所だったのか?それともバージニアとピーターが誰彼憚ることなく2人きりでいられる場所のことだろうか?もしくは作者クイーンが本書を脱稿した際に思い至った境地を指すのか?


No.1046 5点 このミステリーがすごい!2013年版
雑誌、年間ベスト、定期刊行物
(2013/02/28 21:09登録)
最近内容も紙質も低調気味な『このミス』だが、今回も例に漏れず購入。
さて注目のランキングはやはり昨年は横山秀夫復活の年だったということだ。なんせ7年ぶりの新作。体調も崩していたと聞いていたので個人的にはもう作家生活は無理では…と勝手に思っていたが、見事復活し、復帰作が第1位という快挙を成し遂げた。『このミス』で1位を2回獲得したのは船戸与一、髙村薫、東野圭吾3人だけだったが、ここに横山秀夫が並んだことになる。2回1位を獲得した作家の中でデビューして最も短いキャリアの作家かと思ったら、髙村薫がデビュー後8年で最も若かった(横山氏はデビュー14年目)。改めて高村氏は凄かったことがこれで解る。

さて海外の方は『解錠師』が2位に約70点差をつけ、ダントツの1位となった。これは実に意外。てっきり『湿地』が来るのかと思った。続いてデイヴィッド・ピースの『占領都市』、久々復活のトゥロー『無罪』、そして『湿地』が続いた。5位は光文社古典新訳文庫からデュレンマットの『失脚/巫女の死』がランクインしたのは実に驚いた。

しかしもっとも嬉しかったのはマット・スカダーシリーズ最新作をひっさげてローレンス・ブロックが復活のランクインを果たしたことだ。本書でも初来日したブロックと伊坂氏、訳者の田口氏との鼎談が特集され、さらに翻訳ミステリー大賞シンジケートでもブロック再評価、更にミステリマガジンでもブロック特集が組まれたりと気運が高まっているのでここは一挙に復刊してほしいものだ(二見書房さん、早川書房さん、頼みます!)。

あとジャンル別に注目作が挙げられているコラムが収録されているなど、ミステリファンの、ミステリファンによる、ミステリファンのためのランキングムックであったかつての『このミス』の内容を髣髴させたが、まだまだ浅薄になっているのは否めない(特に紙質が悪すぎる)。


No.1045 8点 ハサミ男
殊能将之
(2013/02/25 21:30登録)
何を書いてもネタバレになりそうなので、逆にここではネタバレ感想を書かせてもらう。


実にミステリの定型を裏切った物語だ。探偵役が連続殺人鬼であり、しかも真犯人は警察。結末ではハサミ男が生きながらえ、世間には実に収まりの良い真相がフェイクストーリーとしてまかり通る。そしてタイトルの『ハサミ男』。実に企みに満ちた作品だ。

あの真相は実に基本的な叙述トリックながら、実に簡単に騙されてしまった。ただ納得いかないのはハサミ男=安永知夏が美人と表現されており、一人称叙述では自分のことを太っていると云っている記述だ。
これについては以下の2つが考えられる。

1つ目は体格はデブであっても容姿は美人である。
2つ目は大概の女性は均整がとれた身体をしていても太っていると気にしてダイエットに励んでいる傾向にある。従ってデブだと思っているのはハサミ男自身の捉え方に過ぎないというもの。

恐らく女性心理としては2が一番近いのだろう。でもやっぱりアンフェア感はぬぐえない。

しかしこういうしたたかなテイストは大好きなので他の作品も大いに期待!


No.1044 3点 クラッシュ
馳星周
(2013/02/19 23:00登録)
各編どれも相変わらず救いがない。ほとんどの作品が物語をほっぽり出して唐突に終わる。歯切れの悪い読後感が残され、自分の中でどう収拾つけたらよいのか解らないと云ったところ。

語られるのは渋谷のギャルの自己本位な生活、一昔前のチーマーを想起させる新宿に跋扈するギャングスターたちの抗争の一幕、ヤクの売人が家出少女を捕まえて借金返済の金蔓にしようと働かす悪知恵、分不相応のお水の世界に足を踏み入れたばかりに人間関係に疲弊する女子大生、家庭不和の環境に育ち、学校にも行かず麻薬と暴力、強姦に明け暮れるやさぐれた少年の日々、その日暮らしの日雇い労働者が陥った最悪の一日、売れないホストとマレーシア女性との交流、ジャニーズ顔と美しい指で女に貢がせながら金を車につぎ込む走り屋、と今まさにどこかに実在しているであろう人々の話だ。

