皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
33298. | 盗られた金額 弾十六 2022/09/07 03:25 [雑談/足跡] |
クリスティ再読さま、おばんでした。 最近の昔の楽しい小説シリーズ、ツボをつかれまくりです。 ケストナー、素晴らしいですね!電子本でも簡単に手に入るみたいなので嬉しい限りです。 さて、エーミールの書評で、気になったのが 昔の120マルクって今の何円? という事でした。 最近、ナボコフ『絶望』で1930年の1マルクは430円、と計算していたので、エーミールはいつ頃の話なのかな?と見てみると、出版は1929年。大雑把に五年前、1924年で計算すると426円。とすると、ここら辺の年代の物価推移はあまり激しくなさそうです。(第一次大戦直後のドイツはとんでもないハイパーインフレでしたが…) 120マルクなら約五万円か。 もちろん当時のドイツの物価が今の日本の物価と比べてどうなのか、をパンとかの食糧の値段などで比較してみなければならないのですが、いずれにせよ結構な高額ですね。 なお4ポンドの白パン(White Bread)の国際比較(1931頃)が見つかったので書いておくと、 (以下のペンス(d.)換算は同資料によるもの) なおこの資料はhansard bread prices may 1931で見つかります。 英国 7.0ペンス(1931-5-1) [英消費者物価指数1931/2022で364円] フランス(パリ) 4.33フラン(=8.41d.) (1930-12) ドイツ 1.51マルク(=17.78d.) (1930-7) [1マルク430円なので649円] イタリア(ローマ) 3.64リラ(=9.42d.) (1930-12末) スウェーデン 1.36 Kronor(=17.99d.) (1931-3) 米国 32.0セント(=15.82d.)(1931-2-15) [米消費者物価指数1931/2022で725円] カナダ 26.0セント(=12.84d.) (1931-2初頭) オーストラリア(シドニー) 10.16ペンス(=9.26d.) (1930-12-15) ネット情報では現在の日本で4斤平均600円くらいかなあ。当時のドイツの物価水準は現代日本と同じくらいなのかも。(いろいろなブツで比較しないと本当はわからないのですが) 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 |
33297. | フランスの決闘について 弾十六 2022/09/07 02:12 [雑談/足跡] |
人並由真さま、おばんでした。 最近の書評はどれも充実されていて、実に楽しい。こちらも皆さんに楽しんでもらえるような良いものを書きたいなあ、と思いながらも、些細なことに足を取られるばかり。結構、読了したミステリの在庫を抱えているのですが(約束したルパンも結局のびのびです)なかなか前に進めません。 ジゴマ!久生十蘭(これ一発で変換出来るんですね)先生訳は創訳だったのですか。原書は1910年発表、ということで実に心がそそられます。新しい国書のシリーズ「ベル・エポック怪人叢書」すごく楽しみだなあ。ついでに英米の怪盗シリーズも出して欲しい!(ラッフルズとかソフィ・ラングとかクレイ大佐とか) さて本題です。人並由真さまがジゴマ評で最後に まだ「決闘」が公式な文化的な社会行為として公認されていたのに、かなり驚いた… この辺りの文化事情をちょっと調べてみようか。 と書かれておられるのを見て、かつて私も、チェスタトン『知りすぎた男』(論創社版)の評で、フランスの決闘についてちょっと触れていたことを思い出しました。 以下は再掲です。 「剣の五」The Five of Swords (Hearst’s Magazine 1919-2, 巻頭話, 多分挿絵あり) 評価5点 語り口が巧みで複雑なプロット。あちこちに連れ回される感覚が良い。決闘って当時フランスでは合法だったのか。ところでGKCの反ユダヤは1919年ごろから悪化してるような感じ。(このタイトル、JDCの長篇の元ネタ?) (2019-8-11記載) この短篇は、現在では『裏切りの塔』(創元文庫、南條 竹則 訳)に収録されているので、お求めやすくなっています。 現代のフランスを舞台にした作品で、登場人物たちの考えは、当然、決闘なら人を殺しても罰せられない(上手くことを運べば…)、という感じなのです。でも、場合によっては罰せられるかも、という雰囲気もあるのですが。 