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灰色の部屋
イーデン・フィルポッツ 出版月: 1977年06月 平均: 6.00点 書評数: 2件

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東京創元社
1977年06月

東京創元社
1977年06月

No.2 7点 弾十六 2022/08/11 21:37
1921年出版。創元推理文庫(1977年6月初版)で読了。橋本さんの翻訳は上質で安心です。
実にサスペンス充分なストーリー展開。特に第六章までの流れが素晴らしい!
この先どうするの?と着地点が心配でしたが… 結末に至るストーリー展開を事前に知ってしまうのは、この作品にとって全く本望ではなかろうと思うので、厳重な情報遮断が吉です。本書のジャンル分けすらも知らない方が良い。作者もそういう風に読んでもらいたかったのでは?
現代では時代遅れと思われるネタに関する議論風の物言いが多いので、ちょっと疲れますが(私のように当時の空気感を知りたいヒトには非常に興味深い)、まあそこは我慢していただいて、フィルポッツさんの文章のいろんな欠点、①会話ベタ(大抵の場合、遊びが無くて窮屈)、②地の文でざっくりとまとめちゃうので小説的ふくらみが少ない、③ときどき出てくる先回り文(この後恐ろしいことが起こるなど知る由もなかった、という感じで少し先の事を予め書いちゃう)なども相変わらずですが、でもそんな作風もこの作品をコンパクトにしてくれていて、本作ではあまり欠点とはなっていないような気がします。
最後のほうでフィレンツェが舞台になるので、BGMにはイタリア・バロックの声楽(Giovanni Paolo Cima “Concerti Ecclesiastici”(1610) 原盤Dynamic)をかけたら、なんか非常に良い雰囲気でした。後で調べたらCimaはミラノの人。フィレンツェ人ならカッチーニの方が良かったかなあ。
以下トリビア。原文はGutenbergやWikisourceで簡単に入手出来ます。基本的にGutenbergを参照しました。
(2022-8-13追記) 作中現在が絞り込めた。まず英国狩猟シーズンの獲物の種類(p18)から10月〜1月。p187の記述から1920年10月以降。p260の日付の少なくとも2か月以上前。あとは作中の雰囲気から受ける印象では、あまり寒そうな感じではないので11月か12月上旬じゃないかなあ。その辺りの新月(p8)に近い日曜日(p60)を探すと1920年12月10日(金)が新月。という事で作中現在は1920年12月11日(土)が冒頭シーンだと思われる。Web「月齢カレンダー」koyomi8.comが便利でした。(2022-8-14追記: 12月のNewton Abbot(p89)の平均気温は最高10℃、最低4℃。天体シミュレーションStellariumで1920年12月16日Newton Abbotでのオリオン座の位置(p204)を確かめると4時57分ごろに西の地平瀬に沈みはじめ、ベテルギウスが完全に見えなくなるのは6時59分、本書の記述と一致すると言って良いだろう。なお月は前日22時17分に既に没している。念のため11月と1月の新月の頃のオリオン座の位置を試してみたが、本書の記述と全く合わなかった。QED)
英国消費者物価指数基準1920/2022(49.68倍)で£1=8049円。
p8 鎌のような形の新月(the sickle of a new moon)
p8 狩猟に出かけていた者たち(guns)◆英国のgunsは米国のhuntersと同意。
p11 黒点つきの白玉(the spot ball)◆ Historically, the second cue ball was white with red or black spots to differentiate it (Wiki “Carom billiards“)
p13 ハロー私立大学予備校(Harrow)
p13 全国私立大学予備校のヘヴィ級拳闘選手権(the heavy-weight championship of the public schools)
p13 当時大流行だった詩作病(the epidemic of poetry-making)
p17 百点勝負(a hundred up)
p17 雑用役をした(fagged)◆「訳注 パブリック・スクールの習慣で下級生が上級生の雑用をする」
p17 山奥育ちの人間(backwoodsman)
p18 ヤマウズラ… 兎… 雉子(partridges, a hare… pheasants)◆英Wiki “Hunting and shooting in the United Kingdom”によると、この獲物から狩猟時期はOctober 1からFebruary 1まで。(2022-8-13追記)
p21 自尊心のない(without pride)
p22 降神術(Spiritualism)
p23 リューシテイニア号(Lusitania)
p27 『フォレスター看護婦』(Nurse Forrester)と呼んでほしい◆その前のところでメアリが”Nurse Mary”と呼ばれていた描写がある。普通は名前呼びだったのかも。
p36 二十年前にわしが自家発電所を設けた… 親父は… 電灯が大きらいで、あんなものは眼を老化させると(when I started my own plant twenty years ago. My father … disliked it exceedingly, and believed it aged the eyes)
p37 プラクシテレス作の半人半獣像(the Faun of Praxiteles)◆英Wiki “Resting Satyr”参照。
p38 千ギニ(a thousand guineas)◆やはり骨董品の値段はギニ単位のようだ。
p42 生気説(the theory of vitalism)
p46 銅貨(a coin)◆銅貨などの形容はこの後にもなかった。当時のPenny銅貨(直径31mm)かHalf Crown銀貨(直径32mm)あたりがちょうど良い大きさに感じる。暗がりの勝負なので銀貨を推したいところ。
p47 軍隊用の拳銃(service revolver)◆英国なのでWebley一択。
p54 不沈艦(インドミタブル)(Indomitable)◆ HMS Indomitable was one of three Invincible-class battlecruisers built for the Royal Navy before World War I and had an active career during the war。就役1907-1919。
p60 日曜日
p64 プロレタリアート◆ここら辺は当時の保守階層の感覚なのだろう。
p64 朝食のしらせのゴング(the gong sounded for breakfast)