そんな人々の話を馳氏は勢いと衝動に任せて筆を奔らせているように感じる。したがって物語の中には起承転結がないものがある。いやほとんどの作品が起承転結がないといってよかろう。本書に収められている物語は過去から未来まで続いていく彼らの生活のワンシーンを切り取って我々読者に見せているだけといった趣が感じられる。
しかしこれほど読後感が悪い短編集も珍しい。この前に編まれた短編集『古惑仔』にも増して救いがない、いやむしろ物語の結末をつけること自体放棄した感が強まったように感じられる。

本当に何も残らない短編集だ。


No.1043 7点 写楽 閉じた国の幻
島田荘司
(2013/02/16 22:12登録)
島田荘司が今まで数多の研究家や作家がテーマに取り上げた写楽の正体の謎に挑んだ意欲作。構想20年の悲願が結実したのが本書。
物語は現代編と江戸編が交互に語られる。しかしとにかく本編に行くまでが長い!冒頭の現代編で語られるのは東大卒で某会社の社長令嬢と結婚しながらも美術大学の教授から美術館の学芸員、そして塾の講師へと転落の人生を送っている在野の浮世絵研究家の話が延々と語られる。

江戸編では現代編の論考を裏付けるような蔦屋重三郎と写楽との邂逅の話が語られる。これが実に写実的で素晴らしい。江戸っ子のちゃきちゃきの江戸弁で繰り広げられる物語は実に映像的で、眼前に当時の江戸が浮かび上がるようだ。ここは物語作家島田のまさに独壇場。実に面白い。

私は写楽に纏わる作品は本書以外には泡坂妻夫の『写楽百面相』しか読んだことがないので、ほとんど門外漢なのだが、数多ある写楽の正体を探った作品や探究書の中でも本書が特徴的だと思われるのは、なぜこれほどまでに記録が遺されなかったのかに着眼している点だと思う。記録そのものに書かれた文章の行間を読み解くのが専らであるこのような研究に対してまずその背景からアプローチしていったのが斬新だったのではないか。

私は写楽の正体の謎へ迫る面白さがそれを小説とするための在野の研究家佐藤貞三が写楽の正体を探るまでのサイドストーリーがまだるっこしくて半減してしまった感がある。転落するばかりの人生の男の愚痴が長々と続く件は、本書は本当に『このミス』2位の作品か?と思ったりもした。写楽の正体が斬新だっただけに勿体ない思いが強い。しかし本書はそれも含めて島田の特徴が色濃く表れた作品だろう。


No.1042 7点 この警察小説がすごい!ALL THE BEST
事典・ガイド
(2013/02/10 22:09登録)
古今の警察小説について言及されており、古くは山田風太郎氏から近年では今話題の誉田哲也までランキングされているのが特徴的。オール・タイム・ベストの選出とはえてして各選出者の初期体験が脳内で美化されがちなため、昔の傑作が挙げられがちだが今回のベスト選出では横山秀夫氏の作品が多く選出されることになった。これは横山氏の作品がいかにエポックメイキングだったかを証明している。

しかし警察小説と云っても選者の価値観によってその定義は様々。先に述べた横山氏のD県警シリーズに代表される警察機構の泥臭い人間劇から本格ミステリ作家が刑事を主人公にしたシリーズ物まで幅広く語られている。確かに一概に警察小説と云ってもその定義は原則的に主人公を警察官もしくは刑事に設定した小説という曖昧さを備えているから、その解釈は千差万別だろう。

さらに巻末には警察組織と捜査本部の構成など、実際の警察小説の構成が一目で解るガイドが添えられている。これはミステリ、警察小説を書く作家志望の方々には実に有益な資料となることだろう。
しかし国内警察小説だけに触れられているのはいささか解せない。やはり海外警察小説についても均等に語られるべきであろう。もし次があるならばぜひとも海外作品についてもオール・タイム・ベストを選出してほしいものだ。


