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猫サーカスさん |
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平均点: 6.18点 | 書評数: 433件 |
No.373 | 7点 | 邪魔- 奥田英朗 | 2023/12/08 18:14 |
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高校生の渡辺裕輔、主婦の及川恭子、刑事の九野薫の三人が主人公。高校生は親父狩りがきっかけで暴力団に目を付けられ、足を洗いたくても身動きが取れなくなっている。主婦は夫が火事で火傷を負ってから、今の生活が不確かなものに思え、スーパーで働くものの、周囲とうまく溶け込めないでいる。刑事は、同僚刑事の身辺調査に駆り出され、意に沿わない捜査を強いられている。未来を失った彼らのヒリヒリする日々を、これでもかと追い詰め圧倒的な迫力で迫ってくる。高校生の渡辺が、なぜそんな無軌道なことをしているのか。主婦の及川が、スーパーの労働条件の改善に取り組む運動に最初は距離を置きながら徐々に接近していくのはなぜか。刑事の九野が同僚との間に確執が生じるのはなぜか。そういう一つずつのドラマを、それぞれの性格設定を掘り下げることで、緊密に描いている。作者がこの緊迫感あふれるサスペンスで語りかけてくるのは、私たちの生活は不変なものではなく、いつでも変わり得る、ほんの小さなことをきっかけにして、思いもかけない窮地に立たされることがあるということだ。日常生活のその落とし穴と、そういう局面に立たされた時の人間の強さ弱さを、鮮やかな筆致で描いている。 |
No.372 | 6点 | 逆ソクラテス- 伊坂幸太郎 | 2023/12/08 18:14 |
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表題作は、小学六年生の「僕」が転校性の安斎君の呼びかけに応え、担任の久留米先生をやっつける作戦を繰り広げる。草壁君本人を含む即席チームに共有されているのは、この計画は久留米先生が自身の先入観を疑うことなく教職を続けていった場合、害されることになる未来の後輩たちを救うために立案されている。ここで繰り出すロジックをまとめると、加害者の心の杭を打つことで未来の被害者を減らす。第二編以降も小学生を主人公に据え、先入観をひっくり返す物語が、ミステリの律動に乗せて語られていく。誰しもが加害者に成り得るならば、排除の論理を振りかざせば自分もいつか排除されてしまう。最終話では更なるロジックを展開し、自分が加害側へと傾かないよう、他者の監視を受け入れることが重要なのだと。加害の可能性を意識しながら日常を過ごすことは、萎縮であり不自由だと感じるかもしれない。だがそれは熟慮であり優しさなのだと本書は教えてくれる。名探偵ならざる市井の人々が、学校絡みの事件に立ち向かう過程で見出す、未来をよりよくするための冴えたロジックの数々を堪能できる。 |
No.371 | 6点 | 刑事の血筋- 三羽省吾 | 2023/11/22 18:17 |
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舞台となるのは瀬戸内海にほど近い、人口三十数万の地方都市・津之神市。この街の所轄署で強行盗犯係の刑事として働く高岡守は、清廉潔白とは言い難いタイプの警官だが、同業だった父の背中を見て育ったが故に、熱い信念も抱いていた。そんな守が何よりも忌避しているのは、親方日の丸で安穏としている警察官で、他でもない兄・剣をその典型だと見ていた。守と異なり、幼い頃から成績優秀だった剣は、弁護士化検察官を目指していたが、卒業半年前に方向転換し国家公務員Ⅰ種を受け見事合格。現在は警察庁刑事局刑事企画課に所属していたが、異例ともいえる異動で地元へ戻ってきたことから物語は動き出していく。公務執行妨害で逮捕したものの不起訴となり釈放した男が、死体となって発見された殺人事件の捜査に奔走する守。