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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.846 7点 ゴースト・タウンの謎- フランク・グルーバー 2020/05/20 20:51
(ネタバレなし)
 ポンコツ車でカリフォルニアまで商売に来たジョニー・フレッチャーとサム・クラッグのコンビ。西部の僻地に向かう路上でガス欠になって難儀した二人は、サムに優るとも劣らない体格の男ジョー・カッターの世話になる。だが無償の善意で助けてくれたかと思いきや、カッターは過剰な謝礼を要求。ジョニーたちはスキを見て逃げ出そうとするが、ポンコツ車の中には見知らぬ男の死体が乗せられていた。やむなく車を捨て、徒歩&ヒッチハイクで旅を続けようとする二人だが、そんな彼らが泊まったホテルでは、銀鉱の鉱山所有権を巡る騒動が生じていて……。
 
 1945年のアメリカ作品。厳密には同年の何月頃の刊行かは知らないが、このタイミングで戦争の影もほとんどない内容なのに軽く驚き。辛く長い嫌な日々はあえて振り返らず、まずは一編のエンターテインメントを楽しんでくだされという送り手(作者&編集者&版元)の意向か?

 昨今の論争社の発掘新訳が好調な本シリーズだが、改めてまだ読んでない旧刊の方はどんなもんなんだろ? と思って手に取った本作。そうしたら、キャラの立った登場人物たち、休まることない馬鹿騒ぎ、間断なく生じる事件またはピンチ……と、これまで読んだこのシリーズの中では、一番スラプスティックコメディ&サスペンスとして面白かった。
 さらにkanamoriさんも書いておられるが、蟻の巣のようにはりめぐらされた地底の坑道の闇の中を、ジョニー&サム(それにゲストヒロインのヘレン)がうろつきまわる様は少し『孤島の鬼』『八つ墓村』的なティストもある(笑)。

 あと作者のグルーバー、こういうシリーズキャラクターものではたぶん暗黙の了解で普通はあんまりやらないんじゃないかなあ、とこちらが勝手にそう思い込んでいた<とある不文律>を、ごくあっさりと実践してしまっている。職人作家でも<そういうこと>をするんだなあ、と思うほどに。もちろん、あまり詳しいことは言えませんが(笑・汗)。

 ミステリとしては(いま言ったそんなちょっとした軽い驚きにからんで)最後に意外性が用意されているのはいいんだけれど、ソレがちょっと唐突というか、かなり乱暴。
 正直、今回は読者を驚かせるために、最後の最後でその効果を得る前提だけから始めて、逆算的に真犯人をそこにシフティングした感じがいつも以上に強いかも。

 あと、事件解決後の最後の人間関係のまとめかたもかなりイキナリ……なんだけど、こっちはまあ、シリーズキャラクターもののミステリの王道を突き詰めた感じもあり、ある種のメタ的な感慨みたいなものも抱かないでもない。
 出来がいいとか、完成度が高いとは決して言えないけれど、とにかく読んでいる間の楽しさは第一級。それだけで十分に価値のある作品であった。
 評価はそんなゆかしさに見合った、この点数ということで。

No.845 4点 ただ、それだけでよかったんです- 松村涼哉 2020/05/19 14:55
(ネタバレなし)
 久世川第二中学で、成績優秀でスポーツ万能、男女からも人気があった優等生・岸谷昌也が縊死自殺する。昌也は級友・菅原拓が悪魔で、自分を含む四人の生徒を支配していじめていたという主旨の遺書を遺していた。「わたし」こと大学三年生の姉・香苗は、弟の死に至る事情とくだんの菅原拓のことを探ろうと行動を開始。幼馴染みにして「秘密兵器」である「さよぽん」こと紗世に協力を願う。一方で「ぼく」こと菅原拓もまた、過酷な現実に向かい合っていた。

 早朝4時。本当ならいい加減寝た方がいいが、大雨の中を愛猫が外に散歩に出たので帰ってきたら体を拭いてやるためもうしばらく起きていようと思い、これを読み出す。(3分の2くらいまで進んだところで無事に帰ってきて、読むのは一時中断。そのまま最後まで読了した。)

 うんまあ、荒削りなところはあるし、お話をよくも悪くもドラマの枠内でまとめてしまったうそ臭さはありますが、その辺はさすがに作者も十分にわかっていたところであろう。
 主人公・拓の採った行動は、切実でたしかにある種のリアルさを感じさせながら、一方でかなりめんどくさい。しかしその面倒な迂路を語るためのストーリーという狙いはよく心に響いてきます。
 ただ事態の構成に関与した準・主要キャラ的な連中のキャラクターがほとんど見えてこないし、語られてもいないので(該当者のうちの一人だけSNSで表に出てくるが)、本当にそういうことになるしかなかったの? という印象もある。とはいえこういう作品の場合、外野の読者が聞いた風なことを口にすることはそれだけで作者の思うつぼ、というような怖さもありますが(笑)。

 終盤で表層に浮かんでくる意外なキーパーソンの正体は、つい先般、評者がかなり感銘した別作品のものと酷似しており、いささか慌てた。こっちの方がずっと先だったんだね。まあ、後の方がたまたま同じ着地点を踏んでしまったのか、それともこちらの本家取りをあえてしようとしたのか、そこまでは分からないが。こういうことがあるから、やはりミステリって多読が必須なんだよな。いや行き着く先は迷宮だけれど。

 ちなみに評点が低めなのは、作中である登場人物が轢死された猫の死体を嫌がらせに使うという不愉快な描写があるからです。そういう演出をした作者の狙いはわからないでもないが、いろんな意味でやめてくれ。 

No.844 6点 ジャックは絞首台に!- レオ・ブルース 2020/05/19 03:04
(ネタバレなし)
「ニューシスター・クイーンズ・スクール」の上級歴史教師にしてアマチュア探偵として実績を積むキャロラス・ディーン。校長ヒュー・ゴリンジャーは、キャロラスの探偵としての勇名ばかり特化して高まるのは、学校の評判によくないと考えた。そんな折、黄胆の療養のため、地方で静養する必要が生じたキャロラス。ゴリンジャー校長はキャロラスの主治医であるドクター・トーマスに手を回し、当初の静養予定地だった殺人事件が起きた海岸ではなく、閑散とした温泉地にキャロラスを向かわせる。だがそこでまたもキャロラスを待っていたのは、同一犯人による? または何らかの関連があると思われる? 二件の連続老女殺人事件だった。

 1960年の英国作品。
 謎解きミステリのお約束パターン、犬棒ならぬ<名探偵も休暇に出れば事件に遭遇する>をひねって開幕する導入部がいきなりケッサクで、評者なんか個人的にはコレだけでもうご機嫌になってしまう(笑)。

 さほど間を置かずに生じた二件の老婦人殺人事件。そして死体の脇にそれぞれ置かれた百合の花(マドンナ・リリーという品種)の謎。双方の被害者同士には互いに接点があるような、ないような? というミッシグリンクの謎……と、それなりのミステリギミックは用意されている。

