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小原庄助さん
平均点: 6.64点 書評数: 260件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.220 7点 イヴリン嬢は七回殺される- スチュアート・タートン 2021/02/03 10:11
人は、自分の想像力や性格の限界を無意識に決め付けて日々同じ決断を下し、同じ過ちを繰り返す。だとしたら、全く同じ一日を最初から何度も繰り返すことが出来たら、限界を超えて正解に辿り着けるのか。こんな夢想をテーマに、本格推理にSFの要素を入れ込んでいる。
舞台はイングランドの森の中に建つ「ブラックヒース館」。所有者の娘イヴリン嬢の帰還を祝って仮面舞踏会が開かれる。そんな朝、「アナ!」という叫び声をあげた自分に驚いて「私」が覚醒する。だがアナが何者なのか分からない。翌朝目覚めると、同じ日の朝で、「私」は執事コリンズに、その翌日は遊び人ドナルドになっていた。
必死に状況を把握しようともがく「私」の前に、中世の「黒死病医師」の仮装男が姿を現し、その日の夜に実行される。イヴリン嬢殺害の真犯人を特定した者一人だけが、このタイムループと人格転移の世界から解放されるという情報をもたらす。
不穏な空気漂う館を泳ぎ回り、同じ一日を8回、別人として繰り返しながら、「私」は必死で謎を追う。初めは、理不尽な状況に混乱するばかりだった「私」が何度も巻き込まれるうち、反撃に転じていくのだ。
繰り返すということは、前の失敗を回避するための対策が出来るということ。メモや方位磁石などを効果的に配置しておき次回の転移に備える周到さを見せ始める。面白いことに、終盤乗り移った宿主の想像力や性格が「私」のそれと混じり合い、自分の限界以上の多視点の獲得した新たな「私」が誕生する。張り巡らされた罠の裏をかき、仲間との連帯で危機を乗り越えていく。英国伝統の本格推理とSFの合体劇にワクワクし、予想外のオチに驚愕する。

No.219 7点 天離り果つる国- 宮本昌孝 2021/01/20 09:26
地震による山崩れで、一夜にして消滅したという、飛騨白川郷の帰雲城を舞台にした、壮大なロマンである。
帰雲城主の内ケ嶋氏理が治める白川郷は、金山銀山を持ち、鉄炮に必要な塩硝を製造している。そんな白川郷に、竹中半兵衛を師とし、織田信長に仕える津田七龍太がやってきた。
領民が平和に暮らす国と、氏理の娘で最強の姫武者である紗雪をはじめとする、多くの人々に魅了された七龍太。信長の意に反してまでも、白川郷を守ろうとする。織田から豊臣へと流れゆく時代の中で七龍太は、頼もしい仲間たちと共に戦い続ける。しかし彼には、大きな出生の秘密があった。
史実を踏まえながら、どれだけ虚構の翼をを羽ばたかせることが出来るのか。その好例が本書と言ってもいい。恋・謎・戦いなど、エンターテインメントの要素を幾つもぶち込んだ物語は、とにかく痛快。しかも佐々成政が冬の立山連峰を踏破した"さらさら越え"や、帰雲城の消滅といった史実や伝説が、巧みにストーリーに織り込まれている。その中から浮かび上がる、理想の国の姿は、あまりにも美しい。

No.218 7点 江戸染まぬ- 青山文平 2021/01/20 09:26
収録されているのは7作。家族に対するさまざまな思いを抱く武家の妻の心中を描いた「つぎつぎ小袖」から、兄が一目ぼれした相手を横取りしようとした放蕩児の次男が、意外な出来事により、生き方を変える「台」まで、どの作品も味わい深い。
しかも短い枚数にもかかわらず、ストーリーは曲折に満ちていて、容易に先を読ませない。ひょんなことから江戸に行った男が、町に新たな文化をもたらす「町になかったもの」や、ふらふらと生きて用心棒になった男の前に、いきなりある史実が現れる「日和山」など、語り口の妙が楽しめるのだ。江戸の空の下に息づく七人の人生が、小説の名手により、鮮やかに切り取られているのである。

