皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
|
---|---|
平均点: 6.34点 | 書評数: 2199件 |
No.1399 | 5点 | ベッドフォード・ロウの怪事件- J・S・フレッチャー | 2022/01/20 06:33 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
1923年10月のロンドン。20台半ばの青年でクリケットとラグビーの選手であるリチャード(ディック)・マーチモントは、親代わりの叔父で独身の弁護士ヘンリー・マーチモントと、ロンドン法曹界のメッカといえる地区「ベッドフォード・ロウ」にある法律事務所で対面する。そこでヘンリーは甥に向かい、かつて25年前にロンドンの経済界を騒乱させ、多くの者を経済的に破綻させた男ジェイムズ・ランドことジョン・ランズディルが久々に姿を現した、今夜、正式に彼と対面するつもりだと告げた。しかしランズディルの名を聞いてリチャードは、心の中で驚く。それは、リチャードが最近恋仲になった南米出身の若い娘アンジェリータの苗字と同じだったからだ。リチャードはその事実が何かの暗合かどうか判然としないまま、一旦、叔父のもとを退去する。だが間もなく、ベッドフォード・ロウでは予期せぬ殺人事件が起きた。 1925年の英国作品。 ……うーん、話のテンポがいいのは好ましいのだが、一方で内容に何ら外連味もなければ、読みごたえを感じさせる要素もなく(あるいはかなり希薄で)、作中の事象がどんどんリズミカルに羅列されていくだけ、という感じの作品。 犯人捜しの要素も、終盤ギリギリまでフーダニットの興味を引っ張る作劇もちゃんとあつらえているのだが、何だろうね、このストーリーの薄っぺらさは。 巻末の解説では、横井司氏がかなり丁寧に、本作の構成要素を腑分けして、そのファクターの意味するところをそれぞれ語っている。その記述を読むと、うんうんそうだねと思うものの、気が付くとそれらはみんなミステリ史上の里程的な後先(あとさき)の話題とかが大半で、つまりは文学史的な分析になっていても、だからこの作品は面白いのだ、という主張や読者への求心には、あまりなっていないような……。 あ、20世紀初めの英国の風俗描写としての楽しみどころは、確かにちょっぴりはあるかも。 時間つぶしにはなるかとは思うが、謎解き、あるいはサスペンス、捜査ものミステリ、それぞれとしての楽しみを与えてくれる一冊かというと、正直どうなんだろうね、という感じ。 もしかしたらこーゆーのを、本当の意味での「凡作」というのかもしれない(汗)。 |
No.1398 | 6点 | なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?- アガサ・クリスティー | 2022/01/19 07:10 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
第一次大戦後の英国。ウェールズ地方の小さな海辺の町マーチボルト。身体上の理由から海軍を退役させられた20代後半の青年ロバート(ボビイ)・ジョーンズは今後の進路も決めかねて、無為な日々を送っていた。そんなある日、友人の中年の医師トーマスと崖の上でゴルフを楽しんでいたボビイは、崖下に重傷の男性を見つける。トーマス医師が人を呼びに行く一方、その場で危篤の男性を見守るボビイは、その相手から謎の末期の言葉「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」を聞いた。この件に関心を抱いたのは、近所の伯爵令嬢でボビイの幼馴染フランシス(フランキー)・ダーヴェントである。若い二人は死者の検死審問で覚えたさる疑念から、さらに事件に深く介入していくが。 1934年の英国作品。 作品の素性(クリスティーの著作における順列など)はすでに本サイトでもみなさんが語ってくれているとおり。 評者は小学校の高学年、図書館で本作のジュブナイルリライト版(たぶん偕成社の「すりかえられた顔」)を読んだきり。冒頭のダイイングメッセージの謎とラストシーンの雰囲気以外、まったく中身を忘れていたので、懐旧の念も込めて読んだ。 (で、やっぱり中身は、ほぼ完全に忘れていたね。) 事件からみの重要人物が(中略)など、あまりに無警戒ではないか? その辺はイクスキューズが欲しいよな、という不満が早くも前半で芽生える。さらに犬棒式に主人公コンビが動けばヒットする作劇もイージー。 途中までは、なんだこれは、赤川次郎の手抜き作品の先駆か? という気分であった(……)。 とはいえ見せ場の多い筋立てはさすがに退屈さとはまったく無縁だし、黒幕(の中略)の正体も早々とわかるが、それでも後半、それなりに事件を作りこんであるのは認める。 まあ主人公たちのピンチの際、デウスエクスマキナとしてあまりにも唐突に再登場する某サブキャラの運用は、あっけにとられつつ、その力技めいたダイナミズムの程に、ケタケタ笑ったが。 あと『秘密機関』といい、これといい、この時期のクリスティーって実はかなり潜在的に<密室殺人>に執着している気配があるよね。結局は「そんなハイレベルなものは作れない」と、いつも早めに悟っちゃうのか、すぐにネタを明かしちゃうけれども。 終盤、第34章でのあのキャラクターの物言いは印象的であった。こういうタイプの登場人物の造形にこだわるクリスティーの偏向が伺える。もしかしたら、今後のスパイスリラー路線でのレギュラーか、毎回の悪役たちの向こうにいる影の人物として運用したかったのか、などとも考えてしまった。モリアーティかのちのニコライ・イリイチの小粒版みたいなキャラが欲しかったりして。 みなさんがおっしゃるようにダイイングメッセージの扱いはアレだし、悪役側の動きも振り返るともうちょっとシンプルにできなかったのかな? とも思うが、まあまあ佳作ではあるでしょう。主人公コンビがもうちょっと、魅力的ならなお良かったけれど。 しかし本作のみならず他の活劇ものまで含めて、頭を殴られて気絶~場面転換、の多用ぶりはクリスティー、いささか安易だ(笑)。 |
No.1397 | 7点 | 僕が答える君の謎解き 明神凛音は間違えない- 紙城境介 | 2022/01/18 08:05 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
四月の末以来、高校に毎日登校しながらも、生徒相談室に引きこもる一年生の美少女・明神凛音(あけがみ りんね)。由緒ある神社の末裔として特異な巫女の血をひく彼女は、あくまで論理的な思考・推理で、いかなる事件の真相も真犯人も言い当ててしまう。だが当人にもその道筋を後から追えないほど神速で行われる緻密な思考ゆえに、真犯人を言い当てたのちにその論拠を説明するのは、当の凛音自身にも不可能だった。凛音の実姉でスクールカウンセラーでもある芙蓉から、内申をよくすることを条件に妹のサポート役を頼まれた「僕」こと凛音の級友の男子・伊呂波透矢(いろは とうや)。さる事情から弁護士への道を強く志望する透矢は、「推定無罪」の法の原則のもとに、真犯人の告発にはその有罪の論拠が開示されなければならないと決意。凛音の思考の筋道を追いながら、真犯人を指摘した彼女の推理の論拠を語るが。 この作者には、異世界パズラー「ルドヴィカ」シリーズの続きの方を期待していたが、別の路線が開始されてしまった。 先に前もって真犯人の名が(作中ギミックとして)強引に指摘され、後からワトスン役(実質的な探偵役)がその真相までの筋道をトレースしてゆく……と書くと、まんま麻耶雄嵩の「神様シリーズ」だな。 とはいえ、できたものは青春ラブコメ、キャラクタードラマ、日常の謎の枠の中でのかなりロジックの構築に力が入ったパズラー、それらを合わせ技した連作ミステリとして結構、面白い。 (まあ、第1話の、あの空間まわりのロジックは、やや強引な気もしたが。) 一冊目の3エピソードだけだと、パズラー要素はともかく、青春学園シリーズものとしてのテンションがまだ高まっていない感じだが、たぶんその辺は2冊目以降に期待できそう。 現状、各ポイントごとにはそんなに目新しいところはあんまり感じないんだけど、トータルとしてはそれなり以上に評価し、今後に期待しておきたい。 評価は0.25点くらいオマケ。 |
