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人並由真さん
平均点: 6.34点 書評数: 2190件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1110 7点 盗聴- ローレンス・サンダーズ 2021/02/27 20:02
(ネタバレなし)
 1968年のニューヨーク。8月31日から翌日にかけて、「デューク」こと37歳のプロ犯罪者ジョン・アンダースンとその仲間が、73丁目にある上流階級の面々が集う高級アパートを襲った。当初のデュークは極力、流血を避けて、強盗を行うつもりだった。だが仁義を通して了解を取りにいった大手犯罪組織からの過剰な干渉もあり、事態はデュークの思惑からずれこんでいった。当局や民間探偵の盗聴、被疑者の尋問、関係者への取材などの音声や筆述の記録が事件の全貌を浮き彫りにしてゆく。

 1970年のアメリカ作品で、作者の処女長編。
 評者は大昔に購入していたNV文庫版で読了。
 あらすじの最後に記したように、小説のほぼ全編(正確には9割くらい)が、盗聴や尋問、取材などで得られた会話の音声を書き起こしたダイアローグ形式の作品。

 似たような仕様のミステリはその後の東西でいくつも出たような気もするが、当時としてはたぶんかなり新鮮なスタイルだったハズではある。
(本当に正確に、まったく前例がなかったとまでは断言できないが~手紙の交換形式なら、セイヤーズやP・マクドナルドとかあったし。)

 ただしNV文庫巻末の解説によると、本作はこのダイアローグ形式の仕様うんぬんより、前年のクライトンの話題作『アンドロメダ病原体』を想起させる、生々しいドキュメトタッチのフィクションとして反響を呼んだという主旨のことが指摘されている。評者はまだ『アンドロメダ病原体』を未読なのでなんともいえない面もあるが、まあ真っ当な観測なのであろう。
 少なくとも本作は、こういう音声記録という客観的な叙述形式ななので、当然ながら地の文には主観的な感情などは入りにくく、全体的に抑制されたドキュメント風の一冊に仕上がってはいる。

 実を言うと、金持ちが集うアパートを強襲して金品を奪おうという犯罪そのものは、地味でまあ小規模なものなのだが、とにかくその実行に至る過程を前述の会話記録形式でとにかくしつこくしつこく、そして薄皮を剥ぐようにじわじわ語ることでテンションとサスペンスを高めていく。
 このジワジワ見せる手法もまた、やはりその後に無数の類作が登場したため、21世紀のいま読むとさほど目新しさはない。それでも作者が気迫を込めた処女作ゆえに、かなりの歯ごたえがある。

 翻訳の元版であるハヤカワノヴェルズ版では、おなじみの<途中から本文に封をした返金保証仕様(こんなオモシロイ作品を途中でやめられますか?)>だったようで、当時の早川もそれだけこの作品に自信があったということになる。

 なお本作は、のちの『魔性の殺人』以下の「大罪シリーズ」の主人公(ヒーロー捜査官)となるエドワード・X・ディレイニー署長(NY警察署のトップ)のデビュー作でもある、本作の実質的な主人公はデュークなので、今回はそれなりに重要度の高いサブキャラポジションだが、のちのちの濃いキャラクター描写は早くも感じられる。
「大罪シリーズ」は、そちらから読んでも別に構わないと思うが、きちんと本作から順を追って楽しむのも、また一興ではあろう。

 本作の評点は、8点に近いこの点数ということで。

No.1109 8点 殺人計画- マニング・コールス 2021/02/26 07:37
(ネタバレなし・ただし同じ作者の作品『昨日への乾杯』を先に読むことは推奨)

 1918年1月。第一次世界大戦の後期、ドイツの海岸で一人の若い戦傷軍人が保護される。記憶を失っていた青年軍人「クラウス・レーマン」は、なりゆきから軍人の名門ラーデマイヤー家のオールドミス、フロイライン・ルートマイヤの後見を受けて、彼女の実の息子のように戦後を生きることとなった。やがて当人の才覚もあって戦後のドイツで出世を続けるレーマンは警視庁副総監の地位にまでたどり着くが、そんな彼は1933年2月のドイツ国会議事堂放火事件の焔を前に、失われていた15年前の記憶が甦る。実は自分が、大戦時に英国情報部から送り込まれた辣腕の諜報員トミー・ハンブルトンだと知ったレーマンは、そのままドイツ警察の総監にまで登り詰め、ナチスドイツの内側で暗躍するが。

 1940年の英国作品。
 大昔にジャケットカバーもない新潮文庫の裸本の古書を100円で入手。何十年も積読にして、さらに巻末の解説などにも目を通していなかったので、なんとなくこのタイトルから、英国のどっかのカントリーハウスでの殺人プランが進行する渋い謎解き捜査ものかとか思っていた。

 そうしたら実際は堂々たるスパイ小説で、しかも二つの大戦の両端を繋ぐナチスドイツ内の大物工作員もの。さらに主人公トミー・ハンブルトンが登場する連作の第一弾だという。いろんな意味でビックリ。
(※追記の注……新潮文庫の巻末の書誌には一作目のように情報が記載されているが、本サイトの参加者、おっさん様からのご指摘で、実は本作『殺人計画』はシリーズ2作目だそうである。)

 しかしいちばん驚いたのは、予想以上の面白さで、深夜に読み始めて徹夜でイッキ読みしてしまった。
 向こうの国で実際にナチスドイツが台頭し、ユダヤ人が迫害の災禍にあっているリアルタイムの現実をにらみつつ、実名のナチス要人(特にゲッペルス)を相手に主人公に丁々発止の活躍をさせ、そのなかにはかなりきわどいダーティプレイまがいの行為も含まれる(まあ、潜入スパイが大方は当人なりの義憤と復讐心でやることだから、読んでいてそんなにストレスも感じないが)。

 ちなみに迫害を受けるユダヤ人を別にしても、ほかのドイツ国民全員が悪だとはあえて描かれず、フロイライン・ルートマイヤやその友人たち、さらに反体制組織の「ドイツ自由連盟」の面々はマトモな扱い。悪役はナチス、なかでも軍規をごまかしてユダヤ人から非道に搾取している連中などに、ほぼ限定されている。ハモンド・イネスの『海底のUボート基地』なんかもそうだったけれど、英国のスパイ小説、冒険小説は、第二次大戦リアルタイムのなかにあって、意外に冷静だ(ホロコーストの災禍がまだ欧米側に密に知られてなかったからかもしれないが)。

 ナチス上層部を欺きながら英国側に情報を流すかたわら、ドイツ内のナチスそのものすら裏切る外道(こっそりユダヤ人から財産を没収しながら、国外に逃がすような連中)を処罰し、さらに不審を抱いて探りを入れてくるゲッペルス陣営と渡り合うレーマン(ハンブルトン)の挙動は一種のピカレスク的な緊張感と快感に満ち満ちている。
 そうか、この作品はこういう内容だったのか、と驚きと感銘であった。
(ヴォネガットの『母なる夜』のダイナミズムを、純粋にエンターテインメントへと裏漉ししたような、そんな印象すらある。)

 ちなみにコールスはあと2冊翻訳が出ており、そのうちの片方『ある大使の死』は、ミステリファンの感想サイトなどで大雑把な内容がわかるが、もう一冊の『昨日への乾杯』の中身が気になっている。
 というのは今回読んだ本作『殺人計画』の原題は奥付を見るとズバリ「Drink to Yesterday」だから、直訳すると『昨日への乾杯』まんまだよね? つまり『殺人計画』と『昨日への乾杯』って別の邦題の同一作品なの? 同じ版元で訳者は違うんだから、ふつうなら別の作品だろうとは思うのだけれど。もし両方すでに読んでいる人がいるのなら、教えてください。TwitterをふくめてWebを見回しても、実際のところはいまひとつよくわからないので。

【2021年2月26日14時の追記】
※……本日の本サイトでの掲示板でのおっさん様のご指摘で、実は本書『殺人計画』の奥付の原題表記は誤記であり、『昨日への乾杯』の方が原題をそのまま邦題にしたハンブルドン登場の別作品だとご教示いただいた。しかも『昨日への乾杯』の方が第一作で、本作『殺人計画』はその続編という。もろもろの情報をくわしく、すばやく教えてくださったおっさん様に深く感謝申し上げます。

【2021年3月3日・若干、改訂しました】

No.1108 6点 十年目の対決- ヒラリー・ウォー 2021/02/26 01:46
(ネタバレなし)
「私」こと、元警官で30歳の私立探偵サイモン・ケイは、ずっと年下の幼馴染で今は美人の女子大生ドリア・レイフから相談を受ける。ドリアの実家は少年時代のサイモンも通った漫画本も売っている駄菓子屋で、今もドリアの気のいい両親が店を続けていたが、最近になって地回りの「用心棒代」が急に跳ね上がった。困窮する両親を救うため、ひそかに体を売ることまで考えているというドリア。サイモンは昔馴染みとしてドリアの実家に赴き、集金人のチンピラ、リーチー・ズロを痛めつけて、黒幕の情報を吐き出させるが。

 1982年のアメリカ作品。私立探偵サイモン・ケイシリーズの2作目(邦訳順では4冊目で、これで翻訳は打ち止め)。
 評者もウォー作品はそれなりに読んでいるつもりだが、サイモン・ケイものはこれが初読。もともと本流の警察小説路線とはだいぶ毛色の違うB級ハードボイルドだとは聞き及んでいたが、バイオレンス描写を臆さない敷居の低さは、予想以上であった。
 スピレイン(マイク・ハマー)ならまだ、叙述の随所に格調の高さを匂わせるある種の可愛げがあるが、こちらはそういう種類の衒いも希薄。
 マクベインがカート・キャノンものを上梓するような執筆シフトでウォーが書いたのが、このシリーズということかしらね。