No.217 7点 誓願- マーガレット・アトウッド 2020/12/24 09:54
ディストピア小説の名著「侍女の物語」の同作家による約35年越しの続編だ。前作がキリスト教原理主義の台頭によって女性の生殖・出産が国家に管理されるという悪夢的な話だったのに対し、本作はその世界からのサバイバーたちの静かな連帯の物語となる。
重厚ながら、3人の語り手を擁する断章形式は読みやすい。監視国家ギレアデにおいて女性たちは、教育係の「小母」、司令官の配偶「妻」、家事手伝いで母親代わりも担う「マーサ」、出産のための機械である「侍女」の4階級に分類されるが、本作では司令官の娘アグネス、小母たちを組織する最高指導者のリディア小母、ギレアデ外の娘デイジーがそれぞれに語るのだ。
特にリディア小母は、ギレアデの成立過程や統制方法の裏話を明かす。忠義心の持ち主にみえた彼女も、保身と恐怖から国家の理想像を内面化してきた小心者の一面があり、今は手稿を遺すことでいわば内部告発に踏み込んでいく。「この手記を読んでいるあなたはだれだろう?そして、いつのことだろう?」ギレアデ滅亡後の未来に歴史的検証を託すのだ。
一方で、デイジーもアグネスも、大胆な行動によって自らの未来を切り拓く。このあたりはサスペンス要素もたっぷりで手に汗握る。女性の自由意志や性が徹底的に禁忌とされる本作の世界観は実にフィクション的ではあるが、現実社会でも女性の「声」は奪われがちで、それは現在進行形だ。
知性と行動、声を発する勇気が身を助け、世界に変化をもたらすという力強く温かなメッセージを受け取ることだろう。

No.216 7点 海神の島- 池上永一 2020/12/08 09:03
軍用地主の「オヴァ(祖母)」花城漣が残した遺産をめぐって、その孫で夜の銀座の覇権を狙うホステス・汀、フリーランスの海中考古学者・泉、スキャンダルまみれの地下アイドル・澪の美しき3姉妹が繰り広げるデッドヒートは、各国政府まで巻き込んで、破天荒だが現実的だ。
相続の条件は失われた「海神の秘宝」を見つけること。謎の解明に、海中遺産、古代史、先史学、戦争遺跡など考古学の最新情報を取り入れつつ、前人未到の深海へ探索していくシーンは圧巻。実際、奄美・沖縄をめぐる考古学の研究からは近年、人類史を塗り替えるような貴重な発見が相次いでいる。沖縄において米軍基地と先史学は極めてリアルに結びつくということにもなる。
池上ワールドにおいて最も価値があるのは「個人の欲望」である。肯定される基準は、求める力の純度、つまり美しさなのである。欲望に忠実な者ほど、その純粋さ故に翻弄もされるが、その姿は困難な時ほど圧倒的に魅力的で生き生きとしている。
逆に正義だの国家の主権だのといった、建前で行動する者に対しては厳しい。現実の沖縄の平和運動に対して辛辣な批判が投げかけられ、思わずたじろいでしまった。しかし、その先に突き抜けた沖縄の平和を求める強い意志が込められていたりするから、油断ならないのだ。島の本源的な存在によってさらけ出してみせた冒険小説の快作だ。

No.215 5点 キルン・ピープル- デイヴィッド・ブリン 2020/11/13 08:43
ブリンと言えば、宇宙を舞台にした壮大なスケールの大作で知られるが、この作品は一転して、私立探偵もののユーモラスな軽ハードボイルドだ。ただしもちろん、ただの私立探偵小説ではない。
自分の魂(定常波)を陶土にコピーすることで、ゴーレムと呼ばれる複製を何体でも好きなだけ作る技術が一般化した未来。
もしそんな技術が開発られたら世の中はどう変わるか?そのもっともらしい細部を喜々して描くかたわら、探偵が陰謀に巻き込まれて窮地に陥るお馴染みのお話が進行する。もっとも、主人公が途中で死ぬのは当たり前。複数の「おれ」が入り乱れていくつものプロットが同時進行し、めまいのような独特の効果が生まれる。ユーモアたっぷりの奇天烈エンターテインメント小説だ。

