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パメルさん
平均点: 6.12点 書評数: 664件

プロフィール高評価と近い人 | 書評 | おすすめ

No.664 6点 ウツボカズラの夢- 乃南アサ 2025/05/16 19:31
主人公の斎藤未茉由は母親の死後、東京に住む叔母の鹿島田久子に引き取られることになる。都内の一等地で暮らす裕福な親戚の存在を知った未茉由は期待に胸を膨らませ上京するが、冷え切った夫婦関係や痴情のもつれ、親子間の行き違い、陰湿な争いなど決して幸福とは言えないものだった。未茉由はそんな中で生き抜くために、したたかにそして狡猾に立ち回ることを覚えていく。タイトルにある「ウツボカズラ」とは食虫植物であり、獲物を捕まえて養分を吸い取る性質がある。このタイトルに主人公の未茉由が周囲の人々を利用して生き抜いていく様を象徴していると言えるでしょう。
何気ない日常が巨大迷路のように襲いかかる恐怖。この作品は人間の欲望、嫉妬、孤独、そして心の闇をリアルに描き出している。登場人物たちの複雑な心理描写には、心を大きく揺さぶられた。また、格差社会、家庭内の不和、人間のエゴイズムなど、現代社会が抱える問題点を鋭く批判している作品でもある。特に富裕層の家庭で繰り広げられる人間関係の歪みは強い衝撃を与える。主人公の未茉由は決して共感できる人物ではないが、生き抜くための執念は、ある意味で人間の本質を突いていると言えるかもしれない。

No.663 7点 メドゥサ、鏡をごらん- 井上夢人 2025/05/12 19:28
小説家の藤井陽造は、「メドゥサを見た」という言葉を残し、自らコンクリート漬けになるという奇妙な方法で命を絶った。彼の娘・菜名子の恋人でフリーライターの「私」は、藤井の残したメモ帳を手掛かりに調査を続ける。メドゥサとは、美女であったが故に妬まれ、蛇の頭髪を持つ恐ろしい姿に変えられたギリシャ神話に登場する怪物の名前である。
「私」は化学工場で起きた事故、その事故で負傷した高瀬充、「石町」という町と藤井の行動を辿りながら、彼の死の真相を追うようにミステリ的に展開していく。しかし、その一方でホラー的シーンがところどころに挿入され、ミステリとホラー、さらには心理的サスペンスを融合した独特の世界観を持っており強烈な印象を残す。
そして突如、物語世界が反転する。反転した世界でもさらに世界が崩壊していく。時系列や人間関係が混乱し、「何が真実か」を見失うような構成が特徴的である。ホラー的な不気味さや自己認識の崩壊をテーマにした実験的な作品で、叙述トリックを用いての読者の認識を揺さぶる手法が効果的。鏡に映るものは、必ずしも真実とは限らないというメッセージは、現代社会に生きる私たちにとっても示唆に富んでいる。
アマゾンなどのレビューを見ると、結末がスッキリしないという意見が多いようだが、この未解決感こそが作品のテーマであり、現実と虚構の境界が溶けていく恐怖を体感させる仕掛けとなっているので、個人的にはこの終わり方が気に入っている。

No.662 6点 名探偵 木更津悠也- 麻耶雄嵩 2025/05/08 19:15
香月実朝が木更津悠也を「名探偵」として演出するために、自らの優れた推理力を駆使して事件の真相を解き明かす4編からなる短編集。
「白幽霊」戸梶産業の社長・戸梶康和が自宅で殺される。康和の長男の未亡人・美智子が容疑者となる。最後の視覚的な効果にインパクトがある。
「禁区」御殿通りに白い服装の若い女性の幽霊が出ると聞き、牧園知耶子は失踪中の坊津夏苗が化けて出ているのではと考える。白幽霊と呼ばれる存在をギミックとして使い、幽霊すらも生かしたロジックを組み立てていくところが巧妙。
「交換殺人」平山勝は酔った勢いで見知らぬ男と交換殺人の約束をし、しかも自分が殺すはずの男が殺されたというのだが。終盤に明らかになる構図が素晴らしく、長編で読みたかった作品。
「時間外返却」鉄道展望ビデオがきっかけで、橘鈴子の死体が発見される。木更津の告白は衝撃的で、物語全体の印象を大きく変えるものを持っている。

