皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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人並由真さん |
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平均点: 6.33点 | 書評数: 2106件 |
No.1286 | 8点 | 不思議な国の殺人- フレドリック・ブラウン | 2021/09/08 05:44 |
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(ネタバレなし)
アメリカの一地方にあるカーメル市。そこで「わたし」こと52歳のドック・ストージャーは、地方新聞「クラリオン週刊紙」の発行人兼主筆を23年間にわたって務めてきた。そんな晩春~初夏のある夜、ドックは新聞紙面の差し替えの可能性を気に留めながら、帰宅するが、そこに一人の小柄な訪問客がある。「エフーティ・スミス(スミティ)」と名乗った客は、かつてルイス・キャロルの研究家だったドックの前身を知っており、市内の無人の幽霊屋敷で行われるというキャロル愛好家の同好の士の集いに彼を誘う。だが、そんなドックのもとに突然の事件の知らせがあり、彼は来客を自宅に待たせたまま飛び出すが————。 1950年のアメリカ作品。 地方新聞の発行人で、土地の人々ほとんどと面識がある初老の主人公ドック。その彼のもとに、一晩のうちにニュース種になりそうな事件の情報が続々と持ち込まれたり、あるいは彼自身がなりゆきから関わっていく。そのうちに物語の主軸となる奇妙な変死事件、さらなる……が勃発する。 なんかまるで、若竹七海の葉村晶シリーズの長編みたいな大小の事件のミキシングぶりだ。これだけでもエンターテインメントミステリとしてはなかなかイケてるが、評者などがブラウンのミステリに期待する独特な洒落っ気とペーソス感の方もさらに豊潤で、実にたまらない。 あと主人公のドックは、本当にわずかな描写でその素性が語られるが、若い時に何らかの事情で婚約者と死別しており、その後もずっと独身を貫き、仕事一筋に生きてきた男。しかし市内の銀行の頭取から話があり、その頭取の弟が新聞社を経営したいというので、権利を譲ってこの仕事から身を引こうかとも考えている。青春の残滓と中年の重みが絶妙にまじりあったキャラクターで、いいねえ、なんかウールリッチ以上にアイリッシュだ(アイリッシュ以上にウールリッチだ、でもいいのだが)。 物語の大枠は当初から推察がつくとおり、一晩のうちに始まり、同じ夜のうちに決着する<ワン・ナイト・ストーリー>(評者がいま作った造語)。 その趣向の中で、とにもかくにもベテランのジャーナリストとして、目の前に次々と現れる記事ネタに食いつき、対処し、そして振り回されるドックの姿がテンション豊かかつユーモラスに語られる(中にはとても悠長に構えてられないサスペンスフルな状況もあるが)。 そしてその上でメインの怪死事件の舞台が、J・D・カーかブリーン、ロースンみたいな幽霊屋敷なのだからたまらない。ニヤニヤ、ゾクゾクしながらこの筋運びを楽しんだ。 終盤はさまざまな事態の絡み合いの結果、窮地に陥ったドックのサスペンス劇に、フーダニットの興味が融合する。 ドックが思いついた仮説がそのまま真相を言い当ててしまうのはちょっとアレだが、ちゃんと一応の伏線というか解決に至る布石は張ってあり、まあいいんでないかと。良くも悪くもブラウンのミステリらしいし。 (ただまあ、中盤で語られた謎の怪事件の方は……。) 今まで読んだブラウンのノンシリーズものの中では、間違いなくコレが一番面白かった。 こういうものを半年に一冊くらい読めたら私のミステリライフは、かなり満足度&充実度がさらに上がるんだけどな。 |
No.1285 | 8点 | 黒の試走車- 梶山季之 | 2021/09/07 14:55 |
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(ネタバレなし)
昭和30年代半ばの国産自動車業界は「タイガー」「ナゴヤ」「不二」の三大メーカーが熾烈な競争を続けていた。そんな1960年の10月上旬「タイガー自動車」の最新型モデルでユーザーの支持を得ていた「パイオニア・デラックス」が東海道本線の掛川駅周辺の無人踏切で停止し、列車事故を起こす。死者は出なかったが、パイオニアの運転手・芳野貫一はタイガー自動車が欠陥車を売ったと主張し、賠償金と鉄道会社からの請求の支払い代行を求めてきた。タイガーの企画一課長で、タイガー創業から生え抜きの35歳の柴山美雄はこの「掛川事故」を調べるが、その最中で不慮の事故死? を遂げた。それと前後して、柴山の大学時代からの親友で同期入社だった朝比奈豊は、タイガー内に新設された「企画PR課」のトップを拝命する。だが同課の実態は他社を相手にした産業スパイとしての間諜・防諜が主任務だった。朝比奈は上司の小野田部長の認可のもと、親友、柴山が何を追いかけていたのか、そして掛川事故の真相にも肉薄するが、やがて予想外の事実が次々と浮かび上がってくる。 カッパ・ノベルス(1959年12月からスタート)黎明期の1962年に書き下ろしで刊行。元版は題名の「試走車」の部分に「テストカー」とのルビがふられていた。 評者は今回、角川文庫版の重版(1980年の第10版)で読了。 作者の商業作品としての処女長編小説で出世作だそうであり、こういうジャンルや時代色に特に抵抗がないのなら、たぶん最高級に面白い。 評者も若い頃なら絶対に読む気にはならなかったとは思うが、これはこれで、この分野(昭和の企業経済ものミステリ)における名作なのであろうという構えでいたら、わははははは、一晩でいっき読み。たしかにメチャクチャにオモシロかった。 主人公は全編を通して朝比奈だが、序盤のフックとなる「掛川事故」の真相は割と早めに明かされ、一方で、親友の柴山の死への疑念はその後も潜在し続ける。 しかしこの作品、Wikipediaなどでは「経済小説」などとカテゴライズされているように、中盤からは、その柴山の案件はとりあえず保留。タイガーとライバル企業二社との次期新車計画を見据えた間諜&防諜戦の方が主題になる。この方面での物量感、あの手この手のせめぎ合いが、実に面白い。 もちろんペーパレスの概念はおろか、シュレッダーの技術もまだ無かった(コピーは大企業には普及していたらしい)時代だが、その辺の昭和文化や風俗を探求できるというちょっと変わった余禄も楽しめる。 産業スパイ戦争において、朝比奈が、企画PR課が、そしてタイガーそのものが最終的に勝利を納めるかどうかはもちろんここでは書かないが、その決め手となる逆転の方法もなかなか鮮烈(もちろん昭和30年代の作品という視座ではあるが、それでも作劇と演出がうまいので普通に乗せられてしまう)。 その辺もふくめてこの作品は「誰が最後に笑うか」パターンの優秀作でもあり、ラストまで気が許せない。 あー、面白かった。 もろもろの昭和文化に関心があり、ミステリを楽しむストライクゾーンにある程度の余裕がある人なら、いつか読んでおいてソンはない名作だとは思う。 |
No.1284 | 9点 | ファイアフォックス- クレイグ・トーマス | 2021/09/06 07:28 |
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(ネタバレなし)
ソ連のベレンコ中尉がミグ25で函館に亡命した1976年9月。だが英国情報部SISの特殊工作部長ケネス・オーブリーたちは、すでにそれ以前から、ソ連内ではさらなる新型戦闘機ミグ31が試作されているという情報を掴んでいた。ミグ31の最大の特徴は、操縦者の脳波によるダイレクト操縦システムで、これが量産されれば全世界の制空権は一挙にソ連に掌握される。オーブリーたちSISはCIAと連携して、軍人パイロットをソ連に潜入させて、ミグ31=コードネーム「ファイアフォックス」を脱出する作戦を計画。だが英国空軍は軍事予算縮小でろくなパイロットが育成されておらず、CIAはかつてベトナム戦争で「空飛ぶ死人」と呼ばれた凄腕のパイロット、ミッチェル・ガントを選抜。彼をオーブリーのもとに潜入工作員として預ける。かくしてソ連駐在のSISエージェントとソ連の反体制派有志たち、彼らの決死の支援を受けながら、ガントのミグ31奪取作戦は開始された。 1977年の英国作品。 作品の大枠は、作者のレギュラーキャラである、SISの大物スパイ、ケネス・オーブリーサーガの一編だが、主人公は完全にガントひとり。 シリーズのポジションから言えば、ル・カレのスマイリーサーガにおける『寒い国から帰ってきたスパイ』みたいな立ち位置にある作品。 