クリスティ再読さんの登録情報 | |
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平均点:6.39点 | 書評数:1384件 |
No.1124 | 4点 | メグレを射った男 ジョルジュ・シムノン |
(2023/03/25 09:07登録) 「死んだギャレ氏」「国境の町」は入手を諦め気味だから、評者的には第一期メグレの最後の残り。駄作というか、第一期の終盤でシムノンがヤル気なくしていた作品という評価が多いもの。 いやね、それでもツカミとかいいんだ。公用をひっかけてバカンス気分で旧友を訪れようとメグレはボルドーに向かった。寝台列車の上寝台の男の落ち着かない様子に迷惑したメグレは、その男が急に列車から飛び降りたのを目撃した!後を追うメグレは、その男に銃で撃たれる。負傷したメグレは田舎町ベルジェラックのホテルで、呼び寄せたメグレ夫人と旧友を手足にベッドの上で、猟奇殺人鬼の事件の捜査を始める.... 面白そうでしょ!列車内でのイライラ感やら興味を持ったメグレが単独行動でムチャやるあたり「サンフォリアン寺院」みたいだし、田舎町アウェイ事件で旧友と対立するのは「死体刑事」やら「途中下車」やら第二期以降によく出るパターンだし、それに珍しいベッド・ディティクティヴが絡む。モチーフ的には大変興味深い..... 原題は「ベルジェラックの狂人」。アウェイのメグレが被害者でベッドに釘付けなせいもあって、街の有力者からは「(内心)妄想を育んでいて、おかしいのでは?」と思われるのともかけてあるが、行きずりの女とSMプレイの果てに心臓に針を刺して殺す猟奇殺人鬼やら、街の有力者の秘密の趣味やら、メグレらしからぬ派手でサイコな話。でもこれが全然、物語として効いていない。何かリアリティのない背後事情と、シムノンらしいといえばらしい家庭悲劇で話がアチラの方向に逸れていって行ったきり。 瀬名氏は本作を「浮ついている」とバッサリ。らしからぬといえば、らしからぬ作品。 |
No.1123 | 6点 | ちゃっかり女 ボアロー&ナルスジャック |
(2023/03/23 10:07登録) 1970年代前半に日影丈吉がHMMの上に訳載していたボア&ナルの短編の翻訳をまとめた短編集。ネタ元の短編集が1971年に出ていて、その翻訳書の体裁は取っているが、訳者あとがきによると、日影が訳したもので収録していないものもあれば、HMMには載っていない新訳もあるようだ。短編集の完訳ではなくて書誌としてはややこしい。 ポケミスで250ページほどで、24作収録(原著は33作)。ショートショートに近いポケミス5ページ程度のものもあるが、ポケミスで10ページほどの作品が多い。前半のシリーズ風のものは、精神科医を主人公にした連作5作、メグレの孫弟子のような刑事を主人公にした連作が7作。精神科医主人公の連作は「迷探偵」度が高いわりにつまらない。刑事主人公のものはロジック逆転を含んだ本格テイストが強い。一応密室殺人で手口からきれいにロジックが決まる「疥癬かき羊」が優秀。 後半は本当に雑多。モーリス・ルヴェル風で残酷味と皮肉が効いたスケッチみたいなものもある。翻訳表題作の「ちゃっかり女」はボア&ナルお得意の男女の機微をひねったトリック。後半の方が「奇妙な味」に近づいてきて、九死に一生を得たことを聖母に感謝して巡礼を思い立つギャングの話「願掛け」やら、プレイボーイに騙された女たちが結託して制裁を下す「女豹」、密室の中で黒猫が灰色猫・白猫に変身する謎解き「かわり猫」など、最後の方がヘンな話が多くて面白い。 ボア&ナルの多彩さを楽しむ短編集、ということになるのかな。気楽に書いていて、大したことない作品も多いから、全体的にはこんな採点。日影丈吉の訳にクセが強いから、やや読みづらいか。 |
No.1122 | 7点 | 世界短編傑作集5 アンソロジー(国内編集者) |
(2023/03/19 09:21登録) さて評者もこのシリーズ最終巻。今となっては「現代」を扱ったはずの最終巻も大古典になっている。昔読んだときには「創元の海外ミステリのモダン」の定番紹介だった本だったのだが、隔世の感も強いなあ(約50年前か...) だから古典的な「名探偵小説」だとマーチ大佐登場の「見知らぬ部屋の犯罪」くらいしかない、ということにもなる。「黄色いなめくじ」だと名探偵登場ではあっても、清張の「鬼畜」を連想するのが自然じゃないのかな。貧困問題を陰鬱な心理描写でドラマチックに描いたヒューマンな味わい。 「心理」が重視されることもあって、小説としての側面が追及されることになるから、長めの作品にいいものが多い。