 登場キャラクターたちもひとりひとりおおむね丁寧に語られ、田舎町でキャロラスが出会う多彩な人々も、キャロラスを追っかけてくる教え子で悪童のルパート・プリグリーや、ついに事件が起きた町にまで推参してくるゴリンジャー校長まで存在感は抜群。
 キャロラス・ディーンが有名なアマチュア探偵だと素性を認めた瞬間、いきなり現在形の殺人事件の話題をふっかけ、あれやこれやと多重解決を仮想するホテルのボーイ、ナッパーのキャラクターなんか特に笑わせる。
 162~163ページでキャロラス・ディーンと教え子プリグリーの会話の中、矢継ぎ早に飛び出すゴジラだのホームズだのポワロだのレイモンド・チャンドラーだのという固有名詞の波状攻撃も愉快であった。
 さらに182ページの、詐欺師まがいの商人を相手にしたキャロラスのメタ的なギャグにも爆笑。
 笑えるという点では、これまで読んだレオ・ブルース作品のなかでもトップクラスかもしれん。

 かたやミステリとしてのトリック……というか犯罪のコンセプトは、某大家の有名作品の変奏ではあるが、名探偵役であるキャロラス・ディーンの取り組み方までふくめて、本作独自のバリエーション感は認められる。しかしこれもまた名探偵もしくは捜査陣がある段階まで動いてくれることを期待しての犯人側の思惑だね。もちろんここでは詳しくは言えないけれど。

 なお巻末の小林晋氏の丁寧な解説でも指摘されているが、本作は得点要素は多い一方、最後の真犯人を絞り込んでいくキャロラス・ディーンの推理がいささか荒っぽいのが難点。特に281ページの後半である容疑者を圏外に外すあたりは「あのなあ……」という感じであった(苦笑)。
<犯人になりうる者の条件>を箇条書きにした演出も、本来ならその箇所で読者をゾクゾクさせるか、あるいは読み手をうまくミスディレクションに誘導すべきところ、かえって最後のサプライズの効果減でしかなかったし(……)。

 全体としては、あれこれプラスマイナスして、佳作というところ。
 ただしこのシリーズへの興味と好感の度合いは、さらに高まった。
 キャロラス・ディーンものの未訳作品はどしどし発掘してほしい。同人(「AUNT AURORA」叢書など)で翻訳されている数作の長編も一般販売の文庫にどんどん入れてほしい。
 関係者の皆様、なにとぞよろしくお願いいたします。

No.843 7点 ロールスロイスに銀の銃- チェスター・ハイムズ 2020/05/18 16:06
(ネタバレなし)
 ハンサムな前科者の若い黒人ディーク・オハラは、自らをディーク・オマリー神父と詐称。仲間とともに、ハーレム内の貧しい黒人に向けて「(黒人は)アフリカへ帰ろう」運動を扇動する。ディークは、先のないアメリカでの生活に見切りをつけてアフリカでの生活を希望する各家庭から準備金の名目で1000ドルずつ徴収。合計8万7千ドルの儲けを得るが、そこに別の犯罪者の横やりが入り、ディーク当人は逃亡、金の行方も不明となる。傷痍を経て半年ぶりに現場に復帰した黒人刑事「墓掘り」ジョーンズは、相棒の「棺桶」エドとともにこの事件を追うが。

 1965年のアメリカ作品。
 本シリーズはだいぶ前に『リアルでクールな殺し屋』(「なんじ、かぐわしくあれ」)を読んで以来2冊目だが、いや~、非常に面白かった。
 ハーレムに集う犯罪者、食わせ者、一般市民、そしてエド&ジョーンズをはじめとする捜査陣、それぞれの思惑が猥雑に絡み合いながら、実にハイテンポで物語が進行。そのくせどこか、冷めた品の良さというか格調を守る文体が堅持される(翻訳の良さもあるのかもしれないが)。
 ある意味では理想の、ハードボイルド風味の警察小説かもしれん。

 ところで前回『リアルで~』読んだときにはあまり意識しなかったんだけれど、ワイルドな黒人刑事という属性の方が、つい先に目についてしまうこのシリーズ。もしかしたら黒人とか犯罪スレスレのワイルド捜査とかを抜きにしても、アメリカ警察小説史上ではかなり初期の<バディものの先駆>だよね?
 長編が中途半端な紹介に終わってるローレンス・トリートとかジョージ・バグビィとかあるので(どっちも昔に読んでるが内容はほぼ忘れてる)、その辺まで踏まえてしっかり再確認しないと。うかつなことは言えないが。

 (ホームズ&ワトスン、モース&ルイスみたいな主と従ではなく)ほぼ均等に主人公キャラを二分して描かれた刑事コンビのシリーズというのは、あるいはかなり新鮮だったのかも(まあ50~60年代の時代はさらに、87分署みたいなチームプレイ、あるいはローテーション主人公ものの警察小説の隆盛に雪崩れこんでもいたのだろうが)。

 つまみ食いでシリーズを読んでるのであまり聞いた風なことは言えないが、人種を問わず同輩の警察官たちから憧れ&畏怖&敬遠の目で見られるエド&ジョーンズの立ち位置も、彼ら二人を「(手のかかる、しかし有能な)エース」として遇する白人の上司アンダーソン警部補のキャラもいい。
 そのうちまたタイミングを見て残りの作品を読んでみよう。

 最後に、嫌味や皮肉ではまったくなく、本作に9点をつけたkanamoriさん、心から尊敬します(!)。そこまで思い切り愛情を表現できる度量の大きさが素晴らしい。
 自分もこの作品をたっぷり楽しんだつもりだけど、8点にしようか迷った末に7点なので(残りのシリーズ未読作にさらにハマるものがあることも期待して、ではありますが)。

No.842 6点 カーラリー殺人事件- 石沢英太郎 2020/05/17 23:18
(ネタバレなし)
 日本自動車業界の「鬼」と言われる、斯界の黒幕的な巨魁・豪宮弥右衛門。齢80歳を過ぎた彼はこれまでの因業の贖罪のつもりか「日本列島縦断カーラリーレース」の企画に巨額を投じ、陰のスポンサーとなる。このラリー企画のコンペティションに応じ、見事に豪宮の眼鏡に叶った「カーマガジン社」の面々は、ラリー主催のメインスタッフまで務めることになった。多額の賞金が用意された3週間に及ぶラリーには、アマチュアレース界で話題の「人間コンピューター」こと21歳の盲人ナビゲーター・田浦二郎もその兄夫婦とともに参加。ほかにも多彩な参加者が競技を賑わすが、しかしこのラリーの陰ではある妄執を秘めた復讐者の殺意が渦巻いていた。そしてさらに、本ラリーにからむもうひとつの事件が。

 作者の初の書き下ろし長編で、ラヴゼイの『死の競歩』を思わせる(らしい・そっちは評者はまだ未読だが~汗~)競技と殺人事件の併走ストーリー。さらにもうひとつ、別の犯罪事件も複合的に話に関わり合ってくる。

 作中での全国からのラリー参加者は百組に及び、そのうちストーリーの表面に出てくるのは、探偵役の田浦二郎とその実兄・康雄、康雄の妻の芙美子の主人公トリオをふくむ十数チーム(基本的にワンチームは二人一組だが、田浦家は身障者の二郎のことを鑑みて、三人チームで出場)。

