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雪さん
平均点: 6.24点 書評数: 586件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.35 5点 追込- ディック・フランシス 2020/10/01 17:05
 シュロップシャで週末を過ごすため従兄の家を訪ねた職業画家、チャールズ・トッドは愕然とした。家の外には警察の車が三台、青い回転燈が不気味にまわっている救急車が一台、停まっていて、眩しいばかりのフラッシュが断続的に窓から漏れている。ワインの輸出入業を営むドナルド・ステュアートは土気色の顔をして、茫然と廊下に立ちつくしていた。家の中を飾っていた美術品がごっそり盗まれ、ガランとした床の上では、彼の妻リジャイナが血だらけになって横たわっていたのだ。不意に帰ってきた彼女は運悪く泥棒に出くわし、口封じに殺害されたものと思われた。
 放心状態のドナルドを支えるトッドだったが、いつまでもここにいる訳にはいかない。彼は従兄の身を危惧しつつ画業に戻ることにするが、ワージングで仕事を引き受けた富裕な老未亡人、メイジイ・マシューズの話に驚愕する。放火に遭い思い出の家を焼かれた彼女もまた従兄たちと同じく、旅行先のオーストラリアで十九世紀の有名な競馬画家、アルフレッド・マニングズ卿の絵を購入していたのだ! トッドはどん底状態のドナルドを救うべく、事件の謎を追いはるばるシドニイへと飛ぶが・・・
 『重賞』に続く競馬シリーズ第15弾。1976年発表。冒頭100P余りは発端のイギリス編。それからシドニイ在住の美術学校時代の旧友ジック・キャサヴェッツとコンビを組み、結婚してわずか三週間にしかならない彼の妻セアラのキツい対応に晒されながら、シドニイ→メルボルン→アリス・スプリングス→また引き返してメルボルン。それからニュージーランドに飛んでオークランドからウェリントン、最後に三度目のメルボルン行きで決着と、オセアニア道中記みたいな所もあってなかなか楽しいです。
 相手は大掛かりな国際窃盗団で人数も十人以上。ピンチに次ぐピンチの割に敵方の攻勢はやや甘く、ラストも含めてちょっとどうかなという感じです。一貫して冷酷かつ凶暴なプロ集団という設定なので、"粗い"とされるのはたぶんここでしょう。内藤陳さんの『読まずに死ねるか!』にも、〈コレと『障害』はオススメできない〉とあった気がします。後者については異論もありますが。全体としてはショッキングな掴みに比べ、本編であるオーストラリア編の展開が若干緩いですね。
 でも読み所が無い訳ではない。主人公トッドの負傷直後の扮装や、ヒルトン・ホテルでのコメディ紛いの脱出劇など笑いもあり、とっちらかっているのは同じとはいえ12作目の『暴走』よりは読めました。以前読んだリーダーズ・ダイジェスト版の『馬の絵にご用心!』がスカスカで全然つまらなかったので、持ち直した分多少贔屓目入ってるかもしれません。
 総評すると下位ではあるけどそこそこ楽しめる作品。間違っても上位には来ませんが、競馬シリーズの一冊として見ればまあ及第点かな。採点は『暴走』よりちょっと上の5.5点。

No.34 5点 出走- ディック・フランシス 2020/08/10 07:35
 一九九八年に刊行されたシリーズ唯一の短篇集。第36作『騎乗』の翌年に発表された。原題 Field of 13 は、"十三頭立てレース"の意。その比喩通り既に雑誌掲載された短篇作品八作と、本書のために書き下ろされた五作から成る。
 一九七〇年、アメリカの《スポーツ・イラストレイテッド》に掲載された記念すべき初の短篇「強襲」を筆頭に八作品を並べると 特種/悪夢/キングダム・ヒル競馬場の略奪/敗者ばかりの日/ブラインド・チャンス/春の憂鬱/ブライト・ホワイト・スター の順になる。初出誌は同誌ほか《ロンドン・タイムズ》《ホース・アンド・ハウンド》《ザ・フィールド》など。なお「ブラインド・チャンス」は底をついた〈ディテクション・クラブ〉の基金を補充する短篇集『13の判決』のために、「春の憂鬱」はめずらしくも婦人誌《ウィメンズ・オウン》向けに執筆された。
 一九八五年掲載の「ブライト・ホワイト・スター」を除けば年一作からだいたい二~三年に一作、一九七〇年から一九八〇年にかけて約十年間、第10作『混戦』から第19作『反射』にかけての時期になる。ただ書き下ろし作品も含め、各篇の出来不出来に大きな差は無い。
 捻りのあるオチを付けたもの、ミステリ趣向強めのものと様々だが、著者は既にスタイルを確立させた作家なので、やはりミニ・競馬シリーズ風の心地良い話がしっくりくる。好みでいくと書き下ろし作品からは「衝突」「迷路」それに劇的なレース展開の「波紋」、既存のものからは「春の憂鬱」とクリスマス・ストーリーの「ブライト・ホワイト・スター」だろうか。「春の憂鬱」は自身が「たいへん楽しみながら書いた」という短篇。中年女性の愛を利用する発端からいつものフランシスになる。こういうのもたまには悪くないが、シリーズを読みつけていると短篇集では少々食い足りない心地がする。やはりフランシスは長篇がいい。

No.33 6点 敵手- ディック・フランシス 2020/03/02 22:36
 白血病の娘レイチェルを持つ母親、リンダ・ファーンズの依頼で、放牧中の馬の前脚が次々に切断される事件の解決を請け負った競馬専門調査員、シッド・ハレー。だが個々の手口を精査するうち、次第にある男の影が浮かび上がってくる。
 エリス・クイント―― 元カリスマ的アマチュア騎手で長年の親しい友人。障害レース時代の好敵手にして、今は全国的なトークショーの司会者。そして、全イギリス国民のゴールデンボーイ。彼が一連の事件の犯人なのだろうか?
 信じたくない気持ちを抱えながらやがて確証を掴み、エリスを告発するシッド。だが彼の行為はエリスへの嫉妬と看做され、格好のゴシップとしてマスコミの集中砲火に晒されることになる。
 訴訟係属中の規定により、一切の証拠を公表できないまま轟々たる非難にじっと耐え続けるシッドだったが、やがて彼は憎悪煽動キャンペインの先頭に立つゴシップ紙《ザ・バンプ》の動きから、中傷の裏側にある企みの糸口を掴むのだった。
 『告解』に続く競馬シリーズ第34作で、シッド・ハレー三度目の登場作品。1995年の発表で、その翌年にはアメリカ探偵作家クラブのエドガー長編賞を受賞。クラウン作品ですがプロットにさほど捻りは無く、『利腕』の緊張感の名残はあるものの、本作においてはシッド・ハレーという大看板への寄り掛かりが目立ちます。
 元義父チャールズ・ロランドに続く精神的支柱アーチイ・カークの登場、および《ザ・バンプ》の毒舌コラムニスト、インディア・キャスカートとの恋愛などプラス部分を入れてもストーリーの作りは甘く、納得のいくものではありません。ラストで若干盛り返しますが、読後には満足感よりも内容の薄さが感じられます。諸要素の共通する初期の名作『度胸』との差別化を図ったのかもしれませんが。
 発売当時に期待して購入し、見事にコケた記憶がまだ鮮明なので、どうしても点が辛くなってしまいます。個人的には『再起』の方が好きなのですが、着膨れ気味とはいえこちらの方が評価高いのもまあ分かります。
 再読して若干印象が良くなったので、『再起』と同じく6点。でもシッド抜きのプロットのみだと、ぶっちゃけ5点作品です。

