皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
32119. | 常連の参加者さんの御近況につきまして 人並由真 2022/02/09 01:20 [雑談/足跡] |
ふと、 tider-tigerさん、雪さんのお二人が しばらくお見えにならないのが、 いささか気になっております。 お二方ともお忙しいだけで、ご健勝ならばよいですが。 (もちろん、プライベートなことに立ち入るのは エチケット違反ですし、本意ではございませんが。) またお二人の楽しいレビューを拝見ねがえたら、と 思っております。 乱文、不躾な物言い、失礼いたしました。 管理人さま、参加者の皆様、まだ冷え込みますが、お体に お気をつけてお過ごしください。 人並由真 拝 |
32110. | ハメット『マルタの鷹』に追記しました! 弾十六 2022/02/06 11:13 [雑談/足跡] |
£1=$10という換算レートの謎を解いたつもり。 でも昔、海外の本やCDを手に入れようとしたら結構換算レートより高かったので、実は手数料込み、というのが真相なのかも。 |
32109. | RE:翻訳家・中田耕治氏 逝去 弾十六 2022/02/06 08:30 [雑談/足跡] |
人並由真さま おはようございます。 知り合いがどんどん亡くなってゆくのは、 自分が年齢を重ねると仕方のないことですが、やっぱり寂しいですね。 私の場合、 『虎よ、虎よ』『死の接吻』 が印象深いです。 短めでピリリとした文体がとても好きです。 『裁くのは俺だ』(未読)もそうでしたね。 最近やっと『マルタの鷹』を読んだので、『裁くのは俺だ』こそ正当なハードボイルド・スクールの後継者だ、と言えるのでは?と妄想しています。噂に聞いてる内容から想像するに、完全なオマージュですからね。 この機会にポケミスの古い版で読んでみようかな。 何と言ってもポケミス最初を飾る記念すべき一冊ですから… 情報、ありがとうございました。 (追伸) ポケミス101はスピレーン『大いなる殺人』でした。記憶に頼ると碌なことがありません… |
32108. | RE:RE:RE:「パルプ地獄變 ―紙漿の草叢に活路を求めて」 おっさん 2022/02/06 07:57 [雑談/足跡] |
弾十六様 お早うございます。 グルーバーの翻訳の件、了解しました。 残念ですが、あまり無理を言っても駄目ですね。 The Pulp Jungle を、商業出版できちんと紹介しなおそう、という編集者が現れることに望みをつなぐことにします。 小生は、機械翻訳には疎いのですが、あの本がそれを「下訳」にしていたのだろうな、とは、ほぼほぼ察しがつきます。 例の「IT」も「I」の入力ミス(?)のたぐいでしょうし。ただ、せめて、そのあとの推敲作業には、時間をかけて欲しかった……。 まあ、このくらいにしておきましょう。 不愉快な事柄をいつまで話題にしても、ストレスが溜まるだけですから。 そんな時間があったら、別な本を読んで楽しむべし(笑)。 それでは、今後の弾十六さんの、ますますのご健筆を祈念しております。 おっさん拝 |
32107. | 翻訳家・中田耕治氏 逝去 人並由真 2022/02/06 07:25 [雑談/足跡] |
2月4日の早川書房のHPで告知されましたが 『裁くのは俺だ』『死の接吻』『犠牲者は誰だ』 『B・ガール』『虎よ、虎よ』その他の翻訳 さらに創作や評論、演出で長年にわたり活躍された中田耕治氏が 昨年11月26日に心不全で亡くなられていたそうです。 享年94歳。 多くのお仕事で、楽しませていただきました。 まだまだこれからも、手掛けられました 遺された多数のお仕事で、楽しませていただきます。 ありがとうございました。 ご冥福をお祈りいたします。 人並由真 拝 |
32104. | RE:RE:「パルプ地獄變 ―紙漿の草叢に活路を求めて」 弾十六 2022/02/06 03:06 [雑談/足跡] |
おっさんさま おばんでした。 同人本の翻訳実例を示していただき、ありがとうございます。かなり困ったシロモノですねえ。 実は本気で自分のホームページで全訳を発表しようかなあ… と思ったりして、コツコツと翻訳っぽいのを仕上げていたのです。第一章だけでも完成に一か月くらいはかかっていますので、素早く出来たものではありません。 翻訳を長めにやってみてわかったのですが、自分の実力ではすぐに意味が取れず、うんうん唸らないと正解が出てこないのが結構ありました。それから、本作は1967年出版なので著作権的に良いのかなあ、というのもあり(日本語の翻訳には十年留保という特例があって一応翻訳権はクリアしてる物件なんでしょうけど、「印刷した翻訳物以外の権利は現著作者に帰属するのでは?」という説が一応有力らしいのです…なので本来電子本やHPでの発表はダメらしい)ほぼ諦めているところなのです。 もちろん全部翻訳するのはしんどい、というのが一番の本音です。 グルーバー作品は全然読み込んでないし、登場するブラック・マスク作家たちもおなじみじゃないからニュアンス違いも怖いし。 どうせやるなら注釈もたっぷり付けたいし… 小鷹さんの意思を継ぐハードボイルド派翻訳の若手がぜひやって欲しい。そしてさらにはハメット全集をフレッシュな感覚で(私は小実昌さんっぽいキャラの人が良いと思います…)やって欲しいなあ。 でもおっさんさまのような読み巧者に第一章の訳を気に入っていただいて、ありがたいお言葉もいただいて、素人ホンヤク者としては本望です。 (追記) この同人本、DeepLの自動翻訳でチャッチャと仕上げたような感じが… 問題の部分をやってみると以下の文章が生成されました。AI翻訳侮れず! 私はその時代に生き、実践してきたので、1930年代のパルプ作家の生活と時代を回想する上で避けることのできない「私」を使い続けることを読者に我慢してもらいたい。 |
32103. | RE:「パルプ地獄變 ―紙漿の草叢に活路を求めて」 おっさん 2022/02/05 23:39 [雑談/足跡] |
