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ミステリの祭典

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人魚の眠る家

作家 東野圭吾
出版日2015年11月
平均点6.88点
書評数8人

No.8 7点 take5
(2024/04/06 21:31登録)
脳死を巡る家族の物語
子供を持つ身に滲みる
内面の葛藤は共感必至
500頁以上一気読み
東野=リーダビリティ
生死の線引は人知の外
と考えさせられました
包丁を振り回し問う件
やり過ぎだけど必須?
最後の伏線回収も同樣
テーマを鑑みてもっと
静かに終わるも良し!

No.7 5点 いいちこ
(2021/09/16 10:40登録)
本作の主題は今日的であり、その課題認識の鋭さ・妥当性は認める。
ただ、他の作品にも強く見られる傾向であるが、読者に平易に伝えようと意識しすぎて、ストーリー、登場人物の造形・言動等を極端に紋切型に、ステレオタイプに描いている。
それが違和感となって読者の共感を削ぎ、作品の格調を毀損している点は減点せざるを得ない

No.6 7点 sophia
(2021/06/16 00:04登録)
脳死と植物状態の違いも分かっていなかった私ですのでこの作品は大いに勉強になりました。目次の各章サブタイトルで物語の大まかな流れが分かってしまうにも関わらず、続きが気になって一気に読まされるのはこの作者の力だと思います。ただし、中盤の募金活動のくだりはサプライズを狙い過ぎたあまり本編から浮いてしまった気がします。あれがないと大方の予想通りの起承転結になってしまうので、アクセントの意味でも入れたくなる気持ちは分かるのですが、あの一途な人物がああいう回りくどいことをするのにはやはり違和感がありました。

No.5 7点 メルカトル
(2018/12/23 22:24登録)
「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲報が届く。娘がプールで溺れた―。病院で彼等を待っていたのは、“おそらく脳死”という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。
『BOOK』データベースより。

生きているのか、死んでいるのか。
これは脳死と臓器移植という大変重いテーマに、真っ向から挑んだ問題作です。しかし読者に色々考えさせながらも、決して暗くなり過ぎずエンターテインメントとしても機能している、稀有な作品と言えると思います。得てして難解になりがちな内容を明確に作者の意図を提示しながらも、植物状態として生かすのか、脳死判定をおこない臓器提供をするのかとの命題を、読者に投げかけています。

6歳の少女がプールでの事故で脳死状態だと判断された時、また両親が脳死判定を拒否し延命措置をし続けていることに対し、家族や親族がそれぞれの立場から様々な心情を抱え、苦悩する姿は読み応え十分です。
そんな中一人狂気に走る母親の薫子には、極端ではありますが、子供に対する愛情が見て取れます。しかし、やはり彼女に対しての違和感は拭いきれません。ですから、そこまでするのかという恐ろしさをどうしても禁じ得ませんね。決して他人事ではないのでしょうが、読んでいて若干の息苦しさを覚えずにはいられません。
第四章での募金活動には大いに疑問を感じる部分があったりもしましたが、エピローグは気の効いたエンディングで、後味の良い締め方だったと思います。この辺り如何にも東野らしい味が出ていて好感が持てますね。

No.4 10点 Tetchy
(2018/10/28 20:41登録)
実に、実に解釈の難しい物語だ。人の生死について読者それぞれに厳しく問いかけるような内容だ。

物語の中心であるこの播磨夫妻のパートを読めば、本書は脳死と云う不完全死に挑む夫婦の物語として読める。そして別居中の夫が脳と機械を信号によって繋ぐことで人間の、障害者の生活を改善する技術を開発している会社の社長とであることから、最先端の技術を駆使して脳死状態の人間を徐々に健常者へ近づけるよう努力をするのだ。これを本書の第一の視点としよう。

しかし上に書いたように本書はそんなたゆまぬ夫婦の努力を描きながら、どこか歪な雰囲気が全体に纏われている。
それは瑞穂の母親である播磨薫子の造形だ。通訳の仕事をしているだけあって彼女は通常の主婦以上に理知的だが、一方で頑として譲れないところがある女性だ。自身そんな自分を陰険だと評している。
一方で彼女は娘の回復を願うあまりに自分が魅力的であることを自覚しながらそれを最大限活用してとことん他者を利用し尽くす、一つの目的に対して貪欲なまでの執念を持った女性であることが見えてくる。