No.32 5点 暴走- ディック・フランシス 2019/07/16 06:46
 若くしてイギリス・ジョッキイ・クラブの捜査主任に選ばれたデイヴィッド・クリーヴランドは、イギリス人騎手ボブ・シャーマンが競馬場の売上金を盗んで姿をくらました事件を捜査するため、北欧ノルウェーに出向く。盗聴を恐れる旧知のノルウェー人調査員アルネ・クリスチャンセンの要請により、オスロ沖合いのボート上でおち合ったデイヴィッドだったが、突如疾走してきた大型快速艇に衝突され、フィヨルドに転落してしまう。彼は離島に流れ着き漁師に救助されるが、海面に落ちる前の記憶では、艇には船名・登録番号・所属港ほか何一つ記されてはいなかった。
 再び捜査に戻り、エーヴェルヴォル競馬場理事会から意見を求められたデイヴィッドは、事件を最初から精査しボブの死体を捜すことを提案する。明けて月曜日。浚われた場内の池からは見つからなかったが、スタンド裏からナイロン・ロープに縛られ、黒いキャンバス地で覆われたボブ・シャーマンの遺体が発見された。死因は鈍器による殴打。頭蓋骨を三個所骨折し、死後に一度水中に投げ入れられていた。
 彼は憔悴したボブの妻エマと共にひとまずイギリスに帰還するが、その翌日、祖父の家に匿われていたエマが二人の暴漢に襲われ、彼女は流産してしまう。男たちはノルウェー人と思われ、「ボブは書類をどこに隠したのだ」と叫びながら二人を殴り続けたのだ。怒りに震えるエマの祖父ウィリアム・ロムニイはノルウェーに赴くが、何も探り出せなかった。エマはデイヴィッドの問いかけに「ボブはノルウェーに何度もポルノ写真を持っていった」と語る。
 事件を解く鍵はやはりノルウェーにある。デイヴィッドはそう確信し、エーヴェルヴォルの懇請に応え再度のノルウェー行きを決断するが、その矢先に彼はふたたび凶刃に見舞われるのだった。
 「煙幕」に続くシリーズ第12作。1973年発表。舞台も炎熱の南アフリカから厳寒の北欧へ。色々と変化を加えてはいますが、物語はあまり冴えません。tider-tigerさんの書評にもある通り、友情・恋愛・父子の相克いずれも中途半端。サイドストーリーに広がりを欠いているという指摘は正鵠を射ているでしょう。わかりやすいダミーの存在はともかくとして、黒幕の冷徹さは買えますが。
 結局は友情を主題として纏めているものの、そこに至るまでにテーマが絞りきれなかったのがマイナス部分。ややバラけてますね。発端こそ派手ですが本質としては地味な捜査が主体。そこらへんは工夫もあり、決して悪くない。
 まあ、例の採点表はあんまりかな。フランシスのワースト作品は他にあると思います。

No.31 5点 不屈- ディック・フランシス 2019/06/07 03:03
 スコットランド・モナリーア山系にある羊飼い小屋で孤独な生活を続ける画家、アリグザンダー・キンロック。彼は母から義父アイヴァンが心臓発作で倒れたとの知らせを受けたその日、山中で四人の男に襲われ暴行を受けた後、崖から突き落とされる。「あれはどこだ? どこにあるんだ?」だが、彼には何の心当たりも無かった。
 アリグザンダーは辛くも命を拾い、全身の怪我を推してロンドン、パーク・クレセントの屋敷へ赴くが、アイヴァン・ジョージ・ウェスタリングの衰弱は思った以上に激しく、その上彼の経営するキング・アルフレッド醸造会社は、経理部長の横領、逃亡行為により破産寸前だった。
 実の娘パッチイ・ベンチマークを差し置きアリグザンダーに全権を委任したアイヴァンは、競走馬ゴールデン・モルトを管財人から隠すよう秘かに指示する。その事からアリグザンダーは、暴漢たちが探していた"あれ"が二十二カラットの純金に赤、青、緑の宝石をちりばめた中世のトロフィー、〈アルフレッド大王のカップ〉ではないかと思い当たる。アイヴァンの話では、カップをアリグザンダーに託すよう伯父の"殿様"こと、スコットランドのロバート・キンロック伯爵宛に送ったとのことだった。
 アリグザンダーは母ヴィヴィアンと義父の為、彼の愛する競走馬とカップを守りながら、同時に醸造所を建て直そうと試みるが・・・
 競馬シリーズ第35作。1996年発表。この年のフランシスは前作「敵手」によりMWA長編賞受賞、さらにこれまでの功績を称えMWA巨匠賞も同時受賞しており、言わばメモリアルイヤー。当然、本書にもこれまでになく力が入っています。
 主人公はスコットランド貴族の血を引きながらも持って生まれた孤独癖から世間を離れ、醸造所を継がせるという義父の申し出も断り、調教師の妻とも離れて暮らす世捨て人。「反射」「黄金」系地味主人公の総決算的人物なんですが、そこはやはりフランシス。義理の姉パッチイ夫婦とのいさかいにも耐え、私欲無く会計監査人トビアスや超過債務処理者マーガレット、百面相探偵"ヤング・アンド・アトリイ"と協力し、力の及ぶ限り全てを守ろうとする姿勢はタイトル通りの不屈っぷり。再びスコットランドに向かいカップを保護した後、鑑定の為に招かれた老女性学者、ゾウイ・ヤング博士と出会います。
 彼女の姿に創作意欲を刺激され、絵筆を取るアリグザンダーの描写がこの作品のクライマックス。対象の魂までも見透かし、絵の中に写し込もうとする芸術家の姿は美しい。あとがきにも〈悟りの境地〉とかありますが、それほどの気迫です。
 それに比べると、事件の方はややありきたりかな。ヒーローの精神性がこれまでになく高まっているので、それに見合う悪の凄みが欲しかったんですが。サディズムに溺れて本来の目的を見失うような黒幕なのでつまりません。レッドへリングがちょっとあるだけで、偽装もほとんどなし。
 全体的な印象は「直線」の進化形。あっちは宝探しで、こっちは宝隠しですけど。地味な力作ですが、エンターテイメントとしてのバランス悪さが難です。