No.1396 | 6点 | 騎士団長殺し- 村上春樹 | 2022/01/18 05:26 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
名士や実業家の肖像画を製作してそれなりの評価を受け、相応の収入を得ている36歳の画家「私」は、妻の柚(ユズ)から、別れてほしいときなり言い出された。ユズには、すでに肉体関係のある恋人がいるらしい。ユズに怒りも憎しみも覚えないまま、肖像画の仕事も辞めて自動車の旅に出た「私」だが、やがて東京に舞い戻ったのち、美大時代の友人・雨田政彦の計らいで、彼が所有する小田原の家の管理を引き受ける。そこはかつて、政彦の実父で今は老人ホームに暮らす日本画家の大家・雨田具彦の自宅でアトリエだった家屋だった。だがそこで「私」はある夜、不思議な出来事を体験する。 創作の村上作品をしっかり読むのは、今回が初めて(『ロング・グッドバイ』と『高い窓』の新訳は読んでいるが)。 しかしこれだけの現代文壇での有名作家の小説をいきなり最新作から読むのはさすがにどうかとも思った。そこで小心者の評者がwebでなんとなく他の人の動向を探ると「これ(『騎士団長~』)で初めて村上作品を読んだ」とか「本作はハルキワールドの入門編によろしい」などの声も結構? 目につく。 それじゃあ……ということで、半年ほど前にブックオフでそれぞれ200円で購入した、状態のいい帯付きのハードカバーを読み始めた。 1・2巻あわせて、ハードカバー一段組で本文1000ページ以上の大冊だけに、日の明るい内からページを開いてもさすがに一日では読めなかったが、それでも何とか二日で読了。 適度に頭をマッサージしてくれるような一方、最後までリーダビリティを堅持したままサクサクとページをめくらせる文体のリズムは、揶揄や嫌味などでなく、さすがに巨匠作家、著作のほぼすべてが? ベストセラー作品になっている大作家という感じ。 ストーリーに関しては、まったく予備知識なしに読み始め。実のところ、御当人はとにもかくにもチャンドラーの翻訳者であるし、さらに過去にもミステリのサタイアっぽい作品もあるらしい? とか読んだこともあるので(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のことか?)、今回もまさかこの題名から、中世風の異世界で生じた殺人ミステリが、次第に村上ブンガクの方向に流れていく内容かとも勝手に予見していた。まあこれは半分~3分の2くらい冗談、残りがホンキ。実際は、もちろん、全然、違ったのであるが(笑)。 すでに読んだ人も多いかもしれないがあえて最低限、なるべくネタバレにならないように書くと、題名の「騎士団長殺し」とは作中に登場するキーアイテムとなる(中略)のことで、物語の足場は基本は一人称の主人公「私」が踏みしだく現実の世界。そこから(中略)へと、次第にストーリーのステージが広がっていく。 こういう文学作品だから、読者の自在な勝手な解釈を受け入れてくれる余地も十分にあるようだが、ごく素直に読めば現実世界の壁が次第に割れて、向こう側の空間(あるいは主人公を含む劇中人物たちのインナースペース)を覗き込む幻想小説・観念小説という形質を認める。 その上でそれぞれの役割を担っているはずの登場人物や、個々の意味性をはらんだ事象の配置が鮮烈で、なるほど村上作品の完全ビギナーとしてはそれなりの満腹感を抱いた。 とはいえ(一部のネットで同じ感想を述べている人もいるが)キーパーソンのひとりの某キャラと先述のキーアイテム「騎士団長殺し」の関係性&距離感など「これは、ここで終わらせて、あとは解釈を読者にゆだねるのか? それとも……?」と言いたくなるような、評者のようなシロートには見切れない部分もなくもない。まあその辺も屁理屈をつければ、モノのひとつふたつくらいは言えそうだけど、なかなか怖くて書けないよね(笑・汗)。 で、クロージングはあまりに綺麗にしみじみと終わりすぎていて、なんかそこに、送り手がいろいろと読み手(ここでは評者のコト)を振り回しておいて、最後はお上品にリリカルにこれかい、なんかズッコい感じがするよ、というのも正直なところであった。 ただまあ、(これもすでにネットのあちこちで言われているようだが)本作の世界観はさらなる続編に繋がっていく伸びしろを残した構成のようになっている気配がある。まあ、この世界観や小説的なメソッドをまた使い、何年かあるいはもっと先に新作が書かれたとしても、主人公はたぶん変わるだろうけどね。 とりあえず、一回読み終えた自分をホメよう。 ちなみに本サイトで感想・印象のレビューばっか書いてる評者に耳の痛かった一言を、本作の本文から引用。 「しかし絵画的印象と客観的事実とは別のものです。印象は何も証明しません。風に運ばれる薄い蝶々のようなもので、そこには実用性はほとんどありません。」 (第二部・ハードカバー版44ページ) うーん。 |
No.1395 | 6点 | シシリーは消えた- アントニイ・バークリー | 2022/01/16 08:40 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
20世紀前半の英国。27歳まで一度もマトモに働いたことのない御曹司として生きてきた青年スティーヴン(スティーヴ)・マンローは、当てにしていた伯父の遺産を得られないと知った。食い詰めたスティーヴは、サセックスの金持ちレディー・スーザン・ケアリーの屋敷「ウィントリガム・ホール」の従僕となる。レディーはスティーヴの学友フレデリック(フレディー)・ヴェナプルズの伯母でもあり、さらにその屋敷でスティーヴは思わぬ人物に再会した。スティーヴが初めて仕事に就いたその夜、屋敷ではフレディーの発案で、その場の賓客たちを集めて降霊会(魔女集会)が開かれる。そして暗闇の室内から、忽然と一人の女性が消失した。 1927年の英国作品。 少し前にミステリ関連のサイトを散策していたら、クリスティーが本作を評価していた旨の情報を見聞きした。それで興味が湧いて読んでみる。 中身は不可解な人間消失の興味をまず提示し、さらにそこから話が二転三転してゆく、それでもどこかのどかな、ラブコメ要素も若干まじった謎解きサスペンス(ユーモアミステリの趣もある)。こういうのもコージー・ミステリというのかもしれないが、いずれにしろ好テンポの筋運びはリーダビリティ最強で、一晩でいっきに読んでしまった。 バークリーの作品の中でも、たぶんかなり敷居の低い方であろう。まだそんなに数は読んでないので明言はできないが(汗)。 真相は、なるほど……クリスティーが好きそうな感じ。あえてケチをつければ、こういう犯人の設定なら途中で(中略)の描写も欲しかった、という気もするが、ソコはカメラを「ソッチ」に向けなかっただけだから、叙述にウソはないし、まあぎりぎりオッケーか。 著作はそれぞれクセ者の印象があるバークリーだが、これはフツーに楽しめた。シェリンガムもので面白そうなのも、そのうち見つくろって読んでみよう。 |
No.1394 | 7点 | 料理人- ハリー・クレッシング | 2022/01/15 06:28 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
