皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
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平均点: 6.33点 | 書評数: 2106件 |
No.366 | 7点 | 華麗なる大泥棒- デイヴィッド・グーディス | 2018/06/28 17:43 |
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(ネタバレなし)
第二次大戦前夜のアメリカ。天涯孤独の17歳の若者ナタニエル(ナット)・ハービンは、心優しき中年の泥棒ジェラルドに救われる。ジェラルドから息子のように扱われ、泥棒の技術を仕込まれたハービンだが、やがてジェラルドは裏稼業のなかで死亡した。ハービンは、ジェラルドの遺児で14歳年下の少女グラッデンを父代り兄代りとして養育。やがて大戦を経て、34歳になった現在のハービンは、20歳の愛らしい娘に育ったグラッデン、さらに二人の仲間、盗品の流通に長けたジョー・ベイロック、錠前破りの名人ドーマーとともに流血を避けた慎重な泥棒稼業を続けていた。だがある仕事を契機に、彼らの運命は大きな変化を見せることに……。 原書は1953年に刊行。1973年に本書と同題のJ・P・ベルモンドのクライムコメディ映画が日本で公開される際、その原作として邦訳された。とはいえ本書の訳者後書きでも触れられているが、小説の内容は「華麗なる」という修辞とはまったく無縁な、非コメディ系のシリアスノワール。 ハービンたちが最高価格11万ドルの大粒エメラルドを奪い、その横取りを企む謎の影、ハービンの心を揺さぶるファム・ファタールの美女デラの出現、仲間達の間に走る亀裂、そして何より、養父ジェラルドへの恩義からグラッデンを見守り続ける主人公ハービンの思いと、そんな彼に対して自分を妹や娘ではなくワイフとして恋人として見て欲しいグラッデンの苛立ちなどが、わずか200ページちょっとの物語を高い密度で盛り上げていく。ストーリーはシンプルだが、会話と客観描写を多用した叙述は強烈なテンポを保ち、物語の加速感は並ではない。余韻のあるクロージングまでひと息に読み終えられる50年代クライムノワールの佳作~秀作。 |
No.365 | 6点 | 閻魔堂沙羅の推理奇譚 負け犬たちの密室- 木元哉多 | 2018/06/27 21:15 |
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(ネタバレなし)
前巻とほぼ同じ総ページ数ながら収録エピソードの絶対数はひとつ減って3本になっちゃったけど、内容にあった紙幅的にはこれくらいの方がいいかもね。作品の中味と物語の容量はちゃんとバランスをはかるべしという主旨のことは、かのE・クイーンも言っております。 二冊目ということでさらに各編にもよりバラエティ感が出てきて、まんま「地獄少女」みたいな懲悪路線にも踏み出したけれど、これは今後シリーズを長続きさせる意味でいいと思う。 一定以上の水準の謎解き&フーダニット(推察がつく部分もそれなりにあるが)と、毎回沙羅以外の登場人物の面子が変る連作キャラクタードラマとして個人的にはかなり気に入っています。 しかしこの二巻巻末の惹句「人間賛歌×本格ミステリ!」というのは一巻ならともかく、前述の通り、本書の方では作品に幅がでてきたという意味において、ちょっとズレてきちゃいましたな(笑)。 |
No.364 | 6点 | 翼がなくても- 中山七里 | 2018/06/27 21:00 |
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(ネタバレなし)
西端化成に勤める20歳のOL、市ノ瀬沙良は、同社実業団陸上部の精鋭アスリート選手として次期オリンピックまでを視野に入れていた。だがそんな彼女はある朝、居眠り運転事故の被害者となり、左脚切断に至る重傷を負う。しかも加害者は沙良の隣人かつ初恋の相手で、現在は引きこもりのニートの青年・相良泰輔だった。自暴自棄になりかけながらも、障害者スポーツの陸上選手として果敢に再起を図る沙良。だが事故ののち、泰輔が自宅で変死。犬飼と相棒の麻生は現場の状況から殺人事件と見て、正体不明の犯人を追うが。 謎解きミステリとしてはソツもないが曲もない作りで、真相は大半の読者の想像の範疇であろう。 ちなみに本作は犬飼と御子柴の初の共演(半ば対決)編。中山ファンにとっては垂涎の趣向だが、あえてそっちの興味はサブに回し、再起にかける沙良の熱い青春ドラマ、さらには彼女を支える人たちの群像劇の方をメインの軸にしたあたりはうまい。 いかにも現実のなかでありそうな試練をたっぷり盛り込みながら、その上で克己する思いの強さを謳った、すごく清廉で良い感じに厚みのある人間ドラマであった。そっちの意味で、読み応えは十分。 しかし御子柴先生、ツンデレのツンの部分の偽悪家にして、ちゃんと最後には沙良を応援するおいしい役どころは持って行く(探偵役はどっちかというと犬飼の領分)。この人は、まさに中山ワールド版ブラックジャックですな~(笑)。 |
No.363 | 9点 | 母なる夜- カート・ヴォネガット | 2018/06/26 17:15 |
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(ネタバレなし)
1961年。「わたし」こと40代後半のアメリカ人、ハワード・キャンベル・ジュニアは、イスラエルの刑務所の獄中で、第二次世界大戦時にドイツに暮らし、ゲッペルスの下でナチスのラジオプロパガンダ役として送った過去、そして戦後にアメリカに来てからの日々のことを回顧する。そんなハワードには第二次大戦中、地上で彼をふくめてわずか3人だけしか知らないもうひとつの顔があった。それはアメリカ陸軍省少佐フランク・ワータネンの要請を受けて米国のスパイとなり、ナチスの中枢にいなければ入手不可能な情報を連合国側に送る役割だった。世界の平和と人類の未来を望みながら、600万人ものユダヤ人殺戮の共犯者の道を歩んだハワード。だが彼の全身全霊を尽くした戦時中の苦闘は、戦後のアメリカ社会から感謝を得ることはなかった。 1961年に原書が刊行されたアメリカ作品。1973年の初邦訳時、ミステリファンの老舗サークル「SRの会」同年度の海外作品部門のベスト投票で堂々の一位に輝いた一冊でもある。それゆえいつかいつか読みたいと思いながら、ミステリ作家(またはSF作家)というよりは、現代(20世紀後半)文学の旗手のひとりとして知られた作者カート・ヴォネガット(カート・ヴォネガット・ジュニア)の代表作と名高い長編だけになんとなく敷居が高かった。ちなみにヴォネガットの作品はHMMに載った作品、または何らかのアンソロジーに収録された短編くらいのみ読んで、未だにこの作品以外の長編は読んでいない(なお、個人的ななりゆきから原作をまだ未読なままに映画『スローターハウス5』だけは先に観ていて、これは単品の映像作品としてすごくスキである)。 