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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2048件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.428 5点 十二人の少女像- シェーン・マーティン 2018/11/12 14:29
(ネタバレなし)
 その年の十月末のロンドン。66歳の考古学者ロナルド・チャリス教授は、懐旧の念に駆られて数年前に他界した友人ジョン・バリントンが暮らしていた屋敷に足を運ぶ。バリントンの未亡人エリカは再婚して去り、現在の屋敷はアメリカの青年建築家ブランドン・フレットの住居となっていた。フレットの厚意で懐かしい邸内を見せてもらった教授は、庭にすこぶる印象的な十二人の美少女の彫像が置かれているのに気がつく。フレットの説明によると、それは先の住人のフランス人で評判の若手彫刻家ポール・グラッセの作だという。だがそのグラッセ当人は半年前、大規模な美術展への参加直前になぜか謎の失踪を遂げていた。グラッセの行方に関心を持つ教授。これがチャリス教授の、数カ国を股にかけた冒険と謎解きの旅の始まりだった。

 1957年の英国作品。創元の旧クライムクラブのなかでまだ未読の一冊を、内容もまったく知らないままに読んでみた。そしたら中味は、英国~フランス~地中海と舞台を転々とさせる、年輩アマチュア探偵の冒険スリラーであった。
 とはいえさすがに老境の教授のみに冒険&活劇物語の全パートを担当させる訳にもいかず、グラッセの元カノ(みたいな)だったお嬢さまのポリー・ソレルや、グラッセ当人の弟シャルルなども準主役となり、場面場面ごとに彼ら彼女らの視点からの活躍を見せる。
 さる事情から兄の方のグラッセに追撃の手をかけるフレットの思惑や、本書のタイトルロールである少女像のモデルとなった女性たちのいくつかの逸話、教授に力を貸してくれるサブキャラの扱いなどなど、キャラクター描写全般になんか妙な艶っぽさはあるが、筋運びは割とストレート。地味な感じを受けないでもない。
 それゆえ最後までこのまま終るのかな……と思っていたが、終盤に割と大きな仕掛けが連続してあり、最終的にはそれなりに楽しめる作品だった。
 50年代当時の英国冒険スリラーとしては、多彩な異国情緒の妙味もふくめて佳作クラスであろう。

 ちなみに巻末の植草甚一の解説(『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』にも収録されているハズ)によると、チャリス教授は作者のシリーズキャラクターらしい。本書が作者のデビュー作で、当然シリーズ第一作。
 他の作品では、助手である若い女性と行動する話もあるとのこと。こういうじいちゃんキャラの冒険ミステリというのはいかにも英国作品っぽく、そっちも面白そうだというのならちょっと他の冒険録にも触れてみたい。

No.427 5点 熱砂の渇き- 西東登 2018/11/11 20:24
(ネタバレなし)
 ある日の早朝、都内の「T動物公園」内で、中年男の変死体が発見される。男の素性は五井物産の部長・大田原正と判明するが、彼は大の男7~8人分の強烈な力を受けて圧殺されていた。動物園内のゴリラかオランウータンかの仕業かとも思われるが確たる証拠はあがらず、捜査は難航する。それと前後して、大手M新聞系列の夕刊新聞「夕刊トーキョー」の編集部に一人のアフリカ帰りの男が来訪した。夕刊トーキョーはかねてより会社独自の娯楽興業を続々と企画し、そのメイキング&ルポ記事を紙面の大きな柱としていた。そんな同紙に高森善太郎なるくだんの男が持ち込んだ企画は、日本で初めての公式・駝鳥レースの開催だった。これに関心を示した夕刊トーキョーの編集局長、堂本だが……。

 作者の第四長編。現時点でAmazonに書誌データの登録はないが、奥付(初版)の刊行日は1971年6月20日。仁木悦子の『冷えきった街』や森村誠一の『密閉山脈』などと並んで、当時の講談社の企画ものの叢書「乱歩賞作家書き下ろしシリーズ」のラインナップ内で刊行された一冊。
 元版の刊行以降は文庫にもなっていないと思うマイナーな作品だが、当時のミステリマガジンの月評にはちゃんと取り上げられており<国内で開催されるダチョウの公式レースにからむ殺人事件>という、本書独自の趣向はソコで昔から覚えていた(とはいえくだんのHMMのレビューで、本作を誉めていたかそうでなかったかは、もうちょっと記憶にない~汗~)。ちなみに改めて言うまでも無いだろうが、T動物公園は実在の多摩動物公園がモデル。

 序盤で提示された不可思議な殺人事件が、どうやらそっちの方がメインストリームらしい駝鳥レースの話題にどう絡み合っていくのか、そしてくだんの怪死のトリックはナンなのか、という二つの興味でそれなりに読ませるが、中盤で登場人物の人間関係が見えてくると最後までの大方の流れは透けてしまう。そこら辺はちょっと弱い(あと、フェアプレイを狙ったのであろう冒頭からのいくつかの叙述も、悪い意味でわかりやす過ぎる)。
 西東作品はあまり読んでなくて、長編は実は本書が初読だが、噂に聞く動物に強いということはよく分かった。終盤、事件の奥底がもう一段二段、秘めた部分をさらすのは、この作品の工夫として評価してもいいかも。

No.426 6点 牟家殺人事件- 魔子鬼一 2018/11/10 17:19
(ネタバレなし)
1940年代。太平洋戦争時下の北京。4年間の日本留学から帰国した菜種問屋の後継ぎ、トン・ジャアウォン(実際の本文では漢字表記・以下同)青年は、幼なじみで西洋文化に憧れる19歳の娘フンミンと再会する。フンミンの父のムウ(牟)ファションは戦争景気でいっきに財を増やした大実業家で、現在の自宅の豪邸にはフンミンの実母の第二夫人をふくめて、のべ4人の夫人と同居していた。さらに居候の親族や多数の従僕を住まわせて賑わう牟家だが、そこで起こるのは奇妙な密室殺人を含む、何者かによる連続殺人の惨劇であった。

 題名の読み方は「牟家(ムウチャア)殺人事件」。
 ミステリー文学資料館編集の復刻発掘アンソロジー路線の一冊『「宝石」一九五〇』の巻頭に収録(初の書籍化)された、短めの長編パズラー(光文社文庫で210ページ強。400字詰め原稿用紙換算なら300~400枚くらい?)。
 本作の作者・魔子鬼一(まこきいち)は、マニアには有名なミステリ関係の自主刊行物を発行している古書店・盛林堂から近年、復刻短編集が出ていて、評者はそれで名前を知った。ちなみに本作は、作者の唯一のまともな謎解き長編作品のようである。
 文庫『「宝石」一九五〇』巻末の山前謙氏の解説によると、本作は1950年の「宝石」4月号に一挙掲載。当時は1949年にGHQの用紙統制が緩和された直後の時節で、その影響もあって「宝石」本誌もページ数がボリュームアップ化の一途。くだんの1950年4月号には岡田鯱彦の『薫大将と匂の宮』と本作、同時に二長編がいっきょに掲載されたそうである。なんというゼータクな時代(笑)。あるいはそういう豪快な編集&経営を続けていたから、鮎川哲也にも賞金が払えなかったのであろうか(実際のところはよく知らんが)。

 それで中味だが、特殊な舞台設定の本作は、当然のごとく登場人物は全員が中国名の漢字表記。フツーならとても敷居が高い作品なのだが、評者は今年、例の漢文ミステリの話題作、陸秋槎の『元年春之祭』を少し前に読了したところ。だからこっちも、同様にナンとかなるだろと手に取った(笑)。
 それでも念のため、下準備として、文庫の巻頭にある登場人物一覧表を周囲の余白大きめにコピーしておき、そこに人物のメモを書き込みながら読んだ。このおかげで最後まで読み終えるのにまったく問題はない。
(しかしなんかこの人名表、特に不要な人物まで載っている気もしたが……。)
 
 肝心の筋運びは輪堂寺耀の快作(怪作)『十二人の抹殺者』を想起させる、豪快なまでに関係者が立て続けに死んで(殺されて)いく連続殺人劇パズラーで、良くも悪くも芝居がかった外連味がとても好ましい。登場人物の造形も特に中国っぽさは感じられないが、その分主要人物のキャラクターがそれぞれ平明に語られ、そんな叙述を拾いながら情報を消化していくうちにページはどんどん進んでいく。テンポはとても良い。

 でもって最後に明かされる真相は……うん、まあ……これはたしかに21世紀まで60年間眠っていた幻の作品だねえ(苦笑)。
 いや、作者がどうやって読み手を驚かせようとしたかの狙いそのものは理解できるし、その構想そのものは悪くなかったと思う。クリスティーのよく使う仕掛けもちょっと連想させる。
 ただまあその意外性を盛り上げる演出としての伏線や下ごしらえに、まるで気を使ってないというか。
 犯人はその動機で最後まで計画を完遂したら、結局……(中略)とか、密室殺人のトリックってコレですか……とか、終盤に明かされるあの登場人物のキャラクター設定はなんの意味があったのか……とか、ツッコミどころも満載。
 なんかミステリを語りたい心は最低限持っていながら、それが送り手の中でちゃんと育つ前に一本書いちゃったというような作品だった。
 まあそんな一方で、読んでる間はなかなか楽しめたのも事実。
 作品総体としては誉めにくいんだけれど、どっか愛せる一編ではある。

