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小原庄助さん
平均点: 6.64点 書評数: 260件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.200 10点 モルグ街の殺人- エドガー・アラン・ポー 2020/04/02 09:55
史上初の名探偵は、オーギュスト・デュパン。世界ミステリ史上に輝く、世界最初のミステリ。ここにミステリの全てがある。
不可思議な犯罪が起こり、警察がお手上げ状態のところに、超人的頭脳の名探偵が登場し、その推理力で解決に導くというミステリのストーリーの基本パターンを確立しただけではなく、「名探偵の活躍を、その友人が記述する」というスタイルも確立させた。
このスタイルを多くの作家が真似をしている。その元祖がポーであることを忘れてはならない。文句なしの10点である。

No.199 8点 いやいやながらルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝- 伝記・評伝 2020/03/24 10:08
一人の作家が創り上げたキャラクターが、その作家をはるかにしのぐほど有名になる、というのはどういうことなのか。とりわけ、そのキャラクターが「いやいやながら」生み出されたものだとしたならば・・・。
本書は、邦訳も出ている「アルセーヌ・ルパン辞典」や「ルパンの世界」でルパン研究家の第一人者として知られている著者によるもので、本国フランスではこの二冊より本書の方が先に出版されている。
今でも世界中に熱烈なファンを誇るルパンだが、作者であるモーリス・ルブランに関する本格的な伝記は本書が初めて。緻密で詳細な資料に基づいて、その誕生から死まで、作家ルブランの生涯が再現されている。
ルブランと言えばルパン、というように彼の代名詞のように語られているルパンシリーズだが、実はルブランの作家としてのスタートは純文学だった。しかし御多分に漏れず、純文学の筆一本で暮らしていくのは難しかった。幸いなことに、ルブランは富裕な家の生まれではあったが。
転機となったのは、当時は新米編集者だったピエール・ラフィットから大衆小説の執筆を依頼された事。この依頼こそが、後のルパンシリーズに繋がっていくのだが、純文学を志し、モーパッサンの弟子を自任していたルブランにとって、大衆小説の執筆は本意ではなかった。この時、ルブランは40歳を過ぎていた。
ルパンシリーズの成功はルブランに富をもたらしたが、それとともに作家としてのプライドは屈折していく。創作と生活の板挟みになったルブランの苦悩は、本書の帯にも引用されている。「ルパンが私の影ではなく、私の方がルパンの影なのだ」という言葉に象徴される。
一人の作家の成功と、その陰に隠されてしまった知られざる苦悩。ルパンの生みの親だけではない、ルブランの全てがここにある。

No.198 8点 息吹- テッド・チャン 2020/03/24 10:08
現実離れした不思議な世界を舞台にしているのに、私たちが抱える問題にリアルに切り込む作品集。
表題作は、人間によく似た思考回路を持ち、たぶん容姿も似ているものの、人間とは決定的に異なる知的存在が登場する。もしかしたら、彼らが暮らす宇宙自体が、この宇宙とは異なっているのかもしれない。
彼らは、自分たちの生命の源は空気中のアルゴンだと考えており、人間より頻繁に空気のことを考えねばならない身体構造をしている。語り手は研究者として自分たちの意識や記憶の仕組みを科学的に分析していた。
断片的に明かされていくその奇妙な身体構造に思いを巡らすのは楽しい。だがその分析は、脳内の微細な機序の解明から、宇宙の構造理解へと至り、宇宙の「終わり」が近づいていると気付く。そんな未来を冷静に受け止め、彼が願うのは・・・。
また「オムファロス」は宇宙の始まりに神による想像があったことが証明された世界での、人間と宇宙、あるいは神との関係が問題にされる。全ての物語に、人間の自己中心性への理知的批判と、それでも手放すべきではない自由意志への信頼が、情感豊かに込められている。

