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猫サーカスさん
平均点: 6.16点 書評数: 296件

プロフィール高評価と近い人 | 書評 | おすすめ

No.296 6点 カード師- 中村文則 2021/10/23 18:26
理不尽な運命にどう向き合うのかを読者に問いかけている作品。主人公は、信じてもいない占いをなりわいとし、違法なポーカー賭博のディーラーも務める「僕」。正体不明の組織から「占い狂」の会社社長・佐藤の専属占い師になるように命じられ、これまで何人もの占い師が「失敗」して殺されたと明らかになる。追い詰められた「僕」が知ることになる佐藤の過去と末路とは。未来は誰にも分からない。選択の葛藤と結果の悲喜こもごもが、カードをめくるかどうかに集約される。佐藤が異様なほど占いに固執するのには、この国を襲った数々の災厄が濃い影を落としている。「古来、人は先のことさえわかれば悲劇を避けられたのにという願いをずっと待っていた」。それは「占いが人類史上、敗北し続けている」ことを意味する。1970年代にオカルトブームが到来した時代の流れとも、物語は響き合う。作品には現代の空気感もにじみ出ている。自分の考えを一時的に放棄し、他の誰かに、何かに決めてもらうことを望むから、占いというものがあるのだろう。それでも結末には、そこはかとなく希望の光がともる。未来のことは分からない。だからこそ、絶望することも出来ない。

No.295 8点 父を撃った12の銃弾- ハンナ・ティンティ 2021/10/23 18:26
10代の少女とその父の、過去と現在を綴った作品。父ホーリーと2人で、米国各地を転々として暮らしていたルーは、亡き母の故郷に腰を落ち着けて住むことになった。父は定職に就き、彼女は地元の学校へ通うことに。家族にはルーの知らない過去があった。父の体に残る数々の銃撃の傷痕は何がもたらしたのか。母はどのように亡くなったのか。そんな過去の因縁は、決して消え去ったわけではなかった。ルーの成長を描く現在と、ホーリーが銃で撃たれた過去のエピソードが交互に語られる。ルーの物語は、いじめや恋愛を経て、やがて彼女の知らない母リリーへと向かう。ホーリーの物語は、無駄を省いたシンプルな犯罪小説として読ませる。こちらもまた、リリーとの出会いと死別へと進む。焦点となるリリーへの、父と娘それぞれの思いが響き合い、力強いラストへと着地する。物語を支えるのは雄大にして危険な自然と、印象深い登場人物たち。運命に流されず、何かをつかみ取ろうと抗う姿を描いた力強い小説だ。

No.294 5点 図地反転- 曽根圭介 2021/10/13 18:45
己の目で見たものは間違いない、と誰しも思っている。だが、見た目や先入観に惑わされる人は多い。ましてや、自分の記憶さえ、後になって都合よく改竄してしまう場合があるという。そんな人間心理の複雑なあやを扱った犯罪サスペンス。新米刑事の一杉研志は、幼児殺害事件捜査の応援で隣の署へまわされた。約二カ月たっても進展が見られなかったとき、ある目撃証言により犯人らしき男が特定された。だが前歴や言動などからも有力な容疑者とされたものの、決め手に欠けていた。実は研志は、子供の頃に妹を同じような事件で失っていた。犯人は逮捕され刑に服したが、一方で冤罪の可能性があったという。単なる犯人捜しではなく、現在と過去の犯罪を追うことによって見える真実を暴き出そうという物語。個人ばかりか、組織全体が見誤ることは、これまでも多くあったことだ。その過程を具体的に描き出すことで、奥底にある心理をあぶりだし、ドラマを劇的なものにしている。

No.293 5点 疑心- 今野敏 2021/10/13 18:45
警察上層部の対立や人質事件の現場指揮といった模様が描かれていたこれまでの話とは大きく異なり、意外な題材が盛り込まれている。主人公は、かつて出会ったことのない「敵」に遭遇することになる。大森署署長の竜崎は、米国大統領訪日に際して、方面警備本部長をに抜擢された。厳戒な警備の準備に追われていた時、補佐役として配属されたのは、美貌の女性キャリア畠山美奈子。だが、堅物を絵に描いたような男である竜崎は、こともあろうに常に畠山の存在が気になるようになってしまった。そこへ米国からやってきたシークレットサービスのハックマンが強引とも思える要求を突き付けてきた。大掛かりな警備の遂行と米国大統領を狙うテロリストとの攻防よりむしろ、さまざまな内側の困難に対して竜崎がいかに職務をこなしていくのか、その行方から目が離せないストーリー。なにしろ、これまで徹底した合理主義者だった男が、理性の力ではどうしようもない自身の揺れる恋心に悩まされ続ける。家族や職場の問題も、いつもの流儀では対応が難しいことばかり。まさかこんな展開の警察サスペンスになるとは予想外だった。

