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猫サーカスさん
平均点: 6.20点 書評数: 401件

プロフィール高評価と近い人 | 書評 | おすすめ

No.401 6点 あらゆる薔薇のために- 潮谷験 2024/09/23 18:21
物語の鍵となるのは、オスロ昏睡病という架空の病気。これは幼少期に限って発症する難病で、罹ると完全な昏睡状態に陥った後、目覚めた時に以前の記憶を一切持ち合わせていない状態になる。だが、開本周大問いう医学博士が特効薬を開発し、患者の意識を取り戻せるようになったのだ。しかしこの治療法には、快復した患者の表皮に薔薇に似た腫瘍が現れる不思議な副作用があった。京都府警の八嶋要警部補は部下の阿城はづみとともに、オスロ昏睡病患者とその家族らの交流の場である「はなの会」を訪れる。昏睡病治療の功労者である開本博士と元患者の高校生が立て続けに殺害される事件が発生し、その手掛かりを掴むために「はなの会」に探りを入れることになったのだ。現実にはない奇病が絡む事件に刑事が挑む、という部分を読む限りでは特殊な設定を使いつつ、直線的な警察捜査もののプロットで読ませる作品の印象を抱くが、第二章に入ると、殺人事件とは別の謎が浮かび上がり、物語は思わぬ方向に転調する。ロジックの積み重ねによる真相の絞り込みが美しい。加えてその過程に意外性をもたらすための面白い工夫も盛り込まれている。

No.400 5点 夜がうたた寝してる間に- 君嶋彼方 2024/09/23 18:21
時間を止める冴木、人の心が読める篠宮、そして瞬間移動をする我妻。ただし彼らは何らかの利を得たり、巨悪に立ち向かったりはしない。およそ一万人に一人の確率で能力者が誕生する世界で、彼らは圧倒的なマイノリティなのだ。秩序を守り犯罪を抑止するため、一目でそれと分かる「能力者バッジ」の着用が義務付けられる彼らは、己の能力が故に友人たちとの付き合いに悩み、奇異の目を向けられることを恐れ、ひたすら平凡な日々をの切望しながら、孤独を内に秘めて暮らしている。この構図は、果たしてフィクションにおける「対能力者」だけの問題だろうかと考えた時、作者がファンタジックな設定を通じて伝えたかったことが見えてくるような気がする。現実世界もまた、様々な「決めつけ」と「差別」の中にあるからだ。かつての超能力への憧れは、この物語に触れ、そして今の現実と照らし合わせた時に、その色をガラリと変える。

No.399 7点 名探偵と海の悪魔- スチュアート・タートン 2024/09/02 18:46
バタヴィアからオランダへ向かう帆船が出港する直前、一人の男が「この船がアムステルダムに到着することはない」という不吉な予言を残して焼死した。乗客はバダヴィア総督の一行、船室に引きこもって顔を見せない子爵婦人、狂信的な牧師とその連れの娘、そして名探偵でありながら何らかの理由で総督に拘束されたサミー・ピップスと、その助手のアレント・ヘイズ中尉ら。果たして、焼死した男の予言は的中するのか。名探偵が囚われの身であるため、屈強な元傭兵であるアレントが彼の目や耳の代わりとして船上の人々から事情をを聞き出す役目を務めるが、秘密を抱えた乗客たちや、荒くれ男やひねくれ者だらけの乗員たちが相手なので、なかなか思うようにはいかない。一方、総督の妻サラもこの物語の魅力的な探偵役だ。横暴な夫から常に侮辱され続けている彼女は、船上の異変に直面した時、無力な妻という押し付けられた仮面を脱ぎ捨て、その頭脳明晰な本質を見せ始めるのである。船上の奇怪事のみならず自然の脅威にも見舞われて、ザーンダム号は恐怖と疑心暗鬼が渦巻く場と化す。人々は相次ぐ事件を悪魔の仕業と信じ、パニックに陥ってゆく。アレンとサラは、決定的なカタストロフィの前に真犯人をみつけられるのか。クライマックスに向けてのスリルの盛り上げ具合は類を見ないほど。本格ミステリとしてバディものであり、悪魔を巡るオカルト小説であり、海洋冒険小説であり、そしてパニック小説でもあるという盛り沢山な本書は、まさにエンターテインメントの極致というべき贅沢な快作である。

