クリスティ再読さんの登録情報 | |
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平均点:6.39点 | 書評数:1392件 |
No.472 | 7点 | 007/ダイヤモンドは永遠に イアン・フレミング |
(2019/02/08 00:08登録) 007というといくつか伝説があって「JFK御愛読!」は有名なんだが本サイト的にはどうでもいい。しかし「レイモンド・チャンドラー絶賛!」の方はやはりひっかかりがあろうというものだ。 で本作、もともと「チャンドラー風スパイ小説」と呼ばれていたシリーズ中でも、一番チャンドラー風味が強いように感じた。舞台はアメリカで、ギャングたちの中にボンドが潜入する話で、結構警句も飛ばしてくれる。ボンドガールのティファニーも悪女系で元々敵方なのが裏切るタイプだし..とハードボイルド・タッチがシリーズ中でも一番高い話だろう。 とはいえ、それだけじゃ、ない。読んでいて一番「チャンドラーっぽい!」って感じるのは、会話は直接事件に関わらないムダ話をしているのに、いざアクションが始まる..となると、サクッと章を変え視点を変えて結果にすっ飛ばす。こういった省筆の妙味みたいなものが、チャンドラーっぽさの原因のようだ。いいな、粋だな。 話はチンピラにすり替わって、ボンドがダイヤ密輸の運び屋をやって、その報酬を受け取る段に、競馬のイカサマやカジノのイカサマに遭遇しつつ、次第にダイヤ密輸の黒幕に近づいていく、という大変地味な話。なので競馬場のデテールとイカサマの攻防、買収された騎手へのリンチと、ここらへんが一番面白く感じた。地に足が付いたリアルな話なんだよ。チャンドラーが褒めるのも、むべなるかな。 で、カジノのブラックジャック勝負に見せかけたイカサマで、ボンドは密輸の報酬を得て、指令に背いてさらにルーレット勝負で4倍に増やす。合計2万ドル。うち1万5千ドルを、5千ドル紙幣に替えて、Mに郵送で送る....ね、5千ドル紙幣といえば例のマディソンの肖像画。チャンドラーへのご挨拶なんだろ。 ついでだから映画も見たが、コネリー復帰なんだが老けて太って、カッコ悪い。原作の地に足の着いた面白みが全然ない、大味なSF陰謀モノでドッチラケ。思うんだが、ダイヤモンドにこだわってこだわって、その美と魔性で映画にしたら、良かったんだろうとも思うんだよ。宇宙兵器のレーザー増幅器に使うじゃ、ダイヤモンドも泣いてるぜ。 |
No.471 | 9点 | 吸血鬼ドラキュラ ブラム・ストーカー |
(2019/02/05 21:06登録) 世紀末ロンドンの闇を闊歩する二大巨頭は...というと一人は言うまでもなくホームズだが、もう一人はドラキュラ伯爵に決っているでしょう。代名詞になるような強烈な影響を、その後のエンタメに刻印したという面で、ここが「ミステリの祭典」だろうとも、見逃すわけにはいかない。 しかもね、本作は実際の内容も、かなりミステリに近いものがある...というか、後半はヘルシング教授率いるハンターたちが、ドラキュラを追跡し追い詰める「マンハント」のお手本みたいな作品である。ドラキュラはモンスターの帝王だが、周知のような弱点も多いわけで、その弱点をヘルシング教授たちは「合理的」に突き、「時代遅れの怪異」を理性によって鎮めるわけである。構図はミステリそのものじゃないのかしら? で本作は登場人物たちの日記、手記、記録文書、新聞記事などの集合体で成り立っているのだが、この形式もコリンズの「月長石」にヒントを得て...だそうだ。本作の場合、この形式が一種の「メディア小説」みたいな格好になっているのが非常に面白い。セワード医師なんて蝋管レコードに口述で日記をつけるし、ミナの特技はタイプ打ちだったりする。だからドラキュラに記録を破壊されても、ちゃんとコピーがあるわけだ。でこのような「メディア」性が、最終盤でドラキュラの影響下にあるミナを巡って、探知と逆探知が交錯するような「メディア戦」をヘルシング一行とドラキュラが戦うことになる。19世紀とはとても思えない、実にモダンな発想をしているのだ! なので、本作はニアミス、というよりも「ほぼミス」と見ていいと評者は思うんだよ。必読の名作であり、少しも古びない大古典である。 |
No.470 | 7点 | 新青年読本全一巻 伝記・評伝 |