平和で平凡な田舎町コブ。そこは丘陵地の領主ヒル家と平地の領主ヴェイル家によって、代々、二分されて統治されてきた町だった。だが現在、両家の和睦が進み、今では若い世代の婚姻の話さえ持ち上がっていた。そこに自転車に乗って、一人の男が現れる。彼の名はコンラッド(コニー)・ヴェン。2メートル近い長身で痩躯の彼は人並外れた料理の腕前を誇り、ヒル家の住み込み料理人となった。やがてその日から、コブの町ではすべてが変わってゆく。 謎の作者ハリー・クレッシング(一説によると当時の既存作家の別名らしい?)によって著された、1965年のアメリカ作品。 1972年のHN文庫版が最初の邦訳だと思っていたが、再確認したら1967年にその元版のハヤカワノヴェルス版が発売され、その時のミステリマガジンの誌面などを探る機会があれば、リアルタイムで当時、かなりの反響を呼んでいたことが今でも窺えると思う。 それゆえ評者も十数年前からそろそろ読もう読もうと思っていた(HN文庫版)が、例によって購入していたはずの本が家の中から見つからない(汗)。 観念して、昨年の暮れ、出先のブックオフで見かけた古書(文庫版の旧表紙)をあらためて買い込んで、今回初めて読んだ。 町にふらりと現れた謎の青年コンラッド(おそらく正体は……)が、悪魔的な料理の才能でヒル家やヴェイル家、それに町の人々の味覚と食欲、果ては健康や美容まで管理し、支配していくストーリーは正に現代(1960~70年代当時)の悪魔小説なのだが、オカルト的な要素やスーパーナチュラルめいた叙述は一切登場しない。 だが劇中の事象の累積や進展に接していくかぎり、そこには確実に尋常ならざるものが潜むと実感させる。本作はその意味で、まぎれもない不条理ホラーであり、欲望に流される人間の儚さを嘲る黒い寓話なのも間違いない。 惜しむらくは21世紀の現在、本作をはじめて素で読むと、料理の腕で、屋敷を町を人心を掌握し、簒奪してゆくコンラッドのキャラクターがすでにそれほど目新しくは見えないこと。本作が書かれてから半世紀、東西のフィクション分野の成熟・爛熟はこの手の「乗っ取り」型ダークヒーローをいろいろな形であちこちで輩出しているように思えるからだ。 (まあそもそもこの手の乗っ取りものの系譜には、ウォールポールの『銀の仮面』という先駆の名作があるのだが。) しかしながら逆に言えば、それは本作で語られる「欲望による支配」という悪魔の主題が半世紀経っても古びていない証左ともいえる。 だから時代を超えた唯一無二の傑作などとまでの高い期待はせずに、普遍的な悪魔小説の新古典と思って読むならば、十分に面白い。 Amazonのレビューなどでは後半でやや失速という声もあり、それもわからなくはないが、実のところ自分などはむしろ終盤のストーリーの起伏具合と、悪夢的なイメージでの決着ぶりに酔った。この辺はたぶん読み手それぞれ。 まあ「広義のミステリ」を自在に楽しんでいるという自覚のある人なら、人生のうちに一度くらいは読んでおいて損はない? 一冊だとは思う。 【2022年1月16日追記】 Wikipediaを見たら、クレッシングの正体は既成作家ではなく、英国にも長期滞在した米国の弁護士で経済学者のハリー・アダム・ルーバー(1928~1990年)だという情報が出ていた。Wikipediaなので怪情報が混じっている可能性はあるが、現状では対抗要件もないので、一応、この記事を参考にしておく。 ちなみに同Wikipediaの記事によると本作『料理人』は映画化もされており、脚本があのクエンティンの一角ホイーラーだとのこと。ちょっと観てみたいもんですな。 【2022年4月16日】 日本での邦訳書誌情報に誤認があったので、お詫びして訂正(本日のクリスティ再読さんの投稿を読んで気づいた。ありがとうございます)。最初の邦訳の元版は1967年のハヤカワノヴェルスの全書判で、その後しばらくしてから、ほぼ同じ表紙デザインで、文庫化されたことになる。 上掲の文章はすでに改訂済みということで、よろしくお願いします。 |
No.1393 | 6点 | 裁きの鱗- ナイオ・マーシュ | 2022/01/14 07:48 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
1950年代の半ば。英国の田舎町スウェヴニングスで、屋敷「ナンズバードン館」の老主人サー・ハロルド・ラックランダーが75歳で逝去する。かつて外交官で英国の代理大使まで務めたハロルド老は、死ぬ前に回顧録の原稿を遺していたが、そこにはある秘密が書かれていた。そしてスウェヴニングスで、この回顧録に関係する一人の人物が殺害される。その死体のそばには、近隣の川の主のごとく、土地の人々にその存在を知られていた大型の鱒「オールド・アン」が横たわっていた。 1955年の英国作品。 主題のひとつがあまりにも直球すぎるので、あーこれは(中略)だろうな、と思っていたら、まんまその通りであった。 主要な登場人物たちがひとりひとり丁寧に描き分けられている反面、あまりにも容疑者の頭数が少なく、これではどうやっても真相発覚時にサプライスは獲得できないだろ、と思った。この枷を破るには、ほとんど反則の大技を使うしかないと考え、ある手を思いついたが、ただしソレは、叙述の客観性を信じるかぎり、ありえないものであったり。 でまあ、結局フーダニットパズラーとしては、わかりやすく納得できる解決だけど、きわめて地味な決着となった。 ただし本書の解説で横井司氏が語る「マーシュは自分が創造した登場人物たちひとりひとりに思い入れしすぎて、それがフーダニットミズテリに必要なある種の冷徹さを築きにくいのだ(大意)」という意見は、わかるような気がする。 色んな意味で、評者が大好きな『病院殺人事件』の新訳が出ないかな、と思うが(ネタバレにはなってないハズ)。 マーシュ(&ロデリック・アレン)が猫好きなのはよくわかって、ソレは嬉しい。これが本作の一番の収穫ポイントか(一匹だけ、悲惨な目にあうのがいたのが、可哀そうであったが)。 かたや技巧的な謎解きパズラーとしては、ホメるべき突出した長所はほとんどないんだけれど、それでも英国の地方の町を舞台にしたシリーズ名探偵もののパズラー、そのお手本みたいな一冊であり、とても楽しかった。 論創の『オールド・アン』版で読んだけど、しかし『裁きの鱗』と翻訳がダブったのは本当に片方の翻訳家の労力のムダであった。同じ原書を二冊訳すんなら、その手間暇を同じ作者の未訳のものに振り分けてほしい。まあこーゆーのは早い者勝ちだったり、いちいち競合する版元同士で談合や相談したりはしなかったり、でなかなか難しいんだろうけどね。それでも今回の件やヘキストの『コマドリ』の時の新訳のダブりみたいに、とにかくムダ? になるクラシック翻訳紹介の労力がとてもモッタイナイ。 |
No.1392 | 6点 | シルバービュー荘にて- ジョン・ル・カレ | 2022/01/13 05:43 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