 推理要素は少ない内容で(最後に一応の意外な犯人は設定されているが)、とにかく主人公のサイモンは大藪春彦のヒーローなみに、いったん必要となった荒事に関しては容赦も禁忌もない。

 美人で女房役の秘書アイリーン(ちょっと好み)が事務所のサイモンの机の上に<短期の貸家契約書>を見つけ、アイリーンが読者といっしょに「これなんで借りたの?」と不審がると、実はそれは下司なチンピラのリーチーを監禁&拷問して情報を得るために調達した空間だったりする(笑・汗・怖)。
 うーん、バウチャーが長生きしてこれを読んでいたら、きっと呆れるか、怒りまくったであろうな(笑)。
  
 ただしまあ、ネオハードボイルド時代にあえて書いた50~60年代通俗ハードボイルドの復権(なんやそれ)という感覚は、これはこれで楽しいところもあって。
 特に、成り行きで悪党の巣から救い出したワルの情婦がいくところがなくなった末にサイモンのもとにずっと居つきそうになったので、今度は、困ったサイモンがなんとか(一応は紳士的に)厄介払いしようとするあたり、私立探偵小説にありがちなパターンをひとつひねった感じでオモシロイ。

 とりあえず一冊読んで、ちょっとはシリーズの面白さの勘所もわかったような気もする(?)ので、そのうち、翻訳されている残りの3冊も、機会があったら手にとってみよう。

No.1107 7点 美しい星- 三島由紀夫 2021/02/25 05:04
(ネタバレなし)
 1960年代の初頭。全世界に核戦争危機の影がよぎるなか、飯能市の金持一家・大杉家の家族4人が、自分はそれぞれ太陽系の別の天体を出自とする宇宙人の転生だという意識に目覚める。52歳の家長・重一郎は火星人、妻の伊余子は木星人、長男の一雄は水星人、長女の暁子は金星人だった。4人はそれぞれの立場を守りながらも連携し、空飛ぶ円盤や宇宙人を信じるものに呼びかけ、そして世界平和のために活動する団体「宇宙友朋会」を結成。協賛者を募った。だが仙台では、白鳥座を出自とする別の宇宙人グループが覚醒。彼らは彼らなりの理念から、地球人類は核戦争で滅亡すべしとの信条を抱いた。

 雑誌「新潮」の1962年1~11月号にかけて連載され、翌年に書籍化された作品。
 評者は中高生の少年時代に、書籍元版刊行時=1963年頃の日本語版「ヒッチコックマガジン」を古書店で入手。そのなかのある号の国産ミステリ月評で本作が大絶賛されているのが目に留まり(そこではあくまで国産SFの注目作という視座で語られていた)、その高評の勢いを受けて、自分もその時点での新潮文庫版を購入した。

 とはいえ実際に手にした実作は、当時のコドモがそのまま賞味するには高尚すぎる? 歯ごたえだったのであろう。冒頭の十ページ(重一郎が自然の植物の生態の整合のなかに、宇宙の縮図を感じるあたり)で投げ出して、そのままマトモに読むのは何十年の歳月を経た今回になってしまった(昨日から2日かけて通読)。いや、そのうち読もう読もうと思い、興味がぶり返す機会は、何度もあったのだが。

 もちろん太陽系の各惑星人の転生という設定からして、まともな科学SFというよりはおとぎ話に近い面もあるし、そもそも物語は最後まで、もしかしたらこれは自分たちが宇宙人だと思い込んでいる痛い悲しい人たちがたまたま寄り集まった一家の不条理小説では? と読み手に疑念を抱かせ続ける作品でもある(ただし随所の場面で、作中での空飛ぶ円盤の飛来事実は、きわめて客観的に叙述される)。

 なんにしろ第三次世界大戦=核戦争の脅威がなまなましく現実的な時代の小説、という側面は大前提の一編である。そういう意味では黒澤明の映画『生きものの記録』(1955年)みたいな、21世紀の今の目で見れば「当時は大変だったんだなあ、今だって油断はできないよなあ」と思いながらも、どっか呆れて失笑してしまうブラックユーモア的なニュアンスもなくもない(いや、それはけしからん受け取り方だとは重々承知しておりますが~汗~)。

 中盤の山場となるのは、長女の暁子がもうひとりの「金星人」竹宮と出会うくだり、さらにはその顛末。そして本当のクライマックスは、後半の仙台の白鳥座グループと重一郎との論戦。特に後者は、当時、日本小説史上でも類をみないディスカッション作品として反響を得たというが、さもありなん。
 少し後の世代の平井和正とかの<人類ダメ小説>の系譜なんかにも、相応の影響を与えたんじゃないか、とも勝手に推察する。

 惜しいというか、普通の小説の読み方ですわりが悪いな、と思ったのは、長男の一雄を介して仙台グループを重一郎に会わせるきっかけになった前半からの重要キャラっぽい若手政治家・黒木克己が最後の方でまったく忘れられてしまっている? こと。作者的にはもう用済みだったのかもしればいけれど、(中略)とかわざわざ描写した叙述の布石はちょっと違和感が残るよね。
(なお数年前の本作の新作映画版はまだ観てないけれど、そちらでは映画化に際して黒木の存在がかなり拡大されているようで、そういう潤色をしたくなった気分は、なんとなく&とてもよくわかる。)

 クライマックスの論戦のあと、重一郎を見舞う(中略)はかなり(中略)だが、読者を揺さぶる小説の作りとしてはまっとうだとも思う。それだからこそ、このエピローグの輝きが生きるとも思えるし。

 今の時代に改めて(初めて)読んでも意味がある作品だとは思うものの、やはりこれは1950年代~1960年代前半という時代の空気のなかにあった小説だとも感じはした。リアルタイムで読んで、心の財産のひとつにできた先人たちが、ちょっとだけ羨ましくもある。

No.1106 6点 ベアトリスの死- マーテン・カンバランド 2021/02/23 06:31
(ネタバレなし)
 その年の11月のある朝。パリの一角で、30歳前後の裁縫職人の女性ベアトリス・レイモンの惨殺死体が発見される。パリ警視庁のサチュルナン・ダックス警視とその部下たちが捜査を開始し、被害者ベアトリスは、2年前にたまたま知り合った孤独な老人ロベール・カルヴェと男女の関係は抜きに、ルームシェアをしていたことが判明する。カルヴェは娘のように思っていた被害者の悲劇をサチュルナンたちの前で悼むが、なぜかその後ですぐ姿を消した。さらにサチュルナンのもとに中年の私立探偵ジュール・デシャンから連絡があり、ある人物の依頼でベアトリス殺害事件を調べていた若い相棒クロード・トムスンから連絡が途絶えた、と訴える。

 1956年の英国作品。パリ警視庁のサチュルナン・ダックス警視シリーズの長編22作目。

 英国作家ながら作者マーテン・カンバランドは、フランスを舞台にパリ警視庁の警視サチュルナンを主人公にした多数の連作シリーズで、欧米での支持を獲得。一時期はかなり人気があったようだが、日本への翻訳長編は本作をふくめてわずか2冊(もう一冊は、旧クライムクラブから刊行の『パリを見て死ね』)。

 21世紀の現在では、ほぼ完全に本邦のミステリファンから忘れられた作家だが、実はあの伝説的なミステリエッセイ集で、近年もまた復刊された名著「深夜の散歩」にも登場。福永武彦がクリスティーやブランド、ガーヴ、マリックやチャンドラーなどの錚々たる巨匠・人気作家たちの新作(当時の翻訳された新刊)に続けて、同格の作家として、このカンバランドの邦訳2冊を語っている。
 もちろん当時のリアルタイムで福永の目についたのであろう作家、というアドバンテージはあるのだが、それ相応の作家の格を実感させる事実ではある。
(逆に言えば「深夜の散歩」中で、もっともマイナーな作家・作品だろう。先年の復刊で初めて「深夜の散歩」を手にした若い世代のミステリファンの大半は、……カンバランド……誰だこの作家? 状態だったのではないか。)
 ちなみに評者も今回初めて、以前から読もう読もうと思っていた本作でようやくこの作者の著作に触れた。

 パリ警視庁の要職刑事が主役探偵という大設定ゆえ、くだんの福永武彦も、また本書の巻末の解説を著した植草甚一もそろってメグレとの比較を話題の大きなひとつにしているが、似てる部分は皆無ではないにせよ、雰囲気はだいぶ違う。メグレの渋い、そして読みながら精神的な信頼と共感を預けたくなるようなキャラとはやや趣が異なり、美食家で大食家の巨漢、さらに以前はピアニスト志望だったが大戦を機に断念してパリ警視庁に入庁した経緯を語るサチュルナンはもう少し陽性にカリカチュアライズされた、作られたフィクションキャラクターの印象がある。人物像はこれ一冊ではなんともいえない面もあるが、少なくとも嫌悪感を抱く描写などは特にない。
 むしろ本作での探偵側のキャラクター描写としては、サチュルナンの副官で副主人公的な若手刑事フェリックス・ノルマン警部補の方が、いい味を出していた。フェリックスは捜査の流れで被害者ベアトリスの妹アルレットに接触、公務をわきまえながらも次第に互いに好感を抱きあっていき、このサイドストーリーも本作の持ち味のひとつとなっている。詳述は避けるが、人間臭いそして(中略)なフェリックスの描写が印象に残る。