No.197 7点 ハーモニー- 伊藤計劃 2020/03/10 09:19
SFは、「科学の発展」の良さを教えてくれるだけのものではない。この作品は、「科学の発展」「医学の進歩」「便利社会」に真っ向から喧嘩を売る、「科学の発展」を否定する物語だ。
未来の理想的な社会を描いている。「誰も病気になることも、傷つくこともない完璧な社会」。飲酒や喫煙などの不健全なものは一切存在せず、できるだけ怪我をしないように、病気にならないように設定された「健全で優しい社会」。そこに生きる人々は、リスクとともに生きる今の私たちの社会を嘲笑う。
一つの未来世界では病気も暴力も傷も放逐されていて、誰もが健康で天寿を全うできる。それでも、そんな理想の社会はユートピアではなくディストピアであると、本書では述べているのだ。優しさは人を殺す。健全であることを強要する社会、不健全さを許容できない社会では、どこかに閉塞感が生まれ、自分の身体を社会に奪われるような感覚を持ってしまう。それを10代の女の子の目線と成長した主人公の感覚を行き来しながら、丁寧に描いていく。
そしてこの物語の終局にあるのは、「人間は、人間であることをやめた方が幸せになれる」という恐ろしい真理。優しさで人を殺すディストピアも、人が人であることをやめてしまえばユートピアになる。その答えを前にして、主人公はどう折り合いをつけるのか。この物語の終りに待っている世界を知った時、読者一人一人、感じ方が大きく異なるはずだ。バッドエンドだと感じる人も、ハッピーエンドだと感じる人もいるだろう。それほどこの物語の幕切れは凄まじく、そしてすべての人の人生に一石を投じるものだと感じる。

No.196 8点 虐殺器官- 伊藤計劃 2020/02/28 10:06
アメリカ同時多発テロ後、個人認証システムが普及した先進国でテロがなくなる一方、発展途上国では内戦や虐殺が急増。主人公は、そんなあながち「もしもの話」だと思えない、あり得そうな世界で、虐殺を止めるために現地指導者のもとに送り込まれる米軍暗殺部隊員。やがて、繰り返しその標的となりながら捕らえられない謎の男が浮上する。虐殺発生地を先取りし世界を転々とする男、ジョン・ポール。まるで彼が虐殺を振りまいているかのように。
脳医学的処置による痛覚や倫理観の調整、人工筋肉といった軍事を中心とするSF的技術、言語や意識・「虐殺器官」という表題に関わる人間への考察、さらに世界全体を俯瞰し、シュミレーションする規模の大きな世界観。さまざまな要素が豊富に盛り込まれ、読み応えたっぷりだが、しかしこの物語は、意外なほどに「内省的」だ。「ぼく」という一人称で描かれ、主人公の母への執着・精神的な未熟さが強調され続け、そしてラストの衝撃的な展開へと急転直下していく。
人間の存在に関わるテーマや世界全体を巻き込んだ戦争・虐殺といった非常に大きなスケールで語られる本作が、主人公というたった一人のちっぽけな人間によって語られ、そしてその一人が世界を変える。そのアンバランスさが、しかし「人間」や「戦争」というものも、一人一人の人間の存在によって引き起こされているということを思い出させてくれる。

No.195 6点 楠の実が熟すまで- 諸田玲子 2020/02/20 11:08
幕府隠密になることを命じられた女性を主人公にした時代ミステリ。禁裏の出費に疑問をもった幕府は、山根良旺に不正の証拠を見つけることを命じる。ところが頼りの密偵が刺客に殺され調査は中断。山村は腹心の中井清太夫の姪・利津を隠密として禁裏の経理を担当する高屋康昆の家へ送ることを決める。女隠密の活躍と聞くと、いかにもミステリ的な設定に思えるかもしれないが、山村が清太夫の姪を隠密に抜擢したのは史実のようである。
著者は実話に基づいたスリリングなスパイ小説に、楠の実が熟す半年の間に不正の証拠をつかまなければならないタイムリミット、限られた容疑者の中から刺客を探す「犯人当て」など独自の要素も加えているので最後まで先が読めない。
文武に優れた利津は、自分の使命に誇りを持っていたが、不正役人とは思えない康昆の誠実さに魅かれていく。任務と情の板挟みになった利津が苦悩する後半は恋愛小説としても秀逸なので、ハードな展開が苦手でも十分満足できるはずだ。
利津の任務は、現代でいえば会計検査院のようなもの。税金の無駄遣いに納税者の関心が高まっているだけに、利津が禁裏という絶対のタブーに切り込むところは、過去を舞台にしているとは思えない迫力があり、その活躍は痛快に思える。