No.661 6点 記憶の中の誘拐 赤い博物館- 大山誠一郎 2025/05/03 19:20
警視庁付属犯罪資料館「赤い博物館」を舞台に、冷徹な天才探偵・緋色冴子と助手の寺田聡が未解決事件の真相に挑む連作短編集シリーズの第二弾。冴子は証拠品の声を聴き、当時の関係者に新たな問いを放って真相を見抜いていく。
「夕暮れの屋上で」卒業式前日の放課後、校舎の屋上で少女が殺された。教室のワックスがけをしていた清掃業者が「先輩のことが好きなんです」という声を聞いていた。青春の切なさを味わえるが、真相は予測がつきやすい。
「連火」住人に「火事だ逃げろ」と電話する連続放火魔。「現代の八百屋お七」という斬新な設定。犯行の背景に潜む悲劇性に共感するが、動機にリアリティがない。
「死を十で割る」10個の部位に切断されたバラバラ死体。その死亡推定時刻と同じ頃に、被害者の妻が電車に飛び込み自殺をしていた。切断理由に驚き。解剖学の知識を応用したトリックに感心させられた。
「孤独な容疑者」殺された被害者は、同僚に高利貸しのようなことをしていた。残されたダイイングメッセージは偽装である可能性が高いと見られたが、その後浮かび上がってきた容疑者にはアリバイがあった。典型的な倒叙ものと思わせてのラストの捻りに唸らされた。油断ならない作品。
「記憶の中の誘拐」幼い頃に誘拐された記憶を持つ少年。誘拐犯は彼を捨てた実母と見られたが、犯人は土壇場で身代金の受け取りを放棄していた。あるものの臭いが苦手という情報だけで誘拐事件のからくりを見抜く冴子の推理に脱帽。

No.660 8点 凍てつく太陽- 葉真中顕 2025/04/28 19:27
舞台は昭和二十年の北海道・室蘭。特高警察の刑事・日崎八尋が、軍需工場関係者の連続毒殺事件に巻き込まれ、冤罪で網走刑務所に投獄される中で真相を追う物語。
特高警察や軍部の横暴が、正義の名の下に正当化されている様子、アイヌ民族・朝鮮半島出身者への差別、陸軍の軍事機密「カンナカムイ」を巡る陰謀など、戦時下の複雑な社会構造が背景にある。特に、アイヌ出身の主人公が「皇民化政策」の中でアイデンティティの葛藤を抱える描写は、歴史の中の暗部を浮き彫りにしている。
当時の北海道の労働環境や、濡れ衣を着せられての投獄、そして脱獄、思わぬ人物との出会い、網走刑務所の脱獄王・白鳥由栄の史実を織り交ぜた描写がリアリティを生んでいる。軍の陰謀、血文字の暗号、登場人物の過去が複雑に絡み合い、最終盤で一気に収束する構成が光る。戦争という特殊な状況のもとで生まれたトリックに、作者のミスリードが加わってラストは全く想像もしていなかった事実が明らかになる。
単なるミステリを超え、戦時下の「人間の尊厳」を問う作品で、戦争の愚かさや差別の根深さを痛感させられる。作者の筆力で、暗い時代の中でも希望を失わない人物像が力強く描かれ、読後には歴史から学ぶべきことを強く考えさせられた。重厚で骨太という評判通り、民族、国家、人間といったテーマが掘り下げられており、社会問題への問題意識を同時に喚起する一冊となっている。