No.292 5点 イタリアン・シューズ- ヘニング・マンケル 2021/09/30 18:45
マンケルといえば刑事ヴァランダー・シリーズが有名だが、本書はミステリ色の薄い独立した作品となっている。物語はヴェリーンの一人称で進行するが、何より目につくのがこの男の性格だ。あまり好感の持てる人間じゃないのである。他人の荷物をあさる、手紙を勝手に読む、会話を盗み聞きするのは常習。自意識が強く、己のプライドを守るためなら平然と嘘をつく。自分に正直といえば聞こえはいいが、なにぶん感情が複雑で傷つきやすく、急に感情を噴出させたかと思えば、すぐに自己嫌悪したり、理解できない行動に出たりする。とにかく孤立しやすい気質なのだ。そんな彼のエゴの塊ともいえる孤島の住処に、37年前に捨てた恋人が現れたことで無味乾燥とした生活は一変、引きこもって空費した時間ならびに背けてきた現実を受け止めざるを得ない状況に陥っていく。だから穏やかな話では全くない。むしろ様々な悔悟や警句に満ちた悲喜こもごもの激動の旅なのである。老人が主役ではあるけれど、男女問わず幅広い年齢層に味わい深い感慨と省察をもたらしてくれるだろう。

No.291 6点 ラガド 煉獄の教室- 両角長彦 2021/09/30 18:45
第13回日本ミステリー文学大賞新人賞の受賞作。地下講堂で警察官らによる事件の取り調べが密かに行われた。ある中学校の教室がそこに「再現」され、ゼッケンをつけた生徒役が席に並ぶ。これは教室で起きた無差別殺傷事件の「再現」だった。酒に酔った中年男が侵入し、生徒を刺殺したのだ。だが単純に思えた事件も、検証を重ねる過程で全く別の様相を見せ始め、二転三転していった。各ページの余白にクラス全員の配置と行動が分かるように図で示されている。まるでボードゲームのようだが、その見せ方が極めて斬新で分かりやすい。さらに事件の背後に隠された大胆な謎とその真相をラストで明確に見せる効果を果たしている。

No.290 6点 虎と月- 柳広司 2021/09/21 19:13
中島敦氏の名作「山月記」を題材にした異色ミステリ。父は虎になった。幼い頃から、そう聞かされて育った十四歳の「ぼく」は、父がなぜ虎になったのか、その真相を突き止めるための旅に出ることにした。やがて「ぼく」は、目的地の村で遭遇した出来事を経て、父が詠んだという一編の漢詩の謎に迫る。恐らく高校時代の教科書で「山月記」を読んだという人は多いでしょう。中国の説話を元にしたこの作品をさらに作者は、李徴の息子を主人公にして書き直した。唐の時代の歴史的な背景をそのまま生かしつつ、子供の語りを導入することにより、ミステリとしての謎、ひねり、そしてユーモアまでも効果的に盛り込んでいる。若者向けに書かれた平明な現代文で読む「新・山月記」として、大人の読者もぜひ手に取ってほしい。

No.289 7点 ホット・キッド- エルモア・レナード 2021/09/21 19:05
映画「俺たちに明日はない」のボニーとクラウド、「明日に向かって撃て!」のブッチとサンダースを彷彿とさせる登場人物たちが、実にいい味を出している。禁酒時代のアウトローたちは不思議と魅力だ。元海兵隊員の父親をもつカール・ウェブスターが初めて人を射殺したのは十五歳の時。牛泥棒を二百メートルの距離から撃ち殺したのだった。その後カールは連邦執行官補となり、早撃ちとして有名になる。彼が土壇場で犯人に警告する台詞は「おれが銃を抜くことになったら、必ず撃ち殺す」。その言葉通り、犯人が引き金を引いた時には、既にカールの銃は発射されている。名声に溺れることなく、淡々と職務を果たしていくカールに絡むのが、富豪の息子で性根の腐った悪党ジャック、カールの仕事ぶりを熱心に取材する記者、肝っ玉の据わった赤毛の美女ルーリー。銀行強盗が日常茶飯事でジャズが流行した禁酒法時代の雰囲気を満喫しつつ、正義と悪の戦いをたっぷり堪能できる。