No.194 8点 わたしを離さないで- カズオ・イシグロ 2020/02/12 10:34
舞台となるのは、ある全寮制の学校。ありふれた学園生活が描かれるが、ときおりふと、誰かの姿勢が妙に思えたり、唐突な落涙があったりし、不穏なさざ波がたつ。彼らは将来、提供者となり、生体的使命を終える運命を決定づけられているのだ。
その特異さが、日常の中にさりげない場面に深い陰影を与え、逆に恋愛や諍いの平凡さが、むしろ運命の哀しさを際立たせる。
作者は特異な世界を描くことで、人間の一番普通の部分に触れようとしたのだろう。実にフィクションらしい輪郭を持つ小説ながら、特殊な設定を取り払っても、その最深部にあるものをこの作者は書きうるだろう。

No.193 7点 ボーダー 二つの世界- ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト 2020/02/04 10:45
収められた11の中短編はいずれも異質な存在や異界の気配、恐怖と耽美、生と死の融合が、理知的な筆致で描き出されている。
表題作は、罪や不安を抱いたものを感知する特殊能力を持つティーナの物語。彼女は能力を活用して麻薬などを摘発する税関職員をしていたが、ある男を検査しても何も発見できない。だが、違和感はなかなか去らない。
有能さ故に職場で信頼される一方、落雷で顔に酷い傷が残り、人生を半ばあきらめたような彼女。不穏な男と関わることで、次第に自身のあり方が揺らいでくる。
性別や世間の常識、正常と異常、さらにはこの世界と別世界の境目すら曖昧になっていくこの物語は、ホラーと呼ぶには美しすぎ、ファンタジーというには闇が深い。あるいはそんなジャンル区分も、本書が葬ろうとする「ボーダー」(境界)のひとつかもしれない。
また収録作のひとつ「古い夢は葬って」は、一言でいえば愛の物語だ。「愛は愛である。さまざまな表現の形があるだけだ」という言葉が胸に響く。

No.192 5点 霊峰の門- 谷甲州 2020/02/04 10:34
輪廻転生を題材に奈良から幕末までを描く伝奇ロマン。貴人の身代わりに殺される「影」一族の佐堤比古と恋人・皐月女の時空を超えた愛を縦糸に「影」を独占しようとする一言主と佐堤比古たちの果てしない闘争を横糸に進んでいく。
輪廻転生は、下手に扱うと死んでもやり直せるという部分だけが強調され、命の軽視になりかねない。だが、本書は、乱世に最も必要とされる「影」を主人公にすることで戦争の悲劇を丹念に描くとともに、どんな時代も変わらない愛の普遍性をテーマにしている。それだけに生きることの大切さ、死の持つ意味が実感できるはずだ。