しかし今回は最初の翻訳者・池澤夏樹が旧訳にさらに手を入れた1984年の白水Uブックス版で読んだのだが、えらく平易な文章でとんでもなく敷居が低かった。翻訳はところどころ難しい原文のニュアンスを懸命に拾い上げたそうで、読者の一人として厚く感謝するしかない。 本書は起伏に富んだストーリーの優れたスパイ小説であると同時に、魂に染みる強烈な人間ドラマである。さらに寓意と皮肉に満ち、そして国会や種族、集団や個人の愚かさを笑い、切なさに苦笑し、辛さと苦さに潰されかけながらも、何のかんの言っても人間を最後まで見捨てない、そんな一冊でもある。 自分と、そして多くの人類にとっての真理と理想を追い求めながら、それに懸命になればなるほど大きな欺瞞と虚飾のなかで人類最大の凶行に加担せざるを得なかった主人公。 だがそんなハワードと、彼を諜報員にしたフランク・ワータネン(旧悪を問われ続ける主人公と対照されるように、彼は大佐に昇格している)は戦後再会し、以下のような会話をかわす。 「わたしのポケットにメモをつっこんで、ここへ来るように伝えたのは誰ですか」 「聞くのは勝手だが」とワータネンは言った。「私が教えっこないのはわかっているだろう」 「そこでまたわたしを信用していないというわけですか」 「きみみたいにりっぱなスパイだった男を信用できると思うかね?」とワータネンは言った。「ええ?」 小説の大筋も細部も真実と欺瞞が交錯し、少し後には状況も人間関係も反転するような内容だが、それでも主人公ハワードの立ち位置はぶれない。ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』の後半で、アレック・リーマスが車中で叫ぶような人間という種への諦観や想念が語られるわけでもないが、それでもこの主人公は最後まで人間を読者を、そして自分自身を裏切らないだろう、そんな軸を最後まで感じさせ続けるヴォネガットの筆致の強靱さ。 若い頃にもっと早く読んでおけば良かったかな? いや、オッサンになった今だからこそ身に染みた魅力がある。少なくとも自分は人生のなかで、この一冊を見逃さないで良かったと思うのだ。 |
No.362 | 7点 | さよならファントム- 黒田研二 | 2018/06/23 21:25 |
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(ネタバレなし)
8点をつけられた蟷螂の斧さんのレビューに興味を惹かれて、読んでみました。 序盤から始まる主人公の最大級の逆境は、最終的に(中略)とはもちろん予想がつくものの、じゃあどういう道筋を立てるんだろう……と思いきや、なるほど、こう来たか! という感じであった。一級のサプライズの開陳と同時に、キーパーソンがなぜそうしたかのホワイダニットにもいっきにカタをつける手際がお見事。 フーダニットの方もなかなか面白い仕掛けがしてあり、あとからポイントとなるシーンを読み返すとニヤリとすることしきり。 まあ205ページ前後の奇妙な状況の謎解きばかりはやや無理がある、という思いもするけれど、これだけおもちゃ箱をひっくり返したようなギミック満載の作品の中には、これひとつくらいトっぽいのがあってもいいでしょう(笑)。 終盤の主人公が(中略)を経て新たな道に踏み出すあたりは、手塚漫画か藤子・F作品の名編のような感慨であった。 |
No.361 | 4点 | 今夜、君に殺されたとしても- 瀬川コウ | 2018/06/23 15:37 |
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(ネタバレなし)
現場に凶器と直接関係ない、紐と鏡を残していく連続殺人事件が発生。「僕」こと両親と死別した高校生、橘終(たちばな おわり)には、双子の妹である女子高校生・乙黒アザミがいたが、彼女こそはこの連続殺人事件の容疑者であった。妹を愛し、そして彼女の心の闇を知る終は、さらに事件のなかに踏み入っていくが。 人気青春ミステリ「謎好き乙女シリーズ」の作者によるノンシリーズ編。評者は「謎好き」はシリーズ2冊まで読み、そのミステリ的なセンス、そして男子主人公とヒロインの距離感に結構新鮮な魅力と手応えを感じていた(←なんかエラそうですな。気にしないでください)。 それでそっちのシリーズはすでに完結しているので先にその残り分を読めばいいのだが、あの作者の完全新規の新作というのはどんなだろと思い、いち早く本書の方を手に取った。まあそんな次第である(笑)。 で、感想は、うーん……とても瀬川作品らしいんだけど、その個性を今回はこういう形で出しちゃったのかなあ、という印象。 ミステリとしては二人の主人公(兄妹)の関係性の謎とその軌跡を追う一方で、一種の入れ子構造的に複数の事件と謎めいたものが設けられており、個人的にはその二つ目の真相と事態の成り行きはなかなか面白かった。 ただし、ヒロイン・アザミの切なくて哀しいキャラクターを語るために、終盤で評者的にはとても許せない描写が出てきたので大幅に減点。アザミのぎりぎりの内面を描くにしても<こんな作劇>は少し安易に感じる。もっとやりようはあるよね。ここであんまり詳しくは申せませんが。 ちなみに物語の後半から登場し、事件の狂言回しというか観測者的な役回りを務める美少女高校生探偵の神楽果礎(かぐらかそ)。「腹黒」を自認するその厨二的なセリフ廻しにコミックチックな魅力があり、次回はこの子をもっとメインポジションに据えた作品を読みたいですな。まあ本作は講談社タイガ文庫のレーベルだから、今後のそういう路線も考えているんだろうけど。 (あー、そんときは本書は、神楽果礎シリーズの第一弾になっちゃうんだな。) |
No.360 | 6点 | アイランド- ピーター・ベンチリー | 2018/06/23 01:34 |
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(ネタバレなし)
35歳の売れっ子フリーライター、ブレア・メイナードは、人気コピーライターである妻デヴォンと離婚。12歳の息子ジャスティンの養育を彼女に託していたが、そのデヴォンの頼みで息子を一週間ほど預かることになった。メイナードは雑誌「トゥーデー」の記事のネタとして、この3年間にバハマ沖でヨットやクルーザーなどの船舶が600以上も消息不明になっている怪事に注目。頻出する海難事故の背後に何かあるのでは? と考えて、息子を連れて現地に取材に赴く。だがそこで彼を待っていたのは、悪夢のような現実だった。 79年のアメリカ作品で『ジョーズ』『ザ・ディープ』に続く作者の長編第三作。巨大鮫パニック、宝探し……を主題にした前二作と同じ系譜の海洋スリラーで、やはり同様に映画化もされてるが、ここではあえて本作のストーリーの大ネタが何かはヒミツにしておく。 (まあ当時は、フツーに書籍や映画の宣伝などでネタバレされていたし、本書の訳者あとがきでも大っぴらに記述されているのだが。さすがに今では翻訳本の刊行から40年近く経って、知らない人も多くなっていることだろうし。) 後半の展開は、テンション、スリル、そしてある種の不快感と恐怖などが入りまじった猥雑さでなかなか息苦しい思い。