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ミステリの祭典

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殺人鬼
藤枝真太郎

作家 浜尾四郎
出版日1956年01月
平均点7.12点
書評数8人

No.8 8点 斎藤警部
(2019/10/15 13:56登録)
心理トリック剛速球、戦前の奇蹟。余裕ある総ページ数なのに展開速いこと!時折現れる’一本のAirship’が呉れる最高の旨味。『X番目の被害者が何故それほどに意外極まりないと、両雄(探偵二人)から、目されたのか?』このあたりの機微も凄まじく素晴らしいね。最も深刻な、最も趣き深い復讐方法。。。これ程までの換骨奪胎乱反射であらぬ方向へ何箇所も突き抜けられたら、しかもそれを目線の高い知の制御のもと完遂されたら、最早これはヴァン・ダインをどうした言う域の作品じゃあないね。最高に頭のいい若禿上流エリートさんがアラフォー晩年期にものした最佳の充実作。必読度A、長大さAだが読みやすさもA。怖れる事は無い。(ただちょっと、豪快アリバイトリックで無理し過ぎの所が。。。笑)

No.7 7点 E-BANKER
(2017/11/18 10:56登録)
前から読もう読もうとしていた作品。(最近こういう書き方をしているケースが多いような気がする・・・)
ちょうど1,400冊目の書評に当たっていたため、今回本作を手に取ることにした次第。
創元文庫の「浜尾四郎集」収録版にて読了。1931(昭和6)年、名古屋新聞にて連載開始、翌1932年に単行本化された作者畢生の大作。

~ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』に触発され、製紙王・秋川一家にまつわる連続殺人事件をテーマにして描かれた「殺人鬼」は、戦前日本探偵小説中、随一と言っていい本格物の一大収穫である。また、真の探偵小説は理論的推理による真犯人の暴露でなければならない、との持論を実践した作品でもある~

これは・・・実に重厚、実にクラシカルな一大本格探偵小説だな。
文庫版で500頁超。とにかく作者の探偵小説に対する熱量というか、「熱い想い」をビシバシ感じながらの読書となった。
ただし、「熱い」と言っても、決して冷静さを欠いているわけではない。
本作がヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」の本歌取りを志向した作品なのは著名だけど、「グリーン家」の模倣で終わることなく、その弱点を補い、違う角度から探偵小説を組み上げていこうという実験的&理論的な作品に仕上がっている。
フーダニットについては、中盤には大凡の察しがついてしまったけど、それは21世紀の今の読者目線での話であって、当時の人々にとっては斬新なプロットと写ったに違いない。
探偵役を務める藤枝真太郎についても、多少傲慢さは窺えるものの、ファイロ・ヴァンスの衒学趣味に比べればまぁ可愛いもんだろう。

もちろん難癖を付ける気になれば、枚挙に暇はない。
例えばアリバイに関する考察。
これは一応の注意を払われているものの、綱渡りのような動きが何回も成功していること自体、精緻なトリックとは言い難い。
あと、「なぜ真犯人は、容疑者が絞り込まれやすいCC設定に持ち込んだのか?」という根本的な疑問。
作者は、殺人に至る背景と“ある偶然のタイミング”をその解答として用意しているわけだが、読者としてはどうにも釈然としない。
などなど・・・
でもまぁそれは詮無き粗探しだろう。
戦前の日本でも、こんな正調で格式高い探偵小説が書かれていたことに対しては素直に敬意を払うべきではないか?
最近「鉄鎖殺人事件」も文庫で復刊されたらしいので、機会があれば手に取る(かもね)。
(とにかく謎解きパートのボリュームがすごい! 萎えるほど・・・)

No.6 7点 人並由真
(2016/12/15 15:07登録)
(ネタバレなし)
 新刊の合間にもっと未読の旧作や名作を読もうと思って手にした一冊だが、巷で喧伝される<21世紀のいま読んでも面白い>の世評どおり、かなり楽しめた。
 先の見えない連続殺人劇の豪快さに、秘めた人間模様を語る作劇がうまい感じで融合し、ストーリーテリング的にも申し分ない。
 
 本書は『グリーン家殺人事件』を先に読んでいることを絶対の前提に楽しむべき一冊だが、先の空さんのご指摘どおり、作者が要求するそんな大枠自体が一種のミスリードになっている辺りにも感銘した。
 作者がこの時点で、ファイロ・ヴァンスやのちの金田一耕助などがよく問われる「名探偵の介入後も連続殺人が続く、防御率の低さ」という普遍的な課題に関して十全に意識し、自分なりの考えを提示したのもよく分かる。