No.191 6点 遠い他国でひょんと死ぬるや- 宮内悠介 2020/01/28 10:22
ユーモアが混じるからこそ、不条理の影が濃く浮かび上がる。フィリピンで戦死した大正生まれの詩人竹内浩三の詩から取られたタイトルの感触は、そのままこの小説の読後感に通じている。
物語の主人公は、浩三が戦場に携えたはずの幻のノートに魅了されている須藤宏。番組制作会社でベテランとして働いていたが、「浩三の見た戦争を見たい」との思いから職を辞し、フィリピンに渡る。
老いを意識しつつある彼を駆り立てるのは、軸となるべき「歴史」を見失って漂流する自身の空虚さだ。その姿はどこか、インターネットを通じ歴史修正主義に染まる中高年とも重なる。
そんな彼をフィリピンで待つのは、ブレーキが壊れたような怒涛の展開。突如とレジャーハンターの西洋人ペアに襲われ、山岳民イフガオの女性に助けられたかと思ったら、彼女の元恋人の実家を訪ねミンダナオ島へ。島の分離運動に関わったイスラム教一家には秘密があり、さらに超能力まで絡んできて・・・。
ユーモアあふれる物語のジェットコースターに、振り落とされそうになる読者もいるかもしれない。けれど、小説を読み通したなら、そのスピード感、その奔放な想像力がなければたどり着けない地点があることを知るだろう。
物語の最後に主人公は、そして読者は、かつての悲惨な戦争を眼前に見る。この小説でないとあり得ない仕方で、とても高精細に。一方で著者は、その虚構性に自覚的だ。その誠実さは、かつての戦争の加害責任と向き合おうとする作中の主人公の姿とも重なる。
小説は中途半端に幕を閉じる。「まだ時間はある」という言葉を残して。「過去が曲げられようとしている」現在において、その言葉に説得力を持たせるために、それまでの物語は必要だったのかもしれない。

No.190 6点 カーペンターズ・ゴシック- ウィリアム・ギャディス 2020/01/28 10:20
全米図書賞を受賞したウィリアム・ギャディスの、「一体、誰が訳せるのよ」的メガノベル「JR」の訳出で、第5回日本翻訳大賞に輝いた木原善彦。その木原が2000年に訳し、このたび改訳復刊された小説が、この作品だ。
古いゴシック様式の館が舞台で、全編のほとんどが、会話で成立している。中心人物は、賄賂のやりとりが暴かれそうになったため自殺した鉱業界の大物の娘エリザベスと、その夫ポール。賄賂の運び屋をしていた彼は、金目当てでエリザベスと結婚したのだ。ところが、遺産はアドルフという男が管理するよう委託されており、手を出すことができない。ヤマ師気質のポールはメディアコンサルタントとしての成功の夢を見て、さまざまな胡散臭い事業の立ち上げに関わって、ちょこまか動き回っている。
ひっきりなしにかかってくる電話。怪しい男たちの来訪。事情が分かっていないエリザベスは、ただただ翻弄され、ポールはそんな妻に苛立ち、ひどい言葉をぶつけ続ける。2人の不毛なやりとりが中心となる物語の中に、館の家主やエリザベスの弟の思惑まで絡んできて、やがて巨大利権をめぐる世界的陰謀へと話は広がっていくのだ。
読み始めは会話中心の語り口にとまどうけれど、愚行につぐ愚行の全容が明らかになっていくにつれ、笑ってしまうこともしばしば。悲劇と喜劇は表裏一体という読み心地が味わえる。描かれているのが今日的な問題でもあるので、初訳の19年前よりも今の時代に響く小説と言え、お薦めだ。

No.189 5点 幽玄の絵師 百鬼遊行絵巻- 三好昌子 2020/01/28 10:20
応仁の乱前夜の混迷の時代、将軍に仕える御用絵師の土佐光信が、さまざまな怪異にかかわっていく。
本書は連作のスタイルで進行する。土佐流の天才絵師・光信は「心の壁」を持たないため、人ならぬ存在と通じ合う。冒頭の「風の段」では、造営された室町御所に移った8代将軍足利義政から、判じ物(謎解き)のような言葉を与えられ、絵を描くように命じられる。御所にある梨の木の精の力を借りた光信が、義政の過去と、その胸中を知るのだった。
なぜ義政は、荒廃した世の中に背を向けて、作事作庭に耽溺したのか。義政の乳母の今参局が処罰された騒動には、何が隠されていたのか。作者は史実を絡めながら、義政の抱えた絶望に迫っていく。
以後の話の多くも、時代の争乱の中から生まれた人の心の悲しみが、人ならぬ存在を呼び、奇怪な騒動へとつながっていく。その結果が、応仁の乱であったのだ。実在の絵師を巧みに使い、ホラー小説の手法で時代を見つめた、新鋭の意欲作といえよう。