No.214 8点 夏草の記憶- トマス・H・クック 2020/10/27 09:09
アメリカ南部の田舎町に住む医師のベンは、30余年前に起きた事件を思い出す。同級生だった少女のケリーはなぜ、無残に人生を断ち切られてしまったのか。また、町の郊外にある「ブレイクハート・ヒル」というロマンチックな丘は、なぜそんな名前が付けられたのか。
現在と過去を往復しながら、非常にゆっくりと謎が解き明かされていくストーリーである。内気な少年の目に映る少女のまぶしさ。そして幻滅。
初恋とその喪失を描いた小説だが、それだけにはとどまらない。端的に書くと、過去に存在した差別を社会が隠蔽したために、思いがけないかたちで、悲劇が甦ってしまったという物語なのである。
差別を行ってきた歴史をしばしば忘れようとする現在の日本で、この小説はとても切実に心に響くのではないか。
差別は悪であることを知りながら、どうしようもない憎しみを抱えたとき、差別を利用してしまう人間の心理。それを非常にリアルに描いているところも恐ろしい。
自分の一言が、どんなに他者を傷つけたかを、ずっと知らないでいる鈍感さ。自分は差別をしない、と思い込んでいる人間が最も危ういことを、この小説は深く見つめている。
ミステリ小説の醍醐味は、結末のどんでん返しにあるが、この作品では、全く意外なところに作者のトリックが仕掛けられている。
これに気づく人は少ないだろう。そして、その企みが分かったとき、過去の傷だと思っていたことが、現在も生々しく血を流していることに衝撃を受けるのだ。

No.213 6点 現代語訳 怪談「諸国百物語」- アンソロジー(国内編集者) 2020/10/08 08:51
江戸時代、「百物語」と呼ばれる怪談会が流行した。夜に灯心を100本ともし、恐怖譚が語られるごとに、1本ずつ消していく。全てが消された時に怪奇現象が起こるとされ、「御伽百物語」や「太平百物語」など相次いで刊行された。
参加者が集まる部屋と隣の部屋は無灯、一番奥まった部屋に灯心を備え、1話終えたら手探りで灯心が置かれた部屋へ...。中世の御伽衆に由来するとも武家の肝試しに始まったとも伝えるが、訳者によると本書はその嚆矢とされる「諸国百物語」の「おそらく初めて全話を通しての現代語訳」だという。
北は奥州仙台から南は九州筑前・豊後まで全国各地の怪奇話を収める。幽霊や蛇、執心にまつわる話が多いが、恐ろしい内容ばかりではなく、おかしみのある逸話や霊を供養して幸福な結末を迎えるものもあり、物語はバリエーションに富む。
抑圧され黙殺されてきた存在や悲痛な心情を異形のものとして捉え直し、そして語る。緩やかに社会へと還流させようとする試みも透けて見える。

No.212 6点 アンドロメダ病原体ー変異ー- ダニエル・H・ウィルソン 2020/09/25 08:49
マイクル・クライトンの「アンドロメダ病原体」の続編としてクライトンの遺族公認で書かれた作品。
正体不明の病原体「アンドロメダ因子」が米国の街を全滅させた前作から50年後。病原体の再発見を警戒する米国は世界規模での監視システムを構築していたが、観測ドローンが赤道直下のアマゾン奥地で不思議な巨大な構造物を発見する。その地域ではアンドロメダ因子の変異種による感染症も発生していた。
劣悪な環境下、致死率の高い感染症と戦うのは極めて困難だが、さらに巨大構造物「特異体」の予測不能の動きが恐怖を増幅させる。感染症発現には人為的介入が疑われ、さらなる変異の危険性も。事件は宇宙にまでつながる壮大なスペクタクルへと発展していく。
感染症との戦いは単に医療だけの問題ではなく、先端技術の新たな応用開発や政治的闘争、さらには人間の無知や欲望との戦いでもある。なお本作は単独でも楽しめるが、前作を先に読むといろいろな工夫や登場人物の背景などが見えやすくなる。