(2019/02/01 23:30登録) 戦前の作品を読んでいるのなら「新青年」を知らないのはモグリというものだ。評者の知ってる70年代ならまだ関係者も生きていて、作家たちも昔愛読していて....とそれなりのプレゼンスがリアルにあったようにも思うよ。だからこそ、桃源社あたりが先鞭をつけた異端作家たちから新青年作家たちへ...という流れを何か自然なもののようにして捉えていたね。 まあそういうルートだと、どうしても「探偵小説の牙城」として新青年という雑誌を捉えてしまうのだけども、実はそうでもない。もっと総合的な都会派娯楽雑誌だったのである。それこそ飛田穂州ありの徳川夢声ありの柳屋金語楼ありの、と有名人の自伝風エッセイもあれば、科学記事、ファッション記事、スポーツ記事も盛りだくさん。読み物として翻訳探偵小説が採用されたのは言うまでもないが、当時の「探偵小説」はずいぶん広くて、SF・ホラー・ファンタジー・ユーモアまでカバーしていたし、国内の創作が盛んになったらなったで、いわゆる新青年探偵小説作家にはあまり入れてもらえない獅子文六だって代表的な新青年作家だし、大佛次郎、山手樹一郎・吉川英治・山岡荘八だって書いている。と新青年の実像を気鋭の文芸評論家集団が複眼で紹介するムック本である。 執筆者は鈴木貞美、川崎賢子、谷口基などなど、モダニズムの研究者が主体だが、上野昂志や笠井潔も少しだけ書いている。それに中島河太郎、日影丈吉、中井英夫、横田順彌などによる思い出話、そして水谷準へのインタビュー、巻末は全巻の目次。なかなか豪華な本である。 <犯罪科学>なる<科学>には、ある種のいかがわしさ、またそれゆえの魅力がある。<科学>という概念のもとにありとあらゆるものを投げ込んでしまう心性、それは<科学>の通俗化あるいは<科学>崇拝とかたづけるにはあまりに過剰だ。 とこれが川崎賢子による小酒井不木の評みたいなものになる。まあこういう本である。多面的だがそれぞれなかなかツッコミが厳しくて面白い。新青年は昭和25年には廃刊になるのだが、たとえば昭和55年に創刊された「BRUTUS」が「新青年の精神を継承する」と謳っていた、というのが面白い。今にして評者は思うのだが、この新青年という雑誌の一番の面白さはエディトリアルな部分なんだろう。バブルを迎える80年代に、ようやく表舞台に立とうとするエディトリアルな感性が、「新青年」という「エディトリアル精神の先駆」と触れ合った、そういう瞬間を記録しているのが一番の本書の醍醐味ではなかろうか。 (最近結構乱歩と正史の不仲が...という話題をよく眼にするけど、正史って人はそもそもモボの教祖みたいな人だったわけだからね。これを落として横溝正史を論じるのはどうかと評者は思うんだ) |
No.469 | 8点 | 大坂圭吉研究 昭和51年8月 第3号 伝記・評伝 |
(2019/01/31 22:01登録) 大昔の話だけど、評者杉浦俊彦先生に可愛がられてね、お宅に遊びにいったときに、この冊子を頂いたんだよ。まあ評者が「とむらい機関車」「銀座幽霊」で「大坂圭吉」って書いたのは、杉浦先生に対する評者の感傷みたいなものだから、他意はない。 杉浦先生という人は別にミステリマニアじゃなくて、学校の先生らしく「郷土作家研究」みたいな格好で、大坂圭吉のご実家にある一次資料を整理して、実証的に執筆の経緯を追っているものである。この第3号は「中編探偵小説『坑鬼』 雑誌『改造』への掲載をめぐって」という特集だ。評者的にはまさにタイムリー。 「坑鬼」を読んでいて一番?なのは、この海底炭鉱のリアリティをどうやって取材したのか?ということなんだけど、この「大坂圭吉研究」では結婚した妻の父が、小樽近辺の炭坑の技師だったことを教えてくれる。執筆前年の新婚旅行でほぼ1ヶ月北海道に滞在していたらしい。取材とか炭坑の裏話とか、いろいろ仕入れたんだろうなあ。 であとこの小説の初出である戦前を代表する硬派雑誌の「改造」からの執筆依頼の経緯が綴られる。実際戦前の「改造」だからね、ステータスがあるわけで、新進作家だった大坂圭吉起用が名誉でもあり意外とも捉えられたようだ。これには担当編集者の佐藤績がミステリファンで、これまでも「改造」に探偵小説を読み物で掲載はしたのだけど、 それで、この度も、私の方の本当の腹を申上げますと、新青年に御書きになってゐられる短編位、いやそれ以上に複雑した探偵小説的構成を持ったものを頂戴し度かったのです。編輯部一同の気持ちを率直に申上げますと、「これが本格探偵小説だ」といふことを一度読者に示してみたいと希望してゐるので御座います。 乱歩氏、大下氏、などにはさういふことを言っても、作品から考へても一寸難しさうですし、結局それを貴方に御願い申上げ度いのです。 と「本格」の代名詞みたいな評価を受けていたことが、わかる。なので周囲の注目もかなりあったようで、原稿受領から掲載時期が少し遅れたことから、井上良夫や小栗虫太郎も成り行きを気にして手紙を送っているのが載っている。 と、こういう地道な一次資料まとめがこの「大坂圭吉研究」である。これは自費出版なのだが、古本屋でも引き合いがあるところもあるようだ。評者は「大坂圭吉研究」はこれだけしか頂かなかったが、高校の紀要の抜刷の「大坂圭吉と『辻小説集』」は手元にある。こっちは戦争末期の文学報国会の企画で「原稿用紙1枚」の小説・文章を文学報国会の会員作家から集めて出版した、戦意高揚の掌編の紹介なので、ミステリとは無関係。残念。 |