 捜査ミステリとしては、ベアトリス殺害事件がはらむフーダニット要素は最後まで貫徹。しかし少しずつ事件の重心は推移し、終盤ではなかなか意外な悪事の真相が露見する。本作はこの作りがミソ。
(もちろんここではあまり詳しく書けないので、興味と機会があったら一読願いたい。)
 個人的には、ああやっぱり、フランスを舞台にしても、戦後に書かれた新世代の英国パスラー(またはパズラー要素の強い警察小説)の系譜だ、という感じであった。

 ただし被害者ベアトリス本人の周辺をもう少し捜査すべきでは? とか(たとえば彼女の仕事関係の人々への事情調査の描写などなかったような?)、最後の(中略)ダニットの投げっぱなしぶりはソレでいいの? とか、妙に整合されていない、悪く言えば雑な感じも見受けられた。なかなか面白かった反面、弱点もある、という作品か。

 翻訳は、ヘミングウェイ作品を多数手掛けている高村勝治が担当。ミステリの翻訳はそんなに多くない人だと思うけれど、全体的に品格がありながらテンポがよく読みやすくかった。

No.1105 6点 夜の追跡者- 結城昌治 2021/02/22 06:05
(ネタバレなし)
 ベトナム戦争の行方や沖縄返還問題が人々の毎日の口頭に上る1960年代の後半。法廷で持ち前の正義感が暴走した青年弁護士、五郎高根は一時的に弁護士の免許停止処分を受けていた。そんななか、男女の関係にあるバーのマダム、利奈子が、彼女の知人である別の店のホステス、マヤ子を紹介する。マヤ子は五郎に相談事があり、それはたまったツケの回収を凄腕の取り立て屋「内気なジョー」に依頼したものの、ジョーは取り立てた金をこちらに渡さず口実をもうけて独り占めしてるので、何とかしてほしいというものだった。五郎はジョーこと本名・西野のもとに赴き、適正な金額のマヤ子への支払いを約束させる。だがこれが五郎を、彼の思いも寄らない連続殺人事件にひきずりこんでいく。

 角川文庫版で読了。同書巻末の清水信なる人の解説によると「サンケイ・スポーツ」の1967年12月から翌年3月にまで連載された、新聞小説だったらしい。
 苗字とファーストネームが逆転したような名前で、ジンが好きな半ばアル中、しかし金のためよりは、おのれの心の充足と倫理感を優先して仕事をする主人公・五郎はなかなか魅力的な和製ハードボイルド主人公になっている。

 文体は全体的にハイテンポ。幅広い読者を対象にした新聞小説だけあって会話と改行は多いが、五郎本人の内面(局面ごとに何を思うか、とか、心がけているモットーとか)はさほど直接描写はされず、口に出た物言いや行動の叙述などから読者が彼の心情を読み取るのが基本。この辺はきちんとハードボイルドっぽい。
 
 ミステリとしてのストーリーは、軽くて描写も浅めなようだが、その実、虚偽の証言や不透明な観測などに遮られながらかなり錯綜。ある意味では、中期以降のロスマクみたいな趣もある。

 前述の角川文庫版の清水解説では、全体的に男性キャラが弱い反面、個々の女性が書き込まれた作品、という主旨の賞賛をしている。個人的には言いたいことはわかるが、そこまで単純に二元化できないな、という感じ。
 主人公・五郎のキャラクターの厚みを語る上で意味がある利奈子や、もうひとりふたりのメインヒロインはそれなりに印象的なものの、あとの女性たちは存外に記号的な女性キャラで作中のポジションだと思えた。
(反面、小心もので、堅気になりたいと願う巨漢ヤクザ「殺し屋ハリー」なんか、単発の男性キャラとして、いい味を出している。)

 終盤の展開はパワフルなものの、実は(中略)だった……の真相露呈や、中盤からの(中略)トリック、そして出すのが遅すぎる印象の伏線や手がかり……などなど、まとめかたはちょっとしくじった感じもないでもない。

 ただまあ、二流弁護士を主役に和製ハードボイルドを語り、その枠のなかで事件や物語にミステリとしての興味やギミックを仕込んだ点ではそれなりに込み入った、妙に歯ごたえのある作品ではある。
(楽しめたか? と言われると、諸手を挙げて万歳、肯定というわけには、いかないのだけれど。)

No.1104 10点 フォン・ライアン特急- デビット・ウェストハイマー 2021/02/21 17:11
(ネタバレなし)
 1943年半ば、世界大戦のさなか。36歳のアメリカ空軍大佐ジョセフ(ジョー)・ライアンは南イタリアの戦線で爆撃機に搭乗していたが、敵の砲撃を受けて敵陣内に不時着し、イタリア軍の第202捕虜収容所の一員となる。同収容所の1000人近い米英軍人の捕虜のなかで最高の階級のライアンは、そのまま自ら捕虜の代表責任者に就任。それまでのリーダー格だった英国軍人エリック・フィンチャム中佐たちの不満もよそに、捕虜たち全員に適切な軍規と規則正しい生活を指導。捕虜たちの大半から「フォン(「貴族」を表すドイツ語が転じて、頑固者、融通が効かない男)・ライアン」と呼ばれるようになる。やがて43年9月にイタリアが降伏。1000人近い捕虜たちは解放を確信するが、彼らを待っていたのは、イタリアを制圧したナチスドイツによる過酷な収容所行きの軍用列車だった。「フォン」ライアンとフィンチャムたちは、ドイツ軍管轄下の列車を乗っ取り、連合国側または中立国への脱出を図る。

 1964年のアメリカ作品。
 米空軍の軍籍を持つ作者ウェストハイマーが執筆した当時の大ベストセラー、戦争冒険エクソダス小説で、作品そのものが刊行されないうちから映画化権が20世紀フォックスに売れて、フランク・シナトラの主演(ライアン役)で映画化された。
 評者は青年時代にTV放映で同映画を観賞。めっぽう面白かったとは記憶しているが、その時点で原作は終盤の展開が大きく異なるとすでに知っており、いつか読みたいと思って映画スチールのジャケットカバー付きのポケミスを大昔から入手していた。そして実際に読むのは、くだんの映画を観てから数十年後の現在になってしまった。

 し・か・し……なにこれ! いまさら大昔に観た映画との比較なんか素直にはできないが、少なくともこの原作小説は最強・最高に面白い!!

 小説の前半は202に収容されたライアンによる同所の掌握(もちろん健常な、規律的な意味での)に費やされ、自分をふくむ読者の大半が期待する軍用列車の乗っ取りと脱出行に突入するまでにはかなりの紙幅が費やされるが、しかしこの部分がすこぶる読ませる。
 スーダラな生活を送りたい収容所の捕虜たちの大半と軋轢を重ねながらライアンが所内の改革を継続し、同時に良くも悪くもゆるかった収容所監督のイタリア軍ともわたりあう。ときにスリリングにときにユーモラスにひとつひとつの事案の推移を語りながら、一方で後半の布石となる群像劇としてライアンをはじめとする多数のキャラクターの肖像を描き出していく筆の巧妙さ。

 この前半だけでも十分に戦争シチュエーション小説として読み応えがあったが、さらにその前半を基盤にしながら、二転三転どころか九転十転くらいの大中の山場を設けて展開される本作の本領たる後半の一大脱出劇。捕虜側内部の密な連携と相応の齟齬を軸にしながら、戦時中の敵の領土内のダイアグラムを探索、操作するサスペンス、想定内のものも予期しないものもこもごも踏まえて、自由と生を求めるライアンたちの障害となる数々の要因……。そして怒濤のクロージングへと。
 はい、まちがいなく、これは大傑作。

 二十世紀に書かれた第二次大戦ものの戦争冒険小説のトップ3は
①フォン・ライアン特急
②アラスカ戦線
③女王陛下のユリシーズ号
もう、これでいいよね、と、問答無用で断言してしまおう(笑)。
(次点はヒギンズ=グレアムの『勇者たちの島』あたりか。)

 なお本作は80年代に、ライアン主役の続編が書かれているはずで、その情報を大昔にミステリマガジンの海外ニュース記事で読んだ覚えがある。なんかの弾みで、今からでも翻訳出ないかな~(かなり望み薄だとは思うが)。
 まあ戦争冒険小説版『黒衣夫人』(しばらく再読してないが)とか『ウルフ連続殺人』みたいになってる可能性もなきにしもあらずではあるけれど、それでも本当になおも健在なファン・ライアンの勇姿を今一度、この目で確かめたいぞ。

No.1103 6点 暗い道の終り- ドロシー・S・デイヴィス 2021/02/20 07:07
(ネタバレなし)
 1960年代半ば。マンハッタンの一角にある町の教会。教区に赴任して11年目の四十がらみの助任神父ジョゼフ・マクマハンは、知人の少年カーロスから、近所に重傷の男がいると知らされた。マクマハンが急行すると、刺された男性は最後にわずかな会話をマクマハンと交わし、しかし自分を刺した者の情報は何も告げずに絶命した。まもなくマクマハンは、殺された男が「ガスト(ガス)・マラー」と呼ばれ、この一年半ほど近所の会堂の門番として働いていたことを知る。マラーは短期の在住ながら土地の一部の人々と密な親交があり、さらに男女の関係になっている人妻さえいた。マクマハンは偶然の縁故を契機に、生前のマラーと周囲の人々について探索を始めるが。