単純にスリラー+αのエンターテインメントとしては、前二作より面白かったかもしれない。主人公メイナードの周辺で、読者の心をざわつかせる、かなりきわどい展開が用意されているのにも驚かされた。 一方で正直なところ、日本のA級&B級バイオレンスノベルっぽい感触もないではないのだけれど、大ネタを支える文芸にあれこれそれっぽい蘊蓄が導入されていたり、クセのあるサブキャラの視点を介して妙にアカデミックな見識が語られるなど、物語に独特の厚みを与えるのには成功している。 終盤、物語の決着が見えないまま、紙幅がどんどん減じていく。そんな加速感を経たクロージングもエンターテインメントとして悪くない。 今回の事件の向こうに現代人は何を覗くのか。そういうちょっと厨二的な味付けを匂わせているのも、良い感じの物語のスパイスになってるし。 ……とはいえ、やはりベンチリーの海洋もの初期三作の中でのマイベストは、結局は『ジョーズ』なんだけどね。いや鮫がコワいとかその戦いがスリリングだからとかいうより、原作小説にあってスピルバーグの映画には無い(らしい)ある人間関係とそれに関連した某シーンが大好きなので。 (これで評者が何を言いたいか分かる人は、ハハーン……! とニヤニヤしてください・笑。) 最後に評者は、ベンチリーのこの初期三部作の映画版は『ザ・ディープ』のみ観ている。というのもこの頃のジャクリーン・ビゼット(『ザ・ディープ』の主演)が最強に可愛かったから(笑)。 本作『アイランド』でも「雑誌「トゥーデー」のカバーガールをジャッキー・ビゼットに頼むかどうか」という劇中でのやりとりがあってニヤリとなった。たぶん意識的な楽屋落ちだろう。 |
No.359 | 5点 | 偽装- 相村英輔 | 2018/06/22 10:51 |
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(ネタバレなし)
都内在住の実業家・浦崎長恭の妻・和子が自宅で変死体で見つかる。現場や死体の状況から被害者は強盗殺人の犠牲になったのかと推されるが、やがて検死の結果、彼女は自殺とわかる。誰かが自殺を他殺に偽装した? として捜査陣の嫌疑が浦崎に向かい、さらに過去に浦崎の会社の3人の従業員が、彼に莫大な保険金を遺して死んでいる事実が判明した。そんななか、浦崎の友人で事件に関わった電器店の主人・小谷修が殺害される。これも浦崎の犯行かと思われるが、彼には検死官の死亡推定時刻に大阪にいたという絶対のアリバイがあった。 詩人探偵・楼取亜門シリーズの第二作で、現在までの最終作。 例によって? Twitterで悪評を呼んでるから読んでみたが、個人的には、前作同様、ウワサほどひどいものではなかった。 まあたしかに中盤、アリバイ捜査の道筋のうち、結局は警察側から見て徒労に終る部分をここまで徹底的に細かく書かんでもいいんでないのとか、メインの殺人事件となる小谷殺しに先立つ4つの死亡事件の精査がおざなりだとか、その手の不満は感じた。特に前者についてはくだんのTwitterなんかでも「駄目な時刻表ミステリ」の代表作であるかのようにも揶揄され、そういう文句が出るのもわからなくない。 ただまあ、長々と綴られたそっち方向の叙述も、実は終盤の逆転推理のためのミスディレクションを力押しにしているのだと見るならば、その狙いは理解できる。少なくともこの迂路に見える部分には、一応の意味があるように思える。最後に「実はそっちじゃないんだよね~」と言わんばかりに明かされる事件の真実とそれを支えるメイントリックも、なんか昭和のB級パズラー風で微笑ましい。 前作は都筑道夫の推挙を受けて刊行されたそうだが、どっちかというと今回の方が都筑ティストとの接点を見出しうるような。 この作者独自のミステリ愛があり、探偵キャラクターや世界観を築くことに当人なりに傾注していることもあとがきに感じられる(前作と本作の時代設定の間に20年以上あるのに、劇中人物がまったく加齢していないことへの、いわゆる「言わんでもいいがな」的なイクスキューズとか)。 作者はこの2冊を書いたあと時代小説の方に行っちゃったみたいだけど、もうちょっと亜門シリーズを読みたかったな。まああんまり書き慣れてくると、このヘタウマっぽい味は薄れるかもしれないんだけど。 |
No.358 | 6点 | 死の長い鎖- サラ・ウルフ | 2018/06/20 20:37 |
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(ネタバレなし)
高校教師の青年ディヴィッド・ブレットは、父の生まれ故郷の町フェアフィールドに帰参して5年目。住民達の憧れだった美人の女性教師エリザベスを妻に迎えたが、まだまだ彼をこの町の中では新参者だと見る者も少なくなかった。そんなある日の朝、ブレット家の乗用車が突如爆破し、エリザベスはお腹の子供ともども命を奪われた。呆然とするデヴィッドのもとにさらに届いたのは、彼の教え子であるチアリーダーの美少女ジェニー・ウィルソンが、その彼氏のレイン・カーペンターともども射殺されたという惨劇の知らせであった。両事件の関連を追う警察署長のフィリップ・デッカー警部補は、エリザベスとジェニー、双方に関係する人物としてデヴィッドに嫌疑の目を向けるが、やがて露わになるのは、この町の周辺で十数年にわたってひそかに進行していた十数人もの人間の命を狙う何者かの殺意であった。 みんな大好き(?)佐藤圭の名著=ミステリガイドブック『100冊の徹夜本』を読み返していたらなんとなく意識した、評者が今まで未読だった一冊。本サイトでもまだレビューが無いので、どんなかなと思って一読してみた。原書は1987年に書かれた作者のデビュー作。 ちなみに『100冊』での本書紹介ページの惹句は「ミステリー史上、<いちばん殺人件数の多い殺人鬼>は誰だろうか。」である。まあその主題に沿った作品がズバリこの長編なのかといえば異論がある向きもあろうが(評者も「あっちの作品じゃないですかね~」と言えるのが一つ二つはある・笑)、開幕70ページちょっとで、それまで一見秘匿されていた多数の殺人計画が露わになっていくダイナミズムは確かにすごい。そういう意味で加速感も強烈な内容で、ページをめくり始めてから半日で、ほぼ一気に読み終えてしまった。 ただし中盤である程度、事件の底が割れてからはちょっと(……ムニャムニャ)。作者も本当はもうちょっと奥深い仕掛けを仕込みたかったんだろうけど、迷った末に直球を投げてしまい、それでもそれなりの球威があった、という仕上がりである。読んでるうちに、こういう話の流れならこうなるんじゃないかな……。このキャラクター描写は思わせぶりなミスディレクションじゃないかな……。実にあれこれ想像力を刺激させられた一冊であった(笑)。 全体としてはM・H・クラークの初期編とかあたりに近く、技巧的にはそっちよりちょっと弱いけれど、別の部分でのケレン味をまぶしてある感じ。サスペンススリラーとしてはまとまった印象で悪くは無い(ちょっと大設定とか趣向とかクリスティーの『殺人は容易だ』を思わせるところもあるが)。 ところでこの作者、日本ではこの一冊で紹介が終っちゃったのかな……と思っていたら、講談社文庫にて、S・K・ウルフ名義で二冊のエスピオナージュの翻訳書が出ている。機会があったら、いつかそっちも読んでみよう。 |