No.468 | 9点 | とむらい機関車 大阪圭吉 |
(2019/01/31 21:24登録) 「銀座幽霊」はB面だったね。こっちがA面。粒ぞろいなのに、「坑鬼」みたいな「戦前を代表する名作短編」と言って過言じゃないのまで、ある。 大坂圭吉は「モダン」の小説としての「探偵小説」を意識的に書いているように思う。風俗だけではなくて、「カンカン虫殺人事件」「気違い機関車」そして「坑鬼」といったあたりは、プロレタリア文学風と言ってもいいくらいに、労働のデテールが登場人物以上に詳細に描かれて、それがミステリとしての「核」の部分にも密接に関連しあっている。だから本当は、大坂圭吉って戦前の探偵文壇で、「非文学派」と「文学派」を一番総合できた部類の作家だったのかもしれないよ。 だから「社会主義探偵小説」を清張流の「社会派」と捉えるのは大いに不足で、「モダン」の振幅の中にプロレタリア文学的な部分も併せて捉えるような視点が必要なのでは、なんて思うのである。実際ミステリの牙城となった「新青年」でも顧問格でプロレタリア文学の批評家の平林初之輔がいたわけだしね...そもそもね、戦前の日本を舞台に、欧米ブルジョア家庭内の殺人事件の小説を持ってくるのは、相当のムリがあるわけでね。浜尾四郎とかやってるけどリアリティなんて出るわけがないんだよ。そうしてみると「日本でリアルなミステリ」の一番誠実な例だったようにも感じるんだよ... でまあ「坑鬼」。本当にコレに尽きる。ロジックよし、動機も社会派な動機、しかも最後には「海がやって来る」。無主人公でヒーロー性は皆無、文体も映画的な客観性があって、よい意味で「文学的」じゃない。別文脈のハードボイルド、という触覚。それでもモノによる象徴詩みたいにも読めるあたりが素晴らしい。戦前でも屈指の大名作だと思う。 |
No.467 | 6点 | 銀座幽霊 大阪圭吉 |
(2019/01/28 00:09登録) 大坂圭吉である。創元の2冊でもこっちのほうが軽量級、という感じだろうか。評者思うんだが、この人、型にハマったホームズ風短編だとどうも堅苦しくなりがちで、「ミステリらしさ」にこだわらずに書いた作品のほうが魅力的だと思う。「銀座幽霊」のベストは評者は「動かぬ鯨群」、次点は表題作。 「動かぬ鯨群」は、「坑鬼」が「社会主義探偵小説」なんて言ってたののプロトタイプみたいなものだろうか。まあ「坑鬼」は「とむらい機関車」でちゃんと扱うけども、プロレタリア文学のテイストをミステリに応用した..という面で、レアな作品で面白いと思うんだが、本作もそういう路線のものだろう。モダニズム、ってのもさ、結構幅が広いものだからね。 だから大坂圭吉って、名探偵を描かせると全然魅力的じゃなくて、ヒーロー性みたいなものがカケラも出ないのだけども、逆に「銀座幽霊」の女給たちとかバーテンに精彩があって、「モダン・ボーイだねえ」という印象を強く受ける。だから「リアルな街の出来事」の雰囲気があって、何か、いい。もちろん「ワザとの仕掛け」で不可能興味が出たのではないのがいいところ。結果的に「街の怪談」といった洒落た話になっている。 まあ、何ていうのかな、この人いわゆるミステリ・ライターの稚気みたいなものが薄い人のように感じる。だから魅力的な謎を設定しても、その謎の「魅力を押し売りするようなハッタリ感」みたいなものが弱くて損しているようにも思うんだよ。 だから「燈台鬼」が今ひとつな出来なのは、仕掛けがワザとらしいのに、ハッタリなほどのロマンがないあたりなのかもしれない。もう少し余裕をもって、膨らませれば.... |
No.466 | 6点 | 眼の壁 松本清張 |
(2019/01/27 23:10登録) 社会派、ということにはなるんだけどね....どっちか言えばスリラーとして上出来、という雰囲気の作品だと思うよ。手形詐欺とか右翼とか、そこらへんのいわゆる「社会派」ネタは単なる「設定」みたいなもののように感じるな。本当はこの主犯の右翼に、アンブラーがディミトリオスに託したような「歴史の闇」が出てれば良かったのかもしれないんだけど、全然そういうわけでもない。まあそこらは「けものみち」あたりを待つべきか。 それでもこういう「社会派」ネタによって、リアリティを醸しているのはもちろん清張の功績だ。しかしそれよりも、グループ犯だし、犯行も行き当たりばったりだし、殺人が全然目的でなくてタダの手段、とこういうあたりに実録風のテイストを与えていることの方が画期的な気もするんだよ。「ありそうで、ない」ような犯罪のあり方、みたいなミステリの範囲を広げるような狙いの上手さみたいなものだろうか。例の有名な死体の始末法だって、即物的なのがいいんだよ。だから意外かもしれないけど、スパイ小説に近い作品なんだと思う。 トータルでは、エンタメとしての達者さは窺われるけどもの、まだ清張じゃない、という印象、かな。 |