銃火器や薬物の検挙率と押収量が異常に優秀で経理面も「真っ白すぎる」県警を内偵する表の任務のほかに、秘密裏に抱く目的を果たすべく調査を始める剣。直情的なノンキャリア巡査部長の弟と冷静沈着なキャリア警視の兄は、同じ街に暮らしながらも、ぎこちない関係が続く。嫌いというほど幼くはないし、憎み合っているわけでもない。干渉しあうこともなく育った兄弟に距離が出来た理由な何なのか。その鍵となるのは、十五年前に殉職した父・敬一郎にまつわる黒い噂と、守と剣それぞれに異なる「刑事の父」への思いだった。県内全域を牛耳る指定暴力団との癒着、捜査の過程で浮かび上がった彼らの新しい資金源などを絡ませ、事件発生から解決までを一気呵成に読ませる。守と剣か十段な同僚・久隅との「迷相棒」ぶり、剣の部下で男勝りなバイリンガル小野谷の屈託。「面倒臭い」兄弟を見守る二人の母親・春江や、それぞれの妻や子供たちとの何気ない会話。守や剣と同じく刑事の息子として生まれた作者の覚悟を感じる一作。 |
No.370 | 5点 | 砂漠の薔薇- 新堂冬樹 | 2023/11/22 18:17 |
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本書は東京文京区で起こった実在の女児殺害事件を彷彿させる内容が盛り込まれている。といってもノンフィクション手法を使っているわけではない。事件はあくまでもモチーフであり、人物造形や舞台設定、ストーリー運びなどは純然たる創造の産物だ。でありながら、現実に事件を引き起こした女性の内面、心の闇に触れたような気にさせる。ひいては、人なら誰しも抱えているであろう犯罪者になる可能性、マイナス性向まで抉り出している。主人公のぶ子は娘を名門幼稚園にどうしても入れたい。いわゆるお受験戦争真っ只中にいるのだ。夫はごく平凡なサラリーマンだが、受験情報を得るため裕福な主婦グループと付き合っている。地味ゆえに場違いな雰囲気を醸し出すのぶ子はグループ内で蔑まれる。それでも戦争から撤退しないのは、弁護士を夫に持つ幼馴染の十和子を見返したいからだ。彼女はのぶ子と対照的に子供のころから華やかで、今もグループのリーダーとして輝いている。のぶ子が十和子の娘を殺害するまでの道のりが物語の基本ラインである。途中、グループの一員である別の主婦を陥れるため策を練ったり、幼女殺害後に老練な刑事と心理戦を繰り広げたりと、ストーリー展開はエンタメ色が強い。同時にドストエフスキー的な香りともいえる深みが感じられる。作者は犯罪を通し、なぜ人は人を差別し蔑んでしまうのかという永遠の問いに答えようとしている。 |
No.369 | 7点 | スワロウテイルの消失点- 川瀬七緒 | 2023/11/01 18:10 |
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東京都杉並区の住宅地の一軒家から、独居老人の腐乱死体が発見された。解剖の結果、他殺であることが判明。事件現場の様子から、侵入盗が帰宅した老人と出くわした末に起きた単純な事件と思われた。だが解剖室では異様な事態が起きていた。解剖が進むうち、立ち会った者たちに発疹が起こり、やがてそれは猛烈な痒みへと移行していった。一体原因は。やがて空き巣の常習犯が逮捕された。被害者宅に盗みに入ったことは自供したが、殺害には頑強に否定する。事件現場にはもう一人の人物がいた証拠が残されていた。共犯か、空き巣と関係のない人物なのか。警察庁捜査一課の岩楯は謎の人物を追い、法医昆虫学者の赤堀涼子は、発疹の原因となった、ある昆虫の痕跡をたどっていく。法医昆虫学とは、遺体にたかる昆虫の成育状況などから死因や死亡時期を割り出す学問である。そのため蛆が湧いた腐乱死体が毎回のように登場する。虫嫌いやグロテスクな描写が苦手な人には、本書の魅力が十分に伝わらないかもしれない。無茶な行動も厭わない赤堀。そんな彼女の行動にハラハラしながらも、地道な方法で捜査を進めていく岩楯。衝突しつつも、互いに最大の理解者である二人の事件への異なったアプローチがある一点で結びつく。その意外性が最大の魅力。さらに岩楯とコンビを組む個性的な若手刑事の成長や、赤堀とある少年との交流など、主筋と巧みに絡み合う脇筋の物語も読みどころ。猪突猛進に見えて深謀遠慮、単なる学者バカではない複雑な赤堀のキャラクターが魅力的。 |
