最後の女 エラリイ・クイーン、ライツヴィルシリーズ |
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作家 | エラリイ・クイーン |
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出版日 | 1972年01月 |
平均点 | 4.75点 |
書評数 | 8人 |
No.8 | 5点 | 虫暮部 | |
(2021/02/16 11:47登録) ジョニーがやけにおとなしそうなキャラクターだったり、元妻らの容疑がアッサリ晴れたりと、内容の成分に比べ妙に平坦な書き方で損をしている。もっと色とりどりに飾ってもいいのに。 某が夜中に錯乱する場面は短いながら印象的。前半の描写とのギャップが、作者の不手際ではなく、平穏な言動の裏に彼女もこんな気持を押し隠していたんだなぁと思えるところが立派。 |
No.7 | 3点 | レッドキング | |
(2020/06/25 18:21登録) 撲殺された大富豪のダイイングメッセージは「ホーム」(あほらしいが個人的に大受けした。ホー〇!) 容疑者は三人の元妻・・歌手、女優、看護婦・・二人の美女と一人の地味女。莫大な遺産の遺書を巡る殺人と見せかけて、意外なフー・ホワイダニット真相の結末は・・。書かれたの1970年か。このテーマ、60年代以前のピューリタニズム米国では書けなかったろうな。 ※ところで、あのネタ、チャイコフスキーは有名だがベートーヴェンての初耳だぞ。 |
No.6 | 6点 | HORNET | |
(2019/03/23 13:47登録) 親の遺産を継いだ放蕩息子が、3人の前妻を呼んで離婚契約の変更を諮っている過程で殺された。息子はエラリイの知り合いで、事前に遺言書の書き換えの証人になってもらっていたのだが、死後にそれを開封すると、前妻たちにほとんど遺産は残らないことに。殺したのは誰か?背後に潜んでいる人間関係は? ・・・と、ある意味非常にオーソドックスなオールドスタイルミステリで、出来栄えも標準的。ダイイングメッセージの論理は面白く(死ぬ間際にそこまで考えを巡らせられるか!という無粋な指摘はこの際置いといて)、それがメインで作られた話なのだろう。 少なくとも不可はなく楽しめる長編と感じた。 |
No.5 | 1点 | クリスティ再読 | |
(2017/03/19 11:05登録) ごめん評者は本作はちょっと許せない。 本作の真相は現在書いたらアウトだし、1970年という出版年時点で考えてもアウトだと思う。まあけど、それは偏見ベースの知識の不正確さ、という点なので、今から指摘する点を別にすれば、老大家の時代遅れ...というくらいで寛恕すべきなのかもしれないんだけどね。しかし、本作の問題点はある意味、社会派ネタのパズラーというものの軽薄で軽率な内実に起因するものでもあるので、そこらもちょっと指摘したいと思う。 (なので、今から盛大にネタバレます) ダイイングメッセージが今となってはバレバレなのはご愛敬。現在だと差別的なニュアンスが強くて、好まれない表現ではあるけどね。問題の部分というのは、同性愛・女装趣味・トランスジェンダーの3つのセクシャル・マイノリティの属性は、現在それぞれ独立の問題だ、とされていることである(また親の躾を原因とする見方はほぼ否定されている)。この3カテゴリをごっちゃにした犯人像は、ありそうにもない。また、一番殺人の動機に近い部分の同性愛感情でいえば、被害者に迫るのに女装する必要性はまったくない、というか完全に逆効果だよ... なので、本作のセクマイ描写は、ちゃんとした取材や知見に基づいたものというよりも、偏見ベースのステロタイプだと結論していい。 なので、このネタをパズラーの真相として使うとなると、「こんなに奇妙な人が世の中にはいるんですね~~」という軽薄なモノシリ自慢にしかならない。真相解明でエラリイが聞き手の父にいろいろ知識披露するけども、向こうは現職のニューヨークのベテラン警官だよ...世の中のウラ側に対する知識を講釈するのは釈迦に説法というものだ。実際、69年のニューヨークで起きたストーンウォール事件では、警官とゲイバーの客が衝突して暴動になったわけで、クイーン警視なんてある意味当事者(!)なんだよ。 社会派ネタはすぐに古びたり陳腐化したり、扱いが結果として差別的になったりいろいろややこしい。パズラーでは真相として最後まで秘密にしておかなければいけないから、ちゃんとした内容の展開もできないわけで、どうしてもネタ扱いの軽薄さでしか扱えないことになる。これはパズラーの宿命みたいなもの、でしかないのかな? クリスティでも評者は「愛国殺人」が許せなくて1点にしたけど、クイーンも本作を1点とします。まあこういう面でダメになるのは、ある意味クイーンらしいかもしれないね。ちなみにゲイコミュニティ内の殺人を扱ったタッカー・コウ(D.E.ウェストレイクの別名義)「刑事くずれ 牡羊座の凶運」は翌1971年に出ていて、この作品ではちゃんとした取材の跡が見えて差別的な部分もほぼない(ごめん「ある奇妙な死」(1966)は読めてない)。 |
No.4 | 6点 | E-BANKER | |