 この手の作品では、どれだけ主要参加チームのメンバー個々が書き分けられているかが重要な賞味ポイントの一つとなるが、本作はその点ではなかなか。
 優勝を競う者同士ではあっても、窮地や突発的な事態のなかで逐次協力しあうドライバー同士の矜持などもポジティブに描かれ、モータースポーツドラマとしての興趣にはことかかない。
 また、ラリーカーで巡る次の目的地が順次クイズ形式で提示され、インターネットも存在しない時代に、各地の図書館や事情通を訪ねて探り当てていく、この時代ならではのオリエンテーション方式のクェストの連続も、これはこれで楽しい。

 一方で肝心のミステリとしては、独創的なトリックを用意し、作品全体にもかなり強烈な反転の構図を設けている。
 ただその食い合わせが思ったほど生きなかったという印象なのは、長年におよぶ積ん読の日々のうちに、こちらの期待が高まりすぎていたためか(汗)。
 いや、力作だとは思うけれど、<最後のサプライズ>を効果的に見せるにしては、当該キャラの……(以下略)。

 ちなみに本作の名探偵役で、ミステリマニアでもある盲人ナビゲーターの青年・田浦二郎。当時の「ミステリマガジン」なんかでは、読者のアマチュア論考の場などで今後のシリーズ展開も期待されたほどの鮮烈なキャラクターだったが、結局はこれ一本の登場で終わったと思う。正直、シリーズキャラクターにするには難しい設定だったとは思うけれど、可能ならばまた別の事件での活躍も見たかった。その辺はちょっと残念。

【警告・注意】
 本作『カーラリー殺人事件』では田浦二郎の推理能力の描写として、チェスタートンの『奇妙な足音』、クイーンの『Yの悲劇』を義姉に朗読してもらう途中で当てたとして、それぞれの真相・犯人までネタバレしている。まあこんな作品に手を出すヒトで、この二作を読んでない方もまずいないだろうけれど、一応、注意しておきます。
(あと、ホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』についてもなあ……。そっちも、原作も映画も、先に読んで観ておいた方がいいかも。)

No.841 6点 百万長者の死- G・D・H&M・I・コール 2020/05/17 13:52
(ネタバレなし)
 その年の11月のある寒い朝。ロンドンのサグデン・ホテルを、元内務大臣で現在は上場企業「英亜商事」の代表であるイーリング卿が訪ねる。訪問相手は、今後の事業の提携相手であるアメリカ人、ヒュー・レスティントンだったが、当人の部屋はすさまじく荒らされ、相手の姿は無かった。ついでホテルの従業員たちの証言で、レスティントンの秘書と称するロシア人、イワン・ローゼンバウムが人間が丸ごと入るような大型サイズのトランクを持って、少し前に宿から出ていたことがわかる。やがてロンドン警視庁から馳せ参じたブレーキ警部が捜査を進めるうちに、レスティントンの意外な正体、さらにイーリング卿とレスティントンの業務構想にからむロシアの過激派共産党の暗躍、いろいろな情報が集まってくるが……。

 1925年の英国作品。
 ……あー、ウィルスン警視ものでは本当は『ブルクリン家の惨事』(これはG・D・H・コール単独の執筆作品なので、本サイトでは「コール」標記の作家カテゴリーに登録)が先か。そっちも持ってるんだから、先にそちらから読めばよかったかも(汗)。

 それで今回、創元社の「世界推理小説大系」版(ミルンの『赤い館』と合本)で楽しんだけれど、これも少年時代に購入して何十年も寝かしてあった積ん読本。ようやっと読んだのだった(笑・汗)。
(挟み込みの月報とかを見ると、そーか、心の隅にひっかかっていた文言はこれだったかと、確かに昔、一度は手に取っていることを思い出す~といいながら、実は何年か前に初めて完訳版の『赤い館』もこれで読んだはずだが、その時に月報を見直した記憶はないなあ。なんでだろ?)

 でもって内容ですが、ああ、乱歩がいっとき高く評価していたのは、こんな話だったの? という感じです。
 前評判のとおり、相場の変動操作までを主題にした経済風俗小説の趣も強く、日本でいったら昭和30~40年代の社会派というか専門業界ものの要素が強い謎解きミステリ、あの路線の英国・1920年代版じゃないでしょうかね。
 昔「EQ」の翻訳ミステリの新刊評でたしか郷原宏あたりが「小説とは要は面白くてタメになる話のことだ」とかなんとか菊池寛の名言を例に引いていた記憶がありますが、本作は正にソレって感じ。今となってはどうということもない相場の情報だけど、少なくとも当時の英国ミステリの読者にとってはなかなか新鮮だったのではないかとは思える。その意味でキーパーソンといえるイーリング卿のキャラクターなどは、けっこうよく書けているし。
 
 一方で謎解きミステリとしては、怪しい人物ローゼンバウムが当初から設定されている分、よくもわるくも素直なフーダニットではない(最終的に彼がやっぱり真犯人なのか? それとも? については、もちろんここでは書かないが)。

 さらに英国ミステリの王道的な系譜といえる「それではここで読者に、物語の陰にあるもうひとつの逸話を語ろう……」形式の過去編にもストーリーが次第に雪崩こんでいくし、本作が面白いかどうかは、ここらへんの話の変化球ぶりを楽しめるか否かが大きいだろうね。評者の場合、ぎりぎりのバランスでまあ、これはこれでよし、という手応えであったが。 
 あーあと、本作のメイントリックは、乱歩の『続・幻影城』の「類別トリック集成」のなかではっきりとバラされていましたな。本作を読んで、クライマックスのその該当部分に近づくまで、そのことをすっかり忘れていた。ある意味では助かったけれど(笑)。

 それでたしかにミステリとしては、いささか「なーんだ」の出来ではあるものの、最後のドラマ的な決着は相応の軽いインパクトではある。黄金時代のパズラーの諸作をある観点から並べて整理していったときに、本作の狙いというか立ち位置も改めて見えてくるかもしれない。
 まあ名探偵キャラクター単体でいうならば、ウィルスンって本作を読むかぎり、フレンチ警部のデッドコピーというか、子供のいるフレンチ以上のものじゃないけれどね。むしろ家庭人の側面をやや強調されたという点では、意外にのちのジョージ・ギデオンあたりの先駆といえるかも。

No.840 7点 赤い熱い海- 佐野洋 2020/05/15 20:25
(ネタバレなし)
 196×年8月4日。羽田発函館行きの「東北航空」の航空機が飛行中の出火により函館沖に不時着。乗客18人と乗員3人のうち、前者の3名が海中に没して死亡と認定された。だが函館の企業「花井漁網」の専務である井波浩三の妻・昭子が、夫は乗客名簿に名前がないがもしかしたら誰かの名義で遭難機に乗っていたのでは? と疑義を抱いた。昭子の疑念を受けた東京と札幌に本社・支社を置く大手探偵事務所「全日本秘密調査網(AJSS)」の面々は、井波が乗っていた、そうでない状況をともに念頭に置きながら、死体の上がらない遭難者が本当に死んだのか、もし生きているならなぜ? とあらゆる可能性を追い求めるが。