No.368 | 6点 | 殺人鬼がもう一人- 若竹七海 | 2023/11/01 18:10 |
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辛夷ヶ丘は都心から遠く離れたベッドタウン。ゴーストタウンのような住宅街、荒れ放題の市民公園といった寂れ切った光景の、まるで良いところのない見捨てられた土地として眼前に現れる。第一話「ゴブリンシャークの目」は、二十年間平穏だった町で突如、放火、空き巣、盗難に痴漢と事件が立て続けて発生する最中、金持の老女が路上強盗に遭うことから始まる。多忙な刑事課の割を食ってかり出された生活安全課の砂井三琴が捜査を進めるうちに連れ、住民の鬱屈した心理が次々と露になっていく。真相が明らかになった後に残る黒々とした余韻を味わえる。第二話以降、町を二分する泥沼の選挙戦、警官同士の結婚式で起こる騒ぎ、町の裏側を知る清掃業者の異常な日常、遺産相続でもめる葬儀会場、二十年前の悪夢が甦る最終話と進む中で描かれる人間模様が読みどころである。機能不全を起こした地方都市にあって、そこで暮らす人々も町の呪いにかかったように人格を破綻させていく。そんな黒い笑いを密かに楽しみながら、ふと我が身を振り返らずにはおれない辛辣さが怖い。 |
No.367 | 7点 | 罪の轍- 奥田英朗 | 2023/10/15 18:11 |
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物覚えが悪く、仲間から馬鹿にされていた漁師手伝いの宇野寛治。ある犯罪に手を染めた彼は、警察から逃れるべく、東京へと向かった。その後、東京は南千住で強盗殺人事件が発生。大学出の若手刑事の落合昌夫も捜査に駆り出される。寛治と昌夫という若者の視点を軸にしながら、徐々に昌夫の視点にシフトし、警察小説の色が濃くなっていく。それに同期して事件も進展し、ついには全国的な大事件になる。大きく変化する時代の中で事件が深みを増す展開がまず素晴らしい。さらに、事件も捜査も報道も変化する一九六三年の刑事たちの執念を、丹念かつ圧倒的な迫力で描いている。同時に犯人の幼少期の出来事を語り、犯人と罪との関係について読者に考えさせる。誰を憎めばいいのか、誰に憎む資格があるのか。昭和を描いた小説だが、その問いはまさに現代の我々に突きつけられている。問いは重い。だが、清濁併せ吞むように成長する昌夫や所轄の名刑事をはじめとする存在感たっぷりの人物たちが活躍し、一気に結末まで読ませてくれる。 |
No.366 | 7点 | 星詠師の記憶- 阿津川辰海 | 2023/10/15 18:11 |
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星詠師と呼ばれる特殊能力者が紫水晶を持って寝ると、そこに未来の映像が記録されるという超自然現象を前提としている。最も強い能力を持つ星詠師の石神赤司が怪死し、紫水晶には赤司が息子の真維那に殺害される一部始終の映像が残されていた。真維那の無実を信じる弟子の依頼により、休職中の警視庁刑事・獅堂が調査に乗り出した。予知映像という形ではっきり証拠が残されている事件で、容疑者の無実をいかに証明するかという難題を軸に展開される物語。数多い特殊ルール本格の中で本書が際立っているのは、超自然的な要素を現実社会と接続させて見せる手続きの部分だ。紫水晶に映った未来予測をデジタルデータとして読み取る技術が開発されたり、映像の特定に顔認証や虹彩認証が用いられるなど、戦国時代の伝説にまで遡る超自然現象が現代のテクノロジーによって検証される記述には不思議なリアリティが感じられる。またそうした手続き自体が、事件の手掛かりが本物か偽物かを検討する上で重要なプロセスとなっている。 |
No.365 | 5点 | 影のない四十日間- オリヴィエ・トリュック | 2023/09/26 17:35 |