すでに殿堂入りしているイーストウッド主演の映画はまだ観てないのだが、たぶんこの作品、少なくともストーリーに関しては<絶対に>原作小説の方が面白いだろうと勝手に予見。広瀬訳のHN文庫版の方で読んだが、期待通りに、いやそれ以上に、十二分に楽しめた。 日本で最初に翻訳された元版(パシフィカ)が刊行されたときに「小説推理」で北上次郎が絶賛していたのを記憶しているが、そのレビューの中で<忍者が敵陣に迫る隠密小説みたいな面白さ>という主旨のことを語っていたように思う(記憶違いなら、すみません)。 で、小説の中身は、ガントがミグ31に接近するまでの第一部「奪取」と、それ以降の第二部「脱出」の二部構成だが、双方の内容が、本当に骨がびびるくらいに面白い。早川文庫で400ページちょっとの厚さを、5時間かけずに一息で読んでしまった。 なにしろ前半から重厚なA級娯楽冒険小説(&スパイ小説)のオーラが全開で、前述の北上次郎の物言い通り、とにかく、主人公ガントをミグ31にまず接近させるためのSISとソ連反体制派側の滅私の苦闘、そして一方でその動きを探るKGB&モスクワ警察側、双方のシーゾーゲームが並ではない。 これで快い疲労感を感じながら中盤までいって、さあまだまだクライマックスはこれからだとばかりに、後半は後半で最高潮にハイテンションの展開となる。キーワードは「(中略・四文字)」だ。 おのおのの使命に殉じ、理想を夢見て(中略)仲間たちは多かれ少なかれこの作戦の中で達観している。一方で、もともとベトナム戦争の心の傷を引きずりながらこの作戦に応じたガントは後半にいたってもパッショネイト。 が、ガントのエモーショナルな描写はすべて、最後の最後、HN文庫版でいえば399ページのラストからの叙述のためであった。この場面で逆説的に大泣きしたわ(もちろんここでは、ソレがどんなのかは、具体的には書かないが)。 傑作という評判を心得ながら読んで、やはり、いやその思いすら飛び越えたさらなる傑作。 続編『ファイアフォックスダウン』もこのテンションを維持ということらしいので、そちらもまた期待しながら読みましょう。 【9月6日18時追記】 そういえば、今日9月6日はくだんの「ベレンコ中尉亡命事件」の当日だった。読了後に家人と本作の話題をして、言われて気がついた。このタイミングで読んだのはまったくの偶然。潜在意識とかアクト・オブ・ゴッドとかの話題までは何とも言えないが。 |
No.1283 | 7点 | ラガド 煉獄の教室- 両角長彦 | 2021/09/05 06:15 |
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(ネタバレなし)
文庫版で読了。 400ページ近い、やや厚めの長編かと思いきや、そのうちかなりのページが教室内の図版で占められている(上下分割込みで、のべ90枚以上)。 ポストゲートの『十二人の評決』とかキッチンの『伯母の死』みたいなビジュアル要素に依存するギミックをはるかに拡大したような趣向で、コレだけでもミステリ史に残るであろう。 後半まで仮説の提示を繰り返す展開はなかなかハイテンションだったが、一方で登場人物の造形はそろって大雑把。主人公格の一人・甲田の内弁慶ならぬマスコミ弁慶ぶりなど、面白そうなのにもっと掘り下げてほしかった。伸彦のダメ男ぶりとかもあまりにマンガチックで、いくらイクスキューズされていても、どうにも了解しがたい。 あと、本当の黒幕の正体についてはリアリティがないとかどうとか言っても意味がない種類のものだけど、もうちょっと読者の説得のしようはあったよね? とも思う。 でもって肝心のラストが舌っ足らずで中途半端という皆様の見解はまったくもってごもっともですが、個人的にはたぶんこの作品、元版の数年前に完結したばかりの某オリジナルテレビアニメに、インスパイアされているような気がします(その作品の名前は、文庫版巻末に掲載の作者と綾辻先生の対談にはまったく出てきませんが)。 まあ当方の妄想かもしれんけれど、黒幕の「(中略)」の正体が<その手のもの>だとしたら、個人的には結構いろいろと腑に落ちる。 いびつな作品だとは思うけれど、このパワフルなダイナミズムは買います。 2年4組の生徒にひとりひとり固有名詞をつけるといった、ムダなことはしないで、大半の男子女子をナンバリング分類するだけという割り切った叙述も読み手のストレスをかなり軽くしてくれた配慮だと思う(作者がネーミングが面倒だっただけかもしれんが)。 作者がアダルトウルフガイの中で『人狼戦線』が一番好きみたいなことにも気をよくして、0.5点オマケ。 |
No.1282 | 7点 | 花言葉は死- 勝目梓 | 2021/09/04 15:09 |
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(ネタバレなし)
「私」こと秋津慎平は、元刑事で43歳の私立探偵。東京は新井薬師周辺に自宅兼事務所を設けるが、もう三か月も仕事がない貧乏暮らしだ。そんななか、渋谷で花屋を営む川村文子という30歳前後の美人が、失踪した友人で共同経営者の宮本槙子(まきこ)を探してくれと依頼に来た。秋津は文子が帰ったのち、彼女が自殺した最初の妻・佳津子に似ていることに気がつく。しかし依頼を受けた翌日、槙子が山中の車内でガス自殺してると報道されて、依頼内容はそのまま槙子の変死の確認とその状況の確認に切り替わる。秋津は、槙子が人気若手タレントの滝沢克也の恋人であり、しかも最近世間を騒がした事件の渦中の人物だったと知るが。 元版は、1985年7月15日発行の奥付で講談社文庫での書き下ろし。 作者の勝目梓は、無数の著作の表紙を飾る煽情的なジャケットアートから広義のミステリではあってもエロとバイオレンスの作家という予断というか印象があり(勝手な観測ながら、本サイトに来られるような大方の方も近いものかと思う)、そういうのが必ずしもキライでもない(笑)評者もやや敬遠していた。だからたしかまともには、まだ一冊も読んでない。 まあこの作者の作品をいつか読むのなら、それは評判のいい比較的マトモそうな初期作品あたりからだろうな、とも思っていたが、先日、ブックオフの棚で本作の講談社文庫版をたまたま発見。地味に洒落た感じの題名に気を惹かれて裏表紙のあらすじ&紹介、巻末の結城信孝による解説を読むと、あくまで正統派の和製ハードボイルドミステリ&私立探偵小説だと書かれている。それで興味が湧いて読んでみた。 結論から言うと、かなり骨っぽい上質な国産ハードボイルドの秀作。本文は文庫版で240ページ弱なのですぐ読めるが、筆力を感じさせる文体、軽いようで存在感のあるそれぞれの登場人物の造形、適度に入り組んだ事件の構造と、それを主人公(と若干の同業の協力者)の調査でほぐしてゆく段取りなど、いずれの面からも読みごたえがある(エロ要素はいくらかあるが、これはたぶん作者の常連の読者を意識した職業作家的なサービスであろう。少なくとも不愉快な描写ではない)。 特に良かったのは、やはり主人公の探偵・秋津慎平の造形。 貧乏で酒好き、趣味はモデルガンいじりというキャラ立てした属性をあてがわれながら、本質は20代の前半の警察官時代に愛妻にさる事情から自殺された過去を持ち、その後も再婚するがうまくいってない。表向きのフットワークの軽さと臨機の荒事への対応能力、苦い人生の傷などが、これは良い感じで明確なキャラクターを築いている。 (ところで現在のネットでの紹介記事などを読むと、秋津は離婚歴8回(!)とか、とんでもない記述も見られるが、講談社文庫版では2回しか結婚していないはず。何かの勘違いか、のちの版では恣意的に改訂されたか?) ちなみにいつもの「ハードボイルド」のひとつの測定基準として、一人称の主人公が当人の内面を明け透けに語る件についてでは、秋津はそれなりに心の声が饒舌だが、しかし一方で秘められた内面の痛みなどをあくまで小出しにしてゆく。その意味でも、かなりまっとうなハードボイルド私立探偵小説らしい手ごたえではあった。 ミステリとしてはよくできている、と思う一方で、事件のすそ野がそれほど広がらない感じもあるが、そこが貧乏な中年私立探偵がかじりついた事件簿のひとつとしては、妙なリアリティを感じさせる面もある。この辺も含めて本作の味という感じだ。 ただし犯人の情念はかなり強烈で、そしてある種の切なさを感じさせるもの。この辺も国産ハードボイルドの趣旨に似合う。 いずれにしろ、この作者が実はかなりまともにハードボイルド私立探偵小説の素養があり、意欲もあったのはよくわかった。この系列の作品は、あとどのくらいあるのだろう。そもそも秋津の再登場などは……あまり聞いたこともないから、望みは少なそうだな。まあレギュラーキャラ化しないで、一本で燃焼する方がいいタイプに思えないこともないが。 |
No.1281 | 7点 | 殺人狂想曲- ハドリー・チェイス | 2021/09/03 18:04 |
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(ネタバレなし)