 1969年のアメリカ作品。
 作者のもう一冊の邦訳『優しき殺人者』は少年時代に買った覚えがあるが、未読のまま家のなかで見つからない。従ってこの作者の作品で読むのは、1~2年前にWEBで安い古書を購入した本書が、最初になる。なお本書の邦訳の作者名は「ドロシイ・S・デイヴィス」標記。

 作者デイヴィスに関しては、本サイトの『優しき殺人者』のレビューでminiさんが語ってられるとおりだが、本作『暗い道の終り』はその10作目の長編。たぶんおそらくノンシリーズ作品だと思う(マクマハン主役の作品がこのあと皆無だとは断言できないので、一応、そういう言い方をしておく)。

 それで本作の主人公マクマハン神父は、いわゆる広義の探偵役ポジションだが、物語のなかではことさらマラーを刺殺した犯人を探そうという原動などはうかがえない。もちろん警察の方も独自に捜査を進めており、マクマハンに関しては社会的に信頼できる聖職者が邪魔にならない程度に動くかぎりはほうっておく、くらいの感覚である(ただし、青年刑事のフィンリー・ブローガンとマクマハンが妙な感じに意気投合する描写はある)。

 つまりマクマハンの調査や探求はきわめてナチュラルに故人の周辺を覗き込む感じで、町の人々の方も、聖職者が亡くなった者のために一種の供養をしてくれているという風に受け取っているのか、この調査にきわめて穏やかに付き合う。
 言ってしまえば、そういった渋い地味な叙述が語られ連ねていくだけの小説なのだが、これが妙に先を読みたくなるノリと味わいがあって悪くない。おおざっぱにわかりやすく(?)言うのなら、アメリカの都市感覚にアレンジされたシムノンのノンシリーズものか、グレアム・グリーンみたいだ。

 被害者マラーとの関係性から始めて、数人のメインキャラが作中に登場。マクマハンの視線と関心は死んだマラーのみならず、いまも生きているそんな彼らにも向けられてゆき、おのおのの内面とも触れ合う。そしてそんな叙述の集積の果てに、マラーの死についての<意外な真相>が語られる。
 かなり普通小説に近い造りではあるが、同時にこれなら十二分に広義のミステリともいえる作品。ある種の文芸ミステリという感じで、その意味で味わい深い。
 本国アメリカではかなり評価されたらしく、刊行年のMWA長編賞候補にもなったが、最後は惜しくもフランシスの『罰金』と争って受賞を逸したという。
(そういう評価が日本にも聞こえてきたから、『優しき殺人者』以来、この作者の著作が久々に翻訳されたのであろう。)

 翻訳ミステリジャンルの裾野の広さが許せるタイプのファンなら、たぶん楽しめるかもしれない作品、だとは思うが。

No.1102 6点 ケイリン探偵ゆらち 女流漫画家殺人事件- 高千穂遙 2021/02/20 01:57
(ネタバレなし)
 人気アイドルグループ「ODAIBA60」の常連センターだった「ゆらち」こと大星由良は、新たな世界に挑戦しようと、芸能界を卒業。ガールズケイリン選手となった。まだ明確な成果を出せないまま精進を重ねる由良だが、そんな時、叔父で彼女の師匠であるベテラン競輪選手・捲(まくり)五郎が、殺人事件の重要参考人となる。五郎は大人気の女流漫画家、立科姫子が構想中の新作青春競輪漫画に際して、彼女の取材に協力していたが、その姫子が何者かに殺害されたのだ。ミステリ好きの由良は五郎の潔白を明かすため、自分の大ファンである警視庁警部・南大寺定信の協力を仰いで、事件の捜査に関わるが。

 消費税108円時代の末期に、ブックオフの100円コーナーで発見して購入。その時点まで作品の存在も知らなかったので、へえ、あの高千穂遥がこんなものを書いていたの、という気分であった。

 作者のサイクリング分野への傾倒ぶりぐらいは評者でも前から知っていたので、その素養を活かしたキャラクターミステリだろうというのは一目瞭然。
 しかしその辺りは大枠程度というか必要十分程度には抑えながら、むしろ作品の本題は、21世紀の出版不況と、漫画界の裏側。
 そっちの方に関しても、さすが、何十年にわたって漫画やアニメなどのジャンルとも密接に関わりあいながら飯を食ってきたベテラン小説家だけあって、細部のリアリティはかなり生々しい。

 ただしミステリとしては、とにもかくにもフーダニットの謎解きの形をとりながら、終盤近くで明かされる(中略)や、かなり遅めに出てくる(中略)など、ちょっとキビシイところもなくもない。いや、ひねりをきかせようとしている工夫のほどは、感じられるんだけれどね。

 ヒロインのゆらちは、元アイドルの女子競輪選手、アマチュア名探偵という設定が、まだまだ十二分に生かされていないような印象(大人気アイドルだったというある種の特権を活かして関係者の口をかたっぱしから開かせまくる図は面白いような、さほどそうでもないような……)。
 よくいえばキャラクターミステリの主人公として、もっとのびしろがあると思うので、しばらく間が空いてはいるけれど、シリーズ第二弾も書けるなら書いてほしい。
(できましたら『ダーティペア91(くのいち)』のマトモな小説版も、いっしょに執筆&刊行をお願いします。) 
 評点は0.5点オマケ。

No.1101 7点 オー!- ジョゼ・ジョバンニ 2021/02/19 05:58
(ネタバレなし)
 1960年前後のパリ。長らく裏の世界に首を突っ込んでいる30代半ばの元レーサー、フランソワ・オラン。今の彼は、同じファーストネームのギャングの顔役、フランソワ・カンテの運転手を務めていた。そのカンテからは名前を区別するため、苗字を縮めた仇名「オー!」(日本語で、まともに本名を呼ばず「おい」という感覚)で呼ばれ、カンテの腹心の殺し屋コンビ、シュバルツ兄弟からも軽く扱われるオラン。だがある日、親玉カンテが事故死する。そしてケチな盗みで逮捕されたオランの境遇は、それを契機に、思いも寄らない方向へと大きく変わり始める……。

 1964年のフランス作品。現状でAmazonに登録はないが、ポケミスの1070番で、初版は1969年3月31日の刊行。

 自分が先に読んだ『暗黒街のふたり』は純粋なジョバンニの著作とは言い難いので、これが評者がマトモに読む初めてのジョゼ・ジョバンニ作品ということになる。

 本編の読了後にポケミス巻末の訳者・岡村孝一の解説に触れると、コルシカ野郎が登場しない、義理と人情といった主題などが表面に出てこない、などという点で通常のジョバンニ作品の主流からはやや外れたものという意の言及があるが、少なくとも自分が読む限り、コルシカ男はともかく、義理と人情云々の方は不足ということはない。
 むしろ随所ににじみ出るその種のメンタリティが、この青春小説っぽい(主人公は青年と中年の中間ぐらいの年齢だが)クライムノワールを魅力的に感じさせた、大きな要因のひとつになっている。

 ストーリーは、米国の古典クライムノワール、W・R・バーネットの『リトル・シーザー』ほか多くの秀作・名作が存在する<暗黒街での成り上がり譚>だが、本作の場合は、もともとは野心も実力も中途半端だった主人公オランが、当人の主体的な能動というよりは、むしろ妙な好機の巡り合わせと状況の勢いのなかで、おのれのスタンスを高めていく。
(ここらは、作者当人が実際に暗黒街に身を置いていた経歴だからこそ、書けたリアリティや臨場感といった部分も多いだろう。)
 
 それでも中盤の山場となる(中略)のくだりで、オランは暗黒街での高評価を獲得。ソコはたしかに当人の才覚の賜物ではあるのだが、しかしそれも「ホントにこんなことありうるのかよ?」というコミカルな味わいが叙述のなかに読み取れて、どっか「なんちゃって」な感じが強い。
 つまり結局は、長い長いビギナーズラックのまま勝ち進んでいく、そんな緊張感と不安定さがたえずオランにつきまとう感じで、彼自身の行方も、さらには彼の周囲で芽生えたり変遷したりする人間関係の綾も、みんなそうしたはかなさときわどさの上に築かれていく。そんな物語の流れだからこそ、この作品はときに切なく、ときに妙にコミカルで、そしてときに読者を泣かせる。
 
 なお評者はベルモント主演の映画は数年前にDVDで観て、けっこう楽しんだが、この原作小説は後半の展開が大きく異なる。映画も決して悪くはなかったが、深いところまで踏み込んだいくつかの文芸ポイントゆえに、こちらの情感を揺さぶったのは、ずっとこの原作の方が強かった。
(後半、ややこしい状況のなかのオランが、サーキットレース場という場で、あくまでほんの刹那、生き生きと描かれるあたり、作者の筆が熱い。)

 さて、実質的に初めてのジョバンニ作品がコレだったというのは、長い目で見るとよかったのかな、それとも? その辺を確認するためにもまた近々、買ってある作者の作品をもうちょっと、手にしてみよう。 

No.1100 5点 レッド・サタン殺人事件- 永守琢也 2021/02/18 06:13
(ネタバレなし)
 交通事故で両親と死別した少年・月山翔とその妹みどりは、九州の祖父に引き取られた。現在は東京の大学で剣道選手として励む翔。そんな彼には、アマチュア名探偵というもうひとつの顔があり、すでに現実の事件を解決に導いた実績があった。その翔に、同じ大学のミステリー研究会の代表で学生作家でもある目黒広希が接触してきた。そしてそんな彼らの周囲で、一種の密室状況? といえる殺人事件が発生する。