No.357 | 5点 | 本格ミステリ漫画ゼミ- 事典・ガイド | 2018/06/20 12:17 |
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800タイトル以上について語っているという謳い文句は伊達じゃなく、とんでもない情報量の一冊である。ミステリは好き、コミックも好きな評者だが、かといってミステリコミックや探偵漫画を特に意識的、体系的に読んでいる訳でもないので、初めて知る事柄も本当に多い本だった。その意味でまず敬服。
とはいえ紙幅200ページ足らずの本文の中で、そんな800作品も網羅している情報の凝縮ぶりは正に諸刃の剣。特に前半など、単に<こういう作品があった~その作者のデータ>という、あまりにも悪い意味で総花的になってしまった記述のつるべ打ちには、かなりゲンナリした。 もう少しくわしく評者の不満の念を説明するなら、まず前提として、本書は大別して「国内ミステリのコミカライズ」「翻訳ミステリのコミカライズ」「オリジナルのミステリ漫画1」「同2」と4つのカテゴリで構成。それら各項目の中で、さらに細かく章立てされている。 ……これだったらそれぞれのカテゴリの中で(絶版か入手可能かを問わず)重要な&特徴のある作品を20作~30作ぐらいずつ選出して一作品につき数ページの構成で<作品の概要><書誌情報><探偵のキャラ><(ベースの小説があるものは)原作との比較><事件の梗概と謎の魅力><楽しみどころ>などの項目を設けたメイン記事として一本一本仔細に語った方がいい。 そして現状の<ただ情報を載っけました程度の記述で紹介された、大半の作品群>は、巻末に表組みの形でデータを詳しめに記載し、簡単な扱いで済ませちゃった方が良かったんでないの? と思う。だってそういうやや作り込んだ書誌ページで、<こんな作品がありました>と読者が学べば、あとはこの21世紀のネット文化のさなか、興味を持ったファンがそれぞれ自ずとwebとかで該当の本の情報を追っかけていくこともできるよね。それで今回の本書が為したような(ごく最低限の)情報の提示とその享受はクリアされる。 だからこの本、もっともっと面白く作れたような気がするんだよな。 その辺の不満が強くて、評点はちょっと辛めの4点……にしようかとも思ったのだが、後半を読み進めていくにつれて、それぞれのオリジナル作品への記述にはなかなかの充実感があって、いくらか見直した。 くわえて「結局はそこかい」と言われそうだが、とにかくこれだけのタイトルを読み、最低限でもその作品の情報を語れるという作者の読書量とサーチ能力は改めてスゴイ。知識だけじゃいい原稿は書けないが、いい原稿を書くには十全な知識(膨大な読書量)が必要という現実は、改めてこんな場で実感した。 それから今回取り上げられた800作品の中に、昭和ギャグ探偵ものは入ってなかったのだけれど(『カゲマン』とかは載っている)、この辺はコラムとかで(その辺は本書の謳う「本格ミステリ漫画」の本筋ではない系譜として、目配せ的でもいいから)もっと語っておいてほしかったという感もあったり。 まあ、今後また誰かが、<ミステリ漫画>というジャンルを語る本を書く際には前もって目を通しておくべき、そんな力作の一冊ではありますけれど。 |
No.356 | 5点 | ポケットは犯罪のために 武蔵野クライムストーリー- 浅暮三文 | 2018/06/19 03:12 |
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(ネタバレなし)
置き引きを生業とする男「中央線の銀次」はその日の午後二時頃、うたた寝する中年男の頭上の網棚から彼の鞄をかっぱらう。その鞄の中に入っていたのは、書籍一冊分のミステリ小説を綴った原稿用紙の束だった。銀次はその内容を一読し、この原稿を効率よく金に替える算段を考えるが……。 「メフィスト」誌に掲載された6本の単発ミステリ短編を、劇中作の小説として連続して並べ、それら各編の合間に、本書の刊行時に書き下ろされた新規キャラ・銀次のモノローグを入れてまとめた内容。まったく類似の前例がないわけではないが、ちょっと変った趣の連作ミステリである。ちなみにミステリ本編の第六話「五つのR」は、釣り好きの老人・村上の懐旧談を樫村青年と加藤刑事が聞く、この3人のやりとりで進行するのだが、コレは作者の別長編『殺しも鯖もMで始まる』の続編というか後日譚というか、とにかく同じシリーズでもあるらしい。 6本の内容の大半は殺人とは無縁で犯罪性&事件性も希薄な、いわゆる日常の謎ティストのものが基本。サクサク読めるが、そのなかのいくつかは良い意味で小味なトリッキィさで悪くない(遺言の謎を扱った「フライヤーを追え」、町行く人が一様に薔薇の花を持ってる謎「薔薇一輪」、いつも白シャツの男がなぜかその日に限って赤シャツを着て帰ってきた「五つのR」あたりが個人的にはなかなか面白かった)。最後に明かされる仕掛けに関しては、作者が読み手を面白がらせたいほどには残念ながら乗れず、いまいち不発という感じだが、まあ一冊そこそこ、そんなに悪くはない。 あえて不満といえば、表紙のねーちゃんみたいな、ぱんつ見せキャラが劇中にはっきりと登場しなかったことかな。そういうのもちょっぴり期待して読んだんだけど(笑)。 (ちなみに「五つのR」の中で、前述の村上爺さんが「最近の若い娘は、勝負パンツをどうのこうの」とかなんとか話題にするのだが、もしかしたらコレは、そのネタで描かれたジャケットカバーのイラストだったのだろうか)。 |
No.355 | 7点 | 狼殺し- クレイグ・トーマス | 2018/06/18 12:17 |
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(ネタバレなし)
1944年、ナチス制圧下のパリ。同地では連合国陣営の支援を受けた多数のレジスタンスが活動していたが、そのなかの一つに功績を重ねる共産主義者の集団「ロル部隊」があった。そんな彼らがいずれ戦後のフランスの行政内で邪魔になると考えた連合国側のタカ派「ウルフ・グループ」は、ロル部隊をわざとゲシュタポに逮捕させる。さらに嫌疑の信憑性を高めるため、英国人のレジスタンス集団「トロイ・グループ」からもロル部隊の協力者を逮捕させることになり、そのスケープゴートに選ばれたのは同グループのリーダー「アキレス」こと青年リチャード・ガードナーだった。強制収容所に移送される途中、決死の逃亡を成功させたガードナーは苦難の果てにパリに戻るが、そこで彼を待っていたのはさらなる仲間たちの裏切りであった。やがて終戦を経た1963年、かつての苦難の記憶を封じ込め、フランスの一角で事務弁護士として妻子とともに平穏な生活を営んでいたガードナーは、ある日、あることを契機に、心の奥に燻っていた怨念を一気に開放。かつて自分を窮地に陥れた黒幕を探す復讐行を突き進む。だがガードナーの戦いの裏には、何者かの何らかの思惑が蠢いていた。 