1950年代のカリフォルニアのフリント市。当地の「イースタン・ナショナル銀行」の出納主任で、30歳前後のケンウッド(ケン)・ハランドは、愛妻アンが実母の看病のために実家に5週間も帰っているので、若い体を持て余していた。そんなケンに、銀行の同僚で45歳のパーカーが、市の一角「レッシングトン・アヴニュー」に可愛い夜の女がいると名前と電話番号を教える。ケンは迷った末にその女「フェイ・カールソン」に電話して彼女のもとを訪ねて、映画と食事にのみ誘った。フェイは真面目で妻を大事にするケンに好感を持ち、ケンもフェイの明るくしかし気遣いのできる人柄を好ましく思う。フェイがかつてダンサーをしていたナイトクラブ「ブルー・ローズ」で軽く楽しんだ二人は、一度はフェイの自宅に戻るが、ほんのわずかケンが目を離したすきに何者かがフェイを刺殺した! 1954年の英国作品。 翻訳は、345番と早い通しナンバーのポケミスで刊行。 大昔に古書で買った初版で読んだので、裏表紙に「江戸川乱歩監修 世界探偵小説全集」と書かれており、しかも奥付が表3(裏表紙の裏)にある珍しい? 時期のもの。 実際に叢書に入れたのは解説を担当の都筑道夫かほかの若いスタッフだろうが、乱歩とチェイスの名前の組み合わせにちょっと笑う(まあ、晩年まで柔軟に、海外ミステリの最新情報を追いかけていた乱歩だから、チェイスの存在も視野にあったかも知れないが)。 本作の内容は、平凡な小市民で身に覚えのない殺人容疑をかけられる青年ケンを主人公にした典型的な<巻き込まれ型サスペンススリラー>。 が、探偵役である市警の警部ハリイ・アダムスが有能な捜査官の一方で嫌われ者の食わせ者として語られ、最終的にケンに味方してくれる法の番人になるか、あれこれ自分の野心を優先する悪役になるか見えないところなど、いかにもチェイスらしい。 さらに被害者フェイの住居レッシングトン・アヴニューは、いわゆる小規模な娼婦街であり「地元フリント市は健全で公序良俗に反しない町です」とタテマエを謳っていた公安委員会の、なるべく事件を表沙汰にしたくない方針や、さる事情から荒事で事態を鎮めたい市井の黒幕セアン・オブライアンの思惑などもからんでくる。 これにケンの周囲の一般人の言動や、大小の悪党の欲目や暴力沙汰なども絡み合い、まさに邦題『殺人狂想曲』にふさわしい内容になる。 終盤の二転三転の展開と意外な真犯人は、かなりのサプライズ。エンターテインメント作家としてのチェイスの第一弾としてコレを選んだ当時の早川書房スタッフの選球眼はなかなか確かだったといえる(映画化もされていたので、その関係かもしれないが)。でもチェイスの邦訳が波に乗るのは、もう少しあとに創元文庫でバンバン出るようになってからなんだよな。 いずれにしろ、先発で一作だけポケミスで翻訳されていたチェイス、さてどんなものだったのだろ、と思って今更ながらに手にとってみて、予想以上に楽しめた。 サスペンス要素の比重ぶりが、のちの創元文庫での諸作とよかれあしかれ少し異なるような感触もあるが、チェイスの邦訳作品全般をあらためて読んで&読み直してみれば、そんなに違和感はないかも知れない。 |
No.1280 | 5点 | 血の砂丘- 笹沢左保 | 2021/09/02 15:27 |
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(ネタバレなし)
かつて大企業「船津屋」の現社長・船津久彦の妻だった30歳の美女・能代三香子は、2年半前に飲酒運転で人を死なせたことから実刑を受けて妻の座を追われた。だがその事故の裏には、愛人・芙美代を正妻に迎えるため、夫の久彦が仕組んだからくりがあったことを出所後に知る。真実の立証も困難な三香子は、久彦への復讐を考えた。三香子は久彦を狂乱させようと、彼が溺愛する当年4歳の実の娘で、三香子自身の実子でもある千秋を誘拐。もちろん大切に保護した上で、久彦をさんざん苦しめたのちに返すつもりでいた。だがその千秋が何者かにさらに誘拐された! 三香子は、現在の彼女の愛人で復讐計画にはまったく無縁の大企業の常務取締役、そしてミステリマニアの別所功次郎にすべてを告白して、千秋救出の協力を願う。だが三香子と彼女の要請に答えた功次郎の前に、この事態に関連するらしいある殺人事件が? 昭和61年に「小説宝石」に連載された作品に、加筆して書籍化。 カッパ・ノベルス版の著者の言葉で作者が自負する通り、二重誘拐という物語の着想そのものは、(ちょっと)面白い。 ただし鳥取市周辺での殺人事件(これが題名に通じる文芸)との連携がいささか強引だし、肝心の幼女・千秋の隠し場所などもいろいろと無理はあるような……。あと、犯人の意外性もあまりない。 三香子がハメられた経緯、ある種の漢気からその真実を告白する某・登場人物の描写、そして窮地の中で本気で男と女の絆を固める三香子と功次郎の関係性の進展などは、ああ、いかにも笹沢作品という感じ。特に三香子に深く詫びながら、久彦の姦計を暴露する該当キャラなんかは、自作の渡世人ものの方の影響が感じられるような(評者はそっちの方はまったく読んでないので、あくまで勝手なイメージだが)。 男性主人公といえる41歳の別所功次郎は割といいキャラだが、そのネーミングが昭和~平成において現実のフジテレビの名物プロデューサーだった別所孝治(べっしょたかはる)を想起させる(第一作アニメ版『アトム』や東映動画の『マジンガーZ』『ゲッターロボ』ほかを担当した人)。 そういえば笹沢は『木枯し紋次郎』でフジテレビと縁があった。東映動画版『ゲッター』(74年)に「大枯文次」というアニメオリジナルのレギュラーキャラクターが出てくるので、それを知った笹沢がほとぼりが冷めた頃にやり返したのか? と馬鹿馬鹿しい妄想をしたりしてみる。 (「紋次郎」から「郎」を外して「紋次(文次)」にされたから、逆にこっちは「郎」をつけたとか?) 評点はそれなりに楽しんだけど、6点も微妙だなあということで、この点数で。 |
No.1279 | 6点 | ストリッパー- カーター・ブラウン | 2021/09/01 11:40 |
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(ネタバレなし)
パイン・シティのスター・ライト・ホテル。その15階から身投げを図ろうとする二十歳前後の娘を、「おれ」こと保安官事務所所属の警部アル・ウィーラーは、すんでのところで、思いとどまるよう呼びかける。説得は成功したかに見えた。だが安心しかけた次の瞬間、娘の体は妙な姿勢をとり、地面に落下した。その娘、女優志望のパティ・ケラーを救えなかったことを気に病むウィーラーだが、検死の結果、彼女の体内から平行感覚を狂わせる薬物が検出された。他殺の可能性を含む事件性を認めたウィーラーは、パティの従姉妹でストリッパーとして人気を集めているドロレス・ケラーに対面。ドロレスから、田舎から出てきてまだ友人の少ないパティが、結婚相談所「アークライト・ハッピネス・クラブ」でボーイフレンドを斡旋してもらっていた事実を知る。だがそんなウィーラーの前に、思わぬ関係者の変死事件が生じて。 1961年のクレジット作品。 ショッキングな冒頭だけに、これは、以前に一度は読んだことははっきり覚えている。それ以外のストーリーも事件の内容も、もちろん犯人もトリック(あれば)も、完全に忘却の彼方だったが。 他のミステリ感想サイトでも語っている人がいるが、若い身空で役者になる夢の途中で墜落死したゲストヒロインのパティ。この薄幸の被害者に関係者の誰もが情愛を傾けてやらないなか、自分だけでも彼女の死の真相を暴き、鎮魂してやろうとひそかに考えるウィーラー。うん、正統派のやさしいハードボイルド探偵のようで、気持ち良い。 自殺した? パティと、もともとそんなに仲良くなかったとうそぶくドロレス。彼女が従姉妹の死をたいして悲しまない反面、愛犬を猫っ可愛がり、いやイヌ可愛がりする。これに腹を立てて、犬よりも従姉妹だろ、人間だろと怒るウィーラー。すんごくマトモな主人公だ。ドロレスも、ハッと反省はしたようである。(まあ、犬には罪はないんだけどね。)でも小説として、またハードボイルド作品として、これでよろしい。 というわけで、いつにもましてウィーラーの骨っぽいところ、真面目でやさしいところは、ステキな作品。 だけど一方で、事件もゲストキャラも全体的にあんまり冴えない。ただひとり、タヒチ美人風と評された、結婚相談所の愛らしい受け付嬢、シェリー・ランドのみは、そのはっちゃけたキャラも、陽性のエロさも、ともに良かった。 しかし(中略)に(中略)の<あのもうひとりのヒロイン>はなんだろうね。笑ったよ。 シリーズもののちょっと変わった一本としては、それなりの価値はあるけれど、一本のミステリとしては、水準作~佳作くらいか。 本作は、なんかわりと、世の中の評判はいいような気配もあるのだが。 |
