皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1312件 |
No.1012 | 6点 | 夜の冒険者たち- ジャック・フィニイ | 2022/06/27 13:38 |
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フィニイの冒険小説系列の作品だと、ラストになるのかな。冒険小説、といっても、今回はカジノや豪華客船を襲撃するみたいな、クライムノヴェル風の事件ではない、というのがキモの小説。ミステリというよりも青春小説に近いんだが、それでもしっかり「冒険小説」だったりするのが、最大の手柄。
サンフランシスコで弁護士をするリュウとハリーは同級生で、それぞれジョーとシャーリーというパートナーを持ってこの四人ぐるみで仲のいい友達だった。ある夜、眠れないリュウは真夜中の散歩に出た...日常とは全く別の表情を見せる真夜中の世界。これに魅せられたジョーは偶然夜の高速道路でシャーリーに出会い、この2組の夫婦は揃って真夜中の冒険に乗り出すのだった。高速道路の路上で寝転ぶ、といったことから始まり、ショッピングセンターの駐車場のベンチでシャンパンを抜いたダンスパーティ....しかし、警察官に見つかって追っかけっこの末逃れるが、この警官パーリーは4人組を目の敵にしだした。しだいにエスカレートする4人の冒険と警官との攻防の行方は? ラストなんてゴールデンゲートブリッジを舞台にした、かなり大掛かりなプラクティカル・ジョークになるわけで、フィニイのケイパー小説に共通する「大仕掛けで、凝ったアマチュアの冒険」という要素は本作も健在。とはいえ、本作にも「夢の10セント銀貨」と共通する、アメリカ人のちょっとイヤな気風、というのも感じられて、評者はある意味、ノレないところもある。 確かに、1970年代の西海岸、ヒッピーからヤッピーへの自由な空気を感じさせるのだが、いささかハメを外しすぎて「笑えないジョークを無理して笑わせる」ような面があるし、リュウとハリーの間での「度胸比べ」がエスカレーションしていくことに、マチズムの香りを嗅ぐこともある。そして、彼らがバカにする警官との間にある「階級的」な敵対心..そう見ると、手放しで「かっこいい」冒険と捉えるのも難しい。困っちゃう。そもそもこういったプラクティカル・ジョークというのは、アメリカのエリート大学生の特権みたいな側面があるからねえ,,,日本人から見たら、イヤな側面が目に付くのも仕方ない。 「ゲイルズバーグの春を愛す」収録の、気球を発明してそれによる夜の街の散歩とロマンスを描いた「大胆不敵な気球乗り」の拡張版みたいな作品なんだけども、甘やかでシンプルでロマンチックな冒険、というフィニイの一番イイ面が薄れてきているのに、何か残念な気持ちがある。 |
No.1011 | 7点 | 火星人ゴーホーム- フレドリック・ブラウン | 2022/06/25 14:01 |
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SF古典、といえば古典なんだけども、笑えないアメリカン・ジョークがそのままSFになったような作品。火星人の悪趣味さってガチにアメリカン・ジョークの世界、じゃない? タイトルからして、「ヤンキー・ゴーホーム」のパロディのわけだから、それをヌケヌケとアメリカ人作家がやってみせるあたりの批評性を、自虐ギャグみたいに面白がるべき作品なんだろう。
それだけだと時代の証言に過ぎないわけだけども、SFとしてのキモはやはり「唯我論」というものなのだろう。要するに火星人ってアル中の妄想の象徴「ピンクの象」みたいなものなんだよ。火星人がもし主人公の作家ルークの想像の産物に過ぎないのなら、それによって悩まされる全地球人もルークの想像の中にしかいない。そして、それを読んでいる「読者」もルークの想像の中....いやいや逆に読者からすれば、読者の読む世界の中のルークも、ルークが想像する火星人も、すべて自分の想像の産物であって、読者が存在を否定すれば火星人も消えるがルークも消えて....こんな往還をブランコのように楽しむのが、やはりSFとしての楽しみ方、というものなのだろう。 |
No.1010 | 6点 | 帽子屋の幻影- ジョルジュ・シムノン | 2022/06/22 16:15 |
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タイトルがいいので昔から気になっていた作品。このサイトで内容を見たら、シムノンには珍しいシリアルキラーの話だから、ぜひ読みたいな...と思っていた作品だった。シムノンの1作品での最多の殺人数かしら。ようやくゲット。
