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ミステリの祭典

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クリスティ再読さんの登録情報
平均点:6.39点 書評数:1500件

プロフィール| 書評

No.860 8点 警官殺し
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー
(2021/05/19 18:08登録)
マルティン・ベックも最終盤。9作目の本作は、随所に過去作への言及があって、「ロセアンナ」から順にずっと読んできた評者みたいな読者にとっては、ご褒美みたいな作品である。「ロセアンナ」の犯人に再度容疑がかかり、「蒸発した男」の犯人はジャーナリストとして更生して、共通の「人を殺した体験」でコルベリと意気投合、マルメの「サボイホテルの殺人」の舞台のホテルに立ち寄るとウェイターがベックを見知っているし、ベックは「唾棄すべき男」での負傷の結果禁煙、前作「密室」の件で上司マルムにイヤ味を言われる....あれ、意外なことに日本の読者の大多数が読んでる「バルコニー」「笑う警官」「消防車」への言及は見当たらない。このシリーズらしさ、はたぶん日本の読者が思う「らしさ」とはちょっズレていると思うんだ。
で、誰もがツッコむタイトル「警官殺し」。タイトルに偽りあり...なんだけども、考えてみれば本作で「殺される」のは、本作でスエーデン警察の組織体質の変化に絶望して退職の道を選ぶコルベリの「警官の魂」なんだろう。国家警察への統合をきっかけに、警察がより政治的・権威的にかつ暴力的になり、市民に対して抑圧的に出ることが多くなる。それを象徴するのがベックの上司になったマルムの派手な軍事作戦まがいの大捜査網でもあり、その無用で無能な失敗が本作でも繰り返されて、いい加減キレたラーソンはマルムを罵倒する。

社会は結局己に相応しい警察を持つ

コルベリの退職届に書かれたこの警句は、出所した「ロセアンナ」の犯人にかけられた不合理な疑惑によっても、証明されてしまう...事件の解決と引き換えに「警官の魂」は死んでいく。そういう絶望感に満ちた小説。

(いやだからこそ、こういう面が新宿鮫に近いと思うんだよ。ヒッピー的な生き方に共感する自由人の警官、というあたりも共通するし。本作で印象的なオーライの生き方、というのがベックの理想みたいなものを提示する役割があるんだと思うんだ。「ヒッピー警官」w)


No.859 6点 氷舞 新宿鮫VI
大沢在昌
(2021/05/18 14:07登録)
鮫の旦那も後半戦。マルティン・ベックを併読していると、このシリーズ意外にマルティン・ベックの影響強いんだな、なんて思う。10冊区切りとかそうでしょう? で、主人公が警察組織に不信感を持っている「内部批判派」みたいなあたりもそうだしね。ベックの新上司マルムが政治寄りなのをベックは批判的に眺めているわけだが、鮫の旦那の「警察組織内の宿敵」は言うまでもなく公安セクション。で、今回はその公安を事実上の主敵に回しての話。

鮫島の恋人のロックシンガー晶はバンドが売れてきたこともあって、すれ違いも増える。だから気持ちも互いに...となりがちなところで登場するのが本書のヒロインの江見里。鮫島が江見里に恋をする...なんて話もあったりして、晶、どうなる?というのも興味。
のはずなんだけども、いやね、済まない。評者は鮫島と江見里の「直線同士が一瞬の交わる」宿命の恋にあまり萌えないんだ。う~ん、困る。このシリーズ、ヒネった話が多いのだが、今回かなり長いのにストレートな話。脇筋もあまりないし。で、真相がびっくりするようなものか、というとそうでもない。なので、やや期待外れ感が評者はある。ま、公安警察はロクでもない組織、というのは同感なんだが。

なんだけどね...評者の読みどころは、ホント済まない、鮫島×香田である。香田くん、ついにツンデレ化。こっちに萌えます。いやこのシリーズ、腐った視点の方がずっと楽しめると思うんだけどもね。


No.858 6点 暗色コメディ
連城三紀彦
(2021/05/16 18:07登録)
評者異常心理モノは苦手だ。とくにそれがパズラー的な解決がある、となるとね....その理由はやはり、描写の中で何が現実で、何が妄想なのかが、作者のさじ加減で決まってしまう、という部分があるあたりだと思うんだ。
本作はまあ、よく頑張ってるとは思うんだけど、一番不可能興味の強い人間消失でも、解き明かされると爽快に「だまされた!」感がないように思う。いろいろ盛り込みすぎて、ごちゃごちゃし過ぎた印象もあるし。
とはいえ、妻に自分が「死んでいる」妄想をぶつけられて戸惑う夫の話とか、イイな。妻が「死んでいる夫」に、自分のカラダに写経を要求するシーンなど、「暗色コメディ」というタイトルそのままのブラックなおかしみがある。これは加点要因。あそうか、このエピソードがこの作品のベストの「妄想」なこともあって、他のエピソードがこれのバリエーションに見えてしまうのは、ミスディレクションかもしれないが、小説的にはクドくなる原因かもね。


No.857 7点 高い城の男
フィリップ・K・ディック
(2021/05/14 18:56登録)
困った本である。昔読んだときには何がいいのかよくわかなかったんだが、今回再読して、最後にジュリアナが作中小説「イナゴ身重く横たわる」の著者アベンゼンに会って話すあたりで、変なショックを受けていた....
いや、なかなか話にヤマはかからないし、日本人から見たら妙な日本理解がビザールに感じられて、アメリカ人が読んだときのように「オリエンタリズムに上書きされたアメリカ文化」みたいな絶妙の違和感を楽しむ、というわけにもいかないしね...で、緩い関係しかなくて「誰が中心になるのだろう?」と思いながら登場人物たちの群像劇をサラサラと読んでいくと、考えオチみたいなショックが最後に待っている小説なんだ、と分かった。