No.659 6点 ツミデミック- 一穂ミチ 2025/04/24 19:40
第171回直木賞受賞作で、コロナ禍という異常な状況下で直面する倫理的ジレンマを、ミステリと人間ドラマの両面から切り取った6編からなる短編集。
「違う羽の鳥」繁華街で客引きのバイトをしている主人公に話しかけてきた女性が、中学生時代に死んだはずの同級生の名前を名乗る。救いのないようでいて、かすかな光を感じさせる。
「ロマンス☆」近所でイケメン配達員を見かけたことから、彼が来ることを期待してフードデリバリーにはまる女性の話。破滅に向かっていく恐怖が味わえる。
「憐光」幽霊となって故郷に戻ってきた女性が、意外な真実を知る。語り口が魅力的な悲しい物語。
「特別縁故者」失業中の調理師の男が一人住まいの資産家老人に料理を届けるようになり、特別縁故者になる期待を抱くが、意外な成り行きが待っている。主人公の内面の変化と社会の歪みを絶妙に表現している。
「祝福の歌」母が一人で暮らすマンションの隣人の様子がおかしいという話。隣人の謎と同時に、主人公が自分に関する秘密を知る展開に胸を打つ。
「さざなみドライブ」ネットで繋がり集団心中のために集まった男女数人が、山中に向かう車内で自殺を望む理由を語り合う話。パンデミックの影響で人生を壊された人もいる中、主人公の動機があまりにも意外。
作中には、日本の4人組ロックバンド・スピッツの楽曲を連想させるタイトルや台詞が散りばめられているので、ファンにとっては嬉しい仕掛けではないだろうか。全体的に「罪とは何か」という問いを投げかけながら、最終的には人間の再生可能性に光を当てる構成になっている。

No.658 7点 朽ちゆく庭- 伊岡瞬 2025/04/20 19:44
朝陽ヶ丘ニュータウンという新興住宅地を舞台にしている。かつては富裕層が住むための高級住宅地として有名だったが、バブル崩壊やリーマンショックの余波を受け、次第に変わってきた。初期住人たちは、そうした新参者たちに白い目を向けているのである。この街に山岸家は引っ越してきた。
山岸家の夫婦共通の悩みは、中学受験の失敗が尾を引いて不登校気味の息子・真佐也。裕実子自身は、それよりも夫がこの問題に正面から向き合わないことに不満を抱いている。本書では家族が互いに向き合わないための食い違いが、ところどころで起きるが、真佐也の視点になった途端、違和感を覚えるようになる。そして山岸家のそれぞれの秘密を抱えた中で発生した少女殺人事件。後半では、死角の多かった山岸家の、それまで見えなかった部分が詳らかにされていく。全てが明らかになる瞬間まで、緊張感が途切れることがない。
起きる事件はもちろん、山岸家のそれぞれを掘り下げていくだけでも十分なサスペンスだが、彼らを取り巻く人たちがどう動くか分からない怖さがある。家族のありようについて、そして人と人との繋がりについて考えさせられる作品。誰の心の中にも人には見せられない部分があり、それに執着したり他人から隠そうとしたりすることで愚かな振る舞いに出てしまう。そうした行為の連鎖が生み出した悲劇の物語で、思わず自分自身はどうなのかと顧みてしまう。足元が崩れ落ちるような感覚を味わうことが出来る作品。

