皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
小原庄助さん |
|
---|---|
平均点: 6.64点 | 書評数: 267件 |
No.87 | 7点 | 呉漢- 宮城谷昌光 | 2018/02/25 16:05 |
---|---|---|---|
光武帝に仕えた呉漢の生涯を描いた作品。後漢王朝を開いた光武帝については、これを主人公にした「草原の風」がある。併せて読めば、激動の時代を、より深く知ることが出来るだろう。
貧しい農民の呉漢は、己の殻に閉じこもって生きていた。しかし彼は、他人の言葉を心にとどめ、自分なりに理解する力を持っている。幾人かとの出会いを経て、存在を認められ、役人になった呉漢。訳あって流浪の身になっても、人々の良き縁を結んでいく。そして新王朝が倒れ、群雄割拠になった時代の中で、劉秀(光武帝)に仕えると、武将として大陸を駆けるのだった。 タイトルからも分かるように、本書の読みどころは、主人公の呉漢である。身分もなければ学もない。でも彼は、他人の言葉を真摯に受け入れる。好意を寄せる人だけでなく、自分を憎む人でもだ。心を澄ますことが出来れば、世界は教えに満ちているのである。そんな呉漢が、時代に流されながら、成長していく。呉漢の師や、彼を慕う郵解、角斗、魏祥、など周囲の人々との関係も爽やか。 相次ぐ戦に興奮する後半もいいが、真っすぐに伸び行く呉漢を見つめた前半の読み味は、格別であった。 |
No.86 | 6点 | ナニワ・モンスター- 海堂尊 | 2018/02/25 16:05 |
---|---|---|---|
物語の発端は、浪花府で発生した新型インフルエンザ発症をめぐる大混乱。経済封鎖の状態となった裏には霞が関の陰謀が潜んでいたというもの。
本作は、インフルエンザ騒ぎや検察の失態など、日本で実際に起きた出来事を下敷きにしつつ、単に医療の問題にとどまらず、社会の病巣の一面を痛烈な皮肉とともに物語っている。例えば、霞が関の不祥事隠蔽工作部隊の作戦会議、という場面があった。各省庁で大きな不祥事が起きると、世俗的な関心を呼ぶ小さな不祥事をわざと表沙汰にしていく作戦。そうすることで世間の目をそらし、うやむやにしているというのだ。 ある開業医の視点で描かれるかと思えば、検察特捜部をめぐる「検察の正義」を問う章があるなど、いったい話がどこへ着地するのか見当もつかない。だが後半の展開を読むと、もはや医学ミステリというよりも日本という国の在り方を問うスケールまで発展している。いまや国家の未来が最大のサスペンスなのだろう。 |
No.85 | 7点 | 13・67- 陳浩基 | 2018/02/13 09:59 |
---|---|---|---|
イギリス統治から中国への返還、揺れ動く香港の半世紀を背景にした、ユニークなミステリ。
香港警察の名捜査官クワンとその愛弟子ローが関わった事件を連作形式で描く。6編の物語を通じて6つの時代が語られ、最初に描かれるのは2013年。以降、1編ずつ過去へとさかのぼって、最後は1967年の物語で幕を閉じる。 異色の安楽椅子探偵ものとして始まる本書だが、続いて語られる事件はマフィア抗争もあれば誘拐サスペンスもあり、展開は豊富だ。 一貫しているのはロジカルかつ驚きに満ちた謎解きで、特に最後の1編の結末は実に鮮やか。ミステリという枠組みを駆使して、香港の現代史を浮かび上がらせる作品だ。 |
No.84 | 8点 | 新カラマーゾフの兄弟- 亀山郁夫 | 2018/02/09 10:08 |
---|---|---|---|
人類の文化遺産というべき「カラマーゾフの兄弟」を名乗って新作を書くという、神をも畏れぬような企てが実現した。