それが易、というものなんだ。この易と量子力学の多重世界解釈を重ね合わせたあたりで、この小説が成立しているんだろう。世界は観測されることで確率的なものから「実在」に変化する。この観測がすなわち易なのであって、易で占われることで、世界は変容する。つまり、ドイツと日本が第二次世界大戦の勝者になった世界も「一つの可能な世界」であって、いかに奇異な世界であったとしても、それは日々の微細な選択の集積に過ぎない。道徳的な教訓を引き出すなら、それらの「日々の選択において、良かれ」というにすぎないのだ。「イナゴ」が易による不断の選択によって書かれたのと同様に、「イナゴ」を書くにあたってアベンゼンが行った選択をするのならば、「イナゴ」のまた別な世界がたち現れていたに違いない....
我々が暮らすこの世の中というのも、実はそのような「選択」の集積の結果なのであり、それを考えると、空恐ろしいものがある。この「選択」を改めて眺めやって抱くそら恐ろしさと感慨が、この本の最後で現れるショック、なのだと思うのだ。


No.856 6点 魔軍跳梁 赤江瀑アラベスク 2
赤江瀑
(2021/05/09 22:41登録)
創元推理文庫、東雅夫選のアンソロ2巻目である。キーワードは「魔」であり、幻想小説としての味わい、という特性で選んだ、ということである。
確かに同じ編者の学研M文庫「幻妖の匣 赤江瀑名作選」とはカブるのだが、一般に「赤江瀑の名作」とする初期中心のアンソロとは一線を画している。で..評者としては、う~ん?という印象。いやね、考えてみると、どうやら評者は赤江瀑を恐怖小説として読んでいたようにも感じるんだ。

一番わかりやすいのは「春喪祭」だろう。これ怖くないんだよね...牡丹の花の盛りに長谷寺の回廊をさまよう「若いお坊さん達の煩悩が、長い間に宙にまよって、生身をはなれてつくった影」は、魅入られると死ぬ「此の世のモノではないモノ」なのだけど、考えると「ヘン?」となるくらいに舞台背景には馴染んだ顕現をしているにすぎない。怖い、というほどのものでもない..
初期の短編だと、これでもか!というくらいにウンチクを重ねに重ね、張り詰めて陶酔的な美文で綴られた作品だったのだが、この巻に収録の作品はそういう面はあまり表に出ない。饒舌に京ことばで語る語り口の作品が多いから、はんなり、というよりも京都人のイケズな感じがよく出ててそれは面白いのだが、赤江瀑らしい美文、というのとは違う。

あんたたちも、いるならいなさい。でも、見損なわないでちょうだい。わたしにしたって、ここは、人には明け渡せない場所なんだ。いのちを張っている生き場所よ。泣きの涙で、尻尾を巻いて。逃げ出すような玉じゃないから、そのつもりでいてちょうだい

と幽霊ビルでスナックを営むママが、こう怪異に啖呵を切る(「階段下の暗がり」)ような、そういう「語りの勢い」みたいなものの面白さになっているのだと思う。そういう意味だと、赤江瀑も「人間らしく」なったのかも。
で、さらに、晩年の作品が多い、ということもあってか、夭折の美ではなくて、老残の身の上を扱った内容が増えている印象がある。あっさりと「向こう側」に姿を消す潔さではなくて、この世に執着して爪痕を残しておきたいと見苦しくも妄動するさまを描くのが、作品の主題になっている印象も強い。そういうあたりでも、かつての非人間的な鋭さではなくて、より人間臭い興味を中心とするように変化してきた...とは言えるのだろう。

饒舌な語り口で陰子二人の霊に憑りつかれる女性の話「花曝れ首」、叙述に仕掛けがあってミステリ調の「悪魔好き」、小泉八雲の短編がオミットした性の問題を中心に「茶わんの中」を語り直した「八雲が殺した」といったあたりの、中期作品の充実感はやはり捨てがたい。後期はどうだろう、やはり語り口があっさり終わる感があってもどかしいが、それでも「緑青忌」や「隠れ川」が佳作だと思う。

最終3巻は「耽美伝奇系名作集」だそうである。光文社とはまったく別なセレクションだと、評者は面白いけど...営業面を考慮するとどうなるのかしら?


No.855 7点 巴里の憂鬱
シャルル・ボードレール
(2021/05/09 08:29登録)
かなりの部分をポオと共有する詩人の詩集である。「悪の華」はアレクサンドラン詩形による定型詩だから本当に「詩」なんだけども、こっちは一見小説と違わない散文詩である。だったら「巴里の憂鬱」をショートショート集として読んで、いけないのだろうか?

なので、実験(苦笑)。ポオの短編を読むくらいの感覚で本書を読んで...いやイケるのである。洒落たちょっとした「話」がある詩がかなり含まれている。「悪魔派」なボードレールである。幻想、ホラー、犯罪に関わるネタが随所に見られ、いや立派なショートショート集である。
たとえば...