 なお登場人物の少なさも踏まえて犯人の意外性は微妙といえば微妙だが、それでも小説の技巧的には容疑者を読者の視点の圏外に置こうとする作者の工夫ぶりはしっかり感じられる。そして何よりこの真犯人の設定は本書の刊行が昭和6年(1931年)であり、この時期の国内の読書人たちをどのような国産ミステリが賑わしていたかまで目を向けるなら、いっそう感慨は深まるのではないか。
(他の作品のネタバレになるのであまり多くをここでは語れないが、ある程度の冊数の戦前の国産ミステリを、発表年まで意識しながら読んでいる人なら、なんとなく言いたいことはわかってもらえるのではないかと思う)。

 くわえて探偵役の藤枝の終盤の謎解き、ワトスン役の小川がしつこく思いつく疑問の数々に対して、ああ、そこはこうだったと思えるよ、と応じる辺りのボリューム感にも感服。ひとつひとつの説明のなかにはちょっと苦笑的なものも無くはないのだが、総じて細かい部分へのこだわりを見過ごさず、時に、ああ成程…と唸らせるような推理や仮説を連発するところなど、いかに当時の作者に高いミステリのセンスがあったかがよく分かる。

 ちなみに以下は全くの自分語りであるが、今回の本作は思い立って、大昔に古本で購入してあったポケミスの初版で読み始めたら表紙が外れてしまい、仕方なく途中から創元の浜尾四郎集の方で読み続けた。もっと前に読んでいれば本を痛めることもなかったかな、とか、本書のポケミス初版当時(1955年)の製本技術ではこの大冊(全部で約360ページ)は歳月の経過に耐えられなかったのかな、とか、創元版の方は当時の新聞の挿絵を全部じゃないにしろ、部分的でも再録してほしかったなとか、色んな思いにふけった。残りの藤枝ものも追い追い読んでみよう。

No.5 7点 蟷螂の斧
(2015/05/10 21:21登録)
1931年の作品ですが、古臭い感じは全くしません。当時、かなり斬新なスタイルだったのではと思います。どっぶりと本格に浸った作品ですね。この時代にこんな作品が発表されていたことに驚き。丁寧な作りで意外性も充分ありました。

No.4 7点
(2011/06/07 20:54登録)
皆さんが言及されている『グリーン家』については、むしろミスディレクション的な使い方がされていて、その本家よりこっちの方が犯人の意外性はあると思います。それでも現代では使い古された手とは言えるでしょうが。
一方ヴァン・ダインお得意の衒学趣味については、名探偵の藤枝が事件を交響曲にたとえて、第1楽章はアダージョだとか言っているくらいのものです。文章も平易で読みやすいのはいいのですが、ヴァン・ダインのような深い味わいはありません。語り手の小川がかなりでしゃばりな点も、ヴァン・ダインとは正反対です。
それにしても、いかにも古めかしい一家連続殺人フーダニット。
最後の藤枝による説明がまた非常に丁寧です。伏線になっている部分(章・節)をその都度明示するなど、カーやデイリー・キングにも例はありますが、本作の方が少し早いという世界的にも先駆的作品です。さらに中盤でもさまざまな推理・仮説が述べられ、「推理小説」という言葉が生まれるよりはるか以前に書かれた、まさに推理小説です。

No.3 7点 kanamori
(2010/08/01 17:25登録)
現在の基準では、とても高い評価はできませんが、昭和の初めにこれだけの重厚でリーダビリティの高い本格編を書いていたのはちょっと驚きます。
作中でも何度か触れられている「グリーン家殺人事件」を彷彿(というか、ほとんどコピー)させるプロットではありますが、こういうのが好きなので全然問題ありません(笑)。

No.2 8点 測量ボ-イ
(2009/12/04 20:33登録)
作者もかなり意識されている事が伺えますが、これはまさしく
和製「グリ-ン家殺人事件」ですね。でもおおいに楽しめま
した。
日本の推理小説の変遷を勘案すれば、この時期(昭和6年)に
この完成度の作品が書かれた事は称賛に値すると思います。
現代の作品しか読まない人にとっては、犯行動機が前時代的だ
とか、犯人が比較的判りやすいとかいうツッコミが予想されま
すが、聞く耳を持ちません(笑)。

古き良き探偵小説を好む方には必読の作品です。

No.1 6点 nukkam
(2009/04/21 09:21登録)
(ネタバレなしです) 浜尾四郎の長編ミステリーの最高傑作とされるのが1931年発表の藤枝真太郎シリーズ第2作の本書です(といっても長編は3冊しかないのですが)。ヴァン・ダインの影響が濃厚ですが幕切れはアガサ・クリスティーの某作品を彷彿させます。トリックにはご都合主義的なところもありますが戦前のミステリーにこれほど王道的な本格派推理小説があったというだけで本格派好きとしては嬉しくなります。なおヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」(1928年)のネタバレを作中で行っているので未読の方はご注意下さい。

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