柾它希家の人々 |
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作家 | 根本茂男 |
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出版日 | 1975年01月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 6点 | クリスティ再読 | |
(2019/06/04 20:23登録) 竹本健治や皆川博子が称賛したことで、「奇書」の呼び声が高い作品なんだけども、まあそれ以上にマイナーな冥草社で1000部限定で入手難、装丁凝ってて「見るからに呪物感滲み出る本(竹本)」なんて言われたらさ、読んでみたくもなるものだよ。大阪府立図書館にあったから借りて読む。 主人公の女性は子どもたちの家庭教師として柾它希(まさたけ)家を訪れた。旧華族風の広壮な邸宅なのだが、庭も屋敷も荒廃するがままで、そこに住むのは傲慢で荒淫の果に衰えた雰囲気の主人と、それぞれに奇怪な4人の子どもたちだった。子供らしくない丁重さがあるが美男揃いの兄弟たちの中では醜く、しかし悲しく引き込まれるような眼を持つ次男の敦、犬を虐待する長男恭平は突然恐怖の発作によって混迷し、三男洋平は兄と一緒に犬を虐待するが母親の自画像から顔だけを切り取る奇行を見せる。四男悌一はシャツばかり何十枚も重ねて着てあたかもすっぽんのようで、うっかり触った初対面の主人公に噛み付く...と奇怪な子どもたちばかりである。主人はいつ尽きるともわからない長い話を主人公に語って聞かせる。それは主人と権高い妻の杞紗子、杞紗子の劣化コピーのような従兄弟の曽根正示の三角関係の因縁であった... まあだから、ジャンルとしてはゴシック小説で全然問題ない。大枠は「嵐が丘」とか「レベッカ」みたいな話。ただ、主人の語る話に例え話が頻出するのだけども、何をどう喩えているのかよくわからない。 超利己主義者の「さまよえるユダヤ人」エヘエジェルスがキリストの屍を奪おうとして、斧を振り上げた瞬間にいたいけな小児が眼前に出現して立ちすくむ話が、主人と妻と曽根の三角関係に絡めて何度も繰り返され、どうやら突き飛ばされたエヘエジェルスは神の鼻に噛み付いたらしい....なのでこういう譬え話風の観念小説らしさが埴谷雄高の「死霊」に近い味わいなのだが、「死霊」よりもトボけた印象でわざと狙った意味不明さみたいなものを感じる。 「死霊」の重厚さはなくて、結構さらっと読めるし、単行本300ページ位だからそう長いわけでもない。本作が「奇書」だとしたら、「死霊」とか「黒死館」は「大奇書」だと思うよ....「天然」じゃない狙ったようなものを感じるし、熱量値もずいぶん低い。島尾敏雄の「贋学生」にも通じる、妙なニセモノくささを面白がるようなキッチュな韜晦かな?「奇書」と呼んだら過大評価だと思う。 取り柄は呪術的な文章。印象的な形容を何度も同じものに繰り返し繰り返し使い回すのが、口承された語り物のような印象を与える。一文一文が長いけども、構造的に複雑ではなくて、語りの「調子」でつながっているようなものなので、呪文めいたオーラルなニュアンスが強い。また、この人独自の形容詞や漢字使いもあって、文章はなかなか興味深い。 それまでは、死ぬまでもう姿を見ることは出来まいと一抹の悲哀の思いを抱きながら諦めていた杞紗子が、むかしと少しも変わらぬ、それこそ、杞紗子のいまの話ではないが、乳母の眼には幼い頃からずっとそのまま少しも変わっていないと思える、絹のように柔らかにひなひなした黒髪を細そりした頚筋にひなやかに巻きつけて、宝のように包んだ、抜けるように肌白い卵型の品のよい顔に、乳母が何年も空恐ろしい思いをさせられてきた、冷たく濡れた眼をきらきら光らせながら、二階の部屋でこうしてくつろいで、赤子のように滑々としてふっくらと盛りあがった唇が、この数年来というもの... 後略失礼、一文の途中で「。」までまだ半分くらいである。こんな調子だが作者オリジナルのオノマトベめいた「ひなひなした」という形容や、これを使った杞紗子の髪の形容はクリシェのように作中で何度も何度も繰り返されている。このリズムや調子にノレれば、そう読み進めるのはツラいものではないが...オチがついているのかついていないのか、判然としないラストで欲求不満(そのうち「死霊」します) |