「ある殺人者の肖像」なんてそうじゃないかな。子供のプライドと親の愛の相克がよく描けていて、心が痛い作品。 中編で名探偵小説、といえばネロ・ウルフ登場の「証拠のかわりに」が、モダンな意味での「名探偵小説」の回答、ということになるのだろう。キャラクター小説の側にシフトして、それで成功している人気シリーズのわけだからねえ。いややっぱり楽しいよ、これ否定しちゃいけないことだと思ってる。前にも書いたが、ウルフ&アーチ―物って、ホームズ探偵譚にあった「度胸一番の駆け引きや土壇場での機知」といった「ミステリのパズラー化」の中で意図的に無視された部分の楽しさを、しっかりと再現したシリーズなのでは?なんて評者は思っているのだ。 だから逆に、短い作品というのは「アイデア・ストーリー化」してしまう。それは当然なのだが、技巧に走るわけだから、定型的な要素を排除したインパクト重視の語り口に傾いてくる。だからこそ「ミステリ古典」からはこちらも逸脱しつつあるわけだ。 というわけで、評者もいろいろと考えることも多いこのシリーズでした。 |
No.1121 | 7点 | ウネルヴィル城館の秘密 アルセーヌ・ルパン |
(2023/03/14 13:49登録) 最近ボア&ナル再開したし、ルブランやってるし....で問題の贋作ルパン。 いや本サイトだと「著者:アルセーヌ・ルパン」にせざるを得ない。シリーズ5作も新潮文庫で出た3冊はアルセーヌ・ルパン著、サンリオからの第4作はボワロ=ナルスジャック、ポプラ社ジュヴナイルのみの翻訳の最終作「ルパン危機一髪」はポプラ社ボア&ナル・ルパンの通例で用心深く南洋一郎の名前しかない.... シリーズの評がいろいろな著者名に散乱することになる。まあ仕方ない。 このボア&ナルの贋作シリーズは、ルブラン遺族に了解を取って、ルパン自身が書いた回想録から...という設定になっている。世界再現度は高いし、シリーズ内登場人物もそれとなくいろいろ登場。設定年代も第一次大戦直前で「813」あたりの時代。ルパン自身が車やサイドカー付きバイクを運転したりもする。それでも焦点はウネルヴィル城館に隠された二月革命動乱時の秘密とは?と「813」っぽい。いや事件も「813」のアルテンハイム男爵みたいなガルスラン男爵が表の敵役で、暗躍する謎の殺人鬼は誰?というあたり、「813」を彷彿させる内容。「続々813」みたい、といっちゃあ褒めてるのかけなしているのか? でも真相は結構面白い。ミステリ度が高い、と言ってもいい。ちょっと評者の評価がいいのはそのせい。財宝の隠し場所が二転三転するあたりもいいしね。欠点はルパン、というよりも「ルパン三世」っぽい。要するに、チャラい。本家はもっと誇大妄想的だから、それがマジなロマンの味わいになっていると思っているんだ。 パスティーシュ・パロディの羞恥心がないのが、天然の味。 |
No.1120 | 7点 | 毒を食らわば ドロシー・L・セイヤーズ |
(2023/03/11 13:19登録) 今回は手に入りやすい創元ではなくて、幻戯書房「ストロング・ポイズン」で。 なんでわざわざ新訳?というと、 本書を翻訳した動機は、英語圏で盛り上がりを見せるセイヤーズ研究が国内においてはまったく見当たらないからに他ならない。 と訳者解題で書いているように、セイヤーズのミステリを「フェミ小説」で読んでやろう、という狙いがあるからなんだね。確かに本作の面白さというのは、ピーター卿が陰のオーナーの「タイピスト会社」、実は女性探偵社の大活躍を描いたシスターフッドなスリラーと見るのがいいし、また Akeru さんがご指摘のような、なぜピーター卿が無実の罪を着せられたハリエットに一目惚れするか?が「最大の謎」だったりするあたりでもある。そういうトピックが海外で取り上げられている、のは確かにセイヤーズという作家の、ミステリ外での影響力の高さとも相俟って、ごく当然のアプローチでもあるわけだ。 社会的に期待される探偵のイメージと男性性の不安の間で引き裂かれながらも、ウィムジィはヴェインを救うために男らしい探偵であり続けなければならない。 とまあ、訳者(男性)はフェミ視点を活用してこういう結論を出してくるわけである。「男性性の毒」をピーター卿が自ら飲み干して....とかね。見当外れでもなかろうが、ハリエットがヴァーニア・ウルフやフォースターやストレイチーなどのブルームズベリー・グループの周辺にいたらしいなど、第一次大戦後の女性の社会進出と経済的に男性から独立した「働く女性第一世代」のセイヤーズ自身の自画像としてのあたりを追及してもいいんじゃないかな。 