皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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雪さん |
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平均点: 6.24点 | 書評数: 586件 |
No.14 | 7点 | 死はわが隣人- コリン・デクスター | 2020/09/29 10:03 |
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オックスフォード大学ロンズデール学寮長選挙のさなか、ブロクサム通りの北側にならんでいるテラス・ハウスの一軒で殺人が発生した。被害者は同僚とともに独立開業したばかりの若き物理療法士、レイチェル・ジェームズ。彼女は裏窓のブラインド越しに首の下を銃で撃たれ、明るいとび色の髪を血の海にひたし台所の奥に倒れていた。
テムズ・バレイ警察のモース主任警部は朝食どきに起こった銃撃の謎を追い始めるが、被害者が人から恨みを買っていたとはとうてい思えない。だが一癖も二癖もある隣人たちの錯綜する証言から、やがて殺人事件と学寮長選挙との意外な接点が浮かび上がってくる。手がかりを掴んだと思った矢先病に倒れたモースは、糖尿病治療の苦痛に耐えながらなおも事件の真相に迫ろうとするが・・・。現代本格ミステリの最高峰、モース主任警部シリーズついに佳境へ。 1996年発表。『カインの娘たち』に続くシリーズ十二作目で、本来ならばモース最後の事件になるはずだった長篇。そのせいか最後の絵葉書の趣向に見られるように、人間モースを浮き彫りにするようなエピソードがいくつも見られます。シリーズ自体は読者の懇請の結果、次作『悔恨の日』であのような結末を迎える訳ですが、生みの親としては希望を持たせる形で終わらせたかったのかもしれません。 序章、終章を含めて全七部と分厚い割に、途中まではややたるんだ感じ。鏤められた仮説や衒学趣味ほか各エピソードで引っ張るものの前作以上にイマイチな展開が感興を削ぎます。 〈残念だけどシリーズでも下の方かな〉と思って読んでたら、第四部以降の半ば過ぎから急速に挽回。学寮長選挙を戦うジュリアン・ストーズとデニス・コーンフォード、二人の候補者それぞれの夫婦模様がクローズアップされ、主人公の疾病も一役買って決着。さらに保養地バースの高級ホテル〈ロイヤル・クレセント〉での素晴らしいエンディングからモース警部のミドル・ネームが明らかになるなど、『悔恨の日』でなくこちらが〆でも良かったような気もします。現行の形がよりベストなのは分かりますが。 『カイン~』、本書、『悔恨~』の三冊で一括りとも言えるんですよね。尖ったスタートをした割には、また別の良さを出して上手くシリーズを纏めたなと。第十作『森を抜ける道』辺りから、小説創りは飛躍的に向上してます。ミステリとしては大した事ないかもしれないけれど、本書をプッシュする人の気持はよく分かるなあ。 デクスターもコンプリートしたので、即席の順位を以下に掲げます。偏った読み手の偏ったランキングなので、まあ参考程度に。 ①キドリントンから消えた娘 ②ウッドストック行最終バス ③カインの娘たち ④死はわが隣人 ⑤森を抜ける道 ⑥死者たちの礼拝 ⑦ジェリコ街の女 ⑧悔恨の日 ⑨モース警部、最大の事件 ⑩謎まで三マイル 次点は第九作の『消えた装身具』。十位をどっちにするか迷った以外は、ほぼ順不同です。 |
No.13 | 6点 | 消えた装身具- コリン・デクスター | 2020/09/18 00:16 |
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〈英国"歴史の都"ツアー〉のクライマックスで、コレクターたる最初の夫の遺品〈ウルバーコートの留め具〉を、オックスフォードのアッシュモーリアン博物館に寄贈する筈だったツアー客ローラ・ストラットンが、ホテルでの滞在中に急死した。問題の装身具は八世紀後半のすかし細工を施した金製品で、三角形の隅にルビーが一つだけはめこまれているもの。博物館の収蔵品である黄金のバックルに完全にフィットする、世に二つとない貴重な品だった。だが持ち主の死とともに、留め具もまた彼女の抱え込んだハンドバッグごと紛失していた。
