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灰の劇場
恩田陸 出版月: 2021年02月 平均: 7.00点 書評数: 1件

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河出書房新社
2021年02月

No.1 7点 小原庄助 2021/10/27 18:52
映画の予告編で頻繁に目にする「事実に基づく物語」というキャッチフレーズ。この作品は「事実に基づく」とはどういうことかを問う小説だ。1994年に45歳と44歳の女性が橋から川に飛び降りて自殺した事件を題材にしている。2人は大学の同級生で一緒に暮らしていた。何があったのか。
作者本人を彷彿とさせる小説家の「私」は、デビューしたてのころ、新聞の三面記事でこの事件を知り、いつか書かなければいけないと思っている。しかし既存の「事実に基づく物語」にありがちなように、2人の生い立ちを詳しく調べたりはしない。「誰かが死を選んだ理由など、時を隔てた縁もゆかりもない人間に理解できるはずがないではないか」という結論を早々に出す。
小説は事件そのものではなく、「私」の中におよそ20年もこの2人のことが「棘」として刺さり続けているという「事実」に基づいて書かれているのだ。「私」は「なぜその棘が刺さったのか、どこで刺さったのか」を考えていく。死者のプライバシーに極力立ち入らず、自分の心の謎を探るという斬新なモデル小説になっている。
構成もユニークだ。「私」が小説の制作過程を実況中継する「0」、MとTという仮名の女性を主人公にした作中作「1」、「1」の舞台化をめぐる人間模様を描く「(1)」の三つのパートに分かれている。灰色がかった海を見下ろす能楽堂、「灰の劇場」を想起させる場所で、「私」がMとTの声を聴く場面は恐ろしい。書く「私」と書かれる2人、虚実の境界が溶けあい、他人の人生について想像することの暴力性を突き付けられるからだ。
それでも「私」は書く。MとTが死んだ理由を創造する。終盤に描かれるのは「日常」という「未知の絶望」との遭遇だ。その静かで明るい絶望は、老いを意識し始めた世代にはとりわけ切実に感じられるだろう。


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