シリアルキラーの主人公の内面描写がずっと続く作品だけど、リアルタイムでの描写が軸なので、背景とか動機とか、徐々にしか割れてこない。いろいろと考えながら読んでいく必要があるタイプの作品で、ミステリ色は強いといえば、強めの作品である。 シムノンの名犯人といえば、たとえば「男の首」のラデックが典型だけども、「絶対に捕まらない!」で頑張ったりしないんだよね。どこかしら「捕まりたがる」要素があるし、その行動も合理的というよりも、個人的なちょっとした「ひっかかり」に押されて、たまたま「してしまう」ような色合いが強い。評者のようなシムノン・ファンにとっては、そこらへんに強いリアリティを感じるわけだ。理屈で割り切れない行動をするからこそ、人間の行動として妙に腑に落ちる、とでも言えばいいのかな。 同世代の老女ばかりをチェロの弦で絞殺するシリアルキラーの帽子屋ラベ氏の隣人で、貧しい移民の仕立て屋カシウダスが、ラベ氏の犯行に気がついてラベ氏に付きまとうのだが、ラベ氏はそんなカシウダスの口を封じようとするわけでもないし、犯人告発の賞金が欲しいだろうとラベ氏は考えて、それをわざわざ病床のカシウダスに与えようとか、考えたりする...新聞社に挑戦状をラベ氏は送り付けるのだけども、その中では殺人が完全にプラン通りのものだ、と宣言したりする。でもその動機はというと...いやこれはお楽しみ。とんでもない動機で、この挑戦状にも窺われるけども、「首尾一貫し過ぎて、かえっておかしい」というような、そういう「リアルな病み方」を体感できるような面白さがある。 このラベ氏の「闇」が理解不能で、それでもそこに人間性のリアルが感じられるというキャラ設定がこの本の中心課題になる。だから、話のオチはつけようもない、といえばそうで、あまり筋道立った結末にはならない。7点をつけにくいのは、そういうところかな。「ベルの死」あたりに近い印象がある。 |
No.1009 | 6点 | 定吉七は丁稚の番号- 東郷隆 | 2022/06/20 14:20 |
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先日「黒の試走車」を書評したわけだが、本作も大阪商工会議所秘密情報部の活躍を描いた企業スパイ小説だ...なんてのは冗談。たまにはバカな作品が読みたくて、本作。
いや実際、007パロディとしては、なかなかイイところをツいている。 三週間後のロンドン。三月はガラガラ蛇のような嫌な天気でやってきた。 → 三週間後の大阪。十一月は養殖鰻のようなぬめぬめとした嫌な天気でやってきた。 要するに、007の小説としてのキモというのは、フレミングが書く気取ってスノッブな文体にある、というのがなかなか、分かっているのである。大阪ネタのお笑いだけ、というわけでもないのだ。この本は「ドクター・不好」「オクトパシー・タコ焼娘」の2本の中編だけども、とくに「ドクター・不好」の最初から2章は、「ドクター・ノオ」の逐語的なパロディになっている個所が多くて、それがいい。ぜひぜひ「ドクター・ノオ」と比較対照しながら読まれることをお勧めする。 007パロディというと「アリゲーター」がパロディをしようとして、結局パステーシュになってしまう体たらくで、本当に難しいものなんだけども、やはりこのフレミングの「スノッブっぷり」は揶揄するよりも真面目にコピーする方のが、ずっと笑えるものなのである。 まあとはいえジャマイカならぬ江ノ島に定吉が赴くあたりから、この逐語的パロディに作者も疲れたようで、プロットのパロディになってしまって、そこらへんが残念。まあ、逐語的パロディって書く方は大変だからね。プロットも原作からは離れて、野生児のハニーは登場せず、殺人伊勢海老飼育係の奈緒美が寝返ってヒロイン(?)不好も鳥の糞に埋もれて死ぬのではなくて、釜茹での釜に落ちて死ぬ(これは映画っぽい)。 でもう一本の「オクトパシー・タコ焼娘」は、単にタイトルからの連想で「オクトパス→たこ焼き」になっただけ。話の内容はほとんど原作の「オクトパシー」には関わらない。だって007短編でも特に地味な作品だしね。なぜかタイガー・ジェット・シンのネタ。 |
No.1008 | 7点 | 影丸極道帖- 角田喜久雄 | 2022/06/19 14:34 |
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将軍家斉の大御所政治も終わり、天保の改革へと幕末に向けて時代が動く世相を背景に、「影の影丸」を名乗る凶盗が逮捕された...しかし、影丸は取り調べの隙をついて逃走してしまう。影丸を追う引退与力の白亭たちは、その養女お小夜の誘拐事件に端を発した、家斉の愛妾お美代の方の一党をめぐる陰謀と、影丸による復讐らしき連続殺人に関わり合うことになっていく。お小夜と影丸との因縁は何なのか? 異常な出世を遂げた酒田左門の秘密とは? そして明らかになる影丸の正体...