No.188 6点 ミステリと東京- 評論・エッセイ 2020/01/20 09:38
東京をなんらかのかたちで背景に持つミステリ小説五十数編が、この著者の独壇場だと言っていい東京論の視点から、論評されている。ミステリの謎の面白さと、東京の多彩な奥深さが、平明な文章で解き明かされるのを読むと、ミステリ小説というフィクションと東京という巨大な現実を、同時に楽しむことになる。読んだあと、知っているつもりの東京に改めて目を開かれるなら、目からうろこの東京本ともなるだろう。
江戸から東京まで、その歴史は深くて長く、幅は広い。関東大震災と東京大空襲という二度の壊滅から復興して現在に至り、三度目の壊滅はいつどのように訪れるか、さまざまな予測を前途に持つ巨大都市なのだから、影つまり知られざる闇の部分はどれほどかと、想像力を刺激してやまない。そして本書を読み進むと、東京そのものが、複雑に重層するたぐいまれなミステリであることに、必ずや気付く。
本書を読むほどに、自分の知らない東京が、目の前にあらわれる。一定の方向ないしはパターンにやや偏った東京かと思うが、とりあげられている小説がミステリだから、必然性を伴ってそうなるのだろう。そしてそれらの東京のいずれからも、得体の知れない怖さのようなものが、立ちのぼってくる。

No.187 8点 星新一 一〇〇一話をつくった人- 伝記・評伝 2020/01/07 08:52
ショートショートと呼ばれる極めて短い小説の手法を作り、千一編の物語を書き続けた作家、星新一。本書は、その七十一年の生涯を描いた評伝である。とにかく読んで面白い。日記や書簡を含む膨大な遺品を整理し、本や新聞、同人誌などの資料と数々の証言を得て、よくぞここまでまとめたものだと思う。
前半部は、星製薬の創業者である父、一の先進的な仕事や人となりとともに、作家の生い立ちを描く。一九五一年、父の死により、二十四歳で会社を引き継ぐも、ふたを開けてみれば借金だらけ。会社経営には向かないと自他ともに認めながら、会社整理に奔走する。沈みかけた船は、さながら地獄の様相である。
そのころ、探偵小説雑誌の軒先を借りる形で始まった日本のSF小説。一つのジャンルの草創期のエネルギーと、それがどれほどいばらの道だったかを、丁寧に生き生きと描いていく。
五七年、実質的な処女作となった「セキストラ」は、一読した江戸川乱歩が傑作と評価して「宝石」に掲載。六〇年には六作品が直木賞候補に。そして累計三千万部という、第一線のSF作家への道を歩み始める。
徹底的に分かりやすく、時代を超えた読者へのプレゼントとして生涯、作品を磨き続ける一方で、新人賞の審査員を務めて多くの後進を見出し、育てた。星作品を敬愛する作家は多い。
願わくば、全体を俯瞰する年譜が欲しかった。また新一が書いた父の伝記「人民は弱し官吏は強し」で触れられている、が一八年に刊行したイラスト付きSF小説「三十年後」が、どんな作品だったのかも知りたかった。「息子がタイム・マシンで大正の御代に舞いもどり、代筆したんじゃなかろうか」(石橋喬司)というぐらい、発想も文体も、似ていたらしい。

No.186 5点 つるべ心中の怪 塙保己一推理帖- 中津文彦 2019/12/24 08:44
江戸時代の日本の文化度は極めて高かった。庶民の多くが文学を読むことができ、文化に親しんだ。天才も多かった。なかでも農民の子に生まれ、七歳で失明しながら、抜群の記憶力で和漢の学問に通じ、膨大な我が国の古典叢書「群書類従」を編纂した塙保己一は異色の天才である。
この作品は、その塙保己一を主人公とした時代推理小説。偉大な学者でありながら持ち前の好奇心で事件に首を突っ込み、独特の勘を働かせて推理する。
三話を収録されているが、表題作の第一話は、店の手代とつるべ心中した札差の女主人の話。つるべ心中とは、同じひもの両端に輪をつくり、同時に首をつって死ぬというもの。よくある身分を越えた恋の果て、といえばそれまでだが、保己一の勘が殺人事件を炙り出す。
時代推理ものには違いないが、保己一をめぐる家族関係や、周辺の人物、編集にまつわる話がさりげなく語られていて興味深い。