No.30 6点 混戦- ディック・フランシス 2019/05/27 10:44
 八十七名の乗客を危険に陥れた責任を負わされ、有名航空会社を退社したパイロット、マット・ショア。妻とも別れいくつもの会社を渡り歩き、今は零細航空デリイダウン・スカイ・タクシイで、チェロキイ・シックス・三百型を機械的に運行している。ホワイト・ウォルサム飛行場でその四人を乗せた時にも、彼は何の関心も持たなかった。
 鋭い目をしたタイダーマン少佐、有名調教師アニイ・ヴィラーズ、太った男エリック・ゴールデンバーグ、騎手ケニイ・ベイスト――彼らが不正の相談をしていたとしても、自分には何の関係もないこと。ただ、乗客たちをヘイドック競馬場まで運ぶだけ。最後の一人が国民的チャンピオン騎手コリン・ロスだとしても、自分には何も関わりはないのだ。
 ふとしたはずみでパイロットを志す彼の妹ナンシイと知り合い、好意からコリンのレースを観戦することになった。思わぬ喜び。だが、心をとかしてはいけない。
 レースも終わり、今度はアニイと仲違いしたケニイを除く四人をニューマーケットまで運ぶ。ふと彼は違和感を感じた。計器に異常はない。エンジンにも異常はない。だが、操縦装置のどこかがおかしい。
 彼はくってかかる乗客一同を宥め、ノッティンガム近く、イースト・ミッドランズ空港での再点検を選ぶ。無事に着陸し、エプロンに飛行機をとめた。チラッと機の方を見返り、そのまま気の進まないようすで歩いていく乗客たち。だが彼らの背後で巨大な爆音が聞こえ、振り返るとチェロキイがいたところに大きな火の玉がふくれ上がっていた――
 「査問」に続く競馬シリーズ第9作。1970年発表。辛くも難を逃れたコリンの事件は大ニュースとなり、その過程でナンシイや、彼女の一卵性双生児の姉で白血病患者のミッジなど、コリン一家との関係は深まっていきます。ナンシイに惹かれながらも過去への怖れからかたくなに一線を守ろうとするマット。ですが再び爆弾が仕掛けられ、手違いから彼の代理でチェロキイを操縦していたナンシイと、同乗者のコリンが危険に晒されます。
 恋愛描写とかの流れはいいんですが、一連の事件がコリンを狙った犯行ではないと判明すると、ターゲットたり得る人物が他にほぼ一人しかいないため大筋が見えてしまうのが難。以前はベスト10に入るかと思ってましたが、今選ぶならシリーズ中12位前後かな。円熟期の「黄金」「標的」には及ばず、次々作「煙幕」と同格で6.5点くらい。いい作品なんですけどね。

No.29 5点 烈風- ディック・フランシス 2019/05/09 01:29
 イギリスBBCの気象予報士ペリイ・ステュアートは、同僚クリス・アイアンサイド所有の低翼機チェロキイに便乗し、有力馬主キャスパー・ハーヴェイの昼食会に招かれる。招待客たちに紹介され会自体は無事に終わるが、二人に見せようと自慢の馬房を開いたハーヴェイの顔は、誇りから驚愕に変わった。オークス本命の牝馬は膝をついて呻いており、苦痛のほどは明らかだった。原因はまったく不明。当然、金曜日のレースには出られなかった。
 それから三週間後、ペリイはフロリダ滞在中のクリスに誘われる。カリブ海で発生したハリケーン"オウディン"の中を飛ばないかというのだ。招待客の一人、ロビンとエヴリンのダーシイ夫妻がスポンサーとなり、最新機器が搭載された双発プロペラ機パイパーを提供するという。二人にとって願ってもないチャンスだった。
 「行かないほうがいいわ、ペリイ。とても悪い予感がするの」
霊感を持つ祖母の警告を無視し、彼はクリスの待つアメリカに向かう。だがサンド・ダラー・ビーチのダーシイ邸で彼を迎えたのは、違和感の数々だった。
 過剰な警備、告げられぬ飛行計画、無線連絡の遮断―― そしてオウディンの直撃する、牛と鳥しかいない長さ一マイルほどの孤島トロックスへの事前の着陸。いったい、このフライトの真の目的は何なのか? ペリイは見逃せぬ機会を前にあえて目を瞑り、クリスと共に"オウディン"を目指し飛び立つが・・・
 1999年発表のシリーズ第38作。とはいえ競馬要素の薄いいくつかの作品の一つで、馬の病気も意図的なものではありません。トロックスでロビンの依頼を果たした二人は意図をいぶかしみながらもそのまま離陸。無事ハリケーンの目に侵入しますが、脱出の際二次渦に巻き込まれ機はカリブに水面着陸。クリスと離れ離れになったペリイは再びトロックス島に打ち上げられます。
 数日のサバイバルの後、彼がハリケーンに破壊され露出した隠し金庫を開けた事から一気にヤバネタに突入。ラスト付近にサプライズは用意されていますが、あまりにヤバ過ぎて、ストーリー半ばにも達しないこの時点で大枠がほぼ確定してしまうのがいただけないところ。
 紆余曲折の後、扱いは悪いもののとにかく救出されたペリイはBBCに復帰。イングランドでフロリダの事件との関連を探りますが、彼とクリスの命を狙った再度の飛行機事故後に事態は急変。併せて体調を悪化させた主人公ペリイが、新種の結核菌に感染したことが明らかになります。この部分はいらなかったですね。ヤバネタ一本で十分です。
 それもあってか焦点のぼやけた印象の作品。悪役組も統制が取れておらず、意味ありげな描写ののちそのまま放置されたキャラも数人。ラストのフロリダでの対決もアクション味は薄く、メイン悪役も考えなしの浅墓さが目立ちます。次作「勝利」では幾分持ち直しますが、本作はあまりお薦めできません。採点は5点寄りの4.5点。