評者世代だと、影丸、と言ったら「忍者武芸帳」なんだけども、この影丸もある種の伝説的な怪盗になるわけで、忍者の影丸には及ばなくてもダークヒーローの色合いがある。いやこの小説の仕掛には、そういう「ダークヒーロー」を相対化するような狙いもあるわけで、そこらへんミステリの視点がある作家による時代伝奇小説であることは、間違いない。 まあ、話も長いし、プロットは紆余曲折を極めていて、影丸によるお小夜救出劇などの冒険的な部分も読みどころになるので、本題の「影丸の復讐」に入ってくるまでに経過もある。だから、影丸逃亡の謎などのトリッキーな部分は、種明かしの段なると時間がたち過ぎていて....そういうわけで、いろいろとミステリ的な趣向もあるんだけども、「本格テイストが強い」とか言上げするのは筋違いな気もするんだ。 いやさ、やはり時代伝奇小説というジャンル自体、昭和初期にいろいろと紹介された海外のミステリ・冒険小説の影響を受けて成立した、というのを否定できるわけがないわけで、本作のようなどんでん返しは角田の作品でもいろいろあるわけだしね。まあそれでも影丸の正体とか、けっこう手が込んでいるし、白亭の名探偵っぷりはかっこいい(サバけすぎてるけどね)。 時代伝奇小説も含めた、昭和初期に成立した日本大衆小説の枠組みの中で、実はミステリというジャンルもしっかりと見直すべきなんだと、評者は思っているのだよ。(ちなみに家斉の愛妾のお美代の方が亡くなったのは、明治に入ってからなのが面白い。意外なくらいに近い時代なのである) |
No.1007 | 6点 | クイーン・メリー号襲撃- ジャック・フィニイ | 2022/06/16 21:48 |
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フィニイでミステリ畑、というと「五人対賭博場」「完全脱獄」本作「夜の冒険者たち」ということになるけども、どれもクライム・ストーリー。だけども、つい「クライム/倒叙」よりも「冒険/スリラー/スパイ小説」側に評者はしたくなっちゃう。
最近はあまりきかれなくなった言葉が一つあるんだ、ヒュー。使ったとしてもあまり真面目な口調でじゃない。今では流行遅れで、その言葉を使うときには、ちょっと嘲笑でも浮べなくちゃかっこうがつかない。何という言葉かわかるかい?(中略)それはね、冒険という言葉だ。 いや、冒険! 本作だと第一次世界大戦で自沈したUボートを引き上げて、これを使って豪華客船クイーン・メリー号を「大客船強盗」しようという話。「五人対賭博場」はコンゲームの色合いが強いけども、本作は舞台からして「海洋冒険小説」のカラーが強い。一味は男性5人+紅一点ヒロインだけど、男性5人は全員海軍さんの軍歴の中で潜水艦勤務の経験あり。それを生かしての作戦。主人公はといえば、一味の中でも機関長の役回り。主人公とヒロインを取り合って一時険悪になる艦長役の男は、大学出で中尉だった主人公とは違い、兵隊上がりの叩き上げだったりする。こういう男同士の因縁と確執が冒険小説らしさ...だよねえ。 最後は駆逐艦にどう対処するか?ときっちり冒険小説だし、犯罪を(話の中とは言いながら)肯定するクライム・ノヴェルと、アマチュアリズムが隠し味の冒険小説との間の綱引きみたいなものがあって、 最後は冒険小説が勝つ! という内容。だから冒険小説がいいと思うよ。 |
No.1006 | 8点 | 黒の試走車- 梶山季之 | 2022/06/15 20:34 |
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昭和面白小説なら本作はいかが。
ミステリ系書評だとどうしてもエスピオナージュの変種として、「企業スパイ小説」を取り上げることになるのだけども、改めて読んだ感想としては、社会派ミステリ+経済小説、という読み方をした方がいいんじゃないか?とも思う。 というのも、ミステリを語るうえで「読者論」というのも大変重要なものだと思うからだ。松本清張が王者として君臨したのは、ミステリの読者としてサラリーマン層を獲得したからなんだろう。だったら、サラリーマンの仕事をミステリの主題としてフィーチャーした作品、ということとなると、本作のような経済小説と合体した作品も新しい読者にウケるわけだ。 国家がバックの「スパイ小説」だったら、すでに組織もガジェットも揃った状態で、スパイが活躍するわけだが、本作はライバル会社の攻撃に自衛するために急遽編成された「産業スパイ課」といった組織「タイガー自動車企画PR課」の話。その立ち上げから描くために「手作り」感があって、これが面白い。同期のライバルの死の真相、自社の新作の高級車の「事故」を巡る陰謀と対処、情報漏れをしている個所の点検と対策、裏切り者探しといった「防衛」に関する話題から、積極的な攻勢に出て、ライバル社の戦略や新作のいち早い情報入手....合法から非合法スレスレまで手段を択ばない「スパイ活動」が描かれる。 なので実に盛だくさんな内容。ネタだけで十分におなか一杯。ドラマは面白いというほどでもないし、キャラは類型的。でもデテールの説得力がこの小説のキモであり、最大の存在価値。 評者が読んだ本書は、岩波現代文庫というのも、実にイレギュラーだけども、佐野洋の解説を読むと、昭和高度経済成長期のドキュメント、といった意味合いがあるようだ。 だったらさあ、「総会屋錦城」とか本サイトでやってもいいのかしら? |
No.1005 | 7点 | メグレ夫人と公園の女- ジョルジュ・シムノン | 2022/06/14 12:11 |
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中期メグレって本当に、楽しい。
まずそれが最初に口をつくくらいに、エンタメとして完成された面白さがあって、外さない。メグレ夫人がタイトルにフィーチャーされた本作は、公園でメグレ夫人が知り合った女性に子供を預けられるけども、なかなかその預けた女性が現れなくて、歯科医の治療もキャンセルになとるわメグレの昼食もパーになるわ....ととんだ発端から話が始まり、「死体なき殺人」の投書から始まる事件を捜査するメグレと、メグレ夫人の災難が微妙に交錯してくる話。 中盤メグレ夫人が全然登場しなくなるので、あれ?とはなるのだが、実は実はの女性ならではの活躍をメグレに隠れてしていて、その返礼に捜査真っ最中の土曜日に、メグレは夫人を誘ってお気に入りのアルザスレストランへ、そして映画館へ..これがなかなか洒落たエピソード。しかもそれに近い話が、事件発覚の手がかりになっていたリする。 そして本作の「敵役」になる無節操な弁護士と元風紀警察の私立探偵との駆け引きも、話を複雑にしている....メグレ物のミステリとしての特徴は、こういう何気ない「要素」が、いわゆる「ミステリの伏線」とは全然別のかたちで、小説としてのまとまりを作り出しているあたりだと思う。 メグレ物の後期で「力が落ちた」と感じる原因は、事件の展開だけになってきて、「余計な」楽しい要素が減ってきているためじゃないか...なんて思う。 偶然といえば、偶然。それでもそれが「天の配剤?」なんて思えるのが、シムノンの力量というものなのだろう。 |
No.1004 | 7点 | 死体が空から降ってくる- ジョルジュ・シムノン | 2022/06/11 11:58 |
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「シムノンの数多い短編中でも最も本格探偵小説的な短編集」とわざわざ銘打った非メグレのシリーズ・キャラクター、「チビ医者」ジャン・ドーランの短編集。二分冊で後編が「上靴にほれた男」になる。都筑道夫が力を入れて紹介するんだけども、日本の「本格の鬼」のマニアの間ではウケが悪くて困る....こんな状況なので、「じゃあ、シムノンでもパズラーっぽい作品ならいいんだろう!」という狙いのようである。実際、本作の紹介のあとは映画がらみがないと、ハヤカワのシムノン紹介が途絶えてしまう...