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北欧の先住民族サーミ人が昔から暮らしてきた地域サプミで、サーミ人の儀式に使われていた聖なる太鼓が博物館から盗まれた。トナカイ警察のクレメットは、新人のニーナとともに捜査に乗り出すが、翌日サーミ人のトナカイ所有者マッティスが死体となって発見され、その耳は切り取られていた。これらの事件によって、サーミ人と侵略者の末裔である北欧人の関係は一触即発の状態となり、捜査は難航する。サーミ人と北欧人は歴史的に様々な対立点を抱えており、サーミ人の文明は圧迫されてきた。主人公のクレメットもサーミ人の父とスウェーデン人の母の間に生まれ、実家ではサーミ語を話していたが、寄宿学校で受けた北欧教育によって、今ではサーミ語を全く話せなくなっているのだ。そんな彼を目の敵にする差別主義者の警官ブラッツェン、極右政党の議員でもある農場主オルセンらがクレメットたちの前に適役として立ちはだかるが、途中からある人物が、彼らをも凌駕する極悪人として不気味な本性を見せ始める。内容が散漫とした部分もあるものの、後半その人物と得体の知れないところがあるサーミ人のアラスクが行動を共にするくだりは、ただならぬ緊迫感に満ちて圧巻だ。悪党たちの策謀でピンチに追いやられたクレメットやニーナが、いかにして逆襲を果たし、真実に辿り着くかも読みどころである。 |
No.364 | 5点 | 錆びたブルー- 浅暮三文 | 2023/09/26 17:35 |
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主人公は、女を殺害し逃亡した男。家を捨て、名を捨て、ホームレスとなって暮らし始める。ゴミのような生活、おぼろげな記憶。それでも心配はない。男は神の目を持ち、神の声を聞くことが出来るのだから。だが、語られることのどこまでが現実で、どこからが妄想なのか判別できない。本当は何が起きたのかわからないまま、主人公と共に迷宮をさまようことになる。手掛かりは合間合間に挟まれる、「捜索についての推理・記録」と題された断片的な文章。一見、妄想を垂れ流す独りよがりな不条理小説のようだが、最後まで読むとミステリとして周到に計算されていたことが分かる。じっくり読めばよく出来た難解なパズルを独力で組み立てる快感が味わえるだろう。ただ、導かれた合理的な解決が真の正解かどうかは保証されない。ジーン・ウルフの短編を思わせる、企みに満ちた幻想本格ミステリ。 |
No.363 | 8点 | 向日葵の咲かない夏- 道尾秀介 | 2023/09/06 17:05 |
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物語は小学生である主人公が夏休みを迎える終業式の日、欠席した級友のS君の家へ、プリントと宿題を届けに向かうところから始まる。主人公はそこでS君が首を吊って死んでいるのを目撃するも、何と死体が忽然と消えてしまうのだ。そして一週間後、死んだS君の生まれ変わりと名乗る存在が現れ「僕は殺されたんだ」と訴える。三歳の妹と共に謎多き級友の死に迫る。やけに大人びた妹の口調、母親の冷たい雰囲気、狂気に満ちた担任の先生、何かがおかしいというより全てがおかしい。ずっと悪夢を見ているような気分だった。それでも真実を知りたい、結末が気になるそんな物語であった。結論から言えば、これぞどんでん返しの代表作である。あまりにも悲惨で報われない内容のためか、レビューでは賛否両論といった感じだが、個人的にこのダークな世界観は好みだ。作中に「何かをずっと憶えておくというのは大変なことだ。しかし、何かをわざと忘れることに比べると、大したことはない」という主人公のモノローグがある。どんな形であれ記憶に色濃く残る作品はそう多くない。忘れたいと思えば思うほど、その記憶は深く脳に刻まれるだろう。そんな作品だ。 |
No.362 | 7点 | 法廷遊戯- 五十嵐律人 | 2023/09/06 17:05 |