しかし清新なドストエフスキー作品の翻訳と、大胆な作品解釈で話題をさらってきたこの著者には、その資格が十分すぎるほどある。原作とほぼ同じボリュームの巨編は、「よくぞ」という驚きと、「ここまで」という感嘆に値する。 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件に揺れた1995年の日本を舞台に、父親がかつて不審な死を遂げた黒木家の3兄弟が登場する。その名前も原作をもじってミツル(ミーチャ)、イサム(イワン)、リョウ(アリョーシャ)といった具合。ゾシマ長老も嶋省三として登場する。とはいえ、原作に精通した者しか近寄れない難解作ではないのでご安心を。むしろ本書は、亀山流に書き改められた、父親殺しの謎を解くミステリ小説の趣を持っているのだ。 物語は8月31日から9月11日までの12日間を描く。東京都中野区の野方駅周辺と、名古屋市内とを頻繁に往復しながらドラマが展開するが、その各章に著者自身とおぼしいロシア文学者「K」の手記が添えられている。この一見私小説風のパートが次第に本編と深くリンクしていくスリルが、小説としての感興をより高めている。いわば「K」の介入が道案内にも狂言回しにもなっていくわけである。 オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件の陰惨な結果が同時代の背景として重ね合わされる中、繰り返し問われるのは、一つには父親殺しに象徴される人の欲望の罪深さであり、他方では母なる自然と一体化したいという憧憬である。 避けることのできない宿題を我々に突きつける本書には、ドストエフスキーのみならず、大江健三郎氏や村上春樹氏を受け継ぐ意志も見て取れる。神を見失い、心の迷路に入り込んだ現代の人類文明と直面する壮大な文学の冒険である。 |
No.83 | 7点 | カムパネルラ- 山田正紀 | 2018/02/09 10:08 |
---|---|---|---|
戦前の価値観がずっと続いていたら・・・。そんな設定を、現代の閉塞感に直結させた作品。
ある青年が駅に向かう場面から始まる。宮沢賢治研究家だった母が亡くなり、遺書に従って、賢治の故郷である岩手・花巻の川に遺骨を撒きに行くのだ。駅に貼られた「美しい日本」を宣伝する「メディア管理庁」のポスターが登場する辺りから、かすかな違和感を覚えていく。ここは公共への奉仕が強調されるパラレルワールドなのだ。 賢治は生前「銀河鉄道の夜」を何度か改稿したが、この「銀河鉄道ワールド」は第3稿と第4稿の間で揺らいでいる。両者の最大の違いは、生命もささげる滅私奉公型の公共精神を重んずるか、私的な自由を大切にするかにある。さらに「風野又三郎」が探偵役で登場し、「雨ニモマケズ」の真意も「この世界」に影響を与えている。 物語は、幻想小説からミステリやホラー、さらには革命思想にまで向かう。思えば賢治が執筆した1920年~30年代は、未来派や新感覚派が注目され、プロレタリア文学や探偵小説が勃興した時代だった。本書は、戦前日本にも似た閉塞感に包まれた世界に、「あの時」切断されてしまった可能性のすべてを再導入するかのようだ。 |
No.82 | 6点 | 僕たちのアラル- 乾緑郎 | 2018/02/04 10:15 |
---|---|---|---|
壮大な実験を巡る、異なる理想の対立を描いている。
火星移住計画の準備として、15万人規模の都市を、30年にわたり外部から完全に隔離し、自給自足で社会を運営するという実験が行われていた。そこで生まれた「第2世代」の男子高校生が、父親を誘拐され、大きな陰謀に巻き込まれる。 犯行声明を出したのは、過激な活動で知られる環境保護団体。対する当局も、重要な情報を隠蔽しているようで信用できない・・・。 キャラクターの立った転入生の少女に振り回され、軽快なテンポで二転三転する物語は、若者たちにはライトノベルとして、年長者には懐かしい青春SFとして楽しく読めるだろう。 |
No.81 | 6点 | タイタン・プロジェクト- A・G・リドル | 2018/01/29 23:00 |
---|---|---|---|
核戦争や環境破壊、コンピューターの暴走に隕石衝突。SFはさまざまな原因による人類滅亡の危機を描いてきた。この作品も人類の危機を描いているが、その真の原因は、これまで書かれたどのSFとも異なっている。