No.185 8点 小松左京自伝- 伝記・評伝 2019/12/17 10:03
人文、社会、自然科学のさまざまな分野に通暁し、半世紀近くにわたって膨大な知見をSFとして披歴してきた知の巨人。本書はこの小松左京の軌跡とその作品世界を余すことなく伝える。
「人生を語る」「自作を語る」、という各部の題で内容は明らかだ。第Ⅰ部は日本経済新聞の連載を、第Ⅱ部は同人誌でのインタビューを基に構成されている。万人向けに書かれた第Ⅰ部に比べ、熱心な読者を前提とした第Ⅱ部は、小松作品についてのかなりの知識が必要だろう。それを補うために、巻末に主要作品の粗筋と年譜が掲載されている。良く出来た資料であり、小松作品にさほどなじみのない読者も手に取りやすくなる。
そうした一般の読者たちにとって第Ⅰ部の少年期、青年期の記述は圧巻に違いない。戦中戦後の困窮や陰惨な体験を小松は正確に、だが深刻に陥らずに回顧する。それでも時として噴出する沈痛な記憶と死者への鎮魂が、作品に漂う無常観や人類愛の起源を明らかにしている。一方恐るべき記憶力と広範な興味関心は、戦争や政治を超え時代の風俗を見事に描き出す。この細部へのこだわりもあらゆるものを包み込んだ小松世界を解く鍵なのだろう。
第Ⅱ部の作者自身による自作解説と創作の裏話は、SFファンには必読の資料である。小松はここで、SFとはあくまで「文学」であり、SFにしかできないことを追求したからこそ逆に文学を豊かにしてきたと断言する。SFに日本社会に認知させた小松だから吐ける自負の言葉だ。
そうした点からも、小説家で京大同窓の高橋和巳との親交は興味深い。「泣き上戸」と「うかれ」。対照的な二人が並ぶ一葉の写真が本書に収められている。高橋の文学は、芸術と人生の矛盾に煩悶しながら内向し純化していった。それに対して小松はSFを「一種の逃げ道」として、あらゆるものを貪欲に取り込み、自由でハイブリッドな作品を書き続ける。だが、どちらも「実存」を求める精神の生み出した文学なのだ。

No.184 7点 前夜の航跡- 紫野貴李 2019/12/02 09:56
海軍軍縮条約で軍艦の保有量が制限されていた昭和初期を舞台に、仏師の笠置亮佑が彫った木像が海軍将兵の魂を救済していく連作集である。
幽霊を調査する海軍の特務機関に所属する芹川中尉と支倉大佐が、艦船衝突事故の責任を問われ自殺した艦長の霊を鎮める第一話「左手の霊示」は死者の無念を晴らす幽霊退治の物語。
これが凡庸な新人なら、事故で失った左手に亮佑の作った義手を付けたため、霊を交信できるようになった芹川を主人公に物語を進めるだろう。
ところが著者は、魅力的な芹川と支倉を第一話と最終話にしか使わない。猫の霊が宿る木像が活躍する、猫好き必読の「霊猫」、時代を超えた男の友情が感動的な「冬薔薇」、弁才天像をもらった男が、謎めいた贈り主の女を推理するミステリ色も濃い「海の女天」などバラエティー豊かな奇譚をつむいでいく。華々しい戦死でも、天災でもなく、出世競争や派閥抗争に明け暮れる上層部の人災で散った軍人の無念を、幻想小説の手法で浮かび上がらせているだけに、お役所を含む日本の組織に共通する無責任体質の問題点が、生々しく伝わってくる。
海軍の歴史に詳しい著者は、実際におきた事故をモデルにしながら、その中にフィクションを織り込んで見せる。虚実を操る手腕は熟練の域に達している。ファンタジーとしても歴史小説としても楽しめる。