事件を担当するテムズ・バレイ警察のモース主任警部は、ローラの死は他殺ではないかと疑うが、二十七名にものぼるツアー客を前に窃盗犯の洗い出しは遅々として進まない。そんな彼の疑念を掻き立てるかのように、今度は装身具を受け取る予定だった博物館側の管理責任者が、全裸の死体となって遊泳地域の川面に浮かんだ! モースは錯綜する関係者の証言を選り分け、その中から二つの事件の関連を掴もうとするが・・・。二転三転するプロットを凝らして、英国現代本格の雄が描くシリーズ第九弾。 ゴールド・ダガーを受賞した『オックスフォード運河の殺人』から3年後の1991年に発表された長篇。冒頭の「感謝の言葉」で述べられている通り、英国セントラル・テレビジョンで1987年のクリスマスに放映された『主任警部モース』第2シリーズ第1話、「ウルバーコートの留め具」を原型にしている。文庫版で読了したので詳細は不明だが、大庭忠男氏のポケミス版解説によるとTV版とはかなり違う作品に仕上がっているそうだ。 全三部構成で、ダミーと真相との二段構え。観光ツアーの事件らしくオックスフォード全域を舞台に取り、TV版脚本を叩き台に細部まで考え抜かれた殺人を描いている。痒い所まで手が届くのは本解決の方だが、実のところ偽解決の方が面白いのもいつものデクスターあるあるである。ここから後期の代表作『森を抜ける道』に行くだけあって、内容的にも復調している。だがそれでも色々と限界はあって、かなり上手く纏めてはいるが初期作を越えるまでには至っていない。 全員を集めての犯人指摘やモースのベッドインから恋の終わりまでと、演出や主人公周りのエピソードもやや派手。この辺りはドラマ版の影響だろうか。個人的にはもう少し抑えた筆致の方が好みだが。 リメイクとの前情報から期待値は低かったが、結構楽しめた作品。佳作までには至らないがそれでも6.5点は付けたい。 |
No.12 | 6点 | 別館三号室の男- コリン・デクスター | 2020/09/12 09:53 |
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オックスフォードのセント・ジャイルズ・ストリートに建つ、〈ホーアス・ホテル〉の未完成の別館で殺人事件が起きた。大晦日に催された大仮装晩餐会で一等賞を獲得した宿泊客が、元日の朝顔面を殴打された血まみれの死体となって発見されたのだ。ラスタファリー教徒(ジャマイカの黒人宗教)のはでな衣裳をまとった男はドーランでコーヒー色に首から肩までを染め、あけっぱなしの窓から吹きこむ外気で凍りつくほど冷えきったベッドに横たわっていた。
殺人のニュースが知れわたるや別館の客たちは一人残らず荷物をまとめ、警察が到着する前に姿を消してしまう。イスラム信者の仮装をし、ヤシマック(目以外を隠す黒いベール)に顔を包んだ被害者の妻もその例外ではなかった。おまけに彼らはことごとく、住所や名前を偽っていた・・・ 見知らぬ男女が集うホテルで起こった、身元不明の死体をめぐる謎。掴みどころのない難事件にモース警部が挑む、人気シリーズ第七弾。 1986年発表。刑事ドラマ『主任警部モース』の放送が翌年から本格的に始まるせいか、前作『謎まで三マイル』から丸三年開いての刊行。このペースは次作『オックスフォード運河の殺人』まで続きます。TV放映前の打ち合わせに手を取られたのか、この辺りの作品はそこまでの出来ではないですね。 事件の構図はチェスタートン式トリックの現代風組み合わせ。犯人側の計画は安易な所も目につきあまり面白くはないのですが、被害者側の動きや第36章におけるルイス部長刑事の手紙の分析、それに続くモースの指摘などは明快で、どちらかと言うと脇の部分が買える小説です。シリーズ上位には間違っても入りませんが、総合力でいくと『謎まで~』とそんなに差はありません。 わりと陰惨な事件なんですが、大晦日から年明けにかけてムリヤリ駆り出されたせいか、主人公モースの言動はいつも以上に不真面目。容疑者も全員逃げ散って、前半の会話はほとんどドーヴァー警部ばりに毒が入ってます。 彼はふたたび部屋の中を見まわし、別館三号室を出ていこうとしているように見えたが、また引き返してテレビの下の箱の引出しを一つずつ開けて、注意ぶかく隅まで調べた。 「なにをお探しになっていたんですか?」モースといっしょに〈ホーアス・ホテル〉へもどりながらルイスが訊いた。 モースは首を振った。「ただの習慣だよ、ルイス。テンビーのホテルで十ポンド紙幣を見つけたことがあるんだ」 上記のようなお笑い要素はあれど、後期作品のようにエピソードでも読ませる話作りにまでは至ってないかな。採点は少々オマケしてギリ6点。そんなところです。 |
