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ミステリの祭典

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Tetchyさんの登録情報
平均点:6.73点 書評数:1603件

プロフィール| 書評

No.1023 7点 古惑仔
馳星周
(2012/10/20 23:31登録)
古惑仔と書いて“チンピラ”と読む。馳作品にはお馴染みの呼称。中国語での呼び方。本書は表題作を含む短編集。

6編全てがアンハッピーエンドという馳氏らしい短編集。日常から非日常へ足を踏み出した人々の不穏な行く末、あるいは悲惨な末路を綴った物語集だ。
相変わらず容赦がない。一編目の「鼬」の虚無感にため息をついたがその後の表題作の何とも悲惨な結末―主人公は女性の観光案内を終えた後、敵対マフィアの集団に囲まれ、青竜刀で切り刻まれてしまう―を筆頭に「聖誕節的童話」と「笑窪」の主人公らの転げるような転落人生模様はもう呆れるしかない。さらに「長い夜」は親切が仇になってしまうという何ともいいようがない結末だ。ラストの「死神」も何かに引き寄せられるように死へ向かう連鎖に絡め取られていく男達の顛末だ。

暗鬱になるだけの物語6編。ここにもあそこにも不幸な奴がいることを知らされる。頑張っていれば、努力していればいつか報われる、などは脆くも崩れ去る物語群。ゆめゆめ爽快感など期待して読まないように。


No.1022 6点 疑惑のスウィング
アーロン&シャーロット・エルキンズ
(2012/10/17 22:28登録)
今回の謎はアメリカチームのキャプテンを務めるロジャー・フィンリーのキャディの殺人事件と、ロジャーのショットの不振の原因である。
実は殺人事件の捜査に関してはいわゆる通常のミステリにありがちな緻密な警察捜査が語られるわけではない。あくまで本書はプロゴルファーのリーが中心になって物語が動いていくため、終始彼女の周囲にいるプロゴルファーたちとのやり取りやゴルフの試合のこと、そしてロジャーの不振の原因探しがメインになってくる。

さて今回この不振の謎に私はようやく“ゴルフ”ミステリの特色が出てきたぞと思い、興味津々で読んでいったのだが、明らかになった真相は殺人の真犯人ともども実に薄口である。
やはりこのミステリはゴルフにまつわるエピソードを愉しむ姿勢で臨むのがいいようだ。


No.1021 7点 嘘をもうひとつだけ
東野圭吾
(2012/10/13 19:45登録)
現時点で唯一の加賀恭一郎シリーズの短編集。
執念深い捜査が持ち味の加賀の切れ味鋭い捜査が味わえる。

加賀刑事は現場や関係者の言動から違和感を掴み取り、そこから推理を組み上げ、被疑者が自己崩壊するように誘導する。これが実にネチッこく、読んでいるこちらでさえ「ああ、また来たの、この刑事・・・」とため息つかせるほどうんざりするのに、なぜか加賀シリーズとなると「待ってました!」と思ってしまうのが不思議。

個人的ベストは「狂った計算」。夫婦仲がしっくりいかない者同士の計画的犯行を扱ったものと内容としてはオーソドックスなのだが、東野圭吾ならではの実にトリッキーな計画である。小説が文字で表現される物語であることを最大限に利用した内容である。さらにすごいのはそのトリッキーな計画のさらに上を行く真相が用意されていることだ。計画的な犯行が偶然によって瓦解することの皮肉が上手く語られている。

またみなさんおっしゃるように加賀の活躍は倒叙物ではないが刑事コロンボを彷彿とさせる。読者があらかじめ犯人が誰かわかっているわけではないのに、味わいは倒叙物のよう。これはもしかして半倒叙物とでも呼ぶべき新しい叙述形式なのだろうか?


No.1020 7点 クイーンのフルハウス
エラリイ・クイーン
(2012/10/10 18:20登録)
3編の中短編と2編のショートショートを並べ、ポーカーのフルハウスに準えた作品集。構成も3編の短編の間に2編のショートショートが挟まる、ちょっと変わった構成になっている(目次では短編の目次にショートショートの目次が別々に表記されているため、その構成が解りにくくなっている)。

『エラリー・クイーンの冒険』などの初期の短編集と比べるとその出来栄えは必ずしも高いとは云えないのが哀しい所。

正直云って幕間劇のように挿入される2編のショートショートミステリは単なる筆休めのような軽い作品でロジックや推理の妙を愉しむわけではなく、純粋にオチを愉しむ作品となっている。この出来が良いかどうかはファン度の強さによるだろう。