この播磨夫妻が物云えぬ人形のような瑞穂を機械の力で動かすところを見て戦慄を覚え、神への冒瀆だとまで云う人々もまた現れる。これが本書の第二の視点だ。

さらに先天性の病気で臓器移植を待つ幼い娘を持つ家庭のことも描かれる。これが第三の視点だ。もし脳死判定によって死亡が確定し、ドナーが現れれば助かったかもしれない命。それを待つ側の夫婦の話が描かれる。

このように植物人間となった少女1人を通じて物語はそれぞれの取り巻く状況を深く抉るように描かれる。

脳死判定で脳死と判定されれば患者は死んだとみなされ臓器移植が成される。しかし一方で心臓は生きているため、完全死ではない。そこにこの法律のジレンマがあるが、その基準となる竹内基準を人の死を定義づけるものではなく、臓器提供に踏み切れるかどうかを見極める境界を決めたものだという解釈だ。
ポイント・オブ・ノー・リターン。つまりそこに至れば今後脳が蘇生する可能性はゼロである。つまり正式には「回復不能」、「臨終待機状態」と称するのが相応しいが、役人たちは「死」にこだわったため、脳死という言葉が出来たようだ。
この話は私の中でようやく脳死判定に対する解釈が腑に落ちた感がした。心臓が生きているから死んでないと解釈するからややこしいのであってそこからは回復が望めないと判断される境界であると実に解りやすく解釈すれば、受け取る側も理解しやすい。やはりこういうデリケートな内容は医師を中心に法律を決めさせたらいいのではないかと思う。

本書の最大の謎とは播磨薫子と云う女性そのものだったと読み終わってしみじみ思う。
彼女がふと漏らすのは母親は子供のためには狂えるのだという言葉だ。それを本当に実行したのが彼女であり、そのことだけが彼女の謎への解答となっている。
しかし播磨薫子は周囲を気にせず、全て自分の意志で行い、そしてそれを貫いた。彼女はただ納得したかったのだ。周囲の雑音に囚われず、娘がまだ生きていることを信じ、そのために出来ることを全てした上で結論を出そうとしていただけなのだ。それは飽くなき戦いであり、それを全うしただけなのだ。これだけは云える。彼女は信念の女性だったのだと。

倫理観と愛情、人の生死に対する解釈、それによって生まれる臓器移植が日本で進まない現状。子を思う母親の気持ちの度合い。難病に立ち向かう夫婦と現代医学の行き着く先。
そんな全てを播磨薫子と瑞穂の2人に託して語られた物語。色々考えさせられながらも人と人との繋がりの温かさを改めて感じさせられる物語でもある。情理のバランスを絶妙に保ち、そして我々に未知の問題と、それに直面した時にどうするのかと読者に突き付けるその創作姿勢に改めて感じ入った。

子を持つ親として私はどこまでのことをするのだろう。読中終始自分の娘の面影が瞼に過ぎったことを正直に告白しよう。我が娘が眠れる人魚にならないことを今はひたすら祈るばかりだ。こういう物語を読むと遠い異国の地で家族と離れて暮らす我が身に忸怩たる思いがする。これもまた東野マジック。またも私は彼のマジックに魅せられたようだ。

No.3 7点 VOLKS
(2018/08/17 19:46登録)
非常に考えさせられました。
娘の水難事故による、脳死と臓器移植。
すごく難しい内容のものをとても読みやすく、また読者に考える余裕を与えながら仕上げてあるあたり、さすが東野圭吾だなー、とつくづく感じます。
臓器移植について、我が家でもこれから話し合っておこうと思いました。
ミステリーではないのかな?と思いましたが、読み物としてとても大切なものを投げ掛けている作品だと感じます。

No.2 6点 まさむね
(2017/03/20 23:39登録)
 脳死と臓器移植という、非常に重く、難しい問題と真正面から対峙した作品です。
 読者によって読後の感想に相当の幅があるであろうな、というのが率直な印象。個人的には、両親の行動に相当の違和感を抱きつつも、これを自分らに置き換えて考えてみると、実際にどう判断するのか全く判らないという、何とも情けない状態にあります。かなり考えさせられましたね。
 ちなみに、ミステリの手法を使っている部分も一部ございますが、全体とすればミステリとは言い難いでしょう。無論、この作品は「ミステリか否か」などとは無関係に読まれるべき作品であると思うので、この段落は蛇足以外の何物でもないのですが。

No.1 6点 mozart
(2015/12/31 20:59登録)
結構重いテーマだったわりには読後感がそれほど暗くならなかったのは、最後の方で「傍目には狂った母親」が実は一番真剣に娘の死と向き合っていたのだと思えたせいかも知れなせん。読み返してもじわじわと感動する作品だと思います。

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