ロンドンの金融街で第一線の証券マンだった33歳のジュリアン・ローンズリー。だが過酷な業務の日々に疲れた彼は転職して、海沿いの町イースト・アングリアに書店を開く。だが商売はうまくいかず、弱っていたところに、60がらみの地元の男、エドワード(テディ)・エイヴォンが来訪。エドワードは、ジュリアンの父ヘンリー・ケネスの旧友と称し、そのヘンリーがかつて起こした醜聞も知っていた。そしてそれらの出来事と前後して、英国情報部「部 (サービス)」の国内保安責任者スチュアート・プロクターのもとには、とある人物が発信した情報が寄せられる。 2021年の英国作品。 2020年の暮れに物故した巨匠ル・カレの遺品として見つかった遺作。日本でもすでにミステリ作家としての活躍が知られるル・カレの息子ニック・コーンウェル(ペンネーム、ニック・ハーカウェイ)は、自分が適宜に手を加えて刊行しようかと一度は思ったものの、実物を読むとその必要はないと判断。最低限の編集・校訂のみ行って、刊行したそうである。 物語は、ジュリアンを軸とする地方の町イースト・アングリアでの群像劇と、もう一人の主人公プロクターを核とする「部」サイド、二つの方向から語られるが、やがて読者視点で双方の物語に共通する、本作の本当のキーパーソンといえる人物の半生が、そしてその人物に関わる数名のまた別の重要人物の挙動が浮かび上がってくる。 情報は少しずつ断片的に語られるものもあり、また伝聞を介して明かされる過去の事実なども多い。それゆえこの物語世界の過去に生じた、そして現在進行中の事象の全貌がわかりやすく説明されることは決してないが、その辺は読者がなんとなく全体像を組み上げられるようになっている。 そしてそのようにドラマのベクトルが提示される一方で、靄(もや)の中を歩き続ける迷宮感のようなものを味わうのも、おそらく本作の醍醐味だ。 語られる主題は、確固とした行動原理が見えにくくなってしまった英国諜報部の現状を背景に、組織とスパイ個人の対峙、さらには任務を積み重ねていく諜報・工作員の疲弊などといった、きわめて普遍的なものが読み取れる。 スマイリー・サーガは先の最終作『スパイたちの遺産』で文芸設定を一部破綻させながら(ある意味でパラレルワールドに行ってしまったともいえる?)一応の完結を語ったが、そのあとに遺された遺作の最後の本作はノンシリーズ。 そこで改めて、エスピオナージの巨匠は、敵味方がわかりにくくなってしまった21世紀の世界で、もしかしたら何を使命とすべきかすらも見えにくくなっている、諜報組織内外の人間ドラマを語っていった。 キーワードは「抵抗」。的を得ているかどうかはわからないが、読み終えた評者の頭には、今はその一言が浮かぶ。 |
No.1391 | 7点 | 風よ僕らの前髪を- 弥生小夜子 | 2022/01/12 08:40 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
その年の11月10日。愛犬と散歩中の74歳の弁護士・立原恭吾が何者かに絞殺された。恭吾の甥にあたる青年で、少し前まで探偵事務所に勤めていた若林悠紀は、彼の伯母で恭吾の妻である67歳の高子に呼び出され、犯人の可能性のある人物を秘密裏に調査するように願われる。その相手とは、立原夫妻の実の孫だが、今は訳あって老夫婦のもとに養子縁組している大学生・立原志史(しふみ)だった。その志史は、悠紀がかつて家庭教師を務めた少年でもあった。だがほどなく志史のアリバイは立証され、高子の疑念は払底される。しかしさらに何かを気取った悠紀は、関係者と思われる人物の対象を広げながら、独自の判断で調査を続行するが。 第30回鮎川哲也賞・優秀賞受賞作。 端正な文章、会話がかなり多い(特に後半)くせに安っぽさを感じない小説の風格を認めつつ、一晩で徹夜で、一気読みしてしまった。 評者はこれまでの鮎川賞の方向性についてどーのこーの言えるほど、作品の数を読んでいないが(試みに数えてみたら本賞分だけで、まだ10冊前後しか読んでなかった……・汗)、その上であえて本作の方向性を語ることを許してもらえるなら、その鮎川賞よりも<乱歩賞受賞作の良く出来たもの>的な、印象がある。 犯人や関係者の物語上での伏せられた配置や根幹のネタなどはおおむね予想がつくし、中盤~後半で表面に登場してくる謎の? 某キャラクターの素性なども見え見え。 が、たぶん作者自身もこれを山場での勝負球にしたらしい「なぜ(中略)だったのか」のホワイダニットのアイデア、これはなかなか感じ入るものがあった。 もしかしたら類例のものもすでにどこかにあるのかもしれないが、犯人側のこの<動機>の部分は、おそらく評価すべき創意であろう? 主人公・悠紀の内面に秘められた、探偵としての原動をふくめてどこか、評者のオールタイム国産ベスト作品のひとつ、あの、仁木悦子の『冷えきった街』を想起させるものがあり、そんな感触もまた、こちらの読み進める勢いをさらに増加させた。 とはいえ本作の場合は、込み入った事件の構造を読者にわかりやすく捌く作業がタスクとなって、後半やや失速した気配もある。 ただし一方で、終盤には先述の相応のサプライズとアイデアも用意されているので、全体としては、やはり秀作とホメるにやぶさかではないだろう。 さすがに、自分の心の中の殿堂入りしている傑作『冷えきった街』を押しのけるまでには行かなかったけどね。 でもまあこの作品が、若い世代の多くの読者にとって、今後かなり長く心に残る一作になりそうな予感めいたものもある。 作中の犯罪にからむ実質的なメインキャラたちの描写もさながら、事件の渦中に当人なりのモチベーションで食いさがっていく主人公のひとり、悠紀の内面に、前述の『冷えきった街』の主人公・三影潤にも通じる<国産ハードボイルドの魂>を認めて、自分の本作へのジャンル投票は「ハードボイルド」ということで。 |
No.1390 | 6点 | ボニーとアボリジニの伝説- アーサー・アップフィールド | 2022/01/11 06:33 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
20世紀の初めに、西オーストラリアの北東部に落ちた隕石。それは「ルシファァーのカウチ」と呼ばれる巨大なリング状の突起した落下痕を地表に形成した。やがてそれから数十年が経ち、その落下痕の中の空間に、白人の男の他殺? 死体が発見される。オーストラリアのネイティヴ=アボリジニと英国系白人のハーフであるナポレオン・ボナパルト警部(ボニー)は、上層部から被害者の素性についての情報を伏せられたまま、現地の捜査に赴くのだが。 1962年のオーストラリア(英国?)作品。 アップフィールドのボニーものは、少年時代に、旧クライムクラブの『名探偵ナポレオン』とHM文庫版のどれか一冊(たしか『ボニーと警官殺し』だと思う)のみ読んだ覚えがある。前者は面白いようなそうでないような、後者はそれなりに面白かったような、そんな印象のみあるが、流石にそれぞれの内容は大筋も細部もまったく忘却の彼方だ。あ、後者のなにかの場面で、ボニーが「私は読書といえば、小説と漫画ばかりだった」とか語り、その一言に当時、相応のシンパシーを抱いたことだけは、覚えている(笑)。 それでHM文庫での3冊の刊行から、ほぼ40年目(正確には38年ぶり)の久々の本邦上陸、新訳のボニーシリーズということで懐旧の念も込めて読み出す。 いささか特殊なロケーションを前提にした物語は独特の味わいがあるが、ストーリーそのものはこなれた翻訳の良さもあって、ほとんどストレスを感じない。 主人公ボニーは事件現場である「ルシファァーのカウチ」の近隣にある「ディープクリーク牧場」に着目。そこの白人の牧場主カート・ブレナーに協力を求めて、彼の屋敷に逗留する。そしてブレナーの家族や同牧場で働くアボリジニの使用人たちと順当に交流を深めながら、事件の真実を探っていく。 混血の主人公のボニーからして白人とアボリジニの文明の仲介者的な側面があるが、さらに本作では、もともとはアボリジニの少女だったがブレナー家に養女に迎えられて西洋式の高い教育を受け、教職への道を志望する18歳の少女テッサがメインヒロインとして登場。彼女もまた二つの文明の橋渡し役だが、知的で陽性でほんのちょっとだけ小悪魔的なキャラクターが、本作に登場する十数人の登場人物たちの軸といえる存在になる。ブレナーの牧場で働く白人、アボリジニの若者たち数人が彼女に恋心を抱き、それゆえに絡み合う人間関係も、先の文化事情の摩擦などにも絡んで話の厚みを感じさせてゆく。 