中短編3編のラインアップは次のとおり。
凶器に使われたナイフの奇妙な窪みから犯人を絞り出す「ドン・ファンの死」。明白な動機を持つ兄妹の母殺しの意外な犯人が明らかになる「ライツヴィルの遺産」、そして容疑者の無実を晴らすためにエラリイが介入する「キャロル事件」。

この中で後期クイーンの諸作品のテイストを最も色濃く感じさせる「キャロル事件」が佳作と云える。事件そのものは地味で、明かされる殺人事件の犯人も驚きはなく、逆に肩透かしを食らった感はあるものの、エラリイが最終9ページに亘って開陳する推理の道筋と犯行に至った犯人の心理はなかなかに考えさせられるものがある。逆に人間というものはそれほど論理的に行動する生き物ではないという、推理を超えた推理を見せられた気がした。


No.1019 7点 夜と霧の盟約
デイヴィッド・マレル
(2012/10/05 22:38登録)
なんと『ブラック・プリンス』のソールと『石の結社』のドルーがコラボするそれぞれの続編だ。マレルの作品は一つの世界観を作っているのか、それともこれは彼の読者サーヴィスの賜物なのか。

そんなマレルの二大ヒーローが登場する事件とは世界各地で起こる老人たちの失踪事件だ。その真相の裏に潜むのはナチのホロコースト。
ここから先の真相は読者の興を削ぐので(というよりも絶版の本書をこれから読む人がいるのかはなはだ疑問だが)書かないが、『ランボー』でひと山あてた作者の注目作として発表された(と思われる)本書で、キリスト教の、カトリック系を堕すような真相を書くなんて当時は問題なかったのだろうか?

しかし短い章を重ねるスピーディな場面転換でアクション小説としては面白いのだが、逆にその短い章立てと切り替えの速さが小説としての味わいやキャラクターの深みを薄めている感がどうしても拭えない。
小説としての味わいを期待したいと思う私であった。


No.1018 6点 ダーク・ムーン
馳星周
(2012/09/29 23:03登録)
上下巻1,040ページ弱の作品でそれぞれの因果や鬱屈が呪詛のように繰り返され、彼らの行く末が存分に書き込まれた作品だが、やはり私にはどうも合わなかったようだ。

平たく云うと理解が出来ないのだ。お互いが他を出し抜いてのし上がり、手にした大金の前で、なぜか身の破滅を願う自分がいる。この感覚が理解できない。彼らが辿り着くのはいつ追手に見つかって殺されるか、びくびくするだけの日々からの解放。その気持ちは解るが、なぜか彼らは自らを危機に陥れる愚行を犯す。まるで敢えて罠に嵌っていこうとするかのように。これが理解しがたい。本作の終盤で繰り言のように頻出するのは“とち狂っている”という言葉。みんなが正気ではなく、とち狂っている。だからこそこんな道に陥るのだ。書いてしまえば簡単だが、それゆえそんな理由で?といった浅さを感じてしまう。

中国系マフィアの横行を描く物語はもう読み飽きてしまった。新たな機軸を打ち出す作品を読みたいものだ。


No.1017 6点 緑の檻
ルース・レンデル
(2012/09/18 23:08登録)
いつか2作目を書かねばと思いながら、まだその時ではないとずるずる引き延ばし、いざとなったら書けるだろうと楽観的に構えている男。
世の小説家の中には一瞬ギクリと思う人もいるかもしれないし、また小説の創作に限らず、過去の栄光を引き摺って生きている周囲の誰かに思いを馳せる人もいるかもしれない。
そんな彼の、実に惨めたらしい日常生活の描写とかつての恋人、人妻ドルシラとの日々の回想が交互に語られる。

とにかくレンデルはダメ男の心情を描くのが上手い。身近にモデルとなるような男がいるのかと思うくらいリアルだ。特にグレイがドルシラが再会したいのになかなか連絡が取れずに悶々とする件や連絡が取れないことを自分の都合のいいように解釈して納得させようとする心理描写は実に真に迫って面白い。斯くいう私もかつて失恋を経験したが、そこに至る直前の危うい状態の時に連絡が付かなかった時は確かに1分が10分くらいに感じるほどのまどろっこしさを感じたものだ。
さて今回作者が描きたかったのは大人になりきれない人に対する警句ではないか。後半作中で繰り返されるのはもう子供ではないんだという言葉からもそれが読み取れる。