 十数名の規模の民間探偵組織がほぼ一丸となって事件を追う(主要な探偵役はそのうちの4~5人だが)という趣向は独特のダイナミズムを感じさせるが、一方でこれなら、普通の警察捜査形式の謎解きでもよかったのではないか? という気もしないでもない。まあこの設定ならではの作中のリアリティのデティルもそれなりに書き込んであるので(いくらそれなりの規模とはいえ、あくまで民間企業である探偵社の弱みとか)、変わったものを読ませてもらった新鮮さは担保されている。

 主要調査員の動向だけ追っても並行して4つ5つのドラマが進むのだが、最終的にはその構成がうまく生きるあたりの手際はさすが。ここではあんまり書けないけれど。終盤の謎解きはやや強引で力業な感じもあったが、意外性としては十分に評価していいだろう。斎藤警部さんのおっしゃるとおりに企画と技巧が先行しすぎたきらいはあるが、力作なのは間違いない。
 
 作家としてのポリシー的に、長編ミステリでのレギュラー探偵をほとんど作らなかった作者だと思うけれど、このAJSSのシリーズはもう何作か読んでみたかったな。原島の成長譚なんか、連作の上で面白いファクターになった気がする。

No.839 6点 居合わせた女- クレイグ・ライス 2020/05/14 20:45
(ネタバレなし)
 ロサンゼルスの遊園地「波止場」。そこに設置された観覧車の中で、土地の賭博場のオーナーである顔役ジェリイ・マックガーンの刺殺死体が見つかる。以前のマックガーンの手下で、先週、二年間の服役を経て出所したばかりのハンサムな若者トニイ・ウェッブが近くで見かけられ、30代後半の堅物の独身警部アート・スミスは彼に嫌疑をかけた。そして殺人が行われたと思われる時刻、観覧車の傍で聾唖の似顔絵描きアンビイが、とある茶色の髪の美しい娘の肖像を描いていたことがわかり、この彼女が何か目撃していたのでは? と期待がかかる。トニイとスミスはそれぞれの立場から、この美女=エレン・ヘイヴンの行方を追うが、さらにスミスの座を蹴落として後釜を狙う野心家の部下ジャック・オマラ刑事も独自の行動を開始した。くわえてマックガーンの死にからみ、ニューヨークから殺し屋のコンビも出現。事態は緊張を高めていく。

 1949年のアメリカ作品。
 翻訳を担当した恩地三保子(クリスティーやブランドの諸作、「大草原の小さな家」シリーズの邦訳でもおなじみ)はポケミスの訳者あとがきで「(よくライスの作風の修辞に用いられる)クリスティーの巧みさ、ハメットのスピード感、セイヤーズのウィット」に加えて本作ではさらに「チャンドラーの影とカーター・ブラウンの鋭いカット」が付加されたと評しているが、いや、まんまこれはウールリッチでしょ、という一冊。
(読了後に小林信彦の「地獄の読書録」を紐解いたら、まんまその通りの物言いで苦笑した。)あえて言えば、あとどこかに、マッギヴァーンかフレドリック・ブラウン辺りの感触なんかも見やれるけれど。
 
 ひとくちにサスペンスといっても、さらに細分化してどういう方向のジャンルに流れていくかはネタバレになるのでここでは言えないんだけれど、まあ大方の読者は3分の1もしないうちにある程度の予想はつくでしょう。個人的にはポケミス107ページ目の過去の述懐のあたりでハッとなった。
 薄い作品(全部で本文は170ページ弱)なのに、なんかじっくりと読者にからんでくるような文体で、そこがこの作品の味わいのようなまだるっこしさのような感覚がある。
 それでも物語の後半、ストーリーのベクトルが見定まってくると話の加速度は倍加。どういう決着になるのかというダイレクトな興味で一息に読ませる。主舞台である遊園地「波止場」のロケーションを活用したクライマックスも実に視覚的で、印象深い。

 1950年台の(本書は厳密には1949年作品だが)この手のアメリカ・ノワール・サスペンス系の作品が好きな方、たまに読みたくなった人ならどうぞ、とお勧めしておく。
 あとちょっとした旧作・海外ミステリのファンなら、ライスについての地味にドラマチックというかなんというかの物書きとしてのエピソードは、黙っていてもいろいろと聞こえてくるんじゃないかと思うけれど、この本を読むと改めてそんな作者の現実の人生の方にちょっと意識が向かう。そんな一作でもあった。

 ところで今回、蔵書の山の中から引っ張り出してきた本書(ポケミスの初版の古書)を見たら、もう今は閉店してしまったはずの都内の古書店の800円の値札がついていた。たぶん今じゃ絶対に、この値段じゃ買わないな。昔、ライスの絶版品切れポケミスを集めていたころに買った本だな。
 これから読む方もそれなりの安いお値段の時に購読してください。ちなみに現在のAmazonなら、1980年台の再版版なら100円からです。

No.838 6点 宿命- 東野圭吾 2020/05/13 17:09
(ネタバレなし)
 さすがにありきたりの回春三角関係メロドラマには終わらないだろうと予期していたが、思っていた以上に斜め上の展開で軽くぶっとんだ。

 主人公三人の葛藤ドラマ、瓜生家とその親族&会社の内紛劇、さらに過去に向けて広がっていく一種の(中略)業界ものを三題噺風にまとめて、さらにフーダニットとハウダニットの謎まで物語の大きな軸のひとつとする。ネオ・エンターテインメントの文法じゃないの、これ?

 ミステリ的には謎解きの際の(中略)の分担という趣向がすごいお気に入りで、警察捜査小説の側面を十二分に活かした手ごたえ。
 反面、真犯人が暴かれる際の描写はよけいな演出をしないでくれた方が、サプライズが際立ったと思うのだが。

 最後の決着劇の力業はいささかゲップが出る思いだったが、そんなことを考える自分はあまりこの作品の良い読者ではないのかもしれない。それでも本作の売りである最後の一行は、ちょっとグッと来たけれど。

No.837 7点 死者の靴- H・C・ベイリー 2020/05/12 18:46
(ネタバレなし)
 英国の田舎の海沿いの街キュルベイ。その近海で、貧民街出身の孤児で居酒屋「三羽の雄鳥亭」の下働きをしていた16歳の少年ガセージの変死死体が見つかる。他殺、事故死、両方の可能性が取りざたされ、疑惑は酒の密輸の嫌疑がある「三羽の雄鳥亭」の主人ボブ・プライオニーにも及んだ。少年が主人の悪事を知って官憲に密告しようとしたため、口封じされたというのだ。だがガセージを可愛がっていた、自分は無実だと主張するプライオニーは、友人である骨董屋アイザック・コウドの助言を受けて、ロンドンの辣腕弁護士ジョシュア・クランクに救いを求めた。クランクのおかげで無罪放免となるプライオニーだがガセージの死の真相はいまだ未明で、キュルベイの町に何か不審なものを感じたクランクは助手の青年弁護士ヴィクター・ポプリーとその愛妻ポリーを静養・休暇の名目で見張り番に残した。やがてヴィクター夫妻が土地の人々と親交を深めていくなか、没落した名門の令嬢キャロライン・ブルーンと根なし草の成り上がり者の青年実業家トム・クラヴェルの身分違いの恋模様が人々を賑わす。だがこれはキュルベイの街で生じる新たな事件の前哨だった。