牧場の関係者や地元のアボリジニたちから証言をとりまくるボニー。そんな捜査の進展を追いかける筋運びは全体的に滑らかだが、山場のクライマックスでは、他の欧米の作家の作品ではあまりお目にかかれないような、本作ならではの風土と文明観・人間観を踏まえた見せ場が登場。若干、あっけにとられるが、まあその辺は、このシリーズらしい独特の趣向として楽しんだ。 (ちなみに、あっけらかんとした陽性のエロい場面が登場するのもよろしい~笑~。) そしてソンなインパクトのある見せ場のあと、さらに本題のミステリ部分の謎解きとして、事件の真相に迫ってゆく構成も本作のミソだ。 まあ本気で面白がるには、もっともっとこのシリーズにどっぷりと浸る構えをとってからの方がいい作品という気もするが、評者みたいに久々にむかし見知った名探偵キャラクターに再会する程度の軽い気分でも、それなり以上に楽しめた一冊である。 Twitterでの論創スタッフさんのコメントによると、もうしばらくこのシリーズをまた出してくれるそうなので、そちらも刊行されたらチェックはしてみよう。 いつもながら論創さん、こういう奇特なものの発掘・刊行を、本当にありがとうございます(笑)。 |
No.1389 | 8点 | 死まで139歩- ポール・アルテ | 2022/01/10 04:22 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
1940年代末の4月の英国。30歳代初めの法学士ネヴィル・リチャードソンはある夜、美しい謎の女性(のちに勝手に「アリアドネ」と仮称)に出会い、心を奪われる。一方でロンドンの周辺では、手紙を運ぶメッセンジャー役の中年ジョン・バクストンが、とあることに不審を抱き始めた。やがてこの二件の案件は、名探偵アラン・ツイスト博士の視界で、ある接点で結び付く。そんな博士の前には思わぬ人物の死体が転がり、さらに密室状況の中に突如として死体が出現した。 1994年のフランス作品。久々のツイスト博士シリーズの翻訳で、しかもアルテの長編の邦訳が同じ年に2冊出るのは昨年2021年が初めてという快挙であった。 とはいえアルテ修行中の評者には、その素晴らしさがまだいまひとつピンと来ない(汗)。2002年からリアルタイムで読み続けている古参のファンの方、どうぞよろしく喜んでください。 しかし内容はエライ面白かった。ツイスト博士シリーズはまだこれで3冊目だが、本作に関しては詳しい素性をこのサイトではnukkamさんが、さらに実際のポケミスの巻末解説では法月先生が語っているとおり、シリーズの中でも結構な秀作のようである。 個人的には、これまでに読んだバーンズシリーズも含めて、今までで一番、いい意味でカーのB級路線の秀作のような感触の楽しさだった。 登場人物が少ない分、犯人のサプライズ感は出しにくいだろなと予見したが、ちょっと思わぬ切り口の真相で意外性を感じさせた。 ホームズの時代の某短編を想起させる奇妙なバイト仕事の謎、やたらと靴を集める変人の存在、さらに特殊な密室空間にいきなり捨て置かれた死体の謎、など、とにかく絢爛たる不可思議な事象を連発するサービス精神がステキ。中には例によって、よくよく考えればなんでソコまで、と言いたくなるものもあるが、まあいいでしょう。確かにアルテは趣向優先の天然パズラー作家である。都筑道夫が存命でこれ読んでいたらキライそうな気配もあるが、まあいいや。 特に前述の謎のなかのひとつに対する、最後の最後のフィニッシングストロークで与えられる真相のアンサーには泣けた。これもまあ、もうちょっと伏線とか地味に丁寧に張っておいたら、もっと数倍泣けた気もするけれどね。それでもまあ、これはこれで。 まんまカーの中期作品風のヌカミソサービス=ラブストーリー部分や、ネヴィル青年を相手にまくしたてるツイスト博士のミステリ談義、密室談義もほほえましい。 とにかくご機嫌な一冊。 まだ読んでないアルテの邦訳がそれなりにあるのが評者はウレシイ。ツイスト博士シリーズの未訳のものも結構あるというのが、不安半分、期待半分で怖くて嬉しい。未訳のまま終わったら哀しいし、最後の一冊まで出してくれたらたぶん幸福になると思えるので。 評点は0.5点くらいオマケ。 |
No.1388 | 7点 | スノウブラインド- 倉野憲比古 | 2022/01/09 07:05 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
不気味な伝承が残る地・狗神窪に建つ、いわくのある屋敷「蝙蝠館」。そこは現在は、R大学の教授でドイツ現代史学界の権威でもあるホーエンハイムの邸宅だった。その年の12月、心理学科の生徒・夷戸武比古(いどたけひこ)たち4人のR大学の生徒は、近く退官する教授を内々で祝うため、屋敷に招待された。だが突然の暴風雪のため、屋敷の使用人2人を含めた7人が、邸内に閉じ込められてしまう。そこで起きたのは怪異な密室殺人、そして……。 一部の(でもないか)ミステリマニアの間で知られる、新本格(?)パズラーシリーズ「心理学探偵・夷戸武比古」ものの第一弾。これがそのまま作者の処女作である。 評者はシリーズの第二長編『墓地裏の家』は未読だが、本サイトでは先に読まれた空さんには、残念ながらご不評の模様(汗)。 とはいえ、実は同作『墓地裏』は、数年前にSRの会の会誌「SRマンスリー」で行った<新本格30年の歴史の中で、語られざる秀作>特集での当該の一冊に選ばれていたりする。 本サイトでの空さんの御評価はごもっともなものなのであろうと思うが、人によっては高く評価される種類の作品か? とも考えて、なんとなくこの数年、本シリーズをマークしていた。 が、なにしろこのシリーズの2冊はともに稀覯本で、なかなか入手が難しい(ハードカバーのみの発刊で、以降は文庫化なんかもされてないハズ)。 で、そんなこんなしていたら、昨年の暮れに、くだんの夷戸武比古シリーズの第三弾の『弔い月の下にて』が、シリーズの新作としては10年ぶりについに&いきなり刊行。 じゃあこの機会に、まずは第一作『スノウブラインド』から読んでみるかと、ちょっと手間をかけて本を借りて、ようやっと一読してみた。 設定は、ベタベタのクロズドサークルもの+不可能な密室殺人ものの直球の新本格。しかし登場人物が本筋のリアルタイムで7人しかおらず、コレでどうやってサプライズを引き起こすのか、誰が犯人でも意外性はない、と思っていたら、後半、はあああああ……!? という方向に物語と真相に向かう推理の歩みが向かっていく。 読了後にネットの諸氏の感想を窺うと「変格」作品という修辞がよく目につくが、個人的には本格~新本格のコードを破壊する「破格」作品と受け取りたい。そしてその上で、新本格作品のひとつのケーススタディとして、オモシロかったけれど(まあ人によっては怒るかもしれんな)。 ちなみに主人公の夷戸の口から主に語られる思想やら思弁の盛り込み具合は、B~C級の笠井潔作品みたい。あんまり胃にもたれないでサクサク読めるのはよろしい。一方で登場人物のひとりにホラー映画マニアがいて、こちらが未見の映画の仕掛けや最後の真相などをくっちゃべりまくるのには閉口した。こーゆーのは編集がなんとかせいよ。 『墓地裏』『弔い月』も近く読んでみることにしよう。 |
No.1387 | 6点 | 人類最初の殺人- 上田未来 | 2022/01/08 21:48 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