物語は飛行機の墜落事故の場面から始まる。救助隊は一向に現れない中、生き残った女性作家ハーパーは、乗り合わせたベンチャー投資家や医学研究社者と、時に「どうすればより多くの人を救えるか」を巡って対立しつつも、協力して難局に立ち向かっていく。 だが、かろうじて窮地を切り抜けた彼らの行く手に現れたのは人間の気配が全くない、廃墟と化した未来のロンドンだった。彼らは飛行機ごとタイムスリップしていたのだ。 やがて、人類の危機もタイムスリップも、「未来」において関与する、ある「プロジェクト」が引き起こしたものだとわかってくる。より便利で、より豊かで、より長生きできる世界を目指して生み出された画期的な発明が、かえって人類の滅亡を早めたのだった。彼らが未来に連れてこられたのは、それを回避するためだったが、その方法を巡って、さらなる争いが起きる・・・。 野心や憎悪だけでなく、理想や愛情をもまた危機をもたらすことがある。はたして彼らは世界をやり直せるのか。読みどころ満載のエンターテインメント作品。 |
No.80 | 6点 | 地獄の犬たち- 深町秋生 | 2018/01/29 23:00 |
---|---|---|---|
物語は、東京のやくざ組織・東鞘会に所属する兼高昭吾が、弟分の室岡とともに、ターゲットの男を殺す場面から始まる。兼高は警視庁組織犯罪対策部に所属する潜入捜査官で、警視庁を揺るがす秘密の排除が目的だった。その秘密とは何なのか。
刑事がやくざ組織に潜入して捜査をする話といえば、映画「インファナル・アフェア」など先行作品の通俗的な二番煎じと思うかもしれない。しかし読者の予想をはるかに超える緊密さと強烈なテーマに把握がある。 読者を釘付けにするのは、次第に見えてくる対抗する組織の熾烈な闘争であり、凄惨な暴力であり、そして善も悪も正義もない混沌とした世界でのたうつ者たちの狂気と絶望と慟哭だ。 タイトルの「地獄」とは(表紙から見ればわかるように)「地獄の黙示録」からとられている。事実、闇の奥でしか見つからない真実を求める探索行は、どこまでも血みどろでありながら崇高さも帯びている。 |
No.79 | 5点 | がん消滅の罠 完全寛解の謎- 岩木一麻 | 2018/01/25 10:11 |
---|---|---|---|
余命半年の宣告を受けたがん患者が、生命保険生前給付金を受け取ると、その直後に病巣がきれいに消え去るケースが立て続けに起こる。がん消失の謎に医師の夏目とがん研究者羽島が挑む。
会話が多く、またキャラクターは役割の域に出ておらず、ほとんどラジオドラマのようで小説的感興に乏しい。だが「最前線でがん治療に当たる医療現場」を「圧倒的ディテールで描く医学ミステリ」であることは確か。がん消失をめぐるアイデアとトリックも優れているし、サプライズのラスト一行も効いている。 ただ、がんに苦しむ患者や家族たちの思いを十分にくまず、がんをあくまでも謎解きゲームの手段にしていることに抵抗を覚える読者もいるだろう。 機械的なトリックばかりでなく、医師としての倫理や葛藤を打ち出したほうが、物語に厚みが出たのでは? |
No.78 | 7点 | 政治的に正しい警察小説- 葉真中顕 | 2018/01/21 10:17 |
---|---|---|---|
「ポリティカル・コレクトネス」にとりつかれた作家の迷走を描く表題作は極端に走り面白いが、笑劇としての着地がもうひとつ。ただし、ほかの短編はみないい。
特に冤罪の顛末を捉えた「推定冤罪」は最後の最後(ラスト一行)に驚きの真相を明らかにして秀逸。偶然通りかかったカレー店で母親の思い出の味に再会する「カレーの女神様」は、しっとりとした叙情性のある作品かと思うと後半では視点が変わりグロテスクホラーに。植物状態になった祖父の願いを探る「リビング・ウィル」も終盤でがらりと転調して尊厳死の問題を突きつける。 この”テーマ主義”の特徴は児童虐待を扱った「秘密の海」でも顕著で、仕掛けを施した語りで切れ味の良い仕上がりを示す。注目の短編集だ。 |
No.77 | 9点 | ハプスブルク帝国- 岩崎周一 | 2018/01/17 11:47 |
---|---|---|---|
「ごちゃごちゃ」した歴史が好きな人は存外多いらしい。系図や地図が出てくるだけでワクワクする私もその一人だ。しばしば「栄光の」「華麗な」という形容詞とともに語られるハプスブルク家の帝国がたどった約千年の歴史を描いた本書は、そんな人たちにおあつらえ向きの一冊といえる。