 1942年の英国作品。
 いやnukkamさんのレビューがあまりにきびしいので、おそるおそる手に取ったが、個人的にはメチャクチャ面白かった! 先輩と意見を違えて恐縮ですが、これはまあ作品との相性もあるっていうことで(汗)。

 大した儲けにも功績にもならないだろうに、未解決の田舎の少年変死事件に執着して、自分の会社の経費で(はっきりは書かれていないけれどそういうことになるんだろう)ヴィクター夫妻をキュルベイに数か月にわたって住まわせるクランク弁護士って何様や、という思いは生じたが、文句をつけるのはそれくらい。
 作中ではヴィクター夫妻とさらにもう一組の若いカップル、市議会秘書のアレクサンドラ(アレックス)・リンドと新聞記者のランドルフ・ハウが物語の狂言回しに近い役回りを務めるが、後者の焦れったいラブコメ模様も良い雰囲気で楽しく読めた。

 なによりミステリとしては少年ガセージの変死事件以来、およそ一年におよぶ長丁場でストーリーが語られるが、そのなかで大小の事件(一部は事故?)が5~6件。地方都市のなかで何が起きているのか、誰が黒幕もしくは各事件の真犯人なのか? その動機は? という興味でテンションが鎮まる間がない。地方都市を舞台にした一年単位の事件の謎という趣向は、あのクイーンのライツヴィルものでさえそう無かったと思うが(あえて言うならエラリーが出戻りしてくる『十日間の不思議』あたりか)、これはそういった大技っぽい筋立ての構成が見事に功を奏した印象。
  
 まあ終盤、語られ切らない事件の謎の分量に比して「これはいくらなんでも残りのページ数がなあ……」と思っていたら、案の定、いささか破格なクロージングになってしまったけれど、フーダニットの謎解きミステリとしてはまあギリギリ。のちのちの世代の英国パズラー大家の初期作品とかにもこういう作りのものはあったし、個人的にはごくタマになら、こーゆー変化球的な作品もアリでしょう、という感じです(ま、怒る人がいても止めはしないが~笑~)。
 少なくとも、作者が事件の流れを最後には一応は(おぼろげな物言いで)説明したことは認められるし。

 100%手放しでホメられないけれど、このレベルの長編がいくつかあるっていうんならベイリーの今後の発掘にも期待できるね。
(ちなみに自分は大昔に『フォーチュン氏の事件簿』読んであまりピンとこなかったけれど、本サイトの雪さんのレビューを拝見するとかなり面白そうで、そっちも再読してみたら、また評価が変わるかもしれない。)
 論創からも近々、新刊(フォーチュン氏の初めての翻訳長編)がひとつ出るとかいう噂もあるから、楽しみにしていよう。

No.836 6点 サイレント・スパイ- ノエル・ハインド 2020/05/11 18:53
(ネタバレなし)
 1977年のアメリカ、南ジャージーのデルウッド市。長年、中国方面で諜報員として活躍しながら、政治的な事情から現場を追われた37歳の元CIA局員ビル(ウィリアム)・メイスンは、遊泳場の監視員として有閑の日々を送っていた。だがそこにかつての恩師で自分を諜報の世界に引き入れた男ロバート・ラシターから呼び出しがかかる。これに応じたメイスンだが、彼を待っていたのは再会を待たずに転落死したラシターの訃報だった。メイスンのもとには、ラシターに代わって別のCIA局員デビッド・アワーバックが接触。やがてメイスンの前には、国防上の機密にからむ謀略の迷宮が広がっていく。

 1979年のアメリカ作品。翻訳刊行された第二作『サンドラー迷路』が日本でも相応の反響を呼んだ(しかし21世紀の現在ではほぼ完全に忘れられた)作者ノエル・ハインドの第三長編。
 本作は完全なノンシリーズ作品のエスピオナージュかと思いきや、訳者あとがきによると、本書のメインキャラクターのひとり(序盤で死んでしまうが)ロバート・ラシターは前作『サンドラー迷路』にも本当に一カ所だけ名前が登場。世界観は繋がっていたらしい。

 意に添わず現場を追われたスパイの復帰劇、その設定にからむ各陣営の動きを語るのが主題のエスピオナージュだが、一方で謀略の全容がなかなか見えないこと、さらには主人公メイスンが先輩ラシターを殺した黒幕らしき人物を追うこと、なども物語の大きな興味となる。
 さらに主人公メイスンの動向と並行して、ラシターの元妻だった36歳の女性サラ・ウッドソンの日々の描写までなにかいわくありげにカットバック手法っぽく語られ、読者はなかなかその意図が読めない(一部、予想できる部分はあるが)。この辺はちょっとB・S・バリンジャーっぽい感じもしないでもない。
 もやもやした筋立てながら小説としての語り口がうまいのでテンポよく一気に読めるが、この手のエスピオナージュにありがちな「なぜここで、この登場人物はこの選択をするのだろう」と思わされるところもなくはない。まあ、その辺は結局は、作中のリアルとして「そうしようと思ったからそうした」ということになるのだという感じでもあるが。

 終盤の波状攻撃的などんでん返しはなかなか強烈だが、やや舌っ足らずな感触もないでもない。ただまあ、当事者のそこに至った心情を察するに、結構深い感慨は抱かされる。その意味では成功した作品ではあろう。

 評点は7点に限りなく近いけれど、あえて、という感じでこの点数で。

No.835 6点 青じろい季節- 仁木悦子 2020/05/10 19:53
(ネタバレなし)
 理由あって、大学講師の立場を数年前に辞した語学研究家の砂村朝人。現在33歳になった彼は、二人の正社員そして複数の外注やバイトを使いながら、業務用の翻訳を主体に受注する「砂村翻訳工房」のチーフとなっていた。だがその年の6月の半ば、外注の大学院生・矢竹謙吾が、朝人に不審な文書を預けて行方を絶った。謙吾の母親・雪野から捜索の協力を請われた朝人は、謙吾の婚約者の畑真美枝、そしてその父親で朝人とも同業で交流のある陽一郎に接触する。やがてそんななかから、謙吾が私立探偵事務所にある件を依頼していたことがわかってくるが。

 仁木悦子の後期の長編作品のひとつ。主人公の知人の失踪から、実はかなり奥深い事件の迷宮に分け入っていく筋立てはたしかにロス・マクドナルドっぽい。角川文庫版ではクリスティー研究家の第一人者・数藤康雄氏が巻末の解説をまとめ、以前にご自宅にお伺いした作者の書斎にフランシスやらロス・マクなどのポケミスがずらりと並べられていた逸話を紹介しているが、さもありなんであろう。

 ネタバレにならない程度に筋立てのポイントを語ると、事件は3~4軒の家庭間の人間関係に深く関わり合い、さらに主人公・朝人の周辺でも相応のドラマが語られる。
 実は……(中略)パターンの反復がいささか物語の構造を狭くしている印象もあるが、そのうちのいくつかは事件や悪事の流れにおいて登場人物の方からまた別の人物にすりよってきている面もあるので、人間関係をきちんと整理していくと実はそんなに偶然や暗合には頼っていないのかもしれない。