だから、一応パズラー風味がある作品。でも、読みどころは「チビ医者」という素人探偵が、自分の意外な探偵の才能に気がついて、それをサイドビジネスみたいに生かしたくて、事件に首を突っ込んでいくプロセスの面白味。そんな自意識とヘンなプライドを満たすような成功もあるし、またそれを逆に取られて失敗する話、あるいは解決できるのだけどもそれによってチビ医者が反省することになるような話...いやいやなかなか奥深い。 だから、本作はパズラー風味とはいえ、その「パズラー」の扱いに込められた、シムノンの余裕とヒネった狙いを楽しむ短編集だと思う。 まあ、この本は前半。ということは、まさにチビ医者が自分の意外な「探偵の才」に気がついて、いろいろ試行錯誤するあたり。「上靴にほれた男」じゃ最後は大捜査線の指揮をまかされて「アマチュア探偵の本懐」を遂げるわけだが、本作の失敗も成功もそれぞれに、チビ医者が浮かれたり落ち込んだり、それが楽しい。一番イイ意味で「アマチュア探偵」の面白さを楽しめる。 ミステリ自体としては、新婚夫婦の不和の原因を調査する「十二月一日の夫婦」がリアルでありそうな陰謀で面白い。あと表題作の「死体が空から降ってくる」の田舎地主との駆け引きと、殺人事件の意外な真相。 |
No.1003 | 4点 | 夢の10セント銀貨- ジャック・フィニイ | 2022/06/09 08:46 |
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「ゲイルズバーグの春を愛す」収録の「コイン・コレクション」を長編化した多元世界ネタのファンタジー。なんだけども、評者とかアメリカ人に対して一番「...ノレない」と感じるような要素が全開。なので低評価とします。フィニイらしい語り口の話で、短編の「コイン・コレクション」はそういう「イヤなアメリカン」要素抑え目で悪くはなかったのだが。
うだつの上がらないサラリーマンのベンは、妻のヘティとの関係もこじれだしていた...ある日、ポケットにまぎれこんだ「ウッドロー・ウィルソンの肖像の10セント銀貨」をニューススタンドで使ったことで、並行世界にフリップしてしまう。そちらの世界ではベンは大立者のビジネスマン。知り合いながら結婚し損ねたテシーと結婚していた。しかし幼馴染のカスターと結婚しているヘティの姿を見て、ヘティへの恋心が再燃。元の世界に戻るが、ベンに呆れたヘティは別居→離婚から、やはりカスターと婚約していた! 両方の世界でヘティを喪うベンは事態打開のために奮闘するが.... こんな話なんだけども、ヘティに執着するベンがガチのストーカー気質で、アメリカン・ジョーク風のアプローチがマジうざい。こんなにシツコくしたら、絶対嫌われるよ...と思うんだが、ここらは彼我の差、時代の差というものだろうか。大金を用意しなければいけなくなったベンは、元の世界で常識になっている発明で、並行世界で知られていないものを自分が発明したフリをして持ってくるのだが、これが全然、ウケない。そんな安易な手段で金儲けしようという根性が評者は許せんよ(苦笑) 最後のトライアルが凄くバカっぽいのが読みどころ? うん、「アメリカ人ってわけわからん!」というのが評者の正直な感想。たとえばブラッドベリにもこういう「イヤなアメリカ人」の体臭を嗅ぐことがあるけどもね。 |
No.1002 | 7点 | ビッグ・ボウの殺人- イズレイル・ザングウィル | 2022/06/08 09:50 |
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このところのクラシック・シリーズの最後は、密室長編の嚆矢で〆よう。
本作の凄いところは、実は年代である。1891年に新聞連載された作品だから、要するに「シャーロック・ホームズの冒険」の連載と同じ時期だったりするのだ。だから「ホームズの影響」がある作品なのか?というのがポイントなんだけども、これが「ない」と見るのが実情なんだと思う。 語り口はチェスタートンをコミカルにした雰囲気。確かにアングロ・カトリシズムをベースにした「マイノリティ文学」のチェスタートンと同様に、ザングウィルのバックグラウンドはユダヤ人ゲットーであり、「イギリス社会のマイノリティ」としての社会批判の切り口がなかなか冴えている。作中の追悼集会(老グラッドストンまで参加!)での労働運動活動家逮捕が暴動になるあたりでも、たとえば1887年のトラファルガー広場での「血の日曜日」事件などが反映しているんだろうね。 とはいえ、筆致は深刻ではなくて、ユーモアを湛えつつも、辛辣な観察が覗くというタイプのもの。「ゲットーのディケンズ」という評価がこの人にはあったようだ。靴直しのクラウルの、愛すべきキャラであっても浅薄な知識を振り回して周囲を辟易させるが、インテリの詩人だけがそれにマウントされちゃう...といった造形のうまさを見れば、ディケンズになぞらえられるのも納得。 ミステリとしては、やはりこれが「探偵競争モノ」だ、というあたりを指摘すべきだと思う。一般的な「長編探偵小説のフォーマット」として1920年代くらいまではこれが存在していたようにも見受けられる。このところ「奇岩城」「黄色い部屋」と取り上げたクラシックがすべて「探偵競争」を軸にプロットが動いているわけだ。この終点がたぶん「ローマ帽子」とか「髑髏城」になるんだろうけどもね。しかし、ホームズは絶対的なヒーローであるからこそ、ドイルには「探偵競争」はありえないわけで、ヒーロー小説としての「ホームズライヴァル」とは別な流れを「探偵競争モノ」に求める観点もあるのではないのだろうか。 密室トリック自体のフィージビリティに疑問を持つ向きがあるのは、当然と言えばそうだが、殺害方法をたとえばアイスピックで延髄を一撃!でも成立する話なので、それに難を付ける必要もないだろう。 「アリバイって、なあに?ビー玉遊び?」 (アリバイの説明...) 「ああ、ずる休みのことか」 今の我々からは「ナイーブ」にしか見えないものも、実は複雑な来歴を備えているものなのである。 |