現在のオーストリア、チェコ、ハンガリーを中心に、一時その領土はスペイン、オランダ、ドイツ、イタリア、中南米までに拡大。大航海時代、ルネサンス、宗教改革、フランス革命とナポレオン戦争、ドイツ帝国成立、第一次世界大戦と、近世以降の欧州が経験した大事件のほとんどに主要プレイヤーとして関わっているのだから、その歴史が「ごちゃごちゃ」していないわけがない。 本文400ページ超と新書としてはボリュームがあるが、最新の知見をふんだんに盛り込みつつ、同時代の社会や文化にまでバランス良く目配せした濃密な記述に、むしろ良くこの分量に収まったなと驚かされる。じっくり取り組めば、「ごちゃごちゃ」好きには至福の時間になることは間違いない。 指導者たちが心を砕き続けたのは、広大な領土に組み込まれた、独自の法や制度を持つ多数の国や領邦、民族に対して帝国がどう関わっていくのかということだった。 フランス革命などの影響を受け、リベラリズムとナショナリズムの動きが噴出し始めた19世紀以降、集権化と分権化の間でも策を重ねるが、最終的に第一次世界大戦の敗北により解体に至った。それは、統合の理想が揺らぎ、移民排斥や独立運動が活発化する現在の欧州を考える上でも示唆に富む。現実はいつだって「ごちゃごちゃ」しているのだから。 |
No.76 | 10点 | 夜明け前- 島崎藤村 | 2018/01/12 10:05 |
---|---|---|---|
大学生になったころ、読んでみたのだが、どこか陰鬱な感じがするだけで、少しも面白くなく20ページもいかないうちに断念した記憶がある。
今回、再び手に取って読みだすと、時のたつのも忘れて読みふけった。興にのるとはまさしくこのことだという思いだった。若いころ抱いた陰鬱さは、積み重ねてきた人生の経験でかき消されているかのようだった。 幕末・維新といえば、西郷隆盛、坂本龍馬、高杉晋作らが活躍する華々しい物語を想像しがちである。それらを描いた司馬遼太郎氏の一連の作品は読んでいたし、司馬史観の卓抜さには学ぶことも多々あった。だがこの作品には、それらともまた違った圧倒的な史実や記録の重厚さが感じられた。 舞台は木曽路の馬籠。京都や江戸から遠く離れていても中山道の宿駅であるから中央の時勢は伝わってくる。ペリー来航以来、尊王攘夷と公武合体、さらに欧化派と国粋派の思惑がうずまくなかで、本陣の床屋である青山半蔵は神道を奉じ、古き良き日本の復活を夢見る。だが理想と現実はかけ離れていくばかり。 主人公は藤村の父をモデルにしているが、ここは無名の知識人が、歴史の荒波に翻弄されながらも、多感にして篤実に生きていく様が描かれている。 日本の歴史文学の最高傑作であるばかりか、トルストイの「戦争と平和」に勝るとも劣らない世界文学の名作だと思う。 |
No.75 | 7点 | 犯罪- フェルディナント・フォン・シーラッハ | 2018/01/05 09:57 |
---|---|---|---|
どの話も淡々とした語り口で、一瞬ドキュメンタリーを読んでいるような錯覚に陥る。おそらく実体験に基づいているのだろうが、まさに事実は小説より奇なり。しかも描かれている11の犯罪が本当に「犯罪」と呼べるのか戸惑う。
作者の視点が弁護側だという事も大きい。シュールレアリスム画家マグリットの絵のタイトル「これはリンゴではない」が最後に付記されているように、犯罪も人生も見かけ通りではないと作者は主張しているのだ。 11の犯罪と、犯罪に至る11の人生を驚嘆と共に堪能できるでしょう。 |
No.74 | 7点 | 乱世をゆけ 織田の徒花、滝川一益- 佐々木功 | 2017/12/29 08:51 |
---|---|---|---|
織田信長配下の武将でありながら、ほとんど主役になったことのない、滝川一益の生涯を描き切った戦国小説。
甲賀の若き忍びの滝川久助は、ある陰謀に巻き込まれたのを機に、里から出奔した。名を一益と改めた彼は諸国を放浪し、やがて織田信長と出会う。自身の鬱屈した心を託すに値する、器を持つ男だと確信した一益。信長に仕え、忍びや射撃の腕だけでなく、武将としての力も示し、乱世を駆け抜けるのであった。 滝川一益の出目は諸説ある。その中でも有名なのが、甲賀の忍びだというものだ。作者はこの説を採り、豊かな物語に仕立てた。甲賀を捨てるまでの経緯や、有名な忍びの加藤段蔵との死闘など、忍者小説として楽しむことが出来るのだ。 その一方で、戦国小説の面白さも抜群である。信長と共に未来を切り開こうとしながら、本能寺の変以後、時代の流れの中に埋もれていく。そんな武将としての一益の姿も、雄々しく描かれている。二つの読み味を、見事に合体させた手腕を、大いに称揚したい。 |