 本サイトで評者が4年半前にレビューを書いた2016年の新刊『黒い騎士殺人事件』、それに先立つ月山翔シリーズ2冊分のうちの先行作(なお『黒い騎士殺人事件』の方は、作者がペンネームを変えて、永田文哉の筆名で刊行)。

 つまりこの『レッド・サタン殺人事件』(2004年)が翔のデビュー編ということになるわけだが、もし本作が作中の時系列順でもいちばん早いのなら、今回の物語以前に翔はすでにいくつかの<語られざる事件>を解決して、アマチュア名探偵として名を挙げているという設定になる。

 まあそれはとりあえずどうでもいいのだが、先に読んだ『黒い騎士~』が、あまりに破壊力のあるバカミストリックっぷりだったので、今回もそのティストを期待したが、大ネタがいちばん最初の伏線というか手がかりを与えられた時点でもうバレバレ。
 さらに自分は帯付きの状態のいい古書を購入して読んだのだが、ソコ(本の帯=腰巻)に書いてある思わせぶりな惹句も悪い方向に働いて、あまりにも早々と犯人が見え見えになってしまった。
(いや、くだんの帯には、具体的にどうのこうのと、犯人の情報を書いてあるわけじゃないんだけどね。)

 残念ながらトータルとしての謎解きミステリの求心力は、『黒い騎士~』のときの半分のインパクトもなかった。
 とはいえ実はこっちを読み終えてみると、その『黒い騎士』に対しても改めて思うことがじわじわ頭に浮かんできたりする。まあその辺は、ここでは詳しくは書けない。
 (中略)ならわかってくれるだろうか。

 ただし2つめの殺人は、それなりに細部での演出を工夫しようという意欲は感じる。しかしそうなると今度は、情報の後出しなどが気にかかってきて、アレなんだけれど。

 そんなこんなの一方で、小説としては『黒い騎士』よりも、先行するこっちの方がなんかこなれがいいような気もするよ。こちらでは警察も、まあまあ自然にストーリーにからんでくるし。

 ヘボミスなんだけど、ダメミスとは言い切りたくないところもある作品。
 しかしとにかくミエミエの中盤は、本当に退屈であった。
 後半~終盤の微妙な盛り返しだけは評価して、この評点で。

No.1099 7点 渦まく谺- リチャード・マシスン 2021/02/18 03:01
(ネタバレなし)
「私」こと、カリフォーニア(本文表記)にある航空会社の宣伝部員で27歳のトム・ウォレイスは、身重の妻アン、幼い長男リチャードとともに、職場近くの住宅街で平穏な日々を送っていた。ある夏の日、アンの弟でカリフォーニア大学で心理学を学ぶ青年フィルが来訪。近所のホームパーティの場でフィルは一同の前でトムに催眠術をかけ、トムの心の奥に眠っていた少年時代の記憶を呼び起こした。それだけなら良かったが、帰宅したトムは自宅の中に立つ謎の見知らぬ黒衣の女性と対面。しかもその女性の姿は半透明で、向こうが透けていた……。そしてその時を機会に、トムは未来の予知や他人の思考の読解が可能なようになる。さらに……。

 1958年のアメリカ作品。

 この作品に関する話題でちょっと長くなるが、かのミステリ評論家アンソニー・バウチャーは、1950~60年代に毎年、その年の傑作長編を1ダース強、選定(日本語の記事では「スリラー小説ベスト13」とか紹介されている企画)。
 そのベスト作品の一覧は現在もどこかのミステリファンのwebサイトとかでもリファレンスできるかもしれないが、いつだったか、かなり前のミステリマガジン誌上で、この<バウチャーが選んだ、毎年のベスト作品、その総リスト>を、翻訳のあるなしの注釈つきで掲載したことがあったと記憶している。

 そのリスト記事内では当然のごとく錚々たる歴代作の名がならび、さらに未訳の書名や評者がまだ未読のタイトルも多数列挙されたが、そんななかで気に留まった作品のひとつがこのマシスンの『渦まく谺』(邦訳の作者名はリチャード・マティスン表記)だった。
 というのは、これがポケミスではなくハヤカワポケットSF(初期のハヤカワ・ファンタジイ)の叢書の方に入っていたからで、リスト記事を初見時「はてSFミステリだろうか? どんな内容だろう?」と、相応の興味をそそられたのを覚えている。

 それでその時(ミステリマガジンのリスト記事を見たとき)は、結局そのままで終わったが、のちのちの2010年代半ばになって、評者がまたミステリファンとして無数の未読の旧刊を漁るようになると、そのことがふと思い出されてきた。
 それで相場より安い古書を探し、数年前にヤフオクで入手。今日になってついに読んでみた。まあそんな流れである。

 実際の本作の内容は、SFというよりホラーらしい? という気配を事前に感じていたが、現物の雰囲気は、のちの60年代後半~70年代に定着するモダンホラー小説の先駆。

 冒頭から登場する脇役フィル青年や、主人公トムの友人で、当時にしてちょっと異端の(?)心理科学学者アラン・ポーターを介して、人間の脳の眠っている部分に宿る潜在的な能力などの話題にも接近。そんな一方で物語が進むにつれて、主人公のウォレイス一家の周辺には実態の見定まらない怪異が加速度的に続発するようになる。
 うん、疑似科学の導入で恐怖と怪奇の事象に切り込んでいくこの物語の流れは、たしかにモダンホラーだね。

 幽霊「黒衣の女性」の怪異と謎もさながら、中盤でリチャードの世話にきた子守娘ドロシーの不穏な描写とか、かなりコワイし、この辺はのちの『地獄の家』そのほかの作品に通じてゆく怪奇作家マシスンの本領発揮の感。

 ただ、それでもやはりこれは、(やや)狭義のミステリというよりはホラーだよな、サスペンス要素は豊富だけれど、これをほかの諸作と並べてその年のベストミステリに選んだのは、バウチャーがミステリのみならずSFジャンルにも造詣が深く、そっちの方も一冊くらい入れておこう、というくらいの感じだったんだろうな、……と、全体の4分の3くらいまで思いながら読んでいたが……あー……(中略)。
 当然ながら、ココであんまり詳しくは絶対に言えないが、たしかに(中略)。

 そんなに大騒ぎするほどの大傑作という訳では決してないが、(中略)タイプの作品として、予想以上に楽しめた一冊ではあった。
 50年代の新古典のひとつという前提はあるものの、現代でも相応に幅広い裾野の読者に受け入れられるんじゃないかと思う作品ではある。

 少年時代~若き日のキングやクーンツたちもたぶんきっと読んでるんだろうね? 
 もし語ってもらえるなら(あるいはすでにどっかで言及しているんなら)そこら辺の後続世代の大御所たちの本作へのファーストインプレッションを、是非ともうかがってみたいモンである。

No.1098 7点 テロリストに薔薇を- ジャック・ヒギンズ 2021/02/17 15:25
(ネタバレなし……ただし『鷲は舞い降りた』『非情の日』などヒギンズ諸作を先に読むのは推奨)

 1978年の英国。首相直属である国防情報本部第4課の代表チャールズ・ファーガスン准将は、長年の宿敵である国際的テロリスト、フランク・バリイが暗躍する影を認めた。すでに数名の潜入工作員を対バリイ用に送り込みながら、見破られて殺害されているファーガスンは今度こそ決着をつけたいと思うが、決定打の作戦を見出せない。そんなとき副官のハリィ・フォックス大尉による<アウトローにはアウトローを>の提言から、かつてIRAでの活動でバリイと同陣営だった戦士マーティン・ブロスナンが対抗要員として選抜された。だが現在のブロスナンはフランスの警官を射殺して絶海の孤島の刑務所に投獄中。国防情報部は、ブロスナンに釈放との交換条件でバリイ暗殺をさせる計画を進めるが、そのブロスナンへの説得役に選ばれたのは、元IRAの闘士で第二次大戦中から伝説的な秘話を持つ61歳の大学教授リーアム・デヴリンだった。

 1982年の英国作品。
 悪のアウトローVS正義のアウトローという王道の図式で語られる正統派活劇スリラーだが、中盤までは主人公ブロスナンとその囚人仲間の大物ギャング、ジャック・サヴァリの脱獄作戦ものの興味も大きい。
 しかしなんといっても本作の最大のポイントは『鷲は舞い降りた』での重要キャラで、当時は青年だったが今は老境の域になってまだ事実上、現役の闘士デヴリンが再登場(&副主人公として新主人公を後援)という趣向。
(まるで、コミック版『ゲッターロボ號』最終回以降の神隼人みたいな<(ほぼ)ひとり生き残ってしまった(あるいは置いていかれてしまった)男>の美学だ。)

 これにさらに、1972年時勢のIRAがらみの事件を語る『非情の日』の某・重要キャラもメインの役どころで登場。クルト・シュタイナの名前も『非情の日』の主人公サイモン・ヴォーンの名前も出てくるし、さらには評者はまだ未読だが別作品『エグゾセを狙え』の主人公もチョイ役で顔見せ。
 ファンからは「ヒギンズのお祭り作品」とも呼ばれているらしいが、しかし英国作家は、フィルポッツといいクリスティーといいクロフツといいブランドといい、こういう自作世界でのクロスオーバー趣向が好きだね。どんどんやって。やってやって、やりまくるのよ(©西村寿行『滅びの笛』)。
(ほかにも、かなり曖昧に書かれているけれど、ここは他のヒギンズ作品にリンクするのでは? という箇所が随所に登場する。あー、この作品をしっかり解題したヒギンズマニアの研究成果とか、どっかに公表されてないかな。)