No.211 6点 預言- ダニエル・キイス 2020/09/03 09:36
「アルジャーノンに花束を」から半世紀を経て、80歳を超えた後の長編小説の本作は、従来の人間心理探究をモチーフに据えてはいるものの、その全体は9.11同時多発テロ以後に渦巻く国際テロ組織の謀略を中心にした、エロスとヴァイオレンス満載のスパイ小説のスタイルで貫かれているのだから、驚くしかない。
主人公は、天才的な女優的資質に恵まれながらも境界性人格障害や妄想性統合失調症などに苦しみ、精神科病院で治療を受ける金髪の美女レイヴン。彼女がふとしたことで記憶してしまった預言詩の中には、マルクス・レーニン主義を標榜するギリシャ人中心の17Nとイラン人中心のMEKという二大組織が手を組んで米国に仕掛けるテロ計画が暗号として刷り込まれており、そのため彼女はテロ集団に誘拐されるばかりか、FBIやCIAからも追い回される。
だがレイヴンは、実は死んでしまった双子の妹ニッキを今も心に同居させている多重人格者でもあり、転んでもただでは起きない。時には007のボンドガールもかくやと思われる過激な攻勢に出る。かくして同時多発テロを超える陰謀は、いとも意外な結末を迎えるのだ。
ちなみに、レイヴンの名はエドガー・アラン・ポーの名詩「大鴉(ザ・レイヴン)」による。それが、今は亡き美しい恋人への挽歌だったことを思い出せば、クライマックスの衝撃は一層心を打つだろう。

No.210 6点 ピュア- 小野美由紀 2020/08/21 08:47
五つの短編が収められているが、いずれも他人から求められる役割と「自分自身」の葛藤を描いている。なかでも表題作は衝撃的だ。
環境汚染により荒廃した未来では、強靭で攻撃的な身体に変化した女たちは人工衛星に住み、男たちは地球に残った。そして女たちは時折、自身の義務ににして名誉である妊娠のために地表を訪れ狩りをする。
男と交尾した後、女は相手を捕食するのだ。男女の地位を過激に反転させた設定だが、そこには現実の性差の息苦しさ、異性への不信や不満が投影され、思いのほか腑に落ちる。
男女どちらにとっても「らしさ」を求める社会的強制力は重い。自分自身も知らず知らずに偏見にとらわれており、内面化された価値観から抜け出すことは難しい。その悲哀は「ピュア」の世界を男性側から描いた「エイジ」を読むことで、深く理解されるだろう。

No.209 6点 双生児- クリストファー・プリースト 2020/07/31 10:04
一種の改変歴史もので、この手の小説は、歴史のifを描くのが常道だが、そこはワザ師プリーストだけに、よくある改変歴史ものとは似ても似つかない。
主役の一卵性双生児は、オックスフォード大学のボート選手。英国代表としてベルリン五輪に出場し、ヒトラーを生で目撃。さらにはルドルフ・ヘスとの対話あり、美少女を連れての脱出行あり、三角関係あり。恋と冒険の瑞々しい青春小説パートを経て、双子は戦争の渦にのまれていく。
第二次大戦初期を背景に(大事件ではなく)ありふれた人間的な営みによって歴史の流れが変わってゆく過程を描きたかったそうだが、いたるところにトラップが仕掛けられ、一瞬も油断できない。小説の中で迷子にならないように気を付けて、じっくり読んでほしい一冊。

No.208 7点 盗まれた街- ジャック・フィニイ 2020/07/20 10:41
ある田舎町で、自分の親や知人を「本人ではない」と言い出す住民が増え始める。主人公の医者とその愛人は、人間に成長しかけている豆のようなものを発見し、これが人間にとって代わっているのだと判断する。
恐ろしいのは、住んでいる田舎町の良く見知った人たちの、誰が脳侵略されているのかわからないことだ。窓から覗いた親戚の食卓での会話は、主人公たちの交わした会話をグロテスクに模倣したお芝居であり、彼らは演じながら笑っている。
ラスト、町から逃げ出そうとして、隣町へ向かう主人公たち二人のあとから、見慣れた町の知人たちが大勢で追跡してくるところは圧巻だ。この作品、いささか冗長ではあるが、田舎町の描写のリアルさなどで今でも古びてはいず、後にノスタルジイSFを多く書くことになるフィニイの才能が発揮されている。今では脳侵略ものの古典と言われ、これ以後、脳侵略というのはSFの一ジャンルとなっている。