No.1001 | 6点 | 世界短編傑作集1- アンソロジー(国内編集者) | 2022/06/08 08:40 |
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乱歩編で昔からある5巻のアンソロの1巻目。乱歩の時代にもすでにクラシック扱いになるドイル以前&同世代作家のウェイトが高い巻。
「名探偵」確立以前と確立期のバラエティ、と見るのがいいと思う。考えてみれば、なぜ「理性による推論」で事件が解決するか?というミステリ成立の根幹部分での試行錯誤がなされている巻だ、と見ると面白い。コリンズの「人を呪わば」もチェホフの「安全マッチ」でも、インテリの理論的推論がハズレであり、ベテランの経験知が正解、という体裁をとる。これが本来の犯罪小説のフォーマットだったのを、ポオが力業でひっくり返し、ドイルがそれをヒーロー小説化した...こういうショックがミステリというジャンルの原動力になったのではないのだろうか? だから「ホームズのライヴァル」世代のヒューイットもヴァン・ドーゼンも「ホームズというショック」という「現象」を証言するだけの、形骸だけのB級ヒーローのような気がしてならない。それでもダークヒーロー寄りで推理機械ではない「隅の老人」は独自ポジションなんだけどもね... そういう意味では、ホームズ以前の最良の「探偵」小説のモデルに、「医師とその妻と時計」がなるようにも感じられる。浮ついた印象のホームズのライヴァルではなくて、こういうリアルでしっとりした話としての「探偵」小説..シムノン風家庭悲劇、というようにも見えるのだが。 そして「放心家組合」(「健忘症組合」の方が今は適切だろうね)は、リアル・タイプの探偵であるヴァルモンが、鋭いあたりを見せながらも裏をかかれる話。いやだって、今でも「リボ払い」ってあるじゃない?「名探偵(理性)の失敗」というコリンズやチェホフのテーマは、ホームズ以降でもけして失効したわけではない。 |
No.1000 | 10点 | 黄色い部屋の謎- ガストン・ルルー | 2022/06/03 16:15 |
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評者前から言っているように、密室モノって嫌いなんだ。密室の興味だけで読者を釣ろう、という作者の思惑が鼻につくケースが多いんだよね。しかも、「密室の作り方」というのは別解がいくらでもあるようなものの場合も多い。下手な密室物というのは作者の自己満足でしかないよ...とも注文を付けたくもなる。
本作は「長編密室物」の元祖のひとつに当たる。本作のキモというのは、「密室なんだけども、密室ではない可能性を否定できない」余地を最後までしっかり残してあるあたり。これに強い感銘を受けている。スタンガースン博士が一人になったときに、犯人の脱出を黙認した、という解釈が最後まで可能なのである。スタンガースン嬢と博士、婚約者ダルザック博士の黙秘っぷりが、そういう解釈を覆い隠すミスディレクションにもなっている....そう読むと、なかなか「モダン」な作品なのである。 いや、おっさんさまが「改装」を待つまでもなくて、本作こそが「モダン・ディテクティヴ」ではないか、というご指摘をなさっているのに完全に同意。本作ほど完璧な密室はないし、しかもそれが「当然な推理」によって解き明かされる。これを「バカミス」扱いにするのは、やはりマニアがマニアの常識にとらわれ過ぎた結果のようにも感じられる。今となってはまさに「マニアの裏をかく」ような「完璧な密室」なのである! これに腹を立てるのは...いや腹を立てる方が、悪いと思う。 もちろん廊下の犯人消失は、犯人のミスに起因するイチかバチかの追い詰められた末のギャンブルで説明されるわけで、これを模倣した乱歩通俗物の味わいとは全く別。それでもさらにこれを再現した森番殺しは不要だな.... いや、区切りになる作品が、これほどの傑作で良かったと、本当に感じます。これほど評者の嗜好に合う作品とは、思ってもいませんでした。あと、ステッキの件ナイスな推理だと思う....まったく忘れてたネタだけど、評者も気が付いた。 でルールタビーユ君、ハッタリの効いた駆け引きや、韜晦のキツさで、クラシックな「名探偵」らしさを存分に味わうことができる。ハッタリ的透視力は法水麟太郎顔負け。でも、パイプは吸うは酒は飲むわ、「天守楼」の女将にキワドいジョークを言って揶揄うとか、とってもじゃないけど18歳に見えんよ(苦笑)。でも、アメリカ行きの装束でホームズ・リスペクトしているのが、なんか素敵。 |
No.999 | 7点 | 奇岩城- モーリス・ルブラン | 2022/05/29 09:38 |
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本作ってミステリマニアが読んじゃいけない本だと思うよ(苦笑)でも、意外になくらいに「黄色い部屋」に張り合う要素が見えて、ミステリ史、という面だと興味深いところが、とくに前半にある。