でなんだが、あともう一つ。本作のトリックって大変有名なもので、本作がそのオリジナルとされているのだが、評者が発見したことを書いておこう。本作は1930年の出版だが、ハメットの1929年の「ブラックマスク」掲載の短編に、このトリックが使われている。パズラー的な使い方じゃないが、シニカルでリアルな話になっているので、これもなかなか優れた使い方だと思うよ。でも評者は「トリック先願主義」みたいなものには懐疑的だな。セイヤーズが「ブラックマスク」を読んでいたとは思わないから、この短い間に同一トリックで出ている、というのは、現実の事件か事故で話題になったことがあったのだろうか?なんて勘繰る。どうだろう? (いやごめん、セイヤーズって「不自然な死」の中で「ブラックマスク」を小道具に使っている...じゃあ、やっぱオリジネイターはハメットじゃん) |
No.1119 | 7点 | ハムレット復讐せよ マイケル・イネス |
(2023/03/09 13:16登録) 大昔ポケミスで読んだことがあったが、今回は国書刊行会。 イネス=難解、を乱歩が日本の読者に刷り込んだわけだが、まあ言うほどのものじゃない(ポケミスだってそう難解な印象はなかった)。後期クリスティ風の「どんな事件なのか?」をうまく転がして構成した、英国風ユーモアにあふれた洒落た小説。キャラ描写がしっかりしていることもあって、大量の登場人物もそうそう苦にはならない。 シェイクスピアやらバレエのペダントリ満載なのも、公爵家大邸宅での「ハムレット」アマチュア上演、という超スノッブ・イベントが舞台だからこそ、現代でのリアリティが出る、というもの。こんな舞台で一癖も二癖もあるインテリたちが、あーだこーだ機知の限りを尽くして議論する小説だ、と思えば、楽しいものがあるじゃないの。評者はニヤリニヤリしながら読んでたよ。シェイクスピア当時の舞台の構造とか、そういうあたりもトリビア的に興味深い。 単体ミステリとしては、日本マニア受けはしづらいタイプ。HOWとかWHYじゃなくて、すべてがミスディレクションみたいな小説だからね。「ある詩人への挽歌」ほどじゃないが、真相も二転三転、で最後くらいはちょっとスリラー。 「ミステリにおけるイギリス」を満喫するための本。 (「殺人・陰謀劇としてのハムレット」という演出方針って、反ロマン主義な良さがあるなぁ) |
No.1118 | 8点 | 女魔術師 ボアロー&ナルスジャック |
(2023/03/05 14:17登録) 評判のいい作品だから期待してたけど、大満足。ボア&ナルが自分たちの手の内を明かした、メタな小説でもあるあたりが面白い。 評者一時必要に迫られて、マジック関連書をいろいろ読んだことがあるんだけど、マジック書の中で強調されているのは「タネ以上に、演出と演技が大切」ということなんだよね。ミステリにこれを当てはめるのならば、トリック以上に、そのトリックを生かすためのシチュエーションやキャラ設定に力を注がなければいけない、ということにもなる。日本では乱歩以来の「トリック至上主義」がマニアの間で幅を効かせて、不毛な「オリジナリティ詮議」がされることが多いわけでね...ボア&ナルの「トリック」って実はたいしたものじゃないから、今一つパズラーマニアにウケが悪いけども、トリックをプロットに融合させること、という視点では素晴らしいものが多い。そうするとカー以上にマジメに「手品趣味」をミステリに応用したのが、ボア&ナルだ、ということにならないだろうか? 主人公の母オデットが、ロマンチックなミステリ劇の中にうまくマジックを融合させるプランで成功させるとか、主人公ピエールが最終的に到達したキャラ設定とスライハンドの妙技の悪夢的な(ディス)コンビネーションの世界であるとか、本書はそういうあたりにボア&ナルの「理想」を反映したマニュフェストだ、と読んでいたよ。 もちろん芸道小説としての迫力は素晴らしい。こっちに目を奪われて、ボア&ナルらしい双子を巡る幻想がやや説明不足になりがちなんだが、やはり本書の価値というのはこういった「ミステリ論」的な部分にあるように思われる。 |
No.1117 | 4点 | 五つの箱の死 カーター・ディクスン |