 この時期の仁木悦子作品は、もはやベテランの域に達した書き手としての手慣れた、そのくせどっかに不器用さを感じさせる(伏線の張り方にある程度のパターンが見えたり、人物配置の狙いが察せられたり)おちつききらない成熟感みたいなものが見受けられ、そこもまた魅力ではある。
 砂村朝人の事件簿は、長編はこれひとつのみだが、短編はわずかだけ書かれたらしい。その辺は先輩格の、あの『冷えきった街』の主人公・三影潤を踏襲した(三影の方が短編の数はずっと多いはずだけれど)。

 しかし未読の仁木作品の長編もだんだんと減っていくなあ。まあ仕方ないけれど。大事に読んでいこう。

No.834 7点 聖女が死んだ- キャサリン・エアード 2020/05/09 21:11
(ネタバレなし)
 英国のケルシャー州。現地の「セント・アンセルム修道院」で、31年もの間この修道院で暮らしてきた49歳の修道尼シスター・アンの死体が見つかる。当初は事故死と思われたが、検視の結果、何者かに頭部を殴打されて殺され、死体は事故に偽装されたものと判断された。ベリバリー署のC・D・スローン警部は相棒の青年刑事クロスビーとともに、50人前後の修道尼が生活する現場に向かい、やがて先のガイ・フォークス祭の際に修道尼の服装を着た人形が燃やされる悪戯が近所の農学校の周辺で起きていた事実を知る。一方で被害者シスター・アンの死によって莫大な金額が動くことも明らかになってくるが、そんななかでさらにまた新たな事件が。

 1966年の英国作品。1990年にはCWA会長も務め、自分のシリーズ探偵であるスローン警部ものも原書では10冊以上も刊行されながら、日本では邦訳がわずか3冊と不遇に終わった作者キャサリン・エアードの処女作。
(まあ日本での80年代の英国の女流作家人気はたぶん、ジェイムズとレンデルのツートップにみんなもっていかれたのだろうから、他の同世代作家が割を食ったのは仕方がないかも。)

 評者も最初の本邦紹介作で、翻訳以前からトリックがとんでもなくスゴイと聞かされていた『そして死の鐘が鳴る』だけはとびついて読んだものの、続く2作はほったらかしにしてあったままだった。
 本作は一年ほど前に出向いた古本屋で帯付の百円本を購入。そのうち読もう読もうと思いながら、昨日からページをめくりはじめたが、予想以上に面白かった。

 いやたしかに修道院内のシスターの登場数はべらぼうに多く、冒頭からいかにもシスター側の狂言回しっぽい雰囲気で出てくるシスター・ガートルードがほとんどその場だけの出番でおわっちゃうとか、なんかもったいない感じがあったり。一方で評者みたいに劇中キャラの一覧表を作りながら読むタイプの読者にとっては、そういう潤沢に導入されるキャラクターの頭数の多さもそんなに苦ではない。最終的には名前の出てくるキャラだけで50人以上になったが、それでもキャラの多さが煩わしさに繋がらない。全体的にキャラクターの書き分けがうまいのであろう。

 ミステリ的には二つ目の事件を半ばの山場とする段取りで、良いテンポでストーリーが展開。ミスディレクションをまき散らす一方で、真犯人に至る伏線と手がかりもちゃんと忍ばせてあった。ページがギリギリまで減じながらなかなか真相が見えてこない焦れったさも、快くテンションを高めている。
(まあ最後の最後で、あまりに(中略)をしてしまう犯人の行動は、失笑ものではあったけれど。)

 『死の鐘~』はかなり大昔に読んだので、素直に比較はできないけれど、個人的にはそっちよりずっと面白かった気もする。
 翻訳がある残りの未読分が一冊しかないのが残念。「世界ミステリ作家事典」のエアードの項目にもあまり未訳作が紹介されてないのが悲しかったけれど、唯一そこで記述されている未訳の作品(やはりスローンもの)なんかブランドの『緑は危険』とマーシュ(&ジェレット)の『病院殺人事件』のミキシング風の内容みたいで実に面白そうである。
 きょうびロラックやコリン・ワトソンあたりを出すのなら、(もうちょっとあとの世代の作家ながら)エアード辺りにもいささか目を向けてもらいたい(切実!)。

No.833 8点 飛べ!フェニックス号 - エレストン・トレーバー 2020/05/09 00:23
(ネタバレなし)
 サハラ砂漠の上空を飛ぶ、双発のプロペラ機サーモンリーズ・トラック・スカイトラック機。その機内には50歳のベテランパイロットの機長フランク・タウンズ、彼と3年にわたって相棒を務める航空士の青年リュー・モラン、そして奥地の石油採掘キャンプから乗り込んだ12人の乗客が搭乗していた。だが約5000メートルの上空で機体に異常が生じ、やむなくスカイトラック機はまったく何もない砂漠の真ん中に不時着する。2人の乗客が死亡し、一人が重傷。炎天下の中、無事な11人の乗客は生き延びるために懸命になるが、やがて中破した機体を前に、乗客の一人で設計技師のストリンガー青年が奇想天外な脱出策を提案した。

 1964年のイギリス作品。
 本作の映画化作品『飛べ! フェニックス』は、大傑作『北国の帝王』やマイク・ハマーの『燃える接吻』の映画化『キッスで殺せ!』などで有名なロバート・アルドリッチ監督の代表作の一本として有名。ただし評者はどうせならこれは原作から先にと思いながら、本を購入してウン十年経ってしまっていた。とーぜんながら、今日ようやっと原作小説を読んだので、映画はまだ観ていない。ま、評者の場合、実によくあるパターンである(笑)。

 エレストン・トレーバーすなわち、「アタマ・スパイ」こと英国情報部の史上最強のスーパースパイのひとりクィーラーの生みの親アダム・ホールであることはもちろん知っていて、あまりに長い歳月、敷居が低く手がけ出しにくかったのは、その辺の事情もあった。だってそれだけ、クィーラーシリーズの諸作はガチで歯応えがあるんだもの。

 とはいえ、本作「飛べ!フェニックス号(飛べ!フェニックス)』の場合は、あくまで大枠はサバイバル冒険小説。エスピオナージュ的な腹の探り合いや人間関係の駆け引きなどはそう表面に出ないだろ……と思いきや、いや、その辺はあまりにも読みが甘かった。

 登場人物12人の大半の挙動は、最悪の非常時にあっても常におおむね冷静であり「お前のせいでこうなった」とかの子供じみたことを喚く感情的な愁嘆場などはほぼ一切ない。重傷の乗客も、同乗の動物(お猿さん)すら見捨てない。そんなつまらない三流ドラマを書いて紙幅を稼ぐのは読者に失礼だといわんばかりのクールさでストイックさだ。

 ものの考え方は時に食い違うこともあるが、基本的には遭難事故の場に集う全員ができるかぎり生への希望を繋ごうとするし(さすがに時にニヒルになるもろさはあるが)、そしてその上でのあっと驚く脱出作戦(たぶんもう誰でも知ってるだろうけど、一応は隠しておく)に向けて少しずつ歩が進められる。
 だがその上で障害となるのが、あまりにも過酷な自然との闘い(特に何より水の確保)、そして生き延びるために一丸となっているはずの面々のなかでの人間関係の軋轢である。
 脱出作戦を進行するなかで、当然ながら各自が持っている知識や経験、技能の較差からおのおのに負担や責任に高低は生じるが、その際にその現実と裏表となる立場の上下も、マキャベリズムの縮図のような図式も生まれてくる。この辺りを子細に、そして静かかつ限りなくドラマチックに語っていくあたり、やはりトレーバー=アダム・ホール、一筋縄ではいかない。
 悪人なんか誰もいないが、それでも人間の清濁をたっぷり描いた上で、同時にその現実を肯定も否定もせず、ただ「生き延びるため」彼らはひとつひとつ何をしたか、の物語を紡いでいった傑作にして名作。
 個人的には、後半のひとつの山場のシークエンスでため息が出た。