No.425 9点 その男キリイ- ドナルド・E・ウェストレイク 2018/11/09 10:38
(ネタバレなし)
「ぼく」こと、3年間の軍隊生活を経て今は大学で経済学を学ぶ24歳の青年ポール・スタンディッシュ。彼は恩師リードマン博士の斡旋を受けて、全米に万単位の構成員をもつ「機械工労働者組合」(AAMST)での現場実習に就く。ポールは、自分の大学の先輩で花形スポーツ選手だった38歳の組合員ウォルター・キリイとともに、地方の小都市ウィットバーグに赴いた。そこは町で最大の企業マッキンタイヤー製靴会社が権勢を振るう世界。今回は、同社の従業員チャールズ・ハミルトンが、代替りした現在の雇用側の横暴について、先だっての手紙でAAMSTに相談を持ちかけていたのだった。だがキリイとともに町に着いたポールは、そこで彼の予想を超えた事態に向かいあうことになる。

 1963年のアメリカ作品で、ウェストレイクの第四長編。先日、自宅の書庫を漁っていたら未読のウェストレイクの初期作が何冊か出てきたので、どれにするか迷った末にこれを読んだ。手に取ったのは、ハヤカワミステリ文庫版。
 キナ臭さの漂う地方都市に乗り込んだ主人公(たち)、という『血の収穫』『青いジャングル』などを想起させる設定で、雇用側の金持ちと労働者階級の相克、労組のありようなどの主題にも自然に筆が及び、その辺りについても現地で起きた犯罪事件を介して、ポールの視点から丁寧に綴っていく。若き日のウェストレイク、多少なれども当時の左翼的な思いを込めた、彼なりのルサンチマン吐露の面もある作品かな……と思って読み進めると、この長編は終盤であまりにも鮮やかに、その趣と狙いを変えた。すべては作者の計算の内である。
 ネタバレになるのでこれ以上の多くは言いたくない。

 ミステリ(広義の)を読むことは恒常的に楽しい作業だが、特にこういう一冊に出合うことで、本当にその思いは倍加する。ビルディングスロマンの青春小説として、社会派ドラマとして、ハードボイルドのスピリットとして、そしてそれらもろもろの要素を踏まえた謎解きミステリとして正に傑作。

余談1:最後の数行は何十年も前に、先に訳者あとがきを読んだ際にたまたま目にしてしまい、あまりにも印象的なフレーズだったので、作品の中味は未読のまま、ずっと心にひっかかっていた。実はそのフレーズから逆算して、勝手に頭のなかで、聞きかじったこの作品の序盤の設定と組み合わせ、なんとなくこういう話になるんじゃないかな、と全体図を描いていたところもあったのだが、そんな浅慮な予見は良い意味で大きく裏切られた。思いついて今回読んでみて本当に良かった。
余談2:ミステリ文庫版での丸本聡明の訳者あとがきは、文庫版刊行の際に新規に追加した一文で、元版ポケミス刊行時からその時点に至っての述懐を綴ったものだが、これも地味に泣ける。いろいろな意味で人の心を刺激する一冊である。

No.424 6点 奇跡のお茶事件- レスリイ・チャータリス 2018/11/06 19:45
(ネタバレなし)
『奇跡のお茶事件』
 裏社会の犯罪者にして冒険児である「聖者(セイント)」こと青年サイモン・テンプラー。
 彼とくされ縁があるロンドン警視庁の警部クロード・ユースティス・ティールは、くだんの「聖者」を捕縛できない苦渋もあって胃を痛めていた。そんな時、ラジオから流れるCM。それはロンドンのオスペット薬局が独自に売り出した、胃病などに効く飲料物「奇跡のお茶」の宣伝だった。騙されたと思って薬局に赴き、お茶の葉を購入するティール警部だが、その帰路、何者かがなぜか警部を襲う。偶然、現場を通りかかった「聖者」は負傷した警部を救うが、これがさらに意外な事件へと……。
『ホグスボサム事件』
「国民公徳心振興会」の代表を務める人物エビニーザ・ホグスボサム。世の中に高潔なモラルを訴える彼の存在は、ロンドン界隈でいまや時の人となっていた。そんなホグスボサムの言動にどこか胡散臭さを感じた「聖者」は、部下の米国人ホッピイ・ユニアッツとともに相手の屋敷に忍び込む。だがそこで「聖者」たちが目にしたのは、ホグスボサムならぬ別の人物が椅子に縛られ、暗黒街の人間に拷問されかかる現場だった。

 あくどい金持ち相手に窃盗や強盗もするが弱者は狙わず、一方で非道な裏社会の犯罪者の排除も行う「聖者」シリーズ、その中編二本を収録した一冊。原書ではこの中編二本はどちらも、1938年(1939年説もあり)刊行の中短編集「Follow the Saint」に収録らしい。

 今回、なんか急にチャータリス=「聖者」が読みたくなった(我ながらなんでだろ~笑~)ものの、大昔に購入しているハズの邦訳長編二冊(ポケミスと六興)が家の中から出てこない。じゃあ……ということで、Amazonで値下げされていた本書の古本を通販で買った。あら、翻訳が黒沼健。これは面白そうということで、本が家に届いてからすぐ読んだ。

 チャータリスの「聖者」は、ミステリマガジンで短編を何作か読んでるはずだが、たぶんまとまった形で読むのはこれが初めて。もしかしたら大昔に集英社かどっかの児童向けリライトを一冊読んでいるかもしれないが、少なくともその内容は(万が一読んでいたとしても)ほとんど忘れてしまっている。
(ただしその児童書版の翻訳リライト担当者がエラくマジメな人で<「聖者」はヒーローといっても結局は悪人なのだ、彼はいつか銃弾を受けて死なねばならないのだ>と前書きか後書きかで年少の読者向けに主張していたのだけは、よく覚えている。)

 それで本書だが、古い翻訳ながら期待通りに黒沼健の訳文はめちゃくちゃテンポがよく、いっきに中編二本を読んでしまった。いや、なかなか面白い。非道なことは決してしないが、悪人相手なら拷問までする(実際にはそのふりだけだが)、恋人パトリシア・ホームが叔母さんに会いに行く際、遺産目当ての打算だねとか厨二の不良みたいな悪擦れしたジョークを言う「聖者」はキャラクターの幅があってよい。少なくともお行儀の良さに縛られる紳士犯罪者ではない。
 ストーリーの方も謎解きミステリとしての結構を誇るのはムリだが、それぞれ程よく意外な事件の真相が設けられ、そこに向かって聖者(と少人数の仲間たち)が活劇を交えながら迫っていく筋運びもハイテンポで良い。一番わかりやすい例えでいうなら、ホームズ譚の<謎解きの興味もある、活劇よりのエピソード>、あの辺に近い。
 まあご都合主義的にうまく登場人物がからみ過ぎる部分もないではないが、そこはそこ、娯楽活劇の旧作としての許容範囲である。たまにはこういうのも良い。
(ただ『ホグスボサム』のラスト、作者が読者目線での痛快さを狙ったのはよくわかるが、冷静に考えるとこの「聖者」の行為は行き過ぎだよね~もちろん、ここであまり詳しくは言えんが。) 

 ちなみに本作(新潮文庫の本書)は黒沼健の後書きによると、先に日本出版共同から刊行された『聖者対警視庁』と同様の内容だそうだが、チャータリスの未訳の原書のなかに和訳するとまんまその邦題(「聖者対警視庁」)になる作品(1932年の「The Holy Terror」。この米国版の題名が「The Saint vs. Scotland Yard」)があり、そっちが今後紹介される可能性を考えて、本書はこの文庫版刊行の時点で改題したという。
 とても行き届いた配慮だったけれど、結局、半世紀以上経った21世紀の今になっても、該当の作品はまだマトモには未訳のままなんだよなあ(苦笑)。
(ジュブナイル版としては『あかつきの怪人』の邦題で、あかね書房から出ていたみたいだが。)
 んー、チャータリスの未訳作で面白そうなのがあったら、やはり論創さんあたりで今からでも発掘してくれないものか。

No.423 6点 少女は黄昏に住む マコトとコトノの事件簿- 山田彩人 2018/11/05 17:00
(ネタバレなし)
 童顔で高校生に間違えられる25歳の刑事・姫川誠。彼は難事件を名推理で解決することから上司の女性刑事・桃井香住などから「名探偵マコちゃん」の愛称を授かっていた。だが人々は知らない。実際の名探偵は誠本人ではなく、彼の師であり親代わりだった今は引退した刑事・綾川伸吾の一人娘、引きこもりで性格最悪のオタク美少女・琴乃だということを……。