(2023/02/24 12:34登録) 西田政治訳カーの唯一の生き残り。「ワイルダー一家の失踪」やって気になっていた。いや「ワイルダー」悪くないじゃん?で訳者のあの評判が気になる...1989年の重版だから、そうそう入手困難なものでもなし。 結論を言えば、大変読みづらい。カーって原文も持って回ったようなところがあるようだが、訳文も持って回ってぱっと見で頭に入りづらい。悪評はなるほど。カーは腕のある訳者が必須だろう。 作品自体は、不可能興味とフーダニットを両立させようとしているんだが、この欲張った狙いのために、過度に技巧的な犯行計画にならざるを得なくなって、納得感がないのが問題。いやね、ホントはアリバイ物だと思うんだよ。素直にアリバイ物で再構築したら悪くなかったんだと思うんだけどもね.... あともう一点。評者はこのトリック、ありえないと思う。理由を述べるから、以下はネタバレごめん。 だってさ、ホワイトレディ。ジンとコアントローとレモンジュースで、白濁した見た目とスッキリが身上のショートカクテル。シェイクの技術練習台にもよく使われる。白濁はコアントローのオレンジ精油が冷えて出てくるのと、シェイクで空気を含ませるのと両方...だから手っ取り早くシェイクして冷やすのが肝要。それをさあ、3分間シェイカーに入れたまま「赤ん坊の泣き声の真似」とかで放置! ありえんよ。ショビショビの水っぽいのが飲みたいのかしら? (あと、ウィスキーのジンジャエール割を「ハイボール」と呼ぶのは、昔風らしい) |
No.1116 | 5点 | フェルショー家の兄 ジョルジュ・シムノン |
(2023/02/21 16:48登録) 筑摩書房世界ロマン文庫のシムノン。このシリーズ、「紅はこべ」「ソロモン王の宝窟」「恐怖省」といった古典的なスパイ・冒険小説をコレクションしたものだけども、そこにシムノン。意外と言えば意外なんだが、国際的な広がりが珍しくある小説だから、というような理由だろうか。 事件は、ある。サスペンス色はわりと感じられるのだけども、その事件というのが植民地経営者として「コンゴの王者」のような立場にあったフェルショー兄弟が、植民地での原住民殺害事件をほじくり出されて窮地に陥り、フランスからパナマに逃亡する話。それをフェルショー兄の秘書となった青年ミシェル・モーデの眼から描き、さらにパナマでの亡命生活とその破局に至る経緯を描く。というわけでコンゴでの事件は背景にあるだけで、それ自体がどうこう、という小説ではない。実際主人公は野心的な青年モーデの方で、偏屈な変人、だが植民地で荒っぽく稼いだ伝説の男に魅了されて秘書となるが、自身の野心に苛まれつつ、パナマでの死んだような亡命生活からの脱出を狙う.. 事実上「悪の教養小説(ビルドゥングスロマン)」と見るのがいいんじゃないかな。ダイナマイトを投げつけて原住民を三人殺害したフェルショー兄の「伝説」と、現在の偏屈さ、さらにはパナマで生気を失ったような生活を送るみじめな老人を見つめる、モーデの視線のなかに「自分はフェルショーのような『何者か』になれるのだろうか?」という、焦りの気持ちと不安感というものが含まれないわけはない。この憧憬と自尊心と倨傲にさいなまれるモーデの姿が本作の焦点であり、このためにモーデもいろいろなものを犠牲に捧げることにもなる。 だからある意味、「男の首」のラディックを脱ロマン化してずっと小物にしたようなキャラだ、ということにもなるのだ。 一般にシムノンの「ロマン」はすっきりしない話が多いのだけども、本作はとくにすっきりしない話。雰囲気とかグレアム・グリーンとの共通性みたいなものを感じるんだがなあ....シムノンのロマンではわりと長めで、翻訳がやや分かりづらい。大したことないがやや難航、でこんなくらいの評価。 |
No.1115 | 5点 | ソロモン王の洞窟 H・R・ハガード |
(2023/02/16 11:01登録) 子供の頃ジュブナイルを読んだんだったっけな....冒険小説の定番作品で記憶がごっちゃだが、改めて大人向けでは読み直してはいない。そんなのが普通だと思う。 「宝島」に刺激を受けて書いてベストセラー、それにドイルが刺激を受けてホームズ譚を書き始め...という伝説の冒険小説。「宝島」が子供主人公のクセにしっかり対立陣営の駆け引きを描く大人向けだったのと比較すると、本作は大人三人組が主人公なのにわりと他愛がなくて、シンプルにピンチ~助かるの連続の話。それでもククアナ国での戦争話は当時のイギリス人の軍事常識が反映されていて迫力がある。ドイルの「失われた世界」後半のインディオの国の戦争話は本作の構図をしっかり借用したのだろう。 ファンタジックな味わいもあまり感じないが、グッド大佐の洒落者っぷりにユーモアがある。確かにモノクルって西洋人の彫りの深い顔だからこそ、嵌って落ちないんだよね(苦笑) どっちかいうと評者は本作よりも「洞窟の女王」の方にロマン色を期待している。そっちも入手済み。まあ順番だからね。 |
No.1114 | 7点 | 世界短編傑作集3 アンソロジー(国内編集者) |