「黄色い部屋」は本当に密室だったけども、前半の話でもやはりルパンは脱出不可能、という設定があるわけで、今の「密室」の概念からすれば密室でも何でもないわけだが、おそらくルルーを意識したんだろう...もちろん、少年探偵と探偵合戦趣向とか、影響と見るべき趣向が数多い。2年後、だからね。 まあとはいえ、この前半のミステリ趣向はそれほど面白い、というほどでもない。やはり、ダミーの「針の城」潜入から、暗号を解いて真打の「空洞の針」へ..のロマンティックな冒険小説のテイストの方がずっと、いい。やはりエトルタ海岸に実在する針の岩やらアヴァルの断崖やらアーチやら、そういう絶景をイメージすればやはり「心躍る」というものではないのだろうか? しかも、それが少年探偵ボートルレの視点で徐々に暗号を解きながら、奇岩とシーザーからルイ14世へと至る「フランスの秘密」を絡めつつ...それを実は見守るルパンの父性、といった視線。それに悲恋。いやいや、ロマンってこういうものでしょう? 実際、怪人二十面相と小林少年...といった「怪しい」方の興味もあるしね。評者はごちそう様。 心を広く持って楽しもうよ。 (ちなみに読んだのはハヤカワ文庫の新訳。実に読みやすい) |
No.998 | 6点 | 恐怖省- グレアム・グリーン | 2022/05/25 17:39 |
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グリーンのエンターテイメントって何冊あるんだっけ。本作は枠組みは完璧に「巻き込まれ型スパイ」で、慈善市の占い小屋で偶然合い言葉を口にしたばっかりに、盗撮された極秘フィルム入りのケーキをゲットしてしまった男の話....だったら、それこそヒッチコックにありそうだ(まあ、映画はフリッツ・ラングだけどもね)
でもね、たとえば Wikipedia なんかで映画のあらすじを確認すると、一体同じ作品なんだろうか?なんて思う。主人公は重病の妻の苦しみに耐えられずにそれを毒殺したことで逮捕され、裁判の結果精神病院に入れられて出てきた男で、心理の描写がかなり不安定。さらに中盤に記憶喪失になることもあって、「信頼できない語り手」風のところがある。だから、小説は読んでいて主人公の曖昧な主観の中をさまよい歩くような印象がある。 まあ、エスピオナージュ、ってもの自体が、かなり妄想がかったニュアンスを捨てきれないものでもあるわけでもある。小説としては脈絡のないエピソードも入っていたりして、デテールの妙に神経にサワる描写が目立つから、エンタメらしい明快さがないことでは、「密使」やら「拳銃売ります」以上に、ブンガク寄りともいえるだろう。 それでも、空襲下のロンドン、というこれ以上もないくらいに死と隣り合わせの「悲惨なリアル」の舞台なのである。「そう言うと、スリラーみたいでしょ? ところが、スリラーの方が現実に近いんです。」グリーンがスパイ小説に手を染めた理由は、エンタメであるスパイ小説の非情さというものが、すでに現実の非情さに追い越されているというシビアで絶望的な認識にあるのだ。スパイ小説はだから、あくまでも「現実の非情」の後追いに過ぎないことを苦々しく認めざるを得ない。だからこそ、フィクションという形式が、どうやったら「現実の非情」の中に人間性を見出すことができるのか? そういう問題設定からは、フィクションであることも、リアルであることも双方があらかじめ禁じられた「語り口」を見出さなくてはならないのだろう。前科からエアポケットに落ち込んだように「現実から(そして物語から)疎外されている」主人公の姿、戦争からも疎外された主人公が妄想的なスパイの悪夢をさまよったあげく、終盤に「愛ゆえに」自らエスピオナージュであることを選択するような、そういうヒネクレた小説になっているのだと思う。 最終的には主人公は自ら「恐怖省」に身を投じたようなものであろう。「愛を知るものは恐怖を知る」。グリーンは、愛と恐怖は一体のものだと宣言するのである。 (でもね、「恐怖省」=「愛情省」って1984年だと....オーウェル、ひょっとして?) |
No.997 | 6点 | 若者よ、きみは死ぬ- ジョーン・フレミング | 2022/05/22 09:00 |
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評者は日本のミステリ・ファンの通例とはズレていて、CWA受賞作との相性が妙に、いい。ディキンスンとかデヴィッドスンとか大好き。ジョーン・フレミングというとゴールドダガーを2回受賞した作家....でもね、日本での知名度は皆無に近い。訳書はゴールドダガー受賞の本作と、昔の創元クライムクラブで「乙女の祈り」が出ただけ。ゴールドダガー受賞のもう1冊「When I grow rich」は未訳。このギャップの凄まじさと、タイトルの良さで、読んでみたかった作品。
原題の方がさらに痛烈。"Young Man, I think You're Dying"。物語に登場する女占い師のお託宣である。未来を述べているよりも、「今死につつある」わけだから、「お前はもう死んでいる!」にニュアンスが近い。で、内容は実はこれも評者LOVEなジョン・ビンガムの「第三の皮膚」に似た話。 ピザ屋の店員ジョーには幼馴染のスレッジという友人がいるが、このスレッジ、若くして犯罪の道に足を踏み入れた不良青年である。秘密犯罪倶楽部、といった名目でジョーたちに自分の犯罪の片棒を担がせる、トンでもない奴だったが、ジョーも平凡な日常からひととき脱出するような冒険心と腐れ縁から、危険なスレッジとの付き合いを拒めなかった...果たしてジョーが運転手を務めた空き巣狙いで、スレッジは老婦人を殺してしまった! その晩、ジョーは自分の団地の屋上で、家出少女とであう。実はその少女フランシスは、スレッジにナンパされたのを振った因縁があった....フランシスを親の家にかくまうジョーと、ジョーの告白を聞いて困惑するジョーの両親、それにジョーの勤務先のピザ屋の店主サイラスが絡み、事態は意外な方向に転がっていく... 