そういうわけで、人並由真さまの疑問について私もかねてから興味を惹かれていたので、勝手ながら今回、少々調べました。ちょっとだけフランス語にも親しんでいるので(空さまのように原書をすらすら読めるレベルではありません…)Webと機械翻訳を駆使したわけです。 怠け者なので簡単にまとまっているWeb記事を探しました。 見つけたのがGil Mihaelyによる2008-10-2の記事 Le duel, ce singulier combatで、François Guillet著 La Mort en face. Histoire du duel de la Révolution à nos jours (Paris, Aubier, Collection historique, 2008)の書評です。 それによると(以下は機械翻訳をちょっと手直ししたもの) 王政復古から7月王政の最初の10年間は、決闘の数が年間数百件まで増加したが、その後の30年間(1840-1870)は減少し、第3共和制の下で再開された。しかし、この慣習に反対する声が高まり、教会が関係者全員の破門を決定したにもかかわらず、一般的な傾向は寛容であった。1819年から1922年までの間に、16もの法案が研究され、議論されたが、いずれも成立しなかった。1819年、大審院は、機会の平等と互恵性を保証する規則に従って行われる公正な戦闘は刑法の法的範囲外であり、その結果、関係者は起訴されないという判決を下したほどだ。 合法性と正統性のギャップがこれほどまでに大きいことはない。法の社会と名誉の社会(したがって恥と不名誉の社会)の間のこのギャップは、この非常に長い19世紀において特に強く現れている。陪審員は、1837年の大審院の判決で示された、殺人の意図が証明された場合の厳格さを求める道には従わず、明らかに刑法よりも名誉の規範を優先した。その後、1914年のカイヨー事件(カイヨー夫人による『フィガロ』紙の館長暗殺事件)で、パリ裁判所長官とその監察医の決闘を阻止できたのは、唯一、戦争の勃発だけであった。 仏Wiki “Deul”を見ると(あまり上手くまとまっていなかったのですが) 英国では、フランスと違って、決闘は貴族階級の習慣として残っていると認識されていたが、非常に活発な美徳の社会によって、非常に早くから道徳的な不支持の対象になっていたのである。1903年には、決闘中に相手を殺すと死刑になり、何人かの決闘者が絞首刑に処された。死に至った[英国]最後の決闘は、1852年10月にEnglefield Greenで行われたフランス人亡命者同士のもので、Emmanuel Barthélemyと1851年12月クーデターに抵抗したFrédéric Cournetが行ったものだった。(ここら辺、前後関係がオカシイのですが、何度読んでもこのように書いてあります。1803年の誤りかも) [フランスでは] 戦間期には決闘は珍しいことではなかった。これを終わらせたのはドイツ占領軍であったが、それでも1947年1月から4月までの間に9回、1939年以降でも約60回の決闘が行われた。名誉毀損の司法化により、第二次世界大戦後は完全に廃れた。(ここも期間の書き方が変テコ。どういう趣旨なのか、さっぱりわからない) なお、公式記録のフランス最後の決闘は1967年Gaston DefferreとRené Ribièreが国民議会での口論を原因とするもので(おっさん二人が剣で戦っている写真が残っています)結局、血は流されず、最後はデフェールが相手をぶん殴って勝った、という事です。 またまた勝手に調べてしまいました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 |
33295. | 作品の追加 人並由真 2022/09/07 01:36 [新作作家/作品の追加] |
評論・エッセイの「ハードボイルド以前―アメリカが愛したヒーローたち 1840~1920」を追加しました。 |
33294. | RE:北杜夫「白きたおやかな峰」を新規登録するにあたり admin 2022/09/06 22:12 [管理人への要望/不具合報告] |
斎藤警部さま いつも多くの書評ありがとうございます。 下記の件、対応致しましたのでご確認下さい。 > [ 斎藤警部さんのコメント ] > 管理人さま > > 「北杜夫」の「白きたおやかな峰」を新規作品登録するにあたり、誤って一旦「井上ひさし」の作品として登録してしまうという椿事が発生しました。 お手数をお掛けしますが、ひさしさんの方の作品登録を削除していただきたく、ご対応の程よろしくお願い申し上げます。 |