No.398 6点 クラウドの城- 大谷睦 2024/09/02 18:46
主人公は、イラク帰りの元傭兵の鹿島丈。心に傷を負った彼は、北海道の田舎で恋人と共にひっそりと暮らしていた。ある日、警備員として派遣された海外企業のデータセンターの一室で、死体が発見される。それは出入り出来るはずのない部屋で起きた密室殺人だった。鹿島は、駆け付けた警察の中に、かつて同僚だった男の姿を発見する。そして否応なしに事件に巻き込まれていく。データセンターは彼が考えるより重要な施設であり、国家的な戦略拠点でもあった。やがて起きる第二の事件。過去に起きた災害と因縁。点と線が繋がり、浮かび上がった犯人には意外性がある。されに興味深かったのは、最新のIT技術の現場を描きながら、バーチャルな世界が描かれないことだ。気づかされるのは、サイバー空間の外にはそれを守るために物理的な機器を保守する人間たちがいるという当たり前のことだった。新人賞にふさわしく、読者に新しい視点を与えてくれる作品。

No.397 7点 揺籃の都 平家物語推理抄- 羽生飛鳥 2024/08/12 18:25
治承四年、平清盛の独断専行により、福原遷都がなされる。しかし新たな都には物の怪の出没や、平家一門の凋落を告げる夢を見た青侍の噂が流れていた。その青侍の捕縛を清盛から命じられたのだが、地殿流平家の家長の平清盛だ。頼りになる家人の平弥平兵衛宗清たちとともに、青侍を発見するも、なんと清盛の邸に逃げ込まれた。清盛に面会して、邸に潜んでいるはずの青侍を捜そうとする頼盛だが、富士川で源氏の軍と対峙していた平家の軍が戦うことなく敗走したとの報告がもたらされる。さらに頼盛が泊まった清盛邸で、小長刀が消失。そして邸の外で、バラバラ死体となった青侍が発見される。清盛の息子たちに、源頼朝と内通しているとの疑いをかけられながら、頼盛は奇怪な事件の謎に挑む。物語全体の構図は複雑で、その謎を頼盛が見事に解き明かす。絶大な権力を持つ清盛から、池殿流平家を守るため、しぶしぶ探偵役を務めるのだが、推理能力はずば抜けている。関係者を集めた場で、清盛の四男の知盛と推理合戦を繰り広げて見せたが、これすらも真相を明らかにするための手段。頼盛の謎解きにより、次々と大小のトリックが暴かれていく過程は圧巻。さらに事件が解決した後、最大のサプライズが控えている。そもそも清盛は、なぜ周囲の反対を押し切って、福原に遷都したのか。作者は自ら創り出した物語を土台として、この歴史の謎、驚くべき答えを出している。史実の巧みな使い方も、本書の大きな読みどころとなっている。

No.396 6点 残星を抱く- 矢樹純 2024/08/12 18:25
青沼柊子が娘の李緒とドライブを楽しんでいた時、展望台でワンボックスカーの男たちの暴行現場を目撃、彼らに追いかけられる羽目になる。彼らを何とか出し抜けたまではよかったが、その際、男の一人が崖下に落ちたような。窮地を脱した柊子だったが、男の安否は不明のまま。県警一課の刑事である夫・哲司にも打ち明けられずにいると、翌日彼女はマンションで耳の下に8のタトゥーを入れた不審な男とすれ違う。さらにポストには告発文めいた脅迫状が入っていた。柊子は唯一の相談相手、中学時代の同級生・葛西康晴に連絡を取る。どこにでもいそうな三十代の主婦の日常がある日を境に突然狂い始める。絵に描いたようなサスペンススリラーの図式だが、ワンボックスカーの男たちや8のタトゥーの男には謎めいた点が多く、さらには刑事である哲司の挙動にもおかしなところがあったりする。そもそも柊子自身、二十年前タクシー運転手として事故死した父親に強いわだかまりを持つなど葛藤を抱えているのだ。峠の展望台の出来事、脅迫状と8のタトゥーの男、哲司が携わっている事件、二十年前の柊子の父の死。一見、何の繋がりもなさそうな事象が次第に収斂してくる。後半の展開はスリリングの一言。どこにでもいそうな柊子のキャラクターもそれとともにアクティブなものへと変化していくところも同様で、終盤の対決もいい。