本作の面白味、というのは登場人物がすべて奇矯なこと。この話から想像されるような類型的なキャラクターではない。キャラ造形がオーソドックスな「第三の皮膚」と比較したら、かなりヘンテコな小説でもある。スレッジは人殺しを何とも思わないような凶悪な男だが、自己顕示欲と自惚れが強すぎて、小物臭というか何とも言えないイヤさとリアリティがある。でも特にフランシスとの関係では妙な軽率さみたいなものが出てしまい、フランシスに振り回される。家出娘のフランシスはといえば、世間知らずにも程があり、やることなすこと、どうもピント外れ。自ら危険を招いているにもかかわらず、それがなぜか身を守っている、という皮肉さ。そのフランシスに本当に惚れるのがジョーではなくて、その雇い主のサイラス。でもサイラスが恋心から事件が介入しようとしても、何も実を結ばない。 まあそれでも、ジョーとスレッジが育った高島平みたいな公団団地に特有な薄めの人間関係が背景にあって、そこらへんの面白味があったりする。 というわけで、歯車が全然かみ合わないヘンテコさを愉しむ、というやたらと高度なことを読者に要求する作品。イギリスのエンタメの底の深さ(というか業の深さか)を感じるといえばその通りなのだが、日本じゃウケるわけがない。 |
No.996 | 9点 | ゲイルズバーグの春を愛す- ジャック・フィニイ | 2022/05/22 07:19 |
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なぜか初読。「五人対賭博場」は大好きなんだけど読み忘れていた。センチメンタルが恥ずかしかったのかな(意識し過ぎが今は逆に恥ずかしい)。
言うまでもなく「失われた過去へのあこがれ」がテーマの名作短編集。そのテーマをいろいろ10本の短編で変奏していくわけだが、テーマとカラーが共通しながらも、手法が全部違うのが素晴らしい。ジャンルとしてはSFとファンタジーの間を揺れているけども、ミステリぽく仕掛けたり、ホラーっぽく仕掛けたり、あるいは超常現象皆無だったり恋愛小説だったり、切り口の多彩さにヤられる。まさに「過去へのあこがれ」テーマの性格変奏曲の部類で、短編ごとに驚かされる。 本当に胸を締め付けられるような話もいくつか。処刑を待つ死刑囚が独房の壁に描く絵の話の「独房ファンタジア」や、気球に乗って夜の街を既婚者同士で「アヴァンチュール」する「大胆不敵な気球乗り」、時を隔てて相まみえることない「恋愛」の話の「愛の手紙」....いやいや、泣けるよ。本当にね。永遠の青春と恋の話が連続する。 で、ちょっと気になったので、調べたが、フィニイという人は結構遅咲きだ。1911年生まれだから、EQMMに入選してデビューしたのが36歳、処女長編の「五人対賭博場」が42歳、この短編集は1952年~62年に雑誌に載ったものなので、ほぼ40代の作者が書いた作品になる。成熟の腕前を強く感じる一方、若い主人公が過去に執着するテーマにと、もの狂おしい恋心...実のところ、「青春のさなかの戸惑い」というよりも「失われた青春へのレクイエム」という方が評者はピッタリにも感じる。 としてみると、評者がこの短編集を若い時に「読み損ねて」、初老のいま初めて読むのは、本書を味わうのに「よいこと」だったようにも感じるのだ。世に出損ねた小説家のツケを批評家が支払うハメになる幽霊譚の「おい、こっちを向け!」のオチが身に染みる(泣笑)。評者もどうやら「青春の当事者」というよりも「ただの批評家」だったようだ。 |
No.995 | 5点 | メグレとワイン商- ジョルジュ・シムノン | 2022/05/18 18:51 |
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おや予想とは全然違ってた。前作「録音マニア」の後半のネタをもっと整合性良く作り直したんだなあ.....作品としてはヘンテコな「録音マニア」よりも、普通に作品になっているけどもね。
評者がへそ曲がりなせいかもしれないが、意外性とか逆になくなってしまう分、作品的な魅力が薄いようにも感じる。「シムノンの思い」がストレートに出過ぎている? この被害者、シムノンの通例で、大衆向け安ワインを売る商売に成功し成り上がった男なんだけども、周囲に対する支配欲が強すぎる性格的な欠点がある。で、周囲の女性にはお約束のように手を付ける...いやいやシムノン自身の罪滅ぼしか何かなのかしらん? だから、犯人の告白に宗教者めいた父性で耳を傾けるメグレも、シムノンの「心の中の理想像のキャラ」みたいに見えてしまって、評者はシラける部分の方が強かったなあ...ごめん本作については、評者はイイ読者じゃない。 読みどころはメグレの風邪ひき、くらい。雪さんのご教示によると、パルドン医師は前作「録音マニア」が最後の登場だそうで、本作は名前しか出ない。メグレ自身が意固地なくらいにパルドンの診察を受けるのを渋る。 変調を感じる。シムノン老いたり? |
No.994 | 5点 | メグレと録音マニア- ジョルジュ・シムノン | 2022/05/18 08:33 |
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読む前には「1969年に録音マニアというと...」でオープンリールのデンスケなんだろうか?なんて憶測していたんだけど、商品化も間もないカセットテープレコーダーで正しいようだ。持ち主というか被害者はブルジョア家庭の育ちのソルボンヌの学生。まさに時代の最先端行ってたわけだ。このお坊ちゃん、怪しげなカフェに出入りして「音による社会のドキュメント」というテーマで、会話を録音する趣味があった...この録音に殺害の動機があるのでは?