No.207 6点 女であるだけで- ソル・ケー・モオ 2020/06/22 10:20
非主流であるがゆえにこれまで不可視だった人々や世界に、光をあてる。こうしたマイノリティー文学の政治的役割を果たしつつ、純粋な小説の魅力に富む作品。
メキシコの先住民の言葉、ユカタン・マヤ語で書かれ、なおかつ支配とは何かという根源的な問題を深掘りする。
オノリーナは夫を事故的に殺害してしまう。判決は20年の禁固刑。しかし人権派弁護士が恩赦をとりつけ5年で釈放に。物語ではそのことの顛末が、オノリーナの回想を通じ明らかになる。
14歳で、実父から粗野な男へとわずかな金品で売り渡された日から、彼女は所有物として絶対服従を強いられてきた。慣れぬ灼熱の土地への移住、日常的な暴力、慢性的な貧困、先住民ゆえの差別に加え、夫から他人の男との性行為を強要されて、長らく自尊心を損ない続けてきたのだった。
運命の好転は同じ民族の女性と知り合ったから。活力を取り戻し、夫の暴力に抵抗しえたのだ。収監されはしたのだが、この時ほど彼女が精神の安寧を感じたことはなかったろう。罪を犯し、自由得るという皮肉。この間スペイン語を習得し、おのが理不尽な境遇を客観視したからこそ、恩赦は先住民の特権かと問われた際、「白人の法律は白人のものであって、あたしたちには意味がない」と論理的に反駁できた。「インディオで女なんていったら、不幸の塊さ」
二重の意味で阻害されてきた彼女が、支配者側の無関心と法の不整備を糾弾する。法廷ものとしてのハイライトだが、ここで改めて、文学が声なき人々の声を掬い取る意義が浮き彫りになる。

No.206 9点 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?- フィリップ・K・ディック 2020/06/09 09:30
人間と機械の違いは何か。もしそれが将来の夢を見るか否かで決まるなら、夢を見る機械はもはや人間といえないか。機械にそんな感情移入をしてしまう自分は異常なのか。それとも。命がけのアンドロイド狩りに挑むリック・デッカードは自問する。
言わずと知れた映画「ブレードランナー」の原作。映画から入った方は冒頭からリックが妻と感情操作装置のダイヤル争いをしたり、隣人に見栄で機械仕掛けのペットを飼う悩みを話したりするので戸惑われるかもしれない。
でも、読み進めるうちにこの世界が生命と機械の狭間にあり、そこから生じたアンドロイドは一体何かというSFならではの問題提起の前置きであることに気付く。現在様々な分野で問い直されているテーマを描き、作品としても古びていない。

No.205 8点 深夜プラス1- ギャビン・ライアル 2020/05/29 10:32
今さら紹介するのも恥ずかしいほど、古くよりミステリ冒険小説好きの読者には名作中の名作として知られている。かつて東京・飯田橋駅前には本作にちなんだ同名の書店が存在していた。
第二次大戦中のレジスタンスの英雄だった主人公が、年齢を重ねて今は堅気の仕事に就いていたものの、突然昔の仕事仲間に誘われたことから物語は始まる。ある重要人物を護衛しつつA地点からB地点まで移動するという単純な仕事を引き受けたのだ。だがその人物は警察や謎の刺客らに追われていて、ことは簡単には運ばない。
大筋は単純だが、そこにはプロの矜持、謎と罠、アクション、銃、車、旅情、歴史、頓知と駆け引き、さらには友情と裏切り、男と女、過去の悔恨と栄光と娯楽要素がこれでもかと詰め込まれている。
初訳本巻末の田中光二氏の解説にもあったが、本作はプロの作家が嫉妬し、目標にするような作品でもあるのだ。すなわちリーダビリティーとディテールの豊かさを同時に持っている。そして再読三読に耐えられる。

No.204 6点 オール・クリア- コニー・ウィリス 2020/05/18 11:02
時間旅行が可能となった2060年、オックスフォード大の史学生3人が、第二次世界大戦の現地調査に赴く。ひとりは大空襲下のに百貨店の売り子として潜入、ある者は地方に疎開した子供たちの生活を観察するためにメードとなり、今ひとりは新聞記者としてフランスにおける、英仏軍のダンケルク撤退作戦を取材する。
時代の雰囲気を伝える描写や逸話の数々は、英国ではノスタルジックな物語(日本の昭和ブームみたいなもの)として人気が高いらしいが、日本人にとっては現代史や英国庶民文化に触れられるのが楽しみ。また戦時下の日常的恐怖、苦境の中にある人々の英雄的行動も感動的で、SFファンのみならず、幅広い読者に読んでほしい。
SF的には、元の時間に帰還するための「降下点」が使えなくなり、タイムパラドックスの危機が迫るサスペンスで、クライマックスが秀逸。張り巡らされた多くの伏線が畳みかけるように回収されていくさまは圧巻だ。