No.288 6点 明日の雨は。- 伊岡瞬 2021/09/11 18:41
教師が主人公の連作ミステリで、第一話「ミスファイア」は、第63回日本推理作家協会賞短編部門のノミネート作。森島巧は公立小学校の音楽講師。それまで担当だった女性教諭が産休することになり、森島が臨時で入ったのだ。ところが、職員室に乗り込んで教師を糾弾する親にはじまり、陰湿ないじめ、生徒や教師の個人的な悩みなど、次々にトラブルが発生していく。あらすじから、近年の小学校における深刻な問題をテーマにした作品集とわかるが、決してそれだけではない。腰掛け教員として中途半端な姿勢で取り組むにはあまりにも過酷な教育の現場。そこへ23歳の森島が悩みつつ臨む。その葛藤ぶりや成長していく姿に痛く心を打たれる。子供たちに近い視点で教室がとらえられており、生徒や教員の描き方も巧み。

No.287 6点 ブギウギ- 坂東眞砂子 2021/09/11 18:31
溺死したネッツバント艦長は、果たして自殺か他殺か。さまざまな思惑を隠しているらしい軍人たち、ドイツ軍将校との情交に溺れるリツ、そしてリツが働く温泉宿・大黒屋の女将、事件に関わった人物たちの運命は、日本の敗戦によって大きく変わることになる。多彩な登場人物を鮮やかに造形する描写力は当然としても、フィルムの行方をめぐって終盤までもつれにもつれるストーリーの構成は見事。もちろん謎解きの面白さだけに頼った作品ではなく、時代の波に翻弄されながらも、臨機応変にたくましく生きる女性たちの強さが、物語の通底音になっているのにも注目したい。近代日本の歴史の中で最大の転換点であった昭和20年が事件の背景として選ばれているのは、その点を際立たせるための作者の周到な仕掛けに他ならない。

No.286 6点 撃てない警官- 安東能明 2021/09/02 18:28
第63回日本推理作家協会賞短編部門受賞作「随監」を含む連作集。主人公柴崎は、本庁の総務部企画課に籍を置く警部。だが、あるとき部下が拳銃自殺し、その責任をとらねばならなくなった。そもそも拳銃を射撃訓練の許可を出したのは上司の中田課長だったが、中田はそんな電話をした覚えはないという。これは仕組まれた陰謀なのか。単に事件捜査の行方を追うだけではなく、描かれているのは警察内の出世競争、上司、同僚、部下との複雑な関係など、一般の企業でも見られる人間模様の醜い一面。警察ミステリの妙に加え、連作集としての展開にも目が離せない。エリートコースから脱落したという屈託を抱える柴崎の感情と行動があまりにも生々しい。「随監」は、あるコンビニで起きた傷害事件をめぐる物語。事件を扱ったのが地元交番の巡査部長だった。その広松というふてぶてしい態度の警官が極めてユニークなキャラクターなのである。リアルな警官たちの姿がこの一冊に詰め込まれている。

No.285 6点 狐憑きの娘 浪人左門あやかし指南- 輪渡颯介 2021/08/28 19:10
左門と甚十郎のコンビが奇怪な事件に挑む「浪人左門あやかし指南」シリーズの第四弾。三人組の子供が侍の水死体を発見、その直後に二人が変死する。事件を調査する左門と甚十郎は、子供たちが通っていた手習い塾の師匠の娘が狐に憑かれたとの噂や、甚十郎が斬った男の幽霊の出現などの怪現象に直面。さらに甚十郎と狐憑きの娘の結婚話までが持ち上がってしまう。怪談の数々を意外な形で結び付けて謎を解く左門の推理は、純粋にミステリとして読んでもレベルが高い。普段は見えない闇を扱う怪談を使って、現実社会にも表にも出ない巨悪があることを暴いた離れ業にも驚かされた。