No.28 7点 大穴- ディック・フランシス 2019/05/04 15:58
 「あの男と、シーベリィ競馬場を争いたまえ」
 舅チャールズの言葉の巨大さにラドナー探偵社調査員シッド・ハレーは思わず息をのんだ。事務所に不法侵入したチンピラに・三八口径の弾丸を射ち込まれ、死線を彷徨ったのも一ヵ月前のこと。このエインズフォドの招待客の一人ハワード・クレイが、競馬場売却を狙う乗っ取り屋だというのだ。事前の準備も不可解な対応も、全てはクレイを油断させる為に仕組まれたものだった。
 落馬事故により左手が使いものにならなくなった元チャンピオンジョッキー。二年あまりの間死んだような人生を送ってきたシッドは一発の銃弾によって目覚め、クレイの魔の手からシーベリィを守るため戦うことを決意する。競馬シリーズ最大のヒーロー、シッド・ハレー初登場作品。
 1965年発表のシリーズ第4作。同年発表の第3作「興奮」に比べプロットを犠牲にした分、より明確なキャラクター像の確立に力を注いだもの。若干粗いもののシリーズヒーロー一作目と見ればかなりの出来映え。
 冒頭からエインズフォドの屋敷でのいわゆる"シッドいじめ"には、実に全体の四分の一が割かれています。クレイはいわゆる地上げ屋で、普通なら下っ端が捕まるだけで勝負にならないのですが、ここで動かぬ証拠を掴ませることにより作品として成り立たせる事に成功。
 同時に主人公シッドに感情移入させ、さらにクレイの異常性を露にし後半にかけての布石を撒く、二鳥も三鳥も得る美味しいプロット。義父チャールズ・ロランドが腑抜け状態のシッドに歯痒さを感じているという裏付けはあるもののやや強引な展開ですが、あえて目を瞑ってこれを選んだものと思われます。
 洒落た〆でも分かるように実質この段階で決着は付いているのですが、シッドにそれは分からない。いくつかの妨害行為を防いだ後、証拠の存在を知った悪役組の死に物狂いの反撃により、逆に絶体絶命の窮地に立たされます。
 悪役の一人株屋ボルトの秘書、片目が義眼のオールドミス、ザナ・マーティンの存在も良い感じ。出来としては「本命」「罰金」あたりと同格で、後者よりは確実に上。とすると7点。「本命」とは好みの差で査定すると第二集団、シリーズベスト5に入るか入らないかというところ。 マンネリを嫌い「興奮」と差別化した作者の目論見は成功していると思います。ただ一時はオールタイムベストの70位~90位台に着けていましたが、キャラ立て優先にした分色々とアラも目立つので、本来そういった位置に来る作品ではありません。あくまでヒーロー物としての評価です。

No.27 5点 証拠- ディック・フランシス 2019/04/24 01:21
 ワイン専門店経営者トニイ・ビーチは、得意先の調教師ジャック・ホーソーンが催すお祝いパーティーの手配を依頼された。競馬シーズン終了後、例年十月に野外の大テントで行なわれる、馬主たちを招いた華やかなイベント。その当日、トニイがシャンパンを取りにテントを離れヴァンに向かった時、それは起こった。
 会場から離れた丘の上に止まっていた馬匹運搬車が突然動き出し、大テントに突っ込んだのだ。招待されていたアラブのシークほか死者八名、負傷者多数。
 凄惨な現場からホーソーン夫妻を始め数人を助け出したトニイだったが、翌日彼の店にテムズ・ヴァリイ警察署のリジャー部長刑事が現れる。事故のことではなく、別件で協力して欲しいというのだ。事故直前にジャックの秘書のジミイに相談された、リーディング近くの酒場シルヴァ・ムーンダンスでラベルと異なる中身の酒が出された件についてだった。他にも何件かの苦情が寄せられている店で、先の事故で亡くなったラリイ・トレントに代わる支配人が決まらないうちに、非公式の専門家としてウイスキイの利き酒をしてもらいたいという。
 調査の結果、ベルズとラフロイグが偽物と分かり店は閉鎖された。またトニイが好奇心で行なったワインの利き酒も、赤の十二本は偽物。トニイはリジャーに掛け合い、全ての赤ワインを持ち帰る。
 それからまもなく、また新たな事件が起こる。営業停止中のシルヴァ・ムーンダンスに残る酒類全てが持ち去られたのだ。本社の男と名乗って現れたポール・ヤングと連絡を取ろうとするも、メモの住所も電話番号も存在しないという。そして店の支配人室には、首から上を包帯と石膏でラグビーボールのように固められたワイン・ウェイターの死体が転がっていた・・・
 1984年発表。「奪回」に続くシリーズ第23作。冒頭にショッキングな展開が連続しますが、主人公が暴力を躊躇う性格付けのせいか、パブの女傑店主ミセズ・アレクシスなど魅力的な人物も登場するものの小粒な仕上がり。ただし、シリーズ全体の流れを見る際には指標となる作品。
 警察に協力した主人公ですが、一方事故現場で出会った探偵社幹部ジェラード・マグレガーにも資質を見込まれ、タンク・ローリイから連続して中身のスコッチが盗まれた事件も併せて追うことに。もちろん両者は関連しているのですが。
 主人公は二代続けて受勲者を輩出した軍人一家の「不肖の息子」。期待されて育ったものの「どうして自分には父のような勇気がないのだろう」と思い悩む日々。暴力を嫌い、フランシス主人公の通例である馬の騎乗にも興味を持ちません。
 六カ月前理解者の愛妻も亡くし機械的に店を営んでいたトニイですが、そんな彼が自分なりの勇気と回答を見出すのが本書。第17作「試走」から続くマンネリ打破の取り組みも一応終わり、キット・フィールディング登場の次作「侵入」から第32作「決着」まで、コンスタントに良作が続きます。円熟期の始まりを告げる作品と言えるでしょう。

 追記:tider-tigerさんへ
 本作以降のフランシスは「告解」までほぼ佳作か佳作未満で、この時期の私的ツートップは「黄金」か「標的」。次点は「直線」「帰還」「密輸」「決着」のいずれかになるでしょうか。たぶん「帰還」かな。この辺りは迷いも無く落ち着いた筆致で描かれており、いずれも安心して読めると思います。
 「大穴」は図書館から届いたものを現在読破中。既読作品も貯まっててすぐにとは行きませんが、順を追って必ず書評します。
では、また。