しかしミステリとしては小粒だろう。悪妻ドルシラの犯罪計画は見え見えだし、これは冤罪を被せられた男から描いた作品であり、その趣向は面白いのだが、あまりに単純すぎた。犯行がグレイの心に降りてきてドルシラの放った言葉の真意が解るというのは筆巧者レンデルならではだが、それもどこかダブルミーニングというよりも単純な仄めかしとしか取れず、インパクトは薄い。


No.1016 9点 白夜行
東野圭吾
(2012/09/16 20:45登録)
白夜行。なんと悲痛なタイトルか。明るくてもそれは日の光ではない。かといって安らかに眠るにはなんとも明るすぎる、中途半端な黄昏。決して無垢な光ではなく闇を孕んだ光の下で生きてきた桐原と雪穂の人生をまさに象徴している。

物語はこの2人の生い立ちを、小学校、中学校、高校とそれぞれの点描を語りながら進む。そしてお互いの人生に間接的のそれぞれの翳を滲ませながら。
それらの進行は実に訥々としている。その時2人の周囲に起こった大なり小なりの事件は決して解決されることはない。しかし断片的に語られる事件には過去に起きた事件に対するある手がかりがさりげなく溶け込まされている。このあたりの配し方が東野は実に上手い。特に252ページの雪穂の章の最後の一行には鳥肌が立ったほどだ。そんなさりげない文章で東野は桐原亮司と唐沢雪穂という二人の男女の暗黒と恐ろしさを淡々と描いていく。

母子家庭の貧民街からのし上がっていく唐沢雪穂の物語は一面を捉えれば、『マイ・フェア・レディ』ばりのサクセス・ストーリー、立身出世物語だろう。一見輝かしい人生には心を失くしたゆえの冷酷さが隠れ、彼女をいいようのしれない恐ろしい何かに変貌させた。

全ての真相を描くのがミステリだろうが、あえて書かずに読者に補完させるのもまたミステリ。一から十まで説明をする書き方もあろうが、東野氏は描写でもって読者に考えさせる(感じさせる)書き方を選んだ。行間を読むことを敢えて読者に強いたわけだ。納得がいかない、呆気ない、訳がわからないとは、本を読んで思うこと、感じること、考えることを放棄して全て作者に説明を求める幼稚な読み方でしかない。

確かに唐突に閉じられた結末ゆえに気持ちに整理の付かない自分がいる。しかしこの作品は東野氏が追求してきた人の心こそミステリの到達点の一つだろう。
そしてその後の東野氏の活躍を知る人々にとってこれがまだ通過点に過ぎなかったというのが驚きだ。恐るべし、東野。


No.1015 7点 ランボー/怒りの脱出
デイヴィッド・マレル
(2012/09/02 22:30登録)
冒頭、作者のマレルはランボーは前作で死に、本書では映画のランボーであると述べる。つまり作者自らが映画の反響によって書かれた作品だと認めているのだ。なんという潔さだろう。

しかしそれでも第1作のランボーの性格付けは踏襲している。過剰な拷問を受けることで彼の中に眠る獣性が目覚め、狂戦士の如く再び殺戮マシーンへと変身する。ワンマンアーミー、ランボーの復活である。この辺の心象描写はまさに小説ならではの物。恐らく映画では火事場の馬鹿力で苦難から逃れるランボーに辟易したのではなかろうか?つまりそれこそがデウス・エクス・マキナと感じ、失望した観客も多かっただろう。しかし本書ではその火事場の馬鹿力について丹念に説明を施している。この辺りは映画の欠点を小説で補っているようで好感が持てた。

マレルの諸作は物語の運び方やプロットの複雑さは一流作家の腕を見せるものの、キャラクターという点ではいささか弱さを感じるのは否めなかった。そんな中、この映画化もされたランボーの造形は一つ抜きん出ている感がある。いやこれも映画化ゆえに他の作品の登場人物と等しく比べられていないのかもしれない。スタローンの個性の強さによる効果なのかもしれないが。


No.1014 7点 第八の日
エラリイ・クイーン
(2012/08/31 23:04登録)
エイブラハム・デイヴィッドソンによって書かれたとされる本書はクイーン作品でも異色の光彩を放つ。閉じられた世界での物語といえば『シャム双子の謎』や『帝王死す』などそれまでにもあったが、本書は世界観から創っているところが違う。