No.11 | 8点 | ウッドストック行最終バス- コリン・デクスター | 2020/07/22 08:49 |
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バスは、なかなかやって来なかった。夕ぐれに包まれたオックスフォードの街はずれの停留所で、二人の若い娘はじりじりしていた。何度も時間表を見直し、バスの姿を求めて道路の彼方をみつめる・・・・・・。
ついに、シルビアという名の、挑発的な姿態をもったブロンドの髪の娘がしびれを切らして歩き始めた。ヒッチ・ハイクで行けばいい、男はミニ・スカートに弱いものだ――そして、もう一人の娘も彼女にひきずられるように姿を消した・・・・・・。 ヒッチ・ハイクを試みた女性シルビア・ケイは、数時間後ウッドストックの酒場の中庭で、変りはてた姿となって発見される。死体には暴行された跡があり、長いブロンドの髪は無残にも血にそまっていた。だがTVで協力を求めたにも関わらず、シルビアと一緒にいた娘は名乗り出ようとしない。これはどういう事なのか? ヒッチ・ハイカーが変質者の毒牙にかかるケースは珍しくないが、今回行きずりの犯行に狙いをしぼるのは危険かもしれない。 事件を担当するキドリントン、テムズ・バレイ警察のモース主任警部は、相棒に見込んだルイス巡査部長とともに被害者の身辺調査にかかり、捜査線上に浮かんだ同僚のタイピスト、ジェニファー・コルビーを追及する。だがなぜかジェニファーは、執拗なモースの尋問にも頑として口を割らなかった・・・。 1975年にマクミラン社から刊行された、デクスターの処女作にしてモース主任警部シリーズ第一作。発表当初からの高い評価に加え数々の映像化(スピンオフ含む)を受けて、本国イギリスでのモースはシャーロック・ホームズに匹敵する人気キャラクターとなりました。直感に頼った妄想一歩手前の推理と溢れんばかりの人間臭さは、R・D・ウイングフィールドのフロスト警部と共に、非常に印象深いものです。 ただし再読すると〈論理のスクラップビルド〉は意外に控え目。クローザー夫妻の告白などは、むしろクリスチアナ・ブランド風〈自白の連鎖〉に近い。さらに事件当夜の各人物の行動や心理状態、そこから類推される結論も単なる思いつきに留まらず、二作目以降よりも周到に構築されています。この部分の丹念さと複雑さが誤解のモトですね。真の意味で〈読者が煩悶するほどの仮説また仮説〉に値するのは、この手法を極限まで推し進めた問題作『キドリントンから消えた娘』だけでしょう。一作目という事もあり、イメージよりも結構正統派寄りです。中盤のお笑い推理も全くの無駄ではなく、ちゃんと捜査を進展させてますしね。 モースのロマンスも過剰にならず、抑えた筆致ながら強い余韻を残します。簡潔に纏めると〈バランス良く丁寧に作られた秀作〉といった所でしょうか。良い作品ではありますが、尖り具合を含めた総合力で行くと『キドリントン~』には若干劣ります。 |
No.10 | 6点 | ニコラス・クインの静かな世界- コリン・デクスター | 2020/07/19 10:58 |
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約百カ所の海外センターを通じて、オックスフォードからイギリスの優れた試験制度を世界に提供する海外学力検定試験委員会。その審議員の一人が、パインウッド・クロースの自宅で変死した。死んでいたのは三カ月前メンバーの一員に加わったケンブリッジ大出の俊秀ニコラス・クイン。死因は青酸カリによる中毒死だった。
誠実な人柄と聡明な知性で見事委員の座を射止めたクインだが、彼には重大な肉体的欠陥があった。巧みな読唇術でハンディキャップを補い、常人同様に振舞えるとはいえ、電話も受けられぬほどの極度の難聴だったのだ。就任したばかりのクインは果たして何を知り、どうやって殺害されたのか? キドリントン、テムズ・バレイ警察のモース主任警部は勤務先の試験委員会に捜査の照準をあわせ、職場の人間関係から事件の謎に迫ろうとするが・・・ 『ウッドストック行最終バス』『キドリントンから消えた娘』に続くモース主任警部シリーズ第三作。1977年発表。「なぜ?」「いつ?」「いかにして?」「誰が?」の四部を、プロローグとエピローグで挟み込む構成。仮説を組み立てては崩すスクラップビルド型の前作・前々作とは若干異なり今回は割とストレート。変化したように見えても鏡餅風というか前の推理が完全に捨てられず、その上に二段目三段目と推理が積み重ねられていきます。 〈スタジオ2〉関連の出入りが結構込み入っていますが、これを除けばアリバイトリックは単純。一見複雑に見えるものの、初期六作の内ではシンプルな方の作品です。最後の捻りはややアンフェア気味ですが、本文で先に触れられているのでまあセーフかな。ただ四作目以降に比べても華やかさに欠ける面があるので、点数は6点止まり。 |