(2017/02/19 21:34登録) 1970年に発表された作者第三十八冊目の長編。 翌年の「心地よく秘密めいた場所」発表後、共作者のダネイが急逝することより、本作はダネイ・リー共作の最後から二番目に当たることとなる。(訳者あとがきより) ~クイーンが手にとった受話器から聞こえてきたのは「殺される」というジョニー・Bの断末魔の叫びだった・・・。華々しい社交界の旋風のなかでしか充足できなかったジョニー・B。そんな彼が三人の元妻たちをライツヴィルの別荘に呼び集め、遺言状の書き換えを発表するというまさにその前夜の出来事だった。無残に撲殺されたジョニー・Bの謎に満ちた死と書き換えられないままの遺言状が引き起こす醜い争いは、たまたま別荘の別棟に逗留していたクイーンの飽くなき好奇心を刺激するには充分な事件だった・・・~ 何といってもライツヴィルである。 このニュージャージの架空の街がよっぽどお気に入りだったのだろうか、シリーズ(?)前作に当たる「帝王死す」から何と二十年後に発表された本作。 この街を再び事件の舞台として起用する作者の心中はどうだったのか? そして、本作に被害者として登場するジョニー・Bもまた、この街をひどく気に入り、自身の別荘を建て住まうこととなるのだ。 ノスタルジーなのかな? 巷のクイーン信奉者が数多の解説をしているけど、彼らの描きたい人間ドラマにライツヴィルはうってつけの舞台なのだろう。 それはさておき、本筋なのだが・・・ 筋立ては実に魅力的だ。 三人の元妻が一堂に会する舞台設定や、現場に残された三つの謎の衣服、被害者からクイーンにかかってきたダイニングメッセージ、などなど、本格ファンの心をくすぐるガジェットがふんだんに用意されている。 ただし、エラリーはいつにも増して切れ味がない。 「なんあだかなぁー」っていう感じで捜査に参加しているのだが、終章も大詰めを迎えて、ようやく事件の裏側の真実に気付く始末。 この真相もなぁ・・・。言われてみれば「それもあり」とは思うんだけど、これだけでひとつの長編を引っ張るだけのネタではない。 例のダイニングメッセージについては結構笑った。 そんな回りくどい言い方しなくても・・・って!! でもまあ、確かに1970年の作品なんだなと改めて気付かされる真相ではあった。 |
No.3 | 5点 | nukkam | |
(2016/08/29 01:42登録) (ネタバレなしです) 1970年発表のエラリー・クイーンシリーズ第31作は「顔」(1967年)の続編にあたる本格派推理小説です(「顔」を読んでなくても本書の鑑賞に問題はありません)。動機については多分当時のミステリーでは珍しいテーマだと思いますが社会的な問題を含んでいます。だけどそれほど深刻さを感じなかったのは最後のエラリーの推理のおかげです。後期作で定番となっているダイイング・メッセージの解読で、言葉遊びの領域を出ないというのも相変わらずなんですが今回は文字通りその言葉遊びがなかなか楽しかったです(本人たちは真剣です)。 |
No.2 | 7点 | Tetchy | |
(2013/01/26 22:16登録) なんとその舞台はライツヴィル。そして本書は『顔』で語られたグローリー・ギルド事件の続きから始まる。 『真鍮の家』でリチャード・クイーンはジェシイ・シャーウッドと結婚したが、本書ではそれは無かったことになっているらしい。同書の事件を飛び越して『顔』の事件の後、しかもエラリイの復調のためにクイーン警視はライツヴィルの保養所にて一緒に過ごす。しかもそれについて妻に断りを入れる云々の件はない。その後自宅に戻ってもジェシイの影など少しも見かけられない。確かにあの作品はエイブラハム・デイヴィッドスンの手になる物だからそれも致し方ないのだろう。 限られた登場人物の中で状況的に容疑者が絞られるのは3人の元妻。そんな状況で異質な存在なのが元妻たちが盗まれたイヴニング・ドレス、緑のかつら、手袋。それらが見事に論理的に解明されるラストは実に鮮やか。たった1つの解で全てがピタリと収まるべきところに収まる鮮やかな手際にやはり本家クイーンは凄いと唸らされた。 正直に云えばクイーン全盛期の作品と比べれば地味な物語でありサプライズの度合い、地味な物語などやや落ちるのは否めないものの、他作家のクイーン名義を読んだ後ではこの作品がやけに眩しく感じてしまった。 |
No.1 | 5点 | 空 | |
(2009/01/15 21:28登録) 冒頭部分は明らかに『顔』のラスト・シーンだと思われますが、同時期の他作品と比べてどちらも普通にフーダニットしている点にも、共通点が感じられます。1960年代になってからのクイーン名義作は、プロットの考案はともかく実際の執筆者が作品によって異なることはよく知られていますが、同じ執筆者(リー自身?)であることを示しているのでしょうか。最新の代作者情報は知らないのですが… 他の手がかりからの推理で真犯人を指摘できた後に、「あれ」は結局犯人を示すダイイング・メッセージだったということがわかるのは、初期のあの名作以来でしょうか。しかし今回のはさすがに無理があります。 ライツヴィルでの事件に、たぶん初めてクイーン警視も登場する作品でもあります。 |