No.395 6点 カミサマはそういない- 深緑野分 2024/07/22 18:15
「伊藤が消えた」は、将来に希望を見出すことが出来ずにいる若者たちの姿を描いた物語で、家賃を分担していた家から引っ越した青年が行方不明になることから話が始まる。退廃的な空気が張り詰めたものへと変化していく展開が読みどころで、描写によって細部の質感を際立たせる技巧が功を奏している。どことなくアジア風でありながら完全に無国籍な舞台の物語「饑奇譚」は最も作者らしい一編で、現実には存在しないはずだが確かな感触を備えた世界が見事に描き出される。決断の物語であり、作者は登場人物たちに実人生と同じような試練を与え、この物語の主人公にも重要な選択を迫られる。日本推理作家協会の二〇一九年刊アンソロジーに収録された「見張り塔」も同じ構造で、崇高な任務に就いている信じて疑わなかった主人公は、ある時自分がしてきたことの意味を問い直さなければならなくなる。彼らの置かれた状況は、正しさの根拠がどこにも見つけられない現代の暗喩だ。「新しい音楽、海賊ラジオ」の舞台は陸地の多くが水没した近未来であり、ここではないどこかで奏でられている未知の音楽を求め、少年が旅をする物語である。世界の広大さが印象的な一編で、開放された場所に読者を連れ出して物語は終わる。人生のほろ苦さが読後に残る七編からなる短編集。

No.394 6点 幻告- 五十嵐律人 2024/07/22 18:15
宇久井傑が幼い頃に母と離婚した父は再婚し別の家庭を持っていた。傑が父の姿を初めてみたのは法廷だった。義理の娘への強制わいせつで被告人となったのである。無罪を主張した父には有罪判決が下され、刑務所に服役することになった。その後、傑は裁判所書記官となり働いていたがある日、いずれも万引きを扱った二つの審理に臨んだ後、法廷で意識を失う。目覚めると彼は、父の裁判が行われた五年前の過去にいた。事件資料から父の冤罪の可能性に気付いた傑は、タイムリープを繰り返し真相に迫ろうとする。とはいえ、有罪判決の過去を簡単に変えられるわけではない。現在の傑の意識が、過去の傑の体の中にいられるのは短い時間に限られる。タイムリープしてかつて行ったのとは異なる行動をすると、それが影響して現在へ戻った時に自分を取り巻く人間関係などが予想外に変化していたりする。うかつに過去を変えられないし、変えるには覚悟がいる。現在と過去を往還するタイムリープをいう超常現象により、過去から未来へという通常の一定の時間進行とは違うプロセスが可能になる。だが過去には短い時間しかいられないという事情に加え、冤罪を証明するためには、法的な手段を経なければならないという制約が重くのしかかる。裁判に関わる仕事をする人間が過去の誤りを正そうとする際、正しい手続きであるべきだという倫理感が物語のベースにある。SF的設定で何でもありになるのではなく、裁判に対し法的に律儀な姿勢で向き合おうと努めるのが面白い。人が人を裁くことや罪を償うことの難しさをめぐり、ただ無罪にできればいいという単純な展開ではないところに妙味がある。

No.393 5点 幻視者の曇り空- 織守きょうや 2024/06/29 19:26
語り手の久守一は身体に触れることで、相手の眼前の光景を垣間見る「幻視」の力を持っている。大学の後輩・真野莉子との縁でホームレス支援を行うNPO法人の活動に参加している久守は、新たに活動に参加した美大生・佐伯優を偶然幻視するが、そこには刃物で切り刻まれた血まみれの死体が倒れ伏していた。折しも街では連続通り魔殺人が起こっている。佐伯が真野に興味を抱いていることを知った久守は、彼の殺人の証拠を掴むため佐伯に接近するのだが、佐伯の描く絵、その人柄に徐々に魅かれてしまう。他者の秘密を知ってしまうことで懊悩する主人公の切ないモノローグが読みどころ。友人関係を育む日常と究極の非日常である殺人行為、その双方につながる感情が一個人の人間の内にあることが、本作のサスペンスとサプライズの源泉だ。特殊なロジックを明らかにする語りこそが本書の肝だろう。