No.657 7点 MISSING- 本多孝好 2025/04/16 19:17
日常に潜む喪失感や、人の奥底にある孤独を繊細に描いた5編からなる短編集。
「眠りの家」「私」が自殺しようとした理由を助けてくれた少年に語り始める。主人公が話す自殺に至る経緯を聞いただけで、少年がその話の手掛かりから事件を再構成するという安楽椅子探偵ものだが、その謎解きよりもラストで明かされるもう一つの仕掛けが本編の魅力となっている美しくも切ない物語。
「祈灯」幼い頃、目の前で妹が事故死した少女は、以来自分をその妹であると思い込む。主人公の妹が抱え込んでいるトラブルとトラウマを巧みに共振させながら、静謐なエンディングに持っていくところがいい。
「蝉の証」老人ホームにいる祖母より、一人の老人について調査を頼まれる。死を目前に控えた老人の企みを明らかにしていく物語だが、その企みを巡る主人公と祖母との対峙が主眼となっている。二つの世代に対する目配りの良さが光る。
「瑠璃」従姉のルコは「僕」にとって憧れの存在だったが。主人公の目を通して描きだされる、一人の女性の短い生の軌跡そのものが一つの謎となっている。そしてその謎は決して解かれることのない類のものなのだろう。
「彼の棲む場所」十八年ぶりに再会した友人が、「僕」に語った奇妙な話とは。爽やかで健全な日常の顔の背後に隠された闇。サトウ君という幻想的なキャラクターを介在させることで、その闇を象徴させている。過去と現在が交錯する中で、自分自身と向き合い再生への道を歩み始める。
それぞれ、喪失を通して見えてくる人間の強さや優しさが描かれている。明確な解答を与えぬまま閉じる構成が、かえって現実の不確かさを反映しているかのよう。これは安易なカタルシスを拒否する作者の美意識の表れと解釈した。

No.656 5点 さえづちの眼- 澤村伊智 2025/04/12 19:27
人間の深層心理に迫るテーマ性が際立つ3編からなるホラー中編集。
「母と」様々な事情から親元を離れることになった少年少女を預かり、日常を取り戻させる活動を行うという男・鎌田の元に、不良少年の琢海が訪れるところから始まる。彼が鎌田との暮らしに居心地の良さを感じつつあった夏の晩、琢海は鎌田が正体不明の存在と対峙する様を目の当たりにする。怪異との攻防にその存在の正体を巡る謎解きの要素を密接に絡めた密度の濃い一編。
「あの日の光は今も」かつてセンセーショナルに報道された二人の少年がUFOを目撃した事件とその前後に起きた人間の死が時を経て異様な関連を帯びていく。昭和という時代が生み出したオカルトブームやタガの外れた事件を現代の地点から解体する手つきに妙がある。
「さえづちの眼」旧家に住み込みで働くことになった家政婦が目撃する怪異が手記のかたちで語られる前半と比嘉琴子が登場しその真相に迫る後半という作者の得意とする二部構成が効果的な作品。
三作とも「眼」を軸にした設定が物語全体に張り巡らされているのが特徴で、ホラーの要素を十全に活かすことで謎解きに独特の意外性を生む手腕が冴え渡っている。加えて、人間存在を射抜くシニカルで透徹した視線とそれでも人間を信じる覚悟のようなものの両者を行き来するアンビバレントな感覚が詰まっている。総じて、物理的な恐怖と心理的な不安を絡ませた作品集と言える。

No.655 6点 プレゼント- 若竹七海 2025/04/08 19:27
フリーターの葉村晶と刑事課警部補の小林舜太郎の二人を主人公として、ブラック要素満載の8編からなる連作短編集。
「海の底」作家の赤月武市が、ホテルの部屋に血痕を残したまま忽然と消えてしまった。ホテルの従業員は誰も彼がホテルを出て行くのを見ていなかった。丁寧に伏線が張られており、ラストには感心してしまった。
「冬物語」一年前に自分を裏切った友人に復讐を果たした主人公のもとに刑事が訪れる。ストーリー展開に少々、強引さを感じる。
「ロバの穴」葉村晶がアルバイトするテレフォンサービスの仕事で、九カ月で自殺者が三人も出たという噂が。人間関係に潜む闇の部分、さらにその闇を操るものの姿を描いた不気味さを味わえる作品。
「殺人工作」大学の助教授・片倉忠の家のバスルームで、片倉忠と塩川春美の死体が発見される。心中事件のように見えるが。小さな疑問から発して、論理的に真相を明らかにしていく小林刑事の推理が小気味いい。
「あんたのせいよ」葉村晶は大嫌いな南佳代子から一方的な呼び出しの電話があったがそれを無視する。すると翌日、葉村のもとに刑事が訪れる。ブラックな味わいが楽しめるホラーミステリ。
「プレゼント」一年前に起きた佐伯里梨の殺人事件。その現場である「デザインオフィス・佐伯里梨」にその時の関係者が再び集まる。連作短編集という体裁を巧みに利用された作品だが、それ以上に伏線の巧みさに驚かされる。
「再生」部屋に缶詰状態になっている作家と隣室の編集者。アリバイ作りのため、ビデオをセットして出かけた彼は、帰ってきてからビデオを再生すると映っていた光景に驚く。やられた感があるトリッキーな作品。
「トラブルメイカー」雪山で頭が割られて意識不明の女性が発見される。彼女の胸ポケットには、葉村晶名義のクレジットカードがあった。葉村と小林刑事がここで共演する。アクロバティックなオチを期待していたが、正直物足りなかった。