ピーター・ディキンスンを髣髴とさせる異様な手触りを放つ作品。閉じられた共同体であるクイーナンはアメリカにありながらアメリカではない。全ての物は村人の物であるという共産主義的社会。美術、音楽、文学、科学さえも存在しない。教典とされるのはMk'h(ムクー)の書と呼ばれる存在すらも危ういまだ見ぬ聖書。犯罪そのものを知らない人々に対して指紋がどんなものかから教えるエラリイ。

事件自体はそれほど特異なものではないが、本書の特徴はその後の展開にある。ネタバレになるので敢えて書かないが、この結末はエラリイの存在、到来自体を否定するものだ。つまり本書はエラリイのための事件ではなかったということだ。つまりは探偵の存在を否定する探偵小説。本書の本質とはまさにこれに尽きるのかもしれない。


No.1013 7点 雪月夜
馳星周
(2012/08/24 23:01登録)
都会を舞台にマフィアややくざの世界を描いてきた馳氏が選んだのはなんと北海道の根室。都会の喧騒もなく、ネオンもなく、はたまた民族が入り組んだ抗争もない。ただ北海道という地特有の事情、ロシア人を相手に利鞘を得る人々がいるという現実。一見大人しそうな街ながら裏ではお互いがお金を奪おうと虎視眈々と狙っている、陰湿な社会だ。

そんな町を舞台にした物語は至ってシンプル。東京のやくざの金を持ち逃げしたロシア女性のヒモをかつて根室で相当のワルと評されていた男が追ってくるという話。

読んでて思ったのはこれはいわゆる成長したジャイアンとスネ夫の物語ではないか!クライマックスの極限状態の中、幸司はある心理に辿り着く。忌み嫌う二人はこの上なく似ており、それ故忌み嫌う。裕司は幸司で、幸司は裕司だ。裕司の物は俺の物。俺の物は裕司の物。ここまで読むとまさにこの見方が正しかったことに気付く。

基本的な物語の構造は一緒だ。どんづまりの現状から逃げ出すために汚い大金を手に入れようともがく底辺の男たちの物語。『漂流街』のマーリオ然り、『夜光虫』の加倉然り。舞台が根室に、登場人物らが変わっただけで描く物語は同じ。この辺に馳氏の作家としての物語創造力に首を傾げてしまう。

馳氏の物語の熱といい、描く内容というのは買っているのだ。あとはあまりにステレオタイプすぎるプロットから脱却して唸らせるような新たな物語を見せてほしい。


No.1012 8点 透明人間の納屋
島田荘司
(2012/08/20 22:18登録)
講談社が打ち立てた児童文学ミステリの叢書「ミステリーランド」シリーズの1冊として書かれたのが本書だが、子供向けというにはなかなかハードな内容だ。
透明人間になってしまったとしか思えない殺人事件の内容はもとより、事件の背景となる主人公ヨウちゃんの家庭環境や隣人真鍋さんとの関係など、およそ子供の読み物とは思えない内容に眉を潜めてしまう。
大人の卑しい部分を若干オブラートに包んではいるが、はっきりと描いている。

重ねて表紙も含めて物語に挿入される石塚桜子氏のイラストは抽象的で観念的で禍々しくておどろおどろしく、怖さを助長させ、読者の子供諸氏はトラウマになるのではないだろうか。

とまあ、いきなりネガティヴな感想を羅列してしまったが、やはり島田、他のミステリ作家の一つ上を行く完成度だ。
まさか透明人間の話が世間をにぎわせたあの事件に繋がるとは!
さらに密室のトリックはカーの某作を彷彿させ、原典を改善して説得力を増している。

21世紀本格を目指しながら古典ミステリにも材を得る、島田のミステリマインドの幅広さに感服してしまった。


No.1011 7点 獅子の血戦
ネルソン・デミル
(2012/08/19 20:49登録)
待ちに待った『王者のゲーム』の続編がようやく出版され、そして無事訳出されることになった。これを愉しみにしていたわが身にとってなんと嬉しい出来事だろう。

刊行は10年後だが物語の中の時間で云えば、前回の事件から3年後、そして9.11からは1年半以上経った頃の話だ。つまりようやくグランド・ゼロを整備し始めながらも、まだテロへの恐怖が冷めやらぬ時期の頃だ。そんな中、アサド・ハリールはアメリカへ上陸する。
とにかくアサド・ハリールが絡むと物語も加速する。早くも前作取り逃がした獲物チップ・ウィギンズも開始100ページの辺りで早々に屍と化す―しかも至極凄惨な殺され方で!―。そして引き続いて150ページ辺りですぐさまハリールはケイトを毒牙にかける。いやあ、デミルの筆は最初からフルスロットルだ。