No.183 7点 もうひとつの『異邦人』 ムルソー再捜査- カメル・ダーウド 2019/10/24 10:52
下敷きになっているのは、あまりにも有名なカミュの「異邦人」だ。名作を端役の視点から書き直す作品はよくあって、この小説の主人公は、「異邦人」の中であっけなく殺されてしまう名無しのアラブ人の弟。
カミュ作品の主人公ムルソーは、殺人の理由を聞かれて「太陽のせいだ」と答えるのだけど、遺族からすれば腹が立つわけで。おまけに、兄の死にとらわれた母親は、弟である自分を兄の代替物、もしくは兄のために復讐を果たす傀儡にしか思っておらず、語り手の(僕)は、つらい人生をたどることになったのだ。
作者のダーウドは、この小説の中で、名無しのアラブ人として命を奪われた青年の名を取り戻し、植民者であるフランスのムルソー(ひいては作者のカミュ)によって狂わされた(僕)のアイデンティティーを回復させようと試みている。
それは同時に、植民地時代と解放戦争時代のアルジェリアの苦難の道を描く過程にも他ならない。左から右へと流れるフランス語に対して、右から左へと流れるアラビア語。記述のスタイルさながら、”対”の概念を駆使した意欲的な書き換え作品だ。

No.182 5点 船を待つ日- 村木嵐 2019/10/02 10:52
古物商のお嬢さま翠と与力の息子森之介が、人買い船の出現や徳川家の偽の御紋を付けた舶来品が出回っている謎に挑む、ユーモラスな時代ミステリになっている。
翠が眼鏡をかけた”ドジッ娘”とされているなど、漫画を思わせる設定もあるが、江戸時代の海外交易の実態が伏線になっていたり、積まれた荷物の高さを調べる「高積見廻り」の見習いをしている森之介が手掛かりを見つけてきたりと、緻密な時代考証が事件解決の鍵になっているので侮れない。
どんでん返しに意外性が無いのでミステリとして弱さもあるが、翠と森之介が捜査を通して成長し、働くことの意義を学んでいく展開は心地よく、青春小説と見れば十分の完成度といえる。

No.181 7点 敬恩館青春譜二 青葉耀く- 米村圭伍 2019/09/22 09:45
大柄で腕力自慢の寅之助と病弱ながら聡明な小太郎は、千歳藩の端にある鳥越村から藩校に入学することになった。ところが藩校に到着した早々から、奇妙な出来事が連続する。実は寅之助と小太郎のどちらかが藩主のご落胤で、2人の両親はお家騒動から守るため、誰がご落胤かわからないように育てていたのだ。
二転三転する証言から本物のご落胤を当てるミステリータッチの展開に加え、2人の周囲では藩校のマドンナ京、豪商の娘お鈴とその弟で藩校で働く正助、筆頭家老の嫡男で成績優秀な淳市郎など、敵か味方か分からない人物が怪しい動きをしていくので、最後まで先が読めない。
1人を犠牲にして本物のご落胤を守る非情な計画やご落胤を殺して出世したいとの欲望を、友達を守るという少年たちの純粋さが打ち破る展開には、胸がすく思いがするのではないだろうか。
往年の明朗時代劇を思わせる痛快な娯楽作品だが、物語の背景には、「論語」が人生を見つめ直すヒントとして登場し、国家再建の力を秘めた教育の重要性が描かれるなど、重いテーマがさりげなく示されているのも、忘れがたい印象を残す。

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小原庄助さん
ひとこと
朝寝 朝酒 朝湯が大好きで~で有名?な架空の人物「小原庄助」です。よろしくお願いいたします。
好きな作家
採点傾向
平均点: 6.64点   採点数: 260件
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