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法都大ロースクールに通う久我清美と織本美鈴。決して司法試験の合格率が高いとは言えないロースクールで、久我と織本に加えてすでに司法試験に合格している結城馨は群を抜いて優秀だった。第一部の「無辜ゲーム」とは結城を裁判官として、学生の中で行われる模擬裁判のことである。議題に上がる謎は消えた飲み会の代金や、久我の過去にまつわるもので、大した事件性はない。第二部の「法廷遊戯」では、三人の運命は大きく歪み、殺人事件の弁護人、被告人、被害者としてそれぞれの思惑を抱え、法廷へと導かれる。前半は斬新な「疑似」法廷ミステリ、後半は作者の豊富な法知識の下、緻密に作り上げられた圧巻の本格法廷ミステリ。全てが明らかになった時、罪とは人が犯すもので罰を下すのもまた人なのだ。「それが一体どういう事なのか、君は理解しているか」と問い掛けられた気がした。 |
No.361 | 6点 | 落日- 湊かなえ | 2023/08/18 18:07 |
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冒頭に、しつけの厳しい母親からアパートのベランダに出るように命じられる少女が登場する。隣家の少女との無言の触れ合いが、彼女の心を慰める。この出会いが物語の縦軸となる。横軸となるのは売れない脚本家の千尋と、世界が注目する新進気鋭の映画監督・香との出会い。香は十五年前に千尋の故郷で起きた「笹塚町一家殺害事件」を新作映画の題材として扱いたいという。引きこもりの兄が高校生の妹を刺殺し、自宅に放火して両親も死なせるという凄惨な事件は、裁判で犯人の死刑も確定していた。二人が取材のために別の裁判を傍聴する場面があるのだが、ドラマのような派手さがない進行に退屈と感想を述べる千尋に対し、香が語る台詞にハッとさせられた。日々見聞きするニュースを事実として受け止めるだけで、その奥にある真実を見逃してはいないか?という作者からの強力なメッセージに思えてならなかった。中盤から終盤にかけて、縦軸と横軸が見事に交差し、千尋と香が知りたかった事実がつまびらかになる。散りばめられた伏線が鮮やかに回収されていく様が痛快。作者はこれまでも、個性の強い母親や母と娘の関係性について書いてきた。本作でも千尋と香の母たちがキーパーソンとして描かれている点を鑑みると、母親という存在が創作の大きな柱であることは間違いなさそうだ。 |
No.360 | 6点 | 名もなき毒- 宮部みゆき | 2023/08/18 18:07 |
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社内報編集部のアルバイト女性が、次々とトラブルを起こしながらも、自分は悪くない、これは誰それの責任だと言い募って部内を混乱させているところから始まる。彼女の履歴書には、一流会社で働いてきた経歴が書かれてあったが、実際には素人以下の仕事ぶりだったのだ。思い余った編集部は、やむなく馘首する。その結果、彼女は途方もない悪意に満ちた報復処置を実行に移すのであった。これとはまた別に近頃、青酸カリによる連続無差別殺人事件が起こっていた。コンビニのジュースやお茶に毒物を仕込んで、人が死ぬのを待つという卑劣な犯罪である。ところが、やがてこの二つの事件が奇妙な形で結びついていく。人が集う場所では否応なしに何かしらのランクが生じてくるものだ。しかしその差異は、人間自身が生み出すものである。だからこそ余計に「差」をつけられたくないと思う気持ちが芽生える。そんな普通の人間の「普通」といいう感情を徹底的に突き詰めていこうとする。ごく当たり前の聡明な人間が、なぜ悪意に染まっていったのか、それを何とか描き出そうとする真摯な視線がここにはある。日常生活の中で起こりうる犯罪、誰に対してということではなく、世間に向けての犯行。これはまさに現代社会ならではの事件なのかもしれない。 |
No.359 | 6点 | 未来- 湊かなえ | 2023/07/30 18:29 |