No.9 | 5点 | オックスフォード運河の殺人- コリン・デクスター | 2020/06/19 12:06 |
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十一月下旬のある土曜日の朝、モース主任警部は上司からの電話を受けた直後に吐血して失神し、ノース・オックスフォードのフラットからジョン・ラドクリフ第二病院の病棟7Cに搬送された。原因は不摂生による胃潰瘍だった。
まもなく回復し手持ち無沙汰の身を持て余したモースは、斜め向かいのベッドで亡くなった元インド駐屯軍将校・ウィルフリッド・デニストン大佐が自家出版した労作「オックスフォード運河の殺人」を紐解くことにする。それはある人妻が一八五九年、テムズ川本流を航行してロンドンに向かう船旅の途中で行方不明となり、死体となってオックスフォード運河に浮かんだ事件について纏めたものだった。 ダービー生まれのその女性ジョアナ・フランクスは二度目の夫のもとに向かうため、六月十一日土曜日の朝リバプールからはしけでプレストン・ブルックへ向かい、それから十一日後の六月二十二日水曜日にコベントリー-オックスフォード運河終点付近にある三角形の水路、通称"公爵の掘割"で発見されていた。 事件にいくつかの疑問を抱いたモースはがぜん乗り気になり、見舞いに訪れたルイス巡査部長やポドリー図書館員クリスティーン・グリーナウェイの協力を得て、百三十年前に起きた殺人事件の謎を病床から解こうとするが・・・ 1989年発表のモース主任警部シリーズ第8作にして、同年度CWAゴールド・ダガー賞受賞作。ジョセフィン・テイ『時の娘』ばりの歴史ベッド・ディティクティヴものですが、クラウン作品にしては味付けは薄め。格段に読み易くはあるものの、デクスター愛読者にとっては少々物足りません。短編集『モース警部、最大の事件』収録諸作の方が良い感じ。 第11章末尾で指摘される手掛かりなど見るべきものはあるのですが、基本的には直線一本道。特に捻りもなく、病院パートなどモースやルイスの掛け合いもいつもの分量以下。最後に被害者の生家に残っていた証拠を発見して、物語は終了します。 細かい部分を綺麗サッパリ忘却した上での再アタック。でも初読時も今回もあんまり印象良くないなあ。結局肝心のアレを、どこから調達したかは不明だし。今回は歴史推理なのでいちいち辻褄合わせを求める訳にもいかず、いつも以上に煙に巻かれた気がしてしまいます。 前後の二作『別館三号室の男』『消えた装身具』は未読ですが、今のところこれが一番下かな。好き嫌いの分かれる作家さんなので、気付かなかった本書の良さというのもあるかもしれません。オックスフォード運河に抱く郷愁も、英国と日本ではかなり異なるでしょうしね。 |
No.8 | 9点 | キドリントンから消えた娘- コリン・デクスター | 2020/01/08 11:35 |
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同僚リチャード・エインリーの事故死により、ストレンジ警視正からロジャー・ベイコン中等総合学校の女生徒、バレリー・テイラー失踪事件を担当するよう言い渡されたモース主任警部。彼女は二年三カ月と二日前、昼食後の再登校時に姿を消していた。エインリーの死の翌日、両親に送られてきたバレリーの手紙を突きつけるストレンジに対し、モースはだしぬけに言う。「彼女は死んでいます」