No.1041 7点 悲劇のクラブ
アーロン&シャーロット・エルキンズ
(2013/02/08 00:23登録)
シリーズ第5作にして最終巻。
前作のエンディングで述べられていたグレアムとの結婚式を兼ねたハワイでのゴルフイベントの参加が本書の物語。つまりリーはスチュワート・カップで起きた殺人事件に続いてすぐのイベントで殺人事件に巻き込まれたことになる。一介のプロゴルファーが訪れる先々でこんなに頻繁に殺人事件に出くわすなんて、いやあ、これは何でも無理があるでしょ。とはいえこんなのはシリーズ物には付き物の設定。そこら辺は気にせず読むのが吉。

いつものエルキンズのユーモア溢れる舞台設定の中に織り込まれた謎はクラブの会長ハミッシュの殺人事件の真相とその犯人捜しに加え、クラブに伝わる誓いの詞の意味、そして“母なる火山の女神ペレの平和会”(<フイ・マル・マクアヒネ・ペレ>)なる団体が探しているカンバーランド・メモリアル・カップの在処だ。しかも誓いの詞がメモリアル・カップの在処を示す暗号になっているという宝探しの趣向が織り込まれている。
この暗号解読の過程はなかなかに面白い。単なる伝統あるクラブの古式ゆかしい呪文のような詩かと思いきや、きちんと意味が通じる暗号になっているのには驚いた。
しかもエルキンズが得意とする時制のずれを利用したトリックが実に有機的に働いている。実は眼前にそれを示されているのに暗号解読のその時までその齟齬に気付かなかった。実に素晴らしい手際だ。

たった280ページの作品の分量にミステリ興趣をくすぐるネタをふんだんに盛り込んでいる。その読みやすさと親しみやすいキャラクターゆえにコージーミステリと軽んじられているエルキンズだが、そのミステリマインドと本格スピリットは筋金入りだ。


No.1040 8点 廃墟ホテル
デイヴィッド・マレル
(2013/01/31 22:49登録)
バングラデシュの密林など世界の自然を舞台に冒険・スパイ小説を繰り広げていたマレルが21世紀に選んだ冒険の舞台はなんと廃墟。資金難で打ち捨てられたホテルやオフィスビル、デパートに忍び込む。

まさか廃墟探索がこれほどスリリングだとは思わなかった。暗闇に巣食う動物たち。不衛生的な環境で育ったそれらは攻撃的でもあり、傷つけられると病原菌に感染してしまう。さらに長年風雨に曝され、老朽化が進み、床が突然抜けたり、階段が崩落したり、思いもかけない危難が待ち受けているのだ。そんな状況で機転を働かせて仲間の救出を行うところなど、手に汗握るスペクタクルになっている。機能を失った建物が未知なるジャングルの如き迷宮に見えてくる。
そんな危険を冒してまでも廃墟侵入を止めないのはそこに魅力があるからだ。当時の時間を体験することが出来るからだ。原作者のあとがきによれば彼らのようなグループは世界中に実在するとのこと。いやあ、マレルは実に面白い題材を見つけたものだ。

そして挿入されるかつての宿泊客たちのエピソードも興味深い。亡き夫と思い出のために訪れ、自殺する者。ホテルに荷物を残して失踪したまま行方知れずになった者。不治の病に侵され、最後の記念にホテルに泊まり、自害する者。

そして物語は暗闇の中の廃墟探索という冒険物から不測の訪問者である窃盗グループによる拘束を受けるというサスペンス物に変わり、さらに廃墟のホテルに住まう異常殺人鬼の登場で次々と仲間が殺されていくホラーへと転調していく。
『ダブルイメージ』ではあまりに物語の転調が激しく、読後はなんといったらいいか解らないほど戸惑いを覚えたが、本作では舞台設定が廃墟と固定されており、その不気味なムードが冒険、サスペンス、ホラーを包含しているため、上に書いた物語の転調が非常にスムーズで、逆に先の展開に好奇心が募る思いがした。

正直云って本書は私が今まで読んだマレル作品で一番面白い長編となった。作家生活30年以上も経って物語力の感じる作品を生みだす、まさに円熟味のなせる業か。前回読んだ短編集『真夜中に捨てられる靴』でも感じたが、マレルは21世紀になって作風がガラリと、しかもいい方に変わった。これほど味が出るとは思わなかった。
こうなると近年発表されたマレルの作品が実に気になる。マレルの未訳作を訳出してくれる寛大な出版社はないだろうか?