No.1278 | 7点 | 深夜放送のハプニング- 眉村卓 | 2021/09/01 04:46 |
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(ネタバレなし)
1977年初版の秋元文庫版(の重版)で読了。 イラストレーターで深夜放送のDJを兼業する青年・島浦紀久夫を主人公とする全3本の連作短編『深夜放送のハプニング』と、単品の中編ジュブナイルで学園SFホラー(?)の『闇からのゆうわく』、その、のべ4編を収録している。 表題作は、秋元文庫に入っているから純然たるジュブナイルかと思っていたが、読了後に眉村卓作品の研究サイトを覗くと、実は一般向け作品だったらしい。 くだんの『深夜放送の~』は 「過去のないリクエスト・カード」(記憶喪失のリスナーの素性の探索) 「夜はだれのもの!?」(悪趣味な冗談企画から始まる騒動) 「呪いの面」(ミクロネシアの呪いの面の奇談?) という3つの連作エピソードだが、本の表紙周りに「SF」と銘打たれているにも関わらず、実は存外にそっちの成分は希薄である。 特に「過去のない~」は、なんと新本格の「日常の謎」系みたいなミステリで、そのぶっとんだ真相にかなり驚いた(もちろん、60~70年代半ばに、すでにこういう作品が、それもSFプロパーの作家によってという意味合いで驚愕した面も強いが)。 「夜はだれのもの!?」は、さらにもうちょっと普通のミステリっぽいが、オチのつけ方など、どことなく後年の幻影城世代の作家の諸作なども想起させる。 最後の「呪いの面」で、ようやくスーパーナチュラル要素が強くなるが、怪異の真相をわざと(中略)なラストには、独特の余韻がある。 いずれも期待しないで読んだ分、それでもうけた感じがあるのは事実だが、予想以上に楽しめた。 後半の単品中編『闇からのゆうわく』は、平凡な中学校に、魔女のような、冷たい美貌の若手女教師が転任してくるところから開幕する学園ホラー青春SF。平井和正の初期短編に通じる危なさと蠱惑さがあるジュブナイルだが、緊張感に満ちた展開、情感のあるクロージングと、なんか実に心の琴線に触れた。 21世紀のいま、新作として、そのままこの内容の作品がリリースされたら、小説、映画、コミック、どのメディアででも、古い感じは拭えないだろうが、一方で、こういう傾向の作品のときめきを忘れたくないと思わせる、そんな普遍的な魅力がある。十代の頃に読んでいたら、確実に(中略)。 半ば成り行きで入手したようなところもある一冊だが、望外なほどに予期せぬ感興に触れられた。 また何か、似たような傾向の眉村作品に出会ってみたいと願う。 【補足】 1982年に同じ出版社の「秋元ジュニア文庫」(秋元文庫ではない)から同題の短編集が出ているらしいが、そちらは元版(秋元文庫)の方に併録されている『闇からのゆうわく』を割愛しているそうなので、注意のこと。 |
No.1277 | 7点 | ある殺意- P・D・ジェイムズ | 2021/08/31 16:05 |
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(ネタバレなし)
そろそろ蔵書のポケミスで読もうかと思っていたら、ブックオフの100円棚でHM文庫版を発見。改訳決定版というので、じゃあ、とそっちを購入してこっちで読了した。許せ、我が家の蔵書のポケミス版『ある殺意』。 前作『女の顔を覆え』ほどの一大サプライズはないが、こちらもこちらで十分に面白かった。 あまりにも多い、そしてひとりひとりがみっちりと描写されたキャラクターたちは確かにヘビーだが、この数年来やっている登場人物一覧をまとめながら読む作業をしながらの読書なら、そんなには苦にならない。 むしろ情報が薄いキャラクターは、もっともっと、こちらが人物メモに書き込む要素を欲しながら、ページをさらにめくるようになる。 (逆に言うと、本作はそういうある種のぜいたくさを満喫できる作品ということだ。) でもって、物語の途中で実はかなり明確に手掛かりというか伏線は張られており、そこに留意すればたぶん一瞬で事件の真相の全貌は推察できる。(ただし評者は、一度はそのポイントをはっきりと意識しながら、後半の物語のうねる波のなかで失念していた。みっともないが、よくあることである。) これまでジェイムズの諸作のなかで、いちばんなんだかな、とこれは……と思った『皮膚の下の頭蓋骨』とかも踏まえて、ジェイムズって意外に伏線の張り方がぞろっぺいかも? しかし終盤、ダルグリッシュ&マーティン部長刑事が病院内の記録を調べ(カード整理式の分類データを利用する、パソコン普及直前の作業がすごい印象的)、その流れでちょっと遠出の捜査をするあたりから、なんかヒラリー・ウォーみたいな作風になった。フーダニットの興味を軸に置きながら警察捜査小説の道筋で、真相に迫っていく感じ。ジェイムズがどのくらい意識していたかは知らないが、形質的には近いものができていたかもしれない。 そこで最後のどんでん返し いや、そのウォー風警察小説っぽい波に乗っていたから、個人的には意表を突かれました。 ……とはいいつつ、実は前述のように、いちどは想定していた&心に引っかかっていた決着へと戻ってきただけだけど(負け惜しみ)。 故・瀬戸川猛資の遺した言葉「ジェイムズを読むなら時間があるときに一息に」の鉄則を尊守している身からしても、存分に楽しめた。 実にバランスのいい正統派&技巧派ミステリだった前作に比べて、今回はさらに一定の箱庭世界(本作なら名門の精神病院)を舞台に、そこで群像劇っぽい登場人物たちの右往左往を語ろうとする作者の筆の勢いが実感できた。 次の『不自然な死体』、そして『ナイチンゲール』が楽しみだ。 |
No.1276 | 7点 | 化石の城- 山田正紀 | 2021/08/30 16:35 |
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(ネタバレなし~ただし途中一部、少しデンジャラス)
1968年5月上旬。ド・ゴール政権に反対する学生運動「五月革命(五月危機)」の運気が高まるパリで、日本の企業「紀伊建設」の社員で20代後半の瀬川峻は、天才青年建築家トニー・バチェラーの訪日を求める。瀬川と紀伊建設は大阪万博に向けて大きなプロジェクトを構想し、そのために先にバチェラーと契約したが、なぜか彼は態度を急変させてパリに残りたがっていた。そんななか、瀬川は訳ありの元友人・池田灘夫と6年ぶりに再会した。不穏な空気の中で思わぬ事件が続発し、やがて瀬川はパリの地下に、あのフランツ・カフカが書いた「城」のモデルが実在する!? と知る。 最初の元版(1976年1月。二見書房のサラブレッドブックス)以来、なぜか一度も再版も電子化もされない、山田正紀の初期長編。 古書価は高い時には余裕で5ケタ行ったりするが、運が良ければヤフオクで500円で買えることもある。 評者は1970~80年代にその元版しかない本作を300円の古書で購入していたが、一方で大昔の「SRマンスリー」の短評で、本作の内容がパリの五月革命に深く関連すると聞き及んでおり、現代史にあんまり強くない自分には、ちょっと敷居が高そうだということで、長らく(ウン十年も)放っておいた。 それから歳月が経過し、まあ21世紀の現代ならwebもあるし、わからないことならネット検索で大方の概要は教えてもらえるだろうと、しばらく前から、書庫の中から取り出しておいた。 で、ようやっと昨夜、読んだが、……いや、期待以上にリーダビリティは高く、予想以上に面白い。 読む前はSFかと思っていたが、「城」の伝説にからむ伝奇性の部分以外は非日常要素は希薄。 ほとんど巻き込まれ型のサスペンススリラー(冒険小説の一種)で、さらに言えば、青春のいちばん最後の時期にオトシマエをつける若者たちの情念の物語でもある。 巻末には、この時点で初めて「あとがき」を書いた、と語る作者・山田正紀自身の述懐が掲載されているが、本作の執筆の契機(のようなもの)の一つになったのは、あのフォーサイスの『ジャッカルの日』だそうである。同作を読んでトータルとしては評価する作者は、ドキュメント部分の要素に感銘はしたものの、フィクション部分は存外につまらないと豪語。そういった一種のアンチテーゼ的な立場で、本作を執筆したようである。 (だからド・ゴール政権末期の「五月革命」のパリの物語になっている。) 五月革命にカフカの『城』ネタを組み合わせ、さらに当時の国際政治情勢(特に……)までを絡ませてストーリーを紡ぎあげた、若い作者の筆の勢いは、前述のように21世紀のいま読んでも歯ごたえがあった。 キャラクターシフトにしても、大学時代からの屈託を今なお抱えあう主人公・瀬川と元友人・池田の関係性も良いが、物語にかかわりあう主要キャラたちがそれぞれ記号的な造形を逃れて、一定以上の存在感を抱かせる。 何より、状況や事態の振幅に翻弄されながらも、夢と明日の希望にしがみつく(それは実にいろいろな形だが)劇中人物ひとりひとりの素描が良い。 で…… 【以下、ちょっとネタバレ?】 これは初期山田作品のなかでも上位の方……と思いながら、終盤のヤマ場に向かったが……ああ、そうか、(この時期の)山田正紀だったんだよね……この作品。 賛否両論はあるだろうが、やってほしくなかったなあ、この作品に限ってはあのパターン。 いや、トラウマ的にショックを受けた、同じ作者のあの作品のラストがまた甦ってきたよ。 ただまあ読み終えて一晩眠って少し頭が冷えてみると、この結末はそれなりの意味はないでもない……とは思えたりもする。 非常に60~70年代の時代っぽいクロージングだし。 ただまあ一方で、このラストを書き終えた際の作者の妙な表情が頭に浮かぶようで、ソコはどうも。まあこちらの思ったこととはまるで違う、悲痛な面持ちで魂を削るようにコレを書いていたのかもしれんが。だったら何も言えないね。 【以上でネタバレ解除】 読了した直後、就寝までの数時間での評点は6点。 ひと晩、明けた現在では7点。 面白さと熱さ、ときめきの部分だけ抽出したら、8点。 |