 お話の方はまあ、良くも悪くも中期ヒギンズの一冊で、長所もあれば短所も目について……という感じではある。特に後半~終盤の(中略)のツメの甘さは、作者が悪い意味で(中略)に手加減してるな、という手応えであまり歓迎できない。
 ただし一方で本作オリジナルの脇役キャラたちが全般的にいい味を出していて(バリイの愛人ジェニイ・クラウサーとか、監獄の老看守ピエ-ル・レヴェルとか、後半に登場する中年~老境の女性たちとか)、この辺はヒギンズらしい持ち味が実に前面に出ている。
 それと終盤の(中略)には軽く(中略)したが、この辺も作者がお祭り編の趣向一徹には頼らず、攻めの作品づくりをしたという印象で好感。

 読後にWEBで諸氏の感想を探ると、翻訳刊行当時の北上次郎なんかヒギンズ復活とかかなり褒めてたみたいだね。
 個人的にはそこまではいかないけれど、トータルとしては楽しく面白く読めた、しかし本当にヒギンズの傑作に感じる時の熱さと切なさにはいまひとつ至らなかったとも思う。
(メインヒロイン、アン・マリイ・オーディンが後半にマーティンに注ぐ視線とか、そっちの方向で、ゾクゾクする部分もないではないのだが。)
 
 それでもヒギンズファンなら、いつか読んでおいた方がよい一冊でしょう。できれば、このレビューのなかで名を挙げた先行の諸作は、前もって読んでおいてほしいけど。

No.1097 5点 ちか目の人魚- カーター・ブラウン 2021/02/16 05:00
(ネタバレなし)
「わたし」ことマックス・ロイヤルは、6フィート以上の体躯を誇るハンサムな私立探偵。ゴルフマニアで権威に弱い探偵事務所の所長ポール・クレイマーの下で、働いている。現在のロイヤルの仕事は、若妻ノーリーン・バクスターの依頼で、4日前から行方をくらました彼女の夫ジョーを捜すこと。そんななか、もしやジョーかと思われた殺害された死体が川の中から見つかるが、それはすぐに別人と判明。しかしその死体の素性は、ジョーと同じテレビ局に勤務する技術者ヘンリー(ハンク)・フィッシャーだった。心労のノーリーンのことを案じたロイヤルはバクスター夫妻の自宅に足を向けるが、そこで彼を出迎えたのは、何者が発射した銃弾だった。

 原作は、1961年のコピーライト。
 アル・ウィラー(ウィーラー)、リック・ホルマン、ダニー・ボイド、メイヴィス・セドリッツの<ビッグ4>を筆頭に、日本に紹介されなかったものも含めて、14人ものシリーズキャラクターをかかえていたカーター・ブラウン(英語Wikipedia調べ)。
 だがこのマックス・ロイヤルは本作以外の登場作品が未訳のものの中にもないようで、ついにシリーズキャラクターには昇格しなかったらしい。

 主人公マックス・ロイヤルのキャラクターをおおざっぱに分析すると、目につくポイントは、
①ハンサムで若手の私立探偵である
②口うるさい上司がいる
③その上司の秘書にカワイコちゃんがいて(本書ではクレイマーの秘書で、パットという名の、ボーイフレンドが多い娘が登場)、主人公が絶えずモーションをかけるが、なかなか振り向かない
……などなどだが、①は言うまでもなく先輩キャラのボイドとホルマンがすでにいるし、②と③に関してはアル・ウィラーのおなじみの設定そのまま。
 なおロイヤルには同年代の同僚の調査員トム・ファーリーというのがいて、後半で多少活躍する。こういうポジションのキャラが用意された点は、カーター・ブラウン作品としては新鮮な感じもしたが、これだけではウリにならなかったのだろう。
 要するにテストケース(パイロット編)の本作のみで、お役御免にされてしまった可能性が大きい?
(もし、どなたか「いや、マックス・ロイヤルものはまだあるよ」とご存じの方がいたら、教えてください。)

 お話の方は、物語の前半で登場してくる<とある事物>をめぐって小気味よく進展。マックス・ロイヤルが関わり合うヒロインは多めな気もするが、カーター・ブラウン作品ならこんなものかもしれない。
 後半の方で明らかになる、殺人とは別のとある悪事の実態は、1960年代の初頭にこんなものがネタになったか? まあなったのかもしれないな、という感じであった。
 総体的に、出来は悪くはないが、良くも悪くも地味で手堅い軽ハードボイルド私立探偵小説。
 井上一夫の翻訳が全体的にはマジメな感触なのも、そういう印象を加速させているような気もした。
(マックス・ロイヤルの話し言葉で、自分のことを「あたし」と言わせる演出は良し悪しであった。まあこれは、先輩のボイドやホルマン、あるいはウィラーなどと差別化させたかったのかもしれないが。)

 ちなみにタイトルの意味は、マックス・ロイヤルを自宅の浴室で入浴姿で出迎え、その際に実は<隠れ眼鏡っ娘>だったとバレてしまう作中の某ヒロインのこと。ただしあまりメガネ属性を前に出したヒロイン描写というわけでもないので、よほどの眼鏡っ娘好きでもない限り、そっちの興味で読む必要もないだろう。

 まあまあフツーには楽しめたけれど、カーター・ブラウン諸作の平均値なら、もうちょっとオモシロイよね、ということで評点はこのくらいで。

No.1096 7点 カリブの監視- エド・マクベイン 2021/02/15 21:16
(ネタバレなし)
 1960年代。ある朝、フロリダ州の珊瑚礁列島の一角、キーラーゴ島からそう遠くない海辺の町「オイチョ・プエルトス」が、武装した一団に占拠される。元海軍軍人ジェイスン(ジェイス)・トレンチをリーダーとする数十人の集団は狂信的な過激派の愛国者集団らしく、町にある8軒の家の住人を脅迫して制圧。何事かの計画を進めるが。

 1965年のアメリカ作品。
 大別してエヴァン・ハンターとエド・マクベインの二つの筆名を主に使い、ほかにいくつかのペンネームで著作していた作者。そんな当人が、この時点まででほぼ「87分署シリーズ」専用だったマクベイン名義で書いた、ほとんど唯一の(ごく初期にもう一冊あるという説もアリ?)ノンシリーズ長編。その意味で稀有な作品である(70年代半ばからマクベインは、当のペンネームを割と出し惜しみなく、87分署以外にも用いるようになるが)。

 評者は、87分署シリーズにハマった少年時代(嫌な子供だね)に、唯一のマクベイン名義のノンシリーズものというこの作品の素性を知り、都内の古書店を歩き回って、絶版・品切れだった本書を入手した記憶がある(ますますイヤな子だね)。
 とはいえ例によって、釣った魚に餌もやらないアレなミステリファンなのでその後、何十年も家の中に放ったらかしにしていた。
 そんな長い歳月のなかで、さほど世評で、これが隠れた幻の名作とか、知られざる佳作、とか、格段、聞こえてこなかったのも、放置する一因だったような気もする(ヒトのせいにするなって? いや、ごもっとも~汗~)。

 そこでまた今回、気が向いてようやくページをめくってみたが……いや、予想以上に面白いじゃないの!
 物語は、何やら不穏な計画を進めるトレンチたち愛国者集団の視点、それに一方的に巻き込まれたオイチョ・プエルトス住人たちの視点、その二つを主体に語られていくが、さらに映画のカットを細かく割るように、ほかの離れた場所での描写も、いくつかの流れで織り込まれる群像ドラマ。当然、トータルの登場人物の総数もかなり多い。

 全体像が見えてこない読者は焦らされるし、ミステリとしては種々の局面のサスペンスに加えて、大きなホワットダニットの興味が湧くのだが、その辺りでの並行するストーリーの捌きぶりは、さすが巨匠マクベイン、ため息が出るほど上手い。特にページ数が残り少なくなるなかで……おっと、ここはナイショにしておこう。
(なんというか、全体的には、のちの80年代に隆盛するジャンル越境ミステリ=ニュー・エンターテインメント分野の、かなり早い先駆という感じもある。)

 特に唖然としたのは、過激派愛国者集団の本当の狙いが明らかになるのと前後して、ようやく読者の前に明かされる<ある人物の過去のとある経緯>で、実はここらへんの筆致が、思ってもいなかったほどに熱いし、重い。
 昭和の国産社会派ミステリ、そのさる系譜に通じる部分があるね(こう書いてもたぶんネタバレにはなってないと思うが……)。
 評者などは、くだんの部分をたぶんかなりの力を込めて書き込んだのであろうマクベインの心境を想像し、それと同時に、物語の前半で読みながらなんとなく感じていたある種の摩擦感というザラザラした気分も引いていった。
 ミステリというか、小説として作品の相貌が、最後の最後で滑らかに変わっていくような、そんな趣が快い。

 21世紀のいま読むと、全体的に力みすぎて、細部の詰め込みすぎな印象もないではないが、60年代当時のアメリカはこういう作品が必要とされて、呼び込まれた時代だったのだとも思う。

 半世紀前の時代と寝たミステリノヴェルという形質も含めて、今後はさらにマイナーな作品として忘れられていくかもしれない一冊だが、力作なのは確か。
 マクベイン=ハンターの代表作のひとつにあげてもいいと思うよ。
(それでも8点でなく7点なのは、まあ……なんか……あったんだろうな……と、察していただければ幸い~笑・汗~)