No.203 5点 色町のはなし―両国妖恋草紙- 長島槇子 2020/05/07 10:11
見世物小屋や岡場所が並ぶ両国界隈の悪所を舞台に、御家人の冷や飯食いで女好きの萬女蔵が直面する怪異を描いている。
殺された人間の霊が、生きた恋人を救おうとする「とんでも開帳」、ある男が異形の娘に恋する猟奇的恋愛譚「因果物師」、寺の和尚が男色相手に似せて作った人形が、時を超え不思議な事件を巻き起こす「若衆芝居」、男の精気を吸う美女のアヤカシを描く泉鏡花を思わせる幻想小説「水の女」...。                                                        著者はセックスという人間の「生」の最も生臭い部分と、その対極にある「死」を対比しながら、あやしくも切ない物語をつむいでいく。個人的には、エロのなかに怖さと笑いを織り込んだ「四ツ目屋の客」が、最も気に入っている。

No.202 7点 - エリック・マコーマック 2020/04/22 10:23
虚実ないまぜ、それも虚の割合が多め、という話を聞く楽しさは、嘘と本当の境がふいに揺らいでくる瞬間にある。正常であるはずの現実世界に何かが侵食してくるあの感じ。マコーマックは読者をぞわっつとさせる名人でもある。
この作品は、主人公のハリーが、旅先で一冊の古書を購入する場面で始まる。十九世紀、スコットランドのある町で起きた異常気象の「黒曜石雲」についての本だが、彼は町の名に覚えがあった。若き日、そこで大失恋をしたのだ。
内容も出版経緯も謎めいた書物の調査を進める現在と、ハリーの数奇な半生が明かされる回想の、ふたつの軸をたどりながら、話は展開する。
悲劇的事故で両親を失った後、ダンケアンで職を得たハリー。その地で父親と暮らすのがミリアムだ。彼女は奇妙な疫病によって消滅した近郊の町の昔話などをし、ハリーを魅了する。だが、恋は実らない。彼は失意からヨーロッパを去る。
下っ端甲板員としてまずはアフリカ大陸、そして南米へ。旅の途中に出会う人々がハリーの人生を決定づけていく。人道的な医師にみえるデュポン。鉱山主相手にビジネスをするカナダ人技師のゴードン。彼らの周りの女たち。流転は続く。
成長物語でも海洋冒険小説でもある物語は、やがてゴードンの娘アリシアを妻にしたあたりから家族小説の一面を持つ。妻への遅れた愛の認識と、息子との関係構築は大きな主題だ。息子は言う。「どうしても解けない謎には、何かとても心に訴えるものがあると思う」
謎の最もたるものは人の心だ。なぜ恋をし、罪悪感を持つのか。マコーマックは、怪奇現象や人体実験などの毒気ある要素を盛り込みつつ、人間と他の動物を分かつ条件を掘り下げる。恐れという感情こそ解けない謎だと言わんばかりに。

No.201 9点 ジャッカルの日- フレデリック・フォーサイス 2020/04/10 09:34
ドキュメンタリーの手法でフィクションを書く。今日では当たり前のこの手法は、本作品で確立されたと言っていい。
現在、書店にあふれている冒険小説、スパイ小説、謀略小説等を読み慣れている人たちにとっては、本作品の文体はそれほど珍しいものではないだろう。しかし、それこそが、本作品の最大の功績である。つまり、新たな手法と文体、そしてジャンルがここに確立されたのだ。
綿密な取材により、描く対象の細部にこだわり、「見てきたような事実を書く」ことは、1970年代に盛んになったニュージャーナリズムの手法だが、フォーサイスはこれをフィクションに導入し、成功した。実際、本作品にあるエピソードの多くは事実に即したものだそうで、どこまでが事実で、どこからがフィクションかは作者しか知らない。
ちなみに映画は原作にほぼ忠実。ストーリーももちろんだが、全体の雰囲気もおさえた演出で、ドキュメンタリー映画のように淡々と、歯切れのいいテンポで、ジャッカルとルベル警視側とを描いていく。

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小原庄助さん
ひとこと
朝寝 朝酒 朝湯が大好きで~で有名?な架空の人物「小原庄助」です。よろしくお願いいたします。
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