No.465 | 6点 | アンタッチャブル エリオット・ネス |
(2019/01/27 22:52登録) 1960年代のポケミスの最後の広告ページには、よくノンフィクション中心でNFに当たるハヤカワ・ライブラリーの広告が載っていて、そのトップが本作で馴染みがあったね。もちろんこれ、アメリカのTVシリーズが大ヒットして、これが日本でも放送されて人気を集めたことによるわけだが、本作はその原作、というかアル・カポネと対決したFBIの捜査官エリオット・ネスの自伝である。だからノンフィクション...ということにはなるのだが、どうやら実際には結構話を盛ってるらしい。 禁酒法下のシカゴは、夜の大統領アル・カポネが築いた帝国に支配されていた。政治家・司法機関さえも買収され、カポネの暴力とカネの力に対抗するものはいないかに見えた。シカゴの財界が作る「秘密六人委員会」は、カポネの税務監査と同時に、酒類取締官だったエリオット・ネスの提言を入れて、少数精鋭のFBI特別捜査官によるアルコール取締を行うことになった。ネスが率いた10人の捜査官は買収不可能で手強い「アンタッチャブル」と呼ばれた。 という話である。小説仕立てなのだが、小説として下手クソなあたりが、逆説的なリアリティを感じる。ネスとその部下たちによる地道なアルコール醸造工場の摘発・閉鎖や、輸送ルートの遮断が中心なので、描かれる捜査は本当に地味である。が、そういう地味さが評者は面白い。ネス自身への襲撃は数回あるが、殉職は1人だけ。意外でしょ。最終的にはカポネを追い詰めたのは脱税の捜査だが、アンタッチャブルの戦いも、カポネの収入を断って大きなダメージを与えたことには違いない。 あと本作というと、デ・パルマの映画があるけどね、これってさ昔のTV人気作品の映画化のハシリみたいな作品...ってイメージだったね。でこういう劇的・感動!とか期待すると原作は全然ダメなんだけどね...評者とかさ原作の地味さの方が何か好ましいよ。 (あとハヤカワ・ライブラリーは「ダイヤモンド密輸作戦」とかやりたいなあ) |
No.464 | 2点 | 三つの道 ロス・マクドナルド |
(2019/01/27 22:19登録) アメリカ人の精神分析好きには閉口するのだが、ケネス・ミラーとしてのラストはフロイディズムずっぽりのサイコスリラーみたいなもの。乗艦の沈没で帰宅した主人公が、妻の他殺体を発見して記憶喪失に陥る...主人公の世話を買って出た元婚約者が、主人公の社会復帰をサポートしてくれるのだが、主人公は妻の殺人の真相解明に固執してそれを調査しようとするのだが、元婚約者は不可解な動きをする... で、言うたら何なんだけど、この主人公、不快な奴だな。身勝手きわまりなくて、元婚約者に同情することしきり。サイコスリラー風味なせいか、文章が悪い意味で文学的。表現をこねくり過ぎていて、やたらと古風に見える...それに輪をかけるのが、井上勇の翻訳である。本当に持って回ったような堅苦しい翻訳になっていて、評者でも中々ページが進まないや。え、なんでこの人なの?と思うような訳者の選択である(せいぜい井上でも、井上一夫くらいにして欲しいよ。妙な訳が多くて評者、困った)。 彼は眠れぬ夜、部屋が闇と静寂が包んだとき、いちばんよくものを考えることができた。真夜中もとっくにすぎて、目をあけたまま横たわり、現在のはしの突端から、後方に伸びる記憶の荒野を測量していた。その一生を説明する動因は、距離の半分以上が地下を流れる川のように、たどるに困難だった。 ...プルーストかいな(苦笑)。なので本作、他の作品と違って本当に出来事が少ない。複雑怪奇に事件が縺れに縺れるロスマクと違って、ろくな事件も起きない。でしかもね「読者をバカにしてんの?」と問い詰めたくなるような真相である。娯楽目的で本作を読むのはホント引き合わない。入手性も悪い作品だけども、読むのはどうしてもロスマクをコンプしたい読者だけで十分である。 |
No.463 | 5点 | 髑髏城 ジョン・ディクスン・カー |
(2019/01/23 20:51登録) 評者本作最初に読んだのはね、世界大ロマン全集だったよ...この創元のシリーズは、創元推理文庫の原型の一つなんだよね。本格は世界推理小説全集の寄与度が高いけども、「怪奇と冒険」はこっちメインである。とはいえ本格でも「月長石」と本作が世界大ロマン出身、ということになるわけでね。本作は改訳したけども、ここらへん1950年代後半の訳なんだから「怪奇と冒険」枠ももう少し改訳すれば...と思うあたりだが、ミステリ以上に名物な訳が多いから文句出そうだね。 本作はそういう出自に違わない内容、といえばその通り。カーでもバンコラン物は、ミステリ風味の怪奇ロマン、という風に割り切って楽しむべきなんだと思うよ。そうしてみれば、髑髏城での晩餐会とか雰囲気絶佳で、いいじゃないか。