No.26 6点 障害- ディック・フランシス 2019/04/10 00:45
 会計士でもあるアマチュア障碍騎手ローランド・ブリトンは、専属騎手の故障により掴んだチャンスを生かし、思わぬ僥倖から厩舎の最高馬タペストリ号に乗る機会を得、さらにはチェルトナム・ゴールド・カップに優勝する。
 夢のような時間に浸るローランドだったが、彼はそこから一気にどん底に突き落とされる。レース終了からわずか一時間後に、負傷した騎手と救急係を装った男たちに誘拐され、エーテルを嗅がされ運び出されたのだ。目覚めた時には周囲は真の暗闇に包まれていた。
 手足を縛られ、真っ暗な中で、発電機の近くの棚のようなものの上に横たわっている。押し寄せてくる感じの音。船体を打つ波の音。自分は船に乗っているのか? 誰が? いったい何のために?
 ローランドは何も分からないまま、必死に状況を把握し束縛から逃れようと試みるが・・・
 1977年発表のシリーズ第16作。前作「追込」と共にはかばかしくない扱いを受けていますが、実の所はかなり意外性のある良作。ねちっこくかつ断続的に肉体的ピンチが続く為、うまいこと伏線が忘れ去られるというおまけも着いてます。よく出来たハウダニット物の第9作「査問」よりも難易度は上。評価が低いのは、五里夢中のまま延々とストーリーが進むからかな。
 主人公に助力する智的な女子中等学校の校長などはこれまでにないポジションのキャラで、他にも馬主の女性やヒロインなど魅力的に描かれた人物が多く、傑作「利腕」前の停滞期として一括りに捨て去るにはいかにも惜しい。少なくとも佳作未満の位置は主張出来るでしょう。
 結末を知ると、冒頭の拘束シーンは作者が最初から切り札を見せている訳で、構成上必然的な意味があったことが分かります。しっかりとした背骨の通っている、目配りの行き届いた作品です。

No.25 6点 煙幕- ディック・フランシス 2019/03/31 22:00
 スタントマン出身の人気映画俳優エドワード・リンカンはスペインでの過酷なロケを終えてバークシャーの我が家へ戻るが、帰宅後まもなく母親代わりの保護者ネリッサ・キャヴィシィに呼び出される。グロスタシャの自宅で彼ら夫婦を出迎えたネリッサは余命いくばくもない事を告げ、エドワードにある依頼をする。
 彼女が南アフリカに所持する持ち馬が不自然な連敗を続け、資産価値がほとんど無くなってしまったのだ。馬たちは去年の冬に亡くなった姉ポーシャの遺産で、夫から受け継いだ財産のすべてと共に、ネリッサに遺されたものだった。彼女の死後には甥のダニロに譲られるが、その前にどういうことなのか調べてほしいのだという。
 彼は固辞するが、しょせんネリッサの頼みを断ることは出来なかった。エドワードは自分のエイジェントに連絡を付け、南アフリカでの映画公開のてこ入れという名目で、一路ヨハネスブルクに飛ぶ。
 1972年発表のシリーズ第11作。「骨折」の次作で、今回の舞台はイギリスではなく英連邦圏の南アフリカ共和国。リセプションでの感電事故から中盤の金鉱山内でのピンチ、冒頭の撮影シーンと重ね合わせたクライマックスでは野生動物保護区、クルーガー国立公園で炎天下の拘束放置と、手を変え品を変え主人公を危険が襲います。
 そもそもの目的である平地競走馬の不調の原因は軽く触れられる程度ですが、それを試みた動機はミステリ的になかなか面白い。実の所はおまけ程度で、真の目的のための撒き餌だったかもしれません。それならば"Smokescreen"という原題にも納得がいきます。
 主人公リンカンは中盤から終盤にかけて犯人にアタリを付けるも決め手がないままいつしか絶体絶命の危機に陥り、最後にはそれを逆手に取って逆転。車内でのサバイバルシーンは尺を取っており読み応えがあります。
 坑道内の描写などもかなり興味深く、全般にリサーチも場面転換も行き届いていて読ませますが、フーダニット寄りで敵役の印象が薄いのが難。ラスト付近の対峙で犯人をもっと強烈に印象付けることが出来れば、ワンランク上の作品になった事でしょう。採点は水準よりやや上の6.5点。

No.24 6点 再起- ディック・フランシス 2019/03/28 14:45
 障害競馬の最高峰チェルトナム・ゴールド・カップの当日、競馬調査員シッド・ハレーは元義父チャールズの頼みで、上院議員ジョニイ・エンストーン卿から持ち馬の調査を依頼される。騎手と調教師が馬を抑えているというのだ。騎手はヒュー・ウォーカー、調教師はビル・バートン。二人は第一レースで勝利したにも関わらず、激しく罵りあう所を観衆に目撃されていた。
 メインレースは素晴らしかった。だが僅差で三冠を達成した競走馬、オーヴン・クリーナーは勝利した直後に突然よろめき、馬主を道連れにしながら芝生にくずれ落ちた。心臓麻痺だった。
 チャンピオン馬の死に悲嘆に暮れるスタンドの観衆たち。だがその陰でもうひとつの事件が起こっていた。テレビ中継車の間でヒューが胸に三発の銃弾を撃ち込まれ、殺害されていたのだ。
 事件前、脅しに怯える彼はシッドの留守番電話に何度も連絡を入れ、八百長レースの告白と、このままでは殺されるというメッセージを残していた。さらに内閣の審議機関責任者アーチイ・カークから請け負った、インターネット・ギャンブル不正との関連も考えられる。「ヒューを殺した犯人を見つけてくれ」との父親エヴァンの懇願を受け、シッドは本格的に調査を開始するが・・・
 シリーズ第40作。前作「勝利」から6年の歳月を置いて2006年に発表された、最後のディック単独名義作品。内容よりもそのあたりのいきさつを酌んだ邦題だと思います。
 事件としてはこの後ヒューの射殺に続いて調教師のビルが銃により自殺。終結するかに思われた捜査にシッドが疑問を投げかけた段階で恋人マリーナ・ファン・デル・メールが襲撃され、これ以上追及を行わぬよう、犯人に脅迫されます。
 いつもの路線なんですが「利腕」のようにどん底になるまで葛藤を続ける訳でもなく、そのへんが弱いっちゃ弱いですね。勿論ちゃんとテコ入れはされますけど。土壇場でのアクションシーンが中途半端に終わるのも、低評価の理由かな。
 でもそこまで嫌いな作品ではありません。描写に多少の弛みはありますが、内容的には十分後期の水準をクリアしてるので。ヒーローとしてのシッド・ハレーにそれほど思い入れが無いからかな。「敵手」の方が首を傾げる部分は多かったです。5.5点の採点にフランシス復活の思い出もプラスして、甘めで6点。
 私見になりますが「フランシスといえばシッド・ハレー」という括りには異論があります。シッドのキャラクター設定をフルに生かした傑作「利腕」以外は、競馬シリーズ内でそれほど出来の良い作品群ではないと思います。「大穴」の読了がだいぶ前なので、もういっぺん読み返さないと確言できませんが。これも宿題かな。