No.654 6点 踏切の幽霊- 高野和明 2025/04/03 19:25
一九九四年十二月、月刊女性誌の記者の松田法夫は、大物政治家の収賄事件の取材から外され、読者投稿の心霊ネタ取材に回される。
都会の片隅にある踏切で、偶然撮影された心霊写真。この踏切では、ここ一年列車の非常停止が多発していた。踏切に現れる幽霊について取材を始めた松田だったが、その日の深夜、不気味な無言電話があった。
元社会部の敏腕記者が日常に発生した心霊現象に対し、あくまで調査報道の手法というこの世の理で丹念に真相に迫っていく展開は、怪異が日常に生じさせる不条理な裂け目を因果によって押し広げ続け、信じさせるための手続きをする。その描かれる調査に、主人公が妻を喪った虚無を抱え続けていることが重なって、鎮魂のための怪談というような作品となっている。
心霊現象とその背後にある現代社会の闇や人間の業を描いた社会派ドラマとしての側面も持ち合わせている。幽霊という題材を借りながら人間の内面や社会の脆さを問い掛けている。踏切が生と死、過去と現在、そして異なる世界を繋げる象徴として機能している点が印象的。結末は死生観が胸に落ちてくる戦慄とともに温かな救いが共存し、読後に余韻が残る仕掛けがされている。

No.653 7点 硝子細工のマトリョーシカ- 黒田研二 2025/03/30 06:57
物語は、人気推理作家であり女優の美内歌織が、脚本・主演の生放送のミステリドラマ「マトリョーシカ」を中心に、歌織の恋人である森本晋太朗の視点で語られる。
映画監督・大海司の首吊り自殺、報道番組に爆弾が仕掛けられたという予告電話という体裁のサスペンスドラマは、しかし番組中に主演の歌織が飲んだ麦茶に毒が入れられるという現実の事件が発生したことから、次第に現実と虚構が混交していく。
タイトルにあるマトリョーシカはロシアの郷土玩具で、胴体が二つに分かれ中から同じ形をした少し小さな人形が複数、入れ子式に入っている人形だ。一体どこまでがドラマで、どこからが現実なのか、「現実」と思われたシーンが実は「ドラマ」であり、「ドラマ」と思われていた部分が「現実」でと作品世界はマトリョーシカ人形のように多重の入れ子構造となっている。その複雑な構造は、眩暈感を醸し出すことに成功している。
一見些細な描写や会話が、後半で重要な意味を持つ仕掛けが随所に散りばめられている。特に過去と現在の交錯が謎を深め、最後まで引き込まれる。そしてラストの意外性と伏線の回収の鮮やかさに唸らされた。緻密な構成と、人間の闇に光を当てる視点が秀でた一作。