(2023/02/13 11:53登録) 3巻目は1925~29年の作品。一応長編黄金期に入るのだけども、短編はホームズ様式(というかソーンダイク博士風?)がまだ盛ん。2巻で顕著な科学トリック傾向も「キプロスの蜂」や「茶の葉」に覗われるが、バカトリック風の「密室の行者」「イギリス製濾過機」も登場...とこれをやや拡散傾向、と捉えるがいいんじゃなかろうか。 そうすると、ホームズ形式のクセに実話のリアリティを備えた「堕天使の冒険」に注目した方がいいし、あるいは名探偵をパロった皮肉な話の「完全犯罪」にそろそろ「名探偵小説」を相対化する視点が芽生えてきていると思うんだ。その相対化の総仕上げが実のところ「偶然の審判」を長編化した「毒チョコ」だった、というのはいかかなものだろう? あ、作品的には「ボーダー・ライン事件」がモダン・ディテクティヴな佳作。「二壜のソース」が形式的には意外なくらいに「名探偵小説」なんだけども、ワトソンの妙が光って「名探偵小説」から逸走。こんな芸がすばらしい。 |
No.1113 | 6点 | 八百万の死にざま ローレンス・ブロック |
(2023/02/13 11:31登録) なぜか未読だった作品、読んでみようか。 いややっぱり思うのは、1982年の本作でも、やはり60年代末~70年代のヒーロー性があるネオハードボイルドからのシフトチェンジみたいなものを感じるんだ。 マット・スカダーのアル中設定(と死に関連するウツ)が中心課題なんだが、同じアル中のカート・キャノンと比較してみれば「ヒーロー性」が大きく欠如している、というのが嫌でも目に付くことになる。モノガタリの主人公である以上、どこかしら「貴種流離譚」な部分、言いかえれば「街と馴染んで馴染まない」部分が、そもそものハードボイルドの「固ゆで」要素だったんだと思うんだが、マット・スカダーは「街のありふれた暴力とその結果の不条理な死」に馴染み過ぎている。ついつい強盗に反撃してしまうわけだし、最後の囮だって内心では消極的な自殺になっても仕方ない?くらいだったのではないのだろうか? もはやニューヨークにはヒーローは棲むことができない。だからこそか、黒人の「黄金のヒモ」であるチャンスの「成功譚」な部分が、やたらなリアリティと魅力を発している。街を描けば描くほど、風俗小説に近づいてくるのが、80年代以降のハードボイルドの宿命みたいなものなのだろうか? |
No.1112 | 7点 | メグレ再出馬 ジョルジュ・シムノン |
(2023/02/02 11:28登録) メグレ物というのは、読者が「何が面白いのか?」を自分で探すことが問われる小説だ、とつねづね評者は感じていたりする。特に本作は第1期の最終作という特異な立場の作品。引退後のメグレがわざわざ甥の事件に介入する話で、第1期の特徴の「犯人との心理的対決」に加えて、第3期で目立つ「組織人メグレ」の要素も兼ね備えた両義的な作品だったりもする。 事件自体は大したことはない。暗黒街(ミリュー)の仲間割れみたいなものである。謎解き的な楽しみはほとんどない、といえばない(でも後述..)。もはや私人であるメグレが殺されかける場面はあるが、スリラー的な面白さでもない。第1期特有の心理サスペンス感は本作では希薄....となると、「何を褒めたらいいんだろう?」と困惑するのはよく分かるんだなぁ。 この小説の魅力というのは「感覚が広がっていく」ようなところ、とか抽象的な言い方で申し訳ないんだけども、そういう言い方をしたいんだ。仕事を引退して田舎に引きこもっていたメグレ。その「屈した」気持ちが久々のパリで出会った人々によって、徐々にほぐれていくさまみたいなものに、評者は面白味を感じながら読んでいた。メグレが味方にしようとして失敗する娼婦フェルナンド、メグレを心配するリュカ、メグレの後任でも妙なライバル意識もあってメグレの行動に困惑するアマデューといった面々との「気持ち」の通わせ方はもう「戦後のメグレ」になっている。組織から離れたがゆえに組織が前景に見えてくる逆説。そして、 「もしよかったら、芝居へでもいくとするか。」「お芝居ですって、フィリップが刑務所に入っているのに?」「ふん!これが最後の夜さ」 で甥の身を案じてパリに駆け付けた母親(メグレの義姉)と一緒に、劇場やらナイトクラブを楽しむシーンが、生き生きとして素敵なんだよなぁ.... で第一期らしい最終対決も、メグレは決め手がなかなか見いだせない。それをメグレらしい「了解」でカチッと鍵と錠がハマるような瞬間が起きる。これこそメグレらしい「謎解き」ではない「謎解き」。そしてそれに至るまでのメグレ自身のジタバタ感が素敵なのである。 第1期のメグレの「ガードの硬さ」がこの作品でほぐれていくのを評者は何か楽しんでいた...なので、内容以上に妙に印象のイイ作品。そういう気持ちを採点に反映したい。 (例の瀬名氏の評が、メグレを読むとは何なのか?というあたりでとても示唆的だった...お勧めします) |