No.1039 7点 最後の女
エラリイ・クイーン
(2013/01/26 22:16登録)
なんとその舞台はライツヴィル。そして本書は『顔』で語られたグローリー・ギルド事件の続きから始まる。
『真鍮の家』でリチャード・クイーンはジェシイ・シャーウッドと結婚したが、本書ではそれは無かったことになっているらしい。同書の事件を飛び越して『顔』の事件の後、しかもエラリイの復調のためにクイーン警視はライツヴィルの保養所にて一緒に過ごす。しかもそれについて妻に断りを入れる云々の件はない。その後自宅に戻ってもジェシイの影など少しも見かけられない。確かにあの作品はエイブラハム・デイヴィッドスンの手になる物だからそれも致し方ないのだろう。

限られた登場人物の中で状況的に容疑者が絞られるのは3人の元妻。そんな状況で異質な存在なのが元妻たちが盗まれたイヴニング・ドレス、緑のかつら、手袋。それらが見事に論理的に解明されるラストは実に鮮やか。たった1つの解で全てがピタリと収まるべきところに収まる鮮やかな手際にやはり本家クイーンは凄いと唸らされた。

正直に云えばクイーン全盛期の作品と比べれば地味な物語でありサプライズの度合い、地味な物語などやや落ちるのは否めないものの、他作家のクイーン名義を読んだ後ではこの作品がやけに眩しく感じてしまった。


No.1038 7点 生誕祭
馳星周
(2013/01/23 17:42登録)
狂乱の時代バブル絶頂期を舞台に億単位の金が躍る世界を描いた作品。金を動かし、金の魔力に憑りつかれ、金に溺れる人々の虚構のダンスが繰り広げられる。

一癖も二癖もある人物たちの関係が複雑に絡み合い、欺瞞と憎悪と裏切りの黒いゲームが繰り広げられる。
それは人心操作のヒエラルキーとでも云おうか。麻美は波潟を操り、美千隆に操られる。美千隆は麻美と彰洋を操り、波潟に真意を悟らせない。波潟は美千隆に大いに疑念を抱きながら彰洋を受け入れ、利用する。その3人に翻弄される彰洋。わずかに残っていた純粋さはすり減り、自己嫌悪の沼にずぶずぶと嵌っていく。自我崩壊が進んでいく。

上下巻合わせて1,050ページ強の大作。しかし果たしてこれだけのページを費やす必要があったのかとも思う。巨万の富を得ながら、金のために金を遣い、金を稼ぐ男たちの終わりなき修羅の道行。全てが破滅へと収束していくように紡いだ物語はしかし、いつもながらの呪詛の連続で途中だれてしまったのは否めない。恐らくこの半分の分量で同様の物語を紡ぐことはできたのではないか。

もう金と暴力とセックスまみれの話は読み飽きた。もっと違う一面の馳作品を期待したい。


No.1037 8点 真夜中に捨てられる靴
デイヴィッド・マレル
(2013/01/12 23:07登録)
マレルといえば数々のアクション、スパイ物が有名で、その派手派手しい演出はあざといまでに映像化を狙ったような作品が多いが、短編では趣を変えた奇妙な味と云える不思議な味わいを持った作品が多い。

さて収録された物語は歴史物、ホラーにSFとヴァラエティに富んでいるが、共通するのは自失と狂気の物語だろうか。しかもライナーノーツのように全編の冒頭にマレル自身による作品に関する説明が施されており、そのどれもが実際に彼の身の回りで見聞きし、経験したことがその作品のアイデアに繋がっているという中身となっている。