No.652 7点 名探偵のままでいて- 小西マサテル 2025/03/26 06:47
第21回「このミステリーがすごい!」の大賞受賞作。
主人公は小学校教師の楓で、探偵役はその祖父が務める。祖父はレビー小体型認知症を患っており、症状の一例として幻視がある。
そんな祖父に楓は日常の中で遭遇した気になる謎や不可解な事件を話して聞かせる。祖父は日常と幻視の狭間で解き明かしていく連作の形をとりながら、終章で壮大な伏線を回収する大きな結末に辿り着く構成となっている。天才的な推理能力というう属性を持ちながら、同時に人間らしい脆さを併せ持つ描写が秀逸。
最初の一編は、故・瀬戸川資の著作に氏の訃報の新聞記事が挟み込まれているのが謎となる。それ以降も、密室、人間消失、「幻の女」のモチーフ、リドル・ストーリーと、ミステリの伝統的な意匠を意識し、先行作の古典作品にも言及している。そして決め台詞の「楓。煙草を一本くれないか」と口にして巧みに謎解きをする。
各章で古典の数々が引き合いに出されるだけではなく、それらを髣髴とさせるギミックを駆使した独自の本格ミステリが繰り広げられるという古典名作への心憎い目配り、認知症の祖父を思いやる孫娘の優しさと切なさ。このバランス感覚が生み出す心地良さが魅力的。作者のミステリ愛も感じられるし、推理小説としての完成度だけでなく、人間ドラマとしての厚みを求める人に強くおすすめしたい。

No.651 5点 鷺と雪- 北村薫 2025/03/22 19:19
ベッキーさんシリーズの第3弾。第141回直木賞受賞作で昭和9年から11年までの出来事が3編収録されている。
別宮みつ子ことベッキーさんは、学者の家に生まれアメリカの大学を卒業したが、帰国して花村家のお抱え運転手になった。花村家の当主は財閥系商事会社の社長。娘の英子はベッキーさんの運転する車で学校に通うという絵に描いたようなお嬢様。
「不在の父」多くの人でごった返す伯爵邸から弟子の子爵が忽然と姿を消た。この行方不明になった謎を追う。この作品全体のラストを予感させる終わり方。
「獅子と地下鉄」中学受験を控えた和菓子屋の息子が深夜の上野公園で補導されたが、本人はその理由を明かそうとしなかった。親の子供への愛、そして子供の親への愛にしみじみとさせる。
「鷺と雪」子爵令嬢が服部時計店でカメラを買って試し撮りしたところ、外国にいる許婚者の姿が写っていた。ちょっとしたからくりと当時の写真機を知った上でのトリック。
日常的でしかも奥深い事件の謎が、ベッキーさんの推理によって鮮やかに解明されていく過程の面白さもさることながら、背景となる上流社会の描写に精彩があり、当時の文化や風俗もしっかり織り込まれている。特に表題作は、2・26事件を扱っておりラストは切ないばかりの痛みが鮮烈。

No.650 7点 七人の中にいる- 今邑彩 2025/03/18 18:48
ペンション「春風」のオーナー・村上晶子の結婚パーティに招かれた七人がペンションに集まった。そんな折、晶子に届いた一通の手紙と写真。それは彼女の二十一年前の犯罪を告発し、復讐を予告するものだった。復讐者は七人の中にいるのか、復讐の予告日クリスマス・イヴは刻一刻と近づく。
二十一年前に仲間と起こした事件をプロローグとし、物語は二つの流れで展開する。ひとつはペンション「春風」で晶子の周囲で不可解な出来事が続発し、疑心暗鬼に陥り復讐者に怯える。二十一年前の事件現場にあったオルゴールが効果的な小道具として用いられている。もうひとつの流れは、晶子の過去を知った元刑事・佐竹治郎を中心に、わずかな手掛かりを元に二十一年前の生存者のその後を追う。彼の調査によってペンションに逗留する客に疑惑が持ち上がる。
誰が犯人なのか断定できない、誰が犯人でもおかしくないといった状態で主人公の不安や恐怖が徐々に増幅されていく心理描写が圧巻。作者らしい細やかな伏線が随所に散りばめられ、二転三転しながら最終局面での逆転に至るまで、論理的な矛盾はほぼ見られない。そして意外な犯人が明かされるが、「脅迫状」に隠されていた仕掛けが明らかにされるところなどは巧み。事件の根底にある動機が、単なる悪意ではなく過去のトラウマや経験が現代社会においても人々の行動や心理に大きな影響を与えることを示唆するなど、社会的テーマに結びついている点に深みを感じた。