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未来の自分に手紙を書いて地中へ埋めたり、海へ流したりする話なら聞いたことがある。でもある日突然、二十年後の自分から手紙が届いたとしたら。主人公の章子は未来の自分に返事を書く。十歳からの四年半に書き綴った手紙を通して、彼女の身に起こった出来事を知り心模様をたどる。少女にありがちなコンプレックス、いじめ、家族の不幸など。悩み傷つき、未来からの手紙など誰かのいたずらで、それに対して返事を書いていた自分の馬鹿さ加減にあきれながらも、前向きに行こうと自分を鼓舞する。だが一方で、未来は多感な少女を操り、悲惨な事件へと導いてゆく。後半は別の三人の視点からそれぞれのエピソードが語られる。未来からの手紙とは何だったのか、と章子を取り巻く因縁と事件の真相が綴られていく。綿密に組み立てられたこの作品は、唸らせ戦慄させる。悪意のない一通の手紙が、さながら呼び水のように大人たちの記憶の底に沈殿する悲劇までも甦らせる。未来とは過去の集積から生まれてくるものだと、思い知らされる。幻想でしかありえない「未来」に翻弄され続ける私たちへの、諦観か警鐘か。作者の叡智に満ちた目は冷徹に問いかけている。 |
No.358 | 7点 | ペテロの葬列- 宮部みゆき | 2023/07/30 18:29 |
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あるグループ企業の広報室に勤める杉村三郎は、取材の帰りに乗り込んだバスで思わぬ凶悪犯罪に巻き込まれた。拳銃を持った老人がバスジャックをしたのだ。事件はわずか三時間で解決っしたものの、あとに大きな謎が残った。老人は何者か。一体何のために騒ぎを起こしたのか。やがてかつて世間を騒がせた集団詐欺事件との関係が浮かび上がる。本作のテーマは「悪は伝染する」というもの。嘘がより多くの嘘を新たな悪を生み出していくのである。主人公とその家族や職場の人間、そんな集団の中で生まれた悪意やトラブルが増幅し、周囲を巻き込み展開していく。そこに今の日本のゆがみが如実に映し出されている。この物語を読んでいると、単なる傍観者ではすまされない思いがしてくる。自分が主人公と同じ立場だったらどうするか、突き付けられているようだ。何より、わが身可愛さのあまりに嘘をついたり、自分の嘘に気が付かなかったりする浅ましさが描かれていて身につまされる。 |
No.357 | 5点 | 残花繚乱- 岡部えつ | 2023/07/11 18:37 |
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不倫相手である上司の妻から見合い相手を紹介された、西田りか。外資系の大手証券会社で職場結婚したものの、夫が会社をリストラされた滝本泉。インテリアコーディネーターとして、男性と対等に渡り合って仕事をしている、シングル志向の桐山麻紀。三人は、ある書家が主催する書道教室で知り合い、親しく付き合っている。年も職業も背景も違う三人は、書道仲間という互いにちょうど良い距離感を保った関係だったのだが、りかが結婚式の準備を二人に手伝ってもらったことから、その関係性に少しずつ綻びが出てくる。三十代前半のりか、三十代後半の泉、四十代前半の麻紀。もう若さを言い訳にできない三人の女たち、三者三様の愛。さらには、りかの不倫相手の妻で、母としても女としても常に完璧であろうとする美津子と、そんな美津子を嫌悪する高校生の娘・美羽。女たちが心に抱える昏い感情を、それぞれの視点からじっくりと炙り出していく。女という性、女という生き方に真正面から向き合い、多角的に描くことでその狡さも悪意も切なさも可愛らしさも、ありのまま描いた物語だ。その根底にあるのは、生き辛さを抱える女たちへの、熱いエールである。 |
No.356 | 7点 | 厭魅の如き憑くもの - 三津田信三 | 2023/07/11 18:37 |