「けしからぬ硝子屋」...運命を見、それを識り、それを試みるために、「悪戯(ミスティフィカシヨン)」をする話。わざわざ六階の部屋に硝子屋を呼びつけて、その帰りに窓から花甕を落としてその硝子屋が背負ったガラスを割る
「妖精の贈物」すべての嬰児のために妖精たちが「才能、器量、幸福な偶然」などなどをプレゼントする場で、ついそれを貰い損ねた子供に与えられた贈り物は?
「悲壮なる死」王に対する陰謀を企んだ一味に参加した、王ご寵愛の道化役者ファウンシールに対して、王が与えた死の罰とは?
「寛大なる賭博者」詩人は魔王サタンと行を共にし、賭博で魂を巻き上げられるが、そのかわりにサタンから貰ったものは?
「紐」画家のマネの話として。マネがモデルに使っていた少年が、画家の叱責で首吊り自殺した。その母は子が自殺に使った釘と紐を画家から貰い受けるが...
「意気な射手」射的場を訪れた夫婦。夫を嘲る妻に「ね、そら、ごらん、あの右の方の、鼻を空にむけた、気位の高そうな顔をした人形ね。さて、そこで、僕はあいつをお前だと考えるよ。」そして彼は眼をつむって引金を引いた。人形の首が発止と飛んだ...

などなどなど。ちょいとイケる話が連続する。さすがはポオの後継者。詩だって、じゅうぶんにミステリだ。


No.854 4点 日本探偵小説全集(7)木々高太郎集
木々高太郎
(2021/05/05 08:06登録)
長編「折蘆」「わが女学生時代の罪」を中心に、短編9本を収録。「探偵小説芸術論争」の一方の当事者であり、「文学派」の総帥として、社会派ミステリの先駆者だった....というと、いかにも凄そうなんだけども、はっきり言うけど、この人作家としては二流である。

いや主張はなかなか正しいし先駆的で、その理屈を小説に生かそうと頑張ってはいるのだけども、人物が理屈から導き出された人形みたいで、「文学」というわりにまったく魅力がないのはどうしたものだろう...でプロットも長編は2作ともゴチャゴチャと混乱した印象が強い。「折蘆」は最終期クイーンみたいな「迷探偵」をしようとしているけども、この東儀四方之助くんに全然魅力がないので、単に愚かにしか見えない....読んでいて困る。
これは評者の問題かもしれないが、精神分析ってエセ科学だと思っている。オハナシの設定くらいにしか思ってないから、そのレベルで読むと「大心池センセ名探偵!」になるかもしれないけども、セオリー通りに「精神分析」されてしまうと、何かシラケるものがあるのは確か。林髞ってパブロフの直弟子で、大脳生理学の専門家で、学問上は精神分析とはあまり関係のない人なんだけど...タレント学者のハシリみたいなものだし「頭脳パン」とか香ばしい話もいろいろ、あったなあ。

というわけで、評者この本だと「柳桜集」の短編2作「緑色の目」「文学少女」以外は、見るものがない、というのが正直な評価である。この2作だけは、小説とミステリがうまく融合してロマンの香りがある。「新月」はアタマでコネて作った、そう悪くはないが褒めるのはどうか?という話を、さらに「月蝕」で言い訳している。言い訳はいつでもカッコ悪い。


No.853 6点 ピエール・リヴィエールの犯罪
ミシェル・フーコー
(2021/05/03 14:10登録)
フランス現代思想が一世を風靡したのはもうずいぶん前になってしまった。ここらの人々で一番「名探偵らしい」思想家を選ぶとしたら、評者は断然、ミシェル・フーコーだ。「狂気の歴史」やら「監獄の誕生」やらで、司法行政と精神医学が絡み合う歴史を読み直した歴史家だから、ミステリとも重なる領域がずいぶんあるには違いない。
本書はフーコーが主催したコレージュ・ド・フランスでのゼミナールの共同研究だ。七月王政期の1835年にノルマンディーの農村で起きた、母と妹・弟を鉈で殺害したピエール・リヴィエールの事件についての、訴訟資料と本人による手記、そしてこの事件をめぐるフーコーをはじめ7つの論評を1冊の本にしてある。だから、本当はこの本は「ミシェル・フーコー編」なのだけども、題材をゼミナールの主題として選択したフーコーが、全体の「編集的な作者」とも見えるから、とりあえず、フーコーの名前で登録はしておこう。
自白もあれば犯行の背景・動機を詳述した手記もあり、また直接の目撃証言もあって、犯人はピエール・リヴィエールであることに紛れはない。ではフーコーが何を「謎」と捉えたのだろうか。それはこの「親を含む家族殺し」が、「狂気」として草創期の精神医学の対象とされて、市民的な陪審裁判の結果「尊属殺人による死刑」が宣告されるのだが、国王による恩赦によって無期懲役に減刑されるプロセスを通じてあらわになる、この司法と医学が「狂気」を扱うその諸相である。
ピエールは人嫌いの変人であり、周囲からは半ば白痴として扱われてきたのだが、犯行後に独力で書いた手記は、詳細な記憶に基づく描写力豊かな記述が見受けられて、独学者とは思えないほどの内容があって、精神鑑定に当たった医師や司法官を驚かせている。逮捕直後は「わざと狂気を装っていた」ことを本人が認めるほどであり、「ピエールの狂気とは?」が本書の大きなテーマになる。
これを「詐病=演技」と捉えるには、事件までのピエールの変人ぶり、好人物の父をトラブルメイカーの母の意地悪から救うための殺人とするその動機、および仲の良かった弟も殺したことを「母殺しによって自分が罰を受けることで、父が悲しまないように、父に憎まれるため」と述べた不可解さなどから、直接に反証されることになる。ではピエールの「何」が「どの部分が」狂気なのだろうか? 正気だったり狂気だったりするのか、あるいは正気/狂気が混在しているのだろうか。そしてこの事件が、「尊属殺人」を「国王に弑逆」に比喩する国家理論と重なり、当時の大事件である国王暗殺未遂事件との関連で大きな社会的問題となっていく....
この様相をフーコー以下の7人の論者が、それぞれの立場から、論考していく。だから構成としてはほぼそのまま「毒入りチョコレート事件」風の推理合戦もののような本である。
いやこれ、ミステリ、でしょう?