No.1111 | 6点 | お艶殺し 谷崎潤一郎 |
(2023/01/30 22:05登録) さて谷崎シリーズも本作あたりで終わりにする。中公文庫の本作、「お艶殺し」と「殺し」がタイトルに入って、しかも乱歩「パノラマ島奇譚」の元ネタの一つの「金色の死」を併録している。本サイトでやらなきゃね。 「お艶」の方は江戸世話物、南北みたいな世界。質屋の若い衆の新助は主人の娘お艶と相思相愛なのだが身分違い。お艶は新助を唆して駆け落ちをするが、二人を匿った船宿の清次には魂胆があった...なりゆきで新助が2件の殺人を犯した後、再会したお艶は芸者として売れっ子になっていた。二人はトコトン堕ちていく... という話。桜姫東文章みたいな話だが、もちろんお艶は谷崎の大好きな権高い女王様。マジメで小心なクセに新助は次から次へと、お艶のために殺人を犯すことになっていくさまを描いた小説だから、悪女モノというかピカレスクというか、そういう話。 おい親分、その塩梅じゃあとてもいけねえ。いっそあたしが斯うしてやるから一思いにくたばっておしまい と芸者だから江戸っ子な啖呵がなかなかに、粋でよろしい。 「金色の死」は、「アルンハイムの地所」みたいにスタティックな風景描写だけでもないけども、「パノラマ島」みたいに死人との入れ替わりや探偵の追及があるわけではない。芸術論小説みたいなもので、作者を投影した小説家が大金持ちの友人岡村が作りあげたユートピアを訪れる話。この岡村は「最も美しいのは人間の肉体だ」と「希臘美」を掲げてパノラマ島みたいなユートピアを箱根山中に作りあげる。三島由紀夫もこの「希臘美」に反応しちゃってイカれることになるんだけどもね。 まあ評者もいろいろ考えたことあるんだ。建築・設備デザイン、美的装飾やら流れる音楽やら工夫に工夫を重ねた、生活すべてがアートになる「総合芸術」を作ったところで、そこに生活する人間が「美しく」なければ意味がないじゃないか、ってね。鑑賞する人自身も「美しくあり、美しく動かなければダメ」とか制約が必要になって、初めて「総合芸術」ならばそりゃ不可能事に近い。でも唯美主義を突き詰めると、そうなってしまう...困ったね。 「彼は此の頃の露西亜の舞踊劇に用いられるレオン、バクストの衣装を好んで、或は薔薇の精に扮し、或は半羊神に扮し...」とあるから、バレエ・リュスとニジンスキーが参照されているわけだ。これがこの時代のアヴァンギャルドの頂点であり、それに谷崎も乱歩も追随していたわけである。 |
No.1110 | 7点 | 村山槐多 耽美怪奇全集 村山槐多 |
(2023/01/29 22:15登録) 私は彼の作品を、谷崎潤一郎氏の「白昼鬼語」、佐藤春夫氏の「指紋」などと並べて、日本の最も優れた探偵小説の一つだとさえ考えている。 と乱歩に言わせたオトコがいる。それが、槐多。 ミステリファンの間では知っている人は少ないかも...でも無名な人じゃない。大正の「夭折の天才画家」。評者も「尿をする裸僧」を見てシビれた! 乱歩も槐多の「二少年図」を没後入手して、自分の書斎に飾っておくほど愛していた... でこの槐多、大正4~5年にかけて、押川春浪がかかわった「武侠世界」や「冒険世界」に「悪魔の舌」「魔童子伝」「魔猿伝」「殺人行者」といった小説を寄せている。いやこれがね~伝奇色の強烈な怪作揃いで、とくに人肉嗜食を扱った「悪魔の舌」はアンソロ収録が結構多かったりもする。槐多自身は小遣い稼ぎみたいな感覚だったかもしれないが、この四編はどれも異色のエンタメとして強烈な印象を残す。で、これらの作品に作家になる前の乱歩が衝撃を受けていたというわけだ。 槐多は小説は余技、といえばそう。あと小説の未完作、詩やエッセイ風のものを選んで、津原泰水の槐多オマージュ作品「音の連続と無窮変奏(槐多カプリチオ)」を加えて、東雅夫が編んだのが学研M文庫のこの本。槐多自身はポオの影響が強いから、詩がとくに「悪魔主義」。「血染めのラッパ吹き鳴らせ/耽美の風は濃く薄く/われらが胸にせまるなり」でまあ、 吾人は殺人を尊重す。殺人は人に恐怖と重量とを与うるが故なり。アラン・ポーは殺人を描きてレファインされたり。 とエッセイ「人の世界」で書くくらいだから、ミステリ作家と呼ぶ資格は充分すぎるくらい。 乱歩に先立つ大正の初年にも「悪魔主義」の文脈でいろいろと「ミステリ」が取り上げられ実作もされている。谷崎潤一郎もそうだし、国枝史郎だってそうだ。槐多だって「ミステリ史」に位置付けられて当然な作家なのである。 |