No.1275 | 6点 | 突然、暴力で- カーター・ブラウン | 2021/08/29 05:58 |
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(ネタバレなし)
「おれ」ことダニー・ボイドは、NYの私立探偵事務所「ボイド・エンタープライズ」の代表兼唯一の所員だ。ボイドは、元・麻薬ギャングの大ボス、コンラッド・レイクマンの依頼で、家出した彼の娘スージーを捜す。ボイドはスージーが借りたアパートを発見し、彼女を自宅に連れ帰ろうとしたが、そのときクロゼットの中から若者の死体が転げ出た。それはスージーとともに駆け落ちしたが、いつの間にかいなくなっていたという、コンラッドの運転手ジョイ・ヘナードの射殺死体だった。当惑するボイドの前に、見知らぬ若い男女が登場。二人組の片方である男は、ボイドを殴って失神させ、女とともに、スージーをどこかに連れ去った。 1959年の版権クレジット。ダニー・ボイドシリーズの第二作。 何が起きているのか分からないままに、物語が進行。冒頭の被害者ヘナードの遺留品から、さらに別の方向に事件のすそ野が広がっていく。 終盤に明かされる事件の全貌は、もともと、ちょっとややこしい事態だった、そこにさらに、妙な角度から切り込んでストーリーを語り始めたため、作品全体に錯綜感が生じていたのだったと判明する。 (なるべくネタバレにならないように書いているつもりだ。) この、それなりに凝った作劇の趣向は、結構面白い。 真犯人は、なんとなくこの人物がクサイなと勘では察せられるものの、殺人の生じた動機というか状況は、かなりぶっとんだものであった。 なんか類例があったような気もしないでもないが、いずれにしろずいぶんとオフビートなものなのは間違いないだろう。 しかし今回も前作同様、主人公のボイドはよく殴られる、そして殴り返す(例によって女にも)。ワイルドさを基準にすれば、カーター・ブラウンの諸作中でも、このボイドシリーズの初期編がいちばん凄かったかもしれない。 今回、ボイドシリーズのレギュラーヒロインとなる、赤毛の美人秘書フラン・ジョーダンが初登場。もともとは別の職場にいたが、転職してボイドの事務所に来る。 (マイケル・シェーンシリーズの二代目ヒロイン、ルーシイ・ハミルトンみたいなパターンである。) フランはボイドとの初対面から、自分は高級な酒と食事が好きなお金がかかる女だと自称。まだ22歳だが、けっこう男性経験も豊富なようで、ボイドとの関係の深化も予想以上に……(中略)。まあ興味のある人は実作を読んでくれ。 ちなみに本シリーズの邦訳はかなり順番が後先になったため、この第二作が日本語になる前にボイド主役編もそれなりの冊数がすでにポケミスで出ていた。 そのため本書の巻末では、白岩義賢なる御仁(webで検索すると、1934年の生まれで中央公論社の編集者だった人らしい)が、既訳分のシリーズを丁寧に読み込み、ボイドに関する、かなりしっかりしたシャーロッキアン的な論評をまとめている。 全国のボイドファン(21世紀のいま、どのくらいいるか知らないが)は、ちゃんと目を通しておいた方がイイ一文だね。 評点としては、面白いことは面白かったけれど、送り手の方が読者を一方的に引き回すような種類の感触も割とあったので、このくらいで。 カーター・ブラウンファンなら、いつかどっかのタイミングで読んでおいた方がいい一冊だとは思う。 |
No.1274 | 8点 | アメリカの友人- パトリシア・ハイスミス | 2021/08/28 17:51 |
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(ネタバレなし)
1970年代前半のフランス。アメリカ人でひそかな殺人者のトマス(トム)・リプリーは、周囲の一部の者から危険な人物と噂されながら、持ち前の人たらし能力で知己や友人を増やし、美貌のフランス人の妻エロイーズとともに落ち着いた日々を送っていた。そんななか、暗黒街のギャンブル業関係者でリプリーの裏の顔を察するリーヴス・マイノットが、誰かアマチュアの殺人者を知らないかと相談にきた。リーヴスはマフィアの干渉を受けており、自分たちと無縁で足がつかない、対マフィア用の刺客を欲していた。リプリーは、知己の男で、些細なことから自分に不興を感じさせた白血病の英国人ジョナサン・トレヴァーのことを思い出す。そしてジョナサンの周囲に、当人が余命少ないらしいという、もっともらしい噂を流して心理的に追い詰めた。やがて悲観したジョナサンは、愛する妻子のために金を遺そうと「スティーヴン・ウィスター」と名乗ったリーヴスからの殺人代行の依頼を受けようと考える。 1974年の英国作品。リプリーシリーズ第三弾。 シリーズ再開作品の第二作目『贋作』を経て、良くも悪くも連続シリーズものの波に乗ってきた感のある一作。 ネタがマフィアがらみなのは、当然、この時期(1970年代前半)、あの『ゴッドファーザー』(原作69年、映画72年)の影響で世界的にマフィアものブームが起きていたこととも無縁ではないだろう。そのことがハイスミス自身が書きたかった主題なのか、編集部の打診や要請だったのかは、不明だが。 (実際に本作の作中にも、小説の方の『ゴッドファーザー』の話題が出てくる。) 34歳の額縁職人で貧しい小市民のジョナサン・トレヴァーは難病を抱える身。彼は以前にちょっとした縁で出会ったリプリーに、ついそんな深い意図もなく不敬めいたこと? をしたために目をつけられ、リプリーの思考実験「その人間の周囲に意図的な流言飛語を流すことで、どれくらい当人の精神を支配できるか」みたいな悪意の対象にされてしまう。 ……すごいな、今回のリプリーは、いつにもまして。まるで藤子A先生の喪黒福造か黒ベエみたいな、ブラックなプラクティカルジョークの主だ。 そういうわけで物語の前半は次第に蟻地獄に落ちてゆくジョナサンがほとんど主役。なんかリプリーの出番も少ないので、これはシリーズ番外編みたいな作りかな? と思っていたら、中盤で!!!!!!!!!!!(中略) あー、ここで(我ながらマヌケであったが、)実はこの作品、文庫の旧版が刊行された90年代の半ばに、この(中略)な中盤の場面まで一度読みかけておきながら、そこで中断したままだったのを、いっきに思い出した(!)。 この途中のシーンで、そこまでの当時の自分の読書の流れが、いっぺんに蘇る。 で、なんで<ソコ>で読むのをやめていたかというと、該当の場面であまりにインパクトを受けた反面、その時点では、まだシリーズ第二作『贋作』を未読だったことを意識して、「これはもう、そっちを読んでから、このシリーズ3冊目を読んだ方がいい!」と思ったからなのだった。(そうだ、そうだったよ!) ……というわけで、今回はもう当然、すでに『太陽』も『贋作』も読んでいるので、そのまま最後までイッキ読みである。 いや、メチャクチャ面白いです。期待通りに。コーヒーと栄養ドリンクを飲みながら、眠い目をこすりつつ、明け方までかけて徹夜で通読した。クライマックスの展開もある意味ではパターンというか、先行2冊の作劇のフォーマットにのっとっているのだけれど、一方でこの作品の設定やキャラクター配置ならではの独自性もちゃんと設けられている。そういう意味ではシリーズもの作品としての完成度も高い。 しかしリプリー、改めて鮮烈なキャラクターだわ。いやクレイジーとか底がしれないとかそういうのではなく、なんというか常人の内面に誰でも潜在する陰影と人間性をあまりにもくっきりさせながら描いていくと、こういう小説内での人物が生まれる、というそういう種類での凄味がある。この魅力のほどは、なかなか語りきることが難しい。シリーズの残りもあと2冊。 あまりダラダラとシリーズが長く続かなかったのは、たぶん良かったんだろうね。じっくり、読んでいきましょう。 |