それが彼を最後まで混乱させ続けた命題だった――果たしてバレリーは生きているのか、それとも既に死んでいるのか? 「ウッドストック行最終バス」に続くモース主任警部シリーズ第2作。1976年発表。おお、ひさびさのメジャー級作品だ! とはいえ一応纏まりのあった前作以上に尖った構成。2/3を過ぎた部分まではブリリアントながら仮説がひとつ提示されるだけですが、それ以降はエピローグ間際までスクラップビルドの嵐。主任警部もへとへとで、最後はもう「手を引く」と部下のルイス部長刑事に明言するほどです。 夢の中でも仮面を付けたバレリーがモースを幻惑。いったい彼女は生きているのか、いないのか? 終始この映像を脳裏にちらつかせながら読者を最後まで惑わせ、ラストまで引っ張ってゆく異色ぶり。家出に加え殺人一件というしょぼい謎を、この上もなく魅力的な事件に仕立てるマジック。読者を選ぶとはいえ、その分コアなファンの支持を勝ち取る所はやはり類例の無いものと言えるでしょう。簡単にエピゴーネンを許すような作風でもありませんし。 「ウッドストック~」の方が優れていると思いますが、それでも〈デクスターの代表作〉となればこちらを選ばざるを得ません。「結局、最初の手紙は誰が書いたの?」という疑問はありますが(ベインズがあのタイミングで投函する理由がほぼ皆無なので、個人的にはバレリーだと思います)、それよりも手紙と関係ありそうなエインリーの死が、途中から全くほっぽらかされてるのがアレかな。思わせぶりで明言しない叙述も多いですが、それもまた謎作りに貢献しています。本シリーズの手法を極限まで進めた問題作です。 |
No.7 | 6点 | ジェリコ街の女- コリン・デクスター | 2019/12/15 16:31 |
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パーティーの席で出会った女性アン・スコットはモース主任警部の目には魅力的に映った。間近に見ると、大きなうす茶色の目につやつやした肌をもつ女はいっそう魅力的に見え、唇はすでに笑いをたたえていた。二人は互いを意識し合うが、ルイス部長刑事からの急報でかれらのささやかな会話は終わりを告げる。別れ際に彼女はモースに手ずから住所を渡した。オックスフォードのジェリコ街、キャナル・リーチ九号。
それからまるまる六ヵ月後、彼はオックスフォード読書協会のメンバーとしてジェリコ地区を訪れる。彼女の事が頭から離れないモースはアンの家の門前に立つが、ノックに応答は無い。だが人の気配はするのに、錠はかかっていなかった。彼はドアをあけて中へはいるが、やはり応答はなくそっとドアを閉めて立ち去る。ふりかえると灯っていたはずの二階のあかりが消えていた。 その晩の読書協会での講演は大成功のうちに終わった。だが、上機嫌のモースの耳に救急車のサイレンが響く。不吉な予感を覚えたモースは会を早々に辞去し再びジェリコに向かうが、そんな彼が見たのは首つり自殺したアンの家を取り巻く警官たちの姿だった―― 「死者たちの礼拝」に続くモース主任警部シリーズ第5作。前作に続き1981年度CWAシルヴァー・ダガーを連続受賞。複雑怪奇な「死者~」と第6作「謎まで三マイル」に挟まれた作品ですが、シンプルながら出来栄えは両作よりもやや上。さらに縊死事件の謎では「キドリントンから消えた娘」のアレを上回るトンデモ仮説が炸裂します。 アンの自殺が頭から離れず、事件担当の同僚ベル主任警部に内緒で調べを進めるモース。果ては違法に現場の合鍵を作り、コッソリ侵入したところを見つかって新米刑事にしょっぴかれる有様。人徳でなんとか彼を丸め込みますが、全てのいきさつを話さざるを得なくなってしまいます。そうこうするうちに現場向かいの十号室で第二の殺人が発生し―― 最初の事件のメインとなるトンデモと、第二の事件のアリバイ崩しの二段構え。仮説のスクラップビルドはありませんが、後半のアリバイも地味に手掛かりが敷かれています。ただ今読むと、「森を抜ける道」に代表される後期作品のボリュームには総合力で及びませんね。ドラマ部分の処理もやや消化不良気味なので、佳作とはならず6.5点。 |
No.6 | 8点 | 森を抜ける道- コリン・デクスター | 2019/12/10 17:16 |
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わたしを見つけて、スウェーデンの娘を
わたしを覆う凍った外被をとかして 碧空を映す水を乾かし わたしの永遠のテントを広げて 約一年前の一九九一年七月、ウッドストックの南一マイルにあるA44号線の待避所でスウェーデン人女子学生のリュックサックが発見された。脇ポケットから出てきた書類によって、持主はウプサラ出身の学生カリン・エリクスンと判明。ロンドンからヒッチハイクでオックスフォードへ行ったと思われる彼女の足取りは、バンベリー・ロード周辺で途絶えていた。だが新たにオックスフォードシャー、キドリントンのテムズ・バレイ警察本部に送りつけられた謎の詩は、事件に新たな光を投げかけることとなった。 警察本部は《タイムズ》に協力を求め、詩の全文を公開し一般からの協力を募る。