うん、こんな話。確かに謀議を録音された美術品窃盗グループも絡むんだけどもね。被害者の学生はブルジョア家庭に育ったのが負い目になっていて、こんな趣味を通じてコンプレックスを晴らそうとするわけだ。 実は殺害の犯人にも別なコンプレックスというか衝動もあって微妙に重なる、といえばそうかもしれないのだけども、ちょっとまあ、そんな読みは無理筋か。シムノンの興味と狙いが途中で変わっちゃったような印象の方が強くて、話がバラバラ、と批判すればまあその通り。言い訳しようがない。 それでも真犯人を「あやす」ようなメグレの対応がそれなりに面白い。 どうやら自作の「メグレとワイン商」が同じような話だそうだ。連続して読もうとしっかり準備してある。としてみると、本作で当初の予定から脱線してしまったのを、もう一度本来のプランでやり直そう、という狙いなのかなあ。 実際「メグレたてつく」と「メグレと宝石泥棒」の関係もそんなニュアンスを感じるからね。確認してみよう。 (ごめん上記予想は外れ。どうでもいい話。学生の頃の親友の趣味がこれ。オープンリールのデッキを担いで生録。サンパチツートラなんて呪文を憶えたよ) |
No.993 | 7点 | 世界スパイ小説傑作選1- アンソロジー(国内編集者) | 2022/05/17 08:05 |
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「ダブル・スパイ」「霧の中」とこのところの評者の追跡対象の R.H.デイヴィスの邦訳最後の短編を収録したアンソロをゲット。この短編集に「フランスのどこかで」が入っている。
講談社文庫のこのアンソロ(1978)は、丸谷才一編で3巻出たものの第一弾。表に出ている名前と序文が丸谷才一だけども、常盤新平が全面協力で文庫解説も常盤、なので事実上、丸谷と常盤の共編、と見た方がよくて、「翻訳作品集成」でもそんな風に書かれている。 とはいえ収録作は他で読めるものも多い。スパイ小説は長編が主体だから、アンソロは長編の一部を短編扱いにして...とか編集を工夫する必要がある。 ・モーム「売国奴」 例によって「アシェンデン」のエピソード。 ・ビアス「悟れる男パーカー・アダスン」 南北戦争で捕虜となった「哲人にして才人だった」スパイと、南軍将軍との会話の妙。 ・アンブラー「影の軍団」 第二次大戦開戦前夜のドイツのレジスタンス活動に「飛び入り」したイギリス人外科医の体験。「情報活動の経験が皆無のアンブラーのスパイ小説の特徴は、細部に至るまで正確であることだ」まさにその通りだし、それが一種の「アンチ・スパイ小説」になる面白さよ。 ・ウォーレス「コード ナンバー2」 SFっぽい発想でのガジェットの面白味と、意外な通信手段。マンガっぽいといえばその通り。 ・ホイートリイ「エスピオナージュ」 「黒魔団」の作者で評者はご贔屓。この人もスパイ活動歴があって、イアン・フレミングの上司だった。遊び人風のスパイ像が007っぽい。 ・スティーヴンソン「りんごの樽」 「宝島」の一部。ジム少年がリンゴの樽に入って、シルヴァーの企みを盗み聞きするエピソード。 ・チェスタートン「めだたないノッポ」 「ポンド氏の逆説」所収。チェスタートンらしい幻想譚風の話。 ・デイヴィス「フランスのどこかで」 職業的な女スパイ、マリー・ゲスラーの一代記、といった体裁の話。女性でもオトコを手玉に取れる「職業」なのがスパイだったりする面白さ。マリーが「スパイ」という職業が「天職」であるあたりが、この短編のリアリティと迫力になっている。 ・ドイル「ブルース・パティントン設計図」 言わずと知れた有名作。 ・リーコック「あるスパイの暴露」 パロディで〆。 まあだから、他で読める作品がやたらと多いのは「お買い損」だけども、この本でしか読めない作品が出来がいい。やはりリチャード・ハーディング・デイヴィス、驚くほどの実力がある。日本でも埋もれているようで埋もれていない作家だし、英語版 Wikipedia とか見ると 1920年代までは映画の原作に多数採用されている人気作家だったことは間違いない。「リアル・スパイ」の元祖になる作家である。まさに「スパイ小説のオーパーツ」! |