No.392 8点 黒牢城- 米澤穂信 2024/06/29 19:26
天正六年に織田信長に謀反を起こし、翌年まで籠城戦を展開した武将・荒木村重が主人公となり、籠城の拠点となった有岡城内で彼の舞に現れる四つの謎と対峙する連作形式の長編である。密室状況の納戸で矢により射殺された死体から凶器が消える「雪夜灯籠」、合戦で持ち帰った二つの手柄首のどちらが大将首かを推理する「花影手柄」、名器を持たせ明智光秀への使者の任を与えた僧侶が城内で殺害される「遠雷念仏」、家臣の中に潜む謀反人を探るうちに村重がこれまでの事件に思いを馳せる「落日孤影」。謎解きに実質的な名探偵役として力を発揮するのが、史実でも籠城期間に城内に幽閉された黒田官兵衛である。ここにおいて、村重が官兵衛になぜ危害を加えなかったかということもまた大きな謎となる。実際にあった籠城戦の最中によくこれだけの謎を創造するものだという感嘆という程度の表現では言い尽くせないのは、官兵衛の例からもわかるように個々の謎解き以外にも様々な謎と企みを有岡城内に仕込んでいるからだ。そしてそれら全てに、戦国の世ならではの論理によってことごとく筋が通っている。

No.391 6点 鬼哭胴事件- 太田忠司 2024/06/09 19:03
狩野俊介は引退した名探偵の石神法全の後を継いで探偵事務所の所長となった野上英太郎の助手を務める少年である。狩野俊介は探偵としては早熟であっても人間としては未熟であり、ガラスのような繊細な心の持ち主なのだ。そうした傷つきやすい狩野俊介の受け皿となり、精神面での支えとなるのが語り手となる野上英太郎である。本作で野上英太郎は、佐方康之という人物から、二十七年前に行方不明となった母と妹の行方を捜して欲しいという依頼を受ける。怪しい建築物、謎めいた風習といった古典的な探偵小説の定石に則った展開の中で目を引くのは、もう一人の名探偵だ。俊介と同じく優れた推理力を持ちながら、彼は探偵に対し「謎解き装置」という役割を与えられた存在に過ぎない、という極めて冷淡な姿勢を取っている。その人物に惹かれながらも、狩野俊介は彼の探偵観に別の定義を提示しようと苦闘するのだ。試練のように立ちはだかる大人をどう克服するのか、という教養小説の側面を、探偵の存在意義というジャンル論を重ねる形で描いている点が興味深い。裏を返せえば狩野俊介の苦悩と成長の物語は、謎解き小説の形式と不可分な形で描かれていると言える。

No.390 6点 クローゼットファイル- 川瀬七緒 2024/06/09 19:03
桐ケ谷京介は高級ブランドと特殊な技術を持つ職人や工場を結びつける服飾ブローカー。コロナ禍でも、高円寺南商店街の小さな店にはオンラインでの依頼が引きも切らない。また服のしわや傷みを見れば、美術解剖学に基づいた知識で筋肉のダメージを読み取れるし、服飾史にも通じているため、事件の背景を推理することが出来る。「ゆりかごの行方」では捨て子に着せられていた大人物のTシャツから親の職業を当て、「緑色の誘惑」では独居老婦人を殺した犯人をさいきんの着衣の趣味から探り当てる。「ルーティンの痕跡」では水森小春の下着泥棒を遺留品の男性用下着の傷み方から割り出した。「攻撃のSOS」では女子中学生の制服のしわから虐待を見抜き、「キラー、ファブリック」ではアナフィラキシーショック死の原因を突き止めた。「美しさの定義」では服飾学校の生徒が使ったミシンの中に残された糸くずと埃から犯人を割り出す。洋服という分かりやすいアイテムを使った物語は推理小説の入門編としてうってつけである。