パシフィカでの元版の刊行当時、北上次郎が絶賛したことで有名な活劇スパイ小説。以前から読もう読もうと思っていた作品の一つだが、やっと読了。とりあえずの率直な感想は「ああ、こういう作品だったのね」である(笑)。 まず思うのは、普通、こういう設定の作品なら、19年もの間、安穏な生活のなかで自分の秘めた憎悪の念をごまかしていたガードナーの内省をしっかり描き込み、その反動から中年(1963年時点で現在42歳)になって戦士として再び覚醒する彼の心の高揚をうたいあげれば良さそうなものだが、作者トーマスの筆致はその面では意外に淡泊。 だから読者視線では「なんでこの主人公、以前の恨みを時間のなかに自然消滅させなかったんだろう……」とも思ってしまう。この辺はかなりきわどい。もうこの時点で本作を不自然だ、主人公の原動の説得力に欠けていてつまらないと思う人は、見限ってしまうだろう。 またガードナーが今回の復讐のために立ちあがる契機も、たとえばこのタイミングで1944年当時に殺害された肉親や恋人の死の真実を知った~それで怒る、といったわかりやすいものでなく、あっさりといえばかなりあっさり。よく言えば抑制された筋運びだが、まあ、なんというか、意図的にわかりやすいドラマチックな活劇を避け、別のテンションで勝負しようとしている感がある。そう思って頭を切り替えると、本作の楽しみどころがなんとなくわかってくる。 名前の出てくる登場人物もメモを取ると端役も含めて70~80人に及び、物語半ばからの視点を切り替えながら、ガードナーの背後にひそむ謀略が徐々に露わになる。その一方で表面のドラマとしてはガードナーの黒幕に迫っていく復讐行が流れるように進んでいく。この潤滑感はそれなりの快感である。 実は謀略自体の実態は、驚愕ということもなく、ああ、そういうことなんでしょうね、という感じのものだが、確かに、ややこしくなった戦後の当時の国際政治の影を意識させ、その意味で感慨深い。 終盤、SISの部長ケネス・オーブリー(この人はトーマスのレギュラーキャラクターらしい)とガードナーのやりとりとそれ以降の展開にはハッとなったが、結局ガードナーはあまりにも(中略)だったわけで、その辺のアイロニーこそこの作品の核だろう。 優秀作、傑作と騒ぎ立てるまでのこともないが、スパイ小説のひとつの作法としてエスピオナージュファンなら一度は読んでおいた方がよい佳作~秀作。評点は0.2点くらいオマケしてこの点数。 ■今回は1986年に刊行の河出文庫版で読んだが、訳者あとがきでちょっとネタバレをしている。その点、これから読む人は気をつけてください。 |
No.354 | 5点 | 虚談- 京極夏彦 | 2018/06/14 16:51 |
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(ネタバレなし)
「談シリーズ」は今回が初読。 本書は「嘘」を主題にした一冊だそうで、全9編の短編が、それぞれ「僕」という人物(同一キャラらしいのもいれば、そうでないのもいる)が、ある人物と対話し、その流れの中で本当に実在するかそれとも……? という人外の存在や事象に向かい合う連作になっている。 (もうひとつ、連作の趣向として、全9本のタイトルがどれも、カタカナまたは平がなの3文字で統一されている。)いずれにしろ「嘘」というキーワードの用法は、かなり自在闊達ではある。 同じ主題で似たような設定のもとに話が続くと、どうしてもカブる部分は出てくるが、それをぎりぎりのところでうまく差別化している手際は、さすが京極先生。話術のうまい語り手から一定の安心感のもとに、古色豊かな(設定は現代の)怪談を聞かされる盤石なゾクゾク感がある。 ただ印象が弱い話もあるので、評点はちょっと辛めでこのくらいに。 マスターピースは人によって変るだろうが、個人的なベスト3は、日常の中に入ってくる狂気が、終盤でより深い妖しさの世界に分け入っていく「ベンチ」、幽霊のビジュアルキャラクターがなかなか強烈な「クラス」、話のロケーションと妖かしの異形感の取り混ぜが絶品な「キイロ」あたり。 なお第6話の「シノビ」は最後のオチで、怖いというより笑ってしまったが、これは綾辻の「館シリーズ」に例えるなら『人形館』的な、書き手も自覚したチェンジアップだろう(たぶん)。 ところで話変って『邪魅の雫』から早12年。そろそろ京極堂シリーズの新作長編は出ないものでしょうか(薔薇十字系ではなく、本家の)。 (いや、実を言うとその『邪魅の雫』は、この十数年のなかで、とにもかくにもどんな作品でも最後まで読むつもりの評者が途中で投げ出した数少ない一冊なんだけど~汗~。) それでも新作が出ればたぶん、いや必ず手に取ると思うので。 |
No.353 | 6点 | ウィッチハント・カーテンコール 超歴史的殺人事件- 紙城境介 | 2018/06/12 15:00 |
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(ネタバレなし)
魔法の探求が進み、その条理の大半がすでに明文化されている異世界・神聖インペリア帝国。そこの人々は「人間とは基本的に善性であり、殺人などの凶行を為した者は<異端者>として万民の目前で厳粛(残酷)に処罰されなければならない」という一定のルールのもとに日々を送っていた。ある日、帝国騎士団の準聖騎士である15歳の少年ウェルナー・バンフィールドは、現在世界で唯一の魔法研究家として高名な同じ年の天才美少女ルドヴィカ・ルカントーニの身辺警護を任される。だが帝国の歴史上の偉人「百年女王・フェニーチェ王」を祝う千周年記念の祭事の渦中、謎の発火事件が発生。ルドヴィカは自分の助手で姉のような少女アイダ・アングレージを炎の中に失った。しかし状況は他殺の態を示しながら、一方でその現場には当のアイダ以外の誰も入らず、また事前に仕掛けられた発火装置の類もない完全な? 「密室」であった。 ランドル・ギャレットの「ダーシー卿」シリーズ(評者はまだ中短編を1~2本しか読んでないが)を美少女異世界ラノベの枠にはめ込んだような長編ミステリ作品(バトルものでもあり、青春ドラマでもある)。 まあマイペースな天才美少女ヒロイン(本作の物語の一年前にも、その叡智で不可思議な凶悪殺人事件を解決しているという設定)とそのおもり役の男子主人公というキャラシフトは、まんま『GOSICK-ゴシック-』路線だが、その辺をもう<あまたのラノベ作品に定着したワンジャンル>と踏まえて読むなら、これはこれでなかなか良く出来ている。特にお仕着せの騎士道や常識ではなく、ヒロインの窮地を打開すべく自分自身が本当に為すべきことを見出していくウェルナーの描写は王道ながら熱い。本作のもうひとりのメインヒロインで、哀しい過去ゆえにかつての親友ルドヴィカに深い愛憎の念を向けるエルシリア・エルカ―ジの内省もよく描き込まれている。キャラ描写の面では異世界青春ラノベとして十分に堪能した。 それで肝心の密室トリックはこの世界観ならではのロジックを活かしたもので、設定との親和性、またその意味での説得力はある。インパクトを受ける人には十分衝撃的だろう。ただし個人的にはこの大ネタ自体には割と早めに察しがついたし、ほかの少なくない読者も先読みできる……だろうなあ。実際、広範な意味でのミステリ作品の中には、このアイデアは前例のあるものだし(もちろん、ネタバレになるのであんまり詳しくは書けないが)。 というか真相の解明まで、登場人物の誰も「その可能性」を口にしないのは読者視点で不自然な感じなんだよなあ。作中の人物たちには「それ」は想定しにくい事象ということかもしれんが、それならそれで劇中人物の思考にストッパーがかかる状況について、なんらかのイクスキューズは用意して欲しかった。 ただまあ、真相発覚後に世界観のビジョンがぐんと広がる辺りはこの作品のキモだろうし、さすがにその辺はしっかり描き込まれている。それに続くエピローグ的な部分でのキャラクタードラマ、さらに『六花の勇者』みたいにその一冊での大きな謎が解決したら、さらにクリフハンガー式に次の謎が生じるこのシリーズ構成などは悪くない。先述のようにメインキャラたちもそれなり以上によく書けているので、そろそろ続編を出してくれませんかね。 |