No.649 7点 宿命と真実の炎- 貫井徳郎 2025/03/14 19:22
「後悔と真実の色」の続編で、前作の主人公・西條輝司が登場するが、警察を辞めた西條は安楽椅子探偵的役割に留まり、新たな主人公として所轄署の女性刑事・高城理那が中心に据えられている。高城は関連がない思われた警察官の連続死に意外な繋がりを見つけ出し、連続殺人事件ではないかと独自に捜査をする。
物語は警察側の捜査と、犯人側の復讐劇の二つの視点から展開される。冒頭で犯人の素性が明かされる倒叙形式でありながら、動機や真の目的は最後まで伏せられるため、ホワイダニットを追う緊張感に引き込まれる。警察官連続殺人事件の背景に隠された冤罪と組織の隠蔽体質が、社会派的テーマとして重くのしかかる。冤罪を扱いながらも、単なる批判に留まらず正義感と組織の矛盾を描き出している。
ラストは救いのない展開だが、高城と西條の成長、そして犯人たちの哀しみが交錯する様子に深い余韻を残す。警察組織の闇と個人の正義をテーマに、複雑な人間模様を緻密なプロットを組み合わせ「真実とは何か」を問いかけた力作。

No.648 6点 倫敦時計の謎- 太田忠司 2025/03/10 19:31
天才時計作家・弥武大人が、ロンドンのビッグベンを模して建造した巨大時計。そのオープニングセレモニーで、弥武大人の死体が発見される事態を皮切りに、時計を舞台にした連続殺人が展開される。
探偵役は小説家の霞田志郎と妹の千鶴。千鶴は素人の視点で事件に関わるため、専門的な推理よりも直感的な行動が物語に緊張感と親近感をもたらす。作者の筆致は軽妙でおどろおどろしくすることなく、悲惨な事件現場との対比が際立っている。特に千鶴の視点で通じた日常会話やユーモアが重いテーマのなかでもリズムよく物語を進める役割を果たしている。
密室やからくり時計の仕掛け、事件の背後に潜む子供じみた悪意が物語の軸となっている。緻密な伏線と最後まで驚かせるラストが特徴的で、ホワイダニットよりハウダニットに焦点が当てられ、本格ミステリの醍醐味が味わえる。最後に明かされるある秘密には、なるほどと感心させられた。

No.647 6点 火神を盗め- 山田正紀 2025/03/06 19:25
中国との国境に近いヒマラヤ山中に建造された原子力発電所(火神・アグニ)。極右派の工作員たち(フラワーチルドレン)によってアグニに爆弾が仕掛けられていることを知った日本商社のセールス・エンジニアの工藤篤は命を狙われることになる。一旦帰国した工藤は、爆弾を撤去することが生き残るための唯一の道だと知り、数人のサラリーマンとともに鉄壁の要塞であるアグニに潜入を試みる。
落語家になり損ねた桂正太、英語コンプレックスで影の薄い仙田徹三、女を口説くことに全精力を傾ける左文字公秀という、無能と烙印を押されたサラリーマンが勇気を持って潜入しようとするのだから痛快。この原発は、周囲を触圧反応装置で囲まれ、ドーベルマン付き鉄網錠、熱廃水用水路にはワニがいる。おまけにフラワーチルドレンの冷酷無比な殺し屋リリーとローズが彼らをつけ狙うという念の入れよう。
このウルトラ級難度の障害を、あの手この手で突破しようとする過程が読みどころだが、それとともにそれに至る経緯、平凡なサラリーマンがなぜ危険を冒すのかというところも魅力の一つとなっている。また、ダメ社員とされるメンバーが、困難を乗り越える冒険小説を超えた人間ドラマとして爽やかに描かれている。確かにご都合主義的な部分はあるが、スパイ小説の緊張感とコメディ要素が融合した極上のエンタメ作品に仕上がっている。