しかし中盤コーリーのパートで間延びしてしまった感があったのが残念だ。組織内のそれぞれの立場の人間の保身と手柄の取り合いといった政治的ゲームが物語の疾走感にブレーキを掛けたように感じてしまった。後半ハリールが再度登場してからはアクションシーンの連続で緊張感が再び甦っただけに、この中だるみが勿体ない。

前作を私が読んだのが2005年だから6年待たされた続編は私の期待に応えてはくれたが、期待以上だったかと云えばそうではない。やはりハリールの行動に焦点を当て、アクション重視で物語を運ぶべきではなかったか。巻末の解説によればコーリーシリーズは今後も続くとのこと。本作以上のスリルとサスペンスを期待しよう。


No.1010 6点 石の結社
デイヴィッド・マレル
(2012/08/05 22:56登録)
西洋の古の歴史が絡む、ある暗殺組織の物語。

まず導入部が素晴らしい。厳格な礼拝形式のカルトジオ修道院での静謐かつストイックな日々が語られる。それ以上でもそれ以下でもない淡々とした描写にふと訪れるドルー襲撃の影。この静から動への移り方が非常に上手い。

デビュー作の『一人だけの軍隊』がそのタイトル通り、一人対集団の物語だったのに対し、本書はドルーとその協力者2名と謎の組織への戦いという小集団対組織へのチーム戦になっている。よくよく考えるとこれは前作『ブラック・プリンス』でもそうであり、しかもそのうち一人が女性であること―しかも両者とも特殊訓練を受けた戦闘能力が高い女性!―も共通しており、この辺はエンタテインメントとしての華やかさも考慮したマレルの演出だろう。こういった構成はやはり映像化を強く意識した作りだと感じてしまう。

ただ何かが足りないような気がしてしまう。もっと心に残ってもいいのに、何かが足りない。恐らくはキャラクターの強さだと私は思うのだが。


No.1009 5点 エラリー・クイーンの事件簿2
エラリイ・クイーン
(2012/07/31 22:34登録)
東京創元社が独自に編んだエラリー・クイーンの作品集。このうち『~事件簿1』は現在でも入手可能なのに、こちらはなぜか絶版状態。従って本書は図書館で借りて読んだ。

なんといっても収穫は1編目の「<生き残りクラブ>の冒険」。戦争で撃沈されたある戦艦の生き残りの子孫たちで構成されたクラブという設定も本格ミステリの特異性が光るし、彼らが生き残ることで得られる報酬のために次々に死んでいくという設定もミステリアス。明かされた真相はツイストが効いてて、読み終わったときは実にクイーンらしいと感じる趣向に満ちている。これが読めただけでも収穫だ。

「完全犯罪」は殺人現場の状況と銃声が起きた時間との相関関係への考察が複雑で理解に苦しんだ。このような室内での弾道の解明などは文章よりも『CSI』のような映像の方が一目瞭然で解りやすい。もうこのような緻密な推理物は読むのがしんどくなってきてしまった。

作品の出来栄えとしてはいささか物足りなかったが、内容的に絶版にする意味があるようには思えないので(評価が低いという点はあるが)、復刊フェアの一冊として近い将来本書がリストに載ることを期待しよう。


No.1008 7点 虚の王
馳星周
(2012/07/24 21:19登録)
一見普通の優男の高校生でありながら、周囲に恐れられている渡辺栄司と伝説のチーム金狼で火の玉小僧と恐れられていた暴力の権化新田隆弘。彼の肉体と激しいまでの暴力を以ても栄司の恐怖に縛られた彼の仲間を屈することはできない。隆弘は今まで自分が暴力を振るえば回りが屈していただけにいくら殴っても屈さずに笑顔を絶やさない栄司の存在に恐怖を感じる。はまさに精神が肉体を凌駕するとでも云おうか、異様な雰囲気を身に纏っている。

よくよく考えると馳作品の主人公は決して暴力が強い人間ではないことに気付かされる。不夜城シリーズの劉健一しかり『漂流街』のマーリオしかり『夜光虫』の加倉しかり。今回の渡辺栄司という高校生はその最たるもので、喧嘩が強いわけでもない、腕っぷしが強いわけでもない。ただただ非常に頭が良かった。そしてなによりも恐怖を感じない。人間として大事な愛とか情と云った感情を欠落した人物なのだ。自分の欲望のために人を利用し、人を傷つけることを厭わない空虚な心を持つ男。