 先日、Twitterでのさる噂に接し、それによると香港映画界で活躍中の脚本家フェリックス・チョンが、日本のミステリが好きで、特にご贔屓の作家は横溝、清張、それに「ヤマダ」と申したそうな。インタビュアーは詳細を追いかけるのはスルーしたのだが、そのヤマダが風太郎なのか正紀かが気になる、まさか悠介じゃあるまいな、とは、この件をTwitterで話題にした某氏の弁。
 そこで思いついて「ヤマダ」ってミステリ作家、まだいたよね……と自分が今回手に取ったのが、本書である。いや本サイトでもこの作品のレビューはまだ無いし、表紙のヒロイン(琴乃)がなかなか可愛いので。
 あー、限りなくスーダラに読む本のセレクトをしてしまったぜ(笑)。

 そんな訳で今をときめく鮎川哲也賞、その受賞作家の一人であるこの作者の著作を読むのはこれが初めてなのだが、内容は全5編の連作短編謎解きミステリ。事件の捜査現場に琴乃が足を運ばない安楽椅子探偵ものが基調だが、第4話での大雪時のバス周辺の殺人事件など、主人公コンビの直近で事件が起きる例外的なものもある。
 各容疑者が犯行可能かの可能性を絞り込み、あるいは事件の真相を仮想してそこから演繹的に真犯人を追い求めていく手順は総じて手堅いし、第1話や第5話の密室トリックなど現実に本当に可能かは微妙なれど、ビジュアル的にそれぞれちょっと面白い創意のものがあるのも悪くない(第1話の方はどこかで見たネタのバリエーションという気がしないでもないが)。さらに第4話の琴乃の逆説論理なんか、なかなか豪快だし。

 ただまあちょっと不満なのは、堅実なライトパズラーなのは良いとして、これって設定からしても一応はキャラクターものミステリの仕様なんだよね? あまりにも主人公コンビの関係性がサバサバしたまま終る。フツーの腐れツンデレラブコメにしたくないという送り手の矜持はまあよしとしても、もうちょっと潤いがあってもいいんじゃないの? なんのためにこんなラノベチックなキャラ設定にしたのかほとんど意味がない。編集サンにキャラ受けする設定で書いてねと枠組みを押しつけられ、そのままキャラ同士のかけあいを活かせないままに一冊分できてしまった。あるいはラブコメにしたら負けだと思ってしまった結果であろうか。万が一もしそうだったとしたら、そういった方向で肩肘張ってもつまらんな、という感じなのだが。できればシリーズの続刊で主人公コンビの関係を、ごくうっすらとでもいいから深めてほしい。

No.422 4点 ヴェルフラージュ殺人事件- ロイ・ヴィカーズ 2018/11/04 22:10
(ネタバレなし)
 父譲りの海運商事会社を切り回す青年社長ブルース・ヘイバーション(29歳)はその日、頭痛と目眩に悩まされていた。投薬で症状を抑えた彼は会社から車で帰宅する路上で、愛車が故障して難儀する知人の中年弁護士ヴェルフラージュに出合い、同乗させてやる。ヴェルフラージュは、15年前に物故した富豪ウイリアム・レイプソープの遺産である時価25万ポンドの秘宝「レイプソープ・ダイヤモンド」を管理していたが、その遺産の正当後継者は今まで行方不明だった。しかしその相手がようやく見つかったので、これから秘宝の現物を届けに行くという。用向きはすぐに済むということで、訪問先の家屋に入ったヴェルフラージュを路上で待つヘイバーション。だがヴェルフラージュがその家から姿を現すことはなく、気になったヘイバーションは自分からくだんの屋敷のドアを叩くが……。

 1950年の英国作品。現在のところ日本に紹介されたヴィカーズの作品では唯一の長編のハズである(他はみんな短編~短編集なので)。
 ミステリとしての物語のポイントは2つ。一つは消えてしまったヴェルフラージュの去就を追って、デクスターの『キドリントン』か土屋隆夫の『盲目の鴉』みたいな<そのキーパーソンは無事なのか? 死んだ(殺された)のか?>という興味。もうひとつは頭痛と目眩、それに服用したキニーネの副作用で半ば意識が朦朧となった主人公ヘイバーションの記憶が一時的に欠損し、アイリッシュの『黒いカーテン』みたいな<自身の行動を疑う記憶喪失もの>になる作劇。まあこういうギミックを組み合わせて当時にしてはちょっと破格の謎解きサスペンスを語ろうとする作者の狙いどころはわかる。なんか創元の旧クライムクラブ(もちろん翻訳の方)の一冊にまじっていてもおかしくない感じ。

 ただまあ作劇のこなれが良いかというとその辺は疑問で、本来は他人事のややこしい秘宝争奪戦に踏み込んでいくヘイバーションの心情はあまりピンとこないし、一方でヴェルフラージュの失踪の追跡にもそれほど筆致は費やされないものだから、物語の軸足が見えてこない。さすがに自分の失われた記憶をおっかけるドラマの方はそこそこ起伏のある展開を見せるが、その分、物語の楽しみどころが散漫になった印象もある。
 それと本作の物語は三人称視点でほぼヘイバーションを主体に進行するものの、序盤から登場する副主人公格のロンドン警視庁の警部カイルの視点が随時いきなり叙述のなかに挟み込まれ、この辺りの消化の悪さも結構気に障った。
 ちなみにカイルの方の描写だけ拾っていくとちょっとクロフツっぽいなと思ったけど、解説で都筑道夫は本作をフレッチャー作品の系譜云々と語っており、なるほどフレッチャー&クロフツなら英国ミステリの大系としてリンクするな。
 結局、最後の解決もどうもなんか悪い意味でごくフツーに終ってしまった感じで、面白かったか? と訊かれれば……正直、う~ん。
 色々となんかありそうに始まってそれっぽく物語も進んで、とどのつまり……の一冊であった。ということでこの評点(涙)。

No.421 5点 猿神の呪い- 川野京輔 2018/10/26 17:34
(ネタバレなし)
 昭和三十年代半ば。広島の放送局「ラジオ日本海」の中堅プロデューサー、郡(こおり)英之(30歳)は、周囲に出没する謎の不審な男を警戒していた。郡はこれと前後して、大学の同窓生、猿田春彦と再会。名前まんまの猿顔で「モンキー」と呼ばれていた春彦は、今は島根県の奥にある山村・猿田集落にある実家に在住、土地の領主の末裔的な立場だった。その春彦が、自分はもうじき殺されてミイラにされると不穏な事を言い出す。郡は事情を確認するため、ラジオ局の業務を恋人ともいえる部下の美人アシスタントプロデューサー、岡山妙子(22歳)に任せて春彦とともに彼の故郷に向かう。だがそこで郡が出合ったのは、家屋の中で放し飼いにされる仔牛ほどにも巨大な老猿「五右衛門」だった。やがて春彦の実家、猿田家の周辺では、怪異な連続殺人事件が……。

 1953年に「宝石」で新人作家としてデビューし、その後、作詞家や放送作家としても活躍した作者の長編デビュー作。作者の著作は今年、論創から全二冊の『川野京輔探偵小説選』が刊行中で、評者はこれを機にこの人はどんな作家だろうとwebで調べたところ、本長編に行き当たった。
 この作品が単に旧作の長編というだけならばそれほど食指は動かないのだが、本作『猿神~』は1960年に地方新聞紙「島根新聞」に約半年にわたって連載。それから43年後の2003年に初めて書籍化されたという、ちょっと変わった経緯がある。物語の設定にも横溝のB級作品みたいな雰囲気もちょっと感じられ、これらもろもろの件から興味を惹かれて今回読んでみた。
(ちなみにすでに発売されているくだんの『川野京輔探偵小説選Ⅰ』は、まだ手に取っていない。)

 それで本作の中味の方は、一応はフーダニットの要素も加味した、いかにも昭和作品らしい伝奇スリラーミステリ。毎日の連載で読者を食いつかせなければならない新聞小説らしく矢継ぎ早に事件が起きるから、少なくとも退屈はしない。美人ヒロインでいかにも昭和の元気娘といった妙子が段々と存在感を増していき、事件に次第に深く関わってゆくのも娯楽読み物としてよろしい。
 まあ後半いきなり出てきてすぐ死んじゃう(中略)みたいなキャラなんか、いかにもイベントのためのイベント用に出したという感じだが(苦笑)。

 犯人捜しとしては、途中からもう悪役が歴然としてくる筋運びで、しかも最後にどう読者を驚かせにくるのかもおおむね早めに読めてしまう。しかも作中のリアルを考えるなら、真犯人の行動(殺人の仕方もふくむ)は壮絶にトンデモであり、要するにバカミス度も高い。
 とはいえ当時の新聞読者には好評だったというから、往年の昭和スリラーのわかりやすい実作サンプルにひとつ触れるという意味では、今でもそれなりの価値はある作品……だろう。たぶん。