p71 幻想的な屈辱感(fancied affronts)◆訳語は「想像にすぎない屈辱感」が適当か。ここら辺のビターな洞察がフィルポッツさんの真骨頂だと思う。
p73 日曜日には利用できる乗物がなかった(no facilities existed on Sunday)
p75 黒のネクタイをし、黒の手袋を…(put on a black tie and wore black gloves)◆ここらあたり数ページの人物スケッチは非常に良い。
p77 ネルソン◆ Horatio Nelson(1758-1805)はサン・ビセンテ岬の海戦(1797)で上官の命令に従わず大勝利のきっかけを作った。
p80 もはや海はなくならん(there will be no more sea)◆黙示録21:1(KJV) And I saw a new heaven and a new earth: for the first heaven and the first earth were passed away; and there was no more sea. (文語訳)我また新しき天と新しき地とを見たり。これ前の天と前の地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。
p82 手紙より電報のほうが
p89 法医学の政府機関(State authorities on forensic medicine)
p89 ニュートン・アボット(Newton Abott)◆南デヴォンの町。チャドランズ屋敷に一番近いようだ。
p95 市場が開かれる町からなら、日曜日でも営業しているタクシーが呼べる(the Sunday service from the neighboring market)
p98 三文新聞(halfpenny papers)
p101 私立探偵になっていたら(acting independently)
p102 葬儀社(the undertaker)
p108 検死審問… めったに聞いたこともないような評決(The coroner's jury brought in a verdict rarely heard)
p112 海軍葬… 砲車を引いて来て… 葬送の一斉射撃(the naval funeral… drawn the gun-carriage fired)
p130 『この家に平和あれ』(Peace be to this house)◆ルカ伝10:5(KJV) And into whatsoever house ye enter, first say, Peace be to this house. (文語訳) 孰の家に入るとも、先づ平安この家にあれと言へ。
p137 魔法条例(Witchcraft Act)◆ The Witchcraft Act 1735 (9 Geo. 2 c. 5) 英国の法律。1951年廃止。
p145 通常2時に昼食をとる(at two we usually take luncheon)
p149 暗黒の力(the powers of darkness)
p150 水晶占い者… 霊媒者… 易者など… あの連中は今のところ稀にみる収入をあげている(crystal gazers, mediums, fortune tellers, and the rest. They are reaping a rare harvest for the moment)◆原因は戦争のため(direct result of the war)と述べている。
p150 第二軽罪犯人として六カ月ぶちこんでやる(get six months in the second division)
p162 ブロマイド(bromide)◆ Potassium bromideのことらしい。20世紀の初めまで鎮静剤として使用されていた。
p169 席を外してもらえないか◆この配慮には感心した。p172参照。
p171 わがなすこと、今は汝らは知るよしもなし(What I do thou knowest not now) ◆ヨハネ伝13:7(KJV) Jesus answered and said unto him, What I do thou knowest not now; but thou shalt know hereafter (文語訳) イエス答へて言ひ給ふ『わが爲すことを汝いまは知らず、後に悟るべし』
p176 その夜の嵐は… イングランド南部に大きな被害をもたらした有名な暴風雨だった(It was a famous tempest, that punished the South of England from Land's End to the North Foreland)◆英国の暴風雨記録を1918-1921の範囲で探したが、該当は1920年5月の中部リンカーンシャーLouthに洪水をもたらしたものだけのようだ。ここの記述は架空?
p186 オリヴァ・ロッジ卿(Sir Oliver Lodge)◆1851-1940、英国の世界的物理学者。降霊術の擁護者。末の息子Raymondを第一次大戦で失い、霊媒を通じてその息子から聞いた死後の世界を記したRaymond or Life and Death (1916)はベストセラーとなった。(2022-8-13追記)
p187 去年の十月の出来事や批判… マンチェスターの地方執事… ステイントン・モージズ… (incidents and criticisms of last October... the Dean of Manchester… Stainton Moses) ◆当時のDean of Manchesterは James Welldon(就任1906-1918)又はWilliam Swayne(就任1918-1920)、William Stainton Moses(1839-1892)は英国の霊媒師。(2022-8-13追記: spiritualismとDean of Manchesterが出てくる記事を見つけた。“CHURCH TO INVESTIGATE SPIRITUALISM.” 13 January 1920 GISBORNE TIMES ニュージーランドの新聞だが、国教会のニュースなので関心があったのだろう。要約すると、ライチェスターのChurch Congressにおいて、初めて心霊主義(spiritualism)が議題に上り、もう国教会としても無視できない時期に来ている、との意見がSwayne(マンチェスターDean)などからあり、今年のLambeth Palace Conferenceで議題に取り上げる、とArchbishop of Canterburyが宣言した、というもの。そのConferenceについてはWiki “Lambeth Conference”に記載があり、1920年は第6回目の開催。252人のbishopが出席し、Rejected Christian Science, spiritualism, and theosophyとの結論に至ったようだ。別の記録によるとこの大会は7月5日から8月7日までの開催とある。とすると本書で「last October」(この前の十月、としたいですね)と言っているのはまた別の出来事なのだろうか。いずれにせよ、このランベス会議の結果を受けていることは間違いなさそうだ。Lambeth Conference(1920)はYouTubeにも2分ほどの動画があるので興味ある方は是非)