 なお、クィーラーものの優秀作『暗号指令タンゴ』(1973年)も主要舞台は砂漠だったけれど、トレーバー=ホールにしてみれば、本作からおよそ10年目にしてクィーラーをも、本作の面々に近しい状況のなかに放り込んでみたかったんだろうなあ(さらに『タンゴ』ではもうひとつ、とんでもない要素が増えるが)。いつかその辺の興味を再確認しながら再読することもあるだろうか。

【最後に、これから読むかもしれない人への警戒注意報】
 今回、評者は大昔に購入した酣燈社の『飛べ! フェニックス』版の方で読了。酣燈社はもともと航空機関連の書籍を出している出版社らしく、作中の脱出作戦の具体的なビジュアルまで読者にわかりやすく見せてくれている丁寧な編集。また翻訳の渡辺栄一郎(ポケミスそのほかでの仕事も多いネ)の訳文も潤滑な上に各登場人物の演出も効いている。とても良い仕様であったが、悪いことがただひとつ。

◆登場人物一覧表で、とんでもないネタバレをしている!
 ここだけは絶対に、本文の事前に見ないようにしてください。

No.832 6点 復讐するサマンサ- E・V・カニンガム 2020/05/08 14:32
(ネタバレなし)
 1960年代の半ば。ビヴァリー・ヒルズで「ノースイースタン映画会社」の社長アル・グリーンバーグが急死し、彼と面識のあった日系二世の部長刑事マサオ・マストが現場に向かう。グリーンバーグは心臓が悪かったので病死と思われかけたが、彼の死の直前、何者かと口論して脅迫されていたようだとの証言が聞こえてきた。マストは、故人の疾患まで計算に入れた殺人の可能性を考慮する。やがて11年前に映画業界で複数の男に枕営業を強いられ、ほとんど使い捨てにされた若手女優「サマンサ」の名前が浮かんできた。しかも歳月を経て容姿と名前を変えたサマンサが、今はノースイースタン周辺の関係者の誰かの細君になっているかもしれない? やがてグリーンバーグの件に関連するような新たな事件が……。

 1967年のアメリカ作品。
 主人公マサオ・マストの設定は、当時のミステリ界における黒人系主人公の隆盛が背景にあるのだろうが、人物造形としては非常に親しみやすい、知的な紳士キャラになっている(物語後半のちょっとした心の移ろいまでを含めて)。意地悪なことを言えば、マイノリティ読者の視線を意識して無難策を採った可能性もあるが。
 キャラの味付け程度(?)には東洋の神秘を覗き込むニッポンジン観も盛り込まれており、さらに作中で出会う別の登場人物たちから何回か「チャーリー・チャン」だの「モト(モト氏、ミスター・モト)」だのと揶揄されるのはお約束(笑)。
 カニンガムがシリーズ探偵を創造したという話は知らないが、続編がもしあればまた付き合ってもいいなと思うくらいには、地味な魅力のあるキャラクターである。

 ポケミス巻頭の登場人物一覧にも「~の妻」というポジションの女性が5人並び、マストはその全員各人について、年齢層的な面からも「彼女がサマンサか?」と疑うのだが、ちょっと冷静に考えると立場も年齢もバラバラの関係者の細君がそろって30歳の初頭(11年前のサマンサの現在の推定年齢)というのは、あまりにリアリティがなくてバカバカしい。まるで、揃って同年代の息子ばかり生まれた『リングにかけろ2』みたいだ。
 各・奥さんの過去についてもそれぞれ(中略)。
(まあ一方で、そういったケレン味いっぱいの趣向にワクワク、な一面もあるのだが(笑)。)

 実際、作者カニンガム(別名ハワード・ファスト)がもともと映画人としても鳴らした書き手だけあり、緩急の効いた筋運びはなかなか快調。
 この設定のなかであえて、安っぽいレイシストなんかほとんど登場させない一方。警察の所轄同士の縄張り争いドラマをスパイス程度に盛り込む手際もよい。
 
 そんな一方で、途中で語られる女性の死亡事件をグリーンバーグの件に関連づけるマストの思考がよく見えないことは、ちょっと減点。
 かたや終盤のどんでん返しというかヒネリはなかなか気が利いていたが、一方で真犯人の動機が(中略)。まあそれを前提にした上で、犯罪そのものはそれなりにイカれたもので印象的ではあるが。

 3~4時間はしっかり楽しめる佳作。

No.831 7点 そして誰もいなくなる- 今邑彩 2020/05/07 14:39
(なるべくネタバレないように書きますが、今回はちょっと微妙かも・汗)

 一晩でいっきに読了。さすがに最後までは……(中略)という思いも湧かないでもないが、作者の立場になってみるならば、どこでどうチェンジアップするかの構成と、仕掛けの配分に、精魂を傾けた力作なのは間違いない。

 また、一人の思惑で(中略)という面もあるが、それはそれ、かの幻影城ジェネレーション作家の某長編のごとく、大事なのは当事者のものの考え方であろう。先のレビュアーの方も言われるように、描写が甘いなという違和感が終盤で反転する快感はかなり鮮烈であった。
 一番大きな仕掛け(最初に明かされる××トリック的な部分)のみはさすがに読めたが、まあ、あれは大方の人がわかるだろうし。
 
 あえて不満を言うなら、一部の登場人物の内面描写に恣意的な作者の作為を感じる点。一人称視点なら書き手の記述のコントロールの賜物として了解できるものが、三人称の場合は作中人物の思惟を覗き込んだ際に<その流れでその事象に考えが及ばないという、かなり奇異な事態>の積み重ねが嘘っぽく見えてきて仕方がない。『DEATH NOTE』での月の自己催眠のギミックなどは、出るべくして出た作法という感もあった。

No.830 5点 引き潮の魔女- ジョン・ディクスン・カー 2020/05/07 02:01
(ネタバレなし)
 評者の場合、十数年前に一度、半分くらいだけ読んだところで、その段階で本を紛失。このたび蔵書の山の中から見つかったその読みかけのHM文庫版を、改めて初めから通読・完読した。
 ちなみに『黄色い部屋の秘密』がほぼ完全にネタバレされていることと、ちっとも時代ミステリらしくないことは、すでに先のレビュアーの方々がさんざおっしゃっている通りです(笑)。

 家の中にとびこんできて暴行を為したのち、閉ざされた空間に逃げ込んで姿を消した賊の謎、さらに物語のメインとなる海岸での密室状況での殺人の謎……と、カーらしい不可能犯罪そのものはまあまあ読者の興味を惹く。
 しかし前者の方は割と早々と尻つぼみな形で説明がなされ、後者の方は真相そのものは実は存外にシンプルなのだが、その組み立て方と説明がややこしく面倒くさい。部分的に二回読んで、ようやくなんとか理解できたと思うが、いまだにこっちの勝手な解釈で補っているような箇所もある。