No.23 3点 矜持- ディック・フランシス 2019/03/17 11:12
 アフガンでタリバンの仕掛けた路肩爆弾に右膝下を吹き飛ばされ、実質退役扱いとなった英国陸軍大尉トマス・フォーサイス。ほかに行くあてもなく、十五年前に出ていったきりのランボーンの母のもとに向かう。母ジョセフィン・カウリは"英国競馬界のファーストレディ"と呼ばれる名調教師だがワーカホリックで再婚を繰り返しており、たまの滞在の際にも何度も諍いあう仲だった。
 厩舎に辿り着いたトマスだが、厩務長イアン・ノーランドから意外な話を聞かされる。このところカウリ厩舎の馬たちが、レース勝利まぎわに失速し負け続けているというのだ。
 機嫌の悪い義父夫婦の様子を窺ううちにトマスは、彼らがヘッジファンドに投資し百万USドルを失ったこと、会計士に勧められた脱税を種に脅迫されていること、レースに敗北するよう強要されていることを知る。付加価値税も丸四年あまり未納で、刑務所行き寸前の有様だった。
 義父と母を救うため、トマスはまず交通事故死した問題の会計士、ロデリック・ウォードの調査を開始するが・・・

 そして
 最良の友であり父であった
 ディック・フランシス(一九二〇~二〇一〇)の思い出に

 冒頭の献辞です。2010年、フランシス死後に発表された第44作目の本書により、ディック名義の競馬シリーズは幕を閉じました。内容についてはあえて語りません。問題点もここでは挙げません。とりあえず読ませはしますが。
 公私ともいっぱいいっぱいで、息子さんロクに推敲するヒマが無かったんじゃないかなと思います。第17作「試走」がずっとワースト作品だと思ってましたが、ブービーに格上げされたかもしれません。まあ仕方ないですね。
 長い間楽しませていただきありがとうございました。

No.22 6点 直線- ディック・フランシス 2019/03/14 09:34
 固定障害レースで左足首を負傷し療養中の騎手デリック・フランクリンは、イプスウィッチのセント・キャザリン病院から呼び出しを受けた。たった一人の兄弟グレヴィルが事故に遭い、危篤状態にあるというのだ。解体中の足場が崩れ、鉄棒が腹部と脚に突き刺さったのだという。強打した頭部には脳内出血を生じ、すでに意識は無かった。
 デリックは失業中の熔接工ブラッドに送られ病院に向かい、兄の最後を看取るが、遺品を受け取り帰宅する際、激しい勢いでひったくりに襲われる。松葉杖のデリックには抵抗しようもなかったが、ポケットに移し代えていた貴重品は無事だった。
 明けて月曜日、彼は兄の死を伝えるためグレヴィルが所有する宝石会社、サクソニイ・フランクリンに赴く。だが、そこには警官が二人いた。週末に窓を叩き割った侵入者に荒らされたのだ。賊はグレヴィルの住所録と卓上日誌を持ち去っていた。
 デリックは従業員たちに告げるべきを告げ、当面は業務を維持するよう命じる。オフィスから弁護士に掛けた電話では、兄はサクソニイ・フランクリンを含む所有物を全て、彼に残していた。
 グレヴィルの後始末を続けるデリックだが、銀行の支店長の言葉には度胆を抜かれる。会社の財政状況は驚くほど健全だったが、兄はダイアモンドを買うため銀行から百五十万USドルの融資を受けていたというのだ。
 兄が運用に失敗したとは考えられない。ダイアは慎重に隠され、いまだにどこかにあるのだ。デリックはグレヴィルが残した会社を守るため、隠し場所を突き止める決意をする。
 1990年発表の「横断」に続くシリーズ第28作。宝探しに加え意外な展開ありと飽きさせない内容。兄グレヴィルが残したいくつかの仕掛けや電子機器を小道具に使い興味を繋ぎます。宝石や準宝石、貴石の知識もいくつか。
 馬関連ではグレヴィルの遺産で会社の所有馬ダズン・ロージズの行先を巡る調教師ニコラス・ロゥダの言動がメイン。馬名の名付け親であるグレヴィルの恋人クラリッサ・ウィリアムズとの恋模様も控えめですが読ませます。
 宝飾品関連と題材が華やかな割には全体に地味め。逆に言えばクセがなくミステリ的にもそこそこの出来なので、これからフランシスに初アタックする人向きかな。
 個人的には競馬シリーズを読み返すきっかけになった作品。当初は上位1ダースには入るかなと思ってましたが、再読した今では15位前後に後退。主人公が怪我人なのでアクション関連が薄く、その点がやや食い足りない気がします。7点→6.5点。

No.21 7点 罰金- ディック・フランシス 2019/03/10 08:42
 サンデイ・ブレイズ紙の競馬担当記者、ジェイムズ・タイローンは、人気馬ティドリイ・ポムを生産した農場主、ヴィクター・ロンシイに尋ねられた。「バート・チェコフを知ってるか?」古参の新聞記者バートは、先週泥酔して七階オフィスの窓から転落死したばかりだった。正にその日バートが、ランプライター・ゴールド・カップ・レースでティドリイを買うよう煽り立てた記事が掲載されたのだった。
 彼は転落直前、ジェイムズに忠告していた。「自分の魂を売るな・・・・・・」「やつらはまず金をくれて、後は脅迫する・・・・・・」「自分の記事を金にするな」と。
 何かある。ジェイムズは過去一年間バートが書きたてた馬が、大レースの出走を取り消し続けていることを知る。本命馬の人気をあおらせた上で出走前の賭け金を受け付けるだけ受け付けるが、その馬は走らない。払い戻しの必要は絶対にない。賭け屋が絡む詐欺だ。
 ジェイムズは裏を取り〈待て――まだティドリイ・ポムに賭けるな〉と題した記事をブレイズに載せるが、その二日後早くも彼と、容赦ない脅迫を繰り返す詐欺グループとの戦いが開始されるのだった。
 競馬シリーズ7作目にして1968年度MWA賞受賞作。タフな主人公には唯一弱みがあり、彼の妻は小児麻痺で左手と手首しか動かせない状態。呼吸も電動ポンプとスパイラシェルという機械頼みで、自力では3、4分程しか呼吸出来ません。ジェイムズは最終的に妻とティドリイ・ポムをレース出走まで守る羽目になるのですが、対する南アフリカから来た男、ヴォエルステロッドは当然、この急所を突いてきます。
 まず馬運車でのカーチェイス、続いて妻を人質に取られてからの反撃と追跡劇、最後にロールスロイス車中での死闘と、ラストは執拗なアクションの連続。脅迫され暴行を受け、強制的に酔わされながらなおも立ち上がる主人公。シリーズ中でも上位のしぶとさを見せます。こんな男は絶対相手にしたくないなあ。
 ミステリ的な捻りはあまりありませんが、混血の愛人ゲイルを筆頭に脇役もよく描けています。ストーリーの強靭さで押し切るタイプと言えるでしょう。なかなか読みでのある作品です。