こういう豪奢でしかし神経質なパーティの雰囲気が、評者は好きだなぁ。映画館でふと居眠りして筋の分からなくなった洋画のパーティシーンを見ているかのような、悪夢的な佳さがある。それにしても雷鳴、鳴りすぎだよ(苦笑)。 パズラーとしてはどうこう言うものでもない。が、本作の狙ったあたりであるはずの 奇(くす)しき禍(まが)うた、歌うローレライ.... といったドイツ・ロマン派の教養主義テイストも、いささか遠くなって来たわけだから、本作のオモムキも今の読者にどれほど伝わるものなのかしら。 ちょっと追記:世界大ロマン全集には評者とてもお世話になったので、少しだけ考察してまとめとしよう。この全集(1956-59)は、創元文庫の原型を作っているのと同時に、ルヴェルなど一部のテキストは戦前の「新青年」に載った翻訳から来ているし、「血と砂」「とらんぷ譚」と戦前の有名映画の原作物が多数収録されるなど、戦前の翻訳小説の文化と、創元文庫のクラシックスとして定着した戦後とを結ぶ重要なシリーズだったと思うのだよ。「新青年」趣味の残照を手軽に味わえる貴重な機会なのである。古本屋だと比較的手に入りやすいものが多いので、古臭い、と敬遠せずに戦前~戦後をつなぐ重要な鎖の輪と思って読んで頂きたい。ミステリ、というのも戦前のモボの多岐にわたる趣味の分野から成長していったものなので、ミステリのクラシックの理解にも大きく役立つと評者は感じる。 |
No.462 | 6点 | 007/ムーンレイカー イアン・フレミング |
(2019/01/19 21:16登録) 初期にしては陰謀が大げさな例外的な作品なんだけど、売れてからのお約束みたいなものが薄くて、丁寧に書かれた印象を受けるのが、いいところ。実際、本作をリライトしたのが「ゴールドフィンガー」なんだろう。「ゴールドフィンガー」はもう「何がウケて、自分は何が書けるか?」をよく分かって「勝ちにいった」作品なんだけども、本作はまだいろいろと「試してみる」感が出ていてこれはこれで新鮮に読める。 実際、終盤までとりあえず「ムーンレイカーの打ち上げの妨害者は誰か?」を軸にプロットが進行するので、ヴィランのドラックス卿の関与だって匂わせる程度。まあ序盤のブリッジ勝負があるから、ドラックス卿が善玉なわけはないのだが、最初っから憎々しいゴールドフィンガーに比べたら、エネルギーと指導力に満ちたカリスマ・リーダーとしてそれなりの説得力のある描写だしね。 だから逆にボンドがまだ若僧っぽい。ムーンレイカーの打ち上げ阻止のために「自分が犠牲になろう」とするあたり、クラシックなイギリス冒険小説みたいで、ボンドらしくない。オマケに、最後にはフられる...アンタ誰だ(苦笑)。 訳者の解説によると「インテリ好みの西洋講談」だそうだ。意外なくらいに若々しい筆で、いいじゃないか。 |
No.461 | 8点 | 新アラビア夜話 ロバート・ルイス・スティーヴンソン |
(2019/01/15 22:50登録) これは面白い!「枠に入らない」話の連鎖的な連作短編を「自殺クラブ」「ラージャのダイヤモンド」で2作を収録。怪奇にも冒険にもミステリにも素直に収まらない「奇譚」と呼ぶのがふさわしい内容である。本作のフロリゼル王子、「裏ホームズ」みたいにも見える時があるし、ある意味黄金期作家たち(とくにカー)にも陰に陽に影響のある作品だろう。ミステリ古典読むなら、本当に本作は一度読んでおくことをオススメする。 カードで殺害者と被害者を決める「自殺クラブ」を主催する会長なんて、ほぼモリアーティ級の大物犯罪者じゃないかな。「自殺クラブ」はこの会長と、ボヘミアのフロリゼル王子が対決する短編が3つ続き、「ラージャのダイヤモンド」はフロリゼル王子は狂言回しくらいだが、インドのラジャが所有していたダイヤの魔力に取り憑かれ、策謀のワナにはまった人々を、最終的に王子が救い出す相互に関連し合った短編が4つ続く。視点をいろいろと変えて「どんな関係が前の話にあるのか?」なんて興味を引いていく手法が斬新。フロリゼル王子は鷹揚で時折賢者のような含蓄のあることを言うのが素敵。それでも、 殿下は長らく国を留守にし、公務を怠ったことから、蒙を啓かれた国民はつい先頃革命を起こし、王子はボヘミアの王座を追われてしまった。現在はルーパート街で煙草屋を営んでおられ、店には他国の亡命者たちもよくやって来る。 ぼぼこれが全体のオチなのだが、「市井の哲学者」というか巷隠というか、そんなトボけたアヂが出てていいなあ。オリジナリティ抜群のニアミスである。 |
No.460 | 6点 | 絞首台の謎 ジョン・ディクスン・カー |