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舞台は、神隠しの村・案山子村・憑き物村などの禍々しい別名を持つ神々櫛村。この村には、代々巫女の役割を務めてきた憑き物筋の「黒い家」と非憑き物筋の「白の家」が混在し、陰湿な対立を繰り広げている。この迷信と因習で塗り固められたような山村を訪れた刀城は、奇怪な変死事件に遭遇する。そしてこの事件を皮切りに、変死体が村のあちこちで次々と見つかった。本書で発生する事件のうちいくつかは不可能犯罪であり、死体に施された装飾とともに不気味さを演出している。しかし、物語全体の充満する不気味さの真の源は、神々櫛村という舞台そのものにある。現実にはあり得ないほどに誇張された因習の積み重ねと、登場人物たちを襲う怪異の描写は、人間による犯罪なのではないのかもという不安を感じさせる。ラストで解明される真相は、本格ミステリではお馴染みのトリックのパターンを巧みに三種類組み合わせることで、抜群の意外性を演出している。 |
No.355 | 7点 | 悼む人- 天童荒太 | 2023/06/19 18:43 |
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死者が出たある事件の現場を、一人の旅姿の青年が訪れる。左膝を地に着け、頭上に上げた右手を胸へ運び、何かを唱えている。見とがめた人が何をしていたかを問うと「いたませていただいていました」と答える。これが「悼む人」である。報道で知り得た死者の情報を記録したノートと共に、彼は全国の死の現場を旅しているのだ。死者を知る者と会えば必ず「誰に愛されていたか、誰を愛していたか、どんなことをして人に感謝されたことがあったか」を尋ねる。その生前の故人を偲んで「悼む」。この奇妙な男を、癌を告知された彼の母親、嫌われ者の事件記者、夫殺しの女、三人の視点から本書は語っていく。なぜ彼はこのような行為にとりつかれたのか。単純な善意ではない。宗教行為でもないという。気味悪がられ、迷惑がられることもある。とにかく周囲に違和感と疑問を刻みつける存在だ。そんなことをして何になる、偽善だ、自己満足だ、などと疑問や反感をぶつけずにおれない者たちの目を通して、彼「悼む人」は描かれているのである。事件の報道には頻繁に死が伴う。悲惨な死、愚かな死、不可解な死、あまりにも多くの死がある。だが事件は記憶されても、死者の名前や人柄には注意を払われない場合が多い。あらゆる宗教と哲学、そして文学の根源である死を、しかし「悼む人」は恐ろしいほど律義な歩行と、聞き届きる耳によって具体化していく。その行為によって、重苦しい死がふと救いに変わる。抽象に逃げない強靭さが、深く心に残る作品である。 |
No.354 | 7点 | 小暮写眞館- 宮部みゆき | 2023/06/19 18:43 |
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全四話で構成される本書の謎は、一枚の心霊写真から始まる。撮影時にはいなかった人物が、写真では顔だけぽっかり浮かんでいるといったあり得ない状態で写っている。そんな写真を押し付けられ、謎を解くことになるのが主人公の高校生、花菱英一だ。さびれた商店街の真ん中に位置する「小暮写真館」に引っ越してきた直後の出来事だった。彼は写真に写っている人たちを知る人がいないかを探し、近所の家を一軒一軒訪ね歩くことから始める。その結果、写真の謎はすべて解明される。しかし、謎を解いただけでは物事は終わらないことを思い知ることになる。例えば、こんな形になってまでも写真に写り込み、何事かを訴えたかった幽霊たる人の思いとは、果たしていかばかりのものであったのか。誰かに何かを伝えるための手段としても、これではあまりにも悲しすぎた。相手に直接言葉を使って伝えることが叶わない、独りぼっちの苛烈な状況が思い浮かぶからだ。決して声高ではないが、ここには物言わぬはずの写真が、かくも多くの言葉を持っている驚きと、その言葉を口にできない、もの言えぬ環境の現実がさりげなく描かれている。著者は、そこから言葉と会話による人と人のつながり、結びつきの大切さを主人公の成長具合と合わせるように、ゆっくりと慎重に語っていく。この柔らかさは宮部みゆきならではだろう。 |