No.1273 | 8点 | 逆光のブルース- 黒木曜之助 | 2021/08/27 05:50 |
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(ネタバレなし)
グループサウンズブームに、全国の若者が熱狂する昭和43年。3月15日、日本武道館のステージ上で、当代最高の人気を集めているグループ「ザ・サイケデリックス」のリードボーカル「サニー」こと旗京太郎が横転する。かねてより壇上でエキサイトしたまま失神する芸風が売り物の「失神歌手」サニーは、今回も同じ趣向で会場を沸かせたかに思えたが、その直後、実は何者かによって毒殺されていたことが分かる! 所轄の老刑事・中島部長刑事と、かつて学生時代にミュージシャンだった30歳前後の白石刑事はこの事件を追うが、彼らの前には続々と、殺人の動機を秘めた容疑者が順々に浮上してくる。 元版は桃園書房から1970年12月に刊行。評者は今回、77年発売の春陽文庫版で読了。 少し前にさる理由から1970年代の「SRマンスリー」バックナンバーをひっくり返して眺めていたら、70年代半ばに本作の作者・黒木曜之助のインタビュー記事が掲載されているのを改めて意識する。先日『ポルノ殺人事件』を読んだこともあり、気になってしっかり読み返してみると、当該のインタビューの中で、作者自身が自信作めいた物言いで語っていた自作が他ならぬこれ。 大人気の5人組グループサウンズ、その主力メンバーが死亡し、容疑が次々と仲間のメンバーにかけられていくが(中略)、そしてさらに……、と、なかなか面白そうに自作の趣向を述懐しており「ふむふむ、それは確かになかなか良さげ……?」と思わされた。 現時点のAmazonには文庫版のみ古書が販売されており、値段もそんなには高くないので、取り寄せて購入。それからひと月ほどした今夜、読んでみる。 先日、評者が読んだ『上を見るな』(島田一男)同様、この時期の春陽文庫は二段組の紙面レイアウトで、当初は若干の読みにくさを感じないでもなかった。が、本作は良い意味で、筆が軽い感じの文体で、すぐにその辺は気にならなくなる。 実際、物語の主題となるグループサウンズブーム、さらには同時代の学生運動やそのほかの昭和文化、風俗を交えながら、それでもあくまでストーリーは毒殺の機会と手段を探りながらのフーダニットパズラーとしてテンポよく進行。かなり面白い。 売りの趣向である容疑者の二転三転は、構造的に先に表に出てくる人物はダミーっぽいが、のちのちまた何かあるかもしれないので、気を許せない。一定以上のテンションを堅守しながら、主役の刑事たちの捜査が進展してゆく。 一方でかなり熱量の高い作者のメッセージも次第に伝わってくるが、物語の本筋が殺人事件の犯人捜しという軸はブレないので、安定感のある読みごたえは結構なもの。 黒木センセイ、今までどっか軽く見ていたけれど、その気になればちゃんと面白いもの書けるんだねえ。見直した。 まあそれでも読者サービスが先に立った終盤のサプライズというか(中略)など、いささか荒っぽい感触もあるんだけれど、一方で昭和の通俗(しかしエンターテインメントに徹した)フーダニットパズラー、こういうバーバリックな面白さでいいよ、とワクワクさせるものはある。 少なくとも、出来がいいか悪いかとは別の次元で、とても好感は抱けるし、愛せる謎解きミステリにはなっている。 傑作、優秀作、とまで断言はできないけれど、あまり口頭に上らない佳作~秀作なのは間違いないでしょう。 昭和ミステリ、まだまだ面白いものは、人知れず眠っているんだね。 評点は、期待以上のサービスぶりを評価して、0.5点オマケ。 |
No.1272 | 6点 | 古書殺人事件- マルコ・ペイジ | 2021/08/26 16:07 |
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(ネタバレなし)
1930年代のニューヨーク。30代半ばの古書店主ジョエル・グラスは、美人の愛妻ガーダを助手にして本業の傍ら、古書業界のなかで起きる稀覯本の偽造や改竄、盗難などに対処するトラブルシューターとしても活躍していた。そんな彼の周囲で、大手古書店の主人エイブ・セリグが何者かに殺害される。セリグは以前に、自分の店の店員ネッド・モーガンが稀覯本を盗んだと告訴し、モーガンを数年間の服役に導いた事実があった。だがセリグの蔵書の中から盗まれたはずの稀覯本が見つかり、実はモーガンと自分の娘レアとの交際を不興に感じていたセリグが、モーガンに冤罪を着せたのでは? そして今回の殺人はそのモーガンの復讐だったのでは? という疑念が生じる。 1938年のアメリカ作品。 昭和の後半、全国のミステリマニアがレアなポケミスを集めるのに血道を上げていた時代、そして1985年に復刊される前で本書が初版しかなかった時代に、神田の神保町の古書店などでは1万円もの値段がついていた作品。 ひとえにこの邦題から古書好きのミステリマニアの注目の的の稀覯本となっていたわけだが、今から思えば古書ブローカーなどによる価格の釣り上げなどもあったかもしれない。沖縄返還前後の守礼門の琉球切手みたいなものだ。 ちなみに1985年の復刊は単なる再版ではなく、奥付に「改訂1版」と明記された珍しい仕様で刊行。nukkamさんのおっしゃる印字の逆立ちなども特になかったから、その辺も含めてきちんと改訂されて刊行されたらしい。早川は訳者・訳文そのものは同じでもHM文庫など入れる際に、編集が本文に今風の表現になるように手を加えることもあるので、この改訂版ポケミスも訳文全体に多少の改修がなされている可能性もある。 いずれにしろ本作はこの85年版のおかげでいっきょに値崩れし、さらにほぼ10年後のジョン・ダニングの登場などで、「(比較的)レアな古書ミステリ(の筆頭)」という側面まで粉砕された。今ではもう稀覯本、レアなミステリだったというかつての栄華の影など片鱗もないね。 そんな評者もこの85年版を新刊で買ったハズだが、しばらく前から読みたくても、例によって見つからない(汗・笑)。それで思いついて一週間ほど前に、webで200円でまた85年版を購入。届いてすぐ読んで、こうしてレビューを書いている。 また昔話になるが、本作はもともとこのなんとなく格調高そうな邦題から、正統派のフーダニットパズラーだと、読みたくても読めなかった昭和のミステリマニアたちに認識されていた気配がある。今はその定見も崩れて、もうちょっと軽いB級の都会派ミステリという見識が定着しているようだ。(nukkamさんのおっしゃるジャンルミックスものというのも、当を得ていると思う。) 本作は三人称複数視点の形式で、主人公ジョエルの視点で物語が進んで彼が殺人事件の捜査に乗る流れなどは普通に軽めのパズラーっぽいのだが、視点が変わり、古書業界に巣くう悪党や小悪党などの叙述が混ざりはじめると、雰囲気的には別のジャンルのミステリっぽくなる。ハードボイルドともノワールとも一概に言い難いが、そのあたりは個人的にはのちのロス・トーマスやレナードあたりのヤバい連中の描写を思わせた。 お話そのものは悪いテンポではないが、とにかく閉口したのが、いきなり初発の固有名詞(人物名)がホイホイと飛び出してくる小説の作法で、これは例によってメモを取りながら読み進めてなお、ウンザリした。 作者マルコ・ペイジ(ハリー・カーニッツ)はもともと脚本家だから、本領の映画や演劇の分野では当然、登場人物の名前を初出で出す際には、受け手に向けて「そういえば、常連のお客さんの××さんは」とか「叔母さんの××さまが」とか説明っぽいセリフにしなきゃいけないと思う。 だからその辺のくびきを逃れて、受け手(読者)が読み返すことも可能な小説メディアでは、かなり好き勝手にマイペースに、それこそリアルにポンポンと初出の名前を放り込んだのだと思うが……どうだろうね? (この辺は意見が分かれるかもしれないが)もうちょっと翻訳の方の演出で、初出の名前にストレスを感じなくするとかフォローをしてほしかった。(まあ、もしかしたら、フォローして、コレ、なのかもしれないが。) 古書業界の話ながら、具体性のある古書などはあまり話にからんでこないし、稀覯本の改竄、偽装をする専門家といった興味深いキャラクターを登場させながら、ほとんど掘り下げないのも残念。 (『モルグ街の殺人事件』の元版・初版をほとんど詐欺同然に騙し取られた気の毒な人の逸話だけは、ちょっと心に残った。) 犯人は半ば見え見えだが、それでも真相に至る見せ方がちょっと面白いのは、シナリオ作家らしい。 ちなみにヒロインのガーダ、キャラポジション的には絶対に評者のスキになるタイプの女性なのに、あんまり魅力的に見えないのはなぜか。たぶんろくに活躍の場も与えられないからだな。 本作はもうひとり、同年代のヒロイン、ヘレン・スコット(保険調査員ラングナーの恋人役)が登場。このキャラ要らないんじゃないの? とも思ったが、たぶん本作が映画化の機会でもあった際の欲目での、スター女優枠なのであろう。 ペイジ名義ではそんなにミステリも書かれず、当然、これもシリーズ化できそうなのに、されることはなかった。それでもあんまり惜しくないなあ、とは思う。 |