しかしなんというか高校生で女子高生の売春を取り仕切る渡辺栄司というキャラクター造形がマンガの域を脱していないというか、むしろマンガの原作を読まされているような気がした。馳氏特有の路地の小便臭さまでが行間から匂い立つようなリアルさと熱が本書では感じられず、むしろ作り物めいた感じが拭えなかった。なんだか飲み屋で交わした会話のままに作ってしまったお話のような手触りがあった。

さてこの結末はこの作品がこれから始まる新たな物語の序章だということだろうか?
今まで馳氏が主役に選んだのは戸籍上日本人の外国人との混血児、もしくは中国系マフィアに翻弄される日本人だった。彼らへの強力な対抗馬として創造したのが渡辺栄司なのか?


No.1007 7点 フォックス家の殺人
エラリイ・クイーン
(2012/07/19 21:15登録)
戦争後遺症で神経を病み、ついに妻をその手にかける寸前にまでなったライツヴィルの英雄デイヴィー・フォックスの、自らを“生まれながらの殺人者”という烙印を無くすため、過去に起きたデイヴィーの父親の妻殺しの罪を晴らすのが今回のエラリイ・クイーンの謎解き。

地味な展開なのに読ませる。後半の二転三転する展開の読み応えといったら、数あるクイーン作品の中でもトップクラスではないか。
そして二転三転する捜査の末、明らかになる真相とはなんとも云えない後味を残す。これはクイーン自身の手によるあの名作の変奏曲でもあると解釈できる。

しかし問題はこの作品が絶版で手に入らないことだ。これほど読ませる作品なのに。戦争後遺症に冤罪といった社会的テーマに、人間ドラマが加わり、更には本格ミステリとしてのロジックの面白さも味わえるという作品。
今回偶々、市の図書館にあったので読むことができたが自分の手元に置いておきたい作品だ。近い将来の復刊を期待してこの感想を終えることにしよう。


No.1006 7点 ブラック・プリンス
デイヴィッド・マレル
(2012/07/12 20:30登録)
1984年発表のマレルの手によるこの作品は義兄弟である二人のCIA工作員ソールとクリスがその育ての親のある陰謀により、罠にはめられ、世界の諜報部員たちのお尋ね者になる物語である。
そしてこの物語にはもう1つ特徴がある。それはアベラール・サンクションなる各国のスパイのための不可侵状態の避難所の設定だ。

こういった背景を踏まえて描かれるマレルのスパイ小説はアクション重視の、映像化を意識したかのような作品である。短い章立てで構成され、実にテンポよく物語が進む。

しかしこのような昔のスパイ小説を読むことは案外収穫がある。なんせ冷戦時代の教科書では習わない各国の暗闘が知識として得られるからだ。教科書では教えられてない歴史の勉強とはまさにこのことだ。


No.1005 4点 エラリー・クイーン Perfect Guide
事典・ガイド
(2012/07/09 21:26登録)
エラリー・クイーン・ファンクラブが編んだエラリー・クイーン・ファンの、ファンによるガイドブック。つまりこれはクイーン礼賛の書であり、正しい意味でガイドブックではない。
クイーンの作品も他の作家の例に漏れず玉石混交で、必ずしもどれもが傑作、佳作ではない。もちろん凡作もあるわけだが、本書ではクイーンを愛するが故に、石も玉の如く誉める解説ばかりで正直クイーン作品を読んだ身としてみれば、鼻につくところがある。

しかし一方で私の読み方が浅かった、理解が足らなかったと気付かされる部分が案外あるのに気付かされた。未読のクイーン作品は残り少ないが、これらを今よりももっと深く読めるように気を付けていこう。


No.1004 7点 追撃の森
ジェフリー・ディーヴァー
(2012/07/03 20:24登録)
追う者と追われる者の物語。しかしディーヴァーならではのサスペンス豊かな状況でありながら何とも奇妙な味わいを見せる。
それは追う側も追われる側もお互いのパートナーに奇妙な友情が芽生えてくるのだ。
そんな息が詰まるような逃走劇も400ページを過ぎたあたりで終わる。しかしそこからがディーヴァー特有のどんでん返しの連続だ。いや今回はどんでん返しというよりも価値観の逆転といった方が妥当だろう。

ただ今回の結末にはモヤモヤ感が残ってしまった。ディーヴァ―が語りたかった結末とは何なのか?微妙な余韻を残す描写の真意は何?
ああ、なんだか釈然としない!

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