No.284 6点 血の冠- 香納諒一 2021/08/20 18:18
会計課の警察官が主人公で、連続猟奇殺人を扱った警察小説。殺されたのは警察OB。しかも頭蓋骨が切断され、脳みそに釘が刺されていた。二十六年前に殺人者「キング」がやった連続殺人の手口と全く同じだった。弘前中央署の小松は、会計課係長にもかかわらず、幼なじみの警察庁警視正、風間の要請により捜査に加わった。少年時代、二人はキング事件の被害者でもあったのだ。すでに猟奇殺人を扱うサイコブームは去った。警視庁キャリアと地方署の内勤警官という組み合わせも珍しくはない。幼なじみが過去を結ぶ事件に巻き込まれるというのもありふれている。ところが作者は、こうした手垢の付いた題材を盛り込みつつ、主人公の小松を筆頭に、陰影に富み生活臭あふれる人物を登場させることで、迫力あるミステリに仕上げている。虚構に富んだ娯楽性と情感豊かなサスペンスが融合していて読み応えあり。

No.283 6点 災厄- 永嶋恵美 2021/08/11 18:18
凶悪な犯罪ばかりか、学校や職場のいじめなど、世の中の暗い出来事は絶えることがない。誰の身にいつ災難が起こるか分からないばかりか、自分や周囲の人たちが加害者に転じることすらあり得るだろう。そんな現代社会の病理を捉えたサスペンス。私立中学の女性教諭が路上で殺害された。妊娠八か月で産休に入ろうとする前日の出来事だった。やがて妊婦ばかりを狙う殺人事件が連続し、ある高校生が容疑者として逮捕された。事件のニュースを聞き、自分も妊娠五カ月目に入っていた美沙緒は不安を感じた。恐ろしいのは異常な殺人犯ばかりではない。匿名のネット掲示板での心ない中傷や個人的な情報の露出など、いまや家の中にいても安心していられない。しかも身近な人々の好意の裏にひどく陰険な思惑が潜んでいたりする。そんな善と悪がないまぜになった人間の複雑な姿が見事に浮き上がってくる。殺人者側からの描写があるなど、少年犯罪小説としての読み応えも十分。

No.282 7点 ぼんくら- 宮部みゆき 2021/08/03 18:54
巻頭の「殺し屋」から「拝む男」までの五短編は、長屋に住むさまざまな人間を列伝的に描いた人情話で大いに読ませる。そして謎解きに平四郎が動き出す優に一冊分の分量がある。「長い影」まで読み進むと、ホワイダニットをメインに据えた、連作時代ミステリという構成と、先の短編が全体のプロローグを兼ねていたことが明らかになってくる。この長丁場を持たせるには肝心の謎がやや弱いのが残念。だが細部に目をやれば、適度にいい加減な平四郎や現実を見据えて精いっぱい生きるお徳など、庶民の姿が手を伸ばせば届くように生き生きと活写されている。人間が持つ業を温かい視点で肯定的に描く、作者の真骨頂が色濃くにじみ出ているといえるでしょう。

No.281 7点 クララとお日さま- カズオ・イシグロ 2021/07/26 19:04
AFと呼ばれる子供型の自立ロボットが語り手となり、ショップに陳列され買われていくところから始まる。ピノキオやトイ・ストーリー的な寓話かと思いきや「人間とは何か」をめぐって意外なほど律義に異質な知性にアプローチする。まだ存在しない技術を核にソフトなディストピアを描く点やミステリ的な仕掛けで物語を駆動する点は「わたしを離さないで」と共通している。AFは陽光を吸収し、栄養とするためか、クララは太陽に対し信仰めいた思いを抱いている。また、見たものをすべて記憶し、関連づけることで世界を独自に解決する。この二つの前提から論理的に導かれるドラマが深く胸に刺さる。