No.852 6点 神狩り2 リッパー
山田正紀
(2021/05/02 13:08登録)
言うまでもなく日本SF史上の傑作「神狩り」の続編である。評者は「神狩り」が大好きなこともあって、珍しく新刊で出た単行本を買って読んだよ...夜中2時までかかって読み終えた記憶がある。懐かしい。
そのくらい、ノンストップで読める小説。作者は「カッコいいSFに回帰したい」という思いで書いたそうである。いや、実にシーンシーンがカッコいいのである。オトコ3人が笑って死んでくあたりとか、老残の島津圭介が満を持して登場するあたりとか、

幅一ミリ秒、高さ百ミリボルトほどのパルスが軸索小丘から末端まで電気的に伝播される。それが第一次視覚野に集中されて異常発火(バースト)を作為的に起こす。
バースト! バースト! バースト!
ああ あああぁううぅゥルルルル!

実にロックンロール!な覚醒描写! でこの結果「理亜は『神』をキックした。いわば『神』の後頭部に回し蹴り」を入れちゃうわけだ。

だから「カッコいいシーンを繋いで書いたら、カッコいい小説になるか?」というのが最大の問題。いやさすがにそれ、無理でしょう。いろいろ風呂敷は広がるんだけど、話がダイナミックに動いていく面白さが、ないんだなあ...「神」に恨みが数々ある「神狩り」の島津圭介のカタキを娘の理亜が討ち果たす...んだが、意外に感慨とか感動とか、ない。ふつうにオチがついているくらい。
残念。でもサクッと読めて、読んでるうちはほんとにカッコイイ。アニメの「機神兵団」で真空管が吹っ飛ぶバンク、カッコよかったな~ なんかそんなことを思い出す。


No.851 9点 密室
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー
(2021/05/01 15:43登録)
極めて底意地の悪い小説である。こんなエピソードに出くわすとは思ってもいなかった...だから、マルティン・ベックの代表作ではありえないが、最高傑作には評者は認定したい。
考えてみればこのシリーズ、警察小説とは言いながら、ベックをはじめ登場する刑事たちがヒーロー像からは逸脱気味で、「警官をヒーローとする小説」とするとどうも収まりが悪いシリーズなんだが、本作は悪ふざけ的なアイロニーが充溢していて、せっかく復帰のベックもとんだ役回りになる。タイトルからして「密室」で、ちゃんと「密室」で殺害された被害者がいて、それなりの密室トリックがあり、ベックがそのトリックを暴くのだが....いやそれがまったく何の実も結ばない。別に密室トリックはフザけたようなトリックではなくて、「マルティン・ベックらしいリアルで手堅い」もので複合技として一応オリジナリティを認めてもいいんじゃないかと思う。でもある意味「つまらないトリック」。だからパズラーマニアが喜ぶか、というとそういうものでもないだろう。
「密室トリック」が一応ちゃんとしたものではあるからこそ、「密室」を比喩として使うこの作品の狙いが、際立つともいえるだろう。だから、「密室を出たら、そこもまた密室だった」というような、言い換えると福祉社会を築き上げて公正で民主的な国家を作った...と一応の成功モデルとして捉えられがちなスエーデン社会が、まさにその成功によって疎外される人々を生み、軽薄で躁病的な「ブルトーザー」オルソン検事やら、権力志向の上司マルム警視長やらが、権力の座を握りしめる。どこかしら今のニッポンを思わせるような「成功ゆえの失敗」を絵に書いたような皮肉な状況が、この作品のテーマそのものだともいえる。
この「密室」の合わせ鏡の中に、ベックは囚われてしまう。とんだお笑い種である。
前作「唾棄すべき男」がこの矛盾した社会に押しつぶされた男の、キマジメな悲劇の話だったとすれば、今回はそれを顔をしかめながら笑い飛ばすような話である。
だからこそ、すばらしい。


No.850 6点 鍵孔のない扉
鮎川哲也
(2021/04/29 07:58登録)
評者は30年くらい前に一度きり読んだだけと思う...初期作は何度も読んでたりして、トリックが頭に残っているが、本作は内容完全に忘れていた。けどね、意外に定石どおりだから、トリックは両方推理完璧。としてみると、逆に評者は評価がしづらくなる....
パズラーの場合、「さっさと真相の推測がついた作品」=「易しいからバツ」という評価をするのは、評者はどうかと思うんだ。フェアだから「解ける」は想定内のわけだからね。もう少し別な視点がないものか、という風にはいつも感じている。

そう思うのは、おそらく本作に時刻表が一枚も入っていないからなのかもしれない。もちろん、蔵王温泉から軽井沢、と旅情はあるから「鮎哲アリバイ崩し マイナス 時刻表」な作品、という見方ができるだろう。そうしてみると、やはり鮎川哲也の「時刻表」というものが、「作品のアンカー」として働いていたようにも感じるんだ。
いや「時刻表アリバイトリックは辛気クサいだけ」とか「時代が変わっていてもう時刻表トリックが成立する余地はない」というご意見はごもっとも。評者も老眼が進んで、時刻表をツラツラ眺めるのがツライ(苦笑)。いくら鮎哲でも時刻表が載ってるからって、時刻表ベースのトリックではない、ということだってよくある。
でも、やはり作品の重心とかリアリティの根源とか、そういう役割を時刻表が果たしているのでは、と思うんだ。どうだろうか。