 ちなみに21世紀の時点から連載当時を回顧した作者の後書きはなかなか興味深いが、本書の巻末周辺に、作品本編を読む前に目にすると大きなネタバレになってしまう部分があるので注意。そこらは先に中味を読んでから、紐解くことをお勧めする。

No.420 7点 銀座幽霊- 大阪圭吉 2018/10/24 02:33
(ネタバレなし)
 短編傑作集として本書の姉妹編といえる、創元推理文庫版『とむらい機関車』と並べると、評点の方は同じ7点。ただし本書は総括して6.8点くらいで切り上げて7点。『とむらい~』は同じく、実質7.5点を7点に……という感じである。『とむらい~』が、腹応えが良い長さの中短編がまとまりよく集成された印象に対し、こちらは向こうに比べてやや短めな作品ばかりが並んだところがちょっと弱い。長さに幾分バラツキのある『とむらい~』の方が、一冊の本としての快い緩急があった。

 それで本書を手にする前、WEBなどの評判で『燈台鬼』の評価が高いように聞こえていたので楽しみにしていたが、実際にはそれほどでもなかった。もちろんフツー以上には面白かったが。
 個人的には『銀座幽霊』『動かぬ鯨群』『闖入者』『白妖』あたりがベストというかお気に入り。特にあとの2つは提出された謎の求心力が高く、そこが魅力的。それぞれで語られる最後の真相もなかなか良い。
 反面、名作と評価の高い『三狂人』は、21世紀の現在はもちろん、当時の目で見てもちょっと看過できない無理があるような気も……。作品の雰囲気は良かったけれど。

 大阪圭吉が戦後も健勝で、その後も本書と創元版『とむらい~』に所収されたような短編作品を描き続けていたら、二十年早く登場した日本のE・D・ホックみたいなポジションに就いたのではないかと思う。
 巻末の山前譲さんの解説にある、出征前に甲賀三郎に預けたまま世に出なかった長編作品というのが気になるなあ。故人への不敬にならないことを願いつつ思うのだが、こういう<幻の作品の逸話>は、いつ聞いてもある種の切なさを伴うロマンを感じてしまう。

No.419 8点 綱渡りのドロテ- モーリス・ルブラン 2018/10/22 03:40
(ネタバレなし)
 いや、とっても面白かった。
 個人的にルブランのルパンシリーズは、少年時代に手に取ったポプラ社の南洋一郎版と池田宣政版(白い函入の「アルセーヌ・ルパン全集」)あと偕成社の「怪盗ルパン選集」が原体験。ルパンものはこれら3つの児童向けの叢書で、南洋一郎が混ぜ込んだ周辺作品をふくめて当時出ているのは全部読んだ。ものによっては同じ作品を別の版で二回楽しみもした(あの『ピラミッドの秘密』も、もちろん読んでいる)。
 ただしその後、偕成社の完訳版や創元、早川、新潮などの大人向けの版での再読(まともな通読)は現時点まで全部で10冊くらいしか消化してない。なぜかはあまり考えたことはないのだが『謎の家』とか『三十棺桶島(棺桶島)』とか真相が強烈で忘れがたいので、改めて手にするのがやや消極的になっている面はあるかもしれない。とはいえ改めて完訳版をちゃんと読んだ『虎の牙』や『二つの微笑を持つ女』とか、フツーに面白かったのだが。

 当然、本書『綱渡りのドロテ』(原書は1923年の刊行)も子供時代にポプラ社の南洋一郎リライト版『妖魔と女探偵』で一度読んじゃったけど、これはいつかマトモに大人向けの完訳版で通読したいと思い続けて、このたび達成。ちなみにその児童書版の内容は、うまい具合にほぼ完全に忘れていた(笑)。評者が今回読んだのは、三好郁郎訳の創元文庫版(初版)である。

 そもそもこの作品、設定というか趣向がいいよね。ルパンワールドに通底する大設定として、20世紀の現在までフランスの各地に眠るマリー・アントワネットゆかりの謎の4つの秘宝。そのうち3つの謎は『三十棺桶島』『奇岩城』『カリオストロ伯爵夫人』の各事件にからんで怪盗紳士ルパンに探求される。が、この一件のみはその大怪盗とも全く関係の無い、しかして同じ世界観に存在する、とある一人の美少女(つまり本作の主人公ドロテ)によって暴かれるというのが♪
 現時点から勝手に想像していいのなら、4つの秘宝全部の謎解きを自分の看板キャラであるルパンに任せるというのもあるいはルブランの試案のなかにあったかも知れんけど、それを敢えてやらなかったところが本当に素晴らしい。
 18世紀の悲劇の若き女王に関与する秘宝の存在は怪盗紳士のレゾンテートルと直接はナンの関係もない。だからスーパーヒーローのルパンではなく、どこかのフランス国民の手に入る可能性もあるのではないか? そんなほぼ一世紀前にルブランの念頭に浮かんだのであろう、当時にして自由奔放かつルパンワールドの裾野をその外側まで大きく拡げようという発想が最高にシビれる(ルブランの周囲の人物の提言という可能性もないではないが)。
 もしかしたら本作は近代ミステリ史において、正編シリーズの傍らで世界観を共有する印象的な外伝作品が生まれ出た、かなり先駆的なサンプルではないだろーか。

 お話の方は、第一次戦争直後にマジメに宝探しのおとぎ話をする心地よさを土台に、美貌と才気と勇気に溢れたヒロインが周囲の子供たちや彼女の親衛隊的な青年たちの助勢を受けながら、果敢に秘宝を狙う悪党に立ち向かう(とはいっても大半の事はドロテひとりでこなしてしまうが)。
 どっかのwebで見たような気もする言い回しなのだが、まんま80年代半ばまでの宮崎駿アニメといった感じでとてもステキ。
 二世紀の時を超えた不死の怪人の謎とか、地下の閉鎖空間での殺人事件とか外連味たっぷりのミステリ的趣向が用意されているのもゾクゾクワクワクした。まあ殺人事件の謎解きそのものは、故・瀬戸川猛資に『虎の牙』での殺人犯の侵入トリックを揶揄されたルブランだけあって、本作の方も「いや、現実には無理なんじゃねーの」という気もなきにしもあらずだが、そこはそこ、この物語の枠内では許せる感じ。なんつーか、その辺もこの作品は強い(笑)。
 ドロテは自分の出自に関わる一つの大きな事件を終えたが、彼女と仲間の子供たちの人生はまだまだ……という感じの、いかにも欧州的な余韻のあるクロージングも快い。
 創元文庫版の訳者あとがきではルブランはドロテをシリーズ化する構想もあったのではないかと仮説を書いてるが、それはとても読みたかったような。この一作のみだったのが良かったような。そんな思いに駆られる。

余談1:フランスの地方領主の娘(プリンセス)ながら、4人の戦災孤児の男子の母親・姉貴がわりとなって少年少女だけで地方巡業のサーカス興業を行い、そして自らがかなり人気の花形サーカススターであるというドロテの設定は萌え要素全開(今のオタク用語で言うなら完璧超人系のヒロイン)。
 ちなみにドロテの年齢設定は作中の地の文で当初15~16歳に見える云々書いてあるが、あとで情報をつなぎ合わせると1901年生まれ(円谷英二や『ポーの一族』のジョン・オービンよりひとつ下である)で、この物語は1921年の事件だというから満20歳ということになる。全編にわたって「少女」と呼ばれるドロテだけど、どっちかというともう若い娘かお嬢さんだな。まあ人生経験も普通の娘の数倍で世知に富んでるヒロインだから、20歳くらいの設定でちょうどいいとは思うけど。

余談2:三好郁郎の訳者あとがきによると原書をとても楽しみながら訳したそうで、訳文も平易に気持ちよく読める。それは本当に結構なのだが、初版の128ページから数ページ分にかけて、本当は男爵の爵位のはずの老人がずっと伯爵の表記になってる。ケアレスミスか推敲洩れ。再版以降では直してあるかしらん。

No.418 7点 鉛の小函- 丘美丈二郎 2018/10/21 02:27
(ネタバレなし)
 昭和二十五年(1950年)の春。若き探偵小説作家の丘美丈二郎は、元戦闘機乗りだった旧知の男・白嶺恭二の訪問を受ける。丘美と白嶺はこの時が戦後二度目の再会だった。白嶺は怪しげな鉱物が納められた鉛の小函を携え、自分の不思議な体験を手記の形にしてきた、この原稿を読んでから小函を注意しながら開けるようにと言い残して去った。面食らった丘美は原稿に目を通さずにいたが、いつしか白嶺の訪問から二年半の歳月が経ち、その間、彼の行方は杳として知れなかった。丘美は気になってようやく原稿を読み出すが、そこに書かれていた内容は、世界各国の叡智をひそかに結集して実行された壮大な宇宙航行計画の顛末だった。