エフエムFBSラジオの夜間番組『ディスカバリー・クライム』では、国立歴史科学博物館の「犯罪史研究グループ」のリーダー、鵜飼半次郎が独自の理論と手法から、古代の犯罪についての研究成果を披露する。そして番組内では、順々に「人類最初の殺人」「同・詐偽」「同・盗難」「同・誘拐」そして「人類最初の密室殺人」の話題が。 手塚先生の画調コピーの表紙は田中圭一かと思ったら「つのがい」なるイラストレーターのお仕事だった。手塚プロが現在公認する公式イミテーション作家の一人だそうで、調べてみたら、評者もこれまであちこちで、何回か商業仕事も目にしているな。 各エピソードには、このつのがい氏による手塚マンガ風のイメージイラストも添えられている。 Amazonでは、現状でただひとつ「<なんで人類の古代文明の黎明期に、その犯罪衝動が芽生えたか、成立したか、を解き明かす話>ではなく、単に<作者が勝手に、人類最初のものと設定した、それぞれの犯罪事件>を語るだけ、のしょーもない作品集(大意)」という厳しいレビューがある。 まあ本当にその通りであるが(笑)、評者などはもとからそういうものでしょ(後者のようなもの)、と予期して読んだので、そんなに悪い印象はない。 シオドーマシスンの仮想史実連作ミステリ『名探偵群像』の中から「偉人が名探偵」という一番の売りの要素を取ったら、こんなのになりそう……と思いながら読んでいた。そしたら、とある一編は、実際に、まんま日本版『名探偵群像』(歴史上の有名人物が探偵)になっていた。 まあ大きな期待を込めなければ、そこそこ楽しくっていいんでないかい? という古代もの&準・古代ものの時代ミステリの連作集。 ミステリとしては他愛ないもの……というか、あまりミステリ味のない作品も中にはあるものの、まあタイトル通りに犯罪は起きて、そこを起点とした物語の起承転結は語られるので、まあ……いいかな(笑)。 |
No.1386 | 7点 | 卵の中の刺殺体 世界最小の密室- 門前典之 | 2022/01/08 14:40 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
2010年。残虐な猟奇殺人鬼「ドリルキラー」が凶行を重ね、世間を騒がせていた。そんななか、関東の一角にある龍神湖では、卵状の物体の中から刺殺された女性の白骨死体が見つかる。その龍神湖は、「私」こと宮村達也が、外遊中の友人かつ名探偵・蜘蛛手啓司にかわって5年前に設計建築デザインの仕事を請け負い、そして密室殺人に遭遇した館「コルバ館」のすぐそばであった。 名探偵・蜘蛛手シリーズの、長編第6弾。 評者は2020年の長編『エンデンジャード・トリック』は未読なので、本シリーズで読むのは『死の命題』『首なし男と踊る生首』とこれで3冊目。 被害者の死体を残虐に加工して異常なオブジェ風に仕立てる謎の殺人鬼「ドリルキラー」の事件、5年前に宮村が体験し、2010年の現在まで後を引く密室殺人、さらには龍神湖で発見された密閉カプセルの中での他殺死体(状況的に殺害後にタマゴカプセルに封印されたのではなく、閉じ込められたのちに殺されたらしい?)という世界最小の密室殺人事件、これら3つの要素がどう絡むかがキモとなる、いかにもこの作者らしい外連味に満ちた新本格パズラー。 伏線の張り方の一部は見え見え、怪事件の相関の真相もやや強引だが、例によってトリッキィな仕掛けは十全に用意され、特に卵カプセル殺人事件の真相は一度読んだら、頭に浮かんだビジュアルイメージがなかなか薄れない。 『首なし男』のバラバラ殺人(死体)の真相の方も唖然としたが、こっちの方も同じ意味でイイ線いっている。 ただし真犯人が発覚すると、そのキャラクターがいきなり「濃く」なってしまった感じもあり、その辺がいかにも帯で謳う通りの「B級本格ミステリー」っぽい。 トータルとしては、破天荒なところのこの作者っぽさも含めて、期待した感じの面白さ&楽しさ。一方で、容疑者のアリバイの情報を一覧表でしつこく説明するあたりなどは、思いがけない丁寧さであった。 一晩で半分徹夜しながら読み終えてしまう。 最後に(どうでもいいけど)主要登場人物のひとりが「神谷明」ってのは、いいのか? |
No.1385 | 6点 | ダーク・デイズ- ヒュー・コンウェイ | 2022/01/07 05:23 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
19世紀中盤のイギリス。「私」こと30歳代前半の医者バジル・ノースは、患者である老女の娘として出会った美貌の女性フィリッパに心を惹かれる。フィリッパと異性の友人として交際していたノースはやがてついに思いを打ち明けるが、彼女からは意外な返事があった。傷心のノースは折しも遠縁の親類から多額の遺産を得たこともあり、地方に若隠居する。だがそこにある夜いきなりフィリッパが来訪し、驚愕の事態を告げた。 1884年の英国作品。 近年、斯界の有志関係者によって行われている「明治・大正期の翻案小説の、21世紀の読者向けの完訳・新訳プロジェクト(素晴らしい!)」の一冊として新訳(完訳)刊行された広義のクラシックミステリ。本作の翻案小説版は、1889年(明治22年)に黒岩涙香によって『法廷の美人』の題名で発刊された(もちろん不勉強な評者はソッチはまだ読んでません)。 作者ヒュー・コンウェイ(1847~1885年)は、『二輪馬車の秘密』ほかのファーガス・ヒュームなどと同時代の活躍で、いわゆる「ホームズ前夜」の英国古典ミステリの時代&流派に属する作家のひとり。30歳代で逝去したこともあって日本ではあまり知られていないようだが、活躍期間に比してそれなりの著作は遺している。 ちなみに本作の原書は初版こそ少部数だったものの、徐々に人気を募り、最終的には(ミステリ史上に初期のベストセラー作品として名を残す『二輪馬車~』の総計50万部以上には及ばないにせよ)累計35万部という、当時としてはかなりの反響を呼んだそうである。 (詳しくは、本書の巻末の、小森健太郎先生の子細な解説を読んでね。) 作品の中身は、殺人事件を題材に、薄幸のヒロインと彼女を支える主人公の男性の恋愛劇を主軸にしたメロドラマ・スリラー。 もちろん21世紀の眼で見れば19世紀の旧作読み物として他愛ない面もあるが、一方でなんら照れることもなく王道を突き進むストーリーテリングの熱量は、なかなか侮れない。 本文は210ページと論創海外ミステリの長編の中では薄目なこともあり、サクサク読めてしまう。 悪い意味や揶揄ではなく、大筋や主要登場人物の配置をいじくらず、昭和30~40年代にジュブナイル読み物として誰かがリライトしていたら、かなりの人気作品になったような感じ。 クラシック作品の嗜みとして、タマにはこーゆーのもいいものである。 なお本作はあくまでノンシリーズもの=単発のラブサスペンスだが、前述の小森先生の解説によると、原書の刊行直後の1884年に「Much Darker Days」なるインチキの続編も登場したとのこと。原典の人気が確認されはじめたタイミングで慌てて書かれたニセ続編なんだろうけれど、安い題名と合わせて、なんか笑ってしまう。できればコッチも翻訳してもらって、ちょっと読んでみたい(笑)。 |
No.1384 | 7点 | 黒き瞳の肖像画(ポートレート)- ドリス・マイルズ・ディズニー | 2022/01/06 21:47 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