というわけで、皆さまの高評価にあえて逆らいたい。
鮎哲アリバイ物には時刻表が、それでも欲しい。


No.849 7点 ニューロマンサー
ウィリアム・ギブスン
(2021/04/27 22:01登録)
ハードボイルドというは、何より文体だと、評者は思う。サイバーパンクというSFの流行を作った本作だけど、当サイトだからこそ、ハードボイルドの新しい展開みたいに捉えてみるのも一興。
実際、本作のプロットは悪党パーカーみたいなケイパー物であり、それ以上でも、それ以下でもない。また、サイバースペースやらカウボーイやらサイバーパンク特有のガジェットだって、インターネットの元になったARPAネットをベースに空想されたものと解釈可能でもあって、これらを執筆時点でさえも「誇張された現実」と見るのもいいかもしれない。さらに言えば、もちろん本作の「未来予測」はかなりのところ当たっていたわけだから、「今」で考えればまさに「SFではなくて現実」である。
いや言いたいのは、ハードボイルドとは「男の感傷のダダ漏れるナニワブシ」ではなくて、「現実の捉え方」だ、ということ。そうしてみると、本作は確かに「現実の見え方」を変えて見せたのだろう。そして「リアル」と「ヴァーチャルなリアル」の区別が付きづらくなった「今」、まさにそれに直面して「リアル」の捉え方を「フリップ」してみせた本作の意義、というのをSFに限定する必要はない。

港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。
「別に用(や)ってるわけじゃないんだけど―」
と誰かが言うのを聞きながら、ケイスは人込みを押し分けて《チャット》のドアにはいりこんだ。
「―おれの体がドラッグ大欠乏症になったみたいなんだ」
《スプロール》調の声、《スプロール》調の冗談だ。

まあだから、固有名詞やジャーゴンが説明後回しで飛び交う、読みづらい小説であることは確か...でもこの読みづらさを「(新しい)SFっぽさ」と捉えるべきだし、「新しい現実」に急に放り込まれた感覚が作品のテーマそのものなのだとも思う。


No.848 7点 モッブー死神ー
池上遼一、滝沢解
(2021/04/25 10:17登録)
池上遼一というと、付く原作者が誰であったとしても、ジャンルはハードアクションに違いないし、ヘンに衒った超人思想とそれを絵として説得できる美麗な画力...なので、一応本サイトでも作品によっては「ミステリ」枠で捉えていいんじゃないかと思ってます。というわけで本作。1981年に創刊したてのビッグコミックスピリッツに連載。これの後継連載がヒット作の「傷追い人」なんだけど、打ち切り臭くて小学館から単行本が出ずに、初出版はスタジオ・シップから(1984)。「怪作」の誉れ高き漆黒のノワール。
いや本作というね、第一部「青春は錆びているか」で展開するヤクザ皆殺し襲撃事件に突っ走り自殺的な最後を遂げる早瀬新八の話、第二部「水晶の野獣」でその弟銀八が乗り込んだ「暴力というバス」を支配する美少年ガスマンの話、そして謎解かれる第一部の兄の死の真相が、本当に辻褄が合っていない。「整合性皆無」と評されるのがふつうなのだから、「謎解き」に拘泥する読者は「はあ!?」というものなんだろうけども、評者なんかは、この整合性を無視して、アチラの方向へジャンプして果てている姿が、実に「奇書」という感じで肯定的に捉えたいと思うのだ。いや、そうしたくなるくらいに、本書のデテールは奇怪にして美麗な奇観の連続、めくるめくジェットコースターのようなオージーを見ているかのよう。

・端午の節句のお祝いの品を身につけて帰ってきた幼稚園児が、その母を騙して凌辱する新八の背の「鯉の滝登り」の刺青を凝視する
・この幼稚園児が新八に一矢報いたあとに、新八が襲撃の一斉射撃で散る死にざま
・視界すべてを強烈に歪ませるゴーグルを常に装着、コンピュータに打ち込んだ哲学者・思想家・文学者のアフォリズムだけをガイドにして、5人のボンテージの「軍隊」を引き連れ、夜の街に無意味な暴力衝動を発散する「地獄の美少年」ガスマン。

なので、シーンシーンのノワールとしての「強烈さ」は類をみないほど。それが池上遼一の絶頂期の流麗な絵で描かれている....デタラメと言わばアナーキー、キッチュと言わば幻怪。奇書好みがある場合に限っての、おすすめのマンガ。

おたくはんら大人(オジン)とちがって 短いんだ青春は!!

とこれが捨て台詞。80年代初頭で辛うじて花開けた暗黒の青春。「整合性皆無」を肯定的に表現すると「刹那的な魅力を湛えた」になるらしい。確かに、当たってる。


No.847 6点 八兵衛捕物帖
比留間英一
(2021/04/24 10:57登録)
「八兵衛捕物帖」といっても、時代劇では、ない。半七・佐七・伝七とか岡っ引きには「七」の字が似合うが、それを上回る「八」はリアルの昭和の警視庁捜査一課の名物刑事である。