 本当の真犯人の設定はいくつかの意味でこの作品のポイントだと思うけれど、英国の1960年代においてコレってやっぱり……(中略)。別のイギリス系ミステリ作家たちが諸作で扱った、複数の類例的な文芸を思い出した。

 推敲を重ねれば、もっとずっと面白くなる可能性もあったような気もするけれど、実際にできたものは、色々と中途半端な惜しい作品。そんな感じである。

No.829 6点 これは殺人だ- E・S・ガードナー 2020/05/06 12:40
(ネタバレなし)
 評者の場合、昔からペリイ・メイスンものは山のように買い込んでそれなりに読み、『掏替えられた顔』なんかかなり面白いと思いながら、この数年間に読んだガードナーといえばなぜか非メイスンものばかりである(笑)。まだまだ未読のメイスンシリーズなんかいくらでもあるのに(汗)。
 
 そういう訳でどういう訳か今回もまたノンシリーズ作品だけど、なかなか面白かった。あともうちょっとで、7点あげてもいいくらい。

 物語の序盤、公職の地方検事フィル・ダンカンがポーカー友達の主人公サミュエル(サム)・モレインを公式な犯罪捜査(になる流れの場)につれだすのはいささか乱暴。
 とはいえ、のちのちに書かれるあまりにも一本気すぎる正義漢ダンカンのキャラクターとあわせて、オトナのガキ大将譚な趣が発露。ある程度はアクチュアリティをふみこえた破天荒さがオッケーという雰囲気で、それが読み物としての快感につながる作風になっている。この辺はガードナーが別名義で、いささか破格のものをこっそり書いてみた印象である。

 ヒロインでモレインの秘書のナタリー・ライスは、デラ・ストリートではたぶん許されない? ワケアリのキャラ設定が与えられ、とりあえず単発として書かれた? 作品ならではの自在な立ち位置が新鮮であった。モレインと相思相愛なんだろうけれど、最後までまったく(中略)。そういう意味では、この二人のその後を描くシリーズの続きも読みたかった。まあ続刊以降は二組めのメイスン&デラが別途に書かれるだけになったかもしれないが(ナタリーの父で、準キーパーソンともいえるアルトンのキャラを生かせば、面白い恋人関係ができたかもしれないね)。

 トリックは意外に「すげー」と驚くようなものが用意されていて軽くウケた(笑)。しかしこれって、そこに行くまでの、かなり奇抜で鋭い推理を関係者が組み立ててくれることが前提のトリックであって、リアリティからいえばまずありえない。まあフィクションとしてのミステリの範疇内で許されるんだけど。

 全体的にハイテンポでとても楽しめた。ガードナーのなかでは期待以上に相性の良かった作品。

No.828 7点 第四の扉- ポール・アルテ 2020/05/06 00:28
(ネタバレなし)
 アルテは最近の新シリーズ2本の方を先に読んでしまい、人気のツイスト博士ものはこれが初読である(ノンシリーズ作品もまだ手つかずだが)。

 ハッタリとケレン味を煮凝らせた甘いお菓子のような第二部までは、魂が震えるほどにワクワクしたものの、最後の3分の1はなあ……。
 容疑者の名前全員を推理の圏内に入れて、その上で読者の隙をつく大技を仕掛けるには、ああいう方策がよいと作者は判断したんだろうけれど、事件そのものの真相といい、作品全体の(中略)といい、二重の意味で裏切られたような気分である。

 21世紀に黄金時代クラシックパズラーのまんま踏襲をしたら、結局は古色蒼然たるものになってしまう危険性があるから、現代の作家(東西の新本格的な作風の書き手)はあれこれプラスアルファの趣向を盛り込むんだろうけれど、それって素直にレトロな形質の謎解きを書いたら後ろ指をさされるという疑心暗鬼の産物なんじゃないかと、意地悪もいいたくなる。なんか悲しい。
 これならまだ『ロジャー・マーガトロイドのしわざ』の方が愛せる。

 最後のギミックも作者の狙いは理解できるものの、それも結局は書き手の悪い意味の(?)プライドの発露で、ああ、そうなんですか、と心に響いてこない。大体、第二部まで、大して感情移入の余地もなかったキャラクターに(以下略)。
 
 シリーズ第二作はもうちょっとフツーのものになるみたい(?)だから、そっちにはちょっと期待を込めておきます。

【2020年5月6日11時の追記】
 あ、とはいえE-BANKERさんのレビューで改めて意識したけれど、これは2000年代ではなく、原書は1987年の作品か。だったらその時期にこれだったのなら相応に挑戦的だったかもしれず、もうちょっと評価してもいいかも(笑)。評点を1点あげておきます。

No.827 7点 濃紺のさよなら- ジョン・D・マクドナルド 2020/05/05 23:50
(ネタバレなし)
 評者にとって本当に久々のマッギーもの……というか、マトモに読んだこのシリーズは、かなり昔に手に取った『レモン色の戦慄』だけであった(汗)。
 そっちはマッギーと悪役キャラの距離感とか、なかなか面白かった印象だけはある。

 というわけで、どうせなら積ん読の蔵書の山の中にあるシリーズの第一作から改めて読もうと思って手に取った、本書です。
 はたして期待通り&予想以上に楽しめた。

 トラヴがスネに傷を持つ依頼人側の立場に忖度しつつ、ヤバイ性根の悪党に奪われた、とあるお宝を取り返すという筋立てそのものはシンプル。
 だけど、場面場面の叙述、小説的な細部は実に読ませる。登場人物とマッギーの関係性も、そのひとつひとつが丁寧に語られる。
 特に情報を求めて乗り込んでいった実業家ジョージ・プレルの家庭内の事情にマッギーが絶妙な歩幅で関わり合い、秘密を探るためならヤバイことも辞さない一方、最後は呆然とするほど、向こうの家庭の今後まで思いやりながらうまくまとめて去って行く、そんなストーリーの組み立てぶりなど、感嘆のため息が出た。

 マッギーは必要とあれば、軽い傷害程度の荒事もよしとするアウトローなんだけど、かたや、事件のなかで関わった不遇な人間をとりあえずその場のみ助けて、わずかなアフターケアを授けて、しかし結局は放り出すことに本気で罪悪感を抱いたりする。情とモラルのゲージがかなり高めで、結晶度の高い時のフランシスの作品の主人公のようであった。
(その一方で、貧乏でもマジメに誠実に生活して仕事していれば、いつか神様が幸福を授けてくれるだろうと考えてるプチブル層にはかなり冷笑的で辛辣である。この辺は1960年代半ばの、改めて当時の階級差を意識しはじめたアメリカ社会の時代性の反映か?)

 さらに気が付いたら、自分ってまだジョン・Dのノンシリーズ長編の方も、まだ一冊もマトモに読んでなかったのよね(汗)。いや、職人的な実力派作家なんだろうということはおおむね予見してはいたんだけれど、そこから実作を嗜むという実働に至らず、なぜか止まってしまっていて。
 このシリーズもおいおい少しずつでも読んでいきたい。 

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人並由真さん
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以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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