No.389 6点 AI法廷のハッカー弁護士- 竹田人造 2024/05/21 18:03
舞台は、裁判官が人間から偏見を持たず正確に正義を執行するAIへと置き換わった近未来。「不敗弁護士」と呼ばれる機島雄弁は、ある事件で弁護を担当した青年・軒下智紀に秘密を握られたと思い、結果として彼を雇うことになる。彼らは近未来社会ならではの難事件の数々に挑んでいく。今のAIについて懸念されている現実の問題が作中に数多く登場する。機島はそうしたシステムの穴をついてAIを欺き、勝訴を手にする弁護士なのだ。正義を司るのは、AIと人間のどちらであるべきか。本作が提示する問いはリアルでシリアスだが、登場人物たちのコミカルな掛け合いは楽しい。人間はこれから先も自らが生み出した技術に振り回され続けるだろうが、機島の底抜けのポジティブさは、そんな宿命をも笑い飛ばす元気を与えてくれる。

No.388 5点 シークレット・エクスプレス- 真保裕一 2024/05/21 18:03
JR貨物に航空自衛隊から急な依頼があった。青森県の東青森駅から佐賀県の鍋島駅まで、特殊燃料を緊急輸送して欲しいというのだ。元運転士で、ロジスティックス本部に勤務する井澄充宏は、自衛隊の訓練輸送に携わった経験を買われ、臨時列車の編集作業だけでなく同行を命じられる。政府の強い意向を盾に、JR貨物側には徹底した情報統制を要請し、警察関係者を同乗させるなど、度を越した荷主側の態度に加え、荷は液体燃料ではあり得ないことを運転士から伝えられた井澄の疑念は募っていく。妨害工作に苦慮しながら、無事に臨時列車を走らせるために人智を尽くす井澄らJR貨物の職員たち。積み荷の正体を知るために、体当たり的な取材にのめり込む新聞記者。手段を問わず隠蔽行為を暴こうとする原発監視団体。立場の異なる三者の思惑を交錯させながら、列車の運行に従って物語はスピーディーに動いていく。製品データの改竄や隠蔽体質など、国や民間に関わらない組織のモラル低下を背景に、豊富な取材に裏打ちされた描写で、現場で働くプロたちの矜持を描いた鉄道サスペンスである。

No.387 6点 開化鐡道探偵 第一〇二列車の謎- 山本巧次 2024/04/27 18:18
高崎を出発した日本鉄道会社の貨物列車が大宮駅の構内で脱線した。何者かが列車通過中に分岐器を操作したのが原因だった。さらに積み荷の生糸の中に小判が詰まった千両箱が混じっていたことから事態は大きくなる。千両箱の発見によって埋蔵金の噂が現実味を帯びたため、前半に鎮圧された秩父事件を主導した自由党の残党や、困窮する不平、士族の一団、さらには予算不足に悩む新政府までが警視庁の警官隊を送り込み、にわかに上州の地が騒がしくなる。そして新たに集められた積み荷を納めた高崎駅の倉庫が襲われた際に、他殺死体が発見される。不穏な世情と埋蔵金の存在を背景に、殺人事件が加わって謎がさらに深まっていく。乙松の新妻・綾子が初登場して捜査に加わるのだが、何事にも積極的で聡明な彼女の存在が、物語により花を添えてくれる。彼女の言動におろおろする乙松と、それを見てニヤリとする草壁のやり取りが楽しい。鉄道をめぐる状況と時代背景がしっかりと絡み合った謎解きに加え、列車襲撃というアクションも用意された歴史ミステリ。

No.386 5点 まほり- 高田大介 2024/04/27 18:18
長谷川淳は妹のぜんそくの療養のため、都会から山深い集落にある父方の曽祖父母の家に移住してきた。ある日、一人で渓流釣りに出かけた時、奇妙な少女に出会う。赤い着物を着て尋常な様子でないその少女は、村人に拉致されるように連れ去られた。その少女に再びであったのは村の祭りだった。御神楽で篳篥を吹いている少女と目が合った瞬間、淳は心を奪われ彼女のことを調べようと決意する。並行して語られるのは社会学を専攻している大学生・勝山裕。彼は飲み会で不思議な体験談を聞く。ある同級生の友人の故郷の街ではところどころに四つ割りにした半紙に二重丸が書かれたものが軒先や町の掲示板に何気なく張り出されることがあるという。この二人がやがて出会い、二重丸の意味と少女の正体を、神社の由緒や歴史学的な見地を総合して暴いていくのだが、推理の経緯が極めて精緻なのだ。閉鎖された集落に残された因習の謎が解き明かされた時、犠牲となった少女たちの無念が晴らされる。「まほり」という言葉の意味を知った時、背筋に冷たいものが走った。