No.20 6点 査問- ディック・フランシス 2019/03/05 06:29
 障害競馬騎手ケリイ・ヒューズは、契約調教師のデクスター・クランフィールドと共に査問会上で資格を剥奪された。両者とも無期限の免許停止。オックスフォードのレモンフィッズ・クリスタル・カップ・レースで、本命馬スクェルチの勢いを故意に抑え、クランフィールド厩舎のもう一頭の出場馬、チェリイ・パイを八百長で勝たせた疑いだった。
 査問会は仕組まれたように進行していった。議長を務めるガワリイ卿は初めから強圧的で、告発の裏付けとして提出された映像も別レースのもの。それを指摘しても正しい映像が流れることはない。加えて平然と偽証を行う騎手仲間。最後にデクスターの不正依頼の礼状と、ケリイが受け取った五百ポンドの現金写真を調査員デイヴィッド・オークリイが提出するに及び、査問は結審した。
 身に覚えのない証拠に愕然とするケリイ。だが、彼の主張など一切受け付けられない。望まぬ無為を強制されしばらく放心状態のケリイだったが、従兄の調教師トニイの示唆からあることに気付く。「誰がオークリイを差し向け、偽造した写真を撮るよう指示したのか?」
 査問委員たちでも、理事たちの誰かでもない。公にそのような指示が出されることなどあり得ない。ケリイは自らの汚名を雪ぎ、騎手免許を取り戻すために戦うことを決意する。
 MWA賞受賞の「罰金」に続くシリーズ第8作。偽証した騎手チャーリイや張本人のオークリイに直接当たるケリイですが、捜査のノウハウも持たない身では捗々しい結果は得られません。ですが物語も半ば過ぎ、一か八かジョッキイ・クラブ募金パーティへの出席を決断した所から、潮目は変わっていきます。
 冷ややかな視線の中、デクスターの娘ロバータと共に堂々とした態度で振舞うケリイ。パーティ出席者の中からも、おやと態度を変える人間が現れます。さらにそんな彼を危険視し、事故を装った殺害が計画されるに及んで――。
 アクションは少なめで、ハウダニット興味で最後まで引っ張る作品。とはいえさほどに難しくはありません。仇役として存在感の大きいガワリイ卿が黒幕でないのはやや意外。強烈な悪役の不在が弱点といえば弱点でしょうか。
 そのせいか全体に小作りな印象。でも中々よく出来た作品です。事件を機にお互いを意識し合うケリイとロバータの姿も、あっさりめですが的確に描かれています。

No.19 7点 骨折- ディック・フランシス 2019/03/03 08:03
 父ネヴィルとその助手の自動車事故により、ニューマーケット有数の調教厩舎、ロウリイ・ロッジの運営を臨時代行するビジネスマン、ニール・グリフォン。彼はある夜、二人組のゴムマスクの男たちに厩舎から連れ去られる。誘拐先で待ち構えていた肘掛け椅子の男、エンソ・リヴェラは恐るべき威圧感で彼に告げる。「自分の息子アレサンドロを騎手として雇い、ダービイの本命馬、アークエインジェルに騎乗させろ。さもなければお前の厩舎をつぶす」と。
 気ちがいじみた命令。だがエンソは本気だった。時計商を隠れ蓑に盗品を売買しながら世界中を渡り歩き、マフィアとも張り合う男。
 サイレンサー片手の脅迫にニールは雇用を承諾し、彼はふたたび厩舎へと戻される。その翌日運転手付きのメルセデスに乗って現れたアレサンドロは、エンソの傲岸さを受け継いだ冷ややかな十八歳の少年だった。
 脅迫を意に介さず、機会は与えるものの彼を一切特別扱いしないニール。歯ぎしりするアレサンドロにただ「レースに勝ちたいのであれば、最善の努力をしろ」と諭す。
二人の対立が数日続いた後、エンソは行動を開始する。再び傲慢さを取り戻したアレサンドロが手渡した箱の中には、脚を折られた小さな馬の彫刻が入っていた――。
 競馬シリーズ第10作。フランシス版「初秋」という声も挙がる作品。厩舎に押し付けられたアレサンドロはまあかわいくない子供ですが、一方では強靭な意志力と類稀な資質を示し、主人公ニールが"純銀の響き"と譬えるほどの騎乗センスを見せます。
 そのニールも恋人ギリイが"天才児〈ウィズ・キッド〉"と囁くほどのビジネスセンスの持ち主。不仲の父に反発してイートン校を中退してから六ヵ月後には自分で骨董商を始め、その十二年後には十軒の支店を持つ規模にまで。店舗を譲り渡した後は才能を買われ、倒産寸前の企業の問題点を是正しています。
 父親との関係性を含め、本質的には似た者同士の二人。「本物を見分ける経験を長年つんでいる」と語るニールのこと、臨時の腰掛け程度に思っていた厩舎の運営にも本腰を入れ始め、アレサンドロの才能を磨き上げ善導しようと試みます。
 ニールに感化され次第に父親に疑問を抱き始めるアレサンドロ。息子に偏執的な父性愛を持つエンソはそれに激高し、ニールへの憎悪は高まっていきます。
 ミステリ的にどうこう言う作品ではないですが、まずストーリーが面白い。文章も最初から最後まで緊張感が保たれています。初期のフランシス作品はやっぱりいいなあ。読んでいて甘い話ではないですが、最後に子供のような笑い声を上げるアレサンドロの姿に報われた気がしました。