紙面上で繰り広げられる推理合戦。一連の記事は、ドーセット州のベイ・ホテル〈ライム・リージズ〉で休暇を過ごしていたモース主任警部の興味をも惹きつける。彼女が眠るのはマールバラ公に下賜された広大な面積を誇る大庭園にして世界遺産ブレニム・パレスか、それともオックスフォード大学が所有する古代森林地ワイタムの森か? 加熱してゆく世論と進まない捜査に痺れを切らしたストレンジ主任警視は担当者を交代させ、事件の解決を主任警部とルイス部長刑事の黄金コンビに託すのだった・・・ 1992年発表のモース主任警部シリーズ第10弾。最初期二作「ウッドストック行最終バス」「キドリントンから消えた娘」の変奏版とも言うべき作品で、仮説スクラップビルドの代わりに一般参加の多義的解釈が用意されたもの。内外共に評価は高く、八作目の「オックスフォード運河の殺人」に続きCWAゴールド・ダガー賞を受賞。ただしツートップ程のブリリアントかつ切れ味の鋭い推理はありません。舞台設定の巧みさや各エピソードの面白味、加えて小説作りの上手さなど、総合力で押すタイプの作品です。 ブレニム・パレスに目星をつけた前任者ジョンスン主任警部に対しモースは《タイムズ》読者の指摘に従いワイタムの森を選択。首尾良く遺体を発見するものの、何とそれは男性のもの。捜査は一時停滞しますがまもなくカリンを撮影した写真が現れ、その背景から全ての発端となった建物〈セカム・ビラ〉に行き着きます。 初読の際には紙上推理が鼻に付いたんですが、再読するとまあまあ。でもアクセントレベルですねこれ。メインの謎もそこそこ程度。けれども上手く興味を繋いで転がしてるので、ナンバー3作品という格付けに異論はありません。純粋に好みだと今のところ次作「カインの娘たち」になりますが。 後期のデクスターは推理以外の部分も読ませるので面白い。読み終えた後一番心に残ったのは、モースとモデル・エージェンシーの女、クレア・オズボーンの交際シーンでした。 |
No.5 | 6点 | 謎まで三マイル- コリン・デクスター | 2019/11/12 07:50 |
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オックスフォード大学ロンズデール学寮の試験委員ブラウン=スミスは七月十日木曜日の朝、なんとも奇妙な、興味をそそられる一通の手紙を受け取った。――娘が卒業試験の合格者リストにのっているかどうかを知らせてくれれば、まったく人に知られるおそれのない性的スリルを満喫させよう――
誘いに応じて迷路のような歓楽街ソーホーに引きこまれた彼は、やがてラッセル・スクエアの手入れのよいマンションに導かれる。そこでイヴォンヌと名乗る女に迎えられたスミスは巧妙に薬を飲まされ昏倒するが、そんな彼を不似合いなサングラスをかけた謎の男がじっと見つめていた。 それからちょうど二週間後の七月二十三日水曜日、オックスフォード運河からわずか三十ヤードばかり離れたはしけ〈ボート・イン〉から男の遺体が揚がる。そして、にごった水から引き上げられた死体の四肢と頭は切断されていた・・・ 「ジェリコ街の女」に続くモース主任警部シリーズ第6作。前々作、前作とたて続けにCWAのシルヴァー・ダガーを受賞してきたデクスターですが、1984年度の本作では候補に挙がったものの惜しくも無冠に終わりました。首無し死体一発勝負と若干シンプルなのが祟ったのでしょうか。とはいえ簡単に真相にはたどり着けないよう工夫が凝らされています。 一九四二年十一月、北アフリカのエル・アラメインの戦いから始まる異色の構成。警察関係者以外の登場人物はごく少数なので身元はすぐ判明しそうなものですが、これがなかなか判りません。ああでもないこうでもないと頭を抱えているうちに、容疑者たちがバンバン死んでゆくというとんでもない展開に。 ただこのストーリーには賛否両論あるでしょう。作者の自信は分かりますが、最後に問題の死体だけが残るのは露骨。渾身のサプライズも結果的にあまり生きていません。容疑者たちを何人か残した方が謎がより深くなったと思います。 「死者たちの礼拝」でも感じましたが、デクスターという作家は謎を作るのは上手くても、プレゼンというか効果的な見せ方についてはあまり得意ではない。クロスワード・パズルの達人という経歴から来るものでしょうか。初期シリーズのスクラップアンドビルドの繰り返しは、そんな彼が編み出した策略なのかもしれません。 追記:第7章にはこのような記述があります。 骨の折れる一学年がやっと終って、大学全体が団体で昼寝をしているかのようだった。老齢で一人暮しの指導教官の二、三人を殺すにはこんないい時期はないなとモースはふと考えた。 (中略)実際、彼らがいなくても、だれも気にかけない――十月の中旬までは。 オックスフォードという大学都市の特殊性をフルに生かしたトリックです。 |