No.280 6点 忘れられた巨人- カズオ・イシグロ 2021/07/17 18:45
6世紀ごろのブリテン島(現在の英国)が舞台。竜や鬼、騎士が登場するファンタジー豊かな物語で、共同体や個人にとっての記憶と忘却の意味を問う。
ブリトン人の老夫婦、アクセルとベアトリスが住む村には奇妙な現象が起きている。人々の物忘れがあまりにもひどいのだ。どうやら霧が関係あるらしい。村で不遇をかこつ2人は息子に会いに行くことにする。でも息子の顔も、どこに住んでいるのかも思い出せない。
アクセルはベアトリスを「お姫さま」と呼ぶ。2人は仲睦まじい。思いやり、助け合いながらの旅だ。途中でサクソン人の村に寄るが様子がおかしい。村人が悪鬼に襲われて殺され、少年がさらわれたのだ。
通りかかったサクソン人の戦士ウィスタンが悪鬼と戦い、少年の救出に成功する。老夫婦の旅に、この少年エドウィンとウィスタンが加わる。
竜を殺せば人々の記憶は戻る。だが、かつて争ったブリトン人とサクソン人の間の遺恨がよみがえったとき、何が起こるのか。昔の日々を思い出した老夫婦は、絆を保っていられるか。
「かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します」。忘れられた巨人とは「共同体の記憶」や「国の歴史」の隠喩だろう。私たちはそれとどう向き合えばいいのか。不安を抱えつつも冒険の旅を続けた老夫婦の勇気に学びたい。

No.279 5点 キング&クイーン- 柳広司 2021/07/12 18:32
警察を辞めた女性が主人公となる異色サスペンス。冬木安奈は、六本木の雑居ビルにあるバー「ダズン」で働いていた。元SPの彼女は、その経歴から店へ来る女性客のために用心棒の役目を果たすことがあった。だがある日、常連客に連れられて店に来た栄蓮花から、アンディ・ウォーカーという男の警護を依頼された。彼は元チェス世界王者だった。果たして安奈は最善手を打ってアンディを守れるのか。本作は、チェスの世界を現実に置き換え、いかに盤上のキング、アンディを守るか、その戦いに挑むヒロインの活躍が描かれている。安奈とアンディそれぞれの過去が現在に絡み、緊迫した状況へと展開していく。おそらくチェスを多少でも知っていれば、アンディ・ウォーカーは伝説のチェスチャンピオン、ボビー・フィッシャーをモデルにしていることは明白だろう。しかし当然ながら、様々なフィクションがほどこされており、単に実在した天才の経歴をなぞるだけではなく、チェスを模した要人警護の話にとどまってもいない。読み手さえも騙してチェックメイトとなる。

No.278 6点 人質の朗読会- 小川洋子 2021/07/05 19:11
9話からなる物語はそれぞれ語り手が違う。地球の裏側で反政府ゲリラの人質となった彼らが毎夜、粗末な廃屋で自らの過去について語る。それが録音され「人質の朗読会」と題されたラジオ番組になるという形式の物語。冒頭で人質たちは犯人の仕掛けた爆弾で死亡したことが書かれる。物語は死者の声として進む。もう生きていないはずの彼らは、自分の人生で起きたある出来事を生き生きと語る。英字ビスケットで綴られた単語、背負った老人の重み、隣人と作った黄金色のコンソメスープ、緑の小川のようなハキリアリの行進。ささやかだが、決して損なわれることのない、鮮やかな記憶だ。誰しも語るべき物語を持っているのだと思わせられる。けれど、それはもう声だけで、彼らはいない。物語のはずなのに喪失感が迫ってくる。いったいこの世ではどれだけの声が消されていっているのだろうと胸が苦しくなり、物語の強さに驚く。耳を澄ませて、会ったことのない誰かの小さな日常を、声を、消えていく記憶を、特別ではない人生の欠片を拾い集めて、一字一字記している。

No.277 8点 鏡の中は日曜日- 殊能将之 2021/06/26 18:38
一九八七年、鎌倉に住む仏文学者の邸で訪問客の一人が殺害された。居合わせた名探偵・水城優臣の推理によって、事件は解決されたかに見えた。しかし二〇〇一年、探偵の石動戯作のもとに、事件の再調査をしてほしいという依頼が持ち込まれる。犯人は誰か、トリックは何かといった謎解きのパーツを個々に取り出せば案外月並みだが、本書において解かれるべき謎の核は、そもそもこの作品の中では一体何が起こったのかという点にある。推理の前提となるべき条件が次々と覆され、それに伴って事件の全容そのものが絶えず微妙な変貌を遂げてゆくのである。屈折したユーモアのセンスも含め、尋常ならざる才気に裏打ちされた小説である。

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採点傾向
平均点: 6.16点   採点数: 296件
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