No.18 6点 審判- ディック・フランシス 2019/02/28 11:14
 法律事務所に勤務する傍ら、アマチュア騎手としても活躍するバリスタ、ジェフリイ・メイスン。彼はある日シャワー室で嫌われ者騎手スコット・バーロウが、不仲のライバル、スティーヴ・ミッチェルに殴り倒されて横たわっているのを目撃する。
 その2日後ジェフリイは加害者スティーヴからの電話を受けた。スコット殺害の容疑で逮捕されたというのだ。自宅で発見された被害者は農作業用のピッチフォークで胸を貫かれて殺され、その先端にはスティーヴの購入した馬券が突き刺さっていた。スコットは規則を犯す騎手たちの名を理事たちに告げ口しており、ピッチフォークもスティーヴの持ち物。残された血痕その他の証拠も、彼の犯行を指し示していた。
 気乗りせぬジェフリイは、スティーヴに他の弁護士を紹介する。だがその前後から、携帯電話やメールに謎の伝言が届き始めた。「言われたとおりにしろ」と。
 不安に囚われるジェフリイ。間もなく彼は事務所前で、バットを持った暴漢に手酷く痛めつけられる。かつての依頼人ジュリアン・トレント。その凶暴性から何度も傷害事件を繰り返し、有罪となるも公訴官の不正行為から釈放された男だった。
 傷ついた身体を抱え事務所に辿り着いたジェフリイだが、そこで待っていたのは「ミッチェルの弁護を引き受け、そして負けろ」という新たな脅迫状。同封されていたのは、自宅前に立つ七十八歳の父の写真だった。
 恐怖と職業倫理の狭間で悩むジェフリイだったが、新しい恋人との出会いを通じ、彼はついにスティーヴを弁護し、全ての脅迫に打ち勝つ決意を固める。
 2008年発表の競馬シリーズ第42作。実息フェリックスとの共作としては「祝宴」に続く2作目。無難に仕上げた感じの前作に比べるとかなり大胆な作品で、凶悪さを全面に押し出した仇役が登場します。
 主人公は七年前に妊娠した妻を失った弁護士ですが、家財道具はメチャクチャにされるわ亡妻の写真は破られるは、満身創痍になるわ、その他さらにヘビーな境遇にとえらい目に。「司法と脅迫」が主なテーマで、作中では一九二〇年代のシカゴに君臨したアル・カポネのエピソードが挿入されます。
 レベルとしてはフランシス単独作品後期位の、出来の良い作品まで戻った感じ。どうやって被告スティーヴの自動車キーを手に入れたのとか、部外者のくせに騎手仲間のウラにやけに詳しいじゃんとか、そのへんの説明が少ないのが難ですが、仇役ジュリアンはそれなりに狡猾な犯罪者として描かれているのでまあ問題ないことにしましょう。
 裏に潜む黒幕の動機もかなり考えられた意外なもの。法廷シーンの痛快さと併せ、リーガルに分類しても良かったかもしれません。もっともラストの主人公のショッキングな決断は、それとは対極にありますが。

No.17 7点 拮抗- ディック・フランシス 2019/02/17 21:24
 競馬専門のブックメーカー店舗を祖父から受け継いだネッド・タルボット。彼はインターネットの天才である助手のルカに助けられ、大手ブックメーカーの攻勢に晒されつつもなんとか商売を営んでいた。
 そんなある日彼のもとに、母親と共に事故死した筈の、実の父親ピーターだと名乗る男が現れる。ネッドが一歳の時に別れてから三十六年ぶりの再会だった。だがその直後に彼は、顔にスカーフを巻き、パーカーのフードを被った男に刺殺されてしまう。「金はどこだ?」と凄んだ事から、金銭目当ての犯行と思われた。
 血痕をDNA鑑定した結果、被害者は間違いなくピーター本人と確定するが、同時にネッドは事件担当のルウェリン警部に思わぬ事実を告げられる。ピーターはネッドの母を絞殺した直後に逃亡し、指名手配されたままだというのだ。
 ネッドは競馬場での会話から宿泊先を突き止め、幸運にも父のリュックサックを手に入れる。隠しポケットには謎の品物――競走馬の個体識別手帳が二冊、十粒の超小型電子回路、TVのリモコンに似た黒い装置――それに三万ポンド相当の現金が入っていた。オーストラリアから来たと言っていた父親。これらの品物もかの地と関係があるのだろうか?
 ルウェリンへの反感から独自に事件の謎を追うネッド。だがその彼を狙うのは、フードの男だけではなかったのだ・・・。
 2009年発表の競馬シリーズ第43作。親子共著になってからは前作「審判」に続いての3作目。フランシス単独作品に描写的には劣りますが、巧みなプロットでかなり読ませます。
 主人公はブックメーカー業をそこそこ切り回しているとは言え、助手のルカは野心家で、うかうかすると見切られかねない状態。妻のソフィは精神病院の入院患者で、ここ数年間自宅と施設とを何度も行き来する状態が続いています。
 父を殺害したフードの男の影に脅えていると、間髪入れず自宅に別口の侵入者。相次ぐ競馬場でのインターネット・トラブルに絡み暴行を受けたかと思えば、今度は一転して店を買い取りたいという申し出。
 なんかヘヴィな展開がてんこ盛りでいっぱいいっぱいなんですが、それがこう着地しましたかと。過去の事件の真相はアレですが、それ以外はかなり痛快な終わり方。あそこからこう来るとはおでれえたなあ。
 いつまでもディックの面影を追うのではなく、「祝宴」以降のフェリックス共著作品は、また別種のミステリとして賞味すべきだと思います。そういう意味で本作はお奨め。4作全部を読んではいませんが、たぶんこれが一番なのではないかな。

No.16 6点 密輸- ディック・フランシス 2019/01/13 11:07
 元騎手の馬匹運搬会社〈クロフト・レイスウェイズ〉経営者、フレディ・クロフトは激怒した。常々言い含めているにも関わらず会社の運転手がヒッチハイカーを乗せ、しかもその男は車内で死んでしまったのだ。死因は心臓麻痺。どうにもならなくなった運転手たちは報告ついでに馬運車を彼の自宅に運び込み、仕方なくフレディも検死までとそれを了承する。
 その夜何者かが当の車にしのびこみ、何かを探していった。目を覚ましたフレディは賊を追うも取り逃がしてしまう。翌日彼は社の修理工ジョガーに、車両全台の点検を依頼する。結果は驚くべきものだった。数台の車体の下に、それとは解らぬ形で携帯用金庫が取り付けられていたのだ。
 馬運車は転戦する馬たちを乗せて、イギリスやヨーロッパ各地を動きまわっている。コカインの密輸か? それとも・・・。
 フレディはジョッキイ・クラブ保安部長パトリック・ヴェナブルズに連絡を付け、クラブは女性調査員ニーナを派遣する。女性運転手として彼の会社に潜り込むのだ。
 だがその矢先にパブで口を滑らせたジョガーが事故死を遂げる。彼は死の直前に、謎のメッセージをフレディの留守番電話に残していた・・・。
 競馬シリーズ第31作。前作「帰還」の流れを汲む医学系サスペンス。ストーリー半ばまでそれほど動きはありませんが、フレディが再び現れた侵入者に後頭部を殴られ、サウザンプトン港に投げ込まれるやテンポは一転、辛くも岸壁に這い上がるも、訪れていた実姉のヘリコプターと愛車ジャガーは激突させられ、彼の自宅は手斧で破壊の限りを尽くされます。
 「悪意を振りまく事、破壊そのものが快感」という犯人で、このタイプは今後もフランシス作品に形を変えて登場します。本書は明確にその姿を描いた最初の作品と言えるでしょう。
 前半の地味そのものな部分にも丹念に伏線が張ってありますが、全体に起伏が少ないのが難といえば難。とはいえ意外性はかなり用意されています。佳作にはちょっと届きませんが、なかなか良い作品です。

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雪さん
ひとこと
ひとに紹介するほどの読書歴ではないです
好きな作家
三原順、久生十蘭、ラフカディオ・ハーン
採点傾向
平均点: 6.24点   採点数: 586件
採点の多い作家(TOP10)
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