弾十六様 さすがの反応速度ですね、恐れ入りました。 本当は、問題の本は、弾さんのようなかたにこそ読んでいただいて、書評を書いていただきたいのですが、あまり無理はいえませんね(笑)。 第一章の私訳を拝読して、いろいろ納得できるものがありました。 >おれはあの時代を生き抜き、この稼業をずっと実践してきたので、読者にはお許しいただきたいのだが、この文章では、この先も一人称「おれ」で語っていこうと思う。1930年代のパルプ作家たちの人生と時代を回想するのに、最も相応しいと思うからだ。 なるほどスッキリ。 例の本では、その部分は、以下のように訳されています。 「私はその時代を生き、その技術を実践してきました。私だからこそ、一九三〇年代のパルプ・ライターたちの人生と時代を回想する上で避けて通れない「IT」の使用について、読者の皆さんにはご理解いただきたいと思います」 「イット」って何かの隠語か? と困惑していましたが、原文の「アイ」を誤読してたのか、この訳者さんは! 嘘みたいなホントの話。嗚呼……。 本気で提案するのですが、弾さん、The Pulp Jungle の完訳に挑戦してみてはいかがですか? 需要は確実にありますよ。例の本を買った人は、必ずチェックしたくなりますしね(笑)。 公開の方法や販路がネックかもしれませんが、真面目にご検討いただけると幸いです。 凄く、読みたいです。 おっさん拝 |
32099. | 「パルプ地獄變 ―紙漿の草叢に活路を求めて」 弾十六 2022/02/05 13:24 [雑談/足跡] |
おっさんさま おばんでした。 人並由真さまに教えられて、そのあと某オークションに出ていたので、どうしようかな?とちょっとだけ迷ったのですが、適切な評価を発表いただきありがとうございました。 そういう翻訳のレベルで発表するのはやめてほしいですね。 以下は手元の原文から第一章だけ私が翻訳したもの。(ちょっと長いけど引用の範囲で許してくださいね) Chapter One Late in 1960 I received a telephone call from a professor at the University of California at Los Angeles. They were having a special exhibit of Black Mask magazines and material about Black Mask writers, and the professor wondered if I was the Frank Gruber who had contributed to the magazine back in the 1930's. (1:1) 1960年の暮れ、おれは一本の電話を受けた。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授からだった。大学でブラック・マスク誌とブラック・マスク作家たちに関する資料の特別展示会を企画していて、その教授は、おれが1930年代に雑誌に寄稿していたフランク・グルーバー本人で間違いないか、と尋ねてきたのである。 To say that I was startled is the understatement of the week. Me, a relic of the dinosauric period of pulp writing? (1:2) おれは驚いた、という表現には、「今週の最も控えめな言い方で賞」をやっても良い。おれが、パルプ作家という恐竜の住む古生代の発掘物だって? On exhibit? (1:3) 展示会だって? But the calendar is a brutal thing, and in 1960 it was twenty years since I had written my last story for Black Mask. It is now twenty-seven years and I have become somewhat attuned to the fact that I am an old mossback who has somehow survived his time and in these past six or seven years I have seen many, many stories reprinted from the Black Mask period, and I have seen and heard many critics and students of serious literature extol the virtues and vitality of those practitioners of the sparse prose of the 1930's. (1:4) しかし、暦とは残酷なもので、1960年という年は、おれが最後にブラック・マスクに書いてから20年が経っている。今やそれは27年となり、おれも事実に多少は慣れてきた。どうにか時代を生き抜いてきたが、おれはもう、苔むした年寄りなんだ。この六、七年の間に、ブラック・マスク時代の物語がたくさん、たくさん復刻されてきたことも知っている。そして、多くの批評家や真面目な文学を学ぶ生徒たちが、1930年代の閑疎な散文の実践者たちの価値と活力を称賛するのも見聞きしてきた。 A writer is seldom a modest person―if he were he would not be a writer―and since I lived and practiced my craft through those years I hope that the reader will bear with me through the continual use of the " I " that I cannot avoid in reminiscing about the life and times of the pulp writers of the 1930's. (1:5) 作家で稀なのは、控え目な人物だ----そんな奴は作家とは言えないだろう----おれはあの時代を生き抜き、この稼業をずっと実践してきたので、読者にはお許しいただきたいのだが、この文章では、この先も一人称「おれ」で語っていこうと思う。1930年代のパルプ作家たちの人生と時代を回想するのに、最も相応しいと思うからだ。 *** There are milestones along the path of anyone's life and there were times in my own career when memorable things happened―memorable to me, that is, but being a writer I cannot merely put a character on a road and have him set down milestones here and there. I've got to give the character some substance. I've got to give him a background. I've got to probe his mind. I've got to give him some depth and I've got to tell how he came to be on that road. I've got to make him come alive. (1:6) 誰の人生にも節目というものがあるし、おれ自身のキャリアの中にも、記憶に残るような出来事がいろいろあった----自分の記憶に、という意味だ。しかし、作家である以上、あるキャラクターを旅に出し、そいつがあちこちに標石を据えていくに任せるだけ、ではすまない。そいつに実質を持たせ、背景を与えなければならない。その心を探らなければならない。人生に深みを与え、どのようにしてその道を歩むようになったのかを示さなければならない。そいつに、血を通わせなければならない。 *** So there is only one place to start―at the beginning. (1:7) だからスタートする場所は決まっている----物事の最初から、だ。 *** I read my first book when I was nine years old. It was a paperback copy of Luke Walton, The Chicago Newsboy by Horatio Alger, Jr. The book made a profound impression upon me, for I lived in Chicago and I was, at the age of nine, a newsboy! (1:8) おれが初めて本を読んだのは、九歳のときだ。ホレイショ・アルジャー・ジュニアの『ルーク・ウォルトン、シカゴの新聞売り子』のペーパーバックだった。この本にとても深い印象を受けた。おれはシカゴに住んでいて、そして、九歳で、新聞売り子だった! During the next several years I read a hundred Alger books. Some I borrowed, some I stole, some I got from the Chicago Public Library, a few were given to me as birthday or Christmas gifts and some I bought myself, in the Donahue cloth editions, which sold in those days for ten cents. (1:9) それから数年の間に、おれはアルジャーの本を百冊ほど読んだ。借りたり、盗んだり、シカゴ公共図書館を利用したり、誕生日やクリスマスのプレゼントだったり、そして当時、価格10セントだったドナヒューの布製版を自分で買ったりした。 The Alger books influenced me more than anything else in my life. They settled the problem of my future. They instilled in me an ambition that I have had from the age of nine or ten. I never deviated from that early ambition. (1:10) アルジャーの本は、おれの人生に何よりも影響を与えた。おれの将来という問題に答えをくれた。九歳か十歳の時に、ある野心を植え付けてくれた。おれはその最初の野心から一度も外れたことはない。 Virtually all of the Horatio Alger, Jr., books have the same theme―they tell how poor boys became rich. The theme inspired three generations of Americans. Alas! The reading of the Alger books did not instill in me the ambition to become a rich businessman. No, the books inspired me to become a writer, to write books like those of Horatio Alger, Jr. And I was writing before I was eleven. I completed at that time a book. It was written in pencil on wrapping paper, cut down to appropriate size. (1:11) 事実上、ホレイショ・アルジャー・ジュニアの本はすべて同じテーマだ----貧しい少年がいかにして金持ちになったか。このテーマは、三世代の米国人に影響を与えた。ところが残念なことにアルジャーの本を読んでも、おれは金持ちのビジネスマンになるという野心を持ったわけではない。それよりも、おれは作家になりたいと思ったのだ。ホレイショ・アルジャー・ジュニアのような本を書きたい、と。おれは十一になる前から書いていた。そして当時、1冊の本を完成させた。適当な大きさに切った包装紙に鉛筆で書いたものだ。 Of course I outgrew the Alger books, but I did not outgrow the desire to become a writer. But life had to be lived in the meantime and I quit scribbling when I was about thirteen or fourteen. (1:12) もちろん、成長するとアルジャーの本は卒業した。しかし、作家になりたいという望みは卒業しなかった。しかし、その間にも人は生活しなければならず、十三か十四の頃には書くのをやめていた。 