No.1095 7点 ガラスの檻- コリン・ウィルソン 2021/02/14 06:40
(ネタバレなし)
 1964年のロンドン。死体を無残に損壊する9件の連続殺人が生じ、そのうち数件の事件関連現場に、18~19世紀の詩人ウィリアム・ブレイクの詩句が書き残されていた。これに着目した部長刑事ランドは、田舎に在住の青年学者で、英国随一のブレイク研究家デイモン・リードを訪問。異常なブレイク愛好家の情報などを求めるが、成果はなかった。そのあと、年上の友人ユリアン・ルイスと、その姪で自分の恋人である美少女サラと会ったリードは、彼自身がロンドンに赴き、学識を活かして事件の捜査をしようと考えを固めた。リードはその事前準備として、村に住む「魔法使い」こと超能力者の老人ジョージ・ビッキンギルに、以前に自分のもとに送られてきたブレイク愛好家の私信を手渡し、この差出人の中に殺人者がいるかと尋ねた。そして老人は、一通の手紙を指し示す。

 1967年の英国作品。
 ……なに、このオカルト要素(超能力者の老人の託宣)をスパイス程度に効かせながら、じわりじわりとテンションを高めていくスターティングの作劇。
 これはもうキングかクーンツか、F・P・ウィルソンじゃないの! という感じで、予期していなかった序盤の面白さに顎が外れた(笑)。

 いやまあ、掴み所のない才人コリン・ウィルソンの浮き名はこれまでいろんなところで聞き及んではいたが、短編はともかく長編を読むのはコレが初めて。
 例によって積ん読の蔵書の山の中から、大昔にどっかで買った本書(帯付きで500円の古書)が出てきたので、どんなだろ~と紐解いてみたら、これが実にオモシロイ。
 インテリの作品だから晦渋な文体かと思いきや、ダイアローグは多用されてるわ、下世話だけど微笑ましいセックスネタは豊富だわ、リーダビリティは最強クラス(中村保男の翻訳も読みやすい)。何よりストーリーをサクサク進めることを惜しまない攻めの作劇が強烈で、これはとんでもない掘り出し物に出会えたか!? とさえ思った(なにしろ本サイトでもAmazonでも、現時点でこの作品のレビューなんか皆無だし)。

 ただまあ、中盤から、通例のミステリの組み立てとしては明らかにオフビートなことをしてくるので、その辺でスナオには褒めにくくなってくる(もちろん詳しくも、具体的にも言えないが)。
 いや、たとえるなら、ナイター観戦していたら、打者がいきなりバッターボックスでアイスホッケーのクラブを構えて、ポカーンとする観客をヨソに、なぜかそのまま真顔でヒット。平然と、三塁まで進んでしまうような展開なので。
 ここで怒る人はかなり多そうだけど、まあ評者は割となんでもありな方なのでOK(笑)。前半の勢いは堅守したまま、ややあらぬ方向に突っ走るマイペースな後半も、これはこれで楽しんだりする。
 ただし評点はさすがに下げるよ。序盤からの面白さに見合った<ミステリとしての後半~全体の完成度>だったら9点は間違いなし、だったけど。8点にかなり近い、でもやっぱ8点まんまはあげられない、ということで7点。
(しかし、これ一作でものを言うのはナンだが、結局、ウィルソンってミステリが好きな割に、実はミステリがわかってないんじゃないか、とも思ったりした。)

 それでも全体としては十分に、読んで良かった、オモシロかった一冊(嬉)。
 そのうちまた、楽しめそうなウィルソン作品をなんか手にとってみよう。

No.1094 6点 怪龍島- 香山滋 2021/02/12 18:55
(ネタバレなし)
 その年の5月。地球上の未知の神秘に憧れる16歳の少年・山田眞理夫は、東京の自然科学博物館で、高名な探検家で学者の川島勇作と出会う。とある根拠をもとに、20世紀の現在も地球のどこかに古生代の恐竜は生きているはずだと自説を語る眞理夫。そんな眞理夫の学識と若い洞察力を評価した川島は、帆船アルバットロス號での洋行に彼を誘った。川島そして17歳のハーフの美少女グリたちとともに、眞理夫はなぜか行く先も教えられぬまま航海を続けるが。

 昭和28年8月に東京の愛文社という版元から刊行された、ジュブナイル秘境恐竜冒険小説。
 1985年の国書刊行会の復刻版で読んだが、実は人見十吉の長編ものと勘違いして以前に購入した(人見ものの該当作品は『恐怖島』だった)。

 本文290ページ弱を70前後の章(章見出し)で分割。それぞれに一応以上の見せ場やお話のポイントが設けられているわけで、さすがにハイテンポな展開で飽きさせない(一部、いろいろとツッコミどころはあるが)。

 評者みたいな怪獣ファンが恐竜小説として楽しもうとすると、肝心の恐竜の出番は、中盤以降はそれなりに多いが、劇中の扱いは微温的でやや拍子抜け。
 こないだ読んだ某英国作家の短編奇譚みたいなゾクゾクする感じで<秘境の中の巨大恐竜>が描かれるのなら良かったが。
 
 中盤以降、主舞台の「怪龍島」に上陸してからは、自然の苦難や悪のピグミー族に襲われるなどの試練が眞理夫たちを襲う。その辺はまあ、秘境冒険ジュブナイルの旧作としてはそれなりに面白いのでは。

 ヒロインのグリが黒髪で小麦色の肌のハーフ、眞理夫よりひとつ年上で、当初はツン系の一面を見せるがすぐに(中略)あたりは、1990年代から現在までの深夜美少女アニメという感じであった。
 さすが香山御大、時代の先読みぶりがお見事(笑)。
 
 某・恐竜小説ファンの研究サイトなどでは、後半の展開など「平凡」と低評価だったけれど、見せ場の多いクラシックジュブナイルとしては、個人的には及第点。決着は部分的にいろんな意味で、この時代だなあ、という雰囲気のところもあるが、まあいいや。
 もちろん差別用語などは全編にあふれているが、旧作なのでそのあたりはどうぞご寛容。
 ところどころで、半ば擬人化的に描かれる、動物キャラたちの活躍は微笑ましい。

No.1093 5点 ブリリアント・アイ- ローレン・D・エスルマン 2021/02/12 07:20
(ネタバレなし)
 1980年代半ばのデトロイト。「私」こと私立探偵エイモス・ウォーカーは、かつて因縁のあった弁護士アーサー・ルーニーから依頼を受ける。依頼内容は、ルーニーが顧問を務める新聞社「デトロイト・ニュース」のコラムニストで作家のバリー・スタックポールが行方をくらましたため、さる事情から彼を捜索してほしいというものだった。実はバリーはウォーカー当人の戦友であり、ウォーカー自身も友人の身を案じながらその行方を追う。ウォーカーはバリーの住居に残されたメモから、訳ありっぽい3人の名前を認め、一つ一つ調査を進めるが。

 1984年のアメリカ作品。日本ではのべ4冊の長編作品が翻訳された私立探偵エイモス・ウォーカーもののシリーズ第6作で、邦訳としては2冊目。先行して初めて日本に紹介されたウォーカーもので、シリーズ第5作『シュガー・タウン』の姉妹編的な内容になっている。
 
 評者は大昔に『シュガー・タウン』は確か読んでいるハズだが、内容はまったくもって忘却の彼方。しかしその『シュガー・タウン』の主要ゲストキャラが、作家のバリーをはじめとして何人か本作に続投するので(だから姉妹編と書いた)、本当なら前作から読んだ方がいいだろう。
(評者もそっちを再読してから、こっちを読んだ方がヨカッタかもね。)

 それで一読しての感想。
 いわゆるネオ・ハードボイルド世代の作家群のなかで、ジョナサン・ヴェイリンと並んで、最もチャンドラーとマーロウのDNAを受け継いでいるのが、このエスルマン……と、今までは思っていたが、う~ん、残念ながら、本書を読んで個人的には、こちらさんはライバル(?)のヴェイリンに、ココで一馬身、引き離されてしまった感じ。
 
 主題(?)が、主人公の私立探偵とやさぐれた友人との友情の絆、というのはもろチャンドラーぽくていいし、主人公の捜査の道筋にも違和感はないのだが、一方で肝心のエイモス・ウォーカー、今回はいまひとつ、精彩も魅力も感じられない。
 ストーリーは完全に失念しながらも、前作『シュガー・タウン』を読んだ際の<たしかに良い意味で、マーロウの亜硫>的な感触は覚えていたので、今回もそういう意味では期待していたのだが。
 なんというかヴェイリンのハリイ・ストウナーが30代後半のヴィビッドなマーロウ、その80年代版なら、今回のウォーカーは40代後半の枯れてきたソレ、しかして年相応の渋さの方はそれほど感じさせもせず……という印象。

 それに加えてウォーカーの真面目でまっすぐなキャラクター、たとえばポケミス218ページめの関係者とのやりとり(後の方がウォーカー)、こういうのをどう受け止めるべきか。

「きみはまだ青い」彼はいった。「きみの目に映っている世界には白と黒、善と悪があるだけで、そのあいだのものはなにもない」
「そのあいだにはなにもないんですよ、(中略)。それでもあるという者は、すでに何割か黒に染まってるんです。灰色の部分はおとぎ話にすぎない。人がその存在を信じはじめたとき、そのとき、世の中が狂ってしまった」

 こういった種類の物言いを、剛球でカッコイイととるべきか、愚直で青臭いと思うべきか。
(まあこっちはいずれにしろ、そんなセリフに心を揺さぶられて、こういうダイアローグが印象に残ったりするんだけれど。)