No.73 | 6点 | いくさの底- 古処誠二 | 2017/12/29 08:50 |
---|---|---|---|
第二次世界大戦中期のビルマ山岳地帯を舞台にした戦争ミステリ。
警備隊を指揮していた賀川少尉が、駐屯当日の夜に何者かに殺される。私怨か、内紛か、それとも村に潜伏する敵の仕業か。 2008年の「メフェナーボウンのつどう道」以降、舞台をビルマに定めているようだ。一段と夾雑物を排し、戦争小説なのに劇的にしないで、静かに鋭く人間性を掘り下げている。注目すべきは、前作「中尉」からそうだが、ミステリとしての骨格が強まってきていることだ。 「そうです。賀川少尉を殺したのはわたしです」という告白で始まる物語は、犯人と動機を求めることが、戦争という状況下で善悪をこえて殺人を犯さざるを得ない悲劇の実相を掘り下げることとなっている。堂々たる語りの優れた戦争ミステリ。 |
No.72 | 8点 | エドガー・アラン・ポーの世紀- 評論・エッセイ | 2017/12/22 10:18 |
---|---|---|---|
日本が近代国家の体制を整えるはるか以前に、その遠因となったグローバリズム発祥の中心地アメリカに生まれ、わずか40歳でこの世を去ることになったたった一人の男によって、現在でも世界の出版市場に毎年膨大な数が生み落とされている小説の、ほとんどすべてのジャンルの起源にかかわる作品が書かれてしまっていた。
ポーは、欧米主流文学史においてはもちろんのこと、ミステリやSFといった大衆文学からドビュッシーを代表とする古典音楽、さらにビアズリーらの世紀末芸術まで、表現におけるメーンカルチャーとサブカルチャーという区分を軽々と無化し、20世紀に花開く芸術の様々な分野を先取りし、さらに最良の素材を提供し続けた、稀有な表現者だった。 印刷技術の急激な発達によって可能となった雑誌の特性を最大限に活用し、表現のあらゆる雑種を生み落とし、またそれらの間を自由自在に横断した、近代小説の真の起源に位置する人が、エドガー・アラン・ポーである。 本書は、第一線の研究者たちが最新の資料を駆使して、ポーという作家の多面性、現時点におけるその表現の持つ可能性の中心を描き尽くした、決定版の研究論集である。 人文諸科学の危機が叫ばれ、文学の終焉、また書物というメディアの衰退がささやかれている今こそ、なによりもその始まりの時代を生きた特権的な対象を検証する必要があるだろう。本書を通じて、来る次世代の表現者、情報時代を生きる新たなポーの誕生さえも夢想させられる。 |
No.71 | 6点 | 徳川家康- 荒山徹 | 2017/12/19 10:14 |
---|---|---|---|
家康の影武者になった朝鮮人・元信が、関ケ原で急逝した家康に代わり日本の支配者となる奇想天外な物語を作り、隆慶一郎の名作「影武者徳川家康」に挑戦状をたたきつけている。(喧嘩売ってる?)
祖国を侵略した豊臣家を滅ぼすため、元信が特殊能力を持つ3人の朝鮮人忍者を操れば、豊臣家との和平を望む2代将軍秀忠は、元信を倒すために柳生宗矩に救いを求める。それだけに、ほぼ全編が忍者や剣豪が入り乱れるアクション場面になっており、その迫力には圧倒されてしまうだろう。 元信が大阪城を2回攻めたのは、朝鮮出兵の時にに日本軍が2度の猛攻で落とした晋州城の悲劇を再現するためだったなど、著者は正史を巧みに読み変えながら家康=朝鮮人説を補強していくのでリアリティーがある。有名な事件を見たこともない姿に改変しながら、史実と矛盾なく派手なチャンバラを織り込んでいるので、全く先が読めないスリリングな展開が堪能できる。 元信は侵略者を撃退した勝者として日本に君臨、以後は日本人が朝鮮出兵を考えないように陰謀を進める。これは真珠湾を攻撃された米国が、最終的に日本を占領した事実と重なり、戦国時代の朝鮮人が、戦後の米国と同様に日本人を再教育するようなシニカルな展開だ。 同じような占領政策なのに、米国の統治は日本人の誇りを喪失させたと被害を訴える一方、日韓併合は日本が朝鮮の近代化を促進させたと評価する一部の保守論客のダブルスタンダードへの皮肉のように思える。 |