The flame of ambition smoldered during the years and sometimes it became a dim flicker, but it never died out entirely, and in my late teens and early twenties the flame became sturdy. But by that time I had become a young intellectual and when I began writing again I was reading Literature with a capital L. (1:13) 野心の炎は何年もくすぶり、ときには弱々しく揺らめくこともあったが、完全に消えることはなかった。そして十代後半から二十代前半にかけて、その炎はしっかりと強くなった。しかし、その頃のおれは若い知識人気取りで、再び書き始めたときには、真面目な「文学」を読むようになっていた。 I wrote stories and submitted them to magazines like the old Smart Set, Atlantic Monthly and Scribner's Magazine. They were all rejected and I thought I would lower my sights and try the more popular magazines, The Saturday Evening Post, Collier's, that type of trash. They wanted none of me and I found myself, at the age of twenty-two, with the ambition to write burning more brightly than ever, but nowhere to go. (1:14) おれは物語を書き、懐かしの『スマート・セット』、『アトランティック・マンスリー』、『スクリブナーズ・マガジン』などの高級文芸雑誌に投稿した。しかし、それらはすべて却下され、おれは目線を下げて、もっと大衆的な雑誌に挑戦しようと考えた。『サタデー・イブニング・ポスト』や『コリアーズ』といったくだらない雑誌に。だが、どこも採用してはくれなかった。二十二歳のおれは、かつてないほど作家としての野心を燃やしていたが、どこにも行き場は無かった。 The pulp magazines had begun to flower and I started reading them. I wrote a few stories and mailed them to the pulps. I was still living in Chicago, but I had, at this point, never met a real live editor and I would not have known an author if I had seen one on the street! (1:15) パルプ雑誌はやっと花開きつつあり、おれも読みはじめていた。いくつか物語を書いては、パルプ雑誌にも郵送した。おれはまだシカゴ住まいで、この時点では生身の編集者に全く会ったことがなく、一人の作家も知らなかった。街で見かけていたかもしれないが! A few magazines were still published in Chicago in those days and one day I decided to go down in person and meet an editor. The magazine was Real Detective and the editor, one Edwin Baird, made a big thing in the back of the magazine about his writers. He was always "discovering" new writers and he welcomed them to his magazine. (1:16) 当時はまだシカゴでもいくつかの雑誌が発行されており、ある日、おれは直接、編集者に会いに行こうと決めた。雑誌は『リアル・ディテクティブ』で、編集者のエドウィン・ベアードというのが、雑誌の裏のページで大袈裟に宣言していた。常に新しい作家を「発掘」し、自分の雑誌に迎え入れる、というのだ。 I took a day off from my regular job and went down to see Mr. Baird. I got into his office, all right, but he kept me standing and gave me about thirty seconds of his valuable time. I handed him a manuscript. I will say this, he sent it back with a personal note―instead of the familiar rejection slip. The substance of the note was "forget it." I wasn't willing to forget it, and one Saturday I went downtown to McClurg's Book Store and came across a book entitled, 1001 Places to Sell Manuscripts. I also found a magazine called Writer s Digest. (1:17) 仕事を休んで、ベアード氏に会いに行った。無事オフィスに入れてもらったが、彼はおれを立たせたまま、貴重な時間のうち三十秒だけ割いてくれた。おれは彼に原稿を渡した。全くヒドイ話だが、彼はその原稿を、私的なメモを添えて送り返してきた----おなじみの不採用通知の代わりだ。そのメモにはただ「ダメ」とあった。 「ダメ」で諦めるつもりはなかった。ある土曜日、ダウンタウンのマクラーグ書店で『原稿を売る1001の場所』という本をたまたま見つけた。そして『ライターズ・ダイジェスト』という雑誌も。 