No.385 6点 消えた警官- 安東能明 2024/04/07 18:25
小幡巡査部長が突然失踪してから二年が経過した。当時二十九歳、昇進し、希望する部署への異動が叶ったにもかかわらず、ほどなく行方をくらましてしまったのだ。一体何が彼に起きたのか。その彼が三年前にパトロール先に残していた多数のメモが今になって発見された。柴崎警務課長代理は二人の仲間と共に小幡失踪の真相を追いつつ、ひき逃げや老人ホームでの不審死、交通事故、女子高生殺人事件などを解決していく。そうした彼らの活動を、四つの短編で描いている。単純そうな事件の奥に潜む、如何にも人間的でなお且つ病んだ心理をきっちりと炙りだす。その上で、最終話で小幡の物語を決着させ、締めくくる。全体で一つの物語としてもよく出来ている。

No.384 5点 石を放つとき- ローレンス・ブロック 2024/04/07 18:25
収録作にはいずれも、私立探偵マット・スカダーが登場する。かつてはニューヨーク市警の優秀な警官だったが、強盗に向けて放った銃弾が跳ね、少女の命を奪ってしまったことから職を辞し、罪の意識を拭えない酒浸りの日々を送る哀しき探偵だ。八十代のスカダーが手掛けるのは、大きな事件でも命を危険にさらすような案件でもない。元コールガールである妻のエレインが、売春経験者の女性のための匿名プログラムで知り合ったエレン・リップスコームの悩み、客だった名前もわからない男からの脅迫を解決するために乗り出す内容は、極めてシンプルだ。ところが、とりとめのない会話は心地良いリズムを刻み、長年大都会で生きてきた人間の経験と振る舞いそのものが物語となって味わいを醸し出している。

No.383 7点 透明人間は密室に潜む- 阿津川辰海 2024/03/15 18:54
いずれも能力や立場の面で有利さを持った人が、物語の中心になっている。だが、彼らは有利なだけでなく不利も抱えている。透明人間の体は透き通っているが、表面に汚れが付けば浮いて見えるし、武器を持てば存在を知られてしまう。裁判員は他の一般人とは異なり、事件関係者の今後を左右しうる立場にあるが、結論以外の議論の過程を公開してはならないという制約を負う。探偵事務所に勤める耳が異常に良い探偵は、残念ながら頭の回転まで良いわけではなかった。このため、彼女が聴覚から得た手掛かりを元に、所長が推理力を発揮するという段取りを必要とする。船上で進む脱出ゲームでは次々に問題が出され、主人公の招待プレイヤーはそれらを解く能力を持っているはず。だが、彼は子供とともに船内の一室に閉じ込められ、そこからの脱出に力を注がなければならない。各作品のキモは、それらの有利と不利のバランスが、どのように移り変わっていくかにある。物語の進行によって有利だったことが不利になり、不利が有利になるといった皮肉な逆転も生まれるのが面白い。一作ごとに設定に工夫を凝らして描いていることは評価されるべきでしょう。

No.382 5点 馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ- 辻真先 2024/03/15 18:54
駆け出しのミステリ作家・風早勝利は、国営放送局に入社した旧友の大杉日出夫から仕事を依頼された。若手ディレクター四人によるオリジナルミステリドラマの競作が企画され、大杉が演出を担当する回の脚本を書くことになったのだ。脚本は完成し放映当日の夜を迎え、撮影は順調に進んでいたが、なぜかヒロイン役の歌手が再登場しないまま、ラストシーンを迎えようとしていた。テレビの本放送から八年経った昭和三十六年。ビデオテープは登場したが、ドラマのほとんどが生収録・生放送という綱渡り的な作業で製作されていた。そのような状況下、スタジオの中で殺人が起きた。人の出入りのない本番中のスタジオは完璧なクローズドサークルだ。そしてスタジオ内にいた関係者全員の疑いが晴れれば、難攻不落の密室になると風早は語る。主演不在の中、知恵を絞ってドラマを完成させようと奮闘する関係者の行動をスリル満点に活写する。同時にこのシーンは、容疑者を排除し密室の謎を際立たせる効果的かつテクニカルな描写にもなっていることに驚かされる。当時の人気番組、実在の俳優、歌手などへの言及も楽しい。

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