人並由真さんの三好徹「ふたりの真犯人 三億円事件の謎」のご書評の中で、昭和の名物刑事平塚八兵衛氏に触れられているのを読んで、ついつい懐かしくなって探したら図書館にありました。著者は毎日新聞の社会部記者で、三億円事件の時効が迫る1975年の夏に毎日新聞夕刊の連載読物として掲載されて、本になったもの。いや中学1年生の評者、すっかり新聞を読むのも習慣づいて、この連載を愛読してたんだ。なので、本当に懐かしい本。
なので、内容は八兵衛氏全面協力の「生きた戦後事件史」。八兵衛氏を読み物仕立てで主人公にして、誘拐事件でもトップクラスの知名度を誇る「吉展ちゃん事件」、松本清張「黒い福音」で有名な「スチュワーデス殺人事件」、三億円事件など、八兵衛氏が活躍した著名事件に大きくページが割かれるほか、知名度は低いが「面白い」事件の話もある。あるいは「小平事件」「帝銀事件」「下山事件」など終戦直後でまだルーキーだったころに実際の現場を見て捜査にかかわった有名事件を「あのときはこうだった」と1章に。
八兵衛氏というと「落としの八兵衛」と異名をとった、取り調べ名人だからその取り調べのさまがとくに「吉展ちゃん事件」でうかがわれる。供述のウラを綿密に取って、その矛盾を丹念に突くことで、容疑者を心理的に追い詰めるプロセスが興味深い。けど外国人神父が容疑者だった「スチュワーデス殺人事件」はそれが通用しなったみたいだなあ...
まあ、本当は八兵衛氏の取り調べは強引なこともあって、たとえば「大森勧銀事件」のように裁判でひっくり返ることもあるし、帝銀事件の平沢死刑囚の犯人説を主唱したのが八兵衛氏だったようだし...と功罪がやはりある刑事である。
で、時効が迫る三億円事件にもう一度注意を喚起するために、あえて八兵衛氏は定年退職を選んで、メディア露出をしていたのも思い出されて、懐かしい。「昭和」に浸れる本だから、「捕物帖」なのがある意味正鵠を得てる、かも(苦笑)。

平塚八兵衛氏を扱ったノンフィクションとしては、他に佐々木嘉信「刑事一代 - 平塚八兵衛の昭和事件史」がある。そっちも読んでみようかしら。


No.846 7点 唾棄すべき男
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー
(2021/04/23 19:34登録)
シリーズ中で一番シンプルな話なのではないのだろうか。
「やつは最低の種類の警官、権威を笠にきた、無頼漢も同然の男だ」とコルベリが酷評するニーマン主任警部が、入院中の病院で惨殺された。いやそれなりに優秀な警官ではあるのだが、権威的に他人に振る舞うマチズムの権化であり、治安維持にかこつけてサディスティックに暴力をふるう制服警官である。1950年代末にスウェーデン警察にも民主化の波が訪れて、軍隊調の組織運営が廃されたことでこのニーマンは出世の糸口を喪ったのだが、それでもしぶとく警察内に勢力を養っていた男だ。
だから市民とのトラブルも多く、ニーマンを恨む人は多い。しかし、捜査の中で明らかになるのは、よき夫であり、古風で父権的ではあるがよき父である普通の市民としての肖像である。しかし、ニーマンは私的には一切同僚とは交際せず「警察官にはおいそれと友人はできないものだ」と口癖のようにいって「警官の孤独」を漏らす。
これを聞き出したベックも、わが身に引き比べて耳が痛い。ベック自身の孤独と、ニーマンの孤独、そしてニーマンに人生を狂わされて復讐に走った犯人の孤独...これらが重なり合って、クライマックスの派手な銃撃戦のさなか、ベックはある「愚かな」行為をすることになる。ベック自身も犯人の復讐リストに載っていたのである。
というわけで、一気に派手な結末まで走り抜ける。ベックの良心も、世の暴力の中では役に立たないとするのなら、やるせない孤独と、暴力に満ちた、なんとも救いがない話になる。
(ちなみに準レギュラーの一人が殉職する。合掌)


No.845 8点 カブト虫殺人事件
S・S・ヴァン・ダイン
(2021/04/22 17:32登録)
今更ヴァン・ダインというのも、やはり「どう読むか?」という問題になってきていると思うのだ。いやね、「グリーン家」「僧正」「カブト虫」「ケンネル」というあたりは、戦前の日本でもリアルタイムで熱狂的に歓迎され、模倣者続出だったことは言うまでもない。というか、ニッポンの(評者に言わせればかなり偏った)ミステリ受容の中には、ヴァン・ダイン自身のルサンチマンを背景に作り上げた「理論」も作品同様に影を落としている、という風にもみるべきなんだろう。
でその模倣者であり、かつヴァン・ダインを完璧に超えて見せた作家が小栗虫太郎だ。「黒死館殺人事件」自体が、ここらへんのヴァン・ダイン作品のリミックスだと言っていい部分があるんだけども、あの「黒死館」の主要な「タッチ」がどうも本作みたいな気がする。法水の語調やらちょっとしたタイミングが、どうも本作のヴァンスの振る舞いに強く既視感を憶えたりするんである...
いや実は「カブト虫」はかなりキッチュな作品なんだ。1922年のツタンカーメンの王墓の発掘、25年には石棺からミイラと黄金のマスクが取り出され..と1920年代の話題をさらい続けたのが、このエジプト趣味だそうだ。もちろんこれには、都市伝説としての「ファラオの呪い」のオマケもついていて、ヴァン・ダインもこのエジプトの神秘と怪異に便乗しようと書かれた作品であることは、まあ間違いない。しかし、ヴァン・ダイン特有のペダントリがなかなか頑張っていて、「エジプトの神秘と怪異」の小説になっているあたり、キッチュなんだがそれでも雰囲気が独特な作品と言ってもいいだろう。

そしてこのヴァン・ダイン、いわゆる「小説」は下手というか、突き放したような会話劇なこともあって、本作あたりは「探偵の所作事」のようにも見えることがある。

「君の最初の手がかりについての読みは、まさに犯人の思う壺にはまったものだった」
マーカムは、ヴァンスを、鋭く見守っていた。
「君には、犯人の計画がどんなものか、考えがあるんだね」マーカムのことばは、質問というよりも事実の断定に近かった。
「うん、そりゃ、そうさ」ヴァンスはたちまち超然とした態度にかわった。「考え?そりゃある。しかし、目もくるめくほどの啓示と呼びうるようなものではない。僕は陰謀があることはすぐ疑った。」