These two items opened up a new world. I found that there were hundreds and hundreds of publications that were not usually found on the newsstands that printed stories and paid for them. (1:18) この二つの印刷物が新しい世界を切り開いた。普通ニューススタンドでは見かけないが、世の中には何百、何千という新聞や雑誌があり、物語を印刷し、それに対してお金を払っていることがわかったのだ。 Weeks of study of the magazine and the book decided me to try the lowest form of writing―at least that was the way it seemed to me at the time. There were about a hundred Sunday School papers that paid from a tenth of a cent a word to a half cent. There was a hint in 1001 Places to Sell Manuscripts that sample copies of these papers could be obtained free. I bought a hundred postcards and brazenly wrote to every paper listed, asking for a free copy. (1:19) 何週間にもわたって、この雑誌とこの本を研究し、おれは最も低い形態の書き物----少なくとも当時はそういう風に思えたのだ----を試してみようと決めた。日曜学校の新聞が百紙ほどあり、稿料は一語につき最低1/10セントから最高半セント。『原稿を売る1001の場所』には、これらの新聞は、無料のお試し版を提供している、との情報があった。おれは百枚ほど葉書を買い、掲載されているすべての新聞社に、図々しくも無料版を頼んだ。 Astonishingly, almost all of the Sunday School publishing houses sent me free copies of their publications! I read them thoroughly and for six months wrote Sunday School stories and mailed them to the little church papers. The stories came back with monotonous regularity. Each was accompanied by a printed rejection slip. (1:20) 驚いたことに、ほぼ全ての日曜学校の出版社が、無料版を送ってくれた。おれはそれらを徹底的に読み、6か月間ずっと日曜学校向けの物語を書き、各地の小さな教会新聞に郵送した。淡々と規則的に、物語は戻ってきた。その全てに印刷の不採用通知が添えられていた。 It was an agonizing period. I was twenty-three years of age. I had read Jack London's Martin Eden and thinking about it was about the only thing that kept me going. London had had just as difficult a time breaking in. But he hadn't stooped to writing the lowly Sunday School stories and if I couldn't sell even those, what hope was there for me? I continued to send out the stories. I even retyped some that had become shabby from much traveling in the United States mails. I mailed them, took them out of the return envelopes and mailed them again. It became a routine thing. (1:21) 苦しい時期だった。おれは二十三歳になっていた。ジャック・ロンドンの『マーティン・イーデン』を読んだところだった。その内容を考えることが、おれに前進する唯一無二の力を与えてくれた。ロンドンも同じように世に出るのに苦労した。だが、彼は日曜学校向けの低いものを書くところまで身を落とさなかった。そういうものですら売れないなら、おれにどんな希望がある? おれは物語を送り続けた。米国郵便で何度も旅をして、くしゃくしゃになったものは、タイプし直したりもした。郵送し、返信用封筒から取り出し、また郵送する。それが日課になった。 And then one day I opened an envelope. It was rather thin but I had thin stories out as well as fat ones. This envelope didn't contain a rejection slip, however. It had a letter―and a check for three dollars and fifty cents. The United Brethren Publishing House of Dayton, Ohio, was accepting my story, "The Two Dollar Raise." (1:22) そしてある日、おれは一通の封筒を開けた。かなり薄かったが、おれは薄い話も、厚いのも送っていた。この封筒のなかに、不採用通知は無かった。そのかわり、手紙----そして3ドル50セントの小切手が入っていた。オハイオ州デイトンの同胞協会出版局が、おれの物語 "The Two Dollar Raise(二ドルの賃上げ)"を受け入れてくれたのだ。 I had made it. (1:23) ついにやったぜ。 |