(2019/01/15 22:21登録) 評者本作結構好きなんだ。霧深いロンドンに浮かぶ絞首台の影、地図にない町「ルイネーション(破滅)街」で絞首刑になる男、深夜の街を蛇行する死人に運転されるリムジン...とポエジーに溢れた怪奇を提供してくれているんだもの。イメージの豊かさでは、なかなかのものだと思うんだよ。 だからね、本作は「密室パズラーの巨匠カー」という思い込み(というか読者の期待)を一旦外して、この時期に成立するパズラーを参照点にするんじゃなくて、それこそスティーブンソンの「自殺クラブ」とか、ああいったビザールでロマネスクな冒険譚を参照点にすべきなんだと思うんだよ。というかね、こういうロマンが当初のカーのやりたかったこと、だったわけで、それが日本の凝りに凝ったマニアの期待からズレていてもさ、それをあくまで押しつけるのはどうか?と評者は思うのだ。 まあミステリとしては、ほぼ「隠す気なし?」というくらいの明白な犯人(特定はまあファア)、ショボめの不可能興味の真相と、大したもんじゃないのはその通りなんだけども、ビザールなロマンの味を楽しむ余裕くらい、あってほしいと評者は願うのだよ。 |
No.459 | 7点 | モンマルトルのメグレ ジョルジュ・シムノン |
(2019/01/14 11:36登録) 訳題が「モンマルトル」と付いているので、ボヘミアン画家とかムーラン・ルージュみたいなおのぼり喜ぶショーキャバレーが舞台?と思うとさにあらず。舞台はダンサーが3人しかいないストリップ小屋だというのが、シムノンらしさ全開。ミステリ色の薄い「ストリップ・ティーズ」も併せて読むといいかも。 じゃあどこがシムノンっぽい?というと、被害者になるストリップ嬢は仕事のあと、警官に犯罪計画を立ち聞きした...と密告しに行って、メグレの元まで送られるのだけど、いざ酔いが醒めてみると急に証言が曖昧になって...とグズグズなあたりかな、とも思うのである。小説って意外に目的志向が強いものだから、「勢いで何かしちゃって、腰砕ける」とか書きづらいものなんだけども、こういう「あるある的リアル」が「シムノン、書けてる!」感の原因かな。 でこの嬢、証言翻して帰宅したらその自宅で絞殺されていた....曖昧な証言は裏を取ると、全部でっちあげのようだ。しかし、予告されていた犯罪らしきものは、起こった! というこの展開は、まさに「ミステリとして、うまい」という感じ。なぜストリップ嬢はそんな密告をしようと思ったのか?背後にどんな男がいるのか?というあたりを巡って、メグレの捜査が続く。ご贔屓ロニョン君も活躍するし、メグレが気分転換に外の捜査に出たがるワガママとか、ここらへんのニヤリとなるあたりも鉄板の面白さである。 で終盤、メグレとこの嬢をよく知るストリップ小屋の店主と、改めて嬢の性格などを検討し直すシーンが、なかなか「女が分かってる」感が強く出ててスゴイな、と思わせる。女性を描かせて最強の男性作家なんだろうな。 最後はうまく罠をかけて犯人を釣り出すし、ここらへんパズラーじゃない「警察小説」の良さが体現できている。過不足なく中期メグレの面白さを紹介するんだと、本作が一番ニュートラルにわかりやすい作品かもしれない。 |
No.458 | 6点 | チャーリー・チャンの活躍 E・D・ビガーズ |
(2019/01/14 10:58登録) 評者チャーリー・チャンって読んだことなかった。創元オジサン印の古典なんだが、どうもここに至るまでに高校生の頃の本格愛が尽きたようだった(苦笑)。ビガーズ自体完全な初読である。 で読んでみると、世界一周旅行ツアーの中で起きる殺人、という設定がなかなかナイス。大勢のツアー客を書き分けるのがポイントだけど、これがちゃんとできてる。そうそう「誰だっけ?」にならないので、小説の腕は確か。 としてみればさ、最初のロンドンでの殺人をパズラーとしての導入にして、中盤をフランス~イタリア~横浜のスリラーで繋いで、終盤で真打ちのチャーリー・チャンによるパズラーの解決、とする構成の良さが、こりゃ立派なものだ。後からツアーに参加したチャンと、読者が改めて同じ情報を見ながら推理できるのがフェアでねえ。だから少々犯人特定に無理があるけども評者は許せちゃう。あっちこっちに細かくミスディレクションも振れてるし、地味かもしれないが、なかなか良い作家じゃん、というのが一番の感想である。 けど評者はチャーリー・チャンというキャラはそう好きじゃないな。妙な格言とか、ピジン英語調とかはあまり感心しない。それでもダフ警部の友情に対して、チャンが「侠気」みたいなものを見せるのが、いい。 エンタメとしてはしっかり良心的に出来てるとは思うが、キャラが古くなってる?ということかもしれない。 |
No.457 | 5点 | ウィチャリー家の女 ロス・マクドナルド |