 1949年、当時の「宝石」の新人賞コンクールに入選して作家デビューし、その後、長短数十編のミステリとSFを著したのち探偵小説文壇を去った作者・丘美丈二郎。丘美は昭和期の東宝特撮映画の名作『地球防衛軍』『宇宙大戦争』『妖星ゴラス』の映画用原作提供者としても有名(さらに本邦初の宇宙怪獣映画『宇宙大怪獣ドゴラ』の原作者でもある)だが、その小説分野での代表作として知られるSF長編が本作である。初出は「宝石」の昭和28年7月増刊号(新人長中篇推選号)で、原稿用紙320枚の目玉作品として同号の目次に表記されている。ちなみに本作は、1954年の日本推理作家協会賞の奨励賞を受賞。

 本作は、2013年に論創社から刊行された『丘美丈二郎探偵小説選〈1〉』で初めてまともに書籍化されたが、世代人ミステリファンには周知の通り、雑誌「幻影城」1978年3月号にも当時25年ぶりの復刻の形で一挙掲載(再録)されている。同誌同号にはまだ健在な丘美自身(本人は2003年に逝去)の述懐記事も添えられており、評者は今回、この「幻影城」版の方で読んだ。
 なお「幻影城」では本作をなぜか原稿用紙380枚の紙幅と初出時より多めに謳っており、どちらが正確か、あるいは版に異同があるかの確認を含めてこの辺の事情は不明。
(いずれ論創の丘美小説選の解説を読めば、わかるであろー。たぶん~笑~・)

 小説中の主要人物・白嶺の回想手記という二重形式で語られる物語は、太陽系内の科学探査と独自の宇宙航行計画の実証を企図したユダヤ系の大天才学者ヴェー・アイゼンドルフ博士を首魁とする世界中から集められたライト・スタッフの宇宙航行までの準備、そして実動の記録。
 評者は大系的に日本の古典~近代SFを読んでいる訳ではないので、本作が本邦の宇宙SFものとしてどのような位置に来るかは未詳。それでも物語の前半を費やして宇宙艇建造基地でのシミュレーション訓練の日々を語り、宇宙航行中ならこういう事が起こりうるだろう、という科学的デティルを丹念に次々と確認。それを白嶺の視点を通じて一般読者に興趣豊かにまた時にドラマチックに読ませる筆致はなかなか快調である。
 丘美は前述の「幻影城」用の新規エッセイで、後年~現在(1978年当時)までのSF作品の相応数が科学的根拠や正しい知見に基づかず、単に想像力に頼ったものも少なくない事に不満を露呈。たしかにこの作品『鉛の小函』も厳密に21世紀現在の見識で学術的に正確かどうかはともかく、丘美なりの当時の正確な科学観に基づいた描写を連ね、それが面白い読み物に繋がることを狙っていると感じられる。
 一方で世界中から集まったスタッフたちによる国家論や政治観には作者の饒舌な思弁が混じるが、これはまだ大戦の傷が癒えず占領軍配下の国情を考えれば仕方がない面もある。少なくとも作者は甚だしく倫理的に反した信条を登場人物に語らせてはいないと思う。

 それでもちろん、本作は小説のカテゴライズ的にはまぎれもないSFなのだが、発表の場が探偵小説専門誌「宝石」ということもあり、ミステリ的な手法を用いたサプライズ、具体的には劇中人物のある意図による知略も設けられている。後半の太陽系内の宇宙旅行編でその辺りのギミックは機能するが、いい感じに作品の持ち味をひとつふたつ深めている。
 1950年代の新古典日本SFという前提は踏まえるべき旧作なのは間違いないが、21世紀の現在読んでも多様な興趣を得られる作品ではあった。
 あと印象的だったのは、主人公たちの乗る宇宙艇に最後まで固有の名称が与えられていないこと。この辺も宇宙航行装置を人称的なキャラクターとは決して捉えず、あくまで科学実務のための巨大なツールと見なしていた丘美の視座が読み取れる気もする。

 ちなみに本作の実質的な主人公である白嶺恭二と、同じく宇宙艇に乗り込む日本人の科学者・瀬木龍介は他の丘美作品にも登場するキャラクターだそうである。活躍する物語はSFに限らずミステリ編にも及ぶというので、同じ世界観の枠内で登場するのか、それとも一種のスターシステム的に別設定で出演するのか。おいおい、その辺も楽しみながら確認してみたい。

No.417 7点 紅き虚空の下で- 高橋由太 2018/10/20 14:04
(ネタバレなし)
 作者の高橋由太(たかはし ゆた)は2010年頃から各出版社のキャラクター時代劇ものの文庫オリジナル作品を主体に活躍。最近はライト? ミステリの方でも精力的に活動しているようだが、評者がこの人の作品を読むのは初めて。しかし想像以上に強烈で面白い一冊だった。
 本書は文庫オリジナルで、表題作「紅き虚空の下で」を含めて全4本の別の物語設定の中編を収録。別名義で書かれた作者の初期作品を主体に集成したものだそうである。(以前に創元の「新・本格推理」シリーズに収められた作品や、角川ホラー小説大賞の短編賞を受賞したものを改訂した作品も収録されている。)
 表題作と二番目の「蛙男島の蜥蜴女」が、かなりオカシな新本格パズラーで、三本目の「兵隊カラス」がサイコホラーっぽいミステリ、最後の中編「落頭民」が謎解き要素のない、爽快なまでにイカレきったクレイジーなホラー奇談である。

 各編を簡単に寸評するなら巻頭の「紅き虚空の下で」は、人間世界とは別個に異形の妖精的存在がひそかに人類を伺うファンタジー世界での謎解きパズラーで、地上で両手を切られて死んでいた少女の事件を追う。この世界設定ならではの推理ロジックと解決が用意され、初っぱなから口があんぐりするが、これが実は本書の中で一番マトモであった。
 二作目の「蛙男島の蜥蜴女」は文明世界とは隔絶された離島、狂気ともいえる文化の異郷での不可能犯罪で、謎解きミステリとしてはこれが一番面白い。最近の別の作家でいうなら白井智之あたりの、あの世界、あれを普通に楽しめる人にはぜひともお勧めしたい。
 「兵隊カラス」は山の中に遺棄された子供の視点で語られる、奇矯な老人「兵隊さん」との奇妙な生活の話。陰惨なサイコホラーっぽい物語(ただしスーパーナチュラルな要素はない)が途中で一転、別のジャンルに変調し予想外の結末に雪崩れ込んでいく。広義のイヤミスだが紙幅の割に読み応えは十分。
 最後の「落頭民」は、岡本綺堂の作品『中国怪奇小説集』の一編に材を取ったようだが(頭部が体から離れて飛翔する、ろくろ首の話だろう)、あくまでモチーフのみで作者の奔放なイマジネーションが無法に転がるまま、とんでもない筋立てが展開する。半ば話などあってないような、狂いきった叙述のみあるという感じだが、悪ノリと悪趣味を極める一方で、不快感や嫌悪感は(少なくとも評者には)皆無であった。そんな作品。たぶんこれが本書の核となる。

 なんつーか、ミステリ界の「ガロ系(かつてあった青林堂のあの漫画雑誌)」というか、あるいは一応は続刊が可能になって図に乗っておかしな旧作の発掘を始める一方、新世代の異才の作家を求め始めた時代の雑誌「幻影城」に似合いそうな一冊というか、まあそんな感じである。言いたいことは大体それでわかってもらえると思う(!?)。
 とにかく壮絶な一冊だったけどね。こんなものはまあ、そうそう読めないだろう。

No.416 7点 とむらい機関車- 大阪圭吉 2018/10/20 12:53
(ネタバレなし)
 創元推理文庫版のレビュー。
 先日読んだ芦辺拓の新刊『帝都探偵大戦』に刺激されて、読了(今、『銀座幽霊』読んでます)。
 表題作は大昔に鮎川のアンソロジー『(鉄道ミステリー傑作選)下り”はつかり”』で読みかけたと思うが、たしか少年時代のことで生々しい轢死事故の死体描写がキツくって、途中で投げ出した記憶がある。あの頃は私も若かった。しみじみ……。

 しかし初めて一冊単位で通読して、今さらながらにそのハイレベルさに舌を巻いている。改めて接した表題作の無常観たっぷりな余韻もよいが、続く収録作がそれぞれ佳編~優秀作。
 青山探偵ものは安定して面白かったが、特に『デパートの絞刑吏』のぶっとんだ真相は当時としてはかなり斬新だったと想像に難くないし、『石塀幽霊』のリアリティ希薄な謎解きも豪快で印象に残る。『気違い機関車』も犯人の設定から逆算すれば殺人の実行はまず現実では無理では? ……とも思うが、魅力的な謎と意外性を追い求めたかった作者の情熱が伝わってくるようで納得。
 クライムストーリー『雪解』の小説としての結晶度も見事だが、最高傑作と定評の『坑鬼』での最後の最後で明らかになる動機の真相には慄然。のちに戦後1950~60年代のある翻訳ミステリ叢書のとある一冊がまったく同じ手を使っていて、たしか佐野洋がそっちの方を斬新な創意で素晴らしいとか称賛していた覚えがあるけれど、すでにこの作品でやっていたのだった。
 創元文庫版の巻末に収録の作者のエッセイ群も、21世紀の現在の我々の心にも響くミステリ愛が凝縮されており、うなずくことしきり。とても楽しい一冊であった。