No.352 | 5点 | 首切り坂- 相原大輔 | 2018/06/11 17:27 |
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(ネタバレなし)
ジャケットカバー周りや巻末の解説で語られる通り、デビュー作品らしからぬこなれた文章はとても良かった。 しかし若竹七海のいう「お茶目なトリック」とは、むしろ「このネタを元に、何か新本格ミステリを書いてやりたいという欲求を刺激するワンアイデア」ではないだろうか。 個人的には、nukkamさんのおっしゃる「典型的な『トリックのためのトリック』」にすらなっていないのでは……という感じである。 誰かあと二十年くらいしてから、本書のそのくだんのネタと同じものをもっと不可思議な謎の提出や解決の意外性に組み込んだ、新作の謎解きミステリを書いてください。そのときはネタの盗用なんて言わない。上首尾にいったなら「これは「あの」『首○○坂』に対する輝かしきリベンジである、よくやってくれた!」と率先して賞賛しますw まあ全体的には、悪口ばかりじゃなく良い意味も含めて、これからもっともっと伸びるかもしれない(しれなかった)新鋭作家の習作という印象の一編だったなー。嫌いじゃないけれど。 |
No.351 | 7点 | 死刑執行人のセレナーデ- ウィリアム・アイリッシュ | 2018/06/10 17:20 |
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(ネタバレなし)
ニューヨークの青年刑事(27~28歳)チャンピオン(チャンプ)・プレスコットは凶悪犯を逮捕する際に銃撃を受けて重傷を負い、二ヶ月入院。退院後の今は一ヶ月の静養生活を送るため、田舎のジョセフズ・ヴィンヤード島を訪れていた。そこでプレスコットは同年代の美しい女流画家で、同じくニューヨーク出身のスザン・マーローと出会う。スザンに心惹かれるプレスコットだが、そんな彼が宿泊予定の下宿に着くやいなや、すでに5年も寄宿している老人アラム・パンションが首つり状態の死体で見つかった! だがそれは縊死自殺を擬装した殺人であるとすぐに判明。やがて事態は連続殺人事件に発展し、プレスコットと島の住民たちは、謎の殺人鬼の恐怖に晒されていく。 1951年の長編。私的に残り少なくなったアイリッシュ(ウールリッチ)の未読作品のひとつで、アタリの長編ももうそんなにないんだろうな……と思っていたが、これが予想以上に楽しめた(嬉)。 まあ、殺人事件が3件以上に及んでもマトモな捜査本部が設置されないリアリティの無さは、いくら50年代作品で舞台が僻地だからって、それはどうなの? というツッコミ感は生じる。さらにはNY出自の青年刑事&ヒロイン>田舎の物わかりの悪い連中という、いかにも「都会派」ウールリッチらしい思わず笑っちゃう人間関係の図式もある。 それでも、それぞれの変死の状況をひとつひとつ検証していくプレスコット(たち捜査陣)の奮闘がハイテンポに語られる一方、冤罪を掛けられて集団リンチに遭いかける頭の弱い若者を彼が身を盾にして助け出すという『ガラスの村』ライクな描写なども登場し、小説としては十分に面白い。 いつものノワール・センチメンタルなウールリッチ節はやや抑え気味だが、それでもロミオとジュリエット的な立場の村の恋人たちの密会場面など、ちゃんと抑えるところは抑えた演出がされている。 まあもともと評者はアイリッシュ(ウールリッチ)の<青年刑事主人公もの>って『夜は千の目を持つ』とか「高架殺人」とか「チャーリィは今夜もいない」とか総じてスキなのよね。作者の書きたい種類の人間味が、公僕の刑事というある種のストイックさを要求される職業のなかでこそ良くにじみ出る感じで。本作にしてもプレスコットとスザンとのラブコメ一歩手前の、古めの少女マンガ的な恋愛模様なんかすんごくいい。 ちなみに自分がこれまで読んできたアイリッシュ(ウールリッチ)作品のヒロインとして、スザンは結構上位に来る感じ(永遠の一番は『喪服のランデヴー』のドロシーで、次席は同じ作品の山場の<あの婦人警官>だが)。後半のスザンがプレスコットの推理と捜査を支える<夫婦探偵モノの女房キャラ>的なポジションにつくあたりなんか、なんかいかにもこの時代のアメリカンミステリらしいヒロインの陽性さで萌える。 しかしさらに作品後半、謎の連続殺人にからむミッシングリンクの謎が表面に出てきて、フーダニットの核となるのも「ほほぅ」という感じであった。いや手がかりの出し方の甘さなどパズラーとしては完璧とはいえないが、一体犯人がどういう動機で殺人を重ねているんだろうか? というホワイダニット。その真相の暗示はちゃんと作品前半から設けられており、こんな丁寧さも好ましい。肝心の犯人の意外性が希薄なのはナンだが、真相発覚後のキャラクタードラマの情感はその辺を十分に補う描写となっている。 ラストの「あー、中学生の頃に読んでおきたかった」と思いたくなるような、実にくすぐったいクロージングもエエ(笑)。 ちなみに本サイトの作品登録で本作は、当方のレビュー投稿前に「 クライム/倒叙 」に分類されてましたが、まったく違います。フーダニット、もしくはフーダニットの興味の強いサスペンスではないかと(手がかりや伏線から真相に至る経緯が少し弱く、スリリングな見せ場も多いので、どっちかと言えば後者か)。 評点は冷静に見れば6点くらいかもしれないけれど、予期した以上にアイリッシュ(ウールリッチ)作品らしかったという喜びも込めてもう1点おまけ。 ※追記(2018/06/11)どなたかが協力して「サスペンス」に投票くださったようで、カテゴリー分類が変更されていました。ありがとうございました。(^_^) |
No.350 | 7点 | 巨神計画- シルヴァン・ヌーヴェル | 2018/06/07 04:09 |
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(ネタバレなし)