(2019/01/14 10:46登録) さて「ウィチャリー家」。「さむけ」と並ぶツートップ、って誰が言い出したんだっけ?わざわざ本作を評者は終盤に持ってきた理由はねえ、この「ツートップ」にどうも納得しづらいものを感じてたからなんだよ。 まあトリックに無理があるよね、は結城昌治の「暗い落日」が本作の不満から...でほぼ周知のことと思われる。「暗い落日」は無理なく入れ替える工夫をしたわけだからオッケーだけど、元ネタ本作はそれを考えに入れると厳しいと思う。 多分本作の一番ヘンなところは、フィービの失踪からマゴマゴしすぎていることのように感じる。何か別の逃げ方なかったのかい?と問い詰めたくなるような不手際ぶりのように感じるんだね。悪党もケチな連中じゃん。ああいう悲劇を回避する手段がいくらでもあったような気がする....だからさ、本作の「悲劇度」は本作執筆あたりでのロスマクの家庭的な悲劇が強く反映しすぎて、 「命取りになった病気は?」「人生です」 になっちゃった結果のように思うんだよ。そういうロスマクの「鬱」は気の毒には思うけども、小説にしちゃうと不幸自慢にしかならないから、評者はどうもノれない。どうだろう、皆さんこういうの、好きなんだろうか? この時期ロスマク良い作品目白押しなんだから、本作をわざわざツートップとか呼ぶ理由は、評者はわからない。もっといろいろな作品、読もうよ。 |
No.456 | 6点 | 沙漠の古都 国枝史郎 |
(2019/01/11 06:29登録) 何というか、面妖な小説である。本当に行き当たりばったりで、作者に鼻面掴まれて引き回わされるような読書体験を味わった(苦笑)。最初はマドリッドの「民間探偵」レザールが「燐光を放つ怪獣」の出没を調査することろから始まる。「バスカヴィル家の犬」だ。その先輩に当たる探偵ラシイヌとの探偵合戦みたいな趣向があるのだが、怪獣の正体は動物園長の着ぐるみであることが判明する....がそれは、マドリッド市長が「支那新疆の羅布(ロブ)の沙漠」に住む回鶻(ウイグル)人の秘宝を奪ったことに対する、回鶻人の復讐だった! なんて始まるんだよ(苦笑)。これだけで40ページほどで、軽い導入くらいのウェイト。およぞZ級の味わいにあっけに取られるんだが、袁世凱から別な秘宝の手がかりを託された「支那の貴公子」張教仁と、死去した袁世凱の生まれ変わりを自称する秘密結社の主袁更生、謎を知る土耳古美女紅玉といった面々と、冒頭で登場したラシイヌ&レザールの探偵コンビが、三つ巴の秘宝争奪戦を上海で繰り広げ、秘宝のありからしいボルネオの奥地に探検に赴く。スパイ小説風の味わいから、秘境冒険小説に化けてしまう....まあ、何というか、ジャンルが迷子の小説である。 それでも「神州纐纈城」みたいな陰惨さがなくて軽妙で脳天気な展開なのと、国枝一流の流麗な美文から、ついついクセになる面白さはある。小栗虫太郎の西洋伝奇モノってさ、こういう国枝史郎の後継者みたいな感じだったんだね...と思わせる。虫太郎の鋭さとか陰鬱さはなくて、もっと軽くてマンガっぽいが、それでもヴェルヌとかハガードとかドイルの「面白小説のエッセンスを自分なりに再調合してやろうじゃないの」という意欲はよく窺われる。 困惑はするけど、それでも読んでいるうちは少なくとも面白い。だから本当に、困る。けど本作、翻訳小説みたいな名義で書かれたけども、国枝史郎バリバリのオリジナル作。しかも1923年。乱歩がようやく「二銭銅貨」書いた頃なんだよ!欧米風ミステリ創作では、国枝の方がハッキリ先行しているね。 |
No.455 | 7点 | 妖魔の森の家 ジョン・ディクスン・カー |
(2019/01/06 12:00登録) クリスティ、クイーン、ロスマクとやってきたわけだが、じゃあ今年の軸は...というと、困った、カーしかもうないのか。評者あまり得意じゃないんだよ。カーってつまらない作品はトコトンつまらないからねえ。 新春で古本屋めぐりをして、カー3冊仕入れたがどれも本サイトで平均5点以下のもの...まあそういうめぐり合わせかね。申し訳ないが愚痴言いながら書いていくことになりそうだ。 しかし本作は、カーでも一番評判のいい短編集である。定評通りに「妖魔の森の家」はタイトな秀作といった感じのもの。「妖魔」ってゴブリンなんだね。「お手本」と言われるのはその通りの出来。例のロンドン塔の話と似たブラックでシニカルな状況がナイス。要するに本作、ムダがなくて筋肉質なあたりがいい。 で「軽率だった野盗」「ある密室」「赤いカツラの手がかり」もちょっとした不思議状況を手がかりに真相を解明するもので、軽妙な感じがいい。まあカーでフィージビリティ云々するのは無粋だと思うよ。短編だからこその、不思議状況をひっくり返す逆転の切れみたいなもので楽しむべきだと思う。 そうしてみるとねえ「第三の銃弾」は凝りすぎのようにも思う。ただでさえややこしい状況の短い長編を、雑誌掲載のために真相にかかわらない細部を詰めて中編にしたものだから、何かと忙しい。そもそもの最初のプランにあまり説得力がないから、それが更に状況によって複雑化するとしても、危なっかしく土台が揺れてるような印象である。「三つの棺」がそうであるように、複雑なものを視点を変えたらシンプルに説明がつく、というのが本当はミステリで一番の醍醐味のような気がするんだよ。 |