No.4 | 6点 | 悔恨の日- コリン・デクスター | 2019/10/02 15:32 |
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一九九八年七月十五日、休暇中のモースは自宅にストレンジ主任警視の訪問を受けた。ストレンジは彼に、約一年前コッツウォルドのロウワー・スウィンステッドで起こった殺人事件の再捜査を命令する。
〈チョウゲンポウ〉と名づけられたジョージ王朝風の自宅のベッドで、裸に手錠をかけられさるぐつわをかまされて横たわっているラドクリフ病院の正看護婦、イヴォンヌ・ハリスンの死体が発見された事件。発見者は夫のフランクで、妻の様子がおかしい、すぐ帰るようにとの電話を受けて自宅に急行したのだった。家じゅうの部屋にはあかあかと灯がともり、玄関は開けはなたれ、するどく青い光をはなつ盗難防止装置のベルが鳴り続けていた。 犯人の挙がらぬまま長らく放置されていたのだが、一週間ほど前、ストレンジの自宅に捜査の再開をうながす匿名電話が二度掛かってきたというのだ。電話の内容には、新聞報道では知り得ないことがふくまれていた。 気乗りしないモースに代わって捜査を受け持ったルイス巡査部長は、電話の指示に従い犯行当時〈チョウゲンポウ〉に不法侵入していた泥棒、ハリー・レップの追跡を試みる。模範囚として刑務所から早期釈放された彼を車で尾行するも、巧みに撒かれてしまうルイス。レップはそのままどこにも姿を現さなかった。一方モースは、廃棄物処理場の埋立て地に彼の死体が搬入される可能性があると推測する。だが、やがて捨てたばかりのごみの中から発見された男は、レップではなかった・・・ 1999年発表のモース主任警部シリーズ最終作。かなり厚めの作品ですが、登場人物たちの意外な関係を軸にしたトリックに加え、周到な伏線が張られています。ただ出来ればもう一押し欲しかったところ。「最後の事件」としての捻りは申し分無いですが。 気が進まないと言いながら、悉くルイスの調査に先回りする主任警部。彼の怪しい動きが作品のスパイスとなり、ボリュームたっぷりながら無理なく読めます。久し振りにゴリ押しで活路を開くというか、モース以外には解決出来ないであろう事件を最後に用意してくれたのが嬉しい。タイトルも"THE RE(MORSE)FUL DAY"と洒落ています。 |
No.3 | 6点 | 死者たちの礼拝- コリン・デクスター | 2019/09/19 03:10 |
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四月はじめのはだ寒い月曜日。二週間の休暇を持て余したモース主任警部は、何かに導かれるようにセント・フリデスウィーデ教会のドアを開けた。彼はたまたま内陣にいた女性ルース・ローリンスンから、去年教会で起きた殺人事件の切り抜き記事を入手する。信徒たちが最後の賛美歌を歌っているあいだに、教区委員の一人ハリー・ジョーゼフスが聖具室で刺殺されたのだ。直接の死因こそナイフによる刺傷だったが、検視報告は胃の中に致死量のモルヒネがあったことを示していた。
さらにその翌月には、牧師のライオネル・ロースンが教会の塔から転落死している。直前に聖餐式を行ったばかりで、事故とも自殺ともつかない出来事だった。いったい、この教会には何が潜んでいるのか? 事件に興味を抱いた主任警部は私的に調査を開始し、担当のベル主任警部にも聞き込みを行う。さらに相棒のルイス巡査部長を担ぎ出し教会の塔に登ったモースだったが、彼らがそこで新たに発見したのは、なかば白骨化した男の死体だった。 三番目の犠牲者の発見後、インフルエンザで倒れたベルから正式に事件を引き継ぐモース。だが行方をくらました関係者たちの死は、これだけでは終わらなかった・・・ 「ニコラス・クインの静かな世界」に続くモース主任警部シリーズ第4弾で、1979年度CWAシルヴァー・ダガー賞受賞作。初読時は「ウッドストック」「キドリントン」に次ぐものと評価していましたが、改めて再読するとやや微妙。献金詐取や不倫事件をリンクさせ、誰も彼も一癖ありげな不穏さを湛えたオープニングは素晴らしいのですが、結末は必ずしもそれに見合っていません。 