No.415 6点 ゲッタウェイ- ジム・トンプスン 2018/10/12 13:24
(ネタバレなし)
 保釈で4年振りに刑務所から出所したばかりの40歳のプロ犯罪者、カーター(ドク)・マッコイは銀行強盗計画を立案し、襲撃の実動を「パイヘッド」ルディ・トレントたち仕事仲間に任せる。25万ドルを得た一味だが、想定内のダマし合いと収穫の奪い合いを経て、ドクは27歳の若い美人妻キャロルとともに大金を抱えたまま逃亡を図った。目的地は、金さえ払えば犯罪者に安住の場を用意するという闇社会の大物エル・レイの領地。だが大事なく行ったはずのドクとキャロルの計画の行方は……。

 1959年のアメリカ作品。ジム・トンプスン、例によって本は何冊か買ってあるが、評者がまともに一冊読み終えるのはこれが初めて。今回は当家の蔵書の中から見つかった1973年の角川文庫の元版(初版)で読了。同書は1972年の映画版(スティーヴ・マックイーン主演)が日本で73年3月16日に公開されたのに合わせて、同73年3月1日に刊行されている(作者名はジム・トンプソン表記)。
 1994年の角川文庫の新版は旧版と同じ高見浩の翻訳で、細部に手は入れてあるが基本は同じ訳文を使っているらしい。これはwebの噂からの類推。

 しかしこの旧版『ゲッタウェイ』が翻訳された70年代そして80年代半ばまではトンプスンは日本ではまったく単発作家の扱いで、現在のようにここまでカルト的な人気作家になるとは思わなかった。ちなみに名作と名高い映画の方もまだ観ていない(汗)。

 本作がノワール+夫婦逃亡行ものの新古典という大雑把な予備知識はあったものの、文体の妙があちこちで評価されているらしい作家だから、その分この作品もプロットはシンプル、文章の方に独特の個性があるのだろうと勝手に予期していた。ところが実作を読むと、お話の方も主人公コンビの逃亡中のサスペンスを打ち出しながら二転三転するわ、思わぬところで窮地に陥るわ、盲点的な敵が追ってくるわ……と、ストーリー的にもギミックが盛りだくさんで面白い。原書はシグネットブックのペーパーバックオリジナルだったみたいで、まずは娯楽読み物としての足固めにも余念がなかったのだろう。
 登場人物の描写も互いを信じたい一方、裏切られるのではないかと警戒しあう主人公夫婦や、スレた知略やしたたかな打算と欲望を動員して彼らに絡んでくる有象無象の脇役など、それぞれ鮮烈な存在感があって飽かせない。大半の登場人物のひとりひとりの動きや立ち位置がテンションを呼ぶので、細かいことはここではあまり言わないでおく。
 それでショックだったのは終盤の展開で、物語がこういう方向に行き、決着するのかとかなり大きな衝撃を覚えた。物語の世界観もそれまでの血と硝煙、埃にまみれた空気が一転し、ある種の別次元の悪夢のなかに突き落とされたような気分がある。なんというか、志水辰夫か谷恒生の骨太な初期作品を読んでいたら、最後の最後でいきなり西村寿行の中期作品に転じてしまったような……。
 webでざっと調べると、映画でこの原作のラストをまんまなぞるのはマックイーンが反対したそうで、映画版にはこの結末は採用されてないという。そりゃそうだろう。このクロージングそのままだったら、21世紀の現在でも映像ソフトの新版が出るたびに新しい観客が大騒ぎだと思う。

 ただ思うのは、このあと数年後に同じ角川文庫の某翻訳ミステリ(それなりの話題作)で本作と類例のショッキングさをはらんだ一冊が刊行されて相応の反響を呼んだのだが、「そっち」とこっちを結びつけて語ったミステリファンや文章はまだ見たことがない。まあ互いにネタバレになることを配慮して言いよどんでいる人もいたかもしれんが、一方で同時にこの原作版『ゲッタウェイ』はその時点では、やはりまだ知る人ぞのみ知る、読む人のみ読んでいた一冊だったのかなあとも思う。ミステリファンとしての自分の見識が乏しくどっかのミステリ愛好家のサークルとかでカルト的に評価されていた可能性もあるが、寡聞にして当方はそういう話は今まで聞いていなかった。
 トンプスンは今年もドバドバ未訳作の発掘新訳がされているみたいだし、また読むこともあると思うが、今度はいっそう警戒しながら手に取るわ。  

 でもって今回の本作の評点は、ラストの、渇きの果てに泥水を呑まされたような後味を重視してこの数字。人によっては評価はもっと上がるだろう下がるだろう。たぶんトンプスン作品への素養いかんによっても変わるだろう。

No.414 6点 死の目撃- ヘレン・ニールスン 2018/10/11 04:12
(ネタバレなし)
 その年の7月。ニューヨークの出版社「ハリソン書房」のベテラン社員マーカム(マーク)・グラントは社長ファーガソンの指示で、ノルウェー(本文ではノールウェイ表記)に向かう。目的は、オスロに在住する国際政治の大物の元外交官トール・ホルベルグの回顧録の原稿を受け取るためだ。だが今回の出張はファーガソンの計らいで日程を気にしない半ば慰労休暇の面もあるということで、マークはのんびりと船旅を満喫する。そんな彼は同じ船で親しくなった元実業家オットー・サントキスの勧めで、同じく乗客仲間の女性教師ルース・アトキンズとともに、ノルウェーのベルゲン港に船が停泊した際、地元の登山電車を楽しむことにした。だがその車中でマークが目にしたのは、すれ違う登山電車の中で男が若い女性を扼殺する現場だった!

 1959年のアメリカ作品。作者ヘレン・ニールスンは、50~60年代の日本の翻訳ミステリ雑誌などでも中短編が多数紹介された女流作家で、評者は古書店で買いあさった古雑誌のバックナンバーで、それなりに作品を楽しんだ覚えがある(ただし最近のweb記事などを見ると、ミステリ評論家の小森収などは邦訳された短編群には、総じてあまり良い評価をしていないようである~うーむ)。

 本作はクリスティーの『パディントン発4時50分』を思わせる趣向の巻き込まれ型サスペンススリラー+異国情緒がセールスポイント。さらに物語の前半~半ばで主人公マークが、くだんの殺されたはずの美女=シグリット・ライマーズにまた別の場で再会(!?)。当年39歳のマークが母国アメリカに美しい妻と3人の子供を残しながらもシグリットに心惹かれていくという、イタリア映画『旅情』風の、シニア向けメロドラマも用意されている。
 死者との再会の謎? というケレン味を引きずったまま、じわじわと主人公周辺のドラマが進行していくあたりは、ちょっとアンドリュー・ガーヴあたりの作品の雰囲気を感じないでもない(まあガーヴは、あんまり男性主人公のよろめきは書きそうもないけれど)。
 間断なく小さな事件が続き、後半さらに大きく物語が動き出す流れは好テンポで、これは良い意味で土曜ワイド劇場あたりの2時間ドラマへの翻案が似合いそうな一本であった。
 終盤の、序盤での殺人現場目撃の謎解きはいささか強引な気もしたが、一方で21世紀になんとなく我々が常識と思っている知見に「本当にそうなのか?」と水を向ける部分もあり(もちろん詳しくは書けないが)、その意味でなかなか興味深かった。
 180ページちょっとの短い紙幅ながら、数時間分はみっちり楽しめる一作ではある。評点は、前述した終盤のある謎解きポイントが印象的なので、0.5点おまけ。

 なおニールスンの長編は、まともな一般向けの翻訳は本書を含めて二冊だけ。短編の邦訳が多くてもすぐには読めないだろうし、現在では忘れられた作家ということになるだろうが、実はデビュー当時からバウチャーなどに評価され、処女作などもやはりバウチャーが選んだその年のアメリカ作品ベスト10に選出されていたそうである。まだなんか面白そうな未訳作品が残っていたら、発掘してほしい気もしないでもない。

余談:ポケミスの本書の裏表紙の作者の顔ビジュアルは、写真でなく似顔絵のモノクロイラストを使用。トマス・スターリングの『ドアのない家』の初版(再版は割愛)同様の仕様で、歴代ポケミスの中では珍しい一冊のハズである。他にこんなの、あったっけかな。