アメリカの片田舎。自転車に乗っていた11歳の科学好き少女ローズ・フランクリンは、突如陥没した地中に落下する。重傷を負うはずの彼女はほぼ無傷で、地下空洞内に埋まっていた、約6メートルの巨大な金属の掌の上にいた。やがて時が経ち27歳の新鋭物理学者となったローズは、その巨大な手が地球上にほぼ存在しない物質=隕石のみから採取されるイリジウムで構成されること、またその他の研究結果から、それが約6000年前にどこか外宇宙の異星文明が地球にもたらした巨大ロボットの一部だと認めていた。アメリカ政府内の極秘プロジェクトスタッフの後見を受けてローズとその仲間たちのさらなる解析が進む一方、地球の各地からイリジウムの反応を手がかりに、分散した巨大ロボのパーツが極秘裏に、時に半ば強行的な手段で、ひとつひとつ回収されてゆく。やがて復元される約60メートルの女神状のロボット「テーミス」。だがその存在は地球文明に、新たな転換期の到来を告げていた。 2016年に北米で刊行されたばかりの、まだほやほやの巨大ロボットSF(邦訳は文庫で上下巻の二分冊)。とはいえSF文芸そのものは良くも悪くも50年代のクラシック作品っぽくて、その分、自分のようなSFプロパーでない読者にはとてもなじみやすい。 ちなみに作者は本作を、かつて同地で翻訳放映されたTVアニメ『UFOロボ グレンダイザー』からのインスパイアで書いたそうだが、むしろ、発掘される巨大ロボ、人類の制御を越えたその超兵器ぶり・・・これはズバリ『イデオン』だな。昨年の国内の某ホラー作品の大ネタといい、昨今は世界同時多発で伝説巨神(巨人)ブームなのだろーか。 んでもってこういう世界を股に掛けたお話だから、さぞ登場人物の頭数も膨大なものになるだろうと覚悟したが、名前が登場するキャラの全部でもわずか20人前後。しかもメインキャラはその半分という、予想外にストレスの生じない作劇にびっくりした! しかもその少ない主要人物だけで、隔離された巨大ロボ研究解析の場という特殊状況の中に生じるキャラクタードラマを起伏感豊かに叙述。さらにその一方で、着々と巨大ロボが組み上がり、同時に壮大な世界観のビジョンが広がっていく過程を緊張感たっぷりに見せていく。うん、これは面白い。 特に上巻の前半、巨大ロボのある部分の発掘時に地表に生じてしまった予期せぬ大惨事、さらに下巻冒頭の、そこまでの経緯をあえて省略する演出で描かれる一大クライシスの図など、正に小説という形式で語った和製巨大ロボットアニメ風の超パワー描写である。自分のような、そっちの系列の映像作品がスキな人間には、ああ、たまらない(笑)。 まあ細部までツッコむと、けっこう重要な描写(作中のリアリティにおいて、そこんとこはどうなったんだろう・・・というある種の疑問が生じる箇所)など都合良く曖昧にされているのか? という箇所も無きにしもあらずだが、得点的には、十分楽しめた。 なお小説はその全編が、巨大ロボ復元プロジェクトの中核にいる本名未詳の人物が関係者から採取したインタビュー記録を並べる形で綴られる。若干、わずらわしく、物語の潤滑さを妨げている部分もあるが、総体的には本作の独自性を打ち出し、なかなか面白い効果をあげているだろう。 今月、翻訳刊行される第二部(やはり上下巻)にも期待しております。 |
No.349 | 5点 | 月あかりの殺人者- フランシス・ディドロ | 2018/06/04 12:04 |
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(ネタバレなし)
その年の3月。パリでは「月のあかりで、ピエロさん~」という流行歌を口ずさみながら、乞食、そして資産家の老婦人といった無関係に思える被害者たちを次々と殺める謎の殺人鬼「月あかりの殺人者」の凶行が、市民をおびやかしていた。そんななか、老富豪マテオ・シェルメスが「月あかりの殺人者」の犯行と思われる状況で殺されるが、逮捕されたのはシェルメスの甥の青年マルタン・オノレ・ドランゲルだった。彼こそ「月あかりの殺人者」か? と取り調べが進むなか、マルタンの婚約者である美人の令嬢マリー・ダニエル・パルマレーヌは、躍進中の若手弁護士に恋人への助力を求めて依頼に赴く。だがマリーの勘違いから、依頼は同じ建物のなかにある暇な諸般代行人(よろずトラブル請負人)の青年「ドゥーブルブラン」ことゼローム・ブランのもとに持ち込まれた。これは仕事になるとしてこの件に食いついたドゥーブルブランは、錯覚に気づいたマリーを言葉巧みに説得し、美人の秘書ナターシャ(ナット)とともに事件の調査に乗り出すが……。 1949年に原書が刊行された、フーダニットの興味も強いフランスミステリ。作者ディドロは数年前に論創で発掘紹介(もちろん初訳)された『七人目の陪審員』 がかなり面白かったので、この作品も期待しながら古書でポケミスを購入した。 しかし、うーん……気の利いたユーモラスな導入部や、キャラの立った一部の劇中人物たちをはじめとして面白い感触のところはいくつもあるんだけど、全体としてはどうもイマイチ。200ページといかにもフランスミステリ風の短めの紙幅のなかに登場人物の頭数が多すぎ、作劇の流れ&ミステリの結構として一応の納得はするものの、総体的に人間関係がややこしい。 あと翻訳者が井上勇。いうまでもなく翻訳ミステリファンには創元のヴァン・ダインやルブラン、クロフツやクイーンやマッギヴァーンなど多数の訳書で著名な人物だが、ポケミスでの仕事はたぶんこれが唯一のハズ(一応、Amazonの名前検索で確認はした)。このスタッフィングにもちょっと驚いて、話のネタ的に貴重なものを読んだ気にもなった。しかし本書は肝心のその翻訳が、ところどころ微妙に読みにくい。特に会話や地の文にまじる「≪≫」の使い方など一種の演出効果なんだろうけれど、イライラさせられた。 それで物語そのものでは、真犯人の隠し方、そこに至る経緯などはやや強引だが、うんまあ、しゃれっ気を優先する(刊行当時の)現代フランスミステリなら、こういう感じかなという印象。その辺は嫌いではない。 ちなみにドゥーブルブランとナターシャの主人公コンビ。彼らは、ドゥーブルブランの実質的な従僕であるもう一人の秘書の前科者オスカール・ナタリーとともに事件を追うが、行動派の秘書であちこちを飛び回るナターシャのキャラクターは、マイク・ハマーにとってのヴェルマみたいでなかなかステキ。 なおドゥーブルブランとは恋人関係というわけではないけれど、彼の方はナターシャの女性的魅力をちゃんと分かっている。ドゥーブルブランがナタリーを郵便局に使いに行かせて事務所に二人きりになったタイミングで、彼がナターシャにセクハラを仕掛け(衣服のジッパーを下ろす)、ナターシャが「いつものように嫌がりながらも黙って耐える」などという描写など、ああイヤらしい&しかしながら実に萌える(爆!)。結局シリーズキャラクターにはならなかったみたいなのが、とても残念である。 |
No.348 | 9点 | 大放浪- 田中光二 | 2018/06/03 13:47 |