こんな具合のシーンを、役者が「型」をつなげて「見得を切る」ように「演じている」さまを脳裏に描くだに、具体的な「謎」は単なる媒介であってその実、「陰謀」に対峙してその周囲で舞う夢幻能のようなヴァンスの一挙手一頭足に奪われるような体験をした...
ヴァン・ダインでも、こんな印象を受ける作品は少ない。せいぜい「僧正」と本作だけじゃないのだろうか。こんな読み方は評者だけかもしれないけども、虫太郎を通じて魔法にかかっちゃったかな。


No.844 7点 宇宙戦争
ハーバート・ジョージ・ウェルズ
(2021/04/19 23:19登録)
SF大古典だけど、予断をなくして読むと、これは「戦争」の小説のように思われる。
突然の脅威と、それにパニックを起こして逃げ出す人々。軍隊は時折一矢報いるように見えるが、初めて目にする兵器に手も足も出ず、圧倒的な戦力差に蹂躙される都市....
いや、この小説を読んでいて、脳裏に浮かんだのは、なによりもゴジラ第1作だった。あの映画も、遅ればせながらの「戦争」の映画であり、ゴジラの猛威という「架空」によって、あらためて戦災の理不尽を噛みしめなおした映画のように感じられる。しかしこの「宇宙戦争」とはベクトルが真逆なのが、面白い。「宇宙戦争」は普仏戦争以降50年近くヨーロッパに平和が続いたそのただ中で、来るべき第一次世界大戦を幻視していたようにも感じられるのだ。毒ガスと戦車、飛行機、ロケット弾による戦争が作家の空想の中から、現実化していった...と思うと、実にこれが「SFならざるSF」のようにも思えて、文明評論家ウェルズの面目躍如のようにも感じられる。
そういう、戦争と難民の小説である。


No.843 7点 黒い白鳥
鮎川哲也
(2021/04/18 23:48登録)
中学生の頃に読んだときには、「なんて重厚な...」というイメージだったのだけど、今読むと全然そんなこと、ないな。けど、本当にトリックよく憶えてる。長岡側は内容忘れてたけど、すぐにピンときちゃうのは、やはり無意識で憶えていたのかなあ....
なんてのは「嘆き」になるんだろうか。「鉄道にしっぺがえしされる」風のオチがナイスなのはいうまでもないが。

なので今回は、とくに「世相」が目に付く。事件自体が下山事件を思わせるものだし、近江絹糸争議やら璽光尊やら終戦直後の混乱期のネタなので、この本の出版が「所得倍増」の1960年というのが、評者はちょっと不思議に感じる。もちろん鮎哲は「社会派」じゃないんだけども、執筆時点で10年くらい前の話をモデルに書いていることになる。だからこういうナマな事件を扱っても、フィルターかかったような、ファンタジックな印象を受けるのかな。
だからこんな緻密なトリックの小説でも、「重厚」ではなくて「ファンタジックな軽さ」みたいなものが出るのが、鮎川哲也、なんだろう。やはり「ペトロフ」「黒いトランク」のタッチは「スペシャル」で、本作あたりから「鮎川哲也」が確立したと見るべきなんだろう。

(ネタばれ)
でも鳴海くん後味悪いから殺さないでおくれよ。それにしても、被害者の社長ゲスだなあ...

そういえば本作だと堅物の鬼貫が飛田を訪問するのが「らしく」なくて面白い。まだ遊郭営業している時代。


No.842 7点 殺しの一品料理(ア・ラ・カルト)
アンソロジー(国内編集者)
(2021/04/18 23:18登録)
いわゆる推理小説年鑑の1973年度。昔は「推理小説年鑑」、最近は「ザ・ベストミステリーズ」で、「ミステリー傑作選」とか「推理小説代表作選集」とか銘打たれて、日本推理小説作家協会編で、講談社で刊行される年度別短編選集。名前が何度も変わってるし、文庫になるときに年ごとにキャッチーなタイトルが付くから、こういうサイトだと、分かりづらい。「日本推理小説作家協会編」で判別するしかないかな。けど、作品は当然粒ぞろい。一応全作短評しよう。