No.70 | 7点 | 数えずの井戸- 京極夏彦 | 2017/12/13 10:15 |
---|---|---|---|
青山播磨守主膳に盗賊の父を殺され、皿を割った自分の指を切られたお菊が、怨霊になるため井戸に身投げする馬場文耕「更屋敷弁疑録」をベースにしながらも、青山鉄山が家来に皿を割らせてお菊を陥れる浅田一鳥らの浄瑠璃「播州更屋敷」、お菊が青山播磨の愛を試すため故意に皿を割る岡本綺堂「番町更屋敷」などのエッセンスも加え、今までにない物語を作り上げている。
青山播磨とお菊は、善人に描かれることもあれば、悪人とされることもある。作者は、語り手によって名前も性格も異なる登場人物を、内面の違いにより複数のキャラクターに分割。各章ごとに主人公を変えることで、更屋敷怪談の原因となったむごい事件が起こるまでを多角的に捉えていく。 本書の登場人物は、全員が心に闇と虚無を抱えているが、それは凶悪犯罪を引き起こすような極端なものではない。いつも褒められたいと思っている播磨の家臣・十太夫、欲しいものは絶対に手に入れてきた名門の娘・吉羅など、誰の心にも潜んでいる小さな悪意ばかりなのだ。 それだけに、必ず共感できる人物が見つかるように思える。こうした負の感情が惨劇の引き金になる展開は、その理由がリアルなだけに、心の闇と向き合う契機になるだろう。怪談という娯楽作品の中に、さりげなく教訓を織り込むテクニックは、江戸戯作の伝統を受け継いでいるようで興味深かった。 |
No.69 | 6点 | 厭な小説- 京極夏彦 | 2017/12/13 10:14 |
---|---|---|---|
収録されている7編にはいずれも「厭な」という冠がつく。
背筋がぞわっとするほど不快な話のオンパレード。何度も何度も出てくる「厭」という字を見ているうちに、いやぁな気分が増してくる。きっぱりとした意思を感じる「嫌」と違って「厭」には生理的な気持ち悪さがにじんでいるように感じるのは気のせいか。 「人によって好きなものはいろいろだが、厭なものは普遍的」という作者の発想から生まれたという本書。とことん重たい気分になりたい人にオススメです。 |
No.68 | 7点 | 乱歩と清張- 評論・エッセイ | 2017/12/07 16:52 |
---|---|---|---|
昭和40年7月28日、江戸川乱歩は自宅にて逝去した。8月1日の本葬で当時の日本推理作家協会理事長、松本清張が読み上げた「声涙ともに下る」弔辞全文から本書は幕を開ける。
著者はこれまで、「物語日本推理小説史」や「松本清張辞典決定版」など乱歩や清張を扱った評論を多数発表している。本評論の執筆動機は、この巨匠2人が「不倶戴天の敵同士」だったという「誤解」を払拭し、むしろ両者の協働によって戦後のミステリ史は成立していることを示すことにある。 本書の卓抜な点はその構成である。葬儀の場面の後、戦後へと時代をさかのぼり、そこからすべてを書き起こすのだ。すると読者の眼前に現れるのは、戦前と違って通俗小説以外の本格的な作品を書かなくなった乱歩の姿。その代わりに抜群の事務能力と人望、財力によって推理作家を束ね、比類のないカリスマを発揮する。乱歩を頂点とする推理作家たちのひしめく群像劇が、本書の最大の読みどころである。甲賀三郎の立場を引き継いだ乱歩と木々高太郎の間で交わされた有名な「探偵小説芸術論争」もその一場面として読み直せる。 一方、戦争直後の清張はいわば丸腰で、苦しい生活と貧しい家族に縛られながら、作家になる気配すらまだない。つまり、小説を書くのが実質難しくなった乱歩と、一文字も書いていない清張をスタートラインに置いて、そこから戦後の日本ミステリ史を書き起こそうとする試みなのである。 その清張がやがて筆を執り、駆け足で大作家の階段を駆け上がっていくと、本書も軽やかに躍動する。著者の筆は時に作品の解釈に深く立ち入り、その魅力を雄弁に語りつつ、清張文学の本質について平易に解き明かす。本書を通じ、乱歩がなぜ清張を日本推理作家協会理事長にぜひにと推したのか、清張にとって乱歩がどんな大切な作家だったのか、思わず膝を打つように納得させられる。 明快で読みやすく、読書案内としても大いに役立つ一冊である。 |