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いびつな選民意識と狂的な浄化思想から世界中に同時多発のバイオテロを起こし、全人類の大半を死に至らしめた大富豪とそのシンパたち。彼らは21世紀のノアの箱舟と称する最新科学の巨大飛行船「タイタン」で、壊滅した地上を睥睨しながら全世界の空を航行する。一度はその集団に迎えられながらも自分の意志でそこから離脱した主人公の若者は、人類再生を求めて行動する超国家組織「ヴェンデッタ」に参加。原子力潜水艦「アーマゲドン」を拠点に、タイタン内に秘匿されるはずの、人類救済の鍵となるワクチンを求めて世界中を追い続ける。
『異星の人』『白熱』『南十字戦線』などなど……1970年代後半~80年代半ばにかけてジャンルを問わずに傑作・秀作を世に出した、当時の俊英・田中光二の代表作のひとつ。 先に挙げたタイトルの作品はみんな大好きだが、刊行当時からSFファン&冒険小説ファンのあいだで高い評価を受けて話題となり、さらに内容紹介を読んで評者の心の琴線にも触れていたこの一冊は、なぜか今まで読み逃していた。 たぶんいつか読もう読もうと思いつつ、時代の隆盛のなかから創作者としての田中光二の勇名が薄れてしまった印象があったからだと思う。 まあ田中光二にしたって全部が傑作というわけではなく、佳作~凡作レベルのものも当時からそれなりにあったのだけれど。 しかしこれは、今さらながらに読んで本当に良かった。 設定はもろ大先輩・小松左京の『復活の日』リスペクトだろうが、その器のなかで自分ならこうする、こういうドラマやビジョンを語る! という作者の若く熱い思いがみなぎっている大ロマンである。 神に近づこうとするエリートの醜悪ながらどこかもの哀しい想念も、主人公とその仲間に人類の明日を託して自分の人生を終えていく者たちの切実な思いも、他者を犠牲にしても自分だけ助かりたいという狡猾な、しかし決して誰にも責めることのできない人間の嘘偽りのない根幹的な本音も、あまねく盛り込まれている。 文体がとても平明で物語の流れも潤滑。その分、追跡行を続ける「ヴェンデッタ」側に都合が良さげに見えるシーンもないではないのだが、作者の方もその辺の危うさはちゃんと心得ていて、当該のそれぞれの場面には情感あふれるドラマもしくは小~中規模のクライシスを用意。何事かが結果的に上首尾に運ぶ際にも、劇中人物も読者も何かしらの心情的な代価を払わなければならないように物語を組み立てている。 物語全体のシンボルとなるポジションを与えられた巨大飛行船タイタンの、メカニックとしてのキャラクターもとても良い。 SF冒険小説の傑作で畢生のエンターテインメント。 |
No.347 | 7点 | 魔が解き放たれる夜に- メアリ・H・クラーク | 2018/06/02 03:16 |
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(ネタバレなし)
「わたし」こと30歳の女性事件記者エリー・キャヴァナーは、7歳の時に当時15歳の仲の良い姉アンドリアを殺害された傷ましい過去があった。悲劇の禍根の果てに家庭は崩壊して両親は離婚し、母は病死。エリーはその半生で、さらに心に深い傷を負いながら成長してきた。そして23年目の現在、事件直後にアンドリア殺害の犯人として逮捕され、刑務所に長期服役していた姉の元ボーイフレンド、ロブ・ウェスターフィールドの初めての保釈が決まる。しかも時を合わせて当時の証人が証言を覆し、ウェスタ―フィールドは冤罪では? という世論まで高まってきた。事件の状況を何度も検証し、ウェスターフィールドが殺人犯という確信を固く抱き続けるエリーは、23年前の事件の真犯人は彼だという再度の証拠固めを始める。だが調査活動を進めるなかで、何者かの妨害の影が……。 私的に、本当に久々のM・H・クラークである。実は本書は10年以上前に遠出した際、帰りの電車の中で読もうと先方の新刊書店で購入。しかしその時は成り行きから手をつけず、今回初めて未読の蔵書のなかから引っ張り出して通読したのだった。 個人的に、もともとクラーク作品は、日本に初紹介されたデビュー作『誰かが見ている』以降の初期数作を楽しんだ。しかしその後、どれを読んでも一定以上に面白い安定感にかえって刺激と求心力が薄れ、著作から離れていた(だから本サイトのminiさんの『誰かが見ている』評などには本当に共感できる)。 とはいえまあ、クラークの未読の作品ならまず面白いだろうなという信頼感はその後も継続はしていたので、十数年前の帰宅時の旅路用に(一種の安全パイとして)購入したわけだった。 それで今回、それからさらに十数年後「んー、たまにはクラークもいいかな」と思ってページをめくり始めたら、ああああああ、やっぱり面白い(笑)。 自分自身がかなり長い歳月、クラーク作品に触れていなかったために良い感じに新鮮かつ懐かしかったということもあるが、何よりクラーク自身がちゃんと21世紀の時代と寝ていることも大きい。 作中にweb文化=ジャーナリストのホームページなどの現代ツールを導入するなど、80年代のクラークなら考えられなかった(そりゃそうだ)新味も披露。その手の前向きさが快い効果を上げている。 エリーは23年前の姉殺害事件の再調査の進捗状況や、改めて集めた情報をかなりあからさまに新設したホームページにさらして世間の関心を刺激。まだまだ世の中にひそかに潜み続けているかもしれない真実を広く公募する。だがこれに対抗して、とにもかくにも保釈となったウェスターフィールド側もサイトを開設。悲劇の冤罪者の立場を演出し、さらには事件当時はまだ幼かったエリーの証言への不審や、果ては彼女当人へのえげつない人格攻撃まで実行。双方のサイトは合戦模様になる。 まさか(作家的にはふた昔前の大物と思っていた)クラーク作品でこういうものを読めるとは、と驚いて嬉しくなった(笑)。まるで久々にあった昔の彼女がちゃんと今風の装いとメイクを心得ていて、以前とは違う種類の、しかし変わらないレベルの美しさを披露してくれるような喜びだ(笑)。 そんな良い意味でわかりやすい現代性を端緒に、本作はおおむね総体的にビビッドな感触。正に巻置くにたまわざるオモシロさである。 当然、読者の目線的には「はたして、エリーの頑なな疑念は本当に的確なものなのか?」「彼女は最終的に、どういう真相を探り当てるのか…!?」という思いも自然に芽生える訳だが、大丈夫、クラークはその辺もちゃんと作劇要素に組み込んである(もちろん最後にどういう結末に着地するかは、ここでは書かないが)。 リーダビリティは安定して高く、端役もふくめて70人以上に及ぶ登場人物を読み手のストレスを招くことなく書き分けている、そんな筆致も快い。 (エリーを見守る人々の、心に染みるキャラクター描写も少なくない。) まあ良くも悪くも読者を引き回すハイテンポな筋立てで、あまり推理や思索の要素はないのはナンだが、こういう形質での面白さを追求するなら、それはそれで良い、という感じ。 この一冊でクラーク作品は久々にお腹いっぱいに楽しんだ思いだが、いつかしばらくしてこの安定感がまた恋しくなったら、未読の別の作品も手に取ってみよう。 ※追記:全体的にとても読みやすい流麗な訳文ではあったけど、 ■363ページの5行目: ミセス・ストローベル(誤) ミセス・ヒルマー (正) 話し手と、話題に出てくる女性の名前がごっちゃになってますな。 いつか機会があったら、訂正しておいてください。 |