小松左京「待つ女」
人間消失だけど、奇譚風の話。「おクラさま」と古風なのを揶揄される女性の暮らしぶりが、「昔の庶民の生活」を体現していて、評者なんぞはすごく懐かしさを感じる。好き。
山村正夫「気になる投書」
人生相談を巡るアイロニカルな仕掛け話。ふつう。
三好徹「不確かな証人」
意外にリアルなトリックあり。ふつう。
海渡英祐「酔っぱらった死体」
吉田茂はゲスい。まあそれがウリのシリーズだけど。ふつう。
陳舜臣「宝蘭と二人の男」
神戸の中国人専用の娼婦宝蘭の数奇な人生と、彼女を巡り殺し合った二人の男の話。庶民の歴史、といったあたりの面白さに惹かれる。
夏樹静子「暗い玄界灘に」
婚約者がヘルニア手術中に急死した真相の話。雰囲気がいい。
戸板康二「明治村の時計」
中村雅楽ではない単発の、アララギ派歌人と無頼派詩人の因縁の話。いやこんなのフィクションでやるのかな?
都筑道夫「九段の母」
タイトルは戦時歌謡だけど、戦前の靖国神社の例大祭の縁日では見世物小屋や香具師がわんさかと...という猥雑な市井の「噺」という印象の作品。雰囲気が面白い。「なめくじ長屋」の昭和版?かしら。
松本清張「理外の理」
時代遅れの考証家が雑誌ラインナップから外されたことを復讐する話。書痴な話で、そこらへんに妙な味がある。
鮎川哲也「竜王氏の不吉な旅」
三番館でアリバイ崩し話。鬼貫物風の話で、不吉な名前の地名を回る旅行がアリバイ(死の島=篠島はw)。だけど、安楽椅子探偵のバーテンだから、どうも名探偵過ぎて、逆につまらない。
佐野洋「猿の証言」
ふつう。
土屋隆夫「泥の文学碑」
「盲目の鴉」の冒頭部分で事件が少しだけ違う。確かに「盲目の鴉」でこの部分、浮いてるもんね。「盲目の鴉」読んでると、モヤモヤする。
森村誠一「殺意の造型」
美容室でよろけた客がヒゲ剃り中の美容師を突き飛ばし、客は喉を切り裂かれて...単純な事故と思われた事件に、刑事は疑いを持つ。当時全盛期でベストセラー連発していた森村誠一。この頃まだかなりパズラー寄りでそれを社会派とミックスした作風....評者今まで1作もやってないけど、実は大の苦手。文章が嫌いだから、たぶん取り上げないんじゃないかと思う。けど、この作品、妙にバカミスな味があって、実に面白い。この本のベスト。
戸川昌子「裂けた鱗」。
パリにロケに出たTVクルーの一行は、独裁的なディレクターの独断で、「足の裏を切り裂く」ことで恍惚となる女をヒロインに据えた、「パリで蒸発する女」のセミドキュメンタリーな話を取ることになる....猟奇性高し。ナイス。

いやこの頃、社会派全盛末期くらいだけど、「ジャンル感が薄い」何が飛び出てくるか予測がつかないような面白さがある。レギュラー探偵もヒーロー性が薄い吉田警部補と三番館のバーテンだけだし、「ポストモダン」にならない「モダン」というあたりでは、一番典型的な時期のようにも思う。だって土屋隆夫だって戸板康二だって、古典的なパズラーとは言い難い作品を収録だし...意外に三好徹・夏樹静子がパズラー寄りかなあ。


No.841 6点 事件の核心
グレアム・グリーン
(2021/04/18 22:06登録)
グリーンでも純文学側。
第二次大戦中、アフリカの英国植民地で警察の副署長が主人公で、妻がいる。本人は職に満足しているが、その妻は熱帯の気候に嫌気がさして、気候のいい南アフリカに脱出したがっている。しかし資金的な問題でかなわない。本国から来た男ウィルスンは、主人公の妻に一目ぼれするが、どうやらこの男は情報部の仕事で植民地に来ているようだ...ウィルスンは仕事と恋と両方から、主人公を敵視する。主人公はシリア人商人のユーセフの便宜を結果として図ってしまったことから、ユーセフからの借金で妻を南アフリカに旅立たせる....近海で潜水艦に襲われて難破した客船の脱出ボートが救出される。そのボートで救出された若妻ヘレンは夫を亡くしており、憐れんだ主人公と密通することになる。南アフリカに向かった妻は引きかえし、弱みを掴んだユーセフの主人公への要求はエスカレートしていく。
こんな話。悲劇に終わるが、この「人を憐れむ警察官」の主人公を巡って、カトリックの信仰が問われる作品。まあ、本来のこの作品のテーマ、狙いについては、訳者伊藤整の解説が、コンパクトにまとまっていて、

人間がその愛において純粋になり、神と等質化することは、人間の破滅であり、破滅の実践としての自殺、即ち神の救いの否定という最大の罪を犯すことにしか、その人間の救いがあり得ないことになる

としているわけだけど....いやさ、21世紀の極東の異教徒のジャップとしてはさ、こういう「読み」だと、本当に読む意味がなくなるんだよ。なのでここでは、ちょっと頑張って、そうじゃない読みをしてみるべきなんだと評者は思うんだ。
というわけで、あえてこの作品を「警察小説」と読んでみようと思うんだ。主人公は警官・副署長だからね、こう読んでいけないかい? 警察官というのは言うまでもなく「秩序を維持」するための公務員である。主人公は賄賂を貰ってダイヤ密輸の方棒を担がされる、あるいは妻の不在の中で、保護対象の縁がある女性と密通するなど、「悪徳警官」みたいなことになってしまうわけだが、実際そういうハメに陥った理由というのは、主人公が周囲の人を「憐れんだ」ためなあたりがオリジナルな面白さ。
共感によって抜き差しならぬ状況に追い込まれたのだから、実際主人公は周囲からは人間的な敬意を払われる、「まともなイイ人間」なのが、根底にある。しかし、共感が強いことは、「弱い」ことでもある。警察官が犯人にいちいち同情していたら、職務の執行は、難しい。だからこの主人公は、「ありえない警察官」として、寓話劇の主人公となる。実際、主人公の「憐れみ」は何の役にも立たないし、その「友情」につけこむ商人ユーソフに操られて、忠実な召使が死ぬことにもなる。だからディックの「電気羊」とちょっとテイストが近い話だとも思う。
この「ありえない」状況の中で、逆に主人公は「死ぬ」ことで自身の矛盾の決着をつける。その姿が、どこかしらイエスの処刑につながってみえるのが、作者のダブルイメージなのだけど、それはカトリックの大罪である「自殺」の形をとるしかないものになるから、その死自体も「矛盾」したままなのだ。
というわけで、これは「義なる人」としての、理想的な警察官の話なのだ。

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