No.1271 | 6点 | トム・ブラウンの死体- グラディス・ミッチェル | 2021/08/25 06:31 |
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(ネタバレなし)
第二次大戦の終結からしばらくした、その年の10月。英国の一地方スピイ村にある、寄宿制のパブリック・スクール「スピイ校」の周辺で殺人事件が起きる。殺されたのは歴史とラテン語を教える青年教師ジェラルド・コーンウェイで、その死因は溺死。だがその死体は水気と関係のない、スピイ校の経済学とフランス語の教師ベネット(ベニイ)・アーチェロ・ケイの自宅の庭で発見された。アマチュア名探偵として知られる有名な精神病理学者ビアトリス・レストレェンジ・ブラッドリイ夫人は、この事件に介入。やがて女好きでレイシストで性格の悪い被害者が、周囲の多くの者と問題を起こしていたことが明らかになってくる。 1949年の英国作品。ミセス・ブラッドリーシリーズ(本作ではブラッドリイ表記)の第22弾。 こないだ読んだレオ・ブルースの『死の扉』の作中でミステリマニアの登場人物がやたらグラディス・ミッチェルをホメていたのに関心を煽られて、少年時代に古書店で200円で買ったまま死蔵していたこのポケミスを読んでみる。 しかし巻頭の登場人物一覧表に並ぶキャラクターだけで20数人、実際にメモを取ると名前がある人物だけで70人前後に及ぶ(……)。これをメモするだけで、かなりのカロリーを使った(汗)。 ただしストーリーそのものは、それだけ多数の人物を予想以上に器用に明確に使いこなしており、テンポよく物語を紡ぎあげていく感じ。思ったよりもダレない。ポケミス本文で約300ページの物語を、いっきに一晩で読んでしまった。 ローカルなパブリック・スクールを舞台にした、いわゆるコージー風味のフーダニットパズラーとしては、少なくとも読んでいるうちは退屈しないで楽しめた。 が、最後の真犯人の決着については、先にレビューのお二人のおっしゃっている通り、キレもないし、やや唐突。その人間が犯人という必然性もイマイチなような……? なにより、死体移動の謎の真相については、なんだやっぱりそんなものですか、という感じで、腰砕けも甚だしい。 というか、コレ、ずっと先行して書かれた、黄金時代の別の作家のあの短編のアレンジだよね? たしかに、ブラッドリイ夫人と、作品の印象を強めるキーパーソンで重要人物の一人といえる(ようなそうでないような)「村の魔女」レッキイ・ハリーズとの<あの場面>だけはインパクトあったが……もしかしたらグラディス・ミッチェルって、こういうのがスキなのか。 評者は本作と『タナスグ湖』しかまだ読んでいないけれど。 まあとにかく、読んでる間はなかなかワクワクできた。 他の感想サイトなども含めて、ミッチェルはもっとなんかクセのある作品もありそうなので、また機会を見て読んでみたい。 しかしkanamoriさんのご指摘で気が付いたけれど、本当に日本では、同じ出版社が2冊以上続けて出してくれないのだな。よっぽど売れないのか。 じゃあ次は、まだ出してない創元あたりに、ひとつ未訳作の発掘をお願いしたい。 |
No.1270 | 7点 | サイコ- ロバート・ブロック | 2021/08/24 06:14 |
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(ネタバレなし~途中の一部を除いて)
カリフォルニアの地方都市フェアヴィル。小さな不動産会社で事務員として働く27歳の独身女性メアリ・クレインは、婚約者サム・ルーミスの亡き父親が遺した多大な負債のために、彼と結婚できないでいた。そんななか、魔が差したメアリは、大手の契約者トミイ・キャシディ老人が預けた4万ドルの現金を横領してしまう。メアリは大金を持って少し遠方の恋人サムのもとに向かおうとするが、途中で太った中年男ノーマン・ベイツが経営する人里離れたモーテルに宿泊する。そこで頭を冷やした彼女は今夜はここに泊まり、翌朝、早めに会社に戻って金を返そうと考えた。だがそんなメアリの前に殺人者の影が。 1959年のアメリカ作品。作者ブロックの第六長編(処女作の『スカーフ』以来ようやっと二冊目のハードカバーで、これが躍進作、出世作になったそうだ)。 評者は今回はじめて原作を読む。 当然、ヒッチコックの映画はウン十年以上前から観ているし、そもそもそれ以前から大ネタは知っていた。 本サイトの閲覧者の多くの方も、原作は読んでなくても映画は観ているだろうし、あるいはネタは知っていると察するが、一応はネタバレをしないように警戒しながら書く。 まずはどうしても原作と映画との比較になるが、メアリとサムのなれそめなどがしっかり書かれているのは、原作小説のみの味わいどころ。大筋は予想以上に映画とほぼ同様だが、それでもそのほかにも、細部などはさすがに原作の方が情報量が多い。 (評者はポケミスで読んだが、それだと全部で本文180ページ弱と、やや短めの長編なんだけど。) しかし素で(中略)トリックのミステリとしてスナオに読むと、結構な部分でアンフェア。序盤からしてこの(中略)オカシイよね? まあ屁理屈をつけてフォローできそうな気も……微妙だな。原書刊行当時、本国アメリカで、怒った人はいなかったのだろうか。 一方で感心したのは、原題『Psycho』の表意がいい感じのミスディレクションになっている点で…… 【以下 しばらくちょっと、微妙にネタバレ】 本当に万が一、何も知らないで素直に読めば、原題のタイトル「サイコ=キチガイ」という言葉の意味は、殺人狂のノーマ夫人(ノーマンの母)のことだと思うだろうし、さらにもう少し深読みしてその言葉の意味ダブルミーニングを探ったとしても<そんなキチガイの母にやむなく付き合わされる、一種の禍根を背負った主人公ノーマン。しかし彼もまた「ちょっとだけ」イカれた男だ>というくらいの認識に至るハズ。 つまりは<終盤の最大のサプライズ>を活かすためのミスディレクションとして、タイトルロールのキーワードで読者をあらぬ方向に誘導しようという作者の目論見が用意されている。その辺は改めて、よくできている、とは思った。 なお<実は母親が(中略)>という事実を作中で明かすタイミングは早すぎるような気もしたが、まあこれはこれで、クライマックスのゾクゾク感のポイントを絞り込む上で、効果があったとも考える。 ちなみに原作のラストでニコラス・シュタイナーが語るある情報は、映画には書かれていない小説のみのもののはずだが、正直、その分野の素人の当方などにはそんなに意味があったとは思えない。 この部分の情報を割愛したヒッチコックの潤色は的確だったと思う。 【以下、ネタバレ解除】 評者はこの原作を(今更ながらに)読む段階で、先に観た映画の記憶はどっぷり染み込んでいたわけだけれど、その上で、小説は小説でまあ面白かった、とは思う。 ただまあやはり、万が一にもまだ大ネタを知らない人がいたら、できるなら原作から先に読むことをオススメする。 たぶん映画は小説を読んでいても、かなり面白いよ。 いつかその順番でネタバレに引っかからずに読む~観ることができた人に出会えたら、原作小説と映画、それぞれのくわしい感想を聞いてみたいもので。 |
No.1269 | 7点 | 緋色の囁き- 綾辻行人 | 2021/08/23 05:58 |
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(ネタバレなし)
そういえば「囁き」三部作、まだ読んでなかったなあと、蔵書の山の中から、まずこれを手に取った。 ネタは先読みできるところも多いし、30年以上前の新本格黎明期の作品だから許される(2020年代にこれを書いたらキツイ)という面もあるが、終盤の一番のサプライズだけはスナオに驚いた。 ソコまでのパーツ(伏線やミスディレクション)は大方見切っていたのだから、もう一歩踏み込めば良かったんだけれど、クライマックスではお話の勢いに引っ張られてページをめくるのにかまけ、フーダニットの興味を探るのを忘れていた。そういう意味では、やはり良くできている作品ではある。 反則技寸前なところも多いような気もするが、整理してゆくと実はおおむねギリギリのラインで躱している。 動機の異常性についてはソコだけ切り離せばかなり強引だが、あれこれ補強してあるので文句には当たらず。 トータルとしては普通に面白かった、ということでいいのかな。 とはいえあとから冷静に考えると、大設定の部分で某重要キャラが、かなりリスキーでピーキーなことをやってしまっているんだよなあ。自分がもし作中のリアルで同じ立場だったら、とてもコワくてやれない。 まあ細かい物言いの余地はあるが、十分に楽しめました。 |