No.413 9点 死にいたる火星人の扉- フレドリック・ブラウン 2018/10/11 02:53
(ネタバレなし)
 猛暑の8月。シカゴで叔父(アンクル・)アムとともに零細私立探偵業を営む青年エド・ハンターは、赤毛の若い娘サリー・ドーアの訪問を受ける。彼女の相談内容は、自分が火星人に命を狙われているので護衛してほしいというものだった。精神科か警察に行くようサリーに勧めたエドだが、相手は相手にされないことをなかば覚悟していたような感じで退去。その仕草が気になったエドは、結局、とりあえず一晩だけの約束で彼女のアパートの隣室で護衛役を引き受ける。だがその夜、サリーは外傷のない突然死を遂げた。彼女の死を看過する形になって悔恨の念を抱くエドは、アムの協力を得ながらサリーの後見人の親戚一家に接触、そしてサリーの妹のドロシーとも対面する。それと前後して、火星人と名乗る者が電話でエドとアムに連絡。火星人は、サリーを殺したのは我々ではない、事件を調べてほしいと告げ、いつのまにか事務所に千ドル紙幣をひそかに置いていった。

 1951年のアメリカ作品。私立探偵エド&(アンクル・)アムものの第五長編。シリーズ第一作『シカゴ・ブルース』で初心だったエドは十分にセックスも楽しむ青年探偵に成長している(劇中に情事のシーンなどは全くないが、登場するヒロインに向けて、エドがそっちの関心があることをワイズクラックで匂わせたりしている)。
 本書は評者にとって何十年ぶりかの再読のはずだが、初読当時、実に面白かったこと以外さっぱり内容は失念。しかしながら本書は自分が出合ってきたオールタイムのミステリ中でも最高クラスに魅惑的なタイトルの響きであり、その意味も踏まえていつか読み返したいと思っていた。
(だってステキではないか。地球に来訪するなら円盤かワープ、テレポーテーション技術の方が似合いそうな火星人の用いる通路がフツーの「扉」で、しかもそれが謎めいた「死にいたる扉」という妖しげで幻想めいたものなんて~笑~) 
 でもって一昨日、ようやく本が自宅の蔵書の中から見つかったのでいそいそと読み出したが……あああ、期待以上に、最強にオモシロい! 
 エドとアムがなじみの警察官フランク・バセット警部の協力を得ながら関係者を尋ねてまわり、第二ヒロインである妹ドロシーやさらに登場の美女モニか・ライト(エドたちの事務所に短期の秘書仕事の応援にやってくる)たちと関わり合うなかで、ついに第二の不可能興味っぽい犯罪が発生。エドの疑念のポイントは改めて、いかに姉サリーが殺されたかのハウダニットに絞り込まれつつ、物語はハイテンポに進んでいく。特にエドがある仮説を思いつき、サリーのアパートで実地検証を重ねるあたりのゾクゾク感はたまらない。
 キャラクター描写も味があり、なかでも後半、自分の至らなさから犠牲者を出したと自責の念を覚えるエドがサリーの元カレの青年ウイリアム・ハイパーマンに接触。エドが自分のストレスを彼とのボクシングの試合でさらけ出したのち、そのウイリアム当人や彼の家族と奇妙な心の絆を感じあうあたりなんか本当にいい。なんかとても丁寧に演出された、50年代アメリカのヒューマンテレビドラマみたいだ。
 青春ハードボイルドとしては大沢在昌の佐久間公(もちろん若い頃の)チック、不可能犯罪の興味としては、どっかJ・D・カーのB級作品風であり「これだ、俺はこーゆー作品を読みたかったのだ!」という感じで、夕方から読み始めて夜中の午前3時、眼が痛くなるのも押していっきに最後まで読了してしまった(笑)。
 最終的な謎解きミステリとしては一部チョンボかという部分もあるかもしれんし、ヒトによっては解決の一部、さらには手がかりや伏線の甘さ、トリックの現実性の無さに呆れるかもしれんが、個人的には本を読みすすめ、残りページが少なくなってくる中でまだ事件の真相、火星人の正体、いくつもの謎が残されている間のテンションが正に快感であった。出来不出来いかんを越えて、評者としては題名・設定もふくめて、こういう作品が大スキということでこの評点(笑)。

No.412 6点 野球殺人事件- 田島莉茉子 2018/10/08 16:51
(ネタバレなし)
 昭和二十年代。日本のプロ野球界は沢村栄治などの巨星を先の戦火の中に失いつつも、世の中の絶大な人気を集めながら復興していた。そんな中、新進探偵小説作家の坂田兵吾は、先に復員してきた同窓の旧友で、プロ球団「東京ホワイト・ソックス」の花形エース、沢井誠一からある日、相談を持ちかけられる。それは沢井自身を含むチームメイトの周辺に、八百長を強要する小悪党が出没。その対応に苦慮しているという内容だった。坂田はソックスの面々にさりげなく接触して実状の確認を図るが、八百長に加担していたらしいチームメイトの一人が数万の観衆の目前で毒殺される事件が勃発する。やがて事態は、不審な密室殺人をふくむ連続殺人事件へと発展して……。

 昭和23~24年にかけて短歌雑誌「八雲」に連載され、昭和26年に岩谷書店から刊行された長編ミステリ。作者名を逆さに読むと「こまりました」となる覆面作家の正体が、メインの執筆は「紙上殺人現場」の大井廣介(広介)、さらに執筆協力者が埴谷雄高と坂口安吾というのは、現在では定説となっている(ようだ)。
 ミステリ戦後昭和史についての記述を探求すれば時たま出てくる一冊のはずで、以前からいつか読もうと考えていた。それで今年の夏に思い立って、割合廉価だった状態の良い古書(復刻版)を通販で購入(1976年に深夜叢書社が「野球殺人事件刊行連盟」の刊行者名で復刻した限定1000部の箱入り上製本)。このたび読んでみた。
 序盤から数万人単位の観衆の目前での殺人という派手な趣向で(有馬の『四万人の目撃者』が1958年の刊行だから本書の方がずっと早い)読者を掴みにかかる。さらにキャバレー内の数十人の衆人の中での殺人、夜陰のなかの狙撃事件、安アパートでの不思議な密室殺人……とギミックは目白押しに盛り込まれ、その辺のサービスぶりは作者(たち)がいかにも趣味で楽しみながら著した謎解きミステリという感じでとてもよろしい。犯罪現場にひとつひとつ、登場人物はその時ここにいた、という配置図を用意する趣向も気が利いている。ただしまあ、一件ごとの犯罪が散発的で、相乗感と加速感に乏しいのはナンだけど。
 密室の実態が今となっては旧弊な機械トリック系だが、これは個人的にはご愛敬で許せる。細々と伏線を説明して回収していく手順も、全体の連続殺人の意外な真相も、それぞれなかなかよろしい。動機はいかにもこの時代の……という感じのもので、その意味ではある種の感興もおぼえる。問題は犯人のある行動がかなりラッキーな成り行きを前提視していることで、もし(中略)だったら……かなり危なかったんでないかとも思ったが、まあここも許したい(笑)。
 ちなみに最後の二行はイヤな感じだが、まあいかにも娯楽ミステリに文芸作家らしい苦みを一さじ加えて終えたかった送り手の気分もうかがえ、そう思えば可愛く見えて来ないこともない。
 坂口安吾ミステリのファンなども、これは話のタネに読んでおいてもいいでしょう。

余談1:主人公の坂田は以前(戦前?)に『Yの悲劇』を翻訳したという設定である。モデルが推定できるかな。
余談2:この1976年の復刻版は内容の確認もなく刊行したのかどうか、主人公・坂田の妻の名前の八重が一部だけ八重子になってたり(51ページ)、当初は専務という設定で登場したホワイト・ソックスの幹部の戸村鎌十郎が94ページでは「事務」になってる。専務と事務じゃ大違いだと思うんだけど(笑)。こういう誤植も珍しい。

■注意……作中で『グリーン家』『黄色い部屋』『三幕の悲劇』をモロネタバらし。『黒死館』『Yの悲劇』の真相にもちょっと踏み込んでいる。本書をこれから手にする読者でその辺を未読のヒトはそういないと思うけど、一応、警告しておきます。

No.411 7点 バーナビー・ラッジ- チャールズ・ディケンズ 2018/10/06 16:31
(ネタバレなし)
 1775年の英国のコーンヒル地方。教会書記で鐘楼役でもあるソロモン・デイジーは地元の酒場兼宿屋のメイポール亭で、22年前の1753年3月19日、近所の貴族の館ウォレン屋敷で起きた事件を語る。その話の内容は、当時の屋敷の主人ルーベン・ヘアデイルが何者かに絞殺され、事件に巻き込まれた用人バーナビー・ラッジも数ヶ月後に変死体として池の中から見つかった惨劇の記憶であった。そして22年後の現在、奇しくも事件と同日に生まれたラッジの長男で父と同じ名を受け継いだバーナビー青年は、白痴だが動物と母親メアリーを愛する純朴で屈強な若者に育っていた。一方、ウォレン屋敷を継承したルーベンの弟ジェフリーは、亡き兄の美しい娘エマを慈しみ後見するが、そのエマは土地の貴族ジョン・チェスターの嫡子エドワードと恋に落ちる。だが旧敵ともいえる間柄のジェフリーとジョンは、若き二人の交際を決して許さなかった。バーナビー青年やメアリーの元ボーイフレンドの鍵職人ゲイブリエル・ヴァーデンたちが、エマとエドワードの恋模様を含めた土地の事態の成り行きに関わる中、英国ではカトリック教徒を主体とした旧体制に反発する民衆の過激活動の機運が渦巻き始めていた。