 あとこれは、正に読み手のこちらのせいだろうが、前述のとおり、本作では主要人物が何人か前作から続投、特にそのうち2人とウォーカーとの関係性の変遷がたぶんキモになっている。だが前作を忘れて、事実上単品で読んでしまっているので、どうも作者の狙いが見えにくい。そういう意味で、デリケートな長編作品ではある。

 さらにもうひとつ、肝心なこと、この作品のミステリ要素の話題。
 なるべくネタバレにならないように書くけれど、ポケミスの帯には「~私立探偵ウォーカーが発見した恐るべき事実とは?」とある。
 実際、その煽り文句に見合った、いささかショッキングなサプライスが終盤に用意されている……のだが、そんな事件の深層が、そこにいくまでの大筋だったウォーカーの捜査ドラマと、あまり密着感がない。
 悪く言えばとってつけたようなショックかつサプライズで、ちょっとよろしくない。
 
 そんなこんなでトータルとしては、読む前はそれなりに期待を込めたものの、残念ながら……の一冊。
 まあウォーカーものはあと2冊別途に翻訳されているし、そっちはそれぞれ単品でシリーズの流れを気にしないで、読んでもいいハズである(?)。
 それならば、いつかまたそのうち、手にとってみよう。

 最後にもうひとつ、作中で心に残った談話。ウォーカーが調査の最中で出会ったユダヤ人の老婦人グレーテ・カインドナーゲルが、戦時中にナチスの犠牲になった実弟を回顧しながら語る一言。
「いまでは〝ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)〟と呼ばれてるのね。三十年のあいだ名前がなかったのに、いまになってつけられた。そのほうが都合がいいんでしょうけど、でも、それはまちがってる。あんなものに名前をつけてはいけない。芸を教えこむペットと一緒にしちゃいけないのよ。形のない恐怖なんだから。振り返ってよく見てみれば、その正体がわかるわ。でも、世界にはそれだけの余裕がない。大虐殺と呼ぶにはあまりにも大きすぎるものだわ」

No.1092 7点 鉄血作戦を阻止せよ- スティーヴン・L・トンプスン 2021/02/11 16:37
(ネタバレなし)
 1980年代の半ば。西ドイツ空軍准将で名門出身のフリードリッヒ(フレディ)・フォン・グラバウは、第三帝国の悪行の禊ぎは終わった、もはや東西両陣営の思惑で愛する母国がこれ以上、分断されるのはまっぴらだと思う。フォン・グラバウは、労働階級出身の同士ヘルムート・シェーナー大佐を相棒に、西ドイツ在留のソ連のミサイル基地を占拠。総計7メガトンの核ミサイルを東西両陣営の主要都市に向け、米露英仏の在留軍の24時間以内の撤退を命じる。折しもポツダムの軍事連絡部(奪還チーム)に復帰していたマックス・モス少尉は、露英仏の選抜軍人とともに、クーデター側の布告の真偽を確認に向かうが。

 1986年のアメリカ作品。ただし本作からのマックス・モスもの第三~四弾は、日本の読者向けに新規に執筆。刊行も日本先行なので、ある意味、日本作品といえるかもしれない。
 要はそれだけ当時の日本で大人気だったし、作者も主人公マックス・モスも「奪還チーム」も親しまれていたわけだが、2020年代の現在では本サイトに作家名すら登録されていない。まさに諸行無常はなんとやら。
 
 まあその辺のシリーズの盛衰に関しては、当然ながら本シリーズの大設定を一瞬で破壊した、1989年のベルリンの壁崩壊という現実が背景にある。

 知らない人のために簡単に説明すると「奪還チーム」の大設定は、40年にわたって東ドイツの一角にさる事情から治外法権的な西側陣営の自由な拠点があり、そこを基地にして高速で移動できる車輌チームが、東ドイツの領土内に不時着したパイロットや機密物件を迅速に回収してくるもの。それでその任務をになう主人公が、スーパー・ドライビングテクニックを持つ青年マックス・モスというわけだ。

 時と場合、物語の流れにおいては、当然のごとく、敵陣営などの高速車輛や航空機との追っかけっこ、になり、これに応じて細部にリアリティを宿すためメカニック描写も当時ながらに濃密になる。この辺は要は、大人向けのITC作品(『サンダーバード』や『謎の円盤UFO』ほか)の興趣ともいえる(※)。

 それで評者は、20代の大昔にシリーズ第二作『サムソン奪還指令』まで読了。フツーに面白いと思っていたが、その後、ちょいと油断して三冊目を未読のうちに、現実のドイツがそんな状況になり、さらにミステリも全体的に読む数が減ったため、この3冊めを手にしたのは実にウン十年ぶりとなった。
(少し前に近所のブックオフの100円棚で見つけ、懐かしくなって買ったのだ。)

 今から見れば、現実のベルリンの壁崩壊が実はほんの少し先に迫っていながら、作中のリアルのなかで母国併合の理想に必死になったフォン・グラバウ一派の行動はなんとも切ない。もちろんやっていることは流血クーデターであり、脅迫テロではあるが。

 お話としては、謀略クーデターの対象がほぼ全世界規模。なのでこれをどうやってマックス・モス(と前線の仲間たち)に焦点をあわせて「ポリティカルフィクション・スリラー」<「カーチェイス活劇」に変換するのかと思いきや、中盤で予想以上にわかりやすくストーリーの流れが整理されて、その意味ではやや拍子抜け。

 一方で、大きなプロット上のどんでん返しではなく、細部を書きこんで、シーソーゲーム的な逆転劇の連続で読み手を楽しませようという作者の狙いも明確になるので、これはこれでよろしい。
 最後まで読み終えての感想は……まあ、マックス・モス側はある種のハードボイルドだよね。一方で、本作のもう一方の主人公フォン・グラバウ側は妙にリリカルに描写がまとめられていて、書き手がこの悪役一味にある種の感情移入をしたことがうかがえる。
 実際、訳者・高見浩の解説を読むと、作者は本書の執筆後に、フォン・グラバウ視点での、この事件の顛末を語ったアナザーストーリーを書いたらしい。
(悪党パーカーとアラン・グロフィールドシリーズの分岐&接点みたいだ。)

 全体としては期待通りに楽しめた80年代のエンターテインメント。ただし、今の世代の読者がもし興味をもったら、できればシリーズ第一弾から読んでほしい。
 このシリーズの前二冊が好きなファンなら、たぶん楽しめるでしょう。

 ちなみにシリーズ第四弾は、そんなベルリンの壁崩壊以降の設定で、マックス・モスの立ち位置も大幅に変わるらしい。大設定を喪失してなおも続くシリーズって、マック・ボランみたいだね。
(まあその第四作めもブックオフの半額セールの日に50円で買ったので、そのうち読むと思う。)

【追記】
 マックス・モスが窮地からの脱出に使う道具が、日本の雑貨。さらにまた別の彼のピンチで役立つのが、日本人の教官にならった体術。日本読者向けのサービスなんだろうけれど、作者の妙な律義さが愉快であった。

【追記その2:2021/2/11/22時25分】
※……『謎の円盤UFO』は大人向け、一般向けの番組でしたね。すみません。

No.1091 6点 ガラスの墓標- F・S・ジルベール 2021/02/10 04:31
(ネタバレなし)
 アメリカ裏社会の「組織(コーザ・ノストラ)」の実戦要員で、デトロイトで成果を上げた青年クリフ・モーガン。彼は組織の上層部に呼ばれ、フランスへの出張を命じられる。表向きの目的は、組織と縁があるパリ暗黒街の要人トニー・カルボナを支援してカルボナ麾下の殺人請負組織を作ること。だが組織の真の狙いは、カルボナが抱える麻薬売買シンジケートをクリフに乗っ取らせることだった。密命を受け、カルボナとともにパリに向かうクリフ。しかしオルリー空港を出た彼は、何者かの待ち伏せを受けて重傷を負う。頼る相手もないクリフは、たまたま旅客機の中で知り合った美人のパリジャンヌ、カトリーヌに、電話で救いを求めるが。

 1965年のフランス作品。1969年に映画化され、71年の日本での映画封切りに合わせて邦訳が出た原作小説だが、評者はくだんの映画はまだ未見。

 あらすじの通り、やさぐれた青年ギャングと運命的に出会った美女のラブロマンスを交えたコテコテのノワール・ハードボイルドで、55年前の旧作ということを踏まえてもまだ古い。1930年代あたりのクラシック・ノワールといわれて読んだとしても、ほとんど違和感は生じない主題の物語だ。

 中盤からはクリフの反撃、彼のもとに召喚される組織の応援、さらにフランス暗黒街側の応戦と策謀と、絶えずストーリーは動的に進む。ただし筋立てそのものは全編にわたって実にシンプルというか、素朴。
 とはいえ「これはあくまで旧作」という認識が強くなって、同時に期待値が下がってくると、ストーリーの組立には王道の物語を語ることにおじない、そんな力強さも感じられてきた。結果、これはこれで悪くない、という気分になってしまう。
 フランスミステリのノワールものの系譜、その一冊を探究するつもりで読むならば、佳作として楽しめる、というところか。

(とはいえ、あのジョセ・ジョバンニのデビューは1958年で、本書『ガラス~』が書かれた1965年には、もうジョバンニの方は7冊も長編を上梓してるんだよな。
 そういう事実を勘案すると、この作品って本国フランスのミステリファン&読書人全般の間で、どういう評価で読まれたのかとちょっと気になってくる。
 そのうちマジメに、わかる限りの<フランスミステリのお勉強>を、改めてしてみようかしらん。)

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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