第二次世界大戦直後、アメリカのイリノイ州で、生涯、独身を貫いた資産家の老女が莫大な財産を遺して死亡した。親族である26歳の娘スーザン・ローデンは、名付け親の弁護士で遺産管理人であるデイヴィッド・オリヴァーに頼まれて故人の遺品を整理するうちに、死亡した大叔母ハリエット・ローデンが青春時代から綴ってきた日記を14冊発見。なぜか最後まで親族たちに距離をとり続けた大叔母の、その心の奥底に迫るが。 1946年のアメリカ作品。 Twitterの噂で、評判がいいので読んでみた。 物語の本筋のひとつといえる日記の内容は、1877年、15歳の少女時代のハリエットが同名の親族で資産家のハリエット伯母さんのもとに来るところから開幕。その直後、ハンサムな青年軍人ロジャー・デヴィットと相思相愛の恋に落ちたのち、彼女なりに劇的な、そして相応に流転の人生を送っていくさまが綴られている。 19~20世紀をまたいで、変遷する世相を適度に織り込んだ大衆小説(通俗小説)メロドラマ、人間ドラマとしてグイグイ読ませるが、はて、これがミステリの叢書(論創海外ミステリ)として刊行されたのは? と軽い不審を抱きながら、終盤のページまで行くと……。 ああ、そういうことね、と了解。ここであんまり語らない方がいい作品で、良い意味で、主軸のオハナシ(日記の中のメインヒロインの流転劇)を素の状態で読むことをオススメする。ハマる人にはハマるであろう。 まあ(中略)。 ラストのまとめ方(最後の2行)が、昭和~平成の某国内ミステリ作家がよくやるクロージングの演出みたいで、ちょっと笑った。 |
No.1383 | 6点 | ビーフ巡査部長のための事件- レオ・ブルース | 2022/01/06 06:48 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
そのウワサの<アイデアの先例>の実例の方は知らない。まだ読んでない。 いずれ当該の作家の諸作を読み倒していけば、いつの日か「アア、コレカ……」と突き当たることもあるであろう。 いずれにしろ、こういうミステリ作家としての茶目っ気はキライではないが、このアイデアは悪い意味であまりにも汎用性が高すぎて、特にこの事件、このストーリーと密接に融合したもんじゃないよね。極論すれば、登場人物に(中略)を出しておけば、ほとんどどんなフーダニットパズラーでも出来そうな。 まあ、パズラーミステリのトリヴィア、その話のネタとして読んでおくことには、意味があるとは思います。 |
No.1382 | 7点 | 彼と彼女の衝撃の瞬間- アリス・フィーニー | 2022/01/05 04:52 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
ロンドンから車で2時間ほどの地方の町、ブラックダウン。その森の中で、まだ若い美人の殺害された死体が発見される。BBC放送のニュースキャスター、アナ・アンドルーズは、前任者キャット・ジョーンズの欠場を機に2年間もの間、人気の報道番組「ワンオクロック・ニュース」を受け持っていたが、その輝かしい実績はキャットの突然の復帰で無に帰してしまう。そんなアナは、ブラックダウンでの殺人事件の取材仕事を、上司の「ミスター・パーシバル」から命じられた。かたや現地では40代のベテラン刑事ジャック・ハーパーが、若手の女性刑事プリヤ・パテルとともに、美女殺人事件の捜査を開始する。 2020年の英国作品。 昨年の翻訳ミステリの中で、どうもなかなか評判がいいようなので、読んでみた。 創元文庫の表紙の折り返しに登場人物の一覧がなく、ソコを読み手から隠すということで、これはある種の技巧的な作品かと予見させる。 それで読み終えてみると(以下、ネタバレにならないように注意しながら書くが)、実際のところはソコまで(登場人物一覧を割愛するまで)しなくても良かったんじゃないかとも思えたね。 まあ一部のキャラクターについては過剰なことを書き過ぎたら確かにマズイが、その辺は良い意味で曖昧にしながらフツーに人物表を作っても、やはり良い意味での詐術(嘘は書かない)で何とでもなりそうな。 あと、二人の主人公の証言の食い違いがどうとかって、実際には特に筋立てに関係ないような……。 本文は約450ページとやや厚めだが、ほぼ全編のストーリーをアナとジャック、それに謎の? 殺人者、その3人の視点を交錯させながら叙述。ハイテンポな筋立てのリーダビリティは最強で、数時間でいっきに読み終えてしまった。 なお評者は、終盤、お、これは久々に真相を当てられたか? と強気になったが、最終的には……。ただまあ、結構なサプライズだとはたしかに思うものの、コレは色んな意味で(中略)。個人的には、昭和30~40年代にリリースされた某国産ミステリ作品を思い出した。正直、バカミスに一歩足を踏み込んでいる。でもキライじゃない(笑)。 読後にAmazonのレビューで見かけた「読んでる間は面白かった」という一言が、一番ピッタリである。マーガレット・ミラーほどの文芸性も深みもないけれど、オモシロさだけなら割と張り合えるかも。 この作家、少し注目してみよう。 |
No.1381 | 5点 | 蟻人境- 手塚治虫 | 2022/01/04 07:18 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
20歳代半ばの美青年で私立探偵の鳳俊介は、元宝石商の実業家・殿町から調査の依頼を受けた。その内容は、殿町が社長をつとめる会社が所有する軽井沢の石切り場、その周辺に怪異な幽霊が出没するので、その謎を解き明かして欲しいというものだ。同じころ、有名な登山家で探検家でもある春島久太郎の一人息子・章もまた、自宅の邸宅の一角にある防空壕の奥に怪しい穴を見つける。それは春島家が数年前に購入した屋敷の庭に秘められていた、未知の地下世界に続く長大なトンネルであった。鳳探偵の調査と春島家の秘密、その二つはやがて一本の線に結び付いていくが、それは太古から地底に雌伏していた謎の亜人種「蟻人(ぎじん)」の、人間社会への挑戦の発端でもあった。 今回、初めて読んだ。評者は、大昔の若い頃にソコソコ高価な古書価で購入した、1970年の元版「毎日新聞SFシリーズ」の一冊で読了。 同叢書の一冊として初めて世の中に上梓された本作『蟻人境』は、ちょっとした手塚ファンなら誰でも知っているタイトルで、「漫画の神様」手塚の手による数少ない(珍しい)、ごく純粋なSFジュブナイル<小説>である。 世代人には周知の通り、くだんの「毎日新聞SFシリーズ」は、香山滋の『怪物ジオラ』(これは意外に秀作!)や佐野洋の『赤外音楽』、平井和正の『美女の青い影』などの(それなりに今でも有名な?)諸作をラインナップした、1970年前後の時世のヤングアダルト向けのSFジュブナイル叢書だった。 で、この時期の手塚先生は、当時の劇画ブーム、さらに漫画月刊誌が衰退してゆく時世のさ中にあって、少年漫画の仕事がやや軽くなっていた(それでも青年誌そのほかでかなりの仕事を消化していたが)。 手塚はその機会を活かして、かねてより関心があった小説分野での本格的な著述に挑んだものと思える。 ちなみにこの「毎日新聞SFシリーズ」という叢書は、シリーズ全体として統一されたアート調の白地のジャケットカバーを用意(つまり題名と作者名だけ異なり、あとはどれも同じアート的なデザインのジャケットカバー)。 そんなジャケットカバーの下にそれぞれの作品固有の表紙画が装丁され、さらに本文には数葉の挿し絵も添えられている。 が、本作『蟻人境』では、手塚は日本最高峰の漫画家ながら、それらの表紙画、挿し絵の画稿には全部、他人のイラストを使用している。小説本文を書くために締め切りギリギリまで時間を費やしたのか、あるいはあくまで小説本文の著述に専念したかったか、その辺の事情はしらない。 ところで幼少期より手塚作品ファンだった評者が、手塚先生には本格的な小説分野での著作がアリ、それが『蟻人境』なる長編作品なのだと初めて知ったのは、石上三登志の名著『地球のための紳士録』の手塚治虫の項目でのことだった。これで少年時代に、え? そんなのがあるの? と興味を惹かれたのが、全てのことの始まり。 それから数年の内に、それなりにコドモなりに苦労して稀覯本の「毎日~」版を入手したが、例によって読み惜しんでいるうちに作者ご自身が逝去。 