p187 レーモンド(Raymond)◆上述のオリヴァ・ロッジ卿の息子のこと。(2022-8-13追記)
p191 エンドーの魔女たち(the Witch of Endor)◆サムエル前書28:7に登場する。(KJV) Then said Saul unto his servants, Seek me a woman that hath a familiar spirit, that I may go to her, and enquire of her. And his servants said to him, Behold, there is a woman that hath a familiar spirit at Endor. (文語訳) サウル僕等にいひけるは口寄の婦を求めよわれそのところにゆきてこれに尋ねんと僕等かれにいひけるは視よエンドルに口寄の婦あり
p197 五ポンド賭けてもいい(bet… an even flyer)◆wikisourceでは“fiver”になっていた。Gutenbergは誤植と思われる。
p198 ベレー帽… 白衣(サープリス)… 肩からストラを下げて(donned biretta, surplice, and stole)◆ここはwikisourceでは“baretta”
p202 蒸気脱穀機(a steam-threshing machine)
p203 警報解除(All's clear)
p204 猟師(Hunter)◆「訳注 月のこと」辞書には「オリオン座」とあるのだが。Hunter’s Moon(米国の言い方らしい)を誤解したのかも。(2022-8-14追記: 地の文で曜日は記されていないが、推移を読み取って曜日で示すとp106が月曜、p113が火曜、p133が水曜、一夜明けて、この時点で木曜の朝)
p205 長い法衣(カソック)(cassock)
p215 ドイツ医学週刊誌(Deutsche Medizinische Wochenschraft)
p225 のろ(whitewash)◆「訳注 石灰水にご粉やのりを混ぜた溶液」水しっくい。
p230 日刊新聞(daily Press)
p238 ガスマスク(gas masks)◆当時ものはuk gas mask 1920で。The Mk III General Service Respirator(c1921-1926)が適切か。
p238 サルヴァトール・ローザかフュースリの画いている奇怪な悪魔(fantastic demons of a Salvator Rosa, or Fuselli)◆ Salvator Rosa(1615-1673)のLa Tentazione di Sant’Antonio(1645)やJohann Heinrich Füssli (英名Henry Fuselli)(1741-1825)のThe Nightmare(1781)あたりのイメージか。
p248 三週間
p249 降霊術者(spiritualists)
p249 赤い紐もついにとけ(The red tape… was thus unloosed at last)◆訳注の通り「官僚主義の形式的で煩雑な規制」というような意味。
p250 あと二週間たつと
p253 ピッティ… フラバルトロメーオの大きな祭壇上の絵… チチアンのイッポリート・ディ・メディチ枢機卿の肖像画(Pitti… Fra Bartolommeo's great altar piece… Titian's portrait of Cardinal Ippolito dei Medici)
p254 あの『コンサート』、演奏者のたましいの渇望がその顔にも表現されて◆ ティツィアーノの名作。1543–1564年ごろ。
p254 アンドレア・デル・サルト… ヘンリー・ジェームズは二流の画家だといってるけど、ジェームズ自身が二流の作家だからでは(Andrea del Sarto… but Henry James says he's second-rate, because his mind was second-rate, so I suppose he is)◆ここの代名詞(he, his)は常にデル・サルトを指すのでは?試訳「ヘンリー・ジェームズは二流の画家だと言う、了見が二流だからと。そうかもしれない」(2022-8-13追記)
p254 アローリの『ジュディス』(Allori's 'Judith')◆ Cristofano Allori(1577-1621)の作品(1610-1612) こちらはPitti宮のもの。英国ロイヤル・コレクションにも1613年作のがある。同一構図なんだが、ユディットの顔が全然違うんだよね… 男の顔(画家自身、と言われている)はほぼ同じなんだけど。
p257 イタリアの悪口
p258 先週の『フィールド紙』(last week's 'Field,')◆ Field: The Country Gentleman's Newspaper、英国の週刊誌。1853年創刊。country matters and field sportsに関する専門誌のようだ。
p260 四月九日
p269 ゴビノー伯爵(Count Gobineau)◆ Joseph Arthur Comte de Gobineau (1816-1882) 「白色人種」の優越性を主張… ゴビノーの思想はヒトラーとナチズムに多大な影響を与えたものの、ゴビノー自身は取り立てて反ユダヤ的ではなかった。(Wikiより) フィルポッツは随分と高く買ってるみたいで、マキャベリ、ニーチェ、スタンダールと同列の最高の思想家(p272)と登場人物に言わせている。
p272 本気でかかっている(out to kill)
p275 知識人(intellectuals)
p275 彼の侍僕(his man)
p293 プリンス・ジェム… トルコの皇帝バジャゼットの弟(Prince Djem, the brother of the Sultan Bajazet)◆WebにGeorge Viviliers Jourdan作“The Case of Prince Djem: A Curious Episode in European History” (The Irish Church Quarterly 1915) という論文があり、どうやらこの物語のようだ。
p293 へだたりは心を優しくする(Distance makes the heart grow fonder)◆初出はFrancis Davison’s “Poetical Rhapsody”(1602) に収められた”Absence makes the heart grow fonder — of somebody else!” 無名氏の詩の最初の行だという