No.1109 | 6点 | 潤一郎ラビリンス〈1〉初期短編集 谷崎潤一郎 |
(2023/01/24 14:13登録) どうも「谷崎潤一郎 犯罪小説集」だけだと物足りなくて、補充したくなる。谷崎というと関東大震災後の関西移住で作風が大きく転換して、王朝古典美の世界に行ってしまうけども、東京時代といえば「悪魔派」だからね。乱歩にも強い影響を与えたのはこの初期の谷崎、ということになる。 でこの中公文庫の1巻はまさにその谷崎デビューの初期短編。「刺青」は刺青に命を賭けた唯美主義の刺青師の話だから、遥々と高木彬光やら赤江瀑やらまで続く「唯美主義的刺青譚」の始祖みたいなものだろう。刺青師といえばサディズムの権化みたいに見えるけども、実は逆という逆説が一番の面白味。(乱歩って刺青趣味がない....ちょっと不思議。「黒蜥蜴」は入れているけども、あっさりしたものだしね) でまあ、ミステリの立場ではやはり「秘密」が重要作。屋根裏を散歩する乱歩の主人公同様に、谷崎の主人公は女装して街を潜行し、映画館で旧知の妖艶な女性に再会する。主人公の女装を見破った妖女は主人公からの誘いに乗るが、住所を秘匿するために目隠しで人力車に乗って... いやここで「秘密」というのは、実は犯罪的な秘密じゃないのだ。「秘密」というスパイスによって、世の中の見え方が劇的に「変わる」こと自体に、「探偵」の視座を見出すのが、乱歩と谷崎に共通する「デカダン」というものなのだ。だから「秘密」という一編は「心情の探偵小説」とまさに呼ぶべき作品なんだ。 うんまああとは、「少年」や「悪魔」あたりはマゾ・フェチ系の小説。いやいやここら辺の作品、明治末なんだけども「ヘンタイは不滅」というものだなあ(苦笑)ニッポンって昔からススんでるよ。 |
No.1108 | 5点 | 続813 モーリス・ルブラン |
(2023/01/23 13:39登録) (「813」の書評の続き) で評者、謎が解明される後半の方が評価が下がっているのは、後半がルパンの野望とその挫折の話にシフトしちゃっているからなんだね。まあルパンの野望というと、この作品の後はモーリタニア征服とか愛国的大ぼらみたいな話になるけども、本作もちょっとそういうカラーがあって、「いっくらルパンでも野望大き過ぎ?」ってなるところもある。そりゃ仮想敵国のドイツ皇帝とわたりあうのは当時の読者は「スカっと」するのかもしれないけども、今読むと苦しいぜ。 その「野望」もいくら超人ルパンでも「欲張り、すぎてない?」と感じる部分が大きくて、「こんなに調子よくいかないよ....」と思わせちゃあ、その挫折だって共感よりもシラける部分が大きいさ。でしかも殺人鬼L.M.の正体もなんかな~という印象。L.M. が有能過ぎて正体との釣り合いが取れてないようにも思うよ。アルテンハイム男爵との役割分担にリアリティがあるといいんだけどもね。 というわけで大衆小説としてはスケール感たっぷり、なんだけども、その分手を広げすぎて大味になっている印象。タイトな「水晶の栓」には及ばないよ。ルブランも欲張り過ぎたかな。 |
No.1107 | 6点 | 813 モーリス・ルブラン |
(2023/01/23 13:14登録) 「813」って原著が二分冊で刊行された経緯を反映してか、翻訳権独占で入手の容易な新潮文庫の堀口大学訳が「813」「続813」で正編・続編みたいな恰好だったのを、以降も踏襲して出版されている。でも一続きの小説として読んだ方がずっといいと思うんだ。「内容に飛躍がある」という評も目にするけども、新聞連載小説というのもあってか、全体的に行き当たりばったりな小説のようにも感じる。 これをポジティヴに捉えれば、手を変え品を変えで読者の興味を引きズリ回す手管はなかなかのもの。手に汗握る。前半ではアルテンハイム男爵が堂々の敵役で、ルパンのライヴァルらしさは充分。とはいえ、謎の殺人鬼L.M.も暗躍して不気味....というあたりで、バランスは前半の方がいいように感じる。 でも問題のケッセルバッハが掴んだピエール・ルドヴィックの秘密に 8.1.3の謎、APOON の謎といったあたりが全然未解明で前半が終わっちゃう。まあルパンが化けた人物の話はお約束だしねえ。 今回はどうも堀口大学訳を読む気にならなくて、偕成社文庫で読んでみた。児童向け、ということではあるけども、ちゃんとした完訳で特に子供向けは感じない。ルビはうるさいけども、活字が大きくて老眼の評者は助かる(苦笑)。 (書評自体も「続813」に続く) |