No.1268 | 7点 | 空白との契約- スタンリイ・エリン | 2021/08/22 06:08 |
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(ネタバレなし)
その年の3月上旬。マイアミで、土地の名士で富豪のウォルター・ソーレンが交通事故で死亡した。未亡人のシャーロットは生前の契約に基づき、20万ドルの保険金を「ギャランティ保険会社」に請求する。ギャランティの調査部長ジョン・マニスカルドは状況に不審を覚えて秘密調査員を派遣するが、その最初の調査員は、ソーレン家の遺族に疑われて退散した。かわってフリーランスの調査員で35歳のジェーク・デッカーが素性を隠して調査に赴く。辣腕のジェークは、何らかの形で保険金支払い不要の証拠を得られれば10万ドルの報酬、そうでなければ経費持ち出しで無報酬という条件で、ギャランティから調査の業務を請け負っていた。ジェークは<ソーレン家の近所に、妻とともに越してきた作家>という立場を装い、妻役を演じる協力者の若手女優で21歳の美人エリナとともに、ソーレン家の面々と親交を得ようとするが。 1970年のアメリカ作品。エリンの第六長編。 大昔の少年時代に一度読んでいる作品だが、細部は例によってすっかり忘却の彼方。しかしこのラストの読後感だけは、かなり克明にその後何十年ずっと覚えていた。一言でいうと<そういう意味で、印象的な作品>である。 ちなみに大昔も今回も、元版のポケミスの方で読了。 ミステリとしては、意味ありげな邦題や原題(アメリカ版の題名は「The Blind」だが、英国版の題名は「The Man from Nowhere」。ポケミスの表紙周りには、なぜか英国版の方の原題が標記されている)を意識しながら読み進めると、読者はやがて、ああ、そういうこと……という流れに乗るはず。 絶妙なタイミングで暴かれる秘められた真相は、それなりに面白い文芸設定だが、読者的には推理の余地はあまりなく、意外な事実を黙って聞かされるだけ。 まあ私立探偵小説の変種という大枠の中での捜査ミステリとしては、普通に楽しめる。 とはいっても本作のキモはそういう事件の謎や意外な真相というよりは、実にビジネスライクな立場で自己流の捜査を進めていく主人公ジェークの叙述、そして彼の助手にして少しずつ男女の関係になっていくヒロイン、エリナとの関係性の方にある。特に後者。 言ってみれば、青木雨彦氏の著作『夜間飛行』そのほかでの、ミステリ全般をサカナにした男女の関係についての人生訓エッセイ、この作品は正にああいうエッセイにネタを提供するために、その大半が書かれているような内容だ。 (実際に本作はその『夜間飛行』の俎上に上げられていたと、記憶しているが。) だから、ミステリとしてはフツーに面白い、そして小説としては、それ以上にオモシロイ。 いやまあジェークのプロらしさがほぼ全域冴えれば冴えるほど、却って、ところどころのスキが目立ってしまうとか、お話を進める都合論なども、ままあるんだけど。それでもとにかく<男と女の話>として、読ませる。 (もしかしたら、この辺の感興を覚えるのは、主人公コンビのキャラクターにシンクロした人だけ、かもしれないが?) なんというか、作中のリアルで、仕事現場でややこしい羽目になってしまい、微妙に手探りしながら、自分と恋人の距離感をおそるおそる固めていく民間捜査員の肖像……そういった生々しい感触がある。 それだけにラストは……。 実際、このまとめ方は確実に(中略)だろうけど、個人的にはエリンがこのクロージングで何を言いたかったかは、よくわかるような気がする。 そういう(中略)は、あるだろうねえ。 微妙にいびつな作品なのは間違いなく、それゆえに謗る人も多いだろう……というか、もしもミステリファンの大半がこの作品を(中略)だったら、それはそれでイヤかも(汗)。 でもまあね、広義のハードボイルドミステリ、私立探偵小説(の変種)の中には、こういう作品があってもいい、いやあるべきだとも思ったりする。 そういう意味では独特のクセの強さで、エリンの長編作品らしい一冊なのは、間違いない。 |
No.1267 | 7点 | スミルノ博士の日記- S・A・ドゥーセ | 2021/08/20 05:37 |
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(ネタバレなし)
1917年のスウェーデン。元弁護士で辣腕の私立探偵として名を馳せるレオ・カリングの友人である「ぼく」は、この親しい名探偵が扱った事件の記録を、一冊分まとめようと思う。そこでカリングが資料として提示したのは、高名な法医学者で細菌学者でもあるワルター・スミルノ博士が記した日記だった。「ぼく」は関心を抱き、1916年の2月に起きた殺人事件について語るスミルノの手記を読み始める。 1917年のスウェーデン作品。 現状で唯一の完訳のはずの東都書房の「世界推理小説大系」版(ドイツ語からの重訳ながら完訳)で読了。 大昔にこの本は買ったはずだが、例によって家の中から見つからない。博文館の小酒井訳のボロボロの文庫本(数十年前に500円で買った)はすぐ出るが、どうせならやっぱり完訳の方で読みたいと思い、少し前にwebで手頃なのを探していたら、箱付き・元パラフィン付き、月報に登場人物名入りの栞付き、さらにスリップまで残っているデッドストックに近い美本が2000円で購入できた(嬉)。神様ありがとう、ぼくにスミルノ博士を会わせてくれて。 というわけで半年ほど前に(改めて・汗)入手した本作を、ようやく読んだが……なんだ、巷の不評がウソのようにオモシロいでないの(笑)。少なくとも評者は、十分に楽しめた。 いや確かに、(中略)に(中略)させるなよ、警察、とか、あとあとでそういうことが問題になるのなら、それはもっと早めに……とか、ツッコミどころはいくつかあるし、この大ネタを前提にするならやはり脇の甘い面もある。 しかし何より、(中略)な意味で、この作品は成立するのかな? この時代から、ちゃんとそこまで気をつかっているのか? と懸案していたら、その辺はちゃんとクリアしていました。 評価の基準をソコに置いちゃアマイでしょ、と言われればそうかもしれないけれど、評者的には結構な納得感です。 (なお、この作品の構造は、アレもさながら、さらにアレの方にも影響を与えたのでは……とも思ったけれど、英語に翻訳されたのは実はけっこう遅いんだよな。) ちなみにこの作品は、今後も日本での改訳・新訳が出たとしても(なんか20世紀の末に創元が新訳で出す気があったというウワサは、ネットで目にした)何の予備知識もない、素で読まれることは、もうなかなかありえないだろう。 けれどそれでも、20世紀の頭に本国で初めて読んだミステリファンなら、かなりのサプライズは感じたんじゃないかとは思うよ。先に脇が甘い、叙述の詰めが甘い、と書いたけれど、一方で読者をこの着想で仰天させようという作者なりの演出は、ちゃんと図られているし。 あと、予想以上に食えないレオ・カリングのキャラクター(終盤の芝居がかった外連味は、北欧作品とはいえ、いかにも黄金時代らしくていいなあ)もさながら、サブキャラの登場人物たちの、妙に人間臭い描写も味がある。 スミルノの婚約者のお嬢様ヘレナ・スンドヘーゲンの某キャラへのイキな計らい(あれはポジティブな行為だよね)とか、最後であれもこれも(中略)する人物像とか、作者が作者なりに、劇中人物の駒の配置を楽しんでいる感触がある。 繰り返すけれど、もし今後も新訳や復刊本が刊行されたとしても、アノ名作の影からはまず永遠に逃れられない作品だとは観測するが、ソレはソレとして、翻訳ミステリファンなら、いつかどっかのタイミングで読んでおいてもイイ一編だとは思います。 (まあそれはそのまま「誰でも面白い」「楽しめる」というのとは、決して同意ではないんだけれどね・汗) 【追記】「大系」版の宇野利泰訳に今さら文句を言っても仕方ないのだが、プロローグ部分に登場するカリングの名前が未詳の友人(作者ドゥーゼの分身か?)の一人称が「ぼく」。そしてスミルノの日記での一人称も「ぼく」。これはややこしいので、どっちかを「私」にするとか差別化して欲しかったなあ。当時の編集部の配慮不足を実感した。 【追記:2021年8月21日】 本サイトのおっさん様の、この作者ドゥーゼの『生ける宝冠』のレビューを拝見するに、このカリングの友人「ぼく」というのは、新聞記者のトルネというレギュラーキャラのようですね。いま気づきました(汗)。おっさん様、ありがとうございます。そうですか……。『夜の冒険』の方を先に読んでおけば、良かったのですか。そっちも持ってたのに(涙)。 |