No.1 5点 Tetchy 2017/02/27 23:18
「人を殺す部屋」という怪奇じみた設定は古典ミステリではよく用いられたテーマで、代表的なのはカーター・ディクスンの『赤後家の殺人』だろう。しかしミステリアスな設定ゆえに逆に真相が判明すると、なんとも肩透かしを覚えるのも事実である。
そんな謎を英国文壇の大御所フィルポッツが扱ったのが本書だ。

過去に2人の死人を出した灰色の部屋。一見ごく普通の部屋だが、宿泊した人物はどこにも外傷がないまま、事切れた状態で発見される。そしてその話を聞いた娘の花婿が周囲の制止を振り切って泊まって絶命し、更に捜査に訪れた名刑事は白昼堂々、部屋の調査中にたった1時間ほどで絶命する。更に花婿の父親は神への強い信仰心を武器に立ち向かうがこれも敢え無く同じ末路に至る。立て続けに3人も亡くなる驚きの展開である。

この怪異現象に対して文学畑出身のフィルポッツらしく、単なるミステリに収まらない記述が散見される。
特に息子トーマス・メイを灰色の部屋で喪った牧師セプティマス・メイが人智を超えた神の御手による仕業であるから、信仰心の厚い自分が部屋で一晩祈りを捧げて邪悪な物を一掃しようと提案してからの館主ウォルター卿と係り付けの医師マナリングとの押し問答が延々17ページに亘って繰り広げられる。
その後も信仰心の権化の如きメイ牧師と合理的解決を試みる刑事もしくは館主の甥のヘンリーとの問答が繰り広げられる。

オカルトかミステリか?その両軸で揺れながら物語は進み、結論から云えばミステリとして一人のイタリア人の老人によって合理的に解決がされる。

正直この真相には驚いた。上に書いたように往々にして怪奇めいた謎は大上段に構える割には真相が陳腐な印象を受けるが、本書は歴史の因果が現代に及ぶもので、しかもそれらの経緯もそれまでの物語で館主の人となりと一家の歴史でさりげなく説明が施されている。まさにこれは犯人不在の「人を殺す部屋」だ。さすが文豪フィルポッツの手になるものだと感心した。

しかしそれでも訳がひどすぎた。およそ会話としてしゃべるような言葉でない文章でほとんど占められており、しばしば何を云っているのか解らず何度も読み返さなければならなかったし、また眠気も大いに誘った。さらに誤字も散見された。そんな記述者の些末なミスや技量不足で本書の評価が貶められていることを考えるとなんとも哀しい。この悪訳ゆえに今まで長らく絶版だったのではないか。奥付を見ると1985年に3版が出て以来の復刊である。実に30年以上も絶版状態にあったわけだ。
できれば新訳で読みたかった。


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