 1841年に作者ディッケンズ(当時29歳)が、自分が編集刊行する雑文雑誌「ハンフリー親方の時計」に連載開始した大長編。ディッケンズの処女長編『骨董屋』に続く第二長編で、初出時には「バーナビー・ラッジ~1780年の騒乱の物語」という副題がついていた。
 近代ミステリ史においては、初の小説作品集『グロテスクとアラベスクの物語』を1839年に刊行したばかりの米国のエドガー・アラン・ポーが掲載誌を読み、連載早々この作品に仕掛けられた(当時としては)衝撃的な××××××トリックを見破ったという逸話で有名な物語でもある。もちろん全編が犯罪の捜査と推理に関わる内容ではないので純然たるミステリとは言いがたい面もあるが、一般に世界最初の長編ミステリと謳われるガボリオの『ルルージュ事件』(1866年)よりも四半世紀早い。そういう歴史的な意味も持つ。
 これらのミステリ史的な経緯を大昔に中島河太郎の著作『推理小説の読み方』で知った評者は、やはりウン十年前に本作を所収してある集英社の「世界文学全集 第15巻 ディッケンズ編」(1975年)を購入(この版が初訳で完訳のはずである)。そのうち読もう読もうと思いながらも、何せ大筋としては骨太な群像劇で英国18世紀を舞台にした大長編ロマン、翻訳としても概算で400字詰めの原稿用紙1800枚に及ぶ(!)ボリュームなので敷居が高かった(汗)。それでこのたびようやっと一念発起して、5日間かけて一気に読んでみた。いやまあ……人物名のメモを取りながらページをめくったが、例によってのことながら、やっぱりこの手の古典作品の重厚感は、別格的に面白い。
 名前の出てくる登場人物は30~40人ほどでこの長尺の物語の割に決して多くはないが、その分、相応の劇中人物は本当にキャラクターが立っている(本来は主人公として構想されていたらしい中年の鍵職人ヴァーデンや、数奇な運命を辿るならず者のヒュー、そしてエマとヴァーデンの娘ドリーの二大ヒロイン、メイポール亭のウィレット親子……ああ、きりがない!)。本来はまっとうな社会改革の理念を掲げていたはず(?)の民衆が狂乱の暴徒と化していくあたりの迫真の描写は、本書の巻末で訳者・解説の小池滋が語るとおりことさらディッケンズのイデオロギーとは無縁なのだろうが、人間の愚かさと浅ましさ、それに対照される気高さと陽気さをロマン小説という形質のエンターテインメントで語ろうとした作者の意図とたぶん直結している。この騒乱の中でたくましい体格ゆえに革命側の旗持ち役を託され、いつしか(虚飾の)英雄的なポジションへと祭り上げられていく青年バーナビーの立ち位置も良い。
 
 ちなみに謎解きミステリ的には、まともな部分だけ掬い上げれば確かに全体の紙幅の20分の1もない。ぶっちゃけていえば、この趣向が無くても18世紀後半の騒乱劇の大筋には大きな影響はないかもしれない(ディッケンズがポーに大ネタを早々と見透かされたことが悔しく、本来はもっと謎解き小説っぽくする腹案を変えた……という可能性もあるのだろうか。ちなみに本作は、ディッケンズが構想だけで、5年もの歳月を要したそうである)。
 ただしそれでも感心したのは、くだんの前述の大トリックを追いかける本文中の叙述を、見事なまでにフェアな筆致で書いてあるところで(集英社の全集版の164ページ、ラッジ母子がある場所に向かう場面など)、なるほどディッケンズ、近代ミステリ史を探求する上で、これは見過ごせない存在であったと改めて実感した。まあこの辺は、翻訳の小池滋の演出もうまいのだろうが。

 のちにさらに本格的なミステリとして書かれた『エドウィン・ドルード』はちゃんとそのつもりで読んでも面白かった。そう考えると改めて、同作『エドウィン~』が未完に終ったことは残念であり、そして文学史上の永遠のロマンになったとも思いを馳せる。

No.410 6点 中空- 鳥飼否宇 2018/10/01 19:21
(ネタバレなし)
 作者の作品はこれで7冊目。「観察者」シリーズは最新作の『生け贄』(2015年)についでまだ二冊目だけど、十分に楽しめた。デビュー作からこの安定感と完成度というのは大したものだと思う。
 荘子と竹林という二大ファクターを核とする閉ざされた世界という舞台装置を知って、何となく面白そうだと期待して手に取り、これはアタリ。
 損壊された死体の扱いは強引な気もするが、この辺は作者もわかってやったことであろう。それよりももうひとつの大技で、海外の某名作短編ミステリを想起させる××トリックの方に唸らされました。伏線も、作者がニヤニヤしながらあちこちにばらまいている感じで、その辺りも実に好ましい。
 ただまあBLOWさんのレビューにある、多重解決の本当の真相の方が、先のダミーの謎解きに比べてパンチ不足というのもわからないでもないので、評点はこのくらいに。

No.409 4点 悪魔の舗道- ユベール・モンテイエ 2018/09/29 15:32
(ネタバレなし)
 1950~60年代のフランス。「わたし」こと、社会に出たばかりの地理と歴史の新任教師エマニュエル・バルナーブ青年は、閑寂な地方都市の「テュ・ゲクラン高等中学」に奉職した。だが彼の周囲の同僚や町の人は、少ない収入のなかでとんでもなく食費のかかる大型犬を室内で飼ったり、子豚と同居したり、喪中でもないのに葬儀用の手袋を嵌めたり、さらには犬の耳のついたソクラテスの鏡像を飾ったり、と奇妙な行為をとっていた。やがてエマニュエルは、この町の住人の多くは「嬌正不能不品行者対策道徳援助地区委員会」なる謎の人物から、世の中に知られたくないおのおのの秘密を探られて匿名の手紙で脅迫され、クレイジーな行為を強要されていたと知る。「委員会」の新たな標的に選ばれたエマニュエルは脅迫される町の面々と連携し、謎の敵の正体を探ろうとするが。

 1963年のフランス作品。ポケミスの初版は1969年9月30日刊行。
「ミステリマガジン」2013年11月号のポケミス60周年記念特大号のアンケートの中で、日下三蔵氏がポケミスのマイ・オールタイムベスト3のひとつに上げていた作品。日下氏は本作を(他の二冊とともに)「強烈なサスペンスでラストまで一気に読まされただけでなく、どんでん返しでアッと声を上げてしまった」と評価してる。それで「ほほう」と思い、古書を購入して読んでみた。

 ……しかし、これはダメでしょ。エマニュエルが委員会の存在を知り、町を支配する正義の悪意に迫ろうとする前半の中途まではよいのだが、その前後からの登場人物の思考が、ことごとくおかしい。
 というのもエマニュエルが参集した被害者団体のなかには、委員会に脅迫される秘密のネタとして、実はかなり凶悪な犯罪(具体的にいうなら通り魔的に女性を連続殺害したのち屍姦)まで為した者がいる。当然、周囲の者はその事実を知って驚きおののくのだが、そこで土地の司祭が「この人はもう告解も済ませてる、自分がそれゆえにこの人の人柄を保証する」という主旨のことを語り、一同を納得させてしまう。……いや、理解できねえ! この思考と神経。
 実は、主人公のエマニュエル自身も相応の不祥事(ばれたら刑務所入り確実)を起こしており、その秘密が他の人に露見しない方が委員会の正体を追うより優先される事項じゃねーの? と思うのだが、委員会の追求のために自分の罪をあっさりと告白してしまう(真実を晒すべきか否かのドラマ的な葛藤などがあればまだ分かるが、そういう要素は微塵もない)。警戒心ってものがないの?
 それでも中盤からの主人公とある人物との成り行きはちょっと面白くなる感じだったので、このままその日下氏の言う「どんでん返し」まで行くのかな、と思いきや……いや、何がどんでん返し? サプライズ? 何もないじゃん。
 あるのはわかるようなわからないような、キリスト教と民俗社会学を背景にした作者の思弁だけ。言いたいことって、結局「××を握った者は(後略)」ということですか? 
 序盤の掴みは悪くなかったんだけどな。全体としては、フランスものにたまにある頓珍漢作品という感じであった。

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人並由真さん
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