No.454 | 8点 | 日本探偵小説全集(8)久生十蘭集 久生十蘭 |
(2019/01/03 21:46登録) ミステリというのは不祝儀の極みのジャンルなので、「おめでたいミステリ」って語義矛盾なんだけども、顎十郎の1編「丹頂の鶴」はというとね、 そもそも鶴は凡禽凡鳥ならず。一挙に千里の雲を凌いで日の下に鳴き、常に百尺の松梢に住んで世の塵をうけぬ。泥中に潜してしかも瑞々。濁りに染まぬ亀を屈の極といたし、鶴を以て伸の極となす。 「いや、目出度いの」。公方様お手飼いの丹頂鶴の死因を「捕物吟味御前試合」の場で、ライバルの南町奉行所の同心を向こうに回し、見事に目出度いオチを付けてみせるわけだ。まさにお正月に読むべきミステリはこれを外してないでしょうよ。 とまあ新年なので洒落てみせたのだけど、「半七」を別格にすれば、ミステリファンが読むべき捕物帳はやはり「顎十郎」ということになる。創元「日本探偵小説全集」の久生十蘭の巻で顎十郎を全作収録しているのはダテじゃない。トリックもあり、ロジックもあり、意外な犯人、不可能興味のミステリの精髄を、比較的短い紙幅(文庫20ページくらい)で切れ味鋭く繰り出されるのは、これちょっと快感、というのものだよ。 でしかもねえ、小説としての洒落っ気もさることながら、文章が実にリズミカル。江戸情緒溢れる日本語が、名調子に乗って繰り広げられる。まあ半七の江戸のリアリズムには及ばないにせよ、「粋」を愉しむエンタメとして秀逸なシリーズである。ミステリとしては、両国の見世物小屋から鯨が消失する不可能興味の「両国の大鯨」がとくによく出来ていると思うよ。 三編収録されている「平賀源内捕物帳」は顎十郎ほどの楽しさはないが、雪の上の足跡密室、一種のアリバイトリック、江戸・大阪・長崎で同一人物に刺殺される不可能興味など、趣向のハッタリの掛け方のうまさではこっちのが上かもね。 「日本探偵小説全集」の名に違わず、本書は捕物帳でもとくにミステリらしい作品が詰まった作品集になっているからね。もちろん、「湖畔」「ハムレット」は十蘭短編の最高峰みたいなものなので、こっちも読んでないと.... うんだから「捕物帳だから」で敬遠するのは、間違ってるよ(あと評者は城昌幸の「若さま」も捨てがたいな...これは「隅の老人」もかくやのアームチェア・デテクティブをカマす捕物帳なんだよ)。 |
No.453 | 8点 | 東京探偵団 細野不二彦 |
(2019/01/02 16:39登録) 新春乱歩三連発の〆は本作。「乱歩と東京」の主題である「都市論としてのミステリ」をバブル初期の東京を舞台に、「少年探偵団」して実現するという、これほどクレバーな戦略のマンガがあるの?というくらいの名作である。 少年探偵団、というと、父性&分析的理性を象徴する明智先生と、誘惑者であり倒錯者である怪人二十面相との間で、小林少年を巡る恋の鞘当ての物語として読まれるべきなのだが、本作ではもはや超自我である明智は存在し得ない。自立したゲイの少年としての小林少年=ジャッキーが、怪人二十面相=黒男爵との間で繰り広げる機智の闘争=ラブゲームの物語なのである。 なんて固いこと書いちゃったが、正直言ってさ、ゲイの少年をヒーローにした少年向けマンガなんてそもそもあったっけ?(相方も守銭奴の女の子と力仕事担当のマゾヒストで苦笑)。掲載誌がマイナーな「少年ビッグ」だったから知名度は低いけど、当時から細野不二彦の隠れた大名作として有名だった作品である。まあこの人、そもそも結構ミステリタッチは多いね。作者は絶対「乱歩と東京」を読んでると思うよ。 明智先生がいないかわりに、ジャッキーを支えるのは「シティ・ジャッカー・カード」と呼ばれる王道コンツェルンのVIP専用の「魔法の」カードだ。バブル初期の経済的高揚感を反映して、マンガなので奇想天外な「お金の使い方」で事件を解決する。これがなかなか突き抜けていている。ビルをまるまる買い占めるなんて当たり前、たとえそれがサンシャイン60であってもさ。マンガのホラ話感をうまく使えているのが、いい。 新書だと全6巻になるが、後半に秀逸なエピソードが多い印象がある。首都高の渋滞をネタにした「虹が渡る橋」、JR民営化に絡めて環状線の東京からの「脱出」を描いた「MEBIUS EXPRESS」、第一生命館のマッカーサー執務室が舞台の「星条旗の幻」、皇居に潜入して「あの人」と蛍狩りをする「無影燈下の蛍」、「東京タワーとモスラ」を再現してみせる「TOKYO-WAR」など、奇想に満ちた冒険譚を連発している。狭義のミステリ色は薄いが、「都市を巡る冒険ファンタジー」としての完成感は抜群である。けどねえ、このバブル期の風景ももう消えているものが多いわけだ....感慨。 |