その数年後に、当初の分の未収録作品をどんどん補遺してゆく講談社の手塚全集の別巻で、本作は復刊されてしまったのだった(……)。 で、さらに2020年代の現在では、くだんの手塚全集・別巻版をふくめてすでに数種類の書籍で本作は読めるようになっているが、評者個人に関していえば、まあそろそろ読んでみようか、ぐらいの気分で、このたび、くだんの(元)稀覯本の「毎日~」版のページを開いたわけだった。 まあお正月で、おめでたい気分だしね。秘蔵の酒の栓を抜くようなものだ。酒精がとんでなければいいけれど。 で、作品そのものの感想だが、むむむむ……。予想していたより荒っぽい作りであった。 太古の昔からホモサピエンスとは別の進化を遂げて地底世界で棲息し、蟻の属性を持った亜人種「蟻人」が独自の文明を築いていた。そんな彼らは20世紀になって、さる事情から現代の人間社会に挑戦。その目的は東京の地下空間を奪取し、強引に彼らのテリトリー社会を作ろうとするもの。 つまり設定そのものは良くも悪くも王道の異種生物による侵略ものなのだが、しかし手塚先生、その肝心の蟻人社会の総数がどのくらいなのか、そしてその数に比例してどれくらい東京の地下の空間を必要とするのか、そのあたりのデティルの説明をまったく作中で触れていないのが実に困る……(小説の後半で、冬眠状態から目覚めた蟻人が、一日ごとに膨大に増えていくことだけは語られている)。 共存困難な知的生物同士の対峙・対決をフィクション(特に小説ジャンル)の主題にするとき、作中のリアルで何が真っ先に問題になるはずかと言えば、<別種の生物が何万何十万、あるいはそれ以上の数で押し寄せてくる現実、そんな「圧」の恐怖と緊張感>だと思うのだ。何はともあれ、そこをしっかりと送り手が押さえてくれなければ……という感じだ。 たとえば本作以前の手塚作品(漫画)で、東京に異種生物の大群が押し寄せる図といえば『アトム』の傑作、巨大カタツムリ事件の「ゲルニカ」などであろう。あれもカタツムリ怪獣たちの具体的な総数は劇中で語られていなかったと思うが(記憶違いでしたらすみません)、その分、漫画のコマワリ、構図の迫力で十二分以上に恐怖感と緊張感を達成していた。だから面白い。 しかし直接のビジュアルのない小説は漫画とは勝手が違い、具体的な、もっともらしいデータ数などを提示するなどのデティル演出がなくては、クライシスの叙述が定まらない。 そういう意味では、数か月前に読んだ海野十三の『火星兵団』の方がさらにずっと古い戦前のジュブナイル侵略SFながら、世界各地の狂乱、火星側の軍備の物量感など、小説の細部はちゃんとツメてある。 大作家の手塚先生、畑違いの創作ジャンルの小説分野で、意外なスキを見せてしまったという感じ? ほかにもヌカミソサービス的なサブキャラの配置(東宝映画『美女と液体人間』あたりの、SFと通俗ノワールものの融合をちょっと匂わせるもの)や、クライマックスの人類側と蟻人との激闘なども、それぞれ何をやりたいかはわかるが、本当ならもうちょっと練れただろうし、もっと盛り上げられんだろうなあ、という感触であった。 まあ、人間側の反撃作戦そのものは、前述の「アトム・ゲルニカ」ラストの逆転劇のバリエーションという感じのアイデアが用意されていて、悪くはないんだけれどね。 (中でも一人だけ、人間側の某キャラクターのラストの扱いが、なかなか印象的だ。) じゃあ本作がトータルとしては凡作、失敗作かというと、必ずしもそんなことはない。 実質的な主人公の少年・章(鳳探偵の方は、造形も叙述も不完全燃焼感が強い)と、成り行きから奇妙な距離感での関係を紡いでいく蟻人側の某キャラクターのドラマ、ここだけは、当時の時点ですでに無数のロマン物語を語ってきた手塚作品の本流という感じで、読み手の心に沁みるもの。 作家・手塚治虫の軸は、ブレてはいなかったとは思う。 まとめると、一本のジュブナイルSF作品としては正直、あまりオススメはしにくいのだけれど、手塚作品ファンなら<先生の別ジャンルへの挑戦の成果>として、そういう関心から読んでみるのもアリではあろう。 (実は短編やショートショートを含めれば、先生は晩年までにそれなりの数の小説を遺してはいるんだけどね。まあ、そっちの感想は、いずれまた実作をしっかりと呼んでからということで。) |
No.1380 | 8点 | アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実- 松岡圭祐 | 2022/01/02 08:19 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし。ただし乱歩の『黄金仮面』については、この文を目にする前に読まれることをオススメします~といっても、この作品の書名自体がすでにナンだね~汗~。)
1929年のフランス。50代半ばのアルセーヌ・ルパンは、若き日に死別した妻クラリス・デティーグとの間に生まれた息子ジャンの成長した姿と思しき、ある堅気の若者を陰から見守っていた。そんななか、ルパンは長年の部下グロニャールが聞きこんできた噂から、白人ではなく日本人ながら、どこか息子ジャンの面影を宿す、また別の青年の存在を知る。その青年の名は―。かたやかつてのルパンの年上の恋人にして、彼の犯罪学の師でもあった悪女「カリオストロ伯爵夫人」ことジョゼフィーヌ・バルサモの手下の残党である、マチアス・ラヴォクの一味がパリの暗黒街で非道を働いていた。やがてその魔手は、とある縁から日本にも伸びていく。宿敵ラヴォク一味を追うように日本に向かったルパンは、先に自分の息子ではないかとの可能性を取りざたされた若き私立探偵・明智小五郎に邂逅。そしてルパンは、さらに<もう一人の若き日本人>と運命的な出会いを果たす―。 いやー、一晩で文庫オリジナルの470ページほどを一気読み。 ルブランの原典も乱歩の諸作も実によく読み込んで(特に前者)、ジグソーパズルを組み立てるごとく見事な手際で築き上げた『黄金仮面』裏面史。 あのネタもこのネタもあっちのネタも使いこなしながら、原典のこなれの悪い部分や不順な個所をファン視点で咀嚼&解釈してゆく手際は、正に快感の一語。 多くのルパンファンが長年のあいだ、モニョり続けた『虎の牙』や『奇岩城』そのほかの<あの描写><アノ描写>にも、作者なりに踏み込みながら、それでも原典の世界をギリギリのところで毀損しないオトナの仕事を完遂。 極めてウェルメイドなパスティーシュである。 こーゆーのを読むと、数年前の辻センセイの『焼跡の二十面相』あたりが、いかにダメダメな作品だったか、改めて身に染みてくる(笑)。 後半、昭和4年の日本内外の当時の現実の事情に筆先が広がってゆくのは、単にファン向けのパスティーシュでは軽く見られるでしょ、と案じた作者の警戒ぶりも感じたけど、クライマックスそしてエピローグまで、時代色とストーリーの流れとは、最後まできちんと整合させてある。 明智とルパン、二大主人公もいいけれど、第三の主人公といえるあの人のイヤー・ワン的な描写もいいなあ。これまで多くの作品で、ルパンとあのヒトとの関係性を設けた二次創作はいくつも読んだけれど、たぶんこれが一番泣ける。そっちの方面からニヤリとさせるネタの仕込みもたっぷり盛り込まれてるし。 まあルパンの周辺の文芸に関しては、ちょっとだけ勢いが過ぎちゃった箇所がないでもないけれど、トータルとしてはぎりぎり許容範囲……だと思いたい。 あと、クライマックス、主人公コンビがいささかお行儀よすぎる感じもあるかな(活劇描写としてはかなり大暴れしているのだが、全体的に優等生的な印象で)。 それでも十分に面白かった。有名キャラクターの二次創作パスティーシュとしてはオールタイムの中でも、原典世界への踏み込み度において、確実に上位にいく一冊だとは思うぞ。 |