ここに書かれた作品に登場する不屈の精神を持つ主人公たちはその執着心の強さゆえにどこか壊れた印象を受ける。
アクション物の長編では短い章立てでテンポよく物語を展開する作品であるが、短編ではじっくり書き込んで読み応えを促す真逆の作風であるのが特徴的だ。そして長編のイメージを持っていた私はマレルがこれほどヴァラエティに富んだアイデアを持ち、濃密な話を書けるとは思えなかった。恐らく誰もが思うようにマレルは長編よりも短編の方が面白い。


No.1036 8点 超・殺人事件―推理作家の苦悩
東野圭吾
(2013/01/06 19:26登録)
各編には「作家はつらいよ」と云わんばかりのアイロニーに満ちている。「推理作家の苦悩」と副題にあるように本書を読めば文筆業に携わる方々の苦労が偲ばれる。物語を生みだし、創作するということがいかに大変か、そして日夜いかに苦しんでいるかが本書を読めば解る。本書の内容はかなりユーモアに満ちているがその8割は作家が日常に孕んでいる苦労や苦悩であるに違いない。

つまりこれらには実際の作家たち、評論家たち、編集者たちの生の声が収められている業界裏話でもある。そして作家たちの心からの悲痛な叫びであろう。恐らく一般読者は面白く読めたが、作家たちの多くは身につまされるエピソードや共感し、快哉を挙げた話が多く、単純に笑って済まされない物語が多いに違いない。
果たしてこれは東野氏からの作家を目指す全ての作家予備軍たちに対する警鐘の書ではないだろうか?該当する方々にとって本書は必読の書と云えよう。

一番笑ったのは「超長編~」。特に本筋とは全く関係のない情報を織り込んで水増ししているのを作中作で過剰に実践しているところは笑いが止まらなかった。また本作では実作家の名前や作品名のパロディが多いのも特徴的だ。

しかし「超税金対策~」を書くことで実際に作者がハワイ旅行とか経費で落としていたら、スゴイな…。


No.1035 8点 サトリ
ドン・ウィンズロウ
(2013/01/05 00:24登録)
トレヴェニアンの傑作『シブミ』を現代きってのストーリーテラー、ドン・ウィンズロウが受け継ぎ、続編を書く。このニュースを聞いた時に私の嬉しさと云ったらなかった。『シブミ』は私が現代ミステリを読み始めた頃に読んで驚きとスリルを味わった作品。そしてウィンズロウは2年前から読み出した作家でとにかく発表される作品すべてが痛快で外れなしの作家だ。
これはまさに私に読むべしと告げているようなものではないか!

そんな期待の中、繙いた本書は一読して一気に『シブミ』の世界に舞い戻らされた。ここにはいつもの軽妙でポップなウィンズロウ節はなく、あるのはトレヴェニアンが築いたニコライ・ヘルの物語があるだけだ。日本の侘び寂びを筆頭に中国などの東洋文化に深く分け入った描写。『シブミ』を読んだ時に感じた「これは本当にアメリカ人が書いたのか?」という驚嘆の世界が次々に繰り広げられる。

さてそんな東洋文化を織り交ぜ、日本、中国、ヴェトナムへと舞台を展開し、スパイ小説のみならず冒険小説のスリル―ニコライがギベールとしてヴェトナムまでロケットランチャーを届けにジャングルや急流を渡るシーンのスリリングなこと!―も味わうことの出来る、まさにエンタテインメントのごった煮のような贅沢な作品だが、一つ納得のいかないのは本書の題名にもなっているサトリの内容だ。

いわゆる高僧が開く悟りの境地とはいささか異なるように思える。これからの道行きの全てが見えることを“サトリを得る”と書いてようだが、悟りとは日蓮や親鸞などの話からすれば、いわゆる“真理”を悟るということだと私は認識している。
従ってニコライが本書で得ているサトリとはいわゆる“見切り”であり、囲碁や将棋で何手先まで見通す“見極め”のことではないだろうか?その点を日本人が認識する“悟り”と誤認しているように思えたのが大きなマイナスとして私には働いた。

とはいえ、34年も前の作品を前日譚を描いて見事甦らせたウィンズロウの功績は大きい。
恐らく今後長らく『シブミ』は古典の名作として数ある巨匠の作品と共に並び続けるだろう。それは本書が一役買っているのは間違いない。そして本書もまたその横に共に並び、いつまでも誰もが手に取れ、ニコライ・ヘルの世界に浸れるようになるよう、望んで止まない。