No.646 6点 ファンレター- 折原一 2025/03/02 19:35
絶大な人気を獲得した作家・西村香は、性別・年齢を一切不明な覆面作家だった。そんな西村のもとに送られてくるファンからの手紙など、全編が手紙やファックス、留守電などの文書形式で構成され、それらが西村を奇妙な事件に巻き込んでいく9編からなるブラックユーモアが光る短編集。
「覆面作家」西村香の熱烈なファンの大瀬ななみは、西村と何度か手紙でやり取りするようになる。身勝手で思い入ればかりが強い大瀬ななみに反感を持つが、それを上回る悪意が明かされるラストになると彼女に同情してしまう。後味はとても悪い。
「講演会の秘密」西村香のもとに舞い込んだ講演会の依頼。西村はそれを断るのだが。トリックの仕掛け方が面白い小技が効いた作品。結末はほろ苦い。
「ファンレター」西村香の下の階に住む西村薫は、西村ファンの手紙を誤って開封してしまう。じわじわと文面から伝わるファンの狂気が、リアリティがあって怖い。全てがひっくり返るラストは見事。
「傾いた密室」ファンの女性から密室殺人の謎を解いてほしいという依頼がはいる。ファックスのやり取りだけで物語は進行する。トリックもオチも見当がつきやすい。
「二重誘拐」西村香は土砂降りの山中で遭難してしまい、ファンだという女性に助けられる。ミザリーのパロディ。状況だけ見ると悪夢だが、西村の悪い本性が炸裂していて痛快。
「その男、凶暴につき」西村香に温泉の紹介記事を依頼される。設定が違うだけでトリックは同工異曲といった印象。
「消失」西村香は編集者が紛失した原稿を書き上げるためにホテルに籠る。皮肉たっぷりでイヤミス好きにはたまらないラストとなっている。
「授賞式の夜」西村香は新たに設けられた文学賞を授与されることになったが。ラストでの意外な展開に。その大げさな仕掛けにツッコミを入れたくなる。
「時の記憶」探偵事務所に記憶喪失の男が訪れ、「自分は西村香らしいのだが」と告げたが。オチ自体は見当がつきやすいが、この次のエピソードとの合わせ技がいい。単なるパロディに終わっていないところもいい。

No.645 7点 てのひらの闇- 藤原伊織 2025/02/26 19:29
主人公の堀江雅之が勤めるのは大手飲料食品会社。商品企画や宣伝制作、マーケティングなどが丹念に描かれていて、このように戦略を立てて製品を売るのかと首肯させられるところが多くある。その堀江は自主退職を間近にしており、会長や同僚とその周辺の人々との関わりが描かれていく。またリストラが吹き荒れるサラリーマンの世界の描写が物語にリアリティを与えている。その堀江が恩義を感じている会長の自殺を機に一転してハードボイルドタッチになり、あとは終結まで息もつかせぬ展開が続く。
主人公が超人過ぎるきらいはあるが、無駄な装飾がそぎ落とされ、なんとも言えない洒落た味がある。物語は錯綜し、至るところに伏線が張ってあるから油断ならない。舞台はどんどん広がって、経済界から政界、企業舎弟、暴力団まで巻き込んでいく。それらが堀江の過去と繋がり、少しずつ解きほぐされて伏線が一本に収束されるのだが、その収束の仕方が無理にこじつけがなく、張り詰めた緊張感が持続して、リアリティを損なうことがない。ハードボイルドを基調としながらも、企業小説やミステリさらに心温まる人間ドラマと多層的な作品となっている。

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パメルさん
ひとこと
7点以上をつけた作品は、ほとんど差はありません。再読すればガラリと順位が変わるかもしれません。
好きな作家
岡嶋二人 東野圭吾 
採点傾向
平均点: 6.12点   採点数: 664件
採点の多い作家(TOP10)
東野圭吾(31)
岡嶋二人(20)
有栖川有栖(19)
米澤穂信(18)
綾辻行人(18)
西澤保彦(17)
貫井徳郎(15)
横山秀夫(15)
歌野晶午(15)
松本清張(15)