No.1106 | 8点 | 過去が追いかけてくる キット・クレイグ |
(2023/01/22 10:54登録) いや~怖い。サイコサスペンスだから、恐怖要素は不可欠といえばそうだけども、ほぼホラーと言っていいくらいに「恐怖」が強烈。サスペンスとスリラーの違いって、男性的=行動的なスリラー、女性的=心理的なサスペンス、っていう程度の違いしかないようにも思うんだが、スリラーとサスペンスとホラーの3要素を高いレベルで実現した秀作だ。 3人の子の母が突然家から姿を消した...戸惑う子供たちはわずかな手がかりを元に母の行方を追いだすが、母は過去の因縁から、母の両親を放火殺人した「嘘つきの天才」のストーカーに誘拐されていたのだった... そういう話。子供たちが大人たちの援助を拒んで、十六の姉、十五の弟、四歳の末っ子の三人だけで追跡をするのには、潜水艦艦長だった父の公務での失踪をネタに使った「軍の秘密命令」を口実に使った罠が込められているという仕掛け。母の失踪が父の秘密任務に関係している、と子供たちの「願い」を悪用する悪辣な罠なんだけども、子供だから仕方ないなぁ....そんなわけで孤立無援の子供たちに感情移入して、子供だから至らないあたりにハラハラしつつ読み進めることになる。(作者の父も日本近海で潜水艦が沈没して亡くなったそうである...リアルは実体験) しかもこのストーカー、とくに女性に対しては「無敵」なくらいに、自分のいいように操ることができたりするセクシーさ。これを存分に利用して罠を仕掛けてくるわけだ。後半では邪魔な子供たちを始末しようと、ストーカーが子供たちに直接アプローチしてくるのだけども、十六の姉さえもその性的魅力にイカれそうになる。いやそんな「怖さ」。 読んでいて連想するのは「狩人の夜」。共通点は多いけども、子供たちが母を追跡するプロットが逆方向かな。あと母が画家でトラウマになっている場所を油絵で描いているのが、この作者の「ドロシアの虎」と共通する。 あ、言い忘れてた。キット・クレイグはSF系の作家キット・リードの別ペンネーム。評者はこの人の短編「オートマチックの虎」が大好きでこのところ追跡している。長編は「ドロシアの虎」が訳されているだけで残念。SFと言ってもいわゆる「異色作家」系の作家で、ややフェミ色もあるようだ。 いやSFの短編作家としては愛好者が多いようでもあるよ。何も知らずに評者も「オートマチックの虎」を読んで、ずっと覚えていたわけだしね。 |
No.1105 | 5点 | 谷崎潤一郎 犯罪小説集 谷崎潤一郎 |
(2023/01/20 15:49登録) 「途上」はともかくとして、谷崎と乱歩って精神風土に共通部分が大きいから、もっとたくさん「ミステリ」があるか...と思ってたが、意外に少ないようだ。この本だと短編3作「柳湯の事件」「途上」「私」に中編「白昼鬼語」の4作を「犯罪小説」として紹介。「金色の死」や「秘密」とかも入れてもいいのかもしれないし、幻想小説なら「魔術師」とかもOKなんだろうが。 いや大正年間に一世を風靡した「悪魔主義」というものが優れて都市的な現象だった、というのはそれこそボードレールを論じたベンヤミン以来の定石的な視点なんだけども、ポオとボードレールの「群集の人々」を眺めやる遊民の視点は、「推測の魔」によってしかアプローチができない猥雑な日常と道徳の背後にある「究極の美」が顕現する世界をかすかに捉えて、予感し震える....それが「猟奇」。朔太郎や白秋といった詩人たちのセンスによって、ミステリの出発点が支えられていたことを、やはりこの谷崎の「犯罪小説」も証明するわけである。 しかし、この時代が大衆小説の勃興期でもあり、その反作用としての「純文学」が領域化された時代でもあるのだから、たとえば谷崎だって「大衆小説」の枠組みで「武州公秘話」やら「乱菊物語」を書くわけだし、芥川だって「邪宗門」でそういう伝奇なアプローチを見せたりもしている。言いかえればここで谷崎が「犯罪小説」を書いたという事実も、「越境」ということではなくてまさに未分化の時代の産物のようにも思われる。いやいや、今のジャンル小説化した状況と同じように語るのもどうか、と思っていたりもするんだ。 まあでも長い「白昼鬼語」がガチに乱歩テイスト(「恐怖王」?)が強いからね~この乱歩「特有」と捉えがちな味わいは、乱歩の個性もあるけども、時代背景にも負っているようにも感じられるなあ。いや「柳湯の事件」に「盲獣」に通じる触覚重視があって、そういうのが面白い。 |