No.1034 4点 孤独の島
エラリイ・クイーン
(2012/12/26 22:00登録)
エラリー・クイーンのノンシリーズ物。舞台は人口約16,000人の小さな町ニュー・ブラッドフォードで主人公はそこの警察署に勤めるウェズリー・マローン。物語は彼が製紙会社の給料強奪殺人事件を起こしたギャングたちに犯罪の片棒を担ぐよう強要されるところから始まる。
物語は娘の救出、金の紛失、強盗一味の自宅占拠に失った金の在処の捜索、そして再び娘の誘拐と一転二転三転とする。

全く従来のクイーン作品とは趣も文体も味わいも違う作品だ。テイストとしてはハメットやチャンドラーが書いた冷酷無比な悪党の登場するハードボイルドを感じさせる。本書はクイーン作家生活40周年を記念して書かれた作品だが、晩年のクイーン作品の多くがそうであったように、本書もまた他の作家の手によるクイーン名義の作品だと思っていた。
しかし調べてみるにどうも本書は実際にクイーン自身が著した作品のようだ。しかし逆にそれが本書の魅力を減じていると私は思う。

なぜならクイーン=本格という図式が強く根付いているため、本書でもそれを期待してしまうからだ。その先入観が強すぎて本書の世界に浸れない自分がいた。


No.1033 8点 ソウル・コレクター
ジェフリー・ディーヴァー
(2012/12/23 19:42登録)
リンカーン・ライムシリーズ8作目は他人の情報を自在に操るソウル・コレクター。彼は他人の趣味趣向を調べ上げ、その人の持ち物と日々の行動範囲などから証拠を捏造し、犯人に仕立て上げる連続殺人鬼だ。

リンカーン・ライムのシリーズではしばしば「ロカールの原則」というのが引用される。すなわち犯罪が発生した際、犯人と犯行現場と被害者との間には例外なく証拠物件が移動するという原則だ。本書の連続強姦殺人鬼ソウル・コレクターはこの「ロカールの原則」を逆手に取って捜査を誘導する、まさに鑑識にとって天敵なのだ。

しかし情報と云うのがこれほど脅威になろうとは思わなかった。知らないうちに我々も番号化され、趣味嗜好、思想や人間関係の繋がりなどがどこかでデータ化され蓄積されているのだろう。いわば見知らぬ誰かに丸裸の自分を把握されている状況だ。
だからこそこのような個人情報を扱う会社はセキュリティを絶対無比の物にしなければならないし、また情報を扱う社員も人格者でなければならない。情報化社会と一口に云うが、その重大性や脅威について本書でその本質を知らされた次第だ。

本書は真犯人が誰かとかウォッチメイカーは捕まったのかよりも情報の持つ恐ろしさをまざまざと思い知らされたことが大きい。便利になった現代社会の歪みを見事エンタテインメント小説の題材に昇華したディーヴァー。まだまだその勢いは止まらないようだ。


No.1032 7点 ダブルイメージ
デイヴィッド・マレル
(2012/12/11 23:00登録)
一言では云い表せない作品だ。
狂える大量虐殺者との戦い、伝説のカメラマンの過去の捜索、その最中に巡り合う絶世の美女とのロマンスに、その女性に付き纏うストーカーの正体の謎、さらにその美女と伝説のカメラマンとの奇妙な関係、そして突然失踪する美女の行方、最後に男を狂わす悪女の物語と、実に多彩な展開を見せる本書。題名はダブルイメージ、つまり二重像と云う意味で、恐らくこれは後半物語の中心となる絶世の美女ターシャ・アドラーの二面性を指しているのだろうが、物語としては二重三重、いやそれ以上の像を浮かび上がらせる。いやあ、こんな物語だったとは全く予想がつかなかった。

しかし本作はコルトレーンというカメラマンが尊敬する伝説のカメラマンの足跡を追う人生の物語に仕上げればこの作品は印象深いものになっただろう。
物語としてはヴァラエティに富んでいて一種忘れられない何かを残す。それだけに物語の方向性を読み誤った感が否めない。実に惜しい作品だ。

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