第八の日 エラリイ・クイーン |
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作家 | エラリイ・クイーン |
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出版日 | 1976年06月 |
平均点 | 5.75点 |
書評数 | 8人 |
No.8 | 6点 | HORNET | |
(2022/08/29 22:58登録) かなり特異な設定だが、私はそれがかえって面白く興味深かった。 「誰か」と勘違いして、村の救世主のように迎え入れられていることに、何の抵抗もせず身を任せているエラリイの良識はちょっと…と思ったが、まぁ本作の設定のためと目をつむれば、それ以降はなかなかに面白い。 クイーンの長編にしては短めで、それが「シンプルな一発もの」という分かりやすさとしてよくはたらいている気がする。 後半初めにみる一応の解決がダミーなのは誰の目にも明らか。そしてそう悟ったときに、真犯人もほぼ明らか。そういう意味では犯人あての「謎解き」としては浅いのだろう。だが、その動機や、そこにいたる村人たちの心理がまたミステリであり、魅力的な物語として持続し続けた。 唯一、エピローグがちょっと飛躍しすぎていて、あまりしっくりこなかった… |
No.7 | 8点 | 虫暮部 | |
(2020/10/30 17:02登録) 不可解な宗教の話は好きだなぁ。ミステリの宿命で悲しい展開なのが悲しい。共同体の裏側にもっと驚きの真実が隠されていて欲しかったけど、それは望み過ぎか。 EQが多用した“偽の手掛かり”ネタの作品としては説得力が強く、著作リストの中での存在意義も高い一冊だと思う。 |
No.6 | 5点 | レッドキング | |
(2020/09/25 19:33登録) 米国アーミッシュに中国桃源郷を加えたような共同体に偶然迷い込んだエラリィ・クイーン。半世紀間、犯罪一つなかった外界に閉ざされたコミュニティに起きた殺人事件に関わる羽目に・・。事件解決より失われた旧約聖典「MKh(ミカ書)」を巡る謎(オチがマインカンプ!て)の方に興味がわく。事件そのものはたわいないが、有栖川有栖ともかく何で麻耶雄嵩までがクイーンに拘るのか、この作品で分かった気がした。 |
No.5 | 7点 | クリスティ再読 | |
(2017/10/31 00:26登録) 最終期のクイーンでは一番面白いのではなかろうか。というか、最終期はそれまでの作品のコラージュみたいになってしまって、「あ、前にあってねこんなの」となりがちなのだが、本作はそうでない、ユニークな小説である。 本作のクイーナン・コミュニティは、洗礼者ヨハネ関連では?と考えられている死海文書で有名なエッセネ派からヒントを得たような、オリジナルの原始共産制宗教コミュニティである。ネバダ砂漠の中に隠れ、外界とは交渉を持たずに、それでもオアシスの恵みによって安定した独自の社会を築いている。所有も物欲もなく、すべてが必要に応じて分配されるユートピアに、エラリイが迷い込む。「教師」によると、ある「トラブル」が共同体を襲うが、エラリイはトラブルに対して「道を開く」ために呼ばれてきたのだという....予言の通り、果たして殺人が起きた! というわけだが、そういう「ユートピアでの殺人」のために、エラリイとしても大いに勝手が違う。エラリイは通常の殺人捜査の手法によって犯人を突き止めるのだが、しかしこれは後期のパターン通り、誘導された真相であり、エラリイは何か大きな力に操られるかのように、「偽りの真相」による告発と断罪を先導する。しかしそのさ中にエラリイは本当の真相をつかむがそれは...なのだが、本作の独自なところは、「真相」が真相であるためには、それが社会によって意味を与えられるのでなければ、何の意味も持ちえない、ということなのである。今回のエラリイは失敗すらさせてもらえないほどに、その推理は無力なものでしかないのだ。 なので本作は、砂漠の蜃気楼のような「探偵の悪夢」だろうか、かなり皮肉な寓話みたいなことになっている。ほんとはね、「ミステリの真相」というも実は「ミステリが真相を見出す小説」であるがゆえに、たまたま小説のオチになるだけのことなのだよ。 |
No.4 | 4点 | 青い車 | |
(2017/01/21 00:23登録) エラリー・クイーンが後期に多く扱った宗教絡みの事件です。そこが面白いと取るかどうかが評価の分かれ目でしょうが、僕の主観ではクイーン本来の謎解きの楽しみを大きく減殺している夾雑物にも感じられ、却ってマイナス要因になってしまいました。好きな作家だからこその厳しめ採点です。 |
No.3 | 4点 | nukkam | |
(2015/03/17 16:40登録) (ネタバレなしです) 1960年代のクイーン名義の作品は大半がゴーストライターによる代作だそうですが、1964年発表のエラリー・クイーンシリーズ第26作の本書もその一つです。異世界といってもいいような風変わりな舞台が用意されており、まさに「不思議の国のエラリー・クイーン」といった趣きです。但しファンタジー小説のような明るい幻想性はありませんが。主要人物は名前ではなく「跡継ぎ」とか「教師」とか職業や社会的地位で呼ばれており、そのためハヤカワ文庫版の登場人物リストは全く意味を成していませんがこれはやむを得ないでしょう。一応は本格派推理小説の形式に沿っていますが謎解きは平凡で、特殊な舞台とその中で外部からの訪問者であるエラリーが果たす役割などに見るべきところがあるように思えます。独特の世界を描いたことが評価されたのか一部の読者からは高く支持されているようですが、ここまで異色だとさすがにクイーン入門書としてはお勧めできません。 |
No.2 | 7点 | Tetchy | |
(2012/08/31 23:04登録) エイブラハム・デイヴィッドソンによって書かれたとされる本書はクイーン作品でも異色の光彩を放つ。閉じられた世界での物語といえば『シャム双子の謎』や『帝王死す』などそれまでにもあったが、本書は世界観から創っているところが違う。 ピーター・ディキンスンを髣髴とさせる異様な手触りを放つ作品。閉じられた共同体であるクイーナンはアメリカにありながらアメリカではない。全ての物は村人の物であるという共産主義的社会。美術、音楽、文学、科学さえも存在しない。教典とされるのはMk'h(ムクー)の書と呼ばれる存在すらも危ういまだ見ぬ聖書。犯罪そのものを知らない人々に対して指紋がどんなものかから教えるエラリイ。 事件自体はそれほど特異なものではないが、本書の特徴はその後の展開にある。ネタバレになるので敢えて書かないが、この結末はエラリイの存在、到来自体を否定するものだ。つまり本書はエラリイのための事件ではなかったということだ。つまりは探偵の存在を否定する探偵小説。本書の本質とはまさにこれに尽きるのかもしれない。 |
No.1 | 5点 | 空 | |
(2009/04/01 22:31登録) ダネイ自身が後期の中で気に入っている作品として挙げていたのがこれですが、謎解きミステリとしてだけなら、後期のエラリー登場作の中でも特にあっけないものです。 しかし、『十日間の不思議』以来クイーンが何度か取り上げてきた宗教的なテーマということでは、最も充実した作品と言えるでしょう。完全に外界から隔絶されたコミュニティーの中で進むストーリーは、SF的な感じさえします。実際の執筆を担当したのはSF作家のエイヴラム・デイヴィッドスンだということですが、この作品なら納得できます。誰でも指摘することでしょうが、最後の「聖典」が何だったかという点は、殺人事件の真相よりはるかに意外でした。 |