重要証人のルース・ローリンスンが何かを秘めていることや、彼女と関係する犯人らしき人物がブランク描写されるのですが、ルースの人物設定からある程度正体が割れてしまうのが難点。解決のカタルシスを決定的に左右する部分なので、処理が適切であったかどうか疑問です。 またモース達は結局六つもの遺体を抱え込むことになるのですが、動機がちょっと曖昧。少なくとも少年殺しの必然性はあまり無いように思います。初読の際はこのへんの五里霧中感が良かったのですが、改めて見ると目晦まし的な面が強い。墜死体の眼鏡の件も、暗示される事実はモースの推理を崩しかねないもの。 総合的には多少のアラより読者を取り込むテクニックを優先した仕上がりですが、そこをどう判断するか。楽しめはしますがシリーズ上位には食い込めないかもしれません。 |
No.2 | 7点 | カインの娘たち- コリン・デクスター | 2019/08/21 08:06 |
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モース主任警部が捜査を引き継いだ、大学の元研究員の刺殺事件は意外な展開を見せた。容疑者と思われた博物館係員の男が行方不明となり、数週間後に刺殺体で発見されたのだ。凶器は博物館から盗まれたナイフだった。二つの殺人に何か関係が?やがて、殺された男に恨みを持つ三人の女の存在が浮かび上がるが、彼女たちには鉄壁のアリバイが!(内容紹介より)
「モース警部、最大の事件」に引き続き発表された、シリーズ第11作。1994年発表。簡にして要を得た説明なのでそのまま抜粋しましたが、こうなるのは本書も3/4を過ぎたあと。作中でも「事件はスピーディーな進展を見せてはいない」などと書かれてしまいます。二部構成もあまり生きてはいません。 ではつまらないのかというと決してそんな事はなく、盗難品のナイフを使ったアリバイ・トリックはかなり考え抜かれたもの。体調のはかばかしくないモースも、いつもの仮説スクラップビルドとまではいきませんが時折光る推察を見せて引っ張ります。 ただかなり厚めではあるので、ミステリとしての興味だけで読むと展開が遅いのはキツい。中盤付近で吐血したモースが緊急入院したり、ラストで熱い告白を受けるなど、ドラマ部分の派手さに食われた感もあります。まあこの主人公は人間臭過ぎて、倒れたからといって突然生活態度を改めたりなどしないのですが。 文章もますます充実しており、むしろ熟成過程。じっくり読めば、そこまで低評価に甘んじるような作品ではないと思います。モースが引退を示唆するなど、明らかに畳みに来ているのがマイナスに働いたのかな。主任警部が万全の状態でガンガンのたうち回っていれば、また評価も違ったでしょう。採点は少し甘めの7点。 |
No.1 | 6点 | モース警部、最大の事件- コリン・デクスター | 2019/08/08 08:26 |
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モース主任警部もの5作にツイストを利かせた作品やホームズパスティーシュなど中篇2作を含む、全11編を収録した多彩な作品集。年代的には「世間の奴らは騙されやすい」からボーナストラックの「信頼できる警察」まで、ほぼ十五年間に渡ります。これは英国では、短篇小説のためのマーケットが極めて限られているからだそう。原題 "Morse's Greatest Mystery and Other Stories"。1993年刊。
かなり良い短編集で、特にモース物はキャラや世界観がきちんと確立しているだけに、ウィスキーの香りというか読んでてコクがあります。イギリス・ミステリ傑作選既収の二作を筆頭に、非モース物の方が捻りは利いてはいますが。アイデアに加えてプラスアルファがあると強いですね。 そんなわけでトップ3はいずれもモース登場作品で、皮肉な盗難張り込みの顛末を描いた「近所の見張り」、若島正さんお薦めの「ドードーは死んだ」、被害者がコンクールに応募した短篇ミステリを分析し、殺人事件を解決するミニ長編「内幕の物語」。この三つ。いずれも中身が詰まってます。ドイルの「花婿失踪事件」を下敷きにした「花婿は消えた?」と、艶笑譚「モンティの拳銃」も悪くないですが。 中軸は充実してますが、巻頭と巻末は少し弱い。これらが同レベルなら7点は固かったでしょう。なおクリスマス・ストーリーでもある表題作